(注意点)
・オリ設定がキツイです。旧作が絡むし仕方ないなと言える人のみお進み下さい。
・ギリシャ神話を知らないと付いて来れない可能性あり。人の数だけ幻想郷だし仕方ないなと言える人のみお進み下さい。
・最低花映塚はプレイしていないと厳しいかも。旧作は、幻想郷と怪綺談の幽香様の台詞を知っているとなんとなくどうしてこうなったか判るかもしれません。
・エリーさんは物騒可愛い人だと思います。
・幽香様は実は繊細な人だと思います。
あの花が矢鱈と咲いた異変の直前だったかな。
その日はいつも通りにのんびり舟を漕いでいた。眠り掛けている方ではなく水の上を進む方だ。正確には川の上。あたいの舟は三途の川を進んでいるのだ。
三途の川の渡し守というのがあたいの役職だ。あたいの種族は死神で、名前は小野塚小町。三途の川にいるのは大抵霊魂か死神、はたまた死にたがりだと思っていい。
三途の川の渡し守というのは三途の川の此岸側の岸に辿り着いた魂を彼岸側、つまりあの世に運ぶ仕事だ。正確にはあの世に直行する訳ではなくあたいが連れて行くのは閻魔様の裁判所までだ。そこから先は私の仕事じゃない。あたいの職務にはあまりにも此岸に魂がいない時は現界に魂を探しに行く、なんてものが追加されることがあるが、今のところそんな奇妙な事態になったことはない。大抵此岸には魂がちらほらいる。たまに魂でごった返す。
今日も舟には魂が乗っている。この船はあたいと魂一人分の二人乗りだ。三途の川は魂の罪で川幅が変わる特殊な川だから、どうしても一人分ずつしか運べない。何人分も乗せると利口な三途の川も混乱する。
あたいは魂と世間話をするのが好きだ。魂には口がないが、そんなことは気にせず一方的に喋っている。別に何で死んだのかなんて話じゃない。そんな説教染みた話は閻魔様の担当だ。あたいがするのは本当にただの世間話。その通例通り、今日も世間話に花を咲かせることにしていた。いつも通りの世間話。
そういう、予定だったんだけど。
舟の行く先を見ながら櫂を取っていたあたいは、一旦櫂を舟の上に引き上げて自分の後ろに居る筈の魂の方へと振り返った。無論、世間話を始める為である。
霊魂が居る筈の場所に見覚えのない奴が座っていた。
一瞬思考が停止した。あたいは確かにつるつるてんの魂を乗せた筈だ、そんな言葉が浮かび上がってきて、それ以上次の言葉が浮かんでこない。
魂には手足等生えていない。そういう物は抜けてきた体に置いてきている、筈だった。しかし今あたいの舟に乗っている奴には手足がある。やけにすらっとしていて長いやつがだ。つまり嫌味なぐらいに人型の奴があたいの舟に乗っている。
そいつは紅いドレスに身を包んでいた。とびっきり紅いやつ。顔は骸骨でした、なんて落ちなら死神としては納得がいくが、白い肌にきついウエーブの掛かった金髪、そんでもって髪と同じく金色の瞳がこっちを見ているとなると、こいつにはしっかり肉体がある。しっかり肉の付いた頭には白いつば広帽まで乗っている。完全に招かれざる客だった。この舟はあたいとあの世行きの魂専用だ。
更にそいつは、あたいを混乱させたいが為にそんなもん持っているんじゃないかと疑いたくなるような物を抱えていた。
緋色の柄の付いた大鎌だ。しかも刃が逆刃なんていう、物凄い特徴的なやつを。
――死神だ。
まずそう思った。死神がそう思うんだから間違いない。
私だって大鎌を持っている。形式的なやつだが。これを持っていると此岸に集まる魂や噂を聞いた生者が喜ぶらしい。死神は大鎌を持っているのが定説なのだという。確か――その定説の出処は西洋か。
目の前のやつはどう見たって西洋の出だ。そして恐らく、あの大鎌はその定説に沿った本物の大鎌らしい。
その磨き抜かれた刃を見てヤバイと思った。あたいの大鎌は戦闘用じゃない。護身程度には使えるが刃の切れ味は悪い、というか全く切れない。逆にそういう大鎌をいつも持っているから、目の前の奴が持っている大鎌がそれはもうよく切れるやつなんだろうと看破できた。
一気に日常から非日常へと連れ込まれた。それも最悪のやつだ。
「あんた――見覚えないんだけど、どこの所属だい?」
正直この問いかけに意味があるとは思えない。確か、非戦闘員の渡し守のあたいだけでなく、この付近の死神の持っている大鎌は全て実戦用の物じゃ無い筈だ。ここらの死神はどちらかと言えば精神攻撃を主体としている。そもそも大鎌なんて馬鹿みたいに扱い辛い武器を獲物にする奴はかなり少ないだろう。
――で、その馬鹿をやってる馬鹿が目の前にいる。
こんな奴は本当に記憶にない。
「えっ、ええと、所属って――ああ、組織立ってやられてるんですね!」
何だか間の抜けた返事が帰ってきてあたいは拍子抜けした。
でも残念ながら更に油断が出来なくなった。死神の在り方を知らない? 生者なら常識じゃないか。同じ死神なら尚更だ。
さては新参か?
「なああんた、最近幻想郷に来た口かい?」
「え? いや、結構長い方ですよ?」
幻想郷というのはあたい達の担当する現界の地区だ。正確にはあたい達のボス、つまり閻魔様の担当地区。
そこに長く住んでてここのあの世の仕組みを知らない死神? はっきり言ってさっぱり訳が判らない。推測するのも面倒だ。
「あたいに何の用だい? ああ、閻魔様に用ってんなら諦めな。意地でも降りてもらうぞ」
取り敢えず威嚇してみたところ、何故かそいつは異様に焦りだした。
まず驚いた顔をする。次にあたふたと左右を見回す。最後に自分の抱えた殺意の塊を見ると、それからパッと手を話した。
あたいの舟はそんなにでかい訳じゃない。毎回確実に乗り合わせるあたいが長身だから余計そう見える。正直言ってあたいには小さい。で、そいつも長身だった。そんでもってそいつの大鎌はそいつの身長と同じぐらいの大きさだった。
何が言いたいかといえば、大鎌が倒れた衝撃で舟が大いに揺れた。
揺れる視界の中で、気まずそうに小事件の犯人が苦笑いしている。
「えっ、えっとあの、ごめんなさい!」
物凄い勢いでそいつは頭を下げた。もう一度言うがそいつは長身だ。長身のあたいが言うんだから間違いない。何が言いたいかといえば、また舟が揺れたということだ。
舟がぎいぎい音を立てながら揺れる。気まずい空気が流れる。更に舟を揺らした張本人にとって不幸なことだったのは、今あたい達が舟を浮かべている三途の川は落ちてしまえば死神ですら浮かび上がってこれない、曰く付きも曰く付きな川なのだ。
――何だ、何なんだ?
まるで日常へと戻れそうにない。何よりも取り乱さないことが先決だろうと思ったので、あたいはこいつを質問攻めにすることにした。喋ってりゃあ相手には飲まれまい。
「あー、あんた、何もんだ?」
そいつの顔が少しの間凍りついた。――今度はなんだ?
