アリス・マーガトロイドは飲みの席では一人でまったりと過ごすことを信条にしていた。
というのも、魔女としてはまだまだ若輩者である自分にはやりたい実験はもちろんだが、やらねばならぬ実験というものも多く存在していると確信しているからだ。
魔力用量増強の実験、人形への命令伝達の簡易化、弾幕ごっこ時のエネルギーロスを減らす燃費の良いスペルカード……数えだせばきりが無い。
飲むことも騒ぐことも嫌いではないし、他人との交流も結構だが、今は目先の実験に頭がいっぱいで他に意識を割く余裕が無い。そういうお年頃なのだと自己分析をしていた。
だから最近は、博麗霊夢以外とは隣り合って座らない。
今日も一日たっぷりと、人形の同時制御の理論を頭の中でこねくり回していて気分が良かった。
「……」
梅雨が明けるか明けないかという微妙な季節、すでに気温は猛暑のソレだが祭り好きは年中騒ぎたいものらしい。
博麗神社の境内で行われている屋外宴会は今日も今日とて大盛況。
萃香が萃めて作った木の端材製の舞台の上では鬼と天狗の飲み比べがクライマックスを迎えていた。
二十を超える大吟醸の大瓶が散乱しているその中央で徳利を傾けている様は、見ているだけで胸やけをプレゼントしてくれる。
「……」
六月も終わり七月になったばかりだというのに、頭上へ視線を移せば満天の星空が魔界都市のネオンのように輝いていた。
もう梅雨は終わった気分になってしまうが、宴会参加者の間では明日は雨だと噂されている。天候に詳しい妖怪でも列席しているのだろうか。
「……」
ふと、隣で酒を煽る霊夢の横顔へと振り向くと、どこか宙空へと目線を飛ばしぼけっとしていた。
脱力しきっている事はアリスにも簡単に理解できる。こんなのが幻想郷最強なのだというのだから可笑しい話だ。
霊夢は騒ぐことは嫌いではないだろうが、どちらかと言えば静かに一人で茶なり酒なりをちびちび飲んでいることが多い。
昼間の休憩時間の延長を宴会でもしているというわけだ。もちろん、呼ばれればすぐに向かうし、誘われれば飲み比べにも参加している。
そういうところは、どことなく似ていると思って親近感が沸いていた。
だからというわけではないけれども、霊夢と飲む時はほとんど喋らない。一言も喋らない時もあるくらいだ。
ただただ境内の神木に背を預けて、隣り合って喧騒を眺め、それを肴にアルコールを摂取し続ける。
以前、霧雨魔理沙には「お前らそんなんで楽しいのか?」と問われたことがある。
その時は「それなりに」という無難な答えで返したが、実際はどうなのだろう。
楽しい、とは違うと思うけれども、適当な答えがどうにも思いつかない。
まあ、したいようにしているだけなのだからそれでいいかと結論付けて、勝利の咆哮を上げている萃香をなんの気無しに眺めていた。
「もうすぐ七夕ね」
そんな言葉は耳元で聞こえたのは、舞台周辺の姦しい輩があらかた潰れた頃だった。
最初は誰が喋ったのかわからなくて思わず首を左右に捻って声の主を探してしまう。
「今年は天の川、見れるかしら」
聞きなれた言葉で紡がれる二の句に、やっと霊夢が喋っていたのだと理解する。
世間話の『せ』の字も無いのに、珍しい。
「もう梅雨明けくらいの天気だし、見れるんじゃないかしら?当日にならないと何とも言えないけれどもね」
「そっか」
それだけ呟いて、霊夢は酔い覚ましの水を湯呑に注ぐ。ぐいと一息で飲み干すと、また口を開いた。
「アリス」
「何?」
「私さ」
「うん」
「お見合いしろって言われた」
淡々と、他人事のように呟いた。声色にも表情にも、感情が欠落しているかのように変化が無い。
「母方の祖母から勧められてね、私はまだ齢二十にもなってないのだから待って欲しいって断ったのだけれども」
「うん」
「もうそういうの考えなきゃいけないのかなって、少しブルーになっちゃった」
態度からは伺えないけれども、どうやらブルーらしい。
やっぱり世襲制の巫女というものは、そういう部分でも息苦しいんだろうなぁと、ぼんやりと思った。
