尾を引く水星が、紅の閃光と交差する。応ずる槍、交わる剣。数瞬数回の剣戟の後、二つの閃光は飛び退り距離を置いた。
後を追って伝わる衝撃波が、月夜を切り取る窓のガラスを砕いて走り去る。
彗星はくるりと体をひねって着地し、僅かに滑って慣性を逃がした。やはりまだ、一杯一杯だ。
加速のために昇華させた翼が再び凍結するのを確かめると、迫る追撃をかわしてその勢いで氷の剣を相手に叩きつけた。
――強く!
だが、確かに相手を捕らえたと思ったその氷の剣は、紅の槍の石突き(穂先の反対・槍の尖っていないほうのこと)にがっしと受け止められていた。もう片手に持った小太刀で追撃を繰り出す間もなく、槍の穂先がそれを弾きあげ、同時に初撃の剣を押し返す。
両の剣が弾き上げられがら空きとなった防御。逆さに持ち変えた槍の石突きが残像を引いて妖精の鳩尾を打ち据えた。もろに入り込んだ衝撃が腹の中で暴れ周り、妖精は意識を手放しそうになる。
破壊された臓腑から遡る血の味。
――もっと強く!!
激しく転地が逆転し、次の瞬間には埃っぽい床に倒れこんでいた。腹が熱を持って痛みを訴え、体中を駆け巡る危険信号にびくりと手足がすくむ。だが、ここで痛みに負ければ間違いなく一回休みだ。
うるさい。奥歯を噛み締め全身を巡る痛みを噛み殺すと、妖精は地面に手をつき咄嗟に氷の柱を作り出した。
集まった冷気が鋭利な氷筍を生み、駆ける。それぞれが全て、相手を迎え撃つ鋭利な牙となって。
だが、迫る紅蓮の閃光はそれを破砕し突き進んだ。鋭く尖ったその牙は、さらに凶暴な紅の槍に喰らわれあっという間に砕けて融解してしまった。ブレーキにしたって、まるで効き目が無い。
やはり小手先の弾幕など通用しないか。
起こした体をもう一度倒し、相手の突進をかわす。鼻先を紙一重で通り抜けた、即死級の攻撃判定に頬がそそけ立つのがよくわかった。しかし怯まない、怯めない。
咄嗟に蹴上げた足が、相手を捕らえる手応え。霞み行く意識の中で、足の先に精一杯の力を込めて繰り出す蹴り。次いで、轟音。相手は壁にぶつかったらしい。
――誰よりも強くなりたい……!!
跳ね起き、そして背中の羽に力を。空気中から光の粒子が集まり、そして3対の羽が激しく光り輝く。弓を引き絞るように、力を溜めて。
そして一瞬の刹那にそれを全て開放する。昇華。轟という爆風を巻き起こし、氷から高温高圧の気体へと変えた翼が、命が、信じられない加速を生んだ。
音を振り切り、激しく輝く光の尾を長く引いて。再び彗星となって彼女は飛ぶ。
この一撃で終わらせる!! 自分にとっても必滅の必殺。これを外せば次は無い!!
壁に埋もれる相手は、まだ動く気配を見せない。これなら当たる!!
だが、高速に狭まる視界の中で妖精の少女は見た。コマ落ちしたフィルムのような、認識の限界を超えた映像の中で、悪魔の少女が不気味に微笑む様を。
「……っ!!」
ぎりぎりの距離でくるりと背中を向けてエネルギーを逆噴射した。その背中に熱い光が突きつけられているのが判る。
判断が後一瞬遅ければ、この槍に自ら貫かれに行くことと相成っただろう。
いや、この槍はまだ尺を残している。相手はその気になればいつでも妖精の背中を、その心臓を貫くことができるはずだ。
「私の勝ちね」
紅の悪魔の勝ち誇った声が背中越しに聞こえる。
それに答えようとして、妖精の少女はガハゴホと咳き込み膝を折った。
悔しさで一文字に結んだ唇の端からツゥと紅いものが流れ落ちる。
「あの刹那の判断能力、素晴らしいじゃない。後もう少しね」
「げほっ、げほげほっ……けど負けた」
「私にダメージを与えただけでも十分すぎるわ」
――けれど、それではダメなのだ。
強敵の、悪魔の少女の手を借りて妖精の少女はふらふらと立ち上がった。
――アタイは最強でなければいけない。全部背負って立てるほどに!
