Coolier - 新生・東方創想話

メランコリックフランドール6

2013/10/01 21:26:00
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※本話はそこそこ大事なところに触れます。前話までに目を通してからお読みいただけるとより一層お楽しみいただけます。

第一話
第二話
第三話
第四話
第五話






 お屋敷の外へ出ると、視界いっぱいに太陽の光が広がる。うんうん今日は快晴のいい天気で気持ちがいい。別にこれといった嬉しい出来事がなくても、ただそれだけで気分というのは勝手に弾んでしまうものなのだ。
 わたしはお日さまのことが嫌いじゃない。温かい光は体に活力を与えてくれる気がするし、空気がさわやかになって洗濯ものがよく乾くようにもなる。少し肌の寒い日なんかはその温もりがもう神さまなんじゃないかってくらい有難いし、逆に真夏の時期の鬱陶しいくらいの暑さであってもその明るさに当てられて元気になれてしまう。……はずなのだが。長年この仕事を務めたせいなのだろうか、わたしは日光を浴びている瞬間に、妙な気持ちになっていらないことを考えるようになってしまっていた――こんなに素敵な太陽が、どうして、レミリアお嬢様やフランドール様の身を焼いて、煙にして、その存在を滅ぼすのか――お二人とこの素晴らしさを共有できないなんて、どうしようもなく素晴らしくて理不尽なことではないか――。
 ……いかんいかん。感傷に浸っている場合ではない。今は休憩ではなくお仕事の一環として外へ出てきたのだから、まず務めを果たさねば。
 わたしがやってきたのは紅魔館の前庭だ。
 紅魔館には一応前庭と裏庭があり、それら全てを美鈴さんが受け持っている。そのため外のお仕事となると普通は美鈴さんと外回り隊の出番なのだけれど、今回はその隊長に要件というか、むしろ美鈴さんがサボタージュっていうか。
 わたしの仕事はズバり「紅美鈴に差し入れを届けること」である。
 本当は咲夜さんが届けるものなのだけれど、肝心の美鈴さんが最近は隠れた場所でお昼寝をするようになっており、咲夜さんが見つけるのも手間だから手の空いていたわたしに後を任せた。というのが事の起こりであったりするのです。はい。
 なんかもうつっこみ所が多い。結局美鈴さんはどれだけ咎められても毎日お昼寝をしていて、それが日を増すごとに巧妙になっている始末。これには流石の咲夜さんも呆れてしまったのか黙認する方向に入ってしまい、簡単に見つかる場所で寝ていない限りはスルーするようになってしまった。この前はなんだっけ、何処にも居ないとメイド全員で探した結果、屋根の隅っこの物陰で寝ていたんだっけか。色んな意味で図太い。これにはレミリアお嬢様でさえため息をついたとかなんとか。
 さて。手にしたバスケットを今一度持ち直して、外回り隊にも差し入れを配りつつ美鈴さん探しだ。
 とりあえず手近なところから。
 前庭には気配なし。裏庭には外回り隊の大多数が居て、咲夜さんリクエストの野菜を育てる菜園場で汗水を流していた。ここで差し入れの大半は消費されるためバスケットとはおさらばして、美鈴さん用だと言われたものだけを包んで持ってさらに探す。外回り隊のリーダー格の子からの情報によれば、比較的疲れていた感じだったのでそこまで凝った場所には居ないだろう。とのこと。
 そういうことならほぼ高確率でここでしょう。
 裏庭と前庭の境目くらいにある、庭仕事用の道具が収められている小屋の中に入ると……ビンゴ。我門番ヲ発見セリ。
 美鈴さんは小屋の隅、積まれた土嚢の上に座り、壁によりかかって寝ていた。
 普段はそこそこ頼もしい印象の美鈴さんも、こうしてお昼寝をしているとかなり女の子っぽい感じがする。いやまぁ女の子だと言われたらそうなんですけど、子って言うのもちょっと躊躇われるし、実際のところ年齢とか素性とかよく分からないし、あと胸回りがかなりアダルトだし、わたしのは人並み以下だし、いや都合はいいんだけど。
 では失礼して。お休みの所申し訳ありませんが起きやがれコラ。
「美鈴さん、めーりんさーん」
 反応なし。どうやら深く眠りこんでいるらしい。
 さてどうやって起こしたものか。とりあえず、ちょっと脅かしてみようか。
「起きないと咲夜さん呼んじゃいますよ?」
 僅かに苦しそうに呻く美鈴さん。夢の中でナイフが飛んできたのだろうか。しかし起きるほどの反応はない。
 じゃあ方向性を変えよう。
「ご飯の時間ですよー。今日の献立はチンジャオロースでーす」
 あ、すっごい嬉しそう。美鈴さんは中華料理が好きという噂は本当だったんだ。
 でもやっぱり起きやしない。
 どうしたものか……じゃ、駄目元で。
「門番、侵入者だ!」
「えっ、マジで?」
 マジで!?
 先ほどまでの深い眠りが嘘のように、美鈴さんは目を開けてすぐに立ち上がる。いや門番としては確かにそうあって然るべきなんだけれど、その前に眠るんじゃない。
「本当だったら色々危ないんですけどね」
「……なんだもー。びっくりさせないでくださいよぅ」
 美鈴さんは安堵のため息を一つついて、再び土嚢に腰を落ちつける。
「そこでびっくりはなんか違う気が」
「いやー今日はそんな感じじゃなかったから」
「どんな感じなんですか。これがメイド長だったら叱られるところですよ」
 そーいう態度はやめといた方が、と遠回しに言ったつもりなのだけれど、美鈴さんはなぜか人差し指を上に立て、ゆるーく振り回してみせる。
「分かりません? 今日は気が危険って感じじゃないんです」
 誰が解説をしろと。
「そもそもその『気』っていうのが、すごく曖昧だと思うんですが」
「それはそうでしょう。あって当然のものは不思議とその何故を放っておいてしまうものですから。気は水や空気と同じくらい一般的なものなんですけど、目に見えず手に触れられないので研究が遅れているというか。
 これはまあ私の知る限りなのですが、気ってものは何かの中に秘められているものじゃないんですよ。むしろそこいら中に満ちているものなんです。私たちは色んなことを繰り返して周囲の気を自分の体内に取り込んで、出している。その時に私たち自身も気を僅かに生成しているから、出す時には少しずつ前と違った気が混じっていく。すると周囲の気というのには僅かながらみなさんの気というものが混じっていまして、それを読み解く限りは、今日はもう超平和なんだろうなってことが分かるんですよ。あ、この気は空気とはまた違いますよ?」
 話の筋はなんとなく理解できる。が、わたしはその気というのを知覚することができないので真正面から頷くことはできない。なんでだろう、この館ってこの手の話しをする方が多い。フランドール様然り、レミリアお嬢様然り、咲夜さん然り。ってほとんどは間接的に聞いただけか。
「それ、危険を当てた試しがあります?」
 最低限、そういう実例があったら話し半分に聞いておくくらいはできるのだけれど。
 美鈴さんは笑いながら返す。
「危険だった試しがないんですよこれが。だから信じるか信じないかはおまかせします」
 それはそれでいいことなんだけどさぁ。もうどうしろってんだ。
「もう、分かりました。じゃああんまり信じないことにします」
「はい。その方がいいと思います」
 え?
 わりと困らせるつもりで拗ねた調子で言ってみたのだけれど、肩すかしをくらったというかなんというか。美鈴さんはネタとしておどけるでもなく、信じてもらえなくて残念がるでもなく、ごく自然に肯定した。なんか、おかしい。上手くはぐらかされてしまったのか? いやそれとも違う気がするような。
 深く訊ねてみたい気もするのだけれど、スパンと話が区切られてしまいうまく切り返せない。しょうがない少し切り替えよう。というか一つ気になることが思いついたので、冗談交じりに訊いてみよう。
「その能力の使い方って、レミリアお嬢様の力とけっこう被ってません?」
 すると美鈴さんは、ないないと手を振って見せる。
「被ってるだなんてとんでもない。確かにフィーリングは似てますけど、ベクトルが全く違います。
 私は飽くまで周囲の気を取りこんで読みとっている受け手。レミリアお嬢様は自分の力で自身の方に吸い寄せてしまう攻め手。しかも私は意識してやらないとできないのに対して、レミリアお嬢様はほぼ自動で発揮しているのですから、規格でさえも桁違いです。っていうか私がいくら気を放出したところでみなさんの運命を変えるとかできませんし」
「でも体調を整える事はできましたよね。その節はありがとうございました」
「どういたしまして。とは言ってもあれは活力を相手の受けれるだけ、私の出せるだけしか補充することができないのです。注入し続けても120%になったりはしませんし、私の持っている気を損失なしで渡すこともできませんし、相手の気が乱れ過ぎていると上手く渡せなかったりと、何かと器用貧乏なんです。レミリアお嬢様の力はそこを余裕で突破するのがすごいんですよ。誰彼状況関係なく自分と同じものにしちゃいますから」
 なるほど。そういうことなら確かに被っているとは言えない。規格の違いも、在る程度のコントロールできるという利点で帳消しにできるか。
「で、それって自分自身には有効じゃないんですか?」
「私はある程度の気をいつも貯めてますから、有効っちゃ有効ですけど。もうずっと風邪なんて引いてませんよ」
「では何故お昼寝を?」
 気で活力に満ちているのならば、お昼寝なんてしなくてもいいのでは? という疑問は至極まっとうだろう。メイド長だってきっと同じ質問をするはずだ。
 美鈴さんはすぐ返答する。
「いいところを聞いて下さいました――実を言うとですね。気を貯めたり読んだりするのには、寝るのが一番効率がいいんです!」
 あ、いや、あの。
 眩しい笑顔で力説されても、なんだ、困る。
「……そんなあやふやな力と定義で、さらに寝るのが一番上手く使えるだなんて、どう頑張っても傍目にはただサボって寝てるだけにしか見えないんですけど」
「咲夜さんにもまったく同じことを言われました」
 この門番パねぇ。ダメな方向で。
「もう!? というか言っちゃったんですか!」
「はい、そりゃあもう詳しい解説つきで。
 すると咲夜さんは、『でしたら最低限、私に見つからないようにしてください』って言ってくれたので、今の状況に落ち着いているわけなんですよこれが」
「え、ちょ、それ黙認っつーかほぼ了承じゃないですか!」
 驚きだ。こんな嘘か本当かぎりぎりのお話を、咲夜さんがあっさり認めてしまうなんて。メイド長という立場的には、寝言は寝て言え、いや今のは嘘だ寝るんじゃないとブチ切れてもいいところなのに。
「そんなわけで私は仕事の範囲ギリギリなお昼寝をできるようになりました。ところで三号さん、何かご用件でしょうか?」
 おっと。そうだ最初の目的はそれだった。うっかりお喋りが先になってしまった。
「失礼しました。そのメイド長から差し入れがありまして」
「おお、ありがとうございます」
 持っていた包みから飲み物と軽食を渡す。
 受け取った美鈴さんはご丁寧に手を合わせてから、早速飲み物の蓋を開けてぐいっと一口飲み、しばらく味見してから、?と困惑気味に首をひねる。
「……あ、あの。これなんかいつもの咲夜さんの紅茶じゃない気が。すごくスパイシーなんですけど」
「はい。何でも今回はマサーラー・チャイという形式の紅茶なんだそうです。普通の紅茶の材料のほかに、香辛料を使っているとのことです」
「うわぁそれで……なんというか、こう、目が覚める」
 なるほどうまいこと考えたな咲夜さん。飴に鞭を練り込んで出すとは。
 後にメイド長から聞いた話によると、なんでもこの紅茶はかなり実験的に作ったもので、ついでに言うなら対美鈴用の味付けなのだという。またこれは後に門番から聞いた話なのだが、紅茶と言うには攻撃的すぎる味付けなのに、これ美味しいクセになる流石メイド長だぜ。とのこと。こいつら仲がいいのか悪いのかよく分からない。
 さて。では偶然にもシチュエーションが出来てしまったので、一つあの事でも聞いてみよう。今ならうっかり口が滑りやすい感じだし。
「ところで美鈴さん。ちょっと聞きたいことがあるんですけど」
「何でしょうか?」
「はい。わたしの前任者――フランドール専属メイドの、一号さんと二号さんについて、二人がどのような方であったのか何か知りませんか?」
 すると美鈴さんは、デザート風サンドイッチを食べる手を止めて、きょとんとわたしを見つめ返してくる。
「あれ、ご存知じゃないんですか?」
「これがもう酷い話でして。引き継ぎとか一切なしにわたしは三号として働き始めたのですが……そろそろ前任者の失敗を学んでおきたいなと思いまして」
「ははぁ。それは素晴らしい。三号さんは仕事熱心ですね」
 その評価はどうだろう。仕事というよりは個人的にやっていることなので、その褒め言葉を素直に受け取ることはできない。
「生憎とわたしはこの仕事を降りたくないっていう、わりとネガティブな方向の感情で動いておりまして」
「そうでしたか。ということは、この仕事を気に入っているのですか?」
「ええ」
「どのあたりを」
「ぶっちゃけると、フランドール様を。です」
「ほほう。それはどのようなお気もちで?」
 おいおい、なんか変な勘ぐりになってませんかい。
「と、言うと?」
「ほら。咲夜さんってかなりレミリアお嬢様のことをお慕いしている節があるじゃないですか。主人として崇拝しているっていうか、ガチで仕えているっていうか、傾倒しすぎて目もあてられねぇっていうか」
 言われてみれば思い当たる節はある。咲夜さんはレミリアお嬢様と居る時に普段と違った雰囲気になる。ちょっと血を吸わせろと言われれば、即どうぞと脱ぎ始めてしまいかねない、一線なんて踏み越えるどころか最初から引きちぎられているような感じになるのだ。そこに咲夜さんのどういった意思が込められているのかはまったくもって想像がつかないのだけれど、仕事と割り切るだけでは絶対に到達することのできない所まできていることだけは確かだ。
 改めて自分自身に問いかけてみる。わたしは、フランドール様のことをどう気に入っていて、どうしてこの仕事を辞めたくないと思っているのか。
「……ううん。ちょっと明確な答えは出ないです」
 が。予め考えてもいないことが今この場で分かったりするはずがないのであった。一先ずは正直なところと、これだけは言えるということを告げておこう。
「ただ、そういうのとは――お慕いしているから傍でお役に立ちたい、というのは違うとだけは言えます」
「ふむ、ふむふむ。なるほど。分かりました――」
 と、美鈴さんがここで紅茶を啜って視線を切る。
「いや実を言うとですね。申し訳ない話なのですが、私から一号さんと二号さんについては特に申し上げることはないんですよ」
「え? なんでまた」
「お気づきではないようなので一つ指摘させていただきますと。私が門番を始めたのって、三号さんがフランドール様専属として勤め始めたのとほぼ同時期なんですよ。正確に言うとちょっと後くらいでしょうか」
「え、うそ。そんな頃からでしたっけ?」
「はい。パチュリー様あたりに確認をとれば分かりますよ」
「あっれ……なんかもっと前から居たような気が」
「勤め始めた頃はよくそう言われました。あんた門番として馴染みすぎてるって」
 もう彼方へと追いやられた記憶――わたしがまだ三号と呼ばれる前のことを頑張って思い出してみる。
 すると、確かに。いつの間にか門番の紅美鈴というのが居たことは覚えているし、それ以前には居ないというのもなんとなく合っていると思い出せてしまう。というかわたしは咲夜さんの前のメイド長のことをさっぱり思い出せないくらいなので、専属として勤め始めた当初のことなんて、記憶としてはかなり疑わしい。あの頃は本当に生きるか死ぬかなんて思ってたなぁ。
「いや失礼しました。言われてみれば確かにそんな気がしなくもないです」
「いやいやこちらこそ。お力になれず申し訳ありません」
 いや、ちょっと待ってなんかおかしい気が……そうか。
「すいませんもう一つ。美鈴さんはどうしてフランドール様のことをご存知なんですか?」
 フランドール様のことは、この屋敷の機密事項の一つだ。それを知っているのでわたしも美鈴さんが古参だと勘違いしたのですが、わたしより後となると余程の事情が無い限りは知ることができないだろう。
 すると美鈴さんは、顔をこちらに近付けて来て急に小声になる。
「あまり大きな声で言えない話なのですが。私は元々、四号候補としてこの屋敷に勤めることになったんですよ」
 なんてこったい。あの魔女は最初から次の候補を立ててたのか!
「三号さんがとてもうまくやっているので、四号は徐々に慣らしていこうという方針でやり始めたのです。
 とりあえず得意分野の花管理からやらせてもらっているのですが……これが中々レミリアお嬢様に気に入られてしまいまして。いつの間にか私は、四号候補ではなく庭係兼門番という扱いになってしまったのです」
「そんなことが……じゃあもしかして、美鈴さんの気を扱う程度の能力って」
「はい。フランドール様の治療の役に立つのでは? と考えられていました」
 気が狂っているのなら、気のスペシャリストに頼る。確かにすばらしい提案だと思うのだけれど。
「過去形ということは、駄目だったんですか」
「お恥ずかしながら。先ほども申しましたように相手の気が乱れ過ぎているとうまく渡すことができないんです。フランドール様は良い方向と悪い方向の二極で、両方気が滅茶苦茶なんですよ」
 あー。その表現はよく分かる。フランドール様はなんというか、ニュートラルな安定した状態で居られることがかなり少ない。調子がいい時は基本、調子が良すぎる状態と言っていい。
 うわーそれにしてもやらかしてしまった。そっか美鈴さんにはそういう事情があったのか。
「……ところで。今さらなんですがわたしがこういうの聞いて回っていると他言しないでいただけませんか?」
「あっはは。お安いご用というか、よっぽどのことが無い限りフランドー様関係については誰かとお話したりしないので、大丈夫ですよ」
 よし一安心。とりあえず言質はとった。
 となると残りはパチュリー様とフランドール様自身か。


