日が沈み始め、西から夕陽が赤い輝きを放つ黄昏時。
ある隠れ家で、幸せな時間をむさぼっている妖怪と天人がいた。
「……天子。ほら、もう起きなさい」
「ん……むぅ……」
膝枕をしてもらっていた天子は、呼びかけに起こされて目覚め、夕日に照らされた紫の顔を見上げた。
「……もう、そんな時間?」
天子は身を起して西の空を見つめると、伸びをしてうだるげな身体に力を流す。
「楽しい時間はあっという間に過ぎてしまうものね」
それを見て、紫が名残惜しそうに呟いた。
別にこれが永遠の別れというわけではない、どうせ明日になればまた会うことができる。
しかし一時の子の別れが、紫にとってはとても切なく感じた。
「そうね、異変を起こす前の天界じゃ、こんなに早く感じることはなかったなぁ。それじゃ紫、スキマで天界まで送ってよ」
「……えぇ、そうね」
足元に開かれたスキマに二人の体が吸い込まれると、次の瞬間には遠く離れた天界に彼女たちは現れた。
弾かれるようにスキマから出て来た天子は、天界の地面に足を付けるとバランスを崩しそうになり、身体がよろけさせた。
「ちょっと、大丈夫?」
「おっとっと、相変わらず慣れないわね、スキマ移動」
「……あまり天界に妖怪がいつくと良い顔されないわ、早く別れちゃいましょう」
「うん、それじゃまたね紫!」
天子は手を振ると、家へと走り出した。
それに手を振り返して見送ろうとしていた紫だが、どこか迷いのある表情を浮かべて天子に手を伸ばした。
「――天子!」
「ん、何?」
「あっ、その……」
呼びとめた紫は、しどろもどろに口を開いていたが、やがて決意したように表情を引き締める。
「あ、明日、天子に話したいことがあるの。大事な話」
「大事な話ってどんな?」
「それも含めて明日よ、だから……」
「……うん、また明日ここで」
最後に約束を交わした二人は、今度こそと手を振って別れを告げた。
◇ ◆ ◇
「――でね、明日も二人で会う約束したの」
「ほぉー、相変わらず仲が良いんだな、その紫さんって妖怪と」
家に帰った天子は、両親と机を囲みながらその日あったことを楽しそうに語っていた。
「いやぁ、地上の妖怪なんかと知り合ったと聞いた時は心配だったが、よくやれてるなら結構結構」
「あのねぇ父さん、私だってもう何百年と生きてるのよ? いい加減子供扱いしなくたっていいでしょ」
「ふはは、何百年経とうと父さんと母ちゃんの子供には違いないわ」
「もー、そういうのうざいってばー」
口では嫌がりつつも、天子の表情もそう悪いものではない。
この煩わしくも暖かな雰囲気を楽しんでいると、先程まで黙っていた天子の母が口を開いた。
「それって、本当にただの友達ってだけなのかなー?」
「何だい母ちゃん、いきなり変なこと言いだして」
「なんとなく話を聞いてて妙に仲良すぎるんじゃないかなーって思ってね」
「母さん、私と紫は友達じゃなくてライバルよ! 絶対いつか倒してやるんだから」
「いやそうじゃなくてね……まぁいっか」
ツッコんだところで望みの答えは返ってこなさそうだと、母は諦めて茶をすする。
(そういえば、明日紫から話があるのよね。どんなのだろ)
天子はふと別れ際の言葉を思い出した。
一体何を告げられるのかと考えをめぐらませてみるも、紫がわざわざもったいつけてるような内容が思い浮かばない。
(楽しみね。早く明日にならないかなー)
あのいつも胡散臭い妖怪との約束に、期待で胸が膨らむというものだ。
「しかし下界ねぇ。母さんも天子みたいに降りてみようかなー」
「行くなら博麗神社がおすすめよ、あそこ色んな奴が来る場所だし」
「いや、行くんだったら天子と母ちゃんは一緒に行った方がいいんじゃないか」
「えー、こんな歳にまでなって親子連れとか超恥ずかしいんだけど」
「だってお前らなぁ……」
父は腕を組んで、天子と母の顔を交互に見比べる。
「母ちゃん一人で行ったら、まず間違いなく天子と間違われるぞ」
父の目に映るのは、青い髪、緋色の瞳、そして同じ童顔の少女が二人。
まるで双子のそっくりさんのような親子が、天子と母を見た感想だった。
「えー、そんなに私と母さんって似てる?」
「鏡見ろ娘よ。父さんだってパッと見じゃどっちがどっちかわからんわ」
「ちょっとあんた、ずっと傍にいてそれはないんじゃない?」
「仕方ないだろ、母ちゃん天人になってから若返りの秘術とか使ってるから身長まで同じだし、声もそっくり。ワシならちょっと話せばわかるけど、初見の人じゃ絶対に区別が付かんぞ。分身の術を学びましたで押し通せるレベル」
しかも天子と母は親子だけあって諸々の挙動や癖などがかなり似通っている。
若干、言葉遣いでわずかな差が出るので父には判別可能だが、黙っていては誰にもどちらが天子かわからないだろう。
「話に出てる紫さんだって、同じ服装で出て行ったら母ちゃんを天子と間違えるんじゃないかな」
「いやーないない。あいつそういう勘すごい良いから」
笑って否定する天子だったが、母は意味深な笑みを浮かべてこっそりと呟く。
「……そっかー、それなら色々調べられるかもね」
こりゃ面白いかもしれない、と母は声を殺して笑っていた。
◇ ◆ ◇
翌日のお昼過ぎ、天界にも日が上り、どんなに寝坊癖が付いた天人も起きだしているころだが。
「はーい、天子の母親でございまーす。ただいま私は、まだ眠っている娘の部屋に侵入したところで~す」
誰が見ているわけでもないのに実況しながら、そっと戸を開けて母は天子の自室に入りこんできた。
忍び足でベッドに近づくと、静かに寝息を立てている天子に近寄って、天子の頬を突っつく。
「何でこんな時間まで寝ているのかと言いますと、私が昨晩のうちに睡眠の術をたくさんかけたからでーす。まだしばらくは起きませ~ん」
天子が寝入った後、今と同じように忍び込んだ母が術をかけたのだ。
しかも普通の人なら眠りが深くなるどころか永眠するレベルで。
もっとも天人は抵抗力が強いので、せいぜい睡眠時間が延びる程度だが。
「さてさて、天子もちゃんと寝てることだし、ちゃっちゃと済ませちゃおうかね」
母はベッドから離れると部屋にあったタンス笥を開けて、いつも天子が来ている服を取りだした。
「……何で同じ服がいっぱいあるんだこれ」
幻想郷少女なら当然のたしなみである。
ともかくお目当ての物を見つけた母は、娘の服装に着替えると、スペアの帽子をかぶって姿見の前に立つ。
「はーい、比那名居天子17歳です……なんちゃって」
どこからどう見ても、天子にしか見えない人物が映っているのを見て、母は満足げにうなずく。
服のサイズもピッタリだ、胸辺りも窮屈感はなく、勿論緩すぎて布が余ることはなく綺麗に平べったい。
「……我が娘ながら不憫だわ」
思わず眠りこける娘を生温かい目で見つめてしまう。
これで未来に希望が持てるならまだいいが、恐らく肉体が成長しようと胸囲が成長することはあるまい。経験でわかる。
「まぁ、それより噂の紫さんよ。天子はただの友達みたいに話すけど、聞いてる限り紫さんの反応はなんとなく普通じゃないっぽい。ふふふ、母さんがその秘密を暴いてやる!」
それを実行に移すあたりやはり天子の血縁と言うべきか。
天子の恰好をして部屋を出た母は、廊下を抜けて父のいる今に顔を出した。
「それじゃ父さん、私紫のとこ行ってくるから!」
「おう、気を付けてな」
努めて明るく、無邪気に声を出した母に、父はいつも通り娘に対する言葉を送る。
その反応に「よし」と握りこぶしを作ると、母は家を出て行った。
「……あれ、天子だったな今の?」
その後、今更違和感を覚えた父が、不思議そうに呟いていた。
◇ ◆ ◇
「えーと、確か天子の話じゃいつもこの時間に、ここら辺で待ち合わせてるのよね」
家を出て天界の辺境まで足を運んだ母は、目当ての人物を探して辺りを見渡した。
だがいくら探しても、それらしい人物は見当たらない。
話ではスキマを使って瞬時に現れる能力を持っているそうだが。
「――あら、もう来てたのね天子」
突如、母の背後から聞きなれない、親しみのある声が響いてきた。
母が振り返ってみると、そこにいつのまにかいたのは金色の髪に紫色のドレスを着た、長身で妖美な女性。
天子から聞いていた特徴にぴたりと一致する妖怪だった。
(この妖怪が、天子の言ってた八雲紫か……っていうか胸でかっ)
なるほど、天子が競うだけあって隙のなさそうな、強力な妖怪だ。カップも文句なし。
「もう、遅い! いつまで待たせてるのよ」
「嘘おっしゃい。どうせあなただって今来たとこでしょ」
呆れたように返す紫を見て、母は確かな手ごたえを感じる。
数百年も傍で天子を見てきたのだ、天子がどんな時にどんな事を言うのか、大体のパターンは頭に入っている。
これならこの妖怪を騙すのも他愛ないなと思っていると、紫は眉をひそめて尋ねてきた。
「……あなた、天子よね?」
「いっ、いきなり何言ってんのよ。どこからどう見ても私でしょ」
「……気のせいよね。ごめんなさい、あなたみたいな残念わがまま娘の真似をできるようなのがいるはずないわよね」
「おい、残念ってどういう意味よ」
(あっぶねえええええ。旦那だって気付かなかったのに、何こいつ怖い!)
