残暑も落ち着き始め、秋の足音が近づいてきたこの頃。今日も今日とて門を守り続ける私であったが、頬を撫でる心地よい風に思わず欠伸が出る。
何と言っても退屈なのがいけない。紅魔館に訪れる者なんてそういないのだ。湖に囲まれたこの館に普通の人間が訪れるわけがない。やって来るのは自称普通の魔法使いくらいである。
平和が一番と言っても偶には変化が欲しくなる。隣人との喧嘩でも変化のない日常よりはマシだ、とは誰の言葉だっただろう。そんな益体のないことを考えていると、また欠伸が零れそうになる。
「んっ、くぁ……」
背筋を伸ばして眠気を誤魔化してみるが、それだけで覚めるようなものでもない。やはり、目が覚めるような何かが必要だ。
紅茶が珈琲になるようなものではなく、紅茶がミルクティーになるくらいの事でいい。それくらいのちょっとしたことで退屈は紛れるのに。
ぼんやりと空を見上げて流れる雲を眺める。流れる雲を数えていれば暇つぶしになるだろうか。
「門番がそんな顔をしていていいのかしら? 主人の能力まで疑われますよ」
突然かけられた声に慌てて背筋を正す。確かに私のせいでお嬢様の権威を傷つけるようなことがあってはマズイ。
って、聞き覚えのない声だけど一体誰かしら。私は視線を声がした方に向ける。
「こんにちは、直接会うのは初めてだったかしら」
「……えっと、風見幽香さん、ですか?」
若芽のような髪の色、赤いチェックのスカートに日傘を差した彼女の姿は、伝聞と幻想郷縁起の挿絵に描かれたものと一致する。
とは言っても、直接会うのは彼女が言ったとおり初めてだ。もしかしたら、人違いかもしれないが。
「ええ、そうよ。貴方は紅美鈴さんだったわね」
そんな私を安心させるように、彼女は笑顔を見せる。……可愛らしいと思うと同時に少し怖いとも思ってしまうが、ともかく人違いではないようだ。
さて、そうなるとどうしてここを訪ねてきたのかだけど。
「用事? ああ、ちょっと吸血鬼のちびっ子を虐めにね」
だから、そこを退いてくれない?
幽香さんは、世間話をするような軽さでそう言って、私の首に細い指を触れさせる。
撫でているわけではない。蛇が首を持ち上げ威嚇するように警告しているのだ。私がその気になれば、次の瞬間にはお前の喉は潰れている、と。薔薇のように赤い瞳は口よりも雄弁にそう語っていた。
それがわかっていても私は退く訳にはいかない。いや、退く必要はないというのが正確か。
私は肩をすくめて言う。
「花が見たいのならそう言ってくださいよ」
「……なんだ。つまらないわね、貴方」
幽香さんは拗ねたように言って唇を尖らせる。そんな子供っぽい彼女に苦笑してしまう。大妖怪は人をからからうのが趣味なんだろうか。
「本気かどうか、私は『氣』でわかるんですよ。虐めに来たというのが嘘だったら、ここに来る用事は図書館か花壇くらいです」
「ああ、そう言えばそうだったわ。貴方って思われているよりずっと有能ね」
「ありがとうございます。それと、花壇が見たいというなら歓迎しますよ。幽香さんのお目に適うかはわかりませんが」
「では、盛大に歓迎して貰いましょうか。貴方が咲かせた花が楽しみね」
今度の笑顔は、純粋にどんな花が見られるのか楽しみで仕方ないという少女らしいものだった。
なんだ、怖い妖怪だと聞いていたがなんてこともない。強者の分別もわきまえているし、花を愛でる乙女の愛らしさだってある。噂はやっぱりあてにならないのだな。
そんなことを考えていると、幽香さんは訝しげな顔で私の背後を窺う。つられて振り向いてみるが、誰もいないし何もない。紅魔館入り口までの道が広がるだけだ。
「どうかしましたか?」
「……いえ、別に」
訊ねる私に、幽香さんは含み笑いで応える。別に、と言う割には訳ありそうだけど、訊いたら応えてくれるか……な……?
