1
ひとえに雨といっても、雨には様々な呼び方呼ばれ方が存在する。
例えば夏の手前に降る長雨は、梅雨という。
これは黴のよく生える時期の雨だから、大陸の方で黴雨(ばいう)と言うのを、黴の雨では語感が悪いので梅に置き換えただとか、梅の実が熟す時期の雨ということで梅雨という字を充てるらしい。
ただの長雨と言わずにわざわざ梅の字を充てるというのは、なかなかに洒落ている。
しかし、それに対して今降っている雨、即ち秋雨の方はどうであろう?
梅雨よりも期間的には短いが、もう少し言い方というものがあったのではないのか?
梅雨には松竹梅の梅の字が充てられているのだから、何とかこじつけて松雨、竹雨、という名前でも良かったのではないのか、とつい考えてしまう。
松雨なら松雨、つまり待つ雨、秋の収穫を待つ雨ということで語感もいいだろうと思わざるを得ない。しかし松は常緑樹なのでこれといって秋とは関係がないのが難点だろうか。
しかし、秋雨を特になんのひねりもなく秋雨と呼ぶ理由もわからなくはない。
秋雨は梅雨に比べて、決定的に短いのだ。一週間と続かない。
二日三日の雨であるなら、人も妖怪も少し長い雨、程度の認識しかしないだろう。秋雨はそれがやってきていることに気付かれないままに終わってしまう。
だからこ洒落た名前は必要ないのだ。話題に上がらないのだからわざわざ呼び方にひねり等無くてもいいということである。
現に僕自身も秋雨なんて言葉を使うのは久しぶりだ。
ではなぜ久しぶりにそんな言葉を使ったのかというと、今年の秋雨は珍しく長いからである。今日で五日間連続雨模様である。ここに店を構えて幾年だがここまで長いのは初めてかもしれない。
こう雨ばかりであると、気になるのは洗濯物であるが、僕は少し早めにストーブを出し、その前に洗濯物をかけることで難なくしのいでいる。体が温まるだけでなく、洗濯物の乾燥にも使えるから優れものである。夏は暑くて使えないのが難点であるが。
ちょうど先ほど、ストーブによって渇いた衣装を畳んで奥の箪笥にしまったところである。
梅雨時同様、こう長雨だと客が来ることもあるまい。(来たとしても霊夢や魔理沙が精々である。彼女らならどうせ来てもお茶をすすってせんべいを齧るだけで帰ってしまうので、来てしまった時の為に数枚の乾いたタオルがあればいいだけである。)
そういうわけで朝から洗濯に勤しみ、今はこうしてやることもなく窓の外を眺め、今し方秋雨について思いを巡らせていたわけだ。
「さて、次は何をしようか」
独り言をつぶやき、カウンターに置いてあった某天狗の書いた新聞を手に取った時である。
からんからん
店のドアが開き、ぐっしょりと濡れた誰かが店に入ってきた。
帽子を被っていて顔は見えないが、魔理沙より背も高く、帽子は先端がとがった魔女帽ではなく麦わら帽子のような半球形であった。
一通り来客の姿恰好を見てしまった後、すぐに視線を来客から手に取った新聞向けた。とりあえず、店主としての定型文から会話を開始しておく。
「いらっしゃい」
「こんにちは。お初にお目にかかります。私永江衣玖と申します。」
「ああ、僕の名前は森近霖之助だ。言わずと知れた、この店の店主だ。」
「突然ですが、今日は探し物があって参りました」
「えっ~と、どんなものをお探しで?」
「どんなもの……、と言われると言いづらいのですがこう」
どうやら何かジェスチャーで物の形を示そうとしているらしい。ぴちゃぴちゃと水のはねる音がする。
しかし、僕の視線は新聞紙に向いているので分かるはずもない。相変わらずあることないことが面白おかしく書きつづられている。
「あの、店主さん?」
「なんだい?」
「私は仮にも客です。お話をちゃんと聞いてくださいませんか?」
僕があまりにも彼女の説明を見ないことにしびれを切らしたのか、ぽたぽたと水滴の垂れる音を伴って永江衣玖がカウンターに近づいてくる。見なくとも音で分かった。僕は決して見てはいない。
「すまない。でもこちらからもお願いしてもいいかな?」
「はい、なんでしょうか?」
「まずその恰好を何とかしてくれ。」
彼女はずぶ濡れで、衣服はぺたりと彼女の素肌に貼り付いていたのだ。
こうなっている時、(魔理沙は殆ど気にしないが)霊夢は少し見ただけで大抵怒る。それも結構な剣幕で。
それゆえの防衛本能、というよりは条件反射であった。特に僕に落ち度があるわけではないのに怒られるのは堪ったものでは無い。
「ひっ」