わずかながら勘付いた紫を前に、母は鼓動を加速するのを感じながら警戒を深めた。
これは一言一言気合を入れておかないと、どこかで見破られてしまうかもしれない。
「それよりほら、妖怪と一緒にいるところ他の天人に見られたら、色々とうっとうしいわ」
「そうね、早く移動しましょうか」
確か紫さんに移動させてもらうのよね、と娘の話を思い返した母の足元に、スキマが開いてその体を飲み込んだ。
「いっ!?」
闇の中で見えたのは、ギョロリとこちらを見つめる幾千もの眼。
その薄気味悪さに悪寒を感じたのも束の間、母はスキマから弾き出されて、見知らぬ家の前で尻もちをついた。
「いたっ!」
スキマとかいうものでで移動するとは聞いていたが、あんな突然で気味の悪いものだとは想像が付かなかった。
こんなものを扱うなんて妖怪と、よく娘はつるんでいられるなと感心した。
「あなた、そんな無様でどうしたの? 変よ今日のあなた」
そうこうしていると後から現れた紫が、不思議そうな眼で母を見つめてきた。
その眼には、間違いなく疑惑が含まれている。
「あ、いや。昨日中々寝付けなくてね! ちょっと寝不足になっちゃってさー、あはは!」
(ち、ちょっと苦しいかこの言い訳?)
咄嗟に誤魔化そうとするも、バレるんじゃないかと内心冷や汗をかく。
だが母の不安と裏腹に紫は面食らったような顔をした後、急に恥ずかしそうな表情を浮かべて、もじもじしだす。
「そ、そうなの、そうだったのね……」
「えっ」
「天子、あなたが寝不足になるくらい話のことが気になってたのはわかるけど、少し猶予が欲しいの。今日中には、あなたに伝えるから、それまで待ってくれないかしら?」
「お、おう」
(あれ、これもしかしてとんでもないタイミングで入れ替わっちゃった?)
熱っぽく話す紫にそこはかとない嫌な予感がしながらも、今更ネタばらもしづらい。
紫に真実を伝える気にはならず、促されるまま家の縁側に腰を下ろした。
「藍、お茶の用意をお願い」
「かしこまりました」
いつの間にか傍に控えていた妖怪を見て、その鮮やかな金毛に母はギョッと目を剥く。
(あの子から式がいるって聞いてたけど、九尾かよぉ!?)
しかもよりにもよってその九尾にさせているのが、ただのお茶汲み。
(九尾を顎でこき使うって、もしかして娘の友人ってかなりとんでもないんじゃね?)
緋想のを使っても勝てないというから強いだろうとは思っていたが、まさか娘が楽しそうに話す友達が、そこまでヤバイ存在だったとは。
隣に剣座る妖怪に戦慄を覚え始めていると、家の奥からさっきの九尾の声が届いてきた。
「天子ー! すまないがちょっと来てくれないかー?」
「な、なにかしら!?」
「珍しいわね、あの子が天子を呼ぶなんて。ほら行ってらっしゃいな」
母は仕方なく靴を脱いで家に上がるが、誘い出されたところでパクリといただかれないか警戒していた。
天人の肉体は妖怪には毒だが、別の方法で食べられたりする可能性はある。例えば性的にとか。
用心しながら声がする方を辿っていくと、台所で湯を沸かす九尾の藍に出くわした。
「いきなり呼び出して何の用?」
「紫様から話があるとは聞いているだろう? まぁ、それに関する事なんだがな」
緊張気味に話しかけたが、藍からは穏やかな口調が返ってきて肩の力を抜く。
「あれだけ表に出てるんだ、紫様が話すことが重要なことだと察して入ると思う」
「そ、そうね」
顔を合わせたのが初めてではあるが、事前に聞いていた話とさっきの態度からして予想は付いている。
(そうだったら面白いなーとか思ってたけど、まさかマジで妖怪がウチの娘にホの字だったとは……)
とは言え、この母はやはりあの天子の母。
自由気ままな気質であり、本人らが納得しているなら妖怪だろうがなんだろうが構わない。
唯一にして最大の問題は、今いるのが天子本人でないことであるが、今から言い出すのも気まずい。
「まぁ、ないとは思うが、お前がもし紫様の話に対して心ない言葉を返しでもしたら、あの方は深く傷つくだろう。あの方はこう言ったことに対しては、経験がないからな」
火の加減を見ていた藍は天子の母に向き直ると、両肩をガッシリつかんで力強く握りこんだ。
「だがもし、そんな紫様を泣かせるような者が現れれば、その時は古今東西の権力者を破滅へ追い込んだ、私秘伝の呪術フルコースをお見せしようと思うんだ……!」
「ちょっ、藍さん痛い、爪立ってて痛っ、いたたたたた!!?」
藍にたっぷり釘を刺されて、たった数分でヨロヨロになった母は紫の待つ縁側に戻って来た。
「おかえり、てん……どうしたのあなた?」
「いや、なんでもないです……」
息も絶え絶えに紫の隣にへたり込む。
何であんな恐ろしい妖怪が傍にいるのに、楽しそうに下界のことを語れるのか疑問だ。
「いやぁ、式に愛されてますね紫さん……」
「藍に何かされたの? はぁ、あの子ったら後でお仕置きね」
(アレにお仕置きできるとかあんたも十分怖いな)
よくこの状況で娘が生きのこれたものだと感心する。
流石にあの破天荒な娘と言えど、大妖怪相手に本気の怒りを買うことはそうそうないだろうから、よっぽどのことがない限り大丈夫だろうが。
「お茶をお持ちしました。それでは紫様、私は出掛けてまいりますので」
「あらありがとう。ところで藍、後で覚悟しておいてね」
「え゛っ」
「おかしいな、天子があの程度でビビるはずが……」とボヤキながら退出する藍を見届けると、湯呑みを手にとって茶をすすった。
「……美味しい」
「お饅頭も用意してあるわよ」
「おっ、食べる食べる!」
あの九尾の淹れてくれたお茶のなんと美味なことか、素材も一級品だが、九尾本人の腕前もまた凄まじいものだと感じる。
また紫がスキマから差し出してくれた饅頭も、ここまで美味しいものは初めてだった。
「んー、美味しいー!」
「ほら、あんまり急いで食べてたら喉に詰まるわよ。よく噛んで食べなさい」
(むぅぅ、天子めこんな美味しいものを食べていたのか。一つくらい家に持って帰りなさいよ親不孝者め)
「ゆかりぃー、家族へのお土産にお饅頭ほしいなぁって」
「あなた前にもそう言って、私があげたお土産を道中で全部食べてたでしょ。スキマから見てたから知ってるわよ」
「アレー? そうだったっけアハハハハー」
(帰ったら折檻じゃバカ娘)
新たに判明した事実に、娘へのヘイトが順調に溜まっていく。
(下界でこんな贅沢してやがるとは、至れり尽くせりじゃないの)
美味しいお茶に美味しいお菓子、それを一緒に食べる気の合う友人。
しかもその友人と言うのが色々と凄い。
天人が緋想の剣を持ってもかなわなかったり、九尾をこき使ってたりするところも凄まじくはあるが、それ以上に、
(……何度見ても大きいわ)
お っ ぱ い が で か い 。
本当にでかい。天人や天女の中には巨乳もいたが、その中でも一際でかい、その上に形もバツグンに整っている。
もしかしたらここまで見事な胸は、この母も初めて見たかもしれない。
気になってチラチラと盗み見しているが、それに気づかぬ紫はお茶をすすると息を吐いた。
「ふぅー、熱さが身に沁みるわぁ」
ホッと肩を落とした拍子に、その巨大な質量がたぷんと。
(い、いま揺れたよ胸が! たぷんって聞こえたよ確かに!?)
恐るべきおっぱいに意識を乱される。
最早隠すことも忘れて、紫の胸をガン見していた。
(すっげぇなぁ、あれを手で揉んだりでもしたらどうなるんだろう。すっげぇ気になるわ)
夫から「身体は女だが、心にち○こ付いとるよお前」などと言われたことのある身としては、否応なしに想像が膨らむ。
触るとどんな感触がするのだろうか、指が沈みこんだりするのだろうか。
色は? 艶は? 感度は?
考えるだけで精神がおっぱいに集中し、音を立てて唾を飲み込んでいた。
「……天子、その、そんなにじっと見られると気になるんだけれど」
そんな母に見つめられていることに気付いた紫は、熱っぽい視線から気恥ずかしそうに身体をもじらせた。
さ そ っ て ん の か 。
(こんなん見せられて我慢できるかっ!!!)
「ああっと! 紫の胸に虫がくっついてるー!! 取ってあげるからそこ動くなよお前!?」
「えっ、ちょ、きゃあ!?」
適当な理由を付けて触ろうとしたが、勢い余って紫の胸に頭からダイブしてしまった。
まぁそれはそれでいいやと、開き直って紫の胸の感触を堪能する。
(や、わ、ら、けぇぇぇ! 良い匂いするし、何これ桃源郷? うっわ顔がどんどん埋まるし、これ枕にして寝たらどんな感じなんだろう。でもそしたら窒息しそう、いやそれはそれで幸せか……? そうだ、味もみて)
「やぁっ、こら離れなさい!」
「いてっ」
思う存分に胸を楽しんでいたら、紫に拳骨を喰らって引き離された。
「いたたた。ごめんごめん、手が滑ったわ」
「嘘を吐かないの、誰がどう見てもわざとだったでしょ今の」
「チッ、バレたか」
つい衝動的に行動してしまって、若干後悔する。
流石にこんな不審な行動をすれば、正体を暴かれてしまうかもしれない。
いくらなんでも、友達の間柄で今のはないだろうに。
「もう、そういうことする時は、ちゃんと先に教えてって言ってるのに……」
(いつもやってんのかよ!?)
