早朝。
雀が鳥居の上で鳴いている。
竹箒が地面を浚う。
朝日が社を照らし出す。
僅かに肌寒い秋のある日。
人里離れた博麗神社をわざわざ訪ねる者がいた。
石階段を踏み締める音は、すぐに博麗霊夢の耳に届いた。
一歩。
一歩。
また一歩。
ざっざっざっ。
規則正しく。
迷いなく。
確実に。
──まず見えたのは、燃えるような赤色の短髪。
「あら」
次いで同じく赤色のマントをたなびかせるのを見て、霊夢は彼女が誰かを悟る。
つい最近のことである。勝手に道具が動き出すという、一際奇怪な異変があった。
それに乗じて人里で暴れていた雑多な妖怪の一人が、確か彼女だったはずだ。
柳の木の下が似合う、首の伸びないろくろ首の少女。
「いつぞやの、増長した非力な妖怪じゃないの」
勝ち気な笑みを浮かべた霊夢は、掃除の手を止めて赤色の妖怪に皮肉を吐く。
「こんにちは、妖怪神社の巫女さん」
「連中が勝手に屯しているだけよ」
「どうだか」
「何なら、貴方ももう一回退治してあげようかしら?」
招かれざる客に箒の先を突き付ける霊夢に、赤蛮奇はどぉどぉと両手を掲げて彼女を諌める。
報復しに来た訳ではないらしい。彼女からかつて感じた戦意がすっかり抜け切っていることに気付いた霊夢は、一つ尋ねる。
「それで、今日はどういった要件で。あ、賽銭箱はあそこよ」
「……貧乏神社って噂も本当なのね」
「うるさいわね。賽銭するの、しないの」
「あー、いや、まあ賽銭はしていくけど」
赤蛮奇は僅かに赤くなった頬を掻いて霊夢から目を逸し、歯切れ悪く言葉を紡ぐ。
「……一言、謝っておこうと思って」
「はぁ?」
「だから、謝りに来たの。人里で暮らしている身分、博麗の巫女との間に禍根を残しておいたら、恐ろしくておちおち外も出歩けないし」
別に霊夢は赤蛮奇のような弱小妖怪との間に禍根が残っているなど感じていないし、たとえ人里でばったり遭遇したとしても、向こうから接触して来ない限りは気にもかけないのだが、まあ慇懃にもわざわざ謝りたいというなら謝らせておこうと、一瞬思考を巡らせた後に結論付けた。
赤蛮奇は頭を下げる。
「ごめんなさい」
「あー、はいはい。あんたの誠意は受け取ったわ」
しかし、どうもこういうのは慣れない。異変の後にいけしゃあしゃあと神社に乗り込んできた怖いもの知らずの吸血鬼はいたが、まさかわざわざ謝罪に来るとは。
妖怪をやっていると博麗の巫女の恐ろしさは見に染みて理解させられているのだろうか。実際、スペルカードルール制定前であれば、今頃彼女が三途の川を渡っていないという確証は無いのだが。律儀に賽銭箱に小銭を投げて二礼二拍一礼する赤蛮奇の背中姿は、ただの少女のそれであった。
「……不思議ね」
「何が?」
自覚無くふと一人呟いてから、そのことに気付いた霊夢はいつの間にかすぐ近くまで戻ってきた赤蛮奇の顔に慌てふためき、どうにか取り繕う。
「いや、正直に言って、あんたが人里で暴れるような妖怪に見えないのよ」
「……それは、あの小人が持っている打ち出の小槌の魔力の影響でしょ。そう聞いたけど」
「それはそうなんだけどね」
どうも赤蛮奇の顔が冴えない。……確かあの頭、飛ぶどころか増殖したっけ、どういう仕組なのだろう、と霊夢は回想する。
「別にあんただけが暴れた妖怪って訳じゃないけど、全ての妖怪が暴れた訳でもないのよ。もちろん、名と力のある妖怪が小槌の魔力の影響なんか受付けなかった、ってのはわかるんだけど、あんたらみたいな底辺妖怪でも、大人しくしていたのはそれなりにいるのよねえ」
ひー、ふー、みーと指折り数える霊夢に、赤蛮奇の顔色はますます曇っていく。
「たまたまじゃないの? ……魔力の波長が合う合わないとか、あるでしょ、うん」
「どうかしら。例えばあの竹林の狼女、知ってる?」
「今泉……何といったっけ。私は草の根妖怪ネットワークとはあまり縁が無いから、詳しくないけど」
「そうそう、その今泉ナントカ。あの日は満月だったから、あいつだったら元々気分が高揚していた、とか、魔力に呼応してしまった理由が説明できるけど」
