幻想入りへの道程:第一話 氷の妖精
ここが幻想郷、ついにきちまったか。俺もついに忘れられたんだ。悔しいぜ、機械式農業と言えば俺の天下だったのに。
だがこれからはここが俺の天下だ。地下水資源が枯渇した大農園なぞもう用はねえ。人間共はどこだ。
この世でこそ俺は俺を、お前たちに知らしめてやるっ!!
「ん、なんだこのパイプ」
げっ、敵か!? まだ来たばかりだというのに、さすがに最初から全力だな。いいだろう、予習は完璧なんだ。
スペルカードも用意したぜ。俺に見せてくれよ、その美しく残酷な大地とやらを。
「嬢ちゃん、お前は妖精だな。わかるぜ、俺にはよくわかる。その羽、妖気。ああ、いいんだ。何も言うな。
わかってるぜ、決着はこの紙っぺらに誓って、お互いの弾丸で決めるんだよな。来いよ。遠慮はいらない。
全円散水可能(フルサークル)の俺に文字通り死角はねえしお前の弾はかすりもしねえ、
俺の弾は見えもしねえし俺からは逃げられねえしお前には俺に勝つことはできねえっ!」
大丈夫だ、俺は大丈夫。くくく、ほうら、この感じだ。足に感じるぜ、水、水、水だ! 甘いお水の味がするぜ。
どうやらヤツに気取られずに吸い上げられそうだな。
「あんた妖怪だったの? あたいにけんか売る気? いいどきょうじゃない!」
へっ、わめいていやがる。すぐにほえ面かかせてやるぜ!
「フンッ!」
地面に足を突き立てるっ! 深度二十、五十、百、二百、五百! 足が土を抜けて……来たぜ。水だ。
ははは、上ってくる。充電は完了だ。予習の成果を見せてやる。
「カードを掲げればいいんだよな。いくぜっ! 散符、インパクトスタイル・スプリンクラー!!」
久しぶりの感覚が俺の脳天を突き刺す。水が圧縮され、ベルヌーイの法則に従って、細い射出孔から高速で飛び出すッ!
第一射は青い服をまとったあの小憎らしい妖精のわずか左をそれていった。同時に噴き出す水は射出孔を塞ぐハンマーを跳ね上げる。
そう、オート拳銃の燃焼ガスが撃鉄を起こすように。そしてハンマーは発条(バネ)により押し戻されて俺を打つ。
カキン
回った。まるで回転弾倉が回るように。へへへ、二発目だ。食らいやがれ!
「なにこれ、水?」
そのとき、俺の二発目がさらに左に放たれたのがわかった。しまった! やつは俺の回転方向の逆に位置している。
仕方ねえ、だが俺の連射力ならすぐに一周して奴のどてっ腹に風穴を開けることができるッ!
「うおおおお!! なめるなァ!」
シュッ カチン シュッ カチン シュッ カチン シュッ カチン シュッ カチン
「すごい、まわりながら水吐いてる。水びたしだ」
やったぞ! 奴から攻撃を受ける前に一周した! 奴はまだ弾を撃ってきていない。この一撃で決める!
「待たせたな、食らえ!」
ノズルから水の弾丸が飛び出す。初速は優に九百メートル毎秒は出ているハズだ。俺の邪魔はさせねえ、
俺は新天地で麦を育てるんだ! コーンを、アルファルファを、俺は今度こそ忘れられたりなんてしねえ!
見える、見えるぜ。スローで、俺の弾が。吸い込まれるようにその青いワンピースの中心に向かっている。決着だ!
「凍符、パーフェクトフリーズ」
パキッ
ば、ばかな! 止まっている!? 俺の弾丸が! どうして空中で止まるなんてことがありうる!? それにこの寒さは……。
はっ、弾が白くなっていやがる。ま、まさか奴は凍らせたと言うのか。この速く、鋭い、おれの弾を。
すぐに次の弾を撃たなくては。
「なにっ!」
なぜだ、なぜ動かない。これは……。
「凍っているだと」
「どうしたの? もう終わり?」
体から嫌な音が聞こえてきた。そうか、俺の体に満ちる地下水が、凍りついて膨らんでいるのか。
「ここまでだ、やるなお嬢ちゃん」
遠のく意識の中、俺は自分の体が二つに割れる音を聞いた。
「どうしたの銀色パイプ。調子悪いの?」
なんてこたねえさ。ただもう一度、あの金色の小麦畑の、支配者になりたかった。
幻想入りへの道程:第一話 氷の妖精
~荒くれスプリンクラーの戦い~
完
幻想入りへの道程:第二話 闇の妖怪
気付けば私は幻想郷に迷い込んでいた。まさか幾百年の歴史を持つこの私が忘れられるなんて。
デフレーションに負けて合成酒がはびこる世に、もう私の居場所はなかったのね。
でも大丈夫、私はきっと私が必要とされる世界に呼ばれたの。マスター、貴方の技術、途絶えさせたりはしない。
「こ、これは」
視界に銀の割れたパイプが映る。パイプのてっぺんには水道のバルブを恐ろしく複雑にしたような、
金や黒の金属でできた装置が付いている。昔資料で見たことがある。水を自動で作物にまく装置だ。
割れたパイプの周りには氷のかけらが散らばり、銀色のパイプにも表面に真っ白い霜が降りていた。
「なんてこと」
この妖怪たちがひしめく場所では、気を緩めるとすぐ命を落とすことになると言う。
私はトップとストレーナーをぴたりとあわせ、しばし黙祷した。もしかしたら、この銀色の割れたパイプは、
私の銀色のボディの未来なのかも。このパイプの遺体を見ていると、なんだか寒気を感じる。
ふと、視線を感じて振り返った。
「氷の妖精!」
間違いない。あの晴れ晴れとした、それでいて意地悪な邪悪さを感じさせる笑顔。子供のように見えてもあなどってはいけない。
大丈夫だ、同じ高さで体を振るように、いつも何度もしてきた練習のようにすればいい。
私はこの場所の危険度が高いやつらのことは調べて、対策を立ててきた! 相手はまだ勝ち目のある方だ。
「このパイプ、動かなくなっちゃったんだ。どうしたんだろう」
これはこいつがやったのか。やはり、戦いは避けられない。
だが油断しなければ、氷特攻の私に負けは無い! 気を引き締めてスペルカードを構えると、敵が接近してきた。
「あんたも弾幕ごっこするの? いいよ、やろうやろう」
そう言うと、ポケットからスペルカードを取り出した。なんて楽しそうな表情かしら。こっちには明日がかかっていると言うのに、
まるで遊びに誘うような言い方だ。いや、実際に遊びなのだが、しかしこれは死の危険がつきまとうものなのだ。
現にそこに銀色の彼が腹を裂かれて横たわっている。
「氷符、アイシクルフォール!」
叫んだ瞬間、妖精の回りに氷の柱がずらりと並ぶ。すぐに攻撃しないと。いや、それではルール違反になって消されてしまう。
私もスペルカードを宣言しなくては。ぐっ、氷の柱が次々こちらへ向かってくる!
「振符、ミストスタイル・シェイカー!」
トップとストレーナーを跳ね上げる! ボディをぴたりと氷柱に合わせて、流線型の器の中に次々と氷を飲み込んだ。
満タン寸前で跳ね上げた二つが落下し、器は完全に密閉される。
「はああああ!」
そして! こんしんの力で体を上下に振るッ!
カラコロ カラコロ カラコロ カラコロ シャラコロ シャラコロ シャカ シャカ シャカ シャカ
振る動作がまさに避ける動作となって、取りこぼした氷柱は次々と私をかすめて地面に突き刺さっていく。
マスターに教えてもらった間合い、高さ、体のひねり。確実に私の中で氷をブレイク・イントゥ・ピースィズ!
「おお、あたいの氷をよけきるなんて、やるね」
今だ、この腹の中身を、奴にめがけてぶちまける! 再度二つの帽子を跳ね上げた。体をその青いシルエットへ向けて、
思いっきり前に出し、急ブレーキ。雲母のごとく薄く鋭くなった氷の刃の群れが、網のように襲い掛かる!
「うわぁー、雪みたい! どうやったの?」
しまったああ! 敵も氷属性のクリーチャーだった! く、まあこの程度のことで乱される私じゃない。
しっかり研究はしてあるんだ。相性の悪い相手には、スペルカードのタイムオーバーを狙えばいい。
氷の攻撃は私には通用しない!
「来い! 全てさばき切ってやるわよ!」
次々と襲い来る柱を全てみぞれに変えていく。息が切れ、割れそうなほど体を振った。やがて奴の攻撃が変化する。
問題ない。体を振って攻撃をさけ、氷を飲み込んですりつぶす。完全に見切った。目がおかしくなるほどの氷の弾丸が襲って来て、
私はただそれに黙々と、冷静さを失わずに対処した。敵の息も荒くなっているのがわかる。残りスペルは何枚?