それもう友達じゃねえだろとか、お願いすれば触らせてやるのかとか、色々とツッコミたかった。
こんなおっぱいを娘は毎日堪能していただなんて、うらやまけしからん。
(良いなぁ天子のやつ。私が旦那に甘えてもあるのは堅い胸板で、やわらかいのはふぐりくらい……性転換の術とか探してみようかなー。需要はありそうだしどっかの天人が開発してるでしょ)
「へっぶし! 何だ今の悪寒……天子は出て行ったし、母ちゃんも気が付いたらいないし、父さん一人でさびしいなぁ……」
「どうしたの天子、変な顔して」
「ちょっと考え事をね」
黙り込んで夫改造計画を練っていると、妙に思った紫に心配されてしまった。
「そ、そんなに触りたいのなら、私もイヤだけど少しくらいは我慢して……」
「いやいやいやいや、それはいいから!」
流石に夫がいる身で、これ以上やるのはまずい。すでに手遅れだとか言ってはいけない。
(というか、案外紫さんって貞操観念が軽かったりする? そんなのと娘が付き合うのはちょっと嫌だなぁ……)
もし紫が初めてあった相手とその場の雰囲気に流されてベッドIN! などしてしまう女性なら、天子も傷付くことになってしまうだろう。
娘の未来を危ぶんだ母は、再びお茶を飲み始めた紫にそこらへん探ってみることを決めた。
「紫さんや、ちょっといいかしら?」
「はいはい、何かしら天子さんや」
「紫のことが好き――」
「ブフォアッ!? ゲホッ、ゴホッ!!?」
「――って言う人が現れたらどうする、って聞いてないなオイ」
こちらが言い終わらないうちに、盛大にお茶を噴き出してむせる紫を前にして呆れる。
好きって単語にどこまで反応しているんだろうか。見た目大人っぽいくせにウブか。
「ててててて、天子今何て!?」
「だから、紫のことが好きって人が現れたりしたらどうするって聞いたのよ。人って言っても妖怪とかもありで」
「あ、あぁ、何だそういうこと……」
(目に見えて落ち込んでんなぁ)
一瞬だけ残念そうにうつむく紫だったが、すぐに気を取り直してしゃんと背筋を伸ばす。
「相手がだれであれ、好意がない相手なら丁重にお断りするだけよ」
「それがもししつこく頼みこんできて、一晩だけでもと土下座してくるようなやつなら?」
「前提がおかしい気もするけど、その時は相応の対応でお帰り願うだけね。具体的には全治六ヶ月くらいで」
「六ヶ月って、そりゃまた容赦のない……」
思ったよりも過激な反応に驚きながら、少しだけ安心する。
さっきのような寛容さは、あくまでも天子が相手の場合だけのようだ。
「しかしいきなり変なことを聞いてくるのね」
「えっと、少し前に友達でそう言うのに困ってるのがいたって言うか」
「……友達が?」
適当に言い訳で場を終わらせようとしたが、その言い分に紫が妙な反応をしてしまった。
「それ、本当に友達の話なのかしら?」
「いやだからそう言って」
「そうやって友達を理由にした相談事とかは、決まって自分に関係することだったりするものよ」
(そこは流せよ。疑問を持たず相談だけ乗って、後は追求しないってのがお約束だろーが)
面倒臭そうな方向に話が流れていくのを感じるが、その流れを止める暇もなく話は進む。
「まさか、まさかと思うけど天子にそうやって言い寄ってくる虫けらが!?」
「虫けらて、そんなのいないって」
「心配しなくてもいいのよ天子。あなたがその虫の名前を教えてくれれば、後はこっちが穏便に消してあげるから」
「にっこり笑って言うなマジ怖いから!」
初めて触れる圧倒的善意の殺意を前に、思わず身がすくみあがる。
「いないからそんなの! 大体いたとしても紫の手を煩わせる前に、私が直接お灸を据えるわよ」
「……そうよね。考えてみれば、そんなことになったら相手が半殺しよね。それでもまだ甘いと思うけれど」
(何だっつーのこいつ、怖いよもう……)
表面上は平静を装っているが、すでに天子の母の心は怯えてしまっていた。
(まさかとは思うけど、邪魔になったら恋人の親でも排除しちゃうとかそういうのはないよね……ないよね……?)
不安に思う脳裏にビジョンが流れる。
夕暮れ時、天子と別れ一人になった紫が、夕日を眺め憂い気に言葉を吐く光景。
『はぁ、天子とずっと一緒にいたいのに家に帰っちゃうのが残念だわ……親がいなくなれば、帰る必要もなくなるわよね?』
「あかん!」
「は? いきなり駄目って」
「いやその、そういう過激すぎるのは駄目だな―って思うんですが……」
身の危険を感じて、それとなく暗殺などの物騒な方法を取らせないよう、紫の説得にかかる。
失敗するわけにはいかない、自分と自分の夫の命のためにも。
「もっとこう、もしもの時は穏便にね?」
「じゃあ数百年くらい異空間に閉じ込めるくらい?」
「……もう一つランクを下げてくださいませんか」
「なら情報操作で社会的に抹殺するくらいかしら」
(苦しめる方法を変えろって言ってるんじゃなくて、容赦してやれよって言ってんのよ!!)
とは言え問答無用で抹殺だった先程と比べれば、大分マシになったというところか。
これぐらいならギリギリ問題なし――
『聞きました奥さん? 比那名居さん家のお母さんって、上司を誘惑したんですってねぇ』
『あら、私はお父さんが横領したって聞いたわ』
『あの家って悪い噂だらけで怖いわぁ』
『まぁ、一家そろって天界追放は妥当な処分ですよねぇ』
「あっかーーんんん!!!」
駄目だ、どっちにしろ色んな意味で終わりまくりだ。
天人の奥様方に後ろ指さされながら、下界に降りて貧相な生活を送るなんてまっぴらごめんだ。
「もっとマイルドであまあまな内容にしてお願い!」
「更に甘いとなると、お仕置きで全治九年とか……」
「何で六ヶ月から九年に延びてるのよ!? そういうのんじゃなくて、「めっ、だぞ?」って言って叱るぐらいやつで」
「それくらいじゃ効果がないでしょう。そんな時は相手の心を完全に挫いて、反抗しようという考えが思い付かないほど追い詰めるものだって、あなたも前に言ってたじゃない」
(母です、ウチの娘が知らない間に真っ赤に染まっていました……ってか普段どんな話してるんだこいつら……)
朱に交われば赤くなるという言葉の意味を、言葉でなく心で理解した。
しかし決してそれは他の影響を受けた結果などではなく、天子が持つ元来の性格であることを母は知らない。
「わ、私はいいのよ私は!」
「相変わらず自分勝手なことばかり言うわね。と言うか道理が通らないわよそれじゃあ」
「そのね! あ、あんまり紫にばっかりそういう薄汚いことやらせたくないな、っていう気遣いの心って言うか、もう言わせないでよ恥ずかしい!」
(うっわー、今の私ってすごく馬鹿らしいこと言ってるよ)
「そ、そうだったの……まぁ、そういうことなら私としてもむげにはできないわね、えぇ……」
(そして案の定、騙されてくれてるよ)
照れ隠しに取りだした扇子で表情を隠そうとしてるが、笑みを深めて嬉しそうにしてるのがモロバレだった。
「とは言え、何かあったら一言くらいは伝えて頂戴よ。もしもの時に手を打つ準備はしておきたいわ。知識はあっても、世間知らずのお嬢様なんだから」
「心配性ねぇ、大丈夫だって」
「確かにあなたは強いけれど、力でブン回したり解決できないものがあるのよ。痴情のもつれとか特にね」
(正直、さっきからちょこちょこウブい反応したりする紫さんに言われたくないが)
「それにあなたって限度知らずの快楽主義者だから、現状を楽しんでるうちに気が付けば後味の悪い結末に、なんてなりかねないし。異変の時も似たようなものだったじゃない」
「だ、大丈夫だって……多分」
調子に乗りやすい娘の性格を思い返し、あながち紫の指摘が間違いではないなと、母も母で心配になってくる。
しかし同時に、紫の天子に対する想いが、その言葉から読み取ることができた。
(本当に天子のことが好きなのねこの妖怪)
直接的な物言いから手厳しくも感じるが、それも天子を想うからこそだ。
同時に天子のことを理解し、言葉の意味を正しく受け取ってくれると信頼している。
(あのバカ娘にはもったいない相手だわこりゃ)
恐ろしいるところもあるが、暖かみを感じさせてくれる。恐ろしいところもあるが。
まだ実際に話して少ししか経っていないが、娘の友人に気を許し始めていると、紫は感慨深そうな眼をして呟いた。
「異変と言えば、あの時に出会った時には険悪だったわね、私たちは」
「えっ、うん、そうね」
(そう言えば天子から紫さんとの出会いについては聞いてなかったな。とりあえずそれっぽくしとこ)
「あの時は、こんな風に二人で話すような仲になるとは思わなかったわ」
「うん……」
「本当に、こんなに近くにいたいと思うようになんて……」
「うん……?」
紫から妙な空気を感じて、神妙そうにうなずいていた首が傾く。
「最初は警戒していたのに、あなたったら屈託なく笑っているもんだから、気が付けばあなたに興味が湧いて、私の方からちょっかいかけるようになって……」
(あれ、これ告白コースじゃね? やばくね?)
すっかり忘れていたが、そう言えばそんな気配がしていたんだった。
まずい、流石に娘の友人の一世一代の告白を代わりに受けるのは、娘と紫の恋路を邪魔するのと同義だ。
「思えばあの時すでに、あなたに惹かれ始めていたんだと――」
(マズイマズイマズイ! でもここで「実はお母さんでした!」とか言い出せる雰囲気じゃないし。いやまだ遅くない、別に今言い出しても紫さんなら許してくれ)
『そんな、私の一世一代の告白を邪魔してくれたなんて……死んで償え!!!』
(そういうことにはならないよね? 許してくれるよねきっと!?)