「何もんだと言われて答えられるのは――名前は、エリーです」
取り敢えず名前はエリーらしい。答えられないのか、答えようがないのか。
「何が目的でこの船に?」
「私はただ、乗れと言われて乗っただけで」
「あたいは魂を乗せた筈だ。丸くてつるつるしてそうなやつ。後、全体的にもっと白い」
「だから、それが私です」
「はぁ?」
「お忍びスタイルなんです」
「お忍びスタイルって――そんな芸当が出来る死神、益々知らん」
大体魂に化けられても死神の仕事の役には立つまい。
「私は出来るんです。兎に角、私は貴女に誘われるがままに舟に乗って、あのままの姿だとお話が出来ないから途中で元の姿に戻った、ということなんです」
「で? 話を聞いてみたら彼岸に渡る舟だったと?」
「――はい」
「すまないね、訳が判らん」
「し、仕方ないじゃないですか! フラフラしてたら声を掛けられたんですよ! 付いて行くでしょう?」
「あんた警戒心ってのはないのか?」
そう言ってみてからエリーの持っていた大鎌のことを思い出した。恐らく警戒心はあんまり必要のない人種だ。
「で? この舟に乗り合わせたのは間違いで、あんたは彼岸に用はないんだね? 最近死んだって訳じゃないね?」
「んー、彼岸には用はないですね。いや、でも、死んでるかも」
また話が拗れそうになる。
「生きてる、生きてるんだよあんたは。死神のあたいが言うんだからそうなんだ。で、これからあたいはアンタを此岸まで運び直さないといけなくなった」
「――ごめんなさい」
「いや、いいんだ」
「え?」
「あんたみたいなブッ飛んだ客は滅多にいない。アンタ、物騒な物抱えてる癖にちゃんと話が出来そうじゃないか。あたいの無駄話に付き合ってくれればチャラにしてやるよ」
はあ、とエリーは気の抜けた返事をした。
こうなれば文字通り乗り掛かった舟どころか出ちまった舟だ。この非日常を楽しまない理由はない。同じ阿呆なら踊らにゃ損々というやつで、私はこの物騒なんだか気が抜けてるんだかよく判らないエリーというやつと、一つ話し込んでみる事にした。
(返)
あたいの舟は此岸に向けて逆戻りを始める。
面倒なのが、例え相手が死神でも生者を乗せて三途の川を渡り始めてしまった場合、三途の川の川幅は無限に伸びちまうってことだ。流石の三途の川でも乗っけた生者が今後どんな罪を犯すか判らないらしく、結果生きていることは罪であるという判定を下して一分一秒毎に罪を加算していく。その速度に勝てる程あたいの舟の最高速度は早くない。その伸び続ける川幅を全く気にせず舟を進めて来たもんだから、正直今どの辺なのかあたいにもさっぱり判らない。
エリーにとって幸運だったのは渡し守があたいだったということだ。あたいは距離を操る程度の能力というやつを持っている。死神が生者を追う時なんかにピッタリ背中に張り付いてじわじわ生者の精神をいたぶったりするが、あたいはアレが得意だ。で、それを応用するとここから此岸までの距離を短縮できる。逆に伸ばしたりも出来る。並の渡し守ならうっかり音を上げちまうかもしれないが、あたいは今どこにいるとしてもコイツを此岸に送り届ける自信がある。まあ、普段の渡し守の仕事にはあまり役に立たない特技なんだが。川幅の方が自在に変わっちまうから。しかもそれは魂の罪に応じてというとても重要な係数を持ってる。距離は弄っちゃいけない訳だ。まあ、偶に気分で川幅を変えちまう時があるが、それはまた別の話。
意識を集中してみると此岸は何とか捉えられた。後は世間話の盛り上がり方次第で距離を変えよう。一種の休み時間だ。
「うん、で、エリーとかいうの」
「あ、はい」
「名前だけじゃよく判らん。話のしようがない。何か話の種をくれ」
エリーは顎に手を当てて考え込む。
「そうですね――では最初に、死神としての私のことでも」
「よしきた」
物凄く気になってたことだ。
「アンクゥってご存知ですか?」
「すまん」
「知ってたらもう判ってますよね――アンクゥというのは、とある条件で区切られた一角で一年の最後に出た死者が変じる死神です。私の様に逆刃の鎌を持っていてですね、一般的なアンクゥは黒いローブに身を包んでいまして、ガリガリだったり骸骨だったりする姿を持っています。で、こちらも痩せこけていたり骸骨だったりする馬に引かれた馬車に――」
「待った、だから死んでいるんじゃないかと迷ったってのは判った。で、あんたは一般的なアンクゥとやらじゃないんだな?」
私が見る限り、エリーは確かに血色はよくないように見えるが痩せ過ぎているっていう訳ではない。血色については元の肌の色が白いからそう見えるだけで、体については言うならスレンダー辺りだろう。流石に骸骨とは見間違えそうにない。骸骨なら言っちまえば中性的な見た目をしてるが、エリーは思いっ切り女と判る。簡単に言うとスタイルが良い。鎌さえ持って無ければどっかの貴婦人だ。
「ええ。もし私が一般的なアンクゥなら年の終わりにいなくなってます。アンクゥはお仕事の一種なので、一年務めると任期終了、自分のお墓に戻れるのです」
「何か訳ありっぽいね」
「話すとしたら長くなるんですが――」
「いいよ、別に。そういう意味ならあたいだって訳ありさ」
「小野小町の説話なら、多少」
「あー、勘弁して貰いたい」
妖怪同士の素性話は切りがなくなっちまう。流石にこいつに花を咲かせるとマズイ。下手すると別の意味で戻れなくなる。
「話を変えよう。何で中有の道にいたんだ? しかも魂姿で」
中有の道というのは、簡単に言うと三途の河に一番近い此岸の場所だ。ここはもう死者の為にあるような場所だから訪れる奴の多くは死者だ。
「楽しそうだったんで! 魂姿の方は、いつものことですね」
どうやら相当の気分屋だ。確かに中有の道はそういう所なんだが。
実は地獄は総死者数が地獄の処理能力を超え始めたり何なりで、目下財政難である。それを解決する方策の一つとして、地獄、つまり彼岸から一番近い此岸である中有の道で商売をしている。開いているのはお祭りの屋台程度の物、というかお祭りの屋台だ。死者の通る道はおどろおどろしいというイメージを覆すこと間違いなしの賑やかさだが、それが毎日のことだから一周回っておどろおどろしいかもしれない。ここにはお祭り好きの生者すら訪れることがある。ついでにあたいもよく行く場所だ。賑やかさを楽しむのも確かだが、ここに来れば運ぶべき魂が見つかる。つまり職場の一つだということだ。
「で、屋台を見回ってたらあたいに捕まっちまったと」
「あんた河を渡る気はないかい? って言われましたね」
「そうだ、そうだった」
「何か?」
「いや、普通はそんな問いかけ方しないんだ、あたい。中有の道まで来る奴は割りと自分が死んだんだって気付いてる奴が多い。でも偶に何が何だか判らないまま中有の道辺りをふらついてたりする奴がいる。そいつを河に連れてくるのもあたいの仕事。つまり、死神っぽい格好をした死神に河を渡るかって言われれば、あんたは死んだんだって言い聞かせられると思ったんだ」
「うん? ――あー、な、成る程」
「そういやあんたやけに活きが良かったなぁ! あたいが今まで見た中で一番祭りを楽しんでそうだったよ! まるで生きてるみたいだった。というか生きてたんだが」
「あのー、重ね重ね――」
「謝らなくていい。あたいの経験不足だ。真逆ここまで完璧に魂に化けられる奴がいるとは思わなかったんだ」
そう、あたいは中有の道で無茶苦茶目立つ魂を見つけたんだった。あちらこちらの屋台に飛び回って、感情の表し辛いまん丸の魂が全身全霊で喜の感情を振りまいてたから物凄い気になった。声を掛けたらあっさり付いてくるじゃないか。何だコイツ面白いなぁと思って、簡単な説明を済ませてさっさと乗せちまったんだった。
――待てよ。
「なあ、エリー」
「はい?」
「あたいは今から渡る三途の河はあの世へ通じる河だって説明したよな?」
「はい」
「何で喜んで舟に乗った」
「一度見てみたかったんです!」
真逆、自分も死神だし異国の死の在り方である三途の河を見学しておこうって思ったのか。
「所謂後学の為ってやつか?」
「はい!」
そうだった。
「――でだ、三途の河にはルールがある」
「はい?」
「渡る前に渡し守に金を払うんだよ。払って貰えないと地獄がお仕舞いだ。で、あんた――どんくらい払ったんだっけか」
「あー、えっと」
「そもそも払えるもんあったか?」
そう、元々疑えというのは無理があったんだが、更に信用した理由としてはエリーがしっかり金を払ったというのがある。
三途の河、いや中有の道辺りで死者は自分が金を持っていることに気付く。それ以外の物は持っていないからその金はやけに目立つ。で、死者はそれを渡し守に払って彼岸に渡る。今回の場合はあたいに払う。この金の量が三途の河の川幅にかなり関わってくる。この金は生前他人がその魂の為に使ってくれた金の合計分あるということになっている。因みにその金は中有の道でも使えるんだが、別にそっちで幾ら使っても使ってない場合と川幅は変わらなかったりする。一応どちらの場合でも地獄の金になるからだ。
確かエリーは、かなりの量支払った筈だが。
「その、少し、小細工を」
「――おいおい」
「この鎌を預けたんですよ」
「はあ、そういう芸当も出来るのか」
あたいはエリーの物騒な大鎌を凝視した。
金物は金物に変えられるという理屈だろうか。
「この鎌に宿る死者のあれとかそれとかを工夫すると、ここで使えるお金になるんです」
「あー、そういうことか」
ここの理屈外で裁かれた死者の分が溜まってたということか。
「無茶苦茶冒涜的だと思うんだが、それ」
「いえ、アンクゥは死者に感謝される職なので」
「ほう」
「アンクゥに連れて逝かれると信仰通りの死に方が出来たと喜ばれるんですよ。不慮の事故で死んだ方が生者にとってはマズイことなんです。ああ、私の知っている理屈通りならば、ですよ」
「へえ、色んな死神がいるんだな」
あたいが知らない死神も一杯いるらしい。
つまりエリーは死者からの感謝を金に替えて支払ったということか。それならあたいにも理解出来るレベルの話だ。
「で、それは鎌を預けるという話とはちょっと違う気がするが」
鎌は死者じゃないだろう。こっちの理屈は判らない。
「どうやら鎌もお金に化けるみたいで」
「あー、それ、人から貰った物かい?」
「長くなります!」
「うん、判った。で、化けるんだな」
「化けます。化けて――」
「うん?」
何か引っ掛かって、私はもう一度エリーの鎌を凝視した。
待てよ、鎌がある? 金に変えたのに?