「ゆ、幽香さん?」
「何かしら?」
「あ、あのなんで私は抱きしめられているんでしょうか?」
本当に突然、前触れ無く私は彼女に抱きしめられていた。全くもって意味がわからない。そんなことをする会話の流れではなかったはずだ。
回された腕は、力が込められているとは思えないほど優しく、なのに振りほどくことが出来ない。先程より間近に迫る二つの赤に知らず鼓動が早まる。
「そうね、花の前に貴方を楽しもうかと思って」
これは嘘だ。本気でないことはわかる。わかっているけど、だから鼓動が収まるわけでもない。
置物のように固まる私の唇に、彼女が指が触れ――
「ッ!?」
背中に氷柱が刺さったような強烈な殺気に、思わず彼女を突き飛ばし背中を守るように壁を背にする。
いったい今のは……? まさか侵入者というわけもあるまい。侵入したのなら私に殺気を向ける必要はない。それに、今の殺気は怒気や嫉妬が強く感じられた。
そんな感情をいったい誰が……?
「へえ、やっぱりそうなんじゃない」
独り言ちた幽香さんに言葉に我に返る。そうだ、殺気を感じたとは言え彼女を突き飛ばしてしまった。しっかりと謝らなければ。
「気にしなくていいわよ。私のせいだから」
「幽香さんのせい……?」
それはどういう意味なのか、と訊ねる間も無く彼女は続けて言う。
「まっ、それはともかく。花壇に案内してくれないかしら?」
「あ、はい。わかりました」
幽香さんのせい、ということはあの殺気は私ではなく幽香さんに向けられたもの? 強者故に敵が多いということだろうか。
私は釈然としないまま、幽香さんを花壇まで促した。
◇
赤いコスモスが風に揺られる花壇を前にした幽香さんは、感嘆の声を漏らす。
「へえ、丁寧に整備してあるのね」
「ありがとうございます。そう言ってもらえると嬉しいですね」
「コスモスか。貴方らしい花ね」
しゃがみ込んでコスモスと目線を合わせる幽香さんは、花の香りを楽しむように目を細める。
しかし、コスモスが私らしいとはどういう意味だろう。
「ああ、赤いコスモスの花言葉は『調和』なの。貴方がいないと、この館はもっと殺伐としているんじゃないかしら?」
「……まあ、そうかもしれません」
紅魔館の面々の顔を一人づつ浮かべると苦笑が出た。人の話を聞かないか、聞いても無視するような人ばかりだからなぁ。
そんな私に、幽香さんは納得したように続ける。
「なるほど。あの子も言ってたけど、貴方と一緒にいると落ち着くのね」
「あの子? 誰ですか?」
「ん、咲夜だけど」
「咲夜さんが? というか、知り合い同士だったんですか?」
私の問に幽香さんは頷く。
「人里で結構会うのよ。貴方はよく昼寝してサボってるって聞いてたけど、本当みたいね」
「それはその、なんというか……」
「それと、どういう関係って訊いたら『ただの上司と部下ですわ』って。本当なの?」
「……間違ってはいません」
私は門番で、咲夜さんは館全体を管理するメイド長。立場で言えば、彼女は上で私は下だ。何も間違ってはいない。
「ふぅん。けど、貴方は寂しそうな顔をしている。どうしてかしら?」
「……幽香さん、わかってて言ってませんか?」
「さてね」
意地悪な笑顔の彼女に、私は認識を改める。怖い妖怪ではないけれど、いじめっ子というのは本当のようだ。
そのいじめっ子はにやにやしたまま私の言葉を待っていた。私から話そうとしない限り、彼女は満足しないだろうということが『氣』を感じるまでもなく容易にわかる。
私は観念して理由を話し始めることにした。
「私は、咲夜さんを妹だと思っています。もちろん、血は繋がっていませんけど。けれど、それ以上の繋がりが共に過ごす中で作られたと、そう思うんです」
行き倒れていた幼い彼女に手を差し伸べたあの日から、私は彼女の姉になった。
吸血鬼の従者が人間を助けてどうするの、とお嬢様は呆れていたけど結局メイドとして彼女を紅魔館に住ませることを許してくれた。
それはただの気まぐれだったのかもしれないけど、もしかすると何か運命が見えていたのかもしれない。
