Coolier - 新生・東方創想話

全力騒霊!

2013/06/14 13:56:58
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 ごっさ焦ってた。めっちゃ走ってた。
 目指すは、太陽の畑のライブ会場。
 ライブに遅刻しそう。ていうかもう、遅刻してる。
 私の脳内ではルナサとメルランが、ステージの上でピンチに陥ってこんな風に叫んでたしね。

 ルナサ:「早くしろリリカ、間に合わなくなっても知らんぞー!」
 メルラン:「リリカー、早く来てくれー!」

「やばーい、ちほふちほふ!(遅刻、遅刻!)」とか言いながら、私は食パン咥えて、太陽の畑へ続くのどかな道を走ってたんだけど。
 よく考えてみれば、なんで、あたしってば飛ばずに走ってるんだよ、しかも食パン咥えてるんだよ、って気付いたね。
 ちょっと焦りすぎて取り乱してただけだ。
 全速力で走る勢いのまま、パンをむしゃむしゃ食って飛び上がった、空へ、ぐぐんっとね。

 やばい、やばいよ。やばいんだよ。

 私が遅刻しちゃいけないんだよ、ライブには絶対に。まともな演奏が成立しないんだ。
 姉さんたち二人の鬱と躁のサウンドは凄い才能だけど、二つ合わせると主張が強すぎて、纏まりがなくなって、聴き手がついていけなくなる(らしい)。
 二人が一緒に演奏するときは、私も合わせて演奏してやらないと、グダグダになっちまう。
 バンドの影のまとめ役。それがリリカ・プリズムリバーたる私の楽団での存在意義。
 姉さんたちみたいな人の心を動かす音を奏でる才能が無い分、そういうポジションを努力するしかない。
 そして凡人な分、才能がある奴らに追いつくためには、何倍もがんばんなきゃいけないんだ。
 だから さっき二度寝で寝坊したのに気付いた時にゃ、ちょっくら大ショックだったね。

「待ってろ、ルナサ、メルラン、もうすぐ太陽の畑に着くぞー!」
 とか叫んで飛んでる内に、もう見渡す限りのヒマワリ畑の上空。
 そのさらに奥、中心部の草原から音楽が聞こえてきた。
 あれ、なんかもうライブ始めちゃってね?
 ルナサとメルランだけで大丈夫なのか?
 そりゃお客さん待たせるわけにいかないし、やるしかなかったんだろうけどさ。

 で。
 私がライブ会場上空に到着してみたらだ。
 まあ。ステージではルナサとメルランが演奏を始めてたわけだ。
 しかも、観客たちは派手に盛り上がっていた。

 あれ、これおかしくね?
 なんで、私抜きでこんな上手くいってるの?

 どういうことなのか気になったし、とりあえず、観客席の端っこに着陸してね。こっそり二人の演奏を聴いてみる事にしたよ。
 客たちは沸き返ってて、周りに居た誰も、私がステージに居なきゃいけないはずの『リリカ』だと気付いてないようだったね。

 それでね。
 なんか、姉さんたちの演奏が、いつもと違うなって思った。
 ライブに遅刻したのは今日が初めてだし。ルナサとメルランだけでステージってのは、私も初めて聴いたことになるから、新鮮に聞こえるのは当然なんだけど……。
“あたしが混じって演奏してないのに”一段と凄い演奏だと感じたんだよ。
 そりゃ姉さんたちは、演奏だけで他人を鬱にして自殺に追い込んだり、躁状態にして踊り狂わせられるような音楽の天才。
凄いのはいつもの事ではあるんだけど、二人だって言ってたじゃん。

 ルナサ:『リリカが私たち二人の演奏に混ざると、良い具合に躁と鬱の音に統一感が出るな』とか。
 メルラン:『私たちが全開で演奏しても、リリカが引き締めてくれてグダグダにならなくて助かるわ』とかだ。

 だったらさ。この状況ってあり得なくない?
 なんで、あたしが混じってる時より良い感じになってんだよ?
 これまでやったステージの中でも最高。あたしが聴いたことないほど、二人の鬱と躁のサウンドが全開を超えて強烈になってる。
相反するはずのその二つの音が、相反してるからこそ、互いを引き立てあってて――同時にバランスを取り合って、完璧に調和している。
 今の二人の演奏に、第三者からの引き締めなんて、必要あるわけない。
 これだけ個性の強い音を合わせて、これだけの完成度にさせちゃうなんて、ちょっと想像出来なかった。
 あはは、やっぱ姉さんたちは凄いな。
 あたしも、あんなミュージシャンに成ってみたい。
 ルナサやメルランと“対等に肩を並べて”演奏してみたいよ。才能がないからしょうがなく影のまとめ役やるだとかのポジションじゃなくて。
あの二人の演奏に、あたし自身のサウンドで混じれるような――
 そう、ルナサの鬱や、メルランの躁のサウンドみたいな。そういう、あたしだけのサウンドで、二人に並び立てたら。
 その日がいつ来るかはわからないけど。それまでは、あたしが楽団の中で出来る事を精一杯がんばっていこう。

                ――って、ちょっと待って――

 今の、この演奏って、あたしが混じってないからこそ成り立ってるんだよね?
 もしこの演奏へ、あたしが参加したら、ルナサもメルランも、あたしという半端なバランサーの上で、音のバランスを取るために、
鬱と躁のサウンドを弱めなきゃならなくなるはず。
 って、ことは、あれ……あたしの存在意義って……あれ?
 ちょっと待って……なんか、あれ……?

              プリズムリバー楽団の影のまとめ役?
              これ、あたしの思い上がりだったんじゃない?

 今まで、 姉さんたちの演奏がグダグダにならないように、フォローをがんばってきたつもりだった。全力で。
 でも、目の前のこの現実ってつまり、あたしが今まで、全力で姉さんたちの足ひっぱてたって事だよね?
 あれ……なんか、あたしがプリズムリバー楽団で出来る事って、実は何もないんじゃ……? 
 この会場の盛り上がり具合とか、ルナサとメルランの足かせから解放された演奏を見てると、なんつーか。

 ――え。

 ちょっと、待って。やばい結論でそうになった……ていうか出た気がする!
 これは、なんだろう、どういうことだ。
 はい、深呼吸して考えてみよう。
 よし。

 結論――『あたしって、プリズムリバー楽団にとって、要らない子じゃね?』





       \(^o^)/



 う。うおー!
 や、やべえ、すげーやばい結論でたし!
 ちょっと待った。今の結論なしにしよう。人生オワタになる気がするから
 だってほら、だったら、なんでルナサとメルランは、あたしが必要、みたいな事言ってたの、ってなるじゃん。
 あれ実は、姉さんたちが不出来な妹を気遣ってくれてただけで、本当は要らない子だと思われてたんじゃ……。
 って違う違う、絶対違う、たぶん違う、違うと思いたい。
 大丈夫、あたしは要らない子じゃないよ!
 よし、じゃあ、ステージ行こうか!
 
 って、ちょっと待って。
 あたしがステージに上がってさ。もしこの良い感じの盛り上がりを崩しちゃったら……どうしよう?
 あたしが要らない子だと、みんなの前で証明されちゃわね?
 う、うわー……。
 な、なんか今日は、か、帰りたくなっちゃったなー……。
 いやー、なんかどことなく急に、微熱とか出て来た気がするし。
 その、なんつーか、そこはかとなく頭痛が痛くなってきた気もするし。腹痛も痛くなってきた気がするし。
 あ、あははー。しょうがないよね。
 急病じゃあ、しょうがないよ。今日は大人しく帰って寝よう。うん、そうしよう……。


          ↓




 家に帰って、速攻ベッドに潜り込んだ。
 もちろん急病なんかじゃない。
 怖かっただけだ。
 頭まで毛布をすっぽり被って、しばらくして、自分が震えてるのに気付いた。
 あたしは騒霊、音楽やるために生まれて来たようなもんだ。
 その音楽においてすら要らない子なら、あたしいったいなんなんだって事になる。
 ふつーの人間とか妖怪みたいに、じゃあ他の事して生きてけばいいじゃん、って選択肢は、あたしらにはありえない。
 騒ぐために生きていて、生きるために騒ぎ、騒ぐために音楽をやる。
 生きるって事は、音楽をやり続けるってことだ。
 その音楽で要らない子なら……。
 
「大丈夫、あたしは要らない子じゃない。大丈夫」
 呟いてみても震えは止まらなかった。
 本当は、自分には何も価値がないんじゃないか、って。昔から考えてたことだ。
 音楽を始めてからの百数十年間、ずっとコンプレックスだった。
 ルナサとメルランは、躁と鬱の音を奏でられる才能があるのに。なんで、あたしには心を動かせるような音楽が出来ないんだろうって。
 あたしには幻想の音を奏でる能力がある?
 そんなのは、ちょっと珍しい音が出せる芸みたいなもので、人の心は動かせない。
 この差の答えはシンプルだ。姉さんたちは天才で、あたしは凡人。これだけ。
 姉妹なのに、この差だよ。ヒドイ。

 だけど、あたしだってプリズムリバーの姉妹。きっと凄い才能が眠ってるに違いないって、躁鬱の音みたいな【あたしだけの音】があるはずだって、ずっと思って。
音楽と名の付くものは、なんでも姉さんたちの三倍は精進したつもりだよ。
 キーボードやパーカッションはもちろん。ヴォーカル曲はあたしが歌うし。弦楽器も管楽器だって、純粋な演奏技術なら、姉さんたちより、あたしのほうが上になっちゃった。
 作詞作曲だってがんばった。今じゃ楽団の曲の99%は、あたしが書いてる。

 姉さんたちの才能に追いつこうと、そうやって、ずっとずっと、あがいてきたけど。
 あたしは演奏技術だけなら超一流? そんなの音楽やるしか能がない騒霊にとって、なんの自慢にもならない。
鳥が、『俺、飛べるよ!』って自慢したってしょうがないようなもんだ。
 作詞作曲だって、姉さんたちも普通に出来る。むしろバンドの中で取り柄らしい取り柄のないあたしに、お情けで作曲させて、役割を与えくれてるような気すらする。
 
結局、どんだけあがいてきても、【あたしだけの音】は未だに見つからない。
 挙げ句の果てに、今のこの状況か……。
 要らない子っぷりを見せつけられて、ライブすっぽかして、ベッドでガタガタ震えてる。
 すっぽかしたのは、ちょっと洒落になんないよ。
 今日のライブで、あたしが楽団に居ないほうが良い演奏出来るって、姉さんたちは判断しただろうし。
 もしバンドをクビになったりしたら、どうしよう。
 あたし、明日から、何をして生きて行けば良い?
 一人でも音楽は続けてくだろうけど、あたしだけでライブやって、幻想郷のみんなから拍手してもらえる?
 もし、ルナサとメルランが居ないプリズムリバー楽団があったとしたら、それはプリズムリバー楽団としての価値はあるの?

                  あたしに、価値はあるの?

「おい、リリカ、居るのか」
 ルナサの声、部屋のドアがノックされた。ライブが終わって帰って来たらしい。
 ドキッとした。
 クビにされる宣告が来たんじゃないかって、思っちゃったよ。
「い、居ないよ!」
 って焦って思わず言っちゃった。布団を頭からかぶった。怖くて仕方なかった。

「いったいどうしたのよリリカ。あなたがライブに来ないなんて」
 メルランの声もした。
「どこか体でも悪いの。開けるわよ」

 ドアが開けられて、二人の足音がベッドに近づいて来た。
「なんだよ。本当に調子が悪いのか?」ルナサが焦った様子で言った。
「ど、どうしよう。お医者さん呼ぶ?」メルランはもっと慌ててた。
 姉さんたちは、あたしがすっぽかした事は怒ってないらしい。
 むしろ凄く心配させちゃってる。
「だ、大丈夫だよ」ってあたしは布団の中でガタガタ震えながら言った。「寝てれば、治るからさ」

「本当に大丈夫なのか、すごい震えてるみたいだが」
 ルナサの手が布団の上から、あたしの肩に触れた。
「そ、それより姉さんたちさ。あたしが居なくて大丈夫だったの。二人だけのライブって、聴いた事ないしさ」
 って、嘘を言ってた。
 なんでこんな嘘を言ったんだろう。
 たぶん。
 これまでそうだったように、『お前が居なきゃ、グダグダになっちゃうな』とかルナサから言われるのを、あたしは期待しちゃったんだと思う。

「いや、お前が居なきゃ、やっぱグダグダになっちゃうな」
 って、ルナサは言った。
 期待どおりに。
 ああ、良かった。
 やっぱ要らない子じゃないんだ。って思ったよ。心から。
 だけどね。次ぎの瞬間にはね。
『あれ? そうか。そうなのか』って気付いたよ。
 やっぱ、ルナサたちは、これまでの百年以上、ずっとあたしに気を使って嘘を吐いてたんだろうって。
 本当は、要らない子だと思われてたけど、お情けで楽団に居させてもらってたんだろうって。
 あたしのこれまでの努力って、なんなんだろう、って……。
 姉さんたちの嘘を本気で信じて、がんばってたあたしって、なんなんだろうって……。
 そしたらもうね。
 勝手にね。涙がね。
 ダーって。
 ダーって、流れたのがわかった。
 あたしは布団を撥ねのけて、ベッドの上に立ち上がったよ。
「嘘吐くなよ!」って怒鳴ってた。

 ルナサとメルランは、目をまん丸くして驚いてた。

「あたし、ライブ会場に行ってたんだよ。二人の演奏聴いてたんだよ。あれのどこがグダグダだよ。あたしが混ざってる時より、ぜんぜん良かったじゃんさ!」
 自分の声は泣き声。情けなく震えちゃってた。
「ルナサもメルランも、わかってるんだろ。ホントはプリズムリバー楽団には、あたし必要ないって、わかってるんだろ!」
 
「な、何言い出すのよリリカは、馬鹿ねもう」
 メルランが笑顔を作って、わざとらしくあたしをハグして、頬ずりした。
「あなたは、私たちの妹でしょ。必要ないわけないじゃないの。さっきのライブは、たまたま上手くいってたように見えただけよ」

「もう良いだろうメルラン」
 って、ルナサが言った。
「リリカが自分で気付いて言ってるんだ。認めるよ。嘘を吐いてた。本当は、お前の演奏が混ざらないほうが、より鮮烈に、私とメルランのサウンドは活かし合うことが出来る」

 足下がさ、漫画みたいにガラガラって崩れて、奈落の底へ真っ逆さまに落ちていくような気がしたよ。
 マジでルナサって野郎は、他人がド鬱になることをサラッと言う奴だよ。
「じゃ、じゃあさ、あたしってやっぱ、要らない子ってことじゃん」
 言ってみた。
 涙がまたボロボロ零れた。
 姉さんたちは、何も答えず、ただ、あたしの涙を、見てる。
「なんで……なんで姉さんたちは嘘吐いてたんだよ。ひどいよ。あたし今までずっと必要にされてると思って、ずっと、姉さんたちに憧れて、がんばってきたのに……。
これじゃ、百年以上、自分が必要だと勘違いして、間違ったこと必死にやってた史上最高にダメな奴じゃん!」

「結果的に」
 と、ルナサはやるせなさそうに溜め息を吐いた。
「リリカを傷つけることになったのは、申し訳ないと思う。だが、どうしてと問われれば、答えは一つしかない。お前は家族だ。一緒に楽しんで音楽が出来るなら、それは幸福だ」

「あたしだって、あたしだってさ。姉さんたちとバンドやれて、すごく嬉しかったよ。だけどさ。こんな、ずっと要らない子だと思われてるなんて、知らなかったよ。
あたしのこれまでの人生、全部、意味ないじゃん。無駄な努力してただけじゃん……。全然、幸福じゃない!」
「違うぞリリカ。私もメルランも、お前を邪魔者だとは思ってない。だからこそ、今まで一緒に――」

「もういいよ!」
 あたしは怒鳴った。
「姉さんたちがどう言おうが、要らない子だっていう事に変わらない。妹だからしょうがないとか、お情けかけられるなんて、嫌だ。
あたしは、姉さんたちと対等に成りたくて、ちゃんと対等に扱われたくて、プリズムリバー楽団でがんばってきたんだ!」

「じゃあ、これからリリカはどうするつもりだ?」

 ルナサに言われて。ハッとしてしまった。
 これからどうする?
 こんな事を姉さんたちに言ったあとで、また明日から、一緒にバンドをやるのか?
 要らない子のまま、妹だからと情けをかけられたまま?
 これまでと同じように? 全力で姉さんたちの足を引っ張って?
 そんな事をしていて、あたしは本当にいつか、ルナサやメルランみたいなミュージシャンに成れるの?

