「うおおお……わぢぎ、ぢがらが湧いでぐるぅ……!!」
打ち出の小槌の魔力の影響で強大な力を手に入れた多々良小傘は歓喜に打ち震えていた。
霊夢が此度の異変を解決してからすでに数日が経っている。にも拘らず小傘は力を維持している。それには理由があった。
多々良小傘は傘の妖怪である。長年使われた傘が付喪神化して妖力を持ったのが妖怪・多々良小傘である。小傘自身、傘の妖怪である。それに加えて、傘時代の姿である傘自体も妖力を持ち、小傘と対となって活動している。いわば二倍妖怪だ。そして小傘は普通の妖怪より倍の可愛らしさがある。それで更に二倍。そこに回転をかけることで更に二倍! 合計八倍もの魔力が小傘に満ちているのだ。魔力が大きければ大きいほど回収にも時間がかかる。極めて自然なことだ。
そういうわけで、EX小傘はいまだに強い力を持ったままでいたのであった。
「ふっふっふ、見ていろ人間ども……。今に恐怖のどん底に叩き入れてくれる……グワーッハッハッハッハッハ!!」
進撃の巨傘の物語が、今始まろうとしていた。
そんなことには全く関係なく、舞台は博麗神社。
深緑が日の光を浴び、きらきらと輝いている。
じりじりとその熱波を一身に受け止める博麗神社の屋根は、その熱の遮断を早々に放棄しフライパンへと様変わりし、さらには内部にまでその熱は漏れ込んでいた。
当然、中にいる住人はたまったものではない。
「暑いわー、暑くて死ぬわー」
「しっかりしろ、この暑さで死んだらすぐ腐っちゃうぜ。向こうで死んでくれ」
「私への優しさがない」
「人の心配なんかしてられるか」
霊夢と魔理沙はいつものように縁側でお茶――などという自殺行為はさすがにしておらず、居間で畳と同化していた。
「ねぇ針妙丸ぅ、ちょっと打ち出の小槌を使ってチルノを呼び出してよ」
「なんでそんな回りくどい願い事なんだよ。単純に涼しくしてくれでいいだろ」
「それもそうね」
「というわけで」
「「どうぞ」」
「無茶言わないでくださいよー」
虫かごの中から呆れ声をあげたのは、少名針妙丸。一寸法師の末裔である。
先の異変で霊夢にボコボコにされた針妙丸は神社に居座っていた。
またいつ針妙丸が妙なことを唆されるかわからない。
そう思った霊夢は手元に置いておくことを是としたのである。しかし、その心の奥は誰にも知る由もないし、霊夢も語ろうとはしない。
針妙丸は鈴の転がるような声で言う。
「そんなくだらないことのために、やたらと小槌を使っちゃだめですー」
「その小槌を使って幻想郷をひっくり返そうとしたのは誰だっけ?」
「正邪です!」
「い、一点の曇りも無く責任転嫁したな……ここまでくると清々しいぜ」
「というか、今は魔力を回収している最中なので、どの道使えませんよ」
「あー、そうだったかー」
「残念だな」
気落ちした様子を見せる二人であったが、本気で小槌を使おうとしたわけではない。鬼の道具を使うことの危険性は、重々わかっているのだ。
「しかし、なんだな。こうも暇だと余計に暑さも感じるな」
そう言って魔理沙は畳にへばりつき、居間に静寂が訪れた。
「……ん?」
畳にへばりついた魔理沙の耳に、一つの足音が聞こえてきた。
同時に、その足音の主の声が遠くから投げかけられる。
「霊夢ー、いるー? ちょっと相談したいことがあるんだけどー」
声の主は、アリス・マーガトロイド。魔法の森に棲む魔法使いである。
勝手知ったるなんとやら。アリスはずんずんと勝手に母屋へと上がり込んできた。
「ちょっと霊夢いないのー? って、いるじゃない。いるなら返事くらいしなさいよ」
「暑くてこの場にいたくないくらいだったんだもん」
「ちょっと意味がわからない。それより聞いて。ここ最近、上海の様子がおかしいの。特に調整を施したわけでもないし、何やら得体の知れない魔力が付与しているみたいで不気味なのよね。心当たりないかしら?」
「ある。これ、犯人」
「どうもこんにちはー」
「あ、どうもご丁寧に…………はい?」
「だから、これが異変の原因で、犯人なんだってば」
「いへ……えええっ!?」
アリスは異変の詳細を霊夢から聞いた。
手持ちの人形がおかしいからちょっと相談をしにきたくらいの心持ちだったアリスにとっては寝耳に水どころか、寝耳に熱湯である。
もちろん異変の可能性を考慮しなかったわけではないが、もしそうであれば今後の立ち居振る舞い、行動を決めるためといった意味でもあった来訪だ。まさかすでにそれが解決していて、しかも犯人と仲良く居間で寝そべっているとは思わない。
しかも、このちまいのが犯人だと?
一瞬で色んなことが頭の中を巡ったアリスであったが、出てきた言葉はその場にいた誰もが予想だにしないものだった。
「ねぇあなた……私の家に来ない?」
アリスメイクライ
針妙丸はアリスの胸ポケットに大人しく収まっていた。
そのようなことをすれば身長差から、少しでも動けば相当な振動を感じるのは必至である。
しかし針妙丸は、程よい振動が気持ちいいのか、むしろうつらうつらと心地よさそうにしている。
アリスの歩幅は狭く、足音も大人しい。極めて女性らしく優しい足取りに、針妙丸はこれからのこと考えて、少しだけ心が弾んだのであった。
「さぁ、ここよ」
「むにゅ……わー」
「あなた、寝てたでしょ」
見上げると、針妙丸にとってはあまり馴染みのない洋館が視界に飛び込んできた。
魔法の森は湿度が高い。蔓は壁を伝いどんどん伸びていき、苔はもりもり繁殖していくような一帯である。およそ人が住むには適していない場所だ。それでもその洋館には蔓や苔も伸びておらず、新築とまではいかずとも、ある程度の白さを保っている。それどころか、家周りの草木もしっかりと剪定されている。アリスの器用さ、几帳面さがよく表れていた。
「洋館チックですねー」
「チックじゃなくて、洋館よ」
玄関を通った時、針妙丸は『他人の家に来た』ということを意識した。温度、匂い、明るさ、それら全てが違うものとなり別の空間となる。来訪を阻まれているようでもあり、歓迎されているようでもある。
針妙丸はここまで来た経緯を思い出していた。
弾丸ような顔合わせを終え、少し落ち着きを取り戻したアリスは、針妙丸に自分が言った言葉の意味を伝えた。
曰く、これまでずっと城住まいだったのなら交流や見聞を広めるためにも色んなところに行った方がいい。そして色んな人と関わった方がいい、ということだ。
言っていることは理解できるし、納得もできる。何より「外に飛び込んでいけるってのも、強さの一つだぜ」という魔理沙の言葉に、針妙丸は心を動かされた。
(よし! 今日はがんばろー)
何をがんばるかということまでは頭になく、なんとなく漠然と気合を入れた針妙丸であった。
「おじゃましますー」
「はい、いらっしゃい。好きにくつろいでちょうだいね。私は準備してくるから」
「はいー、ありがとうございますー」
ちょこん、とテーブルに乗せられると、アリスを見送ったところで針妙丸は気付いた。
はて、なんの準備だろうか。
そもそも見聞を広めるとかそんな曖昧な言葉に釣られて来てみたはいいが、具体的に何をするかという話は一切していない。
何をさせられるのだろうか。それとも、何かをされるであろうか?
