ずっと、吸血鬼として生きてきた。
紅魔館の主として、威厳を保ち、時折遊びに精を出しながら、ただただ日々を過ごしていた。
吸血鬼たる為に、日々の運動は欠かしたことがなかった。
出来の悪い人間では無いのだから、まさか少し動かない程度で鈍ることはないと思っていたが、念には念を、だ。
だだっ広い廊下を一瞬で飛び抜けてみたり、走り抜けてみたり、床に一度も足をつかずに、壁キックだけでわたってみたり。
その積み重ねが功を奏したのか、あの頃から500年ほど経った今でも身体能力は衰えていない。
衰えていないし、まだまだ若い盛りだ。
だというのに、なぜだろうか、体のあちこちが何かに蝕まれている気がしてならない。
目眩が頻繁に起こるようになった。昔は無縁だった頭痛にも襲われるようになった。
吸血鬼の寿命はまだまだあるはずなのに、なぜこんなにも体の調子が悪いのか。
一つの理由としては、血の摂取量があまりに足りないからであろう。
口に入れている量は少ないわけではない。が、成長した自分には、物足りない量だった。
見た目も人間の十四、五程の少女くらいには成長して、頭の方も格段に詰め込める知識が増えた。
が、その一方で、何か、どうしようもなく破壊衝動に駆られることが増えた。
この幻想郷で、その衝動の赴くがままに人を襲ってしまえば、たちまち秩序は崩れるだろう。
その先に待っているのは自分の暗い未来だ。それがわかっているから、正規のルートで手に入れた血しかのまない。
どうか、もし願いが叶うならば、吸血鬼が吸血鬼として恐れられる最大の理由を、人からの吸血行動を自分の腹が満たされるまで行いたい。
今ならば、妹のあれも理解できる――と思う。
我が妹、もう一人のスカーレット。
フランドール――フランは、気が触れている。
その身に余る強力すぎる能力故か、はたまた彼女が背負った運命のせいか。
レミリアは、親の庇護下を離れた後も、自分の血を分けた妹を恐れ、地下室へと隔離していた。
彼女の『外に出たい』訴えなど、聞かないふりで。
身の回りの世話を一切合切命懸けでしているメイドによれば、もう大分能力のコントロールはできるようになったらしい。
自分の体ももう長くはない。運命の糸は、自分の命の糸はジリジリと短くなっていっている。
今ならもうフランを出してもいいか。そう思い、レミリアは自分がフランドールと出会った時のことを回想した。
この世に生を受けて十年。
レミリアは、その小さい体で日傘を差し、庭を闊歩していた。
お付きのメイドを振り払って歩いている為、一人だ。
ただ、楽しいわけではない。家にいても、暇で暇で、何もすることがなくて、つまらないから、
外に出てみたというだけである。
「……ん?」
空が暗くなる。どうやら、雲が空を覆い始めたようだ。
これはヤバイ。
幼いながらに、本能的に危機を察知して、急いで木の下に隠れる。無論傘は差したままで。
移動を終えてから数十秒後、ぽつぽつと雨が降り出し、やがて大雨となった。
「……帰れないわ」
ぽつりと呟く。
吸血鬼の自分は流水に弱い。大雨の中館までの道を行くのは自殺行為というものだ。
どうしたものか、と思案に暮れていたとき。
「……貴方も雨宿り?」
足元から唐突に声が聞こえ、レミリアはぎょっとした。
思わず身構えてその先にあるものを見つめると、――少女だった。
自分よりまだ幾分か幼い、病気かと思うほどに白い肌、しかし奇妙な羽が生えている、明らかに人間ではない少女。
自分と同じ赤い目が、自分の姿を克明に映し出していた。
「……ええ。こんな中、危なくて危なくて」
こいつは吸血鬼の弱点を知らないだろうから、きっと意味はわからないだろう。
別に説明する気は無かった。自分には関係ない。
「ああ、私も」
「……え?」
「私もね、吸血鬼なんだって」
逸らしていた視線を足元の少女に戻す。
確かによく口を見てみれば、吸血鬼特有の犬歯は伸びていた。異様なまでの色白さも、それで説明がつく。
「……え、あなた、どこに住んでいるの」
「どこにも。だから、雨が降った時はこの大きな木の下で雨宿りしてるの……」
言いながら、少女は膝の間に頭を挟む。
よく見れば、体は痩せ細ってしまっている。充分に食事がとれていないのかもしれない。
それに、自分は傘を差しているから良いがこの少女は生身のままである。
木々の隙間からこぼれてくる雨水は容赦なく彼女の体を傷つけるだろう。
もう、体力の限界なのか。
哀れんで、声をかけた。
「……貴方、吸血鬼よね」
「うん、多分、吸血鬼」
頭は上げないままで少女が呟く。
レミリアは意を決して言葉を投げた。
「なら、今すぐ私に血を吸わせなさい。そして、貴方も私の血を吸いなさい。姉妹になるの」
「……え?」
驚いたのか、少女が顔をあげる。顔が驚きを物語っていた。
レミリアはきっと少女の紅い瞳を見つめている。
吸血鬼に血を吸われた者は廃人となり日光によって消滅する。しかしそれは人間に限る話。
吸血鬼同士で血を吸い吸われれば、それは実の兄弟となる契になりうる。
自分の妹だと言えば館でも受け入れられるだろう。そう、レミリアは踏んだのだ。
この少女を、どうにかして助けてやりたかった。何より、興味が湧いて、今日一日限りの関係で終わりたくなかった。
「……いいの?いいの?本当に私と……私のお姉ちゃんになってくれるの?」
「お姉さま。お姉様と呼びなさい」
「お姉様……お姉様、お姉様、お姉様……いいの?」
「いいわ。……あなたを私の妹にしてあげる。それで、今までの辛くて苦しい生活とはおさらばよ」
立ち上がり、縋ってきた少女の頭を撫でる。金色の細い髪は、柔らかかった。
「じゃあ、吸うわよ」
「分かった……ありがとう、嬉しい……」
少女のか細い言葉には敢えて答えず、レミリアはその細く白い首筋に唇を乗せ、次いで牙を突き立てた。
「っ……」
か細い呻き声が少女の口から漏れる。
ジワリ、と鉄の味が口の中に広がった。
牙を外し、流れ出る血をぺろりと舌で一舐めする。人間以外の血は久々だった。
「じゃ、今度は貴方の番」
「……はい」
もう既に塞ぎかけている肩の傷には目もくれず、少女はレミリアの襟を少しずらし、首筋に噛み付いた。
慣れていないのか、うまく牙が突き立たない。
皮膚が破られる感触は中々襲ってこず、かわりにくすぐったいような感覚が、幾度と無く触覚を襲った。
何度目かの挑戦で、ようやっと牙が突き刺さる。レミリアは肩に鈍痛を感じながら、もしかしてこの子、と思考を巡らせていた。
少女が口を離す。何回か口の外側に漏れた血を舐めてから、満面に笑みを浮かべた。
「これで私達姉妹だね!」
「……ええ、そうね。ところで、名前はなんていうの?」
「フランドール!フランよ!」
「そう。じゃ、これからよろしく。フラン」
そんなこと、些細なことか。
レミリアは思考を取っ払い、ただ目の前の笑顔を愛でることに意識を向けた。
そこまで思い出して、レミリアはカップを傾ける。
充分に厳選された血の味が口内に広がった。
同じ親から生まれたわけではない。しかし、実の姉妹。
面倒くさい、けれども自分で決めたこと。
