今日も今日とて私、多々良小傘はふらふらと歩いている。
目的は単純なこと。お腹が空いたから、誰か驚いてくれそうな人間を探しているのだ。
しかし今日は眩しいくらいに快晴。私のトレードマークの唐傘が日傘になってしまいそうなほどにカンカン照りだ。
ただでさえ幼い外見と大して強くも無い力、恐ろしいとは言い難い傘と驚かせる要因が乏しいのに、こうも晴れているとますます驚いてくれる人なんて減ってしまう。
「おーぅ、小傘ちゃん。今日も紫の傘が目立つねえ! 収穫はどんなもんだい?」
「あ、おっちゃん……今日も全然だめだよー。せめて雨の降りしきる夜でもないと誰も驚いちゃあくれないよー」
「かかか、違ぇねえ! しかもそんな夜に外をほっつき回る奴もそういねえからなあ。ま、精々頑張んな!」
「言われなくても頑張るよ! おっちゃんも、身体には気をつけろよー!」
今のおっちゃんも、昔……まだちっこい子供だった頃には驚いてくれてた。
だけど人間って生き物の成長ってのは早い。ほんの10年もすれば立派な大人になって、私を怖がらなくなってしまう。
そりゃあ、いつまでも子供でいられないのは世の常だけど、なんかこう、自分が取り残されているような気がしてしまう。
私がまだちゃんと使われていた頃も、ご主人様に忘れられて野ざらしになっていた頃も、付喪神になってこの姿になってからも、時間が経つのはとてもとても早い。
そういった感想を他の妖怪に話すと、
『別にそれが普通よ』
『時間は誰にとっても平等に存在する。ただ私たち妖怪はそれを享受する期間が長く、人間には短いだけ。多少の孤独なんてね、いずれ慣れるものよ』
と言っていた。
実際この幻想郷に住む妖怪の中で私はまだまだ年若い部類に入るらしいけれど、それでも人間たちよりはずっと長生きだ。
博麗の巫女も、白黒の魔法使いも、緑の巫女も、きっとすぐに大人になって、結婚して、子供を作って、死んでしまう。
そういうのを考えると、やっぱり少しさびしい。
ご主人様に忘れられて、置いて行かれたあの日のように、親しい人に置いて行かれることを考えると、それはとても悲しい……
「……やめやめ! 元気が取り柄のこの多々良小傘、しょぼくれたって良いことなんかないもんね!」
気分転換に、えいえいおー! と独り拳を振り上げる。
と、その時。情けないお腹の音とともに、今まで忘れていた空腹感が戻ってきた。気分転換も考え物である。
「うーん……困ったなぁ」
考えに窮して、とりあえず人里の方へと歩を進める。
里の中で人を驚かせようとしているのを見つかると、半獣の先生に怒られる。だから里を出た人……なるべく気弱そうで、年若いのを狙うという寸法だ。
程なくして人里が見えてくる。歩いている間も、頭上のお日様の照り付けは止むことはなく、日傘代わりに差していた傘の舌が渇いてしまっていた。傘のトレードマークの一ツ目も、どことなくドライアイ。後で水に浸けてあげないと……。
私自身もじっとりと汗ばんでいる。お腹にはあまり溜まらないが、キンキンに冷やしたトマトにかぶりついて、これまた冷えたお酒でキューっとやりたい衝動に駆られるけれど、勿論そんなお金は持っていない。盗んだりなんかしたらそれこそ大変な目に遭ってしまう。
街道の脇に立っている木の太い枝にひょい、と飛び乗り、木陰から獲物を探す。
が、運が悪いのかなんなのか、里から出てくるのはことごとく腕っ節の強そうな男衆。たまに女が出てくるから、それを狙おうかとも思ったけれど、よくよく見れば異変解決に出張ってくるメイドさんだったり、小さな人形を侍らせていたり、小さな女の子を連れたさでずむの化身のような妖怪だったりとどれも驚かせたらこちらが酷い目に遭いそうな面子ばかりだった。
(……当たって砕けるにしても限度があるよねー。痛いのはいやだし、絶対驚いてくれないし。私は天人みたいにいぢめられたいわけじゃないんだもの)
