Coolier - 新生・東方創想話

風見幽香といつものお店~一番最初にあったこと~

2013/07/06 20:15:04
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「ちょっと、幽香。
 これ、どこにしまえばいいの?」
「えっと……それは、外の倉庫。七番の棚の、上から四番目に入れておいて」
「細かいわね」
「料理とかやっていると、調味料とか一杯使うでしょう?
 それを小分けにして、ちゃんと管理してないと、賞味期限切れのを使ってしまったりするから」
「こまめなのね」
「ええ」
 そういうところも意外なものだ、と彼女――アリスは思う。
 目の前の妖怪、風見幽香のことは、少し前くらいまでは『大雑把で、昨日起きたことは今日、気にしない』タイプだと思っていたものだ。
 しかし、ふと思い返してみれば、彼女が趣味……というか生きがいにしている『植物を育てる』ことは、大雑把な性格では長続きしないし、そもそも成功もしない。第一印象というのは重要なんだな、とアリスは思った。
「……にしても、私も人のことは言えないけれど、長生きしてると物がたまって仕方ないわよね」
「そうなのよね。捨てるにしても踏ん切りがつかないというか」
「いるかいらないか。手に持った瞬間、決まらないものは、大抵『いらない』とは言われるけどね」
 本日、二人は、幽香の家の大掃除中。
 太陽の畑名物、喫茶『かざみ』を運営していくに当たって、年に数回行なわれる恒例行事だ。
 ちなみに、出てきた『いらないもの』の中にはまだまだ使えるものもあったりするため、店先に『ご自由にどうぞ』と並べたりなどして処分している。
 なお、その際、『ゆうかりんの使用済みだと!? 言い値で買おう!』という紳士たちが多数ご来店するのはご愛嬌だ。
「ところで幽香。あなた、何見てるの?」
「ああ、これ? むか~し昔に、ほら。ちょうどお店を作った頃のアルバムよ」
「ああ」
 横からそれを覗けば、まだ開店して間もない店先に、店主の姿。
「笑顔、かちんこちんね」
「う、うるさいわね」
 その店主の笑顔をからかえば、彼女は頬を膨らませて怒ったりする。
「自分で言っておいて何だけど、よく何年も続くわね。これ」
「続かせるつもりなかったの!?」
「あなたが努力しなければね」
 人間、努力が大切。努力する姿こそ、他人を動かす原動力にもなる――と、アリス。
 要するに、自分から変わろうとする姿を、幽香がいつまでたっても見せないようであれば、早々に方針転換するつもりだった、ということだ。
「……いやに計算高いわね」
「お母さんにもほめられたわ」
 そんな友人は、周りの人間をちょっぴり引きつり笑顔にさせることを自慢げに言って、さらりと髪をかきあげるのだった。



「――さて」
 本日、魔法の森奥にあるアリス・マーガトロイド邸には、一人の珍客が訪れていた。
 その相手――椅子に座して、テーブルの上のお茶一式を見つめているのは、風見幽香と言う妖怪である。
 この人物、傲慢で自分勝手でゴーイングマイウェイで暴力的で剣呑で――と、およそ世の中に存在する、星の数ほどの悪口全てを連ねてもなんら遜色ない人格の持ち主、と思われていたのだが、
「ん~……。お茶の風味はいいんだけど、甘味がいまいち」
「うるさいわね、ほっといてよ」
「お茶の淹れ方はね、アリス。お湯の温度と茶葉の扱い方にあるのよ」
 幽香はアリスの淹れてくれたお茶を飲みながら、何やらしたり顔で言ったりする。
 そこでアリスが『失礼なことばかり言うなら追い出すわよ』とすごむと、「……はい」と大人しくなったりもする。
「で、幽香。
 あなたに聞きたいんだけど」
「ええ」
「私はどうしたらいいのかしら」
「……さあ」
「をい」
 アリスの意思を汲んで、人形のうち一体が、手にしたハリセンでべしんと幽香の後頭部をひっぱたいた。
 なかなか強烈なその一撃に、幽香はおでこをテーブルに激突させ、しばらく静かになる。
「そんなこと言われてもわかるわけないじゃない……」
 真っ赤になったおでこをさすりながら、むくっと起き上がる幽香。涙目なのが妙にかわいい。
「そんなこと言われても、は私のセリフよ。
 友達をたくさん作る方法、かぁ。あるのかしらね?」
「……やっぱりないのかしら。そんな都合のいい方法」
「ない……とは言わないわよ」
 多分、と内心で付け加えるのを、アリスは忘れない。
 幽香は眉毛をハの字にして、しょんぼり、という言葉がぴったり来るような感じで肩をすぼめている。
 そういう顔をされると、アリスの方としても困るのか、はぁ、と彼女はため息をついた。
「大丈夫だって。ちゃんと協力してあげるから」
 と言うと、今度はぱっと顔を輝かせる。全く忙しい生き物だ。
 ――とまぁ、こんな感じで、ただいまマーガトロイド邸では風見幽香の『お友達を作ろう大作戦』の立案中。
 その事の発端は、幽香がアリスの元に『お友達を作る方法を教えて!』とやってきた事からだ。その後、紆余曲折色々経て、アリスは幽香の初めての『友人』となったのだ。
「とりあえず、幽香。
 一般人の、あなたに対する好感度は最悪と言っていいわ」
「……そんなにひどいことしたかしら?」
「……よくよく考えてみると、あなたが他人に対して悪事を働いたとか聞いたことないわね」
 取り出されたのは、先日、人里に住まう、幻想郷の記憶と歴史の伝道師(自称)たる稗田阿求が発刊した『幻想郷縁起』。
 その、幽香の項目を見てみると、よくもまぁ、これだけの悪口書き連ねたものだという主観入りまくりの文章。とどめに、『危険度:最悪 友好度:最低』の評価。
「……確か、あなた、阿求の前で山を一つ吹っ飛ばして見せたとか聞いたけど」
「あれはその……。
 あ、あっちが悪いのよ! 私のこと、悪い妖怪だ、って決め付けて聞いてくるから!」
「……世間一般とずれてるのが最大の問題か」
 幽香にしてみれば、それは『他愛のない戯事』でも、曲がりなりにも人間である阿求にとっては『とんでもない恐怖』だったわけだ。
 ――考えてみて欲しい。
 目の前で、ちょっとした山を粉々に消滅させた輩が『私のこと、悪く書かないでね♪』なんて笑顔で言ってくる光景を。
 どう考えても『書いたら殺す♪』の脅しである。そう考えてみると、堂々、幽香の評価を最低にした阿求はなかなか肝っ玉が据わってるのかもしれなかった。
「ともあれ、逆に考えれば、あなたの評判はこれ以上、地に落ちようがないのだから、後は這い上がることだけを考えればいいわ」
「……何気に、あなたひどくない?」
 しょんぼりがっくり、幽香は肩を落とす。
 事実を告げると言うのは、時として、何にも増して辛い仕打ちとなるというが、この光景を見るとさもありなんというところだろう。
「とにかくね、幽香。あなたがやることは、『私は悪い妖怪じゃありません。仲良くしましょう』ってところ」
「……どうしたらいいかしら?」
「まずは笑顔ね。笑顔。
 けど、あなたの笑顔って、『殺ス笑ミ』になること多いから」
「それって明らかに私への主観的印象混じってるわよね!?」
「いやまぁ……」
 笑顔の脅迫、という言葉がある。笑顔と言うのは時として、他人を圧殺する最強の武器となる。
 幽香のそれは、まぁ……そういうことだ。
「……そうよね。まず、好感度を上げないと、あなたが何をしてもマイナスに取られてしまうわよね」
「……うぐ」
 そこで、改めて現実の直視。
 こうして、自己を見つめなおすと言うのは何をするにしても大切なことである。
「じゃあ……そうね……。
 もっと、他人に触れ合うのを考えてみたらどうかしら?」
「他人に……か。
 うちのひまわり畑に招待するとか?」
「それもいいかもしれないけど、今の段階でそれやったら『処刑宣告』になるわ」
「……私、何だと思われてるわけ?」
 人付き合いをする上で、まず大切なのは第一印象。それは全く間違っていない現状認識であったという。
「だから、向こうからあなたのところに来易くするのよ」
「う~ん……」
「あなた、花とか育ててるでしょ? 人里に花屋とか出してみない?」
「お花屋さんかぁ……」
『幻想郷・女の子が憧れる職業ランキング』で毎年上位にランクインする職業、それが花屋である。
 そして実際のところ、人里にそうした店が少ないのも事実だ。花を売り物として扱っていくに当たって、大規模な栽培は必須なのだが、やはり物は季節物。そうそう、いつも色々な種類を大量に取り揃えることなど出来ないものだ。
 端的に言うと、商売として成り立たないのである。
「そういうのもいいけれど、花だけを売っていくのは……」
「面白くないかしら?」
「ああ、うん。違うの。そういう意味じゃなくて。
 もっとこう……『私なりのやり方』をやってみたいなぁ、って」
「へぇ。
 あなた、やってみたいこと、あるの?」
 アリスはそう言って、片手で人形を呼ぶ。
 二人の、空っぽのカップにお茶を注いで、人形はふわふわとキッチンへと戻っていく。
「その……」
「何よ。言ってみなさいよ。協力するからさ」
 恥ずかしがるな、どーんとこい、とアリス。
 幽香はちょっぴり頬を赤く染め、もじもじしながら、消え入りそうなくらい小さな声で、
「その……お、お菓子屋さん……とか……。どうかしら……?」
「……お菓子?」
「そ、そう! あ、ほら、私、『料理界四天王』だし!」
「その名前出すのやめて」
 幻想郷の全てを、料理でもって裏から支配する謎の一大組織――それが料理界。
 数多の料理人が集い、切磋琢磨する修羅の集まりの中で、飛びぬけた実力を持つものに与えられる称号、『四天王』。
 その名をほしいままにする一人が幽香であった。
 なお、そこら辺の思い出やらなにやらはまとめてゴミ箱にパワーダンクしたいアリスであった。
「私、お菓子作るの上手なのよ! ほら!」
 と、幽香が言った瞬間、テーブルの上にショートケーキが二つ鎮座していた。
 なお、アリスが今回、用意したお茶請けのお菓子はクッキーである。
「……えーっと」
「他にも、ビスケットでしょ」
 ぱっとビスケットが現れる。
「チョコレートでしょ」
 今度はチョコレート。
「クッキー」
 焼きたて熱々。
「マドレーヌ」
 ほかほかふんわり。
「シュークリーム」
 クリームから練り上げました。
「プリン」
 厳選された卵と砂糖が決め手です。
「ロールケーキに」
 ご家族でどうぞ。
「マカロン」
 お子様に喜ばれます。
「ミルクレープ」
 極上の生地を重ね合わせました。
「レーズンサンド」
 北の大地の味です。
「スフレに――」
「もうやめてわかったからお願い」
 一体何をどうやっているのか、瞬きする間に次々と美味しそうな、出来立て作りたてのお菓子がマーガトロイド邸のテーブルを埋め尽くす。
 漂う甘い香りは、もうそれだけで口の中に唾液があふれてくるほどだ。
「どうかしら? きっと、色んな人が興味を持ってくれると思うの!」
「……ええ、そうね」
 幻想郷において、お菓子といえば『和菓子』である。
 そのためか、先日、とあるわがまま吸血鬼が思いつきで始めた『紅魔館レストランサービス』で提供されている、ケーキなどの洋菓子に、現在、幻想郷住民の関心が集まっている。
「私、ケーキとかを作らせたら誰にも負けないわよ。自信があるわ!」
 えっへん、と胸を張る幽香。
 一口、何もない虚空から出現したようにしか見えないケーキを、アリスは食べてみる。
 美味しい。ものすごく美味しい。
 アリス自身もケーキくらいは作れるが、逆立ちしても、この味にかなうのは不可能だろう。正直に言えば、紅魔館で出されるケーキすら、このケーキの足下にも及ばない。
 そう、断言できる味だった。
「これを売りにして、お店とかどうかしら!
 それでね、一緒のお店でお花とかも売るの! ドライフラワーとかだって作れるわ!」
 目を輝かせて、幽香は構想を語る。
 その姿を見て、アリスは尋ねた。
「本気?」
「え?」
「本気なのよね?」
「も、もちろんよ! 女に二言はないわ!」
「……オッケー」
 今、起きた不可解な出来事はさておきとして。
 目を輝かせる幽香の笑顔に、アリスは押され、結論する。
「やりましょうか!」
 彼女の宣言に、提案していたはずの幽香はぽかんとなり、少ししてから、『……え? え? え!?』と目を白黒させるのだった。