「名前もわからなかった咲夜さんにお嬢様が名前をあげて、何もわからない咲夜さんにパチュリー様が本を読んであげて、私が料理や掃除のやり方を教えてあげて。まるで家族みたいだな、と思っていました」
だから、彼女も同じ気持だったら嬉しいと思っていた。
「けど、思い上がりと言われても仕方のないことです。今では私なんかよりも立派になりましたし、姉と思ってもらえなくても当然です」
だけど、それでも寂しいと思ってしまう。いつまでも彼女の姉でいたいというのは私の我儘だとしても。
黙って私の話を聞いていた幽香さんは、目の前のコスモスと会話をするように言葉を紡いでいく。
「ねえ、気持ちっていうのは伝えないと伝わらないものよ。それは言葉だったり文章だったりするけど、黙っていても伝わるほど人も妖怪も便利じゃない。伝えたいなら伝えないと」
「……」
「貴方は、どう想っているの?」
そう言って、幽香さんは立ち上がり私と向かい合う。
「花を見せてくれてありがとう。また、花が咲いたらお邪魔させてもらうわ」
「いえ、こちらこそ。ありがとうございました」
「あら、お礼を言われることなんてしたかしら」
相変わらず意地の悪い笑顔の彼女に、私は頭を下げてお礼を言う。
伝えなければ伝わらない。そんな当たり前のことを忘れていた。
たとえ私の我儘でも、私がそうでありたいということを伝えなければ何も変わらない。だから、彼女に伝えよう。私は貴方の姉でいたい、と。
幽香さんは、優しく微笑むと私に背を向けて立ち去る。しかし、すぐに立ち止まると、振り向かないまま思い出したように喋り始める。
「ああ、そうそう。コスモスの花言葉にはね、『乙女の愛情』っていう意味もあるのよ。先人も伝えにくいことは手紙とか、モノに託したみたいね」
独り言のような、しかし独り言にしては誰かに向けられた言葉を言い終えると、彼女は振り向くことなく紅魔館を後にした。
その背中を見送り、私がいつもの門前まで戻ろうとした時、
「美鈴」
小さな呼びかけと共に、袖が引かれた。
「……咲夜さん?」
どうしたんですか、と続けようとして、私は言葉に詰まる。
目前の咲夜さんは、苦虫を噛み潰したような不機嫌な顔をしていたからだ。
何か怒らせるようなことをしてしまったかと考えたが、思い当たる節が多すぎた。今だって持ち場を離れて幽香さんと話し込んでいたし。
「幽香と話していたわね」
「え、ええ……。ってどうしてそのことを知って」
「美鈴!」
「は、はい!?」
強く名前を呼ばれ、自然と直立不動の体勢になってしまう。これではどっちが姉かわかったものではない。いや、咲夜さんはそんなことは思っていないだろうけど……。
いやいや、そんなネガティブでどうする。そうであっても、まずは伝えなければ始まらないと決意したばかりではないか。
とは言っても、まずこの場を収めなければならないのだけど。
「美鈴! 私は……! 私は……」
「咲夜さん……?」
なおも私の名前を呼ぶ咲夜さんは、苦渋に顔を染めていく。
頼りたくないのに、頼るしかない情けなさが悔しい。歯噛みする表情はそう言ってるように思えた。
「美鈴」
もう一度、私の名前を呼ぶと咲夜さんは大きく深呼吸して、一拍間を置き、そして続ける。
「私の気持ちは、そういうこと……だから。返事は、いいから。わかってる」
それだけ言って、咲夜さんは足早に館の玄関に向かって行き――あ、ドアに頭ぶつけた――私から逃げるように姿を消した。
一人残された私は、『そういうこと』の意味を考えようと腕を組み――胸元の違和感に気がつく。
胸ポケットに差されていたのは、一輪のコスモスだった。おそらく時を止めている間に差したのだろう。
「これが『私の気持ち』って、どう……いう……」
瞬間、幽香さんの最後の言葉がフラッシュバックする。
――ああ、そうそう。コスモスの花言葉にはね、『乙女の愛情』っていう意味もあるのよ。
つまり、その、そういうことでいいんだろうか。いいんですよね?
私は、咲夜さんの姉でもいいんですね?
