「友達が欲しい?」
さとりが箸を止めてこいしに尋ねると、こいしは卵焼きを咀嚼しながら何度も頷いた。
「でもあなた最近友達が出来たんでしょ?」
この間、地霊殿へとやって来た吸血鬼と面霊気がこいしと共に遊んでいた事を思い出す。随分と仲が良さそうに暴れまわっていた。
さとりは大穴の空いた障子を見る。無邪気な三人娘に追い掛け回されたお燐がすっ転んで作った穴だ。お燐は障子を突き破って動かなくなり、追い掛け回していた三人娘は心配そうに介抱しようとしたが、お燐が目を覚まして何て事無いと胸を張った瞬間、再び三人娘とお燐による笑いの絶えない追跡劇が始まった。
何処からどうみても友達だったけれど。
さとりが不思議に思いながらこいしを見つめていると、こいしは卵を飲み下してから口を開いた。
「まだ分からない」
こいしも穴の空いた障子に目をやった。その表情には笑みが浮かんでいるが、内心は分からない。妹が心を閉ざしてから、さとりは妹の事がほとんど何も分からなくなった。少しずつ会話がままならなくなり、しばらくすると二人で食卓を囲む事すら出来なくなった。
ところが近頃は変化があって、こいしは段段と元の明るく無邪気だった頃に戻り始めている。さとりはその原因を友達が出来た為だろうと考えていた。
さとりがこいしを見つめていると、ふとこいしの姿が消えた。障子の開く音がして、見るとこいしが外へ出ていこうとしていた。
「友達って何処からが友達なんだろう」
こいしがそう言って振り返った。薄っすらと微笑んでいる。だがさとりにはそれが寂しそうな表情に見えた。その真意を知りたくて、僅かでも本当の感情がこぼれ落ちないかと、じっとこいしの事を見つめる。
「あの二人の事?」
「うん」
「ならもう友達じゃないの?」
「友達になりたいけど。でも向こうがどう思っているのか分からないし」
「なら友達になりましょうって言ってみたら?」
「でも前に、心が読めてた時に、友達になりましょうって言って良いよって言ってくれたのに、心の中では私の事を怖がっている子が居たよ?」
こいしが首を傾げてそう言った。さとりは何も言い返せなくなる。さとりもかつて同じ覚えをした事があったから。そう言った事が積み重なって、さとりは引きこもる様になったのだし、こいしは心を閉ざしたのだ。
言葉が見つからずにさとりが黙っていると、こいしは廊下へと出て姿を消した。
「おや、こいし様。そんな所で立ち止まられて、如何致しましたか?」
障子の向こうからお空の声が聞こえた。障子を見つめ続けるさとりの耳に二人の会話が聞こえてくる。
「ねえ、お空は友達居る?」
「ええ、それはもう。地獄鴉で一番友達が多いと自負しています」
「なら、友達って何処からが友達だと思う?」
「何処から? はて、良く分かりませんが、友達かどうか聞いていいえと言われなければ友達なのではありませんか?」
「違うの! それじゃあ、駄目なの! だって友達だって言っても、内心はそう思ってないかもしれないでしょ?」
「はあ、こいし様は難しい事を言いますなぁ。まるでかぐや姫の様ですね」
「かぐや姫?」
「おお、そうです。こいし様、あなたはかぐや姫になれば良い。難題を吹っかけてみたら如何ですか?」
「難題?」
「そうです。かぐや姫は月から来たお姫様なのですが、月から来たばかりで友達が居なかったのを寂しがっておりました。その上、月から来たので本当の友達が出来るか不安だった。そこで沢山の人に難題を与えて、それでも自分の傍に居てくれる人を探したのです。確か狐の毛皮を取ってこいだとか、鶏の鳴き真似をしろとか、そんなわがままを言って」
「でもそんな難題を言って、もしも本当の友達までその難題を出来なかったら」
「出来なくとも良いのです。ただその難題を聞いても離れず、叶えようとしてくれる人が真の友達。かぐや姫の出した難題も誰一人として解けませんでしたが、最後月に帰る時には沢山の本当の友達がお見送りをしてくれたのです」
「へえ!」
「ですから、こいし様もそうやって難題を出せば。おや? こいし様?」
さとりが黙ったまま、障子を見つめていると、足音がやって来て、お空が顔をのぞかせた。
「おや、さとり様。今しがたこいし様に」
「ええ、何か話していたみたいね。感謝するわ」
「え? 感謝?」
お空が不思議そうな顔をしながらさとりの傍を通り過ぎる。
「妹を励ましてくれたでしょ? 変なかぐや姫の話をして」
「ああ、励ましていたのですか。私はてっきり新手の冗談かと思っていました」
お空が冷蔵庫を開けて、そんな事を言う。
「え? 冗談だったの?」
冷蔵庫から牛乳を取り出したお空は障子の向こうを指さした。
「さあ? お燐のカンペを読んでいただけなので、内容はさっぱり」
さとりががっくりと項垂れる。
「ああ、そう」
「ただ、私は」
さとりが顔を上げると、お空は牛乳を一気に飲み干して、その瓶を水道で洗い、大事そうに磨きだした。
さとりは焦れったく思って続きを尋ねる。
「私は、何?」
お空は何度か瓶に息を吹きかけて大事そうに懐に閉まってから、さとりへ笑顔を向けた。
「私は臆病ですので、そんな難題なんて、友達にしか頼めませんね」
さとりがお空を見つめていると、お空は歩み寄ってきてテーブルに並んだ朝食を指さした。
「ところで、こいし様行っちゃいましたけど、この食べ残し、食べていいですか?」
お空のお腹がぐうと鳴った。
難題。
一体何を頼めば良いのか分からない。
それを頼んだら二人共離れていってしまうかもしれない。
もしかしたら二人共自分の事を嫌いになってしまうかもしれない。二度と会ってくれなくなってしまうかもしれない。
それは分かっているのに、どうしてか、あの二人ならどんな事でも聞いてくれる気がした。二人に難題を伝える時の事を想像すると、二人が快く受け止めてくれる光景しか思いつかなかった。二人との友情を確かめられるんだと考えただけで、嬉しくて嬉しくて仕方がなかった。
こいしが紅魔館へ行くと、フランは留守にしていた。何でも友達と一緒に永遠亭へ行ったらしい。メイドが不思議そうな顔をして、一緒に行かなかったのかと問いかけてきた。
こいしは首を横に振って紅魔館を後にし、永遠亭へと向かう。
いつもだったら二人共紅魔館に居る筈なのに、と不思議な気持ちだった。もしも何処かへ行くのであれば私を誘ってくれても良いのに、と残念な気持ちだった。
永遠亭へ行くと、何やら騒がしい。いつもは侘しい永遠亭が奢侈に飾り付けられている。あちこち走り回っている兎達の傍をすり抜けながら玄関を上がると、永遠亭のお姫様がダンボールを抱えて歩いていた。
「あら、いらっしゃい。待ってたわよ」
お姫様はダンボールをその場に置いて、こいしの後ろに回りこんで背中を押した。ぐいぐいと背中を押されて、こいしは分からぬままに兎達が活発に行き来する廊下を歩まされる。少し歩くと一際騒がしい部屋があって、お姫様に押されながら中に入ると、大勢の子供が幾つもの塊を作って座り合い、何やら手元で作業しながらわいわいと騒いでいた。
こいしがぼんやりと辺りを見回していると、またお姫様に背中を押され、隅っこのところに座っている二人組へと連れて行かれた。
二人がこいし達に気がついて顔を上げる。お姫様がこいしの肩に手を載せて周囲の喧騒に負けない様に大きな声で言った。
「お待たせー。こいしちゃんが来ましたよー」
こいしが二人を交互に眺める。
フランとこころ、二人が手にぬいぐるみを持ってこいしの事を見つめ上げている。驚いた様な二人の表情に晒されて、こいしは何だか不安になった。
もしかしたら自分がここに来たのは邪魔なのかもしれない。邪魔だから何も告げずに置いて行ったのに、それがやっぱり来てしまったから迷惑がっているかもしれない。
そんな不安が湧いてきた。
こいしが立ち尽くしながら二人を交互に見つめ続けていると、フランが口を開いた。
その時、お姫様が大きな声を上げた。
