祖母から、手紙と写真が届いた。読んで気分が悪くなった。
もう自分は子供では居られないのかしら。そんな事を、空を見上げて考える。
真っ青な空には雲一つないけれども、今は梅雨だ。明日には雨天曇天に変わってしまう事だろう。
そういえば一週間もすれば七夕だっけ。昔はお母さんとよく天の川を見たけれども、ここ数年は曇ってしまって見れていないことを思い出す。
「……今年は見れるかな」
博麗神社の母屋の縁側で、一人、呟いた。
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萃香の鶴の一声で開催されている博麗神社での大宴会。当然地主である博麗霊夢も参加はしていたが、どうにも気乗りしていなかった。
普段なら誘われるままに飲み比べに付き合って潰されているところだが、どうにもそんな気分にはなれない。
空を見上げると、雲が無い七月頭の空が出迎えてくれたが、参加者間の噂によると明日は雨らしい。
七夕に晴れてくれることを祈っていると、視界の端にアリス・マーガトロイドの姿が映った。神木に背を預け、茣蓙に座って酒を飲んでいる。
喧騒から離れたところで落ち付いて飲んでいる姿を見て、今日はあそこで飲もうと思い、一升瓶と水が入った徳利片手に歩み寄った。
「隣、良い?」
アリスはゆったりと視線を上げると、変化の乏しい表情のまま「どうぞ」と呟いた。お言葉に甘えて隣に腰掛け、間に徳利と一升瓶を置く。
お猪口へ注いできゅっと一杯。そのまま天狗と鬼の飲み比べ対決へと視線を移した。毎度毎度、天狗の沽券だか矜持だか知らないが、文のやつもそろそろ諦めればいいのに。
喋ることなく、ただただ隣り合って酒を飲む。基本的に騒がしい輩しかいない幻想郷で、特に宴会でこんな飲み方ができる知り合いはアリスくらいのものだ。
アリスと飲むときは、互いに話さない。それこそ、最初の挨拶と、別れの挨拶だけなのが普通で、酷い時はそれすらなく無言で腰を降ろし、何も言わず立ち去ったこともあるくらいだ。
だけれども、それくらいの関係がかえって居心地が良かった。
昨日届いたあの手紙を見てからというもの、今まで考えもしなかった未来の事に想いを馳せなければいけなくなってしまったようで、肩がこる。
そんなことに縛られる自分では無かったはずなのに、やっぱり身内の言葉には弱いということなのだろうか。
そういえば、アリスの人形はみんな洋服を着ている。ということは専門の店で買っているか、自作しているかのどちらかに違いない。
それならば、呉服屋にも詳しいかも。祖母からの手紙に記されていた「お洒落にも気を使え」という言葉に習おうと思ったけれども、そんなことに関心が無かったせいで呉服屋にはまるで詳しくないから、なんとか聞きたいところだけれども……もうずっと話さずに飲んできたせいで、声のかけ方を忘れてしまった。
なんとか話すきっかけを作れないもんかと思い悩むこと数十分。気が付けば飲み比べは萃香の勝ちで終結し、さらにはその萃香も、周囲の賑やかしも呑まれて眠り始めていく。
すでに辺りが鎮まったあたりで「何か喋らなければ」という一念から、ようやく「もうすぐ七夕ね」という言葉を絞り出した。
アリスの視線がこちらに向いたのが気配でわかるが、なんとなくがっついて振り向くのは嫌だったから前を見たまま口を動かす。
「今年は天の川、見れるかしら」
「もう梅雨明けくらいの天気だし、見れるんじゃないかしら?当日にならないと何とも言えないけれどもね」
「そっか」
よかった、なんとか話が始まった。でも、いきなり洋服の話をするのもどうかと思って尻込んでしまう。とりあえず、何かを話そう。
「アリス」
「何?」
「私さ」
「うん」
「お見合いしろって言われた」
気が付いたら、誰にも話すつもりが無かった手紙の話が零れていた。だけれども、今更引っ込めることはできなくて、ぽろぽろと喉の奥から溢れてくる。
「母方の祖母から勧められてね、私はまだ齢二十にもなってないのだから待って欲しいって断ったのだけれども」
「うん」
「もうそういうの考えなきゃいけないのかなって、少しブルーになっちゃった」