喜びに震える体を抑え、彼女の気持ちを大事に胸ポケットに戻す。
「……うん、返事はいらないって言ってたけど。やっぱり伝えないと」
いや、『伝えないと』ではなくて。
この気持ちは、『伝えたい』だ。
何と言っても退屈なのがいけない。紅魔館に訪れる者なんてそういないのだ。湖に囲まれたこの館に普通の人間が訪れるわけがない。やって来るのは自称普通の魔法使いくらいである。
平和が一番と言っても偶には変化が欲しくなる。隣人との喧嘩でも変化のない日常よりはマシだ、とは誰の言葉だっただろう。そんな益体のないことを考えていると、また欠伸が零れそうになる。
「んっ、くぁ……」
背筋を伸ばして眠気を誤魔化してみるが、それだけで覚めるようなものでもない。やはり、目が覚めるような何かが必要だ。
紅茶が珈琲になるようなものではなく、紅茶がミルクティーになるくらいの事でいい。それくらいのちょっとしたことで退屈は紛れるのに。
ぼんやりと空を見上げて流れる雲を眺める。流れる雲を数えていれば暇つぶしになるだろうか。
「門番がそんな顔をしていていいのかしら? 主人の能力まで疑われますよ」
突然かけられた声に慌てて背筋を正す。確かに私のせいでお嬢様の権威を傷つけるようなことがあってはマズイ。
って、聞き覚えのない声だけど一体誰かしら。私は視線を声がした方に向ける。
「こんにちは、直接会うのは初めてだったかしら」
「……えっと、風見幽香さん、ですか?」
若芽のような髪の色、赤いチェックのスカートに日傘を差した彼女の姿は、伝聞と幻想郷縁起の挿絵に描かれたものと一致する。
とは言っても、直接会うのは彼女が言ったとおり初めてだ。もしかしたら、人違いかもしれないが。
「ええ、そうよ。貴方は紅美鈴さんだったわね」
そんな私を安心させるように、彼女は笑顔を見せる。……可愛らしいと思うと同時に少し怖いとも思ってしまうが、ともかく人違いではないようだ。
さて、そうなるとどうしてここを訪ねてきたのかだけど。
「用事? ああ、ちょっと吸血鬼のちびっ子を虐めにね」
だから、そこを退いてくれない?
幽香さんは、世間話をするような軽さでそう言って、私の首に細い指を触れさせる。
撫でているわけではない。蛇が首を持ち上げ威嚇するように警告しているのだ。私がその気になれば、次の瞬間にはお前の喉は潰れている、と。薔薇のように赤い瞳は口よりも雄弁にそう語っていた。
それがわかっていても私は退く訳にはいかない。いや、退く必要はないというのが正確か。
私は肩をすくめて言う。
「花が見たいのならそう言ってくださいよ」
「……なんだ。つまらないわね、貴方」
幽香さんは拗ねたように言って唇を尖らせる。そんな子供っぽい彼女に苦笑してしまう。大妖怪は人をからからうのが趣味なんだろうか。
「本気かどうか、私は『氣』でわかるんですよ。虐めに来たというのが嘘だったら、ここに来る用事は図書館か花壇くらいです」
「ああ、そう言えばそうだったわ。貴方って思われているよりずっと有能ね」
「ありがとうございます。それと、花壇が見たいというなら歓迎しますよ。幽香さんのお目に適うかはわかりませんが」
「では、盛大に歓迎して貰いましょうか。貴方が咲かせた花が楽しみね」
今度の笑顔は、純粋にどんな花が見られるのか楽しみで仕方ないという少女らしいものだった。
なんだ、怖い妖怪だと聞いていたがなんてこともない。強者の分別もわきまえているし、花を愛でる乙女の愛らしさだってある。噂はやっぱりあてにならないのだな。
そんなことを考えていると、幽香さんは訝しげな顔で私の背後を窺う。つられて振り向いてみるが、誰もいないし何もない。紅魔館入り口までの道が広がるだけだ。
「どうかしましたか?」
「……いえ、別に」
訊ねる私に、幽香さんは含み笑いで応える。別に、と言う割には訳ありそうだけど、訊いたら応えてくれるか……な……?
