※この話は『茨歌仙脇道』というシリーズの四作目です。
単独でも問題なく読めますが、他の話をお読みになると、楽しみが二割一分零厘増すかもしれません。
では、本編をお楽しみください。
◆
「う~ん。いい天気ですね。今日はすることもないし……、神社にでも顔を出そうかしら」
太陽がどこまでも青い空のてっぺんから、地上を明るく、暑く照らしている。
東風谷早苗は博麗神社のある方向に向かって妖怪の山を歩き出していた。川のせせらぎが聴覚を刺激する。心地よい音色だった。
「しかし……、特にお土産話もありませんねぇ」
そんなことを考えていながら、早苗の足取りは軽やかだ。特に話がなくても暇つぶし程度にはなる、と踏んでいるのだろう。
そんなふうに歩いていると、早苗の視界に一人の女性が入る。
「やや?」
見ればその女性は真っ赤な着物を着ており、なにやら川に顔を向けてうずくまって泣いているようだった。
(のっぺらぼうかな……? でも、こんな昼間から出るわけないし……普通の人かしら? でもでも、人間が山に一人でいられる筈ないし……)
そう思い、早苗は一応警戒しながらその女性に近づく。
「あのー、どうしました? 大丈夫ですか?」
「…………ひぅ」
早苗の声に、女性は微かに反応した。話しかけられたことは認識したようだ。しかし、襲って来ないどころか、振り向きもしない。
どうやら、本当に困っているらしい。そう感じた早苗はひとまず泣いている理由を訊いてみることにした。
「あの、どうして泣かれているのですか?」
「…………」
女性は何も言わない。
と、次の瞬間、女性の顔が早苗の方を向いたかと思うと、早苗はいつの間にか空を見上げていた。
そして、早苗の世界は逆転した。
◇
「いや、本当なんですって!」
「はあ、やっぱりのっぺらぼうだったんじゃないの?」
「のっぺらぼうなんて山にいたか?」
私、茨華仙が夏の日差しの中、博麗神社を訪れると、霊夢と魔理沙、そして早苗がなにやら話をしていた。
「どうしたのかしら?」
「またお前か」と魔理沙。
「わわっ! ……あの、いきなり出てくるの、止めていただけませんか? 少し心臓に悪いのですが」
「福寿草でも煎じて飲んどけば?」霊夢は如何にも適当に危険なことを言う。
「は、はあ」
早苗は適当に相槌を打つ。よく見てみれば服が土で汚れており、髪もどこかぼさぼさしている感がある。
「で、もしかしなくても何かあったのですね?」
「え、ああ……はい」
早苗は少し虚を突かれたような風だったが、すぐに話し始める。
「さっき、ここに来るときに起こったことなのですが……川辺でうずくまって泣いている女性を見かけたのです」
「山で、ですか?」
「ええ、普通の人間ならば、いない筈ですよね」
早苗は霊夢と魔理沙をちらっと見ながら言う。
「何よ」霊夢が不機嫌な顔で早苗に言う。
「というか、お前も人間だろ」魔理沙も同様に言う。
「私は元々山に住居がありますし、神でもありますから!」
胸を張る早苗。
霊夢と魔理沙はやれやれ、と言いたそうな顔だ。
「あの……それで?」
「あ、すみません」早苗は姿勢を正す。「それで、最初はのっぺらぼうかな、とも思ったのですが、声を掛けても別段驚かす気もないみたいだったので、人間の方だと思いました」
「……その言い分だと、人間ではなかったみたいね」
「あの、それが……よく判らないのです」
「判らない、とは?」
判らない、なんてことはないと思うのだけれど……。
「あーなんかな」魔理沙が口を出す。「そいつの顔を見た瞬間、気を失ったらしいぜ」
「気を……失った?」
「そうなんです。それで気付いた時にはもう、その……妖怪はいなくなっていたのです」
「え、気を失っただけなの?」
「ええ、それが不思議なんですよね。何かを盗られたりとか、傷を負ったりなんてことはなかったようです。まあ、後頭部に少し痛みを感じた程度ですね」
「…………」
気を失わせる妖怪……?