「正直に言うと誤魔化そうとしてました!」
「あ、あんた――」
こいつ、抜けてるかと思ったらしれっととんでもないことする奴だ。金に変えた後に元に戻せる鎌なんて初めて見たぞ。
「流石に全財産は無理ですよー」
「――まあ、元々行ったら帰って来ない筈の舟旅だからな。後学の為に乗れる額じゃないか」
あたいら渡し守が魂に要求するのはその時持っている全財産だ。因みに、生者には訳の判らない程の額を吹っ掛けることになっている。ここを渡ると生者だろうがなんだろうが事実上死ぬ。つまりここを渡ろうとする生者はえらく洒落っ気のある自殺志願者だ。地獄一同自殺なんて認めていないから全力の皮肉で返しているという訳だ。自殺の罪は幾ら金を積んでも晴れないという意味と、金の為に死ぬべき生者などいないという意味がある。
「あー、突き落とされますかー」
エリーはみるみる泣きそうな顔になる。表情豊かな奴だ。
そういやあたいはいつも、あたいの機嫌を損ねると突き落とすからね、と冗談半分に言ってから魂を舟に乗せる。エリーを乗せた時もそうだった。
今回は本当に冗談で終わっている。
「なあエリー」
「――あわわ」
「突き落としゃあしないさ。寧ろ突き落とさないでくれ、だね」
「えっ」
「あんた――手練だろ」
持っている鎌からして相当凝ってる。あんな得物並の奴が持つか。しかもちゃんと死神としての仕事をしているらしいのが、中有の道を楽しむだけの金があったことから容易に知れる。よりによって死神があの選び抜かれた得物を持ってする仕事と言えば――明らかに殺しだ。生者を連れて行くってのはつまり、活きのいい罪人なんかもバッサバッサとやってるに違いない。そう踏んだ。
踏んだ所で逃げ場がない。やり合えば間違いなく死ぬ。飛び込んでも死ぬ。というか、ここで死ねば恐らく彼岸に渡れない。死ぬより酷いことになりそうだ。
(渡)
「そんなことしませんよ!」
その言葉を聞いて心底ほっとした。状況は好転しちゃいないが、この言葉は頼りにしても悪いことにはなるまい。そういう意味では、もう状況は最底辺だ。
「信用しとこう。あたいを突き落としても此岸に戻れそうな奴だなぁとかはもう考えないようにする。出来るだけ」
「はあ、怖がらないでっていう方が無茶がありますか」
「うん」
「私には小町さんも十分手練に見えますがねぇ」
そう言った時のエリーの目の鋭さがまたあたいを震え上がらせかけた。
確かにあたいだって腕に覚えはあるさ。しかし、こいつはどうにも別格な様な気がする。
「今の一睨みだけであたいは負けだ。助けてくれ」
「えー、そんなつもりじゃなくー」
「ま、あんたレベルになるとあたい程度殺す理由もないか」
エリー自身の見た目からして恐ろしく洗練されているし、ここまで話してみて中身もしっかりしてることが判っている。力に翻弄されて無闇に仕事を熟すような手合いじゃあるまい。寧ろ、実力が拮抗している相手以外とは真面目に殺し合わないタイプと見た。
「はあ、でも、最近そういう仕事はしてないんですが」
「うへぇ、元プロフェッショナルのセカンドライフの真っ最中に出くわした訳だ」
「何か誤解があるような――」
「ん、誤解?」
実力についての認識には間違いはないだろう。じゃあ何だ?
「誤解は二つ。まず最初に、そういう死神として活動していたのは相当昔のことです。次に、今の私の職業は死神じゃなくてとあるお屋敷の門番です。種族は死神ですけど」
「おいおい、複雑だなぁ」
まるであんたの髪の毛みたいだ、等という変な例えが浮かんでしまった。
「で、どちらにもとある人間が関わってきます」
「人間?」
「あー、現代の常識だと人間じゃないのかな?」
「――そうかい」
さてはどう転んでも複雑だぞ。
「私が死神の仕事を続けられなくなったのも、門番に転職したのも、その――うーん、妖怪? 妖怪を追っていたからです」
「やっぱり仕事か?」
「一応。で、その妖怪さんに手こずり過ぎた結果、私は職業死神とは言い難い感じに」
「あんたみたいのが手こずるねぇ」
「ええ、もうかれこれ数万年ですかね」
驚き過ぎて座っているのにズッコケた。危うく舟が転覆する所だった。
エリーと一緒に慌てて揺れを止める。
「す、すまん」
「だ、大丈夫です!」
「でだ、数万年とか言ったなあんた」
「ええ」
「本当にあの数万年か?」
「ええ」
格が違うと思ったらもっととんでもない奴だった。
「えーっと、ちょっと待て――その頃から追われ続けて死神に殺されない人間? あれか? 神話レベルの奴か?」
「神の血が混じってたかなぁ」
「神話レベルだそれは。あんたが西洋の出なのは大体判る、国は?」
「大体ギリシャかな」
「えーっと、そいつの話、長くなるんだな?」
「はい」
「神話レベルだろ。何かそいつに纏わる判り安いキーワードとかないか。ギリシャなら――トロイア戦争とか」
「パンドラの箱」
「パンドラの箱、ね。地上の人間の兄弟を懲らしめる為に神が箱に色々詰めて送り出したってあれか。数々の災いが飛び出し、後には希望だけが残った。運んだのはパンドラとか言う女だな。そのまんまだ」
「おお! よくお知りで」
「好事家の中では割と有名。特にあたいなんかは死神だから、ほら、タナトスって奴がいたろ――タナトス」
まさかこいつ。
「えー、全然違いますよー。タナトスさんは男性です」
「あー、タナトスさん、ね」
タナトスではないんだろう。でもタナトスと親しい仲っぽいのは十分ヤバイぞ。
「で、パンドラですよ」
「あ?」
「私が追い続けてる人間です。今は違う名前なんですけどね」
そういうことか。
「人類最初の女性とかなんとかだっけか?」
「はい!」
「何か色々な女神から贈り物をされたとかプロメテウスがどうとか」
「それは違います!」
「あー?」
「あれはゼウスの卑怯な情報戦略ですよ! 幽香様は――そんな人じゃないです!」
猛烈に時間が欲しかった。あたいの頭をパンクさせて殺す気か?
「えーっと、まず、幽香様ってのは今のパンドラの名前か?」
「はい」
「ゼウスの情報戦略?」
「そうです! あいつは幽香様を貶める為にあちらこちらの詩人に語らせて――」
「長くなる?」
「なります!」
「話殺されるってのは勘弁だ。判った気がするから、そこらで」
どんな話をしても長くなりそうになるのは人生経験が豊富過ぎるからだ。このままだと話が終わる前に私の職業死神の首が飛びかねない。幾ら何でも職場を空け過ぎている。
「大神とか言われてるゼウスを憎んでるっぽいのは一旦不問だ。えっと、追っていた幽香とやらを様付なのは何故だ?」
「――あー」
「長くなる?」
「はい」
「出来るだけ手短に」
「私の言ってた仕事っていうのは幽香様を守ることで、幽香様は人類最初にして神と戦い続けた人間として尊敬しているので、様付に」
「うん、で、何でその環境で手こずるって言う表現が飛び出す?」
「幽香様は私に素直に守らせてくださらないんですよー。いっつも一人で危険な所に行っちゃって」
「成る程、多分二割ぐらいは理解した」
次元が一二段階ぐらい上だこいつの話。
「神話というのは真正面から信用してはいけないものです」
「はいはい」
「まあ、判り辛かったら聞き流して下さい」
「そうする」
「で、その幽香様がですね、最近元気がないみたいなんですよ」
「――お?」
私にも付いて行けそうな話か?