 ――さて。
「お店かー」
 早速、アリスは行動を開始した。
 まず、お店を作るとなれば、必要なのは建物だ。人里の宮大工に、なぜか知り合いがいるアリスであるが、今回はちょっと趣向を変えてみようと考えていた。
 と言うよりも、幻想郷の建物と言えば、大抵が木造、漆喰や土壁のものである。石造りの建物もあるが、その手のものは大抵、蔵などがせいぜいだ。
 そうではなく、人目を引くような、ちょっと変わった風情の建物にしようと考えたのだ。
「いいよ。あたしで協力できるならね」
 そういうわけで、呼び出されたのは、幻想郷随一のメカニック集団(と書いてトラブルメイカーと読む)、河童の河城にとりである。
「まず、場所はどこにするの?」
「そうね……。
 人里の中、というのもいいんだけど、それだといまいちインパクトないわね」
「インパクトある外見にも出来るよー。いざとなれば脱出装置だって!」
「余計なもんつけたら蹴るわよ」
 そのデモンストレーションとして、人形が持ってやってきたレンガを、アリスはたった一発の蹴りで粉々に『粉砕』してみせた。
 砕いたのではなく、『木っ端微塵』にしたのだ。
 にとりは『はいわかりましたアリス様』とやたら礼儀正しくなった。よく見れば顔が引きつり、汗が一筋、流れている。
「にとりも言ったけれど、外見のインパクトって重要なのよね」
 紅魔館がいい例だ、とアリス。
 あの、真っ赤な外装の洋館は『何だ何だ』と人目を引くのに充分な意匠を備えている。
 幽香もそれには同意しているのか、こくこくとうなずくだけだ。
「だから、『おっ』と思わせないと」
「……そうなると……ん~……」
「えーっと……。
 確か、幽香さんは、ほら。ひまわり畑に住んでるんだったよね?」
「え? え、ええ。そうだけど」
「じゃあ、そこに建物を建ててみたらどうかな?」
「遠いわよ、人里から」
「ノンノン。アリスさん、人間の好奇心をなめちゃダメだよ。
 紅魔館だって、里からかなりの距離があるけれど、人の足が途絶えることはないだろ? ってことは、幽香さんのだってそうさ」
 ものめずらしさっていうものは、『不便』の意識を塗り替える。
 にとりの言葉に、なるほど、とアリスはうなずいた。
「そういえば最近、紅魔館への街道に寄り合いの宿が出来たらしいわね」
「あれ、繁盛してるらしいよ。日帰りで帰れないところからも人が来てるからね」
 そういう店が、幽香のいるところの手前にも出来てくるだろう、とにとりは言う。そうすれば、移動の不便も、ある程度は解消されるだろうとも。
「とにかくね、先駆けがいるんだから、後追いはどかーんとインパクト突っ込まなきゃ!」
「……確かに一理あるわね」
「でしょでしょ? 今なら、河童印の可変機構もつけて……」
「蹴るわよ」
「ごめんなさい」
 余計なところへ話を脱線させようとするにとりを軌道修正。
「確かに、ひまわり畑の中に佇むお店、って何かそれだけで絵になりそうね」
「そうね。面白そう」
「よし、幽香。あなた、一週間以内にお店のデザインを考えなさい」
「えっ!? 私!?」
「当然でしょ。あなたが店長なんだから」
 そして、とアリスはにとりに向き直る。
「協力ありがとう。詳しい話は、また後ででいい?」
「あ、ああ、うん。いいよ。わかった」
「この話は内密にね。インパクトを重視するなら、あるとき突然、っていうのが一番だから」
「りょーかいしましたー!」
 びしっ、と笑顔を見せて、にとりは返事をする。
 そして、出されたケーキを食べるのだが、『何これめっちゃ美味しい!』と目を輝かせる。
「それ、幽香が作ったのよ」
「ほんと!? すごいなー!
 このお菓子がいつでも食べれるなら、あたしもいつだって協力するよ!」
 女の子に甘いものは最強の組み合わせ。
 色んな意味で変人の領域を我が物にして突っ走るにとりも、それは同じだったようだ。
 アリス曰く、『相手を篭絡する時は胃袋から』。
 その策略は、見事、的中したようである。

