「明日、異変を起こしてやるぜ」
博麗神社の一室に、語気を強めた魔理沙の宣言がされる。十年来の想いを外に打ち明けるときのような、切羽詰まった顔だ。
「……」
その場に居合わせた紫は、一見興味無さげにすましているが、しっかりと耳は傾けられている。
魔理沙の眼差しはしっかりと、霊夢を捉えていた。
「ふーん」
肝心の霊夢はスルーした。
博麗神社には厄介な人妖が寄り集まってくる。それは霊夢の意思に関係なく勝手に集まってきているだけで、そのせいか霊夢は彼女らを厄介者として扱っている。
特に魔理沙と紫なんて存在は五本指に入るほどの疫病神ぶりを発揮していて、その片方がよくわからないことを言い始めたとあれば自然と霊夢の気力も減っていく。聞き流してはいないのだが、単に相手にするのが面倒臭かっただけだった。まあ霊夢は基本お人好しで、そのお陰で二人ともと仲良くやれてはいるのだが。
霊夢は気だるそうにお茶をすすり、紫はチラリチラリと霊夢の様子をうかがっている。こいつもか、と霊夢は辟易するが、いつものうざったさとは違った様子で、それが霊夢には気になった。
霊夢は紫の奇行は魔理沙についての事だろう、とあたりをつけ、早く紫を元に戻そうと思い、仕方なしに魔理沙の相手をしようと彼女を見る。すると魔理沙の表情は面白いことになっていた。
「……」
固くなっていた表情のうち、眉の先が下がり始め、口がへの字に曲がり、さらには肩が震えるほど力が入ってしまっている。言わば、泣く十秒前と言うやつだ。
これはダメだ、と霊夢は早速折れてしまった。魔理沙はいつも強がりな反面、こうやって脆くなったとき、まるで年相応の子供のようになってしまう。幼児退行にも似ているかもしれない。
「えーと、……ねぇ魔理沙」
「……なんだよ」
「……」
ぶっきらぼうに返す魔理沙に、霊夢は物も言えなくなる。
なんとかこれ以上魔理沙が傷つかないように接したい霊夢だが、こうなってしまった以上何をしていいかもわからず、ガクリと肩を落とすのだった。
「うぅ……」
こうしているうちにもだんだんと魔理沙の目尻に涙が溜まり始める。涙のダムが決壊するのも時間の問題だろう。すると紫が動き出した。一つ溜め息を吐くと、魔理沙の背後に回る。
「魔理沙、ちょっとこっちにいらっしゃい」
そして優しく肩を叩き、振り向かせ、隣の部屋へと魔理沙を連れていってしまった。
紫にしては珍しい対応だ、と霊夢は思った。いや、そもそもこんなに簡単に腰をあげるやつだったか、と勘ぐってしまうほどでもある。そんなことを思っているとだんだん霊夢は不安にかられてくる。もしかしたら紫に「よくも霊夢を困らせてくれたわね」みたいなことになって折檻されているのかもしれない。もしそうだとしたら大変だ、なんて霊夢が慌てて襖に耳を当て、盗み聞きを敢行する。
「あのね……いきな……れい……困る……よ」
「……けどさ……せんせ……っこいいじゃ……」
尻を突き出して、襖にへばりつくように聞き入る霊夢の格好はとてもシュールだが、霊夢はそれを気にすることなく、ひっそりと聞き耳を立て続ける。しかしながら断片的で、しかも情報量も少なく、内容自体は知ることはできなかった。折檻が行われていないことはわかったのだが。
「いいわね」
「うん」
二人が動き出した気配を察し、慌てて離れる霊夢。戻ってきた魔理沙の様子を見て、霊夢は少しほっとする。
紫は肩を落とし、少し疲れを見せている。魔理沙は泣き止んでいた。目を真っ赤に腫らし、鼻をぐずらせてはいるもののいつも通りの強がった笑顔を見せ、霊夢を安心させようとする。
「さっきはすまんかったな、勝手に泣いたりして」
「……別にいいわよ。こっちこそなんかしてごめん」
霊夢はわからないなりに謝罪をしようとしただけなのだが、それが魔理沙の琴線に触れたようだ。魔理沙は一転今度はムスッとなり、帰る! と叫んで神社を飛び出してしまった。
「……やれやれね」
そんな霊夢たちを見かねて紫がわざとらしく肩を竦ませ、霊夢はそれを見てさらに混乱を深めるのだった。