 外回り隊への差し入れを届け終わり、そろそろフランドール様へお茶を出しに行こうかなというところで、ロビーで一人の妖精メイドに呼び止められる。
「すいません三号さん、お手伝いしていただけませんか」
「どうかしました?」
「今からレミリアお嬢様の『仕事』が始まってしまうんです!」
 うわあい。ちくしょうタイミングがバッチリすぎる。良い方にも悪い方にも。
「分かりました。今回は咲夜さんの付き添いなしで?」
「……今回から絶対に外すようにとレミリアお嬢様からの指示がありました」
「ありゃ、やっぱりですか」
「陰で嘔吐しているのを見たら、もう頼めませんよぉ!」
 ちょっと慌てているこの子も結構きているので、今回はこのまま人員確保と裏方に回ってもらいましょう。わたしはささっと支度を整えて、レミリアお嬢様のいるであろう紅魔館の奥の部屋へと急ぐ。その途中に頭の中を切り替える。みんなとお喋りする古参のメイド妖精でも、フランドール様のお世話をする三号でもなく、名前のないメイド妖精の一人としての自分を引っ張り出す。
 いつもの屋敷の奥へと辿り着くと、準備が半ばといったところだったので支度を手伝う。ここは長年使われていなかった部屋を改めて『仕事』用の部屋として改装したものなので、何かと不便なことが多くて使い勝手が悪い。臭い物になんとかをしておく分には都合がいいので最悪ということはないのだけれど、もうちょっと頑張って整備しておくべきなのだろうか。
 ――先の吸血鬼異変の折、幻想郷に残ることを許された紅魔館とその住人たちであったが、当然と言うかなんというか、八雲紫という妖怪からある一つの条件が提示された。
 この条件というのがレミリアお嬢様の『仕事』なのですが、これがかなり内容がえげつない。あのスーパーメイドの咲夜さんでさえ思わずゲロってしまったという……いや逆か、咲夜さんだからこそ耐えられなかったと言っていい事だろう。実際メイド妖精に嘔吐した者は居ないし、内容を聞けば誰だって納得する。
 その内容と言うのは、幻想郷からしてみれば汚れた仕事であり、レミリアお嬢様からしてみれば手順の多い食事であり、咲夜さんからしてみれば同種族への一方的な暴行というもの。つまり、吸血鬼の吸血鬼たる所以の、吸血行為である。
 で、どうしてわたしたちメイド妖精はこれを『食事』ではなく『仕事』と呼んでいるのかを説明しますと。実は八雲紫から出された条件には細かい指定が二つありまして、一つ目は吸血する人間について。これは八雲紫がその能力を使ってこの館に直で届ける人間限定となっていて、そこいらの人間を勝手に襲ってしまうことは暗に禁止とされている。しかもこの人間は全て罪人。つまりこれは人間側からしてみれば恐怖の処罰なのである。二つ目はその人間への吸血度合いへの指定で、その人間が犯した罪によってかなり異なる。本当に一口だけしか吸わないケースもあれば、わざわざ何度も牙を立てるケースもある。しかし殺してしまうのは相当なレアケースで、一度うっかり殺してしまった事故が一つと、この間のやつが殺すべしと注文の入った最初の案件で二つと、これだけだ。二つ目の方は、精神的に生きているのを後悔させた揚句、肉体的にもダメージを与えつつ致死量を二日かけて吸い殺すという内容で、そりゃあいくら咲夜さんが完全で瀟洒といっても同じ種族の者がそういう扱いを受けている現場はキツいだろう。わたしだって妖精がそういうコトになったらリバる自信がある。今回の吸血方法は……何々、瀕死にならない程度にかつ、幼い女の子に近付けないように恐怖させるべし。おい何をやった人間を寄こすつもりだ。
 極めつけは、まあなんというか、レミリアお嬢様自身だ。
 実はレミリアお嬢様はかなり小食。そもそもあまり血は吸わず、普段から食事そのものが素っ気なかったりする。人間の血液の致死量は確か二リットルで、レミリアお嬢様が一日一回するかしないかの食事で摂るのはおよそワイングラス一杯分。大体十分の一程度しか吸わないので、実は吸血行為そのものでは応急処置さえしっかり行えれば滅多に人死にが出ない。またレミリアお嬢様は、血を吸った後の人間に対してすごく淡白になる。どうやらその人間がまだ血を流して恐怖していようが、レミリアお嬢様に殺して欲しいとせがむくらい好意を寄せていようが、どちらも残飯のようにしか見ないらしく後の処理を全てメイドたちに任せてしまうのだ。
 これらのことから、わざわざ八雲紫の意向に従って、かつ普段の食事以上の手間をかけるため、この吸血行為は『仕事』と呼ばれるようになった。
 さてと。準備も整った所でタイミングよく今回の被害者、もとい罪人が数人のメイドたちによって連れてこられる。
 それを手早く締め上げて、すぐに伝達役をレミリアお嬢様の元へと向かわせた。