一体この攻撃はいつまで続く? 気の遠くなるような射撃の雨を抜け、気が付けば妖精はへたり込んでいた。
「あんたすごいね、もうカードないよ」
「それはどうも」
息を整えられない。だけど、私は勝ったんだ。体も水煙でくもってしまった。それにだいぶ汚れている。マスターに怒られちゃうわ。
早くお風呂に入らないと。ああ、もうかなわないとわかってはいるけれど、また優しく、私に息を吹きかけて、布巾で拭いてほしい。
マスター、マスター。
「悔しいなあ。今日はこの辺にしといてあげる」
氷の妖精が飛び去っていく。貴方は本当に強かったわ。
「またあたいとあそぼうね」
飛びながら振り向いてそう言う妖精に、“ええ”と一言答えて、地面に転がった。進まなくちゃいけないけど、少し休もう。
勝利に酔いしれることなんてできない、泥沼の戦いだった。私にはもっと澄んだ水が似合うのに。
ぼーっと空を眺めていると、黒い球体がただよってきた。どうやらまだ休めないらしい。視界を覆うように大きくなる。
「ぐえっ!」
突然私の腹に強烈な痛みが走る。潰された!? なぜ、いきなり。
「ん、なんか踏んじゃった」
スペルカードを、宣言せずに、攻撃を行うのは、違反のはず。こいつは、私を殺すつもりで……。
視界の端に、先ほどの割れた銀色パイプが映る。そうか、彼は私だったのだ。
痛いです、マスター。でもこれでよかったのです。貴方がいない世界にはいられない。
今行きます。私の尊敬する、ただ一人のバーテンダー……。
幻想入りへの道程:第二話 闇の妖怪
~麗しのシェイカー散る~
完
幻想入りへの道程:最終話前編 紅(あか)き巫女 I
ついにここまで身を堕としたか。僕はこうなるはずではなかった。いつだって僕らの目の付け所は鋭かったんだ。
絶対に許せない、僕はこの土地で力をつけて、必ず帰り咲いてやる。僕らをばらばらにしたやつらに、
世界中の人間に復讐してやる。ん、なんだか赤い人間が飛んできたな。飛べる人間がいるとはさすがだ。
僕の戦いの幕開けにふさわしい人物と言えるね。
「宙に浮いてる」
ほうけた顔でつぶやく人間。どうもあまり頭のいいほうではないらしい。
「やあ、文房具が飛べるのがそんなに珍しいかい?」
「ええ、そりゃね」
どうやら警戒されていないようだ。不意を突いて殺すと言うのもつまらないが、まあ、ただの幕開けだ。
「人間が飛べるのよりは、ずっとありそうじゃないかな」
巫女はしばらく考えていた。狙うなら防御が薄く太い血管の走る、脇か喉だ。美しい胸鎖乳突筋をしている。
喉の方が僕の好みかな。
「私の周りには、飛べる人間がそこそこいるわ」
それは驚きだ。しかし他の人間はどうでもいい。今はおまえだ。巫女だけに、生贄にはぴったりだろう。
「知ってるかい、シャープペンシルは気道確保にも使えるんだ」
何もわからないといった顔で首を振った。今が好期だ。僕は足元の鋭い切っ先を巫女の喉元に向け、突進する。
「もちろん動脈を切り裂くことだってできる!」
「うわっ! あぶない」
がつっと固い感触がする。骨にでも当たったか……な、木にさえぎられた! こいつ、紙を縛り付けた変な木で、
僕の鋭い一撃を止めた! おかしいぞ、真正面から飛び掛る僕を見ても、矢より小さい直径一センチの円にしか見えないはず!
こいつは矢より小さく、矢より速く飛ぶ僕を、不意を突かれながら一瞬でさえぎったと言うのか?
「弾幕勝負はどうしたの?」
くっ、いったん引くか、このまま攻撃を続けるか。とにかく、動揺を気取られてはいけない。
「そういった体制には縛られない主義なんだ」
ため息をついて、巫女が片手に針を取り出した。どこに持っていたんだそんなもの。
「思い出したわ、あなたメカニカルペンシルでしょ? 紫の家で見たことある」
その名前で僕を呼ぶな。
「もういっぺん言ってみろ」
「メカニカルペンシル」
こいつは、殺す。殺すしかない。
「だれがメカニカルペンシルだって?」
やつの持つ木に突き刺さりながら、次にやつの目を刺し貫く機会をうかがう。
「あなたのことだって言ってるじゃない」
もう我慢ならない。この傲慢な巫女をこれ以上生かしておく必要は無い。俺が神に代わって地獄に落としてやる!
「俺のことをメカニカルペンシルと呼ぶンじゃねえ! ぶっ殺してやる」
頭を慎重に二度ノックする。腹の中でチャックリングからチャックと一緒に芯が押し出される確かな感触。
出た。0.5ミリメートルの芯がその直径の三つ分下に。このわずかに出した芯を折り飛ばす。
これが貴様の皮膚を切り裂くつぶてとなる!
バキン
鈍い音がする。一体なんだこれは。腹から下の感触が無い。う、嘘だ。
「ぎゃあああーッ! “僕”の体が、“真っ二つ”にイィーー!!」
こいつ! 僕を両手でへし折りやがった!
「返せ! 僕の下半身を返せェー!!」
くそっ、くそっ。やつは笑っている、やつは僕を見て、冷たい目をして笑っていやがる。
「どうしてだ、どうして僕がこんな目に! 僕はずっと戦ってきた! 小学校での使用が許されなかろうと、
マークシートリーダに無視されようと。タイマーの入ったソニー野郎、エネループだけのパナソ、
ゲイツに掘られたNEC。シャープは、僕の故郷はそんなやつらに一度だって負けたりしなかった!
だからこそ僕も、故郷の誇りである僕だけは、絶対に消えるわけにはいかないんだッ!!」
すとん、と音がする。僕の下半身が地面に落とされた。
ベキ
踏みやがった、踏みやがった! こいつ僕の体を踏み割りやがったァー!!
「お、オマエェーー!! シャープペンシルをなんだと思ってるんだよォーー!!
いやだぁー! 僕は死にたく、死にたくなァアーーイ!!」
巫女め、巫女巫女! どうしてこんなことができるんだ……僕はシャープペンシルだぞ!
「シャープは滅びない、僕がいる限りシャープは不滅だ」
ぐう、アバラを全部持っていかれた。ここで、死ぬのか。こんなはずじゃなかったんだ。きっとこんなはずじゃなかった。
なぜ、なぜシャープが。ああ、痛い、痛い、イタヒィ!
「そうさ、ここで僕は妖怪としての力をつけて、外に出る。
故郷の膨大な知識を使って、ニュークを作るのがいいな。せ、世界を核の炎で包んでやるんだ」
目に物を見せてやる。やつらに、教えてやるんだ。あはは、魂が抜けていくよ。巫女が僕を見ている。
もう、もう暗いな。夜になったのか。
「そうね、いいんじゃない」
憎らしい。この巫女をどうにかしないと、僕の怒りはおさまらない。
「死ね」
残った上半身で飛び掛った。手ごたえありだ。くくく、ほら、巫女も笑っている。
ばきばきと割れるような音がする。うるさいな。見ろよ、巫女が赤く染まっていく。やっぱり最後は僕らが勝つんだ。
次はやつらだ、皆殺しだ。殺し合いをさせるのもいいな。はは、やっぱり僕は天才だ。だってこんなにも……
「め、目の付けどころが、シャープでしょ……」
幻想入りへの道程:最終話前編 紅(あか)き巫女 I
~怒れるシャープアヴェンジャーペンシルの最後~
完
幻想入りへの道程:最終話後編 紅(あか)き巫女 II
どこだ、ここはいつもの倉庫ではないな。気持ちがいい、いつ振りの風と陽光だろうか。
なんと、この道はどこまでも続いている。ベニヤ板のような色の明るい土に、両脇に草むらが広がり、
右を見れば木が埋め尽くしている山がある。はげた採石場などではない。
「おお、おお、なんてことだ」
空の高くを見上げれば、ゆっくりと旋回する鳥が見える。まさかトンビであろうか。ここは、奇跡の土地に来てしまったのか。
たまらず体を震わせると、腹の中で液体が波打った。まだあるのだ。わしの燃料がこんなにもある。
たまらずキャタピラを少し動かし、ギアをつなげてみる。いつもは人にやってもらってばかりだったが、
やろうとすれば自分でもできるものなのだ。低いうなり声を上げて、体が熱くなってきた。やったぞ!
「ははは、動く、動くぞ!」
黒煙を吹き上げ、キャタピラを土に食い込ませ、道にあとを残し進み出す。惜しまれるのは、
あの快活で豪胆な仲間がわしに乗っていないことだ。しかしどこを進んでも見えるのは木々と青空と草花とこの道。
繁華街やスカイスクレイパー、磁気浮上式鉄道の駅も、遠くにすら見当たらない。まだ、この世にこんな場所があったのか。
そうか、つまりわしはまだ必要であり、だからこそこの場所に呼ばれたのだ。それにしても美しい。
もしかすれば、川で仕事をしていたときに見た咲き乱れる彼岸花や、田んぼに敷き詰められるように植えられていた蓮華を、
もう一度目にすることが叶うかもしれない。
「ん」
この感覚、不思議だ。わしはこの先に誘われているような気がする。この道が人々が住む街へつながっている気がするのだ。
いっそう回転を早めて道を進みだすと、目の前に赤い洋服を着た女の子が現れた。髪には赤いリボン、
そしてゆったりとした白いアームカバーをつけている。洋服とは言ったが、どこか和風を思わせる装飾が施されていた。
「また変なやつが。これは異変なのかしら?」
驚いたことに飛んでいる。少女が飛ぶとは、さすが夢の土地にふさわしい。
「やぁお嬢さん。飛んでいるとは素晴らしい」
わしがすこし排土板を持ち上げて笑ってやると――そういえばわしは、人のように笑えるのだろうか――彼女も愛らしい笑顔を、
にっこりとこちらに見せてくれた。
「はじめまして。名乗るものは番号しかないのだが、長年重機をやっておりますよ」
「はじめまして。黄色いお腹に大きな鉄板。立派な体ね。ところで、どこに向かっているの?」
聞かれてさっきの不思議な感じを思い出す。そうだ、聞いてみればわかるかもしれない。
「なにか、こちらのほうから呼ばれているみたいなのです。お嬢さん、この先に人の住む街はありますか?」
少女は少し考えてから、答えだした。
「町ね。この先には何にも無いわ。だからあなたも、もうお帰りなさい」
口を開いてから言葉を出すまでに、わずかな間が空くのがわかった。この感じには覚えがある。
設計者がミスをごまかすときに、良くこんな軽いぎこちなさが現れるのだ。このせいで、どれだけの建材を無駄にしたことか。
「お嬢さん、この先にあるのですな。どうして隠すのです」
少女は何も答えない。わしはどうやら嫌われてしまったようだ。だけれど、この先に人がいることがわかっただけでもよかった。
ただガラガラと、わしは前へ進んでゆく。