新聞で顔の半分を隠しつつ、目だけを上から出して彼女の顔を伺うと、予想通り顔は霊夢の普段着のように真っ赤である。
「余計なお世話かもしれないが、タオルでも使うかい?」
「……、お願いします。」
2
タオルでも使うかい、と僕は言ったが、大事をとって風呂を貸してやることにした。それほどまでに彼女はびしょ濡れであった(もちろん、背後から見た時の感想である)。女の子が体を冷やすのはあまりよろしくない。まあ見たところ彼女は妖怪なので、体が多少冷えようと人間のように風邪をひくことは無いのだろうが。
そしてびしょ濡れになっていた彼女のケープ(?)のついたシャツ、スカート、薄手のソックスと靴に帽子は今日の朝の僕の衣装と同様に、ストーブの周りに掛けて乾燥中である。霊夢の服の試作品を掛けておくのに使っていた針金ハンガーを模した僕のお手製の器具で吊り下げておいた。
女性ものの服、というよりスカートはズボンなどに比べてハンガーに引っかけづらく、仕方なく大型のものを自作した次第である。まさか本当に濡れたスカートを干す時などが来るとは思いもよらなかったが。
軽く絞っておいたし、渇くのにそこまで時間もかかるまい。なお、僕は乾かしてほしいものを受け取って乾かしているだけなので、渡されなかったものがどうなっているかは知る由もない。
バタン
奥で風呂場の戸を閉める音がした。
どうやら風呂から上がり、着替えも済んだらしい。
タオルを首からかけ、つっかけを履いて彼女は店の奥から現れた。彼女の靴はずぶ濡れなので、つっかけももちろん僕が貸したものだ。
「すいません、急に押しかけておいてお風呂までお借りしてしまって…」
「何、気にすることは無いさ」
事実、普段からもっと滅茶苦茶なのが二人ほどやってきているのでこんなことは慣れっこであった。
「それよりも、服の方はどうだ?」
「あ…、少し大きいですけど大丈夫です!」
少しばかり顔を赤らめながら彼女は答えた。
服を乾かしている間に、僕は寝巻用に何着か作っておいた青い作務衣を彼女に貸してやっていた。普段着を貸しても良かったのだが、あの服より寝巻の方が大きさを調整するのが楽だろうと思ったのだ。
「色々と整ったことだし、改めて話を聞こうじゃないか」
「それも、そうですね」
カウンターから、彼女に椅子を勧めた。流石に客に壺の上に座っておいてくれとは言えないので、彼女が風呂に入っている間に一脚用意しておいたのだ。
「で、何をお探しだったのかな?」
「大変申し訳ない話なのですが、私の天女の羽衣がこちらの店にありませんか?」
「天女の羽衣?」
「…、やっぱり実物を見たことが無いとわかりませんよね。見た目だけを説明させて頂くと―」
ごく薄い桃色をした細長い、帯のような形をした布に、緋色のフリルのついたものらしい。彼女は来店した時にもしていたであろうジェスチャーも交えて説明してくれたのだがあまり実を伴わない説明だったので、こちらで勝手にまとめるとこうなった。
言われてみればそのような物に覚えがないわけでは無い。
ついこの前、ちょうど長雨が降り始める前日に、魔理沙が今彼女が説明したとおりの物を僕の店に持ち込んできていた。
「うーん、似たような物ならうちに置いてあるかもしれないんだが」
「本当ですか!?是非見せていただいても」
「それより先に、なんで君はそれを探しているんだ?」
心当たりはあったがすぐに出してしまうとそれで終わってしまう。
今回の客は久々にちゃんと理由があってこの店に来ているので、理由を聞いてみることもまた一興であろう。
「え、ええ。まずはそこからですね。」
彼女は露骨に視線を逸らした。なぜこう毎回うちの客は探し物のわけを聞くと目をそらすのだろうか。
だとしたら心外である。まるで僕がやましいものを取り扱っているようではないか。
「お恥ずかしい話なのですが、笑わないでくださいますか?」
「人が困っているのにその成り行きを聞いて笑うほど外道じゃないさ」
「そうですか…、それでは。天女の羽衣を探していることからもうお察しかもしれませんが私は天女をやっている妖怪です。」
「では、君の探している羽衣とやらは君の物かい?」
「実は…そうです」
彼女は物憂げに答えた。
「あの…、あなたは羽衣婚活と言うのをご存じないでしょうか?」
「羽衣婚活?」
「…、そのご様子だとやはりご存じないですよね~」
心なしか彼女の表情の憂いというか何かそういうものが増した気がした。