「――近くなりすぎて、もうただのお友達じゃ我慢できないのよ」
(あ、やべ、考えてる間にタイミング逃した)
想像上の紫に怯え、意識を現実に引き戻した時には、もはや告白まで秒待ちの段階だった。
「別にちょっとくらい我慢しても良いんじゃないかなーって……具体的にはあと一日くらい……」
「駄目なの、もう一日、いえ一秒たりとも我慢できないの!」
「お、おう!?」
とうとう堪え切れず感情をむき出しにした紫に、両肩を掴まれて詰め寄られる。
そのまま勢いに押されて、床に押し倒される格好になってしまった。
「天子……!」
(く、喰われる!?)
本当なら押しのけて事実を伝えるべきところなのだが、テンパった頭ではその結論にたどりつけなかった。
泡を食ってうろたえている間に、紫は揺れる瞳を向けて言葉を絞りだそうとする。
「あ、あわわ……」
「私は、私はあなたのことが……」
しかし何かに気が付いたように、紫が口をつぐんだ。
「……ん?」
「ど、どうしましたか?」
「いや、ちょっと胸が違う気が」
「胸?」
その発言に疑問を浮かべる暇もなく、迷いのない動きで紫が平べったい胸に手を置いた。
「ちょっと大きい気が……」
「ひゃう!?」
もにゅ、もにゅと軽く揉み。
「…………この偽物めええええええ!!!」
「何なのよその見分け方は! っていうかあの子って私よりも小さいの!?」
変態的な見分け方で呆気にとられた天子の母に、スキマから取り出された紫の傘が、フルスイングで叩きこまれた。
「グエーッ!?」
潰れたカエルのような悲鳴を上げて壁に叩きつけられた身体を、開いたスキマが捕えて縛り付けた。
四肢も同じようの固定され、動きを完全に封じたところで紫が傘を喉元に付き付ける。
「な、なんで傘?」
「まさか、天子に化けてこの私に近づこうとする輩がいるとは思いもしなかったわ。でも残念だったわね。あの子は見栄を張って、ほんのわずかに大きめのサイズの服を着てるのよ」
「よくそんなこと知ってんなあんた」
「しかし、こんな風に私に近づこうとする輩なんて久しぶりね。さて、どうしてくれようかしら……」
「あの、紫さんこれには海よりふかーい事情がありまして」
「黙れ」
「ひっ……」
言い訳をしようとしたところに、紫から殺気のこもった視線で貫かれ悲鳴を漏らす。
ずっと天界にこもっていた天子の母が生まれて初めて感じる、大妖怪が特定の個人に向けた明確な殺気だった。
「許せないわ、私を騙して……」
「す、すいませんでした! 胸に顔突っ込んだりしたり、告白の邪魔したりして!」
「それもあるけど、何よりも天子に手を出したということが」
そう言われてハタと気付いた。
本物の天子が来ず、それになり替わった何者かが来るということは、天子の身に何かあったのだと勘ぐるはず。
目の前の妖怪は、天子のためにここまで怒りを露わにしてるのだ。
「そ、それはち、ちがっ」
「だったら天子がここにいないのは何故!?」
「それ……ぐっ……」
必死に弁明をしようとしたが、喉元を抑えつけられた上に、恐怖で身体が固まって上手く声を出すことができない。
「どこのだれかは聞かないわ、昔からの恨みを持っているようなのは星の数ほどいるもの。けれどね、生憎とこういうのは久しぶりだから抑えが効かないの。まずは気を落ち着かせるためにも、手足を貫いて引き千切ってあげるわ。大丈夫よ、天子の安否を知るためにも死なせることだけはしないから」
「あ、が……まっ……」
このような修羅場と無縁な人生を送っていても、その憤怒の形相から紫の言葉に偽りがないとはっきりわかってしまった。
紫は一歩引きさがると、弓を引き絞るように傘を持った手を後ろに引いて、刺し貫かんと力を溜める。
くる、間違いなく。このまま四肢をいたぶられ、死ぬよりも酷い目にあう。
「ごめ、な、ごめんなざ……!」
何よりも先に出たのが、必死の命乞いだった。
止めようにも涙と鼻水が溢れ、泡を吹いて気を失ってしまいそうになるを引きとめるので精一杯だった。
その様子を紫は変わらぬ表情で睨めつけ、一切の慈悲を持たなかった。
「もう遅い!」
「ひっ――」
無防備な腕に狙いを定めた傘が、ついに放たれて差し迫り――
「ごっめーん! 紫、遅れちゃってホントにごめん!! なんかずっと寝てたみたいでさー」
――そんな修羅場に、暢気な声が割って入ってきて、迫る傘が寸前で止められた。
「大事な話があるって聞いてたのに、すっぽかして……って、あれ……?」
庭に降り立った少女は、青い髪をたなびかせる本物の天子であり。
彼女は屋内で傘を突き付ける紫を見て、目をぱちくりさせた。
そのまま横に視線をずらし、紫に捕われてる女性を見て目を丸くした。
「お母さん、どうしてここにいるの!?」
「はあ!!?」
天子の口から出た言葉に驚愕した紫は、口がふさがらないまま天子と天子の偽物を見比べて、今しがた拷問にかけようとした方に向き直った。
「あの、どちらさまでしょうか……」
「……は、母です」
「誰の……」
「……天子の」
カタンと音を立てて、紫の手から傘がこぼれおちたのだった。
◇ ◆ ◇
「この度はご無礼を働き申し訳ありませんでした!!!」
数分後、解放された天子の母を前にして、土下座をして全身をガタガタ震わせる紫の姿があった。
「とんでもない勘違いで、お母様に危害を加えてしまい。てっきり私の命を狙う賊だと……!」
「いえ、大丈夫です。天人は丈夫なんで、受けたのはフルスイングくらいだし」
母としては謝罪を貰うよりも、一刻も早くこの場から帰って旦那に泣き付きたい本音だった。
力のこもっていない声で、紫の話を流そうとする。
「母さん大丈夫? 目が虚ろなんだけど」
「大丈夫だから、だからもう帰りましょう? ね?」
「いや、私は今来たばっかりだし……」
「帰りましょう?」
天子の手を握って、有無を言わさず連れ帰ろうとする。
とにかく今の状況で一人で帰るのだけはしたくなかった。
(一人で帰ったら殺される……!)
言葉を交わしてわずかではあるが、紫の暖かな部分は知っていた。
しかしそれでも補いきれない恐怖によって、紫に対するイメージが完全にマイナス方向に突きぬけてしまっていたのだった。
「お帰りになるのでしたら私の能力でお送りします!」
「大丈夫です、自分で帰れますから!」
「ならお母様、お土産にお饅頭でも!」
「け、結構です。ほら行くわよ天子!」
「あっ、ちょっと母さんってば。それじゃあまたね紫、話はまた今度聞かせて!」
「そんな、お待ちになってお母様。お母様ぁぁぁあああ!!!」
今更ながら機嫌を伺おうとする紫をつっ返し、母は帰り渋る天子を引っ張って早々に帰路に付いたのだった。
まだ日が傾き切っていない空を、同じ顔をした親子が並んで飛んでいく。
「もー、母さんってば何で私に変装したりしたのよ。おまけにもう帰るだなんてさ」
「あんた、さっきの母さんの状態を見て、よくそんな暢気なこと言えんなぁ」
「まあまあ、結局は大した怪我はなかったし良いじゃん良いじゃん」
全く心配してくれない娘に、母は呆れと若干の軽蔑を含めて睨みつける。
だというのに相変わらずいつもどおりな娘を前に、段々と腹が立ってきた。
「縛り付けられて、傘を突き付けられてたの見たでしょ! あとちょっとで死ぬような目に合うところだったんだからね!」
「あー、やっぱりそうだったんだ。勘違いの仕方によっちゃそうなるわよね」
「軽すぎだろ!? あんた、自分がその身になった時に同じセリフ吐けんの!?」
「まぁ、アレくらいの殺気なら私も初対面の時受けたことあるし」
「えっ」
割ととんでもない告白を受け驚く母を置き去りにして、天子は笑い話でもするかのようなにこやかさで言葉を続けた。
「神社乗っ取ろうとしたら襲ってきてね。スペルカードルールだったけど、隙あらば殺す、あるいは完全に再起不能にするって感じだったわあれは。いやーあの時は冗談抜きで死ぬかと思ったわね、あははは」
「そう、っすか……」
最悪のファーストコンタクトを笑いながら語る天子を見て、もしや一番恐ろしい存在はこいつなのではないのかと、母の脳裏をよぎったのだった。
「ただいま帰りました」
日が沈み、十分な時間が経ってから藍は家の扉を開いた。
本日中に主が一世一代の告白をすると聞いて、気を使って時間を潰してきたのだ。
本当は丸一日くらい開けた方がいいんじゃと考えたりもしたが、付きあった初日にアレこれやれるほど主に度胸はないという結論に達し、今日中に帰ることにした。
しかし帰ってきたが、どこかおかしい。
家の中からは話声が聞こえてこない。
「紫様……? いらっしゃらないんですか?」
声を掛けるが帰ってこず。
藍は首を傾げながら廊下を進む。
「紫さ……ひいっ!?」
藍が暗闇の中で見たのは、何故か正座のままムンクの叫びのような表情で固まる主の姿だった。
「ゆ、紫様どうしたんですか!? ま、まさか天子に振られ……!?」
「お……」
焦る藍だったが、口の端から漏れた主の声を聞いて、聞き逃すまいと耳をそばだてる。
「お、おおお、お……」
「お……?」
「お母様に嫌われてしまったわあああああ!!!」
「……は?」