「ゆ、幽香さん?」
「何かしら?」
「あ、あのなんで私は抱きしめられているんでしょうか?」
本当に突然、前触れ無く私は彼女に抱きしめられていた。全くもって意味がわからない。そんなことをする会話の流れではなかったはずだ。
回された腕は、力が込められているとは思えないほど優しく、なのに振りほどくことが出来ない。先程より間近に迫る二つの赤に知らず鼓動が早まる。
「そうね、花の前に貴方を楽しもうかと思って」
これは嘘だ。本気でないことはわかる。わかっているけど、だから鼓動が収まるわけでもない。
置物のように固まる私の唇に、彼女が指が触れ――
「ッ!?」
背中に氷柱が刺さったような強烈な殺気に、思わず彼女を突き飛ばし背中を守るように壁を背にする。
いったい今のは……? まさか侵入者というわけもあるまい。侵入したのなら私に殺気を向ける必要はない。それに、今の殺気は怒気や嫉妬が強く感じられた。
そんな感情をいったい誰が……?
「へえ、やっぱりそうなんじゃない」
独り言ちた幽香さんに言葉に我に返る。そうだ、殺気を感じたとは言え彼女を突き飛ばしてしまった。しっかりと謝らなければ。
「気にしなくていいわよ。私のせいだから」
「幽香さんのせい……?」
それはどういう意味なのか、と訊ねる間も無く彼女は続けて言う。
「まっ、それはともかく。花壇に案内してくれないかしら?」
「あ、はい。わかりました」
幽香さんのせい、ということはあの殺気は私ではなく幽香さんに向けられたもの? 強者故に敵が多いということだろうか。
私は釈然としないまま、幽香さんを花壇まで促した。
◇
赤いコスモスが風に揺られる花壇を前にした幽香さんは、感嘆の声を漏らす。
「へえ、丁寧に整備してあるのね」
「ありがとうございます。そう言ってもらえると嬉しいですね」
「コスモスか。貴方らしい花ね」
しゃがみ込んでコスモスと目線を合わせる幽香さんは、花の香りを楽しむように目を細める。
しかし、コスモスが私らしいとはどういう意味だろう。
「ああ、赤いコスモスの花言葉は『調和』なの。貴方がいないと、この館はもっと殺伐としているんじゃないかしら?」
「……まあ、そうかもしれません」
紅魔館の面々の顔を一人づつ浮かべると苦笑が出た。人の話を聞かないか、聞いても無視するような人ばかりだからなぁ。
そんな私に、幽香さんは納得したように続ける。
「なるほど。あの子も言ってたけど、貴方と一緒にいると落ち着くのね」
「あの子? 誰ですか?」
「ん、咲夜だけど」
「咲夜さんが? というか、知り合い同士だったんですか?」
私の問に幽香さんは頷く。
「人里で結構会うのよ。貴方はよく昼寝してサボってるって聞いてたけど、本当みたいね」
「それはその、なんというか……」
「それと、どういう関係って訊いたら『ただの上司と部下ですわ』って。本当なの?」
「……間違ってはいません」
私は門番で、咲夜さんは館全体を管理するメイド長。立場で言えば、彼女は上で私は下だ。何も間違ってはいない。
「ふぅん。けど、貴方は寂しそうな顔をしている。どうしてかしら?」
「……幽香さん、わかってて言ってませんか?」
「さてね」
意地悪な笑顔の彼女に、私は認識を改める。怖い妖怪ではないけれど、いじめっ子というのは本当のようだ。
そのいじめっ子はにやにやしたまま私の言葉を待っていた。私から話そうとしない限り、彼女は満足しないだろうということが『氣』を感じるまでもなく容易にわかる。
私は観念して理由を話し始めることにした。
「私は、咲夜さんを妹だと思っています。もちろん、血は繋がっていませんけど。けれど、それ以上の繋がりが共に過ごす中で作られたと、そう思うんです」
行き倒れていた幼い彼女に手を差し伸べたあの日から、私は彼女の姉になった。
吸血鬼の従者が人間を助けてどうするの、とお嬢様は呆れていたけど結局メイドとして彼女を紅魔館に住ませることを許してくれた。
それはただの気まぐれだったのかもしれないけど、もしかすると何か運命が見えていたのかもしれない。
「名前もわからなかった咲夜さんにお嬢様が名前をあげて、何もわからない咲夜さんにパチュリー様が本を読んであげて、私が料理や掃除のやり方を教えてあげて。まるで家族みたいだな、と思っていました」
だから、彼女も同じ気持だったら嬉しいと思っていた。