そんな待ち伏せをすること数時間。お日様も傾いて来て、本格的に人通りが少なくなってきて、私も諦めモードに入りつつあった時、頻繁にという訳じゃあないけれど、それなりに顔を合わせる機会のある人物が人里と反対方向から歩いてくるのが見えた。
その足取りはとてもじゃないが軽いとは言い難いもので、普段はピシリと伸びている背筋も、猫背にでもなったのかと思うほどに丸まってしまっている。どう見ても何かあったとしか思えないその姿に、驚かせようという気すら起こることなく、枝から飛び降りて声をかけた。飛び降りてきた私を視認して、そのひとの身体がびくりと震え、ほんの少しだけ私の胃袋が満たされた。
「あの……星、さんだよね?」
「ああ……小傘ちゃんか?」
声をかけた相手、命蓮寺のご本尊で毘沙門天の弟子、寅丸星さんは私を認識してほっと一息ついていた。
綺麗に整った美しい顔立ちが、やや疲れて見えたのは気のせいではあるまい。
「どうかしたの……? こんな時間に命蓮寺の外にいるなんて珍しいけど……」
「……いやぁ、これにはなんとも情けない事情があってだね」
数分後、私は絶句せざるを得ない状況にいた。寅丸さんにうっかりさんのケがあったのは知っていたけれど、まさかこんなことになろうとは。
「……つまり、何? 命蓮寺一同で魔界に旅行するってなって、星さんは置いてけぼり喰らったって訳?」
「……要約すると、そうなるが」
「で、でも……『私達が旅行中に檀家さんたちを放っておくのは困るから、お留守番が必要』って白蓮さんに言われたんだよね? 星さんは命蓮寺のご本尊様な訳だし、一応筋は通ってるんじゃ……?」
「ああ……私もナズーリンに本音を言われるまではそうだと信じていたんだよ……『もしも魔界で宝塔を失くされでもしたら探すのが本気で大変だから』とは、いやはや、情けない……本当に」
話によると、命蓮寺が船になって、魔界へと飛んで行ったのを見送った後、ナズーリンにぼそりと言われたらしい。
真偽の程を確かめる前に、探し物の依頼が貯まっているから、という理由でナズーリンはどこかへと飛んで行ってしまい、後に残されたのは呆然とした星さんだけだった、ということだそうだ。
「……それで星さん、今宝塔はちゃんと持ってる?」
「ああ、ちゃんと命蓮寺に置いて来てある。私が持っているより失くしにくそうなのが何とも言えなくてね……」
「結局持ってないんじゃん……いや、それじゃあ命蓮寺の皆が帰ってくるまで、星さんはどうするの?」
「一応人里に一軒、別邸がある。皆が帰ってくるまでは、そこで過ごす予定だよ」
流石は財宝が集まる程度の能力、と感心してしまう。私にも寝床と呼べるものはあるけれど、やっぱりちゃんとした家というものには憧れてしまう。
「せっかくだ。この後付き合ってくれないかな? どうにも一人で居ると物寂しさを感じずにはいられなくてね……」
「ん、いいよー。どうせ私もすることないし、ここで張ってても人を驚かせそうにないし」
「ああ、君は驚いた心を糧とする妖怪だったか。普通の食べ物で良ければ御馳走するが……」
「うん、そっちでもお腹膨れないこともないし。それに、美味しいご飯は大歓迎だよ!」
素直に嬉しい。誰かと食事をするのは楽しいことだ。美味しいものが食べられれば尚良し。
自然と笑顔になっていた私を見て、星さんはとても優しい表情をしていた。その表情は白蓮さんのそれとよく似ていて、ひとを穏やかにさせてくれるものだった。
「ふふ、では行こうか。話し込んでいる間に日が暮れてしまったしな、どこか料亭が開いていればいいが……」
「うんっ、ありがと、星さん」
「まだ御馳走していないのだけれどな」
その後、星さんのチョイスで、小洒落た雰囲気の料亭に入った。