霊夢の頭を悩ませているものの一つに、魔理沙が帰り際に放った一言があった。魔理沙本人にだけしか聞こえない小さな声量だっただろうが、その口の動きは霊夢にもはっきりとわかっている。
『嘘つき』
確かに、魔理沙はそう言っていた。霊夢は何を約束しただろうか、と必死に自分の記憶を探るが全く出てこない。このままにしておくのは不味いな、とも思っている霊夢はその後も頭の中をひっくり返して思い出そうとする。幼少期の頃も含めてだ。
ご飯を食べているときも、お風呂に入っているときも、布団に入っているときも。
そんなに魔理沙を考えていたからか、霊夢はついに夢の中でまで魔理沙の記憶を辿ってしまっていた。
その時浮かんだ情景は、数ヵ月前の事だった。
いつものように神社で宴会をしていて、騒がしかったあの日。いつものメンバープラス新入りを交えた大宴会だ。ここまでは日常茶飯事と言ってもいいだろう。しかし、霊夢にとっては少し変わった出来事があったと記憶している。それは魔理沙の元気がなかったからだ。
騒ぎの中心から身を引いて一人ちびちびと杯を傾ける魔理沙に、霊夢はなぜかと問いかけた。いつもの魔理沙なら騒ぎに便乗して、もしくは自らが引き金となって一緒にはしゃいで飲んで食っているはずなのに、何を思い詰めているのかと。「なんでもないぜ」と答えた魔理沙。
起きている間に手繰り寄せることができた記憶はここまでだった。しかし、夢は続く。
魔理沙が霊夢に何かを話しかけ、霊夢がそれに訝しげに返し、魔理沙はおちゃらける事をせずに霊夢に問いかける。霊夢は数瞬迷った後、魔理沙に答えた。それを聞いた魔理沙はまただんまりし始め、霊夢がその魔理沙の態度にイライラしかけたその時、魔理沙の口から飛び出してきたのは……。
というのを霊夢は思い出すことができた。しかし肝心の会話部分を思い出せずに朝が来てすぐヤキモキするはめになったが、なにも思い出せないよりかはましだ、と開き直る霊夢。あとひと押し、というところだったのだが、そればかりはどうしても無理があるようだ。
「そういえば魔理沙、今日異変起こすっていってたけど……さすがにあいつに事は起こせないわよね」
霊夢は彼女の実力を鑑みてそう分析する。たしかにスペルカードルールにおいては比類無き力を発揮する魔理沙ではあるが、彼女自身の弾幕ごっこ以外の実力はそれほどないのだ。それこそ魔法においても精度ではアリスに劣るように、魔力ではパチュリーに劣るように。ましてや元々ただの人間の少女なのだ。職業魔法使いの彼女が、妖怪の身体能力の前には為す術もないだろう。
「まああいつがああやって宣言してたんだし、ゆっくり待つとしましょうか。まだ異変が起きてる気配も、起こりそうな気配もないけど」
霊夢は一人呟くと、箒を持って境内を掃除しに向かう。賽銭箱を確認し、相変わらず何も入っていないことに落胆し、のんびりと掃除を始める。モヤモヤは治まらないが、幾分かは気分を紛らわせる事ができたようだ。
「異変だよ!」
そんな霊夢の袖を引っ張る者がいた。
「……起こってないわよ」
霊夢が振り向くと、そこには顔を真っ赤にして怒り狂っている鬼の面をつけた無表情な少女がいた。このチグハグな彼女の名は秦こころ。最近神社に住み着いた付喪神だ。
「起こってるわ! というか異変が起こった時に霊夢気づかないこと多いらしいじゃないの」
「誰から聞いたの」
「魔理沙から」
「……」
その語気や態度からしてこころは随分と怒り心頭だとわかるが、相変わらず感情のない顔をしているため霊夢はまだどう反応していいかが慣れていない。だが、霊夢にとっては悔しいがこころの言い分に少し心当たりがあるため、詳しく話を聞こうとする。
「で、どんな異変よ」
「あ、うぅ……それは……」
こころの仮面が変わった。湖を横断しそうなほど目が泳ぎ、まるで汗をかいているような表現もしてある。恐らくは焦りか動揺だろう。
「と、とにかく解決しに行きなさいよ」
どもっていたこころだが、説明をするのを諦めたのか仮面はそのままに霊夢に詰め寄った。