 事後処理を適当に済ませつつ、こっそりと備蓄用の血液を補充しておく。怯えて血を流している人間の方には申し訳ないのだが、こちとら最重要の使命は二人目の方。そっちの分はお詫びもするので、ちょっと食べ物を分けてくださいな。
 今回のレミリアお嬢様もハンパなかった。お決まりの文句「お前は今まで生きたものを殺して食べてきたけれど、自分が食べられそうになったことはあるかい?」から入り、相手が理解しようが恍けようがお構いなく実際にブスリと行く。そのまま喉をこくこくと鳴らしながら血を吸われれば、誰だって自分の状況に恐怖する。あとは注文通りに相手を痛めつける。この時はほとんど歯を突き立てるだけで、さらに血を吸うかどうかは注文と味次第になる。今回は可哀そうなことに注文は苛烈なのに相当不味い血であったようで、二口目は「不味い! 返すから自分で味を確かめろ!」と吐きだす始末。効果は抜群で人間は錯乱気味になるんだけど、お願いそういうのやめてください床の掃除的に。『仕事』の時のお嬢様はサディスティック過ぎて困る……どうやらこんな用意された狩りでも、このように乗り気で継続しているあたり、わりと気に入っているようだ。
 備蓄用だと他のメイドに言って聞かせつつフランドール様用の血液を確保し終えると、人間に手当てをしつつご退場していただく。その後、レミリアお嬢様が口直しにと紅茶を飲んでから退室。見届けたわたしたちメイド妖精は、てきぱきと床の掃除をはじめる。血は中々落ちないので結構な重労働であったりする。レミリアお嬢様の部屋にももう消えない血の跡があるのだが、吸血鬼的にはあんまり気になる要素ではないらしく咲夜さんが別の部屋に移りましょうという進言しているのだが一向に応じる気配はない。ってかこの部屋の血の跡も相当だな。毎回気をつけて清掃をしているつもりなのだけれど、どうにも残って消しきれない。
 それにしても――いつも思うのだけれど、フランドール様ってこういうことしないよなぁ。
 吸血鬼の食事なんだから、レミリアお嬢様のように人間から生き血を啜っても良さそうなものなのに、口にするのはいつも血を練り込んだ紅茶やお菓子ばかり。いや、わたしが当初の教えを守り続けてそれしか出していないというのもあるのだけれど、本人からのリクエストでさえもないというのはちょっとおかしい気もする。たまには生き血すすりてぇー、とか。たまには生の果物食べてぇー。ってノリで言っても良さそうなんだけれど。
 そういう視点から見ると、やっぱりフランドール様はちょっと変わっている吸血鬼だ。B型の血だとうっかり死亡事故を起こすレミリアお嬢様の方が吸血鬼としては健全だと言えるだろう。ううん難しいな。やはり吸血鬼が相手となるとこちらの既成観念が合わないことが多い。あとは単純に甘党なだけかもしれない。紅茶にいつも砂糖ガンガン突っ込むし。
 まあ考えても、考え過ぎても、栓のないことだろう。レミリアお嬢様だって甘い物を喜んで食べるし、わたしたちだって調理した食べ物の方が好きなんだから、吸血鬼だってそうなのかもしれない。さっきの不味い臭いと散々罵った血だって、調理した後だと普通に食べてくれるし……そういえばこの前、咲夜の作るカスタードプリンは苦すぎるからちょっとお前作れって指名されたなぁ。わたしのカラメルソースは基本失敗して激甘になってしまうのですが、レミリアお嬢様的にはそちらの方がいいらしい。わたしは咲夜さんのバシっと苦みの利いた奴の方が断然カスタードプリンとしての完成度は高いと思うし、実際紅魔館では超のつくほど人気のあるデザートなのですが。後に咲夜さんが甘い方も開発したのは内緒なんだぜ。


