萃香の作った梅酒を魔理沙は一気に飲み干す。杯に入っていた氷が魔理沙の唇に当たった。
「はー美味いな。さすが鬼が作った梅酒だ」
「夏用にアルコールをかなり薄めて、水みたく飲めるようにしてるよ」
博麗神社の縁側に座り、魔理沙と萃香は梅酒を酌み交わしていた。
さんさんと輝く太陽をさえぎる屋根の下、魔理沙は思いっきり背中をのばす。梅雨の水気をたっぷり含んだ木々が見えた。良い景色に、良い話し相手が居て、さらに冷えた酒がある。言うことなしだ。
いつまでも居たいもんだぜ。
「ちょっと萃香。お願いがあるの。私、子供が欲しいんだけど」
「用事思い出したから帰るぜ」
居間から聞こえてきた霊夢の声に、魔理沙は縁側に立てかけていたほうきを手に取る。
「……待って霊夢。わけわからないよ。コウノトリでも捕まえて来いと?」
霊夢がとっぴもないことを言い出したら不幸のはじまり。萃香にウィンクをして魔理沙はほうきをまたいだ。
裏切り者! と萃香が目で訴えてきたが、それを無視して魔理沙は地を蹴る。
「……?」
けれど、体が浮き上がることはなかった。いつの間にか、霊夢が魔理沙の背後に移動し、肩をわっしと掴んでいたのだ。唾を飲む。魔理沙の額から嫌な汗が吹き出た。
「萃香の能力で、魔理沙の体をちっさくして子供みたいにして欲しいの」
「逃げようとしたのはあやまる。萃香。それだけは勘弁してくれ」
救いの眼差しを萃香に向ける。厄介事はこりごりだ。
ざまぁみろ。萃香は邪悪な笑みを浮かべていた。
泣きそうだ。
マスタースパークをぶっ放すことも考えたが、巫女と鬼、幻想郷でも最強クラスの二人を相手にするとなると分が悪すぎる。魔理沙は両手を挙げて降参したのだった。
赤ん坊の服を着るのは何時ぶりだろうか。魔理沙は自分の体が上下運動するのを感じながらそう思った。服のよだれかけが目の前でうっとうしくなびく。それにともない、友、霊夢の笑顔が近づいたり離れたりした。
霊夢に両わきをつかまれ、抱かれているのだ。普段の魔理沙を霊夢が持ち上げることはできない。今、魔理沙の体はまさに赤子のようになっていた。萃香の疎密を操る力で、小さくされたのだ。
「楽しいね~魔理沙」
ぜんぜん楽しくない。
ほうきを散々乗り回したあとにくる、酔いのような感覚に見舞われながら魔理沙は心の中で毒づいた。
無邪気に笑う霊夢を見て、こいつ、自覚なしに自分の赤ん坊を苦しめるタイプだな。と、将来生まれるであろう霊夢の子供に同情する。
しばらくしてようやく霊夢は満足したようで、畳に魔理沙を降ろした。
「ご飯作ってくるね」
「ああ。行ってこい」
ようやく一息つける。
畳の上を這いながら魔理沙は辺りを見渡す。赤黒く染まり始めた外から、冷えた風が入ってきた。やけに高く感じる天井とテーブル。逆に、ほつれ一つまで見える畳。
まさに異界の地だ。
萃香に身体能力まで散らされていたら死んでいたかもしれない。幸いにも、骨格の強度、言語能力などは衰えてはないようだ。ただ、体型、はたまたずれたバランス感覚の問題か、上手く立つことができない。
しばらく異界を散策していると、どこに行ってたのか、萃香が帰ってきた。
「たく、やってくれたな萃香」
早速、部屋の端で肘をたたみに付き、手で頭を支えるようにして寝そべる萃香に魔理沙は溜め息をついた。
「似合ってるよ、赤ん坊の服」
趣味の悪い、薄いピンク色の赤子の服を魔理沙は懸命に首を曲げて隅々まで見やる。
「お前はその姿のままでも似合うんだろうがな」
軽口を叩く萃香に、言葉でしか反撃できなかった。今ならまさに赤子の手を捻るように萃香は魔理沙を倒せる。力なき者になにができると言わんばかりに、余裕の表情で彼女は伊吹瓢から酒をぐぶりぐぶりと飲んだ。
「酒が美味い」
「……泣かすぞ」
「やれるもんなら、ね。魔理沙こそ霊夢に泣かされないように注意するべきだと思うよ。私の予想じゃ、今夜中に泣くね」
挑発的に、萃香は笑った。
「泣くもんか。絶対に」
「泣くよ」
その時、丁度霊夢が戻ってきた。
「すぐ泣くよ」
霊夢は持ってきたおわんをどんとテーブルに置いた。
「絶対泣くよ」
おわんからは湯気がもうもうとたっていた。
「ほら泣くよ」
霊夢の口から、今夜の食事がラーメンであることが告げられた。
高さとバランス感覚の関係上、魔理沙は自分では食べられない。たとえ一人で食べれたとしても、霊夢は魔理沙に食べさせてあげようとするだろう。そうなればオチは決まっていた。
霊夢に抱き上げられ、処刑場ともいえる膝に乗せられる。チャーシューとメンマ、それに加え青ねぎともやしが入った、霊夢にしては豪勢なラーメンだった。機嫌が良い証拠だろう。普通に食べれれば、どんなに良かったことか。
霊夢が箸を持ち、具の中から麺を引っ張り出す。水分がすべて蒸発してしまうのではないかと思えるくらい、麺はもうもうと湯気を発している。
萃香に強く出てしまっため、魔理沙は引けなかった。覚悟を決める。
「こいよぉおおおおおおおおおおお熱々ラーメン!」
なにも言わず、霊夢は微笑んだ。そして無慈悲にも、巫女はラーメンを冷ますことすらせず――魔理沙の口に突っ込んだ。
「ふんぐっ!? うぶぶぶぶ!?」
一瞬で口の中が灼熱地獄と化す。豪勢なラーメンではあるが、味もへったくれもなかった。
ラーメンと目に溜めた涙をこぼさないように魔理沙は奮闘する。
幸せそうにたんたんとラーメンを口にぶち込んでくる霊夢。彼女に人間の血は流れていないのだろうか。
気付かないのか、私が苦しんでいるのを!