 違う。
 決定的に、何かが違う。

 これまでの百年とちょい、あたしは自分の音楽を磨いてる振りして、結局はただ、姉さんたちの足ひっぱって、才能に寄生してただけなんだ。
 ルナサとメルランが居ないプリズムリバー楽団。
 もし、そんなのがあったとしたら――
 あたしが、世間に向かって勝負出来るものは何がある?
 あたしが、本当に磨かなきゃいけなかったのは、たぶんそれだったんだよ。
『ルナサとメルランが居るバンドで、何が出来るのか』そんな事を磨いていっても、二人の足引っ張る技術を磨いてるだけだったんだよ。

 あたしは、あたし自身の価値を磨かなきゃいけない。
 ルナサやメルランたちみたいな、自分にしかない自分のサウンドを見つけなきゃいけない。
 それは、きっと“姉さんたちのプリズムリバー楽団”に居ては、一生、出来ない。
 それに。
 足を引っ張るだけの存在は、もう絶対に嫌だ。
 一人で音楽をやらなきゃダメだ。
 そして、いつかきっと、ルナサとメルランに追いつかなきゃいけない。

 だけど、そんな事、本当にあたしに出来るの?
 要らない子で、才能のない、ダメな子なあたしに、実現できるの?

「ねえ、ルナサ、メルラン」
 って、あたしは言った。
「少し、考えるよ。それから、ちゃんと答え出す」


          ↓




 でもね。
 実際にはもう、999.999%くらい思ってた。
 一人で生きて行くしかないってね。
 プリズムリバー楽団から抜けるだけじゃなくて、家を出た方が良いだろう、って。
 姉さんたちと暮らしてたら、絶対にどこかで甘えちゃうよ。
 だって、これまでずっと、何をするにも一緒だったもん。
 だから、一人で生きて行くのを覚悟するのは、ちょっと時間が必要だったね。

 自分の部屋で、家を出て行く準備をダラダラしてたら、夜中を過ぎて、夜明け前になってた。
 荷物を一つ一つバッグに詰めるごとに、心にも勇気を一つ一つ詰め込まなきゃいけなかったんだ。
 これがすごく、時間が掛かったんだよ。
 一人で生きてくのに必要な物は、スポーツバッグ一つ分で十分だった。
 だけど、一人で生きて行くのに必要な勇気を全部、心の中へ詰め込めたかは自信がない。
 でもね。躊躇してても、なんも始まらない。
 
指をパチンと鳴らした。部屋に置いてあった愛用の楽器たち十数個が、ふわりと宙に浮いた。
「さあ、今日から新しい人生の始まりだぞ、お前ら、付いて来てくれ」
 楽器たちを引き連れて、居間に行った。
 姉さんたちは、とっくに寝ちゃってたようで、シーンとしてた。
 住み慣れた我が家。いざ出て行くとなると、無性に寂しくなる。

「おいおい、あたし」
 って自分自身に向かって言ってみた。
「これから、がんばらなきゃなんないんだぞ。湿っぽくなってどうすんだ」
 そして、自分自身で答えてみる。
「そうだね。プリズムリバー楽団に追いつかなきゃいけないんだ」
「それって幻想郷で一番有名で人気のあるバンドに追いつくってことだろ。笑っちゃうね」
「ああ、笑っちゃうよ。だけど、どうせなら、そんくらいのビッグを目指さないとね」
「ビッグか、響きがいいねビッグ」
「おう、あたしはビッグになるんだ。どうせビッグなるなら、【追いつく】なんてみみっちい事は止めようぜ。超えよう。プリズムリバー楽団を超えちゃおうよ。ナンバーワン目指そう」
「あはは、いいね。ならさ、明るく元気に行こうよ。あたし騒霊だろ。元気が取り柄みたいなもんなんだからさ」
「だね。大騒ぎしながら行こう」
「姉さんたちにサヨナラ言っていこうか?」
「いや、面と向かって、そんな事したら、たぶん泣いちゃったりして、情けないし。家出する可哀想でダメな妹、みたいな目で見られるのは、絶対に嫌だよ」
「オーケー。じゃあ書き置きしよう」
「出来るだけ派手なのがいいね。良い考えがある。赤ペンキのスプレーあるから、それ使おう」

「よし!」
 ガッツポーズしてみた。
 で。
 赤ペンキスプレーを引っ掴んだ。
 全力疾走で廊下を走った。
 玄関を、跳び蹴りでブチ開けた。
 で、スプレー缶をシャカシャカ振って、振って、振ってから、扉にプシューって、こう書いた↓


『HEY、素敵で最高な才能を持った、姉貴どもへ告げる。
 あたしは家を出る。
 お前らに頼らないで済む、自分のサウンドってもんを探してくるのさ。
 目指すモノは、『ビッグ』
 プリズムリバー楽団を倒せるくらいのビッグなミュージシャンになるまでは、ぜってー帰らない。
 明るく楽しく、元気よく、行ってくる。心配すんな。ABAYO!』

 スプレー缶を投げ捨て。
 夜明け前の空へ、飛び立った。
 人間の里へ一直線、あたしのフィーリングがそう告げているからだ。
 ビッグになるっつったら、都会へ行くべきって相場が決まってる。

 高度を上げた。遠くの山陰から、夜明けの光りが見えはじめてた。けど、頭の上では、まだお星様がギンギラギンにがんばって輝いてる。
 彼方の里の灯りは、そんなお星様よりずっとギンギラギンだ。
 妖怪の山から電気が送られるようになってから何十年経ったか忘れたけど、産業革命って奴のせいで、今じゃ夜の里は、地上の天の川みたいになった。
 もし産業革命前からタイムスリップしてきた奴がこれを見たら、きっと外の世界に出ちゃったんじゃないかと錯覚する事請け合い。
 なんたって人間の数が何倍にも増えたし、里の広さも何十倍にも広がった。
 もう、『里』なんて言葉すら似合わない。
『大都会――DAI-TOKAI』そいつが今日から生まれ変わるあたしの、生きる場所なんだぜ!


          ↓

 



 なんつって気合い入れて、街の中心の広場にあるでっかい放送塔『幻想郷スカイツリー』の前に降り立った。
 リリカ大地に立つ! みたいな勢いだよ。ドシーン! って感じだったね。
 このビッグな放送塔の前に来ると、都会に来たぜって気分になる。
 あたりは高層ビルと、見渡す限りのネオンが一杯で、いつの時間に来ても、人や妖怪で溢れてる。

「うおおおおおおおー!」
 何百メートルか上にある幻想郷スカイツリーの天辺へ向かって叫んでみた。
 特に意味はない。気合いだ気合い。
「ビッグになってやるぞこの野郎ー!」
 周りの通行人たちが、あたしを見てた。
 けど、みんな興味なさそうに、すぐにそっぽを向いて歩き出した。
 まあ、変な人だと思われたっぽく、人の流れがあたしを避けるように変わっただけだね。

 あれ? って思った。
 いつもなら、こういう風にちょっと注目されると、あたしがプリズムリバー楽団だって知られちゃって、サイン頼んでくるファンとか居るんだけど……。 
 あれか、もしかしなくても、姉貴どもが一緒じゃないからか。
 今まで一人で歩いてる時は、あたしがリリカ・プリズムリバーだという事に気付かれた事すらない気がする。
 楽団のファンから見ると、やっぱ、プリズムリバー=ルナサ+メルラン、これが基本で、あとおまけで楽器の陰に隠れて目立たない『リリなんとかさん?』みたいな感じなんだろうな……。 
 やべえ、幻想郷一有名なバンドに居たのに、あたしの知名度ってマジなんなんだろう。
 そういえば前に、リリカファンクラブのイベントがあるから来てくれとか言われて、会場行ってみたら、ただの町外れの居酒屋で、会員三人しかいなかったりとかあったよね。

「う、うおおー。負けてたまるか姉貴ども。いつかきっと、この幻想郷スカイツリーから、あたしの音楽が二十四時間垂れ流されるようにしてやるー!」
 けどさ。
 フィーリングで街に来たは良いけど、ビッグになるつったって、まず何やりゃいいんだよ。
 えーと、なんだろうな?
 あれだよあれ。決まってるだろ。
 ルナサの鬱サウンドや、メルランの躁サウンドみたいな、自分だけのサウンドを見つける。これでしょ。
 だから、それ見つけるためには何するんだよ?

 えーと。
 うーん。
 ああ……うん。

 うあ、やべえ、さっぱり思いつかん。
 あ、あれえ、おかしいなあ。家出とかすれば色々閃いたりすると思ったんだけど……。
 そういうご都合主義って漫画とかの中だけなんじゃね?
 あたしって実は、プリズムリバー楽団を辞めちゃいけなかったんじゃね?
 まだ姉さんたち寝てるだろうし、今から家帰って、扉の赤ペンキだけ消せば、またヌクヌク寄生ライフを送れるんじゃね?

 いやいや、待てよあたし。
 こういうダメな考え方だから、百年ちょいも要らない子をやってきちゃったんだよもう。
 と、とりあえず、あれだな。
 何やっていいか、わからないから、気合いだけでも入れるか。
 まずは朝日に向かってダッシュでもしてみよう。
 やべえ、これくらいしか思いつかないあたしって、マジでビッグに成れるんだろうか?

「よ、よし、無意味に走るぞオラ-!」
 そしてダッシュした。疾走した。遠くの夜明けに向かって、人混みを縫ってだ。
「やべー、あたしどーすりゃいいんだー、あーははは!」やけくそで笑いながらだ。

 そして、気付いたら街外れの川まで来ていた。
 古い木造の橋が掛かっていて、それを超えた辺りで一休みしようと、ラストスパート。
「ビックになるぞ、おらああ!」
 絶叫しつつ、夜明け前の空を見上げながら、橋を駆けてたらだ。
 どっからか、女子の歌声が聞こえて来た。
 なんというか自分自身を励まそうとしてるように、自分のためだけに歌ってるみたいな小さな声。だけど、どこかしら物凄い必死さを感じる声。
 しかも、プリズムリバーの楽曲だった。あたしが書いた曲だったね。

その歌声を聴いた瞬間。
 何故かわかんないけど、捜し物を見つけたような気分になった。
 自分が見つけなきゃいけないモノを、いきなり『ほら、これがあんたの探してたモノでしょ?』みたいに突きつけられたというか。
 自分の書いた曲の中にあるはずの、あたしがまだ気付いてなかった、あたしだけの持ち味・サウンドって、これだったんじゃないかっていうか――
 
 ――ところがね。

 急にね、走ってたはずの足下が、スカッと空振りした感じがしたんだよ。
 でね、次ぎの瞬間にはこう、重力に引かれる落下感。
 橋に穴開いてたんだ。工事中だった。で、あたしはそこに落っこちたわけで。
「う、うああ!」って真っ逆さま。
 したらね。その穴の真下に女子が居たの、いかにも『鴉天狗女子です!』みたいな格好したツインテールな奴。
 どういうわけか、そいつブラウスを脱ごうとしてたね。まるで今からお風呂入ろうとするみたいにさ。
 川岸でだよ?
 あたしはそいつの上に落下してくじゃん。
「え……えええええ!」ってそいつは、胸を隠して、落ちていくあたし見上げて絶叫してた。
 あたしがもうちょい運動神経良ければ、咄嗟に飛んだり出来たんだろうけど。
 ガツーン! って鴉天狗女子に激突しちゃったよ。
 
「あいたたたたた」
 倒れた体を起こして、痛むおでこを押さえてみたら、でっかいタンコブ出来ちゃってた。
 一方の相手さんは。
「痛っー……」
 なんつって、仰向けに倒れたまま目を開けようとしてたね。 
 いかにも『鴉天狗女子です!』っていうファッションのスカートは例によって、こう仰向けに倒れてると、中身見えちゃってるくらい短いっていうか。
 あ、パンツに名前書いてある。
『ひめかいどう はたて』
 こいつが歌ってたのか。
 さっきの歌。あたしが会得すべきサウンドが溢れてた気がする。
 これはもしかして、もしかしなくても、漫画でしかありえないようなご都合主義的な出会いとかだったりするんじゃないのか。
 この、はたてちゃんとやらから、あたしは【あたしだけのサウンド】の手がかりを探れるかも知れない!

「お、おい、お前」ってあたしは言ってた。「もう一回、歌ってみてよ!」
 あ、はたてちゃんさんが起き上がった。メッチャこっち睨んでる。
「まったく何してくれるのよ!」
「そんな細かい事いいから、歌ってよ」

「はあ?」
 はたてちゃん、すげー怒りつつも呆れた顔して。
「あのね、あんた、いきなりフライング頭突きとか暴力行為して、いきなり歌えって、なんなの、訴えるわよ?」

「ご、ごめん。でも、お前だって天狗なら、あれくらい避ければ良かったじゃん。のろまな奴だな」
 と、あたしが丁寧に謝っても、はたてちゃんはろくに聞いてない。ブラウスのボタン止めながら、キョロキョロと足下を見回してるんだが。
 よく見ると、橋の下には段ボールハウスがあった。ついでにいっぱい荷物が置いてある。でっかい風呂敷包みが四つも五つも。
どれも彼女の物なんだろうけど、まるで夜逃げでもしてホームレスやってますみたいな風情。
 はたてちゃんは、それらを掻き分けて何かを探し始めて。
「ねえちょっと、そこのあんた!」
「ん?」
「ぼけっとしてないで、一緒にカメラ探してよ。商売道具なの。あんたのせいで、どっかいっちゃったんだから。あ、カメラっていってもカメラ付き携帯だからね」

 まったく天狗野郎どもは高飛車な奴が多いから困る。と言いたいとこだけど、まあ悪いのはこっちだな。
 カメラが商売道具の鴉天狗ってことは、たぶん新聞記者とかなんだろうけど……なんで橋の下でホームレスっぽいことやってんだろ。取材なのかな?

