「ああ……そう、そうよ……もっと激しく……」
闇夜に、艶めかしい声が漏れる。神社の一角――納屋には、ただ、二人だけが居た。霊夢と雷鼓、二つの影だけを、蝋燭の淡い光が照らしている。二人だけの時間。二人だけで快楽に溺れる。
「ああ! 突いて! もっと強く! 早く! 勢いよく!」
胡乱な瞳に、蕩けるような頭。めくるめく恍惚感の中で雷鼓は叫ぶ。欲望に身を任せ、突き抜けるような快楽と共に。
ドン! ドン! 霊夢も一層激しく体を動かす。己の体が、己ではないようだ。原始的な衝動に身を任せ、雷鼓を責め立てる。その目には嗜虐的な色が混じっていた。強く、強く、雷鼓を責め立てる。
「ああ! ああ!」
雷鼓の声と、霊夢の動きが、音が、シンクロしている。一体感、体と体を重ねた者のみが味わえる一体感。霊夢の頭も、快楽に陶酔している。自分が何をしているのか、既にわからない。己が中の情動に身を任せるだけだ。雷鼓の喘ぎに導かれ、霊夢の頭は空白。
絶頂。その中で霊夢は立ち上がった。目の前には穴がある。ぶち込んでやりたい、そこに全てを吐き出してやりたい――いや、その程度ではもうこの絶頂には足りない。霊夢は全身全霊を込めて、雷鼓を――銅鑼を叩いた。サディスティックでバイオレンスに。轟音が響く。
「あwせdrftgyふじこpl!」
雷鼓は叫ぶ。もう、言葉では無い、奇声だ、意味を持たぬ叫びだ。圧倒的なまでの悦楽、愉悦。肉体でしか味わえない快感。永遠に浸っていたい、それが適わぬなら、この瞬間に死んでも良い。雷鼓は崩れ落ちる。体に、力の欠片も入らない。それを、言葉で示そうとすれば、なんとなるのだろう? 一種。むずがゆさ等とも言えるのだろうか。否、そのような例えでは表現しきれない。
――無敵 と呼ぶのが限界だ。
雷鼓の声からは、「はあ、はあ」という息が漏れる。事後を示す喘ぎだろうか。いや、霊夢にはまだ足りないのだ。銅鑼を叩いた足で、ドラムセットを目指し、彼女はバスドラムを掴む、重い、ならばスネアでも……なんでもいい、とにかく投げてやりたかった。目の前の喘ぎが温い。全てを壊し尽くしてやりたかった。
「やめて!」
雷鼓の頭に理性が戻る。霊夢は答えない、いっそドラムセットに飛び込んでぶち壊してやろう、そんな欲望に身を任せる。
「そのバスドラだけで八十万円もするの! 流れ着いた拾い物だけど八十万よ!」
「は、はちじゅうまん……」
瞬時に、霊夢に理性が戻る。それが博麗神社の賽銭何年分かはよくわからない。……あるいは、ゼロに何をかけてもゼロ。印度の叡智が発見した真理に到達するかもしれない。
ともあれ、幻想郷の貨幣価値を考えれば、それは霊夢ならずとも天文学的な数字だった。
値段を考えた瞬間に、いかなる快楽や陶酔でも冷めてしまう――金は命より重いのだから。
「うう……肘が痛い……足も釣りそう……」
冷静さが戻ってきた瞬間に、痛みを感じる。体が重い、くたびれている。
「初めてでそんなにはしゃぐからよ。でも、気持ちよかった……肌と肌を重ねないとわからない心地よさ……相性、今ので十二分にわかった」
「もう踏まれて叩かれるだけの生活は嫌なんじゃないの? あのドラムもあんたなんでしょう? なんかややこしいけれど」
と、先ほど叩いていたセットを見ながら、霊夢は呟く、ややこしいというよりは、人間の概念では捉えがたい、という事だろうか。
雷鼓が椅子代わりにしているバスドラムとは別に、納屋の中には、ドラムセットがあった。それもまた、雷鼓の、付喪神の一部である。雷鼓の取り込んだ。外の世界のドラムだ。
そのセットは、まるで要塞のような様であった。バスドラム――共に「X」と大きく記されている――が二つ、並べられたタムやシンバルの数は、とっさには数え切れない。
アクリル樹脂で作られた――透明の様が美しいドラムだった。裏には銅鑼が置かれ、脇には扇風機やボンベが置かれている。ドラムに何故ボンベが必要かはさておき、それもまた付属品だ。
ドラムと言う物には疎い霊夢でも、これはただものではないとは感じられた。雷鼓と決闘したときのように、瞬時にこれは強者だと感じられた。何をしてドラムの強弱を決めるかはさておき、一流は一流を知るのだ。
「まあねえ。こうやって自立したわけですし、動きも出来ず叩かれるだけなのは嫌だけれど、それはそれとしてやっぱり快感なの。あなたにペダルで突かれる度に私はもう……」
「それはどうも」
投げ槍な口ぶりで、霊夢は答えた。あまり深く考えたくはなかった。妖怪の、付喪神の思考は人間のは違うのだと思うのみだ。
「ともあれ、こいつは確かに危険ねえ。私をして、我を失ってしまったわ。なるほど妖怪ドラムね」
「ねえ」
「ねえ、ってこれはあんたでしょうが、ちゃんとコントロールしなさいよ。感情をかき乱す付喪神はもうお腹いっぱいなの、どこかのお面で」
「こころさん、だっけ。やっぱり感情をコントロールするのは大変ねえ。感情を処理できない付喪神はゴミだってわかってるんだけど」
「今すぐ全部まとめて供養して、ゴミにしてあげてもいいんだけど……ただ使われるだけでない道具はゴミなんだし。でも、暴れないなら見逃すとは約束したしね」
「ええ、私も暴れる気はありませんよ、だからなんとかしようと持ってきたわけで。供養するのは忍びないけれど」
この頃の異変、面霊気の暴走や、動き出した御祓い棒、生まれだした付喪神。それらに携わる中で、霊夢は、あの霊夢ですら、些か丸みを帯びてきた感がある。スポーツマンシップを尊重しても良いかもしれない。あるいは、妖怪とて人間に敵対しないなら見逃してやろうと思う程度には。
「そもそも、どういう仕組みなのかしら。付喪神ってみんなこうなの? 人の心を操って……やっぱり、全員まとめて退治した方がいいのかなあ。生きてるだけで危険なら」
しかし、細かく考えるのは面倒だ、やはり一網打尽に退治するのが手っ取り早い。という結論に至るのもやはり博麗の巫女ではある。腕を組み、霊夢は思案する。
「ひどいわー。私はこのままじゃ危ないからなんとかしようとして、わざわざ貴方の所まで来たのに」
「うん、だから生きているだけで危ないからなんとかしなきゃなあって。怨まれたり化けたりしないように供養はしっかりしてあげるから」
ドーン、ドーン、ドーン、ドーン。
音が鳴る中で霊夢は思案する。供養するからいいんだ、というのは強者の論理だとかなんとかあの小人が言っていたか……そんなことも頭に過ぎりつつ、腕を組んでいる。
ドンドン、ドドドン、ドンドン、ドドドン
音は鳴り響く、雷鼓がバスドラムを叩いている。踵で、そこに付けられた器具――ビーターを叩きつける。じたばた足で。可愛らしく、かつ気の抜けるような仕草とは裏腹に、その音は重い。
リズムに乗せられ、霊夢は首を振っていた。
「細かい事は忘れて、踊りましょう?」
と呟きながら、雷鼓は、チン、チン、チン、チン、と軽妙なリズムを加えていく。両腕のスティックで、宙に浮くパーカッションを叩く。霊夢は不思議と晴れやかな気分になってきた。自然と体が動き、愉快に思えてくる。足でリズムに合わせつつ、眼前の友人とダンスでも踊ろうか、そうとすら思えてしまった。
「今夜はビートイットよ」
ポウ! と叫びたくなるような愉快さだった。月面を歩いているような身軽さを感じた。細かい事は、封印や退治も気にならなくなった。雷鼓は、ドラムから飛び降りた、踵のビーターで床を叩く、タップダンスのような、軽快な様でリズムを刻んでいく。霊夢も釣られ、体を揺らす。あらゆる者をリズムに乗せる付喪神には容易いことだ。
床が揺れ、納屋が揺れ、大地がパーカッションとなり、ダイナミックなビートを刻んでいく。二人はリズムに合わせ踊り――上からタライが落ちてきた。棚に載せられていた金タライが。カーン! と言う音がした。
物の多い納屋が揺れたならば必然だ。霊夢の頭蓋に激突した。
「…………」
音が、止まった。霊夢も止まった。加藤茶――日本のドラム史に名を残す名ドラマーを、雷鼓は幻視していた。
「…………」
激突音を最後に、音は消えた。沈黙が拡がる。霊夢が声を出せないのは気を失ったせいで、雷鼓の場合は「だめだこりゃ」という気持ちから。
「ええと、あの、大丈夫? 生きてます?」
すわ殺人犯か。雷鼓に過ぎる危惧。長く思える、短い沈黙の時間。しかし巫女は死滅していなかった。途切れ途切れに、鈍く重い声で呟く。
「……なる、ほど、妖怪は全て封印するべきだと再認識出来たわ」
そして、雷鼓に命の危機が迫る!