「あ! 鈴仙! こっちこっち! 早く道具準備してあげて!」
その声に驚いて、フランが口をつぐむ。こいしはしばらくじっとフランの言葉を待っていたが、結局口を開いてくれなくなった。こいしは黙ったまま見上げられている事に苦痛を覚えて座り込む。
ぱたぱたと小走りの足音が聞こえてきて、こいしの傍で止まったかと思うと、兎の声が降ってきた。
「あれ? えっと、どの子に渡せば?」
「ここに居るでしょ? 何言ってるの」
「え? あ、ごめんね」
こいしの前に布と綿と糸と針と型紙が置かれた。こいしがそれをじっと見つめていると隣に鈴仙が座り込んで、顔を覗きこんできた。
「こいしちゃん、だったっけ?」
こいしが頷くと、兎は笑顔を浮かべて首を傾げる。
「人形の作り方は分かる?」
こいしが首を横に振ると、兎はこいしの手を取った。
「じゃあ、教えてあげるね」
兎が手を取って丁寧な様子で教えてくれる中、こいしは二人の友達が気になってまるで集中出来なかった。二人はいかにも真剣な様子で人形を作っている。怒っているのか、迷惑がっているのか、あるいは全然そんな事無いのか。表情からは読み取れない。
「はい、分かった?」
唐突に兎が尋ねてきた。いきなり問われた為に、こいしは良く分からないまま頷いた。すると兎は嬉しそうに笑って、離れていった。後には人形と、その材料が残っている。
何だろうこれ。
こいしがしばらくじっとそれを見つめていると、フランが声を掛けてきた。
「それ、作らないの?」
こいしが顔を上げると、フランは下を向いて無表情で人形を作っている。
「え? これ作るの?」
フランが人形を持ち上げて尋ねると、フランが顔を上げてきっと睨みつけてきた。
「たった今、お姉さんが説明してくれたでしょ!」
「レミリアさんが?」
「それはお姉ちゃん! そうじゃなくて、永遠亭の鈴仙お姉さん!」
こいしがフランの剣幕に押されて身を引くと、フランが詰め寄ってくる。
「さっきの話、全然聞いてなかったでしょ!」
「さっきの?」
「ほら!」
フランが両手を畳の上に叩きつける。
その迫力に驚いてこいしは体を震わせた。
「っていうか、何で今日待ち合わせに来なかったの?」
「待ち合わせ? してたっけ?」
「それも聞いてなかったのかよ!」
フランが叫ぶなり、頭を抱えて背後に倒れこんだ。服がめくれてパンツが見える。横からこころの手が伸びて服の裾を直した。
「私達、ずっと待ってたんだよ。約束だったでしょ?」
「そんな約束したっけ?」
こころが呆れた顔で溜息を吐いた。
「一昨日約束したじゃん。今日は明日からの人形劇の為に永遠亭で人形を作るからって。博麗神社に十時集合って」
「そうだっけ?」
突然フランが跳ね起きた。
「もう! 何でこいしは毎回毎回聞いてなくて忘れちゃうの!」
「ごめん」
「全く」
「ごめんね」
「良いよ、もう。謝らなくて」
フランが不機嫌そうに顔をそむけた。
謝るなと言われたので、こいしは黙る。かわりに心の中で呟いた。
本当にごめん。
私は相手の言葉を上手く聞き取れないから。
「とにかく! 人形作らないといけないんだから、早く作ろ!」
フランとこころが傍によってきて、型紙を拾い上げた。
「私達が教えて上げるから、一緒に作ろう」
こいしが頷くと、二人はこいしを両隣から挟む様に座って楽しそうに笑った。
部屋の中は子供達の喧騒に満ちている。楽しそうに人形を作る無邪気な笑い。人形を作らずに遊びまわっているがさつな笑い。こいしはともすると注意を奪われそうな周囲の騒ぎから必死で耳を背け、両隣に座る二人の教えをしっかり覚えようと努力した。
教わりながらの遅々とした制作を終え、ようやっと一体目の人形が出来上がると、フランが幾分和らいだ表情でもう一回説明しようかと確認をしてきた。
こいしは首を横に振る。
フランとこころが言っていた事は全て覚えたし、あんまり二人に迷惑を掛けるのも悪い。自分一人で作れる事を示そうと、型紙を手に取って次の人形に着手しようとすると、フランが不満そうに言った。
「もう。ちゃんと質問に答えてよ」
何が悪かったのか分からない。
こいしが顔を上げると、フランは肩を落として項垂れた。
「あのね、ちゃんと相手の質問には答えてよ。コミュニケーションの基本だよ」
「ごめん」
「良いけど」
コミュニケーションの基本が出来ていなかった。
その言葉がこいしに重く突き刺さった。
今まで二人とお喋りをしていた事も本当は全部上手く出来ていなかったのだろうか。
ずっとずっと自分は一人で一方通行の言葉を吐き続けていただけなのだろうか。
もしかして自分が一方的に思っていただけで、二人は自分の事なんか友達だと思っていなかったんだろうか。
急激に沸き立ち始めた不安が心を押しつぶそうとしてくる。
苦しさを感じて、不安を否定して欲しくて、二人に助けを求めて顔を上げる。二人は下を向いて人形を作り始めていた。その顔は真剣で、無表情で、こいしの事なんか気にも掛けていないようで。
こいしの中の、本当に友達なんだろうかという不安が更に大きくなっていく。嫌われているんじゃないかという恐ろしさが鎌首をもたげる。
沈み込むこいしの心に、ふとお空の言葉が蘇った。
難題。
もしも友達かどうかを確かめるのであれば、難題を出せば良い。もしもそれを叶えようとしてくれるなら難題が解けなくても友達だし、叶えようとしてくれないなら友達じゃない。
単純明快で簡単に分かる判別法。
だからこそ怖かった。
もしも難題を出して、二人が叶えようとしてくれなかったら、はっきりと二人が友達でないとわかってしまう。
こいしは二人の顔を見る。二人は俯いた無表情。不安が更に高まった。
怖い。
友達じゃないとはっきりさせてしまうのが。
けれどそれを確認しないと苦しい心は苦しいままで、いずれ押しつぶされてしまう。
段段と人形を作る手も鈍っていって、完全に止まるとフランに注意された。
「手、止まってるよ。また分からなくなった? 教えてあげようか?」
こいしは慌ててそれを拒む。
これ以上二人に迷惑をかけたら本当に嫌われてしまう。
慌てて人形を縫いつつ、また考える。
二人は本当に友達なのか。
考えても、考えても、分からない。もう難題を出して試すしか無いと悟った。
それをしなければ苦しいままで、きっと苦しいままじゃ耐えられない。
難題。
こいしは二人を見ながら考える。
何を言えば良いだろう。どんな事をお願いすれば良いだろう。
必死で頭を巡らせて、お空の言葉を思い出していると、一つの難題を思いついた。
何だか息が荒くなった。
思いついた難題を言えば友達かどうか確かめられる。
何だかとても緊張した。
緊張するけれど、言うしか無い。
言って、確かめるしかない。
「ねえ」
口を開く。言ってしまった。もう後は言い切るしか無い。
「狐の鳴き真似をしてくれない」
その難題を口にした瞬間、心臓が止まった様な錯覚がやって来た。
世界から音が消えたかの様に、時間が止まっている。
その錯覚はすぐに回復して、喧騒が戻ってくる。喧騒に混ぜっ返された緊張の中で、こいしはじっと二人の返答を待った。
するとこころがゆっくりと顔を上げた。
「え? 今、何か言った?」
フランも顔を上げる。
「ちょっと! 手が止まってるって! 分からないなら聞いてよ」
「でも今、こいし何か言ってたよ?」
「え? そうなの? 何?」
「何て言ったの?」
こころが微笑んで尋ねてきたので、こいしも微笑んで首を横に振った。
「ううん、何でもない」
届かなかった。
難題を出して確かめる以前の問題だ。
私の言葉は相手に届かないから。
友達かどうか確かめる事すら許されない。
自分はそんな事すら出来ないんだ。
こいしは俯いたまま、今の事を忘れる為に人形作りに没頭し始めた。
やがて二体三体と人形が増えて、作るべき人形がほとんど全て完成した頃に、黙って人形を作っていたこころが「そう言えば」と前置きして「今作っているお話知らないよね」と尋ねてきた。
