人里にある鈴奈庵という名の貸本屋。
ここは外界から幻想郷に流れ着いた俗にいう外来本を多く扱い、その珍しい本を求めてくる客は多い。
そしてその客の中には、わずかながら人間以外の者もいるのだった。
「ねー小鈴。外来の漫画本、私に貸してよー」
「ダーメ。外来本の中でも漫画は人気だから、ずいぶん先まで予約が埋まってるの」
「先に借りたって客にはバレやしないわよ。お金多めに払うからさ。ねっ?」
「ダメったらダメでーすー」
時には、こんなずうずうしい天人も来たりするのだ。
椅子に座った小鈴の目の前でごねる少女は、以前異変を起こしたことがあるらしい比那名居天子という天人。
普通なら天人は遥か雲の上の存在であり、そんな存在が店に現れた時は小鈴もそれはそれは驚いたものだ。
しかし話してみれば中身はなんてことない普通の、多少ぶっ飛んだところもあるが普通の少女であり二度驚くこととなった。
「確かに天子とは仲がいいけど、だからって店として一人のお客に贔屓したりできないってば」
「……ねぇ、前から思ってたけど、なんで霊夢とかにはさん付けなのに、私は呼び捨てなのよ」
「だって、天子だし」
どこか人懐っこいこの天人は、こうして無邪気に話しかけてくることが多く、気が付いたら自然に名前で呼び合うようになり、口調もかなり砕けたものになってきている。
だがそのことがお気に召さないのか、天子はふくれっ面でうなりを上げる。
「何でよ! 天人なんかが前に現れたら、人間どもはその威光を直視できず、地面に頭をこすりつけて敬い、崇め、奉るもんでしょ!」
「いや、それはないない」
「それなのに小鈴は私にいじわるばかりして。上客相手には贔屓くらいしなさいよ!」
こんな風に、時折とてもうっとうしくなるのがこの天人の悪いところである。
どう対処したものかと困り顔を浮かべる小鈴は、いっそこれを利用できないかと閃いた。
「天子って天人なんでしょ?」
「そうよ、いまさら確認することないでしょ」
「じゃあさ、天界には珍しい本とか置いてたりしない? そういう本店に置かせてくれるなら、私も考えてもいいけど」
こんな不良天人でも天人は天人。
となれば、彼女の住処には小鈴もまだ知らない貴重な書籍があるかもしれない。
本屋の娘としてそこに興味が沸いて尋ねてみたが、天子は首を横に振った。
「あー、ダメダメ。確かにそういう本はいっぱいあるけど、貸出とかは厳しいから私でも下界には持ち込めなわよ。天界のやつらって頭固いのよね、イヤになっちゃうわ」
「なーんだ、残念……」
小鈴はくたびれたように机にしなだれる。
しかし残念に思っているのも、天子もまた同じである。
なんとかしつこく食い下がりやっと引き出した条件なのだ、このまま無理だからと捨ててしまうのはもったいない。
どうにか別の物で代用できないだろうかと頭を悩ませ、一つの本が頭をよぎった。
「そうだ!」
「ん? どうしたの突然」
「小鈴、あんたって店の売上使って勝手に妖魔本を集めたりしてるんだって?」
天子にいきなりそんなことを聞かれて、小鈴は目を丸くする。
「どこでそんなこと知って」
「酒の席で魔理沙から聞いたのよ。しかもただのコレクターじゃない、普通は読めない妖魔本を読める能力がある」
秘密にしてとお願いしたのに、あっさりバラしていた普通の魔法使いを小鈴は恨めしく思い浮かべる。
「まさかそれで私のことゆするつもりじゃ……」
「そんなみみっちい真似なんかしないわよ。私はあくまでも交渉するだけ」
無邪気な子供のようでいて、狡猾な詐欺師のようでもある気味の悪い笑みを浮かべて天子が小鈴に詰め寄る。
「妖怪の賢者であるスキマ妖怪、八雲紫の妖魔本、読んでみたくない?」
気が付けば小鈴は頭が飛びそうなくらい首を上下に振っていた。
約束を交わしてから数日後の夜。
もうすっかり夜が深まり、人里も寝静まった時間になっても、小鈴はまだ店の中で椅子に座りじっとしていた。
「……遅いなぁ。こんな時間に持ってくるなんて、もっと早い時間にできなかったのかしら」
ゆらゆら揺れるろうそくの火を見つめて、うつらうつらと舟を漕ぎだしそうになっていると、閉じられた店の扉を叩く音がして飛び起きた。
慌てて扉に駆け寄って外を覗き見ると、月の光で蒼い髪を輝かす天子が一冊の本を抱えて立っている。
「約束通り、持ってきてやったわよ妖魔本」
ニヤリと笑う天子に、小鈴の顔にも笑みが浮かぶ。
念願の妖魔本に眠気など吹き飛んだ小鈴は、天子を店の中に招き入れて、早速その品物を机の上に置かせた。
持ち寄られた本は豪勢なハードカバーで保護された、無題の本だった。
「こ、これが妖怪の賢者の……!」
「その通りよ。約束は果たしたんだから、漫画本貸してよね」
「うん、貸す貸す!」
小鈴はその存在を確かめるように、震える手で背表紙を指先でなぞる。
これがこの幻想郷の裏にひそむ賢者の本であると思うと、興奮のあまり倒れてしまいそうだ。
「喜ぶのもいいけどさ、私の話は忘れてないわよね?」
「だから貸すって」
「そうじゃなくて! これはあくまで紫のやつが寝てる間に持ってきただけのものだから、あいつが目覚める前に返さないとまずいのよ。だからあくまで今ここで本を読むだけ」
「えー……貰っちゃダメ?」
「ダメ! じゃないと私が紫から大目玉食らうんだから。あんただってあいつの恨みを買ったら、毎晩夢の中に字喰い虫を放り込まれて悪夢を見させられるわよ」
「うっ、それはイヤね……」
本屋と娘としては最低最悪の悪夢である。
天子も譲らなそうだし、小鈴は諦めて今は本の内容を楽しむことに決めた。
「ところで、これどうやって盗んできたの?」
「盗んだんじゃなくて一晩借りてるだけよ。別に特殊な方法を使ったわけじゃないわ、普通に今日は家に泊まらせてって話を持ち掛けて、あとはあいつが寝てる隙に持ってきたのよ」
「えっ、妖怪の賢者と友達なの?」
「うん」
妖怪と仲がいい天人っていうのもどうなんだろうと疑問が浮かぶ。
でもまぁ天子だしで疑問を片付けると、いよいよ小鈴は愛用のメガネをかけて妖魔本に取り掛かろうとした。
「さてと、それじゃ」
「早速読んでよ」
表紙に手をかけようとした小鈴の横で、要石を作り出した天子がその上に腰を下ろして机に肘をつく。
「……天子も読むの?」
「というか私も前から読みたかったのよ。でもあいつの文字って意味不明で読めなかったからさ。どんな内容か私にも教えてよ」
相変わらず図々しい天子に少しばかりイラッとするが、彼女がいたほうが何かあった時に安全かもしれない。
そう結論付けて小鈴は改めて表紙に手をかけ、慎重に本を開いた。
中に書かれていたのは漢字や英語、あるいは象形文字などで無秩序に埋め尽くされた、常人には文章であるとすら理解不能な内容だった。
「見てるだけで頭痛くなりそうね、こんなの書くあいつの頭ってどういう中身してるのかしら。小鈴は読める?」
「うん、問題ないわ」
ページに手の平を当てて文字をなでて、その内容を読み取っていく。
「……これは私、八雲紫の身に特別な、印象的な出来事があった時に、それを保存するための日記であり、記憶の蔵である」
「はぁ? 日記ぃ!? なによあいつ、厳重そうに保管してる本があると思ったら、大したもんじゃないじゃない!」
「……そんなに騒ぐほど興味ないなら読まないけど」
「読むわよ、読む読む!」
暗に静かにしろと言って天子を黙らすと、小鈴は日記のページをめくる。
天子は残念そうに声をあげていたが、何故か小鈴にはこの本からただよう雰囲気に、これがただの日記ではないような気がして興味が尽きなかった。
「この日記では、主に比那名居天子についてのことをまとめる」
「……へっ、私!?」
○月×日
天界の天人が異変を起こしたようだ。
どうやら退屈しのぎに起こした異変らしい、天人の中にも妙な人物というのはいるものだ。
神社が倒壊したらしいが、あれ自体には形以上の意味がないので別にいいだろう。博麗の巫女が無事なら問題ない。
私が手を出すようなものでもないので、とりあえず見守ることとする。
○月△日
やられた、あの天人はいつのまにか地震を起こす準備をし、それを理由に博麗神社に要石を仕掛けていた。おそらくは神社の乗っ取りが目的だろう。
汚いマッチポンプ、やはり天人というのは信用ならない。油断した私が愚かだった。
今すぐ八つ裂きにしてやりたいところだが、今やつを殺せば幻想郷中が大地震で多大な被害をこうむる。
せめてやつの企みをここ一番で台無しにしてやる予定だが、場合によってはそこから更に拉致して達磨にした上で能力を外部からの入力で操れるように改造することも視野に入れておく。
「こ、これは……」
「こんな初期から私のこと纏めてたのあいつ? いや、あとから私関連の部分だけをこの日記に写した可能性もあるか」
「……天子は、内容についてどうにも思わないの?」
「まーこんなもんでしょ。割と出会い方は最悪な感じだったし。反省したとこ見せといてよかったって感じね」
憤怒と憎悪が入り混じった日記の内容に、読んでいる小鈴の首筋を冷汗が伝う。
ついでにショッキングな文面にもなんら動揺することなく、冷静に推測を建てる天子と見て、あぁこいつ頭イカレてるんだなぁとなんとなく思った。
「日記って聞くと期待外れかと思ったけど、あいつから見た私の感想っていうのは面白いわね。次読んでよ」
「う、うん」
○月□日
予定通り神社の落成式に乱入し、正面から叩き潰した。
ついでに天人が立てた神社も潰し、萃香に再再建をしてもらうことになった。少し溜飲が下がる。
天人は思ったより小物のようなので、早急に対処しなければならないほどの危険分子ではなさそうだ。
今しばらくは様子を見てから処遇を考えることとする。
しかし私も丸くなったものである、昔なら即刻拉致で達磨だっただろうに。
まぁ、それも今の平和な幻想郷でなら必要ないか、場合によっては即実行に移すが。
○月●日
萃香の発案で「起工記念祭と言いつつみんなで天人を虐める祭」が開催されたらしい。
だが結局、参加者は逆にやられてしまったようだ。
腐っても天人、相応の実力者でもあるし、参加者たちも舐めてかかっていたのも天人の勝因だろう。