「うーん、なんだかねぇ」
霊夢にしてみれば動き出すのもやぶさかではないが、いかんせん嘘臭いというか、中身が不明瞭なのである。渋るのも無理はない。
「霊夢さーん!」
どこからか、叫び声が聞こえてきた。
「げ、文じゃない」
めんどくさい奴が来た、と霊夢は思い、変な声を出してしまった。文も例の五本指の一本である。
「こんなところで何をしているんですか、早く解決してくださいよ!」
どんな厄介が舞い込んでくるかと身構えていた霊夢だったが、文がこころと全く同じことを口にしたことで、なんだか肩透かしを食らった気分になった。
「あんたもか……」
痛そうに頭を押さえる霊夢に畳み掛けるようにしてこころが文と手を結ぼうと画策する。
「ねえ新聞記者、やっぱり異変だよね」
「ええ、こころさん。あと私の名前は文です」
「礼?」
「“ぶん”と書きます。というかそれアヤって読むんですね」
会話を始めている二人をよそに、霊夢は独り混乱をしている。
(文まで言い始めた……でもまだ私をからかっているかもしれないし……これであともう一人か二人来たら信じるしかないけれども)
なんて考えていると、
「おっす霊夢、異変だよ」
「萃香まで……」
二本の角を生やした幼女が。
「よいしょっと……ごきげんよう霊夢さん」
「青娥……!」
「あら、異変なのになぜ博麗の巫女は動いていないのでしょうか」
「マジ……か」
道教の邪仙が来たことにより、霊夢は動かざるをえなくなってしまった。
霊夢はいまだ働かない勘を頼りに漂っている。
(あいつら……なにが『ちゃんと謝った方がいいよ』だ。魔理沙絡みならそうやって言えばいいじゃない)
そう、彼女たちは事の真意を知っているのだ。しかし、それを霊夢には言わなかった、隠していた。
(なにか意味でもあるのかしら……)
霊夢には彼女たちの考えていることが想像できない。魔理沙に肩入れしているのはわかったのだが、いったい何故、という気もしている。魔理沙自身が言いふらしたというのは昨日の状況からして可能性としては低く、となるとこころたちがあらかじめ知っていたということになる。だが、もう一つだけ、可能性があるとすれば。
(紫かぁ……なんか昨日妙に魔理沙に世話焼いてたしあり得るかも)
まるで魔理沙の母親のごとく振る舞っていた妖怪の賢者。あの態度から察するに、十分あり得るだろう。とは言え確証は何もなく、予想で済ませるしかないところが、霊夢にとっては歯痒い。
「今日はまだ見てないけど、一度聞いてみないとねっ……と」
気がつけば、魔法の森の入り口まで来ていた。あの魔理沙が単独で異変を起こすとは思えず、誰か協力者になるだろう人物からあたっていこうと霊夢が決めた矢先の事だ。
霊夢は、もしかしたら、万が一の可能性を考慮して魔理沙の家に向かうことにする。
「ヤバイかも」
ここに来てようやく魔理沙本来の性格、猪突猛進を思い出す。
(自棄になってないといいけど)
魔理沙の自宅は森の中程にある。到着するのにはそう時間はかからないが、霊夢はいつもより早めに移動する。ここに来てようやく、博麗の巫女としての勘が働き始めた。少し、ヤバイんじゃないかと。
案の定だった。家屋の前の少し広場になっているところに、巨大な魔方陣が描かれている。それは驚くほど精密かつ綿密に描かれていて、魔理沙の本気をうかがわせる。その中心に魔理沙は立っていた。
「よう、霊夢」
「あんた何してるのよ」
魔理沙は普段通り軽めの挨拶を、しかしどこか動きがぎこちない。まるで緊張しているかのようだ。
霊夢はかつて異変の首謀者と対峙したときのように固く、若干の威圧感を放ちながら。そんな霊夢に魔理沙は身を震わせる。しかし、恐れを感じているわけでもなさそうだ。
「いいぜ、その調子だ霊夢」
「もう一回聞くわ、何をするつもり」
「そんなお前が見たかったんだ」
「……会話しなさいよ」
まるで絶対者でも仰ぎ見るかのように上の空の魔理沙に霊夢は苛立ちを覚え始めている。
「私はな、ちょっと結界に細工しようと思うんだ」
「なんですって?」