あの人魚はどうなのだろう。元々下克上でも企んでいたのだろうか。ずっと水面下から空飛ぶ人妖達を見上げていたのだし、きっと偏屈な性格なのだろう、有り得るな、と重力を知らない霊夢が勝手に謂れのない推測をしていたところで、不意に顔を持ち上げると、いよいよ赤蛮奇の顔は青くなっていた。
「……帰っていいかな。というか、帰る。さようなら」
しかし果たして哀れなことに。
博麗の巫女はしがない妖怪一人に対しては圧倒的強者であった。
赤蛮奇が踵を返した瞬間、彼女は背後で霊夢の気配が膨張するのを感じ取り――身構えるより早く、彼女は発現した巨大な御札の鎖に周囲をぐるりと囲まれた。
振り向くと、そこには面白い玩具を見つけたような霊夢の満面の笑み。とりあえず赤蛮奇は苦々しい愛想笑いを返しておいたが、物騒な包囲網が解かれそうにはなかった。
「あら、折角来てくれたのに、すぐ帰るなんてないわよ」
バチバチと荒ぶる御札の向こうで言うのものだから、霊夢の顔はそれはそれは恐ろしいものに赤蛮奇の目には映ったのだった。一時はあんなものに平然と喧嘩を売ったのだから、小槌の魔力の影響はさぞ大きかったのだろうと、彼女は何回目かの後悔をする。
「……御気遣いなく」
「まどろっこしいわね。洗いざらい吐けって言ってるの」
「……別に、大した話ではないのだけど」
「話の大小は私が決めるわ」
「……面白くもなんとも」
「私の第六感が告げているの。絶対面白いって」
ああ無情。しがない下っ端妖怪風情は巫女に抗うことも許されないのだろう。退路極まった赤蛮奇は呻きながら片手で顔を覆って、今になって思い出した。博麗霊夢は、まだ齢十を数えて間も無い少女なのだと。外面は大人びた仮面を被っているかもしれないが、その内は好奇心旺盛なだだの子供なのだと。
首が飛ぶ特技も、今は役に立ちそうになかった。残念ながら、本体は身体の方なのである。
とはいえ、
「……失恋だぁ?」
なんて言って、霊夢の信じられないものを見る目には、赤蛮奇も流石に居た堪れなくなるのもので。
場所は移って神社の奥の縁側。並んで腰掛けている二人の姿は傍からは睦まじく見えるが、その実、連行の上での拘束と軟禁であった。
「失恋というのは、語弊があるけど」
「同じようなものでしょ」
「違う。全っ然、違う。別に恋慕していた訳じゃない」
当初はひたすらに隠し通すつもりだった赤蛮奇だが、今は変な誤解を招かないように霊夢の質問には正直に答える方へ方針転換したらしい。
目も髪もマントも真っ赤なのに、遂に頬まで赤く染め上げ、あたふたと弁明する彼女の姿は、多分に滑稽であった。
赤蛮奇曰く、つまりは
「……数十年ぶりに、人里の子供達と仲良くなって」
「うん」
「一緒に遊んでいる時に、ちょっと驚かせてやろうと、首を飛ばしたら……」
「思いっきり恐がれた、と」
「……」
「んで、落ち込んで」
「……はい」
「情緒不安定になって」
「…………はい」
その挙句があの暴走である。
くだらない、と言いたげな表情を浮かべた霊夢は、いや我慢する必要も無いかと「くだらない」と言ってやった。赤蛮奇はいよいよ羞恥の余り膝を抱え込み顔を埋めてしまった。
「……だって」
「うん?」
「だって、子供、可愛いし」
「妖怪のくせに何を抜かしてんの」
「私は人間を食べない妖怪だもん」
「確かにろくろ首の人食いの話は聞いたことがないけど」
視線を持ち上げた赤蛮奇は唇を尖らせる。
「勇気を出して話しかけて、どうにか仲良くなって、今度は面白がってくれるかな、受け入れてくれるかな、って期待していたのに……」
どだい無茶な話であった。子供が知る人間というものは少なくとも頭を飛ばしたりはしない。
しかもその話し振りだと、同じようなことを数十年周期で繰り返しているようだった。いよいよ哀れである。
「幻想郷では人間と妖怪が共存していると言っても、それはあの妖怪の賢者が介入して初めて成り立つ、漠然とした敵対関係よ」
「……妖怪と人間は、分かり合えないと?」