開いていた眼を再び閉じようとした時、扉がノックされた。
「お姉様、入っていいかしら」
丁度脳内に思い浮かべていた人物そのものの訪問に若干驚きつつも、レミリアは許可を出した。
かちゃ、と音がして扉が開く。
するりと狭い間を抜けて出てきたのは、当然ながらフランである。
久方ぶりに見たその姿は、どうやら、前に見た時よりも随分成長しているように見えた。
髪の毛が伸びているのと、丈の長いスカートを履いているのが原因かもしれない。
「何の用かしら」
「いいえ。ただ……そうね、今お姉さまが考えていたこと、二人の視点で思い出しながら話そうかと思って」
「あらあら、読心術でも身につけた?その意見には賛成だけれど」
レミリアのさして感情の篭っていない問いに、
フランは苦笑――いや、少し見下したような笑みを浮かべて、「お姉さまが分かりやすすぎるだけ」と、答えた。
フランはレミリアの屋敷に連れて行かれてから、毎日不自由なく暮らしていた。
最初こそ驚かれはしたものの、当主の妹だ。丁重に扱われないわけがない。
外でその日暮らしをしていたときと違って、一日三食食事は出るし、広い館のおかげで遊びたいときは思い切り遊べる。
肝心の姉のレミリアも、自分と唯一年の近いフランと、いつも一緒に遊んでいた。
――しかし、その幸せな時間は数カ月後に、フラン自身によって壊される。
べちゃ。
液体が壁に叩きつけられる、そんな音がレミリアの耳に入る。
なんだろう、と不審に思い、音の発生源へと歩みを進め始めた。
おかしい。近づくに連れて、生臭い匂いが鼻腔を突く。
生臭い、しかし自分にとっては美味しそうでたまらない匂い――血の匂い。
メイドが食事でも零したのだろうか。そう考えながら曲がり角を曲がり、
惨状を目の当たりにした。
そこには、フランがいた。フランと、壁一面に――血。
フランの右腕は、肩まで返り血で赤く染まっていた。
「……フラン?」
恐れながら、レミリアが声をかける。
フランはその言葉にびくりと肩を震わせ、レミリアの方を泣きそうな顔で見てから、奥へと走り去った。
「っ……待ちなさい!」
言って、フランを急いで追いかける。
血の中央部には、かすかにメイドの毛髪と思しき物が残っていた。
顔でも殴られたか、とレミリアは顔を歪める。
一体どうして、フランはいきなりメイドを殺したのか。
折角彼女の世話を焼いてくれる人物が現れたのに、と。
どれだけ考えても結論の出ない疑問を抱きながら、レミリアはフランの背を追い続けた。
息を切らしながらフランは駆けた。どちらかと言うと、飛んだ、の方が正しいかもしれない。
何故か、思わず、衝動的に、すれ違ったメイドを殴ってしまった。それも渾身の力で。
今考えてもわからない、分からない、が、レミリアに見られてしまった。
このままでは折角、せっかく自分を助けてくれた姉に嫌われてしまう。
なにかうまい言い訳は無いかと、この心境を表す言葉はないかと、必死に幼い思考を働かせる。
しかし何も良いものは浮かばず、ただただ広い館を駆け抜けるだけだった。
少しでも気を抜けば、レミリアにすぐに追いつかれてしまう。
焦燥感にかられながら、フランはそれでも足を止めなかった。
折角、受け入れてもらえたのに。
折角、愛してもらえたのに。
なんでそれを自分から壊してしまうのか。
返り血でべたべたで、ところどころ乾き始めた血が音を立てる右手に目をやる。
「……いや……」
こんな右手がいやだ。
不思議な、いや、気味の悪い衝動に駆られるがままに対象を潰してしまうこんな右手が嫌だ。
こんな右手――。
そう心中で呟きながら、右手を握り締める。
握りしめた、その瞬間。
「……何これ……」
あいも変わらずフランを追っていたレミリアは絶句した。
突然、自身の左手が吹っ飛んだのである。
それはもう、綺麗に。血の一滴も残らない勢いで。
痛みに叫ぶよりも、誰がやったかを考えるよりも、通常ならばありえないその現象に目を見開くのが先だった。
「……っぐう……っあ……」
遅れて痛みがはっきりと分かるようになる。
ぐちゃぐちゃになっている断面に手を添える気にはならず、腕に右手を添え、ぎゅうと掴んだ。
回復するとはいえ、丸々吹っ飛んだ痛みは未だ幼いレミリアには耐え難く、
追跡の足を止め、その場に崩れ落ちることとなった。
フランは捕まった。
捕まって、自分を捕まえた姉の体の状態を見て、言葉を失った。
左手は消えているし、太腿も大部分が吹っ飛んでいて、骨も無いのに立てているのが不思議な程だった。羽も、左翼は綺麗に消えてしまっている。
恐ろしいのは、自分が右手を握りしめた回数と傷の数が見事に一致していることだ。
もしかして、やはり、もしかすると。
フランの脳内で、目まぐるしく考えが渦巻く。
レミリアと出会う前から、自分はうまく人間を襲えなかった。
何かの拍子に右手か左手か、どちらかを握りこむだけで簡単に弾け飛んでしまったから。
今まではその2つの動作と現象を結びつけて考えることはなかった。
しかし今は、どうしても、それらが無関係だとは思えない。
レミリアの体は遅いものの、確実に回復を始めている。それがフランの罪の意識を、幾分か軽くさせた。
「……お姉様……」
握らない程度に、右手の指を動かす。
パリ、と乾いた血が音を立てた。
恐る恐る見上げた姉の眼は、――哀しみを湛えていた。
睨みつけているわけでは無い。ただ、じっと自分を見つめている。
わずか十年しか生きていないにも関わらず、その姿には抗いがたい威厳があった。
「フラン」
ようやく発せられた姉の言葉に、視線は合わせたままでフランが肩を震わせる。
レミリアは一瞬口を閉じて、目をそらして、また、目線を合わせて、言った。
「地下室へと、行きなさい」
それまでの哀しみを湛えていた眼は、急に厳しさを宿したようにキリ、とつり上がっていた。
体を壊されたとき、出会った時に抱いた疑問が確信に変わった。
一度では牙を突き立てられず、何度も挑戦していたこともそれで説明がつく。
彼女の能力は、対象を手をにぎるだけで破壊してしまうもの。
こちらが丈夫だから一度で全部とはならなかっただけで、人間であれば跡形もなく吹っ飛ぶだろう。
それはつまり、人間から血を吸えない、つまり吸ったことがないということだった。
メイドに用意させた紅茶を、フランは啜った。
その姿を向かいに座って見つめながら、レミリアはその成長ぶりに息をついた。
思えばこの妹ももうじき千歳が近い。自分とは確か、五歳離れているのだから、今九九五のはずだ。
自分とは違い、そのままに伸ばされたふわふわの髪。前髪は、自分とは対照的に左目だけを隠している。
サイドテールは幼い頃よりそのままで、どこか幼さを感じさせるのはそれが因か。
奇妙な形の羽の宝石も、本体が成長するのに合わせてか、大きさと煌めきを増している。
「……フランは、今でも、自分の能力が、嫌い?」
言葉を細かく区切りながら、レミリアは問うた。
幼い頃、そう、地下室に閉じ込められたときからフランはいつも自分の能力を嫌っていた。
霊夢、魔理沙という友だちができたときも、いつか自分の能力で殺してしまうのではないかと、ビクビクしていた。