「あ~、お恥ずかしいのですが、羽衣婚活と言うのは今天女の間で流行っている婚活の方法でして」
「羽衣婚活と言うからには、羽衣伝説になぞらえたモノなのかな?」
「はい。お察しが良くて助かります。羽衣婚活はもうそのまま、羽衣伝説の通りに事を運ぶ婚活のことでして」
羽衣伝説とは、天界から下界に降りてきた天女が水浴び云々をしている間にどこらかしこの男に羽衣を盗まれ、天界に帰れなくなった挙句その男と結婚し、子供をもうけた辺りで天女が羽衣を奪い返し天界に帰るといった風な話である。多少の違いはあるだろうが大体このような話のはずである。
「まず、天女が羽衣を人里付近でわざと落とすことからこの婚活は始まります。まあ落とした後はそれを拾った男性が気に入れば結婚、気に入らなければ羽衣を奪い返してしまうというだけなのですが」
「ずいぶんと勝手な仕組みだな」
「その通りです。情けないのですがそのせいで最近は人里では落ちている羽衣には触れないようにと注意喚起がある程でして…」
「ということは君自身もまさか羽衣婚活を」
「そんなわけありませんっ!」
店に来た時と同じかそれ以上に顔を真っ赤にして否定された。
よほど恥ずかしいのだろう。
「そんなおちゃらけたことをなんで私が!!」
「じゃあ、なんで君の羽衣は今下界にあるんだ?」
「うッ」
どうやら僕は的確に痛いところをついてしまったらしい。彼女は俯いてしまった。
思えば魔理沙が僕に持ってくる時点でなんらか不可抗力的なものが彼女に働いたのは確かであると踏んでいたが。
「……されたんです」
「何?」
「落とされたんですよう…私の羽衣…」
「はい?」
俯いたと思ったら今度は半泣きである。声も先ほどまでとは打って変わって震えてしまっている。
一体何があったというのだ。
「うう、ぜんぶあの人が悪いんです…。いつも通りからかってきたと思ったら「衣玖も婚活してみる?」だなんて言いだして。人の羽衣を奪って、要石に括り付けて下界に飛ばしたんですよ?」
「それは……災難だな」
「人が行き遅れてるからって…あれが無いと出勤できないのに。災難どころじゃありません」
「まあまあ、堪えて堪えて」
「それでこの前から毎日毎日心当たりのある場所を回って回って回って……しかも里は連日雨ですよ?傘なんて差してたら早く飛べるわけないからずぶ濡れですよずぶ濡れ」
「あ、ああ」
「それにずぶ濡れの私にタオルはおろかお風呂まで貸してくださったのはあなたくらいです。今まで何度ぞんざいに羽衣なんて知らないと言われたことか…」
およよ、と彼女は首からかけていたタオルを手に取り顔に当てた。
このままではお悩み相談室になりかねない。
「ま、まあ、事情は分かった。うちにある、それらしいものを持ってくるから少し待っていてくれ」
さっとカウンターから離れ、彼女の言う天女の羽衣を探しに店の奥に入る。逃げたわけでは無い。決して。
3
魔理沙から受け取ったそれを見て、僕は確か
「帯に短したすきに長しとは言うがこれはいかんせん帯にも長いな」
「なら切って使うのがいいと思うぜ」
というやり取りをして衣装の材料入れに畳んで突っ込んだはずである。
その時は何とも思わずただの布として扱っていたが、もし天女の羽衣と分かっていたらめでたく非売品の仲間入りを果たしていたであろう。
今から思えばあの時ただの布だと言っていたとはいえ魔理沙が気前よく僕に物を渡してきたことをもう少し訝しむべきだったのかもしれない。恐らく魔理沙はあれが天女の羽衣だと知っていて、ただ面白がって僕に渡してきたのだろう。性質が悪い。
探し物はすぐに見つかってしまった。
衣装を作る時の材料を入れた箱の中に、入れた時のままに。天女の羽衣とは言っても流石に勝手に飛んでいくようなことは無かったようだ。
改めて能力を使って触れてみる。
名称は天女の羽衣、用途は天を泳ぐ
どうやら探し物で間違いないようだ。折りたたんだまま彼女の待つカウンターへと持って行ってやる。
目元が少し赤かったが彼女はそれなりに持ち直していた。
「どうやら少しは落ち着いたようだね」
「私が落ち着かないとあなたも話しづらいでしょうし。ぐすん」
「…それはどうも」
訂正しよう。まだ結構無理をしているようだ。
「それで本題なんだが、これが君の探していた天女の羽衣で間違いないかい?」
「少し改めさせてもらってもいいですか?」
「どうぞ」
カウンターに置いたそれを彼女は手に取り、羽衣の端の方を確認した。
何を確かめていたのであろうか?