「あなたも妖怪ね。そうだったわ。妖怪は、出会い頭に倒さなくてはならない」
言い終わると、突然あたりに紙が舞い散りだしたではないか。これはどういったことだ。
筆で複雑な文字が書かれているところを見るに、単なる広告とかそういったものではないようだ。
勢い良く少女の周りを飛び交う紙片。本当に不思議な少女だ。
「行け」
バサッと、まるで大きなシートをかけられたような音がした。かと思うと、わしの目の前が紙片に覆われてしまった。
心なしか体が重い。軸などに絡まっていないといいが。
「な、封印の札が効いてないなんて……。まだ妖怪化しきってなくて、相性がよくないのかしら」
その言葉を聞いてびっくりした。なるほど、空が飛べれば封印もできるのであろう。
「まるで陰陽師のようですな」
「そう。まあ似たようなものよ」
少女はお札を飛ばすことを諦めたのか、わしにとりついて屋根やドアなんかをぺたぺたと触っている。
突然、持っている棒で叩かれた。乾いた音と、打たれた痛みが頭に響く。
「痛いではないですか。なにをするんです」
いくぶん怒ったが、少女はどこ吹く風といった様子だ。そのうちに、わしのドアの取っ手を見つけたようだ。
「ここね、冴えてるわ」
「乗せるのはやぶさかではないが、せめて断りを入れてほしい」
ロックが開く音がして、少女が軽いドアをすばやく引いて中に滑り込んだ。
ふと“最近の若者は”とヤカンをかかげて愚痴をこぼしていた監督を思い出す。
が、なに、その若者こそいずれ大きく、誠実で、頼りがいのある一人前に育っていくのだ。
わしは少しいらだってしまった自身を恥じた。この程度の軽い礼儀など、勝手に身についてゆくものなのだ。
たまたま身につく少し前に出会っただけに過ぎない。
「どうすれば止まるのかしら」
「止める? それは良くない。街へ行けなくなってしまう」
少女が顔を上げ、そのくりっとしたまなこがフロントガラスに映る。
座席に座ってまっすぐ前を見る少女の顔が、良く見える。さっきはわしの前方で浮いている少女が見えていたが、
どうやらわしの目はフロントガラスについているようだ。いや、もしかしたらフロントガラスになってしまったのかもしれない。
「あなたは町で何かしたいことがあるの?」
したいことか、そうだな、いつもしたいことがある者に動かしてもらう、ということばかりであったから、
いざ自分がすることは考えていなかった。これはしまった。しかし実のところ、
ただ久方ぶりに街に行きたいだけ、と言うのがわしの本音なのかも知れない。ただもちろん、はっきりした理由はある。
「人々のいる所、そこではきっとわしが待たれている。どうしても行かなくてはならない」
少女は目をまたたかせ、わしの顔と、ガラス越しのこの先の道を見ているようであった。
「お嬢さん、赤いリボンの美しいお嬢さん。いままで、そういったリボンをつけているものを見ることは少なかったが、
いや、正直言わせてもらおう。実に似合っていて愛らしい。帰ったらぜひそのリボンを広めてみたいものだ」
少女との旅路は素敵なものだ。何せ久しぶりに人を乗せたのだ。少女はわしが旅をすることを気に入っていないようだがね。
わしは黒煙と砂埃を上げて土の道に刻み跡を残しながら、少女はわしの座席で忙しく動きながら、
二人で人々の待つ街へと出かけるのだ。
「お嬢さん、思い出したのだが、道があるのに“この先には何も無い”とは妙なことではありませんか」
「たとえばまだ敷設中なのよ。だからどこにもつながってない」
今度はすぐに答えてきた。なるほど筋が立っている。しかしその理由では、どちらにしろ行かなければならない。
「敷設中。ならばなおのこと、わしが行かなくては」
とたんに少女は表情を曇らせる。棒でハンドルをこんこんと叩いた。
「あー、もう。どうすりゃ止まるのよ。このレバー? それとも足元にあるこれ?」
あれこれと体の中を弄り回される。昔、子供を乗せたときにこんなことがあったな。
懐かしんでいると、耳をつんざくような警笛の音が聞こえた。棒がハンドルの真ん中に当たったのだ。
鳴らした少女も驚いて座席にはりつくように反り返っている。
「あまり警笛を鳴らさないでくれ。喧嘩が起きてしまう」
注意を促すと、我に返った少女はまた忙しそうに、レバー等をあれこれと操作した。不思議なことだが、
今のわしはそういったシフトレバーやブレーキなどを動かされても関係なく、思い通りに走ることができるのだ。
「今現在、私はあなたと喧嘩してるのよ」
うんざりした様子で少女が答える。
「ええい、後退って書いてあるほうにレバーを倒したのに、何で戻らないのよ。
まずいわ、こんなにでっかい鉄の塊にぶつかられたら、里の木の柵や家じゃひとたまりも無い」
なんと、聞き違いでなければ木の家があるのか。倉庫に入れられる前、
最後の頃は化学建材のビルやマンションしか見ていなかった。まさかそんなものが見られるとは。ますます楽しみになってきた。
「紫、魔理沙、なんでこういうときに向いてる奴がいないのか」
ふと強い違和感のようなものを感じて少女を見ると、手から紙が飛び上がり、窓から出て行った。
「間に合うかしらね、いや、間に合っても寝ていたら駄目か。はぁ、あなたの思い通りになりそうよ」
少女は諦めたように座席に背を預ける。上を向いて、大口を開けて、ずいぶんとだらしない格好だ。
それからしばらく少女は動かなかった。話も途切れてしまい、少女も疲れているようであったので、
ただ気持ちのよい風を感じ、幻を見ているかのように真っ青な空を見上げる。
時折自身の立てる金属と排気の音の中で、甲高い鳥の鳴き声を聞いた。
「お嬢さん」
十分景色を堪能したので、黙っている少女が気になり声をかけてみた。返事は無い。
もうだいぶ進んだ。ますます何かの気配が近づくのを感じる。もちろん見当違いの可能性だってある。
だとしたら、一人でもなんとなく恥ずかしいのに、今は二人であるから、よりみっともなく耐え難いことであろう。
「お嬢さん、少し話でもしようじゃないか。あなたは誰かを待っていて、今は退屈なのでしょう」
うー、とうなり声が聞こえて、だらっと垂れるように前を向いた。あまり見られたものではないな。
「のんきなものね。里はこんなのんきなやつに襲撃されるのよ。
破滅への秒読みは誰も知らないところで進められるものなのね」
どうもこの少女は人の話を聞かないらしい。だがいいのだ。本来話というのは、ただ自分が言いたいから言うことのほうが多いもの。
「お嬢さん、わしはここに来る前はずっと倉庫にいた。そのずっと前は皆と毎日土砂にまみれて仕事をしておったのだ」
やはり予想通りだ。いかにも興味がないといった表情をしている。だが、どこかそんなところにも愛嬌を感じる。
少女は手首を返して、持った木の棒をくるりと回すと、それで頭をぼりぼりとかきはじめた。
「そりゃあ昔は活躍したもんだった。大きな建物の立つ土地をならしたり、ダムの予定地を整えたり。
だがいつしか、世で無限のエネルギーを取り出す方法が開発されてしまった。はは、素晴らしいことだ」
「お茶を飲んで、お賽銭がたっぷり入れば、無限のエネルギーが沸いてくるわ」
思わず顔がほころんでしまった。さすが、一味違う。そういえば、ずいぶん変わった格好だが、同じ国の人間なのであろうか。
もしかすると、ここは違う国の、全く異なる文化を持つ場所なのかもしれない。
「それはいいことだ」
にしても、あれはとても大きなニュースだった。今でも思い出す。まるで救世主が現れて、世界が丸ごと救われたようだった。
「……無限のエネルギーは多数の作業ロボットや超化学炸薬を作り出し、わしの出番はなくなってしまった」
街は明るいニュースであふれ、それまで非効率とされていた様々な技術が次々飛び出してきたのだ。
本当に毎日が光り輝き、また彼らの笑顔を見られることが嬉しかった。嬉しかったのだ。
「当然、仲間達――監督、腕の太い男、穴を掘るのが得意な他の重機たち――はそのうち、次々と仕事を失っていってしまった。
これから本当に未来は明るくなると、ただそう思っていたのに」
突然涙が出てきたような気がした。それは気のせいで、上空の小さな雲から、たまたま水滴が落ちただけかもしれなかった。
「その話、長くなりそう?」
どうやら少女はあまりそういった話は好みではないようだ。それもそうだ。
これからという小さな輝く少女に、こんな暗い話は似合わない。
「いや、この後はわしが倉庫に入っておわりだ」
わしの言葉を最後にしばらく場が静かになる。もちろんエンジンの音を除いて。少女は行く先をじっと見て、
口を結んで押し黙っていたが、とうとう我慢できなくなったように小さな運転席で立ち上がった。
「ええい、遅いわ。しょうがない、壊れるかもしれないけど、あと少し時間を稼がないと」
言うが早いかまた体の周りに何かを飛ばし始める。こんどは赤と白の、まがたまのような模様が描かれた玉だ。
「行きなさい!」
叫び声と共に、玉が窓から飛び出し、わしの両のキャタピラを送る転輪にぶつかった。激しくこすれる音がして、
ボールが離れない。
「どうしても行かせたくないのかね」
無愛想に眉根を寄せている。転輪は摩擦でどんどん熱くなっているようだ。だんだん不安になってきた。
いつだって懸命に仕事をしてきたが、無茶をしたことがないのだ。熱さと痛みに耐えて、それでも前へ進んで行く。
いつの間にか道の上に足跡のようなものが見えるようになった。気のせいではない、街に近付いているのだ。
「あなたこそ、どうしても止まってくれないの? このままじゃ、壊れちゃうかもしれないわよ」
確かに、心なしか転輪のぶれが大きくなっている気がする。もちろん強靭なキャタピラには問題はないが、
この先どうかはわからない。
「わしに乗る男もよく言ったのだ。汝盍ぞ其の道を行かざるや。未だ嘗て退きて歎ぜずんばあらざるなり。
将に力を以て進まんとす。須らく今からそいつを、これからそいつを殴りに行くべし。
わしは自分のしたいことと言いたいことが違う者にはなれない」
少女は真剣な表情をしていて、答えてはくれない。もしかしたらあの玉を飛ばすには集中がいるのかもしれない。
「ハイカラに言えばヒポクリットになりたくないと言うことだ」
「カバがなんだっていうのよ」