「あ、うん、とりあえずオーケー」
 そういや、あたしの商売道具の楽器たちは大丈夫だったろうか。
 周りをちょろっと見てみた。大丈夫っぽい。まあ、宙にプカプカ浮かびながら付いてくる奴らだし。
 だけど、キーボードだけが砂利に突き刺さってた。あたしに付いて来ようと急降下して、勢い余っちゃったんだろう。こう、何かの墓標みたく刺さってたね。
 まったく頑丈な奴で助かるぜ。っとキーボードを、ズボッと抜いてみたらだよ。
 その下敷きになってた物体があった。
 半壊したカメラ付き携帯っぽい物だ。筆のストラップがついてる。
 もしかしなくても、これは……マイキーボードが、天狗カメラをクラッシャーしたのか。

 これ……やばくね。
 弁償しろとか言われても、ろくに金持ってないぞ私。
 金払えねえ、なんつったら怨み買って、どんなデマを報道されるかわかったもんじゃない。
こちとら一応、芸能人だ。ましてや幻想郷一有名なバンドで、自分が必要とされてると百年以上も勘違いしてた要らない子っていう、痛い身の上なんだぜ。わお、ゴシップになりやすそうすぎだろう。
 
「ねえ、フライング頭突きのあんた、カメラ見つかった?」 
「えっ!」
 ドキッとしちゃったよ。慌ててキーボードを刺さってた場所に、刺し直したね。
 したら、メキョッ! って音が鳴った。
 ヘイ、ジーザス、聞いたかい? 今のが天狗様のカメラが全壊した断末魔なんだぜ?

「い、いや、見つかってないよ。ないない。携帯っていっても色々種類あるしね。違うのかもしれないし」
「えっと筆のストラップが付いてて――」
「ビ、ビンゴー!」 
「え?」
「いや、なんでもない!」

 やべえ、っべえ、まじ、っべえ!
 
「えっと、はたてさあ、ちなみに、そのカメラっていくらくらいで、買える物なのかな」
「物自体は二束三文で手に入るような数十年前の型落ち品よ」
「あ、なら、あたしが弁償しても――」

「馬鹿言わないで、長年使い込んで私の妖力に馴染んだあれじゃないと、念写出来ないんだから」
 そ、そりゃあ、あたしの使う楽器に似てるな。こっちの楽器は霊体だから壊れたりしないけど。
「あれを失くしちゃったら新聞記者廃業するしかない。私の人生お終いなの。だから弁償してもらうとしたら、奴隷として一生奉仕してもらうくらいじゃないと、割りにあわないわよ」
 まじ……かよ。 
「ほら、早く探しなさいよね」
 やべえ、これ、まじやべえ。
 せっかく【あたしだけのサウンド】へのヒントが見つかった気がしたのに、これじゃ歌ってもらうどころじゃない。
 今、あたしの目の前にあるのは危機だ。
 こいつの怨みを買っちゃったら、明日から幻想郷中にあたしの痛々しい身の上話とか、根も葉もないゴシップをばらまかれる。しかも、なんか奴隷にするとか言ってやがるし。
 下手したら今日から始まるはずだった輝かしいニュー人生が灰色どころか、The Endになんぞ。
 どうにか上手いこと切り抜けないと。

「ところでさっき、あんたの方で、『メキョッ!』って、音がした気がするんだけど、踏んだりしてないわよね?」
 って、はたてが顔を近づけてきましたよ。
「な、ななな何言ってるのかなあ、はたてちゃんはー。あたしには聞こえなかったぞー?」
「ちょっと足上げてみなさい!」
「え、あ、ちょっと!」
 はたてがあたしを軽々と抱き上げちゃったね。ぬいぐるみになった気分だった。さすが天狗様だぜ、力持ちさんだ。
これでさらに幻想郷最速種族で、しかも人口も多いんだから、自分たちを妖怪の盟主種族とか言い張って、傲慢に振る舞うのも、わかるってもんだ。

「あれ、おかしいわね。確かにこの辺で音がしたのに……ん?」
 はたてったら、あたしの体をパッと離したと思ったら、キーボードを見つけちゃいました。
 カメラの墓標のように突き立ったそれを!
 
「そ、それはダメー!」
 あたしの絶叫も虚しく――
 ――はたてがキーボードをズボッと引き抜いちゃいましたよ。
 そして。穴を覗き込んだ彼女の。
「あ……あー!」
 悲痛な絶叫、朝焼けになり始めた河原でエコー、エコー、エコー。
 はたて、愕然と座り込んじゃった。
 はたて、穴の中から残骸を掻き出して、掌に集めて、俯きながら、それを見詰めて。肩を、両腕を、ワナワナと震えさせて。
 表情は俯いてるせいで前髪に隠れて見えないけど、きっと、すげえ怒ってるのは間違いない。

 オワタ。あたしのニュー人生、オワタコースに突入したかもしれない。
 
「どう……しよう」
 はたてが俯いたまま、呟くみたいに言って。
 顔を勢い良く、あたしに向けてきた。
 その表情は憤怒が燃えさかり、今にも殴りかかって来そうな鬼の形相……ではなく。
 泣き出す寸前、目に涙をいっぱい溜めたえぐえぐ顔、だったんだが。
「う……うわああああああん!」
 ていうか泣き出した。
「うああああん!」
 めっちゃ泣き出した。
 カメラの残骸を握り締め、胸に抱くようにして。
「どうしてくれるのよう、う゛えええーん!」
 泣きじゃくってなさる。

「あ、あの、はたて、さん。ごめん、ね?」
 はたては涙がぼろぼろ零れる目で睨んで来た。
 んで、ズバッと立ち上がって、あたしの肩をガシッと掴み。
「責任取りなさいよね。一生!」
「う、うん、そりゃまあ、あたしに出来ること、なら、やってあげたい気もしないでもないけど、一生は、どうなのよっていうか……」
 と、あたしが言った途端。はたてのお腹が、『んぎゅ~!』と一週間くらいご飯食べてないんじゃないかって音量で鳴りだし、力が抜けたみたいに、へなへなと、座り込んじゃった。
 はたて、気を取り直して、ズバッと立ち上がり。
「とりあえず、まずは食事奢りなさいよ。出来るだけ高級で美味しい店で。一生!」
「奢ってあげるのは、ともかく、だからその、一生とかは、軽々しく言うもんじゃなくね? っていうか」

「何言ってるのよ。私の人生滅茶苦茶にしたんだからね、あんた」
「わ、わかったよ」ってあたしは言うしかない。「とりあえず奢るから、飯食いながら冷静に話し合おうぜ」
「食事だけじゃダメよ。カメラ壊した分と、私を泣かせた分、みっちり誠意見せてもらうからね。一生」

 一生……。
 お、おい、あたしのニュー人生、やばい変な方にいっちゃってる気がするんだが。
 とりあえず、あれだ。
 ご都合主義の出会いなんてなかった。
 その逆な気もしてきたぞ。出会っちゃ行けないものに出会った気がすんぞ。
 うん。あたしは踏んだんだ。きっと、地雷、って奴を。
 だけど、もしかしたら――この地雷原の先で、あたしが探し求めてたものをゲットできるかも知れない。


          ↓

 
 ファミレスなう。@窓際の席。
 早朝だけあって、客はほぼ妖怪、あとは仕事帰りのホステスとか、ホストばっかりなう。
 そんな中で。
「あー、美味しかった」
 はたて、ハンバーグ定食六人前、完食なう。でっぷり膨らんだお腹を、満足そうにさすって、食後のエスプレッソ飲んでやがるなう。
 ほんとにこいつ一週間くらい、ご飯食べてなかったんじゃないかなう。
「さーて、次はどう誠意見せて貰おうかなー」とか、はたて野郎がヤクザみたいなこと真顔で言ってんすが、どうすんのこれ。「そうね。とりあえずホテルかしら」

「えっ」
 うわー、『体で払え』とか、そういう系かよ。しかも、恥じらいもなく言ってくるあたり、やばそうな奴だ。要求がどんどんエスカレートしたりするんだろう。
 ホテルについたら、縄でしばられて、ムチでぶたれたり、蝋燭垂らされたりするかも知れない。
それどころか、妖術とかで触手を呼びだしたりして、すごいことされちゃって写真撮られるかも知れない。産卵プレイとかさせられたらどうしよう。
んで卵から子供百匹くらい生まれちゃったら、育児の前に名前考えるだけで過労死すんじゃねーのか。
 そして、そういう写真をネタにされて脅迫されたりして……。しかも一生――。

 本能が訴えてる。『こいつと出来るだけ早くオサラバしろ』と。
 確かにそれが正解な気もするけど。
【あたしだけのサウンド】の手がかりを、ここで捨てちゃってもいいのか?
 こいつの歌には、あたしが百年以上音楽やっても見つけられなかったものが、あった。
 あった気はする……。けど、冷静に考えてみると、本当にそうだったのかな?
 最初に激突した時は色々あって考えなかったけど。

 こいつ、“鴉”天狗、なんだぞ?

 鳥系の妖怪は、どれもこれも例外なく歌が好きで、元になった鳥の声が綺麗な種族なら、例外なく歌が上手いけど、こいつらは“鴉”。
 元がギャーギャー鳴く鴉なだけに、種族全体が歌が好きな割りに、絶望的に音痴な奴らだ。あたしが求めたサウンドを歌えるとは、ちょっと思えないんだよな……。
 さっきはあたしも自棄になってたから、たまたまこいつの歌が、求めてるイメージに脳内変換されて聞こえただけ、じゃないのか。

 とりあえず、この、姫海棠はたて、って奴をちゃんと見極めなきゃだめだ。
 ほんとに、あたしの求めているものを持っているのかを。
 そして、ほんとにヤバイ奴なら即逃げるためにも、全てを知るべきだ。

「ちょっと、あんた聞いてるの。さっさとホテルの予約入れて来なさいよ」
 はたて野郎、相変わらずの尊大な態度で言いやがりました。
「ほ、ホテルねえ……あ、あたしはほら、霊体だから、体暖かくないし、肉体面での賠償はお勧めしないよー?」
 って、あたしが言ったら。
 はたては、エスプレッソをブーっと吹きだしたね。
「ば、ばっかじゃないの。私はそーゆう変態じゃないっての。単純に、私には隠れる場所――じゃなくて寝起きする場所が必要なの。雨が降っても、風が吹いても寒くない、フカフカベッドでぐっすり眠りたいの」

 なんだ、ただ寝起きする場所が欲しかっただけなのか……って。
 隠れる場所、ってなんだよ?
「てかさ、お前、それなら普通に家に帰ればいいじゃんか」

「い、家……?」
 あれ、なんかはたてちゃん野郎ってば、暗い顔になって、視線逸らしちゃった。
「家はその……」とか、床に置いてある大量の風呂敷包みを、憂鬱そうに見てますが。
 そういや、何故かホームレスっぽかったよなこいつ。
 あれってもしかしたら、取材とかじゃなくて、まじで夜逃げしてきたりして、橋の下で一週間飲まず食わず暮らしてたんじゃ……。
 隠れ場所とか言ってるし、わりとヤバイ理由で妖怪の山から逃げて来たんじゃないのか。

「えっと、ねえ、はたて、お風呂とか、どうしてたの」とりあえずカマ掛けてみる。
「お、お風呂は、だから、その……夜明け前に川でこっそり。さっきも入ろうかなってしてて、あんたが……」
「へ、へえ……川でお風呂ね。それって、取材かなんかでやってたの?」

「取材でそんな恥ずかしい事するわけないでしょ。近所の子供にも覗かれるし。でも、銭湯行くお金もないし、仕方ないから……」
 悲惨だ。こいつ悲惨だ。妖怪の盟主・天狗様くせにガチホームレスとか、悲惨過ぎだろ。
「わ、私の事なんか関係ないでしょ!」
 あ、逆ギレしやがったし。
「だいたい、あんたは何者なの。まだ名前すら聞いてないんだけど!」

「あたし?」
 って、一応、有名人(だと思っていたかった)だぞ。
 しかも、お前、あたしが書いた曲を歌ってただろ……普通に気付いてほしいとこなのに、気付いてくれないって、虚しすぎるぞおい。
 とりあえず自分から名乗ると負けた気がする。それとなく話題振って、気付かせてやりたいぜ。
「はたては音楽とか、詳しくないの?」

「え、音楽……?」
 なに、このリアクション。なんか、はたて、急にきょどりだして、ストローいじりだしてるんだけど。なんかこう、ストローの伸び縮みする部分を、ペコペコしてるんだけど。
「お、音楽くらい私だって、超詳しいわよ。なにその質問。私がテレビで流れてるメジャーな音楽しか知らない引き籠もりのオタクっぽいダサい奴とか、い、言いたいわけ?」

「え、別にそんな事言ってないけど……?」
「そ、そーよね!」急に明るい顔になって、「音楽とか超聞くし。わ、私ってすごいリア充だし、あれ、あれだし、私クラブとか通っちゃう人だし、
ええと、そう私、クラ何とか、えっと、えっとあれよ、クラムボンだし!」

 なんだよその、川底でカプカプ笑ってそうな物体は。
 言いたい事は、なんとなくわかったけどさ。
「えーっと、はたて。クラムボンて……クラバーのこと?」

「う……」
 って、はたて、また暗い顔に戻って目逸らしちゃった。
「……うん、それ、それです。嘘じゃないよ。流行最先端で、ほんと週末とかクラブでオール余裕、超アゲアゲポヨポヨみたいな……
いやほんとリア充だし、友達とか、百人くらい居るし、彼氏も五十人くらい居るし」
 
 彼氏五十人とか、リア充ってより、ただのビッチだろ。
 たぶん見栄のつもりなんだろうけど、ここまで見え見えだと、なんつーか、いや、ほら、こういう見栄って、友だちとか彼氏が居ないオタクで引き籠もりな奴が言ってそうな台詞じゃん。
 ま、まあ、あんま深く突っ込まないであげよう。あたしの名前を気付いてくれるだけでいいんだし。
「へ、へー、そうなんだ……そんで、はたては好きな音楽のジャンルって何?」

「じゃ、ジャンルっ!?」
 声ひっくり返ってますがな。
「私……音楽のジャンルみたいなリア充っぽい会話とか、全然知らないっていうか――あ、いや、詳しいよ? 超詳しいし。
リア充だし、本物志向っていうか、軽薄な若者文化とか興味ないし。軽い女じゃないっていうか。流行に流されないっていうか」
 さっき流行最先端で、アゲアゲポヨポヨ、彼氏五十人居るとか言ってたの、どこのどいつだこの野郎。
「あえて好きなジャンル言うなら、そうねえ。えっと、ええと、え、え、え、ええええ」

「エレクトロニカ?」って、あたしは言ってみた。
「あ、それそれ、それにしとく。うん、私、エレなんとか大好きだし!」
「って、はたてさ、それ普通に、流行のジャンルじゃんか。エレクトロニカっていっても色々あるけどさ」
「え、そうだったの。色々あるのね……じゃあ、あの違くて。私はもっと違いが分かる女だから、もっと渋くて、うんと、あの、そう。エレクトロニカはエレクトロニカでも、エレクトロニカ演歌が好きなのよ!」
 はたてちゃん、自信満々の顔で。
「略してE・ENKAよ!」とか言ってますが。
 つーか、無いだろ、そんなジャンル。お前が今作ったろ。

「へ、へえ……そんなジャンル、あったんだ?」
「まあ、あんたみたいなダサ子ちゃんは知らないでしょうね。最先端のクラバーにしか、知られてないんだもの」
 なんかごめん、はたて。意味不明な見栄張らせるつもりじゃなかったのに。心苦しくなってきちゃったぜ。
 もうちょっと直接的に気付かせよう。
 
「じゃあさ、はたてって、プリズムリバー楽団とか、聞いたりしない?」
「あ、そのバンドなら私でも知ってる。テレビにも良く出てるよね。ていうかカラオケでそればっか歌うし!」
 なんだよ。やっぱ、あたしらの大ファンだったんじゃないか。
 しっかし、その割りに気付かれないあたしって……。
「う……うんうん、でさーはたてさー、プリズムリバーの曲の99%は三女が作ってたんだけど知ってたかー? カラオケのクレジットじゃ、バンド名義になってるだろうから、気付かないかもだけど」
「知ってるよそれくらい。クラバーの間じゃ常識だもん。ドヤ顔で言わないでよね恥ずかしい。確か三女の名前って……あ、そうだ。ルナサよね!」