夜中に泣き叫ぶ声が、二階のレミリアの部屋まで聞こえてくる。そんなのはほぼ毎日のことだった。
中途半端に慈悲をかけてしまった結果、それ以上の哀しみをこの少女に背負わせてしまったのではないか。
今更すぎる自責の念を、レミリアは抱いていた。
レミリアの胸中を知ってか知らずか、フランはまた笑みを浮かべる。眼は、笑っていない。
「ええ、大嫌い。嫌いでしょうがない」
それのせいで今もあなたと打ち解けられない。
付け足そうかどうか迷って、結局その言葉は飲み込んだ。
思えば、この館も広くなったと思う。
空間を広げていた咲夜がもう居ないのだから、実際には狭くなっているはずだ。
それにもかかわらず、広いと感じるのは、自分達二人の他にはメイドが二人、それとパチュリーしか居ないからだろう。
美鈴は「もう自分の役目は終わりです」と一方的にレミリアに告げ、館を出て行ってしまった。
パチュリーも、前よりも更に図書室から出る回数が少なくなり、
ただただ暇で暇で仕様のない時間を増え続ける本を読むことで浪費しているようだ。
時が流れ、人間がこの世を去っていくは仕方ないこと。
理解していても、顔見知りが自分を置いて去っていくのは哀しいことだった。
美鈴もパチュリーも、変化が生じたのは魔理沙と咲夜が亡くなってからだった。
霊夢も勿論、もう居ない。
今博麗神社には、霊夢の孫の孫が居る。
魔理沙の家はアリスが定期的に掃除をしているらしい。亡くなって久しい今でも。
咲夜は、本人の希望で、常に所持していた銀のナイフ一本だけをレミリアが持っている。
吸血鬼の弱点ではあるが、自分に一番、短い間ではあるがその分濃ゆく、尽くしてくれた従者の希望を叶えないわけにはいくまいと、レミリアは持っている。
銀には悪魔を退ける能力がある。
血を呑まないのもあるだろうが、自分の体が弱っているのはこのナイフのせいもあるかもしれない。
それでも、このナイフを手放そうという気にはならなかった。
咲夜の遺したものが導く先が死ならば、それに黙って従うまでだ。
それについて、フランはあまりいい顔をしない。
ほとんど会話を交わしたことは無い、そんな姉でも居なくなるのが寂しいからだろうか。
いや、自惚れだろう。レミリアはその考えを打ち払った。
フランの孤独を深めたのは、他の誰でもない自分だ。
勝手に拾っておきながら、その能力が自分を殺めるに足るものだと知るやいなや閉じ込める。
ペットの飼育放棄。
外の世界で問題になっているのだというそれが、レミリアは自分のやったことだと気づいた。
生かしているだけで、何も満足させられてない。
その自責の念が、今頃になってレミリアの感情を覆い始めていた。
紅茶を飲む。味は、殆どわからなかった。
「ねえ、フラン。美味しい?」
わからなくて、思わず目の前の少女に訊いた。
少女は、少し首をかしげて、口角を上げて応えた。
「美味しいわ。でも」
言いながら、フランがカップをソーサーに置く。
「お姉さまの血が一番美味しかった」
舌なめずりをしながら、フランが言う。
その言葉の裏に、様々な意味が込められている。
そう直感したが、どんな意味かを考える気にはならなかった。
「フラン」
「何かしら、お姉様」
「久々に、弾幕ごっこしない?」
弾幕ごっこ。何百年振りかに聞いたその言葉に、フランは顔を上げる。
レミリアの顔には微笑が浮かんでいた。
その表情から、何かを読み取ることは出来ない。
フランは少しだけ考えてから、その誘いに乗った。
だだっ広い館内を、目的の部屋まで飛んでいくことはせず、
ゆっくりと歩いて進む。
幼い頃ならきっとこんなまどろっこしいことしなかったろうに、今は逆に、ことを急く方を嫌っていた。
数歩後ろを、フランが黙ってついてきている。
後ろから襲うということはしないだろう。
フランは、不意打ちを嫌っていた。
必ず、相手に自分を認識させてから襲っていた。
それは、ずっと居ない者として扱われてきたからか、それともなにか別の理由があるのか……
閉じ込めていた張本人の自分が聴けたことではないし、フラン自身も話すことはないだろう。
レミリアは、安心とはまた別の何かで、フランに背を向けていた。
キィ、と音を立てて、少女一人の部屋にしては重厚すぎる扉が開く。
石造りの壁と床が、余計に閉塞感を与えていた。
奥には寝台、その上に乗っかった棺桶はフランのベッド。
それ以外に、家具らしい家具はなかった。
壊れたぬいぐるみが、その周りに散らばっているのみとなっている。
「……ここなら広さは充分ね」
窓のない部屋に、レミリアの声が響く。
振り返って、妹に微笑みかける。
なんて冷えきった姉妹の関係。血を分けた相手でありながら、千年近く共に居ながら、未だ腹を探るような接し方しかできない。
「……そうね……じゃあ、始めましょう、お姉様」
言って、フランは上方へと飛び上がった。
奥深くに作られたこの部屋は、地下にも関わらず天井が高い。
弾幕ごっこに必要なスペースは充分にあった。
「ええ……フラン」
噛み締めるように妹の名を呼び、レミリアも透明な階段を跳ね上がる様にして空中へと身を上げた。
「禁忌『クランベリートラップ』!」
カードを掲げ、宣言をする。
魔法陣が四つ現れ、弾幕を展開し始めた。
レミリアの体を縛る鎖のように、それは列をなした。
「運命『ミゼラブルフェイト』」
レミリアの手に、紅い気で出来た鎖が宿る。
それを勢い良く投擲し、弾を打ち払った。
二本目を造り、今度はフランめがけて投げつける。
数回円を描いて、それはフランの足に絡みついた。
「っく……この、っきゃ!」
急いで振り払おうと足を振り上げ、逆にフランの体のバランスは崩れた。
景色が急転する。が、どこを見渡してもあるのは石ばかりのこの部屋では、余り上下の差は無い様に思えた。
鎖はしっかりと握ったままで、レミリアが次のスペルカードを宣言する。
「紅符「スカーレットシュート」!」
「……!!」
フランめがけて、大弾の群れが飛んでいく。
もらった。そうレミリアが思った瞬間、鎖が音を立ててほどけた。
秘弾『そして誰もいなくなるか?』
「……ちっ……」
舌打ちをする。
吸血鬼なのだから、霧になることは造作も無いこと。
あの状況で、逃げないほどフランは馬鹿ではなかった。
鎖を無くし、すっかり音のなくなった部屋で、耳を澄ます。
霧とはいえ、その妖気は存在の位置を示してくれる。
それを、探ろうとしていた。
「……そこか!」
言って、急造の槍を投げつける。
「が、ぁっ……!」
悲鳴が上がった。
次いで、姿も顕になる。
槍が華奢な肩に突き刺さっていた。
「まだまだね、フラン……可愛いものだわ」
「ははっ、お姉さまのその余裕、すぐ壊してあげるわ!」
槍を引きぬき、笑い声を上げる。
煽れば煽るほど、この妹は気持ちを高揚させていく。
幼い頃よりそれは変わらない――レミリアは、自然と笑顔を浮かべていた。
「あっははははははは!禁忌『レーヴァテイン』!」
その手に大剣が現れる。
フランは、昔と違いその剣を片手で、軽々と振るった。