   ◇


 ある日のこと。わたしはフランドール様とテーブルを挟んで、将棋をしていた。
 こう書くとちょっとカッコイイ感じがしなくもないのですが、実際はまあ、なんというか。八枚落ちという超ハンデ付きでの戦いだったりします。
 将棋を始めて二日ほどで小悪魔さんが図書館から将棋のルールブックを引っ張り出し、そこに記載されていたハンディキャップのルールをフランドール様が見つけると、わたしは将棋の相手としてカウントされることになってしまった。
 いやいやあれです。最初の一戦でうっかり勝ってしまったのがいけなかったんです。そりゃ初めて十枚も落とした状態での対戦なんだからまぐれだって起きやすかったんだけれど。まぐれなんですってば。ちなみにルール上で規定されているハンデは六枚落ちまで。今はわたしが頑張ってそこでの互角の戦いを目指しているのだけれど……今日は既に一回負けている。
「ところでさ。当日ってどうやって館の状況を把握するの?」
 わたしの手番で考え過ぎて煮詰まりかけたころ、フランドール様がそう訊ねてくる。丁度いいので思考を切り替えてお話開始。
「あ、はい。小悪魔さんにちょっと頼みまして、まず小悪魔さんに情報が集中するように屋敷のメイドたちに当日の連絡網を作りました。で、そこから小悪魔さん当人にこちらへ来てもらうようにしてあります」
「へぇ、メイド長がよく許したね」
「もちろん作る時は咲夜さんメインに話しを進めました。当日の動きを全て把握するために機能を分散しておきましょうってかもうこんな感じに作ったけどどうでしょうか? って提案したら、珍しく仕事が早いですねって承諾してくれました」
「……三号、仕事遅いの?」
「咲夜さんから見ればみんな止まってるくらい遅いと思いますよ?」
「あっはは。時が止められるんだからそりゃそうなるよね」
「そうでなくても基本平和でぽやぽやしているのが妖精ですから。緊急時の対応なんてわたくし考えもつきませんでしたし。咲夜さんもそういうトコロが分かってきたみたいなので、それも踏まえてのことかと」
「なるほど。
 話しちょっと変わるけど、じゃあ最初の異変の時って妖精メイドは何してたの?」
「基本居残りでバリケード役だったらしいです。ディフェンス側にはメイドの大半と美鈴さんが居て、妖精じゃなくてそこそこ戦えるメイドと、その他名前のある方がオフェンス側として動いたとか。なんかオフェンス側にはこちら側に取り込んだ幻想郷の妖怪たちも居たそうです」
「すっごいなぁ。お姉さまってば結構本気だったんだ」
「はい。つまり今回も間違いなく事は起こります」
「だね」
 ここいらでノリを借りて最善っぽそうな一手を差してみる。
 それを受けてフランドール様は少しだけ考えて、わたしが悩んだよりも遥かに早い時間で駒を差し。
「詰みかな」
 なんて宣言してしまうのである。
「え? あー……ほんとだ。無いです」
 盤面の上ではなんかまだ戦いになりそうな形勢ではあるんだけれど、実際は残り数手も差せばにっちもさっちも行かない敗北状態になる。そうフランドール様に遅れて三秒ほどで気づき、投了。実に三十七戦中三十六敗目の出来事である。
「うーん。将棋ってやっぱり難しいですね……」
 これがオセロくらいだったら、まだ僅差で勝つこともある。もちろん、四隅を先に埋めておいてかつフランドール様が本気を出さないというハンデつきの話しではありますが。
「この間は久しぶりに勝てそうだったのにね。今日は三号調子悪い?」
 どちらかというならフランドール様の調子が良い。しかしあえて言わないでおく。
「きっと糖分がまわっていないせいですよ」
 なんでも将棋をプロ競技として差している方々は、あまりにも脳を使いすぎるので対局中に甘い物を食べて糖分を補給するのだとか。
「そういうのはもうちょっと戦えるようになってから言うとカッコイイのになぁ。ま、いっか。お茶にして」
「かしこまりました」
 そう返事をしつつ将棋セットを手早く片付けて、お茶を用意しに厨房へと行く。
 いつもの定時であれば、咲夜さんがほぼ仕上がっているお茶セットを地下近くまで運んでくれるのだけれど、今はまったく違う時間帯なのでわたしが準備する。お菓子は作り置きのでいっか。お茶だけささっと淹れて、地下へと戻る。
 作法に則ってお茶を出すと、フランドール様は一口飲んですぐに「三号が淹れたんだね」と呟く。
「分かります?」
「ずっとメイド長のだったから、すぐ分かったよ。この紅茶の香りがこってりしてる感じ、今の茶葉で飲んでみたかったんだ」
 おお、なんと。こういうこともあるのか。っていうか意識して薄く淹れたつもりだったけどやっぱり濃いのか。さすがすぎるぞわたし。
 そのまま二人でティータイム。作り置きのお菓子はマカロンというやつ。咲夜さんと一部の調理担当メイドしか作り方を知らない秘密の一品だ。
「さっきの話の続きなんだけど、もし小悪魔から連絡が来たら、その後はどう行動するの?」
「小悪魔さんが戻ったのを確認してから、こっそり一階の近くまで移動しましょう。メイド長が倒されたら連絡役の子が地下に飛び込んで来るので、入れ違いで地上へ上がろうかなと」
「なるほど。ところで当日この部屋って隔離するんだっけ」
「咲夜さんと交渉して、抜け道を用意していただきました。ドアからは絶対に入ることはできないのですが、クローゼットから出入り口に通じるようにしていただきました。なお抜け出た先は地下図書館の出口になっております。地下図書館へは屋敷入口から入れて、パチュリー様がギブアップすると屋敷内のロビーへ出られるようにするのだとか」
 と、ここでなぜかフランドール様は難しい顔をする。
「……なにそれすごい。いくら空間を切り貼りできるからってそんなに多くを一度に操れるなんて。これは案外メイド長が倒しちゃいそうかも」
「そうなってしまうとわたしたちの計画はご破算ですが、そこは侵入者の実力に期待しましょう。咲夜さん時間を止めれちゃいますけど」
「どうだろ。スペルカードルールって時間を止められるから有利ってわけでもないと思うな」
「え、そうなんですか?」
「だって時間を止めている間にトドメを刺しても、それはスペルカードに負けたわけじゃなくってその能力に負けたことになるでしょ。それはルールの本質に反するから、『スペルカードを展開して、相手に見せる』っていう延長線上にその能力を使うしかない。だから時間停止にもあんまり旨みはないかなって。暗殺ならともかくね」
「なるほど。それなら空間操作の方がスペルカードルールの中ではまだ使い勝手が良さそうですね。
 とまあ、そこまでが地上に出る流れで、後は侵入者を見つけてスペルカードルールでの決闘を申し込むわけですが、そちらの方の準備は如何ですか?」
「ばっちりだよー。はりきっていっぱい作っちゃった」
 言いながらフランドール様はノートのページを見せてくれるのだけれど、いやもうなんつうかはりきりすぎだと思う。想像以上に内容が濃い。
「はい、では準備は整っておりますので、あとは異変が起こるのを待つだけです」
 うん。なんか内緒の計画のせいか、わたしまでわくわくしてきてしまったぞ。
 なんてこちらの静かな盛り上がりを余所に、フランドール様はどことなく落ち着かない素振りだ。
「何か不安なことがありますか?」
「あ、うん。ちょっとね」
「解決可能なことでしたら、片付けておきますよ」
「うーんそういうのじゃなくって。三号的にはそれでいいのかなって」
「わたくし的に、ですか」
「うん。だって三号は私と出るのを侵入者の居ない時にしろって言われたんでしょ? すごく命令違反じゃない」
 なんと。
 こちら側の、それもわたしの心配をしてくれていたなんて。ちょっと感動を覚えてしまう反面、頭の中の冷静な部分が真っ赤な緊急警告を寄こしてくる。まったくもってその通りだ、この命令違反はわたしの三号としての仕事さえ危うくしてしまう。全力で撤回した方がいい。
 しかし、しかしだ。
「お気遣いありがとうございます。
 でもこれでいいんですよ。そのくらい大きなチャンスなんですから。っていうかフランドール様が侵入者を撃退してしまえば、命令違反が一転して英断になりますし」
「そりゃそうだけど。もー、プレッシャー増やさないでよー」
 言葉とは裏腹に、困ったような嬉しいような、まんざらでもない表情を浮かべるフランドール様。
「大体、勝てるかどうか分からないよ」
「いやーそっちの心配はほとんどしておりません。フランドール様なら余程の相手だって軽く一ひねりにしちゃいますよ」
「そんなことないって。それに相手が普通の奴じゃなくって、私たちみたいな吸血鬼退治専門のヴァンパイアハンターだったら、流石に無理だよ」
 ヴァンパイアハンター。というのはこの間フランドール様が読んでいた伝奇小説の主人公の生業という架空の職業なんだけれど、吸血鬼がここに実在している以上現実に居るということも……あるかもしれない。
「大丈夫ですよ。ハンターさんがスペルカードルールに強いというわけではありませんし。
 わたし的には、レミリアお嬢様をやっつけたという噂の八雲紫が大本命だと思いますね。吸血鬼異変の再発防止策としてのスペルカードルールの制定を良しとするくらいですから、きっと自信があるのでしょう」
「うわそんなの勝てないよ。じゃあその八雲さんが来たら中止ってことで」
「いいんじゃないんですか。そんな強い相手となら負けて当然なんですから、果敢に立ち向かったということで負けるのもありだと思います」
「あー、そういうのもアリか。そうだよね全力出して負ける相手なんだったらそれでいいのか。勝つために出るわけじゃないし」
 ま、そうなったら十中八九この館は落ちていると思う。あとフランドール様はきっとやる以上は全力で挑むはず。とは心の中だけで付け加えておく。
 そんなこんなで会議から雑談へ移行し始めた頃、丁度お茶菓子もフランドール様のカップも空になる。それを見てからわたしも飲み干し、退路を確保してから改めてフランドール様に向き直ってみたりなんかする。
「どしたの三号?」
「フランドール様。少し聞きたいことがあるのですが、よろしいでしょうか」
「うん、いいけど」
「では。
 ちょっと今さら感のある話なのですが、わたくしは三人目なので、このお仕事には一人目と二人目が居たと思うのですが……ずばりどんな方だったんでしょうか。わたくし面識がないもので」
 今まで。かなりの年月触れなかった話題だから、可能な限りソフトに訊ねてみる。
 それを聞いたフランドールは、少しだけ目を見開いてから、小さく、けれど長く息を吐き出す。
「どうしよっかな……ね、知りたい?」
 ううん。なんて返答に困る切り返し。
 ここで大事なのはソフトさである。同時に、方向性の定まったものをソフトにして差し出すべきなのである。
 だから「できれば」なんて曖昧な言葉は避けまして。
「はい。聞くことができたらちょっと嬉しいです」
 シンプルさと素直さも忘れない。そうすればほら、変な邪推ができませんから。
 するとフランドール様は、目を合わせず、けれど少しだけ微笑んでくれる。
「分かった。じゃあ前任者のこと、話してあげる」
「ありがとうございます」
「いいんだって。いつかは話したいって思ってたし」
 良かった。言葉だけかもしれないれど、フランドール様がそう言えるだけの余裕がある話題なようだ。
 フランドール様は手を組んでから、少し記憶に耽るような感じで語り始める。
「二号はね。これは前に話したことだと思うけど、とっても真面目な子だったの。今のメイド長なんか比じゃないくらいに。
 あ、でも子っていうのもちょっと失礼かな。見た目はそう……私よりは大人っぽくて、パチュリーや三号よりは確実に幼いくらいの、妖精じゃないメイドだった。
 あと、二号の真面目さは規律を重んじる模範の鬼みたいなタイプじゃなくって、どんなことにも全力で体当たりしてくるいつでも真剣ってタイプなんだ。だから、理解するまではすごく鬱陶しかったんだけど、一回分かったら結構可愛かった。
 二号の事が理解できてから、二号は私に数学のことを教えてくれたんだ。フランドール様はこういうのが好きなハズってかなりの間考えてくれてたみたい。って言っても二号が教えてくれたのはさわりだけ。あとは私の方があっという間に理解しちゃって、そのうちにムラサキさんが教えてくれるようになるまではほとんど独学でやってた。それからは二号は色んなことを教えてくれるようになって、お花を使った理科の実験とか、裁縫のやり方とか、ぬいぐるみの作り方とか、お姉さまのリクエストでマナー全般の教育とか……あとお酒だとか、性教育とか、テーブルゲームとか、イカサマのやり方とか、ぷろれすごっことか……図書館でマンガを勧めてくれたのは二号だけだったなぁ。それまでずっと小説とか文字ばっかりの本しか読んでなかった私に「すごくいいことなんですけれど、だからと言ってマンガの面白さを理解しないのは勿体ない」なんて言ってくれて、マンガを読ませてくれたの。オサムもいいけど私は断然ショータローかな」
 わたしの中の二号さんイメージ像が急速にビルディングされて、あっという間にやさぐれてしまう。生真面目って奴は何をするにしても全力投球してしまうのか! あと薄々感づいてましたがこの部屋のぬいぐるみは全てフランドール様の自作なのか。
「そのうちに二号とはすごく仲が良くなって、色んなことを経験したり、でもやっぱりたまに喧嘩なんかしたりして、しばらくした後かな。二号は鬱っていう症状のことを徐々に理解していったの。
 私はやっぱりよく駄目になるから、その駄目な状態をなんとかしてあげられないかなって――すごいよね、一線を越えるための原動力が真面目さなんだから、今でも本当に脱帽ものだと思う。
 でも、それから二号にだんだん元気がなくなっていったの」
 そこでフランドール様は、ふとわたしの方へと向き直る。
 まっすぐにわたしの瞳を見据えて、続ける。
「二号はこれでフランドール様のことが分かるようになる、なんて言ってどんどん理解を深めて行くんだけれど、気が狂うことを正しく理解すればするほど、自分の気も危ういところに近づいて行くの。鬱はうつるんだ。だって理解するっていうことはそのメカニズムを知るって言うことで、意識的にせよ無意識の内にせよ、鬱を自分の中に作ってしまう事になるの。
 そうなってしまうと分かれば二号は対策のとりようもあったんだけど、二号は自分がそうなるなんて思いもしなかったから、最後の最後まで自分が鬱になってしまっているなんて気がつかなかった。結局、仕事ができなくなってからやっと自分がおかしいことに気がついて、療養するために外へ出て行ったんだ。
 ――うん、これが私と二号の大体の流れかな」
 勇気を出して聞いておいて良かったと思う。
 そうか、パチュリー様が散々深入りするなと忠告したのはこのためなのか。
 わたしがうっかりフランドール様について親身になり過ぎていた場合、もしかしたら二号さんと同じ轍を踏んでしまっていたかもしれない。わたしはすごく真面目というわけではないけれど、フランドール様のことが嫌いじゃない感についてはわりと強いと自覚している。
 なんて内心で冷や汗をかく間もなく、フランドール様は急に身を乗り出してくる。
「ところでさ。二号ってけっこうオシャレさんで、しょっちゅう髪形をいじったりなんかしてたんだけど、三号っていつもこの髪形だよね。いや三号のはショートなのに凝ってて似合っているんだけどさ」
 おおう……話題と雰囲気のチェンジが早くて困る。
 あまり思考をすることなく、とりあえず自分の髪に手を触れてみる。けっこう手間をかけてカットしてもらっているのだけれど、話題に上がるとは思ってもいなかったのでちょっと嬉しかったりして。
「そうですね。もうずっとこの髪形で通してます」
「二号は女の子らしさを追求してるんですよーって言って色まで変えてたりしたよ。そこのところ三号的には……もしかしてあんまり理由ない?」
「似たような感じです。わたしは、こだわっておいたショートヘアで可愛さも女らしさも何もかも表現できるなら、それが一番カッコイイかなと考えておりまして」
「すごい。その姿勢がそもそもカッコイイ。じゃあもうほとんど目標達成してるね」
 しているのだろうか? わたくし的にはまだまだなんだけれど、嬉しいので「ありがとうございます」と返しておく。
「でもそうか、色を変えるという発想には辿り着きませんでした。真っ黒にするのはありかもしれませんね」
「あれ、そこで黒なんだ。だめだよ三号が黒にしたら幼く見えちゃう」
「そこをうまく乗り切ってこその色チェンジですよ。これで大人っぽさと幼さも両方会得してしまえばフルコンプリートですよ」
「うふふ。それって没個性って言うんじゃないかなー」
 犠牲となるのが個性ならわりと黒色はありかもしれない。というのも、わたしの髪は桜のような薄紅色なので、よくエロキャラと勘違いされてしまうので困っているのです。これを清楚なイメージの黒色にしてしまえば、きっとフランドール様のいたずらも少しは減ってくれるはず……減ってくれないかなぁー!
 そうしてまた雑談へと話が移ってふと間が空いた時に、フランドール様がカップを持ちあげる。しかし中身は空になったままだ。飲み物がないと分かると、フランドール様は大きく体を伸ばす。
「うん。話してみて、なんかちょっと安心した。やっぱり三号は三号なんだね。
 なんかさ、三号が二号みたいになっちゃうのが嫌だったから、この話題はあんまり触れたくなかったんだ」
「ありがとうこざいます。でも、二号さんの姿勢はちょっと真似できそうにもないですよ」
 するとフランドール様は少し考えてから――不意に悪戯っぽく微笑む。
 ……ヤバい!
「どうかなー。どっちかっていうと三号はとっくに凌駕ちゃってる感じなんだけどねー。ところで二号とは本当に色々あってさ。お互い知識だけはたくさんあったから、ふとしたキッカケでこう……キスしちゃったりもしたことがあってねぇ」
 全・力・回・避 !
 すんでのところでフランドール様の腕から逃れ椅子から飛び上がる。危ない、気を抜いていたらイケナイ領域に引きずり込まれるところだった。
「……その点、三号は初心っていうか、ちょっと物足りないっていうか」
 恨めしそうにわざと数回手を握るフランドール様。そ、そんな顔したってダメなものはダメなんですからッ!
「申し訳ありませんこればかりは、その……お茶のお代わりをお持ちいたします!」
「ううんそれはいいけど、三号そろそろ上のお仕事は大丈夫?」
 気がついて懐中時計を開く。思っていたより時計の針は回転していて、間も無く紅魔館の全体清掃が始まる時間になっていた。一応フランドール様に関する仕事を秘密にしている以上、わたしも上の仕事をある程度こなす必要がある。特に全体清掃は部分部分の指揮を任されているのでかなり重要度が高い。
「ギリギリセーフです。では失礼して、しばらく上に行ってまいります」
「うん、いってらっしゃい。あ、来る時はアイスティー持ってきて」
「かしこまりました」
 お茶セットを片付けて、一礼して部屋を出る。
 さてと。少し頑張ってきますか。