ラーメンが半分まで減っても、なおも霊夢は手を休めることをしない。だんだんと、魔理沙の中にある決意が芽生えつつあった。
こんな残虐非道なことをして……たとえ、自覚がなかったとしても私は許さない。絶対に……絶対に復讐してやる!
魔理沙の瞳に、確かな闘志が宿った瞬間だった。彼女は、それを持ってして何一つこぼさず、食事の試練をクリアした。
鬼も巫女も眠る丑三つ時。川の字で霊夢と萃香に挟まれるようにして寝ていた魔理沙がむくりと起き上がる。
夏の夜の冷めた空気を吸い込むと、彼女は布団から這い出した。
復讐の下準備だ。魔理沙は赤子の姿で、霊夢と戦うことに決めていた。赤子のまま霊夢をぼこぼこにすれば、間違いなく屈辱を、精神的なダメージを与えれる。これこそ、この姿でできる最高の復讐だろう。
けれど、普通にやって勝てるとは思っていない。卑怯かもしれないが、十二分に罠を準備してから勝つ。二足歩行ができない魔理沙は、神社内を這い回る。
装備として用意した物は愛用の八卦路と失敬した巫女の札一枚だ。小さくなってしまった魔理沙が持ち運びできるアイテムなんてたかが知れている。後の戦力差は仕掛けで補うしかない。
仕掛けながら、魔理沙は萃香対策として、伊吹瓢を盗んで隠しておいた。二人を相手に戦うなぞやってられない。萃香に関しては伊吹瓢を人質に取るだけで、手玉に取れる。だから魔理沙は霊夢のみを狙うことにしたのだ。万一萃香が参戦してきた場合、伊吹瓢を脅しの種に使えば彼女は無効化できるだろう。
一時間ほどかけてじっくり準備した魔理沙は、寝室に戻ろうとした。けれど、寝室前の障子で、魔理沙は固まる。中で一つの影がうごめいていたからだ。
身長から見て萃香ではない。霊夢が起きたのだ。
逃げることを一瞬考えたが、そもそも逃げるところがない。覚悟を決めて、魔理沙は寝室に入った。
「あら、魔理沙、どこ行ってたの?」
「と、トイレ行ってたんだ」
「ふぅん。一人でできるんだ」
寝る前にトイレの手伝いをしてもらったことを思い出して魔理沙は赤面する。
今に見てろよ。
「まりさ~すねないでよ~」
猫なで声で、頭をなでくりまわしてくる霊夢を魔理沙は思いっきり無視し、布団にもぐった。萃香の方を見るようにして霊夢から背を向ける。それでもしばらく霊夢は魔理沙をいじり続けた。
そのうち、霊夢は反応がないことに不満を覚えたようだ。
「赤ちゃんって、夜泣くよね。魔理沙、泣いてよ」
無視だ。この言葉に、萃香の耳がぴくりと動いたのをかすかに開けた目から魔理沙は視認した。
萃香のやろう、狸寝入りを決め込んでいやがる。
一層魔理沙の意地に火がついた。
「泣きなさい、魔理沙」
霊夢の言葉に力がこもる。
誰が泣くもんか。
「悪い子には、注射しちゃうよ?」
うなじに一点、ひやりとした物が触れる。それが妖怪退治に使われる針であることを魔理沙は一瞬で判別する。
こいつ、マジだ。泣かない子は良い子のはずなのに。
「お、おぎゃあ、だぜ」
屈辱的だが、注射の真似事なんかされるよりはましだ。昔から魔理沙は親父と注射だけはどうしようもなく嫌いだった。
「これで良いだろう?」
「もっと気合入れて泣きなさい」
ぷすり、と針が皮膚を貫通した。嫌な痛みがうなじに走る。大嫌いな痛みだ。魔理沙の頭が真っ白になっていく。
「ふぇぇ……うわぁああああああん! 刺しやがったぁああああああああ!」
「うん。やればできるじゃない」
満足気に笑う霊夢。ほら泣いた、と狸寝入りをしながら口元を緩める萃香。
こいつら絶対に許さない。
かすむ視界をぬぐいさり、魔理沙はしゃくりあげながら宣言する。
「れ、霊夢に萃香、私は、ぜ、絶対にお前らを許さない!」
全力のはいはいで魔理沙は部屋を這い出た。霊夢とは朝、決着をつけるつもりだったが、計画の前倒しだ。
かすむ半月に魔理沙は勝利を誓う。
寝室の隣にある居間に、魔理沙は飛び込んだ。
「待ちなさいって!」
ばたばたと霊夢が追いかけてくる。廊下から居間への障子は、赤子の魔理沙がぎりぎり通れるくらいに開いていた。必然的に、霊夢は障子を開けなければならない。
障子が開く音と共に、かーんという金属音が夏夜に響いた。
霊夢の頭に、なべが落ちたのだ。糸を障子と支柱にくくりつけ、小さめのなべを吊るしておいた。設置するのに随分と苦労したものだ。ついでに中にはきのこ汁を入れておいた。
障子の方を見ると、きのこ汁にまみれた霊夢が頭を抱えている。
目に見えるような怒気が彼女の体から溢れるのを、魔理沙はひしひしと感じた。
「まぁぁぁぁりぃぃぃぃぃさぁぁぁぁぁぁ!」
地の底から響くような声。赤く光った霊夢の瞳が魔理沙を射抜く。
開戦だ。
魔理沙は四肢を使い、居間の奥にある廊下に飛び込み、壁を遮蔽物に隠れた。遅れて、魔理沙の通った軌跡を追うように針が床に突き刺さる。
容赦ねぇ……。