「最近まで沢山お友達がお屋敷に訪れてたんですけどね、来なくなりまして」
「ほうほう」
「どうやら時代を変えるとか何とかで散れぢれに」
「――おお?」
何か神話レベルの話が始まりそうだ。
「ああ、大丈夫です。そんなに長くなる話じゃないんです。ただ、その人達は何とかして争いを後ぐされない物にしようと試行錯誤してた人達で、スペルカードルールが制定されるのを見届けたから、一旦ゆっくりしようとそれぞれの帰る場所に帰ったというだけです」
「――ふーん、スペルカードルールの原型でも作ってたのか」
「はい! 私達の夢幻館は確か、二番目の戦場だったかなぁ。あれ、そっか、実際には三番目か」
「夢幻館って言うのか、あんたが門番やってる屋敷」
「ええ。で、確か紅霧異変を見届けて皆満足したらしいんですが、幽香様は納得し切れてなかったみたいで」
「何だ? まだ完成度が足りないとかか?」
「えっと、これ、もし幽香様に会ったとしても内緒ですよ。幽香様、結構寂しがりやなんですよ」
「内緒にしなきゃならないのか?」
「うーん、怒られますね、多分。で、折角仲の良い友達出来たのに会えなくなったから、幽香様段々萎れてしまって」
「萎れたのか」
「ええ。最近は感傷気味みたいで、専ら花のある場所を目指して出掛けられていますね。お気に入りは確か、太陽の畑っていったかな?」
「おー、あそこか」
太陽の畑というのはエリーの言う通り花が多い場所で、咲いているのは主に向日葵だ。だから太陽の畑という名前が付いた。
「ずっと向日葵とお話しているみたいです」
「――おい、それって大丈夫か?」
死神としてはそんな危ない状態の奴は見過ごせない。
「ええ、元々花と話せる人なので」
「あ、ああ、そうかい。そういやあたいも口の無い魂と延々話してるような奴だった。人のこと言えないねぇ」
「視えますからね、色々と」
「そうだね、目の前の魂の人生や背負ってた物が色々視えちまうから、どうにも無駄話してやりたくなるのさ。それと同じかい? 幽香とやらがやってるのは」
「そうですね。ええ、それに大分近いというか、殆ど同じみたいです」
「え?」
「花は魂の依り代になりますからね。魂を糧に花を咲かせる植物もいる。だから、花というのは一時的に蘇った死者といってもいいかもしれません。花と話すというのはある意味、その土地に眠る死者と話すのと同じなのかもしれませんね」
「そいつぁ――まるで、あたい達渡し守の仕事みたいだな」
「死に悩む魂達を見送るということですか」
「うん。親近感が湧いてきちまったよ、その幽香とやらに」
「そうですか」
しかし、だ。
「どうにもそっちの幽香さんの方があたいより立派なことをやってるように思えてならないねぇ。あたいは仕事の一端の無駄話だが、そっちは殆ど慈善事業だろう?」
「はあ、でも、小町さんにも大勢の魂が救われてるんじゃないですか?」
「どうだか。少なくとも、今日この日まで原初の女がこの世で迷っちまった魂を見守ってるっていう方が、画になるように思うんだがねぇ」
「うーん、そうですか」
「――ふう、全くとんでもない客を乗せちまったよ。あんたが死神のアンクゥで、あんたの主人が人間なんだか妖怪なんだか判らない原初の女のパンドラ? 改めて思うが、ちょいと頭がおっつかん」
「あのー、一つ、言い忘れたことが」
「はーい?」
ヤバイぞ、ここで追加か訂正が入るのか?
「アンクゥは、何と言いますか、流れる時の中で辿り着いた姿の一つでして」
「そりゃあ数万年経ちゃあ姿も変わるか」
神話の英雄なんかも名前を沢山持ってる奴もいるしなぁ、うん、無理やり納得しよう。
「改めて、ギリシャ神話のことはよくお知りですね?」
「ああ、そういう妙な話は大好きでね。大体は」
「エリスって知ってます?」
「エリス?」
「実は私の持っている鎌、元は槍だったんですが」
「エリス――」
「トロイア戦争に関わったって言えば判るかな?」
ギリシャ神話、エリスのエリー、大鎌が槍、死神、真紅、つまり血の色のドレス、パンドラの箱――待てよ、トロイア戦争?
「あ、あんた」
私の想像してるエリスなら、手練も何も、化け物中の化け物じゃないか!
「そうです。多分そのエリスですー」
「お、お――黄金の林檎でトロイア戦争引き起こして、その後戦場で矢鱈と暴れまわったあのエリスか!」
「火も吹けました。昔は」
「あの不和の女神だろ? ――そういやタナトスを救いに行った逸話もあったなあんた」
「はい。全く、あんな勤勉な人を閉じ込めるなんて酷い奴らです!」
ギリシア神話の不和の女神、エリス。
争いを好む上、とても執念深い故に忌み嫌われた女神で、よく出没する場所は戦場だったって話だ。ちらっとエリーと話した通りギリシア神話最大の悲劇と言われるトロイア戦争の発端が、そのエリス。とある理由から、色々と凄い力を持った黄金の林檎をもっとも美しい女神へと言いつつとある牛飼いに投げ渡し、女神達を争わせ、結果人間界まで混乱させ、その果てに起きた戦争でも戦場に颯爽と駆け付け、その神話を読んだ者も反応に困る程の武勇を誇った、というか殺戮に殺戮を重ねたという、簡単に言うと完全無欠な悪神。アフターサービスの完璧さがもう並の悪神には到達出来ない次元だ。
ただエリスは醜女だったって話だが、エリーは醜女には見えない。完全に美人の類だ。
「おいおいおい、あんた死神って区分でいいのか」
「一応」
「あー、納得いかん」
「私が争いで遊ぶっていうのはアイツが流した全く間違った風説ですよ! 全く私に何度か痛い目合わされただけであんなことするなんて」
「アイツってのはゼウスか」
「神ですら争いから逃れることは出来ないのです。特に、アイツはね」
「何だろう、長くなりそうな」
「兎に角、私は死神です。私はね、争いを看取る死神なんですよ」
「争いを看取る?」
「認めましょう、私は悪神です。どうしても戦場に出たくなるぐらいにはね。私は戦に惑うあらゆる民を屠りますが、主に私が鎌に掛けるのは争いに取り憑かれもう平穏に目を向けられない者達です。争いその物と同化しようというのなら、まず私に打ち勝ってみせよ、そう思ってしまうのですね。争うことしか考えぬ者達を屠ることで私はその場を支配する争いを殺したいのです。故に、私は争いを看取る死神です」
「――難しいな」
「私も滅多に他人に説明しませんよ。理解されようがしなかろうが、私はそういう死神なので」
「そんなに悩むならせめて死んで楽になれ、という意味もあるのか?」
「私なりの弔いです」
「そうかい」
戦争は一つの勢力が残れば終わるなんて単純な物じゃない。恐らくエリーはそう言いたいのだ。
(着)
「小町さん、ここまで貴女とお話してみて、私が何故ここに誘われてしまったか判りました」
「ほう」
「まだ看取られていない争いが、幻想郷に来ています」
「――おいおい、幻想郷が戦場になるのか」
「いえ、彼らは争いに取り憑かれ成仏出来ないだけなのです。どうにかしてあげなければ」
「そりゃああんたの仕事か」
エリーは「いえ」と言って首を振る。
「ここの死の国は優秀だと見ました。きっと貴女方なら彼らを救えるでしょう。私は異国の神。貴女方の争いの弔いは、あまり邪魔をしたくありません」
「おや、あんた程の女神に認められちまったか、そりゃあ頑張らないといけないな」
「ええ、是非是非頑張って下さいね。お話楽しかったですよ、小町さん」
「――ん」