「まだ子供で居たいの?」
「うーん、わからない。いつかは子を為して後取りを育ててさ、それが巫女になるか宮司になるかは知らないけれど、必要なんだろうなぁとは思う」
「うん」
「でも、なんていうのかな。まだ面倒なのよね。巫女っていう仕事、楽しいし」
正面に視線を戻して、霊夢が置いた徳利から水をお猪口へと注ぐ。
傾けて、飲み干して、話すために潤した。
「まだまだ引退する気は無い、と」
「そうなのかも」
「良いんじゃないの?愛や信念の無い結婚ですら続かないのに、お見合いなんてその場の雰囲気で決まる出会いなんかで結ばれても長続きしないでしょう」
「そうかな」
「例えばお見合いして、相手がそこそこ顔も性格も良くて、まあこの人ならって思って結婚したとするじゃない。いざ二人で新居に移って生活してみたら、その相手がチンチロ賭博に嵌ってたって発覚したら、どう?」
「……それは嫌ね」
「そういうこと。その程度のことはいくらでも隠せるからね。見合うにしてもちゃんと精査しないとダメよ」
「なんかアリスが人生の先輩みたいなこと言ってる」
「ダメかしら?」
「でも確かあんたって私よりチビだった時期があったし、年下なんじゃ」
「精神年齢の違いでしょう」
穏やかな風が、服を、髪を、言葉を揺らす。
霊夢とこんなに話すのはいつぶりだろう。思えば、こんなふうに愚痴を吐いてくれたのも初めてだ。なんとなく嬉しい。
「まあ、アリス先輩の勧めもあるし、あと数年はこの生活を続けるわ」
「先輩の言うことは聴くもの。わかってるじゃないの」
「なんかむかつく」
「貴女が振ったんでしょうに」
「うぬぅ」と言葉に詰まった霊夢が、喉を鳴らす音が聞こえた。
気がつけば起きているのは二人だけになってしまっている。さっきまでの喧騒が嘘みたいで、少し背が寒い。
「ところでさ、アリス」
「うん?」
再び振り向くと、今度は霊夢もこちらを見ていた。
ほんのり朱色に染まった頬との対比で、黒髪がよく映えている。
「おばあちゃ……祖母にさ、もうちょっとお洒落にも気を使えって言われたんだけれども、生まれてこのかたおめかしってのをしたことがないのよ」
「あら、綺麗な髪と顔をしてるのに勿体無い」
「なんか言葉の節々から危ない匂いを感じるから退治してもいい?」
「褒め言葉くらい素直に受け取っておきなさい。それで?」
霊夢の視線は外れ、うつむいて茣蓙を見つめ始めた。
「だからさ、アリスは人形の服とかも自前だろうし、良い呉服屋とか知ってるかなって」
その程度の事、こっち見て話せばいいのに。柄にもなく恥ずかしがっているのだろうか。
「うーん、そりゃあそこそこ詳しいつもりだけれども。洋服主体の私に頼むのに『呉服屋』を紹介して欲しいと言われても。洋服と和服のどっちが欲しいの?」
「浴衣とかは持ってるし、和服も知り合いの呉服屋があるからいいんだけれども、洋服ってのがどうにも手を出しづらいのよ」
ううん、幻想郷では洋服を売っている店も呉服屋と言うのだろうか。
気にしていなかったからスルーしていたけれども、覚えていたら今度調べてみよう。
「どんな服が欲しいの?」
「まだわからないわよ。自分で見てもいないのに」
「そりゃあそうよね。ならいくつかメモを書いてあげる」
「助かるわ。こういうの相談できるの、アリスしか思いつかなくて」
「これくらいならお安い御用よ」
やっと顔を上げた霊夢は、苦笑しながらこちらを見てきた。
ただ隣で酒を煽るだけってのも良かったけれども、話すのもなかなかどうして悪くない。
せっかくの呑み相手の頼みだからと、お勧めの店を数店ほどメモにすることにした。
~~~~~~~~~~
宴会から三日が経ったその日は、午後から強烈な通り雨が里を襲った。
里長からの依頼で行うはずだった広場での人形劇は急遽、寺子屋に場所を移すことになってしまい残念な気持ちがアリスの胸中に渦巻く。せっかく火薬を使った派手なパフォーマンスを用意したのに、これではお蔵入りだ。