少女がまた新たな玉を飛ばす。手放すとき、少し惜しんでいるようだった。
「カバではない。しかしわざわざ短く言いたいからといって、南蛮渡来の言葉を使うこともないな。わしも良くそう思う。
広告などにあるのだ。イノヴェーティブな最新プロダクトは、ビビッドで多角的なビジョンを元にマーケティングを行った結果、
クリエイティブでユーザビリティに優れるドラスティックなパフォーマンスを得られあなたにコングラチュレーションズ。などと」
少女がうんざりしてきたようだ。そうだろう。わしもうんざりしてきた。
「言いたいことはわかるわ」
「こちらのほうでも広告はそんな感じかな」
「新聞なら取っているけど、そんな広告見たこと無い」
そうか、それはいいことだ。無意味な広告を眺めるような無駄なことは、この少女に似つかわしくない。
いくらか速度を落としたが、順調に進んでいる。体の熱さにも慣れてきたが、さっきより転輪に玉が当たる音が大きくなった。
「あなた丈夫ね。陰陽玉が壊れちゃいそうよ。ああ、用意するの手間がかかるのに」
ごりごり、ごりごりと大きな音が鳴る。本気で止めにかかってきたようだ。だがわしとてそう簡単には止まらない。
わしは治水だって基礎工事だってなんだってできる。それこそこの名の表す、強壮剤を飲ませた雄牛のように。
「はっ!」
少女がドアを開け、いつの間にか取り出していた針をキャタピラに投げつけた。なんと固いのだ。体が震える。
キャタピラに傷がついたが、しかし、走る分には問題はないだろう。何度もやられたらまずいかもしれない。
不意に、前方から人の声が聞こえる気がした。よく目をこらせば、道の先に茶色い横一文字の壁があるのが見える。
ごりごりと進んでいくと、どんどんその壁は大きくなっていった。
「いけない! ええい、絶対に止めてやる」
体の中で暴れだす少女。突き上げられるような衝撃が体のあちこちを襲った。困ったものだ。
しかし、あれだけこの茶色い街の事を隠そうとしていたのだ。彼女にも引くに引けない事情があるのだろう。
「痛い。壊れたらどうするんだ」
だが、こちらだって身を引くことはできない。この先にわしを必要とする人々がいるはずなのだ。
ある程度近付くと、茶色い壁の正体がわかった。上部をとがらせた木を立て並べてある砦柵なのだ。
なぜこんなところに。何かのテーマパークがあるのだろうか。明るい乾いた土の道が行き着く先は、畳を十枚並べたような幅の、
大きな木の門につながっていた。喜び勇んでさらに足を進めていくと、引きずるように門が開きだした。
隙間から向こうが見えたと思った瞬間、次々と人々が飛び出してくる。
「慧音!」
少女が叫んだ。門の前には少女と同じように変わった格好をした人々が、次々数を増しながら並んでいく。
こんなに多くの人に会えるのは久しぶりだ。しかし、どうも様子がおかしい。まあいい、わしはまたここで暮らしてゆけるのだ。
十分近付いたところでエンジンを止めた。
「止まった……」
少女が嘆く。やっと針を投げるのをやめてくれたか。よかった、もう少しでサボテンになるところであったかもしれない。
前を見れば人々はまるで朝礼に並ぶかのようだ。大勢の者たちがこちらに目を向けている。
「これはどうも。やあ、こんなに見られるのは初めてだ」
そこに並ぶ人は誰も、困難な現場でも力強く腕を振るうことができそうな、屈強な男だった。
ただ一人、先頭にわしと同じ牛のような貫禄を見せる女もいた。
「気恥ずかしいが、嬉しいことだ。どうかな、わしは前もあなた方と共に生きてきた。
そしてこれからもそうしたいと思っている。また大いに土を掘り返そうではないか」
エンジンの音も途絶えた今、場を静寂が支配した。もしかしたら何か気に触ることをしてしまったのであろうか。
やはり自己紹介を先にすべきであったか。もちろん、紹介できることは少ないが。
「ふう、間一髪。お話には良くあるわね。爆弾が爆発する一秒前とか、列車が衝突する寸前でとか」
少女が何か言ったが、わしにはよく聞こえなかった。それよりもっと気が引かれることがあったからだ。
なんと彼らが、次々に手に持った工具や農具――中には剣を持つものもいた――をいっせいにこちらに向けたのだ。
「ここで終わりよ。あなたは悪いタイプの鉄の塊ではなかった。けれど里に被害を出すわけにはいかないの」
理解できないことだった。だけれど確かに、彼らは敵意を向けてきているのだ。武器でも兵器でもないこのわしに。
「なんと、彼らはなぜおびえているのだ」
ほんの少し排土板をあげて、言葉をつむごうとするも、それによって彼らが後ずさり、ついに声は出なかった。
そして理解することができた。この美しい土地に拒絶されているのだと。勇ましく武器を携えるこの人間達は、
時代遅れの機械など必要としていないのだと。それがわかると、体から水が滴り落ちた。歳をとると涙もろくなる。
わしに乗る男はわしが倉庫に入る前、一度そう言ってうなだれていた。不思議なことだ、やはり機械でも涙もろくなるのだ。
古くなってラジエータから水が漏れたのかもしれない。それでもそれは、確かにわしの涙だ。泣いているうちに視界は曇ってきた。
エンジンオイルがあふれ、熱くなった体で蒸発し白煙となったのだ。それでもこの視界の曇りは、
人間と同じく、涙でにじんだ結果だ。
「……そうか、わしはここでも、必要ないのだな」
エンジンをもう一度動かした。静寂の中、大きな音が鳴り響いて、彼らが身構えるのがわかった。少女は仏頂面になって動かない。
心を落ち着かせてやるために、警笛を軽く鳴らしてみた。皆の表情がこわばる。逆効果だったようだ。
方向を変えるべくギアを合わせる。傷ついてもしっかりと動くキャタピラは、最後まで実に頼もしい。
「お騒がせしたね」
小さく回ってそのまま来た道を戻る。さっきまでの静けさと比べると、やはりこの体の立てる音はずいぶんと大きいのだ。
踏みならした土は、見れば綺麗に二本の線となってどこまでも続いていた。少女はあいもかわらず無表情で無言で、
門の見えないところまで走ったら、長い時間が過ぎた気がした。わしはなにか決まりが悪いような感じがして、
そのまま左に道をはずれ、草花の生える緑のじゅうたんの上を進んだ。少し行くと杉の立ち並ぶ林となった。
そして、一本の大きな杉の木の前で止まる。大して街から離れてはいないが、まあ、いいだろう。ここは街の外なのだ。
「お嬢さん、悪かったな。君の話を聞かなかった」
少女は仏頂面を少しくずし、首を小さく左右に振った。
「ここで休むことにするよ」
頭の後ろで手を組んで、ただ目の前の杉林を見やっている。わしはギアを外し、火を止めた。
「なあに、前まではずっとそうだったし、素敵な景色が見られて今は満足しているんだ」
つまらなそうな顔をしている。もうちょっと美しい声を聞きたかったのだが、なかなかうまくいかないものだ。
「わしに文字を彫ってくれないか。相棒は腕に文字を彫っていてね」
彼の横顔と、腕の文字を思い出した。懐かしい。複雑な書体で、ついに意味を聞くことはできなかった。
「それが好きだった。本人は後悔していると言っていたが」
「どんな文字がいいの?」
そうだな、文字の意味は大事だ。できることなら納得行くものを彫ってもらいたい。
少し考えて、昔聞いた言葉を参考に、即興で文字を組み合わせた。
「うーん、たとえばこれはどうだろう。体は鋼でできていた、血潮は油で、心は気筒。ただの一度も故障はなく、
ただの一度も誤操作されない。仲間達と常に共に、砂利の丘にて完遂に酔う。ゆえに生涯に宝珠あり。
この体はきっと鋼の絆でできていた」
少女がうんざりしてきたようだ。そうだろう。わしも上出来とは思えなかった。
「長い上にくさいわ」
「そうだな、長いのは良くない」
なにかよい言葉が浮かんでいれば、と思って空を見上げる。すると目の前に、幾度も苦楽を共にした仲間達が現れては消えていった。
ははあ、これがいわゆる走馬灯と言うものか。珍しい体験をするものだ。ああ、素敵な体験だ。
しばし、目の前のうつりかわる顔ぶれを見送るうち、一つの思いがわしに宿った。
「決まった」
「そう……どんなの?」
もう覚えている者のほとんどが、現れ、そして消えた。さみしいものだ。こうして彼らを覚えているわしがさびて朽ちれば、
彼らも、わしも、いなかったも同然ではないか。もし世界がなくなれば、破片も墓も残らない。まるではじめからいなかったように。
どうにも胸が苦しく、切ないことではないか。しかしそれでも、わしは彼らといられたことが嬉しかった。
それは無意味ではなかった。人間と言うのは素晴らしいものだった。少なくともわしにとっては。だからその冥福を祈りたい。
そしてあの門を守ろうとしていた人々もまた、勇猛果敢にこんな鉄の塊に対峙したのだ。その未来を祝福したい。
並べる文字は決まった。
「友に幸あれ」
少女は目をつぶってそれを聞いた。反芻しているようであった。
「そう、いいんじゃない」
目をつぶったまま答えた。興味が無いようでもあったし、少し笑ったような気もした。
「それじゃ、綺麗に彫れる人か、道具を探してくるわ」
「あと」
自分でも少しおかしいが、言わずにはいられなかった。
「このナンバープレートの記号と番号を控えてくれ。もしこの番号の重機を訪ねる人が来たら、すまないが案内してくれないか」
言ってからやはり笑ってしまった。
「わかったわ」
そう言って少女はドアを開け、座席から飛び去って行った。体のどこか動かせるところは無いか探したが、
すでに全く動かなくなっていた。しかし、心残りは無い。
「ははは」
杉林に笑い声が吸い込まれるのであった。
「おお、でっかい機械だね。持って帰っちゃダメなの? 修理してみたいよ」
「あなたに頼んだのは文字を彫ることだけよ」
「ちぇ。でも、霊夢はこんな道具のことも考えてあげるんだね」
「まさか、そんなことしないわ」
「おちょこや座布団の気持ちを考えていたら、お酒も飲めないじゃない」
幻想入りへの道程:最終話後編 紅(あか)き巫女 II
~ザ・ブルドーザ~
完
ここが幻想郷、ついにきちまったか。俺もついに忘れられたんだ。悔しいぜ、機械式農業と言えば俺の天下だったのに。
だがこれからはここが俺の天下だ。地下水資源が枯渇した大農園なぞもう用はねえ。人間共はどこだ。
この世でこそ俺は俺を、お前たちに知らしめてやるっ!!
