夜の人里。
里の人間にはまだ就寝していない者がおり、人影と行燈の明かりがいくつか見える。
茨華仙こと私は、その通りを歩いている。ちょっとした気分転換だ。
「夏の夜ともなると、涼しげでいいわね」
そんな事を呟いてみる。
今の季節は夏、妖怪の活動時間が比較的短い時期であり、同時に人間達は暑さによりあらゆるやる気を削がれる季節でもある。
無論、毛皮のある動物たちにも過ごしにくい季節だが、私が飼っている者達は快適であるよう配慮している。が、家の納涼作業がまだ済んでいない。
もうそろそろ取り掛からないと今年は暑くなるだろうな――と、そんなことを考えていた矢先。
私の目に、異様な光景が飛び込んできた。
ガチャッ、ガチャッ。
皿や茶碗が、宙に浮いていたのだ。しかもただ浮いていただけではない。列を成し、まるで徘徊するように動き回っていた。
私は咄嗟に自分の身を隠し、その様子を観察した。一方、周囲の人間たちは慌てふためき、屋内に入っていく。
よく見てみると、それらは黒い靄のようなものをまとっているように見える。
数分程皿たちは意志を持つかのように空を漂った後、どこかへ姿を消してしまった。
「あれは一体……」
「――でな、それが面白い話で」
「ふーん。で、私が今日の夜にでも出張れ、と。なんか胡散臭いわねぇ」
「そう言うなって」
博麗神社には、いつもどおりと言えばいつもどおりに、博麗霊夢と霧雨魔理沙がいた。…ところで、私が神社を訪れると大抵魔理沙が居るが、いつ自分の家に帰っているのだろう。まさか本当にずっといるわけではあるまいが…。まあ、よほど暇で、他にふらりと気軽に行ける当てがないのだろう。
それはともかく、なにやら談笑しているようだ。この暑い中、元気なことだと感心してしまう。
「何の話をしているのかしら?」
「お、仙人。久しぶりだな」
「ちょっと動物たちのトリミングに忙しくてね」
「何の話をしてたかっていえば、百鬼夜行の話よ。昨日の夜、里で出没したそうなの」
「百鬼夜行?」
百鬼夜行と言えば、鬼やその他諸々の妖怪たちが列を成してそこらじゅうを徘徊する物のことか?
私は昨日の人間の里に鬼やら何やらの妖怪の列があったかどうか、想起してみる。
…………。
駄目だ。皿たちの狂気の乱舞しか頭に残っていない。私の記憶力も地に落ちたものだとしみじみ感じた。或いはまた魔理沙の勘違いなのかもしれないが。
「…昨日の里にそんなの現れたかしら?」
「里の人間たちが嘘を吐いてるとは思えん。人間たちの話では、普通に歩いていたらいきなり現れたらしくてな」
「そんなことありえない筈なんだけどね。紫がちゃんと調整してるはずなんだから。そういうのが出ないように」
「おいおい、人間たちの言ってることを疑うのか?」
「人間たちの目を疑うわ。もしくはあんたの耳」
「私はまだ若々しい健康体だぜ」
「私は、昨夜里に居たわ。でも、百鬼夜行なんて見なかったわ」
皿の演舞なら見たが。
「ほら、見なさい!やっぱり何かと見間違えたんじゃないの?」
「うーん、そんなはずはないんだが……。」
「では私がその鬼の列を今夜にでも観察してきましょう」
「…お前、今何て言った?」
「観察してきましょう」
「違う、もっと前だ」
「今夜にでも」
「もっと前だよ!」
「鬼の列」
「それだよ! なんだ、鬼の列って」
魔理沙は不思議そうな顔をしている。私の方が不思議だ。
「だから、百鬼夜行でしょう? 里に現れたのでは?」
「そうか、判ったぞ。お前、勘違いしてるな」
「え? どういうこと?」
さっぱりわけが分からなかった。私が何を勘違いしているというのだろうか。
「今言ってる百鬼夜行ってのは、割れた茶碗や土鍋、皿が群れを成して夜に徘徊する妖怪のことだよ。付喪神の一種だな」
「え? そうなの?」
「そうよ。魔理沙の言うとおり。って、あんたは何のことだと思ってたの?」
「いやまあ、鬼やその他の妖怪が列を成して練り歩くものだとばかり」
「ああ、成程。よく勘違いするやつがいるけど」霊夢は窘めるように言う。「確かに百鬼夜行という『もの』は、鬼や妖怪の群れのことよ。でもね、百鬼夜行を『妖怪』として呼んだとき、その意味合いは変わってくるのよ。それが、昨日里に現れたっていう百鬼夜行」