「まだ子供で居たいの?」
子供で居たい、か。どうなんだろう。大人になりたくないってわけではないのだけれども。
でも、まだこのままで居たいとは、思った。
「うーん、わからない。いつかは子を為して後取りを育ててさ、それが巫女になるか宮司になるかは知らないけれど、必要なんだろうなぁとは思う」
「うん」
「でも、なんていうのかな。まだ面倒なのよね。巫女っていう仕事、楽しいし」
「まだまだ引退する気は無い、と」
アリスが隣で徳利の水をお猪口に注いでいるようで、水音が聞こえた。
こんな愚痴みたいな話を聞いて、言葉で返してくれている。それだけで、どこか心が軽くなっていくのがわかった。
「そうなのかも」
「良いんじゃないの?愛や信念の無い結婚ですら続かないのに、お見合いなんてその場の雰囲気で決まる出会いなんかで結ばれても長続きしないでしょう」
「そうかな」
「例えばお見合いして、相手がそこそこ顔も性格も良くて、まあこの人ならって思って結婚したとするじゃない。いざ二人で新居に移って生活してみたら、その相手がチンチロ賭博に嵌ってたって発覚したら、どう?」
「……それは嫌ね」
賭博なんて家財を食いつぶすだけな行為は真っ平ごめんだ。
「そういうこと。その程度のことはいくらでも隠せるからね。見合うにしてもちゃんと精査しないとダメよ」
「なんかアリスが人生の先輩みたいなこと言ってる」
「ダメかしら?」
「でも確かあんたって私よりチビだった時期があったし、年下なんじゃ」
「精神年齢の違いでしょう」
そんな事を言うアリスに思わず反論したくなったけれど、今の私が何を言っても負け犬の遠吠えになる気がしたから止めておいた。
「まあ、アリス先輩の勧めもあるし、あと数年はこの生活を続けるわ」
「先輩の言うことは聴くもの。わかってるじゃないの」
「なんかむかつく」
「貴女が振ったんでしょうに」
「うぬぅ」と言葉に詰まってしまう。何の気なしにアリスへと振り向くと、精巧な人形のような顔を赤くして遠くを見つめていた。
蒼の相貌が天の川のようで、母の事を思い出す。蒼と天の川が好きだったあの人を思い出すと、心が安らぐのが自分でもわかった。
そうだ、洋服は蒼にしよう。天の川をモチーフにした、紺の空。光る星々。そんな服を探そう。
「ところでさ、アリス」
「うん?」
こちらを向いたアリスを見据えて本題を口にする。愚痴ったおかげか、さっきよりは幾分かスムーズに言えた。
「おばあちゃ……祖母にさ、もうちょっとお洒落にも気を使えって言われたんだけれども、生まれてこのかたおめかしってのをしたことがないのよ」
「あら、綺麗な髪と顔をしてるのに勿体無い」
「なんか言葉の節々から危ない匂いを感じるから退治してもいい?」
「褒め言葉くらい素直に受け取っておきなさい。それで?」
なんだろう、気恥ずかしい。褒められたことが少ないからか、はたまた相談内容からか、反射的に目を逸らして茣蓙を見つめていた。
「だからさ、アリスは人形の服とかも自前だろうし、良い呉服屋とか知ってるかなって」
「うーん、そりゃあそこそこ詳しいつもりだけれども。洋服主体の私に頼むのに『呉服屋』を紹介して欲しいと言われても。洋服と和服のどっちが欲しいの?」
そうか、呉服屋と洋服屋は違うのか。早速一つ勉強になった気がする。
「浴衣とかは持ってるし、和服も知り合いの呉服屋があるからいいんだけれども、洋服ってのがどうにも手を出しづらいのよ」
「どんな服が欲しいの?」
「まだわからないわよ。自分で見てもいないのに」
本当は心に決めていたけれども、なんとなくそれは話す気になれなかった。
自分で探したいっていうのはもちろんだし、母との思い出は私の思い出だから、あまり外に出したくなかったから。
「そりゃあそうよね。ならいくつかメモを書いてあげる」
「助かるわ。こういうの相談できるの、アリスしか思いつかなくて」
「これくらいならお安い御用よ」
頼りになる旧友がしたためた綺麗な字に目を通し、早速明日から回ってみようと決意した。
