六月も終わる三十日。この日は夏越の祓。半年の罪や穢れを祓う日だ。
博麗神社は梅雨に似合わぬ麗らかな日差しに包まれていた。
陽光の下、二人で神社の影に居た。訪れるものはいつもの通りからっきしで、魔理沙が来ていたのもいつも通り。ただ霊夢の前にはいつもらしからぬ物が揺れていた。
「霊夢が銭持ってるのは似合わないなぁ」
魔理沙は銭と霊夢を交互に眺める。
賽銭箱の隣で二人座っていた。霊夢は目の前で銭差しを垂らす。銭差しには銭が目一杯通されていて、その重さと価値を霊夢は手首で感じていた。
「こういうのには縁が無いと思っていたけど……」
「見ない内に神社はそんなに儲かっていたのかい?いや、今日は夏越の祓だから参拝客が多いのかな」
不意に前から声が聞こえて、霊夢は銭差しを横にずらして姿を確認する。緋色のように赤い二つ結びの髪、帯だけ和服のような服、大きな鎌が少し不釣り合いな小野塚小町が小さく手を降っていた。
「最初はあんたの仕業かと思ったんだけどね。こうやって時々さぼったり、道草食べたり、油を売ったりしに来るから」
霊夢は目を細めて小町を見る。小町は首を傾げる。
「何でも空から降ってきたらしい。そういう怪異なんだと」
「へぇ、銭降りって奴かい。死ぬまで降るとも言うが、まだ降るのかい?」
小町は頭を左右に振りながら言う。
「当てつけか知らないけど賽銭箱じゃなくて周りに落ちてるんだから、ちょっと頭に来たわ。だから祓っちゃった」
「言ってくれれば私が屋根を吹き飛ばしてやったんだが……」
「大きなお世話」
「でも金が降ってくるなんて目出度い怪異はないだろうに」」
「こういう銭は生活感が無いというか、薄気味悪いのよね。まぁ降った分は頂いておくけど」
「薄気味悪くたって価値あるお金。お金ってのは怖いからねぇ、使い方は考えたほうがいいよ」
小町が霊夢達の日陰に身を移しつつ、両手首を曲げてお化けのポーズをする。霊夢は銭差しを取り敢えず腰に垂らした。
「ところで今日は夏越の祓だろう。博麗神社なら何かしてると思ったのに、何もしないのかい。てっきりそれで珍しく賽銭が貯まったのかと」
「んー、茅の輪くぐりやろうかと思ったけど、人が来ないかもと思って大幣だけ置いたの」
「この霊夢の持ってる奴のお化けバージョンみたいな奴か」
魔理沙が賽銭箱の近くに置かれていた大幣を掴んで掲げた。大量の細かい紙垂が綿のようにふわりと揺れる。
「へえ、自祓い用のかい?あたいもやっていこうか」
「死神がそんな事したら何か支障出るんじゃないの」
「折角だから私がやろうか、自祓いってどうやるんだ?」
霊夢は魔理沙から大幣を取ると、日の当たる場所まで進むと魔理沙の方に振り返り大幣を構えた。
「簡単簡単、これを左・右・左の順で振るう。振り払うわけじゃないからゆっくりね」
霊言いながら敬いをこめて、左・右・左と大幣を振る。微かに紙の擦れ合う音を立てて紙垂が揺れる。
能のように奥ゆかしい動きに小町も魔理沙も黙って見ていた。
「こうやって自分の厄とか穢れを幣に移すの、自祓い用のは平常で置いてる所もあるけど、うちは今日だけなんだから、お得よ」
「へー、でも自祓いって色んな人が同じの使うんだろ?なんというか、他の人の厄が移ったりしそうで嫌だなぁ」
魔理沙は頬を掻きながら少し近寄りがたそうにする。
「幣は基本的に依り代なんだけど……人形とかに比べて万能で容量も大きいの、幣が大きければ凄い神様とかも完全な状態で普通に宿らせられるんだから。対照的に悪いものをちまちまと移して貯める事もできる」
「でもその分やり方も色々ややこしいのさ。触れなくても物を移したりできたりもするが、処分するのは色々と面倒だったりね」
小町が得意げに付け足す。
「なるほどな、人の厄如きが出てくるほど貯まる事はないのか」
魔理沙は大幣を霊夢から受け取ると、同じ場所に立ち見よう見まねでぎこちなく振った。つまらなさそうに振り終わると元の位置に大幣を戻して箒に持ち替えた。再び霊夢達の前に立つ。
「やっぱり私はこっちの方がしっくりくる。ちょっと里にでも行こうと思うんだが、一緒に行かないか」
霊夢は少し考えたが人が来る気配がない現状もあり、せっかくお金が有るんだからと行くことにした。
里はまさに平凡としていた。何処からか美味しい匂いがしたり、店先に
籠や縄などの雑貨を置いている店や本当の油屋、呉服屋、箍屋。
霊夢は何か買おうかと考え始めると何が神社にあって何が無いのか、必死に思い起こす。気を抜くと全部買いたくなるし、気を入れると何も買わなくてもまだ平気と思えて霊夢は頭を抱えた。
魔理沙は叩き売りされていた星の砂を買った。霊夢が何故そんな物を買うのかと問うと、前から欲しかったのだという。
「霊夢も偶には役に立つか分からないものでも買ったらいいぞ」
と言われるも、価値観の違いというべきか。霊夢は余計に何を買えば良いのか分からなくなる。結局霊夢の腰の銭は減らないまま時間が過ぎ、まず茶屋で一服するという事になった。
「で、なんであんたはまだ居るのよ。油屋に弟子入りでもしにきたの」
小町も一緒に着いてきていた。縁台で三人横に並んで座り、小町は笑いながら返す。
「泡銭じゃないか、皆でぱあっと使うのかと思って。とりあえずお茶三つだね、あたいはあとお団子でいいよ」
「私はこの抹茶のケーキが食べたいな」
「そんなの有るんだ、って私が奢るのよね?」
霊夢はふてくされつつも、泡銭なのは確かだったので、まあいいかと餅を頼む。
「折角お金があるなら贅沢すりゃいいのに」
三人でお茶を啜りながら、見る物も無いので自然と会話で花の代用でもしようとなる。
「あんまりお金使おうと思わないのよね、沢山貯めておきたい訳でもないけど」
「そりゃおまへさん、巫女は、幣を持っているからさ」
小町は団子に頬をゆるませながら言う。不思議な顔をする二人に小町は団子を喉奥に押し通して続ける。
「お金も幣と同じで払うものなんだよ、お金のこと貨幣って言うだろう?」
「ふーむ、なるほど」
「そう言えば銭で病気の部分を擦って後ろ手に捨てて治す。なんてのもあるわね」
「そうそう、それは直接的だね。他にもお金を使うのは物とかに対する支払いの為だけど、支払うためだけに金を使う人は中々居ない。何か別の物を払うためなのさ」