その時はテンションが上がって気付かなかったが、そういえば霊夢と魔理沙も諦めたような顔をしてはいなかったか?
もしかしたら開拓地送りにされて日がなジャガイモを育てさせられるかもしれない。鉱山でドワーフと一緒に毎日鉱石を発掘させられるかもしれない!
そもそもテーブルの上に置かれてどうくつろげと言うのだ。これではくつろぎようがないし、何かあっても逃げ出せないではないか!
飛べばいいということが頭からすっぽりと抜け落ちた針妙丸に、言い知れぬ不安が胸に広がる。
「うあ……軽率だったかもしれない」
「何が?」
「へぇい!?」
思考に没頭していた針妙丸は背後から声をかけられ、今まで出したことのないような声をあげた。
「あぁいえこれはその、なんというかえぇと、お友達の家に呼ばれたことなんてなくて気分が高揚してしまってなんとなくウルトラソウッ、なんつってーへへへ」
お前は何を言っているんだ?
針妙丸は心の底から自分に対してそう思った。
「お友達……」
「へ、へぇ、お友達」
「お友達……そっか、フフッ」
アリスは胸元で手をきゅっと握り、頬を赤らめた。
なんだかよくわからないが、なんとかごまかせたらしい。
針妙丸はほっと息をついた。
そして安心したところで、アリスが手に持っているものに気がついた。
「あのー、それは?」
「へ? あ、あぁ、これ?」
何やらポーっとしていたアリスは我に帰り、持っていたそれをそっと針妙丸にあてがった。
「サイズは丁度良いと思うのだけど、どうかしら。ちょっと着てみてくれる?」
「あう? 開拓地は? 鉱山は?」
「んん? なんのことを言ってるの?」
「ただの私の勘違い?」
「よくわからないけれど、そうじゃないかしら」
「よかったですー!」
安堵した針妙丸はピーと泣き出した。
「あぁ、そういえば言ってなかったかしらね。ごめんなさい。あなたには私の作った服を試着してみて欲しいのよ」
「ううぅ、お安い御用ですぅ……」
針妙丸はいそいそと渡されたミニチュアメイド服に着替えた。
そして着替え終わったところで気付いた。
「はて、そういえばなんで着替えねばならなかったのです?」
「えっとね、私は人形遣いで、人形作りを生業としている魔女なのだけれど、その作った人形に着せる服も自分で作っているのよ」
「ほーほー」
「それでね、人形に着せたあと自分で動かしたりしてフィット感なんかを見てるんだけど、やっぱり実際に着た人の意見が聞ければそれに越したことはないし、修正もしやすいのよね。今回霊夢のとこに行ったのは別件だったけど、それは常日頃考えてたことだから、あなたを見てビビッと来たってわけ。んー、さすがにちょっと大きいわね」
「なるほどー」
話を聞けばなんのことはない。筋も通っており納得のできる話だ。小人族なんて滅多に見るものではないし(そもそも引きこもっていたし)、仮にはぐれ小人と遭ったとしても、そそくさと逃げ出すことだろう。
「だから、できれば感想なんかを言ってくれたら助かる……あぁもうだめ! 可愛すぎる!!」
「きゃあ!?」
アリスはあふれる想いを抑えることができず針妙丸に抱きついた。抱きついたというよりは抱え込んだという方が正しくはあるが。
「あぁんもう! 可愛い可愛いっ! ちっちゃくてー! ころころしててー! わちゃわちゃしててー! ぶかぶかでー!」
「あうあう、放してくださいー!」
針妙丸は二重の意味でピンチだった。
一つ目は、単純に体格差からくる肉体的なピンチだ。
アリスにとっては優しく接しているつもりでも、身体の小さい針妙丸にとっては握撃である。頬ずりもされるたびに首ががくんがくん揺れる。
二つ目は、性的な意味だ。
アリスのサファイアのように澄んだ瞳とシルクのようにキメの細かい肌が目の前にあり、こともあろうか頬ずりされている。真っ白な肌は化粧の色かと言うとさにあらず、地肌である。触れるたびにしっとりと吸い付くようなやわらかい肌からは、母性を思わせる甘く優しい、落ち着けるような香りが漂ってくる。さらには頬ずりをする度に揺れる髪がふわふわと当たり、それがまた女性特有の透明感のあるなんとも芳しい香りが鼻をくすぐるのだ。
針妙丸は、ピンチであった。
「やめて、やめ、や……あははははぁ、きゅう……」
「可愛い可愛いかわ……あら?」
針妙丸は、落ちた。
コトコトと何かを煮込む音が針妙丸の耳に届く。
「んぅー……」
続いて気付いたのは、何やらいい匂いがするということだ。
針妙丸が起きた気配を感じ取ったのか、奥からアリスがパタパタとやってきた。
「あ、起きた? ……ごめんなさいね。私ったら、つい舞い上がっちゃって、握り潰しちゃったかと思ったわ」
「あはは、平気ですー。お気になさらず」
しゅんと肩を落とすアリスに、針妙丸はできる限りの明るい声を出した。身体に異常はないし、落ちた理由としてもどちらかというとアリスが魅力的すぎて、どうにかなってしまう前に意識を手放したという方が割合としては大きかったのだ。が、それは針妙丸は言わないでおいた。
「本当にごめんなさいね。今、おゆはんを作っているから、もうちょっとそこで休んでいて」
「うぇっ、そこまでお世話になるわけには」
「私があなたと一緒に食べたいのっ。悪いけど、私のわがままに付き合って? ね?」
ぱちっとウィンクをしてキッチンに戻るアリスの背中を眺めながら針妙丸は思った。
「……反則級」
一体なんなのかあれは。少し強引な誘い方はこちらに気を遣わせないための配慮だろう。そんな大人な切り返しができる彼女から放たれるちょっと子どもっぽいお茶目なウィンク。同性でもときめく。針妙丸の心臓はいまだにバクバク鳴っていた。
(素敵な人だなぁ……)
それは、素直な感想であった。
(でも……)
そして、心の奥の奥に顔を出したわずかな黒い気持ちに、必死に蓋をしようとした。
「さ、召し上がれ。簡単なものだけれどね」
「わぁー」
針妙丸は目の前の光景に喉を鳴らした。
テーブルの上には、ズッキーニのマリネ、カボチャのポテトサラダ、ホウレン草の冷製ポタージュ、ナスと豚肉の冷たいトマトパスタが並んでいる。夏野菜をふんだんに使った色合いも美しい、なんとも美味しそうなメニューであった。
針妙丸が感動したのは、メニューはもちろんのこと、それを入れる器に関してである。