霊夢の説明で合点がいった。
成程、だから鬼の列など見えなかったわけだ。というか、私の近くに鬼が現れて、私が気付かない筈がない。と、いうことは――。
「見たわ、その百鬼夜行なら」
「ほらな、だから言っただろ、霊夢?」
「はあ……しょうがないわね。分かったわよ、準備するわよ。」
そう言って霊夢は自らの住居のある方向へ向かう。何をするつもりだろうか、と思っているうちに霊夢は戻ってきた。なにやら大量のお札を持っている。
「霊夢、それは…?」
「何って、決まってるじゃない」霊夢は面倒くさそうに言う。「百鬼夜行を撃退するためのお札よ」
そう言うと、霊夢はそのお札を服に仕込み始めた。
「退治するの?」
「もちろん。今回はあんまり乗り気じゃないんだけど、魔理沙がうるさいから」
「当たり前じゃないか。ここのところのお前は暇すぎて、このままじゃナマケモノかコアラにでもなっちまうところだったぞ。だから私がわざわざ仕事を紹介してやったんじゃないか」
「コアラって何よ」
「気にすんな」
霊夢が、大好きな妖怪退治に乗り気ではない…? そもそも好み云々を除いても、妖怪退治は博麗の巫女の本分であり、主な仕事、もとい収入源である。何かあるに違いない。
「霊夢」
「ん?」
「なぜ今回は乗り気じゃないの?」
「え? 当たり前じゃない。私は目の前に現れた妖怪か、行く手を阻む妖怪しか退治しないわ」
山童たちが不憫すぎる…。まああれは、主に私の所為なのだが。
「大体、百鬼夜行は夜にしか現れない妖怪。私はあんまり夜の妖魔調伏は好かないのよ。今の時期はマシだけど、暗いし。あ、私は鳥目ではないわよ」
「成程…」
大体の妖怪は夜に活発になると思うのだが、今は触れないでおこう。
「それに、的が小さくて無作為に徘徊する妖怪な上に、付喪神だから数が不安定なの。いざ遭遇して時に皿が一枚だけとかだったら、気が滅入るじゃない」
「だが、だからこそ、増えたら困るじゃないか」魔理沙が説得に掛かる。「いいか? 百鬼夜行ってのは、その昔は見ただけで死に至るって言われてたんだぞ。もし今でもその力が健在なら、数が増えた時大変だ」
しかし霊夢はまだ露骨に嫌だという顔をしている。
「でも、最近の百鬼夜行は妖力がかなり落ちたのよ。ただの器物だ、ってね。だから人間が自分から手を出さなきゃ、そんなに危険じゃない――」
「ああ、もう! せっかく仕事を持ってきてやったのになんだよ! 別に私が自分で退治するのが面倒だったからお前に回したわけじゃないんだぞ!」
面倒だったのか。
結構素直な魔理沙であった。
霊夢は肩をすくめる。霊夢にも魔理沙の本意が判って呆れているのだろう。
「そういえば」魔理沙がその目をこちらへ向けて言う。「お前、百鬼夜行の挙動を一部始終見てたのか?」
「ええ。気付かれないように、息を潜めながら見ていたわ」私は慎重に言う。
「ってことは徹夜だな。ご苦労さん」
「え?」
「え? じゃねえよ」魔理沙は呆れたように言う。「お前は百鬼夜行が消え去るまで、その様子を見ていた。違うか?」
「ええ、そうよ」
「百鬼夜行が消えるのは、朝日を浴びた時なんだよ。まあ、消えるというか、もっと適切に言うなら、「一回休み」かな。で、また次の日の夜に復活して徘徊して休んで…の繰り返しだ」
「え、でも、私が昨日見た奴らは数分彷徨っただけで消えてしまったわよ」
「何だと? …最近の百鬼夜行も変わってるってことか」
魔理沙の頭には疑問符が浮かんでいた。
魔理沙が嘘を吐くのは日常茶飯事だが、この場面でそれをするとは思えない。こう見えても、彼女は一応妖怪退治の専門家なのだ。殊妖怪退治の事とあらば、しっかり任務を果たす筈である。
ということは……昨日見た物は妖怪百鬼夜行ではなかった…? 他に皿の怪異など、皿数えくらいしか聞いたことがない…。まあ、さっきまで百鬼夜行すら知らなかったが。
これは、確かめる必要がありそうだ。
その夜。