 さて、それから4日ほど後。
 幽香が『出来たから』とアリスに声をかけ、またもやにとりも呼び出される。
 いつも通りのマーガトロイド邸。テーブルを囲む3人。
「それじゃ、幽香。見せて」
「え、えーっと……笑わないでね?」
「笑わないさ。早く、早く」
 にとりに急かされ、幽香は手にした『デザイン案』をテーブルの上に。
「何か、何というか……別荘?」
「あ、そんな感じ強いわね」
 温かみのある木造建築、というのはこういうものを言うのかもしれない。
 一面、美しく、木の板と柱を組み合わせて作られた空間がそこにある。
 入り口から入ったところにショーケースが並び、商品を陳列できるようになっている。ドアを開けた正面にはカウンター。その裏手には厨房。
 入り口左手にはイートインスペース。幽香曰く、『お客さんが、美味しい、って言って食べている姿が見たい』ということだった。
 表にはテラスもあり、イートインスペースの右手側のドアから外に出られるようになっている。
「家屋兼用か」
「そういえば、幽香。あなた、今、どこに住んでるの?」
「内緒」
 階段を上ると二階フロア。
 と言っても、幽香が寝泊りする部屋とトイレ、お風呂があるくらいの質素な空間だ。
 にとりが「木の自然な感じを出したほうがいいと思うよ。壁紙とかはどうだろう。ちょっと違うんじゃないかな」と提案し、アリスが「木の家は虫が出るから、床は上げましょう」と現実的な改善案を提示する。
「入り口からすぐにショーケースっていうのはいいね」
「そうね。
 商品の並びは、手前と、あと下側におすすめのものがいいわね」
「どうして?」
「子供の目につきやすいでしょ」
「ああ、なるほど。お菓子大好きだしね」
 こういうお店は、女性と、そして子供を取り込めば勝ちだと、アリスは言う。
 それはたぶんに、彼女の認識と主観によるものなのだが、あまり間違ってないのも事実だ。
「紅魔館から客を奪うなら、このイートインスペース、もう少し窓を広げて外を見られるようにしたらどうかな」
「いいわね。一面の花畑を見ながらお茶なんて憧れるわ」
「それと、店内では花とかも売るんでしょ?
 そうなると、花粉症とかの人も来るだろうから、そういうのを売るエリアは隔離したほうがいいね」
「外から見えなかったら買わないから、壁とかはガラス張り?」
「上の方はね。足下は危険だから、板か……アクリルとかもいいかも」
 などなど、あれやこれや。
 店の構想が決まったところで、『さて』とにとり。
 彼女は手に何やら小さな機械を取り出した。『それ何?』と尋ねるアリスに、「電卓、っていう計算機ですよ」と応える。
「そろばんじゃないのね」
「最近、ほら、山の上の方に変わった神様連中が来たでしょう。
 彼女たちは面白い技術を提供してくれるんですよね。これもその一環です」
「へぇ。ちょっと触ってもいい?」
「どうぞどうぞ」
 手にした電卓をぽちぽちと叩き、表示される数字が変わっていくのに、アリスは感心して声を上げる。
「これ、いくら?」
「そんなに高くないですよ。一万とちょっとかな」
「あ、じゃあ、店が出来たら一個ちょうだい。経理とかに役立ちそう」
「はいな」
 そしてぽちぽちと、叩き出される『建築費用』。
「このくらいかな?」
 その数字を見て、幽香は目を丸くした。
 三桁万。しかも、『ちょうど三桁超えました』などというレベルではない。
「どっ、どどどどうしましょう、アリス。私、あんなお金持ってない!」
「ん~……」
「もうちょっと安くしてあげてもいいんだけどね~。
 木造はそんなにお金がかからないと言っても、人件費に材料費、工事費、保守費用、火や水も使うんだから、そういうのを、こんな不便なところで用意しないといけない設備費なんかを足すと、こんなになっちまうんですよねぇ」
 どうします? とにとり。
 にとりが提示してきたその金額は、幻想郷住民なら、見ただけで幽香と同じ反応を示すだろう。それほどの金額だった。
 こんなにお金を持っているのは、人里の里長や地主、アリス達の知り合いなら紅魔館の連中がせいぜいか。もしかしたら、永遠亭もこれくらいのお金を持っているかもしれないが。
 ともあれ、『普通に生きていては、絶対に手に入らない金額』であった。
 ――お店を出すなんて夢物語だったか。
 幽香の顔がしょんぼりとなっていく。
「ねぇ、幽香」
「……何?」
「あなた、絶対に、途中で投げ出さない?」
「……え?」
「最悪、あのお金を全部払えるまで、お店、続けていくつもり?」
 それは、借金と言うことだろうか。
 幽香は首をかしげる。
 今、手元にお金がなくとも、お金のある人からそれを借りて使えばいい――そんな認識が、幽香の『借金』に対するものであった。
 当然、借りたものは返さなくてはならないのだが。
 幽香は迷い、しばらくしてから、「……頑張る」とつぶやいた。
「どうして?」
「その……。
 ほら、お友達が欲しいっていうのもあるけれど……。
 ……やっぱり、自分の作ったお菓子を食べてくれた人が、『美味しい』って言ってるの、好きなのよ。
 今までは、料理は対決手段だったけど……何度か、知り合いにお菓子を食べさせてあげたことがあってね。『これ、美味しい』って言ってもらえたのがすごく嬉しくて……」
 ふぅん、とアリス。
 にとりも、『いいですねぇ、そういうの』とつぶやいている。
「ねぇ、にとり」
「何?」
「あなた、さっき、少しは安くなるって言ってたわよね? どれくらい?」
「そうですねぇ……。
 まぁ、人情話と義理、あと、美味しいお菓子を食べさせてくれたお礼で、これくらいなら」
「高い。これくらいならどう?」
「おっ、そう来ましたか。
 けどねぇ、アリスさん。うちだって慈善事業じゃないんですよ。これくらいもらわないと割りにあいません」
「うちだって、そんな大金、ほいほい出せるほどお金持ちじゃないの。
 あなた、幽香の手伝いをするなら、これくらいで手を打ちなさいよ」
「そこまでやられたら、あたしが食っていけませんよ。ここから先は譲れませんね」
「へぇ、いい度胸ね。全然、値引きしてくれてないじゃない。
 ここまで。いい?」
「残念。河童は金に聡い上にがめついんですよ。
 ここがせいぜいかな」
 幽香を無視して、激しい値引き交渉が行なわれる。
 アリスの強気の攻めに対して、にとりがそれを受け流しつつ、自分の要求を通そうと言う防御の構え。
 両者の激しい攻防は30分の長きに渡って続き、「負けた! よし! じゃあ、ここで手打ちだ!」とにとりが諸手を上げたところで、値段が決まる。
 当初の値段の、15%オフ。かなりの値引率だ。
「キャッシュの方がいいんでしょ?」
「まぁ、そりゃ。信用取引ってことで、アリスさんなら、逃げることもないだろうし、建物が完成した後で払ってくれても構いませんし、分割も受け付けますよ」
「いいわ、それくらい。
 蓬莱、上の金庫からお金出してきて」
 ――と、そこで、幽香が『はい!?』と声を上げた。
「何よ」
「え? え!?
 だ、だって、アリス、これ、すごい金額……っていうか、あなたが出してくれるの!?」
「あなた、お金持ってないんでしょ。じゃあ、誰が出すっていうのよ」
「え……っと……」
 アリスに命じられ、二階に上がっていた蓬莱人形が、両手にどっさりと札束を抱えて戻ってくる。
 アリスはそれを受け取って、にとりの前に、「一つ、二つ、三つ」と札束を積み上げる。
「これで全額。オーケー?」
「ちょっと待ってね、今、数えるから」
 にとりは札束を手に取ると、一瞬で、ばっ、とお札を広げて指先の感触だけで枚数を数えていく。
 そのスピードたるや見事なもので、『確かに、これで全部だね』と三桁万の札束を数えるのに要した時間は1分もなかった。
「アリスさんは友達思いだねぇ。こんな金額、ほいと出すなんて」
「うちは家がお金持ちだから。
 そのくらいのお金、簡単に動かせるの」
「そりゃすごいや」
「あ、あの……アリス……」
「幽香」
 アリスは幽香に向き直る。
 幽香は、いまだ、目の前の現実が信じられないらしく、目をまん丸にしていた。
「このお金は、私からあなたに貸したものよ。あなたの借金。あなたは、これを、私に全額返済しなさい。
 もちろん、利息は取らないし、貸し出し期間も無期限。けど、あげたわけじゃない。いい?」
 何度も何度も、幽香は首を縦に振る。
 アリスはにっこりと笑った。
「あなただけじゃ、経営が不安だから、私も手伝うわ。
 私はパトロン。あなたが店長。一緒に頑張りましょ」
「……アリス……」
 その言葉に感極まったのか、幽香はアリスに背中を向けて、服の袖で目元をこすった。
 アリスは彼女の肩を軽く叩いた後、
「さて、それじゃ、にとり。お願いするわね」
「よっし、任せておいて! すっごいお店を作ってあげるよ!」
「余計なものつけたら――」
「つけませんわかってます大丈夫ですご安心くださいアリス様」
 つくづく懲りないと言うか、余計なものまでつけたがるのは河童の習性なのかもしれない。そう、アリスはこの時、確信していた。建築の最中、横から見てないと、こいつら何やらかすかわかったもんじゃない、と。
 それはともあれ、にとりは立ち上がると、『作るのには時間がかかるから、それだけは了解してね』と言って、踵を返す。
 こころなしか、右手と右足が一緒に出ていたりして、何かぎくしゃくした動きなのは気にしてはいけないだろう。

 ――こうして、幽香のお店の建築工事が始まったのだった。

「……何か……すごく大掛かりね……」
「当たり前でしょ。基礎工事から始めないといけないんだから」
 にとりが用意してきたのは、実に多岐にわたる宅地建築用の工具と人足だった。
 いつでも花の咲き乱れる太陽の畑。
 その一角の、特に小高い丘になっているところに、幽香の店の建築が行なわれている。
 基礎を固める工事をしつつ、建物を作るための材木が用意される。
 当然、お店なのだから火や水を使うということで、まずは水道工事となり上下水道の工事も行なわれている。
 それを眺める幽香は『何かえらいことになってきちゃった』という表情を浮かべている。
「さて、幽香。行くわよ」
「い、行くってどこへ?」
「もちろん、商売敵のところに挨拶しによ」
「へっ?」
 アリスに『いいからついてきなさい』と言われて、幽香は彼女の後を追いかけて空へと舞い上がる。
 一路、向かう先は――、
「相変わらずね」
 そうつぶやくアリスの視線の先に見えてくる紅の館。
 そこの門の前には、今日も長蛇の列が出来ている。
「お邪魔します」
「おや、アリスさん」
「こんにちは、美鈴さん」
「いえいえ、どうも。
 ……と、あと、珍しい方がいらっしゃいますね」
 門の前に佇む門番――と言う名の、お客様案内係チーフ――の美鈴が、アリスと幽香と言う、変わった客を前に笑顔を浮かべた。
「ようこそ、紅魔館へ。
 ただいま、入場は2時間待ちです」
「わかりました。
 幽香、ほら、並ぶわよ」
「えっ? だ、だって2時間よ?」
「割り込みとか、冗談じゃないわ」
「そんなことするお客様には、丁重にお帰り願います」
「ええ」
 美鈴の笑顔にアリスも笑顔で返し、列の最後尾へと。
 そこで、『最後尾』と言う札を持って立っていたメイドに一礼して、彼女たちは列の中へ。
 そして、ひたすら待つこと、本気で2時間。
「……疲れるわね」
「人気店なんてそんなものでしょ」
 片手に本を持って、それを眺めていたアリスはともかく、ただひたすら待つだけだった幽香の顔には、早くも疲れが浮かんでいる。
 しかし、アリスはそれに構うことなく、『次、私たちの番よ』と彼女の背中を叩いた。
 開かれた、館への入り口。そこに一歩足を踏み入れると、すぐさま横手から『いらっしゃいませ』と笑顔が飛んでくる。
「ようこそ、紅魔館へ。
 お二人様ですか? わたくし、本日、お客様のご案内をさせて頂きますメイドです」
「ありがとうございます」
「本日のご用件をお聞かせください」
 時刻は、ただいま、お昼時。まずはお昼ご飯と言うことで、アリスがそれを告げると、メイドが二人の先に立って歩いていく。
「こちら、紅魔館の名物、レストランサービスの会場となります。
 お席をご用意いたしますので、今しばらくお待ちくださいませ」
「……広い……」
「あなた、ここに来たことなかったの?」
 紅魔館大食堂。
 すでに、そこは人で満員となっている。あちこちを、忙しそうにメイド達が駆け回って料理を提供している姿が見えた。
「お待たせいたしました。こちらになります」
 二人はその一角、ちょうど窓際へと案内される。
 ご注文は? と尋ねてくるメイドに、アリスは『ランチサービス二つ。AとBで』とメニューを見ずに注文した。
「ね、ねぇ、アリス」
「おたおたしないでよ、もう。恥ずかしい」
「だ、だって、私、こんなにたくさん人がいるところに来るの初めてで……」
「……あなた、割と小心者だったのね」
 普段は倣岸不遜な態度の幽香だが、今の彼女はまるで小動物のようだ。
 と言うより、彼女自身、普段の不敵な態度は『演技』と言っていたので、こちらのほうが正しい彼女の姿なのだろう。
「あら」
 ――その時、横から声がする。
 視線を向ければ、この館のメイドを統率するメイド長が立っている。
「咲夜さん」
「こんにちは、アリス。それから、珍しいお客様ね。風見幽香」
「へっ? え、えっと……」
「ああ、彼女は無視してください」
「……? そう?」
 おたおたする幽香に喋らせるとぼろが出ると判断したのか、アリスが彼女――十六夜咲夜と幽香の視線の間に割って入った。
「今日は、うちでお昼ご飯?」
「ええ、そうです」
「そう。ありがとう。
 美味しいもの、たくさん食べていってちょうだいね」
「ええ、そうさせてもらいます。
 あ、それから、咲夜さん。食事の後、ちょっとご相談があるんですけれど」
「相談? 私に?」
「はい」
「ふーん……。
 わかったわ。じゃあ、後で声をかけてちょうだい。メイド達には言っておくから」
 それじゃあね、と咲夜。
 彼女の姿はその場からぱっと消え、アリスはほっと息をつく。
「全くもう……」
「あ、あの……」
「いいから」
 ご飯が来るまで待ちましょう、とアリス。
 要するに『水でも飲んで落ち着け』ということらしい。
 そして、待つことしばし。
「お待たせいたしました~」
 先ほどのメイドが、両手に二人分の料理を持って戻ってくる。その時に浮かべている笑顔のまぶしさと言ったら。
 業務用スマイルが混じっているとしても、見る相手に不快感を抱かせないその笑顔は見事であった。
「それでは、ごゆっくり」
 ぺこりと一礼して、彼女は去っていく。
 アリスは、『さて、食べましょう』と箸を手に。
「オムライス……」
「どうしたの? 幽香」
「……味は見事だけど、ちょっと油が強すぎるわね。このくらいなら勝てそう……」
「本気か」
 ひょいと、アリスは肩をすくめた。
 幽香が頼んだのは『紅魔館特製オムライス デミグラスソースかけ』である。ちょっと見ただけでは、女性ではとても食べきれないのではないかと思われるほどのサイズのオムライス。卵はふわふわとろとろ、中のご飯はバターライスになっている。
 そして、オムライスを包み込むほどのデミグラスソース。よく見れば牛肉の角切りがごろごろと入っている。
「洋食なら、幽香でも太刀打ちできそうね」
 そう言うアリスの食事は、『紅魔館定食お魚コース』である。
 ご飯と味噌汁、焼き魚に煮物、漬物という、何とも『和』の感じの様相を漂わせる食事で、紅魔館の雰囲気にはとってもミスマッチ。
 しかし、味はなかなかのものであり、非の打ち所のない、見事な定食であった。ちなみにどういう理屈か、箸と一緒にナイフやフォークまでもが並んでいる。
「どう? 幽香」
「どう、って?」
「あなた、それくらいなら作れそう?」
「作れるわよ。
 けど、うちはお菓子屋さん、やるんでしょ?」
「そうね」
「じゃあ……」
「デザートが来るでしょ」
 それに、とアリス。
「もしかしたら、多角経営とかになっちゃうかもよ?」
 そう言ってウインクする彼女に、きょとんとなる幽香であった。