 やはり本命はフランドール様からの直の証言だった。
 二号というフランドール専属メイドの失敗は多々あるものの、一番の失敗はフランドール様に近づきすぎたこと。鬱を理解しすぎる事は、自滅につながる。
 という旨をわざわざ遊戯室で二人きりになった咲夜さんに報告しておく。わたしの頭の整理と、他者からの視点で見てもらう事も含めて。
 一通りの話しを聞き終えた咲夜さんは、短く息を吐く。
「三号さん。情報としてはかなり足りていないと思いませんか?」
「あれ? フランドール様からの証言は大収穫だと思うのですが」
「こうは考えなかったの? フランドール様は意図的に一号のことを話さなかったと」
 ――今さらになって気がつく。そうだ、何か足りてないなと思ってたら、一号さんに関する証言がほとんどない。辛うじてレミリアお嬢様からの一言があるだけで、フランドール様からは何一つ聞いていない。
「……恐らくその通りです。ただ、この流れで聞くことが出来なかったのでフランドール様からの証言はちょっと期待できませんね」
「どうして?」
「二号さんのことでさえ話すのを躊躇っていたのですから、それ以上に話したくないことである可能性が高いです。わたしは両方の証言を求めたのですから」
「そう……だったら後は、パチュリー様に聞くしかないわね」
 個人的にはそれも難しいと思っている。フランドール様が話したがらなかったのだから、パチュリー様はそれを尊重して自分も話さない。と言いそうだ。
 となると、あとはタイミングが合った時にもしかしたらがあるかもしれない。くらいのスタンスで待つしかない。
「はい。では聞くことが出来ましたら、また報告します」
 下っ端がいきなりそんなの無理ですよーなんて言うことはできないので、形だけでも了解の意思を示しておく。
 話はそれで終わりのハズだったが、咲夜さんは考え込んだまま視線を余所へ放っている。まだ何か腑に落ちないことでもあるのだろうか。
「いかがなさいました?」
「あ、いえ……何でもないことなので」
「そうですか。ではわたくしはこれで失礼させていただきます」
 一礼して先に出て行こうといるのだけれど、背後から「ちょっと待って」と咲夜さんに呼び止められて振り返る。
「少し貴女の意見を聞かせて欲しいのだけれど」
「なんでしょうか」
 続きを促されて、しかしメイド長は珍しく言い淀む。
 無言で催促しつづけると、咲夜さんは観念したかのようにおずおずと言う。
「その……私は、真面目ではないのでしょうか」
 ――え、あ、ちょ。
 もしかしなくてもこの人、今そーいうトコロで悩んでいたんですかい!
 心の中で盛大にズっこけつつ、思考が少し回転。確かに二号さんはクソ真面目だと言えるけれども、だから咲夜さんに真面目という評価がつかないわけではなく。
「種類が違うのではないでしょうか」
「……それはどのような違いだと?」
「二号さんの真面目さは、話しを聞く限りでは自分の外に向かっていくタイプと言えます。自分の中にあるもの全力で放出する、スタンスというか生き方というか、自分だけでなく周囲まで巻き込んでしまう力と言えます。ただ自分の中にエネルギーをあんまり残さないので失速しやすいとも言えます。
 対して咲夜さんの真面目さというのは、自分の内に向かっていくタイプなんです。自分という器の中にあるものを常に整頓しておく、嗜好というかラヴというか、周囲よりも自分を大切にしている力と言えます。周囲に出すものは自分の中の余剰分なので、安定した力を生み出せるのです。
 フランドール様はどちらかというと二号さんと似たタイプなので、咲夜さんタイプの真面目さをあまりそう評価できない傾向があるかなと。逆も然りで咲夜さんは二号さんのことをあまり真面目だと思わなかったのではないでしょうか。だからわたしたちから見たら咲夜さんも二号さんも超がつくほど真面目なので、むしろもうちょっと肩の力抜いていいんですよ。というのがわたしからの進言になります」
 聞き終えた咲夜さんは少し考え込んで。
「なるほど。では今まで通りの私でいいんですね」
 どっちかって言うとこちらの話しなんざ聞いちゃいねぇ的な感想を漏らすのであった。くそうもうちょっと掃除の手を緩められるかもしれなかったのに。
 まあ。咲夜さんのようなタイプは変に気にし始めると良くないので。
「はい。その方が咲夜さんの良さが前面に出るかと」
 元の軌道に戻しておく。
「――すいません、時間を取らせましたね。仕事に戻りましょう」
 そうしておくとメイド長は、心なしかいい顔をして先に遊戯室を出て行くのであった。
 あ、ところで言っておきますけど。わたしはどちらかというとこの二つのどちらでもない、真面目さをどこかに置き忘れてきたタイプになります。このタイプは真面目さを新たに仕事のような感覚で身につけることで、他の二つのハイブリッド型、安定した全力を発揮することが可能となりますが、置き忘れたままだとほんと使えないポンコツになってしまうことが多々あったりもします……なんてね。


   ◇


 ――そして。
 異変の日は、まるでつつがない日常の延長線上であるかのように訪れる。


 予兆は簡単だった。夕刻でもないのに空が赤くなっていれば、誰だって異常事態だと感じる。
 すぐに一部の妖精メイドが準備に入り、その他大勢の下っ端たちが混乱しつつも指揮に従って異変のパーツとして組み込まれていく。その様子に大勢のメイドたちは吸血鬼異変の再来を感じ取り、館全体に緊迫とした雰囲気を伝播させていく。
 わたしはその様の全てを見届けることはできない。みんなの喧騒を横目で見つつ必要なものを抱えて地下へと下りて行き、フランドール様の部屋に閉じこもる。
 そして異変が起きた事をフランドール様に告げて、入り口とクローゼットが入れ替わったのを確認してから、こちら側の支度を始める。


 異変が起きて一日くらい経った頃だろうか。
 小悪魔さんがクローゼットから現れて、紅美鈴が倒されて侵入者が来たことを知らせてくれた。
 その小悪魔さんは本来裏方のはずであったのだが、報告の帰りに運悪く侵入者と遭遇。応戦するもあっさり返り討ちに合い、パチュリー様が敗れた旨をつげるとその場に倒れ伏してしまった。
 小悪魔さんに簡単な応急処置だけを済ませて、作戦開始。フランドール様と一緒にこの部屋から出て行く。
 図書館の出口からすぐに地上への階段下まで移動する。すると遠くから物が壊れる音や、悲鳴なんかが聞こえるようになる。絶え間なく続くそれを聞けば、いつも過ごしている紅魔館が、戦場になっているのだと思い知らされる。そう考えるととてもオソロシイ気持ちがこみ上げてくるが、飛び込む覚悟くらいはとうにできている。
 あとは報告を待つだけだ。
「ね、三号いよいよだね。本当に始まってるね!」
 やはりフランドール様も吸血鬼の子。闘争の雰囲気に当てられていつもより声が弾んでいる。スペルカードを試せることも嬉しいのだろうし、どちらかと言えば気分が躁状態でハイなところもあるのだろうけれど、これほど高ぶっているフランドール様はわたしも初めて見る。少々危なっかしい感じもするが、長年の引き籠りから抜け出すにはこのくらいの景気づけが必要なのかもしれない。
 とにかくこれでフランドール様が地上へと出てくれるのであれば、形はどうあれ大事な一歩になる。
 だから、わたしは勢いが止まらないように精一杯に盛り上げて行きましょう。
「うー緊張してくるぅ。ね、私の心臓すごいバクバク鳴ってる」
「わたしも負けておりませんよ。今にもフランドール様に聞かれてしまいそうです」
「ふふふ。ね、約束通り三号も来てくれるんだよね」
「もちろん。遅れないでくださいましね」
「あ、先に行っちゃダメだよ。そこはメイドなんだから私の後ろじゃないと」
「わかりました。では手を繋ぎましょう」
「いいね! じゃあ一緒に地上に出ようね」
 なんて言い合っているうちに、とうとう地下への扉が開かれる。
 急いで報告に向かう妖精メイド捕まえて、現在の状況を問い詰める。
「咲夜さんが倒されてしまいました。改めて迎撃に向かってますがいくらなんでも……」
 よし、状況は完璧。
 フランドール様に目配せをすると、すぐにこちらの手を握ってくれる。
 じゃあ出発だ。
「三号さん。そちらのお方は……?」
「最終兵器です。ところで、侵入者はどんな者でしたか?」
「ええと。赤と白の、人間の巫女です」
 それだけ分かれば十分。探して見つけるのはそう手間取らないだろう。
 では突入開始。
 勢いよく地下への階段を駆け上――腕がぐんと後ろに引っ張られる。
 いや、わたしだけが歩き出そうとして後方につんのめつてしまう。
 ちょっと躊躇ったのだろうか、と思って後ろを振り返ってみる。
 すると、フランドール様はその場で棒立ちになっていた。先ほどまでは歓喜の表情を溢れさせていたのだが、今はそれを見事に枯渇させてしまっている。
 ――頭の中で撃鉄が落ちる。これは別の意味で緊急事態だ。フランドール様の失速は墜落を意味する。今、わたしたちは、完全に事故っている。
 でも一体なにをやらかしたのか。フランドール様は何にぶち当たったのか。
「いかがなさいましたか」
 一歩戻って声をかけると、放心していたフランドール様は我に返る。
「う、うん。三号、今行くから……」
 言う割には、元々白い肌からさらに血の気が失なわれて蒼白な顔になっている。握っている手は汗で濡れており、取り落してしまいそうなほど力が入っていない。少し目を引けば、震えている膝が視界に入る。
 まずい。このままだと鬱状態へ墜落する!
 でもこんな、どうしようもないくらい怯えるなんて反応は、初めてだ。どうしよう。どうすればこの危機を乗り越えられる?
「フランドール様、ご無理をしないでください。気が優れませんのでしたら、お部屋へ戻りしましょう」
「う、ううん。行く。だって、こんなチャンスはもう無いから」
「いけません。お身体の方を大事にしてください……」
「でも……三号が、一緒に来てくれるから」
 そう言って、残ったなけなしの活力で、恐る恐る一歩踏み出そうとした矢先のことだった。
 地下に、ボロボロの咲夜さんが下りてくる。
 しまった。空間を操れるから、すぐにこちらへ来ることも可能なんだ。
 くそ、いつも咲夜さんはそうしてるんだから、どうしてその可能性を考えておかなかったのか!
「フランドール様!? 上は今危険ですから、急いで避難を……」
 そう言って、咲夜さんは怪我した体でこちらへと歩み寄ってきて。