「そうは言わないわ。個人単位なら相互理解も難しくない。幻想郷はそこまで根本的に異なる存在を近付けた。だけど、それを全ての人妖に期待するのは、無謀よ」
赤蛮奇は人里では人間に扮して生活している──それは即ち妖怪としてはそこで暮らすのは難しいという事実の証左を、自らを以って体現しているということである。
さぁっ、と旋風が木の葉を巻き込んで吹き上がった。
ぽつり。赤蛮奇は独白する。
「……私なんてのは、幻想郷の妖怪の中でも底辺だから。感覚的には人間達に通じるところの方が多かったりするの」
それは博麗霊夢には理解し難い心象であった。
「人里で暮らしているのも、他の妖怪の価値観がしっくり来ないからよ。彼らは長寿故に刹那的で、冷淡で……私からすれば、短い一生を全うしようとする人間の方が、よっぽど輝いて見えるわ」
「人間からすれば、妖怪の命の長さは羨ましく思えるものよ」
「まあ、そんなものなのだろうね。でも私は、人間に憧れた。人間になれなくても、人間と共に生きることはできるだろうと、思った……」
赤蛮奇が唇を噛み締めるのを、膝を抱く腕を締めるのを、細められた瞳が悲哀を湛えるのを、霊夢は横目で窺っていた。
「だけど、難しいものね。人間は本当にあっという間に逝ってしまうわ。なのに、残された方にはそれはもう沢山の感傷を置いていくものだから、すぐに私は悟ったの。妖怪が人間と必要以上に関わろうものなら、瞬く間に心が壊れてしまうって」
「人里にしがみついているのは、ひとえに未練かしら」
「手厳しいわね。……多分、そうよ。近くで人間を見ていたいという、せめてもの願望」
何とも滑稽な妖怪だと、霊夢は溜息を吐いた。
彼女が人間の子供と関わろうとするのは、恐らくはその無垢さか、先の長さに期待しているのだろう。
赤蛮奇は妖怪としての矜持を捨てた訳ではない。ろくろ首としての自己を肯定した上で、人間と生きる可能性を模索している。〝妖怪赤蛮奇〟を仲間として受け入れてくれる人間の誰かを見つけようと。それは果てしなく困難な道程に思えた。
「……自分語りが過ぎたわね。もう満足かしら?」
「ええ、高尚な夢を聞かされて、こっちはお腹いっぱいよ」
「そうかい」
立ち上がった赤蛮奇の顔は、どこか吹っ切れたものに見えた。群れられない彼女が他人に胸の内を語るなど、久しぶりなのかもしれない。
肩入れする気には、ならなかった。赤蛮奇のそれは余りに荒唐無稽で、霊夢が生きている内に達成されるとは、とてもではないが考えられなかった。
ただ、何となく、見送りぐらいはしてやろうと思ったのだ。
「別にあんたの考えに口出しする気は無いわ。この前みたいに暴れない限りは、好きにしなさい」
「言われなくても、そうするわよ」
──邪魔したわね。
赤蛮奇は踵を返してマントを翻し、歩き出す。その背中が少しずつ小さくなるのを霊夢は無表情で眺め──彼女が階段を降り始めようという時、気まぐれという名前の故意が、胸の奥底から這い上がってくるのを感じた。
抗えず、叫ぶ。
「そこの、マヌケ妖怪!」
赤蛮奇の脚が止まり、ゆっくりと振り返る。
「あんたの夢なんか、どうでもいいんだけど。……この博麗神社では、少なくとも人間と妖怪の区別は無いわ。祭りの時にでも、顔出しなさい」
きょとんと目を丸くしていた彼女の顔がゆっくりと破顔するのを見て、照れ臭さに霊夢は頭を掻いて誤魔化そうとするが、とうとう僅かに赤面してしまう。ただ後悔の念は無かった。
赤蛮奇は何も言わず、また背を向けると、後ろ向きにひらひらと手を振って、階段の奥へと消えていった。
しばらく霊夢の脳裏からは、赤蛮奇の鮮やかな青色のリボンの影がこびりついて消えなかった。
雀が鳥居の上で鳴いている。
竹箒が地面を浚う。
朝日が社を照らし出す。
僅かに肌寒い秋のある日。
人里離れた博麗神社をわざわざ訪ねる者がいた。
石階段を踏み締める音は、すぐに博麗霊夢の耳に届いた。
一歩。
一歩。
また一歩。
ざっざっざっ。
規則正しく。
迷いなく。
確実に。
──まず見えたのは、燃えるような赤色の短髪。