結局、霊夢は観念して百鬼夜行退治に乗り出した。ぶつくさと文句を言っていたが、「妖怪退治をする」ということだけを気にしたら、やる気が出てきたそうだ。そして魔理沙も「面白い物が見れそうだから」という理由で付いてきている。私ももちろん、事の真相を知るべく、この二人と同行している。
里の様子はと言えば、昨日の活気が嘘のように静まり返っている。人っ子どころかネズミ一匹見当たらない。魔理沙によると、昼間にもあまり人が外出していなかったらしい。まあ、それは当たり前だろう。
元々、人間が抱く妖怪に対する恐怖とは、正体不明に対する恐怖である。よくわからない物、実体の掴めない物、見えない物。そういった物に、人間は畏怖の念を抱く。鵺などの「正体不明」を具現化したようなものや、魍魎や鬼などの「よくわからない力」を振りかざすもの達が強大な妖怪になるのは、当然の摂理なのだ。
昨晩の百鬼夜行にしたって、それに当てはまる一面がある。突如として皿や鍋が宙に浮き、自由に動き出したとあれば、恐怖以外の何物でもないに違いない。非力な人間にとっては、程度の違いはあれど、万物、あらゆるものが恐ろしい。だから実に多種多様な妖怪や怪異が存在し、その強さや規模もまちまちなのだ。
「おい、仙人」魔理沙が声を掛けてくる。「百鬼夜行は昨日、どのあたりに現れたんだ? 場所が判んないと、霊夢の言うとおり、探しようがないぜ」
「えっと、悪いんだけど」私は躊躇いながらそう切り出す。「どこから現れたのかは、よく判らないわ。私はただ歩いていただけだから」
「だったら、お前は何を見ていたんだ?」
「私は、百鬼夜行が消えた所なら判ります」
「ふむ…。なら、そこはどこだ?」
「…酒場の前よ」
そう、昨日は少し狼狽してあまり気にしていなかったが、魔理沙が思い出すよう促してくれたので、重要なことだと気づけた。
酒場の前で、消えた。通常なら朝日によって消えるはずの百鬼夜行が。ならば、酒場が何か関係している可能性が高い、と考えるのが自然である。もちろん、何の関係も無いかもしれないが、手探り状態の今は、どんな手掛かりでも尊重するべきだった。
「ねえ、待ち伏せ場所が決まったなら、行きましょ。いつまでもこんなところに居たって仕方ないわ」
霊夢の言うとおりである。今は、里の入口に居るのだった。
というわけで、私たちは酒場の前までやって来た。
一応、酒場の店主に話を伺ってみると、酒がいくつか無くなっていることを明かしてくれた。今朝気付いた、ということだったので、店主が昨晩は早寝をしていたことも相まって、百鬼夜行が関連している可能性がぐぐっと高まった筈である。
「まだ現れないの? そろそろ眠くなってきたんだけど」
ちなみに現在の時刻、丑の二つ。もうすぐ魑魅魍魎や悪鬼妖魔が跋扈する時間帯、丑三つ時である。
「持ちこたえろよ」魔理沙は目をこすりながら言う。「今回の件でお前が活躍すれば、参拝客が増えて、結果、賽銭箱も空じゃなくなるかもしれないだろ? そうなれば、あんなひもじい生活はしなくて済むんだぞ」
「そう…そうね…。よし! 頑張りましょう!」
どうやら霊夢は再び気合いを取り戻したようだ。
私が思うには、正直、そんなに上手く事が運んだら世話はない。どんなに霊夢が活躍しようが、博麗神社に近づきがたいのはあまり変わらないような気がする。幽霊や神霊、それに加えて結構強大な妖怪がはびこっている神社に行こうとする変わり者は、今の里にはいないだろう。加えて、地理的要因までもがそれを促進する。博麗神社は里から離れすぎているのだ。最近ではひどい物で、山には守矢神社が、里の近くには命蓮寺が出来てしまったために、博麗神社に来るような物好きな人間はますます居なくなっている。霊夢はそのことを少ししか気にしていないようだが……大丈夫だろうか。
私が神社の行く末を憂いているとは露知らず、霊夢はうとうとしている。…本当に心配だ。
と、その時、大きな音がした。
ガチャッ、ガチャッ。
「どうやら、お出ましのようだぜ」
「来たわね…」
二人は音がした方へ顔を向ける。私も、同じ方を見る。
皿やら鍋やらの大群が見える。間違いない、昨日見たものと全く相違なかった。並び順や個体の種類までそっくりそのままである。黒い靄も、しっかりまとっている。……黒い靄?