当然知らないとこいしは頷く。そもそも今日がどんな集まりなのかすら知らない。
「え? そこから?」
フランが極端に驚くので、こいしも驚いた。そんなに変な事だったのだろうか。自分は周りと比べてそんなに変なのかと悲しくなった。
話によると、お姫様が考えたお話を人形劇でやるらしく、明日から行われるその人形劇に必要な人形を皆で作っているそうで、沢山ある話を沢山に分かれた子供達のグループが分担して作っているらしい。
「そういう事だったんだ」
「あれもこれも聞いてなくて忘れてて。ねえ、何なら覚えてるの?」
溜息混じりに吐かれたフランの言葉に、こいしは微笑みを浮かべながら答えた。
「何だろう?」
本当に何なら覚えているんだろう。
どうしたらみんなの迷惑にならないでいられるんだろう。
私はいつも周りに迷惑を掛けてばかり。
ぼんやりとしているこいしを見て、フランが肩を竦めた。
「まあ、良いけどさ。で、ここからが本番。私達が作っている人形がどんな話に使われるのか。勿論、こいしは忘れてるよね?」
「うん! 勿論!」
フランがわざとらしく溜息を吐いた。
こころがくすくすと楽しげに笑いながら、こいしの肩に手を置く。
「私達がやるのはね、ある動物達の村のお話。だからこんなに沢山動物の人形を作ってるの」
「主人公は猫。今、こいしが作ってるやつね。主人公なんだから、こいし、ちゃんと作ってよ」
こいしが頷くと、フランは先を続ける。
「でね、猫さんは村の嫌われ者なの」
嫌われ者、という言葉を聞いて、こいしの肩が持ち上がった。
まるで私だとこいしは思った。
「何でかって言うとね、凄い迷惑な人なの。初めの内は手伝ってあげるとか調子の良い事を言う癖に、実際に行動に移るとすぐに物を落としたりだとか、ちゃんと話を聞かないとか、全然違う事をしちゃうとか、自分勝手に失敗しちゃう。最初は悪気が無いからって許してた村の動物達も段段わざとなんじゃないかって疑い始めるの」
益益私みたいだ。私もいつだって無意識の所為で失敗ばかりする。誰かの言葉が聞き取れなくて、誰かに言葉が通じなくて、一方向の会話の所為で、いっつもいっつも失敗ばかり。迷惑ばかり掛けている。
「それで友達の狸さんと狐さんは猫さんに注意するんだけどね」
するとこころは自分の作った狸の人形を持ち上げて、横に振る。
「何事ももっと集中してやらなくちゃ駄目だよ」
まるで狸の人形が喋っているみたいだった。
フランも狐の人形を持ち上げて、喋らせる。
「そうだよ。村のみんなが猫さんの事を意地悪だって言っているよ」
猫さんに言っている筈なのに、狸と狐の言葉がこいしの心を責め立てる。
フランの手が伸びてこいしの手に触れる。
「それで猫さんは分かったって言うんだけど、ほら」
フランに促されてこいしも猫の人形を持ち上げた。
「うん、分かったよ」
「本当に?」
「本当だよ。迷惑なんて掛けたくないもん。もう絶対に迷惑なんて掛けないよ」
「そうそう。そんな風に猫さんは言うんだけど、次の日にね、猫さんは蔵の掃除を頼まれて鍵をもらうんだけど、ちゃんと話を聞いてなくて、蔵の中に入った途端、掃除する事なんかすっかり忘れて、遊んじゃうの」
ああ、如何にも私がやりそうな事だ。だって私は。
「それでどうなるの?」
「もうみんな凄く怒って、そんな迷惑ばっかり掛けるなら、もう知らない! って。みんな猫さんの事嫌いになっちゃって、みんなが猫さんに出てけって言って。それで猫さんは村を追い出されて寂しく一人ぼっちに」
ああ、やっぱりそうなんだ。
みんなに迷惑を掛けると寂しくて一人ぼっちになる。
迷惑を掛ける様なのはみんなと一緒に居ちゃいけないんだ。
お話の中の猫さんは友達なんか居ないみんなの嫌われ者。
私と一緒だ。
私も上手く他と付き合えないから。
きっとみんなに迷惑を掛けてる。
だからみんなに嫌われる。
私も猫さんと同じ、誰かと一緒に居ちゃいけないんだ。
フランやこいしとも一緒に居ると二人に迷惑を掛ける。今日みたいに遅刻して、さっきみたいに話を聞いていなくて。
だから私は二人と一緒に居ちゃいけないんだ。
気がつくと、廊下を歩いていた。周りを兎達が元気に走り回っている。
気がつくと、外に出ていた。竹林に向かって歩いている。
気がつくと、竹に背を預けて座っていた。周りには誰も居ない。静かで、一人ぼっちで、寂しいけれど妙に落ち着いた。やっぱりこれが私なんだとはっきりと気がついた。
これが私。
どうしたって結局は一人ぼっちの私。
誰の言葉も届かない私。
誰にも言葉の届かない私。
誰とも上手く付き合えない私。
誰からも気付かれない私。
それが私。
だから今の私はとてもしっくりくる。
だって本当の私だから。
鬱蒼とした闇の中で一人ぼっちで居るのが私だから。
第三の眼を閉ざした時の、あの苦しかった感情が仄かに浮き上がる。
不意にこいしの瞳から涙が溢れ、スカートを握りしめる手に垂れ落ちた。思わず自分の目頭に触れると濡れていた。目頭から眦へゆっくりと指を這わせると湿っぽい感触が広がっていく。
泣いている。
それに気がついたこいしはどうして泣いているのか分からずに混乱した。今はようやく本当の私に戻れたのに、ようやくしっくりとした場所に戻れたのに、どうして自分は泣いているんだろう。
混乱している間にも、涙は次から次へと溢れ出て、慌てて目を覆うと辺りは真っ暗に。闇の中、喉の奥から悲しみがせり上がってきた。
泣き声が出そうになるのを堪えながら、自分がどうして泣いているのか分からなくて怖かった。
どうして。どうして泣いているの。
目を覆った闇の中、せり上がってくる悲しみが怖くて怖くて仕方が無い。けれど助けを呼ぼうにも自分は一人ぼっちで、怖さばかりが募っていく。
「誰か」
気がつくとこいしは呟いていた。
「誰か」
誰にも届かないと知っていながら、それでも誰かに届いて欲しくて。誰も聞く事の出来無い願いを繰り返し繰り返し呟き続けた。誰か助けてと。
その難題に答える者が居た。
「どうしたの、猫さん?」
突然掛けられた声にこいしが顔を跳ね上げる。狐の人形が鼻先にあって、自分の事を見つめている。狐の人形の後ろにはフランとこころが立っていた。
「あれ、泣いてる?」
フランが驚いた様に言ったので、こいしは慌てて涙を拭い首を横に振った。
「泣いてないよ」
するとこころが狸の人形を前に突き出し、言った。
「どうしてこんなところに一人で居たの?」
こいしがふと自分の手を見下ろすといつの間にか猫の人形を握りしめていた。
迷惑ばかり掛ける一人ぼっちの猫の人形を。
「だって、私、周りに迷惑ばかり掛けちゃうから」
「大丈夫。きっとみんなわざとじゃないって分かってくれるよ」
「でも迷惑は迷惑だもん! 分かってくれたって、内心はきっと一緒に居たくないって思ってる!」
こいしはまた涙が溢れそうになって背を向けた。
「二人だって本当は私なんかと一緒に居たくないんでしょ!」
こいしの叫びに二人が黙りこむ。背中から漂ってくる静寂が、何だか寒くて悲しくて、こいしの目からまた涙が溢れてきた。
するとこいしの肩に狐が乗った。
「一緒に居たいよ」
逆の肩に狸も乗る。
「そうだよ。一緒に居たいよ、猫さん」
こいしが首を横に振る。
「嘘。だっていつも迷惑を」
「迷惑なら私も掛けてるよ」
肩の上の狸が跳ねる。
「いっつも食べ過ぎて村の皆を困らせちゃう。太っちゃって狩りも上手く出来ないし。それにね、私はいつも表情の研究でみんなに迷惑を掛けてるから」
肩の上で狐が跳ねる。
「私だってそうだよ。いっつも嘘や悪戯ばっかりで。この前だってみんなが取った鰻を逃しちゃったし。それに、いっつも色んな物を壊してみんなから怒られてる」
再び狸が跳ねた。
「私達はみんなそう。みんな誰かに迷惑を掛けてる。こいしだけじゃないんだよ」
再び狐が跳ねた。
「こんこんこん、私、猫さんと一緒に居たいよう」
狐の鳴き声。
「たぬたぬたぬ。私、猫さんと一緒に居たいよう」
狸の鳴き声?