「あら」
次いで同じく赤色のマントをたなびかせるのを見て、霊夢は彼女が誰かを悟る。
つい最近のことである。勝手に道具が動き出すという、一際奇怪な異変があった。
それに乗じて人里で暴れていた雑多な妖怪の一人が、確か彼女だったはずだ。
柳の木の下が似合う、首の伸びないろくろ首の少女。
「いつぞやの、増長した非力な妖怪じゃないの」
勝ち気な笑みを浮かべた霊夢は、掃除の手を止めて赤色の妖怪に皮肉を吐く。
「こんにちは、妖怪神社の巫女さん」
「連中が勝手に屯しているだけよ」
「どうだか」
「何なら、貴方ももう一回退治してあげようかしら?」
招かれざる客に箒の先を突き付ける霊夢に、赤蛮奇はどぉどぉと両手を掲げて彼女を諌める。
報復しに来た訳ではないらしい。彼女からかつて感じた戦意がすっかり抜け切っていることに気付いた霊夢は、一つ尋ねる。
「それで、今日はどういった要件で。あ、賽銭箱はあそこよ」
「……貧乏神社って噂も本当なのね」
「うるさいわね。賽銭するの、しないの」
「あー、いや、まあ賽銭はしていくけど」
赤蛮奇は僅かに赤くなった頬を掻いて霊夢から目を逸し、歯切れ悪く言葉を紡ぐ。
「……一言、謝っておこうと思って」
「はぁ?」
「だから、謝りに来たの。人里で暮らしている身分、博麗の巫女との間に禍根を残しておいたら、恐ろしくておちおち外も出歩けないし」
別に霊夢は赤蛮奇のような弱小妖怪との間に禍根が残っているなど感じていないし、たとえ人里でばったり遭遇したとしても、向こうから接触して来ない限りは気にもかけないのだが、まあ慇懃にもわざわざ謝りたいというなら謝らせておこうと、一瞬思考を巡らせた後に結論付けた。
赤蛮奇は頭を下げる。
「ごめんなさい」
「あー、はいはい。あんたの誠意は受け取ったわ」
しかし、どうもこういうのは慣れない。異変の後にいけしゃあしゃあと神社に乗り込んできた怖いもの知らずの吸血鬼はいたが、まさかわざわざ謝罪に来るとは。
妖怪をやっていると博麗の巫女の恐ろしさは見に染みて理解させられているのだろうか。実際、スペルカードルール制定前であれば、今頃彼女が三途の川を渡っていないという確証は無いのだが。律儀に賽銭箱に小銭を投げて二礼二拍一礼する赤蛮奇の背中姿は、ただの少女のそれであった。
「……不思議ね」
「何が?」
自覚無くふと一人呟いてから、そのことに気付いた霊夢はいつの間にかすぐ近くまで戻ってきた赤蛮奇の顔に慌てふためき、どうにか取り繕う。
「いや、正直に言って、あんたが人里で暴れるような妖怪に見えないのよ」
「……それは、あの小人が持っている打ち出の小槌の魔力の影響でしょ。そう聞いたけど」
「それはそうなんだけどね」
どうも赤蛮奇の顔が冴えない。……確かあの頭、飛ぶどころか増殖したっけ、どういう仕組なのだろう、と霊夢は回想する。
「別にあんただけが暴れた妖怪って訳じゃないけど、全ての妖怪が暴れた訳でもないのよ。もちろん、名と力のある妖怪が小槌の魔力の影響なんか受付けなかった、ってのはわかるんだけど、あんたらみたいな底辺妖怪でも、大人しくしていたのはそれなりにいるのよねえ」
ひー、ふー、みーと指折り数える霊夢に、赤蛮奇の顔色はますます曇っていく。
「たまたまじゃないの? ……魔力の波長が合う合わないとか、あるでしょ、うん」
「どうかしら。例えばあの竹林の狼女、知ってる?」
「今泉……何といったっけ。私は草の根妖怪ネットワークとはあまり縁が無いから、詳しくないけど」
「そうそう、その今泉ナントカ。あの日は満月だったから、あいつだったら元々気分が高揚していた、とか、魔力に呼応してしまった理由が説明できるけど」
あの人魚はどうなのだろう。元々下克上でも企んでいたのだろうか。ずっと水面下から空飛ぶ人妖達を見上げていたのだし、きっと偏屈な性格なのだろう、有り得るな、と重力を知らない霊夢が勝手に謂れのない推測をしていたところで、不意に顔を持ち上げると、いよいよ赤蛮奇の顔は青くなっていた。
「……帰っていいかな。というか、帰る。さようなら」
