薄闇の中に響く音がある。
「――――許せん」
ブツブツと何事かを呟きながら、一心不乱にガリガリと、なにかを削る音がある。
「――――許せんぞ」
削られているのは、木塊だった。言葉を呪詛のように。手つきを舞のように。
「――――認めぬ」
短刀と鑿がその表面で踊り、一角を削り取る度に、ある一つの形が現出へと近づいていく。
「――――そのような生意気、認めぬぞ」
それはさながら、産みの儀式。闇の中で生まれつつある胎動に命を吹き込むように、誰かはひたすらに刃を振るい続ける。
やがて。
「――――フフフ」
カン、という音を最後に、儀式が終わった。達成感を含んだ笑みが響く。短刀が置かれ、鑿が置かれる。
「――――あとは、これを」
そして、新たにこの世に生まれ出でたなにかを掲げ持つと。
「これを、なんとしてでもヤツに――――」
何者かは闇よりも暗い笑みを浮かべて、そう呟くのだった。
※
ある暑い夏の日のことだった。
いつものように弾幕音の響く境内を動き回っていた霊夢は、突然に白蓮によって呼び止められた。その白蓮曰く。
「こころの様子がおかしい?」
視線の先で、はい、と白蓮が頷いた。
「霊夢さんは気づいてないんですか?」
続く問いに、霊夢は首を傾げて答える。
「うーん、そう言われてもなぁ。どの辺がおかしいわけ?」
霊夢の疑問に直接は答えず、白蓮は上空を指差した。霊夢もそれに倣って視線を移す。
そこでは今、二人の人物が大立ち回りを演じていた。
「行くぞ!準備は良いか?ほれほれ!」
掛け声と共に、空に、皿が無数にばらまかれる。その間を彩るは、五行のうねり。木火土金水が空を乱れ飛ぶ。
「小賢しい!」
それに挑むは、負けず劣らず多彩な手。扇子、薙刀、糸に面。目まぐるしく次々に武器を持ち替え、変幻自在の神楽が空にて舞われる。
今、境内の上空では、こころと布都が戦っていた。いや、正確にはその言い方は正しくない。これはただの弾幕戦ではなく、舞でもあるからだ。
その名も、弾幕神楽。
普通の神楽では客入りが悪くなってきたということで、最近、霊夢が考え出した、新たな客寄せの手段だった。いつもそこかしこで行われている弾幕戦との最大の違いは、時間を告知して神社の上空でのみ行うこと。つまり、決闘を独占商売にしてしまおうという試みなのだった。
元々、スペルカードルールによる決闘には、美しさを競うという側面もある。巫女による結界が貼られているため流れ弾による被弾の心配は皆無、というのを売りにして、数日おきに演者を変えて行われるこの催しは、結構な盛り上がりを見せていた。
「わちゃわちゃと鬱陶しいぞ!仙人はみんなこうなのか!」
「ふはははは!太子様はそうでもないが、我は特に小細工が大好きだからな!」
般若面を着けて叫ぶこころを、布都が高笑いと共に煽る。
「それに、我を鬱陶しいというがな、面霊気よ。お主も人のことを言えまい?そんなちょこざいな技ばかり覚えおって!」
「うるさい!気が散る!一瞬の油断が命取り!」
「はははははははは!!」
文字通りに叩きつけられる怒りの面を華麗に避けて、布都はあっけらかんと笑いながら宙を舞った。余裕の態度である。
「こころさん、どことなく、動きがぎこちないように思いませんか?」
白蓮は、そんな二人の様子を指しながらそう訊ねてきた。
しかし傍目からは、こころは善戦しているように見える。事実、観客達は大盛り上がりで、声援も両方に差がなく飛んでいるように思える。つまり、白蓮言うところの、こころの違和感とやらには気づいていないのだ。
「……ううーん。そう?」
と霊夢は再び首を傾げた。気のない返事に白蓮は、そうですよ、と怒ったように続ける。
「どことなく、暴走が終わってしばらくの、まだ感情が不安定だった時期を思い出すというか」
「んんー?不安定、ねぇ……」
霊夢は腕を組んで、戦いの推移を注意深く見守る。
「どうした面霊気?動きが鈍っておるぞ!」
「だ、黙れ!」
確かに、意識して見てみると少しだけ違和感はある……かもしれない。舞の調和に乱れがあるというか。動作にひっかかりが感じられるというか。もっと言うと、こころに焦りのようなものが見て取れる。感情のないはずのこころに、だ。
そう考えると、由々しき事態ではないか、これは。身近な異変と呼んでもいい。ではその原因は?と考えて、霊夢はふと気づいた。
「――――ひょっとして、面の付け替えに手間取ってる?」
「そう、そんな感じです!」
白蓮が、我が意を得たり、とばかりに手を合わせた。
「こころさんの動作選択には、今でも感情の揺らぎのようなブレがあります。でも、選択した後にもたついている感じは、もうほとんどなくなってきていたんです。なのに、今の動きはまるで――――」
「まるで元通りにでもなったみたい、と」
白蓮の後を継いで呟きつつ、霊夢は苦い顔を浮かべた。このところ、こころとの手合わせを自分はしていなかった。専ら、弾幕神楽の主催としてばかり動いていたせいだ。諭されるまで異変に気づかないとは、少々腑抜けすぎていたかもしれない。
「さあ、これで決まりだ!」
上空では戦いが佳境に入りつつあった。布都の召還した磐舟が宙を驀進し、一直線にこころに迫る。
「甘いよ!そんなの当たらない!」
火男の面を着けたこころは磐舟の軌道を見切ると、軽妙な動きでそこから退避しつつ迎撃を試み――――
ようとした。少なくとも、霊夢にはそう見えた。
だがその瞬間。
「え?」
こころの顔から、弾かれたように面が吹き飛んだ。入れ替えではない。事実、驚いたような様子とは裏腹に、猿面は微動だにしていない。
動きが止まっていた。避ける動作の途中で、完全に停滞していた。ならば必然的に、その位置は舟の直撃軌道であり。
「――――うっ!」
鈍い音がした。呻き声が漏れた。こころの身体が風に煽られる紙片のように宙を舞い、そのまま地面へ落下を始めた。
「面霊気っ!?」
思いもよらぬ深い当たりに、布都が焦りの声と共に手を伸ばす。だが、急制動をかけたとて舟はすぐに止まれず、彼女の伸ばした手は空を切ってしまう。
「こころさん!!」
「こころっ!!」
霊夢と白蓮は、こころの落下点へ向けてほぼ同時に動き出していた。単純な速度だけなら白蓮の方が上。しかしそれでも、距離的に間に合うかは微妙な状況だった。
故に霊夢は、空間を超える。
「――――っと!」
刹那の後、浮遊感が全身を包んだ。意識を、空での感覚へと瞬時に切り替える。
「ふぅ、危ない危ない」
そして、目の前に現れた桃色のたなびきを受け止めたところで、霊夢はようやく安堵の声を漏らした。どうにかキャッチ成功である。
一部始終を見ていた観客の間から、おおおお、とどよめきが漏れた。次いで、まばらな拍手が誰からともなく起こる。それはどんどん人々の間を伝播して大きくなっていき、霊夢がこころを抱えて地上に降り立つ頃には、割れんばかりの盛大なものへと変じていた。
「……私、戦ってないんだけど」
主役であるはずの勝者を差し置いて声援をもらうのは如何なものか。当惑しながら辺りを見る霊夢に、駆け寄ってきた白蓮が言った。
「こころさんを助けた。それだけで理由は充分ですよ」
「そうかな?」
「そうですよ。ほら」
と白蓮が示したのは、またしても空。霊夢が、今度はなんだ、と顔を上げると。
「うあああああ、めめめめ面霊気よおおおお!!大丈夫かっ!?大丈夫であるかっ!?」
そこには、涙まみれの顔で叫びながら急速降下してくる布都の姿があった。そのまま彼女は地上近くになっても減速せずに、まるで墜落するような勢いで地面に降り立ち。
「こ、こころおおおおお!!」
次は、転げるような勢いで霊夢が抱くこころの元に飛びついてきた。慌ただしいヤツ。
「無事よ。とりあえずは」
布都の突進を左手で押さえ込みつつ、霊夢はそれだけ言ってやる。
「妖怪だから身体も丈夫だし、あの程度で死にはしないわよ。だから落ち着け」
「もががががが!ほが!ほががおががが!」
なに言ってるのかまるで分からん。霊夢は仕方なく手を離してやった。
「――――っぷは!いやいや、なんにせよ無事で良かった!これも霊夢殿のおかげであるな!口ではそんなこと言いつつも、実に素早い救助であったぞ!」
「ええ、本当に良かったです。霊夢さんが人間離れしていなかったら、間に合わないところでした。元より、落ちたぐらいで死ぬとは私も思っていませんでしたが」
「……あんたら喧嘩売ってんの?」
霊夢は努めて剣呑な声で訊ねる。亜空穴まで使ったのが、今更ながらに恥ずかしくなってきた。頬に感じる熱が憎たらしい。
「まさか!」
「滅相もない」
涼しい顔で答える両者を成敗してやりたいところだが、今はこころを抱いている。神楽の後始末だってしなければならない。
「はぁ……もういいわ。白蓮、ちょっとこころを頼むわね」
霊夢は溜め息混じりに言って、こころを白蓮に受け渡した。見た目とは裏腹にこころは軽くて、自分の細腕でも難なく抱きかかえられた。その軽さに、霊夢は少しだけ罪悪感を覚える。こころだけに弾幕神楽をやらせていたわけではないが、結構な負担になっていたのかもしれないと思った。
だから。
「今日の神楽はこれでお終い!あと、しばらく弾幕神楽は中止!再開も未定!というわけだから、さっさと帰った帰った!」
ぱんぱん、と手を叩いて、霊夢は観客に解散を促した。今は一刻も早く、こころを横にでもしてやりたいと思ったのだ。
しかし横柄な霊夢の態度にも、不平を漏らす観客は一人もいなかった。皆、無言で出口の鳥居へ向かって動き出す。それどころか、去り際に賽銭まで投げ入れていったりもして。
「……どいつもこいつも、こんな時だけ入れてからに。普段から入れろってのよ」
観客が去るのを待って、霊夢は頭を掻きながら毒づく。
「こころさんが、それだけ愛されているってことでしょう」
お姫様抱っこの要領で抱えたこころを見下ろして、白蓮が笑った。そんな彼女に、フン、と鼻を鳴らして、霊夢は揶揄するように言ってやる。
「戦う日でもないのに見に来てるヤツの言うことか」
「霊夢さんだって、らしくないことして」
「なんのことよ?」
「お賽銭、催促しなかったじゃないですか」
ちっ、バレてたか。とはいえ、認めるのもなんだかしゃくなので、霊夢はとぼけることにした。
「なんのことか分からないわね。くだらないこと言ってないで、あんたはこころを母屋に連れてってちょうだい」
「はいはい。霊夢さんも素直じゃないんですから」
苦笑を残して去っていく白蓮を無視して、霊夢は布都に向き直った。
「そっちもなにしてんの?私達も早く行くわよ」
布都はいつの間にか少し離れた所に移動していて、その手には何故か、こころの面の一つを持っていた。彼女はこちらの疑問には答えず、とてとてと歩いて来て、言った。
「そうだな。面霊気の様子も気になるしのう」
「そうよ。ついでに昏睡させた罰として、夕飯作るのを手伝ってくれてもいいわ」
「勝ったのに理不尽だな!」
「あんたの良心が試されているだけよ」
霊夢はそう言い残すと、布都に背を向けてさっさと歩き出した。白蓮にはああ言ったが、こころが心配なのは間違いなかった。
「うーむ……?」
背後で布都がなにやら唸っていたが、もはや聞く気はなかった。
※
その日からだ。こころの様子が、目に見えておかしくなっていったのは。
「おはようッ!」
朝には、怒りの般若面を被り挨拶をし。
「なにか手伝うことはないか!?」
昼になれば、境内を掃除する霊夢に深刻の狐面を被りながら話しかけ。
「お茶が入ったぞう!」
夕涼みに縁側にいれば、驚きの猿面を被りながらお茶を出して。
「美味しい……」
食事の際には、この時ばかりはさすがに面は被らないが、悲しみの嫗面を忙しなく動かしながら口を動かす。
「おやすみ」
そして、夕食を終えたなら早々に眠りの挨拶をして、まるで倒れこむように布団に突っ伏してしまう。もうそんなことが、一週間は続いていた。明らかに異常だった。
「大丈夫か、あいつは?」
こころが眠った後、食後のティータイムと洒落込みながら魔理沙が言った。いつものことながら、彼女は図々しくも夕飯をタカリに来ていたのだった。
「そうよね。おかしいわよね」
霊夢は頬杖と共に溜め息を吐いて、茶を啜った。ティーはティーでもグリーンティーである。
居間に漂う所帯じみた空気の中で、霊夢は考える。
昼でもうろうろしている奴らが多くて麻痺していたが、妖怪というのは本来、夜が本番の連中だ。彼らは月の光で力を増し、闇に潜んで人を襲う。故に人は夜を恐れ、闇から逃れようとする。それが自然の摂理。
こころだってその例に漏れず、感情の異変の時には夜の人里に影響を及ぼしていた。つまり彼女も、本来は夜型であるはず。
なのに、これは。
「今日もこころさんは、もうお休みですか?」
突然の声に外へと目を向ければ、庭先には白蓮の姿があった。彼女はあの日以来、毎日こうしてここへ来ていた。
「あんたもホント心配性ね」
こんな夜更けに毎日毎日ご苦労さんなことだと思う。でも、その気持ちも分からなくはないので、霊夢は湯呑みをもう一つ出そうと立ち上がった。
「寝る子は育つ、とは言うが、何事にも限度というものがあるな」
すると今度は廊下へと続く襖が向こうから開いて、別の声が聞こえてきた。声の主は両手に湯呑みを持った布都だった。彼女もここ一週間ほど、いつもこういう現れ方をしていた。
「ほれ、尼君殿の分も持ってきてやったぞ」
「ん。ありがと」
と受け取ってしまってから、霊夢は今更ながらに違和感を覚えて顔を顰めた。
「――――そういやあんた、どうしていつもウチの中から現れてるのよ?」
「直通路があるからな。仙界からここへの」
しれっとした顔で布都が答える。なんだそれ。聞いてない。
「なに勝手にそんなもん作ってるの?おまけに湯呑みまで持ってきたりして、あんたにはマナーとかそういうのないの?」
「なにぶん、頭の中にカビが生えていてな。一四〇〇年ものの」
「駆除して常識叩き込んでやろうか」
「はは、霊夢には言われたくないと思うぜ」
魔理沙が余計な茶々を入れる。こっちだって魔理沙にだけは言われたくない。しかし、それでなんとなくこの話題は有耶無耶になって、白蓮と布都がティータイムに加わることとなってしまう。まあいつものことだが。
「出涸らしだけど恵んであげるわ」
ただ、たまには抗議の意思を示してやりたくて、霊夢は新たな湯呑みに茶を注ぎながらそう言った。薄い若草色の液体が二つの湯呑みに少しずつ満ちていく。白蓮はその様子をまじまじと見ていたが、その内、頬に手を当てると真顔でこちらに訊ねてきた。
「あの、お茶葉を持ってきた方が良かったでしょうか?」
霊夢は思わず溜め息を吐いて、うんざりした顔で答える。
「……ねぇちょっと、真面目に相手しないでくれる?惨めになるから」
「相変わらずの理不尽さだな!」
「…………??」
布都には一睨みと共に湯呑みを滑らせて、困っている白蓮には湯呑みを押し付け、霊夢は座布団に座り直した。