別室で待たせている観客があと十分もすれば部屋に入ってくる頃合というところで、ようやく室内用の簡易舞台の完成にこぎつけられた。
教卓と勉強机を組み合わせたそれに布を被せているところで、ふと視界の端に紅い影が映る。
窓の外、土砂降りの中を通り過ぎたその影に見覚えがあったような気がして、思わず手を止めて屋外を見てみた。
しかし雨のせいで視界は悪く、すでにどこにも紅い影は居なかった。
なんとなくモヤモヤとした気持ちを抱えつつも、もう時間がないことを思い出してアリスは準備に戻ることにした。
日も傾いて空が闇に包まれた頃、無事に劇を終えたアリスは未だにぽつぽつと注ぐ小雨に辟易しながらも、人通りが少ない里の通りを歩いていた。
しばらく里に来る予定はないし、行きつけの洋服屋で布を買い込んでおこうと思い立ったのだが、八つ時から一刻以上も続いた長い通り雨のせいで客足が途絶えたからか、すでに店仕舞いをしている店がほとんどで、今向かっている店で実に三件目になる。
あそこがダメだったらもう帰ろうと心に決めて十字路を曲がると、洋服屋からは暖かな光が漏れ出していた。
幸運にもあの店はまだ開いているらしい。落ち込んでいた心が幾分か回復し意気揚々と店へと向かっていると、店の扉が空いて中から先客が出てきた。
それは見間違うことは無い、赤と白でカラーリングされている特徴的な腋出しルック……博麗霊夢の姿だ。
そういえば、この間教えた店にはあそこも入っていたっけと思い返してると、霊夢はすごいスピードで空へと飛び立ってしまった。
声をかけようと思ったけれども、あの位置ではもう聞こえないだろう。残念。
気を取り直して店内へと入る。
顔なじみの若い女性店員が「いらっしゃいませ」と声をかけてくれたので、軽く会釈を返しておいた。
目当ての布のコーナーへと向かおうと思ったところで、会計スペースに並んでいる数店の洋服が目に入る。どれもこれも青が基調の物ばかりだ。
「この服は、どうしたの?」
なんの気無しに店員に尋ねる。色合いが好みだから、問題ないなら参考のためにも一着買って帰ろう。
「ああ、これは先程まで居たお客様が見ておられた物ですね」
先程まで居た客という言葉が耳に入る。他には誰も居ないみたいだし、多分霊夢のことだろう。
しかし、紅白で通っている霊夢が青で悩んでいたとは意外だった。
「その先客って、博麗の巫女?」
「そうです。すれ違われました?」
「店の入口でね。あの娘、どんな服を探していたの?」
自然と口から出た言葉に、疑問が降って湧く。そんなことを聞いてどうするというのか。
「ええっとですね……青を基調とした、七夕とか天の川がモチーフの洋服は無いかと尋ねられて、残念ながらそういったモチーフは無かったのでとりあえず青い服をお見せしていました。でもお気に召さなかったのか、何も買わずに帰って行かれましたね」
「へぇ」
そういえば、店から出てきた霊夢は何も持って居なかったはずだ。
それに確かこの間、七夕がどうだとか言っていた気もする。何か思い入れでもあるのかもしれない。
「そういうモチーフって、ここらの店に入ってるものなのかしら」
「無いと思いますよ。そもそもこの洋服だって外来人の服を参考に見よう見まねで作っているものですし、種類自体が少ないですから」
「なるほど」
となると、霊夢のお気に入りの品は見つからない可能性の方が高いかもしれない。
お勧めの店を教えておいてその結果は少々寝覚めが悪いなぁ。
そんなことをぼんやりと思っていたところで、ふとアイデアが頭の中に生まれた。
うん、これは名案かもしれない。ちょっと服のバリエーションを増やそうと思っていたから丁度良いだろう。
「ところで、今日はどうしますか?」
声をかけられ我に返り、ひとまず布のコーナーへ向かう。
綺麗な青と赤の生地を手にとって、すぐさま店員の下にとんぼ返りした。
「これを」
「何メートル買いますか?」
「まだまだ使うだろうし、両方このまま包んで頂戴」
「ありがとうございます!」
ロールごと買った生地を眺めて、ほんのりと良い気分。