聞けば、そこの主人は外の世界から来た人で、今は命蓮寺の檀家の一人なんだそうだ。
星さんの今日起こった話を聞くと、主人はケタケタと笑い、それを星さんがたしなめている。
「寅丸さんは忘れっぽいからなあ、そりゃあ仕方ないっちゃあ仕方ないですわ!」
「そんなに笑うこともないでしょう……」
「いやいや、これも休暇と思えば良いんですよ。寺に縛られない、束の間の休日ってやつです。……てなわけで、一杯奢りますよ?」
「あ、いや……お酒は戒律的にアレですから」
「俺とそこの女の子が黙ってりゃあバレませんって。ご安心を、ウチにはネズミはいませんから」
「しかし……ですね」
星さんが私の方を見る。なんだろう、この状況で私に何を望んでいるのか。ちなみに私はお酒も大歓迎、と目で訴えかけてみる。
「……小傘ちゃんがそこまで飲みたいというのなら、ええ、私も一杯だけ。ほら、お酒は一人で飲んでもつまらないものですし? 付き合ってあげるというのがマナーであって、戒律という縛りがあってもこればっかりは仕方ないというかなんと言うか……」
すごく……言い訳だった。それを聞いた料亭の主人が、よし来たとばかりに大きな桶を持ってくる。
中には氷水と、見慣れない酒瓶が一つ。それに生のままのトマトが三つ。……この主人、分かってるじゃない。完璧だよ。
「いやあ、晩酌に一人でやるのも乙かと思ったけど、やっぱり酒は誰かと分け合って飲むもんだ。それに、そのお相手が寅丸さんみたいな別嬪さんだと、余計に美味いってもんだわ」
「そ、そんな……私よりもこっちの小傘ちゃんの方が可愛らしいですし」
「ん……確かに可愛らしいが、うん、五年後が楽しみってとこだな!」
「……それってどういう意味なのさ」
食事を終え、命連寺の別邸へと歩く。隣には頬を上気させた星さんがいる。
とても楽しい食事だった。ここしばらくでは一番の。
一杯だけ、と言っていたけれど、結局星さんは三杯飲んだ。私も三杯飲んだけれど、星さんほど酔ってはいない。元々が動物な星さんと、無機物な傘である私とでは酒の強さに差があるのだろうか。主人が出したお酒が外の世界のお酒で、かなりキツイものだったこともあるのだろうけど。うん、塩トマトとの相性は抜群だった。
「んー、着いたよ。ここが別邸だ」
「おー、結構大きい」
古めかしさと清潔さが同居した、不思議な家。あまり使うことはなかったみたいだけれど、手入れは行き届いているようだ。
外見は完全な和風だが、中は和洋が入り混じっている。寺には無いであろう椅子に腰かけ、二人してくつろぐ。
「ん……酒を飲んだのは久しぶりだ。まだまだ煩悩には勝てんな」
「結構顔赤いよ? お水飲む?」
「そうだな……台所の甕に入っている。済まないが、一杯頼もうか」
「りょーかいっ」
指示されて向かった台所には、確かに大きな甕があった。蓋を開けると、水面に映った左右の色が違う瞳が私を見返す。湯呑に一杯掬い取り、一口飲む。良く冷えていて美味しい。多分ナズーリンが準備したのだろう。一々抜け目がない。
「持ってきたよー」
「ありがとう、小傘ちゃん」
星さんは一息で水を飲み干し、ぷはぁと息を漏らす。
私も水をちびちびと飲みつつ、それを眺めている。
「や、置いて行かれた時にはどうしようかと思ったが、案外そう悪いことでもなかったな」
「そうかなぁ……あ、いや、ご飯食べさせてもらったことについては本当に感謝してるけど」
「……そうか、すまん。君の生い立ちからすれば置いて行かれるというのは禁句だったか」
「あー、うん……でも、いいの! 今はほら、星さんが一緒だし!」
「だとしてもだ。君の古傷に触れてしまったことに変わりはない。すまなかった……」
「……いいんだよ。いずれ慣れるって、誰かが言ってたもん」
俯き気味にそう言い、星さんの顔を見ると、星さんは泣きそうな表情をしていた。
どうして貴女がそんな顔をするの?