「ふむ、食べ物を買うのも支払う為じゃなくて、お腹を満たすためだしな。考え様によれば空腹という悪い状態を払うためなわけだ」
魔理沙は黒文字でケーキを小さく切って口に放り込む。
「だから無駄に買い物とかする奴は、何か自分の中に悪いものが貯まってるのを金を使って無意識に払おうとしてる。逆に普段から別の行動で払ったりしてる様な奴や、そもそも満たされてる奴はお金を使う事自体に意味を感じにくい」
小町は団子の刺さった串で霊夢を指したが、霊夢は餅の方を見ていた。
「じゃあ、浪費癖がある人は神社にお払いしに来ればいいのになぁ」
「有料だったらどっちもどっちなんじゃないか」
「お金でもその場は払えてるのさ、根本を断たないとね。何を払うかじゃなくて、何の為に払っているのか」
しばらく雑談した後、霊夢が支払いを済ませた。
「何で私はわざわざ里に来て奢ってるのかしら……」
「悪霊を払うより、お金払う方が信仰は稼げるもんだよ」
「絶対それ信仰じゃないでしょ。信仰は即物的な物に繋がらないの」
「茶屋で過ごした時間はプライスレスだぜ」
「あはは、違いないね。山の神社みたいに幻想郷に価値ある変革を目に見せてやろうってのも悪くはなさそうだけど」
小町は思い出したように戻らないと大目玉だからと言って、そそくさと戻っていった。霊夢と魔理沙はどうするか考えて、結局買い物はまたの機会にすることにした。夏越の祓で守矢神社は何をやっているのか、見習うもとい冷やかしに行く方が楽しそう。二人は何となしにそう決めた。
二人はあれこれ想像し、里から出ると妖怪の山へと向かう。
「早苗の所は立派な茅の輪を用意してそうだけど」
「立派かぁ、諏訪子の持ってる輪っかに火をつけて早苗がくぐるとかかな」
「曲芸じゃあるまいし……でもありそうなのが怖い」
「楽しみだなぁ、ってなんだありゃ」
魔理沙は突然、木陰を見つめ立ち止まった。じっと目を凝らす。
「どうしたの?」
霊夢は三歩遅れて魔理沙を振り返る。
「いやな、そこに金の幣が立ってて――」
それを聞いて霊夢は驚き、急いで魔理沙の手を取ると乱暴に引っ張って視線を逸らした。
「見ない方がいいわよ。手遅れかもしれないけど」
「おお?どうした急に」
魔理沙は落ちそうになった帽子をどうにか手で押さえた。霊夢は魔理沙の目を見て言葉を続けた。
「山で神社でもないのに立ってる幣は不吉なの、何が宿ってるか分からないし……最悪見ただけで死ぬ予兆なんて場合もあるんだから」
「げ、まずいものを見てしまったな……」
「幣を焼けば良いとも言うけど」
「火の力か、なら私の八卦炉の力で――」
ばしっ。
魔理沙はそこまで笑顔で言うと、その顔を崩さずに霊夢の手を払いのけた。
「ちょっと!」
「いや、なんだ、急に身体が勝手にだな……」
何を馬鹿な、と霊夢が言う前にひょこひょこと妙な足取りで箒も手から離し魔理沙は茂みの中に突っ込んでいった。
まさか金の幣を見たせいなのか。霊夢は冗談でないと思い慌てて茂みに突っ込んだ。
「どこいるのよー!」
「何か体がうまく動かないぞ!動かしてるんだが思ったように動いてない」
霊夢には既に魔理沙の姿は見えず、がさがさと茂みをかき分ける音と声だけが届いた。意識は有るようだが……何かに憑かれているような感じなのだろうか、霊夢はあれこれ考えつつもこのまま埒があかないので上を飛んで把握を試みる。
飛んでみるとすぐ側に川が流れていた。山の斜面は中腹より下でやや緩やかにはなっているが、その分水量が多く下手に落ちたら危険な場所だ。
霊夢が少し見回すと魔理沙はその川縁に斜めに生えていた木に手で必死にしがみついていた。
明らかに自分の意志と違う物が川に飛び込ませようとしているのが見て取れる。しがみついてはいるが指先は掴もうとしてるのか離そうとしてるのか小刻みに震えていた。霊夢は木の元まで降りると魔理沙の手をしっかり木に捕まれる位置に持っていき押さえた。
「ちょっと大丈夫?」
「見ると不吉どころの騒ぎじゃないなこりゃ。何とか慣れて少し動かせる様にはなったが……どうにもあいつをどうにかしないと駄目らしい。でも見ない方が良いんだっけか」
魔理沙は手に力を込めつつ頭だけで対岸の方を軽くと向ける。帽子が川に落ちて流れていった。
「あんたとは鍛え方が違うからね、へっちゃらよ」
霊夢も覚悟して顔を向けるとそこにあったのは金色の幣だった。所謂幣帛と呼ばれるものだ、稚児の背丈より高いであろうそれは幣帛として神妙な存在感と共に川岸に在る。紙垂の部分も紙や布ではなく金属でできていて、それもまた霊夢に揺るぎのない厳粛な空気を感じさせた。
幸いか身体が操られるようなことは無かった霊夢は、何をしてくるのかわく分からない幣にゆっくりと寄る。まずできることをと思い普、段から使っている妖怪退治用の札を取り出すと幣に叩きつけた。
「あんまり悪さしてると痛い目見るわよ」
と霊夢は付け足すが、魔理沙の動きは相変わらずで、幣自体も微かに揺れるも何事もないかの様に立っている。札は力なくその場に落ちる。
元より言葉が返ってることは期待していない霊夢だったが焦りが増した。手応えは感じられて、どうやら悪さしてるのは単純にこれに宿っている何からしい。
落ちた札が軽い風に飛ばされて、霊夢の足下に運ばれてきた。
霊夢はそれを拾い上げてくしゃくしゃに丸めた。
幣にはあまり強い意志のような物を感じない。
宿っている物が問題なのだ。幣には明確な神や悪霊が宿っている訳ではなく、漠然とした小さい穢れや、念のなもの……ただの塵芥が宿っていてひとまとめになっているような。
山に放置されていた為に雑多な物が宿ってしまって、偶々悪い物が多かったから、現状の様な事になっているのかもしれない。霊夢は落ち着いて考えをまとめる。
明確な意志が有る訳でもなく、誰かが意図して依った物でもないそれは、自ら出て行くことは無い。中に居るものにとってはそれが当たり前だからだ。こうなったら無理矢理中の物を引き剥がすしかない。
だが霊夢は手持ちの物で剥がせるか分からなかった。そもそも準備をしても直ぐに剥がせるのだろうかと不安になる。
しかも金属となると簡単に焼くこともできない。
「霊夢ー、さっさと片付けてくれー」
魔理沙は野次でも飛ばすように暢気に言うが表情は決して楽そうではなかった。疲れと、気を抜いたら川に落とされて最悪死ぬのではないか、という恐怖は徐々に心をすり減らす。