せめて萃香が本気を出して戦ってくれれば、あの天人の鼻が折れたかもしれないのに。
△月◎日
驚くべきことがあった。
萃香にお酒を飲もうと誘われて顔を出すと比那名居天子がおり、要石の件について私に謝罪してきた。
まさか天人が頭を下げるだなんて。彼女は一般的な天人から想像以上に逸脱した存在なのかもしれない。少し認識を改めるべきか。
その後は三人で酒を飲んだが、以外にも天子ともそこそこ話が合った。
「ねぇ、この妖魔本の作者、天人のことずいぶんと嫌ってるみたいだけど」
「まぁ天人の実態ってかなり酷いもんだしね。欲がないとかウソウソ、思いっきり下界のやつら見下して傲慢だから」
「それでよく崇め奉れとか言えたわね……」
△月◆日
白玉楼に行った先に比那名居天子がいた。いきなりやってきて妖夢に剣の試合を申し込んだらしい。
型と呼ぶもおこがましい滅茶苦茶な剣筋で練習用の木刀を振り回し、修練を積んだ妖夢相手には負けていた。
それが終われば私と幽々子の会話に割り込んできて話に加わってきた。
話していて思ったけれどやっぱり彼女はけっこううざい。
「誰がうざいよあいつ!」
「あー、でもわかる」
「あぁん?」
△月○日
天子にリベンジを申し込まれる。
やる気が出ないので適当にやって負けたら、本気でやってくれなきゃ意味がないと怒られた。
仕方ないので本気でやって勝つと強すぎと怒られた。どうしろと。
「理不尽すぎると愛想つかれるよ」
「別にいいわよあんなやつ」
「ふぅん」
「……やっぱりちょっとくらいは直したほうがいいかな?」
「時間もないし次を読むわね」
「あっ、聞きなさいよあんた!」
●月○日
また天子がきまぐれで天気を操作していた。
幻想郷全体の天候が乱れ始めていたので、挨拶代わりに軽く潰してから厳重に注意する。
とりあえずは理解して大げさにならない範囲でのみすると約束してくれた。
そのあと立ち去ろうとしたが、強引に誘われて酒を飲むことになった。
私は他人から見れば厄介な性格で、大抵の者は不気味がり避けるようになるのだが、物怖じしない娘だ。
飲んだお酒はそれなりに美味しかった。
●月□日
比那名居天子が釣りをしているのを発見。
天人なのに、釣った魚を焼いてガッツリ食べようとしていた。
どうせなので同席して一匹頂戴する。
色々文句を言われたが、なんだかんだで一緒に食べた。
×月△日
スキマから暇つぶしができそうな相手を探してみると天子が退屈そうにしていたので、彼女の部屋に蛙をほうり込んでみた。
大騒ぎするかと思ったら、普通に手にもって可愛がりだした。
つまらないので蛙の口からスキマで顔を出して驚かす。
いきなり出てきた私の頭部に悲鳴を上げていた。少しは満足。
その後、やはり天子は怒ったが飴を上げると機嫌を直した。子供か。
×月○日
なんとなく暇だったので、前回のように天子をいじって遊んでみる。
おちょくると面白い反応を返してくれるので楽しい。
どうやら胸が小さいことを気にしているらしい、この情報は大きな収穫である。
×月□日
宴会で出会った天子が、さりげなく間欠泉と悪霊騒ぎの顛末について尋ねてきた。
どうやら自分のせいで意図せず異変が起こったのかと気にしていたようだ。意外にかわいいところがある。
原因の地獄鴉について話すと安心したようで、いつもより甘えてきた。
「いや違うからね。別に気にしてたわけじゃないくて、どんな異変だったかなんとなく気になって聞いてみただからね」
「あぁうん、わかったから落ち着いて」
小鈴はページをめくり、書かれた文章を読み上げていく。
天子と紫の仲が深まっていくのを示すように、日記が頻繁に書かれるようになっていた。
全部読み上げると切りがないのて、小鈴が気になった部分だけ抜粋して天子に伝えていく。
▼月○日
天子が私の家に連れて行けとしつこい。
この前、酔った時に幽々子や萃香と一緒に連れてきてしまったのが悪かった。
結局根負けして、今日はうちで天子と飲むことになった。
最近、天子に甘すぎる気がする。気を付けないと。
◇月△日
何度も天子を家に連れてくるうちに、すっかり橙が懐いてしまっていた。
橙とばかり話していて少しもやもやする、せっかく連れてきてあげたのに。
そんなことを思っていると橙が遠慮するように下がってしまった、まさか橙に気を使われるほど顔に出ていたなんて自分でも驚きだ。
後でそのことを藍に話すと何故か微笑ましいと笑われた。どういうことなのか。
▽月◎日
幽々子のところに行って雑談していると、最近の紫は天子のことばかり話すわねと笑われる。
言われてみれば、ここのところ驚くくらい天子と何度も会っている。
私がこんなに誰かに入れ込むのは珍しい。
◎月×日
気が付けば、天子のことを目で追ってしまっている。
ここのところ毎日天子と会っていて、今日も顔を合わせたら流石にうっとうしいと思われるんじゃないかと怖くなった。
でもこらえきれなくて、今日もまた天子の前に出てしまう。
彼女は怖気づいていた私に笑いかけてくれて、手を握ってくれた。
とても嬉しかった。
小鈴が本から顔をあげて隣に目を向けた時、天子は顔を手で机に突っ伏してしまっていた。
「そっかぁ、天子にもそういう人がいたんだ、って人じゃなくて妖怪か」
「違うし、良い人とかそんなんじゃないし。ただの腐れ友達だし」
「耳真っ赤だよ」
「うっさい!」
静かな店に天子に叫びが響く。
「それでどうする? まだ先を読むか、ここで止めるか。私はどっちでもいいよ」
ここまで読んだところで、小鈴は大方満足できていた。
ここから先に読み進めるのは、今までよりもさらにこの書き手の核心的な部分に踏み込むことになる。
小鈴は自分ではなく、あくまでも主要人物である天子に選択権をゆだねた。
「……読む」
「いいの本当に?」
「ここまできてなかったことにできるわけないでしょ。退いたところで気になってあいつとまともに喋れないし、だったら逆にとことん行ってやるわよ」
「あはは、天子らしい」
やはり遠慮というものをまったく知らない不遜な性格だ。
しかしここまでくれば逆に長所と呼べるなと思いながら、小鈴は再び書き込まれた文字の意味を唱え始めた。
▲月◇日
昨日は成り行きで天子を家に泊めてしまった。
同じ部屋で寝ることとなったが、近くに天子がいると思うと緊張であまり眠れなかった。
今日の朝には一緒に朝食を食べ、そのまま昼食まで居座られた。
図々しい彼女にうっとうしいと思いつつも、どこか居心地が良い。良すぎて困る。
彼女が帰ってしまうのが、惜しくて仕方がなかった。
□月◎日
最近、天子に妙な気持を感じてしまうことを藍に相談すると鼻で笑われた。傘で叩く。
やりたいようにやればいいじゃないかと言われたが、こんな感情は初めてなのでどうしたいかもわからない。
そう伝えるとまた笑われる。傘で叩く。
◆月×日
もう自分の心を誤魔化すのも限界だ。
やはり、私が天子が好きだ。無論、友人としてではなく恋愛対象として。
果たしていつからこうだったのだろう、最初は憎くいとすら思っていたのに今は愛しさでいっぱいだ。
今まで気づかない振りをしていたが、無視できないほどこの想いは肥大化してしまった。
こんな感情、初めてでどうすればいいかわからない。
ただ一つだけわかることは、天子がそばにいてくれるだけで幸せな気持ちになってしまうことくらい。
特に自覚を得てからは今までよりももっと天子が好きになって、この幸福感も増長するばかりだ。
だが同時に、彼女の前では冷静でいられなくなってしまうのがもどかしい。
恥ずかしすぎて、好きだなんて言える気がしないし、以前と同じようなスキンシップもできなくなってしまった。
あぁ、息がかかるような距離にいる天子を抱きしめた時、私はどれほどの幸福感に見舞われるのだろうか。
想像するだけで身震いする。
早く天子に会いたい。
「もう、あのバカ。直接言いなさいよもう、ヘタレ」
顔を赤くして愚痴る天子は、しかし頬をニヤけさせて心底嬉しそうな顔をしていた。
その様子に小鈴も笑みを深めて、天子の脇腹を肘で突っつく。
「愛されてるねぇ?」
「からかわないでよもう」
「ごめんごめん。でもどうするの? 口で伝えられるのより早く気持ちを知っちゃって」
「そりゃあ、読んじゃったごめんなさいって謝ってから、返事を言うしかないでしょ」
「ほう、それで返事はどっち? イエス? ノー?」
「うっさい、関係ないでしょ小鈴には」
しつこく聞かれ、天子はぷいっと赤い顔をそむけてしまう。
店に来た時に話しているだけでは見られない天子の表情を楽しみながら、小鈴は日記を読み進めていく。
しかし、あるところで手が止まり剣呑な顔つきで声を漏らした。
「これって……」
「なによ、さっきみたいなことしか書いてないのなら、もう読まなくたって……小鈴?」
小鈴の変化に気付き、天子もまた内容がわからずとも真剣な目で小鈴と日記を見据える。
しかし小鈴は何か迷った様子で黙っている。
「小鈴、読んで。それがなんであれ、いや、何かあったからこそ伝えて」
「……うん、わかった」
◆月△日
天子に対する想いが強すぎて不安になる。
もし今後、私が管理者として彼女と敵対し排除しなければなくなった時に、私は正しく行動できるだろうか。
比那名居天子という存在は、あらゆる面において不安定で抑制が効かない、一種の怪物だ。
彼女は悪事を楽しめるタイプである、そんな彼女がいずれ幻想郷のために討ち倒さねばならない障害となる可能性が零とは言えない。
ならばその時のことを想定し、事前に対処法を考える義務が私にはあるが、いざ計算しようとするとそれを拒否してしまう。
考えることさえできないのに、彼女を幻想郷のために切り捨てなくなったとき、それができるだろうか。
情に流され何もできなくなってしまうことを否定ができない。
幻想郷が危機に瀕した時、天子一人のために、他のすべてを犠牲にしてしまうのではないか。
私は、どうにもならないこの想いが怖い。
「…………天子、どうするの?」
すでにその先まで読み取っていた小鈴は再び問いかけた。
天子は不安を感じているのか、神妙な表情で読めもしない日記をじっと見つめている。
「……読んで」
小鈴はうなずき、意を決して続きを読み上げた。