ずずず、とまずは皆で一息。
「――――して、良くなる兆しはあるのか?」
口火を切ったのは布都だった。取り繕っても仕方がないので、布都の問いに霊夢は即答する。
「ないわね」
「それどころか、日増しに酷くなってる気さえするな」
溜め息混じりに魔理沙が追従する。そう、実はこころの眠っている時間は、少しずつだが延びてきているのだった。
「やはり原因は、面、でしょうか」
「それしか考えられないわよね」
「でも、どうして急に?もう欠けたりもしていないはずなのに」
白蓮の言う通り、結局はそこだった。原因が分かっていても、原理が分からない。だから、解決法も分からない。
「外部から手を加えられてるとか」
魔理沙が指を立てて言うが、その可能性は薄い。だってそんな痕跡があるならば。
「私が気づかないと思うわけ?」
「だよなー。いくら霊夢がグータラでもなー」
「グータラは余計――――」
「でも霊夢さん」
魔理沙への抗議の言葉を遮って、白蓮が怒ったような口調で言った。
「私に言われるまで、こころさんの異常には気づいていなかったじゃないですか」
「そこを言われると、確かに痛いんだけど……」
霊夢は、なんと言ったものか、と思案しながら口を開く。
「魔理沙の言ったように、こころというか、面霊気って妖怪自体に影響を与える魔力みたいなのがあれば気づくのよ。グータラでも寝てても」
ほら、私って巫女だし、と霊夢が言ってみせると、白蓮は、ワケが分からない、みたいな顔をした。
「つまり、呪い(まじない)的な影響は皆無であるというわけだな」
対して、布都は特に気にした風もなく頷いた。彼女は顎に手を当て思案顔で続ける。
「となると、他に考えられるのは物理的な影響だが――――」
「舟がぶつかった、とかですか?」
「ぶふっ!」
「どわっ!なにしてんだよ汚いな!」
布都が噴出した茶の直撃を転げるように避けながら、魔理沙が声を上げる。なかなかの反射神経だ。悪くない。
布都はひとしきり噎せた後、口元を震わせながら言った。
「ばばばば馬鹿な!いいい、いくらなんでも、あ、あの程度でどうにかなるほどやわな身体ではあるまい!?」
「もちろん冗談です。妖怪を舐めすぎです」
白蓮のボケは分かりづらい。いや、日頃から溜まっている放火魔への意趣返しかもしれないが、どちらにしてもである。
「冗談で残機減らされそうになった身にもなって欲しいぜ」
のそのそと卓袱台に戻ってくる魔理沙を横目に、霊夢は話を元に戻す。
「でも、いい視点ではあるのよね。呪的な力が原因でないのなら、物理的な原因を疑うのが筋だし。私でも感知できない未知の力の影響は、この際無視してね」
「その場合、なにがこころさんに作用しているんでしょう?」
「お主の仏の教えとやらではないのか。仏理だけに」
「やかましい」
霊夢はお札を投げつけて、布都の口を塞ぐ。先程の仕返しをしたい気持ちは分かるが、話が進まない。
「やっぱりさ。ここはあれしかないんじゃないのか」
もももががが、と非言語的に呻く布都を無視して、魔理沙が諦めたように呟いた。
「原因も分からない。なのに事態は悪化していく。となると、保護者に訊いてみるのが一番じゃないのか」
「ごめんなさい」
とそれに突然謝りだしたのは白蓮だった。彼女は申し訳なさそうな顔で魔理沙を見ると、ぺこりと頭を軽く下げた。
「あいにくですが、私もまだ見当がついていない状態でして……」
「なんでお前が当たり前に保護者面しているんだよっ!」
頬を引きつらせて魔理沙がツッコミを入れる。ノリがいい、というか、付き合いがいい、というか。天然相手にも挑む度胸は買うが、それは勇気ではなく無謀というものである。
「神子ねぇ。やっぱそうするしかないかねぇ」
霊夢は投げやりにそう言うと、茶を一口啜った。あぁ神子さんのことですかでもあの人は保護者というより保護放棄者ですし、なんて白蓮の言葉を聞き流しながら、霊夢は考える。
そういえば神子のヤツは、最近はあんまり神社に顔を出していなかった。こころの不調のことも知らないのかもしれない。布都が出てきているのに当人の動きがないのがそのせいであるなら、請えば力になってくれる可能性は充分にあった。なんといっても、創造主なわけだし。
「ねぇ、布都――――」
そう思い、口に札をつけたまま湯呑みを持って固まっている布都に霊夢が声をかけようとした、まさにその時だった。
ガラガラガラガラ、となにかが転がるような音が部屋中に響き渡った。
「なに!?」
「なんだ!?」
「なにごとです!?」
「もむ!?」
四者四様の声と共に慌てて立ち上がり、辺りを見回す。部屋の中に異常はない。攻撃の気配もない。音の正体は不明。だが、今なお鳴り響いて徐々に小さくなりつつあるその源だけは、すぐに察知できた。
「こころ!!」
それは、こころの眠る寝室から響いて来ていたのだった。襖を開け放ち、霊夢を先頭に皆が雪崩のような勢いで廊下に飛び出す。
「こころ!!大丈夫!?」
寝室に辿り着いて襖を開け放つなり、霊夢は叫んだ。両手に封魔の針と追尾の札を構える。魔理沙も八卦炉を構え、布都も皿を構え、白蓮も拳を握って、全員で完全な戦闘態勢だった。
中は無人。返事もない。否、部屋の中心に敷かれた布団には、中に人の存在を思わせる膨らみがある。つまり、部屋にいるのはこころだけ。薄闇の中、他の何者かが潜んでいる気配はない。
「灯りを点けます」
念のためと、白蓮が右手を掲げてその先に妖光を灯した。ボウ、と少しずつ明るさを増す輝きに闇が駆逐され、少しずつ部屋の様子が判然としてきて。
「な、なによこれ!?」
霊夢は、思わず驚愕の声を漏らしていた。
何故なら、部屋の中には。
床一面を覆い尽くすようにして、種々様々な形の面が、乱雑に散らばっていたのだった。
「これって、全部こころさんの面ですか?」
左から右へと部屋全体を照らしながら、白蓮が訊ねた。彼女は灯りの役があって自由に動ける状態ではなく、確認の術はない。
「むむむ!!」
なにかを見つけたらしき布都が、ひょい、とその脇を抜けて部屋の中に入った。そして迷うことない足取りで奥まで行くと、床に転がる一つを拾い上げて掲げた。
「ももも!もむ、うもむむ!」
言葉の意味は分からない。だが、その手に持っている物こそがなによりも雄弁に言葉を発していた。
希望の面。
そう。やはりこの部屋に散らばっていたのは、こころの持つ六十六の面なのであった。先程の音は、どうやら面が一斉に落ちたことによる音のようだった。
一体、なにがどうしてそんなことが起こったのか。ますます困惑の色を深める一同を他所に、この騒ぎでも目を覚まさないこころの苦しげな寝息だけが部屋に響いていた。
※
「――――ということがあってな」
仙界に戻った布都は夜食代わりの蜜柑の皮を剥きながら、神社での出来事を屠自古に語って聞かせた。
「ほー、そうなん」
同じく蜜柑の皮を剥きつつ、屠自古が気のない調子で頷く。
「最近、毎晩毎晩どこ行ってんのかと思ってたら、そういうことか。男でもできたのかと思ってたのに」
「なんじゃそれ。嫉妬か」
「誰が。ババァ相手に物好きがいるもんだな、ってことよ」
失礼な。尸解して振り出しに戻っているのだから、まだ生まれ立てだというのに。途中で千切れた皮を文々。新聞の上に投げて、布都は抗議の声を上げる。
「そも、我は姫であるぞ。自分から通うなぞというはしたない真似、するわけなかろう」
「何千年前の風習だよ、それ」
屠自古は鼻で笑って、対抗するように綺麗に花型に剥き終えた皮を放った。口が悪いのに手先は器用なのだ、昔から。
「余裕をかましてからに。同居の強みというやつか」
「んー?まあ……うん、まあな」
珍しく歯切れが悪い。そして、答えながら蜜柑を一粒口に入れる屠自古の表情がわずかに翳ったのを、布都は見逃さなかった。
「どうしたのだ?悩みがあるなら我に相談してみよ」
「そういう鬱陶しいとこがな。あんたの悪いとこだ。昔から」
「なにを言う。年長者の助言は素直に聞いておくものだぞ」
「自分で言ってりゃ世話ないわ」
溜め息混じりに呟くと、屠自古は手元の蜜柑の房を指先でつつき出した。
「――――太子様がな。最近、夜な夜などこかへ出かけられているのだ」
布都はようやく皮を剥き終えた蜜柑を一粒摘まみ、口へと運びながら軽い調子でそれに答える。
「ふむ?あの尼公殿のところかな?」
閃光が走った。蜜柑だったものが炭になって崩れ落ちた。
「そうなのか!やはりそうなのか!」
全身から火花を散らしながら、屠自古が椅子を蹴倒して身を乗り出してくる。まったく、すぐに熱くなる娘だ。体感温度的な意味で。
どうどう、と手を出して宥める布都に噛み付かんばかりに詰め寄って、屠自古は続ける。
「今日だって夕食を済ませてお前がいなくなった後、また隠れて出かけてたんだぞ!せめて一言断ってくれればいいものを、私はそんなに度量のない女だと思われているのか!」
怒りの矛先はそこなのか。怨霊に度量もなにもない気がするが、と考えて、布都はその言葉の矛盾に気づく。
「む?それはおかしいぞ、屠自古よ」
「なにがおかしい!」
いや、そのおかしいではなく。稲妻の熱に顔を顰めつつ、布都は続ける。
「だって、あの尼公殿の元に太子様が行かれたわけがないのだ。件の面霊気の異変の時、その場に彼女も居合わせたのだからな」
「――――うん?」
屠自古を覆っていた雷が消える。彼女は首を傾げると間抜けな顔で、そうなの?、なんて呟いた。
「そうだ。軽い冗談相手に先走りすぎだ、お主は」
「笑えないんだよ、その冗談」
そう言うと屠自古は、照れ隠しか、布都の手中の蜜柑をごっそり五粒ほど取って一気に口に放り込んだ。おおよそ全体の半分であった。
「むぅ。大きな代償だな」
「――――まだまだあるけどな」
「剥くのが面倒ではないか」
布都は身を乗り出して、屠自古が剥いた蜜柑を半分ほど奪った。屠自古はまだ恥ずかしさが残っているのか、口の端を軽く歪めただけで、なにも言わずに自分の席に戻った。そして、倒した椅子を持ち上げて元に戻したところで。
「あん?だったら太子様は、結局どこに行ってんだよ?」
今更ながらに、そんな至極当然の疑問を発した。
「我が知るわけなかろう。屠自古こそ、直接訊いてみれば良いではないか」
「それができれば苦労しないっつの」
ドスン、と勢いをつけて椅子に座りながら、屠自古は口を尖らせた。
「なんだか最近お忙しいみたいで、部屋に籠っていることが多いんだよ。邪魔しちゃ悪いだろうが」
「ほう、それは初耳だな。道理で弾幕神楽にもなかなか参加されぬわけだ」
最後に参加したのは、確か、自分がこころと戦う少し前。対戦相手は、ちょうどこころだったはずだ。その間に、こころが含まれない組み合わせが二戦か三戦ほど行われた記憶があるから、大体二週間ほど前のことだろうか。
「ん?」
自分の思考に、布都はなにか違和感を感じた。形にならないそれをはっきりさせるべく、屠自古に質問を投げかけていく。
「太子様が部屋に籠り出したのは、いつ頃からだ?」
「そうだな。二週間ぐらい前からじゃないか」
「出かけ始めたのは?」
「一週間ぐらい前からかな」
「じゃあ、屠自古よ。太子様が部屋でなにをしておられるのか、お主は知っているのか?」
「いや?ただ、後片付けは一回だけ頼まれたな」
「後片付け?」
ああ、と頷いて、屠自古はその時を思い出したのか、面倒そうな顔を浮かべた。
「なんだか知らんが、木屑みたいなのをたくさん捨てたよ。あ、捨てたっていうか燃やした?」
あんたみたいにな、などと笑うのを無視して、布都は眉間に手を当てて考え込む。
大量の木屑。二週間前から部屋に籠る神子。彼女は一週間前から出かけ始めた。こころの異変。突然散らばった面。無人の部屋。霊夢でも気づかない物理的影響。
これらの意味するものは。
そう、ただ一つしかない!
「――――そうか!!」
ついにその真実に辿り着いて、布都は思わず叫びながら立ち上がっていた。
「な、なんだよ急に大声出して」
お主が先であろうがそれは、と言ってやりたかったが、ぐっとこらえて、布都は屠自古に向き直ると。
「屠自古よ。一つ、手伝ってくれぬか?」
「なんだよ改まって?」
怪訝な顔を浮かべる彼女に、顎に手を当ててニヤリと笑いかけながら。
「妖怪退治だ。面霊気を救うためのな」
楽しげな声で、そう告げるのだった。
※
翌夜。
神社の境内はすっかり静まり返り、夜鳴き鳥の声すら聞こえない。
母屋もまた同じ。いつもならだらだらと駄弁る巫女達の声と灯りが漏れているそこも、今日に限っては物音一つせず、深遠の闇の中に沈んでいた。
今宵は新月であった。人目を避けて行動するには絶好の夜。だから、というわけではないが、その影は難なく母屋の内部へと侵入を果たしていた。
音もなく床に降り立った影は、いつものようにとある部屋を目指して進む。気配はない。すでに生ある者ではないこの肉体に、生気のもたらすそれはないのだ。
廊下を歩く途中で、影は一つ、奇妙なことに気づいた。
あまりにも静かすぎる。自分はともかく、他人の気配すらない。なにかが怪しい。
影は耳当てに手をあてがい、集中する。
不審な思考は感知できない。害意もだ。ただ一つ聞こえるのは、ざわざわとして捉えどころのない感情の揺らぎだけ。聞き慣れた、目的の相手の鼓動だけだ。
自分の耳を誤魔化せるような輩は、この神社にはいない。あの巫女などは特に欲深く読みやすい。ならばこの違和感は気のせいで、恐らくこんな夜更けにどこかに出かけているのだろう。調子の悪いこころを置いて。
ほれ見たことか、と影は溜め息を吐いた。神社も寺も究極的には役になど立たないのだ。大人しくこの自分に従っておけばいいものを、本当に聞き分けのない娘だ。
くつくつと暗い優越感のこもった笑い声を漏らしながら、影はついに辿り着いた部屋の襖を開ける。もう何度となく通った部屋。こころの眠る部屋である。
部屋の様子はいつもと変わらなかった。自分の侵入にも気づかぬお気楽さ加減で上下する布団と、その周囲で、ぼう、とほの白く輝きながら浮かぶ面のみがあった。
六十六。人の感情を体現した数多の輝きの中から、影は目的の一つを瞬時に判別する。
「フフフ……見つけたぞ……」
ニヤリ、と影が笑う。影はもはや、目的の完遂を疑っていなかった。無防備に無遠慮に布団に近づいて、面に近づいて、その内の一つに手を伸ばして――――
次の瞬間。
突然、布団の中から突き出された腕によって、その動きを封じられていた。
「娘に夜這いなんて感心しませんね」
聞き覚えのある、いや聞き慣れた声だった。人々を説法で惑わし、妖怪さえも虜にし、こころにも集る悪い虫。
バサリ、と布団が中からめくられる。そこにいたのは、はたして予想通りの人物。
「ひ、聖!?何故ここに!?」
自分の手を握り締める聖白蓮の姿を認めて、影は思わず声を上げた。辺りには確かに面が浮かんでいる。なのにこころの姿がないとは、一体どういうことだ!?