どうしてそんなに、辛そうなの?
「……私は、長い時間、孤独に過ごす痛みを知っている。聖や寺の皆が封印されてからの数百年は、とても寂しく、永遠とも思える程に長かった。無論、人間との交流はあったが、それではとても心を紛らわせることなど出来なかった」
星さんは似ていたのだ。
ご主人様に忘れられ、長い時を孤独で過ごし、妖怪となった私。
親しかった人たちが遠くに行ってしまい、長い時を独りで耐えた星さん。
時間だけが過ぎ、自分だけが取り残されたような、そんな孤独を、星さんも知っていた。
「孤独の痛みは心に刻まれる。時間がそれを癒してくれるという者も居るが、私はそんなに強くなかった。どうしてだろうな、一介の虎だった頃は孤独なんて感じたことは無かったのに。他者との繋がりというものを喪って初めて気付くものなのかもしれないな……孤独ってやつは」
星さんの言葉には不思議な説得力があった。
確かに最初から独りなら、独りであることが常なら、繋がりを求めることもない。
私にはご主人様がいたから。星さんには白蓮さんと仲間がいたから。
だからこそ、感じてしまったのかもしれない。深い、孤独を。
「だから、孤独の痛みを癒すには喪った繋がり……或いはそれに近いものが必要なんだろう……いや、今宵は酒が回っているせいかどうも話が冗長になる……。つまらない話だったな、すまない」
「ううん、星さんの話、すごくよくわかる」
「はは、酔っぱらいの戯言だよ。あまり本気にしないでくれ」
「戯言なんかじゃないよ……。大切なことを教わった」
「……そうか、説法は本来聖の領分なのだがな。君が何を得たかはともかく、話した甲斐があるというものだ」
そう言うと、星さんは椅子から立ち上がり、二階へ続く階段に向かう。
「蒲団を敷いてくるよ。確か二人分はあったはずだ……君も、眠たくなったら上がっておいで。ああ、戸締りだけは確認してからな」
目元を擦りつつ、星さんは階段を上って行った。それを見届けて、湯呑に残った水を飲み干す。
(繋がり……か)
星さんの言葉を頭の中で反復する。小難しい説法なんかより、よっぽど単純な言葉。単純であるが故に、それ程良いとは言えない私の頭にもすっと入ってくる。
思えば自分からそういった繋がりを作ろうとしたことは今まで無かったかもしれない。だったら、すぐにでも出来ることを実践するべきなのかも。
戸締りをし、灯りを落とし、二階に上がると、星さんは既にすやすやと寝息を立てていた。布団は並べて敷かれており、蒲団の脇には畳まれた着物が見える。少しサイズの大きい寝間着に着替え、私も蒲団に入る。
(おやすみなさい……)
小さく呟き、目を閉じる。すぐ隣から星さんの温かみが感じられて、私はすぐに眠りに落ちてしまう。
今夜は良い夢が見られそう。とても幸せな、温かい夢が。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
次の日、私は開口一番星さんにこう告げた。命蓮寺に、居候させてもらえないか、と。
星さんは二三度瞬きをし、にっこりと了承してくれた。
「まあ、皆が帰ってくるまではここに泊まると良い。と言うより、居てくれた方が、私も嬉しい」
「勿論っ、これからよろしくお願いします、星さんっ」
これからの日々が、さびしさなんて感じさせない、楽しい日々になることを、毘沙門天さまにお祈りしつつ。
私、多々良小傘は今日も笑顔で過ごすのでした。
目的は単純なこと。お腹が空いたから、誰か驚いてくれそうな人間を探しているのだ。
しかし今日は眩しいくらいに快晴。私のトレードマークの唐傘が日傘になってしまいそうなほどにカンカン照りだ。