気が付けば此岸は直ぐそこに迫っていた。名残惜しいが、珍客との束の間の一時は終わりらしい。
岸に舟を付けるとエリーは今度こそ自分の二本の足で舟を降りた。立ち上がったエリーは尚更長身に見える。これならあの大鎌にも負けちゃいない。流石は数万年物の死神だということか。
「では、またいつか」
「ああ、気が向いたら来てくれよ。またこっそり舟に乗ってくれ」
エリーは申し訳無さそうな苦笑いを見せて、三途の河から去って行った。
――うん、そうだったな。間違いなくこの後だ。
もう一度魂探しに出掛けたあたいを、季節外れの彼岸花と妙な女が出迎えたのは。
その女が件の風見幽香だと知ったのは、あの幻想郷中に花が咲き誇る異変が終わった後のことだった。
・オリ設定がキツイです。旧作が絡むし仕方ないなと言える人のみお進み下さい。
・ギリシャ神話を知らないと付いて来れない可能性あり。人の数だけ幻想郷だし仕方ないなと言える人のみお進み下さい。
・最低花映塚はプレイしていないと厳しいかも。旧作は、幻想郷と怪綺談の幽香様の台詞を知っているとなんとなくどうしてこうなったか判るかもしれません。
・エリーさんは物騒可愛い人だと思います。
・幽香様は実は繊細な人だと思います。
あの花が矢鱈と咲いた異変の直前だったかな。
その日はいつも通りにのんびり舟を漕いでいた。眠り掛けている方ではなく水の上を進む方だ。正確には川の上。あたいの舟は三途の川を進んでいるのだ。
三途の川の渡し守というのがあたいの役職だ。あたいの種族は死神で、名前は小野塚小町。三途の川にいるのは大抵霊魂か死神、はたまた死にたがりだと思っていい。
三途の川の渡し守というのは三途の川の此岸側の岸に辿り着いた魂を彼岸側、つまりあの世に運ぶ仕事だ。正確にはあの世に直行する訳ではなくあたいが連れて行くのは閻魔様の裁判所までだ。そこから先は私の仕事じゃない。あたいの職務にはあまりにも此岸に魂がいない時は現界に魂を探しに行く、なんてものが追加されることがあるが、今のところそんな奇妙な事態になったことはない。大抵此岸には魂がちらほらいる。たまに魂でごった返す。
今日も舟には魂が乗っている。この船はあたいと魂一人分の二人乗りだ。三途の川は魂の罪で川幅が変わる特殊な川だから、どうしても一人分ずつしか運べない。何人分も乗せると利口な三途の川も混乱する。
あたいは魂と世間話をするのが好きだ。魂には口がないが、そんなことは気にせず一方的に喋っている。別に何で死んだのかなんて話じゃない。そんな説教染みた話は閻魔様の担当だ。あたいがするのは本当にただの世間話。その通例通り、今日も世間話に花を咲かせることにしていた。いつも通りの世間話。
そういう、予定だったんだけど。
舟の行く先を見ながら櫂を取っていたあたいは、一旦櫂を舟の上に引き上げて自分の後ろに居る筈の魂の方へと振り返った。無論、世間話を始める為である。
霊魂が居る筈の場所に見覚えのない奴が座っていた。
一瞬思考が停止した。あたいは確かにつるつるてんの魂を乗せた筈だ、そんな言葉が浮かび上がってきて、それ以上次の言葉が浮かんでこない。
魂には手足等生えていない。そういう物は抜けてきた体に置いてきている、筈だった。しかし今あたいの舟に乗っている奴には手足がある。やけにすらっとしていて長いやつがだ。つまり嫌味なぐらいに人型の奴があたいの舟に乗っている。
そいつは紅いドレスに身を包んでいた。とびっきり紅いやつ。顔は骸骨でした、なんて落ちなら死神としては納得がいくが、白い肌にきついウエーブの掛かった金髪、そんでもって髪と同じく金色の瞳がこっちを見ているとなると、こいつにはしっかり肉体がある。しっかり肉の付いた頭には白いつば広帽まで乗っている。完全に招かれざる客だった。この舟はあたいとあの世行きの魂専用だ。
更にそいつは、あたいを混乱させたいが為にそんなもん持っているんじゃないかと疑いたくなるような物を抱えていた。
緋色の柄の付いた大鎌だ。しかも刃が逆刃なんていう、物凄い特徴的なやつを。
――死神だ。
まずそう思った。死神がそう思うんだから間違いない。
私だって大鎌を持っている。形式的なやつだが。これを持っていると此岸に集まる魂や噂を聞いた生者が喜ぶらしい。死神は大鎌を持っているのが定説なのだという。確か――その定説の出処は西洋か。
目の前のやつはどう見たって西洋の出だ。そして恐らく、あの大鎌はその定説に沿った本物の大鎌らしい。
その磨き抜かれた刃を見てヤバイと思った。あたいの大鎌は戦闘用じゃない。護身程度には使えるが刃の切れ味は悪い、というか全く切れない。逆にそういう大鎌をいつも持っているから、目の前の奴が持っている大鎌がそれはもうよく切れるやつなんだろうと看破できた。
一気に日常から非日常へと連れ込まれた。それも最悪のやつだ。
「あんた――見覚えないんだけど、どこの所属だい?」
正直この問いかけに意味があるとは思えない。確か、非戦闘員の渡し守のあたいだけでなく、この付近の死神の持っている大鎌は全て実戦用の物じゃ無い筈だ。ここらの死神はどちらかと言えば精神攻撃を主体としている。そもそも大鎌なんて馬鹿みたいに扱い辛い武器を獲物にする奴はかなり少ないだろう。
――で、その馬鹿をやってる馬鹿が目の前にいる。
こんな奴は本当に記憶にない。
「えっ、ええと、所属って――ああ、組織立ってやられてるんですね!」
何だか間の抜けた返事が帰ってきてあたいは拍子抜けした。
でも残念ながら更に油断が出来なくなった。死神の在り方を知らない? 生者なら常識じゃないか。同じ死神なら尚更だ。
さては新参か?
「なああんた、最近幻想郷に来た口かい?」
「え? いや、結構長い方ですよ?」
幻想郷というのはあたい達の担当する現界の地区だ。正確にはあたい達のボス、つまり閻魔様の担当地区。
そこに長く住んでてここのあの世の仕組みを知らない死神? はっきり言ってさっぱり訳が判らない。推測するのも面倒だ。
「あたいに何の用だい? ああ、閻魔様に用ってんなら諦めな。意地でも降りてもらうぞ」
取り敢えず威嚇してみたところ、何故かそいつは異様に焦りだした。
まず驚いた顔をする。次にあたふたと左右を見回す。最後に自分の抱えた殺意の塊を見ると、それからパッと手を話した。
あたいの舟はそんなにでかい訳じゃない。毎回確実に乗り合わせるあたいが長身だから余計そう見える。正直言ってあたいには小さい。で、そいつも長身だった。そんでもってそいつの大鎌はそいつの身長と同じぐらいの大きさだった。
何が言いたいかといえば、大鎌が倒れた衝撃で舟が大いに揺れた。
揺れる視界の中で、気まずそうに小事件の犯人が苦笑いしている。
「えっ、えっとあの、ごめんなさい!」
物凄い勢いでそいつは頭を下げた。もう一度言うがそいつは長身だ。長身のあたいが言うんだから間違いない。何が言いたいかといえば、また舟が揺れたということだ。
舟がぎいぎい音を立てながら揺れる。気まずい空気が流れる。更に舟を揺らした張本人にとって不幸なことだったのは、今あたい達が舟を浮かべている三途の川は落ちてしまえば死神ですら浮かび上がってこれない、曰く付きも曰く付きな川なのだ。
――何だ、何なんだ?
まるで日常へと戻れそうにない。何よりも取り乱さないことが先決だろうと思ったので、あたいはこいつを質問攻めにすることにした。喋ってりゃあ相手には飲まれまい。
「あー、あんた、何もんだ?」
そいつの顔が少しの間凍りついた。――今度はなんだ?