「すいません、咲夜さん。お忙しいのに」
「別に構わないわ。私も、ちょうど休憩を取ろうかなって思ってたの」
 食事の後、担当のメイドに話しをして、咲夜の元へと、二人は案内してもらっていた。
 咲夜によって用意された場は、紅魔館の二階のテラス。
 日光の暖かいそこに、真っ白なテーブルと椅子を用意しての茶話会である。
「お昼ご飯とかは?」
「もう食べたわ」
「なるほど」
 出されるのは紅魔館の定番、美味しい紅茶とケーキである。ちなみに、ケーキはシフォンケーキだった。
「で、何?」
「実は、今度、うちもお店を出すんです」
「へぇ!」
 目を輝かせる咲夜。
 それってどういうことなの、と問いかけてくる彼女に『実は――』とアリス。
 話を全部聞き終えると、
「………………えーっと………………。
 幽香、それってほんと? 演技じゃない……わよね?」
「うるさいわね! ほっといてよ!」
 顔を真っ赤にして、幽香。
 さすがの咲夜も、アリスから、『実は幽香の、友達一杯作ろう作戦の一環でして――』と説明されたときには目が点になっていた。
 しかも、その幽香の提案で『お菓子屋さん』をやるというところに至っては、『えっ』という顔のまま硬直していたほどである。
「……そ、そう。
 なら、まぁ、ええ……。
 ……こほん。
 それで、どうして私に?」
「商売敵になるじゃないですか?」
「なるほど。宣戦布告というやつね?」
「そこまで剣呑なものじゃありませんけどね」
 にっこり笑って、アリス。
 咲夜も口許には笑みを浮かべているが、視線は鋭い。
 この幻想郷において、現時点で、唯一、そして最も最初に洋菓子を提供していると言う自負があるのだ。
 そこに、あとから参入してくる幽香。その態度に、まずは一定の敬意を払うと共に、挑んでくる挑戦者を快く迎えているのである。
「だけど、あなたに、うちのお菓子を上回ることは……」
「幽香」
 咲夜のさりげないジャブに、アリス。
 刹那、テーブルの上にショートケーキが現れる。三人分。
「………………………………………………」
 咲夜さん、沈黙。
「あの……今、何が……?」
「細かいことは気にしないで、食べてください」
 ものすごく気にしなくてはいけないことをスルーしろと言われているような、そんな気がした咲夜は、しかし、目の前の現実から目をそむけてケーキを一口する。
「……!」
「どうです?」
 その瞬間、咲夜は目を見開いた。
 その態度、それは間違いなく、幽香のお菓子に衝撃を受けた顔だ。
 美味しい。文句なく。しかも、紅魔館で提供しているものよりも。彼女は、それを認めてしまったのだ。
「……これは見事ね……。
 ……というか、以前、何かあなたの作ったものを食べたような気がするんだけど、私の脳が思い出すことを拒否してるからやめとくわ」
「そっちの方が賢明です」
 人間、思い出してはいけない記憶と言うのが存在する。
 咲夜の言葉に、アリスは大いに同意した。
「どうです? これくらいの味なら、お客さん、呼べるでしょうか?」
「……間違いなく」
「よかった。咲夜さん、ありがとうございます」
 慇懃無礼とは、まさにこのことか。
 アリスの放つ、見事な挑発に、咲夜は『敵ながら天晴れ』の評価を送った。
 同時に、目の前の、幽香と言う脅威を前に『さてどうしたものか』と思考をめぐらせる。
「いざ、勝負となったら、うちは負けないわよ?」
「こっちだって」
「ふふっ。そうね。
 それじゃ、アリス。いい勝負を――」
「話は聞かせてもらったわ!」
 ばぁん! とドアを開けて現れる何者かは、次の瞬間、開いた勢いそのままに戻ってきたドアにおでこぶつけて『う~……』と涙目でうずくまった。
 椅子から立ち上がった咲夜が、ぱたぱた彼女に駆け寄って、『はい、大丈夫ですよ。痛くない痛くない』と魔法をかける。
 すると、ぴょこんと彼女は立ち上がり、『ふっふっふ……』と何やら尊大な態度で部屋の中央まで歩み出てくると、
「この紅魔館に挑むと言うことは、わたし、レミリア・スカーレットに挑むと言うこと!
 挑まれた勝負には負けるつもりはなくてよ!」
「幽香」
 館のちびっこお嬢様、レミリアに提供されるチョコレートケーキ。
 それに笑顔でかぶりついたお嬢様は、次の瞬間、咲夜を振り返る。
「咲夜、これは命令よ。よく聞きなさい」
「はい」
「彼女たちの店との争いを禁止するわ」
「……はあ」
 お口の周りチョコレートでべったりなお嬢様は、忙しなく、羽をぱたぱた上下させながらそんなことを言い放った。
 その瞳は語っている。
『相手の店を潰したら、こんなに美味しいケーキが食べられなくなる!』と。
 要するに、懐柔である。お嬢様は見事に篭絡されてしまったわけだ。
「それに、ほら。この幻想郷で洋菓子を提供するもの同士、協力しあっていいものを作っていくのは悪いことではないでしょう?
 あら、わたしってば聡明だわ。ほめてもいいのよ」
「まぁ……はい。お嬢様がそう仰るのでしたら」
「ただし、うちは負けなくてよ。
 それは覚悟しておくことね!」
 とか何とかいいつつ、ケーキに満足したお嬢様は、羽をぱたぱたさせながら、またどこかへと行ってしまった。
 一体、今のは何だったんだろう。
 そんな空気が漂いつつも、何とか軌道修正をした咲夜が、「まぁ……ええ。そういうことね」とつぶやいた。
「じゃあ、えっと……お互い、頑張りましょう」
「はい」
「何か困ったことがあったら言いなさい。こちらで協力できることがあったら協力するわ。
 人手が足りないなら、うちから人をやってもいいしね」
「ありがとうございます」
「ただ、あの様子を見ると、ある程度は見返りが欲しいみたいだから。
 毎月、そうね……4つくらい、ケーキを定期的に買いに行くけれど、いい?」
「もちろんです。歓迎しますよ」
 数が偶数なのは、あのお嬢様の下に妹がいるからなのだろう。
 咲夜の気遣いに、アリスはにこっと笑い、幽香が「これ、二人に食べさせてあげて」と、またもや何もない虚空からプリンを二つ取り出した。
 その珍妙な光景を無視して、咲夜は『ありがとう』とにっこり笑う。
「最初は人を呼ぶのが大変よ。うちだってそうだったんだから」
「そうですよね。
 何かいい手段、ないですか?」
「地道にいくしかないわね。
 人里でチラシを配ったり、来てくれたお客さんが口コミで広めてくれるように、美味しいものを提供したり」
「なるほど……」
「人海戦術よ。人手が足りないなら言ってね」
「はい」
 一転、お嬢様の指示の下、アリスと幽香の味方に回る咲夜であった。
 心強い味方を得られた、とアリスは内心で、今回の紅魔館突撃が成功したことを喜ぶ。一方の幽香は、『何か大変そう……』と、これからの日々に不安を感じているのか、笑顔の中に、微妙なものを浮かべていたのだった。

 河童たちの仕事は早い。
 ちゃんとお金を払って責任感を抱かせることで、彼女たちの仕事の効率は一気に上がるとの説明が、にとりからあったくらいだ。
「どうだい? だいぶ、形になってきたろ」
 建物はすでに壁と屋根、床が作られている。
 あとは内装と水、火なんかの設備だけ、というにとりの説明を受けて、アリスと幽香は建物の中へ。
「いい感じじゃない」
「でしょ? こう……別荘のロッジって感じだよね」
 板張りの空間は、実に暖かな印象を漂わせる。
 採光と見た目のために用意されたいくつもの窓からは日光が室内に差し込み、空間を照らし出す。
「ショーケースとかもこっちで用意していいんだよね?」
「いいわよ。作ってくれるの?」
「サービスさ」
 にっと笑うにとりに、アリスは『ありがと』と笑いかけた。
「どう? 幽香」
「え? えっと……何だか、すごいわね」
「そう?」
「……昔から、こういうお店、やってみたかったのよねぇ」
 普段の彼女とはまるで違う、まるで子供のような笑顔を浮かべながら、『自分のお店』を見て回る幽香。
 その後ろ姿に微笑ましいものを覚えたのか、にとりは、「人は変われば変わるもんだね」と笑った。
「キッチンとか、注文ある?」
 こっちだよ、と案内されたキッチン。そこは、火や水を使うため防火性や防水性を考慮して、板張りの空間ではなかった。
 石造りのそこは、ただいま配管作業中。
「そうね……。冷蔵庫をこの辺に置きたいから、スペース、用意して」
「りょーかい」
「あとは……」
「窯とかが欲しいかな。焼き物を作る時に使えそうだから」
「オーブン? いいよ、作ってあげる」
「あと、この辺りに水周りを用意してくれるとありがたいわね。この辺にコンロ、あとは……」
「意外と、具体的に考えてるのね」
 アリスに代わり、にとりに配置を指示する幽香。
 その後ろ姿に、『彼女がやる気になってくれてよかった』と、何だか微笑ましいものを覚えているのだろう。アリスは小さく肩をすくめて苦笑する。
「このお店が完成したらさー、あたし達、少しくらいサービスしてもらえるかな?」
「ちょっとだけね?」
「けっちぃなー。どーんとサービスしてよー」
「お金は払ったでしょ。あの分しか、うちは無料提供しないわよ」
「え? そう? 別に少しくらいなら……」
「……あのね」
 冗談交じりで会話する二人の間に、真顔で入ってくる幽香。
 アリスはため息をつくと、
「お店ってね、お金を稼がないといけないの」
「ええ」
「無償提供してたらマイナスばっかりなの。わかる?」
「え、ええ……」
「赤字連発してたらお店を畳むことになるの。オッケー?」
「えっ!?」
「……をい」
 こいつには、まず、お金の概念から教えなければいけないかもしれない、とアリスは思った。
 妖怪というのは宵越しの銭を持たないものだが、ここまで金銭感覚が欠如したまま店を開かれるとたまったものではない。
 あっという間に大赤字、そして倒産である。
「……そうなの? お店の経営って大変なのね……」
「……にとり。あなた、お金についての講義とかやってくれる?」
「まぁ……別にいいけどね……。
 いやはや……大妖怪さまは、色んな意味で格が違うなぁ……」
 引きつり笑顔を浮かべるにとりと、頭痛をこらえるような仕草を見せるアリス。その二人を見て、幽香は首をかしげていた。
「えーっと……。
 じゃ、とりあえず、製作は続行ってことでいいんだよね?」
「あ、ええ。そうね。お願い」
「あと、そっちはどうするの?」
「そうね……。
 宣伝方法とか考えないといけないかも。と言っても、まずは方針も決めないといけないし」
 やらなきゃならないことが山積みで大変だ、とアリスは笑い、『あとお願い』とその場を後にする。
「幽香。
 作戦会議よ」
「えっ?」
「お店をやっていくに当たって、今の自由気ままな状態じゃ対応できないんだから。
 ある程度はシステマティックにやっていく必要があるわ」
「……えーっと?」
 アリスの言っている意味がさっぱりわからない幽香は首を傾げるばかり。
 アリスは、『もっと平易な言い方を心がけないとダメか』と肩をすくめると同時、『こいつ、ほんとに店の経営とかできるのか』と疑問たっぷりの感情を、この時、抱いていたと言う。