軌道の跡には火種が残り、逃げ道を阻む。
面白くなってきた。
レミリアは軽々と、それこそ踊っているかのように弾幕の隙間をすり抜けていく。
時にはステップを踏んで、時にはくるりと一回転をして。
今戦っているフランの目にも、優雅な動きだった。
が、遊ばれていると感じない訳がない。
本当にこの余裕、憎たらしい。
「……お姉様、まったく危機感がないんですのね」
「あら、弾幕なんて張ってたの?隙間が広すぎてわからなかったわ」
「このっ!」
「おっと、危ない」
我慢ならずに振り下ろした大剣を、これまたワンステップで避けられる。
本当に、優雅な舞踏。
遊ばれていると感じていはいる。
苛ついてる。
自分が格下な気がしている。そんな風に思わされることに憎たらしさを感じている。
しかし、それでもなおフランは今この瞬間を楽しんでいた。
久々の闘い。どれだけ自分が力を尽くしても壊れない相手との闘い。
なんて楽しいんだろう。なんて、面白いんだろう。
右手を何度握っても、姉の目は昔と違って、するりと手のひらから抜けていく。
それでいい、貴方は絶対に壊れない存在であって欲しい。
フランは笑みを深めていた。それを見て、レミリアも微笑みを深める。
二人の舞踏は、舞闘は、それから数刻続いた――……
終わって、二人は床に直接腰を降ろし息を整えていた。
しばらく息の音が二人分、部屋に響く。
「……お姉様、楽しかったわ」
「そう、ならよかった……」
「……お姉様?」
姉の異変に、フランは視線をレミリアに向ける。
自分はもう息が落ち着いたのに、未だ姉は荒い呼吸を繰り返しているではないか。
あっ、と思う間に、レミリアはフランの膝の上に崩れ落ちた。
体を捩るのに釣られて、髪が乱れる。
はっきりと見えるようになった顔は、もとより白い肌がさらに白くなっていた。
額には汗が滲んでいる。
「お姉様、どうしたの、あの程度で……」
「……あの程度で、上がった息が戻らなくなってしまったんだよ」
言って、レミリアは微笑を浮かべた。自嘲の笑みだった。
膝の上の姉の顔を見下ろしながら、フランは言葉を探す。
が、いい言葉が思い浮かばず、ただ黙るのみとなった。
「……フラン、私の運命の糸、あとどれくらいあるか知ってる?」
「……知ってるわけ、無いじゃない」
「そうね……あと、少ししか無い……ほんの、少し……」
「どうしてそれを、ここで言うのかしら」
「遺言ついでに懺悔でもしようかと思って」
言って、レミリアは笑みを深めた。
にやりと口角を上げた笑み。フランが、一番好きな表情だった。
レミリアは心の中を吐露した。
ごめんなさい。
ずっと無視していてごめんなさい。
自分から手を差し伸べたくせに、貴方から伸ばしてきた手は振り払ってごめんなさい。
姉と妹、そんな縛りだけ作って、あとは放っておいてごめんなさい。
もう、あなたは自由、スカーレットの名なんて捨てていい――
「……お姉様」
「私が死んだら、死体は……そうね、棺桶に突っ込んで、屋敷の裏にでも埋めて頂戴」
「そんな縁起の悪いこと……」
「あら、これから事実になるわよ。……いや、この口調はもうやめよう。フラン」
気取ったような、淑女の喋り方をやめ、見た目相応の話し方に戻る。
幼い頃、体を動かして遊んでいる間だけ、この地が出ていた。
「私がいなくなったあとは……この屋敷はそのまま使え。名前は……自由にかえろ」
「……私は、いつまでもお姉さまの妹よ」
「ふ……無理を言わなくてもいい。お前は、これから自由に生きるべきだ。部屋に閉じこもる必要もない」
「……お姉様……?」
口を閉じ、目を閉じたレミリアにフランが訝る。
いや、口が、声は出さずに形だけをつくった。
フランはそれをレミリアの意と同じように読み取り、その願いを叶えた。
「……レミリア……」
名前を呼ぶ。何百年ぶりかに発した言葉に、フランは目新しさを感じた。
その言葉に、レミリアが満足気なほほ笑みを浮かべ、ことりと動かなくなった。
布越しに感じていた鼓動が気配を消す。
フランは、レミリアの死を悟った。
そして、彼女の名前を叫んだ。
生憎の雨だった。
出会った時も、確かこんなふうに雨が降りしきる日だった。
フランは傘を差して、メイドが棺桶を埋める様をじっと見ていた。
パチュリーも、傍らで友人が地面へと埋められていくのを静かに見届けている。
「……ぱちぇ、貴方はまだここにいる?」
「……そうね……貴方が良いというなら、いるけれど」
「構わないわ……きっと、レミリアの様な接し方はできないけど」
言って、フランはふうと息を吐いた。
あの誘いをフランにかけた時点で、レミリアはそれに自分の体が耐えられないと分かっていたのだろうか。
もしかしたら、飛んで移動しなかったのは、闘ってる最中に死なないためだったのではないか。
今ではもうわからない。真相を知っている本人に、もう口はない。
「そう……じゃあ、これからも居させてもらうわ」
「分かったわ」
フランは少しだけ傘を傾けた。傘の下から外れた肩に雨粒が落ちて、じゅ、と音を立ててそこが溶けた。
ああ、やはり私は吸血鬼。お姉様と、レミリアと同じ―――
顔をもう一回上げれば、もう棺桶はほぼ土に埋まっていた。
本当にお別れですが、大丈夫ですか。
メイドの声が、遠くに聞こえた。
それから、また数十年が経った頃。
新しく紅魔館の主となったフランのところに、一人の妖怪が訪れていた。
「貴方の姉と、同じ事――できないわけはないでしょう?」
言いながら口元を扇で隠すその動作は、『胡散臭い』という形容詞が一番しっくりくる。
フランは、頬杖をつき、少し考える素振りだけして、再び少女に向き直った。
「……勿論、できるわ、紫」
「そう。ならやっていただけますわね?」
口元から扇を外す。口は笑っているが、目は少しも和らいでいない。
「その喋り方、婆臭いからやめたほうがいいわよ」
「あらあら、お姉様よりも皮肉がキツイのね」
「ふん……霊夢から、何代目になるの?今回の巫女」
「そうねえ……何代目だったかしら……」
「霊夢に似てる?」
「それは会ってからのお楽しみじゃないかしら」
「確かに、そうね」
言って、フランは目線を外した。これ以上この相手と話す気はない。
紫もそれを察し、『じゃあこれで』とスキマから帰っていった。
さて、異変を起こさなければ。
フランは、あの紅い霧をどうやって出していたのか聴こうと、図書館への道を歩きはじめた。
少女は武者震いをしていた。
巫女のしごとについてから、初めての妖怪退治である。
相手は吸血鬼だという。金髪で、紅い目で、昔姉が居たが、今は独りだという――
そんな吸血鬼が、暇にあかせてか、孤独に耐えかねてか、『異変』を起こした。
赤い霧は、数日前から空を覆って夏の日差しを遮っている。
「……よし」
博麗の巫女は一回頷き、きり、と前を見据えた。
自分が、この異変を解決する。
館の最深部にたどり着く。
そこには、紅い月を背に、少女が佇んでいた。
「――――楽しい夜になりそうね」
fin
紅魔館の主として、威厳を保ち、時折遊びに精を出しながら、ただただ日々を過ごしていた。
