私が紅茶を淹れるとお嬢様が笑顔をくれる。
「今日も美味しいわ、咲夜」
その笑顔だけが私の生きがいだった。
「本当に、あなたの紅茶を飲むと、あなたが居てくれて良かったと思えるわ」
美味しい紅茶を淹れる事だけが私の存在理由だった。
その日も私は紅茶を淹れた。出来は上々。自信を持ってお嬢様にお出しした。
私が褒め言葉を期待していると、お嬢様は一口飲んで顔をしかめた。
「不味い」
耳を疑った。
まさかと信じられないでいる私の前で、お嬢様はもう一度紅茶に口をつけ、「やっぱり不味い」と言ってまた顔をしかめた。
「咲夜、何だか今日のはやけに不味いわよ。生臭い味がする」
「そんなはずは」
お嬢様がカップを突き返してきたので、慌てて飲んでみる。
香りも良い。甘みもある。生臭さなんて感じない。
「どう? 変な味がするでしょ?」
「いえ、そんな事は」
「正気?」
ふとお嬢様の目が逸れた。
「あ、フラン。ちょっとこっちへ来なさい」
「どうしたのお姉様?」
丁度廊下を通りかかったフラン様が食堂へ入ってきた。お嬢様が私からカップを取って、フラン様へ渡した。
「ちょっとこれ飲んでみて」
フラン様は不思議そうな顔でカップを受け取ると、口をつけて、お嬢様と同じ様に顔をしかめた。
「何これ。美味しくない」
「でしょう?」
お嬢様が私を見る。
「どうしたの咲夜。もしかして体調でも悪い?」
「特には」
「そう。とにかく今日は休んで良いわ。良く分からないお茶ならともかく、あなたがまともに紅茶を淹れて、それが不味いだなんて一大事だもの」
お嬢様が眉をひそめてそう言った。
お嬢様の笑顔だけが私の生きがい。
美味しい紅茶を淹れる事だけが私の存在理由。
足元が崩れていく様な心地がした。
「ちょっと、永琳を呼んできてくれる」
「あ、パチュリー様。どうしたんですか?」
美鈴が振り返ると、パチュリーは深刻そうな顔をしている。
「実は咲夜がおかしいの」
「咲夜さんが……そうですか」
「とにかく出来る事はなんでもしましょう。永琳を呼んでくれる?」
美鈴は頷いて永遠亭へと駆けた。
私は自分の味覚を確かめるべく、厨房で紅茶を淹れて飲んでみた。やはり美味しかった。何も問題ない。それなのに何故不味いだなんて言うんだろうと悩んでいると、お嬢様達がやってきた。
お嬢様に連れられた永琳は私の淹れたばかりの紅茶を飲んで「成程」と呟くと私の頭に手を掛けた。
「ちょっと口を開いて」
何だか大事になっていた。恐る恐るお嬢様を見ると、お嬢様が真剣な目で頷いたので、仕方無しに永琳に向けて口を開く。永琳は口の中を覗きこみ、それから言った。
「腫瘍が出来てるわね。舌癌ね」
「癌!」
お嬢様が驚いて声を上げる。
「ええ。でもだからって不味い物を美味しく感じるとは思えないけど」
そう言いながら、永琳は肩に掛けた鞄の中を漁り出す。
癌という言葉に私は何だか目眩がした。言われてみると、確かに口の中に違和感があった。
「癌て危ないんでしょ? 咲夜は大丈夫なの?」
泣き出しそうなフラン様に向けて、永琳は鞄から目当ての物を探し当てて笑みを向ける。
「大丈夫。とっておきの薬があるから」
とっておきの薬が私に差し出される。
「でもさっきも言ったけど、あなたの味覚障害が癌に因るものだとは思えない。だからとりあえずこの薬を飲んで癌を治して、味覚についてはまた改めて治療しましょう」
皆が固唾を飲んで見守る中、私は薬を飲んだ。飲んだ途端にフラン様が抱きついてきた。
「どう? 治った?」
「そんなに早くは治らないわよ」
永琳がフラン様を優しくたしなめながら私から引き剥がす。
「とにかく今日は安静に。二三日もすれば治ると思うわ」
永琳の言った通り、二三日すると口の中の違和感は消えた。けれど永琳の言った通り、味覚は戻らなかった。