魔理沙が語り始め、その内容に霊夢の眉がピクリと跳ね上がる。
「それで外の世界でもない、私たちが知覚できてない世界を見たいんだ」
魔理沙が魔方陣を踏むと、陣が微かに光を帯び始める。その魔力を感じた霊夢は、
「あんた正気?!」
思わず素に戻り叫んでしまった。何を馬鹿げたことを言っているのかお前は、などと思いながら。対する魔理沙は心の内を悟られないようにポーカーフェイスを作り上げている。
「そんなことしたら、紫も黙ってないわ。もちろん私も。あんた、ただじゃすまない。やめときなさい、これは忠告よ」
霊夢はいつのまにか、親友に語りかけるような口調になっていた。これは魔理沙に向けてでも珍しいことだ。いつ以来だったか、互いが思い出せないほどに。
しかし魔理沙は、
「いいや、来るなら来いよ。全力でな」
「っ……」
霊夢が黙ったのは、呆れて物が言えなかったのかそれとも、魔理沙の気迫に圧されてなのか、判別は難しい。ただ、お互いに相手が本気であることを確認し終えたのは確か。
もう、一歩も引けない状況だ。
「どうなっても、知らないわよ」
霊夢は迷いを振り払うように頭を振りしっかりと魔理沙を見据える。
「さあ、やろうぜ」
その魔理沙の一言を引き金に、弾幕ごっこの火蓋が切って落とされた。
「……ねえ魔理沙」
「なんだ霊夢」
霊夢が、地に伏している魔理沙に話しかける。
「何であんた、そんなに笑顔なの?」
「……だってさ、本気の霊夢とやれたから」
結果を言えば、魔理沙の完敗だった。為すすべもなく霊夢に叩き潰され、挙げ句の果てにはその相手に心配さえかけてしまっている彼女だが、その表情は非常に朗らかで、つっかえていたものが取り去られたように清々しい。
「……魔理沙と闘ってる時、ようやく思い出したわ。あのとき約束してたのね、私たち」
「全く、酷い女だな、お前は」
「悪かったわ、魔理沙」
弾幕を張り続けている間、霊夢は思い出していた。あの日の宴会で、二人の間に交わされた約束の事を。
霊夢は異変発生時、とてつもない力を発揮する。それは自らが敵として捉えた存在には容赦なくぶつけられるが、それ以外には自然と手加減がされるのだ。
例えば、永夜異変の時。あの時も霊夢と魔理沙は剣を交えたことがあるのだが、霊夢は魔理沙に対して本気になれなかった。それは巫女としてだけではなく、親友に向けての配慮もあったのだろう。しかし、それでは魔理沙は納得しなかった。
普段魔理沙が仕掛けるときもそうだ。魔理沙が霊夢に勝負を吹っ掛けるときも、霊夢は全力を出したりしない。それが魔理沙にとっては不満だった。
そして、その事が露見したのがあの宴会である。
その時魔理沙は『もし私が異変起こしたら全力でやってくれるよな』と霊夢に聞き、『まあ、やってやろうじゃない』と彼女は答えた。
お互い強く酔っていて、話した内容を忘れても仕方がない、と言われてもおかしくない状況だったが、魔理沙の方ははっきりと覚えていた。そして今回の異変が起きたのだ。
「イヤー、やっぱ強いな霊夢は。私ももっと頑張らないと」
「はいはい、楽しみにしてるわ」
霊夢が魔理沙の腕を引いて起こす。
「そういえばさ、何で私とやるときに霊夢手加減してたんだ?」
「え、なんでって……その……」
急な質問にどもる霊夢。思わず心の内を包み隠さずさらけ出してしまった。
「友達だから、かな」
顔を赤らめながらの霊夢の答えに、魔理沙は満足そうに微笑んだ。
「よし、帰って宴会でもするか」
「ちょ、待って、スルー!?」
「協力してもらった奴等に恩返しもしなきゃいけないし、紫にはとうぶん頭が上がらんかもしれんな」
「だから、聞いてる?」
「早く行こうぜ霊夢ー」
手をじたばたさせてどうにか魔理沙を引き留めようとする霊夢。だがしかし、そんな彼女を置いて魔理沙は飛び去ってしまう。
一人残された霊夢。
「……あの馬鹿」
そんな呟きが、魔法の森の一角に響いて消えた。
だが、二人の繋がりは、消える気配を見せない。
博麗神社の一室に、語気を強めた魔理沙の宣言がされる。十年来の想いを外に打ち明けるときのような、切羽詰まった顔だ。