その地獄の底から響くようなもの悲しげな叫びは、幻想郷中で謎の悲鳴が聞こえたとして新聞に載るのだった。
ある隠れ家で、幸せな時間をむさぼっている妖怪と天人がいた。
「……天子。ほら、もう起きなさい」
「ん……むぅ……」
膝枕をしてもらっていた天子は、呼びかけに起こされて目覚め、夕日に照らされた紫の顔を見上げた。
「……もう、そんな時間?」
天子は身を起して西の空を見つめると、伸びをしてうだるげな身体に力を流す。
「楽しい時間はあっという間に過ぎてしまうものね」
それを見て、紫が名残惜しそうに呟いた。
別にこれが永遠の別れというわけではない、どうせ明日になればまた会うことができる。
しかし一時の子の別れが、紫にとってはとても切なく感じた。
「そうね、異変を起こす前の天界じゃ、こんなに早く感じることはなかったなぁ。それじゃ紫、スキマで天界まで送ってよ」
「……えぇ、そうね」
足元に開かれたスキマに二人の体が吸い込まれると、次の瞬間には遠く離れた天界に彼女たちは現れた。
弾かれるようにスキマから出て来た天子は、天界の地面に足を付けるとバランスを崩しそうになり、身体がよろけさせた。
「ちょっと、大丈夫?」
「おっとっと、相変わらず慣れないわね、スキマ移動」
「……あまり天界に妖怪がいつくと良い顔されないわ、早く別れちゃいましょう」
「うん、それじゃまたね紫!」
天子は手を振ると、家へと走り出した。
それに手を振り返して見送ろうとしていた紫だが、どこか迷いのある表情を浮かべて天子に手を伸ばした。
「――天子!」
「ん、何?」
「あっ、その……」
呼びとめた紫は、しどろもどろに口を開いていたが、やがて決意したように表情を引き締める。
「あ、明日、天子に話したいことがあるの。大事な話」
「大事な話ってどんな?」
「それも含めて明日よ、だから……」
「……うん、また明日ここで」
最後に約束を交わした二人は、今度こそと手を振って別れを告げた。
◇ ◆ ◇
「――でね、明日も二人で会う約束したの」
「ほぉー、相変わらず仲が良いんだな、その紫さんって妖怪と」
家に帰った天子は、両親と机を囲みながらその日あったことを楽しそうに語っていた。
「いやぁ、地上の妖怪なんかと知り合ったと聞いた時は心配だったが、よくやれてるなら結構結構」
「あのねぇ父さん、私だってもう何百年と生きてるのよ? いい加減子供扱いしなくたっていいでしょ」
「ふはは、何百年経とうと父さんと母ちゃんの子供には違いないわ」
「もー、そういうのうざいってばー」
口では嫌がりつつも、天子の表情もそう悪いものではない。
この煩わしくも暖かな雰囲気を楽しんでいると、先程まで黙っていた天子の母が口を開いた。
「それって、本当にただの友達ってだけなのかなー?」
「何だい母ちゃん、いきなり変なこと言いだして」
「なんとなく話を聞いてて妙に仲良すぎるんじゃないかなーって思ってね」
「母さん、私と紫は友達じゃなくてライバルよ! 絶対いつか倒してやるんだから」
「いやそうじゃなくてね……まぁいっか」
ツッコんだところで望みの答えは返ってこなさそうだと、母は諦めて茶をすする。
(そういえば、明日紫から話があるのよね。どんなのだろ)
天子はふと別れ際の言葉を思い出した。
一体何を告げられるのかと考えをめぐらませてみるも、紫がわざわざもったいつけてるような内容が思い浮かばない。
(楽しみね。早く明日にならないかなー)
あのいつも胡散臭い妖怪との約束に、期待で胸が膨らむというものだ。
「しかし下界ねぇ。母さんも天子みたいに降りてみようかなー」
「行くなら博麗神社がおすすめよ、あそこ色んな奴が来る場所だし」
「いや、行くんだったら天子と母ちゃんは一緒に行った方がいいんじゃないか」
「えー、こんな歳にまでなって親子連れとか超恥ずかしいんだけど」
「だってお前らなぁ……」
父は腕を組んで、天子と母の顔を交互に見比べる。
「母ちゃん一人で行ったら、まず間違いなく天子と間違われるぞ」
父の目に映るのは、青い髪、緋色の瞳、そして同じ童顔の少女が二人。
まるで双子のそっくりさんのような親子が、天子と母を見た感想だった。
「えー、そんなに私と母さんって似てる?」
「鏡見ろ娘よ。父さんだってパッと見じゃどっちがどっちかわからんわ」
「ちょっとあんた、ずっと傍にいてそれはないんじゃない?」
「仕方ないだろ、母ちゃん天人になってから若返りの秘術とか使ってるから身長まで同じだし、声もそっくり。ワシならちょっと話せばわかるけど、初見の人じゃ絶対に区別が付かんぞ。分身の術を学びましたで押し通せるレベル」
しかも天子と母は親子だけあって諸々の挙動や癖などがかなり似通っている。
若干、言葉遣いでわずかな差が出るので父には判別可能だが、黙っていては誰にもどちらが天子かわからないだろう。
「話に出てる紫さんだって、同じ服装で出て行ったら母ちゃんを天子と間違えるんじゃないかな」
「いやーないない。あいつそういう勘すごい良いから」
笑って否定する天子だったが、母は意味深な笑みを浮かべてこっそりと呟く。
「……そっかー、それなら色々調べられるかもね」
こりゃ面白いかもしれない、と母は声を殺して笑っていた。
◇ ◆ ◇
翌日のお昼過ぎ、天界にも日が上り、どんなに寝坊癖が付いた天人も起きだしているころだが。
「はーい、天子の母親でございまーす。ただいま私は、まだ眠っている娘の部屋に侵入したところで~す」
誰が見ているわけでもないのに実況しながら、そっと戸を開けて母は天子の自室に入りこんできた。
忍び足でベッドに近づくと、静かに寝息を立てている天子に近寄って、天子の頬を突っつく。
「何でこんな時間まで寝ているのかと言いますと、私が昨晩のうちに睡眠の術をたくさんかけたからでーす。まだしばらくは起きませ~ん」
天子が寝入った後、今と同じように忍び込んだ母が術をかけたのだ。
しかも普通の人なら眠りが深くなるどころか永眠するレベルで。
もっとも天人は抵抗力が強いので、せいぜい睡眠時間が延びる程度だが。
「さてさて、天子もちゃんと寝てることだし、ちゃっちゃと済ませちゃおうかね」
母はベッドから離れると部屋にあったタンス笥を開けて、いつも天子が来ている服を取りだした。
「……何で同じ服がいっぱいあるんだこれ」
幻想郷少女なら当然のたしなみである。
ともかくお目当ての物を見つけた母は、娘の服装に着替えると、スペアの帽子をかぶって姿見の前に立つ。
「はーい、比那名居天子17歳です……なんちゃって」
どこからどう見ても、天子にしか見えない人物が映っているのを見て、母は満足げにうなずく。
服のサイズもピッタリだ、胸辺りも窮屈感はなく、勿論緩すぎて布が余ることはなく綺麗に平べったい。
「……我が娘ながら不憫だわ」
思わず眠りこける娘を生温かい目で見つめてしまう。
これで未来に希望が持てるならまだいいが、恐らく肉体が成長しようと胸囲が成長することはあるまい。経験でわかる。
「まぁ、それより噂の紫さんよ。天子はただの友達みたいに話すけど、聞いてる限り紫さんの反応はなんとなく普通じゃないっぽい。ふふふ、母さんがその秘密を暴いてやる!」
それを実行に移すあたりやはり天子の血縁と言うべきか。
天子の恰好をして部屋を出た母は、廊下を抜けて父のいる今に顔を出した。
「それじゃ父さん、私紫のとこ行ってくるから!」
「おう、気を付けてな」
努めて明るく、無邪気に声を出した母に、父はいつも通り娘に対する言葉を送る。
その反応に「よし」と握りこぶしを作ると、母は家を出て行った。
「……あれ、天子だったな今の?」
その後、今更違和感を覚えた父が、不思議そうに呟いていた。
◇ ◆ ◇
「えーと、確か天子の話じゃいつもこの時間に、ここら辺で待ち合わせてるのよね」
家を出て天界の辺境まで足を運んだ母は、目当ての人物を探して辺りを見渡した。
だがいくら探しても、それらしい人物は見当たらない。
話ではスキマを使って瞬時に現れる能力を持っているそうだが。
「――あら、もう来てたのね天子」
突如、母の背後から聞きなれない、親しみのある声が響いてきた。
母が振り返ってみると、そこにいつのまにかいたのは金色の髪に紫色のドレスを着た、長身で妖美な女性。
天子から聞いていた特徴にぴたりと一致する妖怪だった。
(この妖怪が、天子の言ってた八雲紫か……っていうか胸でかっ)
なるほど、天子が競うだけあって隙のなさそうな、強力な妖怪だ。カップも文句なし。
「もう、遅い! いつまで待たせてるのよ」
「嘘おっしゃい。どうせあなただって今来たとこでしょ」
呆れたように返す紫を見て、母は確かな手ごたえを感じる。
数百年も傍で天子を見てきたのだ、天子がどんな時にどんな事を言うのか、大体のパターンは頭に入っている。
これならこの妖怪を騙すのも他愛ないなと思っていると、紫は眉をひそめて尋ねてきた。
「……あなた、天子よね?」
「いっ、いきなり何言ってんのよ。どこからどう見ても私でしょ」
「……気のせいよね。ごめんなさい、あなたみたいな残念わがまま娘の真似をできるようなのがいるはずないわよね」
「おい、残念ってどういう意味よ」
(あっぶねえええええ。旦那だって気付かなかったのに、何こいつ怖い!)