あの娘はどんな顔をするかしら。なんだか悪戯みたいで、柄にもなく心躍った。
~~~~~~~~~~
七月七日の午後八時。丁度梅雨明けしたらしく、幻想郷の七夕では数年ぶりの快晴で、天の川が綺麗に見えた。
星については学が無いからどれが織姫で彦星かは判別できないけれども、そんなことはどうでもいい。今日が快晴なのが好都合なのだから。
博麗神社の母屋前へゆっくりと降りると、丁度裏手から桶で水を流すかのような特徴的な音が聞こえてきた。
風呂に入っているのだとしたらこれ以上ない最善のタイミングだ。
母屋の玄関の横手、縁側からそっと中へ侵入し、真っ暗な居間へと足を踏み入れる。
人形に持たせていた袋の中から一着の洋服を取り出すと、皺がつかないように慎重にちゃぶ台へと置いて、すぐさま逃げ出した。
見つかったらサプライズの意味が無いではないか。こういうのは徹底してこそ面白いんだ。
頬が釣り上がるのを抑えられないまま、星屑の河へ向かって飛び出した。
~~~~~~~~~~
魔法の森の洋館からは、天に広がる雄大な星空を窺い知ることはできない。できないが、目を閉じれば鮮明に思い出せる。
今日の空は、楽しい思い出の一つとして、記憶の宝箱に仕舞われることだろう。
今頃どんな反応をしていることだろう。喜んでいる?笑っている?それとも驚いている?まさか怒っているなんてことは無いと信じたいけれども。
だけど、流石に話に出たからってだけでこのデザインは安直すぎたかもしれない。今度、欲しい服の話でもしてみよう。
五年もののワインを開けて、ロッキングチェアに腰掛ける。新しく作った自作の洋服を着てみたが、着心地も良いしなかなかの出来だと自画自賛したいくらいだ。
夕日をイメージした赤い生地を基調に、天の川をあしらった洋服を眺めながら、よく冷えたワインに口を付ける。
次の宴会では私から話しかけてみよう。そう、思いながら。
FIN
というのも、魔女としてはまだまだ若輩者である自分にはやりたい実験はもちろんだが、やらねばならぬ実験というものも多く存在していると確信しているからだ。
魔力用量増強の実験、人形への命令伝達の簡易化、弾幕ごっこ時のエネルギーロスを減らす燃費の良いスペルカード……数えだせばきりが無い。
飲むことも騒ぐことも嫌いではないし、他人との交流も結構だが、今は目先の実験に頭がいっぱいで他に意識を割く余裕が無い。そういうお年頃なのだと自己分析をしていた。
だから最近は、博麗霊夢以外とは隣り合って座らない。
今日も一日たっぷりと、人形の同時制御の理論を頭の中でこねくり回していて気分が良かった。
「……」
梅雨が明けるか明けないかという微妙な季節、すでに気温は猛暑のソレだが祭り好きは年中騒ぎたいものらしい。
博麗神社の境内で行われている屋外宴会は今日も今日とて大盛況。
萃香が萃めて作った木の端材製の舞台の上では鬼と天狗の飲み比べがクライマックスを迎えていた。
二十を超える大吟醸の大瓶が散乱しているその中央で徳利を傾けている様は、見ているだけで胸やけをプレゼントしてくれる。
「……」
六月も終わり七月になったばかりだというのに、頭上へ視線を移せば満天の星空が魔界都市のネオンのように輝いていた。
もう梅雨は終わった気分になってしまうが、宴会参加者の間では明日は雨だと噂されている。天候に詳しい妖怪でも列席しているのだろうか。
「……」
ふと、隣で酒を煽る霊夢の横顔へと振り向くと、どこか宙空へと目線を飛ばしぼけっとしていた。
脱力しきっている事はアリスにも簡単に理解できる。こんなのが幻想郷最強なのだというのだから可笑しい話だ。
霊夢は騒ぐことは嫌いではないだろうが、どちらかと言えば静かに一人で茶なり酒なりをちびちび飲んでいることが多い。
昼間の休憩時間の延長を宴会でもしているというわけだ。もちろん、呼ばれればすぐに向かうし、誘われれば飲み比べにも参加している。
そういうところは、どことなく似ていると思って親近感が沸いていた。
だからというわけではないけれども、霊夢と飲む時はほとんど喋らない。一言も喋らない時もあるくらいだ。