「……」
その場に居合わせた紫は、一見興味無さげにすましているが、しっかりと耳は傾けられている。
魔理沙の眼差しはしっかりと、霊夢を捉えていた。
「ふーん」
肝心の霊夢はスルーした。
博麗神社には厄介な人妖が寄り集まってくる。それは霊夢の意思に関係なく勝手に集まってきているだけで、そのせいか霊夢は彼女らを厄介者として扱っている。
特に魔理沙と紫なんて存在は五本指に入るほどの疫病神ぶりを発揮していて、その片方がよくわからないことを言い始めたとあれば自然と霊夢の気力も減っていく。聞き流してはいないのだが、単に相手にするのが面倒臭かっただけだった。まあ霊夢は基本お人好しで、そのお陰で二人ともと仲良くやれてはいるのだが。
霊夢は気だるそうにお茶をすすり、紫はチラリチラリと霊夢の様子をうかがっている。こいつもか、と霊夢は辟易するが、いつものうざったさとは違った様子で、それが霊夢には気になった。
霊夢は紫の奇行は魔理沙についての事だろう、とあたりをつけ、早く紫を元に戻そうと思い、仕方なしに魔理沙の相手をしようと彼女を見る。すると魔理沙の表情は面白いことになっていた。
「……」
固くなっていた表情のうち、眉の先が下がり始め、口がへの字に曲がり、さらには肩が震えるほど力が入ってしまっている。言わば、泣く十秒前と言うやつだ。
これはダメだ、と霊夢は早速折れてしまった。魔理沙はいつも強がりな反面、こうやって脆くなったとき、まるで年相応の子供のようになってしまう。幼児退行にも似ているかもしれない。
「えーと、……ねぇ魔理沙」
「……なんだよ」
「……」
ぶっきらぼうに返す魔理沙に、霊夢は物も言えなくなる。
なんとかこれ以上魔理沙が傷つかないように接したい霊夢だが、こうなってしまった以上何をしていいかもわからず、ガクリと肩を落とすのだった。
「うぅ……」
こうしているうちにもだんだんと魔理沙の目尻に涙が溜まり始める。涙のダムが決壊するのも時間の問題だろう。すると紫が動き出した。一つ溜め息を吐くと、魔理沙の背後に回る。
「魔理沙、ちょっとこっちにいらっしゃい」
そして優しく肩を叩き、振り向かせ、隣の部屋へと魔理沙を連れていってしまった。
紫にしては珍しい対応だ、と霊夢は思った。いや、そもそもこんなに簡単に腰をあげるやつだったか、と勘ぐってしまうほどでもある。そんなことを思っているとだんだん霊夢は不安にかられてくる。もしかしたら紫に「よくも霊夢を困らせてくれたわね」みたいなことになって折檻されているのかもしれない。もしそうだとしたら大変だ、なんて霊夢が慌てて襖に耳を当て、盗み聞きを敢行する。
「あのね……いきな……れい……困る……よ」
「……けどさ……せんせ……っこいいじゃ……」
尻を突き出して、襖にへばりつくように聞き入る霊夢の格好はとてもシュールだが、霊夢はそれを気にすることなく、ひっそりと聞き耳を立て続ける。しかしながら断片的で、しかも情報量も少なく、内容自体は知ることはできなかった。折檻が行われていないことはわかったのだが。
「いいわね」
「うん」
二人が動き出した気配を察し、慌てて離れる霊夢。戻ってきた魔理沙の様子を見て、霊夢は少しほっとする。
紫は肩を落とし、少し疲れを見せている。魔理沙は泣き止んでいた。目を真っ赤に腫らし、鼻をぐずらせてはいるもののいつも通りの強がった笑顔を見せ、霊夢を安心させようとする。
「さっきはすまんかったな、勝手に泣いたりして」
「……別にいいわよ。こっちこそなんかしてごめん」
霊夢はわからないなりに謝罪をしようとしただけなのだが、それが魔理沙の琴線に触れたようだ。魔理沙は一転今度はムスッとなり、帰る! と叫んで神社を飛び出してしまった。
「……やれやれね」
そんな霊夢たちを見かねて紫がわざとらしく肩を竦ませ、霊夢はそれを見てさらに混乱を深めるのだった。
霊夢の頭を悩ませているものの一つに、魔理沙が帰り際に放った一言があった。魔理沙本人にだけしか聞こえない小さな声量だっただろうが、その口の動きは霊夢にもはっきりとわかっている。