焦って身を引こうとするも、腕は万力のような力で固定されていてビクともしない。逃げられない。
「それはこっちの台詞ですっ!」
そして、そんな白蓮の声が聞こえた刹那。
見事に一回転する視界を呆けたように眺めながら、影――――豊聡耳神子は布団の上に叩き伏せられていた。見事な体術であった。
「ど、どうして君がここにいるんです!?」
後ろ手に関節を極められながら、神子は白蓮を質す。すると彼女は、闇の中でも分かる太陽のような笑みを浮かべてこう答えた。
「私じゃご不満ですか?」
「当たり前でしょう!誰が若作りの大年増なんかに――――ってイダダダダダうそうそごめん待って折れる折れるぅ!」
ギリギリ締め付ける力が思いの外強く、神子は布団を叩きながら叫んだ。外の世界では関節を極められたらこうするらしいと文献で読んだのだ。
それが功を奏したのか、白蓮は溜め息を吐いて少しだけ力を緩めた。冗談が通じない脅威の相手だった。大人しくしておこうと思う。
「皆さん、捕まえましたよ」
神子が大人しくなったのを確認して、白蓮が声をかけた。すると。
「ホントに引っかかるとはね」
「私だってもう少し注意深いぜ」
「太子様、自分で仕掛けたことながら、我は情けのうございますよ」
出るわ出るわぞろぞろと。霊夢、魔理沙、布都が一斉に部屋の中へ入って来た。この対応の早さからして、家の中に潜んではいたのだろう。
「ば、馬鹿な。どうして私に気づかれず?」
「侵入者の物言いじゃないわね。でもま、そう思うのも無理はないか」
霊夢はこちらを見下ろしながら、自らの衣服に貼り付けられた札を引き剥がした。そして、それをこちらに見せ付けながら、言う。
「気配遮断の特性お札。別空間に自分を送る系統だからね。あんたの耳も効かなかったでしょ?」
「くっ、考えましたね……」
本気を出して特定の人物のみを想定して耳を澄ませば、あるいは聞こえたかもしれない。だがそこまでの警戒はしていなかった。完全な油断だ。
「でも白蓮はどうして札なしで平気だったんだ?」
「私は八苦を滅していますから。読まれる雑念がありません」
魔理沙の疑問に得意気に白蓮が答える。それで神子はようやく気づく。こころから感じる形にならない感情の気配が、この尼の内面とよく似ていることに。もっと早く気づいていれば、回避もできたかもしれないものを、なんたる不覚。
しかしそうすると、こころは一体どこにいるというのか。今入ってきた中にもその姿は認められない。神子は奇妙な焦りを覚えて、疑問の声を発した。
「こころは、こころはどうしたのです!?いつもならここに寝ているはずでしょう?」
「やっぱり一度や二度ではなかったんですね。いやらしい」
明後日の方向で阿闍梨が疑問をキャッチした。
「ちょっと!誤解がありましたよね今!語弊しかなかったですよね今!?おかしいですよね――――ってねぇだから気に入らないことがあるとすぐ力入れるのホントやめて折れちゃうから!」
「痛くないと覚えないんですか貴方は」
白蓮が氷のように冷めた目でこちらを見下ろしながら言った。当たり前の抗議すら受け入れられないとは、なんたる理不尽であろうか。というかこの尼は、なんでこんなに突っかかるのか。
「ちょっと、じゃれ合いはそのぐらいにして。そろそろ本題に入りたいから」
「「じゃれ合いじゃありません!!」」
「うん。こりゃあ霊夢が殴りたくなる気持ちも分かるな」
無駄にカラッとした笑顔で言う魔理沙に、ふん、と鼻を鳴らすことで答えて、霊夢は神子達の元へ近づいて来た。そして彼女は袖口から数枚の札を取り出すと、それらを組み伏せられた神子の両腕に巻きつけた。
「拘束式。白蓮、もう平気よ」
簡潔にすぎる霊夢の説明にやや逡巡しながらも、白蓮は渋々と腕を離した。神子は後ろ手に縛られた状態ながらも身体を起こして、挑発的な笑みを浮かべてみせる。
「この程度で抑え込めるとでも?」
「本気出せば破れるかもね。試してみる?」
霊夢の目が、スッ、と猫のように細められた。こちらはこちらで、やはり冗談が通じそうにない気配だった。
「さすがにこの人数相手にやる気はありません」
神子は覚悟を決めて、どっかとその場に腰を据えた。
「観念したようね。じゃあ、お仕置きと行きましょうか」
「そうはいきません。私はまだ、何故囚われたのか分かっていませんから」
「ほう、そう来るか」
くっくっくっ、と楽しそうに魔理沙が笑う。
「だってそうでしょう。今の私にかけられた嫌疑は、あくまでこころへの夜這い疑惑だけ。それは断固として否定しますから、咎められることなどなにもないはずです」
ふふん、とこちらは嘲るように笑って白蓮を見ると、彼女は無言で指をゴキゴキと鳴らし始めた。後で殺されるかもしれない。
「犯人はみんなそう言うのよ。ネタは上がってるんだから白状しなさい」
「その理不尽さで私を丸め込めるとでも?これでも私は為政者ですよ」
火花が散る。霊夢が感情的なのはいつものことだが、今日はやけにそれが酷い。原因は分かっているが。
「まあまあ落ち着け、霊夢殿」
そこに割って入って来たのは布都だった。よく考えてみたら主が縛られている状況で助けもせず、何故そちら側にいるのだろうか。謎である。神子の疑問を他所に、彼女は腕組みをして続ける。
「すぐにでもしばき倒したいところではあろうがな。太子様はきちんと言い負かしてからでないと、また隠れて同じことを繰り返す面倒なお方だぞ。故に、ここは我に任せよ」
主が痛めつけられるお膳立てをしようとは、見上げた根性だ。神子は頬を引きつらせながら、口を開く。
「大きく出ましたね、布都。貴方にそれができるとでも?」
「なにを仰られますやら。ここまで手を回したのです、太子様とて逃れられはしませぬよ?」
そうして不敵な笑みを浮かべると。
「さあ、これより始まるは妖怪退治!」
バッ、と手を横に広げ。
「面霊気秦こころを襲いし異変の黒幕!」
足を開き、見得を切りながら。
「我が見事、暴ききって見せようぞ!」
物部布都は、高らかにそう宣言した。
※
寝室では話すのに向かない、ということで場所を居間に変える。霊夢が全員分の茶を入れて座り、尋問の場の用意が終わると。
「ではまず、私が囚われた理由について教えてもらいましょうか」
開口一番、神子が言った。ちなみに彼女は後ろ手に縛られたままで、自分の前に出されたお茶を飲むことはできない状態である。
あてつけのように、一旦、他の全員でずずずと茶を啜りつつ。
「それはもちろん、太子様がここ最近の面霊気の奇行を引き起こした張本人だと考えてのことです」
湯呑みを置いて、布都はそう切り出した。神子は言い訳をするでもなく、ほう、とだけ言ってこちらの出方を窺う構え。正しい選択だ。基本的に自分から口を開かなければ、ぼろを出すこともない。
加えて神子は、面霊気の奇行、という部分については訊ねなかった。恐らくそれを今日訊ねてきた理由として、夜這い疑惑を払拭するつもりだからだろう。ならばその部分は前提として話を進めることにする。
「まず、面霊気は面が原因でおかしくなっている。しかし外部から呪的な影響を受けた形跡はない。これは以前も言った通り、共通認識としていいと思うのだ」
そこまで言って様子を窺えば、霊夢達だけでなく神子も頷いていた。やはり、知っている体でいくらしい。布都も頷き返して、話を続ける。
「うむ。ここに納得が得られたならば、次はやはり面自体になにか細工をされていると考えるのが普通だ。だがそうすると、もう犯人は決まってしまう」
と言葉を切ると、布都は神子を指差して呆れ顔で言った。
「何故なら、そもそも太子様以外に面に細工をできる者がいない。生半可な者がそれをしたところで、妖怪面霊気は勝手に修復してしまうだろうからな」
「あぁ、確かにそうよね」
「覚悟はできましたか太子様?」
「ま、待ちなさい!あまりに暴論でしょう!」
すぐさま立ち上がろうとする霊夢と白蓮を静止するように、神子は叫んだ。
「大体、細工ってなんですか。私は最近部屋に籠って外に出てなどいませんし、こころに細工などできるはずがないでしょうが」
「あ、太子様。それ、ぎるてぃ、というやつですぞ」
巫女と阿闍梨の恐ろしさ故か、意外と簡単にぼろが出た。
「我は屠自古から、ここのところ太子様が夜に外出していると聞いております」
「なん……だと……」
「屠自古は尼公殿のところじゃないかと愚痴を零していたが、そんなわけがないな。先日の夜、我と尼公殿が共にいた日にも外出されていたようであるし」
「だ、だからなんだというのです?それがすぐさま、ここへ来ていた証拠とはならないでしょう?」
「……では、どこに?」
「どこだっていいでしょう」
ほとんど認めたも同然の言葉を漏らす神子。身内に間者がいては、かの聖徳王もこの程度である。とはいえ、神子の言う通りまだ証拠としては弱い。故に布都は、自分も身内である優位を最大に活かして攻めることにする。
「他にも屠自古からは面白いことを聞きましたぞ。部屋にこもって、なにやら木屑のたくさん出る作業をなさっているとか」
「屠自古!裏切ったな!」
「面か」
「面だな」
「…………」
悲痛な声を上げる神子。顔を見合わせる霊夢と魔理沙。そして、無言で笑顔のまま指を鳴らし始める白蓮。聖徳道士最後の日が、すぐそこまで近づいてきていた。
だが神子は、まだ往生際悪く異を唱えた。
「待ちなさい!まだ決め付けるのは早い!そもそも私が面を作っている証拠もない!悔しかったら現物を出してみなさい!」
「それは負け台詞だな、太子様」
突然の声と共に、襖が開け放たれた。全員が一斉に振り向く。その視線の先に立っているのは。
「屠自古……と、こころ!?」
神子の言葉通り、仏頂面で頭を掻いている屠自古と、彼女に腕を引かれて眠そうに目を擦っているこころであった。彼女は屠自古に連れられて、仙界にいたのだった。
「良いたいみんぐだな、屠自古」
「慣れない言葉使うなよな、鬱陶しい。ほれ、忘れ物だ」
ひょい、と放られたなにかを危なげなく掴み取ると、布都はそれを皆に掲げて見せた。
「やっぱり面か」
「やっぱり面だな」
「ん。それ、これと同じ?」
白い目で神子を見る霊夢と魔理沙を他所に、こころが自分の周りに浮かぶ面の一つを持って首を傾げた。細部の違いこそあれ、それは確かに六十六ある面の一つと非常に似通った形状をしていた。
「これがなによりの証拠です、太子様」
布都はニヤリと笑って神子を指差すと。
「そう。貴方は細工はしていない。それどころか、そのもの丸々を取り替えていたのですからね!」
刃のような鋭さで以って、ついに真実を突きつけていた。我ながら見事な推理。決まった、と余韻に浸る。
沈黙が場に満ちた。神子は言い訳を、他の皆はお仕置きの方法でも考えているのだろう。
そんな中、先陣を切って阿闍梨がユラリと立ち上がった。そして一言だけ、呟く。
「お覚悟を」
「待ちなさい!まだ決め付けるのは早い!そもそも私には動機がない!悔しかったら動機を――――」
腕を縛られたまま、危険を察知して徐々に後退していく神子。それに追い討ちをかけるように、こころがボソリと口を開いた。
「神様、私がイケナイ娘だからするんだ、って言ってた」
「こころぉぉぉぉ!!??今は余計なこと言わないで頼むからぁぁぁ!!」
「天国に行けるよう祈りなさい」
「待って聖!せめて言い訳を聞いて!違うから!なにもイケナイことしてないから!」
「ほう。ではどんな言い訳をしてくれるんです?」
仏の顔も三度まで、ではないだろうが、とりあえず座り直す白蓮。それにより、一応、神子が犯人であることは決まりとして言い訳を聞く流れになった。
座に屠自古とこころも加わる。屠自古は布都の隣に。こころは神子と距離を取りたいのか、卓袱台を挟んでちょうど対称となる位置に座った。それがたまたま白蓮の隣だったので、彼女は少し笑みを柔らかくして頭を撫でたりなどしていた。
「んじゃ、聖徳道士サマのありがたい言い訳タイムといこうか」
「――――いいでしょう」
揶揄するような魔理沙の言葉を受けて、針の筵の中、神子の語りが始まった。
※
あれは今から一週間ほど前。そう、私が最後に弾幕神楽に参加した日のことだった。
その時の対戦相手は、こころだった。
勝敗?それならもちろん、私の勝ちに決まっています。いや、負けるわけがないでしょう。まさか君達は、負けた腹いせにこんなことをしてるとでも思っていたのか?失礼な。
問題が起こったのは、戦いの終わった後だ。
「うぅ、また負けた……」
聴衆のやんややんやの喝采の中、ボロボロになったこころが地面に座り込んで呟いた。面は着けていなかった。言葉とは裏腹に、本人はいたって無表情だった。やはり感情の発露が甘いのだ、この娘は。
「まだまだだね、こころ」
私は彼女の側に降り立って、腕組みをしつつ言ってやった。
「大分こなれてきた感じはあるが、どうにも方向性が定まっていない。それが動きにも表れているよ。特に、最後のアレはなんだい?いきなり花火なんて打ち上げたりして」
「――――あれは、霊夢さんが教えてくれた」
こころは扇を持ち上げて、座りながら奇妙なポーズを取ってみせた。
「こうすると、おめでたいから人気が出るって」
ひゅー、ぽん、と気の抜けた音が響いて、こころが煙にむせて咳き込んでいた。
「なりふり構わないな、あの巫女も」
確かに聴衆からの声援は飛んでいたが、霊夢、負けてしまっては本末転倒だと思うよ。まあ人気も大事だけどもね。
「はいはーい!それじゃあ今日の勝負はお終いよ!お帰りはあちら!お賽銭はこちら!ささ、じゃんじゃん入れてってねー!」
上機嫌な霊夢の声が境内に響いた。最後にもう一度、割れんばかりの拍手を残してから、観客の群れがぞろぞろと移動を開始した。
完全にダシにされているのは感じていたし、複雑な気持ちを持たないわけじゃなかった。しかし、ああして人々に勇姿を見せ付けることが道教のアピールになるのも事実だった。
それに何より。
「寺なんかが賑わうよりは、余程健全だしね」
とあの時は思ったものだ。って待ちなさい聖。まだ言い訳は続きます。立つのは早い。落ち着いて。
――――気を取り直して。
そこで私は、見捨てて帰れば良かったのに、座ったままのこころに手を伸ばしたのだ。これがすべての間違いだった。
「立てるか?」
「立てるよ」
こころは平素の冷たい声音で答えて、自分一人で立ち上がった。感情なんて分からない、と言うくせに、彼女にはこういう子供っぽいところもあるのだと驚いた。
「次は負けない……」
こころはこちらに背を向けて、どこからか取り出した手拭いで自分の面を磨き始めた。戦いの中で感じた想いを一つ一つ思い出すように。
「…………」
私はそれを黙って見つめていた。邪魔しちゃ悪いかなと思ったから。でも面といえば一つだけ気になることがあったから、それを訊ねたのだ。
「それはそうと、新しい面は馴染んだかい?」
「――――――――」
面を磨くこころの手が、ピタ、と止まった。彼女の周りを漂っていた面がザワリと震えた。
「……くない」
小さな声が聞こえた。この豊聡耳を以ってしても聞こえぬ声が。
「ん?よく聞こえないが?」
「……新しい希望の面、あんまり被りたくない」
聞き捨てならぬ言葉であった。被りたくない……だと……?