少しは手加減してくれるかと思っていたが、本気だ。いや、逆にそのほうが良いかもしれない。倒したときによりへこませれるから。
足音で霊夢がこちらの廊下に駆け込もうとしているのがわかった。魔理沙はすぐに次の策を発動する。
居間と廊下の間。魔理沙の対面の壁にある突起にひもがくくり付けてある。魔理沙がこちら側のひもの端を引けば、足掛けが完成する。
「きゃっ!?」
暗さが幸いした。月明かりしかないから、ひもを見切るのは難しい。盛大に霊夢がこける。
チャンスだ。獣のように四つ足で魔理沙は霊夢に飛び掛る。
「チッ、神技『八方鬼縛陣』」
倒れ様に霊夢は床にお札を貼り付けていた。
八方鬼縛陣。床に札を貼り、霊夢を中心に正方形の結界を形成する技だ。基本的に隙がなく、近接戦でこれをやられると、後手に回らざるをえない。
が、予想通りだ。
霊夢が使う技にも、多少は魔法に通じるロジックがある。この場合、ポイントは発動のために床に貼り付けているお札だ。あれを軸に導線を引くようにして結界を敷いている。
だから軸をずらす。
発動まで、若干ラグがある。霊夢は予想をしていなかっただろう。魔理沙はただ、霊夢を跳び越えるためだけに跳んだのだ。攻撃を加えるつもりはない。ただ、上を通りざまに、結界の範囲内に札を一枚貼り付けていった。
これでお札に通じる結界の力のラインがねじまがる。結果として結界が歪み、崩壊するのだ。
「まさか!?」
霊夢は魔理沙の真意に気付いたようだが、もう遅い。
魔理沙の足の指先にちりっとした痛みが走った。かと思うと、どん、と魔理沙の背後で術の暴発が起こる。
結界の暴発をもろに食らった霊夢は、たきびからはじけ飛んだ小石のように居間の方に飛んでいった。彼女の体は居間の障子をも突き破る。
着地し、穴の開いた床から居間、そして庭に霊夢が飛んでいったあとを目で追いかけた。
……少しやりすぎたか?
想像以上の威力に、ひょんとそんなことを思ってしまったが、魔理沙はあわてて首を振る。
あれを喰らってたのは、本来私だぞ?
この体で喰らえば、全治一ヶ月はかかりそうなところだ。同情の余地はないだろう。けれど、復讐だなんだ言っても魔理沙は霊夢のことが心配だった。居間に出て、神社の庭のほうをうかがう。
もうもうとたつ砂埃。外れた障子が二枚、無残な姿となって庭に転がっている。
一瞬見間違えかと思った。
霊夢の姿がない。
魔理沙の背後から風が吹く。きのこの香りが鼻に入り込む。背後にどうしようもなく嫌な予感を覚えた。魔理沙は本能的に前に跳んだ。視界の端で、先ほど魔理沙が居た場所に、お札が突き刺さるのを認識する。
お札が光を放ち、爆風を生んだ。余波であっけなく魔理沙の体が吹き飛ばされる。
「ぐぅぅぅぅ」
今度は、魔理沙が庭に吹き飛ぶ番だった。歯を食いしばり、体を丸め、衝撃に備える。空の半月が二転三転して、ようやく地面のざりざりした感触が魔理沙を包んだ。全身にやすりがけをされたような痛みに呼気を荒げる。
「や……ろう」
まだ視界がぶれているにも関わらず、魔理沙はすぐに四肢を地面についた。そうしないと今にも意識が飛んでしまいそうだったからだ。手放しそうになる地と意識を魔理沙は必死で握り締める。
ぼろぼろに破れた赤子の服からは、すり傷が見えた。これだけですんで、運がよかったと思うべきだろう。
霊夢の姿を探した。けれど、霊夢を見つける前に、居間の方から大量のお札が飛んできているのに気付き、魔理沙は戦慄する。砂の上ではいはいするのが痛いなんて言ってられない。まず、第一波を回避する。するとすぐに第二波がきた。
弾避けは得意だ。けれど、赤子の体だと勝手が違いすぎる。
けっして少なくない量のお札が魔理沙の体を叩いていく。そのたびに地面を転がり、魔理沙は全身に焼けるような痛みを味わった。
終わりだと言わんばかりに、魔理沙の体よりも大きな陰陽球大量にばらまかれた。そのうちの一発が致命的に魔理沙を打つ。
瞬殺だった。
気付くと、魔理沙は半月を見上げていた。砂煙でかすむ半月は、どうしようもなく遠い。痛みは不思議となくなってきていた。魔理沙の手は地を掴むも、空回りして這うことすらできない。
半月が隠れた。霊夢の顔が魔理沙を見下ろしていた。
「さぁ、お仕置きの時間ね」
距離をとろうと、魔理沙は背中を地面につけたまま足を動かす。けれど、そんな抵抗もむなしく、あっさり霊夢に両腋をつかまれ、持ち上げられた。
みるみるうちに霊夢の顔が近づいてくる。
「罠が使えなくちゃ、ただの赤ん坊でしょ」
陰影がやけに深い霊夢の笑顔が目の前にあった。魔理沙の口の中に火傷の痛みがよみがえる。
霊夢を挑発し、罠にかけ、暴発を誘う。罠に頼り切った戦い方。地雷でもあれば良いのだが、さら地である神社の庭には、今の魔理沙では罠を仕掛けられない。
「これからたっぷり面倒見てあげるからね」
霊夢は勝ちを確信していただろう。