わずかながら勘付いた紫を前に、母は鼓動を加速するのを感じながら警戒を深めた。
これは一言一言気合を入れておかないと、どこかで見破られてしまうかもしれない。
「それよりほら、妖怪と一緒にいるところ他の天人に見られたら、色々とうっとうしいわ」
「そうね、早く移動しましょうか」
確か紫さんに移動させてもらうのよね、と娘の話を思い返した母の足元に、スキマが開いてその体を飲み込んだ。
「いっ!?」
闇の中で見えたのは、ギョロリとこちらを見つめる幾千もの眼。
その薄気味悪さに悪寒を感じたのも束の間、母はスキマから弾き出されて、見知らぬ家の前で尻もちをついた。
「いたっ!」
スキマとかいうものでで移動するとは聞いていたが、あんな突然で気味の悪いものだとは想像が付かなかった。
こんなものを扱うなんて妖怪と、よく娘はつるんでいられるなと感心した。
「あなた、そんな無様でどうしたの? 変よ今日のあなた」
そうこうしていると後から現れた紫が、不思議そうな眼で母を見つめてきた。
その眼には、間違いなく疑惑が含まれている。
「あ、いや。昨日中々寝付けなくてね! ちょっと寝不足になっちゃってさー、あはは!」
(ち、ちょっと苦しいかこの言い訳?)
咄嗟に誤魔化そうとするも、バレるんじゃないかと内心冷や汗をかく。
だが母の不安と裏腹に紫は面食らったような顔をした後、急に恥ずかしそうな表情を浮かべて、もじもじしだす。
「そ、そうなの、そうだったのね……」
「えっ」
「天子、あなたが寝不足になるくらい話のことが気になってたのはわかるけど、少し猶予が欲しいの。今日中には、あなたに伝えるから、それまで待ってくれないかしら?」
「お、おう」
(あれ、これもしかしてとんでもないタイミングで入れ替わっちゃった?)
熱っぽく話す紫にそこはかとない嫌な予感がしながらも、今更ネタばらもしづらい。
紫に真実を伝える気にはならず、促されるまま家の縁側に腰を下ろした。
「藍、お茶の用意をお願い」
「かしこまりました」
いつの間にか傍に控えていた妖怪を見て、その鮮やかな金毛に母はギョッと目を剥く。
(あの子から式がいるって聞いてたけど、九尾かよぉ!?)
しかもよりにもよってその九尾にさせているのが、ただのお茶汲み。
(九尾を顎でこき使うって、もしかして娘の友人ってかなりとんでもないんじゃね?)
緋想のを使っても勝てないというから強いだろうとは思っていたが、まさか娘が楽しそうに話す友達が、そこまでヤバイ存在だったとは。
隣に剣座る妖怪に戦慄を覚え始めていると、家の奥からさっきの九尾の声が届いてきた。
「天子ー! すまないがちょっと来てくれないかー?」
「な、なにかしら!?」
「珍しいわね、あの子が天子を呼ぶなんて。ほら行ってらっしゃいな」
母は仕方なく靴を脱いで家に上がるが、誘い出されたところでパクリといただかれないか警戒していた。
天人の肉体は妖怪には毒だが、別の方法で食べられたりする可能性はある。例えば性的にとか。
用心しながら声がする方を辿っていくと、台所で湯を沸かす九尾の藍に出くわした。
「いきなり呼び出して何の用?」
「紫様から話があるとは聞いているだろう? まぁ、それに関する事なんだがな」
緊張気味に話しかけたが、藍からは穏やかな口調が返ってきて肩の力を抜く。
「あれだけ表に出てるんだ、紫様が話すことが重要なことだと察して入ると思う」
「そ、そうね」
顔を合わせたのが初めてではあるが、事前に聞いていた話とさっきの態度からして予想は付いている。
(そうだったら面白いなーとか思ってたけど、まさかマジで妖怪がウチの娘にホの字だったとは……)
とは言え、この母はやはりあの天子の母。
自由気ままな気質であり、本人らが納得しているなら妖怪だろうがなんだろうが構わない。
唯一にして最大の問題は、今いるのが天子本人でないことであるが、今から言い出すのも気まずい。
「まぁ、ないとは思うが、お前がもし紫様の話に対して心ない言葉を返しでもしたら、あの方は深く傷つくだろう。あの方はこう言ったことに対しては、経験がないからな」
火の加減を見ていた藍は天子の母に向き直ると、両肩をガッシリつかんで力強く握りこんだ。
「だがもし、そんな紫様を泣かせるような者が現れれば、その時は古今東西の権力者を破滅へ追い込んだ、私秘伝の呪術フルコースをお見せしようと思うんだ……!」
「ちょっ、藍さん痛い、爪立ってて痛っ、いたたたたた!!?」
藍にたっぷり釘を刺されて、たった数分でヨロヨロになった母は紫の待つ縁側に戻って来た。
「おかえり、てん……どうしたのあなた?」
「いや、なんでもないです……」
息も絶え絶えに紫の隣にへたり込む。
何であんな恐ろしい妖怪が傍にいるのに、楽しそうに下界のことを語れるのか疑問だ。
「いやぁ、式に愛されてますね紫さん……」
「藍に何かされたの? はぁ、あの子ったら後でお仕置きね」
(アレにお仕置きできるとかあんたも十分怖いな)
よくこの状況で娘が生きのこれたものだと感心する。
流石にあの破天荒な娘と言えど、大妖怪相手に本気の怒りを買うことはそうそうないだろうから、よっぽどのことがない限り大丈夫だろうが。
「お茶をお持ちしました。それでは紫様、私は出掛けてまいりますので」
「あらありがとう。ところで藍、後で覚悟しておいてね」
「え゛っ」
「おかしいな、天子があの程度でビビるはずが……」とボヤキながら退出する藍を見届けると、湯呑みを手にとって茶をすすった。
「……美味しい」
「お饅頭も用意してあるわよ」
「おっ、食べる食べる!」
あの九尾の淹れてくれたお茶のなんと美味なことか、素材も一級品だが、九尾本人の腕前もまた凄まじいものだと感じる。
また紫がスキマから差し出してくれた饅頭も、ここまで美味しいものは初めてだった。
「んー、美味しいー!」
「ほら、あんまり急いで食べてたら喉に詰まるわよ。よく噛んで食べなさい」
(むぅぅ、天子めこんな美味しいものを食べていたのか。一つくらい家に持って帰りなさいよ親不孝者め)
「ゆかりぃー、家族へのお土産にお饅頭ほしいなぁって」
「あなた前にもそう言って、私があげたお土産を道中で全部食べてたでしょ。スキマから見てたから知ってるわよ」
「アレー? そうだったっけアハハハハー」
(帰ったら折檻じゃバカ娘)
新たに判明した事実に、娘へのヘイトが順調に溜まっていく。
(下界でこんな贅沢してやがるとは、至れり尽くせりじゃないの)
美味しいお茶に美味しいお菓子、それを一緒に食べる気の合う友人。
しかもその友人と言うのが色々と凄い。
天人が緋想の剣を持ってもかなわなかったり、九尾をこき使ってたりするところも凄まじくはあるが、それ以上に、
(……何度見ても大きいわ)
お っ ぱ い が で か い 。
本当にでかい。天人や天女の中には巨乳もいたが、その中でも一際でかい、その上に形もバツグンに整っている。
もしかしたらここまで見事な胸は、この母も初めて見たかもしれない。
気になってチラチラと盗み見しているが、それに気づかぬ紫はお茶をすすると息を吐いた。
「ふぅー、熱さが身に沁みるわぁ」
ホッと肩を落とした拍子に、その巨大な質量がたぷんと。
(い、いま揺れたよ胸が! たぷんって聞こえたよ確かに!?)
恐るべきおっぱいに意識を乱される。
最早隠すことも忘れて、紫の胸をガン見していた。
(すっげぇなぁ、あれを手で揉んだりでもしたらどうなるんだろう。すっげぇ気になるわ)
夫から「身体は女だが、心にち○こ付いとるよお前」などと言われたことのある身としては、否応なしに想像が膨らむ。
触るとどんな感触がするのだろうか、指が沈みこんだりするのだろうか。
色は? 艶は? 感度は?
考えるだけで精神がおっぱいに集中し、音を立てて唾を飲み込んでいた。
「……天子、その、そんなにじっと見られると気になるんだけれど」
そんな母に見つめられていることに気付いた紫は、熱っぽい視線から気恥ずかしそうに身体をもじらせた。
さ そ っ て ん の か 。
(こんなん見せられて我慢できるかっ!!!)
「ああっと! 紫の胸に虫がくっついてるー!! 取ってあげるからそこ動くなよお前!?」
「えっ、ちょ、きゃあ!?」
適当な理由を付けて触ろうとしたが、勢い余って紫の胸に頭からダイブしてしまった。
まぁそれはそれでいいやと、開き直って紫の胸の感触を堪能する。
(や、わ、ら、けぇぇぇ! 良い匂いするし、何これ桃源郷? うっわ顔がどんどん埋まるし、これ枕にして寝たらどんな感じなんだろう。でもそしたら窒息しそう、いやそれはそれで幸せか……? そうだ、味もみて)
「やぁっ、こら離れなさい!」
「いてっ」
思う存分に胸を楽しんでいたら、紫に拳骨を喰らって引き離された。
「いたたた。ごめんごめん、手が滑ったわ」
「嘘を吐かないの、誰がどう見てもわざとだったでしょ今の」
「チッ、バレたか」
つい衝動的に行動してしまって、若干後悔する。
流石にこんな不審な行動をすれば、正体を暴かれてしまうかもしれない。
いくらなんでも、友達の間柄で今のはないだろうに。
「もう、そういうことする時は、ちゃんと先に教えてって言ってるのに……」
(いつもやってんのかよ!?)