霊夢の表情も次第に雲行きが怪しくなっていた。
「ああ、もう……とにかく外に出てきなさいよ」
霊夢はこちらに移してしまえればこっちでどうにでもできると考え、いつもの御幣を振ってどうにか移せないか試みる。
――バキィ――
「んなっ─!」
霊夢は目を丸くした。考え空しく、数度か振った御幣は中腹が内側から破裂するようにして折れた。普段の御幣ではとてもまかなえる物では無かったらしい。
霊夢は手に残った棒を茫然と眺めるしかなかった。
「おいおい……大丈夫か?」
流石に魔理沙もそれを見て不安を掻き立てられ弱い声を漏らす。
「やることはしょっぱいくせに、何て厄介なのよ……もう!」
霊夢の焦りは次第に無力感へと色を変えていく。万策つきていた。霊夢はどうしようもなくなり苛立ちに任せて幣帛を蹴り始める。
「~~!」
金属紙垂の角に足があたり思わず飛び退いて悶えた。片足で跳ねると腰辺りで鳴る物に気づく。銭差しの音だ。
「あ、そういえば……」
小町の言葉を思い返す。貨幣。お金も幣と同じで払うものなんだよ。そうだ、銭ならまだ腰に銭差しがある。これを使えば多少はが出来るかもしれない。無駄だとしても、後で拾えば良いのだし。
霊夢は心を決めると、おもむろに腰から銭差しを外す。
棒状になった銭の束を掴んで思いきり振りかぶる。それなりに重かったが兎に角勢い任せに手を前に振る。
「えーい!もってけ泥棒!」
適当に絞り出したかけ声と共に霊夢は手を離した。転びそうに成りながら投げた銭は霊夢が想定したよりずっと力強く幣帛に直撃した。
ぴゃいーん!
間の抜けた音が辺りに響く。
棒状だった銭は幣帛に当たると同時に紐が切れて個々に砕け散った。
盛大に弾けた銭は多くがはぽちゃぽちゃと川に落ち、いくらかは地面に落ちまた音を響かせる。同時に幣は奇妙な色に変色し始めた。
霊夢は紐が切れるとは夢にも思わず唖然としたが、不気味に変色していく幣の方が目に留まった。しかし、よく見ると変色というより腐食しているようだった。
どぼん、と一際大きい水音がした。
魔理沙が川に落ちた。霊夢は幣はとりあえず放置して、魔理沙の方へ向かった。
魔理沙は自ら飛び込んだというよりは力尽きて自然に落ちた。霊夢は手をひっぱって何とか川岸に上げ、様子をうかがう。もう操られているという訳でもなさそうで、息も普通にしている。軽く失神してしまっているようだった。塗れたまま放置するのも忍びなかったが、幣の方が厄介な状況になっていたら危険と思い。霊夢は幣の方に戻った。
幣の方は殆ど跡形もなく朽ち果てていた。
霊夢は頭を傾げた。幣のあったところにはボロボロになった鉄屑だけが残っている。金色なだけで本当の金ではなかったのか、あるいは金なのに錆びたのか。ただ一つ言えそうなことはどうやら中にあったモノを払えたとらしいという事だ。
詰め込まれていたからこそ、完全で、如何なる事象も受け付けなかったのだ。空っぽになった幣は今まで入り込めなかった分、本来起こるべき変化が急激に起きて朽ちてしまったのだろう。
雑多なモノが幣に依っていたと思っていたが、幣もまたモノに依存していた。それだけだ。
「大変だったね」
今度は魔理沙の方に戻ろうと振り向くと小町が立っていた。
「あんた戻ったんじゃなかったっけ?」
「ちょっと顔出して戻ってきたのさ、あたいはそういうの得意だからさ。戻ったら幣と格闘してたというわけ」
訝しげに目を細める霊夢に小町は微笑しながら言う。そのまま霊夢の横を素通りし、朽ちた幣の周りに散らばる銭を一つ拾った。
「あっちで魔理沙が伸びてるから、行ってくる」
「ちょっとまった。あいつならもう大丈夫だろう、それよりこの銭を放置しておくのもまずい」
霊夢は小町が指で摘んだ銭を見る。
「あら、その銭……」
言葉に詰まった。見た目は普通の銭なのだが、違和感を感じる。偽物のような、でもそんな筈はない、先ほどまで持っていたのだから。霊夢はうまく表現できなかった。ただ何故そうなっているのかは想像ができる。
「幣の中のが移ってるのよね」
「それだけじゃないぞ、お前さんがあんまり強く投げたからか知らないが、元々あったものがどっかいっちゃったんだよ」
「銭に元々有るもの……価値とか?」
「そう、銭の価値ってのは人間の取り決めの中にあるだろう。理屈はあれど本来以上の価値っていう見えないものが依っていたんだ」
小町は銭をぴんと弾く。霊夢はそれを手のひらで受け取った。
「だからこの銭は気持ち悪いのね、本物なのに価値を感じないから」
霊夢はじっと銭を見つめた。おそらく幣の中のモノは分散して銭に憑いたのだろう、危険という感じはしない。銭はその物本来以上の価値を持ち、誰もがその認識を共有し、その価値自体はいつまでも劣化しない。貨幣とは本来そうあるべき物。
誰もがその認識を共有するというのは信仰の様でもあり、常識の様な物であり、それでいて儚い。貨幣の価値が無くなるとすれば価値を信じなくなった時の筈だが、目の前の銭はその根に当たる価値が有るという部分が抜けてしまったいるようだった。
「これはもう貨幣じゃないのね。まあ、御幣で払えなかった物が銭で払えたのか不思議だっけど。その分の大きな物が抜けてたなら当然かしら。確かにこれは流通させたらややこしいことになりそう」
霊夢は散らばっている銭を拾い集める。川に落ちた物は流れもあり拾うことができなかった。しかし結局拾った銭もどうしたらいいのか思いつかず、その辺の柔らかな土の部分に穴を掘って幣の残骸と一緒に埋めることにした。
「あんたも手伝ってよ」
「あんまりあたいが首を突っ込む事でもないし」
「十分突っ込んでるように思うけどね」
「いたいた、あれ小町は帰ったんじゃなかったか」
霊夢が穴に銭を敷き足で埋めていると、魔理沙が靴から水をぐしゃぐしゃと潰す音を立てながら歩いてきた。小町はさっきと同じ事を言うと笑った。
「なんだ、ちょっと心配したけど元気そう。杞憂だったかしら」
「なんだとはなんだ、寧ろ私がこんなに濡れてるのはなんなんだ。早苗のところに行こうとしてた筈だったような?」
魔理沙は不思議そうに頭を掻いた。霊夢と小町は顔を見合わせる。今し方のことはあまり覚えてないようだった。
「やあ、霊夢」