⑨
妖精の少女、チルノが紅魔館に入門したのはごく最近のことであった。文字通り、門が開いていたので入門は簡単であった。門番がいたような気がしなくも無いが、あれは置物なんじゃないかと思う。
「あなたが他人に教えを請うとはね……」
その館の主、レミリア・スカーレットは目を丸くした。別に暇ではあったし、最近興じていたビリヤードにも飽き始めていた頃であった。
それに、涙ながらに強くなりたいと頼み込む彼女を拒むのは忍びないと思ったのもある。
「一体何があったのかしら」
レミリアは、十六夜咲夜が連れて来たその妖精の少女にそのわけを聞こうと思った。
妖精の足りない語彙で、それも酷く泣きながら語られるその内容。当然うまく纏まっておらず、咲夜と二人で話を整理しながら聞き込んでようやっと概要がつかめた。
実に簡単な話だった。
「最近人間が森の木を伐採し始めていて、それでその木に依存していた妖精達が次々と消滅している、と。けれど私たち妖精の力は人間たちに遠く及ばず、どうすることも出来ない。けれどもうこれ以上仲間を失うのは嫌だから、強くなりたい。そういうことでいいのかしら?」
「うん……」
チルノ程度の実力があれば里の人間くらい簡単に倒せるだろう。とも思ったのだが、よく考えればそうでもない。
妖精たちは何の纏まりも無い、いわば烏合の衆。
それに対して人間たちには知恵と知識、強力な連携がある。それに、妖怪から身を護って里を作れる実力は確かだ。里の人間たちとて無力ではない。中には妖しげな妖仙術や魔術の類を操れる者も多い。
そんなものが纏まって襲い掛かってくれば、なるほど今のチルノでは歯が立たないのも頷ける。どんなに訓練を積まれた軍人だって、リンチされればそれで終わりなのと一緒だ。
「今までサイキョーサイキョーとは言っていたけれど、ここに来て大事なものを何一つ護れなかった自分の弱さが嫌になった……か」
かちゃり。上品な金縁の茶器をサイドテーブルに置き、紅魔館の主はその玉座から立ち上がった。
「強くなるって言うのは、こと最強になるって言うのはとても辛いことよ? それでも?」
やや見下すような視線に、品定めされているのをチルノは感じた。そんな視線に答えるように、あるいは反骨するように。迷い無く、よどみなく、チルノはレミリアを見つめ返す。
そんなチルノの意思を読み取ったか、レミリアは目を細めてその続きを語った。
「最強というのは、つまりは最後の切り札になる。それはとても辛いこと。仲間に先立たれても、自分だけは戦い抜かなければならない。最後の一枚には、全ての責がのしかかってくる」
凛と通る声が、暗く静かな部屋の中に硬く響く。その響きは、紅魔館の主たる彼女の口をもってして語られるからこそ、もたれるような重さがあった。
「そう、それは丁度このナインボールのようにね」
彼女は先ほどまで興じていたビリヤードの球を拾い上げ、くるりと回してチルノにその数字が見えるように差し出す。そのボールには⑨の文字。
「あなたにルールを説明しても判らないだろうから割愛するけど、このゲームはその⑨を落としたほうが勝ち。⑨はゲームの全てを背負って、盤の上をただ一人転がるの。それはそれは辛いことでしょうよ」
レミリアはその球をチルノに投げて寄越した。
「あなたにはある? たった一人になっても戦い抜く覚悟が。その責を一人で背負う覚悟が」
受け取るなり、チルノはそのボールを食い入るような目で見つめ。
「アタイはこのナインボールみたいになりたい」
妖精の少女は、そう言ってのけた。
⑨
初日は、最初の一撃すらかわせなかった。紅蓮の槍に貫かれ、開始1秒も持たずに一回休み。
間違いなく、チルノは弱かった。
妖精の中では確かに強いのかもしれないが、それでも無敵結界を暫く維持できる妖精がいたりすることを考えると最強とは言い難い。
しかし、チルノはその一回で懲りなかった。
次の日も、その次の日もレミリアの槍に貫かれ続け、気がつけば数秒は持つようになっている。
最初は適当に相手してやろうと考えていたレミリアだが、そんな彼女の姿勢を見ているうちに考え方を変えざるを得なくなった。
何度倒しても倒しても倒しても、この少女は起き上がってくる。その闘志に、そして強さへの執念に……感服したとまでは行かずとも、何か感じ入るものがあったらしいのは確かで。
我武者羅であったチルノの戦い方に、次第に助言を添えるようになっていた。
チルノはレミリアだけでなく、紅魔館のほかの面々にも教えを請う。メイドから武器の使い方を教わり、魔女から物質の三態について学び、そして置物だと思っていた門番から体術を盗み。
そうして今日、ようやっとレミリアに一撃をくれてやることが出来たのであった。
「あなたは間違いなく強くなっている。十分じゃない」
不満そうな顔でむすっと膨れるチルノに、レミリアはお茶を出して言う。
「あそこで一拍おいて氷の剣を出してたら引き分けにはなってた……たぶん。だからすっごく悔しい」
「そうね。危なかったと思うわ。勝利を前にして焦らないこと。今日の反省はそこね。
あと、あの羽を蒸発させて推力を得るあの移動は、もう少し小刻みに出せるようになれば強いと思うわ。相手の攻撃を空中で回避して、さらに加速、後ろを取って攻撃……みたいな。名づけてクイックブースト!」
「う~ん、次はやってみる。くいっくぶーすと、ね」
チルノは羽をパタパタやって答えた。何度も昇華と凝固を繰り返しているため今日はもうぼろぼろだ。
暫くティータイムを楽しみつつ、今日の戦いについてのフィードバック。
それが済んだら図書館に向かうのだと、チルノは言った。これからパチュリーのところで勉強をするのだそうだ。
「ふふ……馬鹿と天才は紙一重」
そんな彼女を見送ってレミリアは一人呟く。
たった3週間ほどで、信じられない成長だった。なんでも吸収し、自分のものにしてしまう。かと思えばその技術や考えを応用して自分オリジナルの技を作り出す。
与えれば与えるほどに育ち、磨けば磨いただけ光る。今となっては彼女を育てることがレミリアの、ひいては紅魔館の皆の楽しみになっていた。
それもこれも、チルノ自身のたゆまぬ努力の成果であることは言うまでも無い。
「あなたは天才だよ。努力の天才。その点において間違いなく最強だろうね」
何が彼女をここまで急き立て努力させるのか。それは目に見えて明白だった。
これから護らなくてはいけないものたち。あるいは彼女が護れなかった、今はもういない者たちがその小さな背中に圧し掛かっているのだ。
ナインボール。全ての責を追った少女の背中はとても小さく、けれどとても強く見えた。
⑨
この前までとは全く違った戦法だった。