しかし果たして哀れなことに。
博麗の巫女はしがない妖怪一人に対しては圧倒的強者であった。
赤蛮奇が踵を返した瞬間、彼女は背後で霊夢の気配が膨張するのを感じ取り――身構えるより早く、彼女は発現した巨大な御札の鎖に周囲をぐるりと囲まれた。
振り向くと、そこには面白い玩具を見つけたような霊夢の満面の笑み。とりあえず赤蛮奇は苦々しい愛想笑いを返しておいたが、物騒な包囲網が解かれそうにはなかった。
「あら、折角来てくれたのに、すぐ帰るなんてないわよ」
バチバチと荒ぶる御札の向こうで言うのものだから、霊夢の顔はそれはそれは恐ろしいものに赤蛮奇の目には映ったのだった。一時はあんなものに平然と喧嘩を売ったのだから、小槌の魔力の影響はさぞ大きかったのだろうと、彼女は何回目かの後悔をする。
「……御気遣いなく」
「まどろっこしいわね。洗いざらい吐けって言ってるの」
「……別に、大した話ではないのだけど」
「話の大小は私が決めるわ」
「……面白くもなんとも」
「私の第六感が告げているの。絶対面白いって」
ああ無情。しがない下っ端妖怪風情は巫女に抗うことも許されないのだろう。退路極まった赤蛮奇は呻きながら片手で顔を覆って、今になって思い出した。博麗霊夢は、まだ齢十を数えて間も無い少女なのだと。外面は大人びた仮面を被っているかもしれないが、その内は好奇心旺盛なだだの子供なのだと。
首が飛ぶ特技も、今は役に立ちそうになかった。残念ながら、本体は身体の方なのである。
とはいえ、
「……失恋だぁ?」
なんて言って、霊夢の信じられないものを見る目には、赤蛮奇も流石に居た堪れなくなるのもので。
場所は移って神社の奥の縁側。並んで腰掛けている二人の姿は傍からは睦まじく見えるが、その実、連行の上での拘束と軟禁であった。
「失恋というのは、語弊があるけど」
「同じようなものでしょ」
「違う。全っ然、違う。別に恋慕していた訳じゃない」
当初はひたすらに隠し通すつもりだった赤蛮奇だが、今は変な誤解を招かないように霊夢の質問には正直に答える方へ方針転換したらしい。
目も髪もマントも真っ赤なのに、遂に頬まで赤く染め上げ、あたふたと弁明する彼女の姿は、多分に滑稽であった。
赤蛮奇曰く、つまりは
「……数十年ぶりに、人里の子供達と仲良くなって」
「うん」
「一緒に遊んでいる時に、ちょっと驚かせてやろうと、首を飛ばしたら……」
「思いっきり恐がれた、と」
「……」
「んで、落ち込んで」
「……はい」
「情緒不安定になって」
「…………はい」
その挙句があの暴走である。
くだらない、と言いたげな表情を浮かべた霊夢は、いや我慢する必要も無いかと「くだらない」と言ってやった。赤蛮奇はいよいよ羞恥の余り膝を抱え込み顔を埋めてしまった。
「……だって」
「うん?」
「だって、子供、可愛いし」
「妖怪のくせに何を抜かしてんの」
「私は人間を食べない妖怪だもん」
「確かにろくろ首の人食いの話は聞いたことがないけど」
視線を持ち上げた赤蛮奇は唇を尖らせる。
「勇気を出して話しかけて、どうにか仲良くなって、今度は面白がってくれるかな、受け入れてくれるかな、って期待していたのに……」
どだい無茶な話であった。子供が知る人間というものは少なくとも頭を飛ばしたりはしない。
しかもその話し振りだと、同じようなことを数十年周期で繰り返しているようだった。いよいよ哀れである。
「幻想郷では人間と妖怪が共存していると言っても、それはあの妖怪の賢者が介入して初めて成り立つ、漠然とした敵対関係よ」
「……妖怪と人間は、分かり合えないと?」
「そうは言わないわ。個人単位なら相互理解も難しくない。幻想郷はそこまで根本的に異なる存在を近付けた。だけど、それを全ての人妖に期待するのは、無謀よ」
赤蛮奇は人里では人間に扮して生活している──それは即ち妖怪としてはそこで暮らすのは難しいという事実の証左を、自らを以って体現しているということである。
さぁっ、と旋風が木の葉を巻き込んで吹き上がった。