吸血鬼たる為に、日々の運動は欠かしたことがなかった。
出来の悪い人間では無いのだから、まさか少し動かない程度で鈍ることはないと思っていたが、念には念を、だ。
だだっ広い廊下を一瞬で飛び抜けてみたり、走り抜けてみたり、床に一度も足をつかずに、壁キックだけでわたってみたり。
その積み重ねが功を奏したのか、あの頃から500年ほど経った今でも身体能力は衰えていない。
衰えていないし、まだまだ若い盛りだ。
だというのに、なぜだろうか、体のあちこちが何かに蝕まれている気がしてならない。
目眩が頻繁に起こるようになった。昔は無縁だった頭痛にも襲われるようになった。
吸血鬼の寿命はまだまだあるはずなのに、なぜこんなにも体の調子が悪いのか。
一つの理由としては、血の摂取量があまりに足りないからであろう。
口に入れている量は少ないわけではない。が、成長した自分には、物足りない量だった。
見た目も人間の十四、五程の少女くらいには成長して、頭の方も格段に詰め込める知識が増えた。
が、その一方で、何か、どうしようもなく破壊衝動に駆られることが増えた。
この幻想郷で、その衝動の赴くがままに人を襲ってしまえば、たちまち秩序は崩れるだろう。
その先に待っているのは自分の暗い未来だ。それがわかっているから、正規のルートで手に入れた血しかのまない。
どうか、もし願いが叶うならば、吸血鬼が吸血鬼として恐れられる最大の理由を、人からの吸血行動を自分の腹が満たされるまで行いたい。
今ならば、妹のあれも理解できる――と思う。
我が妹、もう一人のスカーレット。
フランドール――フランは、気が触れている。
その身に余る強力すぎる能力故か、はたまた彼女が背負った運命のせいか。
レミリアは、親の庇護下を離れた後も、自分の血を分けた妹を恐れ、地下室へと隔離していた。
彼女の『外に出たい』訴えなど、聞かないふりで。
身の回りの世話を一切合切命懸けでしているメイドによれば、もう大分能力のコントロールはできるようになったらしい。
自分の体ももう長くはない。運命の糸は、自分の命の糸はジリジリと短くなっていっている。
今ならもうフランを出してもいいか。そう思い、レミリアは自分がフランドールと出会った時のことを回想した。
この世に生を受けて十年。
レミリアは、その小さい体で日傘を差し、庭を闊歩していた。
お付きのメイドを振り払って歩いている為、一人だ。
ただ、楽しいわけではない。家にいても、暇で暇で、何もすることがなくて、つまらないから、
外に出てみたというだけである。
「……ん?」
空が暗くなる。どうやら、雲が空を覆い始めたようだ。
これはヤバイ。
幼いながらに、本能的に危機を察知して、急いで木の下に隠れる。無論傘は差したままで。
移動を終えてから数十秒後、ぽつぽつと雨が降り出し、やがて大雨となった。
「……帰れないわ」
ぽつりと呟く。
吸血鬼の自分は流水に弱い。大雨の中館までの道を行くのは自殺行為というものだ。
どうしたものか、と思案に暮れていたとき。
「……貴方も雨宿り?」
足元から唐突に声が聞こえ、レミリアはぎょっとした。
思わず身構えてその先にあるものを見つめると、――少女だった。
自分よりまだ幾分か幼い、病気かと思うほどに白い肌、しかし奇妙な羽が生えている、明らかに人間ではない少女。
自分と同じ赤い目が、自分の姿を克明に映し出していた。
「……ええ。こんな中、危なくて危なくて」
こいつは吸血鬼の弱点を知らないだろうから、きっと意味はわからないだろう。
別に説明する気は無かった。自分には関係ない。
「ああ、私も」
「……え?」
「私もね、吸血鬼なんだって」
逸らしていた視線を足元の少女に戻す。
確かによく口を見てみれば、吸血鬼特有の犬歯は伸びていた。異様なまでの色白さも、それで説明がつく。
「……え、あなた、どこに住んでいるの」
「どこにも。だから、雨が降った時はこの大きな木の下で雨宿りしてるの……」
言いながら、少女は膝の間に頭を挟む。
よく見れば、体は痩せ細ってしまっている。充分に食事がとれていないのかもしれない。
それに、自分は傘を差しているから良いがこの少女は生身のままである。
木々の隙間からこぼれてくる雨水は容赦なく彼女の体を傷つけるだろう。
もう、体力の限界なのか。
哀れんで、声をかけた。
「……貴方、吸血鬼よね」
「うん、多分、吸血鬼」
頭は上げないままで少女が呟く。
レミリアは意を決して言葉を投げた。
「なら、今すぐ私に血を吸わせなさい。そして、貴方も私の血を吸いなさい。姉妹になるの」
「……え?」
驚いたのか、少女が顔をあげる。顔が驚きを物語っていた。
レミリアはきっと少女の紅い瞳を見つめている。
吸血鬼に血を吸われた者は廃人となり日光によって消滅する。しかしそれは人間に限る話。
吸血鬼同士で血を吸い吸われれば、それは実の兄弟となる契になりうる。
自分の妹だと言えば館でも受け入れられるだろう。そう、レミリアは踏んだのだ。
この少女を、どうにかして助けてやりたかった。何より、興味が湧いて、今日一日限りの関係で終わりたくなかった。
「……いいの?いいの?本当に私と……私のお姉ちゃんになってくれるの?」
「お姉さま。お姉様と呼びなさい」
「お姉様……お姉様、お姉様、お姉様……いいの?」
「いいわ。……あなたを私の妹にしてあげる。それで、今までの辛くて苦しい生活とはおさらばよ」
立ち上がり、縋ってきた少女の頭を撫でる。金色の細い髪は、柔らかかった。
「じゃあ、吸うわよ」
「分かった……ありがとう、嬉しい……」
少女のか細い言葉には敢えて答えず、レミリアはその細く白い首筋に唇を乗せ、次いで牙を突き立てた。
「っ……」
か細い呻き声が少女の口から漏れる。
ジワリ、と鉄の味が口の中に広がった。
牙を外し、流れ出る血をぺろりと舌で一舐めする。人間以外の血は久々だった。
「じゃ、今度は貴方の番」
「……はい」
もう既に塞ぎかけている肩の傷には目もくれず、少女はレミリアの襟を少しずらし、首筋に噛み付いた。
慣れていないのか、うまく牙が突き立たない。
皮膚が破られる感触は中々襲ってこず、かわりにくすぐったいような感覚が、幾度と無く触覚を襲った。
何度目かの挑戦で、ようやっと牙が突き刺さる。レミリアは肩に鈍痛を感じながら、もしかしてこの子、と思考を巡らせていた。
少女が口を離す。何回か口の外側に漏れた血を舐めてから、満面に笑みを浮かべた。
「これで私達姉妹だね!」
「……ええ、そうね。ところで、名前はなんていうの?」
「フランドール!フランよ!」
「そう。じゃ、これからよろしく。フラン」
そんなこと、些細なことか。
レミリアは思考を取っ払い、ただ目の前の笑顔を愛でることに意識を向けた。
そこまで思い出して、レミリアはカップを傾ける。
充分に厳選された血の味が口内に広がった。
同じ親から生まれたわけではない。しかし、実の姉妹。
面倒くさい、けれども自分で決めたこと。
開いていた眼を再び閉じようとした時、扉がノックされた。
「お姉様、入っていいかしら」
丁度脳内に思い浮かべていた人物そのものの訪問に若干驚きつつも、レミリアは許可を出した。