「ど、どういうことだ、こころ?」
震える声で訊ねた。まさか、不満があるとでもいうのか。聖徳王の作りし希望の面に。この私の顔を模した、あの完璧な、まさに希望そのもののような面に!
「言った通りの意味。被りたくない」
しかしこころは無情な声でそう言うと、また面を磨く作業に戻ってしまった。一つ一つ再び丁寧に、翁、嫗に、般若や獅子、狼と次々に面を変えて。
と、その手がまた止まった。何事かと見てみれば、こころの手には件の希望の面があった。
「…………」
こころはそこで、無言で手ぬぐいを仕舞った。
「こ、こころ?それは拭かなくていいのかい?」
「いい。もう終わった」
冷たい声で言い放って、こころが立ち上がった。そこへタイミング良く、霊夢からの声が飛んだ。
「こころー、こっちに来てちょうだい!みなさんに最後のご挨拶!」
「分かった。今行く」
そして、こくり、と素直に頷くと、彼女はさっさと霊夢のところへ向かっていってしまったのだった。
「――――――――」
取り残された私は、苦虫を噛み潰したような顔でその後姿を眺めた。この霊夢相手の素直さと自分相手の素っ気なさ。とても看過できるものではないと思った。
おまけに。
「さあ、ご挨拶!」
「たーまやー」
ぼぼん、ぼぼん、と花火の音。またしても喝采が飛ぶ。負けたはずのこころが、何故か観衆の声を浴びて目立っていた。なんということだろう。この不義理な娘っ子。イケナイ娘っ子。やはり、とても看過できるものではなかった。
「……こころ」
哀れ。一人残された勝者は、その様を見つめて一人、悲しげに呟くことしかできなかったのだ。
※
「分かるか!お前達に私の気持ちが!手塩にかけて作った面を拒否された私の気持ちが!」
語りを終えた神子が、半分涙を浮かべながら叫んだ。しかし神子の盛り上がりとは裏腹に、場は完全に盛り下がっていた。
魔理沙は退屈そうに卓に顎を乗せていた。屠自古は、やれやれ、と言いたげな顔で肩を竦めていた。白蓮は自分の横でうとうとしているこころに肩を貸しながら、怒りとも嬉しさともつかない顔を浮かべていた。布都はそれらを眺めつつ、どうしたものかな、などと考えていた。
と。
「それと、夜な夜な面を取り替えるのになんの関係があるわけ?」
頬杖を突いたままの不機嫌そうな顔で霊夢が訊ねた。皆の心中を見事に代弁した言葉だった。希望の面を作り直すならまだしも、どうして他の面にまで手を出す必要があるのか。そこが疑問だった。
「関係大有りだろう!」
対する神子は怒り気味の声で力説する。手が縛られていなかったら、卓を叩いてるような勢いだ。
「私はね。私が作った面を、なんとしてでもこころに被らせたかったのだ。だから毎夜毎夜、新たな面を作っては取り替えに来ていたのだ」
「希望の面じゃなくても、ってこと?」
「そうだ!もうこの際、なんでも良かったのだ!」
「はん!ついに正体を現したな、妖怪お面取替えが」
妖怪退治屋の血が騒ぎ出したのか、魔理沙が身を起こして獰猛に笑った。それを、まあ待て、と制しながら、布都は口を開いた。
「動機の自白が来たので、最後のまとめに入ろうぞ」
「まだなにかあるの?」
「あるとも」
霊夢に頷き返して、布都は続ける。
「つまり新たな面を次々に加えられた負荷に耐え切れず、面霊気はあんなことになっていたわけだな。要するに、希望の面の時と同じ状況だったのだ」
あの時、面霊気は道具に戻るかどうかという状態から、一度感情を爆発させることで持ち直した。今回は少し感情に馴染んできていたので、眠りに就くことでその代わりとしたのだろう。
だからなんだ、と言わんばかりに霊夢と魔理沙が首を傾げる。この二人は黒幕が判明した段階で、とりあえず退治すればいいという思考なのだろう。それはそれで手っ取り早い。だが、何事も根治するためには、根こそぎでなければならない。
布都の思惑を察したのだろう。白蓮が強張った顔で言った。
「それって、このまま続けられていたら、眠りから覚めないまま道具に戻ってしまうことだってあったかもしれないってことですよね?」
その言葉に、ゑ!?、と頓狂な声を上げたのは神子だ。
「いや、そんなまさか。だってなくなったのを補完するためとかじゃなくて、交換しただけですよ?ありえない」
「実際、寝込んでましたけど」
「うぐっ――――そ、それはなんというか、ちょっと辛抱が足りないでしょう。私の娘なのに、それぐらいできなくてどうします」
なに言ってるんだこいつ、みたいな目をする霊夢と魔理沙。もっともな反応だった。
「というかですね、太子様。今ご自分で娘と仰った通り、元々すべての面は貴方の作品でしょう。最初からすでに自分の面を被ってもらっているのに、どうしてそういうことをするんですか?」
眠ったままのこころの身体をゆっくりと自身から離しながら、白蓮が訊ねた。
「――――じ、実はですね。六十六の面の中には、習作がありまして。いい機会ですから、完璧な物に取り替えておこうかと」
「それなら、本人の許可を得てから少しずつでも良かったですよね?」
「実は微妙な出来栄えのがあるから変えてくれ、なんて言えるわけないでしょう」
言い訳を続ける神子を他所に、白蓮はこころを屠自古に預ける。屠自古はしばらくこころを困ったように抱いていたが、やがて観念したのか自分の膝に誘導した。
布都は一見微笑ましいその様を横目で見ながら、思うのだった。これで白蓮は自由の身となった、と。
「もう、正直に言ってしまったらどうですか。その方が楽になりますよ」
迷える子羊を諭すような口調で、白蓮が言った。慈悲深いその言葉は死刑宣告にも等しい。もうとっくにバレているんだから早く言ってしまえと、そういう類の優しさのない言葉。だが、それを認めさせなくては、問題は解決しない。
「ぐぐぐぐぐぐぐ……」
神子は歯軋りの音でも聞こえてきそうな顔で唸った。そこに最後の一押しをするのは。
「太子様、皆、分かっております。ですから、ね?」
やはり、この場を仕掛けた自分しかいないだろう。布都はそう思って、努めて優しい口調で語りかけた。もう、楽になっていいんだぞ、という気持ちで。
「布都……」
神子が涙で目を潤ませて呟いた。そんな彼女に頷きを返して、さあ、と布都は続きを促す。
「……そうですよ。私はただ、悔しかったんです」
ポツリ、と。力なく、神子の告白が始まった。
「自分の娘のためにとせっかく作った希望の面を被ってももらえず、おまけにこころにも邪険にされて。霊夢や聖には懐いているというのに、私だけは冷たい表情で冷たい反応されて」
悲しい告白だった。痛ましい告白だった。自業自得な気もするが。
「あんな感情のこもらない冷たい声、私には耐えられなかった。だから少しだけ、ほんの少しだけ嫌がらせをしてやりたかったんです」
そして、神子は顔を上げると。
「私だって――――私だってなぁ!こころに、ママ!って呼んでもらいたかったんですよ!なんですか神様ってその他人行儀どころか人間ですらないような呼び方!ずるいじゃないですか特に聖!どうして横からしゃしゃり出てきて母親面してるんですか!納得がいかない!」
感情のままに情けない言葉を発して。
「母親どころか妖怪になってるじゃないですかっ!」
次の瞬間、白蓮の強烈なツッコミにより、縁側を通り越して庭へと吹き飛んでいた。驚きの速さ。目の前から白蓮の姿が消えた刹那、もう神子の姿も消えていた。
「あ、危ないでしょう!」
両手を縛られたまま地面に激突する寸前、神子はなんとか飛行して体勢を立て直した。そのまま彼女は高度を上げて距離を取る。
「そこで転がっていた方が楽だったものを」
物騒なことを言いながら、白蓮が庭に出る。お仕置きの始まりだった。
「もう止めないわよね?」
「うむ。本音を引き出したからのう。後は徹底的にやってくれ」
「りょーかい」
布都は座ったまま、お払い棒を取り出した霊夢を見送る。鬱憤が溜まっていたらしく、最後にチラリと見えた横顔は野獣のようだった。
「面白そうだし、私も混ぜてもらうとするか」
「まあ、ほどほどにな」
「私じゃなくてあの二人に言うべきだったな、それは」
帽子と箒を掴んだ魔理沙が苦笑を浮かべながら出て行った。それでも死にはしないだろうと、布都は軽く考える。
「三対一ですか!?卑怯ですよ!」
「前にこころさんにやったのと同じです。今更なにを言うんですか?」
「拘束は解いてあげるわ。後で全力じゃなかったとか言われても面倒だし」
「仏教と道教に合わせる魔術ってどうやるんだろうな?興味深いぜ」
弾幕勝負が始まる。否、境内で上げられるそれは、神への奉納。すなわち今宵の弾幕神楽。
「『聖徳太子大調伏』なんて名前はどう?」
「いいですね。こころさんの味わった苦しみを、少しでも思い知らせて上げましょう」
「あの時は貴方もいたでしょう聖!」
「大変だな、お前も」
観客はほとんどいない。縁側に出て眺めるは、布都一人だけ。
SPELL CARD SET
普段は大観衆に包まれる境内で、今、弓張月を背景に舞い踊るは四人の演者。
決闘開始!
「行くわよ!」
「さあ、お覚悟を!」
「死ぬなよ!」
「ええい!まとめてかかってくるがいい!」
夜空を彩る閃光は、まるで花火。これを素面で眺めるのは惜しい。そう思って、布都は仙界から、にゅるり、と徳利とお猪口を取り出した。
お猪口は二つ。布都は背後を振り返って、悪戯を思いついた子供のような顔で言った。
「お主もどうだ?」
「悪いヤツだな、焚き付けといて」
屠自古はこころを座布団で作った即席の布団に寝かせて、自分もまた仙界から肌掛けを取り出すと、それを彼女の身にそっとかけた。
「頼まれた子を放り出すのは悪いヤツではないのか?」
「あん?この子はもう自立できてるだろ?だからあんまり過保護にしない方がいいんだよ」
「ほう!」
布都は思わず驚きの声を上げた。ほとんど面識はないだろうに、なかなかよく見ている。口は悪いのに変に繊細な娘なのだ、昔から。
「なに変な声上げてんだよ。あんたもそう思ったから、わざわざ太子様をはめるようなことしたんだろ?」
「はは、違いない」
どっかりと横に座る屠自古にお猪口を渡し、布都は酒を注いでやる。次いで自分のお猪口を取り、それにも自分で注ごうとしたら。
「貸しな」
と屠自古に有無を言わさず奪われて、彼女に注がれることとなってしまった。
「動きが悪いわよ魔理沙!あいつ殴れないじゃない!」
「なんで殴るの前提なんだよ!?私は弾幕偏重型だ!」
「代わりに私達が殴りますから、魔理沙さんはサポートお願いします!」
「なんで物理!?野蛮でしょう!」
神子の悲鳴が聞こえる。が、今はそれも肴として酒を楽しもう。たまにはこういう日があってもいい。
「我もまあ、少し痛い目を見た方が良いかなとは思っていたしのう」
「子煩悩は老けた証拠だぞ」
「まだまだ現役じゃぞい」
「どこの狸だそれ」
ぷっ、とお互い吹き出しながらお猪口を掲げ合って、酒を喉に流し込んだ。仙界で冷やされた酒は、まだまだ蒸し暑い季節の中で殊更に美味しく感じた。
「そら一発目!って避けられた!?」
「馬鹿め!私には仙界ワープがある!」
「ならワープするより早く殴りましょう」
「待っておかしい!殴るより弾幕しましょう!」
「箒で仙人殴っても壊れないよな?いや、箒が」
いよいよなにが目的か分からなくなってきた野蛮な神楽が盛り上がる。避けに合わせて酒を煽る。
そうして気分が良くなってきたところで。
「そういや布都。ずっと気になってたんだが。あんた、どうして普通に太子様を呼び出さずに、こんな手の込んだ真似したんだよ?」
屠自古が徳利を傾けながら、そんなことを訊ねてきた。だから布都は。
「そんなの決まっておろう」
ほろ酔い加減でお猪口を持ち上げると。
「少し前に読んだ外の書にあやかったのだ。知っているか、屠自古?こうして犯人を追い詰め、罪を暴き、糾弾する知恵者のことを――――」
ニヤリ、と悪巧みの成功に満足げな笑みを浮かべて、言った。
「名探偵、というらしいぞ」
弾幕に彩られた空の下、夜は深まっていく。
背後で眠るこころの寝顔は、どこか憑き物が落ちたように安らかだった。
「――――許せん」
ブツブツと何事かを呟きながら、一心不乱にガリガリと、なにかを削る音がある。
「――――許せんぞ」
削られているのは、木塊だった。言葉を呪詛のように。手つきを舞のように。
「――――認めぬ」
短刀と鑿がその表面で踊り、一角を削り取る度に、ある一つの形が現出へと近づいていく。
「――――そのような生意気、認めぬぞ」
それはさながら、産みの儀式。闇の中で生まれつつある胎動に命を吹き込むように、誰かはひたすらに刃を振るい続ける。
やがて。
「――――フフフ」
カン、という音を最後に、儀式が終わった。達成感を含んだ笑みが響く。短刀が置かれ、鑿が置かれる。
「――――あとは、これを」
そして、新たにこの世に生まれ出でたなにかを掲げ持つと。
「これを、なんとしてでもヤツに――――」
何者かは闇よりも暗い笑みを浮かべて、そう呟くのだった。
※
ある暑い夏の日のことだった。
いつものように弾幕音の響く境内を動き回っていた霊夢は、突然に白蓮によって呼び止められた。その白蓮曰く。
「こころの様子がおかしい?」
視線の先で、はい、と白蓮が頷いた。
「霊夢さんは気づいてないんですか?」
続く問いに、霊夢は首を傾げて答える。
「うーん、そう言われてもなぁ。どの辺がおかしいわけ?」
霊夢の疑問に直接は答えず、白蓮は上空を指差した。霊夢もそれに倣って視線を移す。
そこでは今、二人の人物が大立ち回りを演じていた。
「行くぞ!準備は良いか?ほれほれ!」
掛け声と共に、空に、皿が無数にばらまかれる。その間を彩るは、五行のうねり。木火土金水が空を乱れ飛ぶ。
「小賢しい!」
それに挑むは、負けず劣らず多彩な手。扇子、薙刀、糸に面。目まぐるしく次々に武器を持ち替え、変幻自在の神楽が空にて舞われる。