 あたしはずっこけたね。ズコーってだよ
 ずっこけてた拍子にデザートのプリンが頭の上に乗っかちまったが。
「ちがーう!」
 はたて野郎のネクタイに思わず掴み掛かったぜ。
「冗談よ冗談、わざと間違えたんだって、あ、じゃあ……そう、三女の名前は、メルランよね!」
 ズコーッ!
 あんまりにズコー過ぎて、空中で一回転して、テーブルの上に着地しちゃったじゃないか。
「メルラン違う、そいつは次女で、頭がパッパーなトランペッター!」
「あの、お客様、テーブルの上から降りていただけないかと」とかウェイトレスが言ってるが。
「うるせー、黙れウェイトレス。おい、はたて、知らないなら教えてやる。プリズムリバーの三女の名前は――」
 思いっきり腹式呼吸で、マイネームを絶叫してやろうとしたらだよ。
「っていうか、プリズムリバーに三女なんか居たっけ?」って、はたてたん、素で言ったった。

「う、うおおおおおおおおー!」
 あたしの魂の慟哭だったね。
 壁パンチした。ボコボコボコボコ。
「あの、お客様、他の方のご迷惑ですので、お静かに……」
「うるせー、ウェイトレス。あたしゃ騒霊だこの野郎。うるさくて悪いかこの野郎、つーか、おい、はたて野郎!」
 ネクタイがっつり握りしめてやったよ。
「ヘイYOテングガール。さっきの狼藉―ROUZEKI―聞き捨てならねんだよ。プリズムリバーに三女は居る、つーか居た。
 そいつは、お前が言うように、空気で『リリなんとかさん』だったろうな。わかってる、わかってるから、楽団を辞めて、“あたし”はここに居るんだよ。
 いいか、良く聞いとけよこの野郎。聞きたくなくても聞かせてやる。あたしのサウンド聴かせてやる。ぜってー幻想郷中に聴かせてやる。
 その手始めに、ビッグネームになるあたしの名前を、お前に最初に聞かせてやる。 
あたしの名前は、
あたしの名前は、
あたしの名前は。
リリカだ、この野郎!」
 目をまん丸くしたはたてのネクタイを放し、手を天井へ向け。
「来やがれ相棒!」
 マイキーボードが手元にギュインと飛んで来て。
「ミュージック・スタート。ここが新生リリカの初ライブ会場、飛ばすぜ相棒。弾けさせろビート。奏でろよメロディ。行くぞオラー!」

 【手足を使わずに演奏する程度の能力】・全開。
 途端にファミレス中が激震するようなビートが弾けだし、そこに居た全ての者が耳を塞ぐほどの音量が、食器類をガタガタと振るわせ。
 そして。

                      ↓

                店からつまみ出されました。

                      ↓

 外はすっかり日が昇ってた。
 うわー、まぶしー、まだ朝だっつーのに、さすがMA-NATSU【真夏】だぜ。太陽さんが容赦ねえ。
 霊にはちょっくら体に悪いくらいの日差しが、ガンガンだね、ガンガン。

「ねえリリカ、あんたってさ――」
 はたても眩しそうに空見てた。
「ん?」
「――凄い馬鹿で、迷惑な奴でしょ。レストランで非常識に騒いだり、他人のカメラ壊したり。まったく、とんでもない奴と関わっちゃったもんだわ」

「そう言うはたても、めっちゃ嘘つきだよね。自意識過剰っつーか。悲惨な人生送ってそうなくせに、見栄っ張りで、プライドだけは高そうっつーか」
「な……私のどこが嘘つきだってのよ!」
「理由は知らないけど、はたてって今、夜逃げかなんかで、ホームレスなんでしょ」
「そ、そんなわけないでしょ。奴隷のくせに勝手な妄想言わないでよ!」
「寝泊まりする場所が無い状態で、友だちか彼氏が一人でもいたら、普通そこに転がり込むし、橋の下でお風呂とかあり得ないよ」
 
「あ、あれはキャンプよキャンプ。私はほら、川ガールだから!」
「はいはい。新聞記者だってのも怪しいもんだね。まともな仕事に就いてたら、段ボールハウスなんかに住んでないだろうし。
はたてなんかどうせ、無職のひきこもりで、親が死んで、どうにもならなくなってホームレスやってたとか、そういうんだろ?」
 言い終わるや否やだった。
 胸ぐらが掴まれた。
 はたてが、至近距離まで顔を近づけて、睨んで来た。

「私は、新聞記者!」
 だけど、その顔は、怒っているというより泣きそうな顔で。
 怒鳴りつけてきた声も、頼りなげに震えちゃってる。
「新聞記者なの!」
 な、なんだよ、こいつ。
 ホームレスな新聞記者とか、どう考えても居るわけねーだろ。
 なんでこんな見え見えの嘘を……泣きそうになって必死に新聞記者だとか言い張ってんだ?
「ほらリリカ、謝りなさいよ。私は無職なんかじゃない。新聞記者なんだから!」
 こいつはあれだ。まともじゃない。
 間違いなく、関わっちゃダメなタイプの奴だ。
 こいつが万が一、あたしの求めてたものを持ってたとしても。深く関わったら、あたしが求めているものを見つける前に、きっとニュー人生がろくでもないことになる。

「わかったよもう」 
 はたての手を振りほどいて、距離を取った。
「はたての事は深く突っ込むつもりもないよ。じゃあね。バイバイ川ガール(笑)」
 大通りへ向けて歩き出そうとしたら、首根っこ掴まれました。
「待ちなさいよ、まだまだ償いが足りないわ。あんたは一生、奴隷だって言ったでしょ」

 こいつマジでどうしよう。
 強引にサヨナラしちゃいたいけど、はたては天狗。あたしが力尽くで追い払えるの相手じゃない。
「しょーがないな。ほら、これ見てよはたて」
 財布を開いて見せた。
「あたしが示せる誠意の最大値。全財産だよ」

「うわ、なにこれ、しょぼ。これじゃ、ホテルになんか一週間も泊まれないわよ。あんたこそホントに、あのプリズムリバー楽団だったの」
「貯金なんかする趣味なかったしね。たかろうとしてたんなら、ご愁傷様」

「じゃ、じゃあ、カメラの落とし前、どうつけてくれるつもりだったのよ!」
「そこはまあ、悪いと思ってるし、あたしがビッグになったら、きっと利子付けて――」
「すぐ隠れる場所――じゃなくて、住む場所が必要なの私には。ていうか、リリカも有名バンドのメンバーだったとか格好付けてたけど、今は普通に無職のホームレスの極貧じゃない!」
「だーから、将来ビッグになるって言ってんじゃん」

「ほんとにビッグに成れるのあんたに。プリズムリバーに三女が居る事自体、忘れてたし、どうせ、リリカなんて空気過ぎて、バンドをクビになったりしたんじゃないの?」
 う、なんてクリティカルポインツを突いてくるんだこいつは。
「そ、それはその、クビになったんじゃなくて、自分から辞めただけであって……」
「嘘くさ。だいたい、なんであんた、そんなすごいバンド辞めちゃったってのよ」

 正直に言ったら馬鹿にされそうだしなあ。
 適当に誤魔化しときゃいいだろ。
「お、音楽性の違い……かな。あたしはもっと上目指したいっていうか……」
 う、うわあ、便利なフレーズだな、【音楽性の違い】って超便利だわあ……。
 でも、このフレーズってさ。バンドをクビになった要らない子のミュージシャンが、負け惜しみ的に言ってる事多いよね……。
まさか自分で言う日が来るとは思わなかったわあ……。
 あー、なんか、はたてが、『めしうま』みたいな顔でこっち見てるし。

「へえ、リリカは音楽性の違い(笑)でバンドを抜けたんだ~? 音楽性の違い(苦笑)ねえ。ふう~ん?」
 うわあ殴りてえ、グーで殴りてえ。
「それでリリカは無職(失笑)になっちゃったのねえ♪」

「ま、そーゆーわけだから。お互い人生がんばろうぜ。バイバイはたて」
「待って♪」ガシッと掴まれちゃったよ畜生。
 しかもなんか、はたてってば、すげえ嬉しそうな顔してやがるし。
「リリカは、これからどこ行くつもりなの」

「とりあえず、イヤミで見栄っ張りで傲慢な鴉天狗とは、可及的速やかに距離を取りたいかなと」
「どっか寝泊まりする場所あるの?」
 話し聞いてましたかこの野郎。いいから離せ、とりあえず、離せ。
「今のとこ、んな場所ないけど」
「え、なら、リリカはどうするつもりで、家飛び出して来たの?」
「街に来ればどうにかなるかなって」
「ねえ、あんたってやっぱ馬鹿でしょ」
「はあ?」
「だって、このままじゃあんた、ホームレスよ、ガチの」
「友だちの家に転がり込めばいいじゃん。あたしは、友だち一人も居ないお前とは違うっつーの」
「な、何言ってるの、友だちは全員、ロンドンに訪米してるだけで……。と、ともかく私もあんたに付いて行っていいわよね。落とし前の一部ってことで」
 そう来たかよこの野郎。
 マジでバイバイしたいが、カメラの事は実際、あたしが悪いわけだしな……。
「で、どこなの、リリカの友だちの家って、早く行こうよ」
「ん……、ま、まあ、そうだな。えっと」
 そういや、街に友だちなんて居なかったような。 
 っていうか、あれ。街の中どころか……。
 なんだ、その、一人もですね。こいつがMYフレンドだ! っていう名前が思い浮かばないんすが。
 って、あれ。
 
               あたしって実は、友だち居なくね?

「どうしたのよ。暗い顔しちゃって」ってはたてが顔を覗き込んできました。
「く、暗い顔、してる?」
「うん、私の顔見て、絶望的な顔してるわよ」
 あ、うん、だって、『あたしってこのぼっち天狗と同じなのかー!』って思ってたんだもの。

「う……うああああー!」
 空に向かって絶叫してみた。
「ほんとうるさい奴ね。どうしたってのよ」
「あたし友だち居なかったわあ。マジでゼロだったわあ。笑うしかねーつか、あははー!」
「え、リリカって友だち居ないの、彼氏も居ないの?」
「居ない居ない、居るわけなかったわー、今まで姉貴どもとしか遊ばかなかったし、ひたすら音楽しかやって来なかったもんなあ。
それにあたし、生まれた時から生き物ですらないから男って何それ美味しいのだしさあ。あは、あははー!」

「あははー、何それダッサー、超ぼっちじゃんリリカ。やーい、ぼっちぼっちー。きっと、一生ぼっちで処女のままで、おばあちゃんになって、孤独死とかしちゃうのよー、あははー」
 とか、はたてちゃん笑ってたけど、たぶん、精神的にすごいブーメランが返って来ちゃったんだろうね。
 なんか急に死ぬほど鬱い顔になって、いじけたみたいに体育座りしちゃったよ。
 しかし、こいつを笑ったら、あたしにもブーメランがギュンギュン飛んでくるぜ。
 目を逸らすなリリカ、目の前のダメ鴉天狗が、自分の鏡映しみたいなもんだぞ。
 つーか、これ、まじで……。

「こ、これから、あたし、いったい、どーしよかな……」
「こ、これから、私、いったい、どーしようかしら……」

 わお、はたて野郎と仲良くハモっちまったんだぜ。


           ↓


       

   ビッグになるとか以前に、まともに生活出来るかすら問題だと判明したわけだが。
                炎天下の中、散々、考えた挙げ句。

           ↓


 ありったけのお金はたいて、どうにか借りられるアパートを一件だけ見つけましたなう。
 選択肢無し、速攻で契約。キッチン風呂トイレ共用の四畳半。
 そして、はたてちゃん、当然のごとく。
『私が記者活動を再開出来るまで、責任取って一緒に住ませなさいよね!』
 などと言い張って付いてくるなう。
 この鴉天狗も、どうにかしないと邪魔すぎるなう。下手したらマジで一生、住み着く気がするしなう。

 そして、いざアパートの前に到着すると。
「うわ、ボロ……。ちょっとリリカ、これ、ほんとに住めると思うの。あんたは霊だから、こういう廃墟っぽいところ落ち着くのかも知れないけど」
 はたて姫、一円も出してない居候のくせに、この言い草である。
 まあでも、文句を垂れたくなるのも、わからんでもない外観だ。
 全木造の物件で、トタン材でつぎはぎだらけ。雨どいは所々折れて垂れ下がり、窓ガラスは割れたところが、ガムテープで補修されていたりする。
「あたしは気に入ったわー。はーたてー、嫌なら橋の下戻ればー?」
 にやにや笑いながら言ってやったね。
「ま、まあ、中は案外まともかも知れないわよね。早く、部屋見てみましょうよ」
 二階への階段を上がり、我が新居たる201号室の扉をギィ~と開けたら。
 そこはThe四畳半。
 日焼けしきった畳に、裸電球が一個だけのシンプル空間。

「うぅっ、カビ臭ッ!」鼻を摘む、はたてちゃん。
「んー、良いねえこの空気」一方、あたしは胸一杯に部屋の匂い吸い込んでた。
「荷物入れる前に、掃除が必要ね」
 とか言って、はたて、てきぱきと窓開けて、畳ひっくりかえし始めちゃったよ。
「ほらリリカ、掃除の準備。井戸から水汲んで来るのよ」
「えー。掃除なんて要らないって。もー昼寝したいよ。昨日、徹夜だったしさあ」
「まったく、ズボラ騒霊ね。つべこべ言わないの。早く、水、雑巾、箒持って来なさい」


           ↓

                       そして。
            はたてちゃん大張り切りで掃除を始めて、凡そ一時間である。
   (ちなみにあたしは、掃除の邪魔だと追い出されたから、楽器のメンテナンスをして暇潰してました)


           ↓


「うおっ、なんじゃこりゃぁあ!」
 掃除が終わった部屋に戻ってみての我が第一声である。
 なんか同じ部屋とは思えない変貌ぶりだった。

「ほんとリリカはうるさい奴ね。私が持ってきてた家財道具を置いただけよ」
「だ、だって、なんか、女子力がすげえ!」
 味も素っ気もなかったはずの四畳半が、乙女チック空間になっていた。
 夏用のカーペットが敷かれ、壁紙まで張られてて、窓にはレースのカーテン。どれもピンクっぽい花柄模様で。
ふかふかのクッションやミニテーブルや小物ラック、鏡台も、似たような色合いで統一されている。
 さらには、窓辺にぬいぐるみが並べられ、クマさんやウサギさんの行列は、どこの夢の国ですか状態。
 意外過ぎる。どうせ、はたての元の家とか、きっと無職のオタクっぽい汚い部屋なんだろうなと思ってたのに。
 こんな噎せ返るほど乙女臭のする部屋に住んでたなんて。なんか、キラキラしちゃってて、もう眩しいし、すげー良い匂いするし!

「う、うわ~♬」
 あたしも乙女チックな歓声を上げてしまったね。
「すごいよ、はたて、あたしこんな部屋、住んだことない。お前は、プロの乙女か!」

「ふふん」とはたて、得意そうに澄まし顔。「ま、私は音楽オタのダサ子ちゃんと違って、リア充だからね」
 今なら、そーゆう憎まれ口も、許せそうな気がしちゃう。
 あー、とりあえずカーペットにごろごろしたり、ぬいぐるみの群れにダイブしてモフモフしたりしてえー!