フォークにしてもスプーンにしても皿にしても、針妙丸が食べやすいよう、専用のものをしつらえていたのだ。無論、食材自体も食べやすい大きさとなっている。
「す、すごいですねぇ! これ全部ご自分で作ったんですか?」
「えぇ、まあ。手先は器用な方なのよ。金属加工はさすがに時間がなかったから、全部木製だけどね」
器用というレベルを超えている気がするが、それよりも聞き捨てならない言葉が耳に入った。
「時間がなかったって言い方をするってことは……もしかして私が来てからこの食器を作ったんですか!?」
「そうだけど?」
別段自慢げにするようでもないアリスの顔を見ると、これくらいの技術は彼女にとってスタンダードなものなのであろう。さらりとなんでもないように神業を披露するアリスに、針妙丸は舌を巻いた。
「さ、冷めないうちに食べましょっ」
「全部冷たいものですが」
「……そうだったわ」
うっかりさんなアリスに再度ときめきながら、針妙丸は手を合わせて礼儀正しく言った。
「いただきますー」
「はい、召し上がれ」
まずスープに手をつける。翠玉にミルクを混ぜたような優しい色合いのそれを口に含むと、ひやりと爽やかな清涼感が走る。清涼感のあとから顔を出したのはミルクの甘い味わいだ。なんとも落ち着く味わいの奥から、コンソメの微かな塩味がアクセントになっている。念入りに漉したのだろう、飲み込んだ時にホウレン草が引っかかることもない。一口、二口と飲んでもその新鮮さは損なわれず、飽きが来ない、シンプルだが絶品の一品であった。
正直、洋食は合わないかもしれないと危惧していたが、これは……。
「んまーい!」
「お口に合うか心配だったけれど、喜んでもらえたのなら嬉しいわ」
「ほんと、本当においしいですこれ!」
「フフ、ありがと」
その後も針妙丸はアリスの手料理に舌鼓を打った。
ふと、針妙丸が問いかける。
「ねぇアリスさん。そういえば私が着ている服って、どのお人形さん用なんです?」
「あ、気になるわよね、やっぱり」
「はいー、できればあとで見せてもらえれば……」
「あ、いいわよ。今呼ぶから」
「え、呼ぶ?」
「しゃんはーい、ちょっと来てー」
アリスが奥に向かってそう声をかけると、向こうから小さな可愛らしい返事が聞こえてきた。
「シャンハーイ」
「わぁ!?」
自分より大きい人形が飛んでくるものだから針妙丸は思わず声をあげてしまった。
「紹介するわ。この子は上海人形」
「あ、あ、少名針妙丸です。どうもご贔屓にー」
「ほら上海も挨拶して」
「バッッッカジャネーノ」
「oh……」
初見でバカ判定されたことにもびっくりだが、それよりも人形が喋ったことにびっくりした。
「こら、上海。ごめんなさいね。まだ魔力が残ってるみたいで、いつもとちょっと違うの」
「あ、ですよねー。こんな可愛らしいお人形さんからバカジャネーノなんてセリフ――」
「あぁいえ、バカジャネーノは口癖だからいつも通りなんだけど、魔力を得てからはバとカの間の小さいツが多いのよ。ちょっと見下した感じがあふれてるっていうか」
「そ、そうですか……」
あまり変わらないと思うが、原因が自分なので突っ込むことはできなかった。
「それにしても、綺麗ですねー。ここまで精巧なお人形さんが作れるものなんですね」
「まぁ、それがメインで魔女やってるしね」
「へぇー……すごいですね。これほど完成されたお人形さんは今まで見たことがありません」
「完成……か」
アリスは途端に表情を曇らせた。
「アリスさん?」
「うん、この子たちはある意味完成しているわ。魔力で操る必要はあるけれど、立派に役目をこなしてくれる。簡易的な思考パターンも入力しているから、ある程度の会話もすることができるわ」
「それは……」
もはや人形の域を超えているのではないだろうか。
「でも、私の研究の完成は、はるか先にある。完全自立人形。それが私の研究の命題よ。自らの意思で歩き、自らの意思で食べる。自らの意思で生きることを覚え、そして生の終わりを迎える。それが、私の目指すビジョン」
アリスの言っていることは夢物語どころの騒ぎではない。端から聞いても、それが現実的ではないことなんて一目瞭然だ。
しかし、アリスの目は真剣そのものだった。なんとしても実現してみせる。そんな意志がはっきりと瞳の奥に燃え上がっていた。
けれども、それは……。
「人間を、作るつもりですか?」
針妙丸の言葉に、アリスは一瞬きょとんとした。そして、すぐさまうなづいた。
「そう……そうね、言い換えるとそうなるのかもしれないわね。人形からのアプローチで人間を作る。そっか、私の目指しているものはそこなのかも……」
針妙丸は、アリスの狂気じみた目標を、笑うことなどしなかった。
それどころか、応援しようという気持ちすらある。綺麗で、優しくて、真っ直ぐでブレないアリスを、針妙丸は心から尊敬していた。
「完成……するといいですね」
しかし、微かな寂しさも感じていた。
はっきりした。
アリスは強い者だ。どんな困難にも立ち向かい、目の前の壁をぶち壊して自分の道を進んでいける、強き者だ。
自分とは、違う種族の生き物なんだ……と。
「ね、ねぇ……そういえば……」
アリスの声が、針妙丸にとって散々聞かされてきた、嫌な声色に変わる。
「そ、その打ち出の小槌って、なんでも願いを叶えるのよね?」
大きすぎる夢は、遠すぎる目標は、得てして叶わぬ願いとして骸になるものだ。そして、その骸はどんな強者の心をも蝕むものである。
針妙丸はそのことをよく知っていた。
「い、一回だけでいいの。いずれ魔力が回収されることもわかってる。それでも! 何かのヒントになるかもしれない! 遠すぎる未来を、あるかもわからない未来を、明日の現実にできるのかもしれないの!!」
針妙丸の心が、ズキンと痛んだ。
(またこれだ……。私たち小人族は、利用されるためだけに存在するのか……)
「お願い、針妙丸。この子を……上海人形を、人間に……」
その先を聞いたら姿を消そう。
そして、もう二度と人前に現れることなく、ひっそりと暮らしていこう。
針妙丸はそう思った。
アリスの息が、声に変わろうとする、その瞬間――
「バッッッカジャネーノ」
――上海人形の、盛大なバカジャネーノが静寂を破った。
アリスはその先を言うことは、なかった。
「あ……」
アリスはじっと――、上海人形は、じっとアリスを見つめていた。
「あ、ああ……あああああッ!」
ゴン!