ただただ境内の神木に背を預けて、隣り合って喧騒を眺め、それを肴にアルコールを摂取し続ける。
以前、霧雨魔理沙には「お前らそんなんで楽しいのか?」と問われたことがある。
その時は「それなりに」という無難な答えで返したが、実際はどうなのだろう。
楽しい、とは違うと思うけれども、適当な答えがどうにも思いつかない。
まあ、したいようにしているだけなのだからそれでいいかと結論付けて、勝利の咆哮を上げている萃香をなんの気無しに眺めていた。
「もうすぐ七夕ね」
そんな言葉は耳元で聞こえたのは、舞台周辺の姦しい輩があらかた潰れた頃だった。
最初は誰が喋ったのかわからなくて思わず首を左右に捻って声の主を探してしまう。
「今年は天の川、見れるかしら」
聞きなれた言葉で紡がれる二の句に、やっと霊夢が喋っていたのだと理解する。
世間話の『せ』の字も無いのに、珍しい。
「もう梅雨明けくらいの天気だし、見れるんじゃないかしら?当日にならないと何とも言えないけれどもね」
「そっか」
それだけ呟いて、霊夢は酔い覚ましの水を湯呑に注ぐ。ぐいと一息で飲み干すと、また口を開いた。
「アリス」
「何?」
「私さ」
「うん」
「お見合いしろって言われた」
淡々と、他人事のように呟いた。声色にも表情にも、感情が欠落しているかのように変化が無い。
「母方の祖母から勧められてね、私はまだ齢二十にもなってないのだから待って欲しいって断ったのだけれども」
「うん」
「もうそういうの考えなきゃいけないのかなって、少しブルーになっちゃった」
態度からは伺えないけれども、どうやらブルーらしい。
やっぱり世襲制の巫女というものは、そういう部分でも息苦しいんだろうなぁと、ぼんやりと思った。
「まだ子供で居たいの?」
「うーん、わからない。いつかは子を為して後取りを育ててさ、それが巫女になるか宮司になるかは知らないけれど、必要なんだろうなぁとは思う」
「うん」
「でも、なんていうのかな。まだ面倒なのよね。巫女っていう仕事、楽しいし」
正面に視線を戻して、霊夢が置いた徳利から水をお猪口へと注ぐ。
傾けて、飲み干して、話すために潤した。
「まだまだ引退する気は無い、と」
「そうなのかも」
「良いんじゃないの?愛や信念の無い結婚ですら続かないのに、お見合いなんてその場の雰囲気で決まる出会いなんかで結ばれても長続きしないでしょう」
「そうかな」
「例えばお見合いして、相手がそこそこ顔も性格も良くて、まあこの人ならって思って結婚したとするじゃない。いざ二人で新居に移って生活してみたら、その相手がチンチロ賭博に嵌ってたって発覚したら、どう?」
「……それは嫌ね」
「そういうこと。その程度のことはいくらでも隠せるからね。見合うにしてもちゃんと精査しないとダメよ」
「なんかアリスが人生の先輩みたいなこと言ってる」
「ダメかしら?」
「でも確かあんたって私よりチビだった時期があったし、年下なんじゃ」
「精神年齢の違いでしょう」
穏やかな風が、服を、髪を、言葉を揺らす。
霊夢とこんなに話すのはいつぶりだろう。思えば、こんなふうに愚痴を吐いてくれたのも初めてだ。なんとなく嬉しい。
「まあ、アリス先輩の勧めもあるし、あと数年はこの生活を続けるわ」
「先輩の言うことは聴くもの。わかってるじゃないの」
「なんかむかつく」
「貴女が振ったんでしょうに」
「うぬぅ」と言葉に詰まった霊夢が、喉を鳴らす音が聞こえた。
気がつけば起きているのは二人だけになってしまっている。さっきまでの喧騒が嘘みたいで、少し背が寒い。
「ところでさ、アリス」
「うん?」
再び振り向くと、今度は霊夢もこちらを見ていた。
ほんのり朱色に染まった頬との対比で、黒髪がよく映えている。
「おばあちゃ……祖母にさ、もうちょっとお洒落にも気を使えって言われたんだけれども、生まれてこのかたおめかしってのをしたことがないのよ」
「あら、綺麗な髪と顔をしてるのに勿体無い」