ということは、のっぺらぼうではないのかしら? 彼奴らは驚かせたら満足なわけだし……。しかも、山に彼奴らはいない筈。
一体……。む、そういえば……。
「早苗、その身なりはどうしたの? 泥だらけだけど」
「あ、そういえばそうね」
霊夢は惚けたように言う。結構目立っているのに……。
「えっと、これは目が覚めた時にもう付いていました。四十八九、倒れた時に付いたんでしょう。泥の中に倒れたみたいで……、帰ったら洗わないと」
……どうして、そのとき帰らなかったのかしら。
それにしても……、それは危ないかもしれない。
早苗の妖怪退治はまだまだ付け焼刃だ。しかし、霊夢や魔理沙にそれほど劣るわけでもない。いや、それはさすがに言い過ぎにしても、それなりの腕があることは確かな筈だ。
早苗の話を聞く限り、どうやら河童や天狗ではないようだし……。
……行ってみますか。
「その妖怪とはどこらへんで遭遇したのかしら?」
「あーえっと……」
早苗は少し考えるような仕草をした後、言った。
「確か、玄武の沢の中流あたりだったと思います」
「じゃあちょっと、見てくるわ」
「いってらっしゃーい」霊夢が手を振る。
「……え、行かないの?」
霊夢の性格を考えれば、ここは乗ってくると思ったが……。
「だって、居るのか居ないのか判らない奴を退治しに行くのは、もう嫌だもん」
そう言って霊夢は魔理沙を睨みつける。
「何のことだ?」と素知らぬふりをする魔理沙。
まだ百鬼夜行の件を根に持っていたのね……。
◇
私は妖怪の山、方術で隠した家に住んでいる。
だから妖怪の山の地理は大体把握しているつもりだ。
しかし、あくまでも大体であって、細かいところはその限りではない。
それに、私が知っている山は昔の姿であって……。
と、ここで、早苗が気を失ったという場所に辿り着いた。
「ここね……」
玄武の沢。
山のどこかから湧き出て、魔法の森の近くにまで流れる川である。この流域は常に厳かな雰囲気に包まれており、その名の通り、本当に玄武がいるのではないかと感じさせるほどだ。
川の付近を見れば、確かに泥が溜まっているところが散見される。まあ、川なのだから当たり前なのだけれど。
要するに、早苗はこのあたりの泥に倒れてしまったらしい。
「ああ、これは汚れが落ちづらそうね……」
そんなことを呟きながら、川の周辺を見る。切り立った岩がいくつかある。そこに頭をぶつけなくてよかった……。
「あ、そこを往くのは仙人じゃないか」
突然、そう言う声が背後から聞こえた。
振り向くと、一匹の河童がいた。
「ああ、貴方は確か……」
「河城にとり。谷かっぱのにとりよ」と河童は自己紹介をした。「ご機嫌いかがかな?」
「ん……まあ、良好ですよ」
「ふうむ。そりゃ良かった」にとりはほっと息を吐く。
「……どうしたのですか? 私にわざわざ声を掛けてきたということは、用があるのでしょう?」
「んん? ……あはは」にとりは笑う。「さすが、仙人にゃあ敵わないね」
「さあ、私も用があるので、手早くお願いしますよ」
「オーライ」
にとりは緑の帽子を被り直して話を始める。
「実はさ、最近頻繁に我々の住処が何者かに荒らされてるんだ。それで、今その犯人を手分けで探していてね……何か知らないかい?」
「荒らされる?」私が問う。
「ああ、そうなんだ」にとりは困ったように言う。「我々の住処は、知っての通り水の中にある……、なのに、最近獣の爪で引っ掻いたような跡が増えていてね」
にとりはお手上げ、といった感じに両手を挙げた。
「獣?」
「ああ。妖怪なら、私らの住処なんぞ荒らす理由が見つからない。獣なら、食料目当ての犯行が成り立つ。無論、嫌がらせの可能性もないわけじゃないが」
「盗られたの?」
「ああ。きゅうりがさぁ……」
「は、はあ。ふうむ……」
確かに、さっきから何か動物の体毛が濡れた時のような、独特な野生の匂いが漂っている。
このあたりにいる動物に、毛を持つものなんていたかしら?
ん、川に棲みつき、体毛を持ち、人を転ばす……?