雷鼓に流れる冷や汗、まさしくビートイット――逃亡せねば――と思う、しかしそれも適わぬまま、御札が彼女に迫り……雷鼓の服は破れ……
◇
「ごめんなさいねえ。痛いの痛いのとんでけ」
軽口か、からかっているのか、ともあれ随分と余裕が有りそうな雷鼓である。
二人は、納屋から、霊夢の部屋へと移動していた。座布団に腰を下ろし、一番茶を――この神社ながら――卓に並べている。
茶を淹れたのは雷鼓だ。客に淹れさせるほどの霊夢の損傷。茶を淹れる雷鼓の余裕。勝者は、霊夢ではあったのだが。
「子供じゃ有るまいし」
肩を竦めて呟く様。頬を少し膨らます姿。霊夢の方が余程負けたように見えたかもしれない。決闘、と言うよりはお仕置き――での勝者は霊夢なのだけれど。
試合に勝って勝負にも勝った。「あらららら、やっぱりまだ勝てないわねえ」と雷鼓も認めるしかなかった。
しかし、敗北感が霊夢の心に過ぎっていた。と言っても、この余裕のある態度に対してではない。問題は、別だ。
もちろん、疲労や痛みも皆無ではない。元来、妖怪と人間では耐久力が違うのだから。しかし、それより重要なのはボリュームである。
感づいてはいたのだ。彼我のサイズの違いに。胸部のボリュームの差に。服の上からでもわかる大きさ(といっても、この郷基準ではあるかもしれないが)
それが決闘の最中に動き、揺れた。雷鼓の動く胸。ましてや、決闘の最中に服は破れていたのだ。その詳細は諸々への配慮で省かざるをえないが、雷鼓の動く胸が一層あからさまになったのは確かだ(付け加えれば、雷鼓の破れた服は既に元通りだ。付喪神驚異のメカニズムによって。故に諸処の描写にも、各種規制にも問題はない)
「ああ、疲れた。元々ドラムなんて叩いてくたびれてたし」
霊夢は、はあ、とため息を付く。
「頭も痛い。どっかの馬鹿が揺らしたせいで――」
無意識のうちに霊夢は舌打ちをしていた。揺れたにかかる言葉は胸ではなく納屋かもしれないが……
「――ったく、これが人間への攻撃じゃなかったらなんなのよ」
「不可抗力よー。でも、疲れたならアフターケアくらいはしてあげましょうか?」
「私の代わりにあの妖怪ドラムを爆破してくれるの?」
「まあ乱暴。だからそれは嫌だって。でも膝枕くらいはしてあげるからゆっくり休んで良いわよ、お姉さんの上で」
「お姉さんって、ゼロ歳児でしょ。小槌が振られたなんてつい最近なんだから」
単に見た目の問題で言えば、雷鼓の方が年上にも見えはした。いや、
「でも、私が作られたのは何百年も前だから」
年期で言っても、やはり雷鼓が上ではある。もっとも、彼女は外の世界の道具を取り込んだ付喪神だ。
「うーん。でも、やっぱり若いかもねえ。ちょっと危険だけど、クールで頼れるお姉さん系付喪神だとは思ってるけど」
あるいは、若いかもしれない。外の世界のモダンな流行、ツールを取り込んだモガではある。
「ちょっとどころじゃないくらい危険よ。そもそも……ああ、何を話してたんだっけ、頭にタライをぶつけられたら忘れるわよ。あんたを亡き者にするのが安全だって事だけは覚えてるけど」
霊夢は、何を言っていたんだったか? と思い出そうとしている。雷鼓も、なんだったか? と思い出そうとしていた。先に思い出したのは雷鼓だった。
「ええと。そうそう、私は感情を操ってなんていないわよ」
「そんな話だっけ?」
「そんな話、こころさんがなんとかみたいな。で、私の力はリズムに乗せるだけだし、だからみんなを楽しくはさせるわねえ。みんなを楽しくする愛され系付喪神」
「楽しく?」
「だって、愉快なリズムにのって楽しくない人なんていないでしょう? 音楽ってのはどうしても感情を左右するわよね。ほら、あの楽団だってそうでしょ? プリズムリバー楽団。だから、私が悪いんじゃないの、音楽が悪いってこと」
「ううん」
一理はある、と霊夢も感じた。
「いくら貴方だって、音楽を禁止するなんて言わないでしょう?」
「まあ、ね。ただ、道具は道具なんだからやっぱり二度と動くことも話すことも考えることも頭にタライをぶつけることも出来ないようにした方がいいんじゃないかなあ」
「タライは不可抗力というか、そもそも重い物を上に置くこと自体が危ないんじゃない? 地震でも来たら大変よ」
それもまた、理に適っていると感じた。遺憾ではあっても。
「だいたい、私を消したらみんな悲しむわよー」
「みんなって誰よ。付喪神ネットワーク? だったら悲しむやつが出ないように全部供養を――」
「ううん」
雷鼓は首を振った。胸も些か揺れた。それから、得意げな笑みで答えた。
「私は、みんなの夢なの。外の世界の希望が、憧れが、私には詰まっているの」
きらりとした目で、言った。霊夢は「お前は何を言っているんだ?」という表情だったが。芸術家気質の連中は説明が下手だから困ると嘆息する。
いや、一点引っかかった。
「詰まっている? 何がどこに詰まってるってのよ」
雷鼓はまた微笑んで、胸に片手を載せる。
「ここよ」
「……胸か。胸なのか、胸って言うのね」
霊夢は激怒した。なんとしてもこの邪知暴虐の巨乳を亡き者にせねばならぬと決意した。御祓い棒から魔力が消えたことが惜しまれる。物理的に排除せねばと感じていたから。
当の雷鼓はそんな霊夢の様子にも気が付かず、すこしとろんとした――彼女には平生である――目で、続けるのみだ。
「胸? いや、心よ。ハート。ねえ、私は外の世界の魔力で動いているって言ったでしょう?」
「ん、ああ、言ってたっけ? よく意味がわからなかったけれど。だいたい、結界ってのは思いを通さない壁よ? 勘違いじゃないの?」
「それは人間の感覚、道具には道具の論理があるの。私は外の世界の使役者に使われてるわ。魔力をほんのちょっとずつ分けて貰っていると言ってもいいの」
「わかるようなわからないような」
「簡単に言えばね、みんながドラムを叩くと、ちょっとだけ私に魔力が来るの。そして、叩く人は外の世界にいるの。一番強力なのは――エレクトリック和太鼓かしらね」
「エレクトリック……和太鼓? 何が電気なのか想像も付かないけれど」
電気で動く楽器があること自体は霊夢も知ってはいた。例えば幺樂団の用いるシンセサイザー、あるいはミスティアの使うエレキギター。とはいえ、和太鼓を電化する意味はわからなかった。
「ただでさえあれだけうるさくて原始的な楽器なのに」
「外の世界じゃ大人気よ? 一流の奏者――太鼓の達人もゴロゴロしてるんだから」
「外の世界は不思議ね、太鼓なんて地味だし、流行りそうにも思えないけど」
不思議には思えたが、その言葉自体に嘘は無いのだろうと感じられた。雷鼓の力は霊夢をして、「ただものでは無い」と思わせるものだった。
「あー、でもそうかあ。確かにわかる。あんたは結構強かったし、なるほど、一人だけに使われてた、いや、使われてる? 付喪神じゃないってことか」
「そんな感じ。外の世界から流れ着いたエレクトリック和太鼓が、私の一部として付喪神になったわ。そいつが依り代になって、今風に言えばクラウドって感じ? ともあれ、夢を持って叩いた人の魔力が私に来てる。そうそう、だから電気をびりびり使えるの。エレクトリックだからね、ただの太鼓じゃなくて」
「でも、夢って何? 太鼓の達人になること?」
「それもあるかしら、でももっと……たぶん、私にとってもね、叩かれるだけじゃなあってのも同じなんだけれど」
雷鼓は笑いながら、言葉を句切った。少し間を開けて、照れくさそうな色を笑みに混ぜて、続けた。
「ドラムでもなんでもいいけど、練習なんてのは孤独でつらいものよ。一人黙々とルーディメンツみたいな。それでも達人を目指すなら、耐えて努力を重ねないといけない。それを誰よりも知っているのは他でもない、道具だわ。常に傍らにいる相棒――私たち道具が一番知ってるの。だから、怨みを持ってない相手なら、手助けしてあげたい、使われるだけじゃなくて、自分から手を差し伸べて、力になってあげたい。霊夢、貴方もそれはわかっているはず」