今までは地面を蹴って加速を生むことで相手の隙に飛び込む戦法。しかし今のチルノは空中でも、まるで見えない壁を蹴るかのように加速を得ることが出来ている。
数日前にレミリアが提案したクイックブーストなるものを、パチュリーと一緒に考えて実用化したのだった。
幾重にも張り巡らされた運命の赤い鎖を複雑な挙動で、それも信じられない速度で潜り抜けてレミリアに肉薄する。その鎖の一つ一つが触れれば肉を引き裂く凶器であるというのに、彼女の動きに淀みは無い。
応じて弾を撃ち込めば、その弾が捕らえたのはチルノの残像。見違えるようなスピードアップに、思わず目を見張る。
そのブーストの瞬間は吸血鬼の目を以ってやっと捉えられるほどのものだった。それでも油断すれば光の軌跡だけが見えて、気がついた時には見失っている。
――生半可な弾幕は通用しないか。
レミリアは唇の端を吊り上げて笑う。愉しい。これは難敵だ。
紅蓮の槍を構え、そして亜音速で繰り出された剣戟を受け止めた。摩擦に飛び散る激しい火花。それに一瞬照らし出された妖精の鬼気迫る顔に、レミリアは一種の畏れすら抱いた。
これは練習試合。だけれど、その表情から伝わってくるのは強さへの渇望と、全力の本気。
けれど何、焦る事は無い。チルノは二刀流、だがこちらは槍。槍と剣であれば、圧倒的に槍の方が有利に立ち回れる。
穂で受け止めた一撃を跳ね返し、左手の小太刀の攻撃を石突きで叩き落とす。ワンアクションで相手の2撃を押さえ、けん制する。
だがこれはチルノの予想の範疇だったらしい。反転して突き出された石突きに氷の剣を上から噛ませる様に打ち合わせたのだ。
両者の動きがぴたりと止まる一時的な拮抗。ここから相手に穂先を向けなおすには一度相手に背を向けなくてはいけない。
それでもレミリアは冷静だった。半歩間合いを空けて相手の剣のリーチから逃れると、一瞬チルノに背を向けてくるりと回る。
槍ならではの戦術、舞い。この舞を隙と見て踏み込めば、持ち上げられた穂先が相手の首を切り落とす。
もちろんチルノも先の何戦かで実際に首を落とされて学習しているのか、踏み込みはせず冷静に距離をとった。
チルノとしては槍に対して短剣であるためなんとかインファイトに持ち込みたい。そのために今までは地上という平面に縛られ、そこでしか加速を生むことは出来なかった。けれど今は空中で自由自在に機動することが出来る。
それが、彼女の得たクイックブーストの力。
「だがそれにも弱点はある!!」
レミリアは槍を長く持ち換え、そしてチルノのいる空間を真横に一閃した。紅の閃光となった刃が……空を掻く。チルノはその羽を僅かに昇華させ、残された光だけが切り裂かれていた。
だがこれでいい。
上に跳んだ彼女を追って穂先が紅蓮のリボンを描く。空気を裂いて襲い掛かる槍は、ブゥンブゥンと不気味な音を立てて連撃を繰り出した。
その度にチルノは翼を少しずつ昇華させてそれを見事にかわすのだが、レミリアの狙いはまさにそこにあった。
所詮は固形燃料をつかったロケットに過ぎない。もちろんそれはチルノの能力を基にしているのだからすぐにでも回復するだろうが、その暇もなく連続攻撃を仕掛けてやればいい。ゲーム的に言うなれば、ブーストゲージを削りにいったのだ。
それが尽きるまでそう時間は掛からなかった。もちろんチルノ自身もその限界を把握しているため、最後の一回で距離を置いて床へと離脱する。
もらったな。レミリアはほくそ笑んだ。この状態なら、弾幕も普通に当たるだろう。
「これでオシマイっ!! ――神槍「スピア・ザ・グングニル」――発動!」
槍、というよりはもはや隕石だったと思う。紅蓮の尾を引いて落下する赤い彗星が、ブーストを使い切ったチルノへ迫った。
あの様子では回避など到底不可能。
⑨
――あぁ。アタイ、負けるんだ。
いつもと同じように、跡形も無く蒸発して一回休み。今日も勝てなかったなぁ。
まるで壊れたビデオをスロー再生するように、カクカクと時を刻む視界。こんな状況になっても、体は助かろうとして策を探っているんだろうな、とチルノは思う。
けれど心がついてこない。圧倒的な攻撃の前に、諦めているのだ。だって負けたってちょっと痛いだけだし。
――あ~、一回休みか。残念だなぁ。
残念……。いや違う。これは、なんだろう。諦めたはずの心に、なんだか別の感情が浮かび上がってくる。
――いい? 武器を握るときは逆手と順手があって、同じ武器を持ってもそれぞれ全く役割が変わってくるの。
走馬灯のように思い出されるのはメイド長、咲夜の声。彼女のおかげで、武器の持ち方、そして戦うために有効な武器の形を知った。
――物質には気体、液体、固体の三態がある。あとプラズマなんてのもあるわね。これは熱によって分子の状態が変わるからであって、つまり熱の移動を自在に行えるあなたは本来この全てを操れるはずなのよ。
これは魔女、パチュリーの授業だ。結局アレはよくわからなかったけど、わからないなりにとりあえず使えるようにはなったかな。
――ああああああ咲夜さんごめんなさいごめんなさい!! 寝てません、寝てませんってば!!
門番はよく居眠りをしてメイド長に怒られていたっけ。けれどあのときのナイフのかわし方は目を見張るものがあったな。
そんなことを本当に僅かな時間で、きっと並列して考えたんじゃないかと思う。みんなみんな、アタイのために随分といろいろ教えてくれた。
それなのに負けるのか。アタイは。
負けていいのか?
――負けたくない!!
咲夜もパチュリーも門番も、いつか私が勝てると信じていろいろ教えてくれたんじゃないか!
頑張れって背中を押してくれたんじゃないか!!
――アタイは負けられない!! だってアタイは彼女達のナインボールなんだから!!
⑨
「やったか……!?」
やった、絶対やった。そう思った。
しかし、その紅の爆発が収まった後には。
蒸気となって雲散霧消しているはずのチルノの姿があった。
「なっ!? 馬鹿な!!」
チルノは自らの体の数倍はありそうな槍を、その両手ではっしと受け止めていたのだ。
あれは……白刃取り!! いつも居眠りをしている門番が咲夜のナイフを受け止めている技術ではないか!!
だがアレを受け止めれば、彼女の手だって無事では済まない。おそらく剣を持つことは出来ないだろう。
「ふっ……見事!! だが勝った!!」
手が使えなければ、武器が無ければ。チルノの弾幕など恐るるに足らず!! 丸腰となったチルノにレミリアが迫る。
しかしその進行を妨害するものがあった。どこから取り出したか知らないが、チルノが小さな小瓶を蹴り上げたのである。
――こんなものが時間稼ぎになるとでも思ったのか!