「うわ~い♬」
 靴脱いで、部屋の中へ飛び込もうとしたら、だった。
 後ろから首根っこ掴まれたよ。ぐぇってなったね
「待ちなさい」
「な、なにすんだ、はたてェ」
「そっちは私の高級居住スペース。リリカのスラム街はそっちよ」
 部屋の隅っこ。くたびれた畳が剥きだしの、あたしの荷物が山積みになってるスペース。
「ずるいぞ、あたしも乙女チック空間で暮らしたい。しかも、あたしのスペース狭くね?」
「私が三畳半、リリカが一畳、これが割り当て。私の方が荷物多かったんだから、しょうがないじゃない」

「巫山戯るな、巫山を戯るな、英語で言えば、Dont kick HUZA っていうか巫山ってなんだ。
巫山なんて物体見たことないぞこの野郎。蹴れるモノなのかそれは。普通にそっちのスペースに混ぜろこの野郎!」
「まあ、そんな事はどうでもいいのよ。落ち着いて、まずは座りなさい」
 畳の上に正座させられてしまったんだが。
 一方のはたてさんは、綺麗なカーペットにクッション置いて、くつろいだ女の子座りです。せめてクッション一個貸してください。

 っていうか。
「いや、あの、おい、はたて野郎。どうでもよくないぞ。せめて二畳ずつに区切ろう」
「そんな事より、大事な話があるのよ」
 なんかすげーシリアス顔なんすが、はたてちゃん。  
「え、大事な話?」
「ずばり生活費よ。お昼ご飯を食べるお金すら残ってないでしょ。どうするつもりなの」
「お金ないなら、別にご飯とか食べなくて良いじゃん」

「馬鹿ー!」
 バンッ、とはたてちゃん、床を叩きました。
「霊体のリリカと違って、こっちは肉体のある妖怪なの。ご飯食べなきゃお腹減るのよ」

「あー、そういや天狗も、生活は人間とほとんど同じだもんね。面倒臭そうだねえ」
「そう、適当に騒いでればOKな騒霊とは違うのよ。生きるってのは大変なの」
「いっその事、はたて死んでみちゃったらどうよ。怨霊としてこの世に残れるかもよ。便利だぞー、霊体は」
「馬鹿ー!」首締められて、がっくんがっくん揺すられました。「まだ一回も男の子と付き合ったことすらないのに、死ねるかー。そりゃ余裕で未練残るわ怨霊として!」
「お前……彼氏五十人居るんじゃ」
 首がパッと離されました。
「い、今のはほんのジョークよ。彼氏は今、南極に駐米してるだけで。私、あんたみたいな一度も男の子とデートとかしたことないような、処女のダサ子ちゃんじゃないし。リア充だし」

「あーはいはい。眠いから、寝てもいいすか」
「寝るな。お金稼いで来なさいよ!」
「なんで、あたしがなの。お金必要なの、はたてじゃんか」
「あんた馬鹿なの。カメラ壊されちゃったせいで、働きたくても働けないんじゃない」

「バイトしてくりゃいいじゃん」
「私は新聞記者なの。それ以外の仕事するつもりは、絶対ない。働いたら負けなのよ」
 また“新聞記者”かよ……。
 ここで、『どうせお前、新聞記者じゃないんだろ』とか突っ込むとブチ切れるだけだろうしな。
「私が記者として復帰出来るまでは、リリカが私を養う責任があるって言ってるのよ」

「ま、はたてが“何者だったか”はともかく、カメラの分は、あたしとしても落とし前付けてやりたいけどさー」
 とりあえず腕組みして、難しい顔してみる。
「お金稼げとか言われても、あたし今まで、お金稼いだ事ないからなあ」

「はあ?」首を傾げるはたてちゃん。「リリカだってレコードの印税とかあるんでしょ」
「マネジメントはルナサが全部やってたし。別にあたし、お金あってもしょうがないし。たまに楽器とかお菓子買うために、小遣い貰ってただけだしなあ」
「え……何それ、じゃあ、ほんとに今まで、適当に楽しく騒いで生きて来ただけです、みたいじゃない」
「うん」
「うん、ってあんた。つまりそれ、プロとして食べていく基盤がゼロって事なのよ?」

「別にあたし、霊体だし、食べてかなくていいし。適当に楽しく騒いで、幻想郷中にあたしの曲が乗った電波を、垂れ流せるくらいビッグになれればそれでOKだし」
「食べていけなきゃ私が困――っていうか商業ベースでやんなきゃ電波業界に売り込めるわけないでしょうが、適当に楽しくーなんて、どうやってビッグになるつもりだったのよ」
「こう見えても演奏技術なら幻想郷一だ。あとは、姉貴どもに勝てるくらいの、自分のサウンドさえ見つければ、いくらでもビッグになってやるね」

「プッ!」とか、はたてってば吹きだしやがったよ。「あははは、何その臭っさい台詞。笑っちゃうわあ」
「わ、笑うなこの野郎。音楽の事わらかないくせに!」
 はたて、超ドヤ顔で肩すくめたね。
「リリカは音楽しか知らなすぎなのよ。世の中なめすぎ。夢みすぎ。何も考えてなさすぎ。ゆとりすぎ。無謀すぎ。生活力なさすぎ~」
「うっさいな、お前が何言おうと、あたしはぜってー幻想郷ナンバーワンになってやる!」

「……」
 なんだ、どーしたんだ、はたて野郎ってば、いきなり鬱い顔になってorzのポーズになってる。
 そして、カーペットを拳で、どんっ! どんっ! と叩きだしたんだが。
「こ、こんな社会適応力ゼロどころか、マイナス値の騒霊に養って貰うとか無理な気がしてきたわ……。むしろ下手したら私が養わなきゃいけないんじゃ……」

「まあさあ、はたて、そこらの生ゴミとか食ってればいいんじゃね? ほら鴉ってみんなそーやってんじゃん」
「アホか! もうこうなったら、あんたの楽器売っちゃいなさいよ。そういうのってすごい高い物なんでしょ」
「馬鹿言うなよ。こいつらは大切な相棒なんだよ。あたしの『手足を使わずに演奏する能力』は霊体の楽器でしか使えない。こいつら売ったら、なんも出来なくなっちゃうよ」

「あっそう……じゃあもうパンツとか売るしか……」
 あ、はたてが恐い顔になって、こっちに目むけて……あ、超迫って来たんすが。うわ、スカートの中に手入れて来やがった。
 やっぱ、こいつと関わると、ろくな事にならなかったよ畜生め!
「ちょっとリ゛リ゛カ゛ー!」
「な、なんだよ。顔近づけるなって暑苦しい、夏だぞ今、汗臭い、離れろ。つーかパンツから手離せ変態」
 はたての頭をギューギュー押し返してみた。
「あんたのパンツ脱がしてその筋のマニアに売られたくなければ、社会適応力ゼロでも出来るバイトしてきなさいよ!」
「えー、働いた事なんかないし、やだよ。あたしはミュージシャンなんだから、音楽以外やるつもりないね」
「だったら、路上ライブでもやって、おひねり稼いできなさいよ。街の広場とかでアマチュアの人間がやってるでしょうが」

「あ、それならOK」
「え、いいの?」
 なんかすごい意外そうにしちゃってます、はたてちゃん。
「ん、いいけど?」
「いや……ほら、リリカも一応プライドあるみたいだし、アマチュアと同じ事をやらされるのって嫌がるかと思ったっていうか。お互いプライドは尊重してこうっていうか」 
「あー? 適当に騒げばオーケーなら、別に場所なんか関係ないじゃん」
「え、あ、あんたはそれでいいんだ?」

「ま、はたてに言われてやるっていう点だけは、気にくわないけどねー。あー、やっぱ止めとこうかなー」
「何よ、あんたに責任あるんでしょうが、嫌ならパンツ売るわよ、このー!」
 またパンツ引っ張ってきやがるはたて野郎。
 その頭をギューギュー押し返しながら思ったぜ。
 ああ、やっぱ面倒臭い事になった、とね。
 姫海棠はたてという奴を見極めたぞ、とね。

 こんな……ろくでもない奴の中に、あたしが求めてた心を動かすサウンドがあるわけない――というか、あってたまるか。
 だいたい、もしそうだったら、こんなに性格悪いホームレスダメ底辺天狗が、あたしより音楽の才能が上って事になっちゃうじゃん。あはは、ばからしいね。
 カメラの落とし前くらいは付けてやろうかと思ってたけど、もう嫌だ。
 こいつと付き合ってたら、これから毎日、言いなりになって養わなきゃならない。おまけに刃向かえばパンツ売られるんだぞ。
 あたしにはそんなアホな事してる暇なんかない。がんばってルナサたちに追いつかなきゃならないんだよ。 
 
 どうにか、はたてにギャフンと言わせて、追っ払いたいぜ。
 力尽くじゃ無理だし、あたしに二度と顔見せたくなくなるくらいの、恥をかかせられたりすれば……。
 何か手はないか?
 いや、でも万が一だけど、あたしの求めてるサウンドを……そんな事は絶対ないとは思うけど……はたてが持っていたらどうしよう?
 あ、そうだ!
 路上ライブにかこつけて、はたてにも歌わせちゃえば、見極められるんじゃね?
 って、何考えてるあたし。もうこいつの事はいいだろ。
 追い払う方法を考えるんだよ。大恥をかかせる方法を!

 あ、だからさ。路上ライブで歌わせればいいんだよ!
 こいつは絶望的に音痴な種族の鴉天狗、そのくせ、傲慢、尊大、権高な鴉天狗だ。
 はたてはそんな中でも、典型的な我が儘天狗女子って感じだしな。
 カラオケが好きとか言ってたし、おだてりゃ絶対、いい気になって音痴な歌を街中に響かせちゃってくれるぜ。
 そしたら、あたしは大声で笑ってやればいい。はたてが何の才能もない、ただの最底辺だという事を見届けてから、
めっちゃ侮蔑的な爆笑をお見舞いした上で、サヨナラしちゃえばいいんだよ。

「ちょっとたんま、はたて、良いこと思いついたよ!」
「なによ。ろくでもない事じゃないでしょうね?」
 とりあえず、あたしは足首までずりさげられたパンツを履きなおして、正座しなおしました。 
「はたてってさ、結構、良い声してるよね。カラオケ上手いんじゃない?」
「え? あ、う、うん。ま、まあね。私リア充だし、カラオケとか友だち百人と毎日オールだし」
 嘘つけ、お前なんかどうせ、一人カラオケルーム専だろう。

「じゃあやっぱ、はたて、歌は上手いんだよね。さすがリア充だよね。わかるんだよ声だけで」
「へ、へえ。リリカもやっぱプロなのね。そういうのわかっちゃうんだ~。ふふ、ふふふ」
 よし、いい気になってやがるぜ、はたて野郎。
「でさ、あたし的には、路上ライブで、とっておきの新曲やりたいんだけど、ヴォーカルがあたしでも難しい曲なんだよね。
けど、はたてなら、きっと楽に歌えるんじゃないかなー。演奏の方は、あたしが能力使って一人でキーボードとパーカッションと、ギターとベースとか余裕でやれるからさ」

「ははーん。しょうがないわねえ。協力してあげないこともないけどなー。さあ、私にお願いするのよリリカ。プリーズ、って言ってごらんなさい?」
 くくく、今に見てろよこの野郎。
 街のど真ん中で、お前の音痴っぷりを、幻想郷中の奴らが一生忘れられないくらい響かせて、恥かかせてやる。
 明日からは、あたしと顔を合わせるのを躊躇うどころか。街を歩けないようにしてやるぜ。
「ぷ、ぷり~ず。お願いします、はたて様」


           ↓


 In The 街のど真ん中の広場なう。幻想郷スカイツリーの真下なう
 せわしくなく歩いて行く通行人や、待ち合わせをする人間・妖怪たちでごった返す中。
 あたしは宙に浮かべた楽器をずらりと並べ、はたてはドヤ顔でマイクを握り締めた。
 リハーサルなしの、ぶっつけ本番、はたてには歌詞を渡しただけだ。
 いざ演奏を始めようとするあたしたちを、一般ピープルたちは興味無さそうに、横目で通り過ぎていってた。
「よーし、準備はいいか、はたて?」
 はたて、マイクを片手に澄まし顔。生意気っぽく頷きやがったね。
「ええ、いつでもいいわ。さっさと演奏を始めなさい」

 そして。
『さあ、はたて野郎、お前の美声(爆笑)を街の奴らに聴かせてやりやがれ!』
 ってな気合いで、あたしがイントロを弾き始めたら、通行人の皆様も、まあまあ聴こうと立ち止まる人もいた。
 
 それでね、いざ。
 はたてが最初の1フレーズを歌い出した時だったよ。
 
 あれ? って思った。こんなはずじゃ――

                ――なんかスゲー、上手い。
 
 スカイツリー広場に居る通行人“全員”が、ハッとしたみたいに足止めて、はたてへ顔向けてたね。
 鴉天狗がこんな歌えるはずない。何かの間違いじゃないのか、って、そりゃあたしは信じられなかったよ。 
 でもね。
 2フレーズ目も、はたては綺麗に音程取った。
 事前にヴォーカルラインを教えたわけじゃないよ。なのに、自前で音程取っちゃったんだ。もっと簡単な曲ならともかく、今やってる曲で素人が出来る芸当じゃない。
 それを、あたしは真横で聞いてて、確信しちゃったよ。

 あ、やべえ、こいつ滅茶苦茶、センスありすぎる。

 そりゃ……たしかに鴉天狗って言っても、死ぬほど歌を練習したりすれば、まともに歌えるようになる奴も、コンマ数%くらいは居たりもすんのかもだけど。
 ただ歌に慣れてて上手いってレベルじゃないぞこれ。
 なんつーか、あたしが作曲してた時に、理想としてたヴォーカルラインで歌ってくれてるっていうか、むしろそれ以上。
 あたし自身すら気付かなかった歌詞とメロディーのニュアンスまで、歌声に変換しちゃってるっていうか。
 表現したかったサウンドを、ピンポイントで持ってきてくれちゃってるっていうか。
 自分が探してたモノなのに、具体的にどういうモノなのか、わからなかったモノを見せてくれてるっていうか。
 あたしが、曲を書くときにずっと考えて来た事。それは言ってみれば、いつか自分も、ルナサやメルランたちと肩を並べられるミュージシャンになりたいという、願望、希望。
 だけど、その願望や、希望に、どうやって辿り着けば良いかわからない。いつ辿り付けるかもわからない。
 それでも、願望や希望に向かって、進み続けたい。進み続けるための力が欲しい。
 はたての歌声には、そういう、あたしの気持ちを揺さぶってくれて、奮い立たせてくれるものが、ある。

      心に力がみなぎってくるような、この感じは、なんて呼ぶんだっけ?
      この感じ、この感じが、あたしが求めてた、あたしのサウンド。
      そうだよ、これ……。やっぱ、これなんだ。
 

 体が震えるのを感じたよ。
 感激とか、感動だったかもしんない。
 だけど、それ以上に興奮してたね。
 あたしは夢中で演奏した。
 はたての声を夢中で聴きながら。はたての気持ちよさそうな顔を夢中で見ながらね。夢中で演奏した。
 んで。
 気付いたら、一曲やり終わってた。 

 拍手の嵐。だったよ。
 あたしたちの周りには、いつの間にか大観衆。一重二重どころじゃない人垣。
 黒山の人だかりってレベルも超えて、黒山特盛りどんぶり状態。
 飛び交うおひねりは、ギターケースの中に収まりきれず、ベースケースの中にも収まりきらず、あふれ出て、足下にどんどん積み重なっていく。

 おいおい、なんだよこりゃ。
 どうしてこうなった。
 いや、どうしたもこうしたも、ないだろう。
 はたての歌が素晴らしかっただけだ。
 あたしの曲の中に眠ってた、あたしの探してたサウンドを、掘り起こしてくれちゃったんだよ。
 っていうか、はたて、お前……もうしかして、天才とか、そういうんじゃないよな?