私は、今の安定した幻想郷を創るために多大な犠牲を払ってきた。
それは自分からだけではない、この郷に閉じ込めた人間たち、不安定な時期に反乱を起こしたために始末した妖怪、大勢の者に犠牲を強いてあるいは切り捨ててきた。
今さら後には引けない、ここで引いたら今まで私がしてきたことがなんだったのかわからなくなる。
この数日、天子に対する感情を抑制しようとしてみたがやはりどうにもならない。
彼女を一目見たい、彼女に会いたい、彼女と話したい、彼女の気を引きたい。
まるで荒れ狂う天災のようにどうにもならないこれは、管理者としては危険すぎる不確定要素として処理しなければならない、今までと同じように。
やはり私は、この感情を封印することに決定した。
天子に対する想いをこの日記に封じ込め私自身から引き剥がす。過去に何があったのかという情報としての記憶は残るが、その時に何を想い、何を感じたのか、感情にまつわるものはすべて忘れて消える。
今日も天子が泊りにくるが、それも今回が最後となるだろう。
以後の私はできるだけ天子との接触を控えて距離を取る予定だ、いずれ私と天子の関係は顔見知り程度の希薄なものになる。
天子一人と幻想郷、天秤にかけどちらが重いかなど比べるまでもない。
しかし急に私の心が離れて彼女はどう思うだろうか、すぐに私のことを忘れてくれるとありがたいが、反面寂しいと思ってくれれば良いのにと考えてしまう。
だがそんな抑えきれない感情もこれで終わり。
素敵な思い出をありがとう天子、そして自分からそれを捨ててしまうわがままな女でごめんなさい。
あなたが私以外の誰かと仲良くなって、幸せに生きていくことを望みます。
「なによ……なによこれ。小鈴! 続きは!?」
「た、多分これが最新の日記、今日書いたやつだと思うけど」
「あいつこんなこと考えて……」
ページをめくるも先にあるのは空白のみ。
焦燥の色を見せる天子は、落ち着きなさそうに爪を噛み悪態を吐く。
小鈴は対処に感じた妙な雰囲気はそういうことだったのだ。
「感情の封印なんて、何てことしようとしてるのよあのバカ! もしかしてもう全部封じ込めた後じゃ……!」
「あっ!」
日記をめくっていた小鈴が新たな文を見つけて声を上げた。
恐らくは最新の日記から遠く離れたこの本の最後のページにも、紫の手で書かれた文章が残っていた。
「なんて書いてるの!?」
「ちょ、ちょっと待って、今読むから……」
小鈴は緊張しながら本に指を当て、文字をなぞってその意味を読み解く。
額から汗を流しながら、声を震わせて読み上げた。
「……ドッキリ大成功?」
「…………は?」
間抜けな内容に思わず両者とも口をあんぐり開いた瞬間、二人の肩をがっしりと掴まれ。
「私の日記を盗み見しているのはだれだぁぁっぁああ!!!」
『うひゃああああああああああああああああ!!?』
闇夜から響いた声に小鈴は眼鏡を落として椅子から転げ落ち、天子は座っていた要石から飛びのいて緋想の剣を突き付けた。
「だだだ、誰よいきなり後ろから失礼な!」
「失礼なのはそっちのほうでしょ。勝手に人の日記を持ち出して」
声をかけてきた何者かが、ろうそくの明かりを受けて暗闇から浮かび上がる。
金髪にふくよかな身体から漂う独特の雰囲気、その見覚えのある風貌に、天子は再度驚き声を上げた。
「紫!」
「ひ、ひぃ~!」
その名を聞いて、机の陰に隠れようとしていた小鈴から悲鳴が上がる。
「な、なんであんたここに」
「なんでもなにも、私が悪戯用に用意していた本が盗まれていたものだから、こうやって取り返しに来ただけよ」
「……いたずら?」
呆気に取られる天子を尻目に、紫は机から本を手に取り表紙を見せつける。
そこには『対天子用秘密兵器』と先程までなかったタイトルが浮かび上がっていた。
「そうそう。近々あなたに読ませて反応を試そうと思っていたんだけれどね、まさか翻訳前に読まれるとは計算外だったわ。まだ未完成だったのに」
「お、脅かさないでよバカババア!」
「私が何かする前に引っかかったのはあなたじゃないの、さしづめ、私の妖魔本を読ませる代わりに、外来本を貸して貰うつもりだったというところかしら」
紫は天子から目を離し、机の陰に隠れた小鈴に視線を投げかけた。
大妖怪の底知れない眼で見詰められ、様子を見守っていた小鈴は蛇に睨まれた蛙の如く恐怖して身を震わす。
「本居小鈴。妖魔本に興味があるのはわかりますが、あまりそこの天人の誘いを受けないことです」
「ひ、なんで名前……」
「私は物知りですから」
怒るわけでもなく、にこやかに笑いかけてくる妖怪に、むしろ小鈴の恐怖は高まるばかりだった。
「妖魔本を読む力、あなたにそれがあることには何かしらの意味があるのでしょうが、手を出してはいけないものもあるのですよ」
「ひゃ、ひゃい……」
「あまりに軽率に手を出していたら、もしかしたらその手……食べられちゃうかも?」
「ひいー!!!」
「ちょっと紫、私の友達をあんまり怖がらせないでよ」
ガンガン攻める紫に天子が前に出て止めに入った。
これだけ釘を刺しと置けば大丈夫かと、紫が満足したように下がったのを確認すると、天子はへたり込んでいた小鈴に手を差し伸べる。
「ほら、小鈴大丈夫?」
「こ、こしがぬけてたてにゃい……」
「あーもう、しっかりしなさいよね」
これは一人で立つのは無理そうだと判断した天子は、小鈴の肩を支えて持ち上げると椅子の上に座らせて、落ちていた眼鏡を机に置く。
「とりあえず回復するまで休憩してなさい」
「あ、ありがと……」
「まったく、このぐらいのことで情けないわねー」
「そういうあなただって思いっきり驚いてたじゃない。天人も思ったより臆病なのねぇ」
「う、うるさい!」
紫は軽く天子を小馬鹿にして、大きな欠伸を一つした。
「さて天子、もうここに用はないでしょう? もう帰ってゆっくり寝たいんだけど」
「わかった帰るわよ。あんたの家までスキマ開いて」
「はいはい」
紫にスキマを開かせると、天子は別れ際に小鈴に向き直った。
「じゃあね小鈴、下らないことに付き合わせて悪かったわね」
「天子、早く入りなさい」
「わかってるわよ! んじゃおやすみね」
「お、おやすみなさい」
一足先にスキマへ飛び込んだ天子が、店の中から姿を消す。
次いで紫も後を追ってスキマへ入ろうとした。
「それじゃあ本居小鈴さん、ゆっくりおやすみなさい」
「あっ、ちょっと待ってください!」
急に呼び止められて、紫は足を止めてぐるりと小鈴に向き直った。
その目にまた萎縮しそうになる小鈴だったが、ごくりと喉を鳴らして恐る恐る口を開いた。
「あの、本当にドッキリだったんですか……?」
小鈴の発言にわずかばかり目を見開きかけた紫は、しかしすぐに元の表情に戻る。
「そうですが、それがなにか?」
「……いえ、なんでもないです」
「そう、それでは」
続けて何か言おうとした小鈴だったが、大妖怪を前に結局腰が引けて話を打ち切る。
それを最後に、紫は鈴奈庵から姿を消したのだった。
◇ ◆ ◇
「あーあー、せっかく紫の秘密を暴けるかと思ったのに、ただの悪戯グッズなんて残念」
「残念がる前に人のもの盗んだことについて反省なさい」
「いてっ」
家に戻ってきて寝巻に着替えながら愚痴る天子が、デコピンを放たれて小さな悲鳴を上げる。
「うっ……ごめんなさい」
「そうそう。謝るべきところで謝るのが円滑な交友を成すコツよ。ほら、もう寝ましょう」
「はーい」
紫が部屋の明かりを消すと、光源は窓から差す星明りのみとなり、二人は並んで敷かれた布団の中で横になる。
しかし暗闇の中でも天子は落ち着きなくもぞもぞ寝返りをうち、寝ようと言われたばかりなのにまた紫に話しかけ始めた。
「ねぇねぇ、明日はどうする? 私行きたいところあるんだけど」
「あなたの足代わりにされるのはお断りするわ」
「ちっ」
「それに明日からちょっと忙しくなるの、悪いけれど午前中には帰ってもらうわ」
「えー、なによそれ」
「文句言わないの」
騒ぎ立てる天子を、紫がため息を吐いてたしなめる。
「……その、明日からってことは、何日も掛かるようなことなの?」
「そうね、しばらくは会えないでしょうね」
「それってどれくらい?」
「さぁ……数日か、数週間か」
「ふーん……」
そこで会話が途切れて静寂さが部屋を包む。
ようやく眠れると紫が考えていると、寝付く前にまた天子が口を開き始めた。
「紫、そっち行っていい?」
「はぁ? あなたね、いい加減に寝させて……って、こら勝手に来ないでよ!」
紫の返事を効く間もなく、天子は隣の布団にもぐりこみ始めた。
布団の中ほどから中に潜入すると、頭を外に出して紫と顔を見合わせる。
「へへー、たまにはこういうのもいいでしょ」
「ああもう、あなたは毎度毎度そうやってズケズケと人の領域に乗り込んできて……」
「文句言われてもそれが私だし」
「もう勝手にしなさい」
「んじゃお言葉に甘えて」
呆れて背中を向ける紫だったが、天子は後ろから腕を回して布団の中で抱き付いた。
思わぬ行動に紫は暖かな背中が汗ばむのを感じた。
「暑いわ」
「うん、私も」
「なら離れなさいな」
「イヤ」
「はぁ……」
「…………ねぇ、本当にその気持ちを忘れちゃうつもり?」
小鈴にもされたような問いかけに、今度こそ紫の目は大きく見開かれて驚きがあらわになった。
鈴奈庵で聞いた言葉と違うのは、こちらは天子が確信を持ってたずねているということだ。
思わぬ質問に心臓が跳ねるのを感じながら紫が何も言えずにいると、天子はギュッとより強く背中から抱きしめる力を強める。
「……どうして、そう思うの?」
「わかるわよ。異変からこっち、ずっと紫のこと見てたんだから」
「そういえば、そうだったわね……」
「どうなの、紫」
「……本当のことを答えて、それでどうにかなると思うの」
「ならないわよね、紫って変なところで強情だから」
諦めたような返答は、肯定としか取れないようなものだった。
それに対する天子も、諦めたような達観したような口で紫の背中に話しかける。
「じゃあそれには答えなくていいからさ、別の質問に答えてよ」
「……何を今さら聞きたいのよ」
「その、私のこと好きって本当?」
「へっ!?」