ただでさえ幼い外見と大して強くも無い力、恐ろしいとは言い難い傘と驚かせる要因が乏しいのに、こうも晴れているとますます驚いてくれる人なんて減ってしまう。
「おーぅ、小傘ちゃん。今日も紫の傘が目立つねえ! 収穫はどんなもんだい?」
「あ、おっちゃん……今日も全然だめだよー。せめて雨の降りしきる夜でもないと誰も驚いちゃあくれないよー」
「かかか、違ぇねえ! しかもそんな夜に外をほっつき回る奴もそういねえからなあ。ま、精々頑張んな!」
「言われなくても頑張るよ! おっちゃんも、身体には気をつけろよー!」
今のおっちゃんも、昔……まだちっこい子供だった頃には驚いてくれてた。
だけど人間って生き物の成長ってのは早い。ほんの10年もすれば立派な大人になって、私を怖がらなくなってしまう。
そりゃあ、いつまでも子供でいられないのは世の常だけど、なんかこう、自分が取り残されているような気がしてしまう。
私がまだちゃんと使われていた頃も、ご主人様に忘れられて野ざらしになっていた頃も、付喪神になってこの姿になってからも、時間が経つのはとてもとても早い。
そういった感想を他の妖怪に話すと、
『別にそれが普通よ』
『時間は誰にとっても平等に存在する。ただ私たち妖怪はそれを享受する期間が長く、人間には短いだけ。多少の孤独なんてね、いずれ慣れるものよ』
と言っていた。
実際この幻想郷に住む妖怪の中で私はまだまだ年若い部類に入るらしいけれど、それでも人間たちよりはずっと長生きだ。
博麗の巫女も、白黒の魔法使いも、緑の巫女も、きっとすぐに大人になって、結婚して、子供を作って、死んでしまう。
そういうのを考えると、やっぱり少しさびしい。
ご主人様に忘れられて、置いて行かれたあの日のように、親しい人に置いて行かれることを考えると、それはとても悲しい……
「……やめやめ! 元気が取り柄のこの多々良小傘、しょぼくれたって良いことなんかないもんね!」
気分転換に、えいえいおー! と独り拳を振り上げる。
と、その時。情けないお腹の音とともに、今まで忘れていた空腹感が戻ってきた。気分転換も考え物である。
「うーん……困ったなぁ」
考えに窮して、とりあえず人里の方へと歩を進める。
里の中で人を驚かせようとしているのを見つかると、半獣の先生に怒られる。だから里を出た人……なるべく気弱そうで、年若いのを狙うという寸法だ。
程なくして人里が見えてくる。歩いている間も、頭上のお日様の照り付けは止むことはなく、日傘代わりに差していた傘の舌が渇いてしまっていた。傘のトレードマークの一ツ目も、どことなくドライアイ。後で水に浸けてあげないと……。
私自身もじっとりと汗ばんでいる。お腹にはあまり溜まらないが、キンキンに冷やしたトマトにかぶりついて、これまた冷えたお酒でキューっとやりたい衝動に駆られるけれど、勿論そんなお金は持っていない。盗んだりなんかしたらそれこそ大変な目に遭ってしまう。
街道の脇に立っている木の太い枝にひょい、と飛び乗り、木陰から獲物を探す。
が、運が悪いのかなんなのか、里から出てくるのはことごとく腕っ節の強そうな男衆。たまに女が出てくるから、それを狙おうかとも思ったけれど、よくよく見れば異変解決に出張ってくるメイドさんだったり、小さな人形を侍らせていたり、小さな女の子を連れたさでずむの化身のような妖怪だったりとどれも驚かせたらこちらが酷い目に遭いそうな面子ばかりだった。
(……当たって砕けるにしても限度があるよねー。痛いのはいやだし、絶対驚いてくれないし。私は天人みたいにいぢめられたいわけじゃないんだもの)
そんな待ち伏せをすること数時間。お日様も傾いて来て、本格的に人通りが少なくなってきて、私も諦めモードに入りつつあった時、頻繁にという訳じゃあないけれど、それなりに顔を合わせる機会のある人物が人里と反対方向から歩いてくるのが見えた。