「私が?」
「そう、あの御祓い棒は付喪神だったわ。それも、小槌で凶暴に目覚めさせられた付喪神……だから、使う側もちょっと凶暴にさせちゃったけれど、だからといって貴方に襲いかかったりはしなかったわ。その強大な力で、異変に立ち向かう手助けをしてくれた」
「まあ、ねえ。確かにあの御祓い棒は強かったわ。巨大になっては殴るだけでみんないちころで。もう力は抜いちゃったけど」
御祓い棒。いまはただの、使われるだけの物言わぬ道具。しかし、その強大な力が、霊夢を操りつつも、異変解決の助けになったことは、否定のしようもない。
「擬人化、って言うでしょう? そこまで行かなくても、愛用の道具に、まるで生き物のように愛着を感じるのは自然なこと」
「そうねえ。だから供養もするんだし」
「朝起きたら愛用のスネアドラムが美少女になっていた――そういう空想をするのは外の世界でも珍しくはないのよ」
「御祓い棒が大国主や明羅さんみたいなイケメンになるか。そうなったら確かに素敵」
霊夢は目を輝かせてしまった。イケメンは正義。それは遺憾ながらこの郷も変わらない。どうせ勧請するなら美男子と名高い大国主が良いな。霊夢だってそんな考えを抱いてはしまう。
「素敵よね。もちろん、そんなのを本気で考える人は外の世界にはいないけれど、ほんの微かにでも抱いた空想、外の世界ではあるわけもない夢が私なの。そんな夢があるから、私は小槌無しでも人の形をしていられるの。愛用の道具が私みたいなキュートで小悪魔系で人間を助ける巨乳なお姉さんだったらという夢が」
「巨乳はどこから来るのよ」
「いや、ドラムって体を動かすじゃない? だから胸が揺れやすいじゃない? そういう空想はよくあるわけ」
「よくあるのかはしらないけど」
霊夢は吐き捨てるように言った。
「だから、私を封印するなんてみんな悲しむわ。何千、何万……もっとかもしれない。無数のドラマーが、パーカッショニストが、太鼓の達人が、願った夢が――望みが私なんだから」
「願いか。まあ、今でもそこにいるのが、あんたが人の望んだ物だって証かしら。本当に、外の世界の魔力で動いているって言うならね。怨念満載の付喪神ならともかく……たしかにあんたは特殊だもんねえ。暴れる気もない、私のいいつけもしっかり聞き入れると」
「別に、人間に怨みがあるわけではないもの。むしろ、人間を助けてあげたいくらい。ただ叩かれるだけじゃなく、もっと能動的にこっちから助けてあげたいって感じ」
「あの傘も、最近はそう言ってるみたいねえ。自分から人間に歩み寄りたいとか」
「それで良いと思うわ。というわけで、あの妖怪ドラムをなんとかしてあげたいと思ったわけ。危険だもの」
「立派な心がけな事で」
口に出すと皮肉めいた……あるいはからかうような口ぶりだったろうか。少し、反省してしまった。それもまた、表に出すのは憚られたけれど。
漠然と、でも確実には思っているのだ。そうでなければ妖怪と花見などはしない。面霊気に神社で舞わせるものか。
妖怪と言っても、全部が全部悪い奴ではないのだと。座敷童のように人に好かれる妖怪は勿論――恐ろしい見た目のホフゴブリンも。その他にも、例を挙げるのは……考えるのも憚られる……それでも自然に何人かの顔が浮かぶ。例えば響子。
少なくとも理解はしている。妖怪も人間の敵とは限らないと。思ってしまう。無差別に退治するのはよくないと。目の前の付喪神もまたと。
「妖怪の手助けをしたなんてしれたらまた神社の評判が下がるけれど――」
わかっているのに、どうして口を付いてしまうのだろう。
「ごめんなさいねえ。でも、貴方に助けて貰わないと」
そう言って、雷鼓は頭を下げていた。「まあ、人間のためだもの」と答えると、雷鼓は「ありがとう」と笑った。極めて、自然な反応だ。ただの感謝。
霊夢は、何かを思った。それを、なんというのだろう? 恥ずかしい、では強すぎる。なら、きまりが悪いだろうか? あるいは照れくさい?
照れくさいが、一番近いように感じられた。それを、はっきりと自覚は出来ない……しないとしても。
霊夢は、子供なのだろう、少女なのだろう。目の前にいる、生まれて間も無い付喪神よりも、子供なのだろう。あどけない顔立ちの少女は、霊夢は。
「で、結局どうすればいいの? 壊すのは――供養するのは嫌なんでしょう?」
「ええとね、まずは私から切り離すつもり」
「切り離すって……悪いけど、よくわからないわ。付喪神は別に専門ではないし……」
「それは大丈夫。私がえいやってすればいいだけ」
「えいや」
極めて力強く、シンプルな返答で、手段である。霊夢も復唱するのみだ。
「そのドラムセットも外の物なの。今は私が取り込んでるけれど、付喪神でいるにはあのエレクトリック和太鼓で足りるし、独り立ちさせてあげたいと思ったのね。そうやって意志が生まれれば、もっと人間の役にたつと思ったの。私みたいに」
「そう、ね。貴方は確かに意志があって、生きている。……まあ、人間の友達にもなれるのかもしれない。人間のためになるならね」
強者の発想か。雷鼓に歩み寄ろうとして出た言葉は、あくまで人間本位の言葉。言葉を選ぶべきだったかと思った。同時に、それでもいいとも感じた。強者の論理が幻想郷の倫理。そして、霊夢はあらゆる人妖よりも強力な巫女、人間だ。
「でも……座ると人間が凶暴になるドラムは危ないわ。あの御祓い棒じゃないけど、放置するのはねえ」
「凶暴になるのとは違うかな。物を壊したくなるだけよ。そんな謂われなのよね」
「謂われ?」
「付喪神になるなんてのは大方が謂われのある道具よ」
「こころも、秦河勝が使ってた面だそうだしねえ。よく知らないけど、有名な人らしいわ」
「ええ、で、あのドラムも有名なドラマーが――ドラムセットを破壊することに定評がある人が使ってたの。で、取り込む魔力もそれへの憧れよ。サーチアンドデストロイ、ドラムは投げすてるもの。って感じ。あれを拾ったときは、私もけっこう凶暴だったからね、多少は影響してるかな。基本的には使う人の魔力と思いによるんだけど」
「それはまた怨みを買いそうな。やっぱり敵意を持ちそうだけれど……」
叩かれれば嬉しいというのが雷鼓でもあって、付喪神と人の基準を同一に考えてはいけないのだろうと思う。それでも、物をぞんざいに扱うことは、演奏するためのドラムを壊すことは、褒められやしない、と霊夢は感じた。何かが引っかかるような気もしたが…… だが、引っかかりは些末事だろう。目の前の付喪神のために、素直になってもいい。そう思う。
「確かに、物を大切にしない奴は屑だ、地獄に堕ちるべき――」
「同意しておくわ」
「――と、思ってたけど、これを取り込んで破壊の快感に目覚めてしまったのよ。和太鼓がロケットのように勢いよくとんでいく姿……粉砕された宮太鼓が相手に襲いかかる様……うっとりしちゃう。しかもしかも、このドラムも喜んでるの。マゾヒズムって奴? 気が付いてみればわかるわー。やっぱり、私たちってボコボコ痛めつけられてなんぼの存在だし」
陶酔した目で語る雷鼓。霊夢は一歩身を引いて呟くしかできない。
「そ、そうなのかしらね? 私はちょっとわからないかなー。とか」
しかし、気を取り直す。思えばドラムを叩いていたときには壊れた仕草で快感を示していたし、何より、さんざ太鼓を投げつけてきたことを思い出したからだ。先ほどの引っかかりも理解できた。雷鼓にとっては打楽器は投げつける物であるということを思い出せた。
こほん、と音を出して、霊夢は問いかける。