二つ目の質問には心臓と同時に身体も跳ねた。
「ななな、何でそんなこと聞くのよ!?」
「だってあんなの見たら気になるに決まってるでしょ!」
「いやそうかも知れないけど何もこんなとこで聞かなくても」
「忘れるつもりなら今しかないじゃないの」
「ああいやそういえばそうなるか」
「いいから答えなさいってば、答えるまで離してやんないからね!」
あからさまにうろたえて混乱しだす紫を、天子が抱き付いた腕できつく締めあげる。
グッと力を籠められて胸が寄せ上げられるのを感じながら、逃れられなさそうな状況に観念した紫がぽつりとつぶやいた。
「……きよ」
「なんて言ったの? もっとハッキリ」
「好きよ、好きに決まってるじゃないの!」
その魂の叫びを皮切りに感情のタガが外れて、雪崩のように紫の口から想いが溢れだしてきた。
「あぁそうよ、天子のことが大、大、大好きですとも! 好きでもない相手をこうやって頻繁に家に招いて、何度も何度も一緒の部屋で寝たりするわけないじゃない。ここのところ天子のことがずっと頭から離れないし、何かあるたび天子だったらどんな反応するだろうかとか、笑って喜んでくれるかしらなんて考えているわよ。無性に抱き付いてかわいい頭をなでまわしたり、匂いを嗅いでみたりしたくなるし、もう好きで好きで仕方ないのよ!」
息つく暇もなく言い切り、出し尽くした紫は顔を真っ赤に染め上げてグッタリと肩で息をしている。
その叫びを受け取った天子は、紫を開放すると布団から這い出て身を起こした。
「そっか、好きかぁ……えへへ」
思わずゆるみそうになる頬を抑えるが、まだ話は終わっていない。
ニヤつく顔を叩いて活を入れると、寝転ぶ紫に話しかける。
「……うん、ありがとう紫。本当のこと言ってくれて」
「もう、最悪だわ。せっかく誰にも隠したまま忘れようとした気持ちなのに、こうやって掘り出されて。どうにもならないから封印しようと思ってたのに」
すっかり紫はやさぐれモードに入ってしまったようだ。
しかし紫は隠し通せていると思っていたようだが藍や幽々子などにはバレバレだっただろうし、天子自身も少なからず紫の行為には気付いていた。
まぁ、それは言わぬが花かなと思い口をつぐみ、代わりに別の言葉を紫に掛ける。
「本当にどうにもならない?」
「そうよ。自分でもどうかと思うけど、ずっとあなたと一緒にいたいと思ってしまう。気持ち悪いでしょ?」
「ううん、それくら欲深な方が私には良いわよ。それで、そんなものはあんたの立場としては認められないと」
「あなたは知らないでしょうけど、私は幻想郷の裏側で汚いことをしてきた。それなのに今さら、私にリスクを見ないふりをしてまで幸せを享受できるわけがないわ」
「強情だなぁ、もう」
いつもはのらりくらりと人の話を受け流しているのに、ここぞというところじゃ無駄に真面目な紫に天子はため息を吐く。
「……そうね……うん、となると、やっぱりこれしかないわね」
「天子?」
何か考え込んでいる様子の天子に、紫が疑問に思って起き上がると、何かを決心したような力強い瞳と目が合った。
「紫。私、紫が好き」
「えっ!?」
「紫と話すのも、こうやって寝るのも、ご飯食べるのも、戦ったりするのも、とにかく紫と過ごす何もかもが好き! 今すぐ天人辞めてでも紫と結婚したいくらい好き!」
「ちょっ、えっ、天子止めて恥ずかしいから! そんなこと言われたら決心が鈍っちゃうじゃない!」
「それだけ好きな紫には絶対に幸せになってほしい。だから!」
突然の告白に慌てふためく紫が赤い顔を隠そうとする手を、天子は掴んで剥ぎ取ると正面から見据えた。
「いいよ、今は忘れても」
最後の言葉にそれまでのような苛烈さはなく、穏やかですべてを良しとする声に、紫は平静を取り戻すことができた。
「それって……」
「紫は私が好きって気持ちを切り離して、私たちの関係はそれでリセット。そしたら一から、また私のことを好きにさせてみせる。そしてわからせてあげるわ、紫が私のことを好きになるのは、どうにもならない当たり前のことだってことを。これはどう頑張ったって抗うことのできない仕方がないことなんだって、紫が何の躊躇もなく私を愛せるようになるまで、何度だって繰り返してあげる」
それが一番いい道だと目を輝かせて語られ、紫もまた胸の奥が湧き上がる。
つい釣られてしまいそうになるのを抑え、できるだけ冷静に紫は言葉を返した。
「……無茶苦茶ね。私がもう一度あなたに惚れると思うの?」
「惚れるわ!」
「あなたのことをどうとも思わなくなった私は、きっと距離を取るようになるわ。それでも?」
「できるわよ!」
これはもう何を言っても聞かなそうだ。
自分勝手に話を進める天子に苦笑してしまうと、今度は逆に質問が投げかけられる。
「紫はどう思うの?」
「そんなの、絶対また好きになるに決まってるじゃないの」
紫は、ただ迷いなくうなずいた。
これがどうにもならないというのなら、従ってしまうのもいいだろう。
なすがまま流されるがまま、最後にそれを受け入れるために。
◇ ◆ ◇
翌日、鈴奈庵に再び天子が蒼い髪を揺らして訪れた。
「えぇー!? アレやっぱり本当のことだったの!!?」
小鈴が天子から伝えられたことは、昨晩あったという事の顛末だ。
その内容に驚きの声が店に響く。
「ししし、しかももう封印し終えたって……!?」
「うん、ドッキリって書かれてたのは、本を読まれているのに気付いた紫が、その場で読んでる最中にスキマから追記したものよ。っていうか気付いてたのね」
「あぁうん、なんとなくあの日記からは重い雰囲気がしてたから、ドッキリにしては変だなとは」
「へぇ、やるじゃない。いつもは抜けてるのに、勘が良いんだか悪いんだか」
「いやぁ、それほどでも……って、そうじゃなくて、何でみすみす好きな気持ちを忘れさせたの!? そこまで説得できてたなら、そのままくっついちゃえばよかったじゃない!」
小鈴が話を聞いた限り、八雲紫という妖怪は説得の仕方によっては感情を封印することを諦めたように思えた。
しかし天子は否と手を振ってそれを否定する。
「そうかもしれないけどさ、あのままじゃあ忘れるのは止めにしようってなっても、紫の中じゃこれで良かったんだろうかって疑問が残ったと思うのよ。そういうしこりを残させないためには、あいつの心の奥底まで、どう逆立ちしたって最後には私に惚れるってことを思い知らせてやらないとダメなのよ。やるなら徹底的によ!」
大げさにかぶりを振って声を高々に響かせる様子に、小鈴は呆気に取られて口を開いていた。
「なんかすごいね天子、まるで雲の上の人みたい」
「だから本当に雲の上の人だって言ってるでしょが、あんたまさか信じてなかったの」
「半分くらいは。でもやっぱり残念な感じ、これだけ開き直ってたらからかえそうにないし」
「残念がるとこがそこかい。それなら紫でもからかったら? あいつ意外とウブだから良い反応見れるわよ」
「いや、流石に妖怪相手にするのは……」
「まぁいいわ、それより受け取って欲しいものがあってね」
天子がそういって小鈴の前に差し出したのは、昨日も見たばかりである天子への愛がつづられた妖魔本だった。
「え、これって……」
「そう、紫の気持ちを封じ込めた妖魔本。話し合った結果、第三者に預かっていてもらおうってことになって。そもう一度紫に好きだと言わせるまで、持っていて欲しいのよ」
「いいの私で?」
「そのくらいにはあんたを信用してるのよ、紫も私も。妖魔本を変にいじくって、封印を解除なんてヘマはしないだろうしね」
などと言いつつ、実際のところは小鈴に預けたほうが、何かしらの不手際が起こって面白いことになりそうだから、という理由である。
そうとも知らずに小鈴は感激したように目を輝かせて、妖魔本を受け取った。
「そんなに私のこと信じてくれるなんて……ありがとう、その時まで大切に持っておくね!」
「とか言いつつ速攻で表紙めくったわねあんた」
いつのまにか眼鏡を掛けて熟読モードに入ろうとする小鈴に天子も呆れた声を出す。
「そこにある本を読まないとか、本の作者さんに失礼だと思うの!」
「いや、元はただの日記だし、別に紫のやつは読まれることなんて想定してないと思うけど。まぁいいけどね、今回はあんたのおかげで助かったって言ってもいいし。たまたま小鈴に読んでもらわなかったら、もっと遠回りしてただろうからね」
「最終的には同じと言い切るあたり天子らしいというか……とにかく読ませてもらうわ」
昨晩やった時と同じように、妖魔本の文字を指でなぞり読み取る。
その時、小鈴の胸に伝わってきたのは文の意味だけでなく、筆者である紫自身の想いそのものであった。
「……すごい」
「そう? 昨日も読んだ本じゃない」
「全然違うよ! 昨日と違って、封じられた気持ちっていうのが込められていて、それが伝わってくる。天子が好きで好きで仕方がないって、こんなに強い気持ちなら怖くなってもしょうがない」
興奮して饒舌に語る小鈴に、天子はむぅとうなりをあげて気まずそうに帽子のつばをつまんで目を隠した。
流石にこうまで素直に伝えられると、今の天子でも少し恥ずかしいらしい。
「とっても暖かな気持ち……ありがとう天子! 絶対大事にするね!」
「言っとくけど預けたけだからだからね。いずれは返してもらうんだから、そこのとこわかってる?」
「わかってるよ。はぁ、いいなぁ、私のこれくしょんの中でもこれが最高ね……」
「駄目だこりゃ」
悦に浸る小鈴だが、理由は何もコレクションが増えたからというだけではなかった。
この本の真の誕生の瞬間に立ち会い、それを自分の能力で助けることができたのも嬉しかったのだ。
思えば、妖魔本の『内容』をこうして誰かに伝えるのは初めてな気がする。
すべてがそうだとは限らない、だが妖魔本の中には強い想いが込められて、未だそれが解き放たれずにいるものがある。
「もしかしたら、私の力はそういうのを伝えるためにあるのかもね」
「止めてよもう」
「あっ、照れてる照れてる」
「うっさいわ!」
一つの達成感とこの発見の感謝を胸に、小鈴は良き友人を応援するのだった。
ここは外界から幻想郷に流れ着いた俗にいう外来本を多く扱い、その珍しい本を求めてくる客は多い。