「どうリリカ。これが私の実力ってもんよ?」
 うわ、清々しいくらいドヤってやがるはたてさん。
 でもね、だけどね。
はたてのドヤ顔見てたらさ。
 なんか、すげー、脱力感が来たよ。
 
 こんなしょーもない奴に才能あるのに、なんで、あたしには無いんだ? 
 あたしの百年以上の努力って……。ほんと、なんだったんだ?
 これ、ちょっと馬鹿らしすぎるだろう?
 はたてより才能ないとか、リリカって奴はいったいなんなんだよ?
 そんなの、決まってるじゃないか。
 あたしは……百年以上やってたバンドで足ひっぱってた痛い子で、友だち一人も居なくて、彼氏もいなくて、財産らしい財産も蓄えず、好きな音楽やって騒いで生きてきただけの奴だ。

      その音楽ですら、あたしは無職のひきこもり天狗以下の、どーしようもないド底辺騒霊ってことだよ。

 おいおい、あたしの人生どーなってんだよ?
 なんか間違ってるよ。超間違ってる。
 どうにか、間違ってるのを直さなきゃいけないだろ。
 幸いさ。目の前に、ヒントあるじゃん。このド底辺から這い上がる道があるじゃん。
 悔しいし、むかつくけど、はたてが見せてくれたサウンド。
 こいつを、あたしのモノにしなきゃいけない。
 それが、這い上がるための道だ。
 まずは、認めよう。はたてをすげー奴だって、認めてやろう。 

「はたて。お前、すごいよ。ほんと」
 はたては、あたしが素直に褒めるのが意外だというように目を丸くしたね。
 それで、はたてはドヤってたのが冷静になっちゃったのか。大観衆をキョロキョロ見回して、自分が置かれた状況を客観的に見ちゃったんだろう。
 いきなり素人がこれだけのオーディエンスの前で歌うなんて、緊張しないわけがない。

「え、そ、そうなのかな?」
 急にはたてってば、縮こまっちゃった。緊張というより、おどおどするみたいに。あたしに乗せられて歌わされたのを、後悔してるみたいな感じだ。
「どうしたんだよ。もっと威張ってもいいぞ、はたて」
「わ、私、何やっちゃってんだろ。こんな大勢の人の前で歌うなんて、あは、あはは。恥ずかしってレベルじゃないよねこれ」
 はたてのマイクを持つ手が震えてる。

「いまさら、なに言ってんだよお前。すんごいノリノリだったじゃん。最高のパフォーマンスだったよ」
「そ、それは、リリカの口車に乗せられたから。なんで私がこんな事しなきゃ……」
「んな細かい事いーから、次ぎの曲やろ。お前見直したよ。凄い奴だよ。そうだ、二人でバンド作ろうよ。はたての歌に、あたしが這い上がるための道があるんだよ!」
 観客からの声援が、いよいよ熱を帯び始めてる。
 高まりきった場の一体感が、あたしたちに焦点を合わせて向けられている。
 みんな、次ぎの音楽を求めてる。
 だけど、はたて、顔が真っ青。
「む、無理。バンドなんか無理に決まってるでしょ。私みたいな奴なんかに出来るわけないじゃん。ていうか、こんな目立つ事やってたら不味いのよ。ごめん先帰る!」
 
「あ」と言う間も無かった。
 はたて、ドヒュン、と風を渦巻かせて、ぶっ飛んでっちゃった。
「おーい、はたてー。一緒に世界獲ろうよー!」
 追いかけるか? 無茶言うな、相手は最速種族。
 それにどうせ、あいつが帰る場所なんかボロアパートしかないんだし。
 とにかく、ついに見つけたぞ、目指すべきサウンドの手がかりを!
 はたてをバンドに引きずり込んで、一緒にやってけば、きっとあたしのゴールが見えてくるはずだ。
 そこへ到達すれば、ぜってー姉貴野郎どもを超えられる。


           ↓


 はたてを説得するためにアパートへ飛んだ。
 たぶんもう、あいつは部屋に帰ってるだろう。
 そして、あたしがボロアパートの前に着陸したらだったよ。

 なんか、階段に誰か座ってた。

 背広の男。タバコ吸ってた。あたしら以外の入居者は、いないはずなのにだ。
 背広だけど、まともなリーマンって風情じゃない。
 さすがに糞暑いから上着を脱いでるのは普通だとしても、よれよれのYシャツは裾出してるし、腕まくり、首元のボタンを二個くらい開けてて、ネクタイはゆるゆる。
 目付きもどことなく底辺チンピラっぽい雰囲気。あたしの事、じーっと見てる。
 良く見れば天狗だ。白狼天狗だかっていう種類。真っ白な髪の毛から犬耳がぴょこんと出てる。
 な、なんだろ、変質者じゃないだろうな。
 目合わせないようにスルーしよ……。
 ってな感じで、階段を上がろうと、そいつの横をすり抜けようとしたんだけど。

「よお」
 声掛けてきやがったよ。
「探してんだ。あんたが、姫海棠はたてと、ここに入居したっていう、リリカ・プリズムリバーだな?」
 なんだこいつ。天狗なだけに、はたての知り合い……?

「ああ、そうだよ。あたしがリリカだ文句あるか。つーか、チンピラっぽいお前こそ誰だよ」
「チンピラとはご挨拶ってもんだが。まあ、当たらずとも遠からずか。俺は借金取り代行って奴さ」
 そう言って名刺を差し出して来た。
 こんな名刺だった↓

   ××興信所 
   取締役 ××○○○
   債務取り立て代行 浮気調査 
   その他、人捜しなどのご用命はこちらへ

 興信所の取締役、要するに私立探偵ってことらしい。
 そういや、はたての奴、なんで夜逃げしてきたっぽい感じだったのか疑問だったけど。
 なるほど妖怪の山で借金作りまくったのか。
 しっかし、なんで夜逃げしなきゃいけないほど、借金したんだろ?
 その前に何この××○○○って、名前なの? 伏せ字? 偽名? ハンドルネーム?
「つーか何、この××○○○って、記号内に、好きな名前を脳内で入力して呼べばいいの?」

 ××○○○は肩を竦めた。
「残念ながら、そいつが本名だ。天狗の文化じゃ、記号を名詞として使う事は良くある。『文々。新聞』みたいにな。
けど、好きな名前を入力したいなら構わない。きっと感情移入度も高まる。お勧めだ」
「悲惨な名前だな。で、あたしを探してたっつーけど、用があるのは、はたてだろ?」

 ××は首を振った。
「本人に会ってもしょうがないんだ。姫海棠の財産は、自宅の土地まで差し押さえられてる。もう一円だって払えないさ。となると、わかんだろ?
こういうケースで興信所に回ってくる仕事ってのは、債務者の代わりに金を払うような親類や友人を探す事だ」

「別にあたしは、はたての友だちってわけじゃ――こんな所に来るより、妖怪の山探せよ。あいつにだって、親兄弟とか……」は、もしかしなくても居ないのか?
 誰か頼れる相手が一人でもいるなら、段ボールハウスしてるわけないよね……。

「姫海棠の肉親・親類縁者は大結界騒動で全員死んでる。まあ珍しい事じゃない。あの時には、山の天狗がいっぱい死んだ。
そして、恋人も居ない。散々調べ回ったが、友人らしい友人も居なかった。こういう場合はだな」
 ××○○○は階段の上に携帯電話を置いた。
「こいつで依頼主の、ちょっくらダーティな貸し金業者に連絡しなきゃならんわけだ。取り立ては絶望的だが、本人の居場所は判明したとな。
すると山から、業者の天狗が二三人やってきて、アパートのドアを蹴破って、はたて嬢を哀れにも、ふん縛っちまうだろう。
その後は、良くて非合法風俗店にでも売られてタコ部屋人生ってとこか。悪けりゃ……まあ、想像しないのが吉ってもんだ。明日から食う飯が不味くなること請け合いだからな」
 タバコの煙を、ふうっと勢いよく吹きだして、××が吸い殻を投げ捨てた。
「そういうわけで、明日から俺が食う飯が不味くなるかどうかの最後の希望が、あんたってわけだ。交友関係ゼロだった姫海棠と、一緒に暮らそうとしてる奴がいたのは驚いた。
だがもっと驚いたのは、雲隠れしてなきゃいけない本人が、堂々と広場で歌ってた事だ。さっきの路上ライブ、なかなか良かった。おかげで探す手間が省けたしな」

 なんだよ……はたて、お前こんなヤバイ状況だったのかよ。
 橋の下なんかに隠れてたら、すぐ見つかっちゃっただろうに。かといって窮屈な幻想郷、街以外のどこもかしこも妖怪の縄張りになってるから、身寄りの無い天狗が身を隠せる場所なんてあるわけない。
 借金取りに見つかったらタコ部屋風俗店人生、まだ一度も彼氏が出来たことすらないのにそれとか、どんだけ悲惨なんだお前。
 なんだよ。むかつく“はたて野郎”だと思ってたけど、なんか結構、可哀想になってきちゃったじゃんかよ。
 洒落なってねえぞこれ、おい、はたて、どうすんだよ。
 お前、ガクブルで橋の下で暮らしてたんだろうな……。
 そりゃ、必死になって、あたしにたかって、隠れ場所を確保しようとしてたわけだよな。
 なのになんで、路上ライブとかやっちゃってんだ、お前はマジで馬鹿か。アパートに隠れてれば良かったのに。
って、そうじゃん。あいつをおだて上げて歌わせたのは、あたしだよ。
 ああ、もう、あの馬鹿、おだてられたくらいで何やってんだよマジ馬鹿、馬鹿、馬鹿!
 超馬鹿じゃねーか!

「だが」
 と、××が溜め息を吐いた。
「姫海棠と、あんたがどういう関係かは知らないが。その様子じゃ、人生狂わすくらいの大金払ってやるような義理は、たぶんありはしないだろう。
こうして一応あんたを待ってたのも、儀式みたいなもんさ。やれることを全部やったあとなら、俺の飯が不味くなる期間が、二週間から一週間ほどには短縮される。
あんたも今回の事は早く忘れちまうといい。世の中の98%は糞な物事で出来てるんだ。これも、ただの、良くあることだ」

 ××○○○が携帯電話を手に取った。
 そして、リダイアルボタンに親指を置いた。あれが押されて、怖い天狗連中が来たら――
 ――はたての人生が終わる。
 はたての人生が、あたしの目の前で終わろうとしてる。
 どうすりゃいい。
 どうすりゃいいんだよ。
 どうすりゃいいって、そんなん決まってるだろ。
 はたては、あたしとバンドやんなきゃならないんだ。
 連れて行かれてたまるかよ。
 それに、はたてがどんな理由で借金したのか知らないけど、これから先で一生タコ部屋なんて、いくらなんでも、あいつ、可哀想すぎるだろ。
  
「残りの2%――」
 って、あたしは思わず言ってたね。
「残り2%の奴を、なめんなコラ。あたしは糞じゃないんだ!」
 さっき稼いだおひねりを全部、階段の前にぶちまけた。
「他人の不幸を飯のタネにしてるお前みたいなクズと、あたしを一緒にすんな。さっさと金持って、消えろ!」

「おいおい。金を粗末にするもんじゃない」
 散らばったお札やら硬貨を見て、××は苦笑いした。
「この金なんつう紙切のせいで、人生ジ・エンドになっちまう奴がごまんと居るんだ。おかげで俺みたいなクズ商売が食いっぱぐれなくて済むわけだが。
ちょいと残念なお知らせだ。こんな小銭じゃ足らねえよ」
 借用書のコピーが目の前に差し出された。
 それに書いてあった借金額は、十年間毎日プリン百個食べても、お釣りがくるんじゃねーかってくらいの数字。

「な、なんで、はたてって、こんなお金必要だったのさ……!」 
「新聞だよ」
「新、聞?」
「なんだあんた、本人から何も聞いてないのか?」
 あたしは頷いた。
「はたての事、なんも知らないよ。変な見栄ばっか張るしさ。あいつ、ほんとに新聞記者だったりするの?」

 ××はひどく納得したとばかりに、頷いた。
「そりゃ見栄も張りたくなるってもんだ。記者としちゃ四流だったみたいだからな。購読部数は最下位を争うレベルで赤字経営。それでも姫海棠は親の遺産を食いつぶながら新聞を続けてたんだ。
遺産が無くなったら、闇金に手を出してでもな。だがそんな無茶がいつまでも続くわけもない。一週間前に、ついに首が回らなくなった。それで奴は夜逃げしたというわけさ」

 あいつ必死で『新聞記者』って肩書きに拘ってたとは思ったけど、人生棒に振ってまでとか、どういう事だよ。
 新聞記者じゃなきゃ生きてる意味がないってわけでもないだろ。 
「ば、馬鹿じゃないのはたて……なんでそんな無茶苦茶な事してたんだよ?」
「あんたには、たぶん関係ない話だ。知らないでいた方が、ハッピーで居られる情報なんてのはいくらでもある。
姫海棠の問題をあんたが知っても、解決出来なければ、明日から食う飯が不味くなるだけだぞ」

「はたてを勝手に連れてかれたら困るんだよ」
 やっと、あたしの探してたサウンドのヒントを見つけたんだ。
 要らない子人生から這い上がるチャンスなんだよ。
「はたてが何か困ってるなら、あたしがどうにか出来るかも知れないなら……教えてくれよ」

「姫海棠が事情を話さないって事は、知られたくないってこったろう。誰だって他人に知られたら大きな傷になる事実の一つくらいある。だが、もし本当に――」
 ××○○○は、あたしへ値踏みするみたいな視線を向けてきた。
 それから足下に散らばったお金を見下ろして。
「――あんたが姫海棠の2%の奇蹟になるつもりならば、必要な痛みって事になる。
俺も仕事をスマートに片付けられるし、飯も不味くならないかもしれない。オーケーだ、奴について調べた事を教える」

 ××はタバコを勧めてきた。
 あたしは断ったよ。

「なんでもな、姫海棠の両親は業界じゃ名の知れた新聞記者だったらしいぜ。大結界騒動よりも前の事だから、覚えてる奴も少ないが、鴉天狗=新聞記者というイメージを創り上げたカリスマだったそうだ。
その一人娘のはたても、念写なんていう記者になるためのようなレア能力を持って生まれて来た。
当然、将来は両親と同じ道を期待されて、溺愛されて育てられたそうだ。はたても両親に憧れていた。理想的な子供時代って奴だな」

 でも新聞記者になるために生まれて来たようなものなのに、四流の新聞記者をやっていたんだろ?
 どっかの誰かに良く似てる。
 音楽やるしか能がない騒霊なのに、バンドで要らない子をやってた奴って、どこのどいつだったっけ?