「……えっと……」
『頑張ってください、幽香さん。応援してます』
 その次の日。
 アリスから提示された作戦の下、幽香は幻想郷の空を行く。
 アリスから命じられたのは、『原材料の仕入れルートを開拓する』ことだった。
 曰く、『たくさんのお菓子を作るには、たくさん材料が必要でしょ。今みたいに、一個二個、ちまちま作れるだけの材料じゃ足りないわ。大量の仕入れをしないと』ということだ。
 しかも、アリスは幽香が品物の『品質』にこだわることは了承済み。
 その、彼女自身が納得できる品質の商品を提供できる『材料』を提供してくれる人を探して来いというわけである。
「どうしたらいいのかしら……」
 幽香の横には、彼女のサポート係を命じられた仏蘭西人形がくっついている。
 取り出されるフリップには、『農家の方とかを回ってみるとか、どうでしょうか?』と書かれていた。
「……あなた、アリスの命令で動いてる……のよね?」
 こくこくうなずく仏蘭西人形。
 そういう仕草を見ていると、どうも、この人形たちは自分の意思で動いているように見えてならないのだが……まぁ、本人が違うと言っているのだから、違うのだろう。
「と言われても……心当たり、ねぇ」
 悩む幽香。
 その横で仏蘭西人形は、『じゃあ、今まで作っていたお菓子って、どこから材料仕入れてたんだろう』と疑問を浮かべていたりする。
「……よし」
 何やら決意したらしい幽香は、進路を東よりに変更して飛んでいく。
 その先――見えてきた里の一角。
 そこに、たくさんの牛や馬がいるのが見える。どうやら、酪農を営んでいる農家が、そこにいるらしい。
 彼女は地面へと舞い降りる。
 牛や馬の鳴き声を聞きながらそこを歩き、やがて、彼らの主人と思われる男性を見つけると、
「あ、あの……」
 声をかけた、その瞬間。
 40代中頃と思われる彼は、振り向くと同時にぎょっとしたような顔を浮かべ、一歩、足を後ろに引いた。
「え、えっと……その……」
 どうやら、幽香は、実は小心者であることに加えて人見知りと対人赤面症も患っていたらしい。
 うつむいてしまう彼女。
 その彼女の肩を叩いて、仏蘭西人形が『頑張ってください!』と励ました。
「あ、あの、えっと、牛乳、売ってください!」
 ここでへこたれては女が廃ると思ったのか、幽香は精一杯の声を上げて、頭を下げた。
 彼女に頭を下げられた男性は、きょとんとした顔を浮かべて、『あー……』と声を上げる。
「あんた、確か……あれだろ? 俺も見たけれど、稗田の本に『危険』とか書かれてた……」
「え、えっと、その、私、危険じゃないですから! 大丈夫ですから!
 だから、えっと……その……」
 うーん、と彼は眉根を寄せて腕組みをした。
 目の前の妖怪が、嘘を言っているようには見えなかったのだろう。さりとて、『あの』稗田の本が嘘を書いているとも思えないと考えているのか。
 彼は、『……悪いんだが、話を聞かせてもらってもいいだろうか?』と、いささか及び腰で幽香に尋ねてきた。
 そこで、幽香は精一杯、『今度、お店を開くんですけれど、そのためには――』と言う説明をする。
 たどたどしい上に、セリフかみまくりの言葉であったが、それでも彼女の誠意が伝わったのか、
「なぁ、妖怪のお嬢さん。
 何で、俺のところの牛乳なんだ?」
「その……。
 ……以前、人里で売られている牛乳を飲んだことがあって。それで、『これ、美味しい』と思ったのが……」
「俺のところのだった、と。
 ……それっていつ頃だい?」
「もう10年以上は前かしら……」
 彼は顔を伏せた。
 ――もしかして、交渉失敗? 私、いきなりドジった?
 幽香がうろたえた、その瞬間。
「わはははははははは!」
 彼は大声を上げて笑い出した。
 天を見上げるくらいに大笑いした彼は、『気に入った!』と威勢のいい声を上げる。
「まさか、10年以上も前から、俺のところの牛乳に、こんな美人のお嬢さんが客としてついてたなんて知らなかったや!
 ああ、いいぞ! なんぼでも持ってけ! どんどん持ってけ! 何なら乳絞りやってみるか!」
「あ、えっと、その……。
 ……一応、これは取引なので、仕入れ値を決めさせてもらえれば……」
 仏蘭西人形が取り出すフリップにちらちら視線を向けながら言う幽香に、「なぁに、いいってことよ!」と彼は言う。
「俺ぁ、金のために牛やら育ててんじゃないからな。俺の作ってるもんに『うまい!』って言ってくれる客がいれば、それだけで満足さ!
 ありがとう、お嬢さん!」
「あ、その……でも、それだと何だから……えっと……」
『でしたら、10リットル当たり、このくらいのお値段ではいかがでしょうか?』
 と、仏蘭西人形。
 彼は『何だ、水臭いな』と笑いつつも、提示された値段に納得したのか、
「いつでも定期的に仕入れてくれるのかい?」
「あ、はい! そのつもりです!」
「そうかそうか。
 なら、俺も気合を入れていいもの作らないとな。
 ああ、そうそう。俺の知り合いに、俺よりもいいもの作ってる奴がいる。そいつも紹介しておくよ。
 俺は切られないよう、頑張ることにするさ」
 彼はそう言って、幽香に向かって笑顔を浮かべた。
 そして、一度、大きく頭を下げる。
「悪かった。
 あんた本人に会うことなく、あんたの噂だけで、あんたはとんでもない悪党だと勘違いしてた。許してくれ」
「そ、そんなこと……!」
「いや、これは俺のけじめだ。悪かったな」
 彼は笑顔で『よろしく』と右手を差し出してくる。
 幽香は恐る恐る、彼のほうに手を伸ばし、しっかりと、その手を握った。
 契約成立だ、と彼は言う。
「ところで、『けぇき』ってのは何だい。牛乳使うってことは食いもんか?」
「あ、はい。こういうものなんですけど」
 と、またもや虚空から取り出されるケーキ。出てくるのは定番のショートケーキである。
「ほっほー。こんなもんがあるんだなぁ。
 ……どれどれ?」
 一口、ケーキを口にして。
「こいつはずいぶん甘いんだなぁ。女子供に受けるだろ?」
「え、ええ。はい」
「それに果物も使うのか……。
 あと、卵と砂糖か?」
「そ、そうです。他にもあるけど、メインは……」
「よし。
 じゃあ、俺の知り合いに果樹園やってる奴がいる。それと、養鶏やってんのもな。
 そいつらのいるところを教えるよ。今、手紙を書いてやる。ちょっと待ってな」
「は、はい!」
「いやしかし、俺みたいな親父のところに、こんな美人のお嬢さんが来てくれるなんて、今年はいい一年になりそうだ」
 わははと笑いながら、彼は母屋と思われるところへと歩いていく。
 佇む幽香に、横から仏蘭西人形が『成功ですね』と声をかけた。
「あ……うん……。そうね……。
 ……な、何だ。ちゃんとやれば、何とかなるじゃない……」
 その成功が自信になったのか、先ほどまでハの字になっていた幽香の眉がいつもの位置に戻っている。心なしか、顔も笑顔だ。
「おーい、お嬢さん! 手紙、書いてきたぞ!
 字が汚いのは勘弁してくれるか!」
「は、はい!」
「おう、ありがとさん!
 頑張れよ! 店が出来たら教えてくれ! 家内とガキを連れて食べに行くからな!」
「は、はい! ありがとうございます!」
 彼の応援を受けながら、幽香は一路、空を行く。
 もらった手紙をなくさないように、スカートのポケットにしまって、
「つ、次も頑張るわよ!」
『はい』
 と、隣の仏蘭西人形に笑顔を――まだちょっと、ぎこちない笑顔を向けるのだった。