そしてその客の中には、わずかながら人間以外の者もいるのだった。
「ねー小鈴。外来の漫画本、私に貸してよー」
「ダーメ。外来本の中でも漫画は人気だから、ずいぶん先まで予約が埋まってるの」
「先に借りたって客にはバレやしないわよ。お金多めに払うからさ。ねっ?」
「ダメったらダメでーすー」
時には、こんなずうずうしい天人も来たりするのだ。
椅子に座った小鈴の目の前でごねる少女は、以前異変を起こしたことがあるらしい比那名居天子という天人。
普通なら天人は遥か雲の上の存在であり、そんな存在が店に現れた時は小鈴もそれはそれは驚いたものだ。
しかし話してみれば中身はなんてことない普通の、多少ぶっ飛んだところもあるが普通の少女であり二度驚くこととなった。
「確かに天子とは仲がいいけど、だからって店として一人のお客に贔屓したりできないってば」
「……ねぇ、前から思ってたけど、なんで霊夢とかにはさん付けなのに、私は呼び捨てなのよ」
「だって、天子だし」
どこか人懐っこいこの天人は、こうして無邪気に話しかけてくることが多く、気が付いたら自然に名前で呼び合うようになり、口調もかなり砕けたものになってきている。
だがそのことがお気に召さないのか、天子はふくれっ面でうなりを上げる。
「何でよ! 天人なんかが前に現れたら、人間どもはその威光を直視できず、地面に頭をこすりつけて敬い、崇め、奉るもんでしょ!」
「いや、それはないない」
「それなのに小鈴は私にいじわるばかりして。上客相手には贔屓くらいしなさいよ!」
こんな風に、時折とてもうっとうしくなるのがこの天人の悪いところである。
どう対処したものかと困り顔を浮かべる小鈴は、いっそこれを利用できないかと閃いた。
「天子って天人なんでしょ?」
「そうよ、いまさら確認することないでしょ」
「じゃあさ、天界には珍しい本とか置いてたりしない? そういう本店に置かせてくれるなら、私も考えてもいいけど」
こんな不良天人でも天人は天人。
となれば、彼女の住処には小鈴もまだ知らない貴重な書籍があるかもしれない。
本屋の娘としてそこに興味が沸いて尋ねてみたが、天子は首を横に振った。
「あー、ダメダメ。確かにそういう本はいっぱいあるけど、貸出とかは厳しいから私でも下界には持ち込めなわよ。天界のやつらって頭固いのよね、イヤになっちゃうわ」
「なーんだ、残念……」
小鈴はくたびれたように机にしなだれる。
しかし残念に思っているのも、天子もまた同じである。
なんとかしつこく食い下がりやっと引き出した条件なのだ、このまま無理だからと捨ててしまうのはもったいない。
どうにか別の物で代用できないだろうかと頭を悩ませ、一つの本が頭をよぎった。
「そうだ!」
「ん? どうしたの突然」
「小鈴、あんたって店の売上使って勝手に妖魔本を集めたりしてるんだって?」
天子にいきなりそんなことを聞かれて、小鈴は目を丸くする。
「どこでそんなこと知って」
「酒の席で魔理沙から聞いたのよ。しかもただのコレクターじゃない、普通は読めない妖魔本を読める能力がある」
秘密にしてとお願いしたのに、あっさりバラしていた普通の魔法使いを小鈴は恨めしく思い浮かべる。
「まさかそれで私のことゆするつもりじゃ……」
「そんなみみっちい真似なんかしないわよ。私はあくまでも交渉するだけ」
無邪気な子供のようでいて、狡猾な詐欺師のようでもある気味の悪い笑みを浮かべて天子が小鈴に詰め寄る。
「妖怪の賢者であるスキマ妖怪、八雲紫の妖魔本、読んでみたくない?」
気が付けば小鈴は頭が飛びそうなくらい首を上下に振っていた。
約束を交わしてから数日後の夜。
もうすっかり夜が深まり、人里も寝静まった時間になっても、小鈴はまだ店の中で椅子に座りじっとしていた。
「……遅いなぁ。こんな時間に持ってくるなんて、もっと早い時間にできなかったのかしら」
ゆらゆら揺れるろうそくの火を見つめて、うつらうつらと舟を漕ぎだしそうになっていると、閉じられた店の扉を叩く音がして飛び起きた。
慌てて扉に駆け寄って外を覗き見ると、月の光で蒼い髪を輝かす天子が一冊の本を抱えて立っている。
「約束通り、持ってきてやったわよ妖魔本」
ニヤリと笑う天子に、小鈴の顔にも笑みが浮かぶ。
念願の妖魔本に眠気など吹き飛んだ小鈴は、天子を店の中に招き入れて、早速その品物を机の上に置かせた。
持ち寄られた本は豪勢なハードカバーで保護された、無題の本だった。
「こ、これが妖怪の賢者の……!」
「その通りよ。約束は果たしたんだから、漫画本貸してよね」
「うん、貸す貸す!」
小鈴はその存在を確かめるように、震える手で背表紙を指先でなぞる。
これがこの幻想郷の裏にひそむ賢者の本であると思うと、興奮のあまり倒れてしまいそうだ。
「喜ぶのもいいけどさ、私の話は忘れてないわよね?」
「だから貸すって」
「そうじゃなくて! これはあくまで紫のやつが寝てる間に持ってきただけのものだから、あいつが目覚める前に返さないとまずいのよ。だからあくまで今ここで本を読むだけ」
「えー……貰っちゃダメ?」
「ダメ! じゃないと私が紫から大目玉食らうんだから。あんただってあいつの恨みを買ったら、毎晩夢の中に字喰い虫を放り込まれて悪夢を見させられるわよ」
「うっ、それはイヤね……」
本屋と娘としては最低最悪の悪夢である。
天子も譲らなそうだし、小鈴は諦めて今は本の内容を楽しむことに決めた。
「ところで、これどうやって盗んできたの?」
「盗んだんじゃなくて一晩借りてるだけよ。別に特殊な方法を使ったわけじゃないわ、普通に今日は家に泊まらせてって話を持ち掛けて、あとはあいつが寝てる隙に持ってきたのよ」
「えっ、妖怪の賢者と友達なの?」
「うん」
妖怪と仲がいい天人っていうのもどうなんだろうと疑問が浮かぶ。
でもまぁ天子だしで疑問を片付けると、いよいよ小鈴は愛用のメガネをかけて妖魔本に取り掛かろうとした。
「さてと、それじゃ」
「早速読んでよ」
表紙に手をかけようとした小鈴の横で、要石を作り出した天子がその上に腰を下ろして机に肘をつく。
「……天子も読むの?」
「というか私も前から読みたかったのよ。でもあいつの文字って意味不明で読めなかったからさ。どんな内容か私にも教えてよ」
相変わらず図々しい天子に少しばかりイラッとするが、彼女がいたほうが何かあった時に安全かもしれない。
そう結論付けて小鈴は改めて表紙に手をかけ、慎重に本を開いた。
中に書かれていたのは漢字や英語、あるいは象形文字などで無秩序に埋め尽くされた、常人には文章であるとすら理解不能な内容だった。
「見てるだけで頭痛くなりそうね、こんなの書くあいつの頭ってどういう中身してるのかしら。小鈴は読める?」
「うん、問題ないわ」
ページに手の平を当てて文字をなでて、その内容を読み取っていく。
「……これは私、八雲紫の身に特別な、印象的な出来事があった時に、それを保存するための日記であり、記憶の蔵である」
「はぁ? 日記ぃ!? なによあいつ、厳重そうに保管してる本があると思ったら、大したもんじゃないじゃない!」
「……そんなに騒ぐほど興味ないなら読まないけど」
「読むわよ、読む読む!」
暗に静かにしろと言って天子を黙らすと、小鈴は日記のページをめくる。
天子は残念そうに声をあげていたが、何故か小鈴にはこの本からただよう雰囲気に、これがただの日記ではないような気がして興味が尽きなかった。
「この日記では、主に比那名居天子についてのことをまとめる」
「……へっ、私!?」
○月×日
天界の天人が異変を起こしたようだ。
どうやら退屈しのぎに起こした異変らしい、天人の中にも妙な人物というのはいるものだ。
神社が倒壊したらしいが、あれ自体には形以上の意味がないので別にいいだろう。博麗の巫女が無事なら問題ない。
私が手を出すようなものでもないので、とりあえず見守ることとする。
○月△日
やられた、あの天人はいつのまにか地震を起こす準備をし、それを理由に博麗神社に要石を仕掛けていた。おそらくは神社の乗っ取りが目的だろう。
汚いマッチポンプ、やはり天人というのは信用ならない。油断した私が愚かだった。
今すぐ八つ裂きにしてやりたいところだが、今やつを殺せば幻想郷中が大地震で多大な被害をこうむる。
せめてやつの企みをここ一番で台無しにしてやる予定だが、場合によってはそこから更に拉致して達磨にした上で能力を外部からの入力で操れるように改造することも視野に入れておく。
「こ、これは……」
「こんな初期から私のこと纏めてたのあいつ? いや、あとから私関連の部分だけをこの日記に写した可能性もあるか」
「……天子は、内容についてどうにも思わないの?」
「まーこんなもんでしょ。割と出会い方は最悪な感じだったし。反省したとこ見せといてよかったって感じね」
憤怒と憎悪が入り混じった日記の内容に、読んでいる小鈴の首筋を冷汗が伝う。
ついでにショッキングな文面にもなんら動揺することなく、冷静に推測を建てる天子と見て、あぁこいつ頭イカレてるんだなぁとなんとなく思った。
「日記って聞くと期待外れかと思ったけど、あいつから見た私の感想っていうのは面白いわね。次読んでよ」
「う、うん」
○月□日
予定通り神社の落成式に乱入し、正面から叩き潰した。
ついでに天人が立てた神社も潰し、萃香に再再建をしてもらうことになった。少し溜飲が下がる。
天人は思ったより小物のようなので、早急に対処しなければならないほどの危険分子ではなさそうだ。
今しばらくは様子を見てから処遇を考えることとする。
しかし私も丸くなったものである、昔なら即刻拉致で達磨だっただろうに。
まぁ、それも今の平和な幻想郷でなら必要ないか、場合によっては即実行に移すが。
○月●日
萃香の発案で「起工記念祭と言いつつみんなで天人を虐める祭」が開催されたらしい。
だが結局、参加者は逆にやられてしまったようだ。
腐っても天人、相応の実力者でもあるし、参加者たちも舐めてかかっていたのも天人の勝因だろう。
せめて萃香が本気を出して戦ってくれれば、あの天人の鼻が折れたかもしれないのに。
△月◎日
驚くべきことがあった。