「ええと、で、具体的に私は何をすればいいのかしら? 分別有る付喪神になるまで管理? 九十九神とも言うくらいだし、その前に私は死んでそうだけれど……」
「もっと手早くて、かつ私も霊夢も、この太鼓も人間も幸せになる手段を思いついたのよ」
「四方四両得か、聞かせて」
「あのドラムをここに祀るの。よしんば人間に敵意を抱いていたとしても、その力がちょっと危ないとしても、天神様しかりで、人間に信仰されていれば、人を襲ったりはしないと思う」
「まあ、そうかもねえ。でも祀るって……付喪神も神だろうけど、ドラムに信仰が集まるのかなあ。それとも、よほど凄い謂われがあるの? 神様になるような人が使ってたとか」
「その点は確かだわ、元の持ち主は凄い人。彼は――YOSHIKIは、ひょっとすると神よりも厚い信仰を集めていたわ……ヴィジュアル系の教祖と呼んで不足は無し……サイケデリックバイオレンス……クライムオブビジュアルショック……カレーが辛い」
雷鼓は、神を……ヴィジュアル系の神、YOSHIKIを思い、天を仰いだ。あの要塞ドラムは、かつてYOSHIKIが使っていた品である。流れ流れてこの郷に来訪したドラムだ。ジョン・ボーナム、キース・ムーン、トニー・ウィリアムスなどと並び称されるドラマー界の神の用いていた品だ。
何が神かと簡潔に説明すれば、ライブに数時間単位で遅刻は基本。演奏中に気絶は日常茶飯事。カレーが辛くて大激怒。ドラマーなのにドラムをほっぽり出しては走り回り、ボンベからCo2を大噴射。ドラムは破壊するもの。そして格好いいのだ。
「日本語で話してよ。ビジュアルショックって何?」
そのような逸話はこの郷に住む霊夢にはわからぬことだが。知るのは、外の世界を知る元道具のみ。
「とにかく凄いオーラがあるってこと。一声煽れば五万人が一斉にジャンプするくらい」
「五万人!」
しかし、数字の重みは霊夢にもわかる。八十万円のバスドラム、五万人がジャンプ。ということの価値は。
「そこまで行くと御神体にも不足ないかもね。YOSHIKIって誰か知らないけれど……まあ、どうせ今の神様もだれだか知らないし」
「じゃあ、決まりね。楽しくなるわ。みんなも――このドラムも、人間達も大喜びよ、それに、貴方の性にも合うと思うから。ああ……今から例大祭の絵が浮かぶわ」
「人も沢山来るかなあ」
「毎日がお祭りになるわよ。私も毎日大暴れ。もちろん、演奏的によ、人に襲いかかるのは私みたいな付喪神のやることじゃないし」
「いいことね。そう言う人なら、きっと友達になれるわ」
霊夢は答えた。何の気無しに、深く考えずに。だからこそ、自然に出てきた言葉。友達になれると、自然に感じられた。
雷鼓も、自然に応えた。微笑みながら。
「ええ。それが、道具にとって、一番幸せなんだと思う。人間は、愛して道具を使うの。その分道具も人間に応えてあげようとして――だから、私はただの道具はもう嫌かな。叩かれて踏まれるだけは。道具からも人間に歩み寄って、一緒に歩んでいきたいの」
「さっきも行ったけど、小傘と同じ感じかあ。まあね、私だって人間に愛される妖怪までは退治しないし……道具には攻撃しないってのは前に行ったとおり。貴方の考えはいいと思う」
「ええ、だから、この神社をバイオレンスなマゾヒズムに包み込むわ。人間もね、結構な数の人が内心ではそう言うのを好んでるのよ。使役者の声を聞き続けてきた私にはわかるの。だからマゾヒズムなんて言葉もあるわけだし、このドラムはその塩梅を熟知してるわ。人間を見守りつつ、神として……死なない程度に、後々に響かない程度に蹴られて踏まれて……その快感を教えてあげられるはず」
雷鼓は心底から喜ばしそうに言った。叩かれ、踏まれることに喜びを感じてきた彼女。人間にも、その快感を教えてあげよう。思っているのだ。人間のために、動いてあげたいのだ。
「は?」
「霊夢も楽しいと思うわ。鬼巫女とか暴力巫女なんて言葉を気にする必要は無いの。人間が集まってお祭り騒ぎになれば、祭り好きの妖怪も集まる……踏まれる快感は、このドラムが教えてくれる。貴方は妖怪を踏みつけて楽しめるし、みんなも貴方のような美少女に踏まれれば楽しいわ。人間と人間で踏んでは踏まれても楽しめるし、人妖の垣根を取り払っても良いの――」
「美少女ですか」
霊夢は真顔で呟くしか出来なかった。美少女、と呼んでくれたことは嬉しいにしても、顔に喜びを出す気にもならない。
「さっきだって、あのドラムを通して、私たちはわかりあえたわ。二人で楽しめた。私は付喪神で妖怪、貴方は人間。そして、道具と使い手で、快感を分かち合えたの。攻めてと受けてという区別はあっても」
「…………」
「ドラムの導くサディスティックでバイオレンスな楽園。同時に、マゾヒストの楽園。素敵ね。私と貴方のように、皆が喜びに溢れる世界が待ってるわ。これこそWin-Win。道具も人も何もかもの垣根を越えての楽園」
「…………」
「あのドラムはきっと素敵な女王様になるわ。Mの気持ちを知り尽くしたサディストに」
何故だろう。雷鼓の言うことは正論にも思えるのだ。白蓮の言葉にも近いように思える。人妖の調和した光り輝く世界、あるいは神子の言う、和のある世界。近いように思える。
しかし、霊夢は何かがおかしいと感じる。
「ええと、あの、そのですね、雷鼓さん」
ジトッとした目で霊夢は問いかける。理屈よりも先にある、プリスティンな、始原的な感覚が「否」と訴えかけている。
「はい」
「その、貴方はこの神社をどうしたいのかなーって」
「だから、SとMが乱痴気騒ぎで楽しむ楽園にしたいんです、神様の和と荒にもぴったり合っていると思うの、荒々しく責め立てて、でもみんな楽しく和を保つ場でもあると」
神社がそう言う場であってはいけないのだろうか? 直感では「あってはならぬ」と思うが、理屈で説明できる感は無かった。八百万の神の中には、そんな神もいるとは思う。しかし、自分の家に招こうとは思えない。だから、霊夢は御祓い棒を掴むのだ。
「……なるほど、じゃあ、まずは貴方の体で試してみるわ」
「何を?」
「大丈夫、深く考えなくてもいいわ。私も理屈では上手く言えない感じだし、それに、何も考えずに済むようにあんたを封印してあげるから……」
プリミティブな感情に、もっともシンプルなこの郷の理に任せ、強者は御祓い棒を掲げる。
「あらららら? 道具に攻撃しないと言ったじゃない? 私は暴れないわよー。暴れたい人たちを助けてあげるだけで」
「それはよかったわ。今、私は暴れたくてしょうがないの。この、神社を世紀末にしようという道具をぶちのめすために」
強者が弱者を叩きのめす。それが幻想郷なのだ。
「そういうと、私も封印されないけどねえ。外の世界の希望と夢が私を助けてくれるわ。さあ、三度目の正直! 外の世界の使役者よ! この巫女を追い払え !」
何度となく繰り返されてきたコミュニケーションが、また始まる。札を掲げ、人間と妖怪は向かい合う。決闘というじゃれ合いに向かって、二人は闇夜に飛び立った。
妖怪ドラムは見ているのだろうか。踏んでは踏まれての、付喪神と人の戯れを。
闇夜に、艶めかしい声が漏れる。神社の一角――納屋には、ただ、二人だけが居た。霊夢と雷鼓、二つの影だけを、蝋燭の淡い光が照らしている。二人だけの時間。二人だけで快楽に溺れる。
「ああ! 突いて! もっと強く! 早く! 勢いよく!」
胡乱な瞳に、蕩けるような頭。めくるめく恍惚感の中で雷鼓は叫ぶ。欲望に身を任せ、突き抜けるような快楽と共に。
ドン! ドン! 霊夢も一層激しく体を動かす。己の体が、己ではないようだ。原始的な衝動に身を任せ、雷鼓を責め立てる。その目には嗜虐的な色が混じっていた。強く、強く、雷鼓を責め立てる。
「ああ! ああ!」