「私の羽衣で間違いないです。良かった~」
ホッとしたのか彼女は羽衣を胸に抱きしめ、表情は幾分か柔らかくなった。
「では、代金の相談なんだが」
「えぅ、やっぱりお金はとられるんですね」
喜びも束の間、と言ったところであろうか。彼女の表情はまたもや少し前のグスングスンと泣いていた状況に戻ってしまいそうなほどである。これではまるで僕が彼女を苛めているようである。
やれやれ
先程の取り乱し方と言い、中々報われないようなので助け船を出してやるのが人情というものであろう。しかし僕は半人なので情けも半分である。代金を全額僕が負担するようなことはしない。
「別に現金で払う必要は無いさ」
「??、えっと、それはどういう?」
「もし僕が元々正体を分かっていたら、それは値段を付けていないような代物だろう」
「――!、まさか…」
「いやいや、そこまで不安がらなくともまさかそれが理由で高値をふっかけたりはしないさ。ただ単に、代わりの物を持って来てくれればいい」
きょとんとする彼女に僕は支払方法の提案をした。
4
「この度はお世話になりました」
支払いの提案をして数刻と経たないうちに彼女の衣服が乾いた。
僕が渡した作務衣からもと着ていた服に着替えた彼女の背後には、絵本に出てくる天女のように、両腕から伸びた羽衣がふわりと浮いていた。
「君が客である限り、こんなことは当然だよ」
「そんな、まさか殿方のお家でお風呂を借りて、更に着物まで貸して頂いて」
「ただのサービスの一環さ。気にしないでいいよ」
「…あなたみたいに優しい方に行きあたるなら本当に婚活してみても良かったかもしれませんね」
「僕は空を泳ぐ魚から羽衣を奪って地上に縛り付けるような、野暮なマネはしない」
「それなら、羽衣婚活なんてするだけ無駄ですね」
彼女は少し顔を赤らめながら笑って、左手でシャツの裾を握った。
あまり強く握ってしまうと皺になってしまうが一度あのシャツを絞っている自分がとやかく言える立場ではないだろう。
「それで作務衣の方なんだが、ほんとに君が洗うのかい?」
「あ、はい。流石にそれくらいは私がやらせて頂きますよ。というより流石にこれをそのまま渡して洗濯して頂くのは私的にもNGです。」
「NG?まあ自分でやってもらえるならそれに越したことはない。霊夢や魔理沙も君のようだといいんだけどね。期待するだけ無駄かな」
「ええ、まあ、そうでしょうね」
彼女なりに思い当たる節があるらしく、苦笑いをしている。どうやら僕が見ていないところでもあの二人はやんちゃを働いているらしい。
「あ」
彼女は窓の外を見ていた
「小雨になりましたね。これ以上長居するのもなんなのでそろそろお暇させて頂きますね」
「止むまでいてもいいんだが?」
「いえいえ、これ以上は」
「そうかい。なら傘でも貸そうか?また濡れるのは嫌だろう?」
「フフ、貴方は本当に優しいんですね」
「さっきも言ったが僕は客には優しいつもりだ」
「客には…ですね。では、今回は客としてお言葉に甘えさせていただきます」
僕は気休め程度には丈夫そうな、骨が32本もある傘を渡してやった。
貸した傘を折らせてしまったらさらに彼女を気遣わせてしまうだろう。
「これを持っていくといい」
「ありがとうございます。これも、できるだけ早めにお返ししに参りますね」
「いつでも来ると良い。君みたいなのならいつでも歓迎だ」
「あ、あと君、じゃなくて衣玖、でお願いします」
「?、き、じゃなくて衣玖がそういうならそうしよう」
「ではでは、またお会いする日を心待ちにしておりますね」
「僕は天界に行けないから衣玖次第さ」
「フフ、そうですね。」
からんからん
ドアのベルの音とともに衣玖は外に出た。ばさり、と傘を開く音もした。
僕は読みかけだった新聞を手にカウンターに座り直した。
いつもの客より疲れたということは無かった。が、結局今手元に何かが残ったか、と聞かれるとNoである。しかし、彼女に僕が提案したのは後払いである。彼女を信用するとしたらこれはこれで成功であろう。
「お」
窓から西日が射しこんできた。どうやら長雨も終わったらしい。
傘を貸したのは取り越し苦労だった。
ひとえに雨といっても、雨には様々な呼び方呼ばれ方が存在する。
例えば夏の手前に降る長雨は、梅雨という。
これは黴のよく生える時期の雨だから、大陸の方で黴雨(ばいう)と言うのを、黴の雨では語感が悪いので梅に置き換えただとか、梅の実が熟す時期の雨ということで梅雨という字を充てるらしい。
ただの長雨と言わずにわざわざ梅の字を充てるというのは、なかなかに洒落ている。
しかし、それに対して今降っている雨、即ち秋雨の方はどうであろう?
梅雨よりも期間的には短いが、もう少し言い方というものがあったのではないのか?