「ひえっ!?」
アリスは自分の頭を、思いっきりテーブルに打ち付けた。
「バカ! バカ! 私のバカ! 過程を経ずして何が結果だ!! そんなの怠慢だ! 傲慢だ! 裏切りだッ!!」
ゴン! ゴン! ゴン!
アリスは何度も何度も打ち付ける。
自分に罰を与えるように。
誰かに謝るように。
スープなどがこぼれることもお構いなしだ。
やがてアリスの目尻に涙が浮かび、額が真っ赤になった次の瞬間、すぅっと深く息を吸い、そして彼女は叫んだ。
「私の、バッッッカヤローーーーッ!!!」
はぁ、はぁ、はぁ。
針妙丸は呆気にとられて動くことも言葉を発することもできずにいた。
アリスの息遣いだけが、食卓に響いていた。
やがて、呼吸を取り戻したアリスは針妙丸に向かって、深く頭を下げた。
「……ごめんなさい」
アリスは、自らの行いを心底後悔するように言った。
「ごめんなさい。本当にごめんなさい……。私はあと少しで自分の夢を裏切るところだった。それどころか、友達と言ってくれたあなたのことも……」
テーブルクロスに広がるシミを見て、針妙丸は一つ勘違いをしていたことを悟った。
――この人は、アリスさんは強い者じゃあない。強くなった人なんだ。何度も何度も挫折をして、その度に弱い自分を見せつけられて、それでも立ち上がってきた、弱い者から、強い者になった人なんだ。
そのことが針妙丸にどれほどの勇気を与えたことだろう。
奇跡を願わなければ、弱者は弱者のまま。
長年、何世代にも渡って刻まれたその考えが、今、音を立てて崩れていったのだ。
「軽蔑したでしょう。話もしたくないでしょう。ごめんなさい……あなたは私を許してくれなくていいわ。けど、今夜だけは泊まっていってちょうだい。夜の幻想郷は、危険だから……」
そう言ってアリスは席を立った。
「お風呂とパジャマは、上海を通して用意しておくわ」
「あっ……」
それだけ言うと、アリスは一筋の涙を落とし、消えていった。
残された針妙丸は、今は力なき小槌をぎゅっと握っていた。
翌朝、針妙丸は用意されていた朝食を一人で取った。
食事が終わり、洗濯されて綺麗に畳まれていた自分の着物に着替えると、玄関へと向かった。
そして、扉を開けることができずにどうしたものかと思案していると、背後から手が伸びてきた。
アリスだった。
「あ、ありがとうございますー」
「最後くらい、見送らなきゃと思って……」
見ると、アリスの目の周りは真っ赤になっている。一晩中泣き明かしたのだろう。額の傷も痛々しかった。
「来てくれると思ってました」
にへ。
針妙丸はアリスを見上げた。
「……なんで笑っていられるの? 私はあなたを裏切ったのよ」
「そうですねー、確かに傷つきました。また利用されるのかなーって思うと、とっても悲しかったです」
「そうね……ごめんなさい」
アリスに昨日のような笑顔はない。
針妙丸は続ける。
「だから、一つ言うことを聞いてもらいます」
「……なにかしら?」
「私のことを持ち上げて、顔に近づけてください」
「な、なに? なにをするの?」
「いいから!」
「は、はい」
針妙丸がひと睨みすると、アリスはびくっと肩をすくませて言う通りにした。
「目を閉じてください」
「……」
なにをされるのだろうか。思いっきり引っ掻かれるのかもしれない。目玉を抉られるのかもしれない……それもいいだろう。それだけのことをしたのだ。
アリスは覚悟を決め、目を閉じた。
そして、やってきたのは引っ掻きでも抉りでもなく、一つの音であった。
からん、ころん。
針妙丸は小槌を振った。
「大きくなあれ、大きくなあれ」
からん、ころん。
「え? え?」
針妙丸は、まるで赤子をあやすかのように、優しく、優しく、振り続けた。
「あなたの心が今よりもっともっと大きくなって、いつの日かきっと夢が叶いますように、大きくなあれ、大きくなあれ」
からん、ころん。
「あ……」
「へへへ、今は魔力がないので、ただのおまじないですけど……」
からん、ころん。
からん、ころん。
そこがアリスの限界だった。張っていた気は針妙丸の笑顔にあっけなく崩され、そして滝のように涙があふれ出た。
「ありがとう……ごめんね……ありがとう……」
神社まで送るというアリスの申し出を断り、針妙丸は一人、幻想郷の空をそよそよと飛んでいた。
針妙丸は小さく、弱い。打ち出の小槌の魔力がない今、強い妖怪に襲われたらひとたまりもないだろう。
それでも、なんとかなる気がした。
きっとなんとかできると思ったのだ。
弱いことを笠に着て、好き勝手に不貞腐れるのは、もうおしまい。
――強くなってみせる。
針妙丸は、そう思った。
アリスと過ごして、そう信じることができるようになった。
昨日と同じはずの空の色。
だけど、昨日よりずっとずっと、明るい気がした。
そして、明日はもっと明るくなる。
なんとなくそんな気がした。
「……ぃよーし、がんばりますよー!!」
針妙丸は、拳を明日に高々と突き上げた。
おしまい
打ち出の小槌の魔力の影響で強大な力を手に入れた多々良小傘は歓喜に打ち震えていた。
霊夢が此度の異変を解決してからすでに数日が経っている。にも拘らず小傘は力を維持している。それには理由があった。
多々良小傘は傘の妖怪である。長年使われた傘が付喪神化して妖力を持ったのが妖怪・多々良小傘である。小傘自身、傘の妖怪である。それに加えて、傘時代の姿である傘自体も妖力を持ち、小傘と対となって活動している。いわば二倍妖怪だ。そして小傘は普通の妖怪より倍の可愛らしさがある。それで更に二倍。そこに回転をかけることで更に二倍! 合計八倍もの魔力が小傘に満ちているのだ。魔力が大きければ大きいほど回収にも時間がかかる。極めて自然なことだ。
そういうわけで、EX小傘はいまだに強い力を持ったままでいたのであった。
「ふっふっふ、見ていろ人間ども……。今に恐怖のどん底に叩き入れてくれる……グワーッハッハッハッハッハ!!」
進撃の巨傘の物語が、今始まろうとしていた。
そんなことには全く関係なく、舞台は博麗神社。
深緑が日の光を浴び、きらきらと輝いている。
じりじりとその熱波を一身に受け止める博麗神社の屋根は、その熱の遮断を早々に放棄しフライパンへと様変わりし、さらには内部にまでその熱は漏れ込んでいた。
当然、中にいる住人はたまったものではない。
「暑いわー、暑くて死ぬわー」
「しっかりしろ、この暑さで死んだらすぐ腐っちゃうぜ。向こうで死んでくれ」
「私への優しさがない」
「人の心配なんかしてられるか」