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「ここも、無いか」
宴会から三日が経った。おとといは宴会の後片づけで、昨日は急な妖怪退治で買い物に来れなかったから、今日こそはと気合を入れてきたのだけれども、どの店にも気に入る一品は置いてない。
すでにメモの店を半分は回ってしまったし、残りの半分でなんとか見つけたいのだけれども、こうもかすりもしないと言い知れぬ不安が思考を犯し始める。
「できれば、七夕までに見つけたいけど……あっ」
メモとにらめっこしながら歩いていると、頭にぽたりと水滴が落ちてきた。
不審に思い見上げたら案の定空は真っ黒い雲に覆われていて、今にも振り始めそうな雰囲気に包まれている。
メモをポケットへ仕舞い、急いで走りだすのと雨が降り始めるのがほぼ同時だった。
ひとまず近くにまだ入っていない洋服店があったからそこへと駆け込む。
「いらっしゃいませ~」
店員の挨拶を尻目に外を見ると、みるみるうちに雨足が強まっていった。これはひどい夕立になりそうだ。
とりあえず店内を物色し、蒼の洋服を片っ端から眺めていく。
変な記号が羅列したものから、絵が描かれているもの、綺麗な模様が入っているものと様々だけれども、肝心のデザインは一向に現れない。
四半刻もしたころには全ての蒼の服を見終わってしまった。外を眺めると、まだまだ振り止みそうにないようで、このままでは貴重な時間を無駄にしてしまう。
焦りが苛立ちに代わり、待っていられなくなって、結局大雨の中に飛び出した。
次の店へ向かって大通りをひた走る。ようやく着いた頃には全身びしゃびしゃに濡れそぼり、入り口で店員に入店を止められてしまった。
「困りますよ、そんな濡れちゃってるのに商品を掴まれたらかないません」
「私は客よ、そこをなんとか」
「なら、奥の部屋で囲炉裏に火をくべるんで、そこで乾かしてくださいよ。雨宿りにもなるし、風邪をひいちゃうのも良くないし」
「……わかった。ありがとう」
店員の勧めで別室へ通され、暖かな空気に包まれる。初夏の雨とはいえ流石に濡れすぎて体が冷えていたから、正直ありがたかった。
無鉄砲で後先考えない自分の行動に苛立ち、思わず柱に拳を打ちつける。
「何焦ってんのよ、私」
たかが服の一着だ。それも祖母の手紙に触発されただけのことで、こんな冷たい想いまでして探すものではないだろう。
例年通り曇り空を見上げながら何も感じることなく過ごせばいいだけじゃないか。
そう思っても、脳の奥から掘り起こされた母の顔が消えなかった。二人で見た満天の星空が胸の中で暴れているみたいだった。
一人だけでも、またあの時の蒼の七夕を過ごしたい。そう思うと動かずには居られないんだ。
『おかーさん、おかーさん。どうしてお空に川があるの?』
『それはね、彦星様がお舟に乗って、織姫様に会いに行くためだよ』
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日が暮れて里が闇に包まれた頃、親切な洋服屋を出発した。結局あの店にも良いものは無く、もう時間が時間なので次の一件で今日は最後にしておこう。
ぱらぱらと頭に注ぐ雨水もさきほどまでの冷たさは無くどこか生温かい。暖かく漏れ出る光に群がる虫のように、一直線に目的の店の扉を開けた。
「いらっしゃいませー」
小さな店で、服の量も今までに周った場所と比べたら大したことは無い。その代わりに洋服用の布や糸が多く置いてある店のようだった。
色々あって疲れてしまって、つい店員へ声をかける。
「蒼を基調にした洋服を探しているのだけれど」
「あら、巫女様も洋服をお召しになるのですね。少々お待ちくださいませ」
嫌味では無く純粋にそう思ったのだろう。店員はカウンターから出てくると、奥の棚から五着ほどの洋服を持ってきた。
ざっと見るも、どれもイメージには合っていない。
「他にはあるかしら。こう、七夕とか天の川をイメージしたものなんだけれど」
「残念ながら、当店には今はこれしか蒼の服は無くて……」
「わかったわ」