梅雨には松竹梅の梅の字が充てられているのだから、何とかこじつけて松雨、竹雨、という名前でも良かったのではないのか、とつい考えてしまう。
松雨なら松雨、つまり待つ雨、秋の収穫を待つ雨ということで語感もいいだろうと思わざるを得ない。しかし松は常緑樹なのでこれといって秋とは関係がないのが難点だろうか。
しかし、秋雨を特になんのひねりもなく秋雨と呼ぶ理由もわからなくはない。
秋雨は梅雨に比べて、決定的に短いのだ。一週間と続かない。
二日三日の雨であるなら、人も妖怪も少し長い雨、程度の認識しかしないだろう。秋雨はそれがやってきていることに気付かれないままに終わってしまう。
だからこ洒落た名前は必要ないのだ。話題に上がらないのだからわざわざ呼び方にひねり等無くてもいいということである。
現に僕自身も秋雨なんて言葉を使うのは久しぶりだ。
ではなぜ久しぶりにそんな言葉を使ったのかというと、今年の秋雨は珍しく長いからである。今日で五日間連続雨模様である。ここに店を構えて幾年だがここまで長いのは初めてかもしれない。
こう雨ばかりであると、気になるのは洗濯物であるが、僕は少し早めにストーブを出し、その前に洗濯物をかけることで難なくしのいでいる。体が温まるだけでなく、洗濯物の乾燥にも使えるから優れものである。夏は暑くて使えないのが難点であるが。
ちょうど先ほど、ストーブによって渇いた衣装を畳んで奥の箪笥にしまったところである。
梅雨時同様、こう長雨だと客が来ることもあるまい。(来たとしても霊夢や魔理沙が精々である。彼女らならどうせ来てもお茶をすすってせんべいを齧るだけで帰ってしまうので、来てしまった時の為に数枚の乾いたタオルがあればいいだけである。)
そういうわけで朝から洗濯に勤しみ、今はこうしてやることもなく窓の外を眺め、今し方秋雨について思いを巡らせていたわけだ。
「さて、次は何をしようか」
独り言をつぶやき、カウンターに置いてあった某天狗の書いた新聞を手に取った時である。
からんからん
店のドアが開き、ぐっしょりと濡れた誰かが店に入ってきた。
帽子を被っていて顔は見えないが、魔理沙より背も高く、帽子は先端がとがった魔女帽ではなく麦わら帽子のような半球形であった。
一通り来客の姿恰好を見てしまった後、すぐに視線を来客から手に取った新聞向けた。とりあえず、店主としての定型文から会話を開始しておく。
「いらっしゃい」
「こんにちは。お初にお目にかかります。私永江衣玖と申します。」
「ああ、僕の名前は森近霖之助だ。言わずと知れた、この店の店主だ。」
「突然ですが、今日は探し物があって参りました」
「えっ~と、どんなものをお探しで?」
「どんなもの……、と言われると言いづらいのですがこう」
どうやら何かジェスチャーで物の形を示そうとしているらしい。ぴちゃぴちゃと水のはねる音がする。
しかし、僕の視線は新聞紙に向いているので分かるはずもない。相変わらずあることないことが面白おかしく書きつづられている。
「あの、店主さん?」
「なんだい?」
「私は仮にも客です。お話をちゃんと聞いてくださいませんか?」
僕があまりにも彼女の説明を見ないことにしびれを切らしたのか、ぽたぽたと水滴の垂れる音を伴って永江衣玖がカウンターに近づいてくる。見なくとも音で分かった。僕は決して見てはいない。
「すまない。でもこちらからもお願いしてもいいかな?」
「はい、なんでしょうか?」
「まずその恰好を何とかしてくれ。」
彼女はずぶ濡れで、衣服はぺたりと彼女の素肌に貼り付いていたのだ。
こうなっている時、(魔理沙は殆ど気にしないが)霊夢は少し見ただけで大抵怒る。それも結構な剣幕で。
それゆえの防衛本能、というよりは条件反射であった。特に僕に落ち度があるわけではないのに怒られるのは堪ったものでは無い。
「ひっ」
新聞で顔の半分を隠しつつ、目だけを上から出して彼女の顔を伺うと、予想通り顔は霊夢の普段着のように真っ赤である。
「余計なお世話かもしれないが、タオルでも使うかい?」
「……、お願いします。」
2
タオルでも使うかい、と僕は言ったが、大事をとって風呂を貸してやることにした。それほどまでに彼女はびしょ濡れであった(もちろん、背後から見た時の感想である)。女の子が体を冷やすのはあまりよろしくない。まあ見たところ彼女は妖怪なので、体が多少冷えようと人間のように風邪をひくことは無いのだろうが。