『嘘つき』
確かに、魔理沙はそう言っていた。霊夢は何を約束しただろうか、と必死に自分の記憶を探るが全く出てこない。このままにしておくのは不味いな、とも思っている霊夢はその後も頭の中をひっくり返して思い出そうとする。幼少期の頃も含めてだ。
ご飯を食べているときも、お風呂に入っているときも、布団に入っているときも。
そんなに魔理沙を考えていたからか、霊夢はついに夢の中でまで魔理沙の記憶を辿ってしまっていた。
その時浮かんだ情景は、数ヵ月前の事だった。
いつものように神社で宴会をしていて、騒がしかったあの日。いつものメンバープラス新入りを交えた大宴会だ。ここまでは日常茶飯事と言ってもいいだろう。しかし、霊夢にとっては少し変わった出来事があったと記憶している。それは魔理沙の元気がなかったからだ。
騒ぎの中心から身を引いて一人ちびちびと杯を傾ける魔理沙に、霊夢はなぜかと問いかけた。いつもの魔理沙なら騒ぎに便乗して、もしくは自らが引き金となって一緒にはしゃいで飲んで食っているはずなのに、何を思い詰めているのかと。「なんでもないぜ」と答えた魔理沙。
起きている間に手繰り寄せることができた記憶はここまでだった。しかし、夢は続く。
魔理沙が霊夢に何かを話しかけ、霊夢がそれに訝しげに返し、魔理沙はおちゃらける事をせずに霊夢に問いかける。霊夢は数瞬迷った後、魔理沙に答えた。それを聞いた魔理沙はまただんまりし始め、霊夢がその魔理沙の態度にイライラしかけたその時、魔理沙の口から飛び出してきたのは……。
というのを霊夢は思い出すことができた。しかし肝心の会話部分を思い出せずに朝が来てすぐヤキモキするはめになったが、なにも思い出せないよりかはましだ、と開き直る霊夢。あとひと押し、というところだったのだが、そればかりはどうしても無理があるようだ。
「そういえば魔理沙、今日異変起こすっていってたけど……さすがにあいつに事は起こせないわよね」
霊夢は彼女の実力を鑑みてそう分析する。たしかにスペルカードルールにおいては比類無き力を発揮する魔理沙ではあるが、彼女自身の弾幕ごっこ以外の実力はそれほどないのだ。それこそ魔法においても精度ではアリスに劣るように、魔力ではパチュリーに劣るように。ましてや元々ただの人間の少女なのだ。職業魔法使いの彼女が、妖怪の身体能力の前には為す術もないだろう。
「まああいつがああやって宣言してたんだし、ゆっくり待つとしましょうか。まだ異変が起きてる気配も、起こりそうな気配もないけど」
霊夢は一人呟くと、箒を持って境内を掃除しに向かう。賽銭箱を確認し、相変わらず何も入っていないことに落胆し、のんびりと掃除を始める。モヤモヤは治まらないが、幾分かは気分を紛らわせる事ができたようだ。
「異変だよ!」
そんな霊夢の袖を引っ張る者がいた。
「……起こってないわよ」
霊夢が振り向くと、そこには顔を真っ赤にして怒り狂っている鬼の面をつけた無表情な少女がいた。このチグハグな彼女の名は秦こころ。最近神社に住み着いた付喪神だ。
「起こってるわ! というか異変が起こった時に霊夢気づかないこと多いらしいじゃないの」
「誰から聞いたの」
「魔理沙から」
「……」
その語気や態度からしてこころは随分と怒り心頭だとわかるが、相変わらず感情のない顔をしているため霊夢はまだどう反応していいかが慣れていない。だが、霊夢にとっては悔しいがこころの言い分に少し心当たりがあるため、詳しく話を聞こうとする。
「で、どんな異変よ」
「あ、うぅ……それは……」
こころの仮面が変わった。湖を横断しそうなほど目が泳ぎ、まるで汗をかいているような表現もしてある。恐らくは焦りか動揺だろう。
「と、とにかく解決しに行きなさいよ」
どもっていたこころだが、説明をするのを諦めたのか仮面はそのままに霊夢に詰め寄った。
「うーん、なんだかねぇ」
霊夢にしてみれば動き出すのもやぶさかではないが、いかんせん嘘臭いというか、中身が不明瞭なのである。渋るのも無理はない。