実際に霊夢は勝っていた。
霊夢が勝ちを確信したからこそ、魔理沙は口元に幼い笑みをかすかに浮かべた。
「霊夢。お前、私が魔法を使えないと思ってるだろう?」
もう一つ、袖に隠していたアイテムが唸りを上げる。魔理沙は服と腹の間に隠していた八卦路を見やった。体に接していれば、魔力の供給は可能だ。
なんの考えもなく、ただ撃つだけでは霊夢に弾を当てることは不可能。それは、今までの弾幕勝負で体験済みだ。
八卦路の輝きが驚愕する霊夢の顔を青白く染める。
魔法が使えるなら、はじめから弾を撃ち合えば良かったかもしれない。けれど、それではジリ貧になってしまうのは目に見えている。必殺の一撃で霊夢をしとめる必要があった。だから、魔理沙はわざと魔法に頼らない勝負を仕掛け、霊夢に勘違いをさせた。こいつは魔法を使えない、と。それで接近と致命的な油断を誘ったのだ。虚実の勝ちを確信した者ほど、狙いやすい。
霊夢が魔理沙を離し、離れようとした。
けれど、魔理沙は最後の力を振り絞り、霊夢の首に手を回し、恋人に飛びつくかのごとく抱きついた。
「愛してるぜ、霊夢」
そして魔理沙は静かに宣言する。
「恋符『マスタースパーク』」
オオオオオオオオオオオオオオ
魔理沙の代わりに八卦路が咆哮する。圧倒的な破壊力を持つ光が、魔理沙の手を強引に振りほどかせ、霊夢の姿を視界から一瞬で消し飛ばす。光の渦は石畳と雑草を喰いちぎりながら進む。ついには神社にまで喰らいついた。おそらく中で狸寝入りしている萃香もただじゃすまないだろう。
ただ、それは魔理沙も同じだった。赤ん坊の状態では、マスタースパークの反動を殺しきれない。しかも空中で放ったのと同じ状態のため、また空を仰ぐ嵌めになった。今日ほど空を仰ぐような日は、いっそ地面が待ち遠しい。
魔理沙は背中をしたたか打ちながら着地する。体が何度か跳ね転がった。
「げはっ……えほ……」
さんざんな日だった。全身に痛みが戻ってくる。肺が圧迫されたために、あきらかに不規則になった呼吸を必死でなだめながら、魔理沙は地面に手を付いた。半壊した神社の方を見て、霊夢の姿を視認する。
瓦礫と砂にまみれた霊夢は、うつ伏せになってぴくりとも動かない。
二本足で立ち、魔理沙は袖で口元をぬぐう。
「楽勝だ、博麗の巫女」
伊吹瓢を交渉材料に、魔理沙は萃香に体を元の大きさに戻してもらった。
もちろん、治すだけでは割に合わない。
今、丁度魔理沙は霊夢と萃香を自分の家に泊めてやっている。博麗神社が半壊してしまったからだ。
私には三人を養う財力なんてないわけだ。
だから、ついでに霊夢の体を小さくして、先の魔理沙と同じ状態にして養うことにした。これで伊吹瓢の分はちゃら。魔理沙の時と同じ状態、と言ったが、実は霊夢の場合、より赤ん坊らしく、しっかりと身体能力まで散らしてもらっている。
「さぁ霊夢。熱々のきのこなべだぜー。と、言いたいとこだが私は鬼じゃない。ちゃんと可愛がってやるぜ」
魔道書にまみれた魔理沙の部屋。その中で魔理沙は霊夢をテーブルに乗せ、食事を取らせようとしていた。今の霊夢は、テーブルの上から飛び降りることすらできない。正真正銘の赤ん坊なのだから。ただし、知性と大人としての五感は残っているが。
霊夢には確かに苦しめられた。けれど、彼女だって悪気があってやったわけでは……ないはずだと信じたい。だから、面倒を見るついでに、赤ん坊の本当の面倒の見かたを教えてやることにしたのだ。まさしく、体にたたきこむようにして。
まずは食事からだ。
夏、それに相手は赤ん坊だと言うのに熱々のラーメンを出すなんて常識外れにも程がある。離乳食だろ! 未来の霊夢の赤ん坊、感謝しな。私が霊夢に常識を叩き込んでやる。
「ほら、霊夢。きのこをすり潰した離乳食だ」
木のおわんに入ったどろどろの液体を見て、赤ん坊の服を着た霊夢があうあうと抗議する。
調味料はほとんど入っていない。言ってしまえば熱処理したどろどろのきのこだ。大人が食べれば卒倒する。赤ん坊でもどうかはわからないが、ラーメンに比べて離乳食としてはまだ正しいかもしれない。
ただ、霊夢には大人の味覚が残っている。
初めての子育てに、母性を目覚めさせた魔理沙はそれには気付かない。どろどろのきのこを木のスプーンで掬う。そして、満面の笑みで霊夢の口にそれを突っ込んだのだった。
「はー美味いな。さすが鬼が作った梅酒だ」
「夏用にアルコールをかなり薄めて、水みたく飲めるようにしてるよ」
博麗神社の縁側に座り、魔理沙と萃香は梅酒を酌み交わしていた。
さんさんと輝く太陽をさえぎる屋根の下、魔理沙は思いっきり背中をのばす。梅雨の水気をたっぷり含んだ木々が見えた。良い景色に、良い話し相手が居て、さらに冷えた酒がある。言うことなしだ。
いつまでも居たいもんだぜ。
「ちょっと萃香。お願いがあるの。私、子供が欲しいんだけど」
