真夏日。
縁側でだらしなく身体を投げていた霊夢は空を睨んだ。
燦々としていて憎たらしい。
目が痛くなって、すぐに瞑る。
暗闇。視覚以外の感覚が鋭敏になる。
風鈴がちりん、ちりん、申し訳程度に鳴っている。
わずかに肌を撫ぜる風だけが今の癒しだ。
部屋の奥にこもっていては風が通らずに蒸し暑いだけ。
ならば多少なりとも風が吹いて涼しい縁側の方がいいかと思ったがそんなこともなさそうだ。
日が肌を射している。そう形容できるほどに日差しは鋭い。
蝉がわーん、わーん、と鳴いている。
ちゃぷちゃぷ。桶に張った水を素足でたたく。川辺で汲んだ最初は冷たかった水も今はいい加減ぬるくなってきていた。
「あつ……い」
どこにも逃げ場はないのか、と霊夢は夏に絶望しかける。
早く夜にならないかな。
それか川に身投げしたら少しは涼しくなるのかな、そんなことを考えていた時だ。
「こんにちは、霊夢。あら、あらあらあらあら。いくら夏だからって、そんな格好はあんまりよ? はしたないわ」
浮いた上海人形に真っ白な日傘を差させながら現れたアリスは、開口一番そうたしなめた。
「隣、失礼するわよ」
「どうぞー」
ちょこん、と霊夢の隣にアリスが座る。
日傘をたたんでそれをどこかにしまった上海人形もアリスの動きを真似するように座る。
ごくろうさま、そう上海人形の頭を撫でるアリス。上海人形が嬉しそうに顔を緩める。
「よくできているわねえ、それ」
「ええ、私の自慢の娘だからね」
上海人形とアリスはなんというか……きゃっきゃとしていた。
霊夢にはこのふたりをそうと以外にどんな風に形容すればいいかわからなかった。
何かが心に引っ掛かった気がして、アリスと上海人形の様子を眺めていた。
「どうしたの霊夢?」
「……なんでもないわ。ただ、仲が良いのねって思っただけ」
「混ざる?」
「遠慮するわ」
霊夢は相変わらず寝転がったままの姿勢だ。
アリスに向けていた視線をふいと逸らす。
「あらあら。ひとりじゃさみしいと思ったけどそういうわけではないのね」
「そんなの、今更よ」
霊夢に幼少期の記憶はない。物心ついた時からひとりで博麗神社の巫女をやっている。
それが今更寂しいなどという感情を抱くわけがない。
「わたしは今までずっとひとりだったし、これからもずっとひとりでいるつもりよ。だから寂しくなんて、ない」
「そう」
ちゃぷちゃぷ、ちゃぷちゃぷ。
霊夢は水の張った桶をたたく。
アリスもそれっきり黙ったまま。
それきり、無言の空間。
アリスは先ほどと同じように上海人形ときゃっきゃし始め、霊夢はその様子を茫洋と眺めていた。
その視線に気付かなかったわけではなかったのだろうが、あまり気にかけた様子ではないアリス。
霊夢もまたそんなアリスの態度にどうこう思ったわけではない。
あくまでお互いに自然体だ。
気まずさもなく、お互いがお互いに、思うがままに同じ空間で過ごしていた。
そういえばと霊夢はアリスの顔を凝視する。
この炎天下だというのに、汗ひとつかいていないようだった。
よくよくアリスの格好を見るとアリスの日差しに対するガードの固さが伺えた。
素肌をほとんど露出していない。晒されているのは首から上、手首から先、ロングスカートの先からすっと伸びる白い足のみだ。
「……暑くないの?」
「平気よ。体調管理はばっちりですもの」
体調管理は関係ないだろう。
体調管理で涼しくなるならみんな夏バテになんてならない。
「逆に聞くけどあなたはその格好で平気なの? 恥ずかしくないの? スカートとサラシだけってあなた……付け袖もつけてないし。
あれはあなたの本体じゃないの? それじゃああなた霊夢じゃなくてただの痴女になってしまうわ」
「痴女じゃないわよ失礼ね! あれつけてるとすごく蒸れるのよ。それにここに客なんてほとんど来ないから別にこんなでもなんの問
題もないわよ」
「私が来ているんだけど?」
「あなたは客じゃないでしょう。そういえばなんでこっち来たのよ。そんなに近いわけでもないのに」
「客よ。ちょっと、研究が煮詰まっちゃってね。気分転換になればいいなって思って遊びに来たの」
「ほら、客じゃない」
「ひどいわ。よよよ」
「ま、別にいいけどね。素敵なお賽銭箱はあちらよ」
寝転がったまま力なく賽銭箱を指差す霊夢。
仕方ないわねえと苦笑しながら立ち上がるアリス。
ちゃりんちゃりん。
二拍二礼一拍。
背後から見てもわかるくらいその様はあんまりにも真に迫っていた。
アリスは何を願ったのだろう。
この神社にろくなご利益なんて、ないのだけれど。
でも聞いてあげるくらいのことはできる。