かちゃ、と音がして扉が開く。
するりと狭い間を抜けて出てきたのは、当然ながらフランである。
久方ぶりに見たその姿は、どうやら、前に見た時よりも随分成長しているように見えた。
髪の毛が伸びているのと、丈の長いスカートを履いているのが原因かもしれない。
「何の用かしら」
「いいえ。ただ……そうね、今お姉さまが考えていたこと、二人の視点で思い出しながら話そうかと思って」
「あらあら、読心術でも身につけた?その意見には賛成だけれど」
レミリアのさして感情の篭っていない問いに、
フランは苦笑――いや、少し見下したような笑みを浮かべて、「お姉さまが分かりやすすぎるだけ」と、答えた。
フランはレミリアの屋敷に連れて行かれてから、毎日不自由なく暮らしていた。
最初こそ驚かれはしたものの、当主の妹だ。丁重に扱われないわけがない。
外でその日暮らしをしていたときと違って、一日三食食事は出るし、広い館のおかげで遊びたいときは思い切り遊べる。
肝心の姉のレミリアも、自分と唯一年の近いフランと、いつも一緒に遊んでいた。
――しかし、その幸せな時間は数カ月後に、フラン自身によって壊される。
べちゃ。
液体が壁に叩きつけられる、そんな音がレミリアの耳に入る。
なんだろう、と不審に思い、音の発生源へと歩みを進め始めた。
おかしい。近づくに連れて、生臭い匂いが鼻腔を突く。
生臭い、しかし自分にとっては美味しそうでたまらない匂い――血の匂い。
メイドが食事でも零したのだろうか。そう考えながら曲がり角を曲がり、
惨状を目の当たりにした。
そこには、フランがいた。フランと、壁一面に――血。
フランの右腕は、肩まで返り血で赤く染まっていた。
「……フラン?」
恐れながら、レミリアが声をかける。
フランはその言葉にびくりと肩を震わせ、レミリアの方を泣きそうな顔で見てから、奥へと走り去った。
「っ……待ちなさい!」
言って、フランを急いで追いかける。
血の中央部には、かすかにメイドの毛髪と思しき物が残っていた。
顔でも殴られたか、とレミリアは顔を歪める。
一体どうして、フランはいきなりメイドを殺したのか。
折角彼女の世話を焼いてくれる人物が現れたのに、と。
どれだけ考えても結論の出ない疑問を抱きながら、レミリアはフランの背を追い続けた。
息を切らしながらフランは駆けた。どちらかと言うと、飛んだ、の方が正しいかもしれない。
何故か、思わず、衝動的に、すれ違ったメイドを殴ってしまった。それも渾身の力で。
今考えてもわからない、分からない、が、レミリアに見られてしまった。
このままでは折角、せっかく自分を助けてくれた姉に嫌われてしまう。
なにかうまい言い訳は無いかと、この心境を表す言葉はないかと、必死に幼い思考を働かせる。
しかし何も良いものは浮かばず、ただただ広い館を駆け抜けるだけだった。
少しでも気を抜けば、レミリアにすぐに追いつかれてしまう。
焦燥感にかられながら、フランはそれでも足を止めなかった。
折角、受け入れてもらえたのに。
折角、愛してもらえたのに。
なんでそれを自分から壊してしまうのか。
返り血でべたべたで、ところどころ乾き始めた血が音を立てる右手に目をやる。
「……いや……」
こんな右手がいやだ。
不思議な、いや、気味の悪い衝動に駆られるがままに対象を潰してしまうこんな右手が嫌だ。
こんな右手――。
そう心中で呟きながら、右手を握り締める。
握りしめた、その瞬間。
「……何これ……」
あいも変わらずフランを追っていたレミリアは絶句した。
突然、自身の左手が吹っ飛んだのである。
それはもう、綺麗に。血の一滴も残らない勢いで。
痛みに叫ぶよりも、誰がやったかを考えるよりも、通常ならばありえないその現象に目を見開くのが先だった。
「……っぐう……っあ……」
遅れて痛みがはっきりと分かるようになる。
ぐちゃぐちゃになっている断面に手を添える気にはならず、腕に右手を添え、ぎゅうと掴んだ。
回復するとはいえ、丸々吹っ飛んだ痛みは未だ幼いレミリアには耐え難く、
追跡の足を止め、その場に崩れ落ちることとなった。
フランは捕まった。
捕まって、自分を捕まえた姉の体の状態を見て、言葉を失った。
左手は消えているし、太腿も大部分が吹っ飛んでいて、骨も無いのに立てているのが不思議な程だった。羽も、左翼は綺麗に消えてしまっている。
恐ろしいのは、自分が右手を握りしめた回数と傷の数が見事に一致していることだ。
もしかして、やはり、もしかすると。
フランの脳内で、目まぐるしく考えが渦巻く。
レミリアと出会う前から、自分はうまく人間を襲えなかった。
何かの拍子に右手か左手か、どちらかを握りこむだけで簡単に弾け飛んでしまったから。
今まではその2つの動作と現象を結びつけて考えることはなかった。
しかし今は、どうしても、それらが無関係だとは思えない。
レミリアの体は遅いものの、確実に回復を始めている。それがフランの罪の意識を、幾分か軽くさせた。
「……お姉様……」
握らない程度に、右手の指を動かす。
パリ、と乾いた血が音を立てた。
恐る恐る見上げた姉の眼は、――哀しみを湛えていた。
睨みつけているわけでは無い。ただ、じっと自分を見つめている。
わずか十年しか生きていないにも関わらず、その姿には抗いがたい威厳があった。
「フラン」
ようやく発せられた姉の言葉に、視線は合わせたままでフランが肩を震わせる。
レミリアは一瞬口を閉じて、目をそらして、また、目線を合わせて、言った。
「地下室へと、行きなさい」
それまでの哀しみを湛えていた眼は、急に厳しさを宿したようにキリ、とつり上がっていた。
体を壊されたとき、出会った時に抱いた疑問が確信に変わった。
一度では牙を突き立てられず、何度も挑戦していたこともそれで説明がつく。
彼女の能力は、対象を手をにぎるだけで破壊してしまうもの。
こちらが丈夫だから一度で全部とはならなかっただけで、人間であれば跡形もなく吹っ飛ぶだろう。
それはつまり、人間から血を吸えない、つまり吸ったことがないということだった。
メイドに用意させた紅茶を、フランは啜った。
その姿を向かいに座って見つめながら、レミリアはその成長ぶりに息をついた。
思えばこの妹ももうじき千歳が近い。自分とは確か、五歳離れているのだから、今九九五のはずだ。
自分とは違い、そのままに伸ばされたふわふわの髪。前髪は、自分とは対照的に左目だけを隠している。
サイドテールは幼い頃よりそのままで、どこか幼さを感じさせるのはそれが因か。
奇妙な形の羽の宝石も、本体が成長するのに合わせてか、大きさと煌めきを増している。
「……フランは、今でも、自分の能力が、嫌い?」
言葉を細かく区切りながら、レミリアは問うた。
幼い頃、そう、地下室に閉じ込められたときからフランはいつも自分の能力を嫌っていた。
霊夢、魔理沙という友だちができたときも、いつか自分の能力で殺してしまうのではないかと、ビクビクしていた。
夜中に泣き叫ぶ声が、二階のレミリアの部屋まで聞こえてくる。そんなのはほぼ毎日のことだった。
