「ちょっとリリカ、なんでお昼ご飯がコンビニ豚カツ弁当なのよ。せめてデリバリー専門店の出前にしなさいよね。飲み物はどこ? まさか買い忘れたんじゃないでしょうね?」
アパートに帰った後の風呂上がりです。
四畳半で昼飯食いだしたと思ったら、はたて野郎はこれだよ。
友だち辞めたろーかまじで。って思ったね。
きっとこいつの彼氏になる奴は、恐ろしく苦労すんだろうな。結婚する奴なんか絶対いないだろこれ。
「飲み物なんか水でいいじゃん」ってあたしはプリン食いながら言い返してやったね。「井戸から汲んで来いよ」
「あんた馬鹿なの。せっかく一週間ぶりにお風呂入ったのに、雨で濡れるの嫌よ」
はあ、そーすか。でもね、とりあえず、『あんたが汲んで来なさいよ』みたいな目を当然のごとくこっち向けるのやめろ。今すぐやめろ。
「あたしだって、さっき一緒に風呂入って、泥落としたばっかなの忘れたんじゃないだろうなお前」
「まあ、いいわ。ここは公平にじゃんけんで決めましょう」
「どこが公平だ。飲み物欲しいのは、はたてだけだろ」
「水は汲み置きしておかなきゃ、あんたも不便でしょうが。ほら、じゃんけんぽん!」
はたて、パー出した。あたしは余裕のチョキだ。
WIN !
なんかこう、空気が固まったね。
んで。
はたては箸を持ち直して、何事も無かったかのように、弁当食うのを再開したね。
「おい、はたて野郎。ちゃんと水汲んで来いよ」
「そんな事より、大事な話があるのよ!」
はたて、掌でテーブルを、ばんって叩いたよ。
「なんだよ、いきなり。つーか、誤魔化すな、水汲んで来い」
「いいから話を聞きなさい。残りの10%どうやって這い上がるか。まずは、リリカの楽器、どう取り戻すか、これが最優先じゃないかしら」
とか言いながら、お前、豚カツにソースかけて美味そうに食ってるじゃないか。あんま大事な話してる気分になんねーんすが。
「そんなん、10%の内に入らないよ。ビッグになってビッグマネーをゲットすれば、いくらでも取り返せ――」
「あんた馬鹿なの。ビッグになるための商売道具を手放しちゃって、どうビッグになるつもりだったのよ。あの楽器がないと、能力を使った演奏が出来ないんじゃないの?」
あ……。
そういやあ……そうだよね。
うん。
どうするつもりだったんだろうなー、あたしは。
えっと、じゃあ、あの……。
「ま、まあ。能力が使えない普通の楽器でも、手で演奏出来ないわけじゃないから……」
「じゃあリリカは普通の楽器を使って、今までと同じくらいのレベルで演奏出来るの?」
「あ……いや、さすがにそれは、どうやっても無理だろうけど」
「あんた演奏技術なら幻想郷一とか言ってたけど、そのアドバンテージすら無くなっちゃったって事、よね?」
「あ……言われてみるとそうだね。つーか、手で演奏したこととか、遊びでしかねーわ。ぶっちゃけライブとかやる自信ねーわ」
はたての顔色が、こう、サーっと青くなったね。
「ほ、ほんとにリリカは、どうするつもりだったのよ!」
「あ、あははー、どーしようか……マジで」
それに、自分のサウンドが『勇気』だとか教えられても、いきなりそれが身について、姉さんたちが『躁』や『鬱』を自在に演奏するみたいに、扱えるようになったわけでもないしな……。
これからもっと練習が必要になるはずだ。
その練習をするのだって、手足を使わず演奏出来る能力の適応出来る楽器あってこそ。
やべえ、今更だけど、ガチで洒落にならない気がしてきた……。
あ、なんか、はたても割り箸咥えたまんま、青い顔でポカーンとしちゃってる。
「え……うそ、ほんとに、なんも考えてなかったのリリカは? 普通考えておくもんでしょうが……」
「いやー、だって色々必死だったんだもん、あははー」
「あははーって、バカかー! こ、今夜からのご飯どーすんのよ。普通の楽器すらないんだから、もう路上ライブですらお金稼げないじゃない。
私らの全財産、コンビニ袋の中のおつり、五百二十三円しかないのよもう!」
「そこらのぺんぺん草に、ソースでもかけて食ってみればいいじゃん。キャベツみたいな味すんじゃね?」
「リ゛リ゛ガー。もうあんた、パンツ売って来なさいよぉお。五千万枚くらい!」
はたてがテーブル飛び越えて、あたしのスカートの中に手突っ込んで来た。
あたしは、はたての顔面をギューギュー押し返したね。
「やめろこの変態はたて野郎。お前こそ、ソープでバイトしてきやがれ」
「うっさいわね。ホント、馬鹿よリリカ。私のためなんかに、こんな事しちゃって。後先考えなさいよね……」
はたて、あたしのパンツから、手、離した。
「しょ、しょーがないだろ。あん時は必死だったんだから。はたての事、マジで心配したんだよ」
言ってみたら。
はたては、照れくさそうにプイっと顔を逸らしちゃった。
「でもさ」って、あたしは続けた。「楽器なら、能力が適応出来ない奴だけど当てはあるから、路上ライブくらいなら、まあ、たぶん、どうにかなるよ。それに、はたてのヴォーカルもあるしさ」
はたてがこっちに顔を向け直してきた。心底、不可解そうな表情でだ。
んで、首を傾げて、「何言ってんのリリカ。私、バンドなんかやんないよ?」
なんかこう急に、外の雨の音が激しく聞こえて来た気がしたね。
ザー! ってさ。
「え……まじで? はたて、まじで?」
「一言も音楽やるとは言ってないでしょうが。勝手に話し進めないでよ」
「そ、そりゃそうだったけどさ。流れ的にバンドやって世界獲ろうぜ、みたいな感じじゃね?」
「リリカの脳内だけでしょう。私、姫海棠はたては、これまでずっと新聞記者だったように、これからも新聞記者なのよ。ええ、世界は獲るわ。ただし、音楽じゃなくて、新聞でね」
うわ、すげードヤ顔だ。両腕をがっしり組んで、胸を反らせて威張ってるよ。
「はたてが新聞やりたいのは、それはそれで応援するけどさ。頼むよ。あたしと一緒に――」
はたてに口を塞がれてしまった。
それから、はたては妙に照れくさそうに、俯いて。
「それでねリリカ。新聞で世界を獲るためのネタを思いついたんだけどね。今日からね、取材する事にしたの。
有名バンドを飛び出した騒霊ミュージシャンが、ビッグになるまでを記録する、密着取材。
やっぱり記者も、取材対象と同じ事をしてみるのが大事だと思うし。バンドで歌ったりもしなきゃとも思うし。
そういう風に取材対象に近づく姿勢が、私の新聞に足りないものだったのかもって思うし。
それに新聞を再発行するにも資金が必要になってくるし……音楽活動で稼ぐしかないだろうし」
自信なさげに、もじもじっぽく、はたてが上目使いでこっち見てる。
「いいよね……リリカ?」
「良いに決まってんだろこの野郎!」
って叫んじゃったよ。はたての両手を強烈に握り締めちゃったね。
「やっぱお前は魂の友だよ、マジ愛してるよ。絶対、二人で世界獲ろうぜ!」
「う、うん。でも、もう一回言うけど、取材として一緒にやるだけだからね。変な勘違いしないでよね。バンド名決めるなら、私の名前とか入れないどいてよね」
「いいよそれでも。じゃ、あたしはさっそく楽器、取ってくるよ。晩ご飯買うために、また路上ライブで稼がないとね。明日からの事は、今日の晩飯問題をクリアしてから考えよう!」
「なら私も、河童のジャンク屋で、型落ちのカメラ付き携帯探してくるよ。五百円もあれば買える。取材対象が目の前にいるなら、念写は使えなくてもいいもん」
↓
そして三十分後。
あたしは楽器を調達出来る“当て”の玄関先に一人で来てた。
移動してる間に、空からは雨雲は綺麗に消えてて、サマーアフタヌーン全開の日差しがSUN-SUN-SUNしてる。
別にここは、知る人ぞ知る楽器店とか、そーゆー特別な場所ってわけじゃない。
実家だ。Theあたしの実家。
なんつーか、家出して半日で帰って来ちゃうのは、しまらないし、こっそり忍び込んで用事をすませたいけど。
別にあたしはギブアップして戻って来たわけじゃないし、姉貴どもを頼りにきたわけでもない。
自分の置いてった楽器を回収しにきただけだ。
堂々と正面から踏み込めばいい。
玄関扉を、ドカーッ! って蹴っ飛ばして開けたね。
で、叫んでやった。
「HEY、姉さんども! ちょっくら邪魔すっぜ。言っとくけど、別に帰って来たわけじゃないからなー」
そしたら、中は凄い暑くて、姉貴ども二人が揃ってタンクトップ+パンツ一丁、居間のソファーでグダーって溶けたスライムみたいになって、テレビ見てたのと目が合った。
エアコンつけっぱになってるようだけど、例によって家がぼろいせいか、あんま利いてない。
「おい、リリカ」ってルナサがグダーってなったまま、とろけた暗い目で言ってきた。「扉は静かに開けろと言ってるだろ。お前のせいで家が壊れる」
「何言ってんだよルナサ野郎」ってあたしは言い返した。「あたしらポルターガイストだぞ。家なんかぶっ壊れたら、別んとこに憑けば良いじゃんかこの野郎」
「なんだとこの野郎……」
ってルナサはやっぱ暗い目で睨んで来た。
いつもならここで、お姉様野郎のお小言が続くんだけど。ルナサはなんか遠慮したみたいにテレビに目を戻しちゃったよ。
「あ~、リリカだ~↑」
とろけてたメルランが、妙なテンションで言って、ヌルッとした動作で立ち上がった。んで目をランランと輝かせながら、ムーンウォークで近づいて来た。
で、あたしに背中を向けたままの姿勢で十五センチの距離まで来てから、ズバッと顔を振り向けてきたわけだ。
「ねえねえねえねえリリカねえねえねえねえ。どこ行ってたのねえねえねえねえ」
とか言ってメルラン、あたしの周りをムーンウォークでグルグル回りだした。きっと暑くて脳みそが沸騰しちゃってるんだろう。ていうか、メルランいつもこんなだっけ。
「ねえねえねえ見つかった? 見つかったの? リリカのサウンド見つかったの?」
見つかったけど、身につけたわけじゃない。
おまけに楽器すら手放しちまって、これからどーしていいか、超絶アンノウン状態なんだZE。
だけど、ここでそんな事を言ったら、『不出来な妹だからしょうがない』みたいな目を姉さんたちから向けられる。
しかも、イヤミとかが一切含まれてない、あたしを純粋に心配してくれる表情でだ。
我慢ならないのはそれだよ。別に姉さんたちが嫌なんじゃない。
そういう目を向けられちまう、あたしっていう奴が憎いんだ。
「ああ、見つかったよ。すげー見つかったよ。超見つかった。そのうち、メルランの脳みそグツグツに沸騰させてやるくらいすげー音、聴かせてやっから、待ってろよな」
メルランのムーンウォークがピタっと止まった。びっくりした顔してやがる。
いつもの調子ならここで、『え~うそー、ねえねえどんなサウンドなの、どんなのどんなのどんなの~↑』
なんつってベタベタ纏わり付いて来たりする奴なんだけど。
「そう。すごいじゃん」
とかメルランは普通の姿勢に戻って、普通のテンションで言った。
「良かったじゃない。おめでとう」
遠慮されてるらしい。拍子抜けだった。
「う、うん。ありがと」ってあたしは頷くしかない。
メルランもルナサも、もっと何か言いたそうな顔してるけど、何も言わない。
そんな二人の視線がむず痒くて、さっさと自分の部屋に向いたかったけど、そうするとなんか負けた気がするから、姉さんどもと目を合わせずに、ただ意地で突っ立ってた。
言いたい事があるなら言えばいいのに。
『無理せず、いつでも帰ってこいよ』とか。
『リリカだって私たちと一緒の方が、良いでしょ?』とかさ。
でもね、姉さんども。
あたしは心配されて可愛がられる妹ってのは、もう、卒業―SOTSU-GYOするんだよ。
「……」
あたしと姉さんどもが、無言の意地の張り合いしてる中。テレビの音だけが居間に鳴り響いてる。
妖怪の山の放送局、それの音楽番組。48人編成のアイドルグループを、天狗のベテラン音楽プロデューサーが作るとか宣伝を、IQ低そうなアナウンサーがわざとらしいテンションで喋ってる。
それに続いてプリズムリバー楽団の新曲紹介インタビューも始まった。何日か前に撮影した奴だ。
テレビ画面には、インタビューにハキハキ答えるメルランの笑顔。その横にはルナサが居て、したり顔で補足してたりしてる。
そして、あたしはどこに映ってるかと思えば……所在なさげに画面の端っこで見切れて映ってた。
いつか、あたしとはたてのバンドも、こういう番組で取り上げられたりするんだろうか。
そん時は、あたしがメルランみたいにインタビューに答えたりして、ルナサみたいに偉そうに音楽創作論っぽいものを語ったり、出来るんだろうか。
いや、違うね。
出来るんだろうか、じゃないよ。やっちまうんだろ?
姉貴どもと、無意味な意地の張り合いしてる場合じゃない。
さっさと用事済ませちまうんだ。
↓
我が汚部屋に入った。
もし、はたてをここに連れて来たら、腰抜かして失禁するんじゃねえのってレベルの雑然さ。
そして、きっとはたては失禁しつつも、あたしへこう訊くだろう。
『な、なによ、この部屋の壁沿いにずらっと並んでて、床から天上まで積み上がってるタワー状の物は!』
ならば、あたしはこう答える。
「音楽するしかない奴が、百年以上あがけばこうなるんだよ。あれは楽譜やノートやメモ用紙が、塵に埋もれた物。あたしが生まれてから今までのね。ちなみに隣の物置には、みっちり隙間なく積み上げてある」
『な、なら、窓際に敷いてある大きな布の上に紙くずが散乱してるのは何、なんかの儀式用の祭壇なのあれ?』
「ただのベッドだよ。いつも、寝っ転がりながら、曲のアイディア書いてたんだ」
『じゃ、じゃあ、その周りのシート被せてあるのは何よ』
「あれが“当て”の霊体の楽器だよ。外の世界から幻想入りしてきた物だね。霖之助が蘊蓄たれてたけど、
外の世界で逸話を残した楽器は、多く憧れを受けて幻想を生むから、楽器の霊体だけが抜け出して幻想郷に入って来やすいんだってさ。
ここに置いてたのは、ピピっとくるフィーリングあって買ったは良いけど、あたしの言う事聞いてくれない奴らなんだよ」
ぶつぶつ独り言を言い終わってから、パチン、と指を弾いてみた。部屋から廊下に出ながらだ。
それぞれ楽器たちが、ひとりでにシートの下から出て来て、ふわふわと宙に浮き出した。
別の部屋からも、他の楽器たちが廊下へと出て来ている。
ここまでは、みんな言う事を聞いてくれる。
だけど、あたしのためには音を出してくれない。なんか妙にプライド高いんだ。
もしかしたら本当にこいつら、外の世界で憧れを生みまくったような、ビッグミュージシャンに使われてきた奴らだったりするんじゃないだろうか。
古ぼけたスタインウェイ・グランドピアノCD318。1958年製のギター・リッケンバッカー325。血のこびり付いた白いフェンダー・プレシジョンベース。焼け焦げた痕のあるフェンダー・ストラトキャスターギター。
そして、その他、多数。
「ま、お前らも、あたしなんざに使われたくないってプライドあるのかもしんないけど。今日から新しい相棒になってくれ」
楽器たちは、お高くとまってフワフワ浮いてるだけで、うんともすんとも言わない。
「よろしくお願いします」
ぺこり、とお辞儀してみたけど、みんなシカトぶっこいてやがる。
「ふん、まーいいけどね。じゃ、出発するから、ちゃんと付いて来いよな」
って言ったら、血まみれプレシジョンベースが、おもむろに振り上げられたみたいになって、ぶわんっ、って殴りかかってきた。
あたしは、ギリギリで頭を反らして避けたよ。
あ、あぶねえ……。こいつ、やたら凶暴なんだよな。買った時から、血まみれだったし。
「お、落ち着きなよ。興奮すんなって。んな無茶に、はしゃがなくても、あたしら仲間だろ。あ、あはは。とにかく、一緒に行こうよ」
↓
自分の部屋から廊下歩いて、居間の近くを通りかかった時だ。
テレビの音声に混じって、ルナサとメルランの話声が聞こえてきた。
あたしの事を話してるみたいだ。思わず、立ち止まって、聞き耳立てちゃったよ。
「リリカを、あのままにさせて良いの?」メルランが心配そうに言っていた。
「それは、あいつが決めることだ」ルナサは抑揚のない調子で答えてた。
「あの子は凄く傷ついてるのよ。ルナサは放っておくつもりなの?」
「あいつ抜きでプリズムリバーは成り立つし、これからも回り続ける。それを一番思い知ったのが、リリカなんだよ。私らが、何かを、どうにかしても、傷ついたあいつの心は、どうにもならない」
「ルナサは冷た過ぎるんじゃないの。リリカは私たちの妹なのよ?」
「私は思う。今までリリカを飼い殺しにしてきたんじゃないかってね。バンドで私たちのサウンドの影響力が強すぎて、あいつの裁量が発揮されるべき自由度が無かった。
リリカの才能に蓋をしてしまっていた気がするんだ」
「なら――」
と、メルランが言った。怒りが50%、それと哀しさが50%混じった声だった。
「――姉妹の中で、リリカだけは別々に音楽をやったほうがいいって言うの?」
「姉妹そろって出来るなら、まさに私が望む事だよ。だけど、それは私と、メルラン、お前のエゴだ。リリカが家を出て行ったのなら、あいつが望む優先順位は別にあったということさ」
「だけど、だけど」メルランの声は震えてる。
「だけどな、メルラン、私はこう考えてるんだ。例えば、リリカの『幻想の音を再現する能力』あれは……他のどんな騒霊も持っていない、激レアな固有能力だ。
私の直感でしかないが、あれはただ珍しい音を出すだけの能力なんかじゃない。もっと他に使い道があるはずなんだ。
リリカはその能力の使い道を会得するかも知れないし、それと合わせて、あいつが見つけたとかいうサウンドを使って、どんな音楽を創るのか、楽しみじゃないか?」
「リリカが本当にそんな事、一人で出来ると思うの?」
メルランがそう言って。
しらばくの、間、があった。
その間が、何よりも姉さんたち二人の考えていることを、語っていた気がした。
『リリカなんかに何も出来やしない。あいつはプリズムリバーの中で、唯一の不出来で可哀想な子だ。本当なら、楽団の中に居たままが良いに決まってる。居させてやりたい』
「リリカが何かを成し遂げることを、私は望んでる」とルナサは答えた。「これが今の私のエゴだよ」
「なら私のエゴは」とメルランは言い返した。「やっぱり放ってなんておけない。説得して家に戻らせる。このままじゃ、可哀想よ。妹だもの!」
「勘違いしちゃだめだ」
ルナサが冷たい声できっぱり言った。
「いいか。リリカにとっては、私も、メルランお前も、既に、姉なんかじゃない。超えるべき目標、倒すべきラスボスなんだよ。リリカは自分の力で、“プリズムリバー楽団”を倒さなきゃ、どこにも進めやしないんだ」
「でも」と、メルラン。「リリカがそんな事できるわけないじゃない!」
「やるよ!」
あたしは反射的に叫んでた。
居間の中に踏み込んだよ。
「やるっつってんだろ!」
もう一度、怒鳴った。
そしたら、メルランが申し訳なさそうに、あたしに目を向けてきた。けど、あたしは目、合わせなかった。
「おいメルラン」ってあたしは言った。「あたしを、そう評価してるのはいいよ。当然だと思う。だけど言っておくよ。あたしはやるつったら、やるんだ。プリズムリバー楽団とかいうの、倒してやんよ!」
ルナサが拍手した。
「とまあ、そういう事らしいぞメルラン。だったら、私らがすることは決まったよ。リリカが私らを倒そうとしてきたら、コテンパンに返り討ちにしてやらなきゃならない。
それがラスボスの役目だし、何よりプリズムリバー楽団が、幻想郷のトップ・ミュージシャンなんだ。相手が妹だろうが、超えさせるつもりはない」
「上等だよ」って、あたしは言った。「上等だよルナサ。お前の首だけは、いつかきっと、とってやる」
「上等じゃないかリリカ」
ってルナサは言った。
「だけど、“いつか”なんて詰まらない話はよせ。もう早速、お前のサウンドとやらを見つけたんだろ?」
「う、うん」
自分のサウンドなんていっても、ルナサたちと張り合えるようになるには、それを身につけなきゃなきゃいけないけど。
「ぜ、絶対、姉さんたちを超えられるよ。もうルナサとか目じゃねーよ!」
うわ。
言っちゃったよ。
あたし、言っちゃった。
「ほう。そいつは聴いてみたいね。妹を褒めすぎるのもなんだが、やはりお前もプリズムリバーの騒霊だよ」
ってルナサがマジで感心したみたい言ったね。
やべえ、あたしってばルナサの中ですげえ【眠れる獅子】っぽい評価されてたらしい。
なんだよ、これ、すげえ、嬉しいじゃん……。
ほんとに、あたしの事、ちゃんと、“プリズムリバー”だと思ってくれてたんじゃん……。
これじゃ……今更、『ハッタリでした、ごめん姉さん』とか言えないってば……。
ルナサの期待にどうにか、応えてあげたいよ……!