「邪魔よ!!」
レミリアは自身に向かって飛んできたそれを払うような裏拳で破砕した。と、その瞬間。まずは耳が異変を捉える。
圧倒的に増加した圧力。それに気づいたときには、空中にあったレミリアの華奢な体は空気の壁に押しやられて吹き飛ばされていた。
視界の端に咲き誇る紅蓮の炎の、盛大な花火。
「アレは液体水素か何かか……! パチェの入れ知恵かっ!!」
酷い爆発だった。それを発火させたのはレミリアの強すぎる裏拳であったから、自業自得ではあったが。
けれどレミリアは吹き飛ばされただけだ。まだまだ、勝敗に関わるほどの痛手は受けていない。
はずだった。
爆風を切り裂いて飛んできたのは、氷で出来た投擲ナイフ。咲夜の使うそれを真似たものだ。
「何故あの手で、あの焼け爛れた手でこれを!!」
もう指一本すら動かせないはずなのに。
だがそもそも、ナイフを投げる際に指が動く必要が無いことを彼女は失念していた。棒状のものを投擲する際、手の役割は擲弾筒になるのだ。つまり、軽くでも握れればそれでいい。それを飛ばすのは遠心力だ。もしかすると氷で即席の擲弾筒を作り上げたのかもしれない。
氷のナイフがレミリアの羽を貫き、そして壁へと止めつける。
「見事……だがその手で止めなんて刺せないでしょう? 刺せないよね、刺せないって言って」
絶対零度の氷のナイフがレミリアを壁に凍りつかせる。吸血鬼の馬鹿力を出そうにも血液が凍っていて一切の力が出せない。
「うん、手ではムリ」
そんな声が水蒸気の向こうから聞こえ、レミリアはほっと胸を撫で下ろした。だが、ここで気を抜いたのがいけなかった。
蒸気を裂いて、迫る彗星。チルノの渾身の頭突きがレミリアの頭に炸裂したのだ。
頭の中で火花が散り、いくつも新しい星々が生まれる。その中にひときわ眩しい彗星の姿を確かめると、レミリアは意識を手放した。
「アタイ……かっ……」
た。言い終えるかどうかの間際で、チルノの脳にも遅れて衝撃が伝わり、レミリアを追うようにして彼女の意識も闇に解けた。
⑨
「イタイ!」
目覚めての第一声はそれであった。
「あら、お目覚め?」
レミリアの声。どうやら彼女のほうが先に起きていたようだ。さすが吸血鬼、安定の不死身っぷりだ。
そして、体のそこかしこが痛む。戦っているときには気にしていられなかったけれど、こうしてみるとあちこち傷だらけなんだろう。布団に隠れて見えないけれど。
「一回休みにはならなかったんだ」
「あなたの石頭は私のより頑丈だからね」
ふぅん、とチルノは唸る。どうせならその後にでも殺して一回休みにしてくれたほうが楽なんだけど。きっとレミリアなりに相手を気遣った結果なんだろうなと思うことにした。
「見事だったわ。予想外。悪く言えば初見殺しだけど、戦なんてそんなものでいい」
「アタイの力じゃない」
「それでいいじゃない」
「うん」
レミリアとチルノは暫しの間沈黙した。
ついに超えた。超えられてしまった。やり切った感じと終わってしまった感じが同時にあるのだと思う。
「あのさ、アタイ思うんだ。あなたはナインボールを孤独だといったけど」
沈黙を破ったのはチルノの方であった。
「たった一人全てを背負って戦うのが最強な者に課せられた使命なんだっていうけどさ。ナインボールは一人でも一人じゃない」
「面白いことを言うのね」
「だってそうじゃない。アタイは一人じゃ勝てないよ。皆がいろいろ教えてくれてそれで初めて勝てた。
うぅん、それだけじゃないな。
確かに戦場にはメイド長も門番も魔女もいないけど、彼女達のアタイに勝って欲しいって心は確かにアタイと一緒にあったよ」
「それは、この状況ならね。けど、咲夜やパチェや門番でなくて、あなたを置いて逝ってしまった仲間達でもあなたに力を与えてくれると? あなたが負ければ、その仲間たちの散った意味すら無くなってしまうほどの責を彼女らは背負わせるのよ?」
「あんまり難しいことは判らない。でも全部背負うってことは……確かに辛いこともあるけどそんなに悪いことじゃない。そう思った」
ふ……とレミリアは笑みをこぼす。やっぱり、こいつは馬鹿だ。背負った責の重さよりも、背負えることの喜びのほうが大きく見えるらしい。
そしてそんなチルノのことが少しうらやましくもあった。
「だからアタイはこれからも全部背負っていきたい。ナインボールであり続けたい。もう、それが出来てもいいくらいにはなったと思うんだ」
「そうね。頑張りなさい。あなたは免許皆伝よ」
⑨
明くる日、人間の里の近くの伐木場に少女はいた。仲間の屍のように、切り倒された木々が転がる荒れきった広場に。
この戦場を、その結果を全て背負う覚悟が彼女にはあった。先に逝ってしまった者たちの想いも、それを護りきれなかった自分の弱さも全部。
やがて、妖精出現の報を受けて人間の討伐部隊がやってくる。仏具神具をじゃらじゃら言わせ、大層神聖らしい経文や詞を高く詠み。
「待ちわびたよ、人間。ここの木切りたきゃアタイを倒してからにしな」
抜刀、構え。
幻想郷最強の妖精――
――ナインボール、チルノ。いざ参る。
後を追って伝わる衝撃波が、月夜を切り取る窓のガラスを砕いて走り去る。
彗星はくるりと体をひねって着地し、僅かに滑って慣性を逃がした。やはりまだ、一杯一杯だ。
加速のために昇華させた翼が再び凍結するのを確かめると、迫る追撃をかわしてその勢いで氷の剣を相手に叩きつけた。
――強く!