「……あ」


 フランドール様の、何かが。


「三号さん! 出てくる時は侵入者の居ないタイミングにしてくださいと……」
「……来ないで」


 咲夜さんの一歩毎に、壊わされていく。


「急いでお部屋へ戻ってください。侵入者はレミリアお嬢様が」


「来ないで!」


 大きな声量に、咲夜さんが驚いて立ち止まる。
 ようやく雰囲気がおかしいことに気がついた咲夜さんは、立ち止まったままわたしを凝視する。それを無視して咲夜さんに背中を向け、フランドール様と向き合って、翼があるとは思えないくらい小さな両肩を抱く。
「フランドール様、慌てなくていいんですよ。だから……」
 だが。
 フランドール様は一瞬立ちくらんで姿勢を崩す。それをわたしがなんとか支えるものの、フランドール様は顔を上げずに、首を左右に振る。
 涙がぼろぼろと流れ、何の光も照らさずに床に落ちて、砕ける。
「………………ごめん」
 フランドール様は力なくわたしの手を振り払うと、壁に手を付きながら歩きだす。
 方向は地上への階段ではなく、地下のフランドール様の部屋の方。
 せめてご一緒して支えようと追いかけるが、それに気がついたフランドール様は、一度大きく腕を振るう。来るな、と追い払うように。
 ……ダメだ。何をすべきなのか、分からない。
 それでも必死で何かを考えるものの、フランドール様が自室へ駆け込むまで、何かを思いつくことも、動き出すことも、できなかった。
 やがてわたしの中に何かが走る。今まで三号として勤めてきた何もかもが、解き方の分かったパズルのように整列され、繋がっていく。


 ――かくしてわたしとフランドール様の紅霧異変は、始まる前で終わってしまったのである。
 確かに大事なことを、フランドール様がストレスを感じるものについて失念してしまっていたけれど。そんな、まさか。だってフランドール様は吸血鬼で、普段からそれを食しているはずで。
 けれど一連の反応を見れば――三号として勤めてきたわたしの知る情報を整頓して考えれば――答えはこれしかない。
 『人間』
 それが、フランドール様の、鬱の大元。
 噂の「気が狂っている」と言う事は、鬱を抜きにしても本当だったんだ。
 フランドール様は一般常識的に気が狂っているのではない。
 吸血鬼として気が狂っている。


   ◇


 結局、赤い霧はあっという間に消すこととなった。レミリアお嬢様は、スペルカードルールの範囲内とはいえ、人間の巫女に敗れたのだ。
 それからの紅魔館は事後処理に忙しい。
 先の吸血鬼異変のように何か特殊な条件をつきつけられたということはないのだけれど、単純に屋敷の後始末が大変だった。なにせ大半のメイドは迎撃に出て玉砕してしまったので掃除をしようにも人材が足りない。咲夜さんは重傷というわけではないのだけれど、屋敷は散らかっているからと言ってレミリアお嬢様の外出が増えてしまったためそちらで手一杯になってしまった。必然、メイドたちの仕事は遅くなる。
 わたしも可能な限り手伝っているのだけれど、お皿をさらに割ってしまったりとどうにも普段やらないようなミスをしてばっかりだ。
 集中できない原因は分かり切っている。
 仕方なくリーダー格の数人と話しをつけて、最優先事項に専念することにした。


 わたしは真っ先に、地下の図書館へと訪れる。
 散らかった図書館が不快なのか、魔女はいつも以上に不機嫌な様子で本を読んでいる。
 本来なら一旦引くべきなのだろうけれど、生憎と不機嫌なのはこちらも同じ。後のこととかパチュリー様の内心だとか、ちょっとかまっている余裕はない。
「失礼します」
 一礼したわたしを見て、魔女は短くため息をつく。そして観念したように本を閉じて、椅子を引いてこちらへ向き直る。
「小悪魔から大体聞いたわ。フランドールは地上へ出ようとしたのね」
「はい。スペルカードルールで戦いたいとのことでしたので」
「……まあ、貴女の行為についてはおいおい咲夜とレミリアが処分を下すでしょう。そのことについて私からは特に何も無いわ」
「ではこちらからは特に有るので言わせていただきます。何故教えていただけなかったのですか?」
 言うと、魔女は不服そうに、微笑んだ。
「そこに何故と言われると、少し困るわ。俄かには信じがたいような事だったから」
「頭のいい者ほど仮定を頭に留めておくものらしいですよ?」
「……悪かったわ。確かにそこは私のミス。貴女であれば十分に聞いてからでも対処できる話だった。お詫びとしては何だけれど、今から説明してもいいかしら」
 本当ならお詫びはフランドール様にと言いたいところだけれど、わたしの怒りは何故だかちっとも熱く無くて、噴火をする前に「お願いします」と引っ込めることができてしまった。今はとにかく話を聞く必要がある。
 珍しく小悪魔さんが椅子を勧めてきたのだけれど、それを丁寧に断って立ったまま話を続ける。
「貴女は、貴女の前任者たちについてどこまで知ったの?」
「二号さんについてはフランドール様からそこそこ詳しくお聞きしました。あとこれはレミリアお嬢様の言葉なのですが、二号さんは真面目になった美鈴さんっぽくて、一号さんは母性的になった咲夜さんっぽい……というくらいでしょうか」
 それを聞いて、魔女は何故か片手で頭を抱える。
「あんのバカ。なんでそこまで的確に表現できるのよ」
「え、もしかしてこの表現って本当なんですか!」
「当人たちでないこと以外は大体そのまま。二号は気が利いてクソ真面目な、美鈴と同じ得体のしれない妖怪だったわ」
 ――っていうことは、つまり。
「そして一号は、瀟洒で完璧でなおかつ内面も外面も母性的に丸い、人間だった」
 それから魔女は滔々と語り始める――


 吸血鬼たちは生まれてしばらくは血を吸わずに生きる。
 その一連の生態については資料がないので、レミリアお嬢様からの自己申告らしいのだけれど、少なくともレミリアお嬢様も、フランドール様も、そのようにして生まれ育っていったのだという。
 そして吸血鬼は有る時を境に、人間から血を吸うようになる。
 それはさながら人間の二次性徴のように必ず訪れる生理現象であり、ここで彼らは初めて吸血鬼として自らの持った力に覚醒する。
 この時の吸血鬼は非常に危険な状態になる。ある程度の成長を遂げた彼らは衝動的に喉に渇きを覚え、誰彼見境なく襲って血を飲もうとしてしまう。これは人間の血を吸うまで続けられて、味を覚えてからようやく、その衝動が収まる。
 レミリアお嬢様はこの一連のプロセスを円滑に行うため、事情を知る者から人間の専属メイドを宛がわれていた。
 結果、レミリアお嬢様は最初の衝動を、たった一人の犠牲者だけで乗り切ることが出来た。
 そしてお嬢様は妹――フランドール様にも、当然のように自身に行われたものと同じ手法を取ることにした。一号さんとは、フランドール様の最初の犠牲者とするために宛がわれたこのメイドのことを指していた。
 だがレミリアお嬢様は三つの失敗をしていた。
 一つは自身と同じ手法を取ってしまったこと。レミリアお嬢様は破格の強さをもつ吸血鬼。故に、衝動で暴れる時も普通に収まらない可能性がある。それを危惧しつつもお嬢様であれば耐えられると見越した上で、この手法は取られていた。普通の吸血鬼は知らない誰かを襲って、時たま返り討ちに合うくらいで丁度良かったのだ。そして周囲の者も、フランドール様にもそれが必要だと勘違いしてしまっていた。
 二つ目は人選。レミリアお嬢様は自分が殺したメイドと同じように、とびきりいい人間をフランドール様に宛がった。だが最初の犠牲者とするにはあまりにも惜しい人材でもあった。レミリアお嬢様はそれを理解した上でも容赦なく殺せるが、平気なのはレミリアお嬢様だけだった。
 三つめは、フランドール様が一号さんと非常に親密になったこと。フランドール様は当時から頭が良く、繊細な感性を持っていた。それ故レミリアお嬢様の分からないことによく触れたため、お二人ではあまり話がかみ合わず、仲が悪かった。一号さんはこの祖語をうまく察して、主にフランドール様について理解を進め、二人の間に立って仲を取り持ち、お二人と深く親睦を深めるようになっていった。最終的に一号さんのおかげで、お二人は今の通りの仲好しになれた。
 間違いはどこにもなかった。すれ違いとそれ故の失敗があっただけ。
 フランドール様は有る時、とうとう吸血鬼の衝動に目覚める。
 そして傍に居た一号さんを襲った。
 だがフランドール様は、血を多く吸わなければ一号さんも生き残れることを理解していた。殺すまで吸ってしまう必要はないと把握していた。だから途中で血を吸うのを中断したが、吸血鬼として目覚めてしまったフランドール様は自我のバランスを失い――気がついた時には、一号さんを殺してしまっていた。
 レミリアお嬢様はここを乗り切ることができた。
 けれどフランドール様は。
 偏った方向に利発な自分の理解者を。
 自分に尽してくれた育ての親を。
 死ぬことを受け入れつつも傍に居てくれた優しいメイドを。
 上手くすれば助かるかもしれなかった命を。
 ――不可抗力とはいえ、その手で殺してしまったことに、耐えきれなかった。