「用事思い出したから帰るぜ」
居間から聞こえてきた霊夢の声に、魔理沙は縁側に立てかけていたほうきを手に取る。
「……待って霊夢。わけわからないよ。コウノトリでも捕まえて来いと?」
霊夢がとっぴもないことを言い出したら不幸のはじまり。萃香にウィンクをして魔理沙はほうきをまたいだ。
裏切り者! と萃香が目で訴えてきたが、それを無視して魔理沙は地を蹴る。
「……?」
けれど、体が浮き上がることはなかった。いつの間にか、霊夢が魔理沙の背後に移動し、肩をわっしと掴んでいたのだ。唾を飲む。魔理沙の額から嫌な汗が吹き出た。
「萃香の能力で、魔理沙の体をちっさくして子供みたいにして欲しいの」
「逃げようとしたのはあやまる。萃香。それだけは勘弁してくれ」
救いの眼差しを萃香に向ける。厄介事はこりごりだ。
ざまぁみろ。萃香は邪悪な笑みを浮かべていた。
泣きそうだ。
マスタースパークをぶっ放すことも考えたが、巫女と鬼、幻想郷でも最強クラスの二人を相手にするとなると分が悪すぎる。魔理沙は両手を挙げて降参したのだった。
赤ん坊の服を着るのは何時ぶりだろうか。魔理沙は自分の体が上下運動するのを感じながらそう思った。服のよだれかけが目の前でうっとうしくなびく。それにともない、友、霊夢の笑顔が近づいたり離れたりした。
霊夢に両わきをつかまれ、抱かれているのだ。普段の魔理沙を霊夢が持ち上げることはできない。今、魔理沙の体はまさに赤子のようになっていた。萃香の疎密を操る力で、小さくされたのだ。
「楽しいね~魔理沙」
ぜんぜん楽しくない。
ほうきを散々乗り回したあとにくる、酔いのような感覚に見舞われながら魔理沙は心の中で毒づいた。
無邪気に笑う霊夢を見て、こいつ、自覚なしに自分の赤ん坊を苦しめるタイプだな。と、将来生まれるであろう霊夢の子供に同情する。
しばらくしてようやく霊夢は満足したようで、畳に魔理沙を降ろした。
「ご飯作ってくるね」
「ああ。行ってこい」
ようやく一息つける。
畳の上を這いながら魔理沙は辺りを見渡す。赤黒く染まり始めた外から、冷えた風が入ってきた。やけに高く感じる天井とテーブル。逆に、ほつれ一つまで見える畳。
まさに異界の地だ。
萃香に身体能力まで散らされていたら死んでいたかもしれない。幸いにも、骨格の強度、言語能力などは衰えてはないようだ。ただ、体型、はたまたずれたバランス感覚の問題か、上手く立つことができない。
しばらく異界を散策していると、どこに行ってたのか、萃香が帰ってきた。
「たく、やってくれたな萃香」
早速、部屋の端で肘をたたみに付き、手で頭を支えるようにして寝そべる萃香に魔理沙は溜め息をついた。
「似合ってるよ、赤ん坊の服」
趣味の悪い、薄いピンク色の赤子の服を魔理沙は懸命に首を曲げて隅々まで見やる。
「お前はその姿のままでも似合うんだろうがな」
軽口を叩く萃香に、言葉でしか反撃できなかった。今ならまさに赤子の手を捻るように萃香は魔理沙を倒せる。力なき者になにができると言わんばかりに、余裕の表情で彼女は伊吹瓢から酒をぐぶりぐぶりと飲んだ。
「酒が美味い」
「……泣かすぞ」
「やれるもんなら、ね。魔理沙こそ霊夢に泣かされないように注意するべきだと思うよ。私の予想じゃ、今夜中に泣くね」
挑発的に、萃香は笑った。
「泣くもんか。絶対に」
「泣くよ」
その時、丁度霊夢が戻ってきた。
「すぐ泣くよ」
霊夢は持ってきたおわんをどんとテーブルに置いた。
「絶対泣くよ」
おわんからは湯気がもうもうとたっていた。
「ほら泣くよ」
霊夢の口から、今夜の食事がラーメンであることが告げられた。
高さとバランス感覚の関係上、魔理沙は自分では食べられない。たとえ一人で食べれたとしても、霊夢は魔理沙に食べさせてあげようとするだろう。そうなればオチは決まっていた。
霊夢に抱き上げられ、処刑場ともいえる膝に乗せられる。チャーシューとメンマ、それに加え青ねぎともやしが入った、霊夢にしては豪勢なラーメンだった。機嫌が良い証拠だろう。普通に食べれれば、どんなに良かったことか。
霊夢が箸を持ち、具の中から麺を引っ張り出す。水分がすべて蒸発してしまうのではないかと思えるくらい、麺はもうもうと湯気を発している。
萃香に強く出てしまっため、魔理沙は引けなかった。覚悟を決める。
「こいよぉおおおおおおおおおおお熱々ラーメン!」
なにも言わず、霊夢は微笑んだ。そして無慈悲にも、巫女はラーメンを冷ますことすらせず――魔理沙の口に突っ込んだ。
「ふんぐっ!? うぶぶぶぶ!?」
一瞬で口の中が灼熱地獄と化す。豪勢なラーメンではあるが、味もへったくれもなかった。
ラーメンと目に溜めた涙をこぼさないように魔理沙は奮闘する。
幸せそうにたんたんとラーメンを口にぶち込んでくる霊夢。彼女に人間の血は流れていないのだろうか。
気付かないのか、私が苦しんでいるのを!