霊夢と魔理沙はいつものように縁側でお茶――などという自殺行為はさすがにしておらず、居間で畳と同化していた。
「ねぇ針妙丸ぅ、ちょっと打ち出の小槌を使ってチルノを呼び出してよ」
「なんでそんな回りくどい願い事なんだよ。単純に涼しくしてくれでいいだろ」
「それもそうね」
「というわけで」
「「どうぞ」」
「無茶言わないでくださいよー」
虫かごの中から呆れ声をあげたのは、少名針妙丸。一寸法師の末裔である。
先の異変で霊夢にボコボコにされた針妙丸は神社に居座っていた。
またいつ針妙丸が妙なことを唆されるかわからない。
そう思った霊夢は手元に置いておくことを是としたのである。しかし、その心の奥は誰にも知る由もないし、霊夢も語ろうとはしない。
針妙丸は鈴の転がるような声で言う。
「そんなくだらないことのために、やたらと小槌を使っちゃだめですー」
「その小槌を使って幻想郷をひっくり返そうとしたのは誰だっけ?」
「正邪です!」
「い、一点の曇りも無く責任転嫁したな……ここまでくると清々しいぜ」
「というか、今は魔力を回収している最中なので、どの道使えませんよ」
「あー、そうだったかー」
「残念だな」
気落ちした様子を見せる二人であったが、本気で小槌を使おうとしたわけではない。鬼の道具を使うことの危険性は、重々わかっているのだ。
「しかし、なんだな。こうも暇だと余計に暑さも感じるな」
そう言って魔理沙は畳にへばりつき、居間に静寂が訪れた。
「……ん?」
畳にへばりついた魔理沙の耳に、一つの足音が聞こえてきた。
同時に、その足音の主の声が遠くから投げかけられる。
「霊夢ー、いるー? ちょっと相談したいことがあるんだけどー」
声の主は、アリス・マーガトロイド。魔法の森に棲む魔法使いである。
勝手知ったるなんとやら。アリスはずんずんと勝手に母屋へと上がり込んできた。
「ちょっと霊夢いないのー? って、いるじゃない。いるなら返事くらいしなさいよ」
「暑くてこの場にいたくないくらいだったんだもん」
「ちょっと意味がわからない。それより聞いて。ここ最近、上海の様子がおかしいの。特に調整を施したわけでもないし、何やら得体の知れない魔力が付与しているみたいで不気味なのよね。心当たりないかしら?」
「ある。これ、犯人」
「どうもこんにちはー」
「あ、どうもご丁寧に…………はい?」
「だから、これが異変の原因で、犯人なんだってば」
「いへ……えええっ!?」
アリスは異変の詳細を霊夢から聞いた。
手持ちの人形がおかしいからちょっと相談をしにきたくらいの心持ちだったアリスにとっては寝耳に水どころか、寝耳に熱湯である。
もちろん異変の可能性を考慮しなかったわけではないが、もしそうであれば今後の立ち居振る舞い、行動を決めるためといった意味でもあった来訪だ。まさかすでにそれが解決していて、しかも犯人と仲良く居間で寝そべっているとは思わない。
しかも、このちまいのが犯人だと?
一瞬で色んなことが頭の中を巡ったアリスであったが、出てきた言葉はその場にいた誰もが予想だにしないものだった。
「ねぇあなた……私の家に来ない?」
アリスメイクライ
針妙丸はアリスの胸ポケットに大人しく収まっていた。
そのようなことをすれば身長差から、少しでも動けば相当な振動を感じるのは必至である。
しかし針妙丸は、程よい振動が気持ちいいのか、むしろうつらうつらと心地よさそうにしている。
アリスの歩幅は狭く、足音も大人しい。極めて女性らしく優しい足取りに、針妙丸はこれからのこと考えて、少しだけ心が弾んだのであった。
「さぁ、ここよ」
「むにゅ……わー」
「あなた、寝てたでしょ」
見上げると、針妙丸にとってはあまり馴染みのない洋館が視界に飛び込んできた。
魔法の森は湿度が高い。蔓は壁を伝いどんどん伸びていき、苔はもりもり繁殖していくような一帯である。およそ人が住むには適していない場所だ。それでもその洋館には蔓や苔も伸びておらず、新築とまではいかずとも、ある程度の白さを保っている。それどころか、家周りの草木もしっかりと剪定されている。アリスの器用さ、几帳面さがよく表れていた。
「洋館チックですねー」
「チックじゃなくて、洋館よ」
玄関を通った時、針妙丸は『他人の家に来た』ということを意識した。温度、匂い、明るさ、それら全てが違うものとなり別の空間となる。来訪を阻まれているようでもあり、歓迎されているようでもある。
針妙丸はここまで来た経緯を思い出していた。
弾丸ような顔合わせを終え、少し落ち着きを取り戻したアリスは、針妙丸に自分が言った言葉の意味を伝えた。
曰く、これまでずっと城住まいだったのなら交流や見聞を広めるためにも色んなところに行った方がいい。そして色んな人と関わった方がいい、ということだ。
言っていることは理解できるし、納得もできる。何より「外に飛び込んでいけるってのも、強さの一つだぜ」という魔理沙の言葉に、針妙丸は心を動かされた。
(よし! 今日はがんばろー)
何をがんばるかということまでは頭になく、なんとなく漠然と気合を入れた針妙丸であった。
「おじゃましますー」
「はい、いらっしゃい。好きにくつろいでちょうだいね。私は準備してくるから」
「はいー、ありがとうございますー」
ちょこん、とテーブルに乗せられると、アリスを見送ったところで針妙丸は気付いた。
はて、なんの準備だろうか。
そもそも見聞を広めるとかそんな曖昧な言葉に釣られて来てみたはいいが、具体的に何をするかという話は一切していない。
何をさせられるのだろうか。それとも、何かをされるであろうか?
その時はテンションが上がって気付かなかったが、そういえば霊夢と魔理沙も諦めたような顔をしてはいなかったか?
もしかしたら開拓地送りにされて日がなジャガイモを育てさせられるかもしれない。鉱山でドワーフと一緒に毎日鉱石を発掘させられるかもしれない!
そもそもテーブルの上に置かれてどうくつろげと言うのだ。これではくつろぎようがないし、何かあっても逃げ出せないではないか!
飛べばいいということが頭からすっぽりと抜け落ちた針妙丸に、言い知れぬ不安が胸に広がる。
「うあ……軽率だったかもしれない」
「何が?」
「へぇい!?」
思考に没頭していた針妙丸は背後から声をかけられ、今まで出したことのないような声をあげた。
「あぁいえこれはその、なんというかえぇと、お友達の家に呼ばれたことなんてなくて気分が高揚してしまってなんとなくウルトラソウッ、なんつってーへへへ」
お前は何を言っているんだ?