萃香にお酒を飲もうと誘われて顔を出すと比那名居天子がおり、要石の件について私に謝罪してきた。
まさか天人が頭を下げるだなんて。彼女は一般的な天人から想像以上に逸脱した存在なのかもしれない。少し認識を改めるべきか。
その後は三人で酒を飲んだが、以外にも天子ともそこそこ話が合った。
「ねぇ、この妖魔本の作者、天人のことずいぶんと嫌ってるみたいだけど」
「まぁ天人の実態ってかなり酷いもんだしね。欲がないとかウソウソ、思いっきり下界のやつら見下して傲慢だから」
「それでよく崇め奉れとか言えたわね……」
△月◆日
白玉楼に行った先に比那名居天子がいた。いきなりやってきて妖夢に剣の試合を申し込んだらしい。
型と呼ぶもおこがましい滅茶苦茶な剣筋で練習用の木刀を振り回し、修練を積んだ妖夢相手には負けていた。
それが終われば私と幽々子の会話に割り込んできて話に加わってきた。
話していて思ったけれどやっぱり彼女はけっこううざい。
「誰がうざいよあいつ!」
「あー、でもわかる」
「あぁん?」
△月○日
天子にリベンジを申し込まれる。
やる気が出ないので適当にやって負けたら、本気でやってくれなきゃ意味がないと怒られた。
仕方ないので本気でやって勝つと強すぎと怒られた。どうしろと。
「理不尽すぎると愛想つかれるよ」
「別にいいわよあんなやつ」
「ふぅん」
「……やっぱりちょっとくらいは直したほうがいいかな?」
「時間もないし次を読むわね」
「あっ、聞きなさいよあんた!」
●月○日
また天子がきまぐれで天気を操作していた。
幻想郷全体の天候が乱れ始めていたので、挨拶代わりに軽く潰してから厳重に注意する。
とりあえずは理解して大げさにならない範囲でのみすると約束してくれた。
そのあと立ち去ろうとしたが、強引に誘われて酒を飲むことになった。
私は他人から見れば厄介な性格で、大抵の者は不気味がり避けるようになるのだが、物怖じしない娘だ。
飲んだお酒はそれなりに美味しかった。
●月□日
比那名居天子が釣りをしているのを発見。
天人なのに、釣った魚を焼いてガッツリ食べようとしていた。
どうせなので同席して一匹頂戴する。
色々文句を言われたが、なんだかんだで一緒に食べた。
×月△日
スキマから暇つぶしができそうな相手を探してみると天子が退屈そうにしていたので、彼女の部屋に蛙をほうり込んでみた。
大騒ぎするかと思ったら、普通に手にもって可愛がりだした。
つまらないので蛙の口からスキマで顔を出して驚かす。
いきなり出てきた私の頭部に悲鳴を上げていた。少しは満足。
その後、やはり天子は怒ったが飴を上げると機嫌を直した。子供か。
×月○日
なんとなく暇だったので、前回のように天子をいじって遊んでみる。
おちょくると面白い反応を返してくれるので楽しい。
どうやら胸が小さいことを気にしているらしい、この情報は大きな収穫である。
×月□日
宴会で出会った天子が、さりげなく間欠泉と悪霊騒ぎの顛末について尋ねてきた。
どうやら自分のせいで意図せず異変が起こったのかと気にしていたようだ。意外にかわいいところがある。
原因の地獄鴉について話すと安心したようで、いつもより甘えてきた。
「いや違うからね。別に気にしてたわけじゃないくて、どんな異変だったかなんとなく気になって聞いてみただからね」
「あぁうん、わかったから落ち着いて」
小鈴はページをめくり、書かれた文章を読み上げていく。
天子と紫の仲が深まっていくのを示すように、日記が頻繁に書かれるようになっていた。
全部読み上げると切りがないのて、小鈴が気になった部分だけ抜粋して天子に伝えていく。
▼月○日
天子が私の家に連れて行けとしつこい。
この前、酔った時に幽々子や萃香と一緒に連れてきてしまったのが悪かった。
結局根負けして、今日はうちで天子と飲むことになった。
最近、天子に甘すぎる気がする。気を付けないと。
◇月△日
何度も天子を家に連れてくるうちに、すっかり橙が懐いてしまっていた。
橙とばかり話していて少しもやもやする、せっかく連れてきてあげたのに。
そんなことを思っていると橙が遠慮するように下がってしまった、まさか橙に気を使われるほど顔に出ていたなんて自分でも驚きだ。
後でそのことを藍に話すと何故か微笑ましいと笑われた。どういうことなのか。
▽月◎日
幽々子のところに行って雑談していると、最近の紫は天子のことばかり話すわねと笑われる。
言われてみれば、ここのところ驚くくらい天子と何度も会っている。
私がこんなに誰かに入れ込むのは珍しい。
◎月×日
気が付けば、天子のことを目で追ってしまっている。
ここのところ毎日天子と会っていて、今日も顔を合わせたら流石にうっとうしいと思われるんじゃないかと怖くなった。
でもこらえきれなくて、今日もまた天子の前に出てしまう。
彼女は怖気づいていた私に笑いかけてくれて、手を握ってくれた。
とても嬉しかった。
小鈴が本から顔をあげて隣に目を向けた時、天子は顔を手で机に突っ伏してしまっていた。
「そっかぁ、天子にもそういう人がいたんだ、って人じゃなくて妖怪か」
「違うし、良い人とかそんなんじゃないし。ただの腐れ友達だし」
「耳真っ赤だよ」
「うっさい!」
静かな店に天子に叫びが響く。
「それでどうする? まだ先を読むか、ここで止めるか。私はどっちでもいいよ」
ここまで読んだところで、小鈴は大方満足できていた。
ここから先に読み進めるのは、今までよりもさらにこの書き手の核心的な部分に踏み込むことになる。
小鈴は自分ではなく、あくまでも主要人物である天子に選択権をゆだねた。
「……読む」
「いいの本当に?」
「ここまできてなかったことにできるわけないでしょ。退いたところで気になってあいつとまともに喋れないし、だったら逆にとことん行ってやるわよ」
「あはは、天子らしい」
やはり遠慮というものをまったく知らない不遜な性格だ。
しかしここまでくれば逆に長所と呼べるなと思いながら、小鈴は再び書き込まれた文字の意味を唱え始めた。
▲月◇日
昨日は成り行きで天子を家に泊めてしまった。
同じ部屋で寝ることとなったが、近くに天子がいると思うと緊張であまり眠れなかった。
今日の朝には一緒に朝食を食べ、そのまま昼食まで居座られた。
図々しい彼女にうっとうしいと思いつつも、どこか居心地が良い。良すぎて困る。
彼女が帰ってしまうのが、惜しくて仕方がなかった。
□月◎日
最近、天子に妙な気持を感じてしまうことを藍に相談すると鼻で笑われた。傘で叩く。
やりたいようにやればいいじゃないかと言われたが、こんな感情は初めてなのでどうしたいかもわからない。
そう伝えるとまた笑われる。傘で叩く。
◆月×日
もう自分の心を誤魔化すのも限界だ。
やはり、私が天子が好きだ。無論、友人としてではなく恋愛対象として。
果たしていつからこうだったのだろう、最初は憎くいとすら思っていたのに今は愛しさでいっぱいだ。
今まで気づかない振りをしていたが、無視できないほどこの想いは肥大化してしまった。
こんな感情、初めてでどうすればいいかわからない。
ただ一つだけわかることは、天子がそばにいてくれるだけで幸せな気持ちになってしまうことくらい。
特に自覚を得てからは今までよりももっと天子が好きになって、この幸福感も増長するばかりだ。
だが同時に、彼女の前では冷静でいられなくなってしまうのがもどかしい。
恥ずかしすぎて、好きだなんて言える気がしないし、以前と同じようなスキンシップもできなくなってしまった。
あぁ、息がかかるような距離にいる天子を抱きしめた時、私はどれほどの幸福感に見舞われるのだろうか。
想像するだけで身震いする。
早く天子に会いたい。
「もう、あのバカ。直接言いなさいよもう、ヘタレ」
顔を赤くして愚痴る天子は、しかし頬をニヤけさせて心底嬉しそうな顔をしていた。
その様子に小鈴も笑みを深めて、天子の脇腹を肘で突っつく。
「愛されてるねぇ?」
「からかわないでよもう」
「ごめんごめん。でもどうするの? 口で伝えられるのより早く気持ちを知っちゃって」
「そりゃあ、読んじゃったごめんなさいって謝ってから、返事を言うしかないでしょ」
「ほう、それで返事はどっち? イエス? ノー?」
「うっさい、関係ないでしょ小鈴には」
しつこく聞かれ、天子はぷいっと赤い顔をそむけてしまう。
店に来た時に話しているだけでは見られない天子の表情を楽しみながら、小鈴は日記を読み進めていく。
しかし、あるところで手が止まり剣呑な顔つきで声を漏らした。
「これって……」
「なによ、さっきみたいなことしか書いてないのなら、もう読まなくたって……小鈴?」
小鈴の変化に気付き、天子もまた内容がわからずとも真剣な目で小鈴と日記を見据える。
しかし小鈴は何か迷った様子で黙っている。
「小鈴、読んで。それがなんであれ、いや、何かあったからこそ伝えて」
「……うん、わかった」
◆月△日
天子に対する想いが強すぎて不安になる。
もし今後、私が管理者として彼女と敵対し排除しなければなくなった時に、私は正しく行動できるだろうか。
比那名居天子という存在は、あらゆる面において不安定で抑制が効かない、一種の怪物だ。
彼女は悪事を楽しめるタイプである、そんな彼女がいずれ幻想郷のために討ち倒さねばならない障害となる可能性が零とは言えない。
ならばその時のことを想定し、事前に対処法を考える義務が私にはあるが、いざ計算しようとするとそれを拒否してしまう。
考えることさえできないのに、彼女を幻想郷のために切り捨てなくなったとき、それができるだろうか。
情に流され何もできなくなってしまうことを否定ができない。
幻想郷が危機に瀕した時、天子一人のために、他のすべてを犠牲にしてしまうのではないか。
私は、どうにもならないこの想いが怖い。
「…………天子、どうするの?」
すでにその先まで読み取っていた小鈴は再び問いかけた。
天子は不安を感じているのか、神妙な表情で読めもしない日記をじっと見つめている。
「……読んで」
小鈴はうなずき、意を決して続きを読み上げた。
私は、今の安定した幻想郷を創るために多大な犠牲を払ってきた。