「ん、なんだこのパイプ」
げっ、敵か!? まだ来たばかりだというのに、さすがに最初から全力だな。いいだろう、予習は完璧なんだ。
スペルカードも用意したぜ。俺に見せてくれよ、その美しく残酷な大地とやらを。
「嬢ちゃん、お前は妖精だな。わかるぜ、俺にはよくわかる。その羽、妖気。ああ、いいんだ。何も言うな。
わかってるぜ、決着はこの紙っぺらに誓って、お互いの弾丸で決めるんだよな。来いよ。遠慮はいらない。
全円散水可能(フルサークル)の俺に文字通り死角はねえしお前の弾はかすりもしねえ、
俺の弾は見えもしねえし俺からは逃げられねえしお前には俺に勝つことはできねえっ!」
大丈夫だ、俺は大丈夫。くくく、ほうら、この感じだ。足に感じるぜ、水、水、水だ! 甘いお水の味がするぜ。
どうやらヤツに気取られずに吸い上げられそうだな。
「あんた妖怪だったの? あたいにけんか売る気? いいどきょうじゃない!」
へっ、わめいていやがる。すぐにほえ面かかせてやるぜ!
「フンッ!」
地面に足を突き立てるっ! 深度二十、五十、百、二百、五百! 足が土を抜けて……来たぜ。水だ。
ははは、上ってくる。充電は完了だ。予習の成果を見せてやる。
「カードを掲げればいいんだよな。いくぜっ! 散符、インパクトスタイル・スプリンクラー!!」
久しぶりの感覚が俺の脳天を突き刺す。水が圧縮され、ベルヌーイの法則に従って、細い射出孔から高速で飛び出すッ!
第一射は青い服をまとったあの小憎らしい妖精のわずか左をそれていった。同時に噴き出す水は射出孔を塞ぐハンマーを跳ね上げる。
そう、オート拳銃の燃焼ガスが撃鉄を起こすように。そしてハンマーは発条(バネ)により押し戻されて俺を打つ。
カキン
回った。まるで回転弾倉が回るように。へへへ、二発目だ。食らいやがれ!
「なにこれ、水?」
そのとき、俺の二発目がさらに左に放たれたのがわかった。しまった! やつは俺の回転方向の逆に位置している。
仕方ねえ、だが俺の連射力ならすぐに一周して奴のどてっ腹に風穴を開けることができるッ!
「うおおおお!! なめるなァ!」
シュッ カチン シュッ カチン シュッ カチン シュッ カチン シュッ カチン
「すごい、まわりながら水吐いてる。水びたしだ」
やったぞ! 奴から攻撃を受ける前に一周した! 奴はまだ弾を撃ってきていない。この一撃で決める!
「待たせたな、食らえ!」
ノズルから水の弾丸が飛び出す。初速は優に九百メートル毎秒は出ているハズだ。俺の邪魔はさせねえ、
俺は新天地で麦を育てるんだ! コーンを、アルファルファを、俺は今度こそ忘れられたりなんてしねえ!
見える、見えるぜ。スローで、俺の弾が。吸い込まれるようにその青いワンピースの中心に向かっている。決着だ!
「凍符、パーフェクトフリーズ」
パキッ
ば、ばかな! 止まっている!? 俺の弾丸が! どうして空中で止まるなんてことがありうる!? それにこの寒さは……。
はっ、弾が白くなっていやがる。ま、まさか奴は凍らせたと言うのか。この速く、鋭い、おれの弾を。
すぐに次の弾を撃たなくては。
「なにっ!」
なぜだ、なぜ動かない。これは……。
「凍っているだと」
「どうしたの? もう終わり?」
体から嫌な音が聞こえてきた。そうか、俺の体に満ちる地下水が、凍りついて膨らんでいるのか。
「ここまでだ、やるなお嬢ちゃん」
遠のく意識の中、俺は自分の体が二つに割れる音を聞いた。
「どうしたの銀色パイプ。調子悪いの?」
なんてこたねえさ。ただもう一度、あの金色の小麦畑の、支配者になりたかった。
幻想入りへの道程:第一話 氷の妖精
~荒くれスプリンクラーの戦い~
完
幻想入りへの道程:第二話 闇の妖怪
気付けば私は幻想郷に迷い込んでいた。まさか幾百年の歴史を持つこの私が忘れられるなんて。
デフレーションに負けて合成酒がはびこる世に、もう私の居場所はなかったのね。
でも大丈夫、私はきっと私が必要とされる世界に呼ばれたの。マスター、貴方の技術、途絶えさせたりはしない。
「こ、これは」
視界に銀の割れたパイプが映る。パイプのてっぺんには水道のバルブを恐ろしく複雑にしたような、
金や黒の金属でできた装置が付いている。昔資料で見たことがある。水を自動で作物にまく装置だ。
割れたパイプの周りには氷のかけらが散らばり、銀色のパイプにも表面に真っ白い霜が降りていた。
「なんてこと」
この妖怪たちがひしめく場所では、気を緩めるとすぐ命を落とすことになると言う。
私はトップとストレーナーをぴたりとあわせ、しばし黙祷した。もしかしたら、この銀色の割れたパイプは、
私の銀色のボディの未来なのかも。このパイプの遺体を見ていると、なんだか寒気を感じる。
ふと、視線を感じて振り返った。
「氷の妖精!」
間違いない。あの晴れ晴れとした、それでいて意地悪な邪悪さを感じさせる笑顔。子供のように見えてもあなどってはいけない。
大丈夫だ、同じ高さで体を振るように、いつも何度もしてきた練習のようにすればいい。
私はこの場所の危険度が高いやつらのことは調べて、対策を立ててきた! 相手はまだ勝ち目のある方だ。
「このパイプ、動かなくなっちゃったんだ。どうしたんだろう」
これはこいつがやったのか。やはり、戦いは避けられない。
だが油断しなければ、氷特攻の私に負けは無い! 気を引き締めてスペルカードを構えると、敵が接近してきた。
「あんたも弾幕ごっこするの? いいよ、やろうやろう」
そう言うと、ポケットからスペルカードを取り出した。なんて楽しそうな表情かしら。こっちには明日がかかっていると言うのに、
まるで遊びに誘うような言い方だ。いや、実際に遊びなのだが、しかしこれは死の危険がつきまとうものなのだ。
現にそこに銀色の彼が腹を裂かれて横たわっている。
「氷符、アイシクルフォール!」
叫んだ瞬間、妖精の回りに氷の柱がずらりと並ぶ。すぐに攻撃しないと。いや、それではルール違反になって消されてしまう。
私もスペルカードを宣言しなくては。ぐっ、氷の柱が次々こちらへ向かってくる!
「振符、ミストスタイル・シェイカー!」
トップとストレーナーを跳ね上げる! ボディをぴたりと氷柱に合わせて、流線型の器の中に次々と氷を飲み込んだ。
満タン寸前で跳ね上げた二つが落下し、器は完全に密閉される。
「はああああ!」
そして! こんしんの力で体を上下に振るッ!
カラコロ カラコロ カラコロ カラコロ シャラコロ シャラコロ シャカ シャカ シャカ シャカ
振る動作がまさに避ける動作となって、取りこぼした氷柱は次々と私をかすめて地面に突き刺さっていく。
マスターに教えてもらった間合い、高さ、体のひねり。確実に私の中で氷をブレイク・イントゥ・ピースィズ!
「おお、あたいの氷をよけきるなんて、やるね」
今だ、この腹の中身を、奴にめがけてぶちまける! 再度二つの帽子を跳ね上げた。体をその青いシルエットへ向けて、
思いっきり前に出し、急ブレーキ。雲母のごとく薄く鋭くなった氷の刃の群れが、網のように襲い掛かる!
「うわぁー、雪みたい! どうやったの?」
しまったああ! 敵も氷属性のクリーチャーだった! く、まあこの程度のことで乱される私じゃない。
しっかり研究はしてあるんだ。相性の悪い相手には、スペルカードのタイムオーバーを狙えばいい。
氷の攻撃は私には通用しない!
「来い! 全てさばき切ってやるわよ!」
次々と襲い来る柱を全てみぞれに変えていく。息が切れ、割れそうなほど体を振った。やがて奴の攻撃が変化する。
問題ない。体を振って攻撃をさけ、氷を飲み込んですりつぶす。完全に見切った。目がおかしくなるほどの氷の弾丸が襲って来て、
私はただそれに黙々と、冷静さを失わずに対処した。敵の息も荒くなっているのがわかる。残りスペルは何枚?
一体この攻撃はいつまで続く? 気の遠くなるような射撃の雨を抜け、気が付けば妖精はへたり込んでいた。
「あんたすごいね、もうカードないよ」
「それはどうも」
息を整えられない。だけど、私は勝ったんだ。体も水煙でくもってしまった。それにだいぶ汚れている。マスターに怒られちゃうわ。
早くお風呂に入らないと。ああ、もうかなわないとわかってはいるけれど、また優しく、私に息を吹きかけて、布巾で拭いてほしい。
マスター、マスター。
「悔しいなあ。今日はこの辺にしといてあげる」
氷の妖精が飛び去っていく。貴方は本当に強かったわ。
「またあたいとあそぼうね」
飛びながら振り向いてそう言う妖精に、“ええ”と一言答えて、地面に転がった。進まなくちゃいけないけど、少し休もう。
勝利に酔いしれることなんてできない、泥沼の戦いだった。私にはもっと澄んだ水が似合うのに。
ぼーっと空を眺めていると、黒い球体がただよってきた。どうやらまだ休めないらしい。視界を覆うように大きくなる。
「ぐえっ!」
突然私の腹に強烈な痛みが走る。潰された!? なぜ、いきなり。
「ん、なんか踏んじゃった」
スペルカードを、宣言せずに、攻撃を行うのは、違反のはず。こいつは、私を殺すつもりで……。
視界の端に、先ほどの割れた銀色パイプが映る。そうか、彼は私だったのだ。
痛いです、マスター。でもこれでよかったのです。貴方がいない世界にはいられない。
今行きます。私の尊敬する、ただ一人のバーテンダー……。
幻想入りへの道程:第二話 闇の妖怪
~麗しのシェイカー散る~
完
幻想入りへの道程:最終話前編 紅(あか)き巫女 I
ついにここまで身を堕としたか。僕はこうなるはずではなかった。いつだって僕らの目の付け所は鋭かったんだ。
絶対に許せない、僕はこの土地で力をつけて、必ず帰り咲いてやる。僕らをばらばらにしたやつらに、
世界中の人間に復讐してやる。ん、なんだか赤い人間が飛んできたな。飛べる人間がいるとはさすがだ。
僕の戦いの幕開けにふさわしい人物と言えるね。
「宙に浮いてる」
ほうけた顔でつぶやく人間。どうもあまり頭のいいほうではないらしい。
「やあ、文房具が飛べるのがそんなに珍しいかい?」
「ええ、そりゃね」
どうやら警戒されていないようだ。不意を突いて殺すと言うのもつまらないが、まあ、ただの幕開けだ。
「人間が飛べるのよりは、ずっとありそうじゃないかな」
巫女はしばらく考えていた。狙うなら防御が薄く太い血管の走る、脇か喉だ。美しい胸鎖乳突筋をしている。
喉の方が僕の好みかな。
「私の周りには、飛べる人間がそこそこいるわ」
それは驚きだ。しかし他の人間はどうでもいい。今はおまえだ。巫女だけに、生贄にはぴったりだろう。
「知ってるかい、シャープペンシルは気道確保にも使えるんだ」
何もわからないといった顔で首を振った。今が好期だ。僕は足元の鋭い切っ先を巫女の喉元に向け、突進する。
「もちろん動脈を切り裂くことだってできる!」
「うわっ! あぶない」
がつっと固い感触がする。骨にでも当たったか……な、木にさえぎられた! こいつ、紙を縛り付けた変な木で、
僕の鋭い一撃を止めた! おかしいぞ、真正面から飛び掛る僕を見ても、矢より小さい直径一センチの円にしか見えないはず!