針妙丸は心の底から自分に対してそう思った。
「お友達……」
「へ、へぇ、お友達」
「お友達……そっか、フフッ」
アリスは胸元で手をきゅっと握り、頬を赤らめた。
なんだかよくわからないが、なんとかごまかせたらしい。
針妙丸はほっと息をついた。
そして安心したところで、アリスが手に持っているものに気がついた。
「あのー、それは?」
「へ? あ、あぁ、これ?」
何やらポーっとしていたアリスは我に帰り、持っていたそれをそっと針妙丸にあてがった。
「サイズは丁度良いと思うのだけど、どうかしら。ちょっと着てみてくれる?」
「あう? 開拓地は? 鉱山は?」
「んん? なんのことを言ってるの?」
「ただの私の勘違い?」
「よくわからないけれど、そうじゃないかしら」
「よかったですー!」
安堵した針妙丸はピーと泣き出した。
「あぁ、そういえば言ってなかったかしらね。ごめんなさい。あなたには私の作った服を試着してみて欲しいのよ」
「ううぅ、お安い御用ですぅ……」
針妙丸はいそいそと渡されたミニチュアメイド服に着替えた。
そして着替え終わったところで気付いた。
「はて、そういえばなんで着替えねばならなかったのです?」
「えっとね、私は人形遣いで、人形作りを生業としている魔女なのだけれど、その作った人形に着せる服も自分で作っているのよ」
「ほーほー」
「それでね、人形に着せたあと自分で動かしたりしてフィット感なんかを見てるんだけど、やっぱり実際に着た人の意見が聞ければそれに越したことはないし、修正もしやすいのよね。今回霊夢のとこに行ったのは別件だったけど、それは常日頃考えてたことだから、あなたを見てビビッと来たってわけ。んー、さすがにちょっと大きいわね」
「なるほどー」
話を聞けばなんのことはない。筋も通っており納得のできる話だ。小人族なんて滅多に見るものではないし(そもそも引きこもっていたし)、仮にはぐれ小人と遭ったとしても、そそくさと逃げ出すことだろう。
「だから、できれば感想なんかを言ってくれたら助かる……あぁもうだめ! 可愛すぎる!!」
「きゃあ!?」
アリスはあふれる想いを抑えることができず針妙丸に抱きついた。抱きついたというよりは抱え込んだという方が正しくはあるが。
「あぁんもう! 可愛い可愛いっ! ちっちゃくてー! ころころしててー! わちゃわちゃしててー! ぶかぶかでー!」
「あうあう、放してくださいー!」
針妙丸は二重の意味でピンチだった。
一つ目は、単純に体格差からくる肉体的なピンチだ。
アリスにとっては優しく接しているつもりでも、身体の小さい針妙丸にとっては握撃である。頬ずりもされるたびに首ががくんがくん揺れる。
二つ目は、性的な意味だ。
アリスのサファイアのように澄んだ瞳とシルクのようにキメの細かい肌が目の前にあり、こともあろうか頬ずりされている。真っ白な肌は化粧の色かと言うとさにあらず、地肌である。触れるたびにしっとりと吸い付くようなやわらかい肌からは、母性を思わせる甘く優しい、落ち着けるような香りが漂ってくる。さらには頬ずりをする度に揺れる髪がふわふわと当たり、それがまた女性特有の透明感のあるなんとも芳しい香りが鼻をくすぐるのだ。
針妙丸は、ピンチであった。
「やめて、やめ、や……あははははぁ、きゅう……」
「可愛い可愛いかわ……あら?」
針妙丸は、落ちた。
コトコトと何かを煮込む音が針妙丸の耳に届く。
「んぅー……」
続いて気付いたのは、何やらいい匂いがするということだ。
針妙丸が起きた気配を感じ取ったのか、奥からアリスがパタパタとやってきた。
「あ、起きた? ……ごめんなさいね。私ったら、つい舞い上がっちゃって、握り潰しちゃったかと思ったわ」
「あはは、平気ですー。お気になさらず」
しゅんと肩を落とすアリスに、針妙丸はできる限りの明るい声を出した。身体に異常はないし、落ちた理由としてもどちらかというとアリスが魅力的すぎて、どうにかなってしまう前に意識を手放したという方が割合としては大きかったのだ。が、それは針妙丸は言わないでおいた。
「本当にごめんなさいね。今、おゆはんを作っているから、もうちょっとそこで休んでいて」
「うぇっ、そこまでお世話になるわけには」
「私があなたと一緒に食べたいのっ。悪いけど、私のわがままに付き合って? ね?」
ぱちっとウィンクをしてキッチンに戻るアリスの背中を眺めながら針妙丸は思った。
「……反則級」
一体なんなのかあれは。少し強引な誘い方はこちらに気を遣わせないための配慮だろう。そんな大人な切り返しができる彼女から放たれるちょっと子どもっぽいお茶目なウィンク。同性でもときめく。針妙丸の心臓はいまだにバクバク鳴っていた。
(素敵な人だなぁ……)
それは、素直な感想であった。
(でも……)
そして、心の奥の奥に顔を出したわずかな黒い気持ちに、必死に蓋をしようとした。
「さ、召し上がれ。簡単なものだけれどね」
「わぁー」
針妙丸は目の前の光景に喉を鳴らした。
テーブルの上には、ズッキーニのマリネ、カボチャのポテトサラダ、ホウレン草の冷製ポタージュ、ナスと豚肉の冷たいトマトパスタが並んでいる。夏野菜をふんだんに使った色合いも美しい、なんとも美味しそうなメニューであった。
針妙丸が感動したのは、メニューはもちろんのこと、それを入れる器に関してである。
フォークにしてもスプーンにしても皿にしても、針妙丸が食べやすいよう、専用のものをしつらえていたのだ。無論、食材自体も食べやすい大きさとなっている。
「す、すごいですねぇ! これ全部ご自分で作ったんですか?」
「えぇ、まあ。手先は器用な方なのよ。金属加工はさすがに時間がなかったから、全部木製だけどね」
器用というレベルを超えている気がするが、それよりも聞き捨てならない言葉が耳に入った。
「時間がなかったって言い方をするってことは……もしかして私が来てからこの食器を作ったんですか!?」
「そうだけど?」