だが、確かに相手を捕らえたと思ったその氷の剣は、紅の槍の石突き(穂先の反対・槍の尖っていないほうのこと)にがっしと受け止められていた。もう片手に持った小太刀で追撃を繰り出す間もなく、槍の穂先がそれを弾きあげ、同時に初撃の剣を押し返す。
両の剣が弾き上げられがら空きとなった防御。逆さに持ち変えた槍の石突きが残像を引いて妖精の鳩尾を打ち据えた。もろに入り込んだ衝撃が腹の中で暴れ周り、妖精は意識を手放しそうになる。
破壊された臓腑から遡る血の味。
――もっと強く!!
激しく転地が逆転し、次の瞬間には埃っぽい床に倒れこんでいた。腹が熱を持って痛みを訴え、体中を駆け巡る危険信号にびくりと手足がすくむ。だが、ここで痛みに負ければ間違いなく一回休みだ。
うるさい。奥歯を噛み締め全身を巡る痛みを噛み殺すと、妖精は地面に手をつき咄嗟に氷の柱を作り出した。
集まった冷気が鋭利な氷筍を生み、駆ける。それぞれが全て、相手を迎え撃つ鋭利な牙となって。
だが、迫る紅蓮の閃光はそれを破砕し突き進んだ。鋭く尖ったその牙は、さらに凶暴な紅の槍に喰らわれあっという間に砕けて融解してしまった。ブレーキにしたって、まるで効き目が無い。
やはり小手先の弾幕など通用しないか。
起こした体をもう一度倒し、相手の突進をかわす。鼻先を紙一重で通り抜けた、即死級の攻撃判定に頬がそそけ立つのがよくわかった。しかし怯まない、怯めない。
咄嗟に蹴上げた足が、相手を捕らえる手応え。霞み行く意識の中で、足の先に精一杯の力を込めて繰り出す蹴り。次いで、轟音。相手は壁にぶつかったらしい。
――誰よりも強くなりたい……!!
跳ね起き、そして背中の羽に力を。空気中から光の粒子が集まり、そして3対の羽が激しく光り輝く。弓を引き絞るように、力を溜めて。
そして一瞬の刹那にそれを全て開放する。昇華。轟という爆風を巻き起こし、氷から高温高圧の気体へと変えた翼が、命が、信じられない加速を生んだ。
音を振り切り、激しく輝く光の尾を長く引いて。再び彗星となって彼女は飛ぶ。
この一撃で終わらせる!! 自分にとっても必滅の必殺。これを外せば次は無い!!
壁に埋もれる相手は、まだ動く気配を見せない。これなら当たる!!
だが、高速に狭まる視界の中で妖精の少女は見た。コマ落ちしたフィルムのような、認識の限界を超えた映像の中で、悪魔の少女が不気味に微笑む様を。
「……っ!!」
ぎりぎりの距離でくるりと背中を向けてエネルギーを逆噴射した。その背中に熱い光が突きつけられているのが判る。
判断が後一瞬遅ければ、この槍に自ら貫かれに行くことと相成っただろう。
いや、この槍はまだ尺を残している。相手はその気になればいつでも妖精の背中を、その心臓を貫くことができるはずだ。
「私の勝ちね」
紅の悪魔の勝ち誇った声が背中越しに聞こえる。
それに答えようとして、妖精の少女はガハゴホと咳き込み膝を折った。
悔しさで一文字に結んだ唇の端からツゥと紅いものが流れ落ちる。
「あの刹那の判断能力、素晴らしいじゃない。後もう少しね」
「げほっ、げほげほっ……けど負けた」
「私にダメージを与えただけでも十分すぎるわ」
――けれど、それではダメなのだ。
強敵の、悪魔の少女の手を借りて妖精の少女はふらふらと立ち上がった。
――アタイは最強でなければいけない。全部背負って立てるほどに!
⑨
妖精の少女、チルノが紅魔館に入門したのはごく最近のことであった。文字通り、門が開いていたので入門は簡単であった。門番がいたような気がしなくも無いが、あれは置物なんじゃないかと思う。
「あなたが他人に教えを請うとはね……」
その館の主、レミリア・スカーレットは目を丸くした。別に暇ではあったし、最近興じていたビリヤードにも飽き始めていた頃であった。
それに、涙ながらに強くなりたいと頼み込む彼女を拒むのは忍びないと思ったのもある。
「一体何があったのかしら」
レミリアは、十六夜咲夜が連れて来たその妖精の少女にそのわけを聞こうと思った。
妖精の足りない語彙で、それも酷く泣きながら語られるその内容。当然うまく纏まっておらず、咲夜と二人で話を整理しながら聞き込んでようやっと概要がつかめた。
実に簡単な話だった。
「最近人間が森の木を伐採し始めていて、それでその木に依存していた妖精達が次々と消滅している、と。けれど私たち妖精の力は人間たちに遠く及ばず、どうすることも出来ない。けれどもうこれ以上仲間を失うのは嫌だから、強くなりたい。そういうことでいいのかしら?」
「うん……」
チルノ程度の実力があれば里の人間くらい簡単に倒せるだろう。とも思ったのだが、よく考えればそうでもない。
妖精たちは何の纏まりも無い、いわば烏合の衆。
それに対して人間たちには知恵と知識、強力な連携がある。それに、妖怪から身を護って里を作れる実力は確かだ。里の人間たちとて無力ではない。中には妖しげな妖仙術や魔術の類を操れる者も多い。
そんなものが纏まって襲い掛かってくれば、なるほど今のチルノでは歯が立たないのも頷ける。どんなに訓練を積まれた軍人だって、リンチされればそれで終わりなのと一緒だ。
「今までサイキョーサイキョーとは言っていたけれど、ここに来て大事なものを何一つ護れなかった自分の弱さが嫌になった……か」
かちゃり。上品な金縁の茶器をサイドテーブルに置き、紅魔館の主はその玉座から立ち上がった。
「強くなるって言うのは、こと最強になるって言うのはとても辛いことよ? それでも?」