中途半端に慈悲をかけてしまった結果、それ以上の哀しみをこの少女に背負わせてしまったのではないか。
今更すぎる自責の念を、レミリアは抱いていた。
レミリアの胸中を知ってか知らずか、フランはまた笑みを浮かべる。眼は、笑っていない。
「ええ、大嫌い。嫌いでしょうがない」
それのせいで今もあなたと打ち解けられない。
付け足そうかどうか迷って、結局その言葉は飲み込んだ。
思えば、この館も広くなったと思う。
空間を広げていた咲夜がもう居ないのだから、実際には狭くなっているはずだ。
それにもかかわらず、広いと感じるのは、自分達二人の他にはメイドが二人、それとパチュリーしか居ないからだろう。
美鈴は「もう自分の役目は終わりです」と一方的にレミリアに告げ、館を出て行ってしまった。
パチュリーも、前よりも更に図書室から出る回数が少なくなり、
ただただ暇で暇で仕様のない時間を増え続ける本を読むことで浪費しているようだ。
時が流れ、人間がこの世を去っていくは仕方ないこと。
理解していても、顔見知りが自分を置いて去っていくのは哀しいことだった。
美鈴もパチュリーも、変化が生じたのは魔理沙と咲夜が亡くなってからだった。
霊夢も勿論、もう居ない。
今博麗神社には、霊夢の孫の孫が居る。
魔理沙の家はアリスが定期的に掃除をしているらしい。亡くなって久しい今でも。
咲夜は、本人の希望で、常に所持していた銀のナイフ一本だけをレミリアが持っている。
吸血鬼の弱点ではあるが、自分に一番、短い間ではあるがその分濃ゆく、尽くしてくれた従者の希望を叶えないわけにはいくまいと、レミリアは持っている。
銀には悪魔を退ける能力がある。
血を呑まないのもあるだろうが、自分の体が弱っているのはこのナイフのせいもあるかもしれない。
それでも、このナイフを手放そうという気にはならなかった。
咲夜の遺したものが導く先が死ならば、それに黙って従うまでだ。
それについて、フランはあまりいい顔をしない。
ほとんど会話を交わしたことは無い、そんな姉でも居なくなるのが寂しいからだろうか。
いや、自惚れだろう。レミリアはその考えを打ち払った。
フランの孤独を深めたのは、他の誰でもない自分だ。
勝手に拾っておきながら、その能力が自分を殺めるに足るものだと知るやいなや閉じ込める。
ペットの飼育放棄。
外の世界で問題になっているのだというそれが、レミリアは自分のやったことだと気づいた。
生かしているだけで、何も満足させられてない。
その自責の念が、今頃になってレミリアの感情を覆い始めていた。
紅茶を飲む。味は、殆どわからなかった。
「ねえ、フラン。美味しい?」
わからなくて、思わず目の前の少女に訊いた。
少女は、少し首をかしげて、口角を上げて応えた。
「美味しいわ。でも」
言いながら、フランがカップをソーサーに置く。
「お姉さまの血が一番美味しかった」
舌なめずりをしながら、フランが言う。
その言葉の裏に、様々な意味が込められている。
そう直感したが、どんな意味かを考える気にはならなかった。
「フラン」
「何かしら、お姉様」
「久々に、弾幕ごっこしない?」
弾幕ごっこ。何百年振りかに聞いたその言葉に、フランは顔を上げる。
レミリアの顔には微笑が浮かんでいた。
その表情から、何かを読み取ることは出来ない。
フランは少しだけ考えてから、その誘いに乗った。
だだっ広い館内を、目的の部屋まで飛んでいくことはせず、
ゆっくりと歩いて進む。
幼い頃ならきっとこんなまどろっこしいことしなかったろうに、今は逆に、ことを急く方を嫌っていた。
数歩後ろを、フランが黙ってついてきている。
後ろから襲うということはしないだろう。
フランは、不意打ちを嫌っていた。
必ず、相手に自分を認識させてから襲っていた。
それは、ずっと居ない者として扱われてきたからか、それともなにか別の理由があるのか……
閉じ込めていた張本人の自分が聴けたことではないし、フラン自身も話すことはないだろう。
レミリアは、安心とはまた別の何かで、フランに背を向けていた。
キィ、と音を立てて、少女一人の部屋にしては重厚すぎる扉が開く。
石造りの壁と床が、余計に閉塞感を与えていた。
奥には寝台、その上に乗っかった棺桶はフランのベッド。
それ以外に、家具らしい家具はなかった。
壊れたぬいぐるみが、その周りに散らばっているのみとなっている。
「……ここなら広さは充分ね」
窓のない部屋に、レミリアの声が響く。
振り返って、妹に微笑みかける。
なんて冷えきった姉妹の関係。血を分けた相手でありながら、千年近く共に居ながら、未だ腹を探るような接し方しかできない。
「……そうね……じゃあ、始めましょう、お姉様」
言って、フランは上方へと飛び上がった。
奥深くに作られたこの部屋は、地下にも関わらず天井が高い。
弾幕ごっこに必要なスペースは充分にあった。
「ええ……フラン」
噛み締めるように妹の名を呼び、レミリアも透明な階段を跳ね上がる様にして空中へと身を上げた。
「禁忌『クランベリートラップ』!」
カードを掲げ、宣言をする。
魔法陣が四つ現れ、弾幕を展開し始めた。
レミリアの体を縛る鎖のように、それは列をなした。
「運命『ミゼラブルフェイト』」
レミリアの手に、紅い気で出来た鎖が宿る。
それを勢い良く投擲し、弾を打ち払った。
二本目を造り、今度はフランめがけて投げつける。
数回円を描いて、それはフランの足に絡みついた。
「っく……この、っきゃ!」
急いで振り払おうと足を振り上げ、逆にフランの体のバランスは崩れた。
景色が急転する。が、どこを見渡してもあるのは石ばかりのこの部屋では、余り上下の差は無い様に思えた。
鎖はしっかりと握ったままで、レミリアが次のスペルカードを宣言する。
「紅符「スカーレットシュート」!」
「……!!」
フランめがけて、大弾の群れが飛んでいく。
もらった。そうレミリアが思った瞬間、鎖が音を立ててほどけた。
秘弾『そして誰もいなくなるか?』
「……ちっ……」
舌打ちをする。
吸血鬼なのだから、霧になることは造作も無いこと。
あの状況で、逃げないほどフランは馬鹿ではなかった。
鎖を無くし、すっかり音のなくなった部屋で、耳を澄ます。
霧とはいえ、その妖気は存在の位置を示してくれる。
それを、探ろうとしていた。
「……そこか!」
言って、急造の槍を投げつける。
「が、ぁっ……!」
悲鳴が上がった。
次いで、姿も顕になる。
槍が華奢な肩に突き刺さっていた。
「まだまだね、フラン……可愛いものだわ」
「ははっ、お姉さまのその余裕、すぐ壊してあげるわ!」
槍を引きぬき、笑い声を上げる。
煽れば煽るほど、この妹は気持ちを高揚させていく。
幼い頃よりそれは変わらない――レミリアは、自然と笑顔を浮かべていた。
「あっははははははは!禁忌『レーヴァテイン』!」
その手に大剣が現れる。
フランは、昔と違いその剣を片手で、軽々と振るった。
軌道の跡には火種が残り、逃げ道を阻む。
面白くなってきた。
レミリアは軽々と、それこそ踊っているかのように弾幕の隙間をすり抜けていく。