「治らないですね、咲夜さん」
美鈴がそう言うと、パチュリーはうなだれた。
「ええ、そうね」
うなだれたまま力無く呟く。
「もう治らないかもしれないわね」
私が治らない事に苛立って、お嬢様が言った。
「紅茶を淹れられない咲夜に価値なんてあるの?」
暗闇の向こうへ歩いて行く。
「そんな咲夜要らないわ」
そう言って、お嬢様は姿を消した。
そんな事があって、私はまともに紅茶が淹れられなくなった。
もう随分前からお嬢様の姿を見ていない。紅茶を淹れられない私に存在価値等無いという事だろう。
それでも諦められずに、紅茶を淹れる。
何度淹れても答えは同じ。
美味しい。
間違いなく。
私の壊れた舌は不出来な紅茶を美味しいと判じてしまう。何度淹れて何度飲んでも紅茶は美味しい。美味しい紅茶。何度飲んでも何度飲んでも美味しくて、どうしたら良いのか分からない。美味しい筈なのに。こんなにも美味しいのに。お嬢様は姿を見せてくれない。こんなに美味しいのに。とても美味しいのに。
「美味しいのに」
咲夜が淹れたての紅茶を飲んで呆然と呟くので、正面に座った永琳が悲しげに目を伏せた。永琳の後ろに控えるフランが、泣きながら永琳に言った。
「ねえ、何とかならないの?」
永琳は振り返って首を横に振る。フランの泣き声が大きくなる。
フランを抱き寄せながら美鈴が懇願する様に永琳の顔を覗き込んだ。
「本当にどうにもならないんですか?」
永琳が静かに答える。
「正気には戻せるわよ、きっと」
「え? じゃあ」
「でも咲夜がでたらめの世界に閉じこもった理由を考えれば、正気に戻したところで別の場所に逃げるだけだと私は思う」
咲夜の傍に座るパチュリーが静かに問う。
「自殺するって事?」
フランが慌てて叫んだ。
「やだよ! 咲夜まで死んじゃうなんて嫌だ!」
そうしてまた泣き声を上げるフランを美鈴が優しく撫でる。
泣きじゃくるフランから目を背けた永琳はパチュリーに言った。
「可能性は高い、と私は思う。けどそうはならないかもしれない。だから貴方達がそれを望むなら、それをしても良い。ただし正気に戻した先は医者の領分を外れてる。責任は取れないわよ」
「じゃあ、どうすれば良いのよ」
パチュリーが苛立って立ち上がった。永琳は座ったまま、静かにパチュリーを見上げる。
「自然に戻るのを待つのが一番だと私は思う」
「ずっと待ってろって言うの? お茶を淹れて飲むだけの壊れた咲夜をずっと」
「ええ。咲夜が自分の紅茶の味と向き合えるまで」
皆が咲夜を見る。
咲夜は紅茶を飲みながら何度も何度も不思議そうに呟いている。
「美味しいのに。こんなに美味しいのに、どうしてお嬢様は姿を見せてくれないの。とても美味しいのに。美味しいのに」
永琳は胸の詰まる思いを押し流す為に、咲夜の淹れた紅茶をカップに注いで飲み干した。
香りは鼻腔を高く抜け、仄かな甘味が胸に広がる。
咲夜の紅茶は今まで飲んだどんな物よりも美味しかった。
「今日も美味しいわ、咲夜」
その笑顔だけが私の生きがいだった。
「本当に、あなたの紅茶を飲むと、あなたが居てくれて良かったと思えるわ」
美味しい紅茶を淹れる事だけが私の存在理由だった。
その日も私は紅茶を淹れた。出来は上々。自信を持ってお嬢様にお出しした。
私が褒め言葉を期待していると、お嬢様は一口飲んで顔をしかめた。
「不味い」
耳を疑った。
まさかと信じられないでいる私の前で、お嬢様はもう一度紅茶に口をつけ、「やっぱり不味い」と言ってまた顔をしかめた。
「咲夜、何だか今日のはやけに不味いわよ。生臭い味がする」
「そんなはずは」
お嬢様がカップを突き返してきたので、慌てて飲んでみる。
香りも良い。甘みもある。生臭さなんて感じない。