「なら、リリカ、これ見てみろよ」
「な、何をだよ?」
「テレビだ。今映ってる、このくだらなくてチープで、いかにも頭の悪そうなテレビ番組だよ――」
ルナサが指さしたテレビ画面のチャンネルは、さっきの妖怪の山の放送局から、人間の里の放送局に変わってた。でも内容は、あんまり代わり映えしない。同じような音楽番組。
幻想郷に二つしかない放送局は視聴率を張り合ってるライバルだ。毎日似たような番組を放送してる。
「――いいか。明日に、妖怪の山の放送局主催でアイドルグループの結成式がある。この人間の里の放送局はそれに対抗して、くだらなくてチープなイベントを企画してるんだ。
『全幻想郷バーリトゥードミュージックライブデスマッチ』って言うらしい。オールジャンルの音楽家を呼んでライブやらせて、観客に採点させ、点数が高かった奴が優勝だっていう、バカバカしいお祭り騒ぎコンクールだよ。
プリズムリバー楽団も呼ばれてる。ちなみに、一般公募枠もまだ開いてるはずだ」
ルナサが、不敵に笑って目を合わせてきた。
「かかってこいよリリカ。私ら騒霊なんていう、騒ぐだけしか能がない存在にゃ、おあつらえ向きな馬鹿らしいステージだろ。一般公募枠で参加しろ。勝負しよう。お前のサウンドとやらで、挑んで来い」
どうするんだ。こんな勝負、勝てっこないぞ?
しかも、プリズムリバー楽団にあたしが負けたら、幻想郷のみんなから『プリズムリバーから出て行ったリリなんとかさんが、プリズムリバーからフルボッコにされてる、超めしうま』とかネタにされちゃうんだろうな。
せっかくあたしに期待してくれてるルナサを、失望させてしまう。
だけど、だけどさ。
まだ明日まで時間はある。
もし、それまでに勇気のサウンドを自分のものに出来れば、どうにか――なるかもしれない。
いや、そりゃ、かなり絶望的ではあるけどさ……。
でも。
姉貴どもを超えるために、家を出たんだろ。プリズムリバー楽団を倒すためだろ。
だったら、勝負を挑んで、負けるのだって覚悟はしてたはずだよ。恥をかくのだって、それがどうした。
それにもし、物凄く低い確率だろうと、あたしがルナサたちに勝つことが出来たら……。
姉さんたちを、ルナサを、きっと今までの人生で一番喜ばせてあげられる。
「ああ、やるよ」
言葉はそれで十分だった。
お互い同時に視線を外して、心の中でお別れ言った。
さよならだ、ルナサ。
あたしは今、永遠に永久に未来永劫、プリズムリバー楽団じゃなくなった。
さっさと帰ろう。
ここはもう、あたしの家じゃない。
「じゃあね。姉貴ども」
あたしは、玄関まで出来るだけ堂々と廊下を歩いたよ。
んで、出来るだけ堂々と扉開けて、外に出た。
そして堂々と、空へ飛び立とうとした時だ。
「ちょっと、リリカ」
メルランが呼び止めて来た。
「さっき言った事、ごめんね」
「気にすんなよメルラン。あたしの評価としては、あれが正しい」
「で、でも、私も、期待はしてるのよ?」
「うん、ありがと」
メルランが言ってる事が本当かどうかは……こうやって目を合わせて話してても、ちょっとわかんなかった。
でも、メルランを怨んだりしちゃいけない。あたしのことを誰よりも愛してくれていて、ルナサよりも心配してくれてるだけなんだ。
こいつの目に映ってる『頼りない妹の姿』も間違いなく、あたし自身。
「あ、それでリリカ、せっかく実家に帰って来たんだから、お土産持ってってよ。これからは、毎日は顔合わせられなくなっちゃうだろうしね」
と、メルランが差し出して来たのは、ケーキ屋の大きな紙箱。ずっしり大容量。
「あなたの大好きなケーキ屋のプリンだよ」
「あ、ありがと」
「ねえ。別に喧嘩してる同士ってわけじゃないんだから、気楽に実家に遊びに来て……っていうのも変ね。
帰って来て、っていうのも、“もう違う”のかな。私たちに会いに来てくれてもいいのよ。家族なんだから」
「う、うん。別に、姉さんたちの事、怨んでるとか、そういうんじゃないよ。今でも、一番憧れてる相手だよ。ただ、今はその、生意気だって思うかも知れないけどさ。
ライバルだと思ってる。思ってたいんだよ。あたしなんかが、おこがましいって笑ってもいいよ」
「笑わないよ」
って、メルランは言った。
「絶対、笑わない。だけど、勝負は手抜くつもりないからね。リリカが本気で掛かってくるなら、こっちも本気でやらないと。ね?」
「当たり前だろ。じゃなきゃ、お前らに勝っても意味がない」
「それじゃリリカ、元気でね。明日、楽しみにしてるわよ」
「メルランも、元気でね。じゃ、行ってくるよ」
「うん、行ってらっしゃい」
↓
里のテレビ局に行って『全幻想郷バーリトゥードミュージュックライブデスマッチ』とやらにエントリーした。
登録名は、【リリカ・プリズムリバー】じゃない。ただの【リリカ】だ。
↓
「――というわけなんだよ。オーケーはたて?」
アパートへ帰って、はたてへ経緯を説明してみた。
お土産のプリンをテーブルに並べながらだ。
「う、うん。リリカのお姉さんたちがラスボスで、倒さなきゃならないってのはわかったけど。そんなでっかいイベントに出るとか、ドキドキしちゃうわね……」
はたてはイベントのパンフレットを読みながら、こくこく頷いて。
「あ、ねえ、これ優勝賞金、かなり凄いわよ。あんたの楽器買い戻せるんじゃないの」
「まじで、賞金なんか出るんだ?」
パンフレットを覗き込んでみると、賞金額はあたしが霖之助から受け取った金額の、ざっと三倍はあった。
「おい、これだけ金あれば、楽器買い戻すだけじゃなくて。はたての新聞を再開することも出来るんじゃないの」
「そ、そうね。自分の印刷所すら持てるわよ。でもいいのかな……私、ただでもリリカに世話になりっぱなしだし。もし優勝出来ても、さすがにこんな額のお金は受け取れないよ」
「はたては歌で、あたしに力を貸す。あたしは、はたてが新聞やるのにスポンサーになって力を貸す。それでフェアじゃん」
はたて、あたしをじーっと見て、十秒くらい、じーっと見て。
こくっと、すげえ素直な目で頷いた。
そんで。
「ま、まあ、これ使いなさいよ」とクッションを一個貸してくれた。「それと、こっちの高級住居スペースで生活するのも許可してあげる。ぬいぐるみも抱っこして良いわよ。これでフェアよね」
「フェアもなにも。あたしが部屋の主人だろ。お前が我が儘言ってただけじゃんっていう」
「う……うっさいわね。で、でも、リリカ……その……ありがとう。一緒に住ませてくれてるのは、感謝してあげる。けど、お金まで、本当に、いいの?」
「気持ち悪いから遠慮とかすんなって、はたてなんか、『私の取り分は90%でリリカは10%、これで妥当よね。あ、やっぱ98%がいいわ』とかドヤ顔で言ってる方が似合ってんだからさ」
「な、何よ、私が感謝するって言ってあげてるんだから、粛々と受け止めなさいよね」
へそ曲げちゃったみたいに、はたては窓の外へ顔を逸らしつつ、プリンをスプーンで口に運んだ。
すると。
「これって……」
はたて、もんげえ微妙な表情をした。
どうしたんだろうと思って、あたしもプリン一口食ってみたよ。
変な味。まるで、卵豆腐にカラメルをかけたみたいな味だった。
「ねえリリカ。なんだかこのプリン、卵豆腐にカラメルかけたみたいな味しない……?」
あたしは頷いた。
「つーかこれ、その物だろ。プリンのカップに卵豆腐入れて、カラメルかけたものだろ。不味くはないけど。プリンだと期待して食べると、なんかスゲーがっかりさせられる悪戯っていうか」
これだからメルランは……。今頃あいつ、一人でゲラゲラ笑ってるんだろうな。何が面白いんだよこんなの。
「ね、ねえ、あんたこれお土産で、お姉さんから貰ったのよね?」
「ま……まあね。頭パッパーなメルランがする悪戯をいちいち気にしてたら、禿げるからやめとけよ」
「夢を抱いて家を出て行った妹に、偽プリン渡すって……。姉妹ってそういうものじゃないでしょ……」
「メルランなりに、ジョークで励ましてるつもりなんだよ。なんていうか、あたしとルナサは昔っから師弟っぽいノリなんだけど、メルランとあたしは遊び仲間ってノリでさ。
二人で騒いでルナサに怒られた時とか、良く庇ってくれたんだよね。だから今も、ある意味ルナサよりあたしの事、心配してくれてるんだと思うよ」
「へえ、そういうものなのね。キョウダイが居るって、羨ましいかも。私もお兄ちゃんが欲しかったな」
「まあ。メルランを安心させてやるためにも、ビッグになんないとね。でさ、とりあえず、この卵豆腐プリンを、晩ご飯にすりゃいいんじゃないかな」
「ご飯はちゃんとしたもの用意出来るようにしようよ。また路上ライブで生活費を稼がないと。ところで、リリカの楽器の準備は出来たの?」
「うん、この部屋に入りきらないから、アパートの別の部屋に置いてあるよ」
「勝手にそんな事したら、大家さんに怒られるわよ……」
「楽器も一人になりたがる奴もいるからしょうがないんだよ。一緒の部屋に居るとヤバイ奴も居るし。仲悪い奴らもいるからさ」
「え……楽器のくせに?」
「うん。楽器の霊だからね。付喪神みたいな自我はなくても、意思や感情はある。隣の202号室にスタインウェイCD318置いてあるから、
はたても毎日二回くらい会いに行ってやってよ。人嫌いのくせに寂しがりやなんだ。
あと、注意したほうがいいのは、203号室にストラトキャスターとリッケンバッカー325置いてあるんだけどさ。
たまーに、気分が良くなる匂いのする煙とか、ドアの隙間から漏れてくる時があると思うけど、そん時は入らない方がいいよ。色んな意味で」
「な、なんで。その煙って何なの……逮捕される系だったりしないわよね?」
「それはまあ、あれだよ。良い子のはたては深く突っ込んだらダメだよ。良くある事だしさ。それより困った事があるんだ」
「今度は何よ」
「やっぱ能力使わず演奏ってなると不便でさあ。あたしの曲って、一人で何個も楽器演奏するの前提だから、
手で演奏するためのアレンジするにしても、どうも、のれなくてねえ。はたてって、何か楽器出来ないの?」
「え、出来ないわよ」
「まじで。子供の頃はピアノとか習ってそうなイメージあったんだけど」
「昔っから文章一筋なの。ていうか何、手が足りないから、私にヴォーカル以外もやらせようって事?」
「うん。そーゆー事だよ。じゃ、これの担当頼むよ」
はたてにベースを渡してみた。例の血まみれの白いプレシジョンベース。
「なにこれ、ギター? 弦が少なくない? もっとゴチャゴチャしてなかったっけ、四本しかないんだけど? ていうか無理よ、いきなり弾けるわけないでしょうが」
「弾いてる振りしながら、歌ってくれるだけでも、あたしが気分的にのれるから助かるんだよ。絵ずら的にベースってのは目立つし、ハッタリとして良いんだこれが」
「弾いてる振りって……なんかダサくない?」
「あとで、いかにも弾けてるっぽい音出せる逃げ技を教えておくから、格好は付くって。それより、たまに血が垂れてきたりするから、服汚したくない時は気をつけてね」
「え、血?」はたて、膝の上に乗せたベースをガン見。「って、何これ、乾いた血でべったりじゃない。呪いのアイテムじゃないでしょうね」
「ああそれ、血文字で『Fack』とか誤字が浮かび上がってくるけど、気にしないでいいよ。良くある事だから」
「こ、怖っ……嫌よこんなの弾くの。普通に怪奇現象じゃない」
「はたても天狗なんつー、最上級の怪奇な化け物だろ。大丈夫、大丈夫」
「装備すると外せなくなるとか。魔物のエンカウント率が上がるとか、呪いみたいなの、マジにないの?」
「幻想郷なんて魔物しか居ないみたいなもんだし、そんな呪いあったら、妖怪の男との出会いが増えるんじゃないの。彼氏作るチャンスだぞ」
はたての顔が一瞬固まった、
それから、にんまりした。
んで、口がだらしなく開いて、唇の端から涎がツツツーっと垂れた。頬染めながら、「うへへ」とか笑ってる。
きっと、ご都合主義120%な出会いを想像しちゃってるんだろう。少女漫画の主人公みたいなお姫様脳で。
「やるっ。私、やるよリリカ。楽器弾ける女子って格好いいし。イベントで優勝したら、彼氏出来る気がする。ほら、何ぼさっとしてるのよ、さっさと教えなさいよね。このベースとかいうギターの弾き方を!」
「お……おう」煩悩ってのは、凄いな。
「ところでリリカの方はどうなのよ?」
「あたしの方って?」
「勇気のサウンドよ。お姉さんたちに勝負挑んだくらいだし。やっぱ一気に演奏がパワーアップしたみたいな感じするのよね?」
そんな自分の持ち味に気付いただけで、ご都合主義的パワーアップするわけねえだろ。漫画じゃないんだぞ。
だけど姉貴どもに勝負挑んじゃった理由を、ただの『見栄と勢いで』とか説明するのは悔しいもんがあるぜ。
「ま、任せろよな。あたしも一応プリズムリバーの血を受け継ぎし者だ。さっそく練習開始だ、はたて、お前の彼氏をゲットするために!」
じ、自分自身のサウンドをモノにするためにもね……。
↓
そんなわけで、アパートの裏の原っぱで、はたてと二人、血の滲むような特訓(主に呪いのベース的な意味で)をしましたなう。
はたてにハッタリ技を仕込みつつ。あたしは、はたてのヴォーカルラインを参考にして、自分でも勇気のサウンドを引き出せるように編曲を変えてみたり、演奏を工夫したのだけど……。
はたてのヴォーカルで表現されてたものの外形だけは、自分でも再現できたけど。心を動かすだけの力を、どうしても持たせられてる気がしない。
ルナサの鬱の音や、メルランの躁の音を、あたしがコピーして演奏したときと似たような感じだ。
だけど、確かに自分のサウンドが、勇気というポイントにある事自体は感じる。
でも、それを表現しきるには、何かがあと一歩――
――あたしの、勇気、には何かが足りない。
何が足りないんだろう?
はたてに出来て、作曲者本人のあたしに何故出来ない?
はたてにあって、あたしに無いものってなんだろう?
「ねえ、リリカ。やっぱ使い慣れてない楽器だと、上手く演奏出来ない感じなの?」
はたてが心配そうに訊いてきた。
「あんたの演奏、午前中に広場でやったときより……いまいちな感じだしさ。リリカらしさ、みたいなのも、大分無い気がするし」
こんな事言われちまうくらい、ダメっぽいらしい。
「そ、そりゃさ。あたし普段は、能力使ってしか演奏しないし。しょうがないよ」
そうだよね、きっと。
楽器のせいだ。作曲者本人が、自分の曲の持ち味を引き出せないわけがない。
「ごめんね。私の借金返すために楽器売っちゃったんだもんね。私のせいだよね……」
はたてがいきなり謝ってきた。
「気にするなって言ってんじゃん。その分、お前のヴォーカルがあるんだから」
「だけど、だけどこれじゃ、私のために、リリカが犠牲になってるみたいじゃん。あんたをビッグにしてあげなきゃいけないのに」
「楽器さえ取り戻せば、あたしだって活躍出来るようになるんだから、それまでの辛抱だよ」
「じゃあさ」
と、はたては凄くシリアスっぽい顔で言った。
「私、がんばって歌うよ。リリカの分も二倍がんばるからね!」
いつもは傲慢ちきなくせに、こういう台詞を照れもせず真顔で言い出すのも、はたてって奴、だったんだな。
良い奴じゃんか。
友だちになって、ほんと良かった。
「うん。頼んだよ」
って、あたしは頷いた。
「明日の勝負、はたてに掛かってる。歌は完璧、あとはステージで実力を発揮出来るかだ」
はたてにいくら才能があろうと、ミュージシャンとしてはド素人。本番であがらないわけがない。
午前中の路上ライブみたいに、自己陶酔しちゃってくれれば問題ないだろうけど、ふとした拍子に緊張感に負けてしまえば、姉貴共との勝負が詰む。
「今から、街の広場で路上ライブだ。舞台度胸だけは、はたてに場数こなして身につけてもらうしかないからね。広場でどんだけ歌えるかで、優勝狙えるかどうか、決まる。
あとついでに、格好いい男がお前を見てるかもしれないから、気合い入れろよ!」
はたて、大きく頷いた。
「任せなさいよね。リリカは大船に乗ったつもりで居てくれればいいから。彼氏をゲットするついでに、幻想郷中の奴らに、私の輝かしい音楽の才能を見せつけてやるわ。ま、まあ、取材の一環としてだけどね」
↓
そして。夕暮れ時。
オレンジ色の空を、鴉がカーカー飛んでるような時刻。
あたしらは幻想郷スカイツリー広場に居た。
丁度、夜行性の妖怪たちが起き出す時間であり、人間たちが仕事を終えて繁華街に繰り出す時間だから、街の中心たる広場の混雑はやべえ具合。
さらにそのど真ん中のスカイツリーの真下。そこへスタインウェイCD318とかの楽器をデデンと置いたもんだから、そりゃ道ばたにグランピアノが置いてありゃあ、みんなド注目だ。
そして、肝心のはたてさんってば。
「ちょ、超緊張してきたよ……ほんとに大丈夫かな、私……」
案の定というか、震えだしてちゃってる、プレシジョンベースを抱っこするみたいにして。
一方ベースの方は、これから始まるライブの予感で興奮してるらしく、嬉しそうにプルプル痙攣してる。
おい、はたて、さっき大見得切ってた威勢はどこ行ったんだ? なんて言わないでおいてやるよ。
こうなるのはわかってた。
だけど、こっから気合いで踏み出してかなきゃならないんだからな。
あたしとしても、ちょっぴり緊張してるよ。
今の自分の演奏の質は、能力を使ってする時の一割弱が良いとこ。
路上で素人に聴かせる分には誤魔化せるけど、もし録音しといて自分で聞いたら、間違いなく頭を抱えたくなるレベル。
だから今日の主役は、はたて、あたしは脇役に徹すれば良い。
「ノープロブレムだよ。はたてはヴォーカルに集中して、ベースは余裕があったらでいいからさ」
あたしはリッケンバッカーを肩に掛けて、アンプのスタンバイスイッチを入れ、CD318に取り付けた野外コンサート用マイクをテスト、ポロロロロンと試し弾き。
これから演るのはピアノがメインの曲だけど、雑踏の中で演奏するなら、出だしはギターアレンジで派手にやって、群衆を注目させた方が良い。
「午前中の調子でやればいいだけだよ。自分を信じろ、はたての声は最高だった」
「で、でもあの時は私、夢中だったし」
はたて、完全に固くなっちゃってる。視線も定まってない。
こいつ、普段は自信たっぷりな口利くけど、ほんとは『私なんかには、何も出来ないよ』みたいな事を言っちゃったりする奴なんだ
“本当のはたて”は自信なんか一ミリも持ってないし、傲慢ちきな態度も見せかけでしかない。
どうしようもない自分自身というのを、自覚してるからこそ、見せかけや虚構でもいいから、自分に勇気を与えないと、一歩だって前に進めない奴なんだと思う。
他人は、そういうのダサいとか言うかも知れないけど、あたしは、ダサいなんて、絶対思わない。
「ならさ」と、あたしは言った。「夢中になっちゃえよ。あたしがお前に勇気をやる」
はたて、超緊張して人形みたいにこくりと頷いた。
「おい、はたて、周りを見ろよ、この広場に何百人居る?」
「数え切れないほどだよ……何千人は居ると思う」
「でもこいつら、どうせ一人としてあたしらの事なんか、なんも知らないんだ。お前が今日、自分に絶望してた事や、あたしが要らない子だった事なんかも、全部だ。
幻想郷のほとんどが、あたしらを、そこらに転がってる犬の糞ほどの価値しか感じてない」
「そう、なんだろうね」はたて、頷いた。「私たちは、世の中の誰にも、必要とされてない」
「ああ、世界は、あたしら抜きで、余裕で回ってるんだ。そいつが許せるか?」
はたて、どう答えて良いかわからないようで、あたしの目を覗き込んで来た。
だから、あたしは言ってやった。
「あたしは、嫌だ。許せないね。あたしを無視して、勝手にグルグルまわってる世界野郎ってのを許せない。あたしも、グルグルに混ぜろって思うんだよ。お前はどうだよ?」
はたて、また頷いた。遠慮がちだけど、ちゃんと、頷いた。『許せない』と小声でだ。
「おい、はたて。聞こえないぞ。それじゃ誰にも聞こえない。あたしらがここに居るってことを、誰にも分かって貰えない。もっと大声で言うんだよ」
「ゆ、許せないよっ」
「駄目だ。もっと叫べ。じゃないと世界野郎に聞こえやしない」
「許せないっ!」
大絶叫。
あたしらを注目してた奴らは、あまりの音量にビクッと体を震わせ、そしてあたしらを無視して歩いてた通行人たちも、いったいなんだとばかりに、はたてに目を向けた。
「オーケー、おい見ろよ、世界野郎がはたてを見てる。今からあいつらに一発かましてやるぞ。襟首引っ掴んで『あたしらはここに居る!』って怒鳴ってやるんだ。無視し続けてきたツケを、払わせるんだ。
あたしらのサウンドを、幻想郷が耳でゲップするまで叩き付けてやるんだ。あたしら二人なら、それがやれる。さあ、世界の真ん中に殴り込む準備はいいか?」
俯いてたはたての目が、前を向いた。頷いた。表情が、変わってる。
前に踏みだし、前進するための、戦闘的な、顔。
「よし、はたて。マイクのスイッチを入れろ。そいつが、あたしと、お前の、本当の人生を始める合図だ」
ところが、はたて、マイクのスイッチ入れずに、ポケットからカメラ付き携帯を取り出した。
で、あたしに向かってニッコリ笑って。
「ねえリリカ、あんた今、すごく良い顔してたよ」
「え?」
パシャリ。不意打ちだ。めちゃもろにアップで顔撮られちゃった。
「ふふ、良い絵が撮れたわ」
「ったくもう、せっかく盛り上げたのにしまんないな」
「気楽に行こうよ。勇気、貰えたよ。ありがとう」
はたてがマイクのスイッチに手を掛け、アイコンタクト。
そして、なんの前置きも、ためらいもなく。
ON。
そっから始まったのは、あたしらの魂のカチコミだ。
よう、世界野郎、お前をぶん殴りに来てやったぜ。ってな具合の気合いで、あたしはギターを掻き鳴らし。
はたては街全体が激震しそうなほどの声量を振り絞って歌い出した。
最初の0.5秒演奏してただけで感じた。
はたては絶好調。戸惑いや照れや緊張なんかが、吹っ切れてる。
午前中に聴かせてくれた歌が原石だとしたら、今はブリリアントカットのダイアモンドだ。
輝きの次元が違っている。
練習の時に、あたしが必死に出そうとした勇気のサウンドを、いとも簡単にカタチにしちゃってる。
広場の何百人だか何千人だかの群衆の足音が止まってる。はたての歌のために足を止めてる。はたてを注目している。
本当に、あたしに無くて、はたてにあるものは、いったいなんなんだろう?