時にはステップを踏んで、時にはくるりと一回転をして。
今戦っているフランの目にも、優雅な動きだった。
が、遊ばれていると感じない訳がない。
本当にこの余裕、憎たらしい。
「……お姉様、まったく危機感がないんですのね」
「あら、弾幕なんて張ってたの?隙間が広すぎてわからなかったわ」
「このっ!」
「おっと、危ない」
我慢ならずに振り下ろした大剣を、これまたワンステップで避けられる。
本当に、優雅な舞踏。
遊ばれていると感じていはいる。
苛ついてる。
自分が格下な気がしている。そんな風に思わされることに憎たらしさを感じている。
しかし、それでもなおフランは今この瞬間を楽しんでいた。
久々の闘い。どれだけ自分が力を尽くしても壊れない相手との闘い。
なんて楽しいんだろう。なんて、面白いんだろう。
右手を何度握っても、姉の目は昔と違って、するりと手のひらから抜けていく。
それでいい、貴方は絶対に壊れない存在であって欲しい。
フランは笑みを深めていた。それを見て、レミリアも微笑みを深める。
二人の舞踏は、舞闘は、それから数刻続いた――……
終わって、二人は床に直接腰を降ろし息を整えていた。
しばらく息の音が二人分、部屋に響く。
「……お姉様、楽しかったわ」
「そう、ならよかった……」
「……お姉様?」
姉の異変に、フランは視線をレミリアに向ける。
自分はもう息が落ち着いたのに、未だ姉は荒い呼吸を繰り返しているではないか。
あっ、と思う間に、レミリアはフランの膝の上に崩れ落ちた。
体を捩るのに釣られて、髪が乱れる。
はっきりと見えるようになった顔は、もとより白い肌がさらに白くなっていた。
額には汗が滲んでいる。
「お姉様、どうしたの、あの程度で……」
「……あの程度で、上がった息が戻らなくなってしまったんだよ」
言って、レミリアは微笑を浮かべた。自嘲の笑みだった。
膝の上の姉の顔を見下ろしながら、フランは言葉を探す。
が、いい言葉が思い浮かばず、ただ黙るのみとなった。
「……フラン、私の運命の糸、あとどれくらいあるか知ってる?」
「……知ってるわけ、無いじゃない」
「そうね……あと、少ししか無い……ほんの、少し……」
「どうしてそれを、ここで言うのかしら」
「遺言ついでに懺悔でもしようかと思って」
言って、レミリアは笑みを深めた。
にやりと口角を上げた笑み。フランが、一番好きな表情だった。
レミリアは心の中を吐露した。
ごめんなさい。
ずっと無視していてごめんなさい。
自分から手を差し伸べたくせに、貴方から伸ばしてきた手は振り払ってごめんなさい。
姉と妹、そんな縛りだけ作って、あとは放っておいてごめんなさい。
もう、あなたは自由、スカーレットの名なんて捨てていい――
「……お姉様」
「私が死んだら、死体は……そうね、棺桶に突っ込んで、屋敷の裏にでも埋めて頂戴」
「そんな縁起の悪いこと……」
「あら、これから事実になるわよ。……いや、この口調はもうやめよう。フラン」
気取ったような、淑女の喋り方をやめ、見た目相応の話し方に戻る。
幼い頃、体を動かして遊んでいる間だけ、この地が出ていた。
「私がいなくなったあとは……この屋敷はそのまま使え。名前は……自由にかえろ」
「……私は、いつまでもお姉さまの妹よ」
「ふ……無理を言わなくてもいい。お前は、これから自由に生きるべきだ。部屋に閉じこもる必要もない」
「……お姉様……?」
口を閉じ、目を閉じたレミリアにフランが訝る。
いや、口が、声は出さずに形だけをつくった。
フランはそれをレミリアの意と同じように読み取り、その願いを叶えた。
「……レミリア……」
名前を呼ぶ。何百年ぶりかに発した言葉に、フランは目新しさを感じた。
その言葉に、レミリアが満足気なほほ笑みを浮かべ、ことりと動かなくなった。
布越しに感じていた鼓動が気配を消す。
フランは、レミリアの死を悟った。
そして、彼女の名前を叫んだ。
生憎の雨だった。
出会った時も、確かこんなふうに雨が降りしきる日だった。
フランは傘を差して、メイドが棺桶を埋める様をじっと見ていた。
パチュリーも、傍らで友人が地面へと埋められていくのを静かに見届けている。
「……ぱちぇ、貴方はまだここにいる?」
「……そうね……貴方が良いというなら、いるけれど」
「構わないわ……きっと、レミリアの様な接し方はできないけど」
言って、フランはふうと息を吐いた。
あの誘いをフランにかけた時点で、レミリアはそれに自分の体が耐えられないと分かっていたのだろうか。
もしかしたら、飛んで移動しなかったのは、闘ってる最中に死なないためだったのではないか。
今ではもうわからない。真相を知っている本人に、もう口はない。
「そう……じゃあ、これからも居させてもらうわ」
「分かったわ」
フランは少しだけ傘を傾けた。傘の下から外れた肩に雨粒が落ちて、じゅ、と音を立ててそこが溶けた。
ああ、やはり私は吸血鬼。お姉様と、レミリアと同じ―――
顔をもう一回上げれば、もう棺桶はほぼ土に埋まっていた。
本当にお別れですが、大丈夫ですか。
メイドの声が、遠くに聞こえた。
それから、また数十年が経った頃。
新しく紅魔館の主となったフランのところに、一人の妖怪が訪れていた。
「貴方の姉と、同じ事――できないわけはないでしょう?」
言いながら口元を扇で隠すその動作は、『胡散臭い』という形容詞が一番しっくりくる。
フランは、頬杖をつき、少し考える素振りだけして、再び少女に向き直った。
「……勿論、できるわ、紫」
「そう。ならやっていただけますわね?」
口元から扇を外す。口は笑っているが、目は少しも和らいでいない。
「その喋り方、婆臭いからやめたほうがいいわよ」
「あらあら、お姉様よりも皮肉がキツイのね」
「ふん……霊夢から、何代目になるの?今回の巫女」
「そうねえ……何代目だったかしら……」
「霊夢に似てる?」
「それは会ってからのお楽しみじゃないかしら」
「確かに、そうね」
言って、フランは目線を外した。これ以上この相手と話す気はない。
紫もそれを察し、『じゃあこれで』とスキマから帰っていった。
さて、異変を起こさなければ。
フランは、あの紅い霧をどうやって出していたのか聴こうと、図書館への道を歩きはじめた。
少女は武者震いをしていた。
巫女のしごとについてから、初めての妖怪退治である。
相手は吸血鬼だという。金髪で、紅い目で、昔姉が居たが、今は独りだという――
そんな吸血鬼が、暇にあかせてか、孤独に耐えかねてか、『異変』を起こした。
赤い霧は、数日前から空を覆って夏の日差しを遮っている。
「……よし」
博麗の巫女は一回頷き、きり、と前を見据えた。
自分が、この異変を解決する。
館の最深部にたどり着く。
そこには、紅い月を背に、少女が佇んでいた。
「――――楽しい夜になりそうね」
fin
それ以外は、まぁこんなもん、ってとこだよね。寿命ネタだし、目新しいこと特筆すべきこともなかったかな。
にしてもおぜうが事切れるようなSSがあるとは思わなかった、新鮮っちゃ新鮮
フランが995歳で霊夢の血筋は孫の孫? さすがにそれは無いんじゃないですかね?