Coolier - 新生・東方創想話

東方計劃

2013/06/01 20:02:18
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 男は参謀本部測量局に勤める軍人で、階級は陸軍少佐だと名乗った。

 私が怪訝な顔をしていると、男は今年地圖課と測量課が統合され、測量局が新設されたのだと付け加えた。あいにく地圖課も測量課も、私は知らない。(※1)
 男は黒の軍服と軍帽を身に着け、西洋風の軍刀を腰から提げている。年齢は私よりも一回り以上若く、二十歳そこそこにしか見えない。この若さで少佐なら、おそらく平民の出ではあるまい。
 私は逡巡の後、男を客間へと招き入れた。

 客間は縁側の障子が開け放たれ、午後の日差しが差し込んでいた。
 男と私は座卓を挟んで、向かい合わせに座る。
 茶を運んできた家内が立ち去ったのを確認してから、男は話を切り出した。
「本日伺いましたのは、我々がこれまで書簡にて申し上げてきた事柄につきまして、是非一度、先生に直接お会いして、専門家としての御意見を拝聴したいと考えまして……」
 男の言う《我々》とは、軍の上層部のことだろう。軍部と私の間には、既に何通かの書簡による遣り取りがあった。軍部から内密に送られてくる書簡の内容は、どれも私の研究に関するものだった。
「私の研究に興味を持ってもらうのは、おおいに結構なことだが、一つ確認しておきたいことがある。もし、何処ぞの新聞か何かで、私について書かれた記事を読んで、それで私の研究に興味を持ったということであれば……」
「その心配は、無用です」
 男は、ぴしゃりと否定した。
「一部の新聞が、先生の研究を面白可笑しく装飾し、先生の評判を、まるでペテン師か何かの如く貶めていることについては、我々も先刻承知しております」
「左様。新聞という奴は、私の研究成果のごく一部を掻い摘んでは、やたらと誇張した表現で、やれ物が消えただの、やれ人が消えただの、妖術だ、幻術だとありもしない空想を並べ立てる。またぞろ、今度はそれに反発する輩が現れて、こんなものはペテンだ、まやかしだと触れ回る。まったく、本人そっち除けで、よくもあそこまで盛り上がれるものだ」
 私は茶を啜り、溜め息を一つ吐いた。




 柱時計の針が、かちりと動いた。

「人間は目で見た事柄を全て意識出来る訳ではない。目で見た事柄を脳髄が処理することで、始めてそれを意識出来るのだ」
 男は黙って聞いている。
「例えばここに、そうだな、これくらいの石ころが置かれていたとしよう」
 私は親指と人差し指で輪を作り、仮想の石ころの大きさを示す。
「君は、なぜ座卓の上に石が置かれているのかと、不審に思うだろう」
 思うかも知れません、と男は言った。
「しかし、同じ石ころが道端にあったならどうだ。君は道端の石ころに興味を惹かれるだろうか」
 男は黙って首を横に振る。
「同じ物でも、ある環境の下では強く意識されていたものが、違う環境の下では全く意識されなくなる。これは、脳髄が目で見た情報の中から、意識に上らせる情報を、取捨選択しているからに他ならない」
 別の例を話そう、と私は言った。
「どれだけ探しても見つからなかった失せ物が、もう見つかる筈がないと諦めたその時になって、ふいに目の前に堂々と置かれていることに気付き愕然とする。あれだけ探していたのに、どうして今の今まで気付かなかったのかと首を捻る。そんな経験はないかね」
 男は頷く。
「これも脳髄が起こしている現象に他ならない。失せ物を見たという情報は脳髄に伝えられるが、脳髄が処理しなければ意識に上ることはない。失せ物が《見えて》いるにも関わらず《認識する》ことが出来ないのだ」
 男は僅かに目を細める。
「周囲の環境がある一定の《条件》を満たすとき、人の脳髄はそこにあるものを認識出来なくなる。さっきの失せ物の例では、周囲の環境が偶然にも、その《条件》を満たしてしまったがために、脳髄が失せ物を認識できなくなったのだ。逆に、失せ物が見つかったときは、何かのはずみで、その《条件》が崩れたために、脳髄が再び失せ物を認識出来る状態に戻ったのだと考えられる」
 私は続ける。
「つまり、この《条件》を満たすように、周囲の環境を操作することができれば、人の意識から自在に物を隠すことが出来る。無論《条件》には多少の個人差があり、万人の脳髄を等しく欺こうとするなら、それなりの環境を整える必要がある。とりわけ、神経衰弱状態にある脳髄は、健常者のそれとは異なる反応を示すことが知られている」(※2)
 あくまで脳髄を欺くだけであって、実際に物が消える訳ではないのだと、私は念を押した。
 男は深く頷いた。