本当に、楽器のせいだけなんだろうか?
もし、もっと単純に、あたしよりも、はたての方が音楽の才能があるとかだったなら……。
今の、あたしって結局、なんなんだ?
はたてに頼って、姉貴たちと勝負するあたしって、いったい、何をしようとしてるんだ?
って、いかんいかん。
余計なこと考えてる場合じゃない。ただでも慣れない手での演奏なんだ。集中力を乱しちゃダメだ。
はたてはもう余裕だとばかりに、ベースの弦に指を這わせ、コードを押さえてた。そしていざ、弾き出そうとした時だ。
その血まみれな白いプレシジョンベースは、はたての両腕からスルリと抜けだし、宙返りすると、最前列の観客の前で血文字を滲ませた。
はたては驚きつつも、歌い続けるが。
当のベースの方は、『Fack』と文字を滲ませてから、自分の誤字に気付いたらしく、『a』の文字を『u』書き直そうとしたけど、血でぐちゃぐちゃになって上手くいかず、
逆切れしたみたいな音を出して、何故か近くに居た人間の男を殴り付けだした。
意味わかんねえよお前、とか思ってたら。プレシジョンベースがこっち向いた。
んで、奴は物凄い勢いで、あたしが弾いてるリッケンバッカー325へ体当たりしてきたね。
そして、プレシジョンベースは、こんな血文字を白いボディに滲ませたんだ。
『Facking shit Beetles. Facking shit JL』
それがまた誤字だったらしく、『Beetles』を『Beatles』に書き直そうとしたけど、やはりグチャグチャになって上手くいかず、またまた逆切れしたみたい音出し始めて、殴り掛かってくるかと思ったけど。
それより早く、リッケンバッカー325がぶち切れた。
リッケンバッカーはストラップを引きちぎって、あたしの肩から離れ、発情期のオスのチンチラが、メスのチワワに飛びつくような凄まじい勢いで、プレシジョンベースを殴りつけた。
なんていうか、『あ、こいつ普段はマイルドっぽい音を演るくせに、誰かを殴るのに凄く慣れてる武闘派だな』っていうのがヒシヒシ伝わってくる綺麗なフルスイングだった。
普通の楽器なら粉々になってたろうけど奴らは霊体同士。アンプがぶっ壊れそうな大音響がした。
プレシジョンベースが吹っ飛ばされ、CD318の横を掠めて、その後ろに置いてあった他の楽器たちへと大激突。
それでさらにぶち切れたのが、激突されたほうの楽器たちだ。
ある者はプレシジョンベースを袋叩きにし、ある者はリッケンバッカーへと殴り掛かってきて、逆に吹き飛ばされた。そしてまた他の楽器に激突し、またそいつら同士が殴り合いを始めてる。
「お、おい、お前らやめろって」なんつーあたしの言うことを聞くわけない。
もう、大乱闘スマッシュ楽器ーズ状態だ。誰彼なしにボコスカウォーズ。観客まで混ざってる。
酷い騒音。その中でも、はたては無伴奏で歌い続けてる。不安そうな視線を送って来てる。
大丈夫だ、そのまま続けろ、はたて。
そして。
ひとりだけ大乱闘に我関せずなピアノCD318。こいつで演奏を続けようと、あたしは鍵盤に指を掛けたんだけど。
あれ?
動かない。鍵盤がだ。故障なんかじゃない。ピアノがあたしの指を拒否ってる。
どうしたんだよ。なにこんなタイミングでへそ曲げてるんだお前。さっきはたての練習で伴奏してた時は、ご機嫌な音出してたじゃないか。
こうなったら、あたしもツインヴォーカルで。と、マイクを握ってみたら、何故か、恐ろしい寒気がした。
ヴォーカルなら、あたしだってやり慣れてる。
はたてと同じくらいに歌うことは難しくはないだろう。むしろ歌唱技術だけでいえば、あたしの方が。
だけど、だけどさ。
これでもし、はたてと同じ勇気のサウンドを再現できなかったとしたら――。
そう考えちゃったんだ。
怖くて、マイクを握っても歌い出せなかった。
そしたらね。
気付いたら。
はたての独唱がサビへ差し掛かってた。
なんか、はたての歌声以外の音が、騒音が、全て消えていた。
みんなが、はたての歌を集中して聴いてたんだ。
とにかく、集中して聞いていたくなる、説得力の塊みたいなヴォーカルライン。
大乱闘が完全に止んでいた。楽器たちが、はたてを注目してた。
あのプレシジョンベースすらも、地面に行儀良く座り込んで、はたての真剣な横顔を見上げてた。
何千人の観衆が、物音一つ立てず聴いている。
あたしも、あたしも、自分がこれからコーラスを入れることすら、無粋に思えて来てしまった。
自分のマイクのスイッチを切った。
自然にそうしちゃってた。
物凄い敗北感が来たけど、そんなのどうでも良くなるくらい、はたての歌を聴いてたいと思ってしまったんだ。
どこからかピアノの伴奏が始まった。信じられない事に、CD318だった。あたしは能力を使ってない。
CD318は、はたての歌に感極まったように、自分の意思で旋律を奏で始めてた。
さらに、フェンダー・ストラトキャスターがアドリブで伴奏しだした。
リッケンバッカー325もストラトキャスターのリードに合わせ始めた。
血まみれプレシジョンベースすらもだ(下手だったけど)
他の楽器たちも、皆一様に、自分たちの意思で鳴りだした。
はたての歌声が、広場の全てを支配していた。
そして、そんな数分間が過ぎ、はたてが歌い終わると。完全な無音が来た。
風すら吹いてなかった。風すらも吹くのを遠慮してるみたいだった。
無音がそうして十秒ほど過ぎてから、やっと、拍手が沸き起こった。大歓声も同時にだ。
あたしは、あたしは、どうしていいか、わかんなかったよ。
正直なところ、負けた、っていうのが素直な感想だった。
今はたてがやったことを、あたしも出来る自信があるかと言われれば。その答えは、マイクを切った時点で出てる。
出来なかったからどうしよう、と、怖くて、仕方がなかった。
あたしは、あたしは、あたしは。
今のあたしは、いったい何なんだろうな?
「どう、だったかな?」
はたてが、恐る恐るみたいに訊いたきた。
「私、リリカの役に立てそうかな?」
こんな事を真顔で言われちゃえば。
「あ、当たり前だろ、はたて。お前、すごいよ、絶対、特別な才能ある」
こんな風に褒めるしかない。
そしたら、はたては照れもせず、慢心した様子もなく、ただ純粋に気持ちよさそうに顔を笑わせた。
こいつ、こんな素直な笑い方、出来たんだな、って思うくらい、めっちゃ良い顔だったよ。
それ見たら、凄く、あたしは複雑な気分になっちゃったよ。
大切な友だちなのは間違いないけど、嫉妬とかそういうのが自分の心の中で、ムクムク起き上がってくるのを感じたね。
そんなもん、感じちゃダメだろ。こいつはあたしのためにがんばってくれたんだぞ。
自分の中の嫌な感情を振り払わなきゃだめだ。
だから。
「カメラ貸してよ」
って言ってみて。
あたしは、はたてのポケットからカメラ付き携帯を抜き取った。
で、はたての顔面ドアップにして、シャッター切った。
「良い顔してるぞ、はたて」
「う、うん。そう、かな。リリカも、良い顔してるよ」
どう答えればいいか、わかんなかったよ。
だから、あたしは、はたての手を握ったよ。がっしり、握った。はたても握り替えして来た。握手、超握手。
こいつとなら、きっとどこまでも這い上がっていける。
あたしらは、きっと、“ビッグ”と“カリスマ”になれる。
そう、思う。
そう、思いたい。
「素晴らしい」男の大声がした「いや実に、本当に素晴らしい」
人垣の中から、白いスーツを着た男が、拍手しながら歩み出て来た。
そいつは鼻の長い天狗、鼻高天狗って奴だ。伊達男の中年。
なんだ、また、はたての知り合いとかか?
「幻想郷にこんな才能を持った歌姫が埋もれていたなんて、とってもミラクル、僕はサプライズです」
と、謎の白スーツ伊達男は喋り出して、いきなり、はたての両手を握り締めて。
「君こそ僕が探してたパズルの最後のピースだ。ねえ、君、これから僕のプロデュースするグループで49人目のトップアイドルになっちゃおうか?」
はたてにめっちゃ顔近づけました。長い鼻で唇をつつきそうなくらい。
おい、やめとけよおじさん、ナンパだか知らないけど、ぶん殴られるぞ。はたてちゃんはルックスはともかく、性格の方は結構きついんだぜ。
「え、あ、あの……」
はたての奴、手とか握られて怒るかと思ったけど、どうしたんだろう。
なんか、もじもじしちゃってる。頬を赤らめちゃってる。長くて太い鼻を見詰めちゃってる。
もしかして、なんだよ、はたて、まさか、こういうコッテリした年上が好みだったりすんじゃないだろうな。
ファザコンっぽい感じだったりするのかお前。
「いきなりそんな事、言われても私……っていうか、どちら様でしょうか、みたいな……」
「おっと。とんだ失礼ブッコキングで僕はソーリーです」
白スーツ伊達男が、はたてに名刺を渡した。
はたてはそれを何度も、読み返して。
「え、ええー!」
マイクを入れっぱなしなのも忘れて、でっかい声で驚いちゃったよ。
「ど、どーしたの、はたて、そのおじさん、誰?」まあ訊いてみた。
「た、ただのおじさんじゃないわよ!」
「え、じゃあ、変なおじさん?」
「馬鹿。YKM48のプロデューサーよ!」
「何だっけそれ?」
「知ってるでしょ。今度、妖怪の山で結成されるアイドルグループよ。超ビッグなプロデューサー!」
「つまりは、そういう事なんです。はたてちゃんさん」
伊達男プロデューサーは、はたてに会釈した。
「すぐに決めてくれ、なんてノンノン急かさないけど、明日の午後一時からの結成イベントまでがタイムリミットなんです。それまでに連絡くれると、喜びパッション僕はヘヴンです。
はたて君なら明日からセンターを任せてもいい、うん、900%くらいね」
「え、あの」と、はたては戸惑いつつ、「午後一時って確か、丁度、ミュージックライブデスマッチの始まる時間だし、その、スカウトされてるのって、私、だけですか。リリカは?」と聞き返した。
プロデューサーはあたしに目をやって、残念そうに首を振った。
「僕がアイドルにしたいのは、この場では、あなただけです。はたてちゃんさん」
「で、でも、私は新聞記者で……アイドルには成らないっていうか。新聞大会で優勝するのが……夢だから」
「なら、そうですね。良い企画を思いつきました」
と、プロデューサーはポンっと手を叩いた。
「新聞記者アイドルなんていう新ジャンルはどうでしょう。うちのグループは結成前から話題性が抜群ですから、君の新聞の購読部数も爆発的に伸びるだろうし。
アイドルグループのセンターが新聞を書くというのは、ネタとしても面白い。新聞大会で優勝だって、十分狙えるんじゃないでしょうか」
「た、確かに……そうだけど」
はたて、ごくり、と生唾を飲み込んだ。
お、おい、このプロデューサーとかいうの、ビッグだか知らないけど。ちょっと待てよ。
「コラ、長鼻野郎!」
あたしは、はたてと伊達男の間に割って入った。
「はたては、うちのバンドのメンバーだ。勝手にスカウトすんじゃねーよ」
伊達男は、あたしへ可哀想な奴を見る目を向けて来た。
「はたて君の才能と夢を、こんな場所で埋もれさせていてはいけない。彼女が人生の損失を被るだけじゃなくて、幻想郷にとっての損失でしょう」
「なんだよその目はおっさん。あたしのバンドじゃ、はたてには勿体ないって言うのかよ。アイドルグループなんかでジャンクフードみたいな曲を歌わせる方が、よっぽど勿体ないだろ。
あたしは、はたてと本物の音楽をやるんだ。お前のYKMだかが雑魚になるくらいビッグになって、はたての夢も叶えてやるんだよ!」
「あなたがそこまで言及するなら、僕も言わなければならない。うん。アーティスト“芸術家”を気取るのは結構ですが、本当にそれになるのは難しい。
だって、音楽っていうのは、楽器同士を殴り合わせる見世物の事じゃ、ないでしょう?
あの楽器たちが演奏を始めたのだって、あなたのためではなく、はたて君のため。
なら、あなたはさっき、何を出来ていたというのです。曲自体は悪くなかったですが、ギターの演奏が酷いせいで台無しでした。あれじゃジャンクフードの添え物にするのも無理だ。
評価出来るのは、自分のマイクを切った事だけ。音楽家の端くれなら、自覚出来ているでしょう?」
言い返してやりたいけど。
畜生め、こいつの言ってる事の一から十まで、はいその通りで、自覚しちゃってるよこの野郎
「才能は活かすべき場があるんです。はたて君のそれを、僕は正しく扱う自信がある。僕のキャリアがそれを保証も出来る。
はたて君にとって、アイドルグループは通過点に過ぎないでしょう。彼女は間違いなく、そこから大きく羽ばたくことになる。本物のアーティスト“芸術家”として、僕が羽ばたかせる。
そして、彼女の新聞記者としての夢も確実に叶えて上げられるでしょう。
なら、君は、どうですか、彼女の才能を正しく扱って上げられますか。そしてアイドルグループのセンターが新聞を書くという以上の、彼女の夢を叶える手助けを保証できますか?」
ちょっと待てよ。
そいつはずるいだろ。
あたしは、これから、這い上がって行くんだよ。
ちゃんと這い上がれる保証なんて、どこにもあるわけねーだろ。
さっき、あんな見苦しい演奏して、楽器たちに大乱闘させちゃって、はたての歌だけに救われたライブやったあとじゃ。
『はたての才能を正しく扱ってやれる』とか。
『新聞のスポンサーになって夢を叶えてやる手助けをする』なんて胸張って答えられるわけないじゃん。
だけど、だけど。
「あ、あたしだって、明日のイベントで優勝すんだよ。プリズムリバー楽団、倒すんだよ。ポッと出の新バンドが、幻想郷ナンバーワンのミュージシャン倒したら、
アイドルグループに入るより、ずっと話題性ある新聞のネタになるだろ。そうすりゃ、はたての夢を叶える手伝いが出来る」
「ですから、あなたがプリズムリバー楽団に勝るという根拠は、どこですか。今の演奏で優勝出来る保証は?」
「やるっつったら、やるって言ってるだろ。出来るよ。絶対……やるよ」
苦し紛れに答えた声は、今まで生きてきた中で、たぶん一番、すげえ、ダサくてダメだった。
プロデューサーは哀しそうな顔で首を振った。
「あなたに出来そうな事と言えば、そうですね。せいぜい、はたて君という天才に寄生して、はたて君の人生を無為に消耗させる事だけでしょう」
「な、なんだと、この野郎……」
反射的にそれだけ言い返したけど、あたしの声は、ひどく震えてた。
あたしが、はたてに寄生する?
おいおい、まさかそんな事……。
っていうか、ビンゴじゃんか。
さっきの演奏とか、まさにそれだよ。
今のあたしって、もしかしなくても、プリズムリバー楽団に居た時と同じじゃないのか。
姉貴どもっていう天才に寄生しないために、家飛び出してきたのに、また、あたしは他の才能に寄生しようとしてた?