「そんな姫海棠の人生が狂ったのは大結界騒動だ。奴の両親は妖怪の抗争を取材してる最中に殺されちまう。『カリスマ姫海棠』の名だけが残され、それをガキンチョのはたてが一人で継いで、背負わされた。
周りの業界人がはたてを持ち上げ、あれやこれやと両親の事件の特集記事を書かせようとするが。親がぶっ殺されたばかりの傷心の子供に何が書ける? 酷な話しさ。
それでも、はたては弔いの意味も込めて、どうにか書くには書いたらしいが、パッとしなかったそうだ。まあ、控えめに言って、親と同じ才能があるわけじゃなかった。凡人だったんだよ」

 はたてがその時、感じていた絶望感が、良く判る気がする。
 何が何でも、周りのからの期待に応えたかったはずだ。
 応えられなきゃいけないと信じていたに違いない。 
 だけどきっと、そこで思い知らされたのは、憧れていた相手と、自分との間にある圧倒的な距離感。
 自分がどんなにがんばっても、いっこうに目標に届かない、届く気配がない焦燥感。
 はたてが、『私は新聞記者なの!』と言い張ってる時の顔は、とても悲痛で必死なものだった。
 たぶん昨日、あたしも、『姉さんたちと対等に扱われたくて、百年以上がんばってきたんだ!』と叫んだ時には、同じ顔をしてたに違いない。
  
「その事をきっかけに、はたてを取り巻いてた業界の連中も、失望して離れてったそうだ。奴は一人ぼっちになった。
恐怖だったろうな。他人が期待するカリスマじゃない自分には誰も興味を示してくれない。
両親ですら、あいつに期待してたのは、カリスマとしての我が子なんだ。だから、はたては信じるしかなかったんだろう。
自分もいつか立派な記者に成れるはずだ。そうして一人で新聞を書き続けたが――」

 あたしがプリズムリバー楽団の中で、『要る子』だと信じたくて、あがいてきたように。
 はたても、きっと、ずっと、あがいてきたんだ。
 それでも四流にしか成れないのが、どれだけ悔しかっただろう。

「――結局は、夜逃げするしかない、自分の才能の限界に巡りあっちまったってわけだ」
 
 そうかよ、はたて。
 馬鹿で、むかつく奴、だと思ってたけど、そう思うのも今から止めるよ。
 そりゃ他人から見れば、ただの無茶した馬鹿な奴かも知れないけど、あたしは絶対、そう言わない。
 お前は、あたしと一緒だよ。何もかも一緒だよ。
 お互い、スゲーダメな奴同士だけどさ。こっから這い上がって行くことだって出来るはずだよ。
 あたしは、お前の中に、あたしのサウンド、見つけたんだよ。
 一緒にバンド出来たら、きっと、良いとこまで行けそうな気がするんだ。
 それで……もし、はたてが見せてくれたサウンドで、あたしがビッグになれたらさ。
 あたしが、お前の新聞のスポンサーになってやるよ。どんだけ赤字になっても、お前がカリスマになれるまで、いくらでも金なんて出してやる。
 だから。だから。
 どうにか、お前の事、助けてやれないかな。
 
「あたしが代わりに払うよ」
「そうかい。だが、払えるのか?」
「今日から、はたてとバンド組んで、それで将来ビッグになったら――」
「おいおい、期限は今日までだ。未来の話しをするなら、せめて十二時間以内の事にしてくれ」
 今すぐ、プリン百個十年分の大金作れなんて、いくらなんでも無茶だ。
 いや、でも一つだけ方法があるかも知れない。
 ほら、はたて野郎が言ってたじゃんか。
『もう、こうなったら、あんたの楽器売っちゃいなさいよ。そういうのってすごく高い物なんでしょ』


           ↓


 香霖堂行った。
 この店とは何度も、外の世界から流れてくる楽器を売って貰った付き合いがあったからだ。

「こいつら全部、買ってやってくれよ霖之助」って、あたしは言った。
 そしたら、霖之助はカウンターの椅子にふんぞり返って本読んでたくせに、びっくりしたみたいに、ずり落ちてた。
んで、あたしの事を、『気が狂ったんじゃないかこいつ』みたいな目で見てた。

 そして、あたしの後ろでは、宙にふわふわ浮いた相棒たちが、悲しそうな音を出して嘆いてた。
 ごめんよ。相棒ども。
 あたしだってお別れなんかしたくない。
 だけど、今すぐ助けなきゃいけない奴がいるんだよ。わかってくれよ。いつかきっと、買い戻してやるから。頼むよ。

「確かに君の使い込んだ楽器たちは」
 と、霖之助は言った。
「道具蒐集家として喉から手が出るほど欲しいよ。楽器の霊体自体が、そう見つかるものじゃないし。
騒霊が使い込んで、霊力の干渉に馴染んだ物なら、別格の価値がある。だけど……いったい急にどうしたんだ?」

「理由は聞くなよ。お前、ずっと前から、あたしのキーボードとか、どういう原理で鳴るんだろうって調べたがってたじゃないか。売ってやるっつってんだよ。黙って金出せ」
 キーボード、カウンターの上に置いた。
 すると相棒はやっぱり悲しそうな和音を出した。
 途端に霖之助、目を輝かせて、キーボードを撫で回し始めやがった。
 こいつは珍しい道具と見ると、まるでガキに戻るんだ。一度欲しいと思った物なら、損得勘定や倫理観を全部吹っ飛ばして、他人を騙してでも手に入れようとする奴だ。

「いいのかリリカ、本当に?」
「良いわけないだろ。でも買ってくれって言ってんだ」 
 金額をメモした紙を、霖之助の目の前に置いた。
「高すぎる」って霖之助は言った。
「買わないのか?」って、あたしは言った。
「馬鹿言うな。こんな物、二度と手に入らない、買わなきゃ一生後悔する。だがこれだけの金は持ってない。恩師から借りてくるから待っててくれないか」

 霖之助は走って店を出てった。
 あたしは待ってる間、カウンターの上に座って、相棒たちにずっと謝ってた。
 ごめんね。すまない。許してくれ。ってね。
 相棒たちはひたすら悲しむだけで、あたしに文句は言わなかった。
 それが、余計に悲しかったよ。

 霖之助はすぐに戻って来た。両手に抱えたボストンバッグいっぱいの札束と一緒にだ。
 あいつが修行時代に働いてた街一番の万屋(デパート)の隠居に、フライング土下座して借りてきたそうだ。

 あたしは、その二つのボストンバッグを受け取って、店を出ようドアを開けた。
 そしたら。
 相棒たちが一斉に、泣きわめくような音を出した。
 あたしの両目から、勝手に涙がポロポロ出やがった。
「うっさい、泣くなよお前ら!」
 って、あたしは叫んだ。
「ちょっとそこで待っててくれよ。きっと、ビッグになって、お前ら全部、買い直してやるから……。おい、聞いとけよ霖之助。相棒たちに変なことしたら、お前にルナサ投げつけてやるからな。
あいつのソロバイオリンを強制的に聞かせて、鬱にして自殺させちゃうから。じゃあね!」

 店の外に出て、ドアを思いっきり閉めた。
 ××○○○が居た。店の前のベンチに座って、タバコ吹かしてた。
 その顔面めがけて、あたしはボストンバッグ二つとも、投げつけてやった。

「金は粗末にするなっつったろ」
 ××はボストンバッグを、けったいそうに眺めて言った。
「これで良いんだろ借金取り」
「ああ。すぐに本人へ完済証明書を届ける」
「それ届けたら、もう、はたての周りうろついたりするなよ!」
「2%のあんたが、どんな音楽をこれから先でやるのか、ちょっくら興味があったんだ。ライブでも聴きに行こうかと思ってたんだがな」
「お前みたいなクズに聴かせる音楽なんざ、あたしは演ってないんだ」
「そいつは残念だ。じゃあ、まあ、応援くらいはさせといてくれ」
 ××はバッグを抱えて飛び立った。
 あたしは、その飛び去る背中へ、石を全力で投げつけた。


           ↓


 ボロアパートに帰った。
 途中のコンビニで買ったはたての分の弁当と、自分用のプリンを持ってだ。
 そして、部屋に入る前、玄関扉を目の前にして考えた。
 プライドだけは高いはたてのことだ。借金の事で、あたしが恩着せがましくしたら、どうせ馬鹿みたいに反発してくるに決まってる。
 あいつにヴォーカルやらせるために、説得しなきゃいけないんだからな。
 ここは一つ、今回のゴタゴタは最初から無かった事のように、サラッと流し気味に接してやろう。
 あいつが見栄張ったり、威張ったり、我が儘言ったって、まあ、いっぱいいっぱいな奴だと思えば、可愛く見えてくるかもしれないしね。

「たっだいまー、飯買ってきてやったぞー」
 ガチャって扉開けて、出来るだけ脳天気な声で言ってみた。
 そしたら、部屋の中には、はたて居なかった。
 代わりにテーブルの上に、置き手紙があった。
 まるっこい文字で、こんなのが書いてあった↓


──────────────────────────────────────────────────

 さっき借金取りが来て、完済証明書を置いていきました。
 リリカが代わりに払ってくれたと聞きました。
 いったいどうやって払ったのか訊いたけど、「本人から聞け」とだけ言われました。
 きっと、すごくすごく迷惑を掛けてしまったのだと思います。

 何故、払ってくれたのかも訊いたけど、やっぱり「本人から聞け」としか言われませんでした。
 たぶん、私の身の上話でも聞かされて、リリカは世間知らずの馬鹿だから、同情でもしちゃったんだと思います。それ以外、考えられないでしょ?
 あれだけのお金を、出会ったばかりの他人のために払うなんて、普通の馬鹿じゃ出来ないもん。 
 でもね。もうちょっと賢くなったほうがいいよ。借金取りがどんな事を話したか知らないけど、全部嘘だよ。
 リリカにお金を払わせるための作り話なの。借金取りは、それが仕事なんだもん。
 わかったお馬鹿さん? もうちょっと世の中ってものを勉強しなさいよね。

 ――みたいな事を、面と向かってあんたに言って、誤魔化せれば良かったんだけどね。
 もう色々、疲れちゃったよ。

 借金が消えた。じゃあこれから、何すればいい? ってさっき考えたんだ。
 そしたらさ。またこれまでみたいな繰り返しか、って思ったらね。
 何をやってもダメだろうって気付いちゃったんだ。
 また、苦しむだけだろう、惨めな思いをするだけだろう、って。
 だから、もう、何もしたくないんだ。
 
 あのね。リリカに合わせる顔なんてないんだよ。
 たぶん、私について、借金取りが言っただろう事は全部、本当の事だと思うから。
 色々ごめんね。
 こんな手紙じゃなくて、ありがとうって、リリカに頭さげて、借金が無くなった事を喜べばいいんだろうけど。
 悪いと思うけど。だって、私って、恥ずかしすぎる奴でしょ?
 
 だからせめて、正直に、謝ります。
 カメラ壊されたことで因縁付けちゃってたけど、私はもう新聞記者じゃなかった。カメラなんかあっても、なんの役にも立たなかった。
 本当はね。一週間前に、夜逃げした時点で、私の人生はゲームオーバーになってたんだよ。
 リリカと出会ったあの時、川で体洗うために服を脱ぎながら、このまま溺れて死んじゃったりしようかなって、本気で思ってたんだ。
 新聞を再開する目処なんて立てようがなかったし、借金取りに見つかったら、死ぬより辛い将来が待ってるだろうってね。
 だけど、何か奇蹟が起きて逆転出来るんじゃないかとも考えてた。馬鹿みたいだよね。
 そんな時にリリカが降って来たんだよ。
 もしかしたら、これが奇蹟で、チャンスかもって思っちゃったんだ。
 もうちょっと、死ぬ前に様子みようかなって思った。
 様子みとはいえ生きるためには、恥ずかしい自分じゃ嫌でしょ。だから見栄張っちゃった。嘘付いちゃった。

 私は。
 彼氏が五十人いるどころか、まともに男の子と遊んだ事すらないし。クラブだって一回も行ったことない。
 友だちも一人も居ない。音楽だって詳しくないし。カラオケで歌えるのはプリズムリバーの曲くらいです。
 だから私がする遊びなんて、友だち百人とオールどころか、一人カラオケルームでオールだけだよ。
 寂しい時とか、良くそうやって一人で歌ってました。
 要するに、ほぼ毎日ってことだけどね。毎日、寂しかったよ。いっぱい寂しかったよ。
 だから毎日、リリカの曲を歌ってたって事になるのかな。いっぱい。本当にいっぱいね。

 リリカの曲を歌うとね。新聞大会で最下位になった時でも、勇気みたいなのが出てきたんだ。
 もう新聞なんか止めちゃおうって、挫けそうになっても、もっとがんばろうっていう気になれたんだよ。
 なんていうのかな。『私のために書かれた曲』みたいな気がしちゃってたんだ。
 それがどうしてなのか、リリカ本人と数時間だけでも一緒に居て、わかった気がするよ。

 リリカは不本意だろうけど、「あ、こいつ、私と同じだ」って思ったんだ。
 なんか冴えないチンチクリンの奴で、無職で、バンドで要らない子だったくせに、夢ばっかり大口叩いて。
 でも私と違う部分もあった。
 リリカはズボラで、うるさくて、世間知らずの馬鹿なくせに、やっぱり夢ばっかり大口叩いて。
 だけど、そういう奴の書いた曲から、ずっと私は力を分けてもらってたんだよね。
 他人に力を与えるのって、ただ馬鹿なだけじゃ出来ない事だよ。
 自分の夢を信じる心の強さと、それに向かって努力出来る自分を信じる、自信がなきゃダメなんだ。

 それって、勇気、って言うんじゃないかな。

 リリカが探してた、あんただけのサウンド、それ、たぶん『勇気』なんだよ。
 リリカが今まで曲に込めてきてたものって、『勇気』なんだよ。
 私がリリカの書いた曲を歌うのが好きだったのは、『勇気』が欲しかったからなんだよ。

 どうして、私がそれを見つけられたのに、リリカ本人や、リリカのお姉さんたちが見つけられなかったのか、私の勝手な想像だけど。
 リリカのお姉さんたちはきっと、勇気なんて必要ないくらい才能がある人たちだからだと思うよ。
 リリカにとっては、当たり前の事すぎるから、見落としちゃってるのかも知れないね。
 幻想郷一有名なバンドを飛び出して、「一人でビッグになる!」って言ってるのって。普通じゃ考えられないくらい、無謀な事だもん。
 98%の人はそんな美味しい生活捨てる気しないよ。
 だけどね。そういう行動に、私はとても勇気を感じるんだよ。
 
 借金返済の恩返しとしては、足りないかもしれないけど、あんたの捜し物、代わりに見つけてあげられたかな?
 あんたなら、自分のサウンドさえ意識出来るようになれば、きっとビッグになれるよ。 

 だけど、私の方はもうダメだ。
 一緒にバンドやろうって言ってくれたのは、嬉しかったよ。
 他人から、自分の才能を褒められたのは、たぶん人生初だったから。
 でも新聞記者以外として生きるつもりもない。
 リリカならわかるでしょ?
 リリカがもし音楽以外の事をして生きていかなければならなかったら、それは死ぬのと同じ事だよ。
 だけど、私には記者をやるための実力が、絶望的にない。

 これまで、新聞を書いても書いても、他人から落胆されたり、見下されるだけだった。
 これまで、ずっと、ずっと、惨めじゃない事なんて一つもなかった。
 なら。
 この先の人生で何が出来るっていうの?
また新聞を再開して。大会で最下位になって、みんなから笑われればいいの?
 発行しても発行しても赤字になって、また借金すればいいの?
 そして、また夜逃げして、橋の下に逃げて、川のお風呂に入ってるとこを、近所の子供から覗かれたり、野次られたりすればいいの?
 また、どっかの知らない誰かに、同情されて、大切な物を売らせて、借金払わせて、ダサくてダメな奴だと思われればいいの?