「霊夢さーん!」
どこからか、叫び声が聞こえてきた。
「げ、文じゃない」
めんどくさい奴が来た、と霊夢は思い、変な声を出してしまった。文も例の五本指の一本である。
「こんなところで何をしているんですか、早く解決してくださいよ!」
どんな厄介が舞い込んでくるかと身構えていた霊夢だったが、文がこころと全く同じことを口にしたことで、なんだか肩透かしを食らった気分になった。
「あんたもか……」
痛そうに頭を押さえる霊夢に畳み掛けるようにしてこころが文と手を結ぼうと画策する。
「ねえ新聞記者、やっぱり異変だよね」
「ええ、こころさん。あと私の名前は文です」
「礼?」
「“ぶん”と書きます。というかそれアヤって読むんですね」
会話を始めている二人をよそに、霊夢は独り混乱をしている。
(文まで言い始めた……でもまだ私をからかっているかもしれないし……これであともう一人か二人来たら信じるしかないけれども)
なんて考えていると、
「おっす霊夢、異変だよ」
「萃香まで……」
二本の角を生やした幼女が。
「よいしょっと……ごきげんよう霊夢さん」
「青娥……!」
「あら、異変なのになぜ博麗の巫女は動いていないのでしょうか」
「マジ……か」
道教の邪仙が来たことにより、霊夢は動かざるをえなくなってしまった。
霊夢はいまだ働かない勘を頼りに漂っている。
(あいつら……なにが『ちゃんと謝った方がいいよ』だ。魔理沙絡みならそうやって言えばいいじゃない)
そう、彼女たちは事の真意を知っているのだ。しかし、それを霊夢には言わなかった、隠していた。
(なにか意味でもあるのかしら……)
霊夢には彼女たちの考えていることが想像できない。魔理沙に肩入れしているのはわかったのだが、いったい何故、という気もしている。魔理沙自身が言いふらしたというのは昨日の状況からして可能性としては低く、となるとこころたちがあらかじめ知っていたということになる。だが、もう一つだけ、可能性があるとすれば。
(紫かぁ……なんか昨日妙に魔理沙に世話焼いてたしあり得るかも)
まるで魔理沙の母親のごとく振る舞っていた妖怪の賢者。あの態度から察するに、十分あり得るだろう。とは言え確証は何もなく、予想で済ませるしかないところが、霊夢にとっては歯痒い。
「今日はまだ見てないけど、一度聞いてみないとねっ……と」
気がつけば、魔法の森の入り口まで来ていた。あの魔理沙が単独で異変を起こすとは思えず、誰か協力者になるだろう人物からあたっていこうと霊夢が決めた矢先の事だ。
霊夢は、もしかしたら、万が一の可能性を考慮して魔理沙の家に向かうことにする。
「ヤバイかも」
ここに来てようやく魔理沙本来の性格、猪突猛進を思い出す。
(自棄になってないといいけど)
魔理沙の自宅は森の中程にある。到着するのにはそう時間はかからないが、霊夢はいつもより早めに移動する。ここに来てようやく、博麗の巫女としての勘が働き始めた。少し、ヤバイんじゃないかと。
案の定だった。家屋の前の少し広場になっているところに、巨大な魔方陣が描かれている。それは驚くほど精密かつ綿密に描かれていて、魔理沙の本気をうかがわせる。その中心に魔理沙は立っていた。
「よう、霊夢」
「あんた何してるのよ」
魔理沙は普段通り軽めの挨拶を、しかしどこか動きがぎこちない。まるで緊張しているかのようだ。
霊夢はかつて異変の首謀者と対峙したときのように固く、若干の威圧感を放ちながら。そんな霊夢に魔理沙は身を震わせる。しかし、恐れを感じているわけでもなさそうだ。
「いいぜ、その調子だ霊夢」
「もう一回聞くわ、何をするつもり」
「そんなお前が見たかったんだ」
「……会話しなさいよ」
まるで絶対者でも仰ぎ見るかのように上の空の魔理沙に霊夢は苛立ちを覚え始めている。
「私はな、ちょっと結界に細工しようと思うんだ」
「なんですって?」
魔理沙が語り始め、その内容に霊夢の眉がピクリと跳ね上がる。
「それで外の世界でもない、私たちが知覚できてない世界を見たいんだ」