 柱時計の鐘が、五つ鳴った。

「そろそろ教えてくれてもよいだろう。軍部は私の研究を応用して、いったい何を隠したいのかね?」
 私は単刀直入に尋ねてみた。
 男の目がきらりと光る。
「――郷を」
「さと?」
 郷と言ったのか?
 想定外の返答に、私は面食らった。
「郷を一つ隠すと言ったのか。君、冗談は止したまえ」
「現状で不可能なことは重々承知しております。先生には研究を継続して戴かなければなりません。しかし、もし我々の計劃に賛同して戴けるのであれば、今後必要となる研究費用は、全て軍の予算で賄うことができます」
 どうやら冗談ではないらしい。
「ついでに申し上げておきますと、計劃では、特務機関が一つ新設されることになっています。当該機関には、研究の助手を務める職員の他、保秘、防衛、庶務等を担当する職員が十数名配置される予定です。先生は陸軍技術中佐の身分となり、当該機関を統括する任務に就いて戴きます」
 待遇が良過ぎる。破格の待遇と言っていい。私の研究に、本当にそれだけの価値があると考えているのだろうか。
 私は、もう一つ質問があると言った。
「仮に、郷を隠すことが出来たとして、君達はそれをどうするつもりだ。秘密基地にでもするつもりかね?」
 男は、しばし沈黙した。




 日が西に傾き、縁側から射し込む斜陽が客間に濃い陰影を作る。
 影は男の顔をすっぽりと包み隠す。

「――神様に、移り住んで戴こうと考えております」
 男の返答に、私はまたも面食らった。
「神だけでなく、仏や妖怪、あらゆる霊的なものを俗世から切り離し、温存するのです」
 男は言う。西欧列強は近代化に伴い、神秘的な力を全て失ってしまったのだと。今、急速に近代化を推し進めるこの国には、西欧列強と同じ轍を踏まないために、あらゆる神的、霊的な力を保存する、何らかの仕組み創りが急務なのだと。

 影の中の男の顔は曖昧で、表情を窺い知ることは出来なかった。
 しかし、どういう訳か私には、男が笑っているように思えた。

 私は冷たい汗が、背中に伝うのを感じた。




 この男は、おかしい。

 軍部は正気を失くしているのか。こんな計劃を本気で考えているのだろうか。
 否、この計劃が軍上層部の意思だとする確証は、今のところ何もない。軍の一部が暴走している可能性だって考えられる。
 否々、そもそもこの男は、本当に軍に所属しているのか。書簡の差出人は、本当に軍だったのか。私は最初から、頭のいかれた男の妄言に付き合わされているだけなのではないか。

 頭の中で警鐘が鳴る。関わるべきでないと本能が告げている。

 私は最悪の事態(計劃が本当に軍上層部からの命令であった場合)を想定し、男を怒らせることは得策でないと判断する。軍を敵に回すような事態は、可能な限り避けたい。
 私は男の気分を害さず、やんわりと今回の申し出を断るための理由を探す。
 探しながら、周囲の空間に視線を泳がせる。斜陽の作る陰影の中に――。




――居た。

         紫色のドレス

 人が出入りした気配は無かった。

    細いリボンの付いたハイカラな帽子

 いつからそこに居たのか。真逆、最初から?