……まさかとは思うけど、もしかして……。
「貴方」
「ん、何だい?」
「犯人が分かったかもしれません」
「何だって!? それは本当かい?」にとりは驚く。「教えてくれ!」
「犯人は恐らく――」
◇
私はにとりに犯人の特徴を教え、その『巣』を捜索するよう言った。
しかし……、“アレ”が幻想入りしているとは、私は夢にも思わなかった。
でも、早苗が遭遇したのは、その特徴を考えるに、暴走した個体に違いないし。
それでも、不自然な点がいくつかあるけれど……。
「……おや」
どうやら、私は河童より先に見つけてしまったようだ。
黒くて細長い、ネズミよりも大きな動物がいた。
私は、右手をかざす。
◇
「え、ノビアガリ、ですか?」
「ええ、伸上りよ」
舞い戻って、博麗神社。日が沈む頃だというのに、早苗も魔理沙もまだ霊夢とお茶を啜っていた。まあ、そう踏んでいたから、戻ってきたのだけれど。
ちなみに、早苗は霊夢と同じ型の巫女装束を着ていた。霊夢の予備だそうだ。しかしはっきり言って、緑髪に紅白巫女服はミスマッチだった。
「なあ」魔理沙は湯呑を口に運びながら言う。「何なんだ? そのノビアガリとかいう奴は」
「私も聞いたことがないわ」霊夢が上の空で言う。
「どうぞ」
早苗がお茶を差しだす。こういう仕事は霊夢の役目ではないのかしら?
「今から説明しますからご心配なく」私もお茶を受け取りながら言う。「というか、みんなが知らないのも無理はないわ」
霊夢は、はぁ? と眉を吊り上げながらお茶を一口。
「伸上りは、山道を行く人の前に突然現れ、人間が見ている間に背を高くして、見上げれば見上げるほど伸びて、遂には転ばせてしまう妖怪です。姿ははっきりとしません。見越し入道の一種とも言われているわ」
「じゃあ、雲山の仲間か」魔理沙が言う。
「いや、あの入道はもう足を洗ったんじゃなかったっけ」霊夢はお茶を呑みながら言う。「まあ、どうでもいいけどね」
「でも、それはおかしいです」早苗が異議を唱える。
「冗談を言ったつもりはないんだけれど……」私は冗談を言う。
「いえ、そっちの“可笑しい”ではなくてですね」
真面目に答えられてしまった。冗談のつもりだったのだけれど……。
「私はうずくまっている女性しか見ていません。決してそのノビアガリという妖怪は見ていないはずなのです」
「ああ、それはね……」
「そいつがノビナヤミだったんだろ?」魔理沙が私の言葉を遮る。「何が不思議なんだよ」
「だって、伸上りは急に、それも目の前に現れるのでしょう? 私が遭った妖怪とは違う気がして……」
「…………」霊夢は無言だ。何かを考えているようにも見える。
「ああ、成程な」魔理沙は頷いた。「確かに」
そう、そこが私にも不思議だったのだが――ここが幻想郷であるということを思い出せば、まず有り得ないが、分からない理屈でもなかった。
「簡単な話です」私は早苗に言う。「伸上りがその女性に化けていたのです」
「やっぱり、私の言うとおりじゃないか!」
「え、でも……」
「ということは」霊夢が口を出す。「伸上りのベースになったやつがいるってことでしょう? そいつが派生の妖怪の特徴と混ざってしまった……、ってところかしら」
「そう……、そうね。霊夢が正しいわ」一瞬迷ったが、そう言っておいた。
私は湯呑を置く。
「伸上りの正体、というか、伸上りのベースは、カワウソなのよ」
「「「カワウソ?」」」三人が同時に言う。
「ええ。幻想郷に、カワウソはいなかったはずなのです」私は言葉を選びながら言う。「どうやら、最近幻想入りしてしまったようで」
「待って」霊夢が左手を挙げる。「カワウソが山にいるって言うの?」
「先ほど、実際に見てきました」私は記憶をまさぐる。「あれは……、ニホンカワウソね、恐らく」
「カワウソ……」早苗が頬杖をつく。「ああ、確かにあれは川の近くでしたね」
「なんで早苗を襲ったりしてたんだ?」魔理沙が訊く。
「恐らく、血気盛んなのでしょう。今の時期はちょうど、巣穴で孵った子供たちが出てくる頃ですし」
「危ないじゃないの!」
霊夢が叫んだ。そしてすぐ、にやりと悪そうな顔をする。
「それじゃあ、私が直々に……」
「大丈夫よ」私は霊夢の考えを切り捨てる。「私がしっかり“指導”しておきましたから」
「ちぇ」霊夢は残念そうにお茶を飲み干す。「……早苗、お茶」
「あの、私は一応、客の立場なのですが」早苗が当然の返しをする。
「私はお賽銭も奉納品も持ってこない輩を客と見なさないわ」霊夢は苛々しながら言う。「というか、私の服を貸してあげてるんだから、そのくらいいいじゃない」
「むー」
早苗は文句を言いたそうな顔だったが、霊夢の湯呑を持って中へ消えた。