それは自分からだけではない、この郷に閉じ込めた人間たち、不安定な時期に反乱を起こしたために始末した妖怪、大勢の者に犠牲を強いてあるいは切り捨ててきた。
今さら後には引けない、ここで引いたら今まで私がしてきたことがなんだったのかわからなくなる。
この数日、天子に対する感情を抑制しようとしてみたがやはりどうにもならない。
彼女を一目見たい、彼女に会いたい、彼女と話したい、彼女の気を引きたい。
まるで荒れ狂う天災のようにどうにもならないこれは、管理者としては危険すぎる不確定要素として処理しなければならない、今までと同じように。
やはり私は、この感情を封印することに決定した。
天子に対する想いをこの日記に封じ込め私自身から引き剥がす。過去に何があったのかという情報としての記憶は残るが、その時に何を想い、何を感じたのか、感情にまつわるものはすべて忘れて消える。
今日も天子が泊りにくるが、それも今回が最後となるだろう。
以後の私はできるだけ天子との接触を控えて距離を取る予定だ、いずれ私と天子の関係は顔見知り程度の希薄なものになる。
天子一人と幻想郷、天秤にかけどちらが重いかなど比べるまでもない。
しかし急に私の心が離れて彼女はどう思うだろうか、すぐに私のことを忘れてくれるとありがたいが、反面寂しいと思ってくれれば良いのにと考えてしまう。
だがそんな抑えきれない感情もこれで終わり。
素敵な思い出をありがとう天子、そして自分からそれを捨ててしまうわがままな女でごめんなさい。
あなたが私以外の誰かと仲良くなって、幸せに生きていくことを望みます。
「なによ……なによこれ。小鈴! 続きは!?」
「た、多分これが最新の日記、今日書いたやつだと思うけど」
「あいつこんなこと考えて……」
ページをめくるも先にあるのは空白のみ。
焦燥の色を見せる天子は、落ち着きなさそうに爪を噛み悪態を吐く。
小鈴は対処に感じた妙な雰囲気はそういうことだったのだ。
「感情の封印なんて、何てことしようとしてるのよあのバカ! もしかしてもう全部封じ込めた後じゃ……!」
「あっ!」
日記をめくっていた小鈴が新たな文を見つけて声を上げた。
恐らくは最新の日記から遠く離れたこの本の最後のページにも、紫の手で書かれた文章が残っていた。
「なんて書いてるの!?」
「ちょ、ちょっと待って、今読むから……」
小鈴は緊張しながら本に指を当て、文字をなぞってその意味を読み解く。
額から汗を流しながら、声を震わせて読み上げた。
「……ドッキリ大成功?」
「…………は?」
間抜けな内容に思わず両者とも口をあんぐり開いた瞬間、二人の肩をがっしりと掴まれ。
「私の日記を盗み見しているのはだれだぁぁっぁああ!!!」
『うひゃああああああああああああああああ!!?』
闇夜から響いた声に小鈴は眼鏡を落として椅子から転げ落ち、天子は座っていた要石から飛びのいて緋想の剣を突き付けた。
「だだだ、誰よいきなり後ろから失礼な!」
「失礼なのはそっちのほうでしょ。勝手に人の日記を持ち出して」
声をかけてきた何者かが、ろうそくの明かりを受けて暗闇から浮かび上がる。
金髪にふくよかな身体から漂う独特の雰囲気、その見覚えのある風貌に、天子は再度驚き声を上げた。
「紫!」
「ひ、ひぃ~!」
その名を聞いて、机の陰に隠れようとしていた小鈴から悲鳴が上がる。
「な、なんであんたここに」
「なんでもなにも、私が悪戯用に用意していた本が盗まれていたものだから、こうやって取り返しに来ただけよ」
「……いたずら?」
呆気に取られる天子を尻目に、紫は机から本を手に取り表紙を見せつける。
そこには『対天子用秘密兵器』と先程までなかったタイトルが浮かび上がっていた。
「そうそう。近々あなたに読ませて反応を試そうと思っていたんだけれどね、まさか翻訳前に読まれるとは計算外だったわ。まだ未完成だったのに」
「お、脅かさないでよバカババア!」
「私が何かする前に引っかかったのはあなたじゃないの、さしづめ、私の妖魔本を読ませる代わりに、外来本を貸して貰うつもりだったというところかしら」
紫は天子から目を離し、机の陰に隠れた小鈴に視線を投げかけた。
大妖怪の底知れない眼で見詰められ、様子を見守っていた小鈴は蛇に睨まれた蛙の如く恐怖して身を震わす。
「本居小鈴。妖魔本に興味があるのはわかりますが、あまりそこの天人の誘いを受けないことです」
「ひ、なんで名前……」
「私は物知りですから」
怒るわけでもなく、にこやかに笑いかけてくる妖怪に、むしろ小鈴の恐怖は高まるばかりだった。
「妖魔本を読む力、あなたにそれがあることには何かしらの意味があるのでしょうが、手を出してはいけないものもあるのですよ」
「ひゃ、ひゃい……」
「あまりに軽率に手を出していたら、もしかしたらその手……食べられちゃうかも?」
「ひいー!!!」
「ちょっと紫、私の友達をあんまり怖がらせないでよ」
ガンガン攻める紫に天子が前に出て止めに入った。
これだけ釘を刺しと置けば大丈夫かと、紫が満足したように下がったのを確認すると、天子はへたり込んでいた小鈴に手を差し伸べる。
「ほら、小鈴大丈夫?」
「こ、こしがぬけてたてにゃい……」
「あーもう、しっかりしなさいよね」
これは一人で立つのは無理そうだと判断した天子は、小鈴の肩を支えて持ち上げると椅子の上に座らせて、落ちていた眼鏡を机に置く。
「とりあえず回復するまで休憩してなさい」
「あ、ありがと……」
「まったく、このぐらいのことで情けないわねー」
「そういうあなただって思いっきり驚いてたじゃない。天人も思ったより臆病なのねぇ」
「う、うるさい!」
紫は軽く天子を小馬鹿にして、大きな欠伸を一つした。
「さて天子、もうここに用はないでしょう? もう帰ってゆっくり寝たいんだけど」
「わかった帰るわよ。あんたの家までスキマ開いて」
「はいはい」
紫にスキマを開かせると、天子は別れ際に小鈴に向き直った。
「じゃあね小鈴、下らないことに付き合わせて悪かったわね」
「天子、早く入りなさい」
「わかってるわよ! んじゃおやすみね」
「お、おやすみなさい」
一足先にスキマへ飛び込んだ天子が、店の中から姿を消す。
次いで紫も後を追ってスキマへ入ろうとした。
「それじゃあ本居小鈴さん、ゆっくりおやすみなさい」
「あっ、ちょっと待ってください!」
急に呼び止められて、紫は足を止めてぐるりと小鈴に向き直った。
その目にまた萎縮しそうになる小鈴だったが、ごくりと喉を鳴らして恐る恐る口を開いた。
「あの、本当にドッキリだったんですか……?」
小鈴の発言にわずかばかり目を見開きかけた紫は、しかしすぐに元の表情に戻る。
「そうですが、それがなにか?」
「……いえ、なんでもないです」
「そう、それでは」
続けて何か言おうとした小鈴だったが、大妖怪を前に結局腰が引けて話を打ち切る。
それを最後に、紫は鈴奈庵から姿を消したのだった。
◇ ◆ ◇
「あーあー、せっかく紫の秘密を暴けるかと思ったのに、ただの悪戯グッズなんて残念」
「残念がる前に人のもの盗んだことについて反省なさい」
「いてっ」
家に戻ってきて寝巻に着替えながら愚痴る天子が、デコピンを放たれて小さな悲鳴を上げる。
「うっ……ごめんなさい」
「そうそう。謝るべきところで謝るのが円滑な交友を成すコツよ。ほら、もう寝ましょう」
「はーい」
紫が部屋の明かりを消すと、光源は窓から差す星明りのみとなり、二人は並んで敷かれた布団の中で横になる。
しかし暗闇の中でも天子は落ち着きなくもぞもぞ寝返りをうち、寝ようと言われたばかりなのにまた紫に話しかけ始めた。
「ねぇねぇ、明日はどうする? 私行きたいところあるんだけど」
「あなたの足代わりにされるのはお断りするわ」
「ちっ」
「それに明日からちょっと忙しくなるの、悪いけれど午前中には帰ってもらうわ」
「えー、なによそれ」
「文句言わないの」
騒ぎ立てる天子を、紫がため息を吐いてたしなめる。
「……その、明日からってことは、何日も掛かるようなことなの?」
「そうね、しばらくは会えないでしょうね」
「それってどれくらい?」
「さぁ……数日か、数週間か」
「ふーん……」
そこで会話が途切れて静寂さが部屋を包む。
ようやく眠れると紫が考えていると、寝付く前にまた天子が口を開き始めた。
「紫、そっち行っていい?」
「はぁ? あなたね、いい加減に寝させて……って、こら勝手に来ないでよ!」
紫の返事を効く間もなく、天子は隣の布団にもぐりこみ始めた。
布団の中ほどから中に潜入すると、頭を外に出して紫と顔を見合わせる。
「へへー、たまにはこういうのもいいでしょ」
「ああもう、あなたは毎度毎度そうやってズケズケと人の領域に乗り込んできて……」
「文句言われてもそれが私だし」
「もう勝手にしなさい」
「んじゃお言葉に甘えて」
呆れて背中を向ける紫だったが、天子は後ろから腕を回して布団の中で抱き付いた。
思わぬ行動に紫は暖かな背中が汗ばむのを感じた。
「暑いわ」
「うん、私も」
「なら離れなさいな」
「イヤ」
「はぁ……」
「…………ねぇ、本当にその気持ちを忘れちゃうつもり?」
小鈴にもされたような問いかけに、今度こそ紫の目は大きく見開かれて驚きがあらわになった。
鈴奈庵で聞いた言葉と違うのは、こちらは天子が確信を持ってたずねているということだ。
思わぬ質問に心臓が跳ねるのを感じながら紫が何も言えずにいると、天子はギュッとより強く背中から抱きしめる力を強める。
「……どうして、そう思うの?」
「わかるわよ。異変からこっち、ずっと紫のこと見てたんだから」
「そういえば、そうだったわね……」
「どうなの、紫」
「……本当のことを答えて、それでどうにかなると思うの」
「ならないわよね、紫って変なところで強情だから」
諦めたような返答は、肯定としか取れないようなものだった。
それに対する天子も、諦めたような達観したような口で紫の背中に話しかける。
「じゃあそれには答えなくていいからさ、別の質問に答えてよ」
「……何を今さら聞きたいのよ」
「その、私のこと好きって本当?」
「へっ!?」
二つ目の質問には心臓と同時に身体も跳ねた。
「ななな、何でそんなこと聞くのよ!?」