「何もんだと言われて答えられるのは――名前は、エリーです」
取り敢えず名前はエリーらしい。答えられないのか、答えようがないのか。
「何が目的でこの船に?」
「私はただ、乗れと言われて乗っただけで」
「あたいは魂を乗せた筈だ。丸くてつるつるしてそうなやつ。後、全体的にもっと白い」
「だから、それが私です」
「はぁ?」
「お忍びスタイルなんです」
「お忍びスタイルって――そんな芸当が出来る死神、益々知らん」
大体魂に化けられても死神の仕事の役には立つまい。
「私は出来るんです。兎に角、私は貴女に誘われるがままに舟に乗って、あのままの姿だとお話が出来ないから途中で元の姿に戻った、ということなんです」
「で? 話を聞いてみたら彼岸に渡る舟だったと?」
「――はい」
「すまないね、訳が判らん」
「し、仕方ないじゃないですか! フラフラしてたら声を掛けられたんですよ! 付いて行くでしょう?」
「あんた警戒心ってのはないのか?」
そう言ってみてからエリーの持っていた大鎌のことを思い出した。恐らく警戒心はあんまり必要のない人種だ。
「で? この舟に乗り合わせたのは間違いで、あんたは彼岸に用はないんだね? 最近死んだって訳じゃないね?」
「んー、彼岸には用はないですね。いや、でも、死んでるかも」
また話が拗れそうになる。
「生きてる、生きてるんだよあんたは。死神のあたいが言うんだからそうなんだ。で、これからあたいはアンタを此岸まで運び直さないといけなくなった」
「――ごめんなさい」
「いや、いいんだ」
「え?」
「あんたみたいなブッ飛んだ客は滅多にいない。アンタ、物騒な物抱えてる癖にちゃんと話が出来そうじゃないか。あたいの無駄話に付き合ってくれればチャラにしてやるよ」
はあ、とエリーは気の抜けた返事をした。
こうなれば文字通り乗り掛かった舟どころか出ちまった舟だ。この非日常を楽しまない理由はない。同じ阿呆なら踊らにゃ損々というやつで、私はこの物騒なんだか気が抜けてるんだかよく判らないエリーというやつと、一つ話し込んでみる事にした。
(返)
あたいの舟は此岸に向けて逆戻りを始める。
面倒なのが、例え相手が死神でも生者を乗せて三途の川を渡り始めてしまった場合、三途の川の川幅は無限に伸びちまうってことだ。流石の三途の川でも乗っけた生者が今後どんな罪を犯すか判らないらしく、結果生きていることは罪であるという判定を下して一分一秒毎に罪を加算していく。その速度に勝てる程あたいの舟の最高速度は早くない。その伸び続ける川幅を全く気にせず舟を進めて来たもんだから、正直今どの辺なのかあたいにもさっぱり判らない。
エリーにとって幸運だったのは渡し守があたいだったということだ。あたいは距離を操る程度の能力というやつを持っている。死神が生者を追う時なんかにピッタリ背中に張り付いてじわじわ生者の精神をいたぶったりするが、あたいはアレが得意だ。で、それを応用するとここから此岸までの距離を短縮できる。逆に伸ばしたりも出来る。並の渡し守ならうっかり音を上げちまうかもしれないが、あたいは今どこにいるとしてもコイツを此岸に送り届ける自信がある。まあ、普段の渡し守の仕事にはあまり役に立たない特技なんだが。川幅の方が自在に変わっちまうから。しかもそれは魂の罪に応じてというとても重要な係数を持ってる。距離は弄っちゃいけない訳だ。まあ、偶に気分で川幅を変えちまう時があるが、それはまた別の話。
意識を集中してみると此岸は何とか捉えられた。後は世間話の盛り上がり方次第で距離を変えよう。一種の休み時間だ。
「うん、で、エリーとかいうの」
「あ、はい」
「名前だけじゃよく判らん。話のしようがない。何か話の種をくれ」
エリーは顎に手を当てて考え込む。
「そうですね――では最初に、死神としての私のことでも」
「よしきた」
物凄く気になってたことだ。
「アンクゥってご存知ですか?」
「すまん」
「知ってたらもう判ってますよね――アンクゥというのは、とある条件で区切られた一角で一年の最後に出た死者が変じる死神です。私の様に逆刃の鎌を持っていてですね、一般的なアンクゥは黒いローブに身を包んでいまして、ガリガリだったり骸骨だったりする姿を持っています。で、こちらも痩せこけていたり骸骨だったりする馬に引かれた馬車に――」
「待った、だから死んでいるんじゃないかと迷ったってのは判った。で、あんたは一般的なアンクゥとやらじゃないんだな?」
私が見る限り、エリーは確かに血色はよくないように見えるが痩せ過ぎているっていう訳ではない。血色については元の肌の色が白いからそう見えるだけで、体については言うならスレンダー辺りだろう。流石に骸骨とは見間違えそうにない。骸骨なら言っちまえば中性的な見た目をしてるが、エリーは思いっ切り女と判る。簡単に言うとスタイルが良い。鎌さえ持って無ければどっかの貴婦人だ。
「ええ。もし私が一般的なアンクゥなら年の終わりにいなくなってます。アンクゥはお仕事の一種なので、一年務めると任期終了、自分のお墓に戻れるのです」
「何か訳ありっぽいね」
「話すとしたら長くなるんですが――」
「いいよ、別に。そういう意味ならあたいだって訳ありさ」
「小野小町の説話なら、多少」
「あー、勘弁して貰いたい」
妖怪同士の素性話は切りがなくなっちまう。流石にこいつに花を咲かせるとマズイ。下手すると別の意味で戻れなくなる。
「話を変えよう。何で中有の道にいたんだ? しかも魂姿で」
中有の道というのは、簡単に言うと三途の河に一番近い此岸の場所だ。ここはもう死者の為にあるような場所だから訪れる奴の多くは死者だ。
「楽しそうだったんで! 魂姿の方は、いつものことですね」
どうやら相当の気分屋だ。確かに中有の道はそういう所なんだが。
実は地獄は総死者数が地獄の処理能力を超え始めたり何なりで、目下財政難である。それを解決する方策の一つとして、地獄、つまり彼岸から一番近い此岸である中有の道で商売をしている。開いているのはお祭りの屋台程度の物、というかお祭りの屋台だ。死者の通る道はおどろおどろしいというイメージを覆すこと間違いなしの賑やかさだが、それが毎日のことだから一周回っておどろおどろしいかもしれない。ここにはお祭り好きの生者すら訪れることがある。ついでにあたいもよく行く場所だ。賑やかさを楽しむのも確かだが、ここに来れば運ぶべき魂が見つかる。つまり職場の一つだということだ。
「で、屋台を見回ってたらあたいに捕まっちまったと」
「あんた河を渡る気はないかい? って言われましたね」
「そうだ、そうだった」
「何か?」
「いや、普通はそんな問いかけ方しないんだ、あたい。中有の道まで来る奴は割りと自分が死んだんだって気付いてる奴が多い。でも偶に何が何だか判らないまま中有の道辺りをふらついてたりする奴がいる。そいつを河に連れてくるのもあたいの仕事。つまり、死神っぽい格好をした死神に河を渡るかって言われれば、あんたは死んだんだって言い聞かせられると思ったんだ」
「うん? ――あー、な、成る程」
「そういやあんたやけに活きが良かったなぁ! あたいが今まで見た中で一番祭りを楽しんでそうだったよ! まるで生きてるみたいだった。というか生きてたんだが」
「あのー、重ね重ね――」
「謝らなくていい。あたいの経験不足だ。真逆ここまで完璧に魂に化けられる奴がいるとは思わなかったんだ」
そう、あたいは中有の道で無茶苦茶目立つ魂を見つけたんだった。あちらこちらの屋台に飛び回って、感情の表し辛いまん丸の魂が全身全霊で喜の感情を振りまいてたから物凄い気になった。声を掛けたらあっさり付いてくるじゃないか。何だコイツ面白いなぁと思って、簡単な説明を済ませてさっさと乗せちまったんだった。
――待てよ。
「なあ、エリー」
「はい?」
「あたいは今から渡る三途の河はあの世へ通じる河だって説明したよな?」
「はい」
「何で喜んで舟に乗った」
「一度見てみたかったんです!」
真逆、自分も死神だし異国の死の在り方である三途の河を見学しておこうって思ったのか。
「所謂後学の為ってやつか?」
「はい!」
そうだった。
「――でだ、三途の河にはルールがある」
「はい?」
「渡る前に渡し守に金を払うんだよ。払って貰えないと地獄がお仕舞いだ。で、あんた――どんくらい払ったんだっけか」
「あー、えっと」
「そもそも払えるもんあったか?」
そう、元々疑えというのは無理があったんだが、更に信用した理由としてはエリーがしっかり金を払ったというのがある。
三途の河、いや中有の道辺りで死者は自分が金を持っていることに気付く。それ以外の物は持っていないからその金はやけに目立つ。で、死者はそれを渡し守に払って彼岸に渡る。今回の場合はあたいに払う。この金の量が三途の河の川幅にかなり関わってくる。この金は生前他人がその魂の為に使ってくれた金の合計分あるということになっている。因みにその金は中有の道でも使えるんだが、別にそっちで幾ら使っても使ってない場合と川幅は変わらなかったりする。一応どちらの場合でも地獄の金になるからだ。
確かエリーは、かなりの量支払った筈だが。
「その、少し、小細工を」
「――おいおい」
「この鎌を預けたんですよ」
「はあ、そういう芸当も出来るのか」
あたいはエリーの物騒な大鎌を凝視した。
金物は金物に変えられるという理屈だろうか。
「この鎌に宿る死者のあれとかそれとかを工夫すると、ここで使えるお金になるんです」
「あー、そういうことか」
ここの理屈外で裁かれた死者の分が溜まってたということか。
「無茶苦茶冒涜的だと思うんだが、それ」
「いえ、アンクゥは死者に感謝される職なので」
「ほう」
「アンクゥに連れて逝かれると信仰通りの死に方が出来たと喜ばれるんですよ。不慮の事故で死んだ方が生者にとってはマズイことなんです。ああ、私の知っている理屈通りならば、ですよ」
「へえ、色んな死神がいるんだな」
あたいが知らない死神も一杯いるらしい。
つまりエリーは死者からの感謝を金に替えて支払ったということか。それならあたいにも理解出来るレベルの話だ。
「で、それは鎌を預けるという話とはちょっと違う気がするが」
鎌は死者じゃないだろう。こっちの理屈は判らない。
「どうやら鎌もお金に化けるみたいで」
「あー、それ、人から貰った物かい?」
「長くなります!」
「うん、判った。で、化けるんだな」
「化けます。化けて――」
「うん?」
何か引っ掛かって、私はもう一度エリーの鎌を凝視した。
待てよ、鎌がある? 金に変えたのに?