魔理沙は笑っている。
成程、どおりで扱いがぞんざいな筈。
私たちは客として見られてなかったのね。
◇
数日後。
動物たちの噂で、河童の家は無事修繕されたということを知った。
もう襲われることはなくなったらしい。
伸上り――目の前に現われたかと思うと、見ている間にどんどん背が高くなり、それを見上げれば見上げるほど背が高くなっていく。そして人を転ばせる妖怪。そう、この妖怪は突然、目の前に現れる筈なのだ。
そして、早苗が言っていた、女性の姿。これはカワソ、またはカブソと呼ばれる妖怪の特徴だ。伸上りと同じく、カワウソがベースの怪異である。人間の言葉を話し、若い女に化けて油断させてから、人間を襲う。
今回現れた妖怪は、カブソの能力を持った、伸上りだったと言える。そんなことは、普通ありえない。だが、ここは幻想郷なのだ。『すべてを受け入れる』――だからこそ、今回のような怪異が現れることができた。
しかし……、あのカワウソ達は、人間の血の味を知っていた。
これはただの偶然なのか、それとも……。
まあ、カワウソたちにはいつかのマミ達のように、適切な策を打った。これでもう、カワウソ達が暴れ出すこともないだろう。……後者が理由でないならば、だが。
私は窓から、かなり痩せ細った月を眺めた。
太古の昔から、いつでも変わらぬ変化を止めずに変わり続ける月。
「変わるのはいつも人間ばかりだと思っていたけれど……妖怪も、変わるものなのかしら」
今の幻想郷で、生き残るために。
単独でも問題なく読めますが、他の話をお読みになると、楽しみが二割一分零厘増すかもしれません。
では、本編をお楽しみください。
◆
「う~ん。いい天気ですね。今日はすることもないし……、神社にでも顔を出そうかしら」
太陽がどこまでも青い空のてっぺんから、地上を明るく、暑く照らしている。
東風谷早苗は博麗神社のある方向に向かって妖怪の山を歩き出していた。川のせせらぎが聴覚を刺激する。心地よい音色だった。
「しかし……、特にお土産話もありませんねぇ」
そんなことを考えていながら、早苗の足取りは軽やかだ。特に話がなくても暇つぶし程度にはなる、と踏んでいるのだろう。
そんなふうに歩いていると、早苗の視界に一人の女性が入る。
「やや?」
見ればその女性は真っ赤な着物を着ており、なにやら川に顔を向けてうずくまって泣いているようだった。
(のっぺらぼうかな……? でも、こんな昼間から出るわけないし……普通の人かしら? でもでも、人間が山に一人でいられる筈ないし……)
そう思い、早苗は一応警戒しながらその女性に近づく。
「あのー、どうしました? 大丈夫ですか?」
「…………ひぅ」
早苗の声に、女性は微かに反応した。話しかけられたことは認識したようだ。しかし、襲って来ないどころか、振り向きもしない。
どうやら、本当に困っているらしい。そう感じた早苗はひとまず泣いている理由を訊いてみることにした。
「あの、どうして泣かれているのですか?」
「…………」
女性は何も言わない。
と、次の瞬間、女性の顔が早苗の方を向いたかと思うと、早苗はいつの間にか空を見上げていた。
そして、早苗の世界は逆転した。
◇
「いや、本当なんですって!」
「はあ、やっぱりのっぺらぼうだったんじゃないの?」
「のっぺらぼうなんて山にいたか?」
私、茨華仙が夏の日差しの中、博麗神社を訪れると、霊夢と魔理沙、そして早苗がなにやら話をしていた。
「どうしたのかしら?」
「またお前か」と魔理沙。
「わわっ! ……あの、いきなり出てくるの、止めていただけませんか? 少し心臓に悪いのですが」
「福寿草でも煎じて飲んどけば?」霊夢は如何にも適当に危険なことを言う。
「は、はあ」
早苗は適当に相槌を打つ。よく見てみれば服が土で汚れており、髪もどこかぼさぼさしている感がある。
「で、もしかしなくても何かあったのですね?」
「え、ああ……はい」
早苗は少し虚を突かれたような風だったが、すぐに話し始める。
「さっき、ここに来るときに起こったことなのですが……川辺でうずくまって泣いている女性を見かけたのです」
「山で、ですか?」
「ええ、普通の人間ならば、いない筈ですよね」
早苗は霊夢と魔理沙をちらっと見ながら言う。
「何よ」霊夢が不機嫌な顔で早苗に言う。
「というか、お前も人間だろ」魔理沙も同様に言う。
「私は元々山に住居がありますし、神でもありますから!」
胸を張る早苗。
霊夢と魔理沙はやれやれ、と言いたそうな顔だ。
「あの……それで?」
「あ、すみません」早苗は姿勢を正す。「それで、最初はのっぺらぼうかな、とも思ったのですが、声を掛けても別段驚かす気もないみたいだったので、人間の方だと思いました」