YES
あはは、これ、ちょっと笑えねーよ……。
「では僕は忙しいので、これで失礼いたします。はたて君、良いお返事を期待しています」
伊達男、人混みの中へ去って行った。
その背中へ、何か言葉を返そうと思ったけど、一つとして反論出来そうな余地が見つからない。
愕然としたよ。
マジで、肩がガクッとなった。膝もかくんってなっちゃって、コンクリートの上に座り込んじゃった。
「リ、リリカ、なにしょげてるのよ」
はたて、あたしを揺すってる。
「あんな言いたい放題ばっかりされて、もう情けないわね。言い返してやればよかったじゃない!」
「言い返せるわけないだろ。あのおっさんが正しい。あいつのとこに行けよ、はたて」
はたて、怒ったみたいに目をつり上げた。
「バッカじゃないの。私はあんたと這い上がるって決めたんだからね。ほら、今日はバンドの輝かしい門出の日なんだから、結成式に行くわよ」と、おひねりで一杯になったベースケースを持ち上げた。
「結成式?」
あたしが首を傾げる間もなく。
「そう、バンドの結成式よ。付いてきなさい」
はたてに腕を掴まれて、引っ張って行かれちゃったよ
↓
はたてに何か言ってやろうという気力もなかった。
いやあ、精神的に凹んだね。ボコボコに。
もう、どうにでもなれって感じで、はたてに引きずられるのに身を任せちゃいましたよ。
そして到着したのは、ボロアパートの近くにある安っぽい居酒屋だったね。
↓
あたしと同じでダメな奴で、同じくらい悲惨だと思ってる奴がいた。
あたしはそいつを可哀想に思って、助けたつもりになって、友だちにもなった。
あたししか、こいつの夢を叶えてやれないと思ってた。
だけど、そいつは最初から、あたしよりも、ずっとずっと上に居たんだよ。
そいつが自分の才能を自覚してなかっただけだ。
そいつはもう、自分の力だけで夢を叶えられる。
じゃあ、あたしは、いったいなんなんだ?
振り出しに戻った。
ただの要らない子だ。
「ちょっとリリカ、なーに暗い顔で、一人で考え事してんのよ、ほら、今夜は祝杯なんだから。もっと楽しそうにしなさいよね!」
居酒屋中に響き渡る酔っ払ったはたての大声と同時だった。
突然、はたてがテーブル越しに、あたしの鼻を摘んできた。んで、あたしは強引にグイッと天井を向かされて。口にジョッキらしきものをあてがわれて、レモンチューハイを流し込まれたね。
一気に四リットルくらい。
「んがごごごごごごっ!」ってあたしはなった。
「あら、ピッチ空になっちゃったわ」
あたしの喉に流し込まれたのはピッチまるまる一本ってことっすね。
お前、ピッチごと人に酒飲ませるとか、普通に相手が、普通に霊体じゃなかったら、普通に死ぬぞ普通に。お前ら天狗の酒量を基準にすんの、とりあえず普通に止めろ。
「おばちゃーん、追加持ってきて♪」
はたてが、三十五杯目のピッチをご機嫌そうに注文するのと同時。
「ブフー!」
あたしは気管に詰まったチューハイを吹きだしたけど、酸欠すぎた。
バタンキューだ。
座敷の畳にぶっ倒れた。
「お、おい、はたてェ……」あたしはピクピクしながら言った。お腹はたぷたぷだ。
「なあに?」
はたては、おばちゃんからチューハイを受け取りながら、ニコニコして答えた。
「一人で飲んでろよ。あたしは、酒飲む気分じゃない」
「なによ、まーだ、あのプロデューサーのおっさんの言った事、気にしちゃってるの?」
「あ、当たり前、だろ。実際、あいつの言った通りだもん。はたてだってわかってるでしょ」
「わかんない」
はたて、あたしの顔の前で畳にぺたんと正座した。んで、ニコニコしたまま、あたしを至近距離からじーっと見詰めてきて。
「だって、リリカがダメな奴だって、最初からわかってて、一緒にバンドやろうって思ってたんだよ?」
これがイヤミだったら、ぶん殴ってやればオーケーなんだろうけど。
なんてこった。はたてはピュアな眼差し。
「だけどさ、もうちょいはたて、マジになって考えてみなよ。あたしなんかに付いてくるより、あのおじさんに付いていった方が、絶対良いに決まってるじゃん」
「でしょうね。でも、ふーん。それが、どうかしたの?」
「あたしの言った事、何か間違ってたら、言ってみろよ」
「間違ってないよ。私がアイドルグループに入って密着取材すれば、新聞大会にも余裕で優秀だろうね。リリカに付いて行くより確実に。だけどね――」
と、はたては、チューハイのピッチに口を付けて、ごくごくごくごくと四㍑一気飲み。プハーっと息を吐き。
「――私、姫海棠はたては、リリカと一緒にやりたいの。だって今、ここでこうして、ご機嫌にお酒飲んでられるのは、今日、リリカと出会えたからだよ。私はね、リリカに超感謝してるのよ」
って言って、またまた顔を、すんげー近づけて来て、ニコニコニコニコしてやがる。
なんだよ、お前。
そういうセリフ、至近距離から言うなよ。すげー照れるだろ。お前ちょっとくらい照れながら言ったりしろよ。普通にニコニコしながら言うなよ。
いつもは我が儘ばっか言ってやがるのに、酔っ払うと素直になっちゃうのなお前。いっその事、いつも酔っ払ってろよもう。
「リリカは、楽しくない? 私はね。友だちとこうして飲むのって初めてだから、すごい楽しいよ。ほら、あんた言ってたじゃない。悩んでるときは酒でもかっくらって愚痴聞いてやるって。
だから、なんでも聞いて上げるよ。ドン底に転がり落ちそうなったら、お互いを引っ張り上げるの。友だちだもんね」
ああ、こいつ、良い奴だな。
すげえ良い奴だ。
友だちになって良かった。
ほんとうに、ほんとうに、ほんとうに、ほんとうに、ほんとうに。
ほんとに、友だちになって良かった。
こいつなら本当に、『あたしに付いて来てくれ』って言えば、付いて来ちゃうんだろうな。
『明日のミュージックライブデスマッチ、優勝目指そうぜ。はたてが一緒なら狙えるよ!』とか言ったら、もうなんも考えずに0.1秒くらいで。
『うん、やってやろうねリリカ!』って返事するに決まってる。
だけど、おい、はたて、もうちょっと考えろよ。
あたしがもし、魔が差してそんな事を言っても、絶対に、『うん!』とか言っちゃダメだ。
ミュージックライブデスマッチとYKM48とやらの結成式は明日の同じ時刻。どっちか一つを選ぶしかないんだぞ。
新聞大会で優勝出来るチャンスなんて、カリスマ新聞記者になるチャンスなんて、今アイドルに成るのを逃したら、もう無いかも知れないんだぞ、一生。
だけど、だけど、こいつ馬鹿だからな。あたしが頼めば、付いてきちゃうんだ。絶対。
だったらさ、あたしは、あたしは、こんな良い奴に、最高の友だちに、何をしてやれる?
↓
答えは一つしかない。
あたしは、はたてと一緒に這い上がるのを諦めて、はたてを自由にしてやらなきゃならない。
はたての夢を、叶えてやらなきゃならないんだ。
↓
居酒屋が閉店したあと、はたてと二人、肩を組んだ千鳥足で、だべりながら夜道を歩いた。
あたしは会話そっちのけで考えてた。
どうやって、はたてを説得してバンド辞めさせて、あのプロデューサーのとこへ行かせるか。それをだ。
だけど、アパートの部屋に帰り着いても思いつかなかった。
あたしはヘロヘロ状態で、畳の上へ、ズデーンと体を投げ出した。
深夜の空気に冷やされた畳は心地良くて、三秒で強烈な眠気が襲ってきた。
ぼんやりした視界の中、はたてが布団を敷いてるのが見える。
あいつもヘロヘロなくせに、すげえぴっちり敷いてるんだ。
ほとほと地味に育ちが良いのがなんか、いとおかし、な奴。
だけど、寝間着に着替える気力までは続かなかったらしい。
はたては布団へ突っ伏して、枕へ顔を埋め、その姿勢のまま殻を脱ぎ捨てるカタツムリみたいに、器用に服だけ全部脱いで、タオルケットにくるまった。
それから奴は、でっかいクマの縫いぐるみをガッと掴んで、抱いて、目を閉じた。
と思ったら、瞼を半開きにして、こっちへ視線を向けてきた。
「ねえリリカも布団半分使う? 畳だと、ほっぺにしましまの跡付いちゃうよ」
「んな事するくらいだったら、あたしの分も敷いてよ。動きたくねー」
「布団なんて、私が持って来たの一組しかあるわけないじゃない」
「じゃあもういいや。つーか眠ぃ、一ミリも動きたくない」
「でも、私だけ布団だと、居候のくせにずうずうしくて、傲慢な奴みたいじゃない」
「あー、なんだそれ、お前の自己紹介か?」
「うっさいわね。じゃあ、ぬいぐるみ貸して上げようか? どれがいい? 猫さん? 兎さん?」
「いらないよ暑苦しい」
「リリカは何も抱っこしないでも、ちゃんと寝られるの?」
「はたては、そうしないと寝らんないの?」
はたて、こくっと頷いた。
「じゃあ、お前、段ボールハウスでも、そうしてたのか」
はたて、こくっと頷いた。
きっと女子力が高そうな内装の段ボールハウスだったんだろう。
その中で、ぬいぐるみを抱いて、不安に震えて眠るはたてを想像すると、無性に切ない。
「ねえリリカ、やっぱこれじゃ、なんか悪くてぐっすり寝られないよ。こっち来なよ」
めんどくせーよ、って言う間もなかった。はたてにガッと掴まれた。んで、布団の上にどさっと置かれちゃいました。
まあ、確かに畳の上よりは寝心地は良い。
だが、特大クマさん縫いぐるみが、えらい邪魔だ。
「おい、せめてクマさんどうにかしろ。狭いし、モフモフしくて暑い」
「うん。わかった」
クマさんが布団の外へ置かれた。
そしたらまあ、ああ、そうか、こうなっちまうよねそりゃっていうか。はたてはクマさんの代わりに、あたしにしがみついてきたわけだよ。子供が母親に寄り添うみたいに。
「おい、はたて、余計暑苦しい。汗臭い、酒臭い」
「あ、リリカって、ひんやりしてるのねえ。エアコン要らずだわ」
あたしの話なんざ聞かずに、はたては気持ちよさそうに頬ずりしてきながら。
「私ね。子供のころから、友だちが出来たら、してみたいことがあったんだ」とか言った。
「はたては子供の頃から、友だちをエアコン代わりにしたかったのか?」
「違うよ。友だちの家にお泊まりしてみたかったの。今日、夢が叶っちゃったんだね」
そういうのって、天狗なら子供の頃に普通にするんじゃないのか。とか言おうかと思ったけど、やめた。
はたてが、ちょっぴり不器用な人生を歩んで来てるのは、今日一日で良く判っちゃったよ。
「そっか、良かったじゃん」って、あたしは言った。
「うん。それでね。寝るときに、真っ暗になった部屋で、恋バナとかするの」
「なんだよ恋バナって」
「どういう男の子が好みだとか、彼氏が出来たらどんな事をしたいか、お喋りだよ」
「あんま騒霊相手にする話でもないね」
「どうして。リリカは好きなタイプとかないの?」
「あたしは超常現象、ポルターガイストだよ。普通の霊みたいに“男や女だった”事すらない。たまたま人間の女の姿してるから、はたてたちと一緒と思うかも知れないけど。根本から違う。
ほら、体だって冷たいだろ。そうやって裸でひっついてると風邪ひくかもよ」
「でも、私と友だちになった、みたいな感情はあるんでしょ。男の子と恋愛だってするんじゃないの?」
「どうなんだろうね。してみたいな。昔からちょっと羨ましかったよ。天狗とか人間が、好きだ嫌いだとか大騒ぎするのがさ。楽しそうだって思ってた」
「じゃあさ。もしリリカが、たまたま男の姿してたら。今どうなってたのかな」
あたしの肩を掴んでたはたての手に、少し力が込められた。
「そしたら私、たぶん、リリカの事、好きになっちゃってたろうね。リリカも私の事、友だち以上に思ったりもしてくれたかな?」
ああ、なんてこった。
こいつを、このはたてを、どうにかバンドから追い出さないと、夢を叶えてやれない。
どんだけ人生って、ままならないもんなんだろうな。
「可能性は」と、あたしは言った。「可能性は、あるだろうね。結構、割りと、十分に」
「じゃあさ、じゃあさ。もしそうだったらさ、今頃、二人で凄いことしてたかもね。もちろん性的な意味で」
とっても楽しそうに、はたては笑った。
「可能性は、あったろうね。だけど――」
言うなら出来るだけ早いほうが良い。説得出来る内にしたほうがいい。
これ以上、はたてと一緒に居たら、離れたくなんかなくなっちゃう。
間違いなく、はたての夢を潰してでも、一緒に居続けたいと、願ってしまう。
「――言わなきゃなんない事があるんだ。今から、真剣にあたしの話、聞いてくれないかな」
でも、はたては何も答えない。
「ねえ、はたて?」
どうしたのかと思ったら。
はたて、寝てた。
すごく暢気な顔で、すーすー寝息立てて、口をだらしなく開けて、涎垂らしちゃってた。
そんな顔を見てたら。
せめて今夜くらいは。って思っちゃったんだ。
大丈夫、せめてあと数時間、この酔いが覚めるくらいまでは。今日はたてと出会って見る事が出来た夢を、見続けても……あたしは、たぶん、きっと、おそらく、ちゃんとサヨナラ出来る。
↓
「リリカ。起きてよリリカ」はたての声で目が覚めた。「私、そろそろ行かないと」
いきなりなんだと思ったら。
はたて、ぴっちり着替えて玄関の外に立ってた。
出かけようとしてる様子だった。
やけに神妙な顔してる。
「んー、何だよ、ご飯でも食べに行くの?」
起き抜けに目を擦りながら、時計を見てみれば、お昼前だ。
バーリトゥードミュージックデスマッチは午後からだから、今から昼食を食べて、ちょっと練習すれば丁度よさそう。
「あたしもプリン食い行くよ」
って言って、布団から這い出ようとしたら。
「私、アイドルに成ってくるよ」って、はたては言った。
何を言われたのか、わかんなかった。
自分が寝ぼけてるのかと思った。
網戸から、油蝉の鳴き声が、じーわじーわと入って来てた。みーんみんみんみんみんみーん、とかミンミン蝉の鳴き声が急き立てるみたいに、どんどん大きくなっていってた。
「え」って、あたしは聞き返した。
「リリカが寝てる間に、あのプロデューサーの所へ行って来たの。話しをしたの。もう決めた」
「なんだよ、それ。ちょっと、待ってよ……」
とか、あたしは言ってた。
なんで、『ちょっと待ってよ』なんて言っちゃってるんだ?
待つも何もないだろ。あたしがやらせようとしてた事を、はたてが自分でやっただけじゃないか。
説得する手間が省けた。万歳じゃないか。
喜べば良いじゃん、喜べば良いじゃんか。
「実はね。昨日、リリカを居酒屋に引きずって行ってた時から考えてたの」
「何をだよ!」
怒鳴っちゃってた。
あたしは馬鹿か。なに大声出してんだよ。
はたてがあたしを裏切ったから? 見捨てたから? 見限ったから?
それはこっちの都合から見ただけだろ。はたてのためには、この方が良いって判ってたはずじゃん。
「リリカが気にしたでしょ。演奏が失敗しちゃって、あのプロデューサーに偉そうな事言われて、あんたに大恥かかせちゃったのって、元はと言えば私のせいだよね。
使い慣れた楽器売らせちゃったからだよね。昨日の路上ライブのあとのあんた、すごく自信なさそうで、私、世界一悪い事しちゃったんだってわかったよ」
「しつこいぞ。楽器売ったとか、もう良いんだよ。はたてとバンドやりたかったから、そうしたんだ!」
「私もリリカとバンドしたいよ。でも、それって私の我が儘なんだよ。私のせいであんたが犠牲になったら意味ないもん。私は、リリカが自分の力でビッグになる夢を叶えて上げたい。
だからね。楽器を買い戻して上げたいと思った。さっき山に行って、あのプロデューサーにふっかけてみたんだ、ダメ元で――」
はたては、大きく深呼吸した。
「――私がアイドルグループに入る条件として、契約金でも何でも良いから、お金を出してって言ってみた。リリカが払ってくれた額と同じ額だよ。そしたらね。『うん、いいよ』って二つ返事であっさりOKされちゃった」
「そんな金なんて絶対受け取らない。どこにも行くな、はたて!」
「リリカはもう、自分のサウンドがあるでしょ。今なら楽器さえ取り戻せば、今日のイベントで優勝する事だって出来るはずだよ。これで、良いんだよ。
私は間違ってない。正しい事をしたんだよ。リリカは私を助けてくれた。だから今度は私が助ける。これでフェアでしょ」
はたては、俯いた。その拍子に涙が、ポタポタと廊下へ落ちた。
あたしの視界も、涙で滲んできていた。
お前が居なきゃ、優勝なんか出来るわけないだろ! と叫びたかった。
だけど、それだけは、言っちゃいけない。
はたての夢を潰しちゃいけない。
あたしは、あたしは、あたしは、ダメで要らない子かも知れないけど。
一番大切な友だちの夢くらいは、ちゃんと叶えてあげないと、いけない。
「じゃあ、元気でねリリカ。私、ここも出て行かなきゃ。アイドルがボロアパートじゃイメージ悪いからって、山のマンションに引っ越せって言われたんだよ。
お昼ご飯つくっておいたから、食べてね。楽器は必ず買い戻して、イベントに間に合うように持ってくるから」
扉が、閉められた。
廊下をはたての足音が遠ざかって行くのが聞こえた。
そして、聞こえなくなってから、あたしは部屋の隅っこに置かれたテーブルを見た。
スパゲッティーとプリンが置いてあった。
それが、たまらなく虚しかったんだ。
『ボロアパートに残されて、一人でスパゲッティーとプリンを食う自分』という現実が象徴する物を想像したら、我慢ならなかった。
テーブルを力任せに持ち上げた。
窓を全開にして、そっからぶん投げた。
派手な音を立てて、庭に転がった。スパゲティーがブチ撒かれた。
それでも気が済まなかった。
大声で泣いた。
泣きながら部屋の壁に跳び蹴りして、頭突きして、膝蹴りして、何度も何度も殴り付けた。
これで良かった。
これで良かったんだよ。
何度も自分に言い聞かせても、悔しさも哀しさも去ってくれない。
だって、ほんとは、これで良かった事なんて、一つも存在してない。
もし昨日、あたし自身が、自分のサウンドをものにして、はたてと並んで活躍できるくらいの度量があったら。
はたての才能に臆したりすることなんてなかった。そうすれば、あのプロデューサーに偉そうな事言われたって、凹むこともなく、堂々と胸張ってはたてへ、『黙ってあたしに付いて来い』なんて言えたのに。
もし、イベントではたてと一緒に優勝する自信が本当にあれば、『おい、はたて。アイドルなんか目じゃねーつってんだよ。あたしらのバンドで世界の天辺ってもんを、一緒に見にいこうぜ』くらいは言えた。
言ったって良かったんだ。
結局、こうしてアパートの壁に八つ当たりしてるのは、自分自身の不甲斐なさに原因が行き着く。
ビッグになるとか大口叩いてるくせに、あたしは、いったい、なんなんだ?
なんだもなにも、ないよ
『ボロアパートに残されて、友だちが作ってくれたスパゲッティーを窓からぶん投げる要らない子』
こいつが、世界中のどこ探しても他に居ない。本物のあたしの正体。
「やあ、あたし」って自分自身に声を掛けてみた。「お前、家を飛び出した時にも、どうしようもない奴だと思ってたけど、ここまでだとは思ってなかったよ」
「スパゲッティーもったいなかったな」って自分自身で答えてみた。「せっかく、はたてが作ってくれたんだから、せめて食べるべきだった」
「でも、これで良かったんだよね。今の要らない子なあたしが、姉貴どもとの勝負を、はたてに頼って勝ったとしても、寄生状態に戻るだけだった」
「はたてと一緒にバンドやるなら、あたしはあたしのサウンドをものにしなきゃダメなんだよ。今日はさ。これでよかったんだ。姉貴どもにあたし一人がフルボッコにされて、安酒かっくらって、ふてくされればいい」
その時だ。
部屋の扉が、ドカッと蹴っ飛ばされて開けられた。
そして若い男が土足で踏み込んで来たんだ。
一見してマトモに見えない奴で、シャツの胸元をバッツリ開けてて、そこへ南京錠をチェーンで首からぶら下げ、履き潰したレザージーンズ、
髪の毛をツンツン逆立ててるというパンクを絵に描いたような風貌。血まみれのプレシジョンベースをズルズル引きずって来てる。
で、あたしの目の前で止まって、カーペットに唾吐いた。
んで、「バーカか。テメーは、どこまでクソッタレの負け犬野郎なんだよ」って言った。
誰だよコイツ。
「なーにが、『これで良かった』だ。クソッタレなエクスキューズしてんじゃねーよクソッタレ。お前はずっとそうだ。負け慣れすぎてんだよ。
負けると悔しいから言い訳するんだろ。だったらもっと正直に悔しがれよ。お前みたいに世の中に対して、言い訳ばっかりして、自分を曲げてる野郎には反吐が出るんだよ。
お前がこれまでの人生でしたのは、負けた時の言い訳を、クソを垂れ流すみたいに口からひりだす事だけだ。しかも勝負に挑む前に。他に何か、今までやれたことがあったか? おい、言ってみやがれクソッタレ」
なんで、こいつ、こんなにあたしの事、知ってるんだ?