「今日も来たの?濡れたまま帰ったし風邪でもひいてるかと思ったけど」
「なんとも無さそうだ」
「ちょっと元気ないくらいが丁度いいのにね」
夏越の祓を一日過ぎた博麗神社。二人は昨日と同じ場所に腰を下ろした。いつも通りだ。
「それにしても本当に不思議だ、山を登ったところから先が思い出せなくてそっちの方が気分悪い」
「覚えて無いんなら必要無いことなんでしょう」
「何があったか教えてくれよ」
「面白いことは無かったし、いいじゃないの」
魔理沙は金の幣を見た後のことを全く覚えていなかった。あの幣を見た時から魔理沙は幣に汚染されていたのだろうか。幣に半分操られていたのだから、無い話ではない。
罪や穢れが祓えるのなら、人の記憶や感情なんて簡単に払えてしまうのかもしれない。
霊夢は魔理沙の言葉を聞き流すと、七月の空をぼんやり見上げた。昨日と代わり映えのしない空だった。
魔理沙は答える気の見えない霊夢にため息を一つしてから話題を変えた。
「じゃあ昨日あった銭はどうしたんだ。振ってきたって銭。茶屋を出たときはまだ有ったのに。まさか全部使ったのか?」
「あー、うん。使っちゃった」
「おいおい、一夜でスッカラカンとは羽振りが良すぎるんじゃないか」
幣に依って居た物を銭に移す。そういう意味では確かに使った。
「別に何に使おうが私の勝手でしょ」
「そのくらいは教えてくれたっていいだろう、神社の備品とかか」
「そう使えたらどんなに良かったか」
「随分と退屈な物に使ってしまったようだな」
魔理沙はにししと笑ってみせる。霊夢は呆れて賽銭箱にもたれた。ただ変に借りと思われるのも気分が悪いと考えて真相は黙っておくことにした。
「退屈はしない買い物だったけどね」
「何に使ったのか皆目見当がつかん、小町も言ってたじゃないか、何を払うかでなく、何のために払うのか――ってな」
「何のためかしら。まあ……別に後悔するような使い方したつもりはない、こうしていられるのが一番。くだらないものを買ったと言えばそうだし。替えの効かない大切なものと言えばそうでもあるし」
霊夢はぼんやり言うと目だけちらりと魔理沙の方に向けた。魔理沙は目を向けられる前に鍔をひっぱって帽子を深めに被った。
「そ、そうか……私はそろそろ帰るかな」
魔理沙はそのまま鍔を持ちながら立つと歩き始めた。顔を見せないよ うにしているのは一目瞭然。まさかと思って霊夢は顔をしかめた。
「もしかして、本当は昨日の事覚えてるんじゃないでしょうね」
霊夢の呼びかけに魔理沙はぴくりと震えて動きを止めた。ゆっくりと振り返る。
「いやぁ、本当にさっきまでは忘れてたんだけど……今の話きいたらなんか霊夢が助けてくれたって事は思いだしてしまった」
鍔をあげた魔理沙はへにゃりと笑う。霊夢は計ったなと言わんばかりの形相で魔理沙を睨みかえした。
目が合うと、魔理沙は更に照れくさそうにした。思い出したいと言っていながら、妙にしおらしい魔理沙に霊夢は可笑しくなって、自然と顔が緩む。
「なんで勝手に照れくさそうにしてんのよ」
二人で自然と笑いあう。
「なんだありゃ、噂に聞く青春ドラマという奴?」
物陰から様子を見ていた小町は出るタイミングを完全に見失っていた。
仕方なく木陰に腰を下ろしから遠巻きに二人の様子を見てみる。
「人の手を巡っている銭ってのもいろんな物が憑いてるもんだけど……そうかあれは降ってきた銭だったか」
銭は人が持っているだけで色んな物が宿り、移り、また直ぐに変化もする。
寂しがり屋の銭を持っていると仲間を呼ぶからがま口が潤うとか、悪銭は身に付かないとか、皆似たようなものだ。
船賃に貰う金もその人の為に誰かが払った銭だが、一様ではない。
人の手に渡る前は白紙状態で色んな物を取り込もうとする。払うのと同義でもある。
だから霊夢は金の幣を見ても銭の方に移っても平気だったのかもしれない。小町は一人納得するように頷く。銭は怖くもあり、優しくもあるのだ。
小町が再び霊夢たちを見ると、何故か二人とも闘志向きだしで段幕ごっこが始まりそうな気配だった。いつの間にかギャラリーの様な物までいる。
「今度は青春活劇かな、人間って面白いねぇ」
余計に出るのが億劫になってしまい、小町は立ち上がるとこっそり神社を後にした。
半分が終わり半分が始まる七月。神社は変わらずいつも通りだった。
静かな木陰の下、二人の喧騒を遠背に小町は思う。
どうして魔理沙は払われた筈の昨日のことを思い出せたのか。
案外単純な事の様に思う。奇しくも巫女である霊夢の周りはいつだって沢山の人妖がよって来ている。
でもその多くはきっとどうやっても払えない物だ。
誰も霊夢に依っているのではなく、ただ会いに寄って来ているだけなのだから。
博麗神社は梅雨に似合わぬ麗らかな日差しに包まれていた。
陽光の下、二人で神社の影に居た。訪れるものはいつもの通りからっきしで、魔理沙が来ていたのもいつも通り。ただ霊夢の前にはいつもらしからぬ物が揺れていた。
「霊夢が銭持ってるのは似合わないなぁ」
魔理沙は銭と霊夢を交互に眺める。
賽銭箱の隣で二人座っていた。霊夢は目の前で銭差しを垂らす。銭差しには銭が目一杯通されていて、その重さと価値を霊夢は手首で感じていた。
「こういうのには縁が無いと思っていたけど……」
「見ない内に神社はそんなに儲かっていたのかい?いや、今日は夏越の祓だから参拝客が多いのかな」
不意に前から声が聞こえて、霊夢は銭差しを横にずらして姿を確認する。緋色のように赤い二つ結びの髪、帯だけ和服のような服、大きな鎌が少し不釣り合いな小野塚小町が小さく手を降っていた。
「最初はあんたの仕業かと思ったんだけどね。こうやって時々さぼったり、道草食べたり、油を売ったりしに来るから」
霊夢は目を細めて小町を見る。小町は首を傾げる。
「何でも空から降ってきたらしい。そういう怪異なんだと」
「へぇ、銭降りって奴かい。死ぬまで降るとも言うが、まだ降るのかい?」
小町は頭を左右に振りながら言う。
「当てつけか知らないけど賽銭箱じゃなくて周りに落ちてるんだから、ちょっと頭に来たわ。だから祓っちゃった」
「言ってくれれば私が屋根を吹き飛ばしてやったんだが……」
「大きなお世話」
「でも金が降ってくるなんて目出度い怪異はないだろうに」」