 幽香のお店の建築が始まって一ヶ月。
「まぁ、こんなところかなー」
 片手にスパナを持って、にとり。
 彼女の視線の先には、幽香のアイディア通りの、そして、あちこち色々なアレンジの加えられた『お店』が建っていた。
「大したものね」
「これが河童の技術力! 我々、河童に不可能なことはなーい!」
 わっはっは、と偉そうに笑うにとりを無視して、アリスはさっさと、白の塗装が美しくなされた建物の中へと入ってしまう。
 それに幽香も続いてしまったため、胸を張って威張っていたにとりは所在なげにぽつんとその場に取り残される。
「中もきれいに作られているわね」
「そうね」
「これで、カウンターの向こうに立って、『いらっしゃいませ』なんてやったら、立派な店主じゃない」
 頑張りなさいよ、とアリスが幽香の肩を叩く。
 幽香は『そ、そうね』とちょっと緊張したような笑顔を見せた。
「それでね、幽香。
 一応、お店に立つに当たって、こんなものを作ってみたんだけど」
 取り出すのは一枚のエプロン。
 曰く、『店に立つのだから、簡単な衣装もあった方がいいでしょ』ということだ。
「おー、似合う似合う。美人は何を着ても似合うから得だよねぇ」
 遅れて中に入ってきたにとりが、エプロンをつけた幽香を手放しでほめた。ほめられるのもまんざらではないのか、幽香のほっぺたが少しだけ赤い。
「開店、いつにする?」
「そうね……。
 せっかくだから、今日から、っていうのはどう?」
「今日から、って……。
 まだ商品が……」
「5分ちょうだい」
 ――5分後。
「こんなところで」
「……アリスさん。今、何が起きたのかわかる……?」
「……さあ……」
 店の入り口から続くショーケース、そしてカウンターに。
 幽香が作った、色とりどり、様々なお菓子が並べられていた。その種類たるや軽く100は超えるのではないだろうか。
 量も質も充分なそれがずらりと並ぶ光景に、物理法則超越を感じて、にとりの顔にすら引きつり笑いが浮かんでいる。
「だけど、幽香。
 今日から、って言うけれど、さすがに宣伝もしてないんだからお客さんは来ないわよ?」
「わかってるわよ。
 だから、その、なんていうの? プレオープン? そんな感じで。
 雰囲気だけでも味わうっていうか」
「ああ」
 なるほどね、とアリス。
「ねぇ、にとり。
 このお店の水と火って……」
「水は、この丘の裏手側にきれいな湖があったから、そこから引いてきてるよ。火はガスかな。裏手にある。普通に使って、大体3か月分くらいはためてあるけど、なくなったらうちに買いに来てね」
「わかったわ。あと、灯りなんだけど」
「火しかないねぇ」
「魔法の灯りに切り替えようと思うの。
 火は炭と灰が出るでしょ? 匂いもするし。食べ物が置いてある場所には向かないわ」
「なるほど」
「あと、ショーケース全体に冷気の魔法をかけておきたいのだけど、そういう処理はやってもらえる?」
「説明してくれりゃ、やるよ」
 などなど。
 幽香のやる気を見て取ったアリスは、店の設計の細部について、にとりと話を始めた。
 ついでに幽香にも、『この店の施設を紹介してもらうから』と声をかけ、建物内を連れまわす。
 見れば見るほど、自分が提案したアイディア通りの『お店』。
 それをしっかり眺めていく幽香の顔は、実に楽しそうだ。
「あと、ここがグッズ販売コーナー。
 花とかが出す花粉は、上のダクトで吸入して、外に排出するようにしてあるから」
「いいわね。そういう気配りが大切だわ」
「グッズかぁ。アクセサリーとか作ったら売れるかしら?」
「売れる売れる。女性はきれいなもの、かわいいもの、丸いもの、ふわふわしたものが大好きでしょ」
 あたしは機械が大好きだけど、とにとり。
『それじゃ、そういうのも作らないとね』と幽香。そっち方面には手伝いが出来るわよ、とアリスがフォローを入れる。
 料理面では、自分が手を出さない方がうまく回ると考えているのだろう。
「あとは商品のお値段かな」
「一応、仕入れの金額とか見せてもらったけれど、安いものならこれくらい、高いものはこれくらいからね」
「……ねぇ、高くない?」
「高くない! これでも利益ぎりぎりなのよ!」
 日々、お金なんて持って過ごさない幽香にとって、硬貨一枚でも『大金』である。
 それほどまでに金銭感覚のない彼女を前に、アリスは大げさな仕草でため息をつく。
「こりゃ、お店の経営は大変だ」
 そんな光景を見て、にとりは苦笑する。
「山の方には、あたしの方から宣伝しといてあげるよ」
「あ、うん。ありがとう」
「いいっていいって。
 その代わり、お礼として、美味しいお菓子とお茶が欲しいなぁ?」
「はいはい。がめついわね」
「まぁね。河童だし」
 お店の開店を祝って、ゆっくりのんびりお茶タイム。
 ――これから、どんな風に店を経営していこうか。
 ――どんな感じでお店を作っていこうか。
 ――こんな風にお店を運営したら面白いんじゃないだろうか。
 そんな風に、話題は尽きない。
 その中の話題に。
「ねぇ、店の名前、何にするの?」
 ふと思いついたような、アリスの言葉。
 それは考えていなかった、とにとりが首をかしげ、幽香が『……そうね』と腕組みする。
「美味しいお菓子ときれいなお花をどうぞ! スイートフラワー! なんてどうかな?」
「……にとり、あなた、ネーミングセンスないわね」
「ぐさっ」
 アリスは、「もっとありきたりな名前の方がいいわよ」と提案する。
 奇抜な名前を考えるよりは、誰にでも受け入れられて、誰にでもわかりやすい名前の方がいい、と。
 何せ言葉は言霊。名は体を現す。
 そういう『ふさわしい名前』を考えられないか、と彼女は幽香に問いかけた。
「う~ん……。
 やっぱり、私のお店なんだから……。『かざみ』とかどう?」
「あら、いいわね。シンプルで」
「じゃあ、その前にお店の名前とか入れるといいかもね。『洋菓子屋』とか『喫茶店』とか」
 店の種類からすると、喫茶店の方がいいかもしれない、とにとり。
 なるほど、とうなずいた幽香は、つと席を立ち、店の建築で余った板を一枚、持ってくる。
 その表にマジックで『喫茶かざみ』という文字を書いた。
「こんな感じ?」
「いいわね。それ。うん」
「わかりやすくていいね。
 お店の看板? なら、あたしが作ってあげようか」
「あ、ううん。いいわ。
 これくらいなら自分で作れるし、少しくらいは手作りしてみたいもの」
「おっと、そっか。大妖怪さまにそういわれちゃ、あたしみたいなへっぽこ妖怪は降参だ」
 そんな冗談を言って、にとりは『工具とかが必要なら言ってね』と手伝いを申し出る。
 それに、幽香は『ありがとう』と言葉を返した。まだ少しだけ、つたない感じではあるが、それでも精一杯、気持ちが伝わるような声音で。
「店の名前も決まったことだし、前途洋洋ね。いいお店にしていきましょう」
 アリスは、その言葉で場を締めると、壁際にかかっている時計に視線をやる。
 時刻は、ちょうど、ご飯時だった。

 そして、夕方。
 アリスもにとりも帰り、店に残るのは幽香だけ。
 今日の来店客は0。宣伝など一切してないから当たり前とはいえ、少しだけ、寂しい結果だった。
「まぁ、明日からよね」
 これからあちこちで宣伝して、それから、お世話になった人たちを招待して。
 そうして、ゆっくりゆっくり、口コミで店の評判が広がっていけばいい。今でこそ、2時間3時間待ちは当たり前の紅魔館でさえ、最初の頃は閑古鳥だったのだ。焦る必要はないだろう。
「それじゃ、そろそろ――」
 店を閉店にして、今日のお店は『終わり』にしようか。
 そう思った時、表のドアが、『ちりんちりん』という音を立てて開いた。
 ――お客さんだ。
「すいませーん」
 声がする。
 幽香は一度、意味もなく、窓の外を見た。そしてもう一度、店の入り口の方へと視線を移す。彼女が今、いるのは厨房。明日以降の仕込をしようかと思っていたのだ。
 頬が熱くなる。鼓動が早くなってくる。彼女は一度、喉を鳴らした。
 そして、
「はーい!」
 声を上げて、店のほうへと走っていく。
 厨房から飛び出すようにして、やってきた客へと声をかける。
「い、いらっしゃいませ。あ、あの、ようこそいらっしゃってくださいました。えっと、あなたが、初めてのお客様……」
 と、声を上げて。
 ここで初めて、幽香は目の前の相手が誰なのかを確認する。
 以前、花の異変で一戦交えた相手。
 それ以後、幻想郷で認識される『生きる迷惑ランキング』堂々ぶっちぎりナンバー1を突っ走る輩。
 色んな意味で敵に回すと厄介な相手――射命丸文。
「………………………………」
「…………………………あ。」
 と、声を上げたときにはもう遅い。
「幽香さんじゃないですか! これ、幽香さんのお店なんですか! うわぁ、すごいなぁ! すごいですねぇ!
 こんなところにお店を開店だなんて、私、もう驚きですよ! これはお菓子屋さんですか!?
 幽香さんが店主! そうですよね!?
 隠してるなんて水臭いじゃないですか~! 私に最初に言ってくれたら、もう、幻想郷中にどば~って宣伝してあげたのに!
 まぁ、今からでも遅くはないですよね! さあ、さあ! お店への意気込みをどうぞ! あとそれから、どうしてお店を開くことになったのか、とか、お勧めの商品とか! もう、ずばーっと! お願いしますっ!」
 すさまじい勢いで駆け寄ってくる文に、幽香はたじたじになって、『え、えっと、あの……』と言葉に詰まる。
 ここで『うるさいわね!』と相手の頭殴って黙らせることは可能なのだが、それをやると、また面倒なことになりそうだった。
 ――というわけで。
「え、えーっと、あの……えっと……その……ね。
 私、あの、えっと……」
 しばらくの間、文ちゃんによって質問攻めを食らう幽香でありましたとさ。