      二の腕まで覆う長い手套

 見えていなかった。
――違う。
《見えて》いたにも関わらず《認識する》ことが出来なかった。

 少女がひとり、そこに座って居た。(※3)

 唖然とする私の表情を観察しながら、少女は手にした扇を口元に当て、さも楽しそうにくすくすと笑う。
「はじめまして、博麗先生。お逢い出来て光栄ですわ」

 少女の笑顔は、何故かとても不吉に見えた。

 (了)
【注釈】
※1 陸軍参謀本部の地圖課と測量課が測量局に昇進。明治17年
※2 忘我の淵に漂う者は、ときに常識と非常識の境界を越える。
※3 八雲紫は、大結界を提案した賢者の一人とされる。
譎詐百端
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コメント



0.1540簡易評価
1.30名前が無い程度の能力削除
うーん……。
物語としての起承転結が希薄過ぎてイマイチ。
最後のとってつけたような申し訳程度の東方要素もなんだか……。
2.80名前が無い程度の能力削除
幻想郷陰謀説………………ッ!
4.80名前が無い程度の能力削除
なかなか面白い
是非続きを
5.70名前が無い程度の能力削除
続編希望!
10.80名前が無い程度の能力削除
おもしろいアイディア!
なのだけれど、それだけにちょっと食い足りない感じも。
11.80名前が無い程度の能力削除
自分は結構好きだな、こういうの。
12.70名前が無い程度の能力削除
少し物足りないですが、面白かったです。
続編希望!
14.70名前が無い程度の能力削除
幻想郷の人里って幻想郷が仕切られると同時に神隠しに遭ってるので
外では騒ぎになってておかしくないんですよね。
その辺まで描かれていれば良かったと思います。
16.70名前が無い程度の能力削除
これで終わりと?またまたご冗談を。
17.無評価名前が無い程度の能力削除
大作の冒頭だけを見せられても点数は付けられません。
独自解釈に基づく創作は大歓迎なので、是非続きを!
20.80名前が無い程度の能力削除
これは続きが気になりますね。
是非続きをお願いします。
21.50名前が無い程度の能力削除
いくら何でも中途半端すぎる。
24.90名前が無い程度の能力削除
起承転結でいえば起にあたる作品でしょうか。
続きを読みたいと思える内容でした。
25.90名前が無い程度の能力削除
最近こういう感じのなかなか無いのもあって結構新鮮。次回作にも期待してますよ。
26.80名前が無い程度の能力削除
こういう感じ、好きです。
28.80名前が無い程度の能力削除
ワクワクするよね。
29.80名前が無い程度の能力削除
面白い考えだなー
続き期待~
32.60名前が無い程度の能力削除
続きが気になる展開で。
この先どう調理されるか、楽しみにしています。
33.80奇声を発する程度の能力削除
続きを希望します
37.100名前が無い程度の能力削除
続きー!!
38.100さとしお削除
思わず息を呑みました すごい切り口でした
42.100春日傘削除
これこれこれ!
こういうのですよ!!
wkwkが止まりません
43.90名前が無い程度の能力削除
東京都庁の地下深くに東京を守る結界がある、みたいなのに近いトンデモ論は大好物です
51.803削除
今更ですが×不信に思う ○不審に思う
やや物足りない感もありましたが、おおむね面白かったです。
54.無評価譎詐百端削除
修正しました。
56.80名前が無い程度の能力削除
後の話を読んでから来ました。
かなり設定が詰められているようで、続きが楽しみです。軍部の男と「博麗先生」のキャラクターがそれっぽくて良いですね。
61.100はつ♂削除
ゾクゾクときました。なるほど、確かに可能性を拓く作品だ
62.100名前が無い程度の能力削除
引き込まれる文体と共に、今後の展開が如何様にも想像できて素晴らしい。直接的な続編よりも、別の視点から見たこのストーリーが見たい。