「正直に言うと誤魔化そうとしてました!」
「あ、あんた――」
こいつ、抜けてるかと思ったらしれっととんでもないことする奴だ。金に変えた後に元に戻せる鎌なんて初めて見たぞ。
「流石に全財産は無理ですよー」
「――まあ、元々行ったら帰って来ない筈の舟旅だからな。後学の為に乗れる額じゃないか」
あたいら渡し守が魂に要求するのはその時持っている全財産だ。因みに、生者には訳の判らない程の額を吹っ掛けることになっている。ここを渡ると生者だろうがなんだろうが事実上死ぬ。つまりここを渡ろうとする生者はえらく洒落っ気のある自殺志願者だ。地獄一同自殺なんて認めていないから全力の皮肉で返しているという訳だ。自殺の罪は幾ら金を積んでも晴れないという意味と、金の為に死ぬべき生者などいないという意味がある。
「あー、突き落とされますかー」
エリーはみるみる泣きそうな顔になる。表情豊かな奴だ。
そういやあたいはいつも、あたいの機嫌を損ねると突き落とすからね、と冗談半分に言ってから魂を舟に乗せる。エリーを乗せた時もそうだった。
今回は本当に冗談で終わっている。
「なあエリー」
「――あわわ」
「突き落としゃあしないさ。寧ろ突き落とさないでくれ、だね」
「えっ」
「あんた――手練だろ」
持っている鎌からして相当凝ってる。あんな得物並の奴が持つか。しかもちゃんと死神としての仕事をしているらしいのが、中有の道を楽しむだけの金があったことから容易に知れる。よりによって死神があの選び抜かれた得物を持ってする仕事と言えば――明らかに殺しだ。生者を連れて行くってのはつまり、活きのいい罪人なんかもバッサバッサとやってるに違いない。そう踏んだ。
踏んだ所で逃げ場がない。やり合えば間違いなく死ぬ。飛び込んでも死ぬ。というか、ここで死ねば恐らく彼岸に渡れない。死ぬより酷いことになりそうだ。
(渡)
「そんなことしませんよ!」
その言葉を聞いて心底ほっとした。状況は好転しちゃいないが、この言葉は頼りにしても悪いことにはなるまい。そういう意味では、もう状況は最底辺だ。
「信用しとこう。あたいを突き落としても此岸に戻れそうな奴だなぁとかはもう考えないようにする。出来るだけ」
「はあ、怖がらないでっていう方が無茶がありますか」
「うん」
「私には小町さんも十分手練に見えますがねぇ」
そう言った時のエリーの目の鋭さがまたあたいを震え上がらせかけた。
確かにあたいだって腕に覚えはあるさ。しかし、こいつはどうにも別格な様な気がする。
「今の一睨みだけであたいは負けだ。助けてくれ」
「えー、そんなつもりじゃなくー」
「ま、あんたレベルになるとあたい程度殺す理由もないか」
エリー自身の見た目からして恐ろしく洗練されているし、ここまで話してみて中身もしっかりしてることが判っている。力に翻弄されて無闇に仕事を熟すような手合いじゃあるまい。寧ろ、実力が拮抗している相手以外とは真面目に殺し合わないタイプと見た。
「はあ、でも、最近そういう仕事はしてないんですが」
「うへぇ、元プロフェッショナルのセカンドライフの真っ最中に出くわした訳だ」
「何か誤解があるような――」
「ん、誤解?」
実力についての認識には間違いはないだろう。じゃあ何だ?
「誤解は二つ。まず最初に、そういう死神として活動していたのは相当昔のことです。次に、今の私の職業は死神じゃなくてとあるお屋敷の門番です。種族は死神ですけど」
「おいおい、複雑だなぁ」
まるであんたの髪の毛みたいだ、等という変な例えが浮かんでしまった。
「で、どちらにもとある人間が関わってきます」
「人間?」
「あー、現代の常識だと人間じゃないのかな?」
「――そうかい」
さてはどう転んでも複雑だぞ。
「私が死神の仕事を続けられなくなったのも、門番に転職したのも、その――うーん、妖怪? 妖怪を追っていたからです」
「やっぱり仕事か?」
「一応。で、その妖怪さんに手こずり過ぎた結果、私は職業死神とは言い難い感じに」
「あんたみたいのが手こずるねぇ」
「ええ、もうかれこれ数万年ですかね」
驚き過ぎて座っているのにズッコケた。危うく舟が転覆する所だった。
エリーと一緒に慌てて揺れを止める。
「す、すまん」
「だ、大丈夫です!」
「でだ、数万年とか言ったなあんた」
「ええ」
「本当にあの数万年か?」
「ええ」
格が違うと思ったらもっととんでもない奴だった。
「えーっと、ちょっと待て――その頃から追われ続けて死神に殺されない人間? あれか? 神話レベルの奴か?」
「神の血が混じってたかなぁ」
「神話レベルだそれは。あんたが西洋の出なのは大体判る、国は?」
「大体ギリシャかな」
「えーっと、そいつの話、長くなるんだな?」
「はい」
「神話レベルだろ。何かそいつに纏わる判り安いキーワードとかないか。ギリシャなら――トロイア戦争とか」
「パンドラの箱」
「パンドラの箱、ね。地上の人間の兄弟を懲らしめる為に神が箱に色々詰めて送り出したってあれか。数々の災いが飛び出し、後には希望だけが残った。運んだのはパンドラとか言う女だな。そのまんまだ」
「おお! よくお知りで」
「好事家の中では割と有名。特にあたいなんかは死神だから、ほら、タナトスって奴がいたろ――タナトス」
まさかこいつ。
「えー、全然違いますよー。タナトスさんは男性です」
「あー、タナトスさん、ね」
タナトスではないんだろう。でもタナトスと親しい仲っぽいのは十分ヤバイぞ。
「で、パンドラですよ」
「あ?」
「私が追い続けてる人間です。今は違う名前なんですけどね」
そういうことか。
「人類最初の女性とかなんとかだっけか?」
「はい!」
「何か色々な女神から贈り物をされたとかプロメテウスがどうとか」
「それは違います!」
「あー?」
「あれはゼウスの卑怯な情報戦略ですよ! 幽香様は――そんな人じゃないです!」
猛烈に時間が欲しかった。あたいの頭をパンクさせて殺す気か?
「えーっと、まず、幽香様ってのは今のパンドラの名前か?」
「はい」
「ゼウスの情報戦略?」
「そうです! あいつは幽香様を貶める為にあちらこちらの詩人に語らせて――」
「長くなる?」
「なります!」
「話殺されるってのは勘弁だ。判った気がするから、そこらで」
どんな話をしても長くなりそうになるのは人生経験が豊富過ぎるからだ。このままだと話が終わる前に私の職業死神の首が飛びかねない。幾ら何でも職場を空け過ぎている。
「大神とか言われてるゼウスを憎んでるっぽいのは一旦不問だ。えっと、追っていた幽香とやらを様付なのは何故だ?」
「――あー」
「長くなる?」
「はい」
「出来るだけ手短に」
「私の言ってた仕事っていうのは幽香様を守ることで、幽香様は人類最初にして神と戦い続けた人間として尊敬しているので、様付に」
「うん、で、何でその環境で手こずるって言う表現が飛び出す?」
「幽香様は私に素直に守らせてくださらないんですよー。いっつも一人で危険な所に行っちゃって」
「成る程、多分二割ぐらいは理解した」
次元が一二段階ぐらい上だこいつの話。
「神話というのは真正面から信用してはいけないものです」
「はいはい」
「まあ、判り辛かったら聞き流して下さい」
「そうする」
「で、その幽香様がですね、最近元気がないみたいなんですよ」
「――お?」
私にも付いて行けそうな話か?