「ふっふっふ……!
 どぉ~ですかっ! 我が文々。新聞の宣伝力っ!」
 それから数日後のこと。
 果たして文の新聞が功を奏したのかはわからないが、幽香の店――喫茶『かざみ』には朝から大量のお客さんがやってきていた。
 ものめずらしさでやってきたものが、そのほぼ全てなのだろう。
 彼ら彼女らは、初めて見る洋菓子の美しさ、かわいらしさや、幽香の手作りグッズ、さらには店の雰囲気などを楽しみにやってきているようだ。
 もちろん、その中には、幽香が先日より足を運んで材料の仕入れをお願いしてきた人間もいる。
「やはり、古来より続く宣伝である口コミよりも、力のある新聞の方が圧倒的であるこの事実っ!
 我ながら鼻が高くなります!」
「あなた天狗でしょ」
「いやそうじゃなくて……」
 横からアリスの冷静なツッコミを受けて、しょぼくれたりもするのだが。
「ちょっと、幽香! 急ぎなさいよ! お客さん、待ってるんだから!」
 せっかく来たのだから、と客は品物を手に取り、次々にカウンターに出してくる。
 そのカウンターには、にとりによって作成された『レジ』なる道具。これのボタンをぽんぽんと叩くと、瞬時にお金の計算とお釣りを出してくれると言う優れものだ。
 これを操るアリスは、人形たちをフルに使って客をさばいている。
「何が足りないのー!?」
「ショートケーキとチョコケーキ! あと特製プリンとシュークリーム!」
「はい持ってって!」
「はっや!?」
 底をつきそうな在庫を言うと、その数秒後に補充されてくる品物の数々。
 つくづく、幽香でなければ出来ない芸当である。
「ママ、これ美味しい!」
「そう? じゃあ、これも買っていきましょうか」
「ねぇねぇ、こんなの初めて食べたね!」
「うん!」
「紅魔館でも食べたことあるけど、こっちの方がうまいよな」
「確かに。もう一つ、何か買っていこう」
 あちこちで、そんな会話が交わされている。
 ちなみに、『かざみ』はオープン記念で、店内には試食スペースが設けられ、お菓子が無料で振舞われている。
 そこでお菓子を口にしてもらって、実際に手にとってもらう。損して得取れ、である。
「何かすごいねぇ」
「おや、にとりさん」
「おはろー。
 このお店を作ったものとして、繁盛振りを見に来たよ」
「にとりさんが作ったんですか。道理で」
「そだよ。
 っていうか、何で文さん、ここにいんの?」
「文はうちの広報係になってくれたの」
 アリス曰く、文の方から申し出てくれた宣伝役、ということであった。
 もちろん、それは事実である。このあやや、意外と甘いもの大好きであり、幽香のお菓子を一つ二つと食べて、すっかりその味に魅了されてしまったのだ。
 それを聞いたアリスが、『じゃ、うちの商品、いつでも15%引きにしてあげるけど、広報やる?』と声をかけたところ、『喜んで!』と最敬礼したというわけである。
「頑張ってよ~。変な噂とか流したらえらいことだよ」
「失礼な。私は変な噂なんて流しません。
 私はいつでも、真実を追究し、それを広める使命と共に生きているのです」
「要するにアジテーター、と」
「ぐっさ」
 だが否定も出来ないため、文はしこたまへこむのみであった。
「ちょっと、文。そこでへこんでるくらいなら手伝って。人手が足りないの」
「だってさ、文さん」
「うぐぐ……」
 アリスにエプロン渡されて、それを装着する文。
 すぐさま客が寄ってきて、『あの、これこれこういうものはありませんか?』と声をかけてくる。
 もちろん、わかるはずもない文は『え、えーっと……』と硬直するだけだ。
「……この客を全部、取り込みたいわね。インパクト、か……」
 店内で客あしらいをしながら、アリスは客の声に耳を傾ける。
 やはり聞こえてくるのは、この業界の先達である紅魔館の話題だ。
 ――比較されている。
 彼女はそれを確信した。
 紅魔館よりうちの方が優れている。それを胸を張って言えなくては、この客を取り込むのは難しい。
 そう、彼女は判断する。
「普通の品物を並べているだけじゃ難しいわね……」
 つぶやくアリスは、人形たちに命じて、どの商品がどれくらい売れているのかをカウントしろ、と命じた。
 一瞬、動揺する人形たちであるが、マスターの命令だ。逆らうことは出来ない。
 店内を忙しく駆け回りつつ、彼女たちはアリスの命令どおり、売れていく品物を観察する。
「負けないわよ~……!」
 一度、始めた以上はとことんやる。
 アリス・マーガトロイドの腕の見せ所であった。

「ああ、楽しかった~!」
 夕方、午後5時。今日の営業が終了する。
 予想外の人のいりに、蓄えていた材料が底をついたため、閉店時間を待たずの閉店であった。
 太陽の畑まで足を運んだ人々は、皆、家路につき、店内のお菓子は残らず売り切れ。まさに大成功の一日であった。
 幽香は笑顔で大きく体を伸ばし、『私、これなら頑張っていけるかも!』と表情に自信を浮かばせている。
 しかし、アリスはというと、
「幽香、作戦会議よ」
「え?」
「これからのお店の経営に向けて」
 そのついでに晩御飯、ということで、店のテーブルを使っての作戦会議が始まる。
 アリスはまず最初に、人形たちに収集させていた『今日一日の売れ行きリスト』を提示する。
「数えると、やっぱりケーキ系がぶっちぎりね」
 お値段控えめ、量は多め、な『かざみ』のお菓子。その中でも、とりわけケーキがよく売れた、とアリスは言う。
 その数たるや、一番売れた花の蜜ケーキに至っては300個以上だ。
「今日の売り上げは予想以上だったわ。材料、足りないでしょ?」
「え? え、ええ……そうね」
「明日は急遽、お休みにして、材料を仕入れに行きましょう。
 今は週に三日の契約だけど、週に五日に増やすわ。このペースを維持できるなら、それくらい、材料の仕入れをしないと間に合わない」
「そ、そう?」
「あと、やってきていたお客さんの年齢と性別の比率がこれ」
 ばさっ、と一枚のリストを広げるアリス。
 そこには、やはり『若者』『女性』の比率が高いのが記載されている。
「うちは予定通りの相手を取り込むことに成功してるわ」
「うん」
「けど、紅魔館は年齢性別の区別なく、お客さんを取り込んでいる。ここに食い込んでいくには、相当な努力とそれに伴う結果が必要よ」
「……う、うん」
「徹底的に、うちの客層へのマーケティングを行なうわ。これは私が主に担当するから、あなたは何もしなくていい。けど、私が出した結果に応えるように努力して」
 何やら大変なことになってきたようだ。
 それを感じた幽香の表情はこわばり、背筋も心なしか、ぴんと伸びている。
「あと、営業時間。今は10時から8時って打ってるけど、これはちょっと問題ね。
 今後もこの流れが維持された場合、どう頑張っても、うちの冷蔵庫とかの保管状態を考えると午後6時がせいぜい。
 それ以降に来てもらったお客さんに対して、『すみません。商品がもうないんです』って追い返すことになりかねない」
 そんなことで客をがっかりさせてしまうのは問題外だ、とアリス。
「まさか、ここまで繁盛するとは思わなかったわ。嬉しい誤算ね。
 けど、おかげで、わからなかったところの洗い出しも出来た。
 幸い、今はプレオープン期間よ。いくらでも修正は利くわ」
 そうじゃなかったら危なかったけど、と彼女は言って、手にした書類のようなものを一瞥する。
「そこで問題です。
 この状態を維持するにはどうしたらいいでしょうか」
「え? えっと……その……。
 お、お客さんをひきつける!」
「正解。さすがね」
 いきなり、よくわからないクイズ。
 首をかしげる幽香に、彼女は手にした、一枚の紙を見せる。
 そこに書かれているのは、『店の売りを作る!』という目標の一言であった。
「さてそれに当たって。
 うちの定番商品を作ろうと思うの。と言うか、ケーキなんて、紅魔館に行けば食べられるわ。
 そうじゃなくて、うちじゃないと食べられないお菓子がないと、紅魔館には勝てない」
「……勝てそうな気がしないんだけど」
「そりゃ、最終的な売り上げとか集客率じゃ、どうやってもかなわないでしょうね。
 だけど、幽香。それなら、『別にこんな遠いところにまで来なくてもいいや』って人は思うわよ」
「うぐ……」
「そんな彼らに、『遠いけど、それでも足を運びたい』商品がないとね」
 出来そう? とアリス。
 幽香はしばし沈黙して――と言うか、あちこちに視線をさまよわせたり、眉根を寄せたりした後、何やらぽんと手を打った。そして、「や、やってみるわ!」と声を上げる。
「よし。
 じゃあ、その方向で頑張りましょう。今日、レミリア達も来ていたけど、うちのお菓子は気に入ったようだったわ。当面は、うちに対して好意的になるでしょうね。
 あとはそこからよ。先達に負けないよう、精一杯やりましょう」
 優秀な参謀と言うのは、まさにこのことか。
 たった一日で店の方針を決定し、客を分析し、それを戦略へと転換する。なかなか、一朝一夕で出来ることではない。
 アリス・マーガトロイドと言う優秀なブレーンの指示の下、風見幽香の挑戦が、この時、始まった――!

「やっぱり、やるなら『私なり』によね」
 一人、厨房に立つ彼女の前には、新作のケーキに使う予定の材料の数々。
 それらを少しずつ、ボウルなどに移しながら、
「アリス達をびっくりさせてやらないと」
 美味しいものが作れるのは、自分なら当たり前。その自信を、彼女は持っている。
 しかし、それだけでは足りない。
 予想されている美味しさを、さらに超えた美味しさを提供する。それが出来てこその、自分なのだ、と。
「それに、あんなにお客さんが来てくれるなんて思わなかったし」
 彼らから向けられる、『美味しかった』と言う言葉が何よりも嬉しい。
 もっともっと、彼らに美味しいものを食べさせてあげたい。
 ……何だか、最初から方針ずれてきてないかな?
 そんな風に思ったりしてしまうのだが、幽香の中では、どちらも最優先事項。その順番が、たまに入れ替わったり、ちょっと差がついたりするだけのこと。
 何も問題はない。
「これから頑張っていかないと」
 そのために、自分に出来る精一杯のことをやろう。
 そう考えると、彼女の思考は最初に戻っていく。自分にとってプラスとなる思考と行動のループ。ある意味、決して乗り越えられない『課題』の誕生だ。
「よーし、完成!」
 想像通りの物を作ることが出来た。
 あとは、それへの感想が、彼女の予想通りであるかどうか。
 もちろん、彼女はそれを心配していない。
 自惚れでも何でもない、確かな自信が、そこにあるのだから。