雷鼓の声と、霊夢の動きが、音が、シンクロしている。一体感、体と体を重ねた者のみが味わえる一体感。霊夢の頭も、快楽に陶酔している。自分が何をしているのか、既にわからない。己が中の情動に身を任せるだけだ。雷鼓の喘ぎに導かれ、霊夢の頭は空白。
絶頂。その中で霊夢は立ち上がった。目の前には穴がある。ぶち込んでやりたい、そこに全てを吐き出してやりたい――いや、その程度ではもうこの絶頂には足りない。霊夢は全身全霊を込めて、雷鼓を――銅鑼を叩いた。サディスティックでバイオレンスに。轟音が響く。
「あwせdrftgyふじこpl!」
雷鼓は叫ぶ。もう、言葉では無い、奇声だ、意味を持たぬ叫びだ。圧倒的なまでの悦楽、愉悦。肉体でしか味わえない快感。永遠に浸っていたい、それが適わぬなら、この瞬間に死んでも良い。雷鼓は崩れ落ちる。体に、力の欠片も入らない。それを、言葉で示そうとすれば、なんとなるのだろう? 一種。むずがゆさ等とも言えるのだろうか。否、そのような例えでは表現しきれない。
――
雷鼓の声からは、「はあ、はあ」という息が漏れる。事後を示す喘ぎだろうか。いや、霊夢にはまだ足りないのだ。銅鑼を叩いた足で、ドラムセットを目指し、彼女はバスドラムを掴む、重い、ならばスネアでも……なんでもいい、とにかく投げてやりたかった。目の前の喘ぎが温い。全てを壊し尽くしてやりたかった。
「やめて!」
雷鼓の頭に理性が戻る。霊夢は答えない、いっそドラムセットに飛び込んでぶち壊してやろう、そんな欲望に身を任せる。
「そのバスドラだけで八十万円もするの! 流れ着いた拾い物だけど八十万よ!」
「は、はちじゅうまん……」
瞬時に、霊夢に理性が戻る。それが博麗神社の賽銭何年分かはよくわからない。……あるいは、ゼロに何をかけてもゼロ。印度の叡智が発見した真理に到達するかもしれない。
ともあれ、幻想郷の貨幣価値を考えれば、それは霊夢ならずとも天文学的な数字だった。
値段を考えた瞬間に、いかなる快楽や陶酔でも冷めてしまう――金は命より重いのだから。
「うう……肘が痛い……足も釣りそう……」
冷静さが戻ってきた瞬間に、痛みを感じる。体が重い、くたびれている。
「初めてでそんなにはしゃぐからよ。でも、気持ちよかった……肌と肌を重ねないとわからない心地よさ……相性、今ので十二分にわかった」
「もう踏まれて叩かれるだけの生活は嫌なんじゃないの? あのドラムもあんたなんでしょう? なんかややこしいけれど」
と、先ほど叩いていたセットを見ながら、霊夢は呟く、ややこしいというよりは、人間の概念では捉えがたい、という事だろうか。
雷鼓が椅子代わりにしているバスドラムとは別に、納屋の中には、ドラムセットがあった。それもまた、雷鼓の、付喪神の一部である。雷鼓の取り込んだ。外の世界のドラムだ。
そのセットは、まるで要塞のような様であった。バスドラム――共に「X」と大きく記されている――が二つ、並べられたタムやシンバルの数は、とっさには数え切れない。
アクリル樹脂で作られた――透明の様が美しいドラムだった。裏には銅鑼が置かれ、脇には扇風機やボンベが置かれている。ドラムに何故ボンベが必要かはさておき、それもまた付属品だ。
ドラムと言う物には疎い霊夢でも、これはただものではないとは感じられた。雷鼓と決闘したときのように、瞬時にこれは強者だと感じられた。何をしてドラムの強弱を決めるかはさておき、一流は一流を知るのだ。
「まあねえ。こうやって自立したわけですし、動きも出来ず叩かれるだけなのは嫌だけれど、それはそれとしてやっぱり快感なの。あなたにペダルで突かれる度に私はもう……」
「それはどうも」
投げ槍な口ぶりで、霊夢は答えた。あまり深く考えたくはなかった。妖怪の、付喪神の思考は人間のは違うのだと思うのみだ。
「ともあれ、こいつは確かに危険ねえ。私をして、我を失ってしまったわ。なるほど妖怪ドラムね」
「ねえ」
「ねえ、ってこれはあんたでしょうが、ちゃんとコントロールしなさいよ。感情をかき乱す付喪神はもうお腹いっぱいなの、どこかのお面で」
「こころさん、だっけ。やっぱり感情をコントロールするのは大変ねえ。感情を処理できない付喪神はゴミだってわかってるんだけど」
「今すぐ全部まとめて供養して、ゴミにしてあげてもいいんだけど……ただ使われるだけでない道具はゴミなんだし。でも、暴れないなら見逃すとは約束したしね」
「ええ、私も暴れる気はありませんよ、だからなんとかしようと持ってきたわけで。供養するのは忍びないけれど」
この頃の異変、面霊気の暴走や、動き出した御祓い棒、生まれだした付喪神。それらに携わる中で、霊夢は、あの霊夢ですら、些か丸みを帯びてきた感がある。スポーツマンシップを尊重しても良いかもしれない。あるいは、妖怪とて人間に敵対しないなら見逃してやろうと思う程度には。
「そもそも、どういう仕組みなのかしら。付喪神ってみんなこうなの? 人の心を操って……やっぱり、全員まとめて退治した方がいいのかなあ。生きてるだけで危険なら」
しかし、細かく考えるのは面倒だ、やはり一網打尽に退治するのが手っ取り早い。という結論に至るのもやはり博麗の巫女ではある。腕を組み、霊夢は思案する。
「ひどいわー。私はこのままじゃ危ないからなんとかしようとして、わざわざ貴方の所まで来たのに」
「うん、だから生きているだけで危ないからなんとかしなきゃなあって。怨まれたり化けたりしないように供養はしっかりしてあげるから」
ドーン、ドーン、ドーン、ドーン。
音が鳴る中で霊夢は思案する。供養するからいいんだ、というのは強者の論理だとかなんとかあの小人が言っていたか……そんなことも頭に過ぎりつつ、腕を組んでいる。
ドンドン、ドドドン、ドンドン、ドドドン
音は鳴り響く、雷鼓がバスドラムを叩いている。踵で、そこに付けられた器具――ビーターを叩きつける。じたばた足で。可愛らしく、かつ気の抜けるような仕草とは裏腹に、その音は重い。
リズムに乗せられ、霊夢は首を振っていた。
「細かい事は忘れて、踊りましょう?」
と呟きながら、雷鼓は、チン、チン、チン、チン、と軽妙なリズムを加えていく。両腕のスティックで、宙に浮くパーカッションを叩く。霊夢は不思議と晴れやかな気分になってきた。自然と体が動き、愉快に思えてくる。足でリズムに合わせつつ、眼前の友人とダンスでも踊ろうか、そうとすら思えてしまった。
「今夜はビートイットよ」
ポウ! と叫びたくなるような愉快さだった。月面を歩いているような身軽さを感じた。細かい事は、封印や退治も気にならなくなった。雷鼓は、ドラムから飛び降りた、踵のビーターで床を叩く、タップダンスのような、軽快な様でリズムを刻んでいく。霊夢も釣られ、体を揺らす。あらゆる者をリズムに乗せる付喪神には容易いことだ。
床が揺れ、納屋が揺れ、大地がパーカッションとなり、ダイナミックなビートを刻んでいく。二人はリズムに合わせ踊り――上からタライが落ちてきた。棚に載せられていた金タライが。カーン! と言う音がした。
物の多い納屋が揺れたならば必然だ。霊夢の頭蓋に激突した。
「…………」
音が、止まった。霊夢も止まった。加藤茶――日本のドラム史に名を残す名ドラマーを、雷鼓は幻視していた。
「…………」
激突音を最後に、音は消えた。沈黙が拡がる。霊夢が声を出せないのは気を失ったせいで、雷鼓の場合は「だめだこりゃ」という気持ちから。
「ええと、あの、大丈夫? 生きてます?」
すわ殺人犯か。雷鼓に過ぎる危惧。長く思える、短い沈黙の時間。しかし巫女は死滅していなかった。途切れ途切れに、鈍く重い声で呟く。
「……なる、ほど、妖怪は全て封印するべきだと再認識出来たわ」
そして、雷鼓に命の危機が迫る!