気付いた時には、すでに行動していた。私は、出来る限りの全速力で身を隠した。
私の推測が正しければ――。
「ほっ!」
霊夢が札を何枚か射出する。その全てが、百鬼夜行、否、その皿達に直撃する。
「痛い痛い! もう、何するんだ!」
「おい霊夢…、百鬼夜行って喋ったか?」
「私の知る限りではそんな百鬼夜行は居ないわ、もちろん」
考えてみれば、気付かない方がおかしかった。酒場前で消える百鬼夜行、酒の窃盗、黒い靄…どれ一つ取っても、あいつの特徴に他ならない。
そもそも、そこらの妖怪に私を圧倒するような妖力が有る筈がない。
文字通り、鬼気迫る妖力。
間違いなく、そいつは――。
「その声、萃香でしょ! 姿を元に戻しなさい!」
「いたた……わかったよもう…」
黒い靄がどんどん濃くなっていき、ある姿を形作る。同時に靄にまとわれていた皿や鍋が重力に従って地面に落ちる。
現れた姿は、小さな鬼、伊吹萃香だった。私は、完全に自分の気配を消した。
「で、どうして百鬼夜行の真似事なんかしてたの?」
「えっとね」萃香は不機嫌そうに言う。「私ってほら、『小さな百鬼夜行』って呼ばれてるじゃない? だからだよ」
「あんたの『百鬼夜行』は妖怪の百鬼夜行じゃなくて、鬼がわんさか、でしょうが」
「まあそうなんだけど。それはシャレってやつよ」
萃香はいつも遊びが過ぎる。鬼にとっての遊びなんて、人間や他の妖怪にとっては災害でしかない。しかも遊びが過ぎる萃香の遊びの場合、地震雷火事山嵐なんて災害が逃げ出すほどのものになりかねない。ここで食い止められたのは幸運と言えるだろう。
「それだけでこんな面倒なことやったの?」
「いやあ、それはついでよ」萃香は何故か誇らしげだ。「実は最近この瓢箪の酒にも飽きてきちゃってね…。やっぱり同じ酒虫のだと変わり映えのない味だから。そこで、目を付けたのがこの酒屋さ。人間もなかなか美味しい酒を造るなあって感心したよ」
「だったら盗みに来るんじゃなくて、普通に呑みに来ればいいじゃない。この酒屋は、妖怪もオーケーなんだから」
なんと、そうだったのか。
それじゃあなんで萃香はわざわざ盗みを働いたのだろう。
「はあ…霊夢、それ本気?」萃香は大きな溜め息を吐く。「私だって最初は普通に呑みに来ようとしたわよ。妖怪オーケーの酒場なんて聞いて、珍しいとも思ったもの。でもいざ私が酒場に入ると、みんな逃げていっちゃった。自分で言うのも何だけど、鬼のオーラは人間には強烈みたいで。私はわいわい呑みたいのよ? だから仕方なく、お酒だけ貰っていったのよ」
「むむむ…」
黙り込む霊夢。それもそうだ、萃香にあまり非がない。霊夢は素直だ、非の無い者を責め立てることなど出来ない。殆どの妖怪を、「妖怪だから」という非で退治するが…。今回は特殊なケースだったのだ。
「だったら」無言の霊夢の隣で、魔理沙が口を出す。「ここの店主に話をつけてきてやるよ。お前に怯えることないってな」
「本当!?」
「人間だって、たまには本当の事を言うぜ」
そう言って、魔理沙は酒場に入って行った。
そして数分後、戻って来た。
「どうだった!?」萃香は目を輝かせている。
「オーケーだそうだ」
「いやっふう!」
喜びのあまり、飛び跳ねる萃香。地面が振動し始めた。
「やめて! 地震が起きそう!」
「おう!」
萃香は満面の笑みで答えた。
魔理沙の話では、萃香はその後、ちゃんと代金を支払い、何日かに一回あの酒場を訪れているそうだ。
たまに魔理沙も交じって、呑み明かしているらしい。
何はともあれ、なんとか平和に事が収まって良かった。
けれど、お陰であの酒場付近には近付けなくなってしまった。
里自体にも、もうあまり近づかない方がいいかも知れない、と私は思った。
里の人間にはまだ就寝していない者がおり、人影と行燈の明かりがいくつか見える。
茨華仙こと私は、その通りを歩いている。ちょっとした気分転換だ。
「夏の夜ともなると、涼しげでいいわね」
そんな事を呟いてみる。