残念だけど今日はここまでだ。店を出てすぐに空へと飛び立つ。思い切り飛びたい気分だった。何かを叫びたい気分だった。
家に帰って、生乾きの服を全部脱ぎ捨てて布団を敷く。
もう、寝てしまおう。気持ちを切り替えてまた明日探すんだ。
箪笥の上に置いてある母の写真立てを手にとって、それを胸に抱いて裸のまま眠りについた。
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沸かした風呂に身を沈めて全身の力を抜く。疲れが湯に溶けていく気持ちよさと同時に、虚しさとため息が口から大きく吐き出された。
結局、洋服は見つからなかった。今日は七月七日の、もう夜だ。つまりは時間切れ。
あの日から探し続けていたけれど、やっぱり既製品では難しそうだ。かといって自作できるほどの裁縫技術をもっているわけでも無いので、どちらにしても行き詰ってしまったことに変わりは無い。
「あー、もー」
最初の希望は叶ってくれて、今年の七夕の夜は快晴で迎えられそうだけれど、それでも気持ちは晴れていなかった。
高望みをしすぎたとはわかっているし、割り切っていくしかないのだとは思う。
「やっぱり自作しかないのかしら」
そんな独り言を零しながら体を温めて数十分。この間ほどの感情の高ぶりはすでに無いものの、今日は酒を煽って忘れたい気分だ。
風呂から上がり、寝間着に着換えて居間へと向かう。今日はもう面倒だから、棚にしまってあるお酒を瓶のまま飲んでしまおう。
戸を開けると、ちゃぶ台の上に何かが鎮座していた。あんなもの置いたっけか。確か風呂に行く前には何もなかったはずだけれど……。
近づいて、それが何なのかを理解した瞬間、まずは手が出た。
動悸が早まり目が見開かれ、手が震える。蒼を基調にした、爽やかな色合い。
夜を連想させる紺ではなく、早朝が想起される薄い蒼。まるで、昼夜が逆転する瞬間の、その境界のような淡い色合いだった。
服の中央には綺麗に光る、小石のような宝石のような何かが付いていて、それがあたかも川の形に見えるように工夫されていた。
右上に輝くのは濃い青の大きな粒。きっとこれは織姫だ。対岸に光る無色の方は彦星だろうか。手にとって、縁側に出て空にかざす。色味以外はほとんど同じ光景が、私のイメージ通りのそれが手の中に収まっていた。
カサリという音が聞こえて振りかえると、ちゃぶ台の足元に一枚の紙。手にとって開くと、どこかで見た字で簡潔にしたためられていた。
『織姫へ、彦星より』
この字は、知っている。だって、この間もメモを書いてもらったから。
「……かっこつけちゃって、何が彦星よ」
こみ上げてくるものが押さえきれず、気が付けば膝に落ちていた。
ぽたりぽたりと、静かに流れて川になる。
次の宴会では、まずはお礼を言おう。それから、あとは、何を話そうか。今からとても楽しみだ。
手紙を持って、箪笥の一番上の引き出しを開ける。物入れに使っているそこにそっと置いて――その時に例の写真と手紙が目に入った。
きっと自分にも、そのうち彦星からの迎えが来るのだろう。それが誰になるかはわからない。もしかしたら自分が彦星になるかもしれない。でもそれはきっと、もっとずっと先の事だから……。
とりあえず、星見酒と洒落こもうと思って、早速服を着ることにした。やっぱりサイズはぴったりだ。
日本酒の瓶を開け、思い直してお猪口も持ってくる。とくとくという小気味良い音を楽しみながら、森の方角へ向けてお猪口を持ち上げ、乾杯をした。
やっぱりあの娘と飲む酒は、特別美味かった。
FIN
…いいぞもっとやれ!
このまま霊夢さん専属デザイナーになればいいんじゃないですかね。
成長する霊夢さんの尺を計る役得もあじわえr(ピチューン
優しいアリスさんは大好物です。
優しさあふれる言葉も嬉しいですが、さりげない彼女の行為に霊夢ちゃんじゃなくても目が熱くなります。
突貫工事お疲れ様でした!
僅かながらにちゆっちゅも期待してたんですが、感動できたので、満足してます。
レイアリの絆の深さを痛感した、良い作品でした。
幻想郷の織姫と彦星に乾杯!
もちろんアリスも素敵です!
2作合わせて楽しめました。