今、境内の上空では、こころと布都が戦っていた。いや、正確にはその言い方は正しくない。これはただの弾幕戦ではなく、舞でもあるからだ。
その名も、弾幕神楽。
普通の神楽では客入りが悪くなってきたということで、最近、霊夢が考え出した、新たな客寄せの手段だった。いつもそこかしこで行われている弾幕戦との最大の違いは、時間を告知して神社の上空でのみ行うこと。つまり、決闘を独占商売にしてしまおうという試みなのだった。
元々、スペルカードルールによる決闘には、美しさを競うという側面もある。巫女による結界が貼られているため流れ弾による被弾の心配は皆無、というのを売りにして、数日おきに演者を変えて行われるこの催しは、結構な盛り上がりを見せていた。
「わちゃわちゃと鬱陶しいぞ!仙人はみんなこうなのか!」
「ふはははは!太子様はそうでもないが、我は特に小細工が大好きだからな!」
般若面を着けて叫ぶこころを、布都が高笑いと共に煽る。
「それに、我を鬱陶しいというがな、面霊気よ。お主も人のことを言えまい?そんなちょこざいな技ばかり覚えおって!」
「うるさい!気が散る!一瞬の油断が命取り!」
「はははははははは!!」
文字通りに叩きつけられる怒りの面を華麗に避けて、布都はあっけらかんと笑いながら宙を舞った。余裕の態度である。
「こころさん、どことなく、動きがぎこちないように思いませんか?」
白蓮は、そんな二人の様子を指しながらそう訊ねてきた。
しかし傍目からは、こころは善戦しているように見える。事実、観客達は大盛り上がりで、声援も両方に差がなく飛んでいるように思える。つまり、白蓮言うところの、こころの違和感とやらには気づいていないのだ。
「……ううーん。そう?」
と霊夢は再び首を傾げた。気のない返事に白蓮は、そうですよ、と怒ったように続ける。
「どことなく、暴走が終わってしばらくの、まだ感情が不安定だった時期を思い出すというか」
「んんー?不安定、ねぇ……」
霊夢は腕を組んで、戦いの推移を注意深く見守る。
「どうした面霊気?動きが鈍っておるぞ!」
「だ、黙れ!」
確かに、意識して見てみると少しだけ違和感はある……かもしれない。舞の調和に乱れがあるというか。動作にひっかかりが感じられるというか。もっと言うと、こころに焦りのようなものが見て取れる。感情のないはずのこころに、だ。
そう考えると、由々しき事態ではないか、これは。身近な異変と呼んでもいい。ではその原因は?と考えて、霊夢はふと気づいた。
「――――ひょっとして、面の付け替えに手間取ってる?」
「そう、そんな感じです!」
白蓮が、我が意を得たり、とばかりに手を合わせた。
「こころさんの動作選択には、今でも感情の揺らぎのようなブレがあります。でも、選択した後にもたついている感じは、もうほとんどなくなってきていたんです。なのに、今の動きはまるで――――」
「まるで元通りにでもなったみたい、と」
白蓮の後を継いで呟きつつ、霊夢は苦い顔を浮かべた。このところ、こころとの手合わせを自分はしていなかった。専ら、弾幕神楽の主催としてばかり動いていたせいだ。諭されるまで異変に気づかないとは、少々腑抜けすぎていたかもしれない。
「さあ、これで決まりだ!」
上空では戦いが佳境に入りつつあった。布都の召還した磐舟が宙を驀進し、一直線にこころに迫る。
「甘いよ!そんなの当たらない!」
火男の面を着けたこころは磐舟の軌道を見切ると、軽妙な動きでそこから退避しつつ迎撃を試み――――
ようとした。少なくとも、霊夢にはそう見えた。
だがその瞬間。
「え?」
こころの顔から、弾かれたように面が吹き飛んだ。入れ替えではない。事実、驚いたような様子とは裏腹に、猿面は微動だにしていない。
動きが止まっていた。避ける動作の途中で、完全に停滞していた。ならば必然的に、その位置は舟の直撃軌道であり。
「――――うっ!」
鈍い音がした。呻き声が漏れた。こころの身体が風に煽られる紙片のように宙を舞い、そのまま地面へ落下を始めた。
「面霊気っ!?」
思いもよらぬ深い当たりに、布都が焦りの声と共に手を伸ばす。だが、急制動をかけたとて舟はすぐに止まれず、彼女の伸ばした手は空を切ってしまう。
「こころさん!!」
「こころっ!!」
霊夢と白蓮は、こころの落下点へ向けてほぼ同時に動き出していた。単純な速度だけなら白蓮の方が上。しかしそれでも、距離的に間に合うかは微妙な状況だった。
故に霊夢は、空間を超える。
「――――っと!」
刹那の後、浮遊感が全身を包んだ。意識を、空での感覚へと瞬時に切り替える。
「ふぅ、危ない危ない」
そして、目の前に現れた桃色のたなびきを受け止めたところで、霊夢はようやく安堵の声を漏らした。どうにかキャッチ成功である。
一部始終を見ていた観客の間から、おおおお、とどよめきが漏れた。次いで、まばらな拍手が誰からともなく起こる。それはどんどん人々の間を伝播して大きくなっていき、霊夢がこころを抱えて地上に降り立つ頃には、割れんばかりの盛大なものへと変じていた。
「……私、戦ってないんだけど」
主役であるはずの勝者を差し置いて声援をもらうのは如何なものか。当惑しながら辺りを見る霊夢に、駆け寄ってきた白蓮が言った。
「こころさんを助けた。それだけで理由は充分ですよ」
「そうかな?」
「そうですよ。ほら」
と白蓮が示したのは、またしても空。霊夢が、今度はなんだ、と顔を上げると。
「うあああああ、めめめめ面霊気よおおおお!!大丈夫かっ!?大丈夫であるかっ!?」
そこには、涙まみれの顔で叫びながら急速降下してくる布都の姿があった。そのまま彼女は地上近くになっても減速せずに、まるで墜落するような勢いで地面に降り立ち。
「こ、こころおおおおお!!」
次は、転げるような勢いで霊夢が抱くこころの元に飛びついてきた。慌ただしいヤツ。
「無事よ。とりあえずは」
布都の突進を左手で押さえ込みつつ、霊夢はそれだけ言ってやる。
「妖怪だから身体も丈夫だし、あの程度で死にはしないわよ。だから落ち着け」
「もががががが!ほが!ほががおががが!」
なに言ってるのかまるで分からん。霊夢は仕方なく手を離してやった。
「――――っぷは!いやいや、なんにせよ無事で良かった!これも霊夢殿のおかげであるな!口ではそんなこと言いつつも、実に素早い救助であったぞ!」
「ええ、本当に良かったです。霊夢さんが人間離れしていなかったら、間に合わないところでした。元より、落ちたぐらいで死ぬとは私も思っていませんでしたが」
「……あんたら喧嘩売ってんの?」
霊夢は努めて剣呑な声で訊ねる。亜空穴まで使ったのが、今更ながらに恥ずかしくなってきた。頬に感じる熱が憎たらしい。
「まさか!」
「滅相もない」
涼しい顔で答える両者を成敗してやりたいところだが、今はこころを抱いている。神楽の後始末だってしなければならない。
「はぁ……もういいわ。白蓮、ちょっとこころを頼むわね」
霊夢は溜め息混じりに言って、こころを白蓮に受け渡した。見た目とは裏腹にこころは軽くて、自分の細腕でも難なく抱きかかえられた。その軽さに、霊夢は少しだけ罪悪感を覚える。こころだけに弾幕神楽をやらせていたわけではないが、結構な負担になっていたのかもしれないと思った。
だから。
「今日の神楽はこれでお終い!あと、しばらく弾幕神楽は中止!再開も未定!というわけだから、さっさと帰った帰った!」
ぱんぱん、と手を叩いて、霊夢は観客に解散を促した。今は一刻も早く、こころを横にでもしてやりたいと思ったのだ。
しかし横柄な霊夢の態度にも、不平を漏らす観客は一人もいなかった。皆、無言で出口の鳥居へ向かって動き出す。それどころか、去り際に賽銭まで投げ入れていったりもして。
「……どいつもこいつも、こんな時だけ入れてからに。普段から入れろってのよ」
観客が去るのを待って、霊夢は頭を掻きながら毒づく。
「こころさんが、それだけ愛されているってことでしょう」
お姫様抱っこの要領で抱えたこころを見下ろして、白蓮が笑った。そんな彼女に、フン、と鼻を鳴らして、霊夢は揶揄するように言ってやる。
「戦う日でもないのに見に来てるヤツの言うことか」
「霊夢さんだって、らしくないことして」
「なんのことよ?」
「お賽銭、催促しなかったじゃないですか」
ちっ、バレてたか。とはいえ、認めるのもなんだかしゃくなので、霊夢はとぼけることにした。
「なんのことか分からないわね。くだらないこと言ってないで、あんたはこころを母屋に連れてってちょうだい」
「はいはい。霊夢さんも素直じゃないんですから」
苦笑を残して去っていく白蓮を無視して、霊夢は布都に向き直った。
「そっちもなにしてんの?私達も早く行くわよ」
布都はいつの間にか少し離れた所に移動していて、その手には何故か、こころの面の一つを持っていた。彼女はこちらの疑問には答えず、とてとてと歩いて来て、言った。
「そうだな。面霊気の様子も気になるしのう」
「そうよ。ついでに昏睡させた罰として、夕飯作るのを手伝ってくれてもいいわ」
「勝ったのに理不尽だな!」
「あんたの良心が試されているだけよ」
霊夢はそう言い残すと、布都に背を向けてさっさと歩き出した。白蓮にはああ言ったが、こころが心配なのは間違いなかった。
「うーむ……?」
背後で布都がなにやら唸っていたが、もはや聞く気はなかった。
※
その日からだ。こころの様子が、目に見えておかしくなっていったのは。
「おはようッ!」
朝には、怒りの般若面を被り挨拶をし。
「なにか手伝うことはないか!?」
昼になれば、境内を掃除する霊夢に深刻の狐面を被りながら話しかけ。
「お茶が入ったぞう!」
夕涼みに縁側にいれば、驚きの猿面を被りながらお茶を出して。
「美味しい……」
食事の際には、この時ばかりはさすがに面は被らないが、悲しみの嫗面を忙しなく動かしながら口を動かす。
「おやすみ」
そして、夕食を終えたなら早々に眠りの挨拶をして、まるで倒れこむように布団に突っ伏してしまう。もうそんなことが、一週間は続いていた。明らかに異常だった。
「大丈夫か、あいつは?」
こころが眠った後、食後のティータイムと洒落込みながら魔理沙が言った。いつものことながら、彼女は図々しくも夕飯をタカリに来ていたのだった。
「そうよね。おかしいわよね」
霊夢は頬杖と共に溜め息を吐いて、茶を啜った。ティーはティーでもグリーンティーである。
居間に漂う所帯じみた空気の中で、霊夢は考える。
昼でもうろうろしている奴らが多くて麻痺していたが、妖怪というのは本来、夜が本番の連中だ。彼らは月の光で力を増し、闇に潜んで人を襲う。故に人は夜を恐れ、闇から逃れようとする。それが自然の摂理。
こころだってその例に漏れず、感情の異変の時には夜の人里に影響を及ぼしていた。つまり彼女も、本来は夜型であるはず。
なのに、これは。
「今日もこころさんは、もうお休みですか?」
突然の声に外へと目を向ければ、庭先には白蓮の姿があった。彼女はあの日以来、毎日こうしてここへ来ていた。
「あんたもホント心配性ね」
こんな夜更けに毎日毎日ご苦労さんなことだと思う。でも、その気持ちも分からなくはないので、霊夢は湯呑みをもう一つ出そうと立ち上がった。
「寝る子は育つ、とは言うが、何事にも限度というものがあるな」
すると今度は廊下へと続く襖が向こうから開いて、別の声が聞こえてきた。声の主は両手に湯呑みを持った布都だった。彼女もここ一週間ほど、いつもこういう現れ方をしていた。
「ほれ、尼君殿の分も持ってきてやったぞ」
「ん。ありがと」
と受け取ってしまってから、霊夢は今更ながらに違和感を覚えて顔を顰めた。
「――――そういやあんた、どうしていつもウチの中から現れてるのよ?」
「直通路があるからな。仙界からここへの」
しれっとした顔で布都が答える。なんだそれ。聞いてない。
「なに勝手にそんなもん作ってるの?おまけに湯呑みまで持ってきたりして、あんたにはマナーとかそういうのないの?」
「なにぶん、頭の中にカビが生えていてな。一四〇〇年ものの」
「駆除して常識叩き込んでやろうか」
「はは、霊夢には言われたくないと思うぜ」
魔理沙が余計な茶々を入れる。こっちだって魔理沙にだけは言われたくない。しかし、それでなんとなくこの話題は有耶無耶になって、白蓮と布都がティータイムに加わることとなってしまう。まあいつものことだが。
「出涸らしだけど恵んであげるわ」
ただ、たまには抗議の意思を示してやりたくて、霊夢は新たな湯呑みに茶を注ぎながらそう言った。薄い若草色の液体が二つの湯呑みに少しずつ満ちていく。白蓮はその様子をまじまじと見ていたが、その内、頬に手を当てると真顔でこちらに訊ねてきた。
「あの、お茶葉を持ってきた方が良かったでしょうか?」
霊夢は思わず溜め息を吐いて、うんざりした顔で答える。
「……ねぇちょっと、真面目に相手しないでくれる?惨めになるから」
「相変わらずの理不尽さだな!」
「…………??」
布都には一睨みと共に湯呑みを滑らせて、困っている白蓮には湯呑みを押し付け、霊夢は座布団に座り直した。
ずずず、とまずは皆で一息。
「――――して、良くなる兆しはあるのか?」
口火を切ったのは布都だった。取り繕っても仕方がないので、布都の問いに霊夢は即答する。
「ないわね」
「それどころか、日増しに酷くなってる気さえするな」
溜め息混じりに魔理沙が追従する。そう、実はこころの眠っている時間は、少しずつだが延びてきているのだった。
「やはり原因は、面、でしょうか」
「それしか考えられないわよね」
「でも、どうして急に?もう欠けたりもしていないはずなのに」
白蓮の言う通り、結局はそこだった。原因が分かっていても、原理が分からない。だから、解決法も分からない。
「外部から手を加えられてるとか」
魔理沙が指を立てて言うが、その可能性は薄い。だってそんな痕跡があるならば。
「私が気づかないと思うわけ?」
「だよなー。いくら霊夢がグータラでもなー」
「グータラは余計――――」