「そんな事言ったって、あたしみたいな凡人が、姉貴どもみたいな天才に――」
「ほら、まただ。どうしようもないクソッタレじゃねえか。だけど」
とパンク野郎は言った。
「ハタテはお前が勝つと信じてるんだぜ。楽器さえ取り戻せばお前が勝つと信じて、お前に勝って欲しいから、自分を売って、楽器買い戻すって事だろうが。
もし、今日、お前が負けたら、お前を信じたハタテは、どうなるんだよ。なんのためにハタテは、泣いてここを出て行ったんだよ?」
もし、あたしが勇気のサウンドすら、ろくに披露出来ずに姉貴どもにボコボコに負けたら――
――はたてに、あたしはなんて謝れば良い?
何億回謝っても、地球が割れるくらいフライング土下座しても、償えるわけがない。
はたてがあたしを信じてくれた思いを、絶対に、無駄にしちゃいけない。
はたてがくれた今回の勝負は、何があっても勝たなきゃいけない。
「だろリリカ。ダチが信じてくれるのを裏切りたくないなら。絶対勝つ気合いで行くんだよ。おい、何がなんでも、勝ちたくなっただろう?」
「最初から……最初から、勝ちたいに決まってんだろ。だいたい、いきなり、なんだよお前。つーか誰だよ!」
「それについては、僕から説明しようかな」
別の男の声が廊下からしたと思ったら、今度は四十歳くらいの白人のオッサンが部屋に入ってきた。リッケンバッカー325を肩に提げてだ。
そいつも普通っぽくなくて、長髪に髭面な第一印象は、『ヒッピー系新興宗教の教祖』って感じで、丸メガネの奥にある目は、パッと見は優しそうだけど、どことなく影のあるオーラを纏っている。
「まずはヒントその①だ」
と、オッサンは言った。
「僕とこのパンク小僧と、君の『手足を使わずに演奏する能力』がリンクしているを感じないかい?」
言われてみて気付いた。
能力をリンクさせていた楽器から感じるのと同じ感覚を、このオッサンとパンク野郎から感じる。
「ヒントその② 君の幻想の音を具現化する能力。失われてしまった音を再現する力だ。その力を有名な楽器の霊体へ強力に作用させれば、きっと楽器が内包している“幻想の音”を再現するのだろうね」
「ど、どういう事なの、あたし、わけわかんないよ。お前らって、もしかして楽器の持ち主の霊、とかなの?」
「それは違う。僕らはあくまで、外の世界の憧れが集合して出来上がった“幻想の音”だ。本人からはほど遠い、ステレオタイプな存在でしかないよ。
そんな幻想を、君は具現化させてしまったんだね。これが僕らの正体さ」 と、オッサンはギターをじゃら~んと鳴らして。自分自身とパンク野郎を指さした。
まさか、これが、ルナサが言ってた、“幻想の音を奏でる能力の本当の使い道”……なの?
「だけどさ」とあたしは言った。「今まで、こんな、具現化なんかしたことなかったのに」
「それは、あなたが――」
と、またまた知らない男が部屋に入ってきた。
説明不要なほどの正統派イケメン青年だった。めっちゃ繊細そうな顔立ちをしている。
だけど、服装は正統派じゃなく物凄い厚着だ。真夏だっていうのにコートをしっかり着込み、手袋までしてる。
「――今まで、ここまで追い詰められた事がなかったから、なのではないですか。家出してきた時ですら、『どうにかなる』と思ってた。けれど、今は違う。
大切な友人を喪失し、自信も喪失し、たった一人で自分を必要としない世界へ、立ち向かわなければならなくなってしまった」
「だからって、こんな事いきなり出来るように……なるなんて」
「違いますリリカさん。出来るようになったのではない。元々出来たはずなのに、これまでのぬるま湯のような寄生環境のせいで、本来の能力が必要とされていなかっただけです。
さあ、こんな話はどうでもいい。イベントまで時間がありません。早くリハーサルの一つでもするべきだ」
「え」
「え、ではないでしょう。我々の利害は一致しています」
「リハーサルは賛成だけど……利害って何さ」
「さっき具現化した皆に話してきたんだよ」
とリッケンバッカーのオッサンが言った。
「こうして僕らが“復活”出来た記念と言ってはなんだけど、イベントで派手に演ろうってね。みんなそれぞれリリカに協力する動機は違うと思うけど、
全員が生粋のミュージシャン、久々の大舞台だ。皆ワクワクしきってる。君の味方だ」
「オッサン、あの楽器たちを説得して、あたしに使えるようにしてくれたの?」
「ああ、復活させてくれたほんのお礼だよ。僕も、“もうちょっとやりたい事が残ってたんだ”。感謝してる」
「私としては」
と厚着イケメン。
「リリカさんの下品な音楽はナンセンスとしか思えないが、昨日のハタテ君の歌声には感動を覚えました。彼女を悲しませないためになら、今日の低俗コンクールでも、CD318の音色を響かせてもいい」
「なあリリカ」
とパンク野郎。
「ダチの期待や信頼を裏切るのだけは止めとけ。最低の気分になるぞ。テメーの“らしさ”は勇気なんだろ。
だったら、負ける事は考えるな。絶対勝つんだよ。自分らしいマイウェイってもんを貫くんだ。最高の気分になれるぞ」
あたしは、頷いた。
「ありがとうお前ら。やってやろうよ。はたてに見せてやろう。あたしはちゃんと夢を叶えるから、お前もお前の夢を叶えろってさ」
リッケンバッカーのオッサンが指をパチンッと弾いた。
「よし、じゃあ早速リハーサルだ。僕がみんなを外へ集めておく。リリカは顔を洗って歯磨きした方が良い。酒臭くてしょうがないよ。そんな息でリードヴォーカルをやられたら、堪らないからね」
↓
そして、イベント開始ギリギリまで、アパートの裏の原っぱでリハーサルをし終わった時。
あたしはワナワナ震えていた。戦慄、だと思う。
具現化した“幻想の音”たち全員が、あたしを目の前にして刮目していた。ある者は笑顔で、ある者は驚愕の表情で、ある者は賞賛を込めた苦笑いで。
これで、姉さんたちに勝てる、と思ってしまった。
なんというか、今さっきのリハーサルは、これまで聞いた事が無い別次元のスゲーモノだった。
今、具現化してる“幻想の音”たちは、これまで使ってきた霊体の楽器とは、幻想の強度というべきものがまるで違う。
きっと人型になって人格を持ったのも、外の世界で生まれた幻想がとてつもなく強いものだからなのだと思う。
音楽の英霊、とでも言うしかない。姉さんたちが持ってるような『鬱』や『躁』のサウンドといったああいうのを、みんなそれぞれが持ってる。
それらのサウンドを、あたしが能力を通して自在に引き出す事が出来た。
姉さんたちが、鬱や躁、それぞれ一つしか特化して演奏出来ないのに。あたしがたった一人で、その何倍もの種類を行使することが出来てしまったってことだ。
しかもだ。
あたし自身も、昨日あれだけ練習して、出せなかった勇気のサウンドが、まだ不完全な手探り状態だけど、再現出来るようになっていた。
はたてに有って、あたしに無かったものの欠片だけでも、今のあたしの中にはちゃんとあるらしい。
昨日までのあたしには無くて、今のあたしには有るもの。
その正体はまだわからないけど――。完璧まではあと一歩、まだ足りないけど――。
「世界の中心へ、ようこそリリカ」
リッケンバッカーのオッサンが、なんだか切なそうな顔で拍手していた。
「もう君の優勝で決まったようなものだね。世界の端っこから、一気に王座に昇り詰める気分はどうだい?」
そうだよ。優勝だって夢じゃない。
これなら、はたてに楽器を買い戻して貰わなくても、余裕でいける。
今から、はたてを呼び戻す?
それはいいね。そうしたいけど。
必ず優勝出来るって決まったわけじゃない。はたての夢を叶えてやるなら、アイドルやらせてたほうが確実だ。
あいつと一緒にバンドやるのはさ。
今日、あたしがちゃんと優勝してからでいいじゃん。
ナンバーワンになって、はたてを迎えに行って、胸張って、『あたしに付いて来い』って言えばいい。
「正直さ、オッサン」
ってあたしは言った。
「ズルしてる気分だよ……結局、自分の力じゃなくて、お前らの力を借りてるだけって気もするし。幻想の音を再現する能力だって、努力して手に入れたものじゃない」
「言いたい事はわかるよ。だけど、今さっきの演奏を成り立たせるには、君自身の勇気のサウンドが不可欠なのを忘れちゃいけないし。
僕ら一人一人の持つ特性を理解して、複数同時に使いこなすという、常識外れの演奏技術も必要になる。リリカにしか出来ない、世界唯一の音楽だ。誇っていいんだよ」
リッケンバッカーのオッサンが、微笑んだ。
あたしは、思わず、頷いちゃった。
「それにねリリカ。本当に努力をせずに手に入れた才能でも、遠慮なんかしちゃいけないんだ。優れた音楽家には皆、義務がある。
才能を独り占めせずに、世界中に音楽を発信し、共有しなければならないという義務がね。
だから、生まれ持った才能でも、努力で磨いた才能でも、区別せず行使しなきゃダメだ。出来るだけ攻撃的にね。それが、ここに居る僕ら全員が、全世界に向けてやってきたことだ」
“幻想の音”音楽の英霊たちの皆が、頷いた。
あたしも、もう一度、頷いて。
「オーケー。吹っ切れたよ」って言った。「聞いてくれみんな。宣言しとくよ。たった今からが、あたしらの時代だ。幻想郷の奴らに、それを教えに行こう。世界、獲り行くぞ」
↓
太陽の畑。
背の高いヒマワリが、見渡す限りびっしり群生。
そんな真ん中にある広大な草地に、特設ライブ会場が作られていた。
空気の匂いは純度100%ヒマワリ風味、風の匂いもヒマワリ風味。飛び交うミツバチも100万匹。
気温はたぶん四十度を超えている。
あたしが“幻想の音たち”を連れて到着した時には、既に観客たちが詰めかけていた。幻想郷全部の人間と妖怪が集まったら、こうなるんじゃないかってくらいの人数だ。
ステージの上では、テレビ局の作業員が音響設備の調整などで慌ただしく動き回り、アナウンサーが原稿を読み直して司会のリハーサルをしている。
「へえ」とリッケンバッカーのオッサンが関心してた。「ウッドストック・フェスティバルもこんな感じだったのかな。ワクワクしてくるよ」
そしてスタッフから案内されて、プレハブの楽屋に通された。
その中には一般公募のミュージシャンが詰め込まれていて、エアコンは掛かってたけど、暑くてしかたがない。
とりあえずどっかに座ろうと、空いてる場所を探してたら、アシスタントディレクターに呼びだされた。
「イベントの厳正な競技性を担保するために、演奏する順番を決めるための抽選を生中継でします」らしい。
各バンド等のリーダー十数名が集められ、ステージへ向かってぞろぞろと歩いた。テレビカメラがそんなあたしたちの様子を撮影している。
舞台袖に到着した時だ。
ゲスト出場枠のミュージシャンたちの行列と鉢合わせた。ルナサが居た。目が合った。自信たっぷりにこっちに笑いかけてきたよ。
あたしは緊張しちゃったんだろうね。思わず生唾飲んだ。
ルナサは、「調子はどうだ?」脳天気に手を振ってきた。
「バ、バッチリだよ。首洗って待ってろよな。姉さんたちが、腰抜かして驚くようなの、見せてやんよ」
「そりゃ楽しみだ。私たちも新曲を用意した。リリカ抜きの、メルランと二人で演る事を前提にした初めての曲だ。全力全開の真プリズムリバー楽団って奴を聴かせてやるよ」
抽選の開始を、司会のアナウンサーが告げた。
そして、あたしたちがステージへ上がると同時、観客からの歓声が爆発。
ステージから見渡す草原いっぱいに、人や、人じゃない者たちで、びっしり埋まってた。騒いでた。
今まで散々、太陽の畑でライブはやってきたけど、ここまで人数が集まったのは見たことがない。
体の中で、血が騒ぎだしてきたのを感じる。興奮が一秒ごとに高まっていく。心が躍り出そうとしている。
司会のアナウンサーがステージ最前に立った。
彼は大きく息を吸い込んで、マイクを握り締め、第一声を放った。
「さあ、いよいよ始まりました。『全幻想郷バーリトゥードミュージックライブデスマッチ』ここに集うは、幻想郷中のアーティスト。
参加条件はただ一つ、『我こそはナンバーワン』という自負のみ。ジャンル不問のバーリトゥード。プロアマ不問のデスマッチ。リハーサルなしぶっつけ本番サバイバルです!」
アナウンサーに呼応して観客たちが、さらに歓声を大きくした。
「勝負の判定は至ってシンプルです。観客・テレビ視聴者のみなさんからの千点満点での投票の平均点を集計し、最も高得点のアーティストが優勝となります。では早速、抽選と参りましょう」
抽選は単純なクジ引きだった。
結果はすぐにステージ上の巨大スクリーンに表示された。
ポールポジション、一番最初に名前が出て来たのは、死ぬほど良く知ってるバンド名。
『プリズムリバー楽団』
それから、二番手、三番手、と表示されていくアーティスト名は、まさにカオス。テレビやラジオでおなじみの大御所の名前もあれば、無名のアマチュアまで一緒くたにチャンプルー。
ジャンルも演歌、クラシックから、ロック、エレクトロポップ、ハードコアテクノ、民族音楽までの、なんでもあり。
そして、『リリカ』あたしのエントリー名が表示されたのは最後。
姉貴たちのパフォーマンスでスタートで、あたしがラスト、という組み合わせだ。
「さあ、順番が決まりました!」
アナウンサーが興奮気味に声を張り上げた。
「なんと初っぱなから、『プリズムリバー楽団』の登場となりました。皆さんご存じ、ルナサ、メルラン、あと、もう一人、ええと、なんだっけ、そう、リリなんとか三姉妹の――」
「リリカだ馬鹿野郎!」まあ、あたしは怒鳴ったね。「それに、もうあたしはプリズムリバーじゃねえ!」
「――こ、これは失礼しました。ともかく、幻想郷で最も人気のあるバンドと言っても過言ではありません。優勝の大本命と予想している視聴者の方も、多いのではないでしょうか。
なんと今回は未発表曲を披露してくれるようです。彼女らのパフォーマンスは準備が終わったら、すぐ始まります。CM中もチャンネルは、そのままでお待ちください」
ルナサとメルランだけをステージ上に残して、あたしら他の出演者は舞台袖に引っ込んだ。そのまま楽屋へ戻る奴も居れば、観客の中に混じって、姉貴どものパフォーマンスを待つ奴もいる。
あたしは、宙に浮かんで観覧してる妖怪に混じって、姉貴どもが準備してるのを眺めた。
だけど、なんか様子がおかしかったんだ。
ルナサもメルランも、バイオリンとトランペット以外の楽器を連れて来てない。
姉貴たちだって、一通りの楽器を扱えるし、複数同時に演奏するくらいの事はする。普段のライブでそれらの芸当は、もっぱらあたしの担当であったにせよだ。
つまり、あいつらが今から演ろうとしてる新曲は、ルナサの宣言通りに、あたしを抜きにした全力全開を見せつける専用の曲って事だ。
舞台袖からディレクターがアナウンサーへ合図を送ったのが見えた。CM明けらしい。
「はい、では早速、一組目、いって頂きましょう。プリズムリバー楽団です!」
アナウンサーが大げさな手振りで、ルナサたちを紹介。
メルランがカメラに手を振り、笑顔で会釈し。ルナサは会釈の一つすらせず無表情でバイオリンを肩に構え。
唐突に。演奏が始まった。
いきなり全力全開のルナサのソロパートだった。容赦なしの鬱展開。なんの前置きも前振りもなく、
不安感をひたすら煽るバイオリンの音色のせいで、まるで手足を縛られて、巨大な穴の中へ突き落とされるような、抵抗不能の恐怖に心が囚われた。
そして穴の底へ自由落下で叩き付けられる錯覚すらした寸前。
バイオリンの音が、トランペットの威勢の良い旋律に取って代わられた。
出し抜けにメルランのソロパート、だった。これまた容赦なしの全力全開。
一瞬で、有頂天、としか言いようがない興奮に耳が囚われて、縛られていた手足が解放され、自分が居たはずの穴の底から、第六宇宙速度くらいで急上昇するような高揚感。
そして不安の底から、脱出する瞬間、物凄い快感があった。
一気に不安の穴から飛び出し、そのまま雲を突き抜け、成層圏も突破して、衛星軌道からもサヨウナラ、太陽系すらも振り切って、銀河からも飛び出し、宇宙の果てにまで到達して。
これ以上、ぶっ飛んだら、どうなっちゃうんだろう。しょうもないほどワクワクしてて。
気付いたら、隣に居た知らない妖怪たちと、なんかあたし、両手を握って踊ってた。
他の観客たちもだ。ダンシング、ダンシング、ダンシング。
姉貴どもの新曲とやらを、冷静に聞いてようと思ってたけど、どうでも良い気がしてきた。もうこんなイベントなんかいいから、ずっとこの曲を聴いていたいと思ってしまった。至福感。
その至福感の正体はきっと、メルランのトランペットの音に混じりだしたルナサのバイオリンによるものだ。
躁と鬱、相反するはずの二つの音が、奇跡的なバランスで調和していた。
調和のせいで不安の底から脱出した時の凄まじい快感が蘇ってきて、宇宙の果てまでぶっ飛んだカラダの中で、どこまでも心地良く持続し、快感が無限に広がっていくような気すらして。
突然、演奏が終わった。
もちろん、何かの事故とかじゃなくて、普通に終わっただけなのだけど、数分に満たない短い曲に感じた。
だけど、時計を見れば十五分以上経ってる。
体が、心が、もっとルナサとメルランの演奏を聴きたいと、強烈に訴えてる。
「アンコール!」隣の妖怪が叫んでた。アンコールを叫んでるのはそいつだけじゃない。会場の全員が叫んでて、採点用の押しボタン式スイッチを連打してる。
一人が連打したところで、集計されるのは一回だけなのだけど、気持ちは良く判る。あたしもスイッチを持ってたら、満点を連打してるに違いない。
だけど、同時に、体が震えてた。
躁と鬱、たった二種類の音だけで、ここまでの事を表現して、叩き付けてくる姉貴どもの才能のスゴサってのを、改めて思い知らされた。
自分たちの出せる音を熟知し、それを生かし切れる曲を作り、表現の完成度を高めること。
たったそれだけのシンプルな事を極めるだけでも。躁と鬱があるだけで、躁と鬱の間にあるモノゴト、つまりは、ほとんど全ての情動を表現することが出来る。
プリズムリバー楽団の核になっていたのは、ルナサの才能でも、メルランの才能でもない。
ルナサの音とメルランの音の、“音の間にある無限のもの”そのもの。
あの二人は対極の音を出してたんじゃない。二人で一つの音・世界を作ってたんだ。
もし音楽に本質なんてものがあるなら、たぶん、それだけだ。
何を表現するのか、それをどれくらいの完成度で再現出来るのか。
音楽の英霊を何人も従えて、何種類もの音の特性を操れるとか、そんな事だけで勝てる勝負じゃないんだ。
ルナサとメルランがやった事を、あたしはあいつらより上手くやらなきゃいけない。
音楽の英霊たちが持ってる特性を、どれだけ引き出し、どれだけ巧に組み立て、演奏する事が出来るのか。
あたしに、本当にそんな事が姉貴たちより上手く出来るの?