やや見下すような視線に、品定めされているのをチルノは感じた。そんな視線に答えるように、あるいは反骨するように。迷い無く、よどみなく、チルノはレミリアを見つめ返す。
そんなチルノの意思を読み取ったか、レミリアは目を細めてその続きを語った。
「最強というのは、つまりは最後の切り札になる。それはとても辛いこと。仲間に先立たれても、自分だけは戦い抜かなければならない。最後の一枚には、全ての責がのしかかってくる」
凛と通る声が、暗く静かな部屋の中に硬く響く。その響きは、紅魔館の主たる彼女の口をもってして語られるからこそ、もたれるような重さがあった。
「そう、それは丁度このナインボールのようにね」
彼女は先ほどまで興じていたビリヤードの球を拾い上げ、くるりと回してチルノにその数字が見えるように差し出す。そのボールには⑨の文字。
「あなたにルールを説明しても判らないだろうから割愛するけど、このゲームはその⑨を落としたほうが勝ち。⑨はゲームの全てを背負って、盤の上をただ一人転がるの。それはそれは辛いことでしょうよ」
レミリアはその球をチルノに投げて寄越した。
「あなたにはある? たった一人になっても戦い抜く覚悟が。その責を一人で背負う覚悟が」
受け取るなり、チルノはそのボールを食い入るような目で見つめ。
「アタイはこのナインボールみたいになりたい」
妖精の少女は、そう言ってのけた。
⑨
初日は、最初の一撃すらかわせなかった。紅蓮の槍に貫かれ、開始1秒も持たずに一回休み。
間違いなく、チルノは弱かった。
妖精の中では確かに強いのかもしれないが、それでも無敵結界を暫く維持できる妖精がいたりすることを考えると最強とは言い難い。
しかし、チルノはその一回で懲りなかった。
次の日も、その次の日もレミリアの槍に貫かれ続け、気がつけば数秒は持つようになっている。
最初は適当に相手してやろうと考えていたレミリアだが、そんな彼女の姿勢を見ているうちに考え方を変えざるを得なくなった。
何度倒しても倒しても倒しても、この少女は起き上がってくる。その闘志に、そして強さへの執念に……感服したとまでは行かずとも、何か感じ入るものがあったらしいのは確かで。
我武者羅であったチルノの戦い方に、次第に助言を添えるようになっていた。
チルノはレミリアだけでなく、紅魔館のほかの面々にも教えを請う。メイドから武器の使い方を教わり、魔女から物質の三態について学び、そして置物だと思っていた門番から体術を盗み。
そうして今日、ようやっとレミリアに一撃をくれてやることが出来たのであった。
「あなたは間違いなく強くなっている。十分じゃない」
不満そうな顔でむすっと膨れるチルノに、レミリアはお茶を出して言う。
「あそこで一拍おいて氷の剣を出してたら引き分けにはなってた……たぶん。だからすっごく悔しい」
「そうね。危なかったと思うわ。勝利を前にして焦らないこと。今日の反省はそこね。
あと、あの羽を蒸発させて推力を得るあの移動は、もう少し小刻みに出せるようになれば強いと思うわ。相手の攻撃を空中で回避して、さらに加速、後ろを取って攻撃……みたいな。名づけてクイックブースト!」
「う~ん、次はやってみる。くいっくぶーすと、ね」
チルノは羽をパタパタやって答えた。何度も昇華と凝固を繰り返しているため今日はもうぼろぼろだ。
暫くティータイムを楽しみつつ、今日の戦いについてのフィードバック。
それが済んだら図書館に向かうのだと、チルノは言った。これからパチュリーのところで勉強をするのだそうだ。
「ふふ……馬鹿と天才は紙一重」
そんな彼女を見送ってレミリアは一人呟く。
たった3週間ほどで、信じられない成長だった。なんでも吸収し、自分のものにしてしまう。かと思えばその技術や考えを応用して自分オリジナルの技を作り出す。
与えれば与えるほどに育ち、磨けば磨いただけ光る。今となっては彼女を育てることがレミリアの、ひいては紅魔館の皆の楽しみになっていた。
それもこれも、チルノ自身のたゆまぬ努力の成果であることは言うまでも無い。
「あなたは天才だよ。努力の天才。その点において間違いなく最強だろうね」
何が彼女をここまで急き立て努力させるのか。それは目に見えて明白だった。
これから護らなくてはいけないものたち。あるいは彼女が護れなかった、今はもういない者たちがその小さな背中に圧し掛かっているのだ。
ナインボール。全ての責を追った少女の背中はとても小さく、けれどとても強く見えた。
⑨
この前までとは全く違った戦法だった。
今までは地面を蹴って加速を生むことで相手の隙に飛び込む戦法。しかし今のチルノは空中でも、まるで見えない壁を蹴るかのように加速を得ることが出来ている。
数日前にレミリアが提案したクイックブーストなるものを、パチュリーと一緒に考えて実用化したのだった。
幾重にも張り巡らされた運命の赤い鎖を複雑な挙動で、それも信じられない速度で潜り抜けてレミリアに肉薄する。その鎖の一つ一つが触れれば肉を引き裂く凶器であるというのに、彼女の動きに淀みは無い。
応じて弾を撃ち込めば、その弾が捕らえたのはチルノの残像。見違えるようなスピードアップに、思わず目を見張る。
そのブーストの瞬間は吸血鬼の目を以ってやっと捉えられるほどのものだった。それでも油断すれば光の軌跡だけが見えて、気がついた時には見失っている。
――生半可な弾幕は通用しないか。
レミリアは唇の端を吊り上げて笑う。愉しい。これは難敵だ。
紅蓮の槍を構え、そして亜音速で繰り出された剣戟を受け止めた。摩擦に飛び散る激しい火花。それに一瞬照らし出された妖精の鬼気迫る顔に、レミリアは一種の畏れすら抱いた。