こいつは矢より小さく、矢より速く飛ぶ僕を、不意を突かれながら一瞬でさえぎったと言うのか?
「弾幕勝負はどうしたの?」
くっ、いったん引くか、このまま攻撃を続けるか。とにかく、動揺を気取られてはいけない。
「そういった体制には縛られない主義なんだ」
ため息をついて、巫女が片手に針を取り出した。どこに持っていたんだそんなもの。
「思い出したわ、あなたメカニカルペンシルでしょ? 紫の家で見たことある」
その名前で僕を呼ぶな。
「もういっぺん言ってみろ」
「メカニカルペンシル」
こいつは、殺す。殺すしかない。
「だれがメカニカルペンシルだって?」
やつの持つ木に突き刺さりながら、次にやつの目を刺し貫く機会をうかがう。
「あなたのことだって言ってるじゃない」
もう我慢ならない。この傲慢な巫女をこれ以上生かしておく必要は無い。俺が神に代わって地獄に落としてやる!
「俺のことをメカニカルペンシルと呼ぶンじゃねえ! ぶっ殺してやる」
頭を慎重に二度ノックする。腹の中でチャックリングからチャックと一緒に芯が押し出される確かな感触。
出た。0.5ミリメートルの芯がその直径の三つ分下に。このわずかに出した芯を折り飛ばす。
これが貴様の皮膚を切り裂くつぶてとなる!
バキン
鈍い音がする。一体なんだこれは。腹から下の感触が無い。う、嘘だ。
「ぎゃあああーッ! “僕”の体が、“真っ二つ”にイィーー!!」
こいつ! 僕を両手でへし折りやがった!
「返せ! 僕の下半身を返せェー!!」
くそっ、くそっ。やつは笑っている、やつは僕を見て、冷たい目をして笑っていやがる。
「どうしてだ、どうして僕がこんな目に! 僕はずっと戦ってきた! 小学校での使用が許されなかろうと、
マークシートリーダに無視されようと。タイマーの入ったソニー野郎、エネループだけのパナソ、
ゲイツに掘られたNEC。シャープは、僕の故郷はそんなやつらに一度だって負けたりしなかった!
だからこそ僕も、故郷の誇りである僕だけは、絶対に消えるわけにはいかないんだッ!!」
すとん、と音がする。僕の下半身が地面に落とされた。
ベキ
踏みやがった、踏みやがった! こいつ僕の体を踏み割りやがったァー!!
「お、オマエェーー!! シャープペンシルをなんだと思ってるんだよォーー!!
いやだぁー! 僕は死にたく、死にたくなァアーーイ!!」
巫女め、巫女巫女! どうしてこんなことができるんだ……僕はシャープペンシルだぞ!
「シャープは滅びない、僕がいる限りシャープは不滅だ」
ぐう、アバラを全部持っていかれた。ここで、死ぬのか。こんなはずじゃなかったんだ。きっとこんなはずじゃなかった。
なぜ、なぜシャープが。ああ、痛い、痛い、イタヒィ!
「そうさ、ここで僕は妖怪としての力をつけて、外に出る。
故郷の膨大な知識を使って、ニュークを作るのがいいな。せ、世界を核の炎で包んでやるんだ」
目に物を見せてやる。やつらに、教えてやるんだ。あはは、魂が抜けていくよ。巫女が僕を見ている。
もう、もう暗いな。夜になったのか。
「そうね、いいんじゃない」
憎らしい。この巫女をどうにかしないと、僕の怒りはおさまらない。
「死ね」
残った上半身で飛び掛った。手ごたえありだ。くくく、ほら、巫女も笑っている。
ばきばきと割れるような音がする。うるさいな。見ろよ、巫女が赤く染まっていく。やっぱり最後は僕らが勝つんだ。
次はやつらだ、皆殺しだ。殺し合いをさせるのもいいな。はは、やっぱり僕は天才だ。だってこんなにも……
「め、目の付けどころが、シャープでしょ……」
幻想入りへの道程:最終話前編 紅(あか)き巫女 I
~怒れるシャープアヴェンジャーペンシルの最後~
完
幻想入りへの道程:最終話後編 紅(あか)き巫女 II
どこだ、ここはいつもの倉庫ではないな。気持ちがいい、いつ振りの風と陽光だろうか。
なんと、この道はどこまでも続いている。ベニヤ板のような色の明るい土に、両脇に草むらが広がり、
右を見れば木が埋め尽くしている山がある。はげた採石場などではない。
「おお、おお、なんてことだ」
空の高くを見上げれば、ゆっくりと旋回する鳥が見える。まさかトンビであろうか。ここは、奇跡の土地に来てしまったのか。
たまらず体を震わせると、腹の中で液体が波打った。まだあるのだ。わしの燃料がこんなにもある。
たまらずキャタピラを少し動かし、ギアをつなげてみる。いつもは人にやってもらってばかりだったが、
やろうとすれば自分でもできるものなのだ。低いうなり声を上げて、体が熱くなってきた。やったぞ!
「ははは、動く、動くぞ!」
黒煙を吹き上げ、キャタピラを土に食い込ませ、道にあとを残し進み出す。惜しまれるのは、
あの快活で豪胆な仲間がわしに乗っていないことだ。しかしどこを進んでも見えるのは木々と青空と草花とこの道。
繁華街やスカイスクレイパー、磁気浮上式鉄道の駅も、遠くにすら見当たらない。まだ、この世にこんな場所があったのか。
そうか、つまりわしはまだ必要であり、だからこそこの場所に呼ばれたのだ。それにしても美しい。
もしかすれば、川で仕事をしていたときに見た咲き乱れる彼岸花や、田んぼに敷き詰められるように植えられていた蓮華を、
もう一度目にすることが叶うかもしれない。
「ん」
この感覚、不思議だ。わしはこの先に誘われているような気がする。この道が人々が住む街へつながっている気がするのだ。
いっそう回転を早めて道を進みだすと、目の前に赤い洋服を着た女の子が現れた。髪には赤いリボン、
そしてゆったりとした白いアームカバーをつけている。洋服とは言ったが、どこか和風を思わせる装飾が施されていた。
「また変なやつが。これは異変なのかしら?」
驚いたことに飛んでいる。少女が飛ぶとは、さすが夢の土地にふさわしい。
「やぁお嬢さん。飛んでいるとは素晴らしい」
わしがすこし排土板を持ち上げて笑ってやると――そういえばわしは、人のように笑えるのだろうか――彼女も愛らしい笑顔を、
にっこりとこちらに見せてくれた。
「はじめまして。名乗るものは番号しかないのだが、長年重機をやっておりますよ」
「はじめまして。黄色いお腹に大きな鉄板。立派な体ね。ところで、どこに向かっているの?」
聞かれてさっきの不思議な感じを思い出す。そうだ、聞いてみればわかるかもしれない。
「なにか、こちらのほうから呼ばれているみたいなのです。お嬢さん、この先に人の住む街はありますか?」
少女は少し考えてから、答えだした。
「町ね。この先には何にも無いわ。だからあなたも、もうお帰りなさい」
口を開いてから言葉を出すまでに、わずかな間が空くのがわかった。この感じには覚えがある。
設計者がミスをごまかすときに、良くこんな軽いぎこちなさが現れるのだ。このせいで、どれだけの建材を無駄にしたことか。
「お嬢さん、この先にあるのですな。どうして隠すのです」
少女は何も答えない。わしはどうやら嫌われてしまったようだ。だけれど、この先に人がいることがわかっただけでもよかった。
ただガラガラと、わしは前へ進んでゆく。
「あなたも妖怪ね。そうだったわ。妖怪は、出会い頭に倒さなくてはならない」
言い終わると、突然あたりに紙が舞い散りだしたではないか。これはどういったことだ。
筆で複雑な文字が書かれているところを見るに、単なる広告とかそういったものではないようだ。
勢い良く少女の周りを飛び交う紙片。本当に不思議な少女だ。
「行け」
バサッと、まるで大きなシートをかけられたような音がした。かと思うと、わしの目の前が紙片に覆われてしまった。
心なしか体が重い。軸などに絡まっていないといいが。
「な、封印の札が効いてないなんて……。まだ妖怪化しきってなくて、相性がよくないのかしら」
その言葉を聞いてびっくりした。なるほど、空が飛べれば封印もできるのであろう。
「まるで陰陽師のようですな」
「そう。まあ似たようなものよ」
少女はお札を飛ばすことを諦めたのか、わしにとりついて屋根やドアなんかをぺたぺたと触っている。
突然、持っている棒で叩かれた。乾いた音と、打たれた痛みが頭に響く。
「痛いではないですか。なにをするんです」
いくぶん怒ったが、少女はどこ吹く風といった様子だ。そのうちに、わしのドアの取っ手を見つけたようだ。
「ここね、冴えてるわ」
「乗せるのはやぶさかではないが、せめて断りを入れてほしい」
ロックが開く音がして、少女が軽いドアをすばやく引いて中に滑り込んだ。
ふと“最近の若者は”とヤカンをかかげて愚痴をこぼしていた監督を思い出す。
が、なに、その若者こそいずれ大きく、誠実で、頼りがいのある一人前に育っていくのだ。
わしは少しいらだってしまった自身を恥じた。この程度の軽い礼儀など、勝手に身についてゆくものなのだ。
たまたま身につく少し前に出会っただけに過ぎない。
「どうすれば止まるのかしら」
「止める? それは良くない。街へ行けなくなってしまう」
少女が顔を上げ、そのくりっとしたまなこがフロントガラスに映る。
座席に座ってまっすぐ前を見る少女の顔が、良く見える。さっきはわしの前方で浮いている少女が見えていたが、
どうやらわしの目はフロントガラスについているようだ。いや、もしかしたらフロントガラスになってしまったのかもしれない。
「あなたは町で何かしたいことがあるの?」
したいことか、そうだな、いつもしたいことがある者に動かしてもらう、ということばかりであったから、
いざ自分がすることは考えていなかった。これはしまった。しかし実のところ、
ただ久方ぶりに街に行きたいだけ、と言うのがわしの本音なのかも知れない。ただもちろん、はっきりした理由はある。