「でも霊夢さん」
魔理沙への抗議の言葉を遮って、白蓮が怒ったような口調で言った。
「私に言われるまで、こころさんの異常には気づいていなかったじゃないですか」
「そこを言われると、確かに痛いんだけど……」
霊夢は、なんと言ったものか、と思案しながら口を開く。
「魔理沙の言ったように、こころというか、面霊気って妖怪自体に影響を与える魔力みたいなのがあれば気づくのよ。グータラでも寝てても」
ほら、私って巫女だし、と霊夢が言ってみせると、白蓮は、ワケが分からない、みたいな顔をした。
「つまり、呪い(まじない)的な影響は皆無であるというわけだな」
対して、布都は特に気にした風もなく頷いた。彼女は顎に手を当て思案顔で続ける。
「となると、他に考えられるのは物理的な影響だが――――」
「舟がぶつかった、とかですか?」
「ぶふっ!」
「どわっ!なにしてんだよ汚いな!」
布都が噴出した茶の直撃を転げるように避けながら、魔理沙が声を上げる。なかなかの反射神経だ。悪くない。
布都はひとしきり噎せた後、口元を震わせながら言った。
「ばばばば馬鹿な!いいい、いくらなんでも、あ、あの程度でどうにかなるほどやわな身体ではあるまい!?」
「もちろん冗談です。妖怪を舐めすぎです」
白蓮のボケは分かりづらい。いや、日頃から溜まっている放火魔への意趣返しかもしれないが、どちらにしてもである。
「冗談で残機減らされそうになった身にもなって欲しいぜ」
のそのそと卓袱台に戻ってくる魔理沙を横目に、霊夢は話を元に戻す。
「でも、いい視点ではあるのよね。呪的な力が原因でないのなら、物理的な原因を疑うのが筋だし。私でも感知できない未知の力の影響は、この際無視してね」
「その場合、なにがこころさんに作用しているんでしょう?」
「お主の仏の教えとやらではないのか。仏理だけに」
「やかましい」
霊夢はお札を投げつけて、布都の口を塞ぐ。先程の仕返しをしたい気持ちは分かるが、話が進まない。
「やっぱりさ。ここはあれしかないんじゃないのか」
もももががが、と非言語的に呻く布都を無視して、魔理沙が諦めたように呟いた。
「原因も分からない。なのに事態は悪化していく。となると、保護者に訊いてみるのが一番じゃないのか」
「ごめんなさい」
とそれに突然謝りだしたのは白蓮だった。彼女は申し訳なさそうな顔で魔理沙を見ると、ぺこりと頭を軽く下げた。
「あいにくですが、私もまだ見当がついていない状態でして……」
「なんでお前が当たり前に保護者面しているんだよっ!」
頬を引きつらせて魔理沙がツッコミを入れる。ノリがいい、というか、付き合いがいい、というか。天然相手にも挑む度胸は買うが、それは勇気ではなく無謀というものである。
「神子ねぇ。やっぱそうするしかないかねぇ」
霊夢は投げやりにそう言うと、茶を一口啜った。あぁ神子さんのことですかでもあの人は保護者というより保護放棄者ですし、なんて白蓮の言葉を聞き流しながら、霊夢は考える。
そういえば神子のヤツは、最近はあんまり神社に顔を出していなかった。こころの不調のことも知らないのかもしれない。布都が出てきているのに当人の動きがないのがそのせいであるなら、請えば力になってくれる可能性は充分にあった。なんといっても、創造主なわけだし。
「ねぇ、布都――――」
そう思い、口に札をつけたまま湯呑みを持って固まっている布都に霊夢が声をかけようとした、まさにその時だった。
ガラガラガラガラ、となにかが転がるような音が部屋中に響き渡った。
「なに!?」
「なんだ!?」
「なにごとです!?」
「もむ!?」
四者四様の声と共に慌てて立ち上がり、辺りを見回す。部屋の中に異常はない。攻撃の気配もない。音の正体は不明。だが、今なお鳴り響いて徐々に小さくなりつつあるその源だけは、すぐに察知できた。
「こころ!!」
それは、こころの眠る寝室から響いて来ていたのだった。襖を開け放ち、霊夢を先頭に皆が雪崩のような勢いで廊下に飛び出す。
「こころ!!大丈夫!?」
寝室に辿り着いて襖を開け放つなり、霊夢は叫んだ。両手に封魔の針と追尾の札を構える。魔理沙も八卦炉を構え、布都も皿を構え、白蓮も拳を握って、全員で完全な戦闘態勢だった。
中は無人。返事もない。否、部屋の中心に敷かれた布団には、中に人の存在を思わせる膨らみがある。つまり、部屋にいるのはこころだけ。薄闇の中、他の何者かが潜んでいる気配はない。
「灯りを点けます」
念のためと、白蓮が右手を掲げてその先に妖光を灯した。ボウ、と少しずつ明るさを増す輝きに闇が駆逐され、少しずつ部屋の様子が判然としてきて。
「な、なによこれ!?」
霊夢は、思わず驚愕の声を漏らしていた。
何故なら、部屋の中には。
床一面を覆い尽くすようにして、種々様々な形の面が、乱雑に散らばっていたのだった。
「これって、全部こころさんの面ですか?」
左から右へと部屋全体を照らしながら、白蓮が訊ねた。彼女は灯りの役があって自由に動ける状態ではなく、確認の術はない。
「むむむ!!」
なにかを見つけたらしき布都が、ひょい、とその脇を抜けて部屋の中に入った。そして迷うことない足取りで奥まで行くと、床に転がる一つを拾い上げて掲げた。
「ももも!もむ、うもむむ!」
言葉の意味は分からない。だが、その手に持っている物こそがなによりも雄弁に言葉を発していた。
希望の面。
そう。やはりこの部屋に散らばっていたのは、こころの持つ六十六の面なのであった。先程の音は、どうやら面が一斉に落ちたことによる音のようだった。
一体、なにがどうしてそんなことが起こったのか。ますます困惑の色を深める一同を他所に、この騒ぎでも目を覚まさないこころの苦しげな寝息だけが部屋に響いていた。
※
「――――ということがあってな」
仙界に戻った布都は夜食代わりの蜜柑の皮を剥きながら、神社での出来事を屠自古に語って聞かせた。
「ほー、そうなん」
同じく蜜柑の皮を剥きつつ、屠自古が気のない調子で頷く。
「最近、毎晩毎晩どこ行ってんのかと思ってたら、そういうことか。男でもできたのかと思ってたのに」
「なんじゃそれ。嫉妬か」
「誰が。ババァ相手に物好きがいるもんだな、ってことよ」
失礼な。尸解して振り出しに戻っているのだから、まだ生まれ立てだというのに。途中で千切れた皮を文々。新聞の上に投げて、布都は抗議の声を上げる。
「そも、我は姫であるぞ。自分から通うなぞというはしたない真似、するわけなかろう」
「何千年前の風習だよ、それ」
屠自古は鼻で笑って、対抗するように綺麗に花型に剥き終えた皮を放った。口が悪いのに手先は器用なのだ、昔から。
「余裕をかましてからに。同居の強みというやつか」
「んー?まあ……うん、まあな」
珍しく歯切れが悪い。そして、答えながら蜜柑を一粒口に入れる屠自古の表情がわずかに翳ったのを、布都は見逃さなかった。
「どうしたのだ?悩みがあるなら我に相談してみよ」
「そういう鬱陶しいとこがな。あんたの悪いとこだ。昔から」
「なにを言う。年長者の助言は素直に聞いておくものだぞ」
「自分で言ってりゃ世話ないわ」
溜め息混じりに呟くと、屠自古は手元の蜜柑の房を指先でつつき出した。
「――――太子様がな。最近、夜な夜などこかへ出かけられているのだ」
布都はようやく皮を剥き終えた蜜柑を一粒摘まみ、口へと運びながら軽い調子でそれに答える。
「ふむ?あの尼公殿のところかな?」
閃光が走った。蜜柑だったものが炭になって崩れ落ちた。
「そうなのか!やはりそうなのか!」
全身から火花を散らしながら、屠自古が椅子を蹴倒して身を乗り出してくる。まったく、すぐに熱くなる娘だ。体感温度的な意味で。
どうどう、と手を出して宥める布都に噛み付かんばかりに詰め寄って、屠自古は続ける。
「今日だって夕食を済ませてお前がいなくなった後、また隠れて出かけてたんだぞ!せめて一言断ってくれればいいものを、私はそんなに度量のない女だと思われているのか!」
怒りの矛先はそこなのか。怨霊に度量もなにもない気がするが、と考えて、布都はその言葉の矛盾に気づく。
「む?それはおかしいぞ、屠自古よ」
「なにがおかしい!」
いや、そのおかしいではなく。稲妻の熱に顔を顰めつつ、布都は続ける。
「だって、あの尼公殿の元に太子様が行かれたわけがないのだ。件の面霊気の異変の時、その場に彼女も居合わせたのだからな」
「――――うん?」
屠自古を覆っていた雷が消える。彼女は首を傾げると間抜けな顔で、そうなの?、なんて呟いた。
「そうだ。軽い冗談相手に先走りすぎだ、お主は」
「笑えないんだよ、その冗談」
そう言うと屠自古は、照れ隠しか、布都の手中の蜜柑をごっそり五粒ほど取って一気に口に放り込んだ。おおよそ全体の半分であった。
「むぅ。大きな代償だな」
「――――まだまだあるけどな」
「剥くのが面倒ではないか」
布都は身を乗り出して、屠自古が剥いた蜜柑を半分ほど奪った。屠自古はまだ恥ずかしさが残っているのか、口の端を軽く歪めただけで、なにも言わずに自分の席に戻った。そして、倒した椅子を持ち上げて元に戻したところで。
「あん?だったら太子様は、結局どこに行ってんだよ?」
今更ながらに、そんな至極当然の疑問を発した。
「我が知るわけなかろう。屠自古こそ、直接訊いてみれば良いではないか」
「それができれば苦労しないっつの」
ドスン、と勢いをつけて椅子に座りながら、屠自古は口を尖らせた。
「なんだか最近お忙しいみたいで、部屋に籠っていることが多いんだよ。邪魔しちゃ悪いだろうが」
「ほう、それは初耳だな。道理で弾幕神楽にもなかなか参加されぬわけだ」
最後に参加したのは、確か、自分がこころと戦う少し前。対戦相手は、ちょうどこころだったはずだ。その間に、こころが含まれない組み合わせが二戦か三戦ほど行われた記憶があるから、大体二週間ほど前のことだろうか。
「ん?」
自分の思考に、布都はなにか違和感を感じた。形にならないそれをはっきりさせるべく、屠自古に質問を投げかけていく。
「太子様が部屋に籠り出したのは、いつ頃からだ?」
「そうだな。二週間ぐらい前からじゃないか」
「出かけ始めたのは?」
「一週間ぐらい前からかな」
「じゃあ、屠自古よ。太子様が部屋でなにをしておられるのか、お主は知っているのか?」
「いや?ただ、後片付けは一回だけ頼まれたな」
「後片付け?」
ああ、と頷いて、屠自古はその時を思い出したのか、面倒そうな顔を浮かべた。
「なんだか知らんが、木屑みたいなのをたくさん捨てたよ。あ、捨てたっていうか燃やした?」
あんたみたいにな、などと笑うのを無視して、布都は眉間に手を当てて考え込む。
大量の木屑。二週間前から部屋に籠る神子。彼女は一週間前から出かけ始めた。こころの異変。突然散らばった面。無人の部屋。霊夢でも気づかない物理的影響。
これらの意味するものは。
そう、ただ一つしかない!
「――――そうか!!」
ついにその真実に辿り着いて、布都は思わず叫びながら立ち上がっていた。
「な、なんだよ急に大声出して」
お主が先であろうがそれは、と言ってやりたかったが、ぐっとこらえて、布都は屠自古に向き直ると。
「屠自古よ。一つ、手伝ってくれぬか?」
「なんだよ改まって?」
怪訝な顔を浮かべる彼女に、顎に手を当ててニヤリと笑いかけながら。
「妖怪退治だ。面霊気を救うためのな」
楽しげな声で、そう告げるのだった。
※
翌夜。
神社の境内はすっかり静まり返り、夜鳴き鳥の声すら聞こえない。
母屋もまた同じ。いつもならだらだらと駄弁る巫女達の声と灯りが漏れているそこも、今日に限っては物音一つせず、深遠の闇の中に沈んでいた。
今宵は新月であった。人目を避けて行動するには絶好の夜。だから、というわけではないが、その影は難なく母屋の内部へと侵入を果たしていた。
音もなく床に降り立った影は、いつものようにとある部屋を目指して進む。気配はない。すでに生ある者ではないこの肉体に、生気のもたらすそれはないのだ。
廊下を歩く途中で、影は一つ、奇妙なことに気づいた。
あまりにも静かすぎる。自分はともかく、他人の気配すらない。なにかが怪しい。
影は耳当てに手をあてがい、集中する。
不審な思考は感知できない。害意もだ。ただ一つ聞こえるのは、ざわざわとして捉えどころのない感情の揺らぎだけ。聞き慣れた、目的の相手の鼓動だけだ。
自分の耳を誤魔化せるような輩は、この神社にはいない。あの巫女などは特に欲深く読みやすい。ならばこの違和感は気のせいで、恐らくこんな夜更けにどこかに出かけているのだろう。調子の悪いこころを置いて。
ほれ見たことか、と影は溜め息を吐いた。神社も寺も究極的には役になど立たないのだ。大人しくこの自分に従っておけばいいものを、本当に聞き分けのない娘だ。
くつくつと暗い優越感のこもった笑い声を漏らしながら、影はついに辿り着いた部屋の襖を開ける。もう何度となく通った部屋。こころの眠る部屋である。
部屋の様子はいつもと変わらなかった。自分の侵入にも気づかぬお気楽さ加減で上下する布団と、その周囲で、ぼう、とほの白く輝きながら浮かぶ面のみがあった。
六十六。人の感情を体現した数多の輝きの中から、影は目的の一つを瞬時に判別する。
「フフフ……見つけたぞ……」
ニヤリ、と影が笑う。影はもはや、目的の完遂を疑っていなかった。無防備に無遠慮に布団に近づいて、面に近づいて、その内の一つに手を伸ばして――――
次の瞬間。
突然、布団の中から突き出された腕によって、その動きを封じられていた。
「娘に夜這いなんて感心しませんね」
聞き覚えのある、いや聞き慣れた声だった。人々を説法で惑わし、妖怪さえも虜にし、こころにも集る悪い虫。
バサリ、と布団が中からめくられる。そこにいたのは、はたして予想通りの人物。
「ひ、聖!?何故ここに!?」
自分の手を握り締める聖白蓮の姿を認めて、影は思わず声を上げた。辺りには確かに面が浮かんでいる。なのにこころの姿がないとは、一体どういうことだ!?