そしてびしょ濡れになっていた彼女のケープ(?)のついたシャツ、スカート、薄手のソックスと靴に帽子は今日の朝の僕の衣装と同様に、ストーブの周りに掛けて乾燥中である。霊夢の服の試作品を掛けておくのに使っていた針金ハンガーを模した僕のお手製の器具で吊り下げておいた。
女性ものの服、というよりスカートはズボンなどに比べてハンガーに引っかけづらく、仕方なく大型のものを自作した次第である。まさか本当に濡れたスカートを干す時などが来るとは思いもよらなかったが。
軽く絞っておいたし、渇くのにそこまで時間もかかるまい。なお、僕は乾かしてほしいものを受け取って乾かしているだけなので、渡されなかったものがどうなっているかは知る由もない。
バタン
奥で風呂場の戸を閉める音がした。
どうやら風呂から上がり、着替えも済んだらしい。
タオルを首からかけ、つっかけを履いて彼女は店の奥から現れた。彼女の靴はずぶ濡れなので、つっかけももちろん僕が貸したものだ。
「すいません、急に押しかけておいてお風呂までお借りしてしまって…」
「何、気にすることは無いさ」
事実、普段からもっと滅茶苦茶なのが二人ほどやってきているのでこんなことは慣れっこであった。
「それよりも、服の方はどうだ?」
「あ…、少し大きいですけど大丈夫です!」
少しばかり顔を赤らめながら彼女は答えた。
服を乾かしている間に、僕は寝巻用に何着か作っておいた青い作務衣を彼女に貸してやっていた。普段着を貸しても良かったのだが、あの服より寝巻の方が大きさを調整するのが楽だろうと思ったのだ。
「色々と整ったことだし、改めて話を聞こうじゃないか」
「それも、そうですね」
カウンターから、彼女に椅子を勧めた。流石に客に壺の上に座っておいてくれとは言えないので、彼女が風呂に入っている間に一脚用意しておいたのだ。
「で、何をお探しだったのかな?」
「大変申し訳ない話なのですが、私の天女の羽衣がこちらの店にありませんか?」
「天女の羽衣?」
「…、やっぱり実物を見たことが無いとわかりませんよね。見た目だけを説明させて頂くと―」
ごく薄い桃色をした細長い、帯のような形をした布に、緋色のフリルのついたものらしい。彼女は来店した時にもしていたであろうジェスチャーも交えて説明してくれたのだがあまり実を伴わない説明だったので、こちらで勝手にまとめるとこうなった。
言われてみればそのような物に覚えがないわけでは無い。
ついこの前、ちょうど長雨が降り始める前日に、魔理沙が今彼女が説明したとおりの物を僕の店に持ち込んできていた。
「うーん、似たような物ならうちに置いてあるかもしれないんだが」
「本当ですか!?是非見せていただいても」
「それより先に、なんで君はそれを探しているんだ?」
心当たりはあったがすぐに出してしまうとそれで終わってしまう。
今回の客は久々にちゃんと理由があってこの店に来ているので、理由を聞いてみることもまた一興であろう。
「え、ええ。まずはそこからですね。」
彼女は露骨に視線を逸らした。なぜこう毎回うちの客は探し物のわけを聞くと目をそらすのだろうか。
だとしたら心外である。まるで僕がやましいものを取り扱っているようではないか。
「お恥ずかしい話なのですが、笑わないでくださいますか?」
「人が困っているのにその成り行きを聞いて笑うほど外道じゃないさ」
「そうですか…、それでは。天女の羽衣を探していることからもうお察しかもしれませんが私は天女をやっている妖怪です。」
「では、君の探している羽衣とやらは君の物かい?」
「実は…そうです」
彼女は物憂げに答えた。
「あの…、あなたは羽衣婚活と言うのをご存じないでしょうか?」
「羽衣婚活?」
「…、そのご様子だとやはりご存じないですよね~」
心なしか彼女の表情の憂いというか何かそういうものが増した気がした。
「あ~、お恥ずかしいのですが、羽衣婚活と言うのは今天女の間で流行っている婚活の方法でして」
「羽衣婚活と言うからには、羽衣伝説になぞらえたモノなのかな?」
「はい。お察しが良くて助かります。羽衣婚活はもうそのまま、羽衣伝説の通りに事を運ぶ婚活のことでして」