その足取りはとてもじゃないが軽いとは言い難いもので、普段はピシリと伸びている背筋も、猫背にでもなったのかと思うほどに丸まってしまっている。どう見ても何かあったとしか思えないその姿に、驚かせようという気すら起こることなく、枝から飛び降りて声をかけた。飛び降りてきた私を視認して、そのひとの身体がびくりと震え、ほんの少しだけ私の胃袋が満たされた。
「あの……星、さんだよね?」
「ああ……小傘ちゃんか?」
声をかけた相手、命蓮寺のご本尊で毘沙門天の弟子、寅丸星さんは私を認識してほっと一息ついていた。
綺麗に整った美しい顔立ちが、やや疲れて見えたのは気のせいではあるまい。
「どうかしたの……? こんな時間に命蓮寺の外にいるなんて珍しいけど……」
「……いやぁ、これにはなんとも情けない事情があってだね」
数分後、私は絶句せざるを得ない状況にいた。寅丸さんにうっかりさんのケがあったのは知っていたけれど、まさかこんなことになろうとは。
「……つまり、何? 命蓮寺一同で魔界に旅行するってなって、星さんは置いてけぼり喰らったって訳?」
「……要約すると、そうなるが」
「で、でも……『私達が旅行中に檀家さんたちを放っておくのは困るから、お留守番が必要』って白蓮さんに言われたんだよね? 星さんは命蓮寺のご本尊様な訳だし、一応筋は通ってるんじゃ……?」
「ああ……私もナズーリンに本音を言われるまではそうだと信じていたんだよ……『もしも魔界で宝塔を失くされでもしたら探すのが本気で大変だから』とは、いやはや、情けない……本当に」
話によると、命蓮寺が船になって、魔界へと飛んで行ったのを見送った後、ナズーリンにぼそりと言われたらしい。
真偽の程を確かめる前に、探し物の依頼が貯まっているから、という理由でナズーリンはどこかへと飛んで行ってしまい、後に残されたのは呆然とした星さんだけだった、ということだそうだ。
「……それで星さん、今宝塔はちゃんと持ってる?」
「ああ、ちゃんと命蓮寺に置いて来てある。私が持っているより失くしにくそうなのが何とも言えなくてね……」
「結局持ってないんじゃん……いや、それじゃあ命蓮寺の皆が帰ってくるまで、星さんはどうするの?」
「一応人里に一軒、別邸がある。皆が帰ってくるまでは、そこで過ごす予定だよ」
流石は財宝が集まる程度の能力、と感心してしまう。私にも寝床と呼べるものはあるけれど、やっぱりちゃんとした家というものには憧れてしまう。
「せっかくだ。この後付き合ってくれないかな? どうにも一人で居ると物寂しさを感じずにはいられなくてね……」
「ん、いいよー。どうせ私もすることないし、ここで張ってても人を驚かせそうにないし」
「ああ、君は驚いた心を糧とする妖怪だったか。普通の食べ物で良ければ御馳走するが……」
「うん、そっちでもお腹膨れないこともないし。それに、美味しいご飯は大歓迎だよ!」
素直に嬉しい。誰かと食事をするのは楽しいことだ。美味しいものが食べられれば尚良し。
自然と笑顔になっていた私を見て、星さんはとても優しい表情をしていた。その表情は白蓮さんのそれとよく似ていて、ひとを穏やかにさせてくれるものだった。
「ふふ、では行こうか。話し込んでいる間に日が暮れてしまったしな、どこか料亭が開いていればいいが……」
「うんっ、ありがと、星さん」
「まだ御馳走していないのだけれどな」
その後、星さんのチョイスで、小洒落た雰囲気の料亭に入った。
聞けば、そこの主人は外の世界から来た人で、今は命蓮寺の檀家の一人なんだそうだ。
星さんの今日起こった話を聞くと、主人はケタケタと笑い、それを星さんがたしなめている。