 もうそんな繰り返しは嫌だよ。苦しいよ。虚しいよ。悲しいよ。
 こんな人生、生きていたくない。
 一週間、引き延ばしてきたゲームオーバー、今からきっちり終わらせてくるよ。
 
 PS:部屋の家具は好きに使っていいよ。ぬいぐるみは大切にしてあげてね。全部あげる。   

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 なんだよ……これ?
 まさか、ガチで死んだりするつもりじゃないだろうな。
 つーかこれって、あたしが、はたてを追い詰めちゃったの?
 なんでだよ……お前を助けたかったのに。
 なんでこうなるんだよ。馬鹿かよ、馬鹿すぎるよ。こんなん、やめてくれよ。
 完済証明書なんか届けられても、丸めてゴミ箱に捨てちゃえば良かったじゃん。
 んで、あたしが昼飯買って戻ってくるの、シラッと待ってたりしろよ。
 んで、『こんな安っぽいコンビニ飯なんか嫌よ。せめてファミレスに連れて行きなさいよね。この役立たずの奴隷が!』とかアホなこと言ってれば良かったじゃん。

 おい、はたて野郎。今、どこに居んだ。
 ちょっと待ってろよ、あたしが行くから。とりあえず、それまで待ってろ!

           ↓

 アパート飛び出してみたはいいけど、はたてがどこ行ったなんて、まるで検討が付かない。
 とりあえず、町外れの橋に来てみた。最初に出会った場所だ。
 段ボールハウスがそのまま残ってる。中から物音が聞こえた。
 はたてが居るのか――。
 ――と思ったら、出て来たのは、人間のガキンチョどもが三人。
「ぜんぜん居ねーじゃん、おっぱい丸出しの天狗の女、ほんとに居たのかよ」少年Aがぼやいて。
「居たんだよ昨日までは。川で体洗ってるの見たよ。顔も結構可愛いし、おっぱい丸出しで」と少年Bが答えた。
「すげーじゃん。もっと探そうぜ。おっぱい丸出しで川入ってるかも知れないしよ」と少年Cが鼻息を荒くした。

 ここに居るわけない。
 こんな惨めな場所で人生終わらせたいなんて、きっと思わない。
 じゃあ、どこ?
 あいつが人生終わらせるのに相応しいと思ってる場所はどこだよ?
 わかんねえって。今日、出会ったばっかりだもん。はたての事なんて全然知らない。
 そうだ。部屋に何か、手がかりになるもの、残されてないかな?

           ↓

 アパートに戻って、部屋中ひっくりかえして、手がかりになりそうなもん探したけど、何もなかった。
 やけくそになって自分のスカートのポケットまでひっくり返してみたけど。一枚のカードがヒラヒラと床に落ちただけ。
 名刺だった。

   ××興信所 
   代表取締役 ××○○○
   債務取り立て代行 浮気調査 
   その他、人捜しなどのご用命はこちらへ

           ↓

 名刺握り締めてアパートの廊下走ってた。
 んで漆喰の壁に据え付けられてる黒ダイヤル公衆電話に、十円玉ぶち込んでた。三枚くらいだ。 
 死にものぐるいで名刺に書いてあった番号のダイヤル回した。千切れるんじゃねえのかって勢いで。 
 あのクズに頼るなんて死んでも嫌だけど、他にはたての事を知ってそうな知り合いが、いない。

 呼び出し音が三回鳴ったとこで繫がった。
《××興信所だ》受話器から××の声が聞こえてきた。《誰だ? 新聞の勧誘や保険のセールスなら間に合ってる。
その他の要件なら、さっさと三秒以内に短くまとめて言ってくれ。昼飯の真っ最中なんだ》
「あたしだよ」
《おいおい。『あたし』と名乗る奴の心辺り思い出す時間で、俺の飲みかけのビールが温くなってって、
サンドウィッチはパサパサに乾燥し、電話代も嵩む。正確に名乗れよ。なあリリカ、そう思うだろ?》
「はたてが遺書残して、どっか行っちゃったんだよ」

 ××の深い溜め息が聞こえた。
《妖怪の山359丁目・1番地の1だ》
「え?」

《たまにあるんだ、こういうのはな。統計的に自殺志願者ってのは、生まれ育った場所で死にたがる。奴が一週間前まで住んでた実家の住所だよ。
今から俺が見に行ってやる。あんたは妖怪の山に向かって飛べ。知り合いの哨戒天狗に、チビの騒霊を見つけたら、そこに案内するよう連絡しといてやる》
「あ、ありがとう。お、お前ってさ」
《なんだ、お喋りしてる時間はないぞ》
「あんま悪い奴でもないんだな」
 しょうもなさそうに××は鼻で笑った。
《ただでも不味い飯を、さらに不味くされちゃ敵わないからな。単なる消費者生活の工夫って奴さ》

           ↓

 アパートから離陸して、山の方へ飛び出してすぐだ。哨戒天狗があたしを見つけてくれた。奴らはやたらに目が良い。
 そして先導されて飛んでる途中で、真っ黒い入道雲が空を覆ってるのに気付いた。
 ゴロゴロと雷鳴が鳴っていて、今にも大粒の雨が降ってきそうだと思っていたら、あっさり降り出した。

 ざんざん降りで空が雨粒で煙る中、案内されたのは、妖怪の山の南側。ほとんど平らな斜面の、白樺の林が途切れたあたり。見晴らしの良い草地に、洋風の家がぽつんと一軒。
 それを、案内役の天狗が指さして、「あれが359丁目1番地の1だ。では仕事に戻る」と彼は帰って行った。

 家からちょっと離れた場所の切り株に、××がびしょ濡れで腰掛けてるのが見えた。
 そこへあたしは全速力で飛んでった。速度を出しすぎて、着地しようとして、思いっきりずっこけて、ごろごろ転がった。ずぶ濡れ、泥だらけ。
「おい××。はたては?」
 ××が家の方へ顎をしゃくって見せた。
 はたてが、居た。
 家の玄関先に座り込んでる。うなだれてだ。

 あたしはダッシュした。何度か転びながら、はたてのすぐ側まで、がむしゃらに走った。

「中に入れなかったんだよ」
 と、はたては、うなだれたまま言った。泣いてるように見えるけど、酷い雨のせいで、涙なのか、ただの雨粒なのかはわからない。
「家の中で死のうと思ったんだよ。だけど、ほんとなら、死ぬなら、どこでも良いはずだよね。私、またゲームオーバーを引き延ばしちゃってるよ……」

 家の玄関には防犯用の結界、それとなんか、紙、張られてた。
『売約済み』って大きく書いてあった。
 その無機質で角張った文字が、とっても品の良い作りの家に、似合ってなかった。
 きっと子供の頃のはたては、この小綺麗な家で、小綺麗な両親から、小綺麗な服なんかを着せられたりして、ちょっとしたお嬢様として、大切に大切に育てられたんだろう。
 
「勝手に一人でゲームオーバーだとか決めるなよ」と、あたしは言った。
「無理だよ」と、はたては答えた。「お金、どうやって払ってくれたの?」
「そんな細かい事どうでもいいだろ。あたしと、はたての人生をコンテニューする計画を聞いてくれよ。あたしはビッグミュージシャンになって、お前はカリスマ記者になるんだよ」
「私がカリスマになれるわけないでしょ。ねえ、楽器売ったんでしょ?」
「貸しただけだよ。すぐ取り戻す」

「ごめんねリリカ、本当にごめんね」
「素直に謝ったりするなよ。柄じゃないだろ」
「どうせもう、私が格好悪い奴だって全部ばらしちゃったんだもん。ねえ、私の事、超ダサいダメな奴だって思ってるでしょ?」

「うん、すげー思ってるよ」
「な、何それ、ちょ……ちょっとくらい、気つかってくれてもいいじゃん……。リリカだって、私とあんまダメさは変わんないじゃん」
「そうだよ。たぶんさ、あたしらって、あたしらよりずっと凄い奴らが、凄い事を成し遂げるのを、ずっと見上げて生きてくんだろうね。
でも、あたしらの上であぐらかいてる連中のケツに、噛み付くチャンスはある」

「そんなの、私はずーっと新聞でやってきた。挑戦し続けてきた。ずーっと負けるだけだったよ」
「次は噛みつけるかも知れないだろ。そりゃ、逆に蹴落とされる事もあるだろうけどさ。また次ぎがある」
「負け続けるのはもう嫌なの。私は一流新聞記者になるために生まれて来たの。リリカだって同じでしょ。
凄い音楽家の妹として生まれたんじゃないの。なのに……なんで、負けても平気みたいな事言ってるのよ!」

「はたてって、すげー大切に育てられたんだろうね。他人より優れてるのが当然、みたいに言われてたんでしょ。そういうのってさ。イヤミじゃなくて羨ましいよ。
 あたしなんか、姉貴どもを見上げることしか出来なかったもん。もう見上げすぎて首、痛くなっちゃったよ。生まれた時から、ずっと負け続けだよ。一度も勝ったことない」

「リリカはそれで悔しくないの、惨めじゃないの?」
「そりゃ悔しいよ。自分が要らない子だって分かったとき、逆切れしてマジ泣きしたよ。
でも、やっと、百年以上探してたものを今日みつけたんだよ。あたしが這い上がるためのサウンドを、お前が教えてくれたんだよ。
あたしの計画を聞いてよ。お前があたしとバンドやってくれれば、あたしはきっとビッグになれる。ビッグになったら、今度はお前に協力する番だ。新聞のスポンサーになるよ。はたてがカリスマになれるまで」

「リリカは……リリカはビッグになれるかもしれないけど、私は無理だよ!」
「だからって、はたてさ、ここで自分を殺しちゃったら、今のお前は四流新聞記者ですらないんだぞ。このまま終わっちゃって、いいのかよ」

「良いわけないじゃない……このままあの世に行ったら、お父さんとお母さんに言い訳出来ないよ。このまま、終わりたくないよ……終わりたくないけど……もう嫌なの。
新聞を書けば他人に馬鹿にされるだけだし、その間に他の天狗は、仕事で成功したり、友だちと遊んでたり、彼氏と結婚したりしてるの。
文々。新聞の射命丸って知ってるでしょ。私と同じくらいの底辺記者だったのに、今はもう結婚して、子供の写真が入った年賀状とか、毎年送って来るのよ。
なのに私は、私は彼氏どころか、友だち一人すらいなくて……正月から一人カラオケルームだし。こんな惨めな人生、意味ない!」

 はたて、顔を両手で覆って、肩を振るわせ始めた。
「一回くらいは新聞大会で優勝してみたいよ……。一度くらいは格好いい彼氏と付き合ってみたいよ……。一人くらいは友だちが欲しいよ!」

「それが、はたてのとりあえずのゴールなんだろ。新聞大会で優勝、彼氏、友だち。これがさ――」
 と、あたしは言った。
「――だったら、一緒にそこへ向かって、這い上がろうよ。二人なら出来るはずだよ」

「無理だから、もういいの!」
「無理じゃない。一気には無理だけど、最初の一歩くらいは出来るって、今すぐ証明してやるよ」
「証……明?」はたては首を傾げた。

「そうだよ。新聞大会で優勝したりは……すぐには無理な事だけどさ。彼氏くらいだったら、ちょっとがんばれば出来るだろ。お前、たぶん自分で思ってるより可愛いぞ。それに、友だちなら、友だちならさ――」
 あたしは、深呼吸した。
「――友だちになろうよ、はたて」

 はたて、あたしに顔向けた。何を言われたのか理解出来てないみたいな目をしてる。

「あたしさ。今まで、友だち欲しいなんて、考えたことなかったよ。でも……今日、どうしようもないドン底まで落ちてみてさ。どこに進めば良いかもわかんなくて、一人ぼっちだと思ってた。けど。
 あたしと同じように、一人でドン底を這いずってる奴を見つけた。お前だよ、はたて。あたしとお前、全部同じだ。お前は、あたしだよ。
だからお前が挫けたりするのは嫌だ。死ぬのを選んだりしてほしくない。お前が、這い上がるのを見てみたい。一緒に、這い上がりたい」

 はたて、真剣な顔であたしの言葉を聞いてる。瞬き一つせず。
 あたしは、呼吸を整えて、言葉を続けた。

「だから、だからさ、はたて。お前と友だちになりたいっつってんだよこの野郎! 
そりゃ……お前は、お前は、なんか妙に女子力高かったりするし、あたしみたいなズボラな奴なんか、嫌かも知れないけど。一回なってみろよ。絶対後悔させない、あたしは良い奴だぞ!」 

 はたては、答えにすごく迷って。
「リリカは、私みたいな、引き籠もりのダサい天狗が友だちで、ほんとにいいの?」
 自信なさげに言ってきた。

「いいに決まってるだろこの野郎!」
 あたしは頷いたよ。全力で。

 はたて、途端に、くしゃくしゃの泣き顔になった。涙は、まだ流れてない。そして、すんごい勢いで頷いたよ。
 そして。
「いいよ、リリカ、友だちに、なろう」

 あたしは、もう一回、頷いた。
「ほらね、はたて。お前の目標ひとつ、これでクリアだ。証明、出来ちゃったじゃん。ダメな奴同士だけどさ。二人なら、出来る事だってあるよ」

 はたて、もう一度、激しく頷いた。ブンッて音が鳴るくらい。
「だけど、ほんとに、這い上がれるかな?」

「もしまた、はたてがさ」
 と、あたしは言った。
「這い上がる途中で、転がり落ちそうになっても。必ずあたしが引っ張り上げてやるよ。一人だったら、そのままドン底に真っ逆さまだ。
でも二人なら、そうやって助け合っていけばさ。失敗しても、ちょっとづつ上に進んで、いつかはゴールに行ける。
新聞大会で負けたり、男にふられたりしたら、酒でもかっくらいながら愚痴聞くよ。もし新聞大会で優勝出来たら記念コンサートやろう。
はたてが彼氏と結婚する事になったりしたら、結婚式でライブやってやるよ。んで、子供生まれたら、その子の写真の年賀状を、あたしに送りつけてドヤ顔すればいい」

 はたては、また頷いた。ブンッ、ブンッ、って激しく二回。
 その拍子に、はたての両目から涙が零れたのが見えたよ。
 はたては、あたしに抱きついて来た。ガバッと、思いっきり。あたしの泥だらけの胸に顔をすりつけてくる。
 あたしは抱き返した。とっても強くね。
 視界の端っこで、××が切り株から立ち上がるのが見えた。奴は、『これで飯が不味くならずに済んだ』みたいな顔で、一件落着とばかりにタバコを咥えたけど、びしょ濡れで火なんか付くわけがなく、そのまま離陸、飛び去ってった。
 
「とりあえずさ――」
 はたての肩に手を置いた。
「――友だちゲットして、目標一個達成できたし、ゴールまで10%くらいは近づいたんじゃん?」

 はたて、首振って否定。
「90%だよ」

 90%
 友だち一人出来たくらいで90%か。
 でも、あたしも百年以上生きてきて、こいつが初めての、友だち、なんだな。
「そっか」って、あたしは言った。「あたしも90%だ」
「うわっくしょい!」
 はたてがくしゃみした。体を冷やしすぎたらしい。鼻水と涙と泥で酷い顔すぎる。 
 思わずあたしは笑っちゃった。「さ、帰ろうよ。風呂沸かして、背中流してやる。そのあとで残り10%どうするか、相談しよう」


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