焦って身を引こうとするも、腕は万力のような力で固定されていてビクともしない。逃げられない。
「それはこっちの台詞ですっ!」
そして、そんな白蓮の声が聞こえた刹那。
見事に一回転する視界を呆けたように眺めながら、影――――豊聡耳神子は布団の上に叩き伏せられていた。見事な体術であった。
「ど、どうして君がここにいるんです!?」
後ろ手に関節を極められながら、神子は白蓮を質す。すると彼女は、闇の中でも分かる太陽のような笑みを浮かべてこう答えた。
「私じゃご不満ですか?」
「当たり前でしょう!誰が若作りの大年増なんかに――――ってイダダダダダうそうそごめん待って折れる折れるぅ!」
ギリギリ締め付ける力が思いの外強く、神子は布団を叩きながら叫んだ。外の世界では関節を極められたらこうするらしいと文献で読んだのだ。
それが功を奏したのか、白蓮は溜め息を吐いて少しだけ力を緩めた。冗談が通じない脅威の相手だった。大人しくしておこうと思う。
「皆さん、捕まえましたよ」
神子が大人しくなったのを確認して、白蓮が声をかけた。すると。
「ホントに引っかかるとはね」
「私だってもう少し注意深いぜ」
「太子様、自分で仕掛けたことながら、我は情けのうございますよ」
出るわ出るわぞろぞろと。霊夢、魔理沙、布都が一斉に部屋の中へ入って来た。この対応の早さからして、家の中に潜んではいたのだろう。
「ば、馬鹿な。どうして私に気づかれず?」
「侵入者の物言いじゃないわね。でもま、そう思うのも無理はないか」
霊夢はこちらを見下ろしながら、自らの衣服に貼り付けられた札を引き剥がした。そして、それをこちらに見せ付けながら、言う。
「気配遮断の特性お札。別空間に自分を送る系統だからね。あんたの耳も効かなかったでしょ?」
「くっ、考えましたね……」
本気を出して特定の人物のみを想定して耳を澄ませば、あるいは聞こえたかもしれない。だがそこまでの警戒はしていなかった。完全な油断だ。
「でも白蓮はどうして札なしで平気だったんだ?」
「私は八苦を滅していますから。読まれる雑念がありません」
魔理沙の疑問に得意気に白蓮が答える。それで神子はようやく気づく。こころから感じる形にならない感情の気配が、この尼の内面とよく似ていることに。もっと早く気づいていれば、回避もできたかもしれないものを、なんたる不覚。
しかしそうすると、こころは一体どこにいるというのか。今入ってきた中にもその姿は認められない。神子は奇妙な焦りを覚えて、疑問の声を発した。
「こころは、こころはどうしたのです!?いつもならここに寝ているはずでしょう?」
「やっぱり一度や二度ではなかったんですね。いやらしい」
明後日の方向で阿闍梨が疑問をキャッチした。
「ちょっと!誤解がありましたよね今!語弊しかなかったですよね今!?おかしいですよね――――ってねぇだから気に入らないことがあるとすぐ力入れるのホントやめて折れちゃうから!」
「痛くないと覚えないんですか貴方は」
白蓮が氷のように冷めた目でこちらを見下ろしながら言った。当たり前の抗議すら受け入れられないとは、なんたる理不尽であろうか。というかこの尼は、なんでこんなに突っかかるのか。
「ちょっと、じゃれ合いはそのぐらいにして。そろそろ本題に入りたいから」
「「じゃれ合いじゃありません!!」」
「うん。こりゃあ霊夢が殴りたくなる気持ちも分かるな」
無駄にカラッとした笑顔で言う魔理沙に、ふん、と鼻を鳴らすことで答えて、霊夢は神子達の元へ近づいて来た。そして彼女は袖口から数枚の札を取り出すと、それらを組み伏せられた神子の両腕に巻きつけた。
「拘束式。白蓮、もう平気よ」
簡潔にすぎる霊夢の説明にやや逡巡しながらも、白蓮は渋々と腕を離した。神子は後ろ手に縛られた状態ながらも身体を起こして、挑発的な笑みを浮かべてみせる。
「この程度で抑え込めるとでも?」
「本気出せば破れるかもね。試してみる?」
霊夢の目が、スッ、と猫のように細められた。こちらはこちらで、やはり冗談が通じそうにない気配だった。
「さすがにこの人数相手にやる気はありません」
神子は覚悟を決めて、どっかとその場に腰を据えた。
「観念したようね。じゃあ、お仕置きと行きましょうか」
「そうはいきません。私はまだ、何故囚われたのか分かっていませんから」
「ほう、そう来るか」
くっくっくっ、と楽しそうに魔理沙が笑う。
「だってそうでしょう。今の私にかけられた嫌疑は、あくまでこころへの夜這い疑惑だけ。それは断固として否定しますから、咎められることなどなにもないはずです」
ふふん、とこちらは嘲るように笑って白蓮を見ると、彼女は無言で指をゴキゴキと鳴らし始めた。後で殺されるかもしれない。
「犯人はみんなそう言うのよ。ネタは上がってるんだから白状しなさい」
「その理不尽さで私を丸め込めるとでも?これでも私は為政者ですよ」
火花が散る。霊夢が感情的なのはいつものことだが、今日はやけにそれが酷い。原因は分かっているが。
「まあまあ落ち着け、霊夢殿」
そこに割って入って来たのは布都だった。よく考えてみたら主が縛られている状況で助けもせず、何故そちら側にいるのだろうか。謎である。神子の疑問を他所に、彼女は腕組みをして続ける。
「すぐにでもしばき倒したいところではあろうがな。太子様はきちんと言い負かしてからでないと、また隠れて同じことを繰り返す面倒なお方だぞ。故に、ここは我に任せよ」
主が痛めつけられるお膳立てをしようとは、見上げた根性だ。神子は頬を引きつらせながら、口を開く。
「大きく出ましたね、布都。貴方にそれができるとでも?」
「なにを仰られますやら。ここまで手を回したのです、太子様とて逃れられはしませぬよ?」
そうして不敵な笑みを浮かべると。
「さあ、これより始まるは妖怪退治!」
バッ、と手を横に広げ。
「面霊気秦こころを襲いし異変の黒幕!」
足を開き、見得を切りながら。
「我が見事、暴ききって見せようぞ!」
物部布都は、高らかにそう宣言した。
※
寝室では話すのに向かない、ということで場所を居間に変える。霊夢が全員分の茶を入れて座り、尋問の場の用意が終わると。
「ではまず、私が囚われた理由について教えてもらいましょうか」
開口一番、神子が言った。ちなみに彼女は後ろ手に縛られたままで、自分の前に出されたお茶を飲むことはできない状態である。
あてつけのように、一旦、他の全員でずずずと茶を啜りつつ。
「それはもちろん、太子様がここ最近の面霊気の奇行を引き起こした張本人だと考えてのことです」
湯呑みを置いて、布都はそう切り出した。神子は言い訳をするでもなく、ほう、とだけ言ってこちらの出方を窺う構え。正しい選択だ。基本的に自分から口を開かなければ、ぼろを出すこともない。
加えて神子は、面霊気の奇行、という部分については訊ねなかった。恐らくそれを今日訊ねてきた理由として、夜這い疑惑を払拭するつもりだからだろう。ならばその部分は前提として話を進めることにする。
「まず、面霊気は面が原因でおかしくなっている。しかし外部から呪的な影響を受けた形跡はない。これは以前も言った通り、共通認識としていいと思うのだ」
そこまで言って様子を窺えば、霊夢達だけでなく神子も頷いていた。やはり、知っている体でいくらしい。布都も頷き返して、話を続ける。
「うむ。ここに納得が得られたならば、次はやはり面自体になにか細工をされていると考えるのが普通だ。だがそうすると、もう犯人は決まってしまう」
と言葉を切ると、布都は神子を指差して呆れ顔で言った。
「何故なら、そもそも太子様以外に面に細工をできる者がいない。生半可な者がそれをしたところで、妖怪面霊気は勝手に修復してしまうだろうからな」
「あぁ、確かにそうよね」
「覚悟はできましたか太子様?」
「ま、待ちなさい!あまりに暴論でしょう!」
すぐさま立ち上がろうとする霊夢と白蓮を静止するように、神子は叫んだ。
「大体、細工ってなんですか。私は最近部屋に籠って外に出てなどいませんし、こころに細工などできるはずがないでしょうが」
「あ、太子様。それ、ぎるてぃ、というやつですぞ」
巫女と阿闍梨の恐ろしさ故か、意外と簡単にぼろが出た。
「我は屠自古から、ここのところ太子様が夜に外出していると聞いております」
「なん……だと……」
「屠自古は尼公殿のところじゃないかと愚痴を零していたが、そんなわけがないな。先日の夜、我と尼公殿が共にいた日にも外出されていたようであるし」
「だ、だからなんだというのです?それがすぐさま、ここへ来ていた証拠とはならないでしょう?」
「……では、どこに?」
「どこだっていいでしょう」
ほとんど認めたも同然の言葉を漏らす神子。身内に間者がいては、かの聖徳王もこの程度である。とはいえ、神子の言う通りまだ証拠としては弱い。故に布都は、自分も身内である優位を最大に活かして攻めることにする。
「他にも屠自古からは面白いことを聞きましたぞ。部屋にこもって、なにやら木屑のたくさん出る作業をなさっているとか」
「屠自古!裏切ったな!」
「面か」
「面だな」
「…………」
悲痛な声を上げる神子。顔を見合わせる霊夢と魔理沙。そして、無言で笑顔のまま指を鳴らし始める白蓮。聖徳道士最後の日が、すぐそこまで近づいてきていた。
だが神子は、まだ往生際悪く異を唱えた。
「待ちなさい!まだ決め付けるのは早い!そもそも私が面を作っている証拠もない!悔しかったら現物を出してみなさい!」
「それは負け台詞だな、太子様」
突然の声と共に、襖が開け放たれた。全員が一斉に振り向く。その視線の先に立っているのは。
「屠自古……と、こころ!?」
神子の言葉通り、仏頂面で頭を掻いている屠自古と、彼女に腕を引かれて眠そうに目を擦っているこころであった。彼女は屠自古に連れられて、仙界にいたのだった。
「良いたいみんぐだな、屠自古」
「慣れない言葉使うなよな、鬱陶しい。ほれ、忘れ物だ」
ひょい、と放られたなにかを危なげなく掴み取ると、布都はそれを皆に掲げて見せた。
「やっぱり面か」
「やっぱり面だな」
「ん。それ、これと同じ?」
白い目で神子を見る霊夢と魔理沙を他所に、こころが自分の周りに浮かぶ面の一つを持って首を傾げた。細部の違いこそあれ、それは確かに六十六ある面の一つと非常に似通った形状をしていた。
「これがなによりの証拠です、太子様」
布都はニヤリと笑って神子を指差すと。
「そう。貴方は細工はしていない。それどころか、そのもの丸々を取り替えていたのですからね!」
刃のような鋭さで以って、ついに真実を突きつけていた。我ながら見事な推理。決まった、と余韻に浸る。
沈黙が場に満ちた。神子は言い訳を、他の皆はお仕置きの方法でも考えているのだろう。
そんな中、先陣を切って阿闍梨がユラリと立ち上がった。そして一言だけ、呟く。
「お覚悟を」
「待ちなさい!まだ決め付けるのは早い!そもそも私には動機がない!悔しかったら動機を――――」
腕を縛られたまま、危険を察知して徐々に後退していく神子。それに追い討ちをかけるように、こころがボソリと口を開いた。
「神様、私がイケナイ娘だからするんだ、って言ってた」
「こころぉぉぉぉ!!??今は余計なこと言わないで頼むからぁぁぁ!!」
「天国に行けるよう祈りなさい」
「待って聖!せめて言い訳を聞いて!違うから!なにもイケナイことしてないから!」
「ほう。ではどんな言い訳をしてくれるんです?」
仏の顔も三度まで、ではないだろうが、とりあえず座り直す白蓮。それにより、一応、神子が犯人であることは決まりとして言い訳を聞く流れになった。
座に屠自古とこころも加わる。屠自古は布都の隣に。こころは神子と距離を取りたいのか、卓袱台を挟んでちょうど対称となる位置に座った。それがたまたま白蓮の隣だったので、彼女は少し笑みを柔らかくして頭を撫でたりなどしていた。
「んじゃ、聖徳道士サマのありがたい言い訳タイムといこうか」
「――――いいでしょう」
揶揄するような魔理沙の言葉を受けて、針の筵の中、神子の語りが始まった。
※
あれは今から一週間ほど前。そう、私が最後に弾幕神楽に参加した日のことだった。
その時の対戦相手は、こころだった。
勝敗?それならもちろん、私の勝ちに決まっています。いや、負けるわけがないでしょう。まさか君達は、負けた腹いせにこんなことをしてるとでも思っていたのか?失礼な。
問題が起こったのは、戦いの終わった後だ。
「うぅ、また負けた……」
聴衆のやんややんやの喝采の中、ボロボロになったこころが地面に座り込んで呟いた。面は着けていなかった。言葉とは裏腹に、本人はいたって無表情だった。やはり感情の発露が甘いのだ、この娘は。
「まだまだだね、こころ」
私は彼女の側に降り立って、腕組みをしつつ言ってやった。
「大分こなれてきた感じはあるが、どうにも方向性が定まっていない。それが動きにも表れているよ。特に、最後のアレはなんだい?いきなり花火なんて打ち上げたりして」
「――――あれは、霊夢さんが教えてくれた」
こころは扇を持ち上げて、座りながら奇妙なポーズを取ってみせた。
「こうすると、おめでたいから人気が出るって」
ひゅー、ぽん、と気の抜けた音が響いて、こころが煙にむせて咳き込んでいた。
「なりふり構わないな、あの巫女も」
確かに聴衆からの声援は飛んでいたが、霊夢、負けてしまっては本末転倒だと思うよ。まあ人気も大事だけどもね。
「はいはーい!それじゃあ今日の勝負はお終いよ!お帰りはあちら!お賽銭はこちら!ささ、じゃんじゃん入れてってねー!」
上機嫌な霊夢の声が境内に響いた。最後にもう一度、割れんばかりの拍手を残してから、観客の群れがぞろぞろと移動を開始した。
完全にダシにされているのは感じていたし、複雑な気持ちを持たないわけじゃなかった。しかし、ああして人々に勇姿を見せ付けることが道教のアピールになるのも事実だった。
それに何より。
「寺なんかが賑わうよりは、余程健全だしね」
とあの時は思ったものだ。って待ちなさい聖。まだ言い訳は続きます。立つのは早い。落ち着いて。
――――気を取り直して。
そこで私は、見捨てて帰れば良かったのに、座ったままのこころに手を伸ばしたのだ。これがすべての間違いだった。
「立てるか?」
「立てるよ」
こころは平素の冷たい声音で答えて、自分一人で立ち上がった。感情なんて分からない、と言うくせに、彼女にはこういう子供っぽいところもあるのだと驚いた。
「次は負けない……」
こころはこちらに背を向けて、どこからか取り出した手拭いで自分の面を磨き始めた。戦いの中で感じた想いを一つ一つ思い出すように。
「…………」
私はそれを黙って見つめていた。邪魔しちゃ悪いかなと思ったから。でも面といえば一つだけ気になることがあったから、それを訊ねたのだ。
「それはそうと、新しい面は馴染んだかい?」
「――――――――」
面を磨くこころの手が、ピタ、と止まった。彼女の周りを漂っていた面がザワリと震えた。
「……くない」
小さな声が聞こえた。この豊聡耳を以ってしても聞こえぬ声が。
「ん?よく聞こえないが?」
「……新しい希望の面、あんまり被りたくない」
聞き捨てならぬ言葉であった。被りたくない……だと……?