こいしの背後で狐が尋ねた。
「狸さん、狸ってたぬたぬって鳴くの?」
「分かんない」
「っていうか、何で変な表情してるの?」
「狸の物真似をする表情」
笑いそうになったこいしは自分を戒めて、二人から距離を取った。
「あ、こいし」
フランが逃げようとするこいしの手を捕まえる。
「迷惑なんか掛けたって平気だよ。私が幾ら迷惑を掛けたって、紅魔館のみんなは一緒に居てくれる」
こころも反対の手を取った。
「私もどんなに迷惑を掛けたって、みんな表情の研究に協力してくれるよ。魔理沙さんだって、私が肘鉄打っても、ちょ、やめ、マジで止めてって快く協力してくれるし」
「ね? 大丈夫だよ。そもそもこいしがどんな迷惑を掛けたの?」
こいしは背を向けて俯きながら言った。その声は涙で震えている。
「今日約束忘れてて遅刻したし。さっきも人形教わる時に話を聞いてなくて二人に手伝わせちゃったし。他にもいつもいつも」
「そんなの全然迷惑に入らないよ!」
「そうだよ。肘鉄打って鼻血出してからだよ、迷惑って」
「そうそう。お屋敷爆破してからが本番だよ」
フランとこころがぎゅっとこいしの手を握ると、こいしは涙を浮かべながら振り返った。
「でも私、駄目、やっぱり」
こいしの叫ぶ様な言葉に、フランも泣きそうな顔で尋ね返す。
「どうして!」
「だって、私、二人の事信じられないもん」
「え?」
「だって、私、第三の眼を閉じちゃったから、二人の心が読めなくて、だから二人が本当の事を言っているのか」
こいしの言葉が途切れる。
こいしの手を強く引いたフランは、こいしの頭を胸で押さえる様にして抱きしめると、嗄れた涙声で言った。
「じゃあ、感じて!」
「え?」
「読めないなら感じて!」
「どうやって?」
「良いから感じて!」
フランが更に強くこいしの頭を胸で抱きしめる。
「わたしのも感じて」
こころも同じ様にこいしの頭を抱きしめた。
「私達、こいしの事好きだよ。一緒に居たいと思ってるよ。本当だよ」
「ねえ、信じてよ」
二人に挟まれたこいしは二人の温かさと一緒に二人の気持ちが流れ込んでくる様な心地がした。二人が自分を思っている。二人は自分の事を大切に思ってくれている。
それが嘘だとは思えなかった。
「本当に一緒に居てくれる?」
「当たり前でしょ!」
「ずっと一緒だよ」
こいしは唇を噛んで嗚咽を殺すと、二人の胸の間で呟いた。
「ねえ、お願いがあるんだけど」
こいしの言葉に、二人が同時に答える。
「何? 何でも言って」
こいしは一度深呼吸すると、胸を押さえながら二人にその難題を伝えた。
「友達に、なってほしい」
けれどフランはそれを怒鳴って否定する。
「最初っから友達だよ!」
それを聞いた途端、こいしの目からまた涙が溢れてきて、気がつくと声を上げて泣いていた。こいしを抱きしめる二人も啜り泣きを始めて、しばらくの間、静かな竹林の中で三人の泣き声が木霊す様に響き渡った。
やがて段段と泣き声が鎮まって、フランの「戻ろっか」という言葉を合図に、三人は永遠亭へと戻る為に歩き出した。そうして竹林の陰で、三人の様子を盗み見ていたお嬢様がメモを取り出してペンを舐めた。
「結局、友達の狐さんと狸さんのお陰で猫さんは村へと戻り、いつもの様に迷惑を掛け合いながら楽しい日日を暮らしましたとさ。めでたしめでたし」
そう言いながら、メモにペンを走らせる。
「明日の一番目はあの子達のお話にしましょう。てゐはどう思う?」
隣で座っていた兎が苦笑する。
「うーん、私は随分と心が荒んでしまったので、お子様達がどの様な話を喜ぶのかはとんと」
「てゐの考えを聞かせて欲しいの」
「そうですねぇ。まあ、強いていうなら、この動物達の話、結局解決したのは猫の心だけで、村に迷惑を掛けてるのは変わりないですよね。その辺り、子供に突っ込まれたらどうするんですか?」
「うーん、友情って事で納得してくれないかな?」
「いや、分かりませんけど。私はそれで納得させる自信がありません」
「そうねぇ。じゃあ二番目はそれを補う様な」
そこへ兎が駆けてくる。
「輝夜様! そろそろみんな作り終えましたよ! それにお時間です!」
「ああ、もうそんな時間。じゃあご挨拶に行かなきゃね」
お姫様は二人の兎を伴って永遠亭へと戻っていった。
こいし達が戻ってしばらくすると帰りの時間になった。子供達の保護者がやって来て、一人二人と子供を連れて帰っていく。こいし達も人形を作り終え、お喋りをしながら保護者を待っていた。そこへ、こころが突然顔を逸らして声を上げた。
「あ、霊夢お姉ちゃんと萃香お姉ちゃんが来た」
フランとこいしがこころの視線の先を見ると、博麗神社の霊夢と萃香が立っていて、こころに向けて微笑みながら手を振っていた。
「じゃあ、私帰るから」
こいしが優しそうな霊夢と萃香を見つめていると、そこへこころが加わって三人は幸せそうに何かを話しながら襖の陰に消えた。それと入れ替わる様にして、今度は紅魔館の美鈴が顔をのぞかせた。
「あ、美鈴!」
フランが立ち上がると、美鈴もそれに気がついてフランの事を呼びながら嬉しそうに大きく手を振る。こいしがそれをじっと見つめていると、突然フランに胸倉を掴まれた。
「ちょっと! 聞いてた?」
「え?」
「ほら! 聞いてない! 良い? さっきこころが言ってたけど、明日は博麗神社の鳥居に八時集合。お弁当持ってこなくちゃ駄目だからね」
「あ、うん」
「ちゃんと覚えた?」
「うん、八時にお弁当を持って博麗神社の鳥居集合」
「良し! じゃあ、また明日ね!」
「うん、また明日」
フランはこいしに手を振りながら部屋を出て、美鈴と合流すると何か楽しそうに話しながら、襖の陰に消えた。
それを見送って、じっと襖を見つめながら、ふとこいしは気がついた。
そう言えば家の人に永遠亭へ行く事を言ってなかったから迎えに来てくれる筈が無い。
どうしようかなと思っていると、襖の陰からさとりが顔をのぞかせた。
「お姉ちゃん?」
でもここに来る筈が無い。
幻覚?
幻覚が手を振っている。
しばらくその幻覚を眺めていると、幻覚が突如として鬼の様な表情になり、近寄ってくると頭を叩いてきた。
「何でぼけっとしてるの! 早くなさい」
立ち上がらされて、玄関へと連れて行かれる。
玄関の傍にはお姫様が立っていて、帰る親子に挨拶をしていた。
さとりはこいしを引き連れながらずんずんとお姫様に近付いて目の前に迫るなり頭を下げた。
「ご連絡いただきありがとうございました。それにいつもうちの妹がお世話になって」
するとお姫様は胸の前で小さく手を振った。
「いえいえ、こちらも好きでやっている事ですから。そう言えば、明日は人形劇をやるんですけれど、その一番初めの物語の人形を作ったのはこいしちゃんなんですよ」
「あら、そうなんですか? こいし、凄いじゃない」
二人からの視線を受けて、こいしは良く分からずに困惑しながら、ただ黙って頷いた。
お姫様が微笑んで、パンフレットを取り出し、さとりへと渡した。
「もしよろしければ、さとりさんもいらして下さい」
「これはどうも」
さとりはぱらぱらとパンフレットの中に目を通してから、頭を下げた。
「それじゃあ、再三になりますが、今日はありがとうございました。妹が大変お世話になりました」
「いえいえ。よろしければ是非また」
さとりがこいしの手を引いて、玄関の外に出る。
するとその背にお姫様が明るい声を掛けてきた。
「また明日ね。こいしちゃん」
振り返るとお姫様がにこにこと笑っていた。こいしが頭を下げると、お姫様は益益の笑顔になって手を振った。それに手を振り返して、こいしはさとりと一緒に帰路へついた。
「妙に裏表の無い人ね」
さとりがそんな事を言ったが、こいしは良く分からない。黙っていると、さとりがまた口を開く。
「それで、今日は楽しかった?」
「うん。フランとこころと一緒に人形作った」
「そう。良かったわね」
さとりが微笑んだ。
こいしはふとフランとの約束を思い出す。
「そうだ。お姉ちゃん、明日お弁当作って」
「お弁当? 良いけど」
「あのね、フランとこころとね、友達とね、お弁当を持ってくるって約束したの」
「あら、そうなの。じゃあ腕に撚りを掛けて作らないと」
「あとね、明日は早く起こして。友達とね、明日は八時に博麗神社で待ち合わせだから、絶対遅れちゃいけないの」
「そう。じゃあ、六時位に起きれば良いかしら」
「うん、絶対遅れちゃ駄目だからもっと早くても良い」
こいしが力を込めてそんな事を言うので、さとりが小さく笑い声を上げる。
「あの二人はやっぱり友達だったのね?」