「なんか言葉の節々から危ない匂いを感じるから退治してもいい?」
「褒め言葉くらい素直に受け取っておきなさい。それで?」
霊夢の視線は外れ、うつむいて茣蓙を見つめ始めた。
「だからさ、アリスは人形の服とかも自前だろうし、良い呉服屋とか知ってるかなって」
その程度の事、こっち見て話せばいいのに。柄にもなく恥ずかしがっているのだろうか。
「うーん、そりゃあそこそこ詳しいつもりだけれども。洋服主体の私に頼むのに『呉服屋』を紹介して欲しいと言われても。洋服と和服のどっちが欲しいの?」
「浴衣とかは持ってるし、和服も知り合いの呉服屋があるからいいんだけれども、洋服ってのがどうにも手を出しづらいのよ」
ううん、幻想郷では洋服を売っている店も呉服屋と言うのだろうか。
気にしていなかったからスルーしていたけれども、覚えていたら今度調べてみよう。
「どんな服が欲しいの?」
「まだわからないわよ。自分で見てもいないのに」
「そりゃあそうよね。ならいくつかメモを書いてあげる」
「助かるわ。こういうの相談できるの、アリスしか思いつかなくて」
「これくらいならお安い御用よ」
やっと顔を上げた霊夢は、苦笑しながらこちらを見てきた。
ただ隣で酒を煽るだけってのも良かったけれども、話すのもなかなかどうして悪くない。
せっかくの呑み相手の頼みだからと、お勧めの店を数店ほどメモにすることにした。
~~~~~~~~~~
宴会から三日が経ったその日は、午後から強烈な通り雨が里を襲った。
里長からの依頼で行うはずだった広場での人形劇は急遽、寺子屋に場所を移すことになってしまい残念な気持ちがアリスの胸中に渦巻く。せっかく火薬を使った派手なパフォーマンスを用意したのに、これではお蔵入りだ。
別室で待たせている観客があと十分もすれば部屋に入ってくる頃合というところで、ようやく室内用の簡易舞台の完成にこぎつけられた。
教卓と勉強机を組み合わせたそれに布を被せているところで、ふと視界の端に紅い影が映る。
窓の外、土砂降りの中を通り過ぎたその影に見覚えがあったような気がして、思わず手を止めて屋外を見てみた。
しかし雨のせいで視界は悪く、すでにどこにも紅い影は居なかった。
なんとなくモヤモヤとした気持ちを抱えつつも、もう時間がないことを思い出してアリスは準備に戻ることにした。
日も傾いて空が闇に包まれた頃、無事に劇を終えたアリスは未だにぽつぽつと注ぐ小雨に辟易しながらも、人通りが少ない里の通りを歩いていた。
しばらく里に来る予定はないし、行きつけの洋服屋で布を買い込んでおこうと思い立ったのだが、八つ時から一刻以上も続いた長い通り雨のせいで客足が途絶えたからか、すでに店仕舞いをしている店がほとんどで、今向かっている店で実に三件目になる。
あそこがダメだったらもう帰ろうと心に決めて十字路を曲がると、洋服屋からは暖かな光が漏れ出していた。
幸運にもあの店はまだ開いているらしい。落ち込んでいた心が幾分か回復し意気揚々と店へと向かっていると、店の扉が空いて中から先客が出てきた。
それは見間違うことは無い、赤と白でカラーリングされている特徴的な腋出しルック……博麗霊夢の姿だ。
そういえば、この間教えた店にはあそこも入っていたっけと思い返してると、霊夢はすごいスピードで空へと飛び立ってしまった。
声をかけようと思ったけれども、あの位置ではもう聞こえないだろう。残念。
気を取り直して店内へと入る。
顔なじみの若い女性店員が「いらっしゃいませ」と声をかけてくれたので、軽く会釈を返しておいた。
目当ての布のコーナーへと向かおうと思ったところで、会計スペースに並んでいる数店の洋服が目に入る。どれもこれも青が基調の物ばかりだ。
「この服は、どうしたの?」
なんの気無しに店員に尋ねる。色合いが好みだから、問題ないなら参考のためにも一着買って帰ろう。
「ああ、これは先程まで居たお客様が見ておられた物ですね」
先程まで居た客という言葉が耳に入る。他には誰も居ないみたいだし、多分霊夢のことだろう。