魔理沙が魔方陣を踏むと、陣が微かに光を帯び始める。その魔力を感じた霊夢は、
「あんた正気?!」
思わず素に戻り叫んでしまった。何を馬鹿げたことを言っているのかお前は、などと思いながら。対する魔理沙は心の内を悟られないようにポーカーフェイスを作り上げている。
「そんなことしたら、紫も黙ってないわ。もちろん私も。あんた、ただじゃすまない。やめときなさい、これは忠告よ」
霊夢はいつのまにか、親友に語りかけるような口調になっていた。これは魔理沙に向けてでも珍しいことだ。いつ以来だったか、互いが思い出せないほどに。
しかし魔理沙は、
「いいや、来るなら来いよ。全力でな」
「っ……」
霊夢が黙ったのは、呆れて物が言えなかったのかそれとも、魔理沙の気迫に圧されてなのか、判別は難しい。ただ、お互いに相手が本気であることを確認し終えたのは確か。
もう、一歩も引けない状況だ。
「どうなっても、知らないわよ」
霊夢は迷いを振り払うように頭を振りしっかりと魔理沙を見据える。
「さあ、やろうぜ」
その魔理沙の一言を引き金に、弾幕ごっこの火蓋が切って落とされた。
「……ねえ魔理沙」
「なんだ霊夢」
霊夢が、地に伏している魔理沙に話しかける。
「何であんた、そんなに笑顔なの?」
「……だってさ、本気の霊夢とやれたから」
結果を言えば、魔理沙の完敗だった。為すすべもなく霊夢に叩き潰され、挙げ句の果てにはその相手に心配さえかけてしまっている彼女だが、その表情は非常に朗らかで、つっかえていたものが取り去られたように清々しい。
「……魔理沙と闘ってる時、ようやく思い出したわ。あのとき約束してたのね、私たち」
「全く、酷い女だな、お前は」
「悪かったわ、魔理沙」
弾幕を張り続けている間、霊夢は思い出していた。あの日の宴会で、二人の間に交わされた約束の事を。
霊夢は異変発生時、とてつもない力を発揮する。それは自らが敵として捉えた存在には容赦なくぶつけられるが、それ以外には自然と手加減がされるのだ。
例えば、永夜異変の時。あの時も霊夢と魔理沙は剣を交えたことがあるのだが、霊夢は魔理沙に対して本気になれなかった。それは巫女としてだけではなく、親友に向けての配慮もあったのだろう。しかし、それでは魔理沙は納得しなかった。
普段魔理沙が仕掛けるときもそうだ。魔理沙が霊夢に勝負を吹っ掛けるときも、霊夢は全力を出したりしない。それが魔理沙にとっては不満だった。
そして、その事が露見したのがあの宴会である。
その時魔理沙は『もし私が異変起こしたら全力でやってくれるよな』と霊夢に聞き、『まあ、やってやろうじゃない』と彼女は答えた。
お互い強く酔っていて、話した内容を忘れても仕方がない、と言われてもおかしくない状況だったが、魔理沙の方ははっきりと覚えていた。そして今回の異変が起きたのだ。
「イヤー、やっぱ強いな霊夢は。私ももっと頑張らないと」
「はいはい、楽しみにしてるわ」
霊夢が魔理沙の腕を引いて起こす。
「そういえばさ、何で私とやるときに霊夢手加減してたんだ?」
「え、なんでって……その……」
急な質問にどもる霊夢。思わず心の内を包み隠さずさらけ出してしまった。
「友達だから、かな」
顔を赤らめながらの霊夢の答えに、魔理沙は満足そうに微笑んだ。
「よし、帰って宴会でもするか」
「ちょ、待って、スルー!?」
「協力してもらった奴等に恩返しもしなきゃいけないし、紫にはとうぶん頭が上がらんかもしれんな」
「だから、聞いてる?」
「早く行こうぜ霊夢ー」
手をじたばたさせてどうにか魔理沙を引き留めようとする霊夢。だがしかし、そんな彼女を置いて魔理沙は飛び去ってしまう。
一人残された霊夢。
「……あの馬鹿」
そんな呟きが、魔法の森の一角に響いて消えた。
だが、二人の繋がりは、消える気配を見せない。
気にしないで気軽に書いてくれ
素敵なレイマリですねぇ
魔理沙の性格なら本気の霊夢と戦ってみたいでしょうね。
異変を知らせに来たメンバーズはどうして魔理沙に肩入れしているのでしょうね?