羽衣伝説とは、天界から下界に降りてきた天女が水浴び云々をしている間にどこらかしこの男に羽衣を盗まれ、天界に帰れなくなった挙句その男と結婚し、子供をもうけた辺りで天女が羽衣を奪い返し天界に帰るといった風な話である。多少の違いはあるだろうが大体このような話のはずである。
「まず、天女が羽衣を人里付近でわざと落とすことからこの婚活は始まります。まあ落とした後はそれを拾った男性が気に入れば結婚、気に入らなければ羽衣を奪い返してしまうというだけなのですが」
「ずいぶんと勝手な仕組みだな」
「その通りです。情けないのですがそのせいで最近は人里では落ちている羽衣には触れないようにと注意喚起がある程でして…」
「ということは君自身もまさか羽衣婚活を」
「そんなわけありませんっ!」
店に来た時と同じかそれ以上に顔を真っ赤にして否定された。
よほど恥ずかしいのだろう。
「そんなおちゃらけたことをなんで私が!!」
「じゃあ、なんで君の羽衣は今下界にあるんだ?」
「うッ」
どうやら僕は的確に痛いところをついてしまったらしい。彼女は俯いてしまった。
思えば魔理沙が僕に持ってくる時点でなんらか不可抗力的なものが彼女に働いたのは確かであると踏んでいたが。
「……されたんです」
「何?」
「落とされたんですよう…私の羽衣…」
「はい?」
俯いたと思ったら今度は半泣きである。声も先ほどまでとは打って変わって震えてしまっている。
一体何があったというのだ。
「うう、ぜんぶあの人が悪いんです…。いつも通りからかってきたと思ったら「衣玖も婚活してみる?」だなんて言いだして。人の羽衣を奪って、要石に括り付けて下界に飛ばしたんですよ?」
「それは……災難だな」
「人が行き遅れてるからって…あれが無いと出勤できないのに。災難どころじゃありません」
「まあまあ、堪えて堪えて」
「それでこの前から毎日毎日心当たりのある場所を回って回って回って……しかも里は連日雨ですよ?傘なんて差してたら早く飛べるわけないからずぶ濡れですよずぶ濡れ」
「あ、ああ」
「それにずぶ濡れの私にタオルはおろかお風呂まで貸してくださったのはあなたくらいです。今まで何度ぞんざいに羽衣なんて知らないと言われたことか…」
およよ、と彼女は首からかけていたタオルを手に取り顔に当てた。
このままではお悩み相談室になりかねない。
「ま、まあ、事情は分かった。うちにある、それらしいものを持ってくるから少し待っていてくれ」
さっとカウンターから離れ、彼女の言う天女の羽衣を探しに店の奥に入る。逃げたわけでは無い。決して。
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魔理沙から受け取ったそれを見て、僕は確か
「帯に短したすきに長しとは言うがこれはいかんせん帯にも長いな」
「なら切って使うのがいいと思うぜ」
というやり取りをして衣装の材料入れに畳んで突っ込んだはずである。
その時は何とも思わずただの布として扱っていたが、もし天女の羽衣と分かっていたらめでたく非売品の仲間入りを果たしていたであろう。
今から思えばあの時ただの布だと言っていたとはいえ魔理沙が気前よく僕に物を渡してきたことをもう少し訝しむべきだったのかもしれない。恐らく魔理沙はあれが天女の羽衣だと知っていて、ただ面白がって僕に渡してきたのだろう。性質が悪い。
探し物はすぐに見つかってしまった。
衣装を作る時の材料を入れた箱の中に、入れた時のままに。天女の羽衣とは言っても流石に勝手に飛んでいくようなことは無かったようだ。
改めて能力を使って触れてみる。
名称は天女の羽衣、用途は天を泳ぐ
どうやら探し物で間違いないようだ。折りたたんだまま彼女の待つカウンターへと持って行ってやる。
目元が少し赤かったが彼女はそれなりに持ち直していた。
「どうやら少しは落ち着いたようだね」
「私が落ち着かないとあなたも話しづらいでしょうし。ぐすん」
「…それはどうも」
訂正しよう。まだ結構無理をしているようだ。
「それで本題なんだが、これが君の探していた天女の羽衣で間違いないかい?」
「少し改めさせてもらってもいいですか?」
「どうぞ」
カウンターに置いたそれを彼女は手に取り、羽衣の端の方を確認した。
何を確かめていたのであろうか?