別段自慢げにするようでもないアリスの顔を見ると、これくらいの技術は彼女にとってスタンダードなものなのであろう。さらりとなんでもないように神業を披露するアリスに、針妙丸は舌を巻いた。
「さ、冷めないうちに食べましょっ」
「全部冷たいものですが」
「……そうだったわ」
うっかりさんなアリスに再度ときめきながら、針妙丸は手を合わせて礼儀正しく言った。
「いただきますー」
「はい、召し上がれ」
まずスープに手をつける。翠玉にミルクを混ぜたような優しい色合いのそれを口に含むと、ひやりと爽やかな清涼感が走る。清涼感のあとから顔を出したのはミルクの甘い味わいだ。なんとも落ち着く味わいの奥から、コンソメの微かな塩味がアクセントになっている。念入りに漉したのだろう、飲み込んだ時にホウレン草が引っかかることもない。一口、二口と飲んでもその新鮮さは損なわれず、飽きが来ない、シンプルだが絶品の一品であった。
正直、洋食は合わないかもしれないと危惧していたが、これは……。
「んまーい!」
「お口に合うか心配だったけれど、喜んでもらえたのなら嬉しいわ」
「ほんと、本当においしいですこれ!」
「フフ、ありがと」
その後も針妙丸はアリスの手料理に舌鼓を打った。
ふと、針妙丸が問いかける。
「ねぇアリスさん。そういえば私が着ている服って、どのお人形さん用なんです?」
「あ、気になるわよね、やっぱり」
「はいー、できればあとで見せてもらえれば……」
「あ、いいわよ。今呼ぶから」
「え、呼ぶ?」
「しゃんはーい、ちょっと来てー」
アリスが奥に向かってそう声をかけると、向こうから小さな可愛らしい返事が聞こえてきた。
「シャンハーイ」
「わぁ!?」
自分より大きい人形が飛んでくるものだから針妙丸は思わず声をあげてしまった。
「紹介するわ。この子は上海人形」
「あ、あ、少名針妙丸です。どうもご贔屓にー」
「ほら上海も挨拶して」
「バッッッカジャネーノ」
「oh……」
初見でバカ判定されたことにもびっくりだが、それよりも人形が喋ったことにびっくりした。
「こら、上海。ごめんなさいね。まだ魔力が残ってるみたいで、いつもとちょっと違うの」
「あ、ですよねー。こんな可愛らしいお人形さんからバカジャネーノなんてセリフ――」
「あぁいえ、バカジャネーノは口癖だからいつも通りなんだけど、魔力を得てからはバとカの間の小さいツが多いのよ。ちょっと見下した感じがあふれてるっていうか」
「そ、そうですか……」
あまり変わらないと思うが、原因が自分なので突っ込むことはできなかった。
「それにしても、綺麗ですねー。ここまで精巧なお人形さんが作れるものなんですね」
「まぁ、それがメインで魔女やってるしね」
「へぇー……すごいですね。これほど完成されたお人形さんは今まで見たことがありません」
「完成……か」
アリスは途端に表情を曇らせた。
「アリスさん?」
「うん、この子たちはある意味完成しているわ。魔力で操る必要はあるけれど、立派に役目をこなしてくれる。簡易的な思考パターンも入力しているから、ある程度の会話もすることができるわ」
「それは……」
もはや人形の域を超えているのではないだろうか。
「でも、私の研究の完成は、はるか先にある。完全自立人形。それが私の研究の命題よ。自らの意思で歩き、自らの意思で食べる。自らの意思で生きることを覚え、そして生の終わりを迎える。それが、私の目指すビジョン」
アリスの言っていることは夢物語どころの騒ぎではない。端から聞いても、それが現実的ではないことなんて一目瞭然だ。
しかし、アリスの目は真剣そのものだった。なんとしても実現してみせる。そんな意志がはっきりと瞳の奥に燃え上がっていた。
けれども、それは……。
「人間を、作るつもりですか?」
針妙丸の言葉に、アリスは一瞬きょとんとした。そして、すぐさまうなづいた。
「そう……そうね、言い換えるとそうなるのかもしれないわね。人形からのアプローチで人間を作る。そっか、私の目指しているものはそこなのかも……」
針妙丸は、アリスの狂気じみた目標を、笑うことなどしなかった。
それどころか、応援しようという気持ちすらある。綺麗で、優しくて、真っ直ぐでブレないアリスを、針妙丸は心から尊敬していた。
「完成……するといいですね」
しかし、微かな寂しさも感じていた。
はっきりした。
アリスは強い者だ。どんな困難にも立ち向かい、目の前の壁をぶち壊して自分の道を進んでいける、強き者だ。
自分とは、違う種族の生き物なんだ……と。
「ね、ねぇ……そういえば……」
アリスの声が、針妙丸にとって散々聞かされてきた、嫌な声色に変わる。
「そ、その打ち出の小槌って、なんでも願いを叶えるのよね?」
大きすぎる夢は、遠すぎる目標は、得てして叶わぬ願いとして骸になるものだ。そして、その骸はどんな強者の心をも蝕むものである。
針妙丸はそのことをよく知っていた。
「い、一回だけでいいの。いずれ魔力が回収されることもわかってる。それでも! 何かのヒントになるかもしれない! 遠すぎる未来を、あるかもわからない未来を、明日の現実にできるのかもしれないの!!」
針妙丸の心が、ズキンと痛んだ。
(またこれだ……。私たち小人族は、利用されるためだけに存在するのか……)
「お願い、針妙丸。この子を……上海人形を、人間に……」
その先を聞いたら姿を消そう。
そして、もう二度と人前に現れることなく、ひっそりと暮らしていこう。
針妙丸はそう思った。
アリスの息が、声に変わろうとする、その瞬間――
「バッッッカジャネーノ」
――上海人形の、盛大なバカジャネーノが静寂を破った。
アリスはその先を言うことは、なかった。
「あ……」
アリスはじっと――、上海人形は、じっとアリスを見つめていた。
「あ、ああ……あああああッ!」
ゴン!
「ひえっ!?」
アリスは自分の頭を、思いっきりテーブルに打ち付けた。
「バカ! バカ! 私のバカ! 過程を経ずして何が結果だ!! そんなの怠慢だ! 傲慢だ! 裏切りだッ!!」
ゴン! ゴン! ゴン!