「……その言い分だと、人間ではなかったみたいね」
「あの、それが……よく判らないのです」
「判らない、とは?」
判らない、なんてことはないと思うのだけれど……。
「あーなんかな」魔理沙が口を出す。「そいつの顔を見た瞬間、気を失ったらしいぜ」
「気を……失った?」
「そうなんです。それで気付いた時にはもう、その……妖怪はいなくなっていたのです」
「え、気を失っただけなの?」
「ええ、それが不思議なんですよね。何かを盗られたりとか、傷を負ったりなんてことはなかったようです。まあ、後頭部に少し痛みを感じた程度ですね」
「…………」
気を失わせる妖怪……?
ということは、のっぺらぼうではないのかしら? 彼奴らは驚かせたら満足なわけだし……。しかも、山に彼奴らはいない筈。
一体……。む、そういえば……。
「早苗、その身なりはどうしたの? 泥だらけだけど」
「あ、そういえばそうね」
霊夢は惚けたように言う。結構目立っているのに……。
「えっと、これは目が覚めた時にもう付いていました。四十八九、倒れた時に付いたんでしょう。泥の中に倒れたみたいで……、帰ったら洗わないと」
……どうして、そのとき帰らなかったのかしら。
それにしても……、それは危ないかもしれない。
早苗の妖怪退治はまだまだ付け焼刃だ。しかし、霊夢や魔理沙にそれほど劣るわけでもない。いや、それはさすがに言い過ぎにしても、それなりの腕があることは確かな筈だ。
早苗の話を聞く限り、どうやら河童や天狗ではないようだし……。
……行ってみますか。
「その妖怪とはどこらへんで遭遇したのかしら?」
「あーえっと……」
早苗は少し考えるような仕草をした後、言った。
「確か、玄武の沢の中流あたりだったと思います」
「じゃあちょっと、見てくるわ」
「いってらっしゃーい」霊夢が手を振る。
「……え、行かないの?」
霊夢の性格を考えれば、ここは乗ってくると思ったが……。
「だって、居るのか居ないのか判らない奴を退治しに行くのは、もう嫌だもん」
そう言って霊夢は魔理沙を睨みつける。
「何のことだ?」と素知らぬふりをする魔理沙。
まだ百鬼夜行の件を根に持っていたのね……。
◇
私は妖怪の山、方術で隠した家に住んでいる。
だから妖怪の山の地理は大体把握しているつもりだ。
しかし、あくまでも大体であって、細かいところはその限りではない。
それに、私が知っている山は昔の姿であって……。
と、ここで、早苗が気を失ったという場所に辿り着いた。
「ここね……」
玄武の沢。
山のどこかから湧き出て、魔法の森の近くにまで流れる川である。この流域は常に厳かな雰囲気に包まれており、その名の通り、本当に玄武がいるのではないかと感じさせるほどだ。
川の付近を見れば、確かに泥が溜まっているところが散見される。まあ、川なのだから当たり前なのだけれど。
要するに、早苗はこのあたりの泥に倒れてしまったらしい。
「ああ、これは汚れが落ちづらそうね……」
そんなことを呟きながら、川の周辺を見る。切り立った岩がいくつかある。そこに頭をぶつけなくてよかった……。
「あ、そこを往くのは仙人じゃないか」
突然、そう言う声が背後から聞こえた。
振り向くと、一匹の河童がいた。
「ああ、貴方は確か……」
「河城にとり。谷かっぱのにとりよ」と河童は自己紹介をした。「ご機嫌いかがかな?」
「ん……まあ、良好ですよ」
「ふうむ。そりゃ良かった」にとりはほっと息を吐く。
「……どうしたのですか? 私にわざわざ声を掛けてきたということは、用があるのでしょう?」
「んん? ……あはは」にとりは笑う。「さすが、仙人にゃあ敵わないね」
「さあ、私も用があるので、手早くお願いしますよ」
「オーライ」
にとりは緑の帽子を被り直して話を始める。
「実はさ、最近頻繁に我々の住処が何者かに荒らされてるんだ。それで、今その犯人を手分けで探していてね……何か知らないかい?」
「荒らされる?」私が問う。
「ああ、そうなんだ」にとりは困ったように言う。「我々の住処は、知っての通り水の中にある……、なのに、最近獣の爪で引っ掻いたような跡が増えていてね」
にとりはお手上げ、といった感じに両手を挙げた。
「獣?」
「ああ。妖怪なら、私らの住処なんぞ荒らす理由が見つからない。獣なら、食料目当ての犯行が成り立つ。無論、嫌がらせの可能性もないわけじゃないが」
「盗られたの?」
「ああ。きゅうりがさぁ……」
「は、はあ。ふうむ……」
確かに、さっきから何か動物の体毛が濡れた時のような、独特な野生の匂いが漂っている。
このあたりにいる動物に、毛を持つものなんていたかしら?