それもう友達じゃねえだろとか、お願いすれば触らせてやるのかとか、色々とツッコミたかった。
こんなおっぱいを娘は毎日堪能していただなんて、うらやまけしからん。
(良いなぁ天子のやつ。私が旦那に甘えてもあるのは堅い胸板で、やわらかいのはふぐりくらい……性転換の術とか探してみようかなー。需要はありそうだしどっかの天人が開発してるでしょ)
「へっぶし! 何だ今の悪寒……天子は出て行ったし、母ちゃんも気が付いたらいないし、父さん一人でさびしいなぁ……」
「どうしたの天子、変な顔して」
「ちょっと考え事をね」
黙り込んで夫改造計画を練っていると、妙に思った紫に心配されてしまった。
「そ、そんなに触りたいのなら、私もイヤだけど少しくらいは我慢して……」
「いやいやいやいや、それはいいから!」
流石に夫がいる身で、これ以上やるのはまずい。すでに手遅れだとか言ってはいけない。
(というか、案外紫さんって貞操観念が軽かったりする? そんなのと娘が付き合うのはちょっと嫌だなぁ……)
もし紫が初めてあった相手とその場の雰囲気に流されてベッドIN! などしてしまう女性なら、天子も傷付くことになってしまうだろう。
娘の未来を危ぶんだ母は、再びお茶を飲み始めた紫にそこらへん探ってみることを決めた。
「紫さんや、ちょっといいかしら?」
「はいはい、何かしら天子さんや」
「紫のことが好き――」
「ブフォアッ!? ゲホッ、ゴホッ!!?」
「――って言う人が現れたらどうする、って聞いてないなオイ」
こちらが言い終わらないうちに、盛大にお茶を噴き出してむせる紫を前にして呆れる。
好きって単語にどこまで反応しているんだろうか。見た目大人っぽいくせにウブか。
「ててててて、天子今何て!?」
「だから、紫のことが好きって人が現れたりしたらどうするって聞いたのよ。人って言っても妖怪とかもありで」
「あ、あぁ、何だそういうこと……」
(目に見えて落ち込んでんなぁ)
一瞬だけ残念そうにうつむく紫だったが、すぐに気を取り直してしゃんと背筋を伸ばす。
「相手がだれであれ、好意がない相手なら丁重にお断りするだけよ」
「それがもししつこく頼みこんできて、一晩だけでもと土下座してくるようなやつなら?」
「前提がおかしい気もするけど、その時は相応の対応でお帰り願うだけね。具体的には全治六ヶ月くらいで」
「六ヶ月って、そりゃまた容赦のない……」
思ったよりも過激な反応に驚きながら、少しだけ安心する。
さっきのような寛容さは、あくまでも天子が相手の場合だけのようだ。
「しかしいきなり変なことを聞いてくるのね」
「えっと、少し前に友達でそう言うのに困ってるのがいたって言うか」
「……友達が?」
適当に言い訳で場を終わらせようとしたが、その言い分に紫が妙な反応をしてしまった。
「それ、本当に友達の話なのかしら?」
「いやだからそう言って」
「そうやって友達を理由にした相談事とかは、決まって自分に関係することだったりするものよ」
(そこは流せよ。疑問を持たず相談だけ乗って、後は追求しないってのがお約束だろーが)
面倒臭そうな方向に話が流れていくのを感じるが、その流れを止める暇もなく話は進む。
「まさか、まさかと思うけど天子にそうやって言い寄ってくる虫けらが!?」
「虫けらて、そんなのいないって」
「心配しなくてもいいのよ天子。あなたがその虫の名前を教えてくれれば、後はこっちが穏便に消してあげるから」
「にっこり笑って言うなマジ怖いから!」
初めて触れる圧倒的善意の殺意を前に、思わず身がすくみあがる。
「いないからそんなの! 大体いたとしても紫の手を煩わせる前に、私が直接お灸を据えるわよ」
「……そうよね。考えてみれば、そんなことになったら相手が半殺しよね。それでもまだ甘いと思うけれど」
(何だっつーのこいつ、怖いよもう……)
表面上は平静を装っているが、すでに天子の母の心は怯えてしまっていた。
(まさかとは思うけど、邪魔になったら恋人の親でも排除しちゃうとかそういうのはないよね……ないよね……?)
不安に思う脳裏にビジョンが流れる。
夕暮れ時、天子と別れ一人になった紫が、夕日を眺め憂い気に言葉を吐く光景。
『はぁ、天子とずっと一緒にいたいのに家に帰っちゃうのが残念だわ……親がいなくなれば、帰る必要もなくなるわよね?』
「あかん!」
「は? いきなり駄目って」
「いやその、そういう過激すぎるのは駄目だな―って思うんですが……」
身の危険を感じて、それとなく暗殺などの物騒な方法を取らせないよう、紫の説得にかかる。
失敗するわけにはいかない、自分と自分の夫の命のためにも。
「もっとこう、もしもの時は穏便にね?」
「じゃあ数百年くらい異空間に閉じ込めるくらい?」
「……もう一つランクを下げてくださいませんか」
「なら情報操作で社会的に抹殺するくらいかしら」
(苦しめる方法を変えろって言ってるんじゃなくて、容赦してやれよって言ってんのよ!!)
とは言え問答無用で抹殺だった先程と比べれば、大分マシになったというところか。
これぐらいならギリギリ問題なし――
『聞きました奥さん? 比那名居さん家のお母さんって、上司を誘惑したんですってねぇ』
『あら、私はお父さんが横領したって聞いたわ』
『あの家って悪い噂だらけで怖いわぁ』
『まぁ、一家そろって天界追放は妥当な処分ですよねぇ』
「あっかーーんんん!!!」
駄目だ、どっちにしろ色んな意味で終わりまくりだ。
天人の奥様方に後ろ指さされながら、下界に降りて貧相な生活を送るなんてまっぴらごめんだ。
「もっとマイルドであまあまな内容にしてお願い!」
「更に甘いとなると、お仕置きで全治九年とか……」
「何で六ヶ月から九年に延びてるのよ!? そういうのんじゃなくて、「めっ、だぞ?」って言って叱るぐらいやつで」
「それくらいじゃ効果がないでしょう。そんな時は相手の心を完全に挫いて、反抗しようという考えが思い付かないほど追い詰めるものだって、あなたも前に言ってたじゃない」
(母です、ウチの娘が知らない間に真っ赤に染まっていました……ってか普段どんな話してるんだこいつら……)
朱に交われば赤くなるという言葉の意味を、言葉でなく心で理解した。
しかし決してそれは他の影響を受けた結果などではなく、天子が持つ元来の性格であることを母は知らない。
「わ、私はいいのよ私は!」
「相変わらず自分勝手なことばかり言うわね。と言うか道理が通らないわよそれじゃあ」
「そのね! あ、あんまり紫にばっかりそういう薄汚いことやらせたくないな、っていう気遣いの心って言うか、もう言わせないでよ恥ずかしい!」
(うっわー、今の私ってすごく馬鹿らしいこと言ってるよ)
「そ、そうだったの……まぁ、そういうことなら私としてもむげにはできないわね、えぇ……」
(そして案の定、騙されてくれてるよ)
照れ隠しに取りだした扇子で表情を隠そうとしてるが、笑みを深めて嬉しそうにしてるのがモロバレだった。
「とは言え、何かあったら一言くらいは伝えて頂戴よ。もしもの時に手を打つ準備はしておきたいわ。知識はあっても、世間知らずのお嬢様なんだから」
「心配性ねぇ、大丈夫だって」
「確かにあなたは強いけれど、力でブン回したり解決できないものがあるのよ。痴情のもつれとか特にね」
(正直、さっきからちょこちょこウブい反応したりする紫さんに言われたくないが)
「それにあなたって限度知らずの快楽主義者だから、現状を楽しんでるうちに気が付けば後味の悪い結末に、なんてなりかねないし。異変の時も似たようなものだったじゃない」
「だ、大丈夫だって……多分」
調子に乗りやすい娘の性格を思い返し、あながち紫の指摘が間違いではないなと、母も母で心配になってくる。
しかし同時に、紫の天子に対する想いが、その言葉から読み取ることができた。
(本当に天子のことが好きなのねこの妖怪)
直接的な物言いから手厳しくも感じるが、それも天子を想うからこそだ。
同時に天子のことを理解し、言葉の意味を正しく受け取ってくれると信頼している。
(あのバカ娘にはもったいない相手だわこりゃ)
恐ろしいるところもあるが、暖かみを感じさせてくれる。恐ろしいところもあるが。
まだ実際に話して少ししか経っていないが、娘の友人に気を許し始めていると、紫は感慨深そうな眼をして呟いた。
「異変と言えば、あの時に出会った時には険悪だったわね、私たちは」
「えっ、うん、そうね」
(そう言えば天子から紫さんとの出会いについては聞いてなかったな。とりあえずそれっぽくしとこ)
「あの時は、こんな風に二人で話すような仲になるとは思わなかったわ」
「うん……」
「本当に、こんなに近くにいたいと思うようになんて……」
「うん……?」
紫から妙な空気を感じて、神妙そうにうなずいていた首が傾く。
「最初は警戒していたのに、あなたったら屈託なく笑っているもんだから、気が付けばあなたに興味が湧いて、私の方からちょっかいかけるようになって……」
(あれ、これ告白コースじゃね? やばくね?)
すっかり忘れていたが、そう言えばそんな気配がしていたんだった。
まずい、流石に娘の友人の一世一代の告白を代わりに受けるのは、娘と紫の恋路を邪魔するのと同義だ。
「思えばあの時すでに、あなたに惹かれ始めていたんだと――」
(マズイマズイマズイ! でもここで「実はお母さんでした!」とか言い出せる雰囲気じゃないし。いやまだ遅くない、別に今言い出しても紫さんなら許してくれ)
『そんな、私の一世一代の告白を邪魔してくれたなんて……死んで償え!!!』
(そういうことにはならないよね? 許してくれるよねきっと!?)
「――近くなりすぎて、もうただのお友達じゃ我慢できないのよ」
(あ、やべ、考えてる間にタイミング逃した)
想像上の紫に怯え、意識を現実に引き戻した時には、もはや告白まで秒待ちの段階だった。
「別にちょっとくらい我慢しても良いんじゃないかなーって……具体的にはあと一日くらい……」
「駄目なの、もう一日、いえ一秒たりとも我慢できないの!」
「お、おう!?」
とうとう堪え切れず感情をむき出しにした紫に、両肩を掴まれて詰め寄られる。
そのまま勢いに押されて、床に押し倒される格好になってしまった。
「天子……!」
(く、喰われる!?)