アリスは何度も何度も打ち付ける。
自分に罰を与えるように。
誰かに謝るように。
スープなどがこぼれることもお構いなしだ。
やがてアリスの目尻に涙が浮かび、額が真っ赤になった次の瞬間、すぅっと深く息を吸い、そして彼女は叫んだ。
「私の、バッッッカヤローーーーッ!!!」
はぁ、はぁ、はぁ。
針妙丸は呆気にとられて動くことも言葉を発することもできずにいた。
アリスの息遣いだけが、食卓に響いていた。
やがて、呼吸を取り戻したアリスは針妙丸に向かって、深く頭を下げた。
「……ごめんなさい」
アリスは、自らの行いを心底後悔するように言った。
「ごめんなさい。本当にごめんなさい……。私はあと少しで自分の夢を裏切るところだった。それどころか、友達と言ってくれたあなたのことも……」
テーブルクロスに広がるシミを見て、針妙丸は一つ勘違いをしていたことを悟った。
――この人は、アリスさんは強い者じゃあない。強くなった人なんだ。何度も何度も挫折をして、その度に弱い自分を見せつけられて、それでも立ち上がってきた、弱い者から、強い者になった人なんだ。
そのことが針妙丸にどれほどの勇気を与えたことだろう。
奇跡を願わなければ、弱者は弱者のまま。
長年、何世代にも渡って刻まれたその考えが、今、音を立てて崩れていったのだ。
「軽蔑したでしょう。話もしたくないでしょう。ごめんなさい……あなたは私を許してくれなくていいわ。けど、今夜だけは泊まっていってちょうだい。夜の幻想郷は、危険だから……」
そう言ってアリスは席を立った。
「お風呂とパジャマは、上海を通して用意しておくわ」
「あっ……」
それだけ言うと、アリスは一筋の涙を落とし、消えていった。
残された針妙丸は、今は力なき小槌をぎゅっと握っていた。
翌朝、針妙丸は用意されていた朝食を一人で取った。
食事が終わり、洗濯されて綺麗に畳まれていた自分の着物に着替えると、玄関へと向かった。
そして、扉を開けることができずにどうしたものかと思案していると、背後から手が伸びてきた。
アリスだった。
「あ、ありがとうございますー」
「最後くらい、見送らなきゃと思って……」
見ると、アリスの目の周りは真っ赤になっている。一晩中泣き明かしたのだろう。額の傷も痛々しかった。
「来てくれると思ってました」
にへ。
針妙丸はアリスを見上げた。
「……なんで笑っていられるの? 私はあなたを裏切ったのよ」
「そうですねー、確かに傷つきました。また利用されるのかなーって思うと、とっても悲しかったです」
「そうね……ごめんなさい」
アリスに昨日のような笑顔はない。
針妙丸は続ける。
「だから、一つ言うことを聞いてもらいます」
「……なにかしら?」
「私のことを持ち上げて、顔に近づけてください」
「な、なに? なにをするの?」
「いいから!」
「は、はい」
針妙丸がひと睨みすると、アリスはびくっと肩をすくませて言う通りにした。
「目を閉じてください」
「……」
なにをされるのだろうか。思いっきり引っ掻かれるのかもしれない。目玉を抉られるのかもしれない……それもいいだろう。それだけのことをしたのだ。
アリスは覚悟を決め、目を閉じた。
そして、やってきたのは引っ掻きでも抉りでもなく、一つの音であった。
からん、ころん。
針妙丸は小槌を振った。
「大きくなあれ、大きくなあれ」
からん、ころん。
「え? え?」
針妙丸は、まるで赤子をあやすかのように、優しく、優しく、振り続けた。
「あなたの心が今よりもっともっと大きくなって、いつの日かきっと夢が叶いますように、大きくなあれ、大きくなあれ」
からん、ころん。
「あ……」
「へへへ、今は魔力がないので、ただのおまじないですけど……」
からん、ころん。
からん、ころん。
そこがアリスの限界だった。張っていた気は針妙丸の笑顔にあっけなく崩され、そして滝のように涙があふれ出た。
「ありがとう……ごめんね……ありがとう……」
神社まで送るというアリスの申し出を断り、針妙丸は一人、幻想郷の空をそよそよと飛んでいた。
針妙丸は小さく、弱い。打ち出の小槌の魔力がない今、強い妖怪に襲われたらひとたまりもないだろう。
それでも、なんとかなる気がした。
きっとなんとかできると思ったのだ。
弱いことを笠に着て、好き勝手に不貞腐れるのは、もうおしまい。
――強くなってみせる。
針妙丸は、そう思った。
アリスと過ごして、そう信じることができるようになった。
昨日と同じはずの空の色。
だけど、昨日よりずっとずっと、明るい気がした。
そして、明日はもっと明るくなる。
なんとなくそんな気がした。
「……ぃよーし、がんばりますよー!!」
針妙丸は、拳を明日に高々と突き上げた。
おしまい
針妙丸の性格もとてもよかった。
好きです
進撃の巨傘も楽しみに待ってますww
針妙丸は小さい→人形サイズ→アリス‼
見事な着想です。なんてオリジナル。コンパクトに針妙丸とアリスそれぞれの葛藤をまとめこんでいて、完成されています。
針妙丸も可愛かった!
新キャラからすぐにこういうストーリーが思いつくのはすごいです。
読んでいて、ほっこりしました。
ありがとうございました!
新しいキャラクターは二次創作においては性格が定まっていないので、こんな感じの針妙丸がスタンダードになってくれれば嬉しいです。
>西から上り東に沈む程度の能力さん
磯野ー! 針妙丸取りに行こうぜー!
みたいなノリですか? 付き合います。
>奇声を発する程度の能力さん
ありがとうございました!
>22
ありがとうございます。修正いたしました。
可愛いは=正義。
ならば、可愛い×可愛い=超筋肉正義!
>絶望を司る程度の能力さん
私めなどの評価にはもったいなき言葉でございます。
ありがとうございました!
>24
普段はクールで、時々お茶目で、芯は強くて、けれどもたまにブレちゃったりして、それでもきっとそれを乗り越えられるアリス。
そんな人間味あふれるアリスが大好きです。
>25
合計4時間の散歩で必死にネタ出しをしました!
散歩をすると前頭葉とかなんかそこらへんの脳が活性化してネタがぽんぽんいっぱい嬉しい!
そんな感じです!
ありがとうございます!
ハートフル大好き!
>28
のんきに鼻水垂らして生きてる平和人間なのでこんなもんしか書けませんが、気に入っていただけたのだら幸いです!
進撃の巨傘にこれ以上のストーリーはないのだろう。安定の出落ちである。
針妙丸の間延びしたしゃべり方可愛いよね。
何はともあれ相変わらずみたいで何よりです、そして進撃の巨傘www
一応、針妙丸が小傘を討とうとするSSの構想はあります。
立体飛行に移れ!(η*'∀')η
素直で良い子ですよね!
>34
可愛い二人がいたらそりゃくっつける。私だってそうする。
そんな感じ(*'-')
>36
ありがとうございます!
会話はキャラクターが動くままに書いているので、自然だと感じていただけたのなら一安心です。
アリスの思いといい純粋な針妙丸といい、キャラの良さやかわいさが十分に発揮されている素敵な作品でした。
新キャラは描写が難しいですけど積極的に登場して欲しいですね
大半が知らないキャラだった昔の頃の新鮮な感動を思い出せました。流石の筆力に感謝です。
ありがとうございます!
針ちゃんは純粋で騙されやすい、いい子でかわいそうな子なのです。
なので私が責任をもって育てます!
>図書屋he-sukeさん
針ちゃんは流行ってほしいです。
こんな感じがスタンダードになってくれれば嬉しいなと思います。
>46
未プレイにも拘らず読んでくださった貴方に乾杯&ダンシング!
ありがとうございました!
とても良かったです。
輝針城がプレイできないので意図的に避けてきましたけど、動画で見てある程度キャラについてわかってきたので頃合いかと思って読みました。
なんか二人のやりとりが凄く可愛い。針妙丸が一際可愛く見えました。
これからもこの二人の組み合わせを読んでみたいと思います。
では失礼いたしました。
心が温かくなる、とてもいいお話でした。
「へぇい!?」がなぜかツボりましたw
しかし早いですね、製品版が出てからすぐじゃないですか?
比較的短めの物語の中にストーリー性があって良かったです。