雷鼓に流れる冷や汗、まさしくビートイット――逃亡せねば――と思う、しかしそれも適わぬまま、御札が彼女に迫り……雷鼓の服は破れ……
◇
「ごめんなさいねえ。痛いの痛いのとんでけ」
軽口か、からかっているのか、ともあれ随分と余裕が有りそうな雷鼓である。
二人は、納屋から、霊夢の部屋へと移動していた。座布団に腰を下ろし、一番茶を――この神社ながら――卓に並べている。
茶を淹れたのは雷鼓だ。客に淹れさせるほどの霊夢の損傷。茶を淹れる雷鼓の余裕。勝者は、霊夢ではあったのだが。
「子供じゃ有るまいし」
肩を竦めて呟く様。頬を少し膨らます姿。霊夢の方が余程負けたように見えたかもしれない。決闘、と言うよりはお仕置き――での勝者は霊夢なのだけれど。
試合に勝って勝負にも勝った。「あらららら、やっぱりまだ勝てないわねえ」と雷鼓も認めるしかなかった。
しかし、敗北感が霊夢の心に過ぎっていた。と言っても、この余裕のある態度に対してではない。問題は、別だ。
もちろん、疲労や痛みも皆無ではない。元来、妖怪と人間では耐久力が違うのだから。しかし、それより重要なのはボリュームである。
感づいてはいたのだ。彼我のサイズの違いに。胸部のボリュームの差に。服の上からでもわかる大きさ(といっても、この郷基準ではあるかもしれないが)
それが決闘の最中に動き、揺れた。雷鼓の動く胸。ましてや、決闘の最中に服は破れていたのだ。その詳細は諸々への配慮で省かざるをえないが、雷鼓の動く胸が一層あからさまになったのは確かだ(付け加えれば、雷鼓の破れた服は既に元通りだ。付喪神驚異のメカニズムによって。故に諸処の描写にも、各種規制にも問題はない)
「ああ、疲れた。元々ドラムなんて叩いてくたびれてたし」
霊夢は、はあ、とため息を付く。
「頭も痛い。どっかの馬鹿が揺らしたせいで――」
無意識のうちに霊夢は舌打ちをしていた。揺れたにかかる言葉は胸ではなく納屋かもしれないが……
「――ったく、これが人間への攻撃じゃなかったらなんなのよ」
「不可抗力よー。でも、疲れたならアフターケアくらいはしてあげましょうか?」
「私の代わりにあの妖怪ドラムを爆破してくれるの?」
「まあ乱暴。だからそれは嫌だって。でも膝枕くらいはしてあげるからゆっくり休んで良いわよ、お姉さんの上で」
「お姉さんって、ゼロ歳児でしょ。小槌が振られたなんてつい最近なんだから」
単に見た目の問題で言えば、雷鼓の方が年上にも見えはした。いや、
「でも、私が作られたのは何百年も前だから」
年期で言っても、やはり雷鼓が上ではある。もっとも、彼女は外の世界の道具を取り込んだ付喪神だ。
「うーん。でも、やっぱり若いかもねえ。ちょっと危険だけど、クールで頼れるお姉さん系付喪神だとは思ってるけど」
あるいは、若いかもしれない。外の世界のモダンな流行、ツールを取り込んだモガではある。
「ちょっとどころじゃないくらい危険よ。そもそも……ああ、何を話してたんだっけ、頭にタライをぶつけられたら忘れるわよ。あんたを亡き者にするのが安全だって事だけは覚えてるけど」
霊夢は、何を言っていたんだったか? と思い出そうとしている。雷鼓も、なんだったか? と思い出そうとしていた。先に思い出したのは雷鼓だった。
「ええと。そうそう、私は感情を操ってなんていないわよ」
「そんな話だっけ?」
「そんな話、こころさんがなんとかみたいな。で、私の力はリズムに乗せるだけだし、だからみんなを楽しくはさせるわねえ。みんなを楽しくする愛され系付喪神」
「楽しく?」
「だって、愉快なリズムにのって楽しくない人なんていないでしょう? 音楽ってのはどうしても感情を左右するわよね。ほら、あの楽団だってそうでしょ? プリズムリバー楽団。だから、私が悪いんじゃないの、音楽が悪いってこと」
「ううん」
一理はある、と霊夢も感じた。
「いくら貴方だって、音楽を禁止するなんて言わないでしょう?」
「まあ、ね。ただ、道具は道具なんだからやっぱり二度と動くことも話すことも考えることも頭にタライをぶつけることも出来ないようにした方がいいんじゃないかなあ」
「タライは不可抗力というか、そもそも重い物を上に置くこと自体が危ないんじゃない? 地震でも来たら大変よ」
それもまた、理に適っていると感じた。遺憾ではあっても。
「だいたい、私を消したらみんな悲しむわよー」
「みんなって誰よ。付喪神ネットワーク? だったら悲しむやつが出ないように全部供養を――」
「ううん」
雷鼓は首を振った。胸も些か揺れた。それから、得意げな笑みで答えた。
「私は、みんなの夢なの。外の世界の希望が、憧れが、私には詰まっているの」
きらりとした目で、言った。霊夢は「お前は何を言っているんだ?」という表情だったが。芸術家気質の連中は説明が下手だから困ると嘆息する。
いや、一点引っかかった。
「詰まっている? 何がどこに詰まってるってのよ」
雷鼓はまた微笑んで、胸に片手を載せる。
「ここよ」
「……胸か。胸なのか、胸って言うのね」
霊夢は激怒した。なんとしてもこの邪知暴虐の巨乳を亡き者にせねばならぬと決意した。御祓い棒から魔力が消えたことが惜しまれる。物理的に排除せねばと感じていたから。
当の雷鼓はそんな霊夢の様子にも気が付かず、すこしとろんとした――彼女には平生である――目で、続けるのみだ。
「胸? いや、心よ。ハート。ねえ、私は外の世界の魔力で動いているって言ったでしょう?」
「ん、ああ、言ってたっけ? よく意味がわからなかったけれど。だいたい、結界ってのは思いを通さない壁よ? 勘違いじゃないの?」
「それは人間の感覚、道具には道具の論理があるの。私は外の世界の使役者に使われてるわ。魔力をほんのちょっとずつ分けて貰っていると言ってもいいの」
「わかるようなわからないような」
「簡単に言えばね、みんながドラムを叩くと、ちょっとだけ私に魔力が来るの。そして、叩く人は外の世界にいるの。一番強力なのは――エレクトリック和太鼓かしらね」
「エレクトリック……和太鼓? 何が電気なのか想像も付かないけれど」
電気で動く楽器があること自体は霊夢も知ってはいた。例えば幺樂団の用いるシンセサイザー、あるいはミスティアの使うエレキギター。とはいえ、和太鼓を電化する意味はわからなかった。
「ただでさえあれだけうるさくて原始的な楽器なのに」
「外の世界じゃ大人気よ? 一流の奏者――太鼓の達人もゴロゴロしてるんだから」
「外の世界は不思議ね、太鼓なんて地味だし、流行りそうにも思えないけど」
不思議には思えたが、その言葉自体に嘘は無いのだろうと感じられた。雷鼓の力は霊夢をして、「ただものでは無い」と思わせるものだった。
「あー、でもそうかあ。確かにわかる。あんたは結構強かったし、なるほど、一人だけに使われてた、いや、使われてる? 付喪神じゃないってことか」
「そんな感じ。外の世界から流れ着いたエレクトリック和太鼓が、私の一部として付喪神になったわ。そいつが依り代になって、今風に言えばクラウドって感じ? ともあれ、夢を持って叩いた人の魔力が私に来てる。そうそう、だから電気をびりびり使えるの。エレクトリックだからね、ただの太鼓じゃなくて」
「でも、夢って何? 太鼓の達人になること?」
「それもあるかしら、でももっと……たぶん、私にとってもね、叩かれるだけじゃなあってのも同じなんだけれど」
雷鼓は笑いながら、言葉を句切った。少し間を開けて、照れくさそうな色を笑みに混ぜて、続けた。
「ドラムでもなんでもいいけど、練習なんてのは孤独でつらいものよ。一人黙々とルーディメンツみたいな。それでも達人を目指すなら、耐えて努力を重ねないといけない。それを誰よりも知っているのは他でもない、道具だわ。常に傍らにいる相棒――私たち道具が一番知ってるの。だから、怨みを持ってない相手なら、手助けしてあげたい、使われるだけじゃなくて、自分から手を差し伸べて、力になってあげたい。霊夢、貴方もそれはわかっているはず」