「どう? 変な味がするでしょ?」
「いえ、そんな事は」
「正気?」
ふとお嬢様の目が逸れた。
「あ、フラン。ちょっとこっちへ来なさい」
「どうしたのお姉様?」
丁度廊下を通りかかったフラン様が食堂へ入ってきた。お嬢様が私からカップを取って、フラン様へ渡した。
「ちょっとこれ飲んでみて」
フラン様は不思議そうな顔でカップを受け取ると、口をつけて、お嬢様と同じ様に顔をしかめた。
「何これ。美味しくない」
「でしょう?」
お嬢様が私を見る。
「どうしたの咲夜。もしかして体調でも悪い?」
「特には」
「そう。とにかく今日は休んで良いわ。良く分からないお茶ならともかく、あなたがまともに紅茶を淹れて、それが不味いだなんて一大事だもの」
お嬢様が眉をひそめてそう言った。
お嬢様の笑顔だけが私の生きがい。
美味しい紅茶を淹れる事だけが私の存在理由。
足元が崩れていく様な心地がした。
「ちょっと、永琳を呼んできてくれる」
「あ、パチュリー様。どうしたんですか?」
美鈴が振り返ると、パチュリーは深刻そうな顔をしている。
「実は咲夜がおかしいの」
「咲夜さんが……そうですか」
「とにかく出来る事はなんでもしましょう。永琳を呼んでくれる?」
美鈴は頷いて永遠亭へと駆けた。
私は自分の味覚を確かめるべく、厨房で紅茶を淹れて飲んでみた。やはり美味しかった。何も問題ない。それなのに何故不味いだなんて言うんだろうと悩んでいると、お嬢様達がやってきた。
お嬢様に連れられた永琳は私の淹れたばかりの紅茶を飲んで「成程」と呟くと私の頭に手を掛けた。
「ちょっと口を開いて」
何だか大事になっていた。恐る恐るお嬢様を見ると、お嬢様が真剣な目で頷いたので、仕方無しに永琳に向けて口を開く。永琳は口の中を覗きこみ、それから言った。
「腫瘍が出来てるわね。舌癌ね」
「癌!」
お嬢様が驚いて声を上げる。
「ええ。でもだからって不味い物を美味しく感じるとは思えないけど」
そう言いながら、永琳は肩に掛けた鞄の中を漁り出す。
癌という言葉に私は何だか目眩がした。言われてみると、確かに口の中に違和感があった。
「癌て危ないんでしょ? 咲夜は大丈夫なの?」
泣き出しそうなフラン様に向けて、永琳は鞄から目当ての物を探し当てて笑みを向ける。
「大丈夫。とっておきの薬があるから」
とっておきの薬が私に差し出される。
「でもさっきも言ったけど、あなたの味覚障害が癌に因るものだとは思えない。だからとりあえずこの薬を飲んで癌を治して、味覚についてはまた改めて治療しましょう」
皆が固唾を飲んで見守る中、私は薬を飲んだ。飲んだ途端にフラン様が抱きついてきた。
「どう? 治った?」
「そんなに早くは治らないわよ」
永琳がフラン様を優しくたしなめながら私から引き剥がす。
「とにかく今日は安静に。二三日もすれば治ると思うわ」
永琳の言った通り、二三日すると口の中の違和感は消えた。けれど永琳の言った通り、味覚は戻らなかった。
「治らないですね、咲夜さん」
美鈴がそう言うと、パチュリーはうなだれた。
「ええ、そうね」
うなだれたまま力無く呟く。
「もう治らないかもしれないわね」
私が治らない事に苛立って、お嬢様が言った。
「紅茶を淹れられない咲夜に価値なんてあるの?」
暗闇の向こうへ歩いて行く。
「そんな咲夜要らないわ」
そう言って、お嬢様は姿を消した。
そんな事があって、私はまともに紅茶が淹れられなくなった。
もう随分前からお嬢様の姿を見ていない。紅茶を淹れられない私に存在価値等無いという事だろう。
それでも諦められずに、紅茶を淹れる。
何度淹れても答えは同じ。
美味しい。
間違いなく。