 ――そして。
 初日の勢いは、まだ続いている。しかし、やってくる客のカウントをするアリスは、『初日と比較して、10%減か』と、内心ではその状況に危機感を覚えている。
 客がものめずらしさを失う前に、取り込む。それが出来なければ、この奇妙な、しかし、楽しい喫茶店営業は遠からず潰えてしまうだろう。
 そんなアリスの危機感を知ってか知らずか。
 その日の営業が終わった後、アリスと、『かざみ』広報の文、そして建築主任のにとりが店の中に並んでいる。
「で、あたしら何すればいいの?」
「さあ……?
 私も、アリスさんに『来て下さい』って言われただけですし」
「アリスさん、どうなの?」
「幽香から『新商品の構想が上がったから』って言われただけよ、私も」
 はて? と首をかしげる3人。
 それから、待つことしばし。
 お待たせ、とやってきた幽香が、3人の前に『うちの新作で、顔役よ』とケーキを3つ、差し出した。
「あ、美味しそう。いただきまーす」
 にとりが早速、そのケーキにフォークを立てて丸ごとかぶりつく。にとり曰く、『食事の礼儀は最低限。あたしはお腹がすいてるんだ!』ということらしい。
 一方の文は、にとりとは違い、ケーキに軽くフォークを入れて、一部を切り取ってから口に運ぶ。
 そしてアリスは、じっと目の前のそれを観察した後、わずかに一口、口にするだけだった。
「どう?」
 しばし、一同、沈黙。
 そして、
「……いや、その……」
「美味しいんだけど……」
「今まで食べたことがないというか」
 美味しい。それは間違いなく。
 だが、その美味しさをどう表現したらいいかわからない――そんな困惑を、3人はそろって浮かべている。
 出てきたのは、全体がクリームで覆われたシフォンケーキ。
 クリームの色はほんのり黄色がかかっていて、牛乳と素材の甘さ、砂糖のしっかりとした甘味と共に、不思議な甘さが備わっている。
 生地の方もそうだ。
 ふんわりしっとりのケーキ。素材の味が充分に生きているそれに混じる、クリームと同じほのかな甘さ。
「その真ん中にね、味の秘密があるわよ」
 言われて、そろって、3人はケーキの真ん中部分を開いてみる。
 すると、中からとろりと黄金色の蜜のようなものが垂れてくる。
「ああ、蜂蜜ですか」
「なるほど。これ、蜂蜜の味かぁ。わかんなかったよ」
「面白い発想ね、幽香」
 文の一言で、3人は『なるほど。そういうことか』と声を上げる。
 しかし、幽香はというと、
「違う違う」
 それをくすくすと笑いながら否定した。
「蜂蜜に味は似てるかもしれないけど、蜂蜜より、ずっと香りがいいでしょ? あと、蜂蜜ほど、濃厚な味もしないと思う」
「……言われてみれば……」
「う~ん……。あたしは、そこまでグルメじゃないからなぁ……」
「それ、何だと思う?」
 幽香の問いかけ。
 3人はそろって、誰も応えられない。
「それね、花の蜜よ」
 彼女はそう言って、「うちの自慢、特製花の蜜ケーキ2号、なんてどうかしら?」と笑った。
「花……?」
「ええ、そう。
 味が優れたもの、香りが優れたもの、食感が優れたもの。それを全部、混ぜ合わせて作ってみたの。
 私しか作れないでしょうね」
 彼女は花を操る妖怪。
 そして、恐らくは、自他共に認める幻想郷で一番のパティシエール。
 誰よりも素材を知るものが、誰よりも優れた技術で作り上げた、至高の逸品。
「あ、あれ? 以前、私が食べたものよりずっと美味しくないですか? これ」
「そうよ。
 今の花の蜜ケーキをベースにして、アレンジを加えてみたの。
 具体的に言うと、蜜の種類を厳選した、っていうところね。あと、前のケーキは、こんな風に花の蜜を直接味わうものじゃなかったでしょ?
 やっぱり、私の大好きな花たちだもの。一番、美味しいものを食べてもらおうかな、って」
「……なるほど~」
 これはもう脱帽だ、と文。
 彼女は、「そうなると、既存のメニューの置き換えになるんですかね?」と幽香に問いかけ、「そうね」と幽香も返す。
 自分が作った、自分なりの『味』に満足せず、新しいものを作り出す。言葉で示すのは簡単だが、それを実行するのは、相当難しい。
 それをしっかりとやってのけた幽香。彼女の顔には、満足したような笑みが浮かんでいる。
 アリスは立ち上がると、幽香に歩み寄る。そして、その手を握って、言った。
「やれば出来るじゃない!」
 その笑顔の美しさ、きれいさ、そして見事さといったら。
 幽香も「でしょう!?」と頬を紅潮させ、笑顔を浮かべてしまう。
「これ、行きましょう! うちの一番の顔だわ!」
「任せなさい!
 あ、だけど、季節によって咲く花が違うから、出せないときもあるのだけど……」
「その時はその時。これに負けないくらいの顔のメニューを作ること」
「わかった。頑張るわ」
 そう言って、彼女たちは二人で笑いあう。
 そんな彼女たちを眺める文とにとりは、「友達っていいですねぇ」「文さんは外に敵を作りまくるからね」「失敬な!」という会話をしていた。
「けど、これ、作るの大変そうね。値段は……」
「一個50円くらいで……」
「却下っ!」
 そして最後の締めは、やっぱり金銭感覚の欠如だけは直らない幽香に対する、アリスのダメ出しであったという。



「で、その後に、文が『それじゃ、お店の宣伝パンフレット作りますので一枚お願いします』って、撮ったのがこれだったのよね」
「もう、死ぬほど恥ずかしかったわ」
「写真に撮られるくらいで何言ってるかな」
 文の『はーい、笑って笑ってー』という要求に微妙に応えることが出来ず、精一杯浮かべた笑顔は『にへら』とでも言うべき、ちょっと引きつった不自然な笑顔。
 両手に持った、『かざみ』の看板と共に写しだされた彼女の笑顔。
「で、こっちがこの前の、宣伝用パンフレットの写真、と」
 そこには、文字通り、鮮やかに咲いた花のような笑顔を浮かべた幽香の写真。
 その両方を見比べて、アリスは、「何にも変わらないわね」と皮肉を言った。
「ほっといてちょうだい」
「はいはい」
「……もう」
「それじゃ、そろそろ、片付け再開するわよ。
 あとそれから、明日は、あなた、人里で講習会なんだからね。前回みたいに、誰も出来ないような真似を平然とやらないように」
「あれくらい出来て当然じゃ……」
「鍋振っただけでジュースを完成させることのどこが『誰にでもできる』事なのよっ!」
 年々、幽香に対するツッコミのキレが増していくアリス。
 対する幽香も、最初の頃は背筋を『びくっ』とさせていたが、今では『そうなのかなぁ』と首をかしげる程度ですんでいる。
 色々なものが変わらない中、色々なものが変わっていく。
 そんな瞬間瞬間を切り出して、永遠に保存しておける写真と言うものは、実に便利なものであった。
「あと、そろそろ倉庫の中も整理しないといけないんじゃないの?」
「……そうねぇ。
 どうするの?」
「最近、山の麓でフリーマーケットっていうのをやっているらしいわ。
 みんなでいらないものを持ち寄って、互いに融通したりするイベントなんだって」
「へぇ、楽しそう」
「それに出てみましょうか。
 私たちにはいらないものでも、他の人にとってみれば、まだまだ使えるものがあるかもしれないし」
「そうね」
「それから、そろそろ暑くなって来るんだから、冷や菓子系統で新商品、お願いね」
「アイスクリームなんてどう?」
「いいわね。作れるの?」
「もちろんよ。ほら」
「……どうやった?」
 そんな、いつもと変わらないやり取りをしながら。
 二人はその部屋を後にする。
 ぱたんと閉じられたドアの向こう。
 テーブルの上に広げられたままのアルバムが、窓から吹き込んできた風にめくられる。
 開かれたページには、『祝! 開店記念!』とマジックで書かれた、みんなの笑顔が写った記念写真があった。



 ~以下、文々。新聞一面より抜粋~

 ~夏の新製品スタート! 喫茶『かざみ』へ急げ!

 そろそろ夏が始まる。太陽の光がまぶしく、むわっとした空気に幻想郷が包まれる。それは時に清々しく、時に不快な季節の風物詩である。
 そんな風物詩の不快さを緩和してくれるであろう、素敵な新商品が、本紙読者諸兄おなじみの喫茶『かざみ』でスタートする。
 今回の新商品はアイスクリームである。
 このアイスクリーム、当然、店主である風見幽香女史が一から手作りしたものであるが、『かざみ』名物の花の蜜を使ったアイスクリームとなる。
 その味は、さっぱりしていながら濃厚という、相反する二つの要素が同居した、素晴らしいものである。
 一口するだけで、口の中に広がる花の香りと甘い蜜の味は、『かざみ』の代名詞たる花の蜜ケーキとはまた違った風味であった。
 心地よい涼感と共に口から喉、胃の中を通っていくアイスクリームは、この紙面で伝えることがかなわないほどの味だ。
 これはぜひ、本紙読者諸兄に味わって欲しい。
 もちろん、今まで、『かざみ』にて提供されてきたアイスクリームも用意されている。
 それでは、なぜ、今までこの『花の蜜アイス』が提供されなかったのかと言うと、店主の苦労がそこにあったからである。
 アイスクリームの冷たさ、味、香り。それらを生かしつつも、自分の味を殺さないようにするにはどうするか。
 いくつもの花を厳選し、練りに練った、この特製花の蜜ブレンドを作るのに時間がかかってしまったためである。
 それ故に、この味は絶品と言っていいだろう。
 店主の渾身、まさに会心作だ。その自信の表れか、店主より、もし、この新商品を口にして満足していただけない場合、それを申し出ていただければ料金の全額返還と、一ヶ月の半額チケットをプレゼントするとのメッセージを頂いている。
 これはある意味、店主からの諸兄への挑戦である。
 風見幽香の気概と挑戦。気後れせずに受けてみて欲しい。彼女は手ごわい。本紙記者は諸手を上げて降参したことだけを伝えておこう。
 なお、発売記念として、本日より一週間の間、この特製アイスクリームを20%オフで提供していただける旨、店主よりお伺いしている。また、本商品は喫茶『かざみ』人里支店でも提供されるので、本店まで足を運ぶのが難しい読者諸兄は、こちらへの来店も検討してみてほしい。
 今年の夏は、暑くて楽しい夏となることを約束しよう(著:射命丸文)
一番、最初にこんなことがありました。
あれから6年、ゆうかりんはあんまり変わりません。
haruka
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コメント



0.980簡易評価
3.100ロドルフ削除
あいかわらずharuka氏の書く幽香はおもしろくてかわいいですねwww文句なしの100点です。あー、ニヤニヤしすぎて頬が痛い・・・
4.80奇声を発する程度の能力削除
自然とにやける
7.100名前が無い程度の能力削除
作中では6年もたってたのか~
いやはや、相変わらずいい雰囲気ですね。そして、お嬢様のチョロさよ。
9.100名前が無い程度の能力削除
シリーズの好評は聞いていながらも未読だった私には、まさにうってつけの内容です。
ほんわかと心が温かくなるようで、素敵なお話しでした。
12.100名前が無い程度の能力削除
イイネ
16.90名前が無い程度の能力削除
ゆうかりんと言えば狂戦士みたいなイメージの二次創作が跋扈する昨今、
それ以外のゆうかりんを安定して供給してくれるのはあなた以外には数えるくらいしかいないので、非常に助かります
もっとお茶目で可愛いゆうかりん増えろ
24.90名前が無い程度の能力削除
「ウチだって裕福じゃない」
とかって散々値下げ交渉しといて、値段が決まるや否や
「は?私んち裕福だし」
とか言い出すアリスさんパねぇ