「最近まで沢山お友達がお屋敷に訪れてたんですけどね、来なくなりまして」
「ほうほう」
「どうやら時代を変えるとか何とかで散れぢれに」
「――おお?」
何か神話レベルの話が始まりそうだ。
「ああ、大丈夫です。そんなに長くなる話じゃないんです。ただ、その人達は何とかして争いを後ぐされない物にしようと試行錯誤してた人達で、スペルカードルールが制定されるのを見届けたから、一旦ゆっくりしようとそれぞれの帰る場所に帰ったというだけです」
「――ふーん、スペルカードルールの原型でも作ってたのか」
「はい! 私達の夢幻館は確か、二番目の戦場だったかなぁ。あれ、そっか、実際には三番目か」
「夢幻館って言うのか、あんたが門番やってる屋敷」
「ええ。で、確か紅霧異変を見届けて皆満足したらしいんですが、幽香様は納得し切れてなかったみたいで」
「何だ? まだ完成度が足りないとかか?」
「えっと、これ、もし幽香様に会ったとしても内緒ですよ。幽香様、結構寂しがりやなんですよ」
「内緒にしなきゃならないのか?」
「うーん、怒られますね、多分。で、折角仲の良い友達出来たのに会えなくなったから、幽香様段々萎れてしまって」
「萎れたのか」
「ええ。最近は感傷気味みたいで、専ら花のある場所を目指して出掛けられていますね。お気に入りは確か、太陽の畑っていったかな?」
「おー、あそこか」
太陽の畑というのはエリーの言う通り花が多い場所で、咲いているのは主に向日葵だ。だから太陽の畑という名前が付いた。
「ずっと向日葵とお話しているみたいです」
「――おい、それって大丈夫か?」
死神としてはそんな危ない状態の奴は見過ごせない。
「ええ、元々花と話せる人なので」
「あ、ああ、そうかい。そういやあたいも口の無い魂と延々話してるような奴だった。人のこと言えないねぇ」
「視えますからね、色々と」
「そうだね、目の前の魂の人生や背負ってた物が色々視えちまうから、どうにも無駄話してやりたくなるのさ。それと同じかい? 幽香とやらがやってるのは」
「そうですね。ええ、それに大分近いというか、殆ど同じみたいです」
「え?」
「花は魂の依り代になりますからね。魂を糧に花を咲かせる植物もいる。だから、花というのは一時的に蘇った死者といってもいいかもしれません。花と話すというのはある意味、その土地に眠る死者と話すのと同じなのかもしれませんね」
「そいつぁ――まるで、あたい達渡し守の仕事みたいだな」
「死に悩む魂達を見送るということですか」
「うん。親近感が湧いてきちまったよ、その幽香とやらに」
「そうですか」
しかし、だ。
「どうにもそっちの幽香さんの方があたいより立派なことをやってるように思えてならないねぇ。あたいは仕事の一端の無駄話だが、そっちは殆ど慈善事業だろう?」
「はあ、でも、小町さんにも大勢の魂が救われてるんじゃないですか?」
「どうだか。少なくとも、今日この日まで原初の女がこの世で迷っちまった魂を見守ってるっていう方が、画になるように思うんだがねぇ」
「うーん、そうですか」
「――ふう、全くとんでもない客を乗せちまったよ。あんたが死神のアンクゥで、あんたの主人が人間なんだか妖怪なんだか判らない原初の女のパンドラ? 改めて思うが、ちょいと頭がおっつかん」
「あのー、一つ、言い忘れたことが」
「はーい?」
ヤバイぞ、ここで追加か訂正が入るのか?
「アンクゥは、何と言いますか、流れる時の中で辿り着いた姿の一つでして」
「そりゃあ数万年経ちゃあ姿も変わるか」
神話の英雄なんかも名前を沢山持ってる奴もいるしなぁ、うん、無理やり納得しよう。
「改めて、ギリシャ神話のことはよくお知りですね?」
「ああ、そういう妙な話は大好きでね。大体は」
「エリスって知ってます?」
「エリス?」
「実は私の持っている鎌、元は槍だったんですが」
「エリス――」
「トロイア戦争に関わったって言えば判るかな?」
ギリシャ神話、エリスのエリー、大鎌が槍、死神、真紅、つまり血の色のドレス、パンドラの箱――待てよ、トロイア戦争?
「あ、あんた」
私の想像してるエリスなら、手練も何も、化け物中の化け物じゃないか!
「そうです。多分そのエリスですー」
「お、お――黄金の林檎でトロイア戦争引き起こして、その後戦場で矢鱈と暴れまわったあのエリスか!」
「火も吹けました。昔は」
「あの不和の女神だろ? ――そういやタナトスを救いに行った逸話もあったなあんた」
「はい。全く、あんな勤勉な人を閉じ込めるなんて酷い奴らです!」
ギリシア神話の不和の女神、エリス。
争いを好む上、とても執念深い故に忌み嫌われた女神で、よく出没する場所は戦場だったって話だ。ちらっとエリーと話した通りギリシア神話最大の悲劇と言われるトロイア戦争の発端が、そのエリス。とある理由から、色々と凄い力を持った黄金の林檎をもっとも美しい女神へと言いつつとある牛飼いに投げ渡し、女神達を争わせ、結果人間界まで混乱させ、その果てに起きた戦争でも戦場に颯爽と駆け付け、その神話を読んだ者も反応に困る程の武勇を誇った、というか殺戮に殺戮を重ねたという、簡単に言うと完全無欠な悪神。アフターサービスの完璧さがもう並の悪神には到達出来ない次元だ。
ただエリスは醜女だったって話だが、エリーは醜女には見えない。完全に美人の類だ。
「おいおいおい、あんた死神って区分でいいのか」
「一応」
「あー、納得いかん」
「私が争いで遊ぶっていうのはアイツが流した全く間違った風説ですよ! 全く私に何度か痛い目合わされただけであんなことするなんて」
「アイツってのはゼウスか」
「神ですら争いから逃れることは出来ないのです。特に、アイツはね」
「何だろう、長くなりそうな」
「兎に角、私は死神です。私はね、争いを看取る死神なんですよ」
「争いを看取る?」
「認めましょう、私は悪神です。どうしても戦場に出たくなるぐらいにはね。私は戦に惑うあらゆる民を屠りますが、主に私が鎌に掛けるのは争いに取り憑かれもう平穏に目を向けられない者達です。争いその物と同化しようというのなら、まず私に打ち勝ってみせよ、そう思ってしまうのですね。争うことしか考えぬ者達を屠ることで私はその場を支配する争いを殺したいのです。故に、私は争いを看取る死神です」
「――難しいな」
「私も滅多に他人に説明しませんよ。理解されようがしなかろうが、私はそういう死神なので」
「そんなに悩むならせめて死んで楽になれ、という意味もあるのか?」
「私なりの弔いです」
「そうかい」
戦争は一つの勢力が残れば終わるなんて単純な物じゃない。恐らくエリーはそう言いたいのだ。
(着)
「小町さん、ここまで貴女とお話してみて、私が何故ここに誘われてしまったか判りました」
「ほう」
「まだ看取られていない争いが、幻想郷に来ています」
「――おいおい、幻想郷が戦場になるのか」
「いえ、彼らは争いに取り憑かれ成仏出来ないだけなのです。どうにかしてあげなければ」
「そりゃああんたの仕事か」
エリーは「いえ」と言って首を振る。
「ここの死の国は優秀だと見ました。きっと貴女方なら彼らを救えるでしょう。私は異国の神。貴女方の争いの弔いは、あまり邪魔をしたくありません」
「おや、あんた程の女神に認められちまったか、そりゃあ頑張らないといけないな」
「ええ、是非是非頑張って下さいね。お話楽しかったですよ、小町さん」
「――ん」
気が付けば此岸は直ぐそこに迫っていた。名残惜しいが、珍客との束の間の一時は終わりらしい。
岸に舟を付けるとエリーは今度こそ自分の二本の足で舟を降りた。立ち上がったエリーは尚更長身に見える。これならあの大鎌にも負けちゃいない。流石は数万年物の死神だということか。
「では、またいつか」
「ああ、気が向いたら来てくれよ。またこっそり舟に乗ってくれ」
エリーは申し訳無さそうな苦笑いを見せて、三途の河から去って行った。
――うん、そうだったな。間違いなくこの後だ。
もう一度魂探しに出掛けたあたいを、季節外れの彼岸花と妙な女が出迎えたのは。
その女が件の風見幽香だと知ったのは、あの幻想郷中に花が咲き誇る異変が終わった後のことだった。
さらに言えば、貴方が考えた設定をキャラの口を借りて言わせているだけで
それ自体はともかく話としての面白みに欠けています
文章自体はこなれているので惜しいところです
しかし、いくら旧作とは言えここまでぶっとばして大丈夫なんですかね……?