「こういう銭は生活感が無いというか、薄気味悪いのよね。まぁ降った分は頂いておくけど」
「薄気味悪くたって価値あるお金。お金ってのは怖いからねぇ、使い方は考えたほうがいいよ」
小町が霊夢達の日陰に身を移しつつ、両手首を曲げてお化けのポーズをする。霊夢は銭差しを取り敢えず腰に垂らした。
「ところで今日は夏越の祓だろう。博麗神社なら何かしてると思ったのに、何もしないのかい。てっきりそれで珍しく賽銭が貯まったのかと」
「んー、茅の輪くぐりやろうかと思ったけど、人が来ないかもと思って大幣だけ置いたの」
「この霊夢の持ってる奴のお化けバージョンみたいな奴か」
魔理沙が賽銭箱の近くに置かれていた大幣を掴んで掲げた。大量の細かい紙垂が綿のようにふわりと揺れる。
「へえ、自祓い用のかい?あたいもやっていこうか」
「死神がそんな事したら何か支障出るんじゃないの」
「折角だから私がやろうか、自祓いってどうやるんだ?」
霊夢は魔理沙から大幣を取ると、日の当たる場所まで進むと魔理沙の方に振り返り大幣を構えた。
「簡単簡単、これを左・右・左の順で振るう。振り払うわけじゃないからゆっくりね」
霊言いながら敬いをこめて、左・右・左と大幣を振る。微かに紙の擦れ合う音を立てて紙垂が揺れる。
能のように奥ゆかしい動きに小町も魔理沙も黙って見ていた。
「こうやって自分の厄とか穢れを幣に移すの、自祓い用のは平常で置いてる所もあるけど、うちは今日だけなんだから、お得よ」
「へー、でも自祓いって色んな人が同じの使うんだろ?なんというか、他の人の厄が移ったりしそうで嫌だなぁ」
魔理沙は頬を掻きながら少し近寄りがたそうにする。
「幣は基本的に依り代なんだけど……人形とかに比べて万能で容量も大きいの、幣が大きければ凄い神様とかも完全な状態で普通に宿らせられるんだから。対照的に悪いものをちまちまと移して貯める事もできる」
「でもその分やり方も色々ややこしいのさ。触れなくても物を移したりできたりもするが、処分するのは色々と面倒だったりね」
小町が得意げに付け足す。
「なるほどな、人の厄如きが出てくるほど貯まる事はないのか」
魔理沙は大幣を霊夢から受け取ると、同じ場所に立ち見よう見まねでぎこちなく振った。つまらなさそうに振り終わると元の位置に大幣を戻して箒に持ち替えた。再び霊夢達の前に立つ。
「やっぱり私はこっちの方がしっくりくる。ちょっと里にでも行こうと思うんだが、一緒に行かないか」
霊夢は少し考えたが人が来る気配がない現状もあり、せっかくお金が有るんだからと行くことにした。
里はまさに平凡としていた。何処からか美味しい匂いがしたり、店先に
籠や縄などの雑貨を置いている店や本当の油屋、呉服屋、箍屋。
霊夢は何か買おうかと考え始めると何が神社にあって何が無いのか、必死に思い起こす。気を抜くと全部買いたくなるし、気を入れると何も買わなくてもまだ平気と思えて霊夢は頭を抱えた。
魔理沙は叩き売りされていた星の砂を買った。霊夢が何故そんな物を買うのかと問うと、前から欲しかったのだという。
「霊夢も偶には役に立つか分からないものでも買ったらいいぞ」
と言われるも、価値観の違いというべきか。霊夢は余計に何を買えば良いのか分からなくなる。結局霊夢の腰の銭は減らないまま時間が過ぎ、まず茶屋で一服するという事になった。
「で、なんであんたはまだ居るのよ。油屋に弟子入りでもしにきたの」
小町も一緒に着いてきていた。縁台で三人横に並んで座り、小町は笑いながら返す。
「泡銭じゃないか、皆でぱあっと使うのかと思って。とりあえずお茶三つだね、あたいはあとお団子でいいよ」
「私はこの抹茶のケーキが食べたいな」
「そんなの有るんだ、って私が奢るのよね?」
霊夢はふてくされつつも、泡銭なのは確かだったので、まあいいかと餅を頼む。
「折角お金があるなら贅沢すりゃいいのに」
三人でお茶を啜りながら、見る物も無いので自然と会話で花の代用でもしようとなる。
「あんまりお金使おうと思わないのよね、沢山貯めておきたい訳でもないけど」
「そりゃおまへさん、巫女は、幣を持っているからさ」
小町は団子に頬をゆるませながら言う。不思議な顔をする二人に小町は団子を喉奥に押し通して続ける。
「お金も幣と同じで払うものなんだよ、お金のこと貨幣って言うだろう?」
「ふーむ、なるほど」
「そう言えば銭で病気の部分を擦って後ろ手に捨てて治す。なんてのもあるわね」
「そうそう、それは直接的だね。他にもお金を使うのは物とかに対する支払いの為だけど、支払うためだけに金を使う人は中々居ない。何か別の物を払うためなのさ」
「ふむ、食べ物を買うのも支払う為じゃなくて、お腹を満たすためだしな。考え様によれば空腹という悪い状態を払うためなわけだ」
魔理沙は黒文字でケーキを小さく切って口に放り込む。
「だから無駄に買い物とかする奴は、何か自分の中に悪いものが貯まってるのを金を使って無意識に払おうとしてる。逆に普段から別の行動で払ったりしてる様な奴や、そもそも満たされてる奴はお金を使う事自体に意味を感じにくい」
小町は団子の刺さった串で霊夢を指したが、霊夢は餅の方を見ていた。
「じゃあ、浪費癖がある人は神社にお払いしに来ればいいのになぁ」
「有料だったらどっちもどっちなんじゃないか」
「お金でもその場は払えてるのさ、根本を断たないとね。何を払うかじゃなくて、何の為に払っているのか」
しばらく雑談した後、霊夢が支払いを済ませた。
「何で私はわざわざ里に来て奢ってるのかしら……」
「悪霊を払うより、お金払う方が信仰は稼げるもんだよ」
「絶対それ信仰じゃないでしょ。信仰は即物的な物に繋がらないの」
「茶屋で過ごした時間はプライスレスだぜ」
「あはは、違いないね。山の神社みたいに幻想郷に価値ある変革を目に見せてやろうってのも悪くはなさそうだけど」
小町は思い出したように戻らないと大目玉だからと言って、そそくさと戻っていった。霊夢と魔理沙はどうするか考えて、結局買い物はまたの機会にすることにした。夏越の祓で守矢神社は何をやっているのか、見習うもとい冷やかしに行く方が楽しそう。二人は何となしにそう決めた。
二人はあれこれ想像し、里から出ると妖怪の山へと向かう。
「早苗の所は立派な茅の輪を用意してそうだけど」