ぽつり。赤蛮奇は独白する。
「……私なんてのは、幻想郷の妖怪の中でも底辺だから。感覚的には人間達に通じるところの方が多かったりするの」
それは博麗霊夢には理解し難い心象であった。
「人里で暮らしているのも、他の妖怪の価値観がしっくり来ないからよ。彼らは長寿故に刹那的で、冷淡で……私からすれば、短い一生を全うしようとする人間の方が、よっぽど輝いて見えるわ」
「人間からすれば、妖怪の命の長さは羨ましく思えるものよ」
「まあ、そんなものなのだろうね。でも私は、人間に憧れた。人間になれなくても、人間と共に生きることはできるだろうと、思った……」
赤蛮奇が唇を噛み締めるのを、膝を抱く腕を締めるのを、細められた瞳が悲哀を湛えるのを、霊夢は横目で窺っていた。
「だけど、難しいものね。人間は本当にあっという間に逝ってしまうわ。なのに、残された方にはそれはもう沢山の感傷を置いていくものだから、すぐに私は悟ったの。妖怪が人間と必要以上に関わろうものなら、瞬く間に心が壊れてしまうって」
「人里にしがみついているのは、ひとえに未練かしら」
「手厳しいわね。……多分、そうよ。近くで人間を見ていたいという、せめてもの願望」
何とも滑稽な妖怪だと、霊夢は溜息を吐いた。
彼女が人間の子供と関わろうとするのは、恐らくはその無垢さか、先の長さに期待しているのだろう。
赤蛮奇は妖怪としての矜持を捨てた訳ではない。ろくろ首としての自己を肯定した上で、人間と生きる可能性を模索している。〝妖怪赤蛮奇〟を仲間として受け入れてくれる人間の誰かを見つけようと。それは果てしなく困難な道程に思えた。
「……自分語りが過ぎたわね。もう満足かしら?」
「ええ、高尚な夢を聞かされて、こっちはお腹いっぱいよ」
「そうかい」
立ち上がった赤蛮奇の顔は、どこか吹っ切れたものに見えた。群れられない彼女が他人に胸の内を語るなど、久しぶりなのかもしれない。
肩入れする気には、ならなかった。赤蛮奇のそれは余りに荒唐無稽で、霊夢が生きている内に達成されるとは、とてもではないが考えられなかった。
ただ、何となく、見送りぐらいはしてやろうと思ったのだ。
「別にあんたの考えに口出しする気は無いわ。この前みたいに暴れない限りは、好きにしなさい」
「言われなくても、そうするわよ」
──邪魔したわね。
赤蛮奇は踵を返してマントを翻し、歩き出す。その背中が少しずつ小さくなるのを霊夢は無表情で眺め──彼女が階段を降り始めようという時、気まぐれという名前の故意が、胸の奥底から這い上がってくるのを感じた。
抗えず、叫ぶ。
「そこの、マヌケ妖怪!」
赤蛮奇の脚が止まり、ゆっくりと振り返る。
「あんたの夢なんか、どうでもいいんだけど。……この博麗神社では、少なくとも人間と妖怪の区別は無いわ。祭りの時にでも、顔出しなさい」
きょとんと目を丸くしていた彼女の顔がゆっくりと破顔するのを見て、照れ臭さに霊夢は頭を掻いて誤魔化そうとするが、とうとう僅かに赤面してしまう。ただ後悔の念は無かった。
赤蛮奇は何も言わず、また背を向けると、後ろ向きにひらひらと手を振って、階段の奥へと消えていった。
しばらく霊夢の脳裏からは、赤蛮奇の鮮やかな青色のリボンの影がこびりついて消えなかった。
ああ、輝針城がプレイできないのがもどかしい...。
すいません、愚痴ってしまいました。
とにかく良い作品でした。
次回作を待ってます。
神社に来る人間の中には、首がとれるくらいで怖がるようなやわな奴はいないから安心してくるといいよ。
いくらでもやりようが出てくるね。
かわいいじゃないか
最後の霊夢なりの心遣いもグッとくるものがありました。
お互いに不器用な二人が醸し出す素敵な雰囲気に魅せられました。
この二人の関係性、凄く良いですね。
人里近くに住んでいる理由も上手く消化出来ています。
輝針城体験版の三人の中ではあまり魅力を感じていなかった赤蛮奇ですが、
このSSを含め色々な作品を見るにつれて段々と魅力的に映るようになってきたように思います。