やっぱりどうせ、あたしなんか所詮、リリなんとかさんだし――
――違う。違うだろ。
あたしは今、姉貴どもと同じ土俵の上には立ててる。
しかも姉貴たちより、多くの音を使える。作曲でも演奏でも技術的に劣ってるつもりだってない。
前提条件《ハードウェア》だけなら、こっちのほうが有利なはずなんだ。
あとは私《ソフトウェア》次第だ。
だから。
もう何も、言い訳なんか出来ないんだぞ。
負ける事を考えてたら、これまでと同じ負け犬人生の繰り返しだ。
今日、この場で、必ず、あの、最大の敵たちを、倒すんだ。
「さあ、得点の集計が終わったようです!」
アナウンサーが叫んでた。
「再度、説明いたしますと、得点は平均点によって競われます。ただし評価数自体が平均以上に達しない場合は強制的に0点となり失格。プリズムリバー楽団は1000点満点中、何点になるでしょうか!」
ステージ上の巨大スクリーンに集計されたスコアが表示された。
999.99
会場が静まりかえった。
大観衆が物音一つたてずに、ただ唖然とスクリーンを眺めてる。
「な、なんといいますか。優勝決まっちゃいましたよね……これ。システム上の実質的な最高点ですよね?」
と、アナウンサーがスコアを見ながら口をあんぐりさせてた。
「番組が始まった瞬間に終わっちゃいましたね。番組編成的にあり得なくないですか……もう盛り上げようがないし、ま、まあ、これも出来レースじゃない証明、生放送の醍醐味ということですね!
ていうか、もうプリズムリバー楽団が優勝で、あとは楽団のライブ中継じゃダメですかねディレクター。絶対そっちのが数字取れますよ」
アナウンサーが舞台袖のディレクターに真顔で訊いてた。
ディレクターは会場の『アンコール! アンコール!』の声援に混じって、「アンコール!」と自分でも叫んでいたせいで一瞬頷きそうになってた。けど、慌てて首を振り、アナウンサーに何かを指示してた。
「あ、ダメですか。そういえばスポンサー枠の歌手も、この後出ますもんね。残念です」
アナウンサーはすげえしょんぼりしてた。
「では、原則アンコールは禁止なので、代わりに視聴者の皆さんが気になってるであろう事を、質問しちゃいましょう。
あのー、プリズムリバー楽団さん。今日の演奏は一段と凄かったですが、どうも三人目のリリなんとかさんの姿が見えませんが、関係があるのでしょうか?」
ルナサが渡されたマイクを握った。
「とりあえず、お前らこんにちわ」
ルナサの挨拶が、スピーカーから草原へ響き渡った。
間髪入れずに、観客たちからも『こんにちはー!』と返ってきた。
「リリカが居ない事と因果があるかと言われれば、当然、ある。だから、今まで私たちの音楽を聴いてくれてたみんなに、知らせなきゃいけない。
リリカは、プリズムリバー楽団を辞めた。一生戻って来ないだろう。これについて悲観してもよかったが、私もメルランも、前向きにとらえてる」
観客たちが動揺して、どよめいた。
ルナサは深呼吸して、話しを続ける。
「ずっと三人でやってきた仲間だし、掛け替えのない妹だ。寂しいというチープな言い方だって出来る。けどリリカがリリカらしく生きて行くためには、必要な事だと私たちは信じてる。
今回やった曲が、なんで凄かったかと言われれば、答えは二つだ。一つはプリズムリバー楽団が幻想郷のトップであることを、お前らに再教育するため。
もう一つはリリカを徹底的に叩きのめすためだ。おいリリカ」
突然、ルナサがステージから、あたしを指さした。
「どうだ。私たちに勝てる気がするか? お前は999.99より上を獲るしかないぞ。さっき大口叩いてたよな。見せてくれるんだろ。
お前のサウンドで1000点獲るのを。期待してる。私もメルランも、期待してるよ。誰よりもだ。以上、私の話しは終わりだ。じゃあね」
ルナサとメルランがステージから引っ込んだ。
あたしは、二人が居なくなったステージを、ただ見詰めていて。自分の体が、まだ震えてるのに気付いた。
怖じ気付いたんじゃない。
武者震いだ。
敵は強大、申し分なく。見上げても見上げきれないほどに、高い場所に居る。
何時間後かに、その高い場所へ殴り込み、奴らの襟首掴んで、あたしのサウンドを耳元で聴かせてやれば良い。
それはきっと、最高に気分が良い事だろう。
↓
楽屋に戻った。
端っこに置かれた大っきなテレビから、二組目の出演者のパフォーマンスが映し出されてるが、楽屋に待機してる誰も見ていない。姉貴どもの話題で持ちきりだった。
999.99ポイント、事実上の最高点、優勝を狙うのはもう無理だと、皆が口を揃えて喋ってた。
公募枠の楽屋だから、居るのはキャリアの無いアマチュアばっかり、彼らが士気をくじかれても仕方ないのだろうが。
ならば音楽の英霊“幻想の音”たちは、姉貴どものパフォーマンスを聴いて、どう感じているのだろう?
ところが、“幻想の音”たちは、あたしが場所取りさせてといた場所には、居なかったんだ。
みんなどっか行ったらしい。
良く見ると、グランドピアノのCD318の陰に、厚着イケメン・CD318の“幻想の音”が残ってた。何やら夢中で、演奏用の椅子をいじくり回してる。
「ねえ。あいつらどこ行ったの?」と彼に声を掛けてみた。
「うるさい。私の邪魔をしないでもらいたい」
厚着イケメン、不機嫌そうに言った。こっちに視線すら向けずにだ。
「え……あ、ごめん。だけど邪魔するなって。椅子いじってるだけじゃんお前」
「あなたは馬鹿か。椅子の高さを調整しているんだ。会場の温度や湿度によって高さが変わるでしょう」
「んな神経質になる必要なんて――」
「あなたはやはり馬鹿だな。音楽の本質とは、正確さだ。鍵盤にタッチする時、一ミリ単位で指のベクトルが狂うだけで、完璧な完成度から遠ざかる。キーボーディストならわかるでしょう」
「そう言われても、あたしの場合、指で弾いてるように見えても、能力で演奏してるからさー」
「小手先の話しをしてるんじゃない。どこまで自分を追い込んで集中力を高められるのか、という事です。わからないなら、静かにしていてください」
「わかったよ。ごめん」
とりあえず謝って、この場を離れようとしたらだ。
「彼らは皆、景気付けをしてくると、外へ出て行きましたよ」
厚着イケメンがボソッと、あたしを引き留めるみたいに言った。椅子をいじりながらだ。
「皆、あなたの姉君の演奏を真剣に聴いていたんです。あれは素晴らしかった。皆も賞賛し、『これを超える演奏をしたい』というような顔をしていましたよ。それでリッケンバッカーの彼が、皆を外へ連れ出したんです」
あのオッサンか。いつの間にか、あいつらのリーダーっぽくなっちゃったよな。“幻想の音”たちを説得してくれたのもあいつだし、教祖っぽい顔してるだけあって、妙なカリスマあるんだよな。
「ふうん。景気付けねえ。なんでお前は一緒に行かなかったの?」
厚着イケメンは顔をしかめた。
「皆はあの男を持て囃しますが、私は彼の音楽を無価値だと断じている。それに、コンクールという即興性しかない状況で、音楽を比べ合うなんて滑稽だ。
演奏者の調子や、評価する人間が代われば、音楽の価値が変わってしまうという事なのだから。そんな事に闘志を燃やすなど、愚の骨頂です」
「まあ、世の中そんなもんじゃん。どんな芸術だって、評価するのはヒトなんだからさ」
「リリカさんは馬鹿ですね。世の中には絶対不変の美しさというものが、ちゃんとある。誰がどう評価しようが、それは変わったりしない。私が追求するのは、それだけだ」
「その絶対不変ってのも、お前っていう“人間が評価してる”だけじゃないの」
「いいえ。私にはちゃんと見える。絶対不変の音楽というものが、私には見えるんだ」
難しいこと言っちゃって、面倒くさい奴だな、と思ったけど、言わないでおくことにして、近くのパイプ椅子に腰掛けた。
どんなミュージシャンもそうだと思うけど、ライブに挑む前には心のチューニングっぽい何かしらをやったりするはずだ。
このCD318の“幻想の音”は、椅子をいじり回す事が、そうなんだろう。
たぶんリッケンバッカーのオッサンも、それに当たる何かを、みんなを連れてしに行ったのだと思う。
「そういえば、ハタテ君は今頃、どうしているでしょうね」
厚着イケメンが心配そうに言った。
静かにしろと言うくせに、自分からは話しかけて来るあたり、スゲー我が儘な奴だと思う。
「はたてねえ。どうしてるもこうしてるも――」
壁に掛かってる時計を、横目で見てみた。
「――あっちも丁度、YKM48とやらの結成式やってるわけでしょ。最近のアイドルが何やらされんのかは良く知らないけどさ。まー、じゃんけん大会とか選挙とかやってんじゃね」
「じゃんけん大会?」厚着イケメンが驚いた顔した。「そんな事をテレビ中継して、面白いのでしょうか」
「あたしに訊くなよ」
「しかし、このコンクールの裏番組として生放送で、そういう事をやっているのなら。ハタテ君はあなたと約束した楽器を、持って来られないという事になりますよね?」
そういや、そうだ。
今はもう“幻想の音”たちが居るから、約束の楽器はすぐには必要なくなったけど……それをはたてに連絡するのを忘れてた。
はたては楽器を持ってくると言った、あの約束はどうなったんだろう?
それで。
今の時点までに、あいつが楽器を持って来なかったということは……。
約束を破られた……ということになるの?
「ほ、ほら、はたてもさ。きっと結成式の直前で忙しくて、来れなかったんじゃないの」
「ですが、楽器を持ってこなければ、リリカさんが満足に演奏できないと、ハタテ君は認識していたわけですよね。あなたは見捨てられたのでしょうか?」
「そんな訳ないだろ。きっと、どうしようもない理由があって!」
「ハタテ君は気が変わったのかも知れませんね。大金を使って楽器を買い戻すくらいなら、新聞を再発行するための資金にしたほうが良いに決まってる」
「はたては、そういう奴じゃない。優勝賞金で新聞を再開するって約束したし、あたしが優勝するって信じてくれてる。来れなかった理由があるはずだよ」
「約束を破った理由ですか。ああ、そうだ。昨日のハタテ君が、あのプロデューサーを見詰めた目を覚えていますか。恋する乙女の眼差しに見えないでもなかった。
ハタテ君は彼に気に入られるため、何かしらの理由で約束を破った可能性が高いのではないでしょうか。ああ、そう考えると、演奏する気力が無くなってきました」
厚着イケメンは椅子の調整を止めて、ふてくされたみたいに脚を組んで座っちゃった。
「ね、ねえ。勝手な妄想でやる気なくすなよ。今日やる曲はキーボード――ピアノがメインなんだからさ」
「私はコンクールを辞退する。私のハタテ君が、他の男のために尽くすような事をするなんて……」
「お前ちょっと思い込み激しすぎるだろ。『私のハタテ君』ってなんだよ」
「ハタテ君のためにピアノを奏でてあげたかった。ハタテ君のために曲を書いてみたかった。ハタテ君のために、なんでもしてあげたかった。
そうか、なるほど、私は彼女の歌声を聞いた瞬間から、ハタテ君に恋をしていたのか。おお、なんという事だろうか。うん、ならば、私は嫉妬に苛まれて演奏をしない。これが何か、おかしいですか?」
「いや……まあ、妄想する理由もわかったし、言ってる意味もわかるけど……で、でもさ――」
「ああ絶望しました。恋に気付いた瞬間、失恋してしまったこの恋に絶望した! 待っていてくださいハタテ君、今、君の本心を確認しにいく!」
厚着イケメン、ガタッと勢い良く立ち上がり、楽屋の出口へ駆け出した。
「あ、おい。どこ行くんだよ!」
あたしの声なんざ、あいつめ聞いちゃいねえ。スゲー勢いで楽屋から飛び出してった。
あたしは追いかけようとしたよそりゃ。でも慌ててたもんで、何かの楽器のコードに足をとられた。すっころんだ。ドンガラガッシャンって感じだ。
そしたら、あたしは数十秒くらい気絶してたらしい。目を開けたら、他の出演者に体を揺すられてた。
痛む頭を押さえながら、楽屋のプレハブから出て、空を飛び、厚着イケメンを探してみたけど、なんてこった。
太陽の畑は、地面も空も人や妖怪で溢れてる。とても誰かを探せるような状況じゃない。
かといって、放っとくわけにもいかない。あの調子じゃ、本番までに戻って来る気があるとは思えない。
あいつ《ピアノ》が居てくれなきゃ困るんだ。“幻想の音”を具現化させた楽器を鳴らすには、あたしの能力の媒介になる“幻想の音”が演奏してくれなきゃ機能しない。
何が何でも、探し出して、連れ戻すしかない。
CD318の“幻想の音”は、『はたての気持ちを確認しに行く!』とか喚いてたけど、はたては生放送中だ。
アイドルの結成式会場へ行くのだって、招待状がなきゃ山にすら入れない。
おそらく奴は、結成式が終わるのをどこかで待ってるはず。
↓
探して、探して、探しまくった。
太陽の畑はもちろん、街、アパート、実家、全部だ。
それでも見つからない。
あと可能性があるとしたら、CD318の“幻想の音”は妖怪の山に、どうにか潜り込んだ。というくらいだ。
あたしも妖怪の山へ入ろうとした。
そしたら、案の定、山に入る手前の上空で、哨戒天狗に見つかった。
「許可無き部外者の立ち入りは認められぬ。即刻立ち去られよ」
哨戒天狗野郎は仏頂面でこれだ。
「そんな事言わずに、頼むよ。あたしが探してる奴が、山に入ったかも知れないんだよ」
頭を下げて頼んでも。
「不審者が侵入しようとすれば、我々が追い返しているであろう」
「あたしの探してる奴は、能力で具現化してるだけだから、霊力とかは一切無いから探知しにくいんだ。もし林の中を低空飛行で山に登ったら、見つけられない事もあるだろ?」
「職務機密につき、回答しかねる。これ以上、貴殿が山へ侵入すると言い張り続けるならば、実力を持って排除せざるを得ないが、如何するか」
で。
やけくそで強行突破しようとしたら、強烈な風圧の一撃を食らって、街の方向へメッチャ吹っ飛ばされた。
頭がクラクラしたよ。馬鹿なことはするもんじゃないね。
ついでだから、アパートへ戻ってみた。もしかしたら、厚着イケメンが帰ってたりしないかと思ったんだけど。
四畳半の中には、まあ……居なかった。
奴の行き先はやっぱ、妖怪の山なんだろうが……。
畜生め、天狗の知り合いでも居れば、あたしも山に入れるよう手続きしてもらえるけど、そんな知り合い、はたてしかいない。
あいつは生放送中だし、そもそも連絡手段がない。
どうにかして、昨日に××○○○が手引きしてくれたみたいに、山に入ることが出来れば……。
って。あたしは馬鹿か。またあいつに頼んでみればいいじゃん。
アパートの廊下をダッシュ。黒電話に十円玉をぶち込み、ダイヤル回した。
すぐに繫がった。
「こちら××興信所だ。と、言いたい所だが――」
××の面倒臭そうな声の後ろから、やかましい音楽が聞こえてきてる。
「――悪いが今はテレビを見なきゃなんない。またかけ直してくれ。俺が見たいバンドがもうすぐなんだ。あんたが誰か知らないが、暇なら『リリカ』って奴に点入れてやってくれ。じゃあ切るぞ」
「ちょ、ちょっと待てよ。あたしだよ。あたし!」
××が大きく溜め息を吐いた。
「名前くらいちゃんと名乗れと言っただろう、なあリリカ。あとちょいで出番だろ。テレビで、ミュージックライブデスマッチとやら見てたんだぜ」
あとちょいで出番って……。
慌てて時計を見てみた。楽屋を飛び出してから、もう三時間以上経ってる。
「あ、あたしの出番まで、あと何組くらい?」
「ああ? 何言ってんだ。大丈夫かあんた」
「今、会場に居ないんだよ。あとどれくらい時間あるのかな」
「どういうこったか知らないが、ラストまであと四組残ってる。ざっと二、三十分だろう」
「お前に頼みがあるんだよ」
「何の話しだ?」
「“幻想の音”が失踪しちゃったんだ。楽器のアバターみたいなもんだよ。たぶん山のアイドルの結成式会場に居る。昨日みたいに手引きしてくれないかな」
「おいおい正気か。山の会場にだって、どんだけ人間や妖怪が居ると思ってるんだ。二十分以内に誰か一人を探すなんて出来るわけないだろ」
「そいつが居ないと凄く困るんだよ!」
また××は溜め息を吐いた。
「で、そいつはどんな奴なんだ。言うだけ言ってみろ」
「ピアノを弾く奴で、厚着してるイケメンで――」
「ああ、あんたと一緒にテレビで映ってた奴か。楽屋にカメラが入った時、夏だってのにコート着てた優男が居たが――」
「あ、それ、間違いない」
「しょうがねえ。探すだけ探して来てやる。あんたは会場に戻ってた方が良いぞ。準備やら、あるんだろ」
「え……い、いいの。ありがとう」
「ただし連れて行ける保証はない。あれだけ目立つ格好してる奴なら、どうにかなる可能性もあるが、期待はしないでくれ。そいつ抜きで切り抜ける準備もしておくんだ。いいな」
↓
ライブ会場へ戻り、楽屋の扉を勢いよく開けながら。
「よし、お前ら、出撃準備だ。あと二組のステージが終わったら、あたしらの出番だぞ!」
と言ってみたらだ。
なんか、“幻想の音”たちの誰一人として、楽屋に戻ってなかった。
どうなってんだよ。そろそろ準備してくれないと不味いぞ。
「あのー、リリカさんですよね」
後ろから声を掛けられた。アシスタントディレクターだ。
「そろそろ、スタンバイのお願いしたいのですが」
「ごめん。ちょっと待って、まだメンバーというか、楽器が、戻って来てなくて、探してくるから!」
謝りつつ、とりあえず楽屋飛び出した。
そしたらなんか、他の出演者っぽい二人が、遠くの丘を指さして立ち話してた。
「なー、あそこの納屋から、煙でてないか?」とかね。
「ほんとだな。なんだろう、火事かな。一応スタッフに連絡しといた方がいいんじゃないか」
なんて指さされてる納屋とやらは、ポツンと立ってる古い物。たぶん昔は農家あたりが使ってたんだろうソレから、薄い色の煙が僅かに立ち上ってる。
なんかね。その煙の雰囲気というかが、ものすごーく嫌な予感がしたんだ。
実家でリッケンバッカー325とかを保管してた部屋から、たまに似たような煙が漏れてたナー、ってさ。
↓
猛スピードで納屋へぶっ飛んだ。
壁の隙間から漏れてきてる煙は、やっぱり例のアレだった。吸い込むと何となく気分の良くなっちゃうアレだ。
戸に鍵が掛けられてたから、蹴破ったよ。
そしたらまあ、中に充満してた煙が、一気にモワッと流れ出してきた。
煙が晴れてきた納屋内部は、案の定というか、“幻想の音”たちがトロンとした目付きで、床にグダーって転がってた。
「やあ、リリカ」
リッケンバッカーのオッサンが、パンク野郎といつの間に仲良くなったのか肩を組んで、壁に背を預けた姿勢の、半トリップ状態な目で、あたしへ手を振った。
「ええと、なんとなくリリカの表情を見てれば言いたいことはわかるよ――」
「ば、馬鹿かよお前ら!」あたし腹の底から怒鳴ったよ。「こんなんなっちゃって、まともに演奏出来ないだろ!」
「――最初に言っておくけど、ここで使用されたアレやソレは、全て僕の所持品で、僕の責任において使用した。
だから、他のみんなを責めたりしないでくれ。それと……少し言い訳をしてもいいかな?」
もう、怒鳴る気力さえ、どっかいっちゃいそうだった。
これで、あたしの挑戦は終わった。
使える楽器が一つもないんじゃ。土俵にすら立てない。
「つまりはその、リリカ、落ち着いて聞いてくれ。なんというか、ここまでディープにキメるつもりじゃなかったんだ。
最初は景気付けというか、気分を盛り上げるというか、まあ、おまじないみたいなものだよ。ここまでは良くある事だ。誰だって皆やることだ。わかるだろ?」
オッサンへ頷くのも、首を振るのも、馬鹿らしく思えてしまった。
「だけどその……彼が随分と良い物を持ってきてたんでね」
と、オッサンは肩を組んでたパンク野郎を視線で示した。
「というわけで僕が持ってきたのと、彼のものをチャンポンして使用してみたら、なんか予想外に変に利いちゃったみたいでさ」
「おいリリカ」
ご機嫌そうにパンク野郎。
「昔っから俺は、このオッサンの事は、いけすかねえ奴なんだろうなって思ってたけどよ。ちょっと付き合ってみりゃ案外、“こっち側”のご機嫌なクソッタレだったぜ。
知ってるか。このオッサン、ラジオで『俺らはキリストより人気がある』とかドヤ顔で言って、世間からぶっ叩かれまくって、あとで見苦しい言い訳とかしてた事あんだぜ。最高にクソッタレだろ」
「まあ、そんな訳で」と、苦笑いしながらオッサン。「この状況は事故みたいなものだよ。反省はしてるんだ」
パンク野郎がフラフラと立ち上がった。
「細けぇこたぁ良いんだよオッサン。ライブの前にキメずに、いつキメるってんだ。こんくらい屁でもねえぜ。行くぞクソッタレども、本番だ!」
とか言ってる本人は、千鳥足、ベースをズルズル引きずって歩こうとしてるが、何度も転んでる。
他の奴らは、なんとか歩けてる奴もいるけど、似たようなもんだ。
とてもじゃないけど、ステージに立てるように見えない。
「もういいよ。ステージにはお前ら来なくていい」
あたしには、これくらいしか言える言葉が無かった。
めたくそに罵ってやるべきかも知れないけど、そんな事しても、状況が良くなるわけじゃない。
きっと、余計に絶望感が強くなるだけだ。
それに。
まだ希望が無くなったわけじゃない。
今頃、××がCD318を楽屋へ連れ戻してくれてるかも知れない。
ピアノさえあれば、最低限、勝負になるはずだ。
↓
あたしが楽屋に戻ると。すぐにアシスタントディレクターがすっ飛んできた。
「リリカさん、どこに行ってたんすか。次が出番ですよ。楽器は搬送しておきました。すぐにステージ行ってスタンバイしてください」
「ピアノは?」ってあたしは訊いた。
「ええ、ピアノもです。もちろん専門の業者さんがやってくれたんで搬送事故などはないですよ」
「そうじゃなくてさ、演奏者は戻って来てなかった?」
「いえ、誰も居ませんでしたが……?」
終わった。
完全に終わった。
もうここで、棄権します、と言っちゃった方が楽なんだろうな。
だけど、あたしのパフォーマンスを待っててくれた人だって居るかも知れない。
ちゃんとステージに上がって、事情を説明するくらいはしないと。
「いや、なんでもないよ。誰も居なくていいんだ。あたしは元々、一人なんだ。これでいい。ステージには楽器出さなくて良いよ。何一ついらない」
↓
あたしが舞台袖に到着したのと、ほぼ同時。ステージで先に演奏してた無名出演者の採点が終わってた。
アナウンサーの声が、響いてきてる。
「ああ、惜しい。素晴らしいパフォーマンスでしたが、彼らも900ポイント台に届きませんでした。
さて残すアーティストはあと一組だけですが、今現在900ポイントを超えているのは一位のプリズムリバー楽団だけ。
果たして最後に奇蹟の大逆転は起こるのでしょうか――みたいなテンプレセリフも白々しくなって来ましたね。
どう考えても無理でしょう。999.99ですもんね。ともかく次ぎの方、どうせダメだろうけど、適当にどうぞ!」
観客たちから声援が沸き起こったが、オープニングの時と比べて、声量は少ない。みんなさすがに疲れてる。空も夕焼けに染まり始めてる。
そんな中を、あたしはステージの真ん中まで歩いた。
そこにあるのはマイクスタンドだけだ。
観客の中にルナサとメルランを見つけた。大勢の妖怪たちに混じって空に浮かんで、あたしを見下ろしてる。
姉さんたちの目は、一昨日までのダメな妹を見る目じゃない。
あたしの実力を推し量ろうとしてるような、ライバルを見る目。
初めて向けられる目だ。
対等の相手として見られている。
そうだよ。これが、あたしがずっと求めてきた状況だ。ここが、来たかった“高み”だ。
この“高み”で、姉さんたちへ、あたしの音楽を聴かせてやりたかった。
聴かせて、倒してやりたかった。やりたかったのに……。
「最後のアーティストは」
とアナウンサー。
「リリカ、と言えばみなさんご存じでしょうか。はい、プリズムリバー楽団に在籍していた、リリなんとかさんその人です。
今回はソロでのエントリー、登録名も『リリカ・プリズムリバー』ではなく、『リリカ』となっております。何やら、プリズムリバー内部のドラマがありそうですが、因縁の対決ですねえ。
長かったミュージックライブデスマッチも、いよいよ終わりです。その締めくくりに相応しいパフォーマンスを期待しましょう。それではリリカさん、お願いします!」
あたしはマイクを握った。
そして、言った。
「最初に、謝らなきゃならない事があるんだ」
観客たちがみんな揃って、不思議そうな顔した。
「あたしの出番を待っててくれた人が、何人居るかはわかんないけど。ごめん。色々とトラブルがあって、予定してた演奏がやれなくなっちゃったんだ。だからせめて――」
せめて、演奏は出来ないけど、歌うくらいは出来る。
あたしが使い慣れた歌という楽器で、姉貴どもに挑むくらいは出来る。
それくらいは、やるべきだ。
だけど、だけどさ。
勝機は限りなくゼロに近い。
プリズムリバーを飛び出したリリカが、プリズムリバーに挑んで無様に負けるだけ。
これまでずっと、あたしが楽団内で実は要らない子だったという事実を、幻想郷中に披露するだけじゃないか。
そんな醜態さらすためだけに、ここに来たわけじゃない。
この状況はあたしの本意じゃない。こんな状況で歌うくらいなら、今すぐマイクのスイッチを切って、土下座でもして、ステージを降りたほうがいい。
そうだよ。そうすりゃ、最悪の負け方はしないで済む。恥をさらさなくて済む。運が悪かった状況のせいにできるじゃんか。
はたてにだって十分、言い訳は出来るよ。
しょうがないよ。しょうがないことだったんだよ。
いつかまた、きっと、挑戦すればいいじゃないか。
そう……だよね。
土下座して、ステージ降りちゃおう。そう……しちゃおう?