今の季節は夏、妖怪の活動時間が比較的短い時期であり、同時に人間達は暑さによりあらゆるやる気を削がれる季節でもある。
無論、毛皮のある動物たちにも過ごしにくい季節だが、私が飼っている者達は快適であるよう配慮している。が、家の納涼作業がまだ済んでいない。
もうそろそろ取り掛からないと今年は暑くなるだろうな――と、そんなことを考えていた矢先。
私の目に、異様な光景が飛び込んできた。
ガチャッ、ガチャッ。
皿や茶碗が、宙に浮いていたのだ。しかもただ浮いていただけではない。列を成し、まるで徘徊するように動き回っていた。
私は咄嗟に自分の身を隠し、その様子を観察した。一方、周囲の人間たちは慌てふためき、屋内に入っていく。
よく見てみると、それらは黒い靄のようなものをまとっているように見える。
数分程皿たちは意志を持つかのように空を漂った後、どこかへ姿を消してしまった。
「あれは一体……」
「――でな、それが面白い話で」
「ふーん。で、私が今日の夜にでも出張れ、と。なんか胡散臭いわねぇ」
「そう言うなって」
博麗神社には、いつもどおりと言えばいつもどおりに、博麗霊夢と霧雨魔理沙がいた。…ところで、私が神社を訪れると大抵魔理沙が居るが、いつ自分の家に帰っているのだろう。まさか本当にずっといるわけではあるまいが…。まあ、よほど暇で、他にふらりと気軽に行ける当てがないのだろう。
それはともかく、なにやら談笑しているようだ。この暑い中、元気なことだと感心してしまう。
「何の話をしているのかしら?」
「お、仙人。久しぶりだな」
「ちょっと動物たちのトリミングに忙しくてね」
「何の話をしてたかっていえば、百鬼夜行の話よ。昨日の夜、里で出没したそうなの」
「百鬼夜行?」
百鬼夜行と言えば、鬼やその他諸々の妖怪たちが列を成してそこらじゅうを徘徊する物のことか?
私は昨日の人間の里に鬼やら何やらの妖怪の列があったかどうか、想起してみる。
…………。
駄目だ。皿たちの狂気の乱舞しか頭に残っていない。私の記憶力も地に落ちたものだとしみじみ感じた。或いはまた魔理沙の勘違いなのかもしれないが。
「…昨日の里にそんなの現れたかしら?」
「里の人間たちが嘘を吐いてるとは思えん。人間たちの話では、普通に歩いていたらいきなり現れたらしくてな」
「そんなことありえない筈なんだけどね。紫がちゃんと調整してるはずなんだから。そういうのが出ないように」
「おいおい、人間たちの言ってることを疑うのか?」
「人間たちの目を疑うわ。もしくはあんたの耳」
「私はまだ若々しい健康体だぜ」
「私は、昨夜里に居たわ。でも、百鬼夜行なんて見なかったわ」
皿の演舞なら見たが。
「ほら、見なさい!やっぱり何かと見間違えたんじゃないの?」
「うーん、そんなはずはないんだが……。」
「では私がその鬼の列を今夜にでも観察してきましょう」
「…お前、今何て言った?」
「観察してきましょう」
「違う、もっと前だ」
「今夜にでも」
「もっと前だよ!」
「鬼の列」
「それだよ! なんだ、鬼の列って」
魔理沙は不思議そうな顔をしている。私の方が不思議だ。
「だから、百鬼夜行でしょう? 里に現れたのでは?」
「そうか、判ったぞ。お前、勘違いしてるな」
「え? どういうこと?」
さっぱりわけが分からなかった。私が何を勘違いしているというのだろうか。
「今言ってる百鬼夜行ってのは、割れた茶碗や土鍋、皿が群れを成して夜に徘徊する妖怪のことだよ。付喪神の一種だな」
「え? そうなの?」
「そうよ。魔理沙の言うとおり。って、あんたは何のことだと思ってたの?」
「いやまあ、鬼やその他の妖怪が列を成して練り歩くものだとばかり」
「ああ、成程。よく勘違いするやつがいるけど」霊夢は窘めるように言う。「確かに百鬼夜行という『もの』は、鬼や妖怪の群れのことよ。でもね、百鬼夜行を『妖怪』として呼んだとき、その意味合いは変わってくるのよ。それが、昨日里に現れたっていう百鬼夜行」
霊夢の説明で合点がいった。
成程、だから鬼の列など見えなかったわけだ。というか、私の近くに鬼が現れて、私が気付かない筈がない。と、いうことは――。