ラーメンが半分まで減っても、なおも霊夢は手を休めることをしない。だんだんと、魔理沙の中にある決意が芽生えつつあった。
こんな残虐非道なことをして……たとえ、自覚がなかったとしても私は許さない。絶対に……絶対に復讐してやる!
魔理沙の瞳に、確かな闘志が宿った瞬間だった。彼女は、それを持ってして何一つこぼさず、食事の試練をクリアした。
鬼も巫女も眠る丑三つ時。川の字で霊夢と萃香に挟まれるようにして寝ていた魔理沙がむくりと起き上がる。
夏の夜の冷めた空気を吸い込むと、彼女は布団から這い出した。
復讐の下準備だ。魔理沙は赤子の姿で、霊夢と戦うことに決めていた。赤子のまま霊夢をぼこぼこにすれば、間違いなく屈辱を、精神的なダメージを与えれる。これこそ、この姿でできる最高の復讐だろう。
けれど、普通にやって勝てるとは思っていない。卑怯かもしれないが、十二分に罠を準備してから勝つ。二足歩行ができない魔理沙は、神社内を這い回る。
装備として用意した物は愛用の八卦路と失敬した巫女の札一枚だ。小さくなってしまった魔理沙が持ち運びできるアイテムなんてたかが知れている。後の戦力差は仕掛けで補うしかない。
仕掛けながら、魔理沙は萃香対策として、伊吹瓢を盗んで隠しておいた。二人を相手に戦うなぞやってられない。萃香に関しては伊吹瓢を人質に取るだけで、手玉に取れる。だから魔理沙は霊夢のみを狙うことにしたのだ。万一萃香が参戦してきた場合、伊吹瓢を脅しの種に使えば彼女は無効化できるだろう。
一時間ほどかけてじっくり準備した魔理沙は、寝室に戻ろうとした。けれど、寝室前の障子で、魔理沙は固まる。中で一つの影がうごめいていたからだ。
身長から見て萃香ではない。霊夢が起きたのだ。
逃げることを一瞬考えたが、そもそも逃げるところがない。覚悟を決めて、魔理沙は寝室に入った。
「あら、魔理沙、どこ行ってたの?」
「と、トイレ行ってたんだ」
「ふぅん。一人でできるんだ」
寝る前にトイレの手伝いをしてもらったことを思い出して魔理沙は赤面する。
今に見てろよ。
「まりさ~すねないでよ~」
猫なで声で、頭をなでくりまわしてくる霊夢を魔理沙は思いっきり無視し、布団にもぐった。萃香の方を見るようにして霊夢から背を向ける。それでもしばらく霊夢は魔理沙をいじり続けた。
そのうち、霊夢は反応がないことに不満を覚えたようだ。
「赤ちゃんって、夜泣くよね。魔理沙、泣いてよ」
無視だ。この言葉に、萃香の耳がぴくりと動いたのをかすかに開けた目から魔理沙は視認した。
萃香のやろう、狸寝入りを決め込んでいやがる。
一層魔理沙の意地に火がついた。
「泣きなさい、魔理沙」
霊夢の言葉に力がこもる。
誰が泣くもんか。
「悪い子には、注射しちゃうよ?」
うなじに一点、ひやりとした物が触れる。それが妖怪退治に使われる針であることを魔理沙は一瞬で判別する。
こいつ、マジだ。泣かない子は良い子のはずなのに。
「お、おぎゃあ、だぜ」
屈辱的だが、注射の真似事なんかされるよりはましだ。昔から魔理沙は親父と注射だけはどうしようもなく嫌いだった。
「これで良いだろう?」
「もっと気合入れて泣きなさい」
ぷすり、と針が皮膚を貫通した。嫌な痛みがうなじに走る。大嫌いな痛みだ。魔理沙の頭が真っ白になっていく。
「ふぇぇ……うわぁああああああん! 刺しやがったぁああああああああ!」
「うん。やればできるじゃない」
満足気に笑う霊夢。ほら泣いた、と狸寝入りをしながら口元を緩める萃香。
こいつら絶対に許さない。
かすむ視界をぬぐいさり、魔理沙はしゃくりあげながら宣言する。
「れ、霊夢に萃香、私は、ぜ、絶対にお前らを許さない!」
全力のはいはいで魔理沙は部屋を這い出た。霊夢とは朝、決着をつけるつもりだったが、計画の前倒しだ。
かすむ半月に魔理沙は勝利を誓う。
寝室の隣にある居間に、魔理沙は飛び込んだ。
「待ちなさいって!」
ばたばたと霊夢が追いかけてくる。廊下から居間への障子は、赤子の魔理沙がぎりぎり通れるくらいに開いていた。必然的に、霊夢は障子を開けなければならない。
障子が開く音と共に、かーんという金属音が夏夜に響いた。
霊夢の頭に、なべが落ちたのだ。糸を障子と支柱にくくりつけ、小さめのなべを吊るしておいた。設置するのに随分と苦労したものだ。ついでに中にはきのこ汁を入れておいた。
障子の方を見ると、きのこ汁にまみれた霊夢が頭を抱えている。
目に見えるような怒気が彼女の体から溢れるのを、魔理沙はひしひしと感じた。
「まぁぁぁぁりぃぃぃぃぃさぁぁぁぁぁぁ!」
地の底から響くような声。赤く光った霊夢の瞳が魔理沙を射抜く。
開戦だ。
魔理沙は四肢を使い、居間の奥にある廊下に飛び込み、壁を遮蔽物に隠れた。遅れて、魔理沙の通った軌跡を追うように針が床に突き刺さる。
容赦ねぇ……。