「――みんな、ごめん」
あたしは、マイクのスイッチを切った。
あたしは、ステージの上に両手を突いた。
観客たちが、どよめいた。
そして、あたしが土下座するために、頭を下げようとした時だ。
ルナサとメルランのあたしを見てた眼差しが変わってしまおうとしてる事に気付いた。
さっきまでのライバルを見るための目だったのに、一昨日までの、未熟な妹を見守るような眼差しに、戻ってしまおうとしている。
とても気の毒そうに、あたしを見てる。出来るなら助けたいとでもいうような、悲痛な表情でだ。
その姉さんの目、見てたらさ。
あたしの心の奥で、もう一人のあたしが、呟いたよ。
『なんだ。家を出ても、結局、あたしは昨日までのあたしのままじゃないか。挑戦する前から、負けた時の言い訳を考えて。
“いつか勝つ“、とか“きっと勝つ”なんて自分を慰め、誤魔化して。いざ挑戦となれば、挑戦すらせずに、逃げ帰ろうとしてる』
ここで逃げ帰ったら――
逃げ帰ったら、また私は、明日からもルナサとメルランに、ああいう目を向け続けら続けるんだぞ。
これからも――
あいつらに要らない子だと思われて、負け続けるしかないダメな妹だと思われて、ずっと寄生して生きていくしかない奴だと思われ続けるんだぞ。
なんのために――
プリズムリバー楽団を飛び出したんだよ。
ルナサにもメルランにも、あんな目をさせない、あたしに成ろうとしたんだろ。
そうだよ。あたしが成りたかったのは、勝負を前に逃げ帰る負け犬じゃない。
『あいつらに挑戦するあたし』になりたかったんだ。
だったら、おい、あたし。
負け犬なんかになるな!
挑戦しろ!
「ルナサとメルランに、挑戦したいよ。勝ちたいよ。倒したいよ。もう言い訳なんかしない。“勝ちたかった”とか“いつかきっと勝つ”なんてもう絶対言わない。あたしは、あたしは、今日、今、お前らに必ず勝ちたい!」
土下座、止めた。
立ち上がった。床を踏み抜くんじゃないかって勢いでだ。
そして。
マイク握り直した。
恐怖が、来たよ。マイク握った瞬間、怖くて堪らなくなった。
だけどね。こいつに負けちゃいけないんだ。こいつをねじ伏せなきゃいけないんだ。
目をきつく閉じて、耐えて。耐えて。耐えた。
耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて。
マイクを握り直し、握りつぶせるほど強く、強く握って。
スイッチを入れた。
大きく息を吸い。
あたしは、歌い出した。
楽器は一つもない。
無伴奏独唱。
それでも。
最初の1フレーズは、これまでプリズムリバー楽団でリードヴォーカルを取ってきたどんなライブの時よりも、最高の出来だった。
それどころか、これまで聴いたことのない力が、自分の歌声にこもっていた。
そして2フレーズ目を歌ってみて、気付いたんだ。
ヴォーカルラインが、意識したわけじゃないのに、昨日、はたてが聴かせてくれたものに、似てた。けどそれだけじゃなくて、さらにあたしの“らしさ”が乗ったものだったんだ。
あたしの中から、自然に、あたしだけの勇気のサウンドが湧きだして、声になって、出て行ってたんだ。
観客たちの表情が一瞬で、あたしの歌を真剣に聴こうとするものに変わったし。ルナサとメルランの目も、未熟な妹を見るものじゃなくなった。驚愕の眼差しで、あたしを見ている。
昨日まで、けしてあたしへ向けられることがなかった眼差しが、幻想郷中から向けられている。
今、やっとわかった気がする。
あたしの『勇気』に今まで足りなかったものは、今さっき、あたしに土下座を止めさせて、あたしを今、歌わせているものだ!
昨日までのあたしには、はたてみたいに、自殺を考えるほどの必死さもなかったし。大切な友だちのために背水の陣で歌う、なんて覚悟も無かった。
昨日まであたしの考えてたことなんて。
『いつかきっとルナサとメルランを倒す』ってヌルイものだけ。
いつか、とか、きっと、じゃダメなんだよ。
『今、ルナサとメルランを倒す。必ず、倒す』
“本物の勇気”っていうのは、そういう事だ。
だけど、だけど。
これだけでプリズムリバー楽団に勝てるわけじゃないぞ。
ルナサやメルランが持ってる才能と、同じ土俵に立つことが出来たに過ぎない。
姉貴どもが一人ずつが相手なら、互角の勝負にはなったかも知れないけど、あいつら二人でやってのけたのは、お互いの相反する特性を利用して、互いの特性を最大限にブーストさせる事だ。
そんなあいつらと同等の勝負するのに必要なのは、勇気のサウンドを、マックスにブースト出来る、そんな要素。
ルナサにとっての、メルランのような、誰か。
その誰かが、あたしも欲しい。
それは誰だろう?
昨日、寝るときまでは側に居た気がする。“そいつ”と一緒の布団で恋バナとかしちゃってた気がする。
居酒屋のピッチで三十六杯、144㍑もレモンチューハイを一緒に飲んだ“そいつ”。
土砂降りの雨のあと、一緒に風呂で泥を洗い流し合った“そいつ”。
どうしようもなく、我が儘で傲慢で、だけど、物凄く素直でイイコな“そいつ”。
“そいつ“と一緒ならば、どんなドン底からでも這い上がれる気がした。
どんな無茶な夢でも挑戦して、実現出来る気がした。
もし。
もし、今、“そいつ”が隣で歌ってくれたら――
「!」
突然、夕焼け空から、爆発音みたいな轟音がした。あたしの歌声が、かき消されるほどのだ。
さすがに歌い続けられなくて、何かと思って上空を見上げた。
誰かが、太陽の畑の遙か上空を飛んでた。
それも超音速で、ソニックブームを纏いながらだ。轟音の正体は、その超音速飛行独特の衝撃波騒音。
そいつは速度を殺すために、何度も急旋回し、白い航跡を残しながら、高度を下げてきてる。ここに着陸しようとしてるらしい。
突風が吹き付けてきた。上空の衝撃波が緩まって地上にまで届いてきたんだろう。ヒマワリの花びらが盛大に渦巻いて、観客たちを襲い、悲鳴を上げさせた。
里の法律でも山の法律でも、人口密集地上空での超音速飛行は禁止されてるってのに。ましてや音楽イベントやってる最中を邪魔なんかしたら、観客から半殺しにされても文句は言えない。
今、ここに降りてこようとしてる馬鹿が、どこのどいつだか知らないが、超音速で飛べる種族なんて一つ。
天狗。
まさか、××がCD318の“幻想の音”を連れてきたのか?
だんだんと近づいて来るそいつの姿が肉眼でも、はっきり見えだしてきた。
どうやら、男じゃない。
もっと華奢な体付きで、なんか私立高校の制服みたいな、いかにも今時のアイドルっぽい衣装を着てて――
――ドンッ! っと物凄い勢いでステージに着陸した“そいつ”は。
はたて。
はたて、だった。
着陸の衝撃で突風が渦巻き、また観客たちが悲鳴をあげた。
あたしのスカートもまくり上げられるだけ、まくり上げられたけど。
そんなもん、なんかもう、どうでも良かった。
はたては、あたしが香霖堂に売った楽器を、連れてきてたんだ。全部、一つ残らず、連れてきてた。
「ごめんリリカ、遅くなっちゃった」
いや、遅くなったのは、わかるっていうか、わかったけど――
「あのね。香霖堂を説得するのに、時間が掛かっちゃったの。店主が頑固で、買い戻しに応じないっていうから、
じゃあ倍額出すって言ったらやっとOKで。あはは、また借金しちゃった。でもこれで、約束守れたよね」
あたしは頷いた。こくこく頷いた。
「だ、だけどさ。はたて、お前、今、生放送中だろ。なんでそんな事してんだよ」
「結成式すっぽかしちゃった」
「何言ってんだお前、そんな、『てへペロっ』みたいな感じで言う事じゃないだろ。生放送すっぽかしたりしたら、タダじゃ済まないだろ。これじゃせっかくの――」
はたての夢を叶えるためのチャンスが。
「私がリリカに楽器渡せなかったら、せっかくの、リリカの夢を叶えるチャンスが無くなっちゃうでしょ」
はたてのポケットで携帯が鳴った。
はたては、ほとんど反射的にそれにでた。
「はい、姫海棠です」
《君はいったい、なんて事をしているんでしょうね》
携帯から漏れてきた声は、あのプロデューサーだ。
「すみませんプロデューサー。出来れば時間までに戻りたかったんですけど、どうしても出来なくて」
《事情は聞きましたさっき、そちらのテレビで、生放送でね。こちらの結成式で君が欠席した理由は、急病という事で発表してたのに。
元気に飛び回って、競合するテレビ局のカメラに映ってる。こちらのディレクターはカンカンです。スポンサーからも、担当者が僕のところへ来て……殴られました。滅茶苦茶だ》
「ごめんなさい」
《いえ、君に謝って貰いたくて電話をしたんじゃないです。もうそんな事をしても、僕の信用に付いた傷が回復するわけでもないし、
君もクビにしなきゃ他のメンバーに示しが付かない上、ちょっと法外な違約金も契約に則って払って貰わなきゃならない。だけど、そんな事をしでかした君の話しを、聞きたかったんです》
「私の、何を、ですか」
《君は僕の所へ来た時に、理由を言いました。『友人のため』だと。でも僕は思ったんです。友人のためなどと言いつつ、この子は結局、自分の夢を優先したのだろう、夢以上に大切な物なんかあるわけがないとです。
僕自身が、ずっとそうやって生きてきたんです。目標のためなら、どんな努力も犠牲も惜しまなかった。どこまで上へ行けるのかが、人生の意味だと思ってた。
ところが君はそんな価値観をあっさり否定してしまいました。馬鹿な子だと思うと同時に、僕が持っている一番大切なモノよりも、もっと大切なモノを持ってる君を……信じられないけど、羨ましいと思ってしまった。
ねえ、はたて君。自分のしでかした事について、少しでも後悔していませんか?》
「はい。後悔していません」はたては即答した。「私は自分が出来る事の中で、一番良いことをしました」
《今日は僕にとって人生最大の厄日でしたが。君のその回答を聞ければ、救われた気がします》
「迷惑かけちゃったのは、申し訳ないと思ってます。ごめんなさい」
《アイドルのプロデューサーなんて、女の子たちに迷惑を掛けられることが仕事なんです。僕なら慣れてる。よろしければ、リリカさんに代わって頂けませんか》
携帯電話、受け取った。
《こんにちは、リリカさん。今の歌、素晴らしかった。僕はあなたを見くびってしまっていたようです》
「あ、ありがと」
《だけど、気をつけてください。僕もこの業界を志した時にはアーティスト“芸術家”になるのが夢だった。
でも、いつの間にか成っていたのは、女の子たちを偶像に仕立て上げる広告屋みたいなものです。
それはけして悪い物ではなかったし、一流の広告屋に成った事を誇りにも思うし、芸術家より低劣なものとも思いません。
でも、うん。リリカさんは、はたて君と共に、アーティストとして、登りつめていってくれると、僕は嬉しい。期待しています》
電話、切れた。
「クビになっちゃった」と、はたては笑って言った。
「また無職でホームレスだね」と、あたしも笑って言った。
「しかも、また凄い借金だよ。どうしよう」
「あたしが良い仕事、紹介するよ」
「どんな仕事なの?」
「あたしのバンドで歌うだけで良い。優勝しよう」
「私は新聞記者なの。バンドなんか入らない。だけど、取材の一環としてなら、オーケーよ」
はたては、手を差し出して来た。
あたしは、それをガッシリ握って超握手。だけじゃなくて、はたての体ごと、抱きしめた。
「おかえり、はたて」って、あたしは言ってた。
「ただいま、リリカ」って、はたても言ってた。
「おい、リリカ」舞台袖から男の声。「頼まれてたもん、持って来てやったぞ」
××だった。小脇にCD318の“幻想の音”を抱えていて、ソレをまるでボーリングみたいに、ステージ上へ放り投げてきた。
CD318の“幻想の音”厚着イケメンは、あたしたちの足下まで転がってから、むくりと起き上がった。
彼は、はたてをパッと見上げ、見上げ、見上げ、目を輝かせて。
「わ、私のハタテ君が、戻ってきた!」
猛烈な勢いで、はたてに突進し、ハグった。
「ああ、やはり私の恋は実る運命にあったんだ。ハタテ君、ハタテ君、ハタテ君!」
頬ずりしようとする厚着イケメンの顔面を、はたては押し返しながら。
「ちょ、ちょっとリ゛リ゛ガー、だ、誰よこれー!」
「ああ、うん」って、あたしは頷いた。「バンドのピアノ担当みたいなもんだよ。彼氏にしちゃってもいいぞ」
「こ、こんな訳わかんない事言ってるストーカーっぽい奴なんて、じょ、冗談じゃないわよー!」
はたて、厚着イケメンを張り倒しちゃった。
けど彼は、「つれないな、でも大丈夫。私のために戻って来たのはわかってるんだ」とか言っちゃってる。
「おまたせリリカ」
後ろからリッケンバッカーのオッサンの声がした。ぞろぞろと足音も。
振り返って見れば、“幻想の音”たちだった。
みんな足下がフラフラしてるけど、全員がそれぞれの楽器を持ってきてる。
「お前ら、大丈夫なのかよ」
「この程度、僕らの世代じゃ日常茶飯事でね。みんな慣れっこ、良くあることさ」
苦笑いしてオッサン、一直線に歩いて来てマイクを握った。
「やあ、みんな」
観客たちへ呼びかけたオッサンの声は、とても懐かしそう。自分の居るべき場所へ帰ってきた、みたいな。
「待たせて悪かったね。でも、ここからが本番だ。今からみんなは、これまで聴いた事がないような、とびきりの音楽を聴くことになる。そうだろう」
振り向いたオッサンと、目と目が合った。
あたしは、頷いた。
「さあ、リリカ、見てごらん。ハタテや、僕らや、君の馴染みの相棒たち、このステージにあるモノゴトは、君が人生で手に入れてきたモノゴトだ。総動員して挑めばいい。
想像してみなよ。君は今から新しい時代を作る。それが、現実になる。成し遂げるんだ」
オッサンは、マイクをはたてに投げて渡し、ギターを構え、後ろの“幻想の音”たちへ、視線で演奏開始の合図した。
あたしは相棒のキーボードを手元へ呼び寄せ。
「いくぞ、お前ら」
最初の一音を弾こうと、した。
そん時だ。
僅かに早く、CD318の“幻想の音”が勝手にイントロを弾き始めた。
とっても激しく、怒濤の勢いでだ。
焦って、あたしも伴奏を始めようとしたけど、なんつーか、自分で書いたはずの曲なのに、CD318の弾く旋律が、一瞬なんの曲なのかわかんなかった。
だけど、CD318が表現したい音だけはダイレクトに伝わってきて、あたしも難なく伴奏を乗っけられて、そこで気付いた。なんで自分の曲が、一瞬なんの曲かわからなかったのかをだ。
あたしが曲を書いてた時に、意識していなかった表現の部分まで、CD318は神経質なまでに一つ一つ拾い上げて、強調して、弾いてる。
普通そんな事をすれば、主旋律自体が崩れすぎて、曲として成立しなくなるはずなのに、CD318はリアルタイムで最適な編曲をしながら演奏することで崩壊を回避してるんだ。
それはもう、アドリブでのアレンジとかいう完成度じゃない。
CD318の“幻想の音”が見ている楽譜には、あたしたちとは別の世界が見えてるとかいうレベル。
才能とか言う次元を超えた、特殊能力の域だ。
自分でも、こいつの見ている世界を見てみたい。
そう思った途端だった。
CD318の感覚が、能力を通してあたしに向かって逆流してきたんだ。
CD318が思い描いた、今演奏してる曲の完成図がダイレクトに入って来た。
それはゾクゾクして叫び出したいくらいの、スゲーモノ、だった。
これが、これがもしかして、CD318の“幻想の音”が言っていた【絶対不変の音楽】なのか。こいつには、本当に見えてたんだ。
この、スゲーモノ、を音として出力して、ここに居る全員に聞かせられたらどんなに気持ちが良いだろう。
そう強く思った。
あたしがそう思っちゃえば、それが他の“幻想の音”に能力を通して伝わる。
“幻想の音”みんなが、曲の完成図を共有した瞬間、全ての楽器が――それぞれのサウンドを爆発させた。
観客たちから一斉に大歓声が上がった。
だけど、ちょっくらCD318以外のみんなの演奏が荒い。ヘロヘロになってるせいだ。能力を通して補正しようとしても、リアクションが鈍い。
でも、それがどうした。今のあたしには、使い慣れた相棒たちも居る。誰がどんなやんちゃな演奏をしようが、何人が同時にミスしようが、いくらだってフォローしてみせる。
はたてがアイコンタクト、大きくブレス、イントロが終わる、そしてヴォーカルラインの始まり、歌い出しは。
パーフェクトだった。
観客たちから二度目の大歓声。さらにリッケンバッカーのオッサンがコーラスを入れると、観客の中から黄色い声援が派手に沸き起こり、女性客が熱狂のあまり集団失神。たぶんオッサンの特殊能力だ。
それを見たプレシジョンベースの“幻想の音”パンク野郎が、負けじとステージ最前まで出て来て、スピーカーを蹴っ飛ばす勢いで足を掛け、
格好付けてアドリブを入れようとしたが、上手く弾けず逆切れしたいみたいに自分のシャツを破り捨てた。
さらにパンク野郎は、ベースを放り投げ、カミソリを取り出したが、あたしらの演奏はお構いなしに続いてる。
ていうかパンク野郎のベースは元々アンプに繋いでなかったっぽいから、ベースを投げ捨てようがなんだろうが、あんまり関係ない。