「ど、どういうことだ、こころ?」
震える声で訊ねた。まさか、不満があるとでもいうのか。聖徳王の作りし希望の面に。この私の顔を模した、あの完璧な、まさに希望そのもののような面に!
「言った通りの意味。被りたくない」
しかしこころは無情な声でそう言うと、また面を磨く作業に戻ってしまった。一つ一つ再び丁寧に、翁、嫗に、般若や獅子、狼と次々に面を変えて。
と、その手がまた止まった。何事かと見てみれば、こころの手には件の希望の面があった。
「…………」
こころはそこで、無言で手ぬぐいを仕舞った。
「こ、こころ?それは拭かなくていいのかい?」
「いい。もう終わった」
冷たい声で言い放って、こころが立ち上がった。そこへタイミング良く、霊夢からの声が飛んだ。
「こころー、こっちに来てちょうだい!みなさんに最後のご挨拶!」
「分かった。今行く」
そして、こくり、と素直に頷くと、彼女はさっさと霊夢のところへ向かっていってしまったのだった。
「――――――――」
取り残された私は、苦虫を噛み潰したような顔でその後姿を眺めた。この霊夢相手の素直さと自分相手の素っ気なさ。とても看過できるものではないと思った。
おまけに。
「さあ、ご挨拶!」
「たーまやー」
ぼぼん、ぼぼん、と花火の音。またしても喝采が飛ぶ。負けたはずのこころが、何故か観衆の声を浴びて目立っていた。なんということだろう。この不義理な娘っ子。イケナイ娘っ子。やはり、とても看過できるものではなかった。
「……こころ」
哀れ。一人残された勝者は、その様を見つめて一人、悲しげに呟くことしかできなかったのだ。
※
「分かるか!お前達に私の気持ちが!手塩にかけて作った面を拒否された私の気持ちが!」
語りを終えた神子が、半分涙を浮かべながら叫んだ。しかし神子の盛り上がりとは裏腹に、場は完全に盛り下がっていた。
魔理沙は退屈そうに卓に顎を乗せていた。屠自古は、やれやれ、と言いたげな顔で肩を竦めていた。白蓮は自分の横でうとうとしているこころに肩を貸しながら、怒りとも嬉しさともつかない顔を浮かべていた。布都はそれらを眺めつつ、どうしたものかな、などと考えていた。
と。
「それと、夜な夜な面を取り替えるのになんの関係があるわけ?」
頬杖を突いたままの不機嫌そうな顔で霊夢が訊ねた。皆の心中を見事に代弁した言葉だった。希望の面を作り直すならまだしも、どうして他の面にまで手を出す必要があるのか。そこが疑問だった。
「関係大有りだろう!」
対する神子は怒り気味の声で力説する。手が縛られていなかったら、卓を叩いてるような勢いだ。
「私はね。私が作った面を、なんとしてでもこころに被らせたかったのだ。だから毎夜毎夜、新たな面を作っては取り替えに来ていたのだ」
「希望の面じゃなくても、ってこと?」
「そうだ!もうこの際、なんでも良かったのだ!」
「はん!ついに正体を現したな、妖怪お面取替えが」
妖怪退治屋の血が騒ぎ出したのか、魔理沙が身を起こして獰猛に笑った。それを、まあ待て、と制しながら、布都は口を開いた。
「動機の自白が来たので、最後のまとめに入ろうぞ」
「まだなにかあるの?」
「あるとも」
霊夢に頷き返して、布都は続ける。
「つまり新たな面を次々に加えられた負荷に耐え切れず、面霊気はあんなことになっていたわけだな。要するに、希望の面の時と同じ状況だったのだ」
あの時、面霊気は道具に戻るかどうかという状態から、一度感情を爆発させることで持ち直した。今回は少し感情に馴染んできていたので、眠りに就くことでその代わりとしたのだろう。
だからなんだ、と言わんばかりに霊夢と魔理沙が首を傾げる。この二人は黒幕が判明した段階で、とりあえず退治すればいいという思考なのだろう。それはそれで手っ取り早い。だが、何事も根治するためには、根こそぎでなければならない。
布都の思惑を察したのだろう。白蓮が強張った顔で言った。
「それって、このまま続けられていたら、眠りから覚めないまま道具に戻ってしまうことだってあったかもしれないってことですよね?」
その言葉に、ゑ!?、と頓狂な声を上げたのは神子だ。
「いや、そんなまさか。だってなくなったのを補完するためとかじゃなくて、交換しただけですよ?ありえない」
「実際、寝込んでましたけど」
「うぐっ――――そ、それはなんというか、ちょっと辛抱が足りないでしょう。私の娘なのに、それぐらいできなくてどうします」
なに言ってるんだこいつ、みたいな目をする霊夢と魔理沙。もっともな反応だった。
「というかですね、太子様。今ご自分で娘と仰った通り、元々すべての面は貴方の作品でしょう。最初からすでに自分の面を被ってもらっているのに、どうしてそういうことをするんですか?」
眠ったままのこころの身体をゆっくりと自身から離しながら、白蓮が訊ねた。
「――――じ、実はですね。六十六の面の中には、習作がありまして。いい機会ですから、完璧な物に取り替えておこうかと」
「それなら、本人の許可を得てから少しずつでも良かったですよね?」
「実は微妙な出来栄えのがあるから変えてくれ、なんて言えるわけないでしょう」
言い訳を続ける神子を他所に、白蓮はこころを屠自古に預ける。屠自古はしばらくこころを困ったように抱いていたが、やがて観念したのか自分の膝に誘導した。
布都は一見微笑ましいその様を横目で見ながら、思うのだった。これで白蓮は自由の身となった、と。
「もう、正直に言ってしまったらどうですか。その方が楽になりますよ」
迷える子羊を諭すような口調で、白蓮が言った。慈悲深いその言葉は死刑宣告にも等しい。もうとっくにバレているんだから早く言ってしまえと、そういう類の優しさのない言葉。だが、それを認めさせなくては、問題は解決しない。
「ぐぐぐぐぐぐぐ……」
神子は歯軋りの音でも聞こえてきそうな顔で唸った。そこに最後の一押しをするのは。
「太子様、皆、分かっております。ですから、ね?」
やはり、この場を仕掛けた自分しかいないだろう。布都はそう思って、努めて優しい口調で語りかけた。もう、楽になっていいんだぞ、という気持ちで。
「布都……」
神子が涙で目を潤ませて呟いた。そんな彼女に頷きを返して、さあ、と布都は続きを促す。
「……そうですよ。私はただ、悔しかったんです」
ポツリ、と。力なく、神子の告白が始まった。
「自分の娘のためにとせっかく作った希望の面を被ってももらえず、おまけにこころにも邪険にされて。霊夢や聖には懐いているというのに、私だけは冷たい表情で冷たい反応されて」
悲しい告白だった。痛ましい告白だった。自業自得な気もするが。
「あんな感情のこもらない冷たい声、私には耐えられなかった。だから少しだけ、ほんの少しだけ嫌がらせをしてやりたかったんです」
そして、神子は顔を上げると。
「私だって――――私だってなぁ!こころに、ママ!って呼んでもらいたかったんですよ!なんですか神様ってその他人行儀どころか人間ですらないような呼び方!ずるいじゃないですか特に聖!どうして横からしゃしゃり出てきて母親面してるんですか!納得がいかない!」
感情のままに情けない言葉を発して。
「母親どころか妖怪になってるじゃないですかっ!」
次の瞬間、白蓮の強烈なツッコミにより、縁側を通り越して庭へと吹き飛んでいた。驚きの速さ。目の前から白蓮の姿が消えた刹那、もう神子の姿も消えていた。
「あ、危ないでしょう!」
両手を縛られたまま地面に激突する寸前、神子はなんとか飛行して体勢を立て直した。そのまま彼女は高度を上げて距離を取る。
「そこで転がっていた方が楽だったものを」
物騒なことを言いながら、白蓮が庭に出る。お仕置きの始まりだった。
「もう止めないわよね?」
「うむ。本音を引き出したからのう。後は徹底的にやってくれ」
「りょーかい」
布都は座ったまま、お払い棒を取り出した霊夢を見送る。鬱憤が溜まっていたらしく、最後にチラリと見えた横顔は野獣のようだった。
「面白そうだし、私も混ぜてもらうとするか」
「まあ、ほどほどにな」
「私じゃなくてあの二人に言うべきだったな、それは」
帽子と箒を掴んだ魔理沙が苦笑を浮かべながら出て行った。それでも死にはしないだろうと、布都は軽く考える。
「三対一ですか!?卑怯ですよ!」
「前にこころさんにやったのと同じです。今更なにを言うんですか?」
「拘束は解いてあげるわ。後で全力じゃなかったとか言われても面倒だし」
「仏教と道教に合わせる魔術ってどうやるんだろうな?興味深いぜ」
弾幕勝負が始まる。否、境内で上げられるそれは、神への奉納。すなわち今宵の弾幕神楽。
「『聖徳太子大調伏』なんて名前はどう?」
「いいですね。こころさんの味わった苦しみを、少しでも思い知らせて上げましょう」
「あの時は貴方もいたでしょう聖!」
「大変だな、お前も」
観客はほとんどいない。縁側に出て眺めるは、布都一人だけ。
SPELL CARD SET
普段は大観衆に包まれる境内で、今、弓張月を背景に舞い踊るは四人の演者。
決闘開始!
「行くわよ!」
「さあ、お覚悟を!」
「死ぬなよ!」
「ええい!まとめてかかってくるがいい!」
夜空を彩る閃光は、まるで花火。これを素面で眺めるのは惜しい。そう思って、布都は仙界から、にゅるり、と徳利とお猪口を取り出した。
お猪口は二つ。布都は背後を振り返って、悪戯を思いついた子供のような顔で言った。
「お主もどうだ?」
「悪いヤツだな、焚き付けといて」
屠自古はこころを座布団で作った即席の布団に寝かせて、自分もまた仙界から肌掛けを取り出すと、それを彼女の身にそっとかけた。
「頼まれた子を放り出すのは悪いヤツではないのか?」
「あん?この子はもう自立できてるだろ?だからあんまり過保護にしない方がいいんだよ」
「ほう!」
布都は思わず驚きの声を上げた。ほとんど面識はないだろうに、なかなかよく見ている。口は悪いのに変に繊細な娘なのだ、昔から。
「なに変な声上げてんだよ。あんたもそう思ったから、わざわざ太子様をはめるようなことしたんだろ?」
「はは、違いない」
どっかりと横に座る屠自古にお猪口を渡し、布都は酒を注いでやる。次いで自分のお猪口を取り、それにも自分で注ごうとしたら。
「貸しな」
と屠自古に有無を言わさず奪われて、彼女に注がれることとなってしまった。
「動きが悪いわよ魔理沙!あいつ殴れないじゃない!」
「なんで殴るの前提なんだよ!?私は弾幕偏重型だ!」
「代わりに私達が殴りますから、魔理沙さんはサポートお願いします!」
「なんで物理!?野蛮でしょう!」
神子の悲鳴が聞こえる。が、今はそれも肴として酒を楽しもう。たまにはこういう日があってもいい。
「我もまあ、少し痛い目を見た方が良いかなとは思っていたしのう」
「子煩悩は老けた証拠だぞ」
「まだまだ現役じゃぞい」
「どこの狸だそれ」
ぷっ、とお互い吹き出しながらお猪口を掲げ合って、酒を喉に流し込んだ。仙界で冷やされた酒は、まだまだ蒸し暑い季節の中で殊更に美味しく感じた。
「そら一発目!って避けられた!?」
「馬鹿め!私には仙界ワープがある!」
「ならワープするより早く殴りましょう」
「待っておかしい!殴るより弾幕しましょう!」
「箒で仙人殴っても壊れないよな?いや、箒が」
いよいよなにが目的か分からなくなってきた野蛮な神楽が盛り上がる。避けに合わせて酒を煽る。
そうして気分が良くなってきたところで。
「そういや布都。ずっと気になってたんだが。あんた、どうして普通に太子様を呼び出さずに、こんな手の込んだ真似したんだよ?」
屠自古が徳利を傾けながら、そんなことを訊ねてきた。だから布都は。
「そんなの決まっておろう」
ほろ酔い加減でお猪口を持ち上げると。
「少し前に読んだ外の書にあやかったのだ。知っているか、屠自古?こうして犯人を追い詰め、罪を暴き、糾弾する知恵者のことを――――」
ニヤリ、と悪巧みの成功に満足げな笑みを浮かべて、言った。
「名探偵、というらしいぞ」
弾幕に彩られた空の下、夜は深まっていく。
背後で眠るこころの寝顔は、どこか憑き物が落ちたように安らかだった。
面白かったし、細部にまで気を配ってるのもわかるんだけど、1から10まで全部きっちり書こうとしてるせいで冗長にも感じる。削られるところは削った方がいい。
でもそんな事してたら天人になれないような...まあいっか。
こころちゃんももう少し寛大になったほうがいいと思いますけど...まあそれは本人次第ということで。
スマイル!スマイル!
誤字報告 前半、尼君になってました。
色々と面白かったです。
過保護な白蓮。
素直じゃない霊夢。
何気にかっこいい布都。
首を突っ込む魔理沙。
意地っ張りな神子。
ヤンキーな屠自古。
そして寝顔が可愛いこころちゃん。
見所満載でした。
次回作を楽しみにしております。
ちなみに私もこころちゃんのあの台詞はひどいと思いましたけど、私も希望の面は被りたくはないです。
面白かったです
面白かったです。
太子様のカリスマというか威厳というかそういったものが時空の彼方に消え去っていますね…
これではこころちゃんに冷たくされるのもやむを得ない…
言ってしまいましたね……言うてはならないことを
「こわいわー、神子こわいわー」
幻想郷の母性はホント暴走しがちですなー、某魔界神さまといい
珍しく太子様が素直に感情をぶちまけてるのも良かったです。
太子は面倒なお方ですねw ちゃっかり聖とじゃれあってるし。
そしてなにより、今回は布都ちゃんの大活躍が嬉しかったです。
名探偵、ありだと思います。
笑いと異変の割合が実に幻想郷らしくてとっても読みやすかったです。
心綺楼後の話はないかなーって思っていたのでこれはありがたいっ
冬コミも頑張って下さいね~!!
もう完全に思春期の娘に煙たがられて拗ねる面倒くさいお父さんですね。
掛け合いのテンポも良く、楽しんで読めました。
ただまぁ、神子様が犯人であったから仕方のないことでもあるのですが、もうちょっと救いがあってもよかったかな、と。
問い詰められて三対一でお話。これも作風としては問題ないと思うんですが、それだけだと可哀想だなという気もしました。
原因であるこころと神子様が和解とまでいかなくても、弁解くらいはさせてあげてもよかったんじゃないか、と思いました。
ともあれ、面白かったです。次回作も楽しみにしています。
神子ちゃん、デリケートなんだからw
希望のお面は……反抗期だから多めに見てあげてください、神子さん……
また、布都や屠自古が神子に傾倒しきっているわけでもない、というあたりもいい感じです。
ストーリーも面白い。ちょい役かと思われた布都が結構重要な役になるとは思いませんでした。
太子様の犯行動機が実にくだらなくて(かつ本人にとっては死活問題で)妙にその辺リアルだな、と。