「立派かぁ、諏訪子の持ってる輪っかに火をつけて早苗がくぐるとかかな」
「曲芸じゃあるまいし……でもありそうなのが怖い」
「楽しみだなぁ、ってなんだありゃ」
魔理沙は突然、木陰を見つめ立ち止まった。じっと目を凝らす。
「どうしたの?」
霊夢は三歩遅れて魔理沙を振り返る。
「いやな、そこに金の幣が立ってて――」
それを聞いて霊夢は驚き、急いで魔理沙の手を取ると乱暴に引っ張って視線を逸らした。
「見ない方がいいわよ。手遅れかもしれないけど」
「おお?どうした急に」
魔理沙は落ちそうになった帽子をどうにか手で押さえた。霊夢は魔理沙の目を見て言葉を続けた。
「山で神社でもないのに立ってる幣は不吉なの、何が宿ってるか分からないし……最悪見ただけで死ぬ予兆なんて場合もあるんだから」
「げ、まずいものを見てしまったな……」
「幣を焼けば良いとも言うけど」
「火の力か、なら私の八卦炉の力で――」
ばしっ。
魔理沙はそこまで笑顔で言うと、その顔を崩さずに霊夢の手を払いのけた。
「ちょっと!」
「いや、なんだ、急に身体が勝手にだな……」
何を馬鹿な、と霊夢が言う前にひょこひょこと妙な足取りで箒も手から離し魔理沙は茂みの中に突っ込んでいった。
まさか金の幣を見たせいなのか。霊夢は冗談でないと思い慌てて茂みに突っ込んだ。
「どこいるのよー!」
「何か体がうまく動かないぞ!動かしてるんだが思ったように動いてない」
霊夢には既に魔理沙の姿は見えず、がさがさと茂みをかき分ける音と声だけが届いた。意識は有るようだが……何かに憑かれているような感じなのだろうか、霊夢はあれこれ考えつつもこのまま埒があかないので上を飛んで把握を試みる。
飛んでみるとすぐ側に川が流れていた。山の斜面は中腹より下でやや緩やかにはなっているが、その分水量が多く下手に落ちたら危険な場所だ。
霊夢が少し見回すと魔理沙はその川縁に斜めに生えていた木に手で必死にしがみついていた。
明らかに自分の意志と違う物が川に飛び込ませようとしているのが見て取れる。しがみついてはいるが指先は掴もうとしてるのか離そうとしてるのか小刻みに震えていた。霊夢は木の元まで降りると魔理沙の手をしっかり木に捕まれる位置に持っていき押さえた。
「ちょっと大丈夫?」
「見ると不吉どころの騒ぎじゃないなこりゃ。何とか慣れて少し動かせる様にはなったが……どうにもあいつをどうにかしないと駄目らしい。でも見ない方が良いんだっけか」
魔理沙は手に力を込めつつ頭だけで対岸の方を軽くと向ける。帽子が川に落ちて流れていった。
「あんたとは鍛え方が違うからね、へっちゃらよ」
霊夢も覚悟して顔を向けるとそこにあったのは金色の幣だった。所謂幣帛と呼ばれるものだ、稚児の背丈より高いであろうそれは幣帛として神妙な存在感と共に川岸に在る。紙垂の部分も紙や布ではなく金属でできていて、それもまた霊夢に揺るぎのない厳粛な空気を感じさせた。
幸いか身体が操られるようなことは無かった霊夢は、何をしてくるのかわく分からない幣にゆっくりと寄る。まずできることをと思い普、段から使っている妖怪退治用の札を取り出すと幣に叩きつけた。
「あんまり悪さしてると痛い目見るわよ」
と霊夢は付け足すが、魔理沙の動きは相変わらずで、幣自体も微かに揺れるも何事もないかの様に立っている。札は力なくその場に落ちる。
元より言葉が返ってることは期待していない霊夢だったが焦りが増した。手応えは感じられて、どうやら悪さしてるのは単純にこれに宿っている何からしい。
落ちた札が軽い風に飛ばされて、霊夢の足下に運ばれてきた。
霊夢はそれを拾い上げてくしゃくしゃに丸めた。
幣にはあまり強い意志のような物を感じない。
宿っている物が問題なのだ。幣には明確な神や悪霊が宿っている訳ではなく、漠然とした小さい穢れや、念のなもの……ただの塵芥が宿っていてひとまとめになっているような。
山に放置されていた為に雑多な物が宿ってしまって、偶々悪い物が多かったから、現状の様な事になっているのかもしれない。霊夢は落ち着いて考えをまとめる。
明確な意志が有る訳でもなく、誰かが意図して依った物でもないそれは、自ら出て行くことは無い。中に居るものにとってはそれが当たり前だからだ。こうなったら無理矢理中の物を引き剥がすしかない。
だが霊夢は手持ちの物で剥がせるか分からなかった。そもそも準備をしても直ぐに剥がせるのだろうかと不安になる。
しかも金属となると簡単に焼くこともできない。
「霊夢ー、さっさと片付けてくれー」
魔理沙は野次でも飛ばすように暢気に言うが表情は決して楽そうではなかった。疲れと、気を抜いたら川に落とされて最悪死ぬのではないか、という恐怖は徐々に心をすり減らす。
霊夢の表情も次第に雲行きが怪しくなっていた。
「ああ、もう……とにかく外に出てきなさいよ」
霊夢はこちらに移してしまえればこっちでどうにでもできると考え、いつもの御幣を振ってどうにか移せないか試みる。
――バキィ――
「んなっ─!」
霊夢は目を丸くした。考え空しく、数度か振った御幣は中腹が内側から破裂するようにして折れた。普段の御幣ではとてもまかなえる物では無かったらしい。
霊夢は手に残った棒を茫然と眺めるしかなかった。
「おいおい……大丈夫か?」
流石に魔理沙もそれを見て不安を掻き立てられ弱い声を漏らす。
「やることはしょっぱいくせに、何て厄介なのよ……もう!」
霊夢の焦りは次第に無力感へと色を変えていく。万策つきていた。霊夢はどうしようもなくなり苛立ちに任せて幣帛を蹴り始める。
「~~!」
金属紙垂の角に足があたり思わず飛び退いて悶えた。片足で跳ねると腰辺りで鳴る物に気づく。銭差しの音だ。
「あ、そういえば……」
小町の言葉を思い返す。貨幣。お金も幣と同じで払うものなんだよ。そうだ、銭ならまだ腰に銭差しがある。これを使えば多少はが出来るかもしれない。無駄だとしても、後で拾えば良いのだし。
霊夢は心を決めると、おもむろに腰から銭差しを外す。
棒状になった銭の束を掴んで思いきり振りかぶる。それなりに重かったが兎に角勢い任せに手を前に振る。
「えーい!もってけ泥棒!」
適当に絞り出したかけ声と共に霊夢は手を離した。転びそうに成りながら投げた銭は霊夢が想定したよりずっと力強く幣帛に直撃した。
ぴゃいーん!