 フランドール様は、フランドール様であったが故に、人間の死を、一つの命の「個人の死」として深く理解できてしまったのだ。
 そのストレスによってフランドール様は地下の部屋に閉じこもってしまい、人間と直接会う事も、人間から血を吸う事もできなくなってしまった。


「……二号というのはこの直後に雇われた、フランドールの更生を目的としたメイドだったのだけれど、その当時は誰も鬱病になっているなんて気がつかなかったから、かなりのおおごとになってしまった。そうと分かっていれば、誰もがぱっと見が人間みたいだからという理由で二号を専属にしたりはしなかったでしょう」
 そして明かされる衝撃の選考理由。そ、そりゃうまく行くわけがない。
「それでもまあ二号は適任と言えた。あれだけタフになんでもこなしてくれたおかげで、フランドールへのバックアップ体制を整える事が出来た。ただその結果として二号も鬱を患ってしまったことは、残念と言うより他ないわ」
「じゃあもしかして、わたくしの起用って」
「一番大事なパーツを一から作り直す、大事な人選よ。もちろん失敗を覚悟していたのだけれど、貴女は二号以上の適任だった」
「……では今回、フランドール様が地上に出ようとした最大のチャンスが潰れてしまったわけですが」
「まずはフランドールの回復を待ちましょう。今は放っておくしかないわ」
 パチュリー様が示した案は、しばらくの方針としては最適と言えるだろう。
 けれど、わたしはそれでいいと思えない。もっと何か、フランドール様にしてあげられることはないのだろうか。
 だが三号として勤めてきた今までの経験から言えば、残酷かもしれないが放っておくのが一番効果的だ。むしろ、フランドール様がそうしてくれと願いそうなくらいであるという察しさえつく。
 ……ううう、どうすればいいか分からない。
 そうしばらく悩んでいると、ふとパチュリー様が「三号」と声をかけてくる。
「貴女の好きにしてみたらどうかしら」
「え? どうして、また」
 わたしの疑問に、パチュリー様は少し視線を逸らす。
「貴女は長いこと、うまく専属メイドを務めてきた。だとすればレミィや私、下手をすれば誰よりも的確な行動をとれる可能性がある。だから、貴女の思いつくままにやってみるのが一番いいかもしれない」
「しかし……あまり勝手なことをしてしまうわけには」
「私はこれからの貴女の行動を支持する。咲夜にもレミィにも話をつけておくわ」
 ……確かに後ろ盾となってくれるのはとてもありがたい。それならばわたしも動きやすい。
 しかし、パチュリー様は一体どうしたというのか。こんなに前のめりというか、熱のこもった発言は初めてだ。
 驚いて言葉を次げないわたしに、パチュリー様は自嘲気味に微笑みかける。
「私はね。正直なところフランドールのことが羨ましいの」
「え、えええ!?」
「あの子の生き様が文学廃人のそれというのもある。一生引き籠っていられるなんて本好きにはたまらないものなのよ。
 私はそれに近いことをしているつもりだけれど、残念ながらそれを良しとして認め、実行してくれた友人があってこその今。だから現状維持のために成すべきことがあるし、私はそういう打算を抜きにしてもあいつのために外に出るだけの動機をもつ。それさえ希薄なフランドールは、まさに愛でるに足る逸材」
 分からない。そういう感性も分からなければ、今ここでそう言い始めたパチュリー様の判断も分からない。
「本当なら貴女は、私が見ている箱庭を壊す侵略者なんだけれどね――レミィはあの子が外へ出ることを、もう待ちわびて仕方がないの。
 私は今までずっと、急かしてはいけないとフランドールのことを擁護してきた。けれど、それはもうすぐ必要じゃなくなると判断した」
「……もうすぐってことは、まだなんですね」
「ええ、貴女は最後の最後に大きな失敗をしたの。次にそれが正しく行われた時、フランドールは本当の意味で外へ出ることになる」
「失敗をしたのはパチュリー様じゃないんですか?」
「そう責めないでちょうだい。でも貴女も本当に失敗をしているのよ?」
 冷静に言い返されると、こちらとしても反射的に言葉をつくことができない。
 少しばかり、異変が起きてからの自分の行動を振り返ってみる。
 しかしその殆どはこれで良しとして行ったことだ。明確な失敗、と言えそうな事は思い当たらない。
 思考がそこまで進むのを待っていたかのように、パチュリー様は強い視線をこちらへ戻す。
「貴女は、三号としてフランドールに付き従って外へ出ようとしたでしょう?」
「それがいけなかったと」
「散々言い含めておいたはずでしょう? 必要以上にあの子と親しくしてはいけないと。その行為は一線を越えてしまっている。だから、あの子は地下へと逃げ帰ってしまった。本当に外へ出させようとするなら、一人で送り出すべきだった」
「でも……」
 腹の底から込み上がってきたものに、言葉が途切れ。
「じゃあどうすればいいんですか! そんなの本当にフランドール様のためになるんですか!」
 今までずっと静かだったわたしの怒りは、不意の煽りを受けて僅かにだけ火を灯した。久しぶりに強い声をあげた気がする。確かにそこは考え付きもしなかった部分だ。その分、指摘されたことへの反発と不快感は大きい。
 しかし、パチュリー様の静かな態度はより強かった。変わらずにわたしを見つめ続ける瞳と向き合っていると、大きく震えた喉があっという間に凋んでしまい、それ以上の怒りを吐き出せなくなる。
「送り出しなさい。貴女は残って、フランドールを一人で、外へ出させるのよ」
「……そんなことになんの意味があるんですか」
「頭の良い者ほど仮定を頭に留めておくものよ。貴女はこの会話を覚えて、必要な時までに理解すればいい。それまでは、私を攻撃していても構わない」
 何か言い返そうとして、止める。
 今までずっと怒りの傍で控えていた冷静な思考が、すっと前に出て来てくれる。自分を非難しても構わない。なんて言える方が、自分のために言葉をついているわけがないのだ。自分が有利になるよう誘導するための巧みな嘘であるはずもない。パチュリー様は今、真摯に、正しいことを言ってくれているのだ。ただ単に、わたしが納得できないだけ。
 そうして思いとどまったことでわたしは少し落ちつくが、やはりパチュリー様の言う事を飲み込むことが出来ずにいる。だってフランドール様は、人間と相対しただけでまともに歩けなくなってしまうほど弱ってしまうのだ。それを知っていて一人のまま送り出すなんて、そんなのこと、わたしに……
「ごめんなさい。一つだけ愚痴を言わさせてもらうわ」
 するとパチュリー様はまた自嘲気味に笑う。
「先に説明をしておくのは、疲れるでしょう? 私も疲れたわ」
 ――え。もしかして、まさか。
 今の会話って、そういうのも含めてのお話――
 これは参った。たしかにすごく、疲れた。
 けれど。パチュリー様はきっと、わたしに思い知らせるためだけではなく、わたしならば大丈夫だと確信をもって、この方針に踏み切ったのだ。
 なら。会話の内容を抜きにして、今はその意思に応えておこうと思う。
「すみませんでした。少々熱くなってしまいました」
「構わない。けれど涼んできた方がいいと思うわ」
「はい。では、失礼いたします」
「これが最初で最後の『事前のお話』よ。教えられることは全て教えたから」
 背中に浴びた言葉にお辞儀を返して、わたしは図書館から出る。
 同時に途方に暮れる。正直なところ好きなようにやってみろと言われても、自信をもって掲げられる方針はほとんどない。


 図書館から出たわたしは、そのまま上の手伝いに行こうとして、気がついた時には進路を変更して、フランドール様の部屋の前まで来ていた。
 フランドール様が部屋に逃げ込んで以降、これで二度目のノックになる。
「三号です。ご用件がありましたら何なりとどうぞ」
 一度目は紅魔館が落ちてからすぐ来たのだが、当然のように返事は無かった。
 今回も、ただただ無言の扉と見つめ合うばかりである。
 ノックをした手に、古い木材特有の湿った木目の感触が残っている。普段だったらなんとも思わないそれが、まるで痛覚をむしばむかのように、じわりじわりと手にしみこんでいく。
 ――分かっている。こうして声をかける事さえ、鬱の状態のフランドール様にはとても苦痛の伴うのだと。
 分かっていてもわたしは、やはり扉を叩いてしまった。
 その先は? いつも扉をノックをする場所のすぐ下には、ドアノブがある。鍵はかけられているだろうけれど、キーならわたしのポケットの中にある。ルービックキューブと同じところだ。
 わたしは、ゆっくりとポケットの中に手をいれる。
 ――先に手が触れたのは――そして中から取り出したのは――ルービックキューブだった。
 押し入ることはできるだろう。そうしてフランドール様がより悪化しない程度にあれやこれやと世話を焼くべきだ。そのうちに回復するフランドール様も、なんだかんだと言って強引な優しさを受け入れてくれるだろう。
 メイドであるのなら、それが最善の行動だと言える。
 じゃあ、それを実行しないわたしは何なのか。
 わたしはフランドール専属メイド三号だ。
 ……そう。わたしは「三号」という名前なのではない。
 いつの間にか、三号という呼ばれ方が続いたせいで、それが特別な何かのような気がしてしまったのだけれど、こうして仕える吸血鬼から離されてしまえば、何のことはない、ここにはただの名前のない妖精がいるだけだ。
 そんな事実が、わたしの手を動かしてノックさせたのだ。
 駄目だ。とてもじゃないけれど押し入ることなんてできない。それをしてしまえば最後、わたしはわたしに芽吹いた、わたしの意思さえ、捨ててしまうことになる。
 今はとにかく、地上へ戻ろう。
 パチュリー様の言うとおり、少し涼む必要がある。


 それから数日間、わたしは主に紅魔館の掃除の段取りを行っていく。本来ならこれは咲夜さんの仕事なのだけれど、今はわたしが代理だ。
 意外なことに、頭はそこそこよく回ってくれた。自分でもびっくりするくらい上手く仕事が進んでいるのはちょっと気持ちがいい。最初は他の子たちに「手元がヤバいのでこっちをやってください」って無理やりやらされてたのだけれど。
 そう。あれから他の子たちの噂が耳に痛い。
 フランドール様は紅魔館のメイドたちにとって、実在しない噂の上だけの存在に過ぎなかった。しかし当日の連絡役の子が、その当人を目撃してしまった。わたしという証人付きで。
 実在したとなると、噂はいよいよ尾ひれだけでは済まなくなってくる。
 七色の翼を持つ吸血鬼――封印されていた魔法少女――レミリア・スカーレットの血族――全てを破壊してしまう力を持つ者――地下で夜な夜なすすり泣く悪魔――気が狂って幽閉されてしまった暴れん坊――レミリアお嬢様に復讐するために赤い霧を散布した――騒ぎに乗じて地上に現れ皆殺しにするつもりだった――などなど。
 ……それら噂話に興じていた頃の自分を呪いたい。確かに噂は当たっているところもある。でも、みんなが想像しているのは言葉面からくる安易なイメージだ。わたしは今の噂話を聞くたびに、それは違うと言いたくてしょうがなくなっていた。だって本当のフランドール様は、情緒不安定だけれど元気と憂鬱を繰り返すだけで、方向性が偏っているけれど頭が良くって、どうしようもないくらい甘党で、メイドのわたしにも優しくて、ときどきちょっとエッチで、難しいくらい繊細な、そんな、可愛い方なんだ。
 でも、それを叫んだところで誰の耳にも届きはしないだろう。
 わたしはかなりの年月をかけてフランドール様のことを理解した。それを他の子たちが一瞬で理解してくれるとは思えない。少なくとも当人と会って、順序立てて、噛み砕いて説明しなければ受け入れてはもらえないだろう……それを上手く実行できたとしても、何割かは完全に理解することはできないはずだ。それくらいフランドール様の噂の立ち位置と、真実の姿は、扱いが難しい。
 今はとにかく耐えるしかない。誰に訊かれてもノーコメントで通すんだ。