「人々のいる所、そこではきっとわしが待たれている。どうしても行かなくてはならない」
少女は目をまたたかせ、わしの顔と、ガラス越しのこの先の道を見ているようであった。
「お嬢さん、赤いリボンの美しいお嬢さん。いままで、そういったリボンをつけているものを見ることは少なかったが、
いや、正直言わせてもらおう。実に似合っていて愛らしい。帰ったらぜひそのリボンを広めてみたいものだ」
少女との旅路は素敵なものだ。何せ久しぶりに人を乗せたのだ。少女はわしが旅をすることを気に入っていないようだがね。
わしは黒煙と砂埃を上げて土の道に刻み跡を残しながら、少女はわしの座席で忙しく動きながら、
二人で人々の待つ街へと出かけるのだ。
「お嬢さん、思い出したのだが、道があるのに“この先には何も無い”とは妙なことではありませんか」
「たとえばまだ敷設中なのよ。だからどこにもつながってない」
今度はすぐに答えてきた。なるほど筋が立っている。しかしその理由では、どちらにしろ行かなければならない。
「敷設中。ならばなおのこと、わしが行かなくては」
とたんに少女は表情を曇らせる。棒でハンドルをこんこんと叩いた。
「あー、もう。どうすりゃ止まるのよ。このレバー? それとも足元にあるこれ?」
あれこれと体の中を弄り回される。昔、子供を乗せたときにこんなことがあったな。
懐かしんでいると、耳をつんざくような警笛の音が聞こえた。棒がハンドルの真ん中に当たったのだ。
鳴らした少女も驚いて座席にはりつくように反り返っている。
「あまり警笛を鳴らさないでくれ。喧嘩が起きてしまう」
注意を促すと、我に返った少女はまた忙しそうに、レバー等をあれこれと操作した。不思議なことだが、
今のわしはそういったシフトレバーやブレーキなどを動かされても関係なく、思い通りに走ることができるのだ。
「今現在、私はあなたと喧嘩してるのよ」
うんざりした様子で少女が答える。
「ええい、後退って書いてあるほうにレバーを倒したのに、何で戻らないのよ。
まずいわ、こんなにでっかい鉄の塊にぶつかられたら、里の木の柵や家じゃひとたまりも無い」
なんと、聞き違いでなければ木の家があるのか。倉庫に入れられる前、
最後の頃は化学建材のビルやマンションしか見ていなかった。まさかそんなものが見られるとは。ますます楽しみになってきた。
「紫、魔理沙、なんでこういうときに向いてる奴がいないのか」
ふと強い違和感のようなものを感じて少女を見ると、手から紙が飛び上がり、窓から出て行った。
「間に合うかしらね、いや、間に合っても寝ていたら駄目か。はぁ、あなたの思い通りになりそうよ」
少女は諦めたように座席に背を預ける。上を向いて、大口を開けて、ずいぶんとだらしない格好だ。
それからしばらく少女は動かなかった。話も途切れてしまい、少女も疲れているようであったので、
ただ気持ちのよい風を感じ、幻を見ているかのように真っ青な空を見上げる。
時折自身の立てる金属と排気の音の中で、甲高い鳥の鳴き声を聞いた。
「お嬢さん」
十分景色を堪能したので、黙っている少女が気になり声をかけてみた。返事は無い。
もうだいぶ進んだ。ますます何かの気配が近づくのを感じる。もちろん見当違いの可能性だってある。
だとしたら、一人でもなんとなく恥ずかしいのに、今は二人であるから、よりみっともなく耐え難いことであろう。
「お嬢さん、少し話でもしようじゃないか。あなたは誰かを待っていて、今は退屈なのでしょう」
うー、とうなり声が聞こえて、だらっと垂れるように前を向いた。あまり見られたものではないな。
「のんきなものね。里はこんなのんきなやつに襲撃されるのよ。
破滅への秒読みは誰も知らないところで進められるものなのね」
どうもこの少女は人の話を聞かないらしい。だがいいのだ。本来話というのは、ただ自分が言いたいから言うことのほうが多いもの。
「お嬢さん、わしはここに来る前はずっと倉庫にいた。そのずっと前は皆と毎日土砂にまみれて仕事をしておったのだ」
やはり予想通りだ。いかにも興味がないといった表情をしている。だが、どこかそんなところにも愛嬌を感じる。
少女は手首を返して、持った木の棒をくるりと回すと、それで頭をぼりぼりとかきはじめた。
「そりゃあ昔は活躍したもんだった。大きな建物の立つ土地をならしたり、ダムの予定地を整えたり。
だがいつしか、世で無限のエネルギーを取り出す方法が開発されてしまった。はは、素晴らしいことだ」
「お茶を飲んで、お賽銭がたっぷり入れば、無限のエネルギーが沸いてくるわ」
思わず顔がほころんでしまった。さすが、一味違う。そういえば、ずいぶん変わった格好だが、同じ国の人間なのであろうか。
もしかすると、ここは違う国の、全く異なる文化を持つ場所なのかもしれない。
「それはいいことだ」
にしても、あれはとても大きなニュースだった。今でも思い出す。まるで救世主が現れて、世界が丸ごと救われたようだった。
「……無限のエネルギーは多数の作業ロボットや超化学炸薬を作り出し、わしの出番はなくなってしまった」
街は明るいニュースであふれ、それまで非効率とされていた様々な技術が次々飛び出してきたのだ。
本当に毎日が光り輝き、また彼らの笑顔を見られることが嬉しかった。嬉しかったのだ。
「当然、仲間達――監督、腕の太い男、穴を掘るのが得意な他の重機たち――はそのうち、次々と仕事を失っていってしまった。
これから本当に未来は明るくなると、ただそう思っていたのに」
突然涙が出てきたような気がした。それは気のせいで、上空の小さな雲から、たまたま水滴が落ちただけかもしれなかった。
「その話、長くなりそう?」
どうやら少女はあまりそういった話は好みではないようだ。それもそうだ。
これからという小さな輝く少女に、こんな暗い話は似合わない。
「いや、この後はわしが倉庫に入っておわりだ」
わしの言葉を最後にしばらく場が静かになる。もちろんエンジンの音を除いて。少女は行く先をじっと見て、
口を結んで押し黙っていたが、とうとう我慢できなくなったように小さな運転席で立ち上がった。
「ええい、遅いわ。しょうがない、壊れるかもしれないけど、あと少し時間を稼がないと」
言うが早いかまた体の周りに何かを飛ばし始める。こんどは赤と白の、まがたまのような模様が描かれた玉だ。
「行きなさい!」
叫び声と共に、玉が窓から飛び出し、わしの両のキャタピラを送る転輪にぶつかった。激しくこすれる音がして、
ボールが離れない。
「どうしても行かせたくないのかね」
無愛想に眉根を寄せている。転輪は摩擦でどんどん熱くなっているようだ。だんだん不安になってきた。
いつだって懸命に仕事をしてきたが、無茶をしたことがないのだ。熱さと痛みに耐えて、それでも前へ進んで行く。
いつの間にか道の上に足跡のようなものが見えるようになった。気のせいではない、街に近付いているのだ。
「あなたこそ、どうしても止まってくれないの? このままじゃ、壊れちゃうかもしれないわよ」
確かに、心なしか転輪のぶれが大きくなっている気がする。もちろん強靭なキャタピラには問題はないが、
この先どうかはわからない。
「わしに乗る男もよく言ったのだ。汝盍ぞ其の道を行かざるや。未だ嘗て退きて歎ぜずんばあらざるなり。
将に力を以て進まんとす。須らく今からそいつを、これからそいつを殴りに行くべし。
わしは自分のしたいことと言いたいことが違う者にはなれない」
少女は真剣な表情をしていて、答えてはくれない。もしかしたらあの玉を飛ばすには集中がいるのかもしれない。
「ハイカラに言えばヒポクリットになりたくないと言うことだ」
「カバがなんだっていうのよ」
少女がまた新たな玉を飛ばす。手放すとき、少し惜しんでいるようだった。
「カバではない。しかしわざわざ短く言いたいからといって、南蛮渡来の言葉を使うこともないな。わしも良くそう思う。
広告などにあるのだ。イノヴェーティブな最新プロダクトは、ビビッドで多角的なビジョンを元にマーケティングを行った結果、
クリエイティブでユーザビリティに優れるドラスティックなパフォーマンスを得られあなたにコングラチュレーションズ。などと」
少女がうんざりしてきたようだ。そうだろう。わしもうんざりしてきた。
「言いたいことはわかるわ」
「こちらのほうでも広告はそんな感じかな」
「新聞なら取っているけど、そんな広告見たこと無い」
そうか、それはいいことだ。無意味な広告を眺めるような無駄なことは、この少女に似つかわしくない。
いくらか速度を落としたが、順調に進んでいる。体の熱さにも慣れてきたが、さっきより転輪に玉が当たる音が大きくなった。
「あなた丈夫ね。陰陽玉が壊れちゃいそうよ。ああ、用意するの手間がかかるのに」
ごりごり、ごりごりと大きな音が鳴る。本気で止めにかかってきたようだ。だがわしとてそう簡単には止まらない。
わしは治水だって基礎工事だってなんだってできる。それこそこの名の表す、強壮剤を飲ませた雄牛のように。
「はっ!」
少女がドアを開け、いつの間にか取り出していた針をキャタピラに投げつけた。なんと固いのだ。体が震える。
キャタピラに傷がついたが、しかし、走る分には問題はないだろう。何度もやられたらまずいかもしれない。
不意に、前方から人の声が聞こえる気がした。よく目をこらせば、道の先に茶色い横一文字の壁があるのが見える。
ごりごりと進んでいくと、どんどんその壁は大きくなっていった。
「いけない! ええい、絶対に止めてやる」
体の中で暴れだす少女。突き上げられるような衝撃が体のあちこちを襲った。困ったものだ。