しかし、紅白で通っている霊夢が青で悩んでいたとは意外だった。
「その先客って、博麗の巫女?」
「そうです。すれ違われました?」
「店の入口でね。あの娘、どんな服を探していたの?」
自然と口から出た言葉に、疑問が降って湧く。そんなことを聞いてどうするというのか。
「ええっとですね……青を基調とした、七夕とか天の川がモチーフの洋服は無いかと尋ねられて、残念ながらそういったモチーフは無かったのでとりあえず青い服をお見せしていました。でもお気に召さなかったのか、何も買わずに帰って行かれましたね」
「へぇ」
そういえば、店から出てきた霊夢は何も持って居なかったはずだ。
それに確かこの間、七夕がどうだとか言っていた気もする。何か思い入れでもあるのかもしれない。
「そういうモチーフって、ここらの店に入ってるものなのかしら」
「無いと思いますよ。そもそもこの洋服だって外来人の服を参考に見よう見まねで作っているものですし、種類自体が少ないですから」
「なるほど」
となると、霊夢のお気に入りの品は見つからない可能性の方が高いかもしれない。
お勧めの店を教えておいてその結果は少々寝覚めが悪いなぁ。
そんなことをぼんやりと思っていたところで、ふとアイデアが頭の中に生まれた。
うん、これは名案かもしれない。ちょっと服のバリエーションを増やそうと思っていたから丁度良いだろう。
「ところで、今日はどうしますか?」
声をかけられ我に返り、ひとまず布のコーナーへ向かう。
綺麗な青と赤の生地を手にとって、すぐさま店員の下にとんぼ返りした。
「これを」
「何メートル買いますか?」
「まだまだ使うだろうし、両方このまま包んで頂戴」
「ありがとうございます!」
ロールごと買った生地を眺めて、ほんのりと良い気分。
あの娘はどんな顔をするかしら。なんだか悪戯みたいで、柄にもなく心躍った。
~~~~~~~~~~
七月七日の午後八時。丁度梅雨明けしたらしく、幻想郷の七夕では数年ぶりの快晴で、天の川が綺麗に見えた。
星については学が無いからどれが織姫で彦星かは判別できないけれども、そんなことはどうでもいい。今日が快晴なのが好都合なのだから。
博麗神社の母屋前へゆっくりと降りると、丁度裏手から桶で水を流すかのような特徴的な音が聞こえてきた。
風呂に入っているのだとしたらこれ以上ない最善のタイミングだ。
母屋の玄関の横手、縁側からそっと中へ侵入し、真っ暗な居間へと足を踏み入れる。
人形に持たせていた袋の中から一着の洋服を取り出すと、皺がつかないように慎重にちゃぶ台へと置いて、すぐさま逃げ出した。
見つかったらサプライズの意味が無いではないか。こういうのは徹底してこそ面白いんだ。
頬が釣り上がるのを抑えられないまま、星屑の河へ向かって飛び出した。
~~~~~~~~~~
魔法の森の洋館からは、天に広がる雄大な星空を窺い知ることはできない。できないが、目を閉じれば鮮明に思い出せる。
今日の空は、楽しい思い出の一つとして、記憶の宝箱に仕舞われることだろう。
今頃どんな反応をしていることだろう。喜んでいる?笑っている?それとも驚いている?まさか怒っているなんてことは無いと信じたいけれども。
だけど、流石に話に出たからってだけでこのデザインは安直すぎたかもしれない。今度、欲しい服の話でもしてみよう。
五年もののワインを開けて、ロッキングチェアに腰掛ける。新しく作った自作の洋服を着てみたが、着心地も良いしなかなかの出来だと自画自賛したいくらいだ。
夕日をイメージした赤い生地を基調に、天の川をあしらった洋服を眺めながら、よく冷えたワインに口を付ける。
次の宴会では私から話しかけてみよう。そう、思いながら。
FIN
レイアリ分補給で今日も頑張れぜヒャッハー!
誤字報告をば。
終盤アリスが服をこっそり置く場面、慎重にが身長になってますです。
数年?「数日振りの快晴」の間違いではないですか?
これからアリスが色々と手取り足取り教えてあげるのでしょうか
霊夢の祖母が出てくる作品は珍しいですな。