これは練習試合。だけれど、その表情から伝わってくるのは強さへの渇望と、全力の本気。
けれど何、焦る事は無い。チルノは二刀流、だがこちらは槍。槍と剣であれば、圧倒的に槍の方が有利に立ち回れる。
穂で受け止めた一撃を跳ね返し、左手の小太刀の攻撃を石突きで叩き落とす。ワンアクションで相手の2撃を押さえ、けん制する。
だがこれはチルノの予想の範疇だったらしい。反転して突き出された石突きに氷の剣を上から噛ませる様に打ち合わせたのだ。
両者の動きがぴたりと止まる一時的な拮抗。ここから相手に穂先を向けなおすには一度相手に背を向けなくてはいけない。
それでもレミリアは冷静だった。半歩間合いを空けて相手の剣のリーチから逃れると、一瞬チルノに背を向けてくるりと回る。
槍ならではの戦術、舞い。この舞を隙と見て踏み込めば、持ち上げられた穂先が相手の首を切り落とす。
もちろんチルノも先の何戦かで実際に首を落とされて学習しているのか、踏み込みはせず冷静に距離をとった。
チルノとしては槍に対して短剣であるためなんとかインファイトに持ち込みたい。そのために今までは地上という平面に縛られ、そこでしか加速を生むことは出来なかった。けれど今は空中で自由自在に機動することが出来る。
それが、彼女の得たクイックブーストの力。
「だがそれにも弱点はある!!」
レミリアは槍を長く持ち換え、そしてチルノのいる空間を真横に一閃した。紅の閃光となった刃が……空を掻く。チルノはその羽を僅かに昇華させ、残された光だけが切り裂かれていた。
だがこれでいい。
上に跳んだ彼女を追って穂先が紅蓮のリボンを描く。空気を裂いて襲い掛かる槍は、ブゥンブゥンと不気味な音を立てて連撃を繰り出した。
その度にチルノは翼を少しずつ昇華させてそれを見事にかわすのだが、レミリアの狙いはまさにそこにあった。
所詮は固形燃料をつかったロケットに過ぎない。もちろんそれはチルノの能力を基にしているのだからすぐにでも回復するだろうが、その暇もなく連続攻撃を仕掛けてやればいい。ゲーム的に言うなれば、ブーストゲージを削りにいったのだ。
それが尽きるまでそう時間は掛からなかった。もちろんチルノ自身もその限界を把握しているため、最後の一回で距離を置いて床へと離脱する。
もらったな。レミリアはほくそ笑んだ。この状態なら、弾幕も普通に当たるだろう。
「これでオシマイっ!! ――神槍「スピア・ザ・グングニル」――発動!」
槍、というよりはもはや隕石だったと思う。紅蓮の尾を引いて落下する赤い彗星が、ブーストを使い切ったチルノへ迫った。
あの様子では回避など到底不可能。
⑨
――あぁ。アタイ、負けるんだ。
いつもと同じように、跡形も無く蒸発して一回休み。今日も勝てなかったなぁ。
まるで壊れたビデオをスロー再生するように、カクカクと時を刻む視界。こんな状況になっても、体は助かろうとして策を探っているんだろうな、とチルノは思う。
けれど心がついてこない。圧倒的な攻撃の前に、諦めているのだ。だって負けたってちょっと痛いだけだし。
――あ~、一回休みか。残念だなぁ。
残念……。いや違う。これは、なんだろう。諦めたはずの心に、なんだか別の感情が浮かび上がってくる。
――いい? 武器を握るときは逆手と順手があって、同じ武器を持ってもそれぞれ全く役割が変わってくるの。
走馬灯のように思い出されるのはメイド長、咲夜の声。彼女のおかげで、武器の持ち方、そして戦うために有効な武器の形を知った。
――物質には気体、液体、固体の三態がある。あとプラズマなんてのもあるわね。これは熱によって分子の状態が変わるからであって、つまり熱の移動を自在に行えるあなたは本来この全てを操れるはずなのよ。
これは魔女、パチュリーの授業だ。結局アレはよくわからなかったけど、わからないなりにとりあえず使えるようにはなったかな。
――ああああああ咲夜さんごめんなさいごめんなさい!! 寝てません、寝てませんってば!!
門番はよく居眠りをしてメイド長に怒られていたっけ。けれどあのときのナイフのかわし方は目を見張るものがあったな。
そんなことを本当に僅かな時間で、きっと並列して考えたんじゃないかと思う。みんなみんな、アタイのために随分といろいろ教えてくれた。
それなのに負けるのか。アタイは。
負けていいのか?
――負けたくない!!
咲夜もパチュリーも門番も、いつか私が勝てると信じていろいろ教えてくれたんじゃないか!
頑張れって背中を押してくれたんじゃないか!!
――アタイは負けられない!! だってアタイは彼女達のナインボールなんだから!!
⑨
「やったか……!?」
やった、絶対やった。そう思った。
しかし、その紅の爆発が収まった後には。
蒸気となって雲散霧消しているはずのチルノの姿があった。
「なっ!? 馬鹿な!!」
チルノは自らの体の数倍はありそうな槍を、その両手ではっしと受け止めていたのだ。
あれは……白刃取り!! いつも居眠りをしている門番が咲夜のナイフを受け止めている技術ではないか!!
だがアレを受け止めれば、彼女の手だって無事では済まない。おそらく剣を持つことは出来ないだろう。
「ふっ……見事!! だが勝った!!」
手が使えなければ、武器が無ければ。チルノの弾幕など恐るるに足らず!! 丸腰となったチルノにレミリアが迫る。
しかしその進行を妨害するものがあった。どこから取り出したか知らないが、チルノが小さな小瓶を蹴り上げたのである。
――こんなものが時間稼ぎになるとでも思ったのか!