「寅丸さんは忘れっぽいからなあ、そりゃあ仕方ないっちゃあ仕方ないですわ!」
「そんなに笑うこともないでしょう……」
「いやいや、これも休暇と思えば良いんですよ。寺に縛られない、束の間の休日ってやつです。……てなわけで、一杯奢りますよ?」
「あ、いや……お酒は戒律的にアレですから」
「俺とそこの女の子が黙ってりゃあバレませんって。ご安心を、ウチにはネズミはいませんから」
「しかし……ですね」
星さんが私の方を見る。なんだろう、この状況で私に何を望んでいるのか。ちなみに私はお酒も大歓迎、と目で訴えかけてみる。
「……小傘ちゃんがそこまで飲みたいというのなら、ええ、私も一杯だけ。ほら、お酒は一人で飲んでもつまらないものですし? 付き合ってあげるというのがマナーであって、戒律という縛りがあってもこればっかりは仕方ないというかなんと言うか……」
すごく……言い訳だった。それを聞いた料亭の主人が、よし来たとばかりに大きな桶を持ってくる。
中には氷水と、見慣れない酒瓶が一つ。それに生のままのトマトが三つ。……この主人、分かってるじゃない。完璧だよ。
「いやあ、晩酌に一人でやるのも乙かと思ったけど、やっぱり酒は誰かと分け合って飲むもんだ。それに、そのお相手が寅丸さんみたいな別嬪さんだと、余計に美味いってもんだわ」
「そ、そんな……私よりもこっちの小傘ちゃんの方が可愛らしいですし」
「ん……確かに可愛らしいが、うん、五年後が楽しみってとこだな!」
「……それってどういう意味なのさ」
食事を終え、命連寺の別邸へと歩く。隣には頬を上気させた星さんがいる。
とても楽しい食事だった。ここしばらくでは一番の。
一杯だけ、と言っていたけれど、結局星さんは三杯飲んだ。私も三杯飲んだけれど、星さんほど酔ってはいない。元々が動物な星さんと、無機物な傘である私とでは酒の強さに差があるのだろうか。主人が出したお酒が外の世界のお酒で、かなりキツイものだったこともあるのだろうけど。うん、塩トマトとの相性は抜群だった。
「んー、着いたよ。ここが別邸だ」
「おー、結構大きい」
古めかしさと清潔さが同居した、不思議な家。あまり使うことはなかったみたいだけれど、手入れは行き届いているようだ。
外見は完全な和風だが、中は和洋が入り混じっている。寺には無いであろう椅子に腰かけ、二人してくつろぐ。
「ん……酒を飲んだのは久しぶりだ。まだまだ煩悩には勝てんな」
「結構顔赤いよ? お水飲む?」
「そうだな……台所の甕に入っている。済まないが、一杯頼もうか」
「りょーかいっ」
指示されて向かった台所には、確かに大きな甕があった。蓋を開けると、水面に映った左右の色が違う瞳が私を見返す。湯呑に一杯掬い取り、一口飲む。良く冷えていて美味しい。多分ナズーリンが準備したのだろう。一々抜け目がない。
「持ってきたよー」
「ありがとう、小傘ちゃん」
星さんは一息で水を飲み干し、ぷはぁと息を漏らす。
私も水をちびちびと飲みつつ、それを眺めている。
「や、置いて行かれた時にはどうしようかと思ったが、案外そう悪いことでもなかったな」
「そうかなぁ……あ、いや、ご飯食べさせてもらったことについては本当に感謝してるけど」
「……そうか、すまん。君の生い立ちからすれば置いて行かれるというのは禁句だったか」
「あー、うん……でも、いいの! 今はほら、星さんが一緒だし!」
「だとしてもだ。君の古傷に触れてしまったことに変わりはない。すまなかった……」
「……いいんだよ。いずれ慣れるって、誰かが言ってたもん」
俯き気味にそう言い、星さんの顔を見ると、星さんは泣きそうな表情をしていた。
どうして貴女がそんな顔をするの?