本当なら押しのけて事実を伝えるべきところなのだが、テンパった頭ではその結論にたどりつけなかった。
泡を食ってうろたえている間に、紫は揺れる瞳を向けて言葉を絞りだそうとする。
「あ、あわわ……」
「私は、私はあなたのことが……」
しかし何かに気が付いたように、紫が口をつぐんだ。
「……ん?」
「ど、どうしましたか?」
「いや、ちょっと胸が違う気が」
「胸?」
その発言に疑問を浮かべる暇もなく、迷いのない動きで紫が平べったい胸に手を置いた。
「ちょっと大きい気が……」
「ひゃう!?」
もにゅ、もにゅと軽く揉み。
「…………この偽物めええええええ!!!」
「何なのよその見分け方は! っていうかあの子って私よりも小さいの!?」
変態的な見分け方で呆気にとられた天子の母に、スキマから取り出された紫の傘が、フルスイングで叩きこまれた。
「グエーッ!?」
潰れたカエルのような悲鳴を上げて壁に叩きつけられた身体を、開いたスキマが捕えて縛り付けた。
四肢も同じようの固定され、動きを完全に封じたところで紫が傘を喉元に付き付ける。
「な、なんで傘?」
「まさか、天子に化けてこの私に近づこうとする輩がいるとは思いもしなかったわ。でも残念だったわね。あの子は見栄を張って、ほんのわずかに大きめのサイズの服を着てるのよ」
「よくそんなこと知ってんなあんた」
「しかし、こんな風に私に近づこうとする輩なんて久しぶりね。さて、どうしてくれようかしら……」
「あの、紫さんこれには海よりふかーい事情がありまして」
「黙れ」
「ひっ……」
言い訳をしようとしたところに、紫から殺気のこもった視線で貫かれ悲鳴を漏らす。
ずっと天界にこもっていた天子の母が生まれて初めて感じる、大妖怪が特定の個人に向けた明確な殺気だった。
「許せないわ、私を騙して……」
「す、すいませんでした! 胸に顔突っ込んだりしたり、告白の邪魔したりして!」
「それもあるけど、何よりも天子に手を出したということが」
そう言われてハタと気付いた。
本物の天子が来ず、それになり替わった何者かが来るということは、天子の身に何かあったのだと勘ぐるはず。
目の前の妖怪は、天子のためにここまで怒りを露わにしてるのだ。
「そ、それはち、ちがっ」
「だったら天子がここにいないのは何故!?」
「それ……ぐっ……」
必死に弁明をしようとしたが、喉元を抑えつけられた上に、恐怖で身体が固まって上手く声を出すことができない。
「どこのだれかは聞かないわ、昔からの恨みを持っているようなのは星の数ほどいるもの。けれどね、生憎とこういうのは久しぶりだから抑えが効かないの。まずは気を落ち着かせるためにも、手足を貫いて引き千切ってあげるわ。大丈夫よ、天子の安否を知るためにも死なせることだけはしないから」
「あ、が……まっ……」
このような修羅場と無縁な人生を送っていても、その憤怒の形相から紫の言葉に偽りがないとはっきりわかってしまった。
紫は一歩引きさがると、弓を引き絞るように傘を持った手を後ろに引いて、刺し貫かんと力を溜める。
くる、間違いなく。このまま四肢をいたぶられ、死ぬよりも酷い目にあう。
「ごめ、な、ごめんなざ……!」
何よりも先に出たのが、必死の命乞いだった。
止めようにも涙と鼻水が溢れ、泡を吹いて気を失ってしまいそうになるを引きとめるので精一杯だった。
その様子を紫は変わらぬ表情で睨めつけ、一切の慈悲を持たなかった。
「もう遅い!」
「ひっ――」
無防備な腕に狙いを定めた傘が、ついに放たれて差し迫り――
「ごっめーん! 紫、遅れちゃってホントにごめん!! なんかずっと寝てたみたいでさー」
――そんな修羅場に、暢気な声が割って入ってきて、迫る傘が寸前で止められた。
「大事な話があるって聞いてたのに、すっぽかして……って、あれ……?」
庭に降り立った少女は、青い髪をたなびかせる本物の天子であり。
彼女は屋内で傘を突き付ける紫を見て、目をぱちくりさせた。
そのまま横に視線をずらし、紫に捕われてる女性を見て目を丸くした。
「お母さん、どうしてここにいるの!?」
「はあ!!?」
天子の口から出た言葉に驚愕した紫は、口がふさがらないまま天子と天子の偽物を見比べて、今しがた拷問にかけようとした方に向き直った。
「あの、どちらさまでしょうか……」
「……は、母です」
「誰の……」
「……天子の」
カタンと音を立てて、紫の手から傘がこぼれおちたのだった。
◇ ◆ ◇
「この度はご無礼を働き申し訳ありませんでした!!!」
数分後、解放された天子の母を前にして、土下座をして全身をガタガタ震わせる紫の姿があった。
「とんでもない勘違いで、お母様に危害を加えてしまい。てっきり私の命を狙う賊だと……!」
「いえ、大丈夫です。天人は丈夫なんで、受けたのはフルスイングくらいだし」
母としては謝罪を貰うよりも、一刻も早くこの場から帰って旦那に泣き付きたい本音だった。
力のこもっていない声で、紫の話を流そうとする。
「母さん大丈夫? 目が虚ろなんだけど」
「大丈夫だから、だからもう帰りましょう? ね?」
「いや、私は今来たばっかりだし……」
「帰りましょう?」
天子の手を握って、有無を言わさず連れ帰ろうとする。
とにかく今の状況で一人で帰るのだけはしたくなかった。
(一人で帰ったら殺される……!)
言葉を交わしてわずかではあるが、紫の暖かな部分は知っていた。
しかしそれでも補いきれない恐怖によって、紫に対するイメージが完全にマイナス方向に突きぬけてしまっていたのだった。
「お帰りになるのでしたら私の能力でお送りします!」
「大丈夫です、自分で帰れますから!」
「ならお母様、お土産にお饅頭でも!」
「け、結構です。ほら行くわよ天子!」
「あっ、ちょっと母さんってば。それじゃあまたね紫、話はまた今度聞かせて!」
「そんな、お待ちになってお母様。お母様ぁぁぁあああ!!!」
今更ながら機嫌を伺おうとする紫をつっ返し、母は帰り渋る天子を引っ張って早々に帰路に付いたのだった。
まだ日が傾き切っていない空を、同じ顔をした親子が並んで飛んでいく。
「もー、母さんってば何で私に変装したりしたのよ。おまけにもう帰るだなんてさ」
「あんた、さっきの母さんの状態を見て、よくそんな暢気なこと言えんなぁ」
「まあまあ、結局は大した怪我はなかったし良いじゃん良いじゃん」
全く心配してくれない娘に、母は呆れと若干の軽蔑を含めて睨みつける。
だというのに相変わらずいつもどおりな娘を前に、段々と腹が立ってきた。
「縛り付けられて、傘を突き付けられてたの見たでしょ! あとちょっとで死ぬような目に合うところだったんだからね!」
「あー、やっぱりそうだったんだ。勘違いの仕方によっちゃそうなるわよね」
「軽すぎだろ!? あんた、自分がその身になった時に同じセリフ吐けんの!?」
「まぁ、アレくらいの殺気なら私も初対面の時受けたことあるし」
「えっ」
割ととんでもない告白を受け驚く母を置き去りにして、天子は笑い話でもするかのようなにこやかさで言葉を続けた。
「神社乗っ取ろうとしたら襲ってきてね。スペルカードルールだったけど、隙あらば殺す、あるいは完全に再起不能にするって感じだったわあれは。いやーあの時は冗談抜きで死ぬかと思ったわね、あははは」
「そう、っすか……」
最悪のファーストコンタクトを笑いながら語る天子を見て、もしや一番恐ろしい存在はこいつなのではないのかと、母の脳裏をよぎったのだった。
「ただいま帰りました」
日が沈み、十分な時間が経ってから藍は家の扉を開いた。
本日中に主が一世一代の告白をすると聞いて、気を使って時間を潰してきたのだ。
本当は丸一日くらい開けた方がいいんじゃと考えたりもしたが、付きあった初日にアレこれやれるほど主に度胸はないという結論に達し、今日中に帰ることにした。
しかし帰ってきたが、どこかおかしい。
家の中からは話声が聞こえてこない。
「紫様……? いらっしゃらないんですか?」
声を掛けるが帰ってこず。
藍は首を傾げながら廊下を進む。
「紫さ……ひいっ!?」
藍が暗闇の中で見たのは、何故か正座のままムンクの叫びのような表情で固まる主の姿だった。
「ゆ、紫様どうしたんですか!? ま、まさか天子に振られ……!?」
「お……」
焦る藍だったが、口の端から漏れた主の声を聞いて、聞き逃すまいと耳をそばだてる。
「お、おおお、お……」
「お……?」
「お母様に嫌われてしまったわあああああ!!!」
「……は?」
その地獄の底から響くようなもの悲しげな叫びは、幻想郷中で謎の悲鳴が聞こえたとして新聞に載るのだった。
天子ママさんとパパさんがナイスなキャラでした。
続編超期待
家に帰ったら正座したムンクの叫びがいるとかどんなホラーよ
ゆかりんが心労で死んでしまうわw
パパもママも可愛いなぁ、この三人の家族風景思い浮かべるだけで、再度ニヤニヤできそうです。ほんと思い浮かべるだけで頬がw
天真爛漫な天子、初心な可愛い紫様、ご馳走様でした!
それと、 泡を拭く→泡を吹く だと思います
こんな紫も有りだと切に感じました。
続き超読みたい。
面白かったです。
あーるあるあるw
はしたなくも拾わざるを得ないこのフレーズw
侮れんな天子母
そしてソレに惚れてしまった天子父に乾杯
比那名居一家全員ダメダメだなーw
>圧倒的善意の殺意
なにそれあたらしい