「私が?」
「そう、あの御祓い棒は付喪神だったわ。それも、小槌で凶暴に目覚めさせられた付喪神……だから、使う側もちょっと凶暴にさせちゃったけれど、だからといって貴方に襲いかかったりはしなかったわ。その強大な力で、異変に立ち向かう手助けをしてくれた」
「まあ、ねえ。確かにあの御祓い棒は強かったわ。巨大になっては殴るだけでみんないちころで。もう力は抜いちゃったけど」
御祓い棒。いまはただの、使われるだけの物言わぬ道具。しかし、その強大な力が、霊夢を操りつつも、異変解決の助けになったことは、否定のしようもない。
「擬人化、って言うでしょう? そこまで行かなくても、愛用の道具に、まるで生き物のように愛着を感じるのは自然なこと」
「そうねえ。だから供養もするんだし」
「朝起きたら愛用のスネアドラムが美少女になっていた――そういう空想をするのは外の世界でも珍しくはないのよ」
「御祓い棒が大国主や明羅さんみたいなイケメンになるか。そうなったら確かに素敵」
霊夢は目を輝かせてしまった。イケメンは正義。それは遺憾ながらこの郷も変わらない。どうせ勧請するなら美男子と名高い大国主が良いな。霊夢だってそんな考えを抱いてはしまう。
「素敵よね。もちろん、そんなのを本気で考える人は外の世界にはいないけれど、ほんの微かにでも抱いた空想、外の世界ではあるわけもない夢が私なの。そんな夢があるから、私は小槌無しでも人の形をしていられるの。愛用の道具が私みたいなキュートで小悪魔系で人間を助ける巨乳なお姉さんだったらという夢が」
「巨乳はどこから来るのよ」
「いや、ドラムって体を動かすじゃない? だから胸が揺れやすいじゃない? そういう空想はよくあるわけ」
「よくあるのかはしらないけど」
霊夢は吐き捨てるように言った。
「だから、私を封印するなんてみんな悲しむわ。何千、何万……もっとかもしれない。無数のドラマーが、パーカッショニストが、太鼓の達人が、願った夢が――望みが私なんだから」
「願いか。まあ、今でもそこにいるのが、あんたが人の望んだ物だって証かしら。本当に、外の世界の魔力で動いているって言うならね。怨念満載の付喪神ならともかく……たしかにあんたは特殊だもんねえ。暴れる気もない、私のいいつけもしっかり聞き入れると」
「別に、人間に怨みがあるわけではないもの。むしろ、人間を助けてあげたいくらい。ただ叩かれるだけじゃなく、もっと能動的にこっちから助けてあげたいって感じ」
「あの傘も、最近はそう言ってるみたいねえ。自分から人間に歩み寄りたいとか」
「それで良いと思うわ。というわけで、あの妖怪ドラムをなんとかしてあげたいと思ったわけ。危険だもの」
「立派な心がけな事で」
口に出すと皮肉めいた……あるいはからかうような口ぶりだったろうか。少し、反省してしまった。それもまた、表に出すのは憚られたけれど。
漠然と、でも確実には思っているのだ。そうでなければ妖怪と花見などはしない。面霊気に神社で舞わせるものか。
妖怪と言っても、全部が全部悪い奴ではないのだと。座敷童のように人に好かれる妖怪は勿論――恐ろしい見た目のホフゴブリンも。その他にも、例を挙げるのは……考えるのも憚られる……それでも自然に何人かの顔が浮かぶ。例えば響子。
少なくとも理解はしている。妖怪も人間の敵とは限らないと。思ってしまう。無差別に退治するのはよくないと。目の前の付喪神もまたと。
「妖怪の手助けをしたなんてしれたらまた神社の評判が下がるけれど――」
わかっているのに、どうして口を付いてしまうのだろう。
「ごめんなさいねえ。でも、貴方に助けて貰わないと」
そう言って、雷鼓は頭を下げていた。「まあ、人間のためだもの」と答えると、雷鼓は「ありがとう」と笑った。極めて、自然な反応だ。ただの感謝。
霊夢は、何かを思った。それを、なんというのだろう? 恥ずかしい、では強すぎる。なら、きまりが悪いだろうか? あるいは照れくさい?
照れくさいが、一番近いように感じられた。それを、はっきりと自覚は出来ない……しないとしても。
霊夢は、子供なのだろう、少女なのだろう。目の前にいる、生まれて間も無い付喪神よりも、子供なのだろう。あどけない顔立ちの少女は、霊夢は。
「で、結局どうすればいいの? 壊すのは――供養するのは嫌なんでしょう?」
「ええとね、まずは私から切り離すつもり」
「切り離すって……悪いけど、よくわからないわ。付喪神は別に専門ではないし……」
「それは大丈夫。私がえいやってすればいいだけ」
「えいや」
極めて力強く、シンプルな返答で、手段である。霊夢も復唱するのみだ。
「そのドラムセットも外の物なの。今は私が取り込んでるけれど、付喪神でいるにはあのエレクトリック和太鼓で足りるし、独り立ちさせてあげたいと思ったのね。そうやって意志が生まれれば、もっと人間の役にたつと思ったの。私みたいに」
「そう、ね。貴方は確かに意志があって、生きている。……まあ、人間の友達にもなれるのかもしれない。人間のためになるならね」
強者の発想か。雷鼓に歩み寄ろうとして出た言葉は、あくまで人間本位の言葉。言葉を選ぶべきだったかと思った。同時に、それでもいいとも感じた。強者の論理が幻想郷の倫理。そして、霊夢はあらゆる人妖よりも強力な巫女、人間だ。
「でも……座ると人間が凶暴になるドラムは危ないわ。あの御祓い棒じゃないけど、放置するのはねえ」
「凶暴になるのとは違うかな。物を壊したくなるだけよ。そんな謂われなのよね」
「謂われ?」
「付喪神になるなんてのは大方が謂われのある道具よ」
「こころも、秦河勝が使ってた面だそうだしねえ。よく知らないけど、有名な人らしいわ」
「ええ、で、あのドラムも有名なドラマーが――ドラムセットを破壊することに定評がある人が使ってたの。で、取り込む魔力もそれへの憧れよ。サーチアンドデストロイ、ドラムは投げすてるもの。って感じ。あれを拾ったときは、私もけっこう凶暴だったからね、多少は影響してるかな。基本的には使う人の魔力と思いによるんだけど」
「それはまた怨みを買いそうな。やっぱり敵意を持ちそうだけれど……」
叩かれれば嬉しいというのが雷鼓でもあって、付喪神と人の基準を同一に考えてはいけないのだろうと思う。それでも、物をぞんざいに扱うことは、演奏するためのドラムを壊すことは、褒められやしない、と霊夢は感じた。何かが引っかかるような気もしたが…… だが、引っかかりは些末事だろう。目の前の付喪神のために、素直になってもいい。そう思う。
「確かに、物を大切にしない奴は屑だ、地獄に堕ちるべき――」
「同意しておくわ」
「――と、思ってたけど、これを取り込んで破壊の快感に目覚めてしまったのよ。和太鼓がロケットのように勢いよくとんでいく姿……粉砕された宮太鼓が相手に襲いかかる様……うっとりしちゃう。しかもしかも、このドラムも喜んでるの。マゾヒズムって奴? 気が付いてみればわかるわー。やっぱり、私たちってボコボコ痛めつけられてなんぼの存在だし」
陶酔した目で語る雷鼓。霊夢は一歩身を引いて呟くしかできない。
「そ、そうなのかしらね? 私はちょっとわからないかなー。とか」
しかし、気を取り直す。思えばドラムを叩いていたときには壊れた仕草で快感を示していたし、何より、さんざ太鼓を投げつけてきたことを思い出したからだ。先ほどの引っかかりも理解できた。雷鼓にとっては打楽器は投げつける物であるということを思い出せた。
こほん、と音を出して、霊夢は問いかける。