ちりん、ちりーん。少し風が吹いてきたようで、鈴の音が良い感じに鳴る。
「完全な自律思考が出来る人形を創ること、を目指しているんだっけ?」
「ええ、そうね。道はまだまだ遠いわ」
「その上海人形は違うの? 見たところまるで自分の意志があるように見えるけれど」
「そう? ありがとう。でも、これではまだまだ自律思考ができているとは言い難いわ。結局は私が組んだプログラム通りに動いているだけだもの」
「ぷ、ぷろぐらむ……?」
「まあ、要は式ね。上海のこの反応や行動原理は所詮全てが私が命令したとおりに過ぎない。これでは完全な自律思考ができているとは決して言えない」
言いながらアリスは上海人形を撫でる。上海人形は嬉しそうに顔を緩める。ああ、と気付く。
上海人形のその表情は、先ほど見た上海人形のそれと全く同じであったから。
試しに上海人形の頭を撫でようと腕を伸ばす。アリスは気をきかしてその手を避けてくれる。
撫でる。金髪のさらさらとした感触の手触りがすごくよく、気持ちがいい。思わず撫でる手が止まらない。
上海人形を見る。全く同じ表情で顔を緩めている。表情が張り付いているのだ。
「ね、わかるでしょ? これではダメなのよ。もっと完全なものを作らなきゃ」
「あなたの言う完全って、なに?」
「難しい問い、ね。一言で言うならば……そうね、とってもすごいもの。誰もがそうとしか形容できないもの。
私はそんなとってもすごいものを自らのこの手で創りたい。
ごめんなさいね、こんな幼稚な回答で」
「構わないわ。賢いあなたがそう言うのだから、きっとこの問いはあなたにとってとても難く答え辛い問いだったんでしょうね」
「完全なものを、私は創りたい。それが私の私を動かす原動力。種族魔法使いになった理由。そうとだけ言うわ」
霊夢は考える。
そんな、自分でも説明できないようなものが創れるのか。
完全とは。アリスの言う完全な自律思考とは。とってもすごいものとは。
思考が浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返す。
アリスがきっと長年、それこそ何百年と生きて考えてきたことをわたしみたいな小娘が至れるとは思っていない。
それでも考えてしまう。
完全を目指すと言ったアリス。
「きっと完全なものなんて、存在しないわ」
息をするようにそんな言葉が滑り落ちた。
「知っているわ」
それに対するアリスの回答も、ごく自然なものだった。当たり前の事を当たり前のように、そう言った。
「でもだからこそ、私は完全を目指す」
「そんなもの存在しないって、わかっているんでしょう? なんでそんなものを目指すの。そんなものを目指したって仕方がないでしょう」
「いつかできることを目指したって、それこそ仕方がないでしょう」
「時間の無駄じゃないの。わたしが言うのもなんだけど、もう少し時間は有意義に使いなさいよ」
「時間だけはたくさんあるから」
「ふうん、ま、いいけど」
アリスがそう言うならそうなのだろう。仕方がない。
霊夢がどうこう突っ込める問題ではないのだ。というか口を出しすぎていた。
これ以上この話題に興味は持てず、それきりまたふたりは無言になる。
「ダルくなってきた」
「それはあなたがそうやってだらけているからよ。身体をしゃっきりさせないと、心もそれにつられてだらけてしまうわ。先ずは起きなさい」
「そういうものなの?」
「そういうものなの。身体がだらけているのに、心が元気になるわけないじゃない。逆もまたしかり」
「おーこーしーてー」
「……まったく、仕方がないわね。ほら、手」
「も少し伸ばして。届かない」
「もう。ほら、これ以上は伸ばさないわよ」
「はーい」
そうやって伸ばされたアリスの白い手を、霊夢は掴む。
腹筋の要領で起き上がる。
「……手、冷たいわね」
「私、体温低いのよね」
「だから長袖なのね」
「これは日差し避けのためだけどね。その理由もあるわ」
「左手も貸してよ」
「……いいけどね。はい」
伸ばされた左手も手に取る。握り合う。
「冷たいわねー。いい気持ち」
「あなたの手は熱いわね。それとべとべとしている。もう放してくれないかしら」
「ダメー」
霊夢は手をブンブン振り回す。
繋がれたアリスの手も当然それにつられてブンブン振り回される。
「やーめーなーさーいー」
「だーあーめー」
「あわわわわー」
ひとしきり振り回して満足したのか霊夢は両手を放す。
楽しくなってきた。
霊夢の中で何か火がついたのか、それで終わりではなかった。
霊夢はアリスに詰め寄る。