少しは手加減してくれるかと思っていたが、本気だ。いや、逆にそのほうが良いかもしれない。倒したときによりへこませれるから。
足音で霊夢がこちらの廊下に駆け込もうとしているのがわかった。魔理沙はすぐに次の策を発動する。
居間と廊下の間。魔理沙の対面の壁にある突起にひもがくくり付けてある。魔理沙がこちら側のひもの端を引けば、足掛けが完成する。
「きゃっ!?」
暗さが幸いした。月明かりしかないから、ひもを見切るのは難しい。盛大に霊夢がこける。
チャンスだ。獣のように四つ足で魔理沙は霊夢に飛び掛る。
「チッ、神技『八方鬼縛陣』」
倒れ様に霊夢は床にお札を貼り付けていた。
八方鬼縛陣。床に札を貼り、霊夢を中心に正方形の結界を形成する技だ。基本的に隙がなく、近接戦でこれをやられると、後手に回らざるをえない。
が、予想通りだ。
霊夢が使う技にも、多少は魔法に通じるロジックがある。この場合、ポイントは発動のために床に貼り付けているお札だ。あれを軸に導線を引くようにして結界を敷いている。
だから軸をずらす。
発動まで、若干ラグがある。霊夢は予想をしていなかっただろう。魔理沙はただ、霊夢を跳び越えるためだけに跳んだのだ。攻撃を加えるつもりはない。ただ、上を通りざまに、結界の範囲内に札を一枚貼り付けていった。
これでお札に通じる結界の力のラインがねじまがる。結果として結界が歪み、崩壊するのだ。
「まさか!?」
霊夢は魔理沙の真意に気付いたようだが、もう遅い。
魔理沙の足の指先にちりっとした痛みが走った。かと思うと、どん、と魔理沙の背後で術の暴発が起こる。
結界の暴発をもろに食らった霊夢は、たきびからはじけ飛んだ小石のように居間の方に飛んでいった。彼女の体は居間の障子をも突き破る。
着地し、穴の開いた床から居間、そして庭に霊夢が飛んでいったあとを目で追いかけた。
……少しやりすぎたか?
想像以上の威力に、ひょんとそんなことを思ってしまったが、魔理沙はあわてて首を振る。
あれを喰らってたのは、本来私だぞ?
この体で喰らえば、全治一ヶ月はかかりそうなところだ。同情の余地はないだろう。けれど、復讐だなんだ言っても魔理沙は霊夢のことが心配だった。居間に出て、神社の庭のほうをうかがう。
もうもうとたつ砂埃。外れた障子が二枚、無残な姿となって庭に転がっている。
一瞬見間違えかと思った。
霊夢の姿がない。
魔理沙の背後から風が吹く。きのこの香りが鼻に入り込む。背後にどうしようもなく嫌な予感を覚えた。魔理沙は本能的に前に跳んだ。視界の端で、先ほど魔理沙が居た場所に、お札が突き刺さるのを認識する。
お札が光を放ち、爆風を生んだ。余波であっけなく魔理沙の体が吹き飛ばされる。
「ぐぅぅぅぅ」
今度は、魔理沙が庭に吹き飛ぶ番だった。歯を食いしばり、体を丸め、衝撃に備える。空の半月が二転三転して、ようやく地面のざりざりした感触が魔理沙を包んだ。全身にやすりがけをされたような痛みに呼気を荒げる。
「や……ろう」
まだ視界がぶれているにも関わらず、魔理沙はすぐに四肢を地面についた。そうしないと今にも意識が飛んでしまいそうだったからだ。手放しそうになる地と意識を魔理沙は必死で握り締める。
ぼろぼろに破れた赤子の服からは、すり傷が見えた。これだけですんで、運がよかったと思うべきだろう。
霊夢の姿を探した。けれど、霊夢を見つける前に、居間の方から大量のお札が飛んできているのに気付き、魔理沙は戦慄する。砂の上ではいはいするのが痛いなんて言ってられない。まず、第一波を回避する。するとすぐに第二波がきた。
弾避けは得意だ。けれど、赤子の体だと勝手が違いすぎる。
けっして少なくない量のお札が魔理沙の体を叩いていく。そのたびに地面を転がり、魔理沙は全身に焼けるような痛みを味わった。
終わりだと言わんばかりに、魔理沙の体よりも大きな陰陽球大量にばらまかれた。そのうちの一発が致命的に魔理沙を打つ。
瞬殺だった。
気付くと、魔理沙は半月を見上げていた。砂煙でかすむ半月は、どうしようもなく遠い。痛みは不思議となくなってきていた。魔理沙の手は地を掴むも、空回りして這うことすらできない。
半月が隠れた。霊夢の顔が魔理沙を見下ろしていた。
「さぁ、お仕置きの時間ね」
距離をとろうと、魔理沙は背中を地面につけたまま足を動かす。けれど、そんな抵抗もむなしく、あっさり霊夢に両腋をつかまれ、持ち上げられた。
みるみるうちに霊夢の顔が近づいてくる。
「罠が使えなくちゃ、ただの赤ん坊でしょ」
陰影がやけに深い霊夢の笑顔が目の前にあった。魔理沙の口の中に火傷の痛みがよみがえる。
霊夢を挑発し、罠にかけ、暴発を誘う。罠に頼り切った戦い方。地雷でもあれば良いのだが、さら地である神社の庭には、今の魔理沙では罠を仕掛けられない。
「これからたっぷり面倒見てあげるからね」