ん、川に棲みつき、体毛を持ち、人を転ばす……?
……まさかとは思うけど、もしかして……。
「貴方」
「ん、何だい?」
「犯人が分かったかもしれません」
「何だって!? それは本当かい?」にとりは驚く。「教えてくれ!」
「犯人は恐らく――」
◇
私はにとりに犯人の特徴を教え、その『巣』を捜索するよう言った。
しかし……、“アレ”が幻想入りしているとは、私は夢にも思わなかった。
でも、早苗が遭遇したのは、その特徴を考えるに、暴走した個体に違いないし。
それでも、不自然な点がいくつかあるけれど……。
「……おや」
どうやら、私は河童より先に見つけてしまったようだ。
黒くて細長い、ネズミよりも大きな動物がいた。
私は、右手をかざす。
◇
「え、ノビアガリ、ですか?」
「ええ、伸上りよ」
舞い戻って、博麗神社。日が沈む頃だというのに、早苗も魔理沙もまだ霊夢とお茶を啜っていた。まあ、そう踏んでいたから、戻ってきたのだけれど。
ちなみに、早苗は霊夢と同じ型の巫女装束を着ていた。霊夢の予備だそうだ。しかしはっきり言って、緑髪に紅白巫女服はミスマッチだった。
「なあ」魔理沙は湯呑を口に運びながら言う。「何なんだ? そのノビアガリとかいう奴は」
「私も聞いたことがないわ」霊夢が上の空で言う。
「どうぞ」
早苗がお茶を差しだす。こういう仕事は霊夢の役目ではないのかしら?
「今から説明しますからご心配なく」私もお茶を受け取りながら言う。「というか、みんなが知らないのも無理はないわ」
霊夢は、はぁ? と眉を吊り上げながらお茶を一口。
「伸上りは、山道を行く人の前に突然現れ、人間が見ている間に背を高くして、見上げれば見上げるほど伸びて、遂には転ばせてしまう妖怪です。姿ははっきりとしません。見越し入道の一種とも言われているわ」
「じゃあ、雲山の仲間か」魔理沙が言う。
「いや、あの入道はもう足を洗ったんじゃなかったっけ」霊夢はお茶を呑みながら言う。「まあ、どうでもいいけどね」
「でも、それはおかしいです」早苗が異議を唱える。
「冗談を言ったつもりはないんだけれど……」私は冗談を言う。
「いえ、そっちの“可笑しい”ではなくてですね」
真面目に答えられてしまった。冗談のつもりだったのだけれど……。
「私はうずくまっている女性しか見ていません。決してそのノビアガリという妖怪は見ていないはずなのです」
「ああ、それはね……」
「そいつがノビナヤミだったんだろ?」魔理沙が私の言葉を遮る。「何が不思議なんだよ」
「だって、伸上りは急に、それも目の前に現れるのでしょう? 私が遭った妖怪とは違う気がして……」
「…………」霊夢は無言だ。何かを考えているようにも見える。
「ああ、成程な」魔理沙は頷いた。「確かに」
そう、そこが私にも不思議だったのだが――ここが幻想郷であるということを思い出せば、まず有り得ないが、分からない理屈でもなかった。
「簡単な話です」私は早苗に言う。「伸上りがその女性に化けていたのです」
「やっぱり、私の言うとおりじゃないか!」
「え、でも……」
「ということは」霊夢が口を出す。「伸上りのベースになったやつがいるってことでしょう? そいつが派生の妖怪の特徴と混ざってしまった……、ってところかしら」
「そう……、そうね。霊夢が正しいわ」一瞬迷ったが、そう言っておいた。
私は湯呑を置く。
「伸上りの正体、というか、伸上りのベースは、カワウソなのよ」
「「「カワウソ?」」」三人が同時に言う。