さとりが嬉しそうに尋ねると、こいしも嬉しそうに答える。
「うん、そうみたい」
さとりは益益頬を緩めて、行く先を見つめた。道の先へ赤焼けた夕日が沈もうとしていた。
「じゃあ、二人はあなたの出す難題を聞いてくれたんだ」
「うん、三つも叶えてくれた」
こいしがさとりと繋がった手を振り始めた。嬉しさの感情が暴れているみたいに、腕を大きく振り回しながら大股で歩いている。
ぶんぶんと腕を振って勇ましく歩くこいしを見つめながら、さとりが優しい声音で言った。
「良かったわね」
本当に、と呟いて、さとりはこいしの手を離さない様にぎゅっと握る。
夕暮れの中、二人はのんびりと歩いている。もうすぐ夜が来る。今日は満月で、空は晴れ渡っていて、きっと美しい満天の星空が訪れるだろう。
二人並んで歩いていく。こいしが楽しそうに今日の友達との出来事を語っている。
ふとその言葉を遮る様にさとりが呟いた。
「こいし、周りと上手く付き合いなさい」
「え? 勿論! フランとこころが居るからね!」
「そうね、あなたには友達が居るからきっと大丈夫」
「そうだよ! 友達が居るもん。あ、それでね、人形が作り終わった後にね」
再びこいしが友達の事を語りだす。
さとりはそれを微笑んで聞いていたが、ふと苦しげに空を見上げた。
日に押されていた満月が段段と光り輝き始めていた。
夜が来ようとしていた。
Real friend of the underdogs ~残酷潜在仮面即興劇~
I, said the blue birds ~内向独善調和即興劇~
Harmonic Household ~反故即興劇~
Historical Hysteric Poetry ~冷索即興劇~
Flowers in the sea of sunny ~時分陽溜即興劇~
You're just an invisible man, I mean ~透明探究殺戮即興劇~
Lovely Lovey ~贈答即興日記~
さとりが箸を止めてこいしに尋ねると、こいしは卵焼きを咀嚼しながら何度も頷いた。
「でもあなた最近友達が出来たんでしょ?」
この間、地霊殿へとやって来た吸血鬼と面霊気がこいしと共に遊んでいた事を思い出す。随分と仲が良さそうに暴れまわっていた。
さとりは大穴の空いた障子を見る。無邪気な三人娘に追い掛け回されたお燐がすっ転んで作った穴だ。お燐は障子を突き破って動かなくなり、追い掛け回していた三人娘は心配そうに介抱しようとしたが、お燐が目を覚まして何て事無いと胸を張った瞬間、再び三人娘とお燐による笑いの絶えない追跡劇が始まった。
何処からどうみても友達だったけれど。
さとりが不思議に思いながらこいしを見つめていると、こいしは卵を飲み下してから口を開いた。
「まだ分からない」
こいしも穴の空いた障子に目をやった。その表情には笑みが浮かんでいるが、内心は分からない。妹が心を閉ざしてから、さとりは妹の事がほとんど何も分からなくなった。少しずつ会話がままならなくなり、しばらくすると二人で食卓を囲む事すら出来なくなった。
ところが近頃は変化があって、こいしは段段と元の明るく無邪気だった頃に戻り始めている。さとりはその原因を友達が出来た為だろうと考えていた。
さとりがこいしを見つめていると、ふとこいしの姿が消えた。障子の開く音がして、見るとこいしが外へ出ていこうとしていた。
「友達って何処からが友達なんだろう」
こいしがそう言って振り返った。薄っすらと微笑んでいる。だがさとりにはそれが寂しそうな表情に見えた。その真意を知りたくて、僅かでも本当の感情がこぼれ落ちないかと、じっとこいしの事を見つめる。
「あの二人の事?」
「うん」
「ならもう友達じゃないの?」
「友達になりたいけど。でも向こうがどう思っているのか分からないし」
「なら友達になりましょうって言ってみたら?」
「でも前に、心が読めてた時に、友達になりましょうって言って良いよって言ってくれたのに、心の中では私の事を怖がっている子が居たよ?」
こいしが首を傾げてそう言った。さとりは何も言い返せなくなる。さとりもかつて同じ覚えをした事があったから。そう言った事が積み重なって、さとりは引きこもる様になったのだし、こいしは心を閉ざしたのだ。
言葉が見つからずにさとりが黙っていると、こいしは廊下へと出て姿を消した。
「おや、こいし様。そんな所で立ち止まられて、如何致しましたか?」
障子の向こうからお空の声が聞こえた。障子を見つめ続けるさとりの耳に二人の会話が聞こえてくる。
「ねえ、お空は友達居る?」
「ええ、それはもう。地獄鴉で一番友達が多いと自負しています」
「なら、友達って何処からが友達だと思う?」
「何処から? はて、良く分かりませんが、友達かどうか聞いていいえと言われなければ友達なのではありませんか?」
「違うの! それじゃあ、駄目なの! だって友達だって言っても、内心はそう思ってないかもしれないでしょ?」
「はあ、こいし様は難しい事を言いますなぁ。まるでかぐや姫の様ですね」
「かぐや姫?」
「おお、そうです。こいし様、あなたはかぐや姫になれば良い。難題を吹っかけてみたら如何ですか?」
「難題?」
「そうです。かぐや姫は月から来たお姫様なのですが、月から来たばかりで友達が居なかったのを寂しがっておりました。その上、月から来たので本当の友達が出来るか不安だった。そこで沢山の人に難題を与えて、それでも自分の傍に居てくれる人を探したのです。確か狐の毛皮を取ってこいだとか、鶏の鳴き真似をしろとか、そんなわがままを言って」
「でもそんな難題を言って、もしも本当の友達までその難題を出来なかったら」
「出来なくとも良いのです。ただその難題を聞いても離れず、叶えようとしてくれる人が真の友達。かぐや姫の出した難題も誰一人として解けませんでしたが、最後月に帰る時には沢山の本当の友達がお見送りをしてくれたのです」
「へえ!」
「ですから、こいし様もそうやって難題を出せば。おや? こいし様?」
さとりが黙ったまま、障子を見つめていると、足音がやって来て、お空が顔をのぞかせた。
「おや、さとり様。今しがたこいし様に」
「ええ、何か話していたみたいね。感謝するわ」
「え? 感謝?」
お空が不思議そうな顔をしながらさとりの傍を通り過ぎる。
「妹を励ましてくれたでしょ? 変なかぐや姫の話をして」
「ああ、励ましていたのですか。私はてっきり新手の冗談かと思っていました」
お空が冷蔵庫を開けて、そんな事を言う。
「え? 冗談だったの?」
冷蔵庫から牛乳を取り出したお空は障子の向こうを指さした。
「さあ? お燐のカンペを読んでいただけなので、内容はさっぱり」
さとりががっくりと項垂れる。
「ああ、そう」
「ただ、私は」
さとりが顔を上げると、お空は牛乳を一気に飲み干して、その瓶を水道で洗い、大事そうに磨きだした。
さとりは焦れったく思って続きを尋ねる。
「私は、何?」
お空は何度か瓶に息を吹きかけて大事そうに懐に閉まってから、さとりへ笑顔を向けた。
「私は臆病ですので、そんな難題なんて、友達にしか頼めませんね」
さとりがお空を見つめていると、お空は歩み寄ってきてテーブルに並んだ朝食を指さした。
「ところで、こいし様行っちゃいましたけど、この食べ残し、食べていいですか?」
お空のお腹がぐうと鳴った。
難題。
一体何を頼めば良いのか分からない。
それを頼んだら二人共離れていってしまうかもしれない。
もしかしたら二人共自分の事を嫌いになってしまうかもしれない。二度と会ってくれなくなってしまうかもしれない。
それは分かっているのに、どうしてか、あの二人ならどんな事でも聞いてくれる気がした。二人に難題を伝える時の事を想像すると、二人が快く受け止めてくれる光景しか思いつかなかった。二人との友情を確かめられるんだと考えただけで、嬉しくて嬉しくて仕方がなかった。
こいしが紅魔館へ行くと、フランは留守にしていた。何でも友達と一緒に永遠亭へ行ったらしい。メイドが不思議そうな顔をして、一緒に行かなかったのかと問いかけてきた。
こいしは首を横に振って紅魔館を後にし、永遠亭へと向かう。
いつもだったら二人共紅魔館に居る筈なのに、と不思議な気持ちだった。もしも何処かへ行くのであれば私を誘ってくれても良いのに、と残念な気持ちだった。
永遠亭へ行くと、何やら騒がしい。いつもは侘しい永遠亭が奢侈に飾り付けられている。あちこち走り回っている兎達の傍をすり抜けながら玄関を上がると、永遠亭のお姫様がダンボールを抱えて歩いていた。
「あら、いらっしゃい。待ってたわよ」