パンク野郎、自分の胸をカミソリで『F』の字に切り裂いた。次ぎは『A』そして次ぎは『C』最後は『K』だ。
『FACK』また誤字だ。
これを笑ったのが、ステージの真下にいた妖怪の男。ゲラゲラ笑ってヤジったもんだから、パンク野郎がぶち切れた。
奴は唾を吐き、ベースを拾って、発情したオスのゴールデンレトリバーが、メスのラブラドールレトリバーに襲いかかるような勢いで、ステージから飛び降り、妖怪の男の頭をぶん殴ったね。
思いっきり頭がかち割れたらしく、派手に血が噴き出して、周りの奴らも巻き込んで大乱闘が始まったけど、あたしらはお構いなしに演奏を続行。
だって、いよいよ曲はサビに入ってた。
ピアノの音が聞こえなくなったと思ったら、いつの間にかCD318の“幻想の音”が目をランランと輝かせて立ち上がってて、
なんかスゲー楽しそうにステージをパタパタ歩き回って、腕で指揮しながら、はたての横まで来て、一緒に歌い出した。
といってもちゃんとした歌詞じゃなくて、鼻歌をフンフン歌って、数秒してから満足したのかピアノに戻って、ご機嫌そうに脚を組んで例の椅子に座り、
『ピアノのペダルって何それ美味しいの?』みたいな勢いでペダルを一切使わずに弾き始め、さらに激しい編曲をあたしへと逆流させてきた。
それをさらに、あたしが他の“幻想の音”たちへ流し込むと。
今度は、リードギターをやっていたフェンダー・ストラトキャスターの“幻想の音”が躍り出てきた。
彼がギターを顔の高さまで持ち上げたと思えば、ギターへ齧り付くようにして、なんと歯で弾き始めた。ボサボサのアフロヘアーを、これでもかと振り乱してだ。
だけど単なる見せかけだけの格好付けじゃない。歯なのに、聞き惚れちゃうくらいの完璧なプレイだった。
いや、完璧という言葉も適当じゃない。そもそもこいつはリハーサルの時に弾いてたはずのフレーズを、最初から一度も使ってない。編曲が変わったからとか、そういうんじゃなくて。
最初っからオールアドリブ。
たぶん、このストラトキャスターの“幻想の音”にとってギターとは、その場のノリだけで弾くものなんだろう。何かを基準にして評価を当てはめる、完璧なんていう言葉は彼にとってナンセンスだ。
サビを綺麗に歌いきったはたてと目が合った。
心底、楽しそうな笑顔。
自分の夢を投げ捨てて来たってのに、はたては本当に後悔してやがらない。『これで本当に良かった』と真面目に考えてる笑顔だ。
そんな笑顔が、あたしの心に、突き刺さるような気がしたよ。
こいつの期待だけは裏切っちゃいけない。
こいつのためにも、あたしはあたしの夢を叶えなきゃいけない。
それにそれにそれに。
ねえ、はたて。
要らない子のダメだった奴が、ナンバーワンに成るのを密着取材すれば、そこらのアイドルグループに入るより、ずっといい新聞のネタになるだろ。
あたしに付いて来い。
一緒に夢を叶えよう。
あたしらなら、やれるんだ。
ほら、この熱狂を見てみなよ。人間も妖怪も、みんな歌ってるし、踊ってる。
ここが世界の中心だよ、はたて。昨日まで世界の端っこから滑り落ちそうになってたあたしらが、今は真ん中で歌って、踊ってる。世界を歌たわせて、踊らせてる。
お前と出会えたから、あたしはここに来れた。
今度は、あたしがお前を、ここよりもっと高い場所に連れて行ってやる。
絶対に、絶対に。
さあ、幻想郷の野郎共、みんな、あたしのサウンドを聴け!
勇気の音が、鳴り響いた。轟いた。炸裂した。
あとはもう、夢中だ。
頭が真っ白になるまで全開、燃え上がるほど熱中、力尽きるほどに必死。
音楽と自分の体が一体になる快感、ポルターガイストの至福、それをひたすらに追いかけ続け。
気付けば、演奏が、終わってた。ラストのコーラスを、はたてと、あたしと、リッケンバッカーのオッサンの声が飾っていて。いつまでも歌っていたいのに、肺の空気が一㏄すら残らず歌声に変わって、終わった。
けれども、歓声は終わらずに途切れる様子もなく、逆にさらに盛り上がってってる。
アナウンサーが高ぶりきった様子でステージに出て来て、マイクで何か言ってるけど、良く聞こえない。
採点がどうとか言ってて、後ろの巨大スクリーンを指さしてた。
999.99
って表示されてた。
姉貴どもと同じ点数、それがどういう意味なのか、どういう感想を持って良いのか、頭ん中で上手く整理できないうちに。
ステージの上にルナサとメルランが降りてきた。
んで、ルナサは、はたてからマイクを借りて、「私とメルランにも、採点用のスイッチをくれ」とアナウンサーに向かって言った。
「いや、しかし」と困った様子でアナウンサー。「出演者が採点することはルールで禁止されてますので」
「だったら」とルナサは言った。「今のパフォーマンスを評価しちゃいけないってなら、音楽をやってる意味がない。今から私とメルランは棄権して、ただの一人のオーディエンスになる。これならルール違反じゃないだろ」
呆気にとられるアナウンサーは、どうにも出来ない。
その横の舞台袖から顔を出したのは、「おいプリズムリバー」××だった、「知り合いのスタッフから借りて来てやったぜ」スイッチを二つ、姉貴どもへ投げてよこした。
そしてルナサとメルランが、採点スイッチのボタンを押すと。
999.999
999.99“9”アナウンサーは、『良いのかなこれ』みたいな顔してたけど、一瞬で吹っ切れたらしい。
「ゆ、優勝は、リリカです。999.999ポイント。最多ポイント獲得で文句無しの優勝です!」
歓声が耳が痛くなるほど大きくなった。
「第一回、幻想郷バーリトゥードミュージックライブデスマッチ、優勝者リリカへ、改めて大きな拍手をお願いします。彼女が今日から、幻想郷のナンバーワン・ミュージシャンです!」
拍手どころか、観客がステージに押し寄せ、それを押しとどめるはずの警備員まで、みんなよじ登ってきた。
あっという間に、あたしたちは取り囲まれた。
「リリカー!」メルランがガバッと抱きついて来た。「凄かったわよ~。ホント、超凄かった!」
メルランはぴょんぴょん跳ねるもんだから、抱きしめられたあたしは、頭がガックンガックン揺すられたよ。震度十くらいで。
そんな、あたしたちを、ルナサは何も言わずに見てる。というよりも何か言おうとしてるけど、言葉が見つからないみたいだ。
だから、あたしが声を掛けようと思った。
「ねえルナサ。あたしさ、感謝してるんだ」
「感……謝?」ルナサは、理解出来ないという顔をした。「何言ってるんだリリカ。私は、お前に冷たくしすぎて、傷付けてしまったんじゃないかって……。私を、怨んで、いいんだぞ」
「感謝してるんだよ。きっかけは全部、ルナサだもん。ルナサのせいで絶望させられたけど。ルナサが居たから、あたしは今こうして、ここに居るんだよ。なんていうか、その――ありがとう」
ルナサはあたしの言葉を聞いて、格好いい台詞でも返そうと考えてたんだと思う。
だけど、やっぱり何も思い浮かばなかったみたいで、代わりに表情が全部を語ってた。
ルナサは、とっても嬉しそうだった、笑顔というよりは感極まってる感じで、今にも泣きそう。
というか、もう、ルナサの両目から涙が零れ始めてて。
ルナサも、猛烈にハグってきた、あたしとメルランの肩を抱きしめたよ。
パシャリ、っと写真を撮った音がした。
「三人とも、こっち向いて」
はたての声に、あたしも、ルナサも、メルランも振り向いた瞬間。
もう一度、パシャリ。
「最高の一枚が撮れたわ」
とっても良い感じに、はたてが笑ってそう言った。
たぶん、きっと、その通りで、一生の記念になるような笑顔を、私たちは今、してるんだろう。
了
なんといえばいいかとにかく気持ちいい
作品素晴らしいキャラクターが自由奔放に主張し合いなんとも騒霊楽団っぽいし
リリカとはたてのストレートなんだかまわり道なんだかな向かい合い方も最高でした
あとシドさんがどこまでもシドさんで笑ったw
騒がしい感じも良かったです
読んでて情景がありありと目に浮かんできて、まるで映画を見ているような感覚でした。
まさかの○○○さん再登場!
この方も好きなキャラクタだったので、見た時にはテンションが上りました
そして、英霊たちの豪華さに震えた
シドさんも少し前に知って聴いていたのでタイムリーでした
リリカはこんな個性的な連中を束ねて、どんな曲を奏でたのか……
相変わらずの速度感と力強さで、読んでいる最中、思わず腹に力が入って声が出そうになりました
本当に、氏の描く汗臭く泥臭い登場人物達が大好きです
面白爽快なお話、有難うございました
何が素晴らしいって最後の音楽勝負の展開に凄く説得力を感じた部分だよ
最初の999.99点で思わず吹いてから、これは勝たせるにしても相当の事がないと納得せんぞと思っていたら事前に仕込んであった色々が皆帰ってきて集結しての最後の展開。これだけ強まっていたならばその評点納得せざるを得ない。今振り返って考えてみるとまあその為に風呂敷広げてたんだろうなあとは思いながらもここはリアルタイムで読んでてたとき凄くわくわく出来た。
気になった所としては、楽器の辺りか。楽器ちっともわからんから固有名詞を並べられてもどれがどんな楽器なのか知らねーで読んでたし、いちいち調べるのもめんどいんで拾い読みしてた。そしたら唐突に楽器が擬人化される展開で、元ネタが解らず「誰だよてめーは いきなり現れて好き勝手言ってんじゃねーぞ」って気分にもなった。だけど全体的に間延びしない、飽きない展開が続いてくれたから、その辺の良く解らん部分はノリで飛ばしながらテンポよく読めた。これは軽いノリで貫かれた文章がいい方向に働いていたんだと思う。結果的に何か愉快なおっさんどもダナーぐらいの理解で十分楽しめた。
とにもかくにも読んで損なしの、面白い作品だったと思う。
最初から最後まで、熱くて全力な作品だった。
それ以外の言葉は無し
あたしゃてっきり採点する人が全員失神しちゃって『0点』! とか言い出すのかと思ってましたよ。
生活感あふれる幻想郷に、その日暮らしの駄目妖怪が2人。
これは応援したくなります。
リリカやはたても素晴らしかったですが、何より目を引いたのはルナサでした。
父親かw
最高に楽しかったです!作者に感謝を!
ラスボスのルナサは威厳たっぷりでぶれなくて、厳しいけど言葉のふしぶしから愛情がだだもれで理想のライバルと長女を兼ね備えていました。
デスマッチ当日は、はたてがいなくなっちゃうのが突然で最初、夢かなんかだと思ってました。でも自分が追い出すより相手が出ていく方がリリカとしては覚悟できないままで、一人でステージに出るときの悲壮感やその後の一人で勇気を振り絞る場面がより盛り上がったのかなと思います。
最後は文句なしのハッピーエンドです。読んでて体温が上がるくらい熱い作品でした。
そしてもちろん最高に熱くて面白かったです。
読んで良かった。作者さんありがとう。
熱い話が書けてしまえるのか。
素晴らしい。文句なしの満点です。
まるで何か面白い漫画を読んでいるような、どんどん先の展開が気になって一気に読み進めてしまうそんな面白さ。
リリカとはたての自分を犠牲にしてまで友達を気遣える優しさには感動しました。
読んでるコッチまで感情移入してしまって・・・この作品を読めてよかったです。
のめり込める面白さでした。特にリリカですがオプティミスティック(躁)なときとペシミスティック(鬱)なときの落差が激しく、そのダイナミズムが読んでいて飽きません。上げて落として落として上げる。そして最後は超フィーバー。緩急とメリハリが効いた文章がこのアップダウンを補強して、結果としてジェットコースターに乗っているようなスピード感が出ています。話の内容についても、凡庸でプライドを持てないアンダードッグの2人が抱き合いながら這い上がってスターになる様は、まさにロックの精神を体現しているといえるでしょう。特筆すべきは途中はたてが越えられない壁の向こう、天才の側に行ったことです。物語もキャラクターの関係性も非対称で個性あるものになり、また立場の違いが明確になったことが2人の愛情をより美しいものにしています。
それから、東方というジャンル、特に創想話では、差別化し話に深みを出すために「幻想入り」などの形でリアルの題材を使うことが非常に多いですが、そこでネタがわからないときは作品を最大限楽しむためにもちょいと検索してみるものです。その結果出てきたのがバッハの早弾きの人、最も有名なバンドの2人、伝説を数多く残したパンクの人。まさに「ぼくのかんがえたさいきょうのバンド」でした。チートすぎる。
リリカに凄く感情移入してしまう作品でした。これが人の心を動かすサウンドか。最強すぎるメンツの幽霊バンドなんて、誰もが考えるドリームライブですよね。いやはや、熱い作品だった。今期最高の、野望と青春の人間ドラマでした。
胡椒中豆茶さんと思って「新作だ!」と狂喜したのは間違いじゃなかった。こんな作品見たらもう熱くなるしかない!
ホントに素晴らしいものありがとうございます。
もっとあなたの作品が読みたいです!
V.S.O.P.懐かしいな。あれを読んでいるときと同じくらい心震えた。久々に熱い話が読めた。
あとは、はたてが新聞記者として成功するだけだ。
そして、はたて可愛いいいいいいいいいいいい!!!
まさに勇気の讃歌というべき作品でした。
この全力感に乾杯!!
リリカというキャラクターに正面から組み合って
その魅力を引き出してみせた手腕に脱帽。
アッパーでハイなジェットコースターを確かに感じました。
そしてはたては胡椒さんの作品で間違いなくNo.1ヒロインです。
リリカのノリと相俟って途方も無い面白さを出していた
なのにおかしいのです。ずっとずっと見ていたいと思えるのです。
ぶっ飛んだキャラたちにイカした台詞回し。サイコーじゃないですか。
これからも、ぜひあなたの世界をもっともっと見せてくださいな。
やはりあなたの作品は最高だ!
ありがとうございます。
ソウソウワで、絶望パートがある作品で、途中で読むの辞めちゃう人多いから評価されにくいかもしれませんが、
何万点つけても恥じない価値がある小説でした。ありがとうございます。
最高でした!
そして、どのキャラもすげーよかったっす!
もうね、はたても××もプリズムリバー楽団も幻想の音も、可愛かったりかっこよかったりでイカしてた!
そんでリリカは最高だった、けど、そんなの言うまでもねぇだろってね。
だって世界の襟首つかんで爆音ならすロッカーだし。最高じゃなきゃなんなんだっつー話ですよ!
千点ボタンを連打したい気分で百点追加!
久々にわっと見れましたよwwwページが進む進むwww
最高でした!
まさにライブのような怒涛の熱血さでした。
文句なしの満点で!
お互いどん底の時、励まし合う姿に涙が溢れました!
最高だぜお前ら!!
厚着イケメンのグレン・グールドさん初めて知ったけど、調べてたらすっげえ興味出てきたぜ…
リリカかわいいね。
語彙力無いから上手く書けないけど最高だ!俺も勇気もらった
本当かっけえ
読んでるあいだ一瞬でした。
この作品を書き上げ、投稿してくれたこと、虚空に向かって「ブラボー!」とでも叫んでいたい。
最初は「ダメだこいつら・・・」って思ってた二人が、冗談抜きで死ぬ一ミリ手前の境遇になって、だけどそこから二人で互いに手を取り合って這い上がっていくのを見て、なんていうか、めちゃくちゃ熱い。
過去の創想話にも名作と呼べる作品はいくつもあったけど、このSSはそれらに全く見劣りしていない。普通に数万POINTは行ってもおかしくないレベルだと思う。仮にそこまで行かなかったとしても、自分の中ではそれと同等の評価をこのSSに感じている。
100点どころじゃない、999.999点だよ、こんちくしょー!
素晴らしい作品をありがとう!
そしてこのメンツでライブとか本当に聞けたらマジで失神する。」
最終的には自分を鼓舞させることができるようになるまでのお話、と思いました。
それでも最後まで調整役ってあたりがらしいというか。
しかしこの話、地霊殿あたりから何十年も後なんですね。それだけ時間が経過すれば、
人間の里がDAI-TOKAIになったり、近現代音楽の英霊達も幻想入りするか。
それにしてもメルランまじでオカン。
リリカのイメージが完全に姉御キャラになってしまった
まさしく娯楽作品て感じ。面白すぎる。この作品を読ませてもらってありがとうございました。
青くて、未熟で、ウジウジしてる道中から一変!
ラストの演奏シーンは全てを吹き飛ばすような、そんな勢いがありました。
それと、リリカの未熟な面があまり見られなかった。そこから這い上がるための自分との向き合い方、葛藤が欲しかった。個人的には出来がとてもよく、それだけにあと一歩を望んでしまう。評価としては96点、しかし十段階評価とのことなので四捨五入でこの点数とさせていただきます。
面白かったです
見下してた連中の顔面が驚愕に染まっていく様は爽快極まる。
こんな力のある作品はなかなかお目にかかれない
前見たときは点付け忘れてたので