「見たわ、その百鬼夜行なら」
「ほらな、だから言っただろ、霊夢?」
「はあ……しょうがないわね。分かったわよ、準備するわよ。」
そう言って霊夢は自らの住居のある方向へ向かう。何をするつもりだろうか、と思っているうちに霊夢は戻ってきた。なにやら大量のお札を持っている。
「霊夢、それは…?」
「何って、決まってるじゃない」霊夢は面倒くさそうに言う。「百鬼夜行を撃退するためのお札よ」
そう言うと、霊夢はそのお札を服に仕込み始めた。
「退治するの?」
「もちろん。今回はあんまり乗り気じゃないんだけど、魔理沙がうるさいから」
「当たり前じゃないか。ここのところのお前は暇すぎて、このままじゃナマケモノかコアラにでもなっちまうところだったぞ。だから私がわざわざ仕事を紹介してやったんじゃないか」
「コアラって何よ」
「気にすんな」
霊夢が、大好きな妖怪退治に乗り気ではない…? そもそも好み云々を除いても、妖怪退治は博麗の巫女の本分であり、主な仕事、もとい収入源である。何かあるに違いない。
「霊夢」
「ん?」
「なぜ今回は乗り気じゃないの?」
「え? 当たり前じゃない。私は目の前に現れた妖怪か、行く手を阻む妖怪しか退治しないわ」
山童たちが不憫すぎる…。まああれは、主に私の所為なのだが。
「大体、百鬼夜行は夜にしか現れない妖怪。私はあんまり夜の妖魔調伏は好かないのよ。今の時期はマシだけど、暗いし。あ、私は鳥目ではないわよ」
「成程…」
大体の妖怪は夜に活発になると思うのだが、今は触れないでおこう。
「それに、的が小さくて無作為に徘徊する妖怪な上に、付喪神だから数が不安定なの。いざ遭遇して時に皿が一枚だけとかだったら、気が滅入るじゃない」
「だが、だからこそ、増えたら困るじゃないか」魔理沙が説得に掛かる。「いいか? 百鬼夜行ってのは、その昔は見ただけで死に至るって言われてたんだぞ。もし今でもその力が健在なら、数が増えた時大変だ」
しかし霊夢はまだ露骨に嫌だという顔をしている。
「でも、最近の百鬼夜行は妖力がかなり落ちたのよ。ただの器物だ、ってね。だから人間が自分から手を出さなきゃ、そんなに危険じゃない――」
「ああ、もう! せっかく仕事を持ってきてやったのになんだよ! 別に私が自分で退治するのが面倒だったからお前に回したわけじゃないんだぞ!」
面倒だったのか。
結構素直な魔理沙であった。
霊夢は肩をすくめる。霊夢にも魔理沙の本意が判って呆れているのだろう。
「そういえば」魔理沙がその目をこちらへ向けて言う。「お前、百鬼夜行の挙動を一部始終見てたのか?」
「ええ。気付かれないように、息を潜めながら見ていたわ」私は慎重に言う。
「ってことは徹夜だな。ご苦労さん」
「え?」
「え? じゃねえよ」魔理沙は呆れたように言う。「お前は百鬼夜行が消え去るまで、その様子を見ていた。違うか?」
「ええ、そうよ」
「百鬼夜行が消えるのは、朝日を浴びた時なんだよ。まあ、消えるというか、もっと適切に言うなら、「一回休み」かな。で、また次の日の夜に復活して徘徊して休んで…の繰り返しだ」
「え、でも、私が昨日見た奴らは数分彷徨っただけで消えてしまったわよ」
「何だと? …最近の百鬼夜行も変わってるってことか」
魔理沙の頭には疑問符が浮かんでいた。
魔理沙が嘘を吐くのは日常茶飯事だが、この場面でそれをするとは思えない。こう見えても、彼女は一応妖怪退治の専門家なのだ。殊妖怪退治の事とあらば、しっかり任務を果たす筈である。
ということは……昨日見た物は妖怪百鬼夜行ではなかった…? 他に皿の怪異など、皿数えくらいしか聞いたことがない…。まあ、さっきまで百鬼夜行すら知らなかったが。
これは、確かめる必要がありそうだ。
その夜。
結局、霊夢は観念して百鬼夜行退治に乗り出した。ぶつくさと文句を言っていたが、「妖怪退治をする」ということだけを気にしたら、やる気が出てきたそうだ。そして魔理沙も「面白い物が見れそうだから」という理由で付いてきている。私ももちろん、事の真相を知るべく、この二人と同行している。