お姫様はダンボールをその場に置いて、こいしの後ろに回りこんで背中を押した。ぐいぐいと背中を押されて、こいしは分からぬままに兎達が活発に行き来する廊下を歩まされる。少し歩くと一際騒がしい部屋があって、お姫様に押されながら中に入ると、大勢の子供が幾つもの塊を作って座り合い、何やら手元で作業しながらわいわいと騒いでいた。
こいしがぼんやりと辺りを見回していると、またお姫様に背中を押され、隅っこのところに座っている二人組へと連れて行かれた。
二人がこいし達に気がついて顔を上げる。お姫様がこいしの肩に手を載せて周囲の喧騒に負けない様に大きな声で言った。
「お待たせー。こいしちゃんが来ましたよー」
こいしが二人を交互に眺める。
フランとこころ、二人が手にぬいぐるみを持ってこいしの事を見つめ上げている。驚いた様な二人の表情に晒されて、こいしは何だか不安になった。
もしかしたら自分がここに来たのは邪魔なのかもしれない。邪魔だから何も告げずに置いて行ったのに、それがやっぱり来てしまったから迷惑がっているかもしれない。
そんな不安が湧いてきた。
こいしが立ち尽くしながら二人を交互に見つめ続けていると、フランが口を開いた。
その時、お姫様が大きな声を上げた。
「あ! 鈴仙! こっちこっち! 早く道具準備してあげて!」
その声に驚いて、フランが口をつぐむ。こいしはしばらくじっとフランの言葉を待っていたが、結局口を開いてくれなくなった。こいしは黙ったまま見上げられている事に苦痛を覚えて座り込む。
ぱたぱたと小走りの足音が聞こえてきて、こいしの傍で止まったかと思うと、兎の声が降ってきた。
「あれ? えっと、どの子に渡せば?」
「ここに居るでしょ? 何言ってるの」
「え? あ、ごめんね」
こいしの前に布と綿と糸と針と型紙が置かれた。こいしがそれをじっと見つめていると隣に鈴仙が座り込んで、顔を覗きこんできた。
「こいしちゃん、だったっけ?」
こいしが頷くと、兎は笑顔を浮かべて首を傾げる。
「人形の作り方は分かる?」
こいしが首を横に振ると、兎はこいしの手を取った。
「じゃあ、教えてあげるね」
兎が手を取って丁寧な様子で教えてくれる中、こいしは二人の友達が気になってまるで集中出来なかった。二人はいかにも真剣な様子で人形を作っている。怒っているのか、迷惑がっているのか、あるいは全然そんな事無いのか。表情からは読み取れない。
「はい、分かった?」
唐突に兎が尋ねてきた。いきなり問われた為に、こいしは良く分からないまま頷いた。すると兎は嬉しそうに笑って、離れていった。後には人形と、その材料が残っている。
何だろうこれ。
こいしがしばらくじっとそれを見つめていると、フランが声を掛けてきた。
「それ、作らないの?」
こいしが顔を上げると、フランは下を向いて無表情で人形を作っている。
「え? これ作るの?」
フランが人形を持ち上げて尋ねると、フランが顔を上げてきっと睨みつけてきた。
「たった今、お姉さんが説明してくれたでしょ!」
「レミリアさんが?」
「それはお姉ちゃん! そうじゃなくて、永遠亭の鈴仙お姉さん!」
こいしがフランの剣幕に押されて身を引くと、フランが詰め寄ってくる。
「さっきの話、全然聞いてなかったでしょ!」
「さっきの?」
「ほら!」
フランが両手を畳の上に叩きつける。
その迫力に驚いてこいしは体を震わせた。
「っていうか、何で今日待ち合わせに来なかったの?」
「待ち合わせ? してたっけ?」
「それも聞いてなかったのかよ!」
フランが叫ぶなり、頭を抱えて背後に倒れこんだ。服がめくれてパンツが見える。横からこころの手が伸びて服の裾を直した。
「私達、ずっと待ってたんだよ。約束だったでしょ?」
「そんな約束したっけ?」
こころが呆れた顔で溜息を吐いた。
「一昨日約束したじゃん。今日は明日からの人形劇の為に永遠亭で人形を作るからって。博麗神社に十時集合って」
「そうだっけ?」
突然フランが跳ね起きた。
「もう! 何でこいしは毎回毎回聞いてなくて忘れちゃうの!」
「ごめん」
「全く」
「ごめんね」
「良いよ、もう。謝らなくて」
フランが不機嫌そうに顔をそむけた。
謝るなと言われたので、こいしは黙る。かわりに心の中で呟いた。
本当にごめん。
私は相手の言葉を上手く聞き取れないから。
「とにかく! 人形作らないといけないんだから、早く作ろ!」
フランとこころが傍によってきて、型紙を拾い上げた。
「私達が教えて上げるから、一緒に作ろう」
こいしが頷くと、二人はこいしを両隣から挟む様に座って楽しそうに笑った。
部屋の中は子供達の喧騒に満ちている。楽しそうに人形を作る無邪気な笑い。人形を作らずに遊びまわっているがさつな笑い。こいしはともすると注意を奪われそうな周囲の騒ぎから必死で耳を背け、両隣に座る二人の教えをしっかり覚えようと努力した。
教わりながらの遅々とした制作を終え、ようやっと一体目の人形が出来上がると、フランが幾分和らいだ表情でもう一回説明しようかと確認をしてきた。
こいしは首を横に振る。
フランとこころが言っていた事は全て覚えたし、あんまり二人に迷惑を掛けるのも悪い。自分一人で作れる事を示そうと、型紙を手に取って次の人形に着手しようとすると、フランが不満そうに言った。
「もう。ちゃんと質問に答えてよ」
何が悪かったのか分からない。
こいしが顔を上げると、フランは肩を落として項垂れた。
「あのね、ちゃんと相手の質問には答えてよ。コミュニケーションの基本だよ」
「ごめん」
「良いけど」
コミュニケーションの基本が出来ていなかった。
その言葉がこいしに重く突き刺さった。
今まで二人とお喋りをしていた事も本当は全部上手く出来ていなかったのだろうか。
ずっとずっと自分は一人で一方通行の言葉を吐き続けていただけなのだろうか。
もしかして自分が一方的に思っていただけで、二人は自分の事なんか友達だと思っていなかったんだろうか。
急激に沸き立ち始めた不安が心を押しつぶそうとしてくる。
苦しさを感じて、不安を否定して欲しくて、二人に助けを求めて顔を上げる。二人は下を向いて人形を作り始めていた。その顔は真剣で、無表情で、こいしの事なんか気にも掛けていないようで。
こいしの中の、本当に友達なんだろうかという不安が更に大きくなっていく。嫌われているんじゃないかという恐ろしさが鎌首をもたげる。
沈み込むこいしの心に、ふとお空の言葉が蘇った。
難題。
もしも友達かどうかを確かめるのであれば、難題を出せば良い。もしもそれを叶えようとしてくれるなら難題が解けなくても友達だし、叶えようとしてくれないなら友達じゃない。
単純明快で簡単に分かる判別法。
だからこそ怖かった。
もしも難題を出して、二人が叶えようとしてくれなかったら、はっきりと二人が友達でないとわかってしまう。
こいしは二人の顔を見る。二人は俯いた無表情。不安が更に高まった。
怖い。
友達じゃないとはっきりさせてしまうのが。
けれどそれを確認しないと苦しい心は苦しいままで、いずれ押しつぶされてしまう。
段段と人形を作る手も鈍っていって、完全に止まるとフランに注意された。
「手、止まってるよ。また分からなくなった? 教えてあげようか?」
こいしは慌ててそれを拒む。
これ以上二人に迷惑をかけたら本当に嫌われてしまう。
慌てて人形を縫いつつ、また考える。
二人は本当に友達なのか。
考えても、考えても、分からない。もう難題を出して試すしか無いと悟った。
それをしなければ苦しいままで、きっと苦しいままじゃ耐えられない。
難題。
こいしは二人を見ながら考える。
何を言えば良いだろう。どんな事をお願いすれば良いだろう。
必死で頭を巡らせて、お空の言葉を思い出していると、一つの難題を思いついた。
何だか息が荒くなった。
思いついた難題を言えば友達かどうか確かめられる。
何だかとても緊張した。
緊張するけれど、言うしか無い。
言って、確かめるしかない。
「ねえ」
口を開く。言ってしまった。もう後は言い切るしか無い。
「狐の鳴き真似をしてくれない」
その難題を口にした瞬間、心臓が止まった様な錯覚がやって来た。
世界から音が消えたかの様に、時間が止まっている。
その錯覚はすぐに回復して、喧騒が戻ってくる。喧騒に混ぜっ返された緊張の中で、こいしはじっと二人の返答を待った。
するとこころがゆっくりと顔を上げた。
「え? 今、何か言った?」
フランも顔を上げる。
「ちょっと! 手が止まってるって! 分からないなら聞いてよ」
「でも今、こいし何か言ってたよ?」