「えっちょ、どうしたの、霊夢。顔怖い」
「怖くない怖くなーい。はーい万歳してー」
「出来るわけないじゃないの。怖い」
ようやく危機感を覚えて後退りするアリスだが距離は開かない。後退るだけ霊夢が距離を詰めるから。
やけに息が荒い気がする。それは自覚していたがどうしてか自制はできなかった。
「さーわーらーせーろー」
「きゃあ!」
アリスは乱雑に手足を動かして霊夢を止めようとするが器用に押さえつける。
てんやわんやと霊夢がアリスの動きを完全に制しつつお腹やら太ももやらなんやらを触っていく。
触られるたびアリスは俗に言う絹を裂くような悲鳴をあげる。
生娘みたいに逃げまわるアリスが新鮮に感じて、調子に乗って追い立て、責め立てる。
アリスがいちいち可愛らしく悲鳴をあげるからいけないんだ。
最初はアリスの体温の低さを味わいたかっただけだけど、今では目的がアリスの悲鳴を聞くことに移行してしまっている。
顔を真っ赤にした涙目でひくひく身体を痙攣させるアリス。
その上に乗っかかって完全に抵抗の動きを制して、今にも一線を超えるために空いた右手をスカートに伸ばそうとしている霊夢。
完全に、霊夢がアリスを押し倒してこれからことに至ろうかという図式だった。
そこでようやく霊夢は正気を取り戻し、びたりと手を止める。
おずおずとアリスの顔を見ると目があってしまい、霊夢の方からそむけてしまう。
「えっと……その……ご、ごめん」
「な、なによいまさら……えうぅ」
あわあわと慌てる。とりあえずアリスから退いたほうがいいよねと思い、そうしようとするが身体が言うことを聞かなかった。
自在に動かないこの身体がもどかしい。どうしてこの身体は言うことを聞かない。言う通りに動かない。
どうしようもなく、ふたりは互いを見つめ合う。
霊夢は助けを求めるように。
アリスは、相変わらず真っ赤なままの涙目で。
停滞したこの状況が責め立てるように身を苛む。
いっそ、この手をアリスにまで伸ばしたほうが楽になるんじゃないかと思ったほどだ。
そうすればいいんじゃないか。
同意を求めるようにアリスを見る。
アリスは何かをこらえるように目を瞑った。
不自然に止まった時が動き出す。
「思いついたああああ!!」
アリスの絶叫だった。
のしかかった霊夢を物ともせずにアリスは立ち上がった。
その時におでことおでこがぶつかり合うがアリスにダメージは一切入ってなかった。
「閃いた。これよ、このアイディアがあれば私の研究が前進するわ。さっそく帰ってまとめなきゃ!」
そう言って足早にアリスは帰宅の準備を整える。
霊夢はわけがわらないといった状態だ。
頭の中を疑問が渦巻いている。
「え、あれっ、え、うん?」
痛むおでこを押さえることも忘れて状況の急変にただ霊夢は翻弄される。
「ごめんなさいね霊夢。あ、これおみやげの氷菓子。冷えてるうちに食べてね美味しいから! じゃ! またね!」
どこから取り出したのか、バスケットを押し付けられる。ここに来た時にはそんなものを持ってきていなかったような気はする。
「えっ、あ、うん?」
「おいで上海!」
そう呼びかけて、アリスは上海人形と空を飛んで去った。
未だになんの状況も理解できないままバスケットを抱えている霊夢をおいて。
もくり、もくもく。アリスのおみやげの氷菓子を銀食器を使って頬張る。
アリスの気遣いか、銀食器もバスケットの中に入っていたのだ。
家にある食器ではこの氷菓子を食べるのは難しいため、この気遣いは助かった。
これがなかったら素手で食べることになっていた。
「おいしい」
火照った身体が良い感じに冷えてきた。
晩ご飯はこれで済ませよう。食欲もあまりないし、何より食器を洗うのが面倒だ。
寝る準備を整える。
遅くまで起きていてもすることなどない。
心の何処かがちくりと刺さったような気がしたけど、気のせいだと霊夢は一蹴した。
しかしなんとなく手持ち無沙汰になったような気分に陥ってしまう。
何かが足りなくなったような感覚。
これまでこんな経験をしたことがなかった霊夢はどうすればいいのかと戸惑う。
ふと視界に、アリスが持ってきたバスケットが映る。
なんとなしにバスケットを抱えてみる。
そうすると、不思議と妙な感覚がなくなって、少し落ち着けた。
どうしてか考えてみたが霊夢には皆目検討もつかなかった。
軽いはずのバスケットは謎の重みを以って霊夢にのしかかっていた。
一線を越えたらもっとよかったのに...ニヤニヤが止まらないぜ。
彼女のような存在を乙女と呼ぶのでしょうね
最初「なんだかこのアリス紫みたいだなー」とか思ってました。