しかし、あれだけこの茶色い街の事を隠そうとしていたのだ。彼女にも引くに引けない事情があるのだろう。
「痛い。壊れたらどうするんだ」
だが、こちらだって身を引くことはできない。この先にわしを必要とする人々がいるはずなのだ。
ある程度近付くと、茶色い壁の正体がわかった。上部をとがらせた木を立て並べてある砦柵なのだ。
なぜこんなところに。何かのテーマパークがあるのだろうか。明るい乾いた土の道が行き着く先は、畳を十枚並べたような幅の、
大きな木の門につながっていた。喜び勇んでさらに足を進めていくと、引きずるように門が開きだした。
隙間から向こうが見えたと思った瞬間、次々と人々が飛び出してくる。
「慧音!」
少女が叫んだ。門の前には少女と同じように変わった格好をした人々が、次々数を増しながら並んでいく。
こんなに多くの人に会えるのは久しぶりだ。しかし、どうも様子がおかしい。まあいい、わしはまたここで暮らしてゆけるのだ。
十分近付いたところでエンジンを止めた。
「止まった……」
少女が嘆く。やっと針を投げるのをやめてくれたか。よかった、もう少しでサボテンになるところであったかもしれない。
前を見れば人々はまるで朝礼に並ぶかのようだ。大勢の者たちがこちらに目を向けている。
「これはどうも。やあ、こんなに見られるのは初めてだ」
そこに並ぶ人は誰も、困難な現場でも力強く腕を振るうことができそうな、屈強な男だった。
ただ一人、先頭にわしと同じ牛のような貫禄を見せる女もいた。
「気恥ずかしいが、嬉しいことだ。どうかな、わしは前もあなた方と共に生きてきた。
そしてこれからもそうしたいと思っている。また大いに土を掘り返そうではないか」
エンジンの音も途絶えた今、場を静寂が支配した。もしかしたら何か気に触ることをしてしまったのであろうか。
やはり自己紹介を先にすべきであったか。もちろん、紹介できることは少ないが。
「ふう、間一髪。お話には良くあるわね。爆弾が爆発する一秒前とか、列車が衝突する寸前でとか」
少女が何か言ったが、わしにはよく聞こえなかった。それよりもっと気が引かれることがあったからだ。
なんと彼らが、次々に手に持った工具や農具――中には剣を持つものもいた――をいっせいにこちらに向けたのだ。
「ここで終わりよ。あなたは悪いタイプの鉄の塊ではなかった。けれど里に被害を出すわけにはいかないの」
理解できないことだった。だけれど確かに、彼らは敵意を向けてきているのだ。武器でも兵器でもないこのわしに。
「なんと、彼らはなぜおびえているのだ」
ほんの少し排土板をあげて、言葉をつむごうとするも、それによって彼らが後ずさり、ついに声は出なかった。
そして理解することができた。この美しい土地に拒絶されているのだと。勇ましく武器を携えるこの人間達は、
時代遅れの機械など必要としていないのだと。それがわかると、体から水が滴り落ちた。歳をとると涙もろくなる。
わしに乗る男はわしが倉庫に入る前、一度そう言ってうなだれていた。不思議なことだ、やはり機械でも涙もろくなるのだ。
古くなってラジエータから水が漏れたのかもしれない。それでもそれは、確かにわしの涙だ。泣いているうちに視界は曇ってきた。
エンジンオイルがあふれ、熱くなった体で蒸発し白煙となったのだ。それでもこの視界の曇りは、
人間と同じく、涙でにじんだ結果だ。
「……そうか、わしはここでも、必要ないのだな」
エンジンをもう一度動かした。静寂の中、大きな音が鳴り響いて、彼らが身構えるのがわかった。少女は仏頂面になって動かない。
心を落ち着かせてやるために、警笛を軽く鳴らしてみた。皆の表情がこわばる。逆効果だったようだ。
方向を変えるべくギアを合わせる。傷ついてもしっかりと動くキャタピラは、最後まで実に頼もしい。
「お騒がせしたね」
小さく回ってそのまま来た道を戻る。さっきまでの静けさと比べると、やはりこの体の立てる音はずいぶんと大きいのだ。
踏みならした土は、見れば綺麗に二本の線となってどこまでも続いていた。少女はあいもかわらず無表情で無言で、
門の見えないところまで走ったら、長い時間が過ぎた気がした。わしはなにか決まりが悪いような感じがして、
そのまま左に道をはずれ、草花の生える緑のじゅうたんの上を進んだ。少し行くと杉の立ち並ぶ林となった。
そして、一本の大きな杉の木の前で止まる。大して街から離れてはいないが、まあ、いいだろう。ここは街の外なのだ。
「お嬢さん、悪かったな。君の話を聞かなかった」
少女は仏頂面を少しくずし、首を小さく左右に振った。
「ここで休むことにするよ」
頭の後ろで手を組んで、ただ目の前の杉林を見やっている。わしはギアを外し、火を止めた。
「なあに、前まではずっとそうだったし、素敵な景色が見られて今は満足しているんだ」
つまらなそうな顔をしている。もうちょっと美しい声を聞きたかったのだが、なかなかうまくいかないものだ。
「わしに文字を彫ってくれないか。相棒は腕に文字を彫っていてね」
彼の横顔と、腕の文字を思い出した。懐かしい。複雑な書体で、ついに意味を聞くことはできなかった。
「それが好きだった。本人は後悔していると言っていたが」
「どんな文字がいいの?」
そうだな、文字の意味は大事だ。できることなら納得行くものを彫ってもらいたい。
少し考えて、昔聞いた言葉を参考に、即興で文字を組み合わせた。
「うーん、たとえばこれはどうだろう。体は鋼でできていた、血潮は油で、心は気筒。ただの一度も故障はなく、
ただの一度も誤操作されない。仲間達と常に共に、砂利の丘にて完遂に酔う。ゆえに生涯に宝珠あり。
この体はきっと鋼の絆でできていた」
少女がうんざりしてきたようだ。そうだろう。わしも上出来とは思えなかった。
「長い上にくさいわ」
「そうだな、長いのは良くない」
なにかよい言葉が浮かんでいれば、と思って空を見上げる。すると目の前に、幾度も苦楽を共にした仲間達が現れては消えていった。
ははあ、これがいわゆる走馬灯と言うものか。珍しい体験をするものだ。ああ、素敵な体験だ。
しばし、目の前のうつりかわる顔ぶれを見送るうち、一つの思いがわしに宿った。
「決まった」
「そう……どんなの?」
もう覚えている者のほとんどが、現れ、そして消えた。さみしいものだ。こうして彼らを覚えているわしがさびて朽ちれば、
彼らも、わしも、いなかったも同然ではないか。もし世界がなくなれば、破片も墓も残らない。まるではじめからいなかったように。
どうにも胸が苦しく、切ないことではないか。しかしそれでも、わしは彼らといられたことが嬉しかった。
それは無意味ではなかった。人間と言うのは素晴らしいものだった。少なくともわしにとっては。だからその冥福を祈りたい。
そしてあの門を守ろうとしていた人々もまた、勇猛果敢にこんな鉄の塊に対峙したのだ。その未来を祝福したい。
並べる文字は決まった。
「友に幸あれ」
少女は目をつぶってそれを聞いた。反芻しているようであった。
「そう、いいんじゃない」
目をつぶったまま答えた。興味が無いようでもあったし、少し笑ったような気もした。
「それじゃ、綺麗に彫れる人か、道具を探してくるわ」
「あと」
自分でも少しおかしいが、言わずにはいられなかった。
「このナンバープレートの記号と番号を控えてくれ。もしこの番号の重機を訪ねる人が来たら、すまないが案内してくれないか」
言ってからやはり笑ってしまった。
「わかったわ」
そう言って少女はドアを開け、座席から飛び去って行った。体のどこか動かせるところは無いか探したが、
すでに全く動かなくなっていた。しかし、心残りは無い。
「ははは」
杉林に笑い声が吸い込まれるのであった。
「おお、でっかい機械だね。持って帰っちゃダメなの? 修理してみたいよ」
「あなたに頼んだのは文字を彫ることだけよ」
「ちぇ。でも、霊夢はこんな道具のことも考えてあげるんだね」
「まさか、そんなことしないわ」
「おちょこや座布団の気持ちを考えていたら、お酒も飲めないじゃない」
幻想入りへの道程:最終話後編 紅(あか)き巫女 II
~ザ・ブルドーザ~
完
この話、大好きです。素晴らしい。実に面白かった。
ブルドーザー…(`;ω;´)
いざ読んでみれば、とても面白かったです!
面白かったです。好きですよ、こういうの!
じんと心にくる、とても良いお話でした。
小さい頃に、色んな乗り物の図鑑を見て心躍らせていた時を思い出しました。
シャーペンの語源が社名のシャープだって初めて
知りましたw
とか思ったらこれは騙されたw
短編でこれだけいけるなら、この先も期待。
素晴らしかったです。面白かったです。
しかしスプリンクラーも不運な奴よ。ゆうかりんランドに行ければ幸せになれたかもしれないものを。
シャーペンは何で来た……ああ、シャープか……。
幻想郷にも馴染めなかった奴は、ブルドーザーみたいな安楽隠居をするのかな。
鼻頭にぶわっと来るな。
面白かったです。
礼儀なんていずれ身につく。たまたまその少し前に会っただけだ。という言葉がとても気に入りました。そんな風に思える大人に自分もなりたいです。
それにしても最後のブルドーザーは良かったです
この点はブルドーザーのナンバーに添えてくれ
実際の内容は、笑いあり涙ありで、文章もしっかり纏まった素晴らしい作品でした。
その意外性に、満点を。
そして最後は何気にいい話。
幻想入りも捨てたもんじゃないですね。
万人受けするかってーとそうじゃないだろうけど、自分はこういうの
大好物です
タイトル読みしてたら絶対に避けてたと思います。全部読んでてよかった。