「え? そうなの? 何?」
「何て言ったの?」
こころが微笑んで尋ねてきたので、こいしも微笑んで首を横に振った。
「ううん、何でもない」
届かなかった。
難題を出して確かめる以前の問題だ。
私の言葉は相手に届かないから。
友達かどうか確かめる事すら許されない。
自分はそんな事すら出来ないんだ。
こいしは俯いたまま、今の事を忘れる為に人形作りに没頭し始めた。
やがて二体三体と人形が増えて、作るべき人形がほとんど全て完成した頃に、黙って人形を作っていたこころが「そう言えば」と前置きして「今作っているお話知らないよね」と尋ねてきた。
当然知らないとこいしは頷く。そもそも今日がどんな集まりなのかすら知らない。
「え? そこから?」
フランが極端に驚くので、こいしも驚いた。そんなに変な事だったのだろうか。自分は周りと比べてそんなに変なのかと悲しくなった。
話によると、お姫様が考えたお話を人形劇でやるらしく、明日から行われるその人形劇に必要な人形を皆で作っているそうで、沢山ある話を沢山に分かれた子供達のグループが分担して作っているらしい。
「そういう事だったんだ」
「あれもこれも聞いてなくて忘れてて。ねえ、何なら覚えてるの?」
溜息混じりに吐かれたフランの言葉に、こいしは微笑みを浮かべながら答えた。
「何だろう?」
本当に何なら覚えているんだろう。
どうしたらみんなの迷惑にならないでいられるんだろう。
私はいつも周りに迷惑を掛けてばかり。
ぼんやりとしているこいしを見て、フランが肩を竦めた。
「まあ、良いけどさ。で、ここからが本番。私達が作っている人形がどんな話に使われるのか。勿論、こいしは忘れてるよね?」
「うん! 勿論!」
フランがわざとらしく溜息を吐いた。
こころがくすくすと楽しげに笑いながら、こいしの肩に手を置く。
「私達がやるのはね、ある動物達の村のお話。だからこんなに沢山動物の人形を作ってるの」
「主人公は猫。今、こいしが作ってるやつね。主人公なんだから、こいし、ちゃんと作ってよ」
こいしが頷くと、フランは先を続ける。
「でね、猫さんは村の嫌われ者なの」
嫌われ者、という言葉を聞いて、こいしの肩が持ち上がった。
まるで私だとこいしは思った。
「何でかって言うとね、凄い迷惑な人なの。初めの内は手伝ってあげるとか調子の良い事を言う癖に、実際に行動に移るとすぐに物を落としたりだとか、ちゃんと話を聞かないとか、全然違う事をしちゃうとか、自分勝手に失敗しちゃう。最初は悪気が無いからって許してた村の動物達も段段わざとなんじゃないかって疑い始めるの」
益益私みたいだ。私もいつだって無意識の所為で失敗ばかりする。誰かの言葉が聞き取れなくて、誰かに言葉が通じなくて、一方向の会話の所為で、いっつもいっつも失敗ばかり。迷惑ばかり掛けている。
「それで友達の狸さんと狐さんは猫さんに注意するんだけどね」
するとこころは自分の作った狸の人形を持ち上げて、横に振る。
「何事ももっと集中してやらなくちゃ駄目だよ」
まるで狸の人形が喋っているみたいだった。
フランも狐の人形を持ち上げて、喋らせる。
「そうだよ。村のみんなが猫さんの事を意地悪だって言っているよ」
猫さんに言っている筈なのに、狸と狐の言葉がこいしの心を責め立てる。
フランの手が伸びてこいしの手に触れる。
「それで猫さんは分かったって言うんだけど、ほら」
フランに促されてこいしも猫の人形を持ち上げた。
「うん、分かったよ」
「本当に?」
「本当だよ。迷惑なんて掛けたくないもん。もう絶対に迷惑なんて掛けないよ」
「そうそう。そんな風に猫さんは言うんだけど、次の日にね、猫さんは蔵の掃除を頼まれて鍵をもらうんだけど、ちゃんと話を聞いてなくて、蔵の中に入った途端、掃除する事なんかすっかり忘れて、遊んじゃうの」
ああ、如何にも私がやりそうな事だ。だって私は。
「それでどうなるの?」
「もうみんな凄く怒って、そんな迷惑ばっかり掛けるなら、もう知らない! って。みんな猫さんの事嫌いになっちゃって、みんなが猫さんに出てけって言って。それで猫さんは村を追い出されて寂しく一人ぼっちに」
ああ、やっぱりそうなんだ。
みんなに迷惑を掛けると寂しくて一人ぼっちになる。
迷惑を掛ける様なのはみんなと一緒に居ちゃいけないんだ。
お話の中の猫さんは友達なんか居ないみんなの嫌われ者。
私と一緒だ。
私も上手く他と付き合えないから。
きっとみんなに迷惑を掛けてる。
だからみんなに嫌われる。
私も猫さんと同じ、誰かと一緒に居ちゃいけないんだ。
フランやこいしとも一緒に居ると二人に迷惑を掛ける。今日みたいに遅刻して、さっきみたいに話を聞いていなくて。
だから私は二人と一緒に居ちゃいけないんだ。
気がつくと、廊下を歩いていた。周りを兎達が元気に走り回っている。
気がつくと、外に出ていた。竹林に向かって歩いている。
気がつくと、竹に背を預けて座っていた。周りには誰も居ない。静かで、一人ぼっちで、寂しいけれど妙に落ち着いた。やっぱりこれが私なんだとはっきりと気がついた。
これが私。
どうしたって結局は一人ぼっちの私。
誰の言葉も届かない私。
誰にも言葉の届かない私。
誰とも上手く付き合えない私。
誰からも気付かれない私。
それが私。
だから今の私はとてもしっくりくる。
だって本当の私だから。
鬱蒼とした闇の中で一人ぼっちで居るのが私だから。
第三の眼を閉ざした時の、あの苦しかった感情が仄かに浮き上がる。
不意にこいしの瞳から涙が溢れ、スカートを握りしめる手に垂れ落ちた。思わず自分の目頭に触れると濡れていた。目頭から眦へゆっくりと指を這わせると湿っぽい感触が広がっていく。
泣いている。
それに気がついたこいしはどうして泣いているのか分からずに混乱した。今はようやく本当の私に戻れたのに、ようやくしっくりとした場所に戻れたのに、どうして自分は泣いているんだろう。
混乱している間にも、涙は次から次へと溢れ出て、慌てて目を覆うと辺りは真っ暗に。闇の中、喉の奥から悲しみがせり上がってきた。
泣き声が出そうになるのを堪えながら、自分がどうして泣いているのか分からなくて怖かった。
どうして。どうして泣いているの。
目を覆った闇の中、せり上がってくる悲しみが怖くて怖くて仕方が無い。けれど助けを呼ぼうにも自分は一人ぼっちで、怖さばかりが募っていく。
「誰か」
気がつくとこいしは呟いていた。
「誰か」
誰にも届かないと知っていながら、それでも誰かに届いて欲しくて。誰も聞く事の出来無い願いを繰り返し繰り返し呟き続けた。誰か助けてと。
その難題に答える者が居た。
「どうしたの、猫さん?」
突然掛けられた声にこいしが顔を跳ね上げる。狐の人形が鼻先にあって、自分の事を見つめている。狐の人形の後ろにはフランとこころが立っていた。
「あれ、泣いてる?」
フランが驚いた様に言ったので、こいしは慌てて涙を拭い首を横に振った。
「泣いてないよ」
するとこころが狸の人形を前に突き出し、言った。
「どうしてこんなところに一人で居たの?」
こいしがふと自分の手を見下ろすといつの間にか猫の人形を握りしめていた。
迷惑ばかり掛ける一人ぼっちの猫の人形を。
「だって、私、周りに迷惑ばかり掛けちゃうから」
「大丈夫。きっとみんなわざとじゃないって分かってくれるよ」
「でも迷惑は迷惑だもん! 分かってくれたって、内心はきっと一緒に居たくないって思ってる!」
こいしはまた涙が溢れそうになって背を向けた。
「二人だって本当は私なんかと一緒に居たくないんでしょ!」
こいしの叫びに二人が黙りこむ。背中から漂ってくる静寂が、何だか寒くて悲しくて、こいしの目からまた涙が溢れてきた。
するとこいしの肩に狐が乗った。
「一緒に居たいよ」
逆の肩に狸も乗る。
「そうだよ。一緒に居たいよ、猫さん」
こいしが首を横に振る。
「嘘。だっていつも迷惑を」
「迷惑なら私も掛けてるよ」
肩の上の狸が跳ねる。
「いっつも食べ過ぎて村の皆を困らせちゃう。太っちゃって狩りも上手く出来ないし。それにね、私はいつも表情の研究でみんなに迷惑を掛けてるから」
肩の上で狐が跳ねる。
「私だってそうだよ。いっつも嘘や悪戯ばっかりで。この前だってみんなが取った鰻を逃しちゃったし。それに、いっつも色んな物を壊してみんなから怒られてる」
再び狸が跳ねた。
「私達はみんなそう。みんな誰かに迷惑を掛けてる。こいしだけじゃないんだよ」
再び狐が跳ねた。
「こんこんこん、私、猫さんと一緒に居たいよう」
狐の鳴き声。
「たぬたぬたぬ。私、猫さんと一緒に居たいよう」
狸の鳴き声?