間の抜けた音が辺りに響く。
棒状だった銭は幣帛に当たると同時に紐が切れて個々に砕け散った。
盛大に弾けた銭は多くがはぽちゃぽちゃと川に落ち、いくらかは地面に落ちまた音を響かせる。同時に幣は奇妙な色に変色し始めた。
霊夢は紐が切れるとは夢にも思わず唖然としたが、不気味に変色していく幣の方が目に留まった。しかし、よく見ると変色というより腐食しているようだった。
どぼん、と一際大きい水音がした。
魔理沙が川に落ちた。霊夢は幣はとりあえず放置して、魔理沙の方へ向かった。
魔理沙は自ら飛び込んだというよりは力尽きて自然に落ちた。霊夢は手をひっぱって何とか川岸に上げ、様子をうかがう。もう操られているという訳でもなさそうで、息も普通にしている。軽く失神してしまっているようだった。塗れたまま放置するのも忍びなかったが、幣の方が厄介な状況になっていたら危険と思い。霊夢は幣の方に戻った。
幣の方は殆ど跡形もなく朽ち果てていた。
霊夢は頭を傾げた。幣のあったところにはボロボロになった鉄屑だけが残っている。金色なだけで本当の金ではなかったのか、あるいは金なのに錆びたのか。ただ一つ言えそうなことはどうやら中にあったモノを払えたとらしいという事だ。
詰め込まれていたからこそ、完全で、如何なる事象も受け付けなかったのだ。空っぽになった幣は今まで入り込めなかった分、本来起こるべき変化が急激に起きて朽ちてしまったのだろう。
雑多なモノが幣に依っていたと思っていたが、幣もまたモノに依存していた。それだけだ。
「大変だったね」
今度は魔理沙の方に戻ろうと振り向くと小町が立っていた。
「あんた戻ったんじゃなかったっけ?」
「ちょっと顔出して戻ってきたのさ、あたいはそういうの得意だからさ。戻ったら幣と格闘してたというわけ」
訝しげに目を細める霊夢に小町は微笑しながら言う。そのまま霊夢の横を素通りし、朽ちた幣の周りに散らばる銭を一つ拾った。
「あっちで魔理沙が伸びてるから、行ってくる」
「ちょっとまった。あいつならもう大丈夫だろう、それよりこの銭を放置しておくのもまずい」
霊夢は小町が指で摘んだ銭を見る。
「あら、その銭……」
言葉に詰まった。見た目は普通の銭なのだが、違和感を感じる。偽物のような、でもそんな筈はない、先ほどまで持っていたのだから。霊夢はうまく表現できなかった。ただ何故そうなっているのかは想像ができる。
「幣の中のが移ってるのよね」
「それだけじゃないぞ、お前さんがあんまり強く投げたからか知らないが、元々あったものがどっかいっちゃったんだよ」
「銭に元々有るもの……価値とか?」
「そう、銭の価値ってのは人間の取り決めの中にあるだろう。理屈はあれど本来以上の価値っていう見えないものが依っていたんだ」
小町は銭をぴんと弾く。霊夢はそれを手のひらで受け取った。
「だからこの銭は気持ち悪いのね、本物なのに価値を感じないから」
霊夢はじっと銭を見つめた。おそらく幣の中のモノは分散して銭に憑いたのだろう、危険という感じはしない。銭はその物本来以上の価値を持ち、誰もがその認識を共有し、その価値自体はいつまでも劣化しない。貨幣とは本来そうあるべき物。
誰もがその認識を共有するというのは信仰の様でもあり、常識の様な物であり、それでいて儚い。貨幣の価値が無くなるとすれば価値を信じなくなった時の筈だが、目の前の銭はその根に当たる価値が有るという部分が抜けてしまったいるようだった。
「これはもう貨幣じゃないのね。まあ、御幣で払えなかった物が銭で払えたのか不思議だっけど。その分の大きな物が抜けてたなら当然かしら。確かにこれは流通させたらややこしいことになりそう」
霊夢は散らばっている銭を拾い集める。川に落ちた物は流れもあり拾うことができなかった。しかし結局拾った銭もどうしたらいいのか思いつかず、その辺の柔らかな土の部分に穴を掘って幣の残骸と一緒に埋めることにした。
「あんたも手伝ってよ」
「あんまりあたいが首を突っ込む事でもないし」
「十分突っ込んでるように思うけどね」
「いたいた、あれ小町は帰ったんじゃなかったか」
霊夢が穴に銭を敷き足で埋めていると、魔理沙が靴から水をぐしゃぐしゃと潰す音を立てながら歩いてきた。小町はさっきと同じ事を言うと笑った。
「なんだ、ちょっと心配したけど元気そう。杞憂だったかしら」
「なんだとはなんだ、寧ろ私がこんなに濡れてるのはなんなんだ。早苗のところに行こうとしてた筈だったような?」
魔理沙は不思議そうに頭を掻いた。霊夢と小町は顔を見合わせる。今し方のことはあまり覚えてないようだった。
「やあ、霊夢」
「今日も来たの?濡れたまま帰ったし風邪でもひいてるかと思ったけど」
「なんとも無さそうだ」
「ちょっと元気ないくらいが丁度いいのにね」
夏越の祓を一日過ぎた博麗神社。二人は昨日と同じ場所に腰を下ろした。いつも通りだ。
「それにしても本当に不思議だ、山を登ったところから先が思い出せなくてそっちの方が気分悪い」
「覚えて無いんなら必要無いことなんでしょう」
「何があったか教えてくれよ」
「面白いことは無かったし、いいじゃないの」
魔理沙は金の幣を見た後のことを全く覚えていなかった。あの幣を見た時から魔理沙は幣に汚染されていたのだろうか。幣に半分操られていたのだから、無い話ではない。
罪や穢れが祓えるのなら、人の記憶や感情なんて簡単に払えてしまうのかもしれない。
霊夢は魔理沙の言葉を聞き流すと、七月の空をぼんやり見上げた。昨日と代わり映えのしない空だった。