   ◇


 フランドール様が閉じこもってから五日目のことだ。
 なんとか屋敷の片づけが終わり、紅魔館もおおむね通常業務に戻りつつある頃に、一人の客人が紅魔館に訪れた。
 その方は、いきなり客間に現れた正体不明の存在なのだが、とりあえず自分から客だと自己申告をしてくれたのでそのように扱う事とする。なんかもうこの際細かいこととかどうでもよくなってきた。
「レミリアお嬢様にご用件でしょうか? 申し訳ありませんがお嬢様は外出中でございまして」
 わたしのメイドとしてのごく普通の応対に何故か驚くお客さまは、出された紅茶を一口すすってから答える。
「ええ。留守でなければ大変なことになるでしょうし」
 いやもう既にたいへんなんですけど。とりあえず客間の外に屯しているメイドたちを追い散らしておく。咲夜さんが居たら応対から丸投げできるのだけれど、残念ながら今はレミリアお嬢様共々外出中である。せめて美鈴さんが気がついてくれたらなー。っていうかもしかして、お昼寝タイムかー。あはははは起きろ。
「日暮れ頃にはお帰りなるのですが、如何なさいますか?」
「じゃあ、挨拶だけ伝えておいていただけるかしら。実は用があるのは、この館の主ではないの」
「あれ……ではもしかして、パチュリー様へのご客人でしょうか?」
「いいえ。違うわ」
 ますます分からない。美鈴さんに用があるなら直接そちらへ向かうだろうし、華美な身なりからして咲夜さんに用があるとも思えない。
「失礼ですが。どういった要件でこの館へ」
「レミリア・スカーレットとの約束のためよ。それを果たすためには、誰も呼ばなくていいわ。ここにあるものだけで事足りる」
「え……あの。本格的にご用件が分からないのですが」
 するとお客様は、洋風の扇子を閉じたまま口元に当ててくすくすと笑う。
「ここにいるのは私とあなたでしょう?」
「はい」
「それでいいのよ」
「――え、その。つまりわたしに用があると?」
「自分のことには疎いのね。話に聞いた通りだわ」
 驚きが頭のあちこちで爆発していく。わたしに用があることも意外ならば、わたしのことを既に知っていることも予想を大きく逸脱している。まってまって今思考の風呂敷を広げてるから。
「こっちに来て正解みたいね。このままだと気がつくまで随分かかってしまう。それを吸血鬼が待てるとも思えない」
「……わたしがその気がつくべきことを、教えに来たと?」
「本当ならこの役は私が買って出る予定だったの。でも今はもう意味が無い。あなたにすっかり役目を取られてしまった形だから」
「ごめんなさい。話が見えないのですが」
「そのためにわざわざ偽名を使っていたけれど、それももうじき意味はなくなるでしょうね。
 大事なのは、誰かなの。一人で自分を見つけられるのは、輪廻解脱の悟りを開くことに等しい。でもそんなに大げさなところまでする必要はなくて、自分を見つけるためには誰かに見つけてもらうのが一番、簡単で、確実なのよ。箱の中の猫は、本当は蓋を開けてほしくて仕方がないの」
 箱の中の猫、というフレーズはフランドール様のある会話と結び付く。シュレディンガーの猫。物理の世界にはこの理論を用いなければ説明が困難になるケースがあるとかないとか。
「でもね。猫の飼い主が蓋をあけてはいけないの。猫が本当に開けて欲しいのは、冷静に事実を見てくれる人。それは実験を行っている者ですらいけない。許されるのは通りすがりの誰か。もしくはそれに近いくらいの距離がある者。つまり今のあなた」
「先ほど思い知ったと思いますが、わたくしはわたくしに対して察しが鈍いので、できることなら明確に教えて欲しいのですが」
「ワープになってしまうからだめよ。ちゃんと苦労して道順を辿ってちょうだいな。
 ……と言っても。やっぱりこれ以上を教えるのは難しいわね。ちゃんと猫の気持ちになって、猫に本当に必要なことを考えれば大丈夫だから、頑張って後で色々と考えて。私はもう帰らないといけないの」
 もうどうしろって言うんだ。話があまりにも胡散臭い。帰ってくれるならそれはそれで楽になるから、引きとめる理由もない。
「わかりました。ところで貴女様はどういった者でしょうか? このままではレミリアお嬢様にご報告をすることもできませんので」
「八雲紫が、考えていた予定を少し変更したと告げてくれるかしら」
 ――え?
 やくもゆかりって、スペルカードルール制定前にレミリアお嬢様を倒したというあの大妖怪の?
 またしても驚いて固まってしまうわたしに、八雲紫は扇子を広げて空間に裂け目を作り。
「遅れたけれど、初めまして三号さん。そしてあなたにだけ明かしましょう。私が『ムラサキさん』だった者よ」
 トドメの大爆発を残して、消えてしまう。
 あまりの情報に思考が追いつかない。っていうか、ムラサキさんのことを知っているのはわたしとフランドール様だけで。
 ――そう、フランドール様。
 何が苦労して道順を辿れだ。こんなにもショートカットを用意されれば、いくらのわたしだって思考が回転数を上げて行く。
 猫の気持ちになって考える? そりゃあ猫からしてみればこんなことするんじゃないって感じだし、生きてると言い張っている科学者なんかクソくらえだし、生きていると信じている飼い主だって迷惑だ。死んでいるに決まっているだろうと決めつけてくる第三者でさえ鬱陶しい。欲しいのはそんな安易で常識にとらわれた諦めなのではない。もっと、もっと冷静な認識だ。
 自分を見つけるためには、誰かに見つけてもらうのが手っ取り早い。と八雲紫は言った。
 そして、見つけるのが誰でもいいとは言わなかった。
 フランドール様は吸血鬼である。吸血鬼は幻想郷にそういない種族だが、お話の中には度々登場する、一種の化け物である。
 お二人の生態は、お話の中の吸血鬼と大体同じだ。
 そう、だから。体調不良に陥ってしまうくらい人間が苦手な吸血鬼なんて、誰もが想像しない。もしそんな話が出ても、鼻で笑い飛ばすだろう。そんなのありえない。パンに恐怖する人間なんていない。花を見て倒れる妖精なんていないと。自分に当てはめてしまって。
 わたしはそれを目の当たりにした。フランドール様は、人間を拒絶した。
 わたしに出来る事は色々ある。バカなと笑い飛ばしてそんなことはなかったと誤魔化してもいい。そんなの吸血鬼らしくありません恥ずかしくないんですかと叱ってもいい。そんなのは気の迷いだ根性で直せと暑苦しい激励を飛ばしてもいい。それはさぞかし辛いでしょうねと慰めてもいい。思いつくリアクションは数限りが無い。
 でもそれらは、箱の中の猫をきっと生きていると/どうせ死んでいると思っていることと同じだ。全てそのどちらかに分類出来てしまう。こちら側の、一方的な認識。向こうの都合などほとんどお構いなしの。
 猫は開けて欲しがっている。
 何の意思も介在しない、ただありのままを見てくれる者に。
 わたしは、
 わたしは。


 私はフランドール専属メイド三号。という役の名前のない妖精メイド。
 ただの通りすがりではない。
 名前を持つ唯一無二の存在でもない。


 分かった。分かりましたとも。パズルのピース、解き方、全ての用意が終わっているんですね。
 そして、それを私が解くことに意味がある。
 やり方は同じだ。私がフランドール様と初めて出会ったときから変わらない方法でいい。恐らくいきなりこの状況になっていたら分からなかったけど、十分すぎる準備を経た今ならば、自信を持てる。
 まったくもう――いまさら代われなんて言われたって、こればっかりは譲れませんからね?
たった一つだけあとがきにしか書けないことがあるとするなら、「アーカードもいいがアルクェイドも好きだ」ってことでしょうか。

お読みいただきましてありがとうございます。
次、ラスト。東方紅魔郷EXに至る予定をしております。

誤字修正しました。ありがとうございます。
カイ
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コメント



0.600簡易評価
1.100名前の無い程度の能力削除
新作来た!次で最後かと思うと淋しいですね…
3.100奇声を発する程度の能力削除
待ってました!
次回で最後か…
5.100リペヤー削除
今回も良かった。次でラストですか、楽しみに待っています。
8.100名前が無い程度の能力削除
久しぶり過ぎて題名見てもこの話である事に気がつかず、危うくスルーする所でしたw
やっときた!1話から読み直してしまいましたがやはり面白いです
次回も気長に待ちます。

誤字脱字報告
>何割かは完全に理理解することはできないはずだ
        完全に理解
10.100名前が無い程度の能力削除
どこへ行っていたンだッ チャンピオンッッ  俺達は君を待っていたッッッ  
が頭の中に響いたのですが、どうしてくれる。同時になんだろうね うん 博麗 霊夢 ではだめなんだろうなとなんとなく思ました。
12.100名前が無い程度の能力削除
ついに最終回ですか。
どのような結末になるのか、楽しみにしております。
13.100名前が無い程度の能力削除
待ってました!
1話から読み直しましたがやはり面白い
いいところで続くでもう
続きを心待ちにしております。
14.100名前が無い程度の能力削除
次回でついに最終回ですか。ほんと好きだっただけに複雑な気持ちです。
1話から読み返しましたが、伏線のうまさにビックリしてます。
とりわけ、咲夜の「瀟洒」にばかり目がいってしまい、「人間」であることを完全に見落としてました。おのれ。
紅魔EXをどうするのか、妖精メイドとフランがどうなるか、ドキドキしながら待っています。。
17.100チネ削除
すごく面白いです。
更新待ってます。
20.無評価名前が無い程度の能力削除
一度点数つけたので、無評価で
読み返してみて2号さんて慧音先生?と思いました。当たってるかどうかは最後でわかりますかね。
気長に最終章を待ちます。
21.100RanTiki削除
面白過ぎて一気読みしてしまった…。
最終章、気長に待ち続けます。
22.100名前が無い程度の能力削除
思わず一気読みしました。
こんなに面白いSSがあったとは。
最終話の更新を心待ちにしております。