こいしの背後で狐が尋ねた。
「狸さん、狸ってたぬたぬって鳴くの?」
「分かんない」
「っていうか、何で変な表情してるの?」
「狸の物真似をする表情」
笑いそうになったこいしは自分を戒めて、二人から距離を取った。
「あ、こいし」
フランが逃げようとするこいしの手を捕まえる。
「迷惑なんか掛けたって平気だよ。私が幾ら迷惑を掛けたって、紅魔館のみんなは一緒に居てくれる」
こころも反対の手を取った。
「私もどんなに迷惑を掛けたって、みんな表情の研究に協力してくれるよ。魔理沙さんだって、私が肘鉄打っても、ちょ、やめ、マジで止めてって快く協力してくれるし」
「ね? 大丈夫だよ。そもそもこいしがどんな迷惑を掛けたの?」
こいしは背を向けて俯きながら言った。その声は涙で震えている。
「今日約束忘れてて遅刻したし。さっきも人形教わる時に話を聞いてなくて二人に手伝わせちゃったし。他にもいつもいつも」
「そんなの全然迷惑に入らないよ!」
「そうだよ。肘鉄打って鼻血出してからだよ、迷惑って」
「そうそう。お屋敷爆破してからが本番だよ」
フランとこころがぎゅっとこいしの手を握ると、こいしは涙を浮かべながら振り返った。
「でも私、駄目、やっぱり」
こいしの叫ぶ様な言葉に、フランも泣きそうな顔で尋ね返す。
「どうして!」
「だって、私、二人の事信じられないもん」
「え?」
「だって、私、第三の眼を閉じちゃったから、二人の心が読めなくて、だから二人が本当の事を言っているのか」
こいしの言葉が途切れる。
こいしの手を強く引いたフランは、こいしの頭を胸で押さえる様にして抱きしめると、嗄れた涙声で言った。
「じゃあ、感じて!」
「え?」
「読めないなら感じて!」
「どうやって?」
「良いから感じて!」
フランが更に強くこいしの頭を胸で抱きしめる。
「わたしのも感じて」
こころも同じ様にこいしの頭を抱きしめた。
「私達、こいしの事好きだよ。一緒に居たいと思ってるよ。本当だよ」
「ねえ、信じてよ」
二人に挟まれたこいしは二人の温かさと一緒に二人の気持ちが流れ込んでくる様な心地がした。二人が自分を思っている。二人は自分の事を大切に思ってくれている。
それが嘘だとは思えなかった。
「本当に一緒に居てくれる?」
「当たり前でしょ!」
「ずっと一緒だよ」
こいしは唇を噛んで嗚咽を殺すと、二人の胸の間で呟いた。
「ねえ、お願いがあるんだけど」
こいしの言葉に、二人が同時に答える。
「何? 何でも言って」
こいしは一度深呼吸すると、胸を押さえながら二人にその難題を伝えた。
「友達に、なってほしい」
けれどフランはそれを怒鳴って否定する。
「最初っから友達だよ!」
それを聞いた途端、こいしの目からまた涙が溢れてきて、気がつくと声を上げて泣いていた。こいしを抱きしめる二人も啜り泣きを始めて、しばらくの間、静かな竹林の中で三人の泣き声が木霊す様に響き渡った。
やがて段段と泣き声が鎮まって、フランの「戻ろっか」という言葉を合図に、三人は永遠亭へと戻る為に歩き出した。そうして竹林の陰で、三人の様子を盗み見ていたお嬢様がメモを取り出してペンを舐めた。
「結局、友達の狐さんと狸さんのお陰で猫さんは村へと戻り、いつもの様に迷惑を掛け合いながら楽しい日日を暮らしましたとさ。めでたしめでたし」
そう言いながら、メモにペンを走らせる。
「明日の一番目はあの子達のお話にしましょう。てゐはどう思う?」
隣で座っていた兎が苦笑する。
「うーん、私は随分と心が荒んでしまったので、お子様達がどの様な話を喜ぶのかはとんと」
「てゐの考えを聞かせて欲しいの」
「そうですねぇ。まあ、強いていうなら、この動物達の話、結局解決したのは猫の心だけで、村に迷惑を掛けてるのは変わりないですよね。その辺り、子供に突っ込まれたらどうするんですか?」
「うーん、友情って事で納得してくれないかな?」
「いや、分かりませんけど。私はそれで納得させる自信がありません」
「そうねぇ。じゃあ二番目はそれを補う様な」
そこへ兎が駆けてくる。
「輝夜様! そろそろみんな作り終えましたよ! それにお時間です!」
「ああ、もうそんな時間。じゃあご挨拶に行かなきゃね」
お姫様は二人の兎を伴って永遠亭へと戻っていった。
こいし達が戻ってしばらくすると帰りの時間になった。子供達の保護者がやって来て、一人二人と子供を連れて帰っていく。こいし達も人形を作り終え、お喋りをしながら保護者を待っていた。そこへ、こころが突然顔を逸らして声を上げた。
「あ、霊夢お姉ちゃんと萃香お姉ちゃんが来た」
フランとこいしがこころの視線の先を見ると、博麗神社の霊夢と萃香が立っていて、こころに向けて微笑みながら手を振っていた。
「じゃあ、私帰るから」
こいしが優しそうな霊夢と萃香を見つめていると、そこへこころが加わって三人は幸せそうに何かを話しながら襖の陰に消えた。それと入れ替わる様にして、今度は紅魔館の美鈴が顔をのぞかせた。
「あ、美鈴!」
フランが立ち上がると、美鈴もそれに気がついてフランの事を呼びながら嬉しそうに大きく手を振る。こいしがそれをじっと見つめていると、突然フランに胸倉を掴まれた。
「ちょっと! 聞いてた?」
「え?」
「ほら! 聞いてない! 良い? さっきこころが言ってたけど、明日は博麗神社の鳥居に八時集合。お弁当持ってこなくちゃ駄目だからね」
「あ、うん」
「ちゃんと覚えた?」
「うん、八時にお弁当を持って博麗神社の鳥居集合」
「良し! じゃあ、また明日ね!」
「うん、また明日」
フランはこいしに手を振りながら部屋を出て、美鈴と合流すると何か楽しそうに話しながら、襖の陰に消えた。
それを見送って、じっと襖を見つめながら、ふとこいしは気がついた。
そう言えば家の人に永遠亭へ行く事を言ってなかったから迎えに来てくれる筈が無い。
どうしようかなと思っていると、襖の陰からさとりが顔をのぞかせた。
「お姉ちゃん?」
でもここに来る筈が無い。
幻覚?
幻覚が手を振っている。
しばらくその幻覚を眺めていると、幻覚が突如として鬼の様な表情になり、近寄ってくると頭を叩いてきた。
「何でぼけっとしてるの! 早くなさい」
立ち上がらされて、玄関へと連れて行かれる。
玄関の傍にはお姫様が立っていて、帰る親子に挨拶をしていた。
さとりはこいしを引き連れながらずんずんとお姫様に近付いて目の前に迫るなり頭を下げた。
「ご連絡いただきありがとうございました。それにいつもうちの妹がお世話になって」
するとお姫様は胸の前で小さく手を振った。
「いえいえ、こちらも好きでやっている事ですから。そう言えば、明日は人形劇をやるんですけれど、その一番初めの物語の人形を作ったのはこいしちゃんなんですよ」
「あら、そうなんですか? こいし、凄いじゃない」
二人からの視線を受けて、こいしは良く分からずに困惑しながら、ただ黙って頷いた。
お姫様が微笑んで、パンフレットを取り出し、さとりへと渡した。
「もしよろしければ、さとりさんもいらして下さい」
「これはどうも」
さとりはぱらぱらとパンフレットの中に目を通してから、頭を下げた。
「それじゃあ、再三になりますが、今日はありがとうございました。妹が大変お世話になりました」
「いえいえ。よろしければ是非また」
さとりがこいしの手を引いて、玄関の外に出る。
するとその背にお姫様が明るい声を掛けてきた。
「また明日ね。こいしちゃん」
振り返るとお姫様がにこにこと笑っていた。こいしが頭を下げると、お姫様は益益の笑顔になって手を振った。それに手を振り返して、こいしはさとりと一緒に帰路へついた。
「妙に裏表の無い人ね」
さとりがそんな事を言ったが、こいしは良く分からない。黙っていると、さとりがまた口を開く。
「それで、今日は楽しかった?」
「うん。フランとこころと一緒に人形作った」
「そう。良かったわね」
さとりが微笑んだ。
こいしはふとフランとの約束を思い出す。
「そうだ。お姉ちゃん、明日お弁当作って」
「お弁当? 良いけど」
「あのね、フランとこころとね、友達とね、お弁当を持ってくるって約束したの」
「あら、そうなの。じゃあ腕に撚りを掛けて作らないと」
「あとね、明日は早く起こして。友達とね、明日は八時に博麗神社で待ち合わせだから、絶対遅れちゃいけないの」
「そう。じゃあ、六時位に起きれば良いかしら」
「うん、絶対遅れちゃ駄目だからもっと早くても良い」
こいしが力を込めてそんな事を言うので、さとりが小さく笑い声を上げる。
「あの二人はやっぱり友達だったのね?」
さとりが嬉しそうに尋ねると、こいしも嬉しそうに答える。
「うん、そうみたい」
さとりは益益頬を緩めて、行く先を見つめた。道の先へ赤焼けた夕日が沈もうとしていた。
「じゃあ、二人はあなたの出す難題を聞いてくれたんだ」
「うん、三つも叶えてくれた」
こいしがさとりと繋がった手を振り始めた。嬉しさの感情が暴れているみたいに、腕を大きく振り回しながら大股で歩いている。
ぶんぶんと腕を振って勇ましく歩くこいしを見つめながら、さとりが優しい声音で言った。
「良かったわね」
本当に、と呟いて、さとりはこいしの手を離さない様にぎゅっと握る。
夕暮れの中、二人はのんびりと歩いている。もうすぐ夜が来る。今日は満月で、空は晴れ渡っていて、きっと美しい満天の星空が訪れるだろう。
二人並んで歩いていく。こいしが楽しそうに今日の友達との出来事を語っている。
ふとその言葉を遮る様にさとりが呟いた。
「こいし、周りと上手く付き合いなさい」
「え? 勿論! フランとこころが居るからね!」
「そうね、あなたには友達が居るからきっと大丈夫」
「そうだよ! 友達が居るもん。あ、それでね、人形が作り終わった後にね」
再びこいしが友達の事を語りだす。
さとりはそれを微笑んで聞いていたが、ふと苦しげに空を見上げた。
日に押されていた満月が段段と光り輝き始めていた。
夜が来ようとしていた。
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このあとこいしちゃんがどう変わるかわからないけど
>一緒に痛くないんでしょ!