「けど、思い上がりと言われても仕方のないことです。今では私なんかよりも立派になりましたし、姉と思ってもらえなくても当然です」
だけど、それでも寂しいと思ってしまう。いつまでも彼女の姉でいたいというのは私の我儘だとしても。
黙って私の話を聞いていた幽香さんは、目の前のコスモスと会話をするように言葉を紡いでいく。
「ねえ、気持ちっていうのは伝えないと伝わらないものよ。それは言葉だったり文章だったりするけど、黙っていても伝わるほど人も妖怪も便利じゃない。伝えたいなら伝えないと」
「……」
「貴方は、どう想っているの?」
そう言って、幽香さんは立ち上がり私と向かい合う。
「花を見せてくれてありがとう。また、花が咲いたらお邪魔させてもらうわ」
「いえ、こちらこそ。ありがとうございました」
「あら、お礼を言われることなんてしたかしら」
相変わらず意地の悪い笑顔の彼女に、私は頭を下げてお礼を言う。
伝えなければ伝わらない。そんな当たり前のことを忘れていた。
たとえ私の我儘でも、私がそうでありたいということを伝えなければ何も変わらない。だから、彼女に伝えよう。私は貴方の姉でいたい、と。
幽香さんは、優しく微笑むと私に背を向けて立ち去る。しかし、すぐに立ち止まると、振り向かないまま思い出したように喋り始める。
「ああ、そうそう。コスモスの花言葉にはね、『乙女の愛情』っていう意味もあるのよ。先人も伝えにくいことは手紙とか、モノに託したみたいね」
独り言のような、しかし独り言にしては誰かに向けられた言葉を言い終えると、彼女は振り向くことなく紅魔館を後にした。
その背中を見送り、私がいつもの門前まで戻ろうとした時、
「美鈴」
小さな呼びかけと共に、袖が引かれた。
「……咲夜さん?」
どうしたんですか、と続けようとして、私は言葉に詰まる。
目前の咲夜さんは、苦虫を噛み潰したような不機嫌な顔をしていたからだ。
何か怒らせるようなことをしてしまったかと考えたが、思い当たる節が多すぎた。今だって持ち場を離れて幽香さんと話し込んでいたし。
「幽香と話していたわね」
「え、ええ……。ってどうしてそのことを知って」
「美鈴!」
「は、はい!?」
強く名前を呼ばれ、自然と直立不動の体勢になってしまう。これではどっちが姉かわかったものではない。いや、咲夜さんはそんなことは思っていないだろうけど……。
いやいや、そんなネガティブでどうする。そうであっても、まずは伝えなければ始まらないと決意したばかりではないか。
とは言っても、まずこの場を収めなければならないのだけど。
「美鈴! 私は……! 私は……」
「咲夜さん……?」
なおも私の名前を呼ぶ咲夜さんは、苦渋に顔を染めていく。
頼りたくないのに、頼るしかない情けなさが悔しい。歯噛みする表情はそう言ってるように思えた。
「美鈴」
もう一度、私の名前を呼ぶと咲夜さんは大きく深呼吸して、一拍間を置き、そして続ける。
「私の気持ちは、そういうこと……だから。返事は、いいから。わかってる」
それだけ言って、咲夜さんは足早に館の玄関に向かって行き――あ、ドアに頭ぶつけた――私から逃げるように姿を消した。
一人残された私は、『そういうこと』の意味を考えようと腕を組み――胸元の違和感に気がつく。
胸ポケットに差されていたのは、一輪のコスモスだった。おそらく時を止めている間に差したのだろう。
「これが『私の気持ち』って、どう……いう……」
瞬間、幽香さんの最後の言葉がフラッシュバックする。
――ああ、そうそう。コスモスの花言葉にはね、『乙女の愛情』っていう意味もあるのよ。
つまり、その、そういうことでいいんだろうか。いいんですよね?
私は、咲夜さんの姉でもいいんですね?
喜びに震える体を抑え、彼女の気持ちを大事に胸ポケットに戻す。
「……うん、返事はいらないって言ってたけど。やっぱり伝えないと」
いや、『伝えないと』ではなくて。
この気持ちは、『伝えたい』だ。
ちゃんと話全体の流れを考えて書いているんだろうなぁと。私は出来ません。
ドSでもなく、しかし設定に忠実にいじめっ子で、プラス素直に伝えない優しさがあるあたり、
このSSの幽香は個人的な幽香像にとても近い感じがします。
あとがき、開いたドアの向こうからレミリアが「……」みたいに見ている場面を幻視しました。