「私の羽衣で間違いないです。良かった~」
ホッとしたのか彼女は羽衣を胸に抱きしめ、表情は幾分か柔らかくなった。
「では、代金の相談なんだが」
「えぅ、やっぱりお金はとられるんですね」
喜びも束の間、と言ったところであろうか。彼女の表情はまたもや少し前のグスングスンと泣いていた状況に戻ってしまいそうなほどである。これではまるで僕が彼女を苛めているようである。
やれやれ
先程の取り乱し方と言い、中々報われないようなので助け船を出してやるのが人情というものであろう。しかし僕は半人なので情けも半分である。代金を全額僕が負担するようなことはしない。
「別に現金で払う必要は無いさ」
「??、えっと、それはどういう?」
「もし僕が元々正体を分かっていたら、それは値段を付けていないような代物だろう」
「――!、まさか…」
「いやいや、そこまで不安がらなくともまさかそれが理由で高値をふっかけたりはしないさ。ただ単に、代わりの物を持って来てくれればいい」
きょとんとする彼女に僕は支払方法の提案をした。
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「この度はお世話になりました」
支払いの提案をして数刻と経たないうちに彼女の衣服が乾いた。
僕が渡した作務衣からもと着ていた服に着替えた彼女の背後には、絵本に出てくる天女のように、両腕から伸びた羽衣がふわりと浮いていた。
「君が客である限り、こんなことは当然だよ」
「そんな、まさか殿方のお家でお風呂を借りて、更に着物まで貸して頂いて」
「ただのサービスの一環さ。気にしないでいいよ」
「…あなたみたいに優しい方に行きあたるなら本当に婚活してみても良かったかもしれませんね」
「僕は空を泳ぐ魚から羽衣を奪って地上に縛り付けるような、野暮なマネはしない」
「それなら、羽衣婚活なんてするだけ無駄ですね」
彼女は少し顔を赤らめながら笑って、左手でシャツの裾を握った。
あまり強く握ってしまうと皺になってしまうが一度あのシャツを絞っている自分がとやかく言える立場ではないだろう。
「それで作務衣の方なんだが、ほんとに君が洗うのかい?」
「あ、はい。流石にそれくらいは私がやらせて頂きますよ。というより流石にこれをそのまま渡して洗濯して頂くのは私的にもNGです。」
「NG?まあ自分でやってもらえるならそれに越したことはない。霊夢や魔理沙も君のようだといいんだけどね。期待するだけ無駄かな」
「ええ、まあ、そうでしょうね」
彼女なりに思い当たる節があるらしく、苦笑いをしている。どうやら僕が見ていないところでもあの二人はやんちゃを働いているらしい。
「あ」
彼女は窓の外を見ていた
「小雨になりましたね。これ以上長居するのもなんなのでそろそろお暇させて頂きますね」
「止むまでいてもいいんだが?」
「いえいえ、これ以上は」
「そうかい。なら傘でも貸そうか?また濡れるのは嫌だろう?」
「フフ、貴方は本当に優しいんですね」
「さっきも言ったが僕は客には優しいつもりだ」
「客には…ですね。では、今回は客としてお言葉に甘えさせていただきます」
僕は気休め程度には丈夫そうな、骨が32本もある傘を渡してやった。
貸した傘を折らせてしまったらさらに彼女を気遣わせてしまうだろう。
「これを持っていくといい」
「ありがとうございます。これも、できるだけ早めにお返ししに参りますね」
「いつでも来ると良い。君みたいなのならいつでも歓迎だ」
「あ、あと君、じゃなくて衣玖、でお願いします」
「?、き、じゃなくて衣玖がそういうならそうしよう」
「ではでは、またお会いする日を心待ちにしておりますね」
「僕は天界に行けないから衣玖次第さ」
「フフ、そうですね。」
からんからん
ドアのベルの音とともに衣玖は外に出た。ばさり、と傘を開く音もした。
僕は読みかけだった新聞を手にカウンターに座り直した。
いつもの客より疲れたということは無かった。が、結局今手元に何かが残ったか、と聞かれるとNoである。しかし、彼女に僕が提案したのは後払いである。彼女を信用するとしたらこれはこれで成功であろう。
「お」
窓から西日が射しこんできた。どうやら長雨も終わったらしい。
傘を貸したのは取り越し苦労だった。
あとはタグに霊夢も入れてあげたい…w
書き出しが丁寧で引き込まれました。お見事。
よくできているなぁと思ったので、気になった点を少し辛めに。
導入の秋雨の話は羽衣とどのような関係があるのでしょう?
秋雨が止まなかったのは衣玖さんが羽衣を探していたからですか?
こーりんに新聞を読ませたのにその内容に触れなかったのは、わざとですか?
(例えば、羽衣婚活の記事が書いてあって、こーりんがこりゃやべぇって誤解したりとか、やりようがあったかと)
霊夢は桃を食べれたのに、魔理沙に食べさせなかった作者の意図は?
イマイチ話がオチていない感じがするのは、私の読解力不足でしょうか……?
題名が「天子の帽子についてるあれ」とかならばわかるのですが、うーむという感じ。
文章力に一目で分かるほどの実力があるのですから。
「会話だけ」といいわけをせずきちんと推敲したら、今作はもの凄く面白い話になったハズだと感じました。
次回を楽しみにしております。どうぞ執筆がんばってください。
この2人の絡みが好きなもので楽しく読めました。欲を言えばタイトルに少しひねりが欲しかったです。
とにかく可愛らしくて仕方がありません!
とても面白かったです。
この様子だと衣玖の好意にも気づいていないでしょうな……w