どうしてそんなに、辛そうなの?
「……私は、長い時間、孤独に過ごす痛みを知っている。聖や寺の皆が封印されてからの数百年は、とても寂しく、永遠とも思える程に長かった。無論、人間との交流はあったが、それではとても心を紛らわせることなど出来なかった」
星さんは似ていたのだ。
ご主人様に忘れられ、長い時を孤独で過ごし、妖怪となった私。
親しかった人たちが遠くに行ってしまい、長い時を独りで耐えた星さん。
時間だけが過ぎ、自分だけが取り残されたような、そんな孤独を、星さんも知っていた。
「孤独の痛みは心に刻まれる。時間がそれを癒してくれるという者も居るが、私はそんなに強くなかった。どうしてだろうな、一介の虎だった頃は孤独なんて感じたことは無かったのに。他者との繋がりというものを喪って初めて気付くものなのかもしれないな……孤独ってやつは」
星さんの言葉には不思議な説得力があった。
確かに最初から独りなら、独りであることが常なら、繋がりを求めることもない。
私にはご主人様がいたから。星さんには白蓮さんと仲間がいたから。
だからこそ、感じてしまったのかもしれない。深い、孤独を。
「だから、孤独の痛みを癒すには喪った繋がり……或いはそれに近いものが必要なんだろう……いや、今宵は酒が回っているせいかどうも話が冗長になる……。つまらない話だったな、すまない」
「ううん、星さんの話、すごくよくわかる」
「はは、酔っぱらいの戯言だよ。あまり本気にしないでくれ」
「戯言なんかじゃないよ……。大切なことを教わった」
「……そうか、説法は本来聖の領分なのだがな。君が何を得たかはともかく、話した甲斐があるというものだ」
そう言うと、星さんは椅子から立ち上がり、二階へ続く階段に向かう。
「蒲団を敷いてくるよ。確か二人分はあったはずだ……君も、眠たくなったら上がっておいで。ああ、戸締りだけは確認してからな」
目元を擦りつつ、星さんは階段を上って行った。それを見届けて、湯呑に残った水を飲み干す。
(繋がり……か)
星さんの言葉を頭の中で反復する。小難しい説法なんかより、よっぽど単純な言葉。単純であるが故に、それ程良いとは言えない私の頭にもすっと入ってくる。
思えば自分からそういった繋がりを作ろうとしたことは今まで無かったかもしれない。だったら、すぐにでも出来ることを実践するべきなのかも。
戸締りをし、灯りを落とし、二階に上がると、星さんは既にすやすやと寝息を立てていた。布団は並べて敷かれており、蒲団の脇には畳まれた着物が見える。少しサイズの大きい寝間着に着替え、私も蒲団に入る。
(おやすみなさい……)
小さく呟き、目を閉じる。すぐ隣から星さんの温かみが感じられて、私はすぐに眠りに落ちてしまう。
今夜は良い夢が見られそう。とても幸せな、温かい夢が。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
次の日、私は開口一番星さんにこう告げた。命蓮寺に、居候させてもらえないか、と。
星さんは二三度瞬きをし、にっこりと了承してくれた。
「まあ、皆が帰ってくるまではここに泊まると良い。と言うより、居てくれた方が、私も嬉しい」
「勿論っ、これからよろしくお願いします、星さんっ」
これからの日々が、さびしさなんて感じさせない、楽しい日々になることを、毘沙門天さまにお祈りしつつ。
私、多々良小傘は今日も笑顔で過ごすのでした。
ただちょっと唐突だったり、もうちょと間に文が欲しいですね、更に良い作品になると思います
小傘かわいい。星がんばれ。次作以降も期待しています。