魔理沙は答える気の見えない霊夢にため息を一つしてから話題を変えた。
「じゃあ昨日あった銭はどうしたんだ。振ってきたって銭。茶屋を出たときはまだ有ったのに。まさか全部使ったのか?」
「あー、うん。使っちゃった」
「おいおい、一夜でスッカラカンとは羽振りが良すぎるんじゃないか」
幣に依って居た物を銭に移す。そういう意味では確かに使った。
「別に何に使おうが私の勝手でしょ」
「そのくらいは教えてくれたっていいだろう、神社の備品とかか」
「そう使えたらどんなに良かったか」
「随分と退屈な物に使ってしまったようだな」
魔理沙はにししと笑ってみせる。霊夢は呆れて賽銭箱にもたれた。ただ変に借りと思われるのも気分が悪いと考えて真相は黙っておくことにした。
「退屈はしない買い物だったけどね」
「何に使ったのか皆目見当がつかん、小町も言ってたじゃないか、何を払うかでなく、何のために払うのか――ってな」
「何のためかしら。まあ……別に後悔するような使い方したつもりはない、こうしていられるのが一番。くだらないものを買ったと言えばそうだし。替えの効かない大切なものと言えばそうでもあるし」
霊夢はぼんやり言うと目だけちらりと魔理沙の方に向けた。魔理沙は目を向けられる前に鍔をひっぱって帽子を深めに被った。
「そ、そうか……私はそろそろ帰るかな」
魔理沙はそのまま鍔を持ちながら立つと歩き始めた。顔を見せないよ うにしているのは一目瞭然。まさかと思って霊夢は顔をしかめた。
「もしかして、本当は昨日の事覚えてるんじゃないでしょうね」
霊夢の呼びかけに魔理沙はぴくりと震えて動きを止めた。ゆっくりと振り返る。
「いやぁ、本当にさっきまでは忘れてたんだけど……今の話きいたらなんか霊夢が助けてくれたって事は思いだしてしまった」
鍔をあげた魔理沙はへにゃりと笑う。霊夢は計ったなと言わんばかりの形相で魔理沙を睨みかえした。
目が合うと、魔理沙は更に照れくさそうにした。思い出したいと言っていながら、妙にしおらしい魔理沙に霊夢は可笑しくなって、自然と顔が緩む。
「なんで勝手に照れくさそうにしてんのよ」
二人で自然と笑いあう。
「なんだありゃ、噂に聞く青春ドラマという奴?」
物陰から様子を見ていた小町は出るタイミングを完全に見失っていた。
仕方なく木陰に腰を下ろしから遠巻きに二人の様子を見てみる。
「人の手を巡っている銭ってのもいろんな物が憑いてるもんだけど……そうかあれは降ってきた銭だったか」
銭は人が持っているだけで色んな物が宿り、移り、また直ぐに変化もする。
寂しがり屋の銭を持っていると仲間を呼ぶからがま口が潤うとか、悪銭は身に付かないとか、皆似たようなものだ。
船賃に貰う金もその人の為に誰かが払った銭だが、一様ではない。
人の手に渡る前は白紙状態で色んな物を取り込もうとする。払うのと同義でもある。
だから霊夢は金の幣を見ても銭の方に移っても平気だったのかもしれない。小町は一人納得するように頷く。銭は怖くもあり、優しくもあるのだ。
小町が再び霊夢たちを見ると、何故か二人とも闘志向きだしで段幕ごっこが始まりそうな気配だった。いつの間にかギャラリーの様な物までいる。
「今度は青春活劇かな、人間って面白いねぇ」
余計に出るのが億劫になってしまい、小町は立ち上がるとこっそり神社を後にした。
半分が終わり半分が始まる七月。神社は変わらずいつも通りだった。
静かな木陰の下、二人の喧騒を遠背に小町は思う。
どうして魔理沙は払われた筈の昨日のことを思い出せたのか。
案外単純な事の様に思う。奇しくも巫女である霊夢の周りはいつだって沢山の人妖がよって来ている。
でもその多くはきっとどうやっても払えない物だ。
誰も霊夢に依っているのではなく、ただ会いに寄って来ているだけなのだから。
100点入れざるを得ないじゃないか。
とても面白かったです。
最後、何で弾幕勝負になりそうな空気になったのかはわかりませんが、霊夢と魔理沙は互いに信頼し合う大切な存在だと言うことを改めて認識しました。
思わずニヤニヤしてしまったことを白状します。
ただちょっと誤字が多くて読みづらい部分があったのが残念に思ったことも白状しておきます。
とはいえ面白い作品でした。
次回も期待しております。
>どうして魔理沙は払われた筈の昨日のことを思い出せたのか。
>案外単純な事の様に思う。奇しくも巫女である霊夢の周りはいつだって沢山の人妖がよって来ている。
>でもその多くはきっとどうやっても払えない物だ。
>誰も霊夢に依っているのではなく、ただ会いに寄って来ているだけなのだから。
……つまりどういう事だってばよ?正直良く解らなかった、教えて作者様!
しかし銭は払うもの、かあ。我々の世界の方がはるかに金銭に依存しているのに、その怖さも優しさも、心得ていませんよね。
いろいろと考えさせられます。
はー、霊夢さん可愛い。
今回も面白かった
特に小町のキャラクターが私の中でどんぴしゃで嬉しい。貨幣のうんちく語るのとか実にそれっぽい。
面白い考え方ですねえ
楽しく読めました
幻想郷らしいと思いました
異変というほど大げさなものじゃないけれど、日常の中に突然湧いて出てくるおかしな出来事を、うまく描かれていてとても好みです。霊夢が魔理沙をどう思っているのか、最後の二人の会話で垣間見ることできるのがいいですね。
こういう日常のちょっとした事件とか大好物です
気持ちいい読後感に浸れました
今年は近所の神社の茅の輪くぐらなかったな
貨幣は経済の血液。そして、瀉血は病を払う場合があります。