「ええ。幻想郷に、カワウソはいなかったはずなのです」私は言葉を選びながら言う。「どうやら、最近幻想入りしてしまったようで」
「待って」霊夢が左手を挙げる。「カワウソが山にいるって言うの?」
「先ほど、実際に見てきました」私は記憶をまさぐる。「あれは……、ニホンカワウソね、恐らく」
「カワウソ……」早苗が頬杖をつく。「ああ、確かにあれは川の近くでしたね」
「なんで早苗を襲ったりしてたんだ?」魔理沙が訊く。
「恐らく、血気盛んなのでしょう。今の時期はちょうど、巣穴で孵った子供たちが出てくる頃ですし」
「危ないじゃないの!」
霊夢が叫んだ。そしてすぐ、にやりと悪そうな顔をする。
「それじゃあ、私が直々に……」
「大丈夫よ」私は霊夢の考えを切り捨てる。「私がしっかり“指導”しておきましたから」
「ちぇ」霊夢は残念そうにお茶を飲み干す。「……早苗、お茶」
「あの、私は一応、客の立場なのですが」早苗が当然の返しをする。
「私はお賽銭も奉納品も持ってこない輩を客と見なさないわ」霊夢は苛々しながら言う。「というか、私の服を貸してあげてるんだから、そのくらいいいじゃない」
「むー」
早苗は文句を言いたそうな顔だったが、霊夢の湯呑を持って中へ消えた。
魔理沙は笑っている。
成程、どおりで扱いがぞんざいな筈。
私たちは客として見られてなかったのね。
◇
数日後。
動物たちの噂で、河童の家は無事修繕されたということを知った。
もう襲われることはなくなったらしい。
伸上り――目の前に現われたかと思うと、見ている間にどんどん背が高くなり、それを見上げれば見上げるほど背が高くなっていく。そして人を転ばせる妖怪。そう、この妖怪は突然、目の前に現れる筈なのだ。
そして、早苗が言っていた、女性の姿。これはカワソ、またはカブソと呼ばれる妖怪の特徴だ。伸上りと同じく、カワウソがベースの怪異である。人間の言葉を話し、若い女に化けて油断させてから、人間を襲う。
今回現れた妖怪は、カブソの能力を持った、伸上りだったと言える。そんなことは、普通ありえない。だが、ここは幻想郷なのだ。『すべてを受け入れる』――だからこそ、今回のような怪異が現れることができた。
しかし……、あのカワウソ達は、人間の血の味を知っていた。
これはただの偶然なのか、それとも……。
まあ、カワウソたちにはいつかのマミ達のように、適切な策を打った。これでもう、カワウソ達が暴れ出すこともないだろう。……後者が理由でないならば、だが。
私は窓から、かなり痩せ細った月を眺めた。
太古の昔から、いつでも変わらぬ変化を止めずに変わり続ける月。
「変わるのはいつも人間ばかりだと思っていたけれど……妖怪も、変わるものなのかしら」
今の幻想郷で、生き残るために。
ニホンカワウソが天然記念物なのは知ってましたが、絶滅種に指定されていたとは。
生態系がどんどん変化していきますね。大丈夫なのでしょうか日本の生物バランスは。不安です。
ともあれ今回も楽しめました。
今後も楽しみにしております。
私もニホンカワウソが絶滅危惧種なのは初めて知りました…
187/1375806711
がありましたが、やはり有名なだけに目立つのでしょう。
確かに伸び上がったポーズが似合う姿ではあります。
カワウソのことは私も知りませんでした……。
気になる終わり方ですね。
次回作が楽しみです。
次回が気になりますね。
次回は何が登場するのやら。
カワウソは昔、某学習帳の巻末で見ましたが、幻想入りされてましたか・・・
十中八九?