里の様子はと言えば、昨日の活気が嘘のように静まり返っている。人っ子どころかネズミ一匹見当たらない。魔理沙によると、昼間にもあまり人が外出していなかったらしい。まあ、それは当たり前だろう。
元々、人間が抱く妖怪に対する恐怖とは、正体不明に対する恐怖である。よくわからない物、実体の掴めない物、見えない物。そういった物に、人間は畏怖の念を抱く。鵺などの「正体不明」を具現化したようなものや、魍魎や鬼などの「よくわからない力」を振りかざすもの達が強大な妖怪になるのは、当然の摂理なのだ。
昨晩の百鬼夜行にしたって、それに当てはまる一面がある。突如として皿や鍋が宙に浮き、自由に動き出したとあれば、恐怖以外の何物でもないに違いない。非力な人間にとっては、程度の違いはあれど、万物、あらゆるものが恐ろしい。だから実に多種多様な妖怪や怪異が存在し、その強さや規模もまちまちなのだ。
「おい、仙人」魔理沙が声を掛けてくる。「百鬼夜行は昨日、どのあたりに現れたんだ? 場所が判んないと、霊夢の言うとおり、探しようがないぜ」
「えっと、悪いんだけど」私は躊躇いながらそう切り出す。「どこから現れたのかは、よく判らないわ。私はただ歩いていただけだから」
「だったら、お前は何を見ていたんだ?」
「私は、百鬼夜行が消えた所なら判ります」
「ふむ…。なら、そこはどこだ?」
「…酒場の前よ」
そう、昨日は少し狼狽してあまり気にしていなかったが、魔理沙が思い出すよう促してくれたので、重要なことだと気づけた。
酒場の前で、消えた。通常なら朝日によって消えるはずの百鬼夜行が。ならば、酒場が何か関係している可能性が高い、と考えるのが自然である。もちろん、何の関係も無いかもしれないが、手探り状態の今は、どんな手掛かりでも尊重するべきだった。
「ねえ、待ち伏せ場所が決まったなら、行きましょ。いつまでもこんなところに居たって仕方ないわ」
霊夢の言うとおりである。今は、里の入口に居るのだった。
というわけで、私たちは酒場の前までやって来た。
一応、酒場の店主に話を伺ってみると、酒がいくつか無くなっていることを明かしてくれた。今朝気付いた、ということだったので、店主が昨晩は早寝をしていたことも相まって、百鬼夜行が関連している可能性がぐぐっと高まった筈である。
「まだ現れないの? そろそろ眠くなってきたんだけど」
ちなみに現在の時刻、丑の二つ。もうすぐ魑魅魍魎や悪鬼妖魔が跋扈する時間帯、丑三つ時である。
「持ちこたえろよ」魔理沙は目をこすりながら言う。「今回の件でお前が活躍すれば、参拝客が増えて、結果、賽銭箱も空じゃなくなるかもしれないだろ? そうなれば、あんなひもじい生活はしなくて済むんだぞ」
「そう…そうね…。よし! 頑張りましょう!」
どうやら霊夢は再び気合いを取り戻したようだ。
私が思うには、正直、そんなに上手く事が運んだら世話はない。どんなに霊夢が活躍しようが、博麗神社に近づきがたいのはあまり変わらないような気がする。幽霊や神霊、それに加えて結構強大な妖怪がはびこっている神社に行こうとする変わり者は、今の里にはいないだろう。加えて、地理的要因までもがそれを促進する。博麗神社は里から離れすぎているのだ。最近ではひどい物で、山には守矢神社が、里の近くには命蓮寺が出来てしまったために、博麗神社に来るような物好きな人間はますます居なくなっている。霊夢はそのことを少ししか気にしていないようだが……大丈夫だろうか。
私が神社の行く末を憂いているとは露知らず、霊夢はうとうとしている。…本当に心配だ。
と、その時、大きな音がした。
ガチャッ、ガチャッ。
「どうやら、お出ましのようだぜ」
「来たわね…」
二人は音がした方へ顔を向ける。私も、同じ方を見る。
皿やら鍋やらの大群が見える。間違いない、昨日見たものと全く相違なかった。並び順や個体の種類までそっくりそのままである。黒い靄も、しっかりまとっている。……黒い靄?