「ええと、で、具体的に私は何をすればいいのかしら? 分別有る付喪神になるまで管理? 九十九神とも言うくらいだし、その前に私は死んでそうだけれど……」
「もっと手早くて、かつ私も霊夢も、この太鼓も人間も幸せになる手段を思いついたのよ」
「四方四両得か、聞かせて」
「あのドラムをここに祀るの。よしんば人間に敵意を抱いていたとしても、その力がちょっと危ないとしても、天神様しかりで、人間に信仰されていれば、人を襲ったりはしないと思う」
「まあ、そうかもねえ。でも祀るって……付喪神も神だろうけど、ドラムに信仰が集まるのかなあ。それとも、よほど凄い謂われがあるの? 神様になるような人が使ってたとか」
「その点は確かだわ、元の持ち主は凄い人。彼は――YOSHIKIは、ひょっとすると神よりも厚い信仰を集めていたわ……ヴィジュアル系の教祖と呼んで不足は無し……サイケデリックバイオレンス……クライムオブビジュアルショック……カレーが辛い」
雷鼓は、神を……ヴィジュアル系の神、YOSHIKIを思い、天を仰いだ。あの要塞ドラムは、かつてYOSHIKIが使っていた品である。流れ流れてこの郷に来訪したドラムだ。ジョン・ボーナム、キース・ムーン、トニー・ウィリアムスなどと並び称されるドラマー界の神の用いていた品だ。
何が神かと簡潔に説明すれば、ライブに数時間単位で遅刻は基本。演奏中に気絶は日常茶飯事。カレーが辛くて大激怒。ドラマーなのにドラムをほっぽり出しては走り回り、ボンベからCo2を大噴射。ドラムは破壊するもの。そして格好いいのだ。
「日本語で話してよ。ビジュアルショックって何?」
そのような逸話はこの郷に住む霊夢にはわからぬことだが。知るのは、外の世界を知る元道具のみ。
「とにかく凄いオーラがあるってこと。一声煽れば五万人が一斉にジャンプするくらい」
「五万人!」
しかし、数字の重みは霊夢にもわかる。八十万円のバスドラム、五万人がジャンプ。ということの価値は。
「そこまで行くと御神体にも不足ないかもね。YOSHIKIって誰か知らないけれど……まあ、どうせ今の神様もだれだか知らないし」
「じゃあ、決まりね。楽しくなるわ。みんなも――このドラムも、人間達も大喜びよ、それに、貴方の性にも合うと思うから。ああ……今から例大祭の絵が浮かぶわ」
「人も沢山来るかなあ」
「毎日がお祭りになるわよ。私も毎日大暴れ。もちろん、演奏的によ、人に襲いかかるのは私みたいな付喪神のやることじゃないし」
「いいことね。そう言う人なら、きっと友達になれるわ」
霊夢は答えた。何の気無しに、深く考えずに。だからこそ、自然に出てきた言葉。友達になれると、自然に感じられた。
雷鼓も、自然に応えた。微笑みながら。
「ええ。それが、道具にとって、一番幸せなんだと思う。人間は、愛して道具を使うの。その分道具も人間に応えてあげようとして――だから、私はただの道具はもう嫌かな。叩かれて踏まれるだけは。道具からも人間に歩み寄って、一緒に歩んでいきたいの」
「さっきも行ったけど、小傘と同じ感じかあ。まあね、私だって人間に愛される妖怪までは退治しないし……道具には攻撃しないってのは前に行ったとおり。貴方の考えはいいと思う」
「ええ、だから、この神社をバイオレンスなマゾヒズムに包み込むわ。人間もね、結構な数の人が内心ではそう言うのを好んでるのよ。使役者の声を聞き続けてきた私にはわかるの。だからマゾヒズムなんて言葉もあるわけだし、このドラムはその塩梅を熟知してるわ。人間を見守りつつ、神として……死なない程度に、後々に響かない程度に蹴られて踏まれて……その快感を教えてあげられるはず」
雷鼓は心底から喜ばしそうに言った。叩かれ、踏まれることに喜びを感じてきた彼女。人間にも、その快感を教えてあげよう。思っているのだ。人間のために、動いてあげたいのだ。
「は?」
「霊夢も楽しいと思うわ。鬼巫女とか暴力巫女なんて言葉を気にする必要は無いの。人間が集まってお祭り騒ぎになれば、祭り好きの妖怪も集まる……踏まれる快感は、このドラムが教えてくれる。貴方は妖怪を踏みつけて楽しめるし、みんなも貴方のような美少女に踏まれれば楽しいわ。人間と人間で踏んでは踏まれても楽しめるし、人妖の垣根を取り払っても良いの――」
「美少女ですか」
霊夢は真顔で呟くしか出来なかった。美少女、と呼んでくれたことは嬉しいにしても、顔に喜びを出す気にもならない。
「さっきだって、あのドラムを通して、私たちはわかりあえたわ。二人で楽しめた。私は付喪神で妖怪、貴方は人間。そして、道具と使い手で、快感を分かち合えたの。攻めてと受けてという区別はあっても」
「…………」
「ドラムの導くサディスティックでバイオレンスな楽園。同時に、マゾヒストの楽園。素敵ね。私と貴方のように、皆が喜びに溢れる世界が待ってるわ。これこそWin-Win。道具も人も何もかもの垣根を越えての楽園」
「…………」
「あのドラムはきっと素敵な女王様になるわ。Mの気持ちを知り尽くしたサディストに」
何故だろう。雷鼓の言うことは正論にも思えるのだ。白蓮の言葉にも近いように思える。人妖の調和した光り輝く世界、あるいは神子の言う、和のある世界。近いように思える。
しかし、霊夢は何かがおかしいと感じる。
「ええと、あの、そのですね、雷鼓さん」
ジトッとした目で霊夢は問いかける。理屈よりも先にある、プリスティンな、始原的な感覚が「否」と訴えかけている。
「はい」
「その、貴方はこの神社をどうしたいのかなーって」
「だから、SとMが乱痴気騒ぎで楽しむ楽園にしたいんです、神様の和と荒にもぴったり合っていると思うの、荒々しく責め立てて、でもみんな楽しく和を保つ場でもあると」
神社がそう言う場であってはいけないのだろうか? 直感では「あってはならぬ」と思うが、理屈で説明できる感は無かった。八百万の神の中には、そんな神もいるとは思う。しかし、自分の家に招こうとは思えない。だから、霊夢は御祓い棒を掴むのだ。
「……なるほど、じゃあ、まずは貴方の体で試してみるわ」
「何を?」
「大丈夫、深く考えなくてもいいわ。私も理屈では上手く言えない感じだし、それに、何も考えずに済むようにあんたを封印してあげるから……」
プリミティブな感情に、もっともシンプルなこの郷の理に任せ、強者は御祓い棒を掲げる。
「あらららら? 道具に攻撃しないと言ったじゃない? 私は暴れないわよー。暴れたい人たちを助けてあげるだけで」
「それはよかったわ。今、私は暴れたくてしょうがないの。この、神社を世紀末にしようという道具をぶちのめすために」
強者が弱者を叩きのめす。それが幻想郷なのだ。
「そういうと、私も封印されないけどねえ。外の世界の希望と夢が私を助けてくれるわ。さあ、三度目の正直! 外の世界の使役者よ! この巫女を
何度となく繰り返されてきたコミュニケーションが、また始まる。札を掲げ、人間と妖怪は向かい合う。決闘というじゃれ合いに向かって、二人は闇夜に飛び立った。
妖怪ドラムは見ているのだろうか。踏んでは踏まれての、付喪神と人の戯れを。
好きです
始まりから終わりまで違和感無く、だけど付喪神流に斜め下に突き抜けて行く雷鼓さんが可愛過ぎます。
堀川雷鼓という付喪神、を見事に書き表したと評せざるを得ません。
とても面白かったです
マゾおっぱい。
まだ出てから間も無いながら素敵に掘り下げられた彼女だと思いました
私の中の雷鼓ちゃんのイメージがこれで固まりそう。
素敵な作品でした。
早く輝針城やりたいなー
誤字報告です
>「今すぐ全部まとめて供養してはゴミにしてもいいんだけど……
供養してゴミにしても ですね
ああ、輝針城がプレイできないのがもどかしい...。
よくこういう作品を書けるなーというのが正直なところです。
付喪神関係はまだまだ深く掘り下げられそうなジャンルですね。