霊夢は勝ちを確信していただろう。
実際に霊夢は勝っていた。
霊夢が勝ちを確信したからこそ、魔理沙は口元に幼い笑みをかすかに浮かべた。
「霊夢。お前、私が魔法を使えないと思ってるだろう?」
もう一つ、袖に隠していたアイテムが唸りを上げる。魔理沙は服と腹の間に隠していた八卦路を見やった。体に接していれば、魔力の供給は可能だ。
なんの考えもなく、ただ撃つだけでは霊夢に弾を当てることは不可能。それは、今までの弾幕勝負で体験済みだ。
八卦路の輝きが驚愕する霊夢の顔を青白く染める。
魔法が使えるなら、はじめから弾を撃ち合えば良かったかもしれない。けれど、それではジリ貧になってしまうのは目に見えている。必殺の一撃で霊夢をしとめる必要があった。だから、魔理沙はわざと魔法に頼らない勝負を仕掛け、霊夢に勘違いをさせた。こいつは魔法を使えない、と。それで接近と致命的な油断を誘ったのだ。虚実の勝ちを確信した者ほど、狙いやすい。
霊夢が魔理沙を離し、離れようとした。
けれど、魔理沙は最後の力を振り絞り、霊夢の首に手を回し、恋人に飛びつくかのごとく抱きついた。
「愛してるぜ、霊夢」
そして魔理沙は静かに宣言する。
「恋符『マスタースパーク』」
オオオオオオオオオオオオオオ
魔理沙の代わりに八卦路が咆哮する。圧倒的な破壊力を持つ光が、魔理沙の手を強引に振りほどかせ、霊夢の姿を視界から一瞬で消し飛ばす。光の渦は石畳と雑草を喰いちぎりながら進む。ついには神社にまで喰らいついた。おそらく中で狸寝入りしている萃香もただじゃすまないだろう。
ただ、それは魔理沙も同じだった。赤ん坊の状態では、マスタースパークの反動を殺しきれない。しかも空中で放ったのと同じ状態のため、また空を仰ぐ嵌めになった。今日ほど空を仰ぐような日は、いっそ地面が待ち遠しい。
魔理沙は背中をしたたか打ちながら着地する。体が何度か跳ね転がった。
「げはっ……えほ……」
さんざんな日だった。全身に痛みが戻ってくる。肺が圧迫されたために、あきらかに不規則になった呼吸を必死でなだめながら、魔理沙は地面に手を付いた。半壊した神社の方を見て、霊夢の姿を視認する。
瓦礫と砂にまみれた霊夢は、うつ伏せになってぴくりとも動かない。
二本足で立ち、魔理沙は袖で口元をぬぐう。
「楽勝だ、博麗の巫女」
伊吹瓢を交渉材料に、魔理沙は萃香に体を元の大きさに戻してもらった。
もちろん、治すだけでは割に合わない。
今、丁度魔理沙は霊夢と萃香を自分の家に泊めてやっている。博麗神社が半壊してしまったからだ。
私には三人を養う財力なんてないわけだ。
だから、ついでに霊夢の体を小さくして、先の魔理沙と同じ状態にして養うことにした。これで伊吹瓢の分はちゃら。魔理沙の時と同じ状態、と言ったが、実は霊夢の場合、より赤ん坊らしく、しっかりと身体能力まで散らしてもらっている。
「さぁ霊夢。熱々のきのこなべだぜー。と、言いたいとこだが私は鬼じゃない。ちゃんと可愛がってやるぜ」
魔道書にまみれた魔理沙の部屋。その中で魔理沙は霊夢をテーブルに乗せ、食事を取らせようとしていた。今の霊夢は、テーブルの上から飛び降りることすらできない。正真正銘の赤ん坊なのだから。ただし、知性と大人としての五感は残っているが。
霊夢には確かに苦しめられた。けれど、彼女だって悪気があってやったわけでは……ないはずだと信じたい。だから、面倒を見るついでに、赤ん坊の本当の面倒の見かたを教えてやることにしたのだ。まさしく、体にたたきこむようにして。
まずは食事からだ。
夏、それに相手は赤ん坊だと言うのに熱々のラーメンを出すなんて常識外れにも程がある。離乳食だろ! 未来の霊夢の赤ん坊、感謝しな。私が霊夢に常識を叩き込んでやる。
「ほら、霊夢。きのこをすり潰した離乳食だ」
木のおわんに入ったどろどろの液体を見て、赤ん坊の服を着た霊夢があうあうと抗議する。
調味料はほとんど入っていない。言ってしまえば熱処理したどろどろのきのこだ。大人が食べれば卒倒する。赤ん坊でもどうかはわからないが、ラーメンに比べて離乳食としてはまだ正しいかもしれない。
ただ、霊夢には大人の味覚が残っている。
初めての子育てに、母性を目覚めさせた魔理沙はそれには気付かない。どろどろのきのこを木のスプーンで掬う。そして、満面の笑みで霊夢の口にそれを突っ込んだのだった。
でもそれがいい。
赤ん坊の霊夢と魔理沙かあ...文に写真撮られたら、即刻出回って文は富を得るのと同時に相当きつい仕置きを二人から受けることでしょう。あと閻魔の説教も。
いずれにしろ、写真に撮りたい程の可愛さでしょうね。
これはもう確定事項。誰にも文句は言えない。
しかし母性に目覚めた魔理沙とな……構わん、続けたまえ。
でも可愛くほのぼのとしているのが好き
性格がグロテスクな霊夢さんもたまにはいいッス