「だってあんなの見たら気になるに決まってるでしょ!」
「いやそうかも知れないけど何もこんなとこで聞かなくても」
「忘れるつもりなら今しかないじゃないの」
「ああいやそういえばそうなるか」
「いいから答えなさいってば、答えるまで離してやんないからね!」
あからさまにうろたえて混乱しだす紫を、天子が抱き付いた腕できつく締めあげる。
グッと力を籠められて胸が寄せ上げられるのを感じながら、逃れられなさそうな状況に観念した紫がぽつりとつぶやいた。
「……きよ」
「なんて言ったの? もっとハッキリ」
「好きよ、好きに決まってるじゃないの!」
その魂の叫びを皮切りに感情のタガが外れて、雪崩のように紫の口から想いが溢れだしてきた。
「あぁそうよ、天子のことが大、大、大好きですとも! 好きでもない相手をこうやって頻繁に家に招いて、何度も何度も一緒の部屋で寝たりするわけないじゃない。ここのところ天子のことがずっと頭から離れないし、何かあるたび天子だったらどんな反応するだろうかとか、笑って喜んでくれるかしらなんて考えているわよ。無性に抱き付いてかわいい頭をなでまわしたり、匂いを嗅いでみたりしたくなるし、もう好きで好きで仕方ないのよ!」
息つく暇もなく言い切り、出し尽くした紫は顔を真っ赤に染め上げてグッタリと肩で息をしている。
その叫びを受け取った天子は、紫を開放すると布団から這い出て身を起こした。
「そっか、好きかぁ……えへへ」
思わずゆるみそうになる頬を抑えるが、まだ話は終わっていない。
ニヤつく顔を叩いて活を入れると、寝転ぶ紫に話しかける。
「……うん、ありがとう紫。本当のこと言ってくれて」
「もう、最悪だわ。せっかく誰にも隠したまま忘れようとした気持ちなのに、こうやって掘り出されて。どうにもならないから封印しようと思ってたのに」
すっかり紫はやさぐれモードに入ってしまったようだ。
しかし紫は隠し通せていると思っていたようだが藍や幽々子などにはバレバレだっただろうし、天子自身も少なからず紫の行為には気付いていた。
まぁ、それは言わぬが花かなと思い口をつぐみ、代わりに別の言葉を紫に掛ける。
「本当にどうにもならない?」
「そうよ。自分でもどうかと思うけど、ずっとあなたと一緒にいたいと思ってしまう。気持ち悪いでしょ?」
「ううん、それくら欲深な方が私には良いわよ。それで、そんなものはあんたの立場としては認められないと」
「あなたは知らないでしょうけど、私は幻想郷の裏側で汚いことをしてきた。それなのに今さら、私にリスクを見ないふりをしてまで幸せを享受できるわけがないわ」
「強情だなぁ、もう」
いつもはのらりくらりと人の話を受け流しているのに、ここぞというところじゃ無駄に真面目な紫に天子はため息を吐く。
「……そうね……うん、となると、やっぱりこれしかないわね」
「天子?」
何か考え込んでいる様子の天子に、紫が疑問に思って起き上がると、何かを決心したような力強い瞳と目が合った。
「紫。私、紫が好き」
「えっ!?」
「紫と話すのも、こうやって寝るのも、ご飯食べるのも、戦ったりするのも、とにかく紫と過ごす何もかもが好き! 今すぐ天人辞めてでも紫と結婚したいくらい好き!」
「ちょっ、えっ、天子止めて恥ずかしいから! そんなこと言われたら決心が鈍っちゃうじゃない!」
「それだけ好きな紫には絶対に幸せになってほしい。だから!」
突然の告白に慌てふためく紫が赤い顔を隠そうとする手を、天子は掴んで剥ぎ取ると正面から見据えた。
「いいよ、今は忘れても」
最後の言葉にそれまでのような苛烈さはなく、穏やかですべてを良しとする声に、紫は平静を取り戻すことができた。
「それって……」
「紫は私が好きって気持ちを切り離して、私たちの関係はそれでリセット。そしたら一から、また私のことを好きにさせてみせる。そしてわからせてあげるわ、紫が私のことを好きになるのは、どうにもならない当たり前のことだってことを。これはどう頑張ったって抗うことのできない仕方がないことなんだって、紫が何の躊躇もなく私を愛せるようになるまで、何度だって繰り返してあげる」
それが一番いい道だと目を輝かせて語られ、紫もまた胸の奥が湧き上がる。
つい釣られてしまいそうになるのを抑え、できるだけ冷静に紫は言葉を返した。
「……無茶苦茶ね。私がもう一度あなたに惚れると思うの?」
「惚れるわ!」
「あなたのことをどうとも思わなくなった私は、きっと距離を取るようになるわ。それでも?」
「できるわよ!」
これはもう何を言っても聞かなそうだ。
自分勝手に話を進める天子に苦笑してしまうと、今度は逆に質問が投げかけられる。
「紫はどう思うの?」
「そんなの、絶対また好きになるに決まってるじゃないの」
紫は、ただ迷いなくうなずいた。
これがどうにもならないというのなら、従ってしまうのもいいだろう。
なすがまま流されるがまま、最後にそれを受け入れるために。
◇ ◆ ◇
翌日、鈴奈庵に再び天子が蒼い髪を揺らして訪れた。
「えぇー!? アレやっぱり本当のことだったの!!?」
小鈴が天子から伝えられたことは、昨晩あったという事の顛末だ。
その内容に驚きの声が店に響く。
「ししし、しかももう封印し終えたって……!?」
「うん、ドッキリって書かれてたのは、本を読まれているのに気付いた紫が、その場で読んでる最中にスキマから追記したものよ。っていうか気付いてたのね」
「あぁうん、なんとなくあの日記からは重い雰囲気がしてたから、ドッキリにしては変だなとは」
「へぇ、やるじゃない。いつもは抜けてるのに、勘が良いんだか悪いんだか」
「いやぁ、それほどでも……って、そうじゃなくて、何でみすみす好きな気持ちを忘れさせたの!? そこまで説得できてたなら、そのままくっついちゃえばよかったじゃない!」
小鈴が話を聞いた限り、八雲紫という妖怪は説得の仕方によっては感情を封印することを諦めたように思えた。
しかし天子は否と手を振ってそれを否定する。
「そうかもしれないけどさ、あのままじゃあ忘れるのは止めにしようってなっても、紫の中じゃこれで良かったんだろうかって疑問が残ったと思うのよ。そういうしこりを残させないためには、あいつの心の奥底まで、どう逆立ちしたって最後には私に惚れるってことを思い知らせてやらないとダメなのよ。やるなら徹底的によ!」
大げさにかぶりを振って声を高々に響かせる様子に、小鈴は呆気に取られて口を開いていた。
「なんかすごいね天子、まるで雲の上の人みたい」
「だから本当に雲の上の人だって言ってるでしょが、あんたまさか信じてなかったの」
「半分くらいは。でもやっぱり残念な感じ、これだけ開き直ってたらからかえそうにないし」
「残念がるとこがそこかい。それなら紫でもからかったら? あいつ意外とウブだから良い反応見れるわよ」
「いや、流石に妖怪相手にするのは……」
「まぁいいわ、それより受け取って欲しいものがあってね」
天子がそういって小鈴の前に差し出したのは、昨日も見たばかりである天子への愛がつづられた妖魔本だった。
「え、これって……」
「そう、紫の気持ちを封じ込めた妖魔本。話し合った結果、第三者に預かっていてもらおうってことになって。そもう一度紫に好きだと言わせるまで、持っていて欲しいのよ」
「いいの私で?」
「そのくらいにはあんたを信用してるのよ、紫も私も。妖魔本を変にいじくって、封印を解除なんてヘマはしないだろうしね」
などと言いつつ、実際のところは小鈴に預けたほうが、何かしらの不手際が起こって面白いことになりそうだから、という理由である。
そうとも知らずに小鈴は感激したように目を輝かせて、妖魔本を受け取った。
「そんなに私のこと信じてくれるなんて……ありがとう、その時まで大切に持っておくね!」
「とか言いつつ速攻で表紙めくったわねあんた」
いつのまにか眼鏡を掛けて熟読モードに入ろうとする小鈴に天子も呆れた声を出す。
「そこにある本を読まないとか、本の作者さんに失礼だと思うの!」
「いや、元はただの日記だし、別に紫のやつは読まれることなんて想定してないと思うけど。まぁいいけどね、今回はあんたのおかげで助かったって言ってもいいし。たまたま小鈴に読んでもらわなかったら、もっと遠回りしてただろうからね」
「最終的には同じと言い切るあたり天子らしいというか……とにかく読ませてもらうわ」
昨晩やった時と同じように、妖魔本の文字を指でなぞり読み取る。
その時、小鈴の胸に伝わってきたのは文の意味だけでなく、筆者である紫自身の想いそのものであった。
「……すごい」
「そう? 昨日も読んだ本じゃない」
「全然違うよ! 昨日と違って、封じられた気持ちっていうのが込められていて、それが伝わってくる。天子が好きで好きで仕方がないって、こんなに強い気持ちなら怖くなってもしょうがない」
興奮して饒舌に語る小鈴に、天子はむぅとうなりをあげて気まずそうに帽子のつばをつまんで目を隠した。
流石にこうまで素直に伝えられると、今の天子でも少し恥ずかしいらしい。
「とっても暖かな気持ち……ありがとう天子! 絶対大事にするね!」
「言っとくけど預けたけだからだからね。いずれは返してもらうんだから、そこのとこわかってる?」
「わかってるよ。はぁ、いいなぁ、私のこれくしょんの中でもこれが最高ね……」
「駄目だこりゃ」
悦に浸る小鈴だが、理由は何もコレクションが増えたからというだけではなかった。
この本の真の誕生の瞬間に立ち会い、それを自分の能力で助けることができたのも嬉しかったのだ。
思えば、妖魔本の『内容』をこうして誰かに伝えるのは初めてな気がする。
すべてがそうだとは限らない、だが妖魔本の中には強い想いが込められて、未だそれが解き放たれずにいるものがある。
「もしかしたら、私の力はそういうのを伝えるためにあるのかもね」
「止めてよもう」
「あっ、照れてる照れてる」
「うっさいわ!」
一つの達成感とこの発見の感謝を胸に、小鈴は良き友人を応援するのだった。
結構シリアスなはずなのにハッピーエンドしか見えないのは、天子パワーの成せる技か。素晴らしきゆかてんでした。
電ドリさんのゆかてん待ってました!次も期待してます。
ゆかてんも至高