気付いた時には、すでに行動していた。私は、出来る限りの全速力で身を隠した。
私の推測が正しければ――。
「ほっ!」
霊夢が札を何枚か射出する。その全てが、百鬼夜行、否、その皿達に直撃する。
「痛い痛い! もう、何するんだ!」
「おい霊夢…、百鬼夜行って喋ったか?」
「私の知る限りではそんな百鬼夜行は居ないわ、もちろん」
考えてみれば、気付かない方がおかしかった。酒場前で消える百鬼夜行、酒の窃盗、黒い靄…どれ一つ取っても、あいつの特徴に他ならない。
そもそも、そこらの妖怪に私を圧倒するような妖力が有る筈がない。
文字通り、鬼気迫る妖力。
間違いなく、そいつは――。
「その声、萃香でしょ! 姿を元に戻しなさい!」
「いたた……わかったよもう…」
黒い靄がどんどん濃くなっていき、ある姿を形作る。同時に靄にまとわれていた皿や鍋が重力に従って地面に落ちる。
現れた姿は、小さな鬼、伊吹萃香だった。私は、完全に自分の気配を消した。
「で、どうして百鬼夜行の真似事なんかしてたの?」
「えっとね」萃香は不機嫌そうに言う。「私ってほら、『小さな百鬼夜行』って呼ばれてるじゃない? だからだよ」
「あんたの『百鬼夜行』は妖怪の百鬼夜行じゃなくて、鬼がわんさか、でしょうが」
「まあそうなんだけど。それはシャレってやつよ」
萃香はいつも遊びが過ぎる。鬼にとっての遊びなんて、人間や他の妖怪にとっては災害でしかない。しかも遊びが過ぎる萃香の遊びの場合、地震雷火事山嵐なんて災害が逃げ出すほどのものになりかねない。ここで食い止められたのは幸運と言えるだろう。
「それだけでこんな面倒なことやったの?」
「いやあ、それはついでよ」萃香は何故か誇らしげだ。「実は最近この瓢箪の酒にも飽きてきちゃってね…。やっぱり同じ酒虫のだと変わり映えのない味だから。そこで、目を付けたのがこの酒屋さ。人間もなかなか美味しい酒を造るなあって感心したよ」
「だったら盗みに来るんじゃなくて、普通に呑みに来ればいいじゃない。この酒屋は、妖怪もオーケーなんだから」
なんと、そうだったのか。
それじゃあなんで萃香はわざわざ盗みを働いたのだろう。
「はあ…霊夢、それ本気?」萃香は大きな溜め息を吐く。「私だって最初は普通に呑みに来ようとしたわよ。妖怪オーケーの酒場なんて聞いて、珍しいとも思ったもの。でもいざ私が酒場に入ると、みんな逃げていっちゃった。自分で言うのも何だけど、鬼のオーラは人間には強烈みたいで。私はわいわい呑みたいのよ? だから仕方なく、お酒だけ貰っていったのよ」
「むむむ…」
黙り込む霊夢。それもそうだ、萃香にあまり非がない。霊夢は素直だ、非の無い者を責め立てることなど出来ない。殆どの妖怪を、「妖怪だから」という非で退治するが…。今回は特殊なケースだったのだ。
「だったら」無言の霊夢の隣で、魔理沙が口を出す。「ここの店主に話をつけてきてやるよ。お前に怯えることないってな」
「本当!?」
「人間だって、たまには本当の事を言うぜ」
そう言って、魔理沙は酒場に入って行った。
そして数分後、戻って来た。
「どうだった!?」萃香は目を輝かせている。
「オーケーだそうだ」
「いやっふう!」
喜びのあまり、飛び跳ねる萃香。地面が振動し始めた。
「やめて! 地震が起きそう!」
「おう!」
萃香は満面の笑みで答えた。
魔理沙の話では、萃香はその後、ちゃんと代金を支払い、何日かに一回あの酒場を訪れているそうだ。
たまに魔理沙も交じって、呑み明かしているらしい。
何はともあれ、なんとか平和に事が収まって良かった。
けれど、お陰であの酒場付近には近付けなくなってしまった。
里自体にも、もうあまり近づかない方がいいかも知れない、と私は思った。
今日、茨歌仙3巻を買った日にこんな素敵な作品を読めるとは!
夏風邪気味でも買いにいった甲斐があったということです。
ちなみにあの後、作者さんの中で霊夢がどうなったかも気になるところ。
ま、多分寝てるか縁側でだらけているか(あるいは不貞腐れている)のどちらかでしょうけど(笑)
今後にも期待してみようと思います。
それではまた機会があれば次回作で逢いましょう。失礼いたしました。
あずまあや先生の絵が浮かんでくるようでした。お見事です!
茨歌仙って感じがしました
柔らかい文章が良いですね