「邪魔よ!!」
レミリアは自身に向かって飛んできたそれを払うような裏拳で破砕した。と、その瞬間。まずは耳が異変を捉える。
圧倒的に増加した圧力。それに気づいたときには、空中にあったレミリアの華奢な体は空気の壁に押しやられて吹き飛ばされていた。
視界の端に咲き誇る紅蓮の炎の、盛大な花火。
「アレは液体水素か何かか……! パチェの入れ知恵かっ!!」
酷い爆発だった。それを発火させたのはレミリアの強すぎる裏拳であったから、自業自得ではあったが。
けれどレミリアは吹き飛ばされただけだ。まだまだ、勝敗に関わるほどの痛手は受けていない。
はずだった。
爆風を切り裂いて飛んできたのは、氷で出来た投擲ナイフ。咲夜の使うそれを真似たものだ。
「何故あの手で、あの焼け爛れた手でこれを!!」
もう指一本すら動かせないはずなのに。
だがそもそも、ナイフを投げる際に指が動く必要が無いことを彼女は失念していた。棒状のものを投擲する際、手の役割は擲弾筒になるのだ。つまり、軽くでも握れればそれでいい。それを飛ばすのは遠心力だ。もしかすると氷で即席の擲弾筒を作り上げたのかもしれない。
氷のナイフがレミリアの羽を貫き、そして壁へと止めつける。
「見事……だがその手で止めなんて刺せないでしょう? 刺せないよね、刺せないって言って」
絶対零度の氷のナイフがレミリアを壁に凍りつかせる。吸血鬼の馬鹿力を出そうにも血液が凍っていて一切の力が出せない。
「うん、手ではムリ」
そんな声が水蒸気の向こうから聞こえ、レミリアはほっと胸を撫で下ろした。だが、ここで気を抜いたのがいけなかった。
蒸気を裂いて、迫る彗星。チルノの渾身の頭突きがレミリアの頭に炸裂したのだ。
頭の中で火花が散り、いくつも新しい星々が生まれる。その中にひときわ眩しい彗星の姿を確かめると、レミリアは意識を手放した。
「アタイ……かっ……」
た。言い終えるかどうかの間際で、チルノの脳にも遅れて衝撃が伝わり、レミリアを追うようにして彼女の意識も闇に解けた。
⑨
「イタイ!」
目覚めての第一声はそれであった。
「あら、お目覚め?」
レミリアの声。どうやら彼女のほうが先に起きていたようだ。さすが吸血鬼、安定の不死身っぷりだ。
そして、体のそこかしこが痛む。戦っているときには気にしていられなかったけれど、こうしてみるとあちこち傷だらけなんだろう。布団に隠れて見えないけれど。
「一回休みにはならなかったんだ」
「あなたの石頭は私のより頑丈だからね」
ふぅん、とチルノは唸る。どうせならその後にでも殺して一回休みにしてくれたほうが楽なんだけど。きっとレミリアなりに相手を気遣った結果なんだろうなと思うことにした。
「見事だったわ。予想外。悪く言えば初見殺しだけど、戦なんてそんなものでいい」
「アタイの力じゃない」
「それでいいじゃない」
「うん」
レミリアとチルノは暫しの間沈黙した。
ついに超えた。超えられてしまった。やり切った感じと終わってしまった感じが同時にあるのだと思う。
「あのさ、アタイ思うんだ。あなたはナインボールを孤独だといったけど」
沈黙を破ったのはチルノの方であった。
「たった一人全てを背負って戦うのが最強な者に課せられた使命なんだっていうけどさ。ナインボールは一人でも一人じゃない」
「面白いことを言うのね」
「だってそうじゃない。アタイは一人じゃ勝てないよ。皆がいろいろ教えてくれてそれで初めて勝てた。
うぅん、それだけじゃないな。
確かに戦場にはメイド長も門番も魔女もいないけど、彼女達のアタイに勝って欲しいって心は確かにアタイと一緒にあったよ」
「それは、この状況ならね。けど、咲夜やパチェや門番でなくて、あなたを置いて逝ってしまった仲間達でもあなたに力を与えてくれると? あなたが負ければ、その仲間たちの散った意味すら無くなってしまうほどの責を彼女らは背負わせるのよ?」
「あんまり難しいことは判らない。でも全部背負うってことは……確かに辛いこともあるけどそんなに悪いことじゃない。そう思った」
ふ……とレミリアは笑みをこぼす。やっぱり、こいつは馬鹿だ。背負った責の重さよりも、背負えることの喜びのほうが大きく見えるらしい。
そしてそんなチルノのことが少しうらやましくもあった。
「だからアタイはこれからも全部背負っていきたい。ナインボールであり続けたい。もう、それが出来てもいいくらいにはなったと思うんだ」
「そうね。頑張りなさい。あなたは免許皆伝よ」
⑨
明くる日、人間の里の近くの伐木場に少女はいた。仲間の屍のように、切り倒された木々が転がる荒れきった広場に。
この戦場を、その結果を全て背負う覚悟が彼女にはあった。先に逝ってしまった者たちの想いも、それを護りきれなかった自分の弱さも全部。
やがて、妖精出現の報を受けて人間の討伐部隊がやってくる。仏具神具をじゃらじゃら言わせ、大層神聖らしい経文や詞を高く詠み。
「待ちわびたよ、人間。ここの木切りたきゃアタイを倒してからにしな」
抜刀、構え。
幻想郷最強の妖精――
――ナインボール、チルノ。いざ参る。
このチルノは英雄的カリスマがあります。いずれその強さ、心の強さをテコにして、妖精たちをまとめ上げるリーダーへと成長すれば、人間にも負けずレミリアとタメを張れる社会的、政治的権勢を手に入れることでしょう。
そのうち、アサルトアーマーやオーバードウェポンまで積み始めるんじゃなかろうか。妖怪化は必ずしそうだ。
となると、次は社会戦技能だな!
レヴァリエさんのシリアスバトルものが見れるなんて・・
やっぱ、剣戟戦は得物が違うほうが駆け引きがあって面白い
高速機動剣戟は、ファンタジーの特権ですね 石突は槍の浪曼
しかし、死にながら修行できる体質とそれを厭わぬ根性と責任を勇気にかえる心を持った
チルノこそ最強 不死身者は殺せないから強いんじゃなくて死を厭わず努力できるから最強なんでしょう このチルノが不死者でもなくそのためこんなに一気に強くなれない故、ずる賢い人間とどれだけ戦えるかが気になります
そんなわけで⑨なチルノはやはり最強ですなw
妖精たるチルノがレミリアを打ち倒すまでの経緯にも説得力があり、しっかり読めます。