私の壊れた舌は不出来な紅茶を美味しいと判じてしまう。何度淹れて何度飲んでも紅茶は美味しい。美味しい紅茶。何度飲んでも何度飲んでも美味しくて、どうしたら良いのか分からない。美味しい筈なのに。こんなにも美味しいのに。お嬢様は姿を見せてくれない。こんなに美味しいのに。とても美味しいのに。
「美味しいのに」
咲夜が淹れたての紅茶を飲んで呆然と呟くので、正面に座った永琳が悲しげに目を伏せた。永琳の後ろに控えるフランが、泣きながら永琳に言った。
「ねえ、何とかならないの?」
永琳は振り返って首を横に振る。フランの泣き声が大きくなる。
フランを抱き寄せながら美鈴が懇願する様に永琳の顔を覗き込んだ。
「本当にどうにもならないんですか?」
永琳が静かに答える。
「正気には戻せるわよ、きっと」
「え? じゃあ」
「でも咲夜がでたらめの世界に閉じこもった理由を考えれば、正気に戻したところで別の場所に逃げるだけだと私は思う」
咲夜の傍に座るパチュリーが静かに問う。
「自殺するって事?」
フランが慌てて叫んだ。
「やだよ! 咲夜まで死んじゃうなんて嫌だ!」
そうしてまた泣き声を上げるフランを美鈴が優しく撫でる。
泣きじゃくるフランから目を背けた永琳はパチュリーに言った。
「可能性は高い、と私は思う。けどそうはならないかもしれない。だから貴方達がそれを望むなら、それをしても良い。ただし正気に戻した先は医者の領分を外れてる。責任は取れないわよ」
「じゃあ、どうすれば良いのよ」
パチュリーが苛立って立ち上がった。永琳は座ったまま、静かにパチュリーを見上げる。
「自然に戻るのを待つのが一番だと私は思う」
「ずっと待ってろって言うの? お茶を淹れて飲むだけの壊れた咲夜をずっと」
「ええ。咲夜が自分の紅茶の味と向き合えるまで」
皆が咲夜を見る。
咲夜は紅茶を飲みながら何度も何度も不思議そうに呟いている。
「美味しいのに。こんなに美味しいのに、どうしてお嬢様は姿を見せてくれないの。とても美味しいのに。美味しいのに」
永琳は胸の詰まる思いを押し流す為に、咲夜の淹れた紅茶をカップに注いで飲み干した。
香りは鼻腔を高く抜け、仄かな甘味が胸に広がる。
咲夜の紅茶は今まで飲んだどんな物よりも美味しかった。
あなたの作品をはじめて読んだけれど、でもそんなに悪くはないと思います。
まあ、ちょっと弄ればもっと高度な小説になりそうだな、とは思いました。
あともう一息と言ったところだと思います。
てか参拝を勧める理由が分からない。
さて、批判させてもらうけど、2様の意見とほぼ同じことを言いたい。
もっと書き込めるよね、これ。5KBで終わらせちゃうのは勿体なかったかな。
レミリアの死因に言及するとか、咲夜が現実を受け入れていく様子を描くとか、現在の紅魔館は誰が仕切っているのかとか、紅茶を美味しく淹れることに対する咲夜の病的な執着を具体的に例示するとか、パチュリー達など周囲の人物の不安や焦燥とか、
いやほんと勿体無い。
これはまだアイデアの域を出てない。SSとは呼びがたい。
レミリアが死んでしまって美味しいと言ってもらえなくなったからなのか
美味しいと言ってもらえないままレミリアが死んでしまったのかことへの後悔からなのか
「まで」に気づくまで結構苦労しましたww
今のままだと、消化不良の感が否めません。
「紅茶が不味いと言ってレミリアが去った」という幻想を咲夜が作り出した
っていう話だと思うんだけどそれだと腫瘍の意味が分からないなあ...
雰囲気は結構好きです
読者層が、こういう話に慣れてない人が多いのかな?
読者層が、こういう話に慣れてない人が多いのかな?
その閉ざされてしまった世界でどんどんと紅茶の味だけが美味しくなっていく。
あえて全体像を書かないことで、悲劇性が増していると思います。
紅魔館のみんなの会話も読み返すと切ない。