Coolier - 新生・東方創想話

「秘封奇譚~シラヌヒの街で」

2013/05/01 03:11:57
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とある、京の大学に通う二人の学生、宇佐見 蓮子。
そしてその親友にして、蓮子と共に結成したオカルトサークル「秘封倶楽部」のメンバー、マエリベリー=ハーン。
彼女達はいろいろな謎の遺物や史跡を巡ってはその足跡を調べ、また、それにまつわる不思議な体験をする、今の時代にしては珍しい「人間」達。
特にマエリベリー・・・メリーはその能力ゆえ、生死の合間や歴史の後先を垣間見て、またそれを蓮子にも見せる事が出来る。
二人サークルと言う狭い世界ながら、とても広い空間を共有する二人。
しかし、その世界は常人の立ち入れる世界ではない為か、彼女達以外のサークル員は誰もいない。
また、彼女達も積極的に新人を受け入れる事もせず、日常に潜む幻想や怪奇と、それに絡む現象に遊ぶ事に夢中になっていた。

しかし先日、二人は「因縁トンネル」の噂を調べに蝦夷の国に行き、とんでもない物を見て帰ってきた。
「・・・何と言うか覚悟はしてたけど、あそこまで酷い事があったとは思わなかったわ。」と蓮子。
その声は数日経ったと言うのに、どこか疲れている。
「話で見たより壮絶だったわね・・・下手するとあの敷地、全部掘り起こして念入りに供養しないと新しい境界を作るわよ・・・。」
メリーも同じ様な声だ。

蝦夷の国の開発当時、タコ部屋と言う違法労働用の小屋に詰め込まれ、鉄道やトンネルの敷設にこき使われ、そのまま殺されたり、病死した者をトンネルの壁や鉄道敷の下に
埋めてしまい、そのせいで浮かばれない者達がトンネルに出て来ている、と言う話があったのだが、事の真相はもっと壮絶なものだった。
斡旋業者に騙されて連れてこられ、病死した、または脱走を図り、見せしめに壮絶なリンチを受け、そのまま生き埋めにされてしまった者達の叫びや怨嗟が渦巻くそこは、
ただの人間ならともかく、蓮子たちのような人間が不用意に近づいて良い場所では無かったのだ。
目的地に着いた途端、メリーがパニックを起こし、蓮子もトンネル近くの慰霊碑まで行く事も叶わず、何とか宿の方へ帰ろうと向かった先は全く違う方向・・・同じ労働条件で
作られたダムと堤防のある川のほとり。
堤防の中から聞こえる嗚咽と願い、望郷と無念は更に二人を追い詰め、予定の日程を一日半で投げ出して帰ってきてしまった。
その後遺症は未だに彼女らの脳裏と体にこびりつき、二、三日経って京の寺で懇意にしている僧侶に見てもらった所、今の旅行先、肥前の国を紹介されることとなる。
僧侶の言う事では、どうも肥前で出会う「ひと」が、彼女達に憑いているモノの願いを解決してくれると言う。
二人が何か曰くのある地に行っては、時々変な物を連れ帰り、その度に説教をしながらそれを払ってくれる僧侶も、今回は流石に真っ青になって、説教もなしに地図と行き方を
全て手配し、強力な護符をいくつか持たせてくれた。理由を訊くとどうも、「他の人にそれを移さないように」と言う理由も有るらしい。
そこで二人は、自分達がどんな所へ行ってしまったのか、ようやく理解して青くなった。

途中の電車内で、モバイルパソコンを使って調べると、その地では不知火が見られると言う事以外は何も無い。
こんな所に大層な力を持った者が、とは普通の思考では考えられない事だが、そう言うところが意外なパワースポットになっており、そう言う場所を気に入った、
力ある者が『隠者』として棲んでいる事があると言う。

・・・それが人間とは限らんが、自然に近いものほどそう言う力を好み、かつては神として祀られていた事もあると言う。
  兎に角その人は私の知っている縁では一番強い力を持っている。払ってもらうついでに説教食らって怪異との付き合い方を勉強して来い。

僧侶はそれだけ言って、寺の車にすぐに二人を押し込むと、スピード違反を恐れずすっ飛ばし、駅に着くなり超特急列車に放り込んだ。
何か信号もいくつかすっ飛ばしてたような気もするが、交通バスが日常茶飯事にやっている事なので誰も気にしないだろう。

それから一日後、心の動揺が落ち着いてきた二人は、曰くのある場所に行かない事を前提に、港町を散歩していた。
寂れた港町ではあるが、今は春の漁の季節、市場は他の市や県(くに)から来る客で賑わい、新鮮な海の幸が格安で味わえるとあって屋台には観光客がひしめいている。
「怪異調査無しの旅行は久しぶりかも。」
焼き蛤の串を美味そうに頬張りながらメリーがご機嫌になっている。
「そうね・・・能動的に動く事での旅行は多かったけど、場所指定で受動的に動くのは大学に入って初めてかな。」
幸せそうに食べているメリーを「大丈夫かな?」と言う顔で見ながら、蓮子も焼きエビ串をもぐもぐやっている。
「ねえ蓮子、この件が完全に片付いたら、別の所を調査無しでふらついてみるのも良くない?」
「あんたね・・・。」
「だって曰く憑きの調査だと、こうやってゆっくり出来る時間も無いじゃない?海沿いの街は私にとって悪くないところよ?」
メリーの熱弁に、蓮子は呆れ気味で、「美味しいものに釣られてるだけでしょ。」と言葉も少しツッコミ気味だ。
「半分はそうだけど、ここの土地は何か、初めてなのに初めてな感じがしない。」何かを懐かしむような、思い出すような感情がメリーの声に乗る。
「デジャヴュと言う奴?」蓮子は問う。
「んー、それよりも体に馴染む感じ・・・。そう、昔住んでたみたいな感覚があるのよ。ここ。」
そう言えば、蓮子はメリーの過去を訊いた事が無い。メリーも取り立てて話さないので、小さい頃から日本に住んではいたんだろうと勝手に思っていた。
彼女の昔を少し訊いてみるか、と話し掛けようとした時、元気な声が二人にかかる。

「お姉ちゃん達!うちに寄ってって!」

声の方向を見ると、茜色のワンピースに緑色の帽子、栗色の髪の女の子が、屋台の前で元気一杯に手を振っている。
屋台の方には、白を基調にした、中国の道師服を着た金髪の女性が、厳かに目を閉じて座っている。
蓮子達と目が合うと、栗毛の女の子が控えめに彼女達の裾をつまんで、目を輝かせる。
「お姉ちゃん達、旅行客でしょ!?シラヌヒの街へようこそ!」
二人が困惑していると、屋台の女性が諌める様に女の子に言う。
「これアカネ、お客人が困って居るだろう。お客商売なんだから少しは落ち着きなさい。」
威厳を伴った凛とした声。それを聴いてアカネといわれた女の子はペロッと舌を出して、
「あ、ごめんなさいお客様、シラヌヒの街の屋台『マヨヒガ』ですよ。狐につままれたと思って少し見て行ってくださいな。」
言うが早いが蓮子とメリーの手を取って、屋台の前まで連れて来る。手を振りほどく事を考える暇も与えない早業だった。
やっと蓮子が我に返り、屋台の中を見る。そこには陰陽に八卦の文様が刻まれたお守りや開運グッズ、それと狐や猫をモチーフにしたお土産品が置かれていた。
メリーは物珍しさ半分、不思議そうな顔半分で屋台の品を見ている。
「初めまして、お客人。」
金髪の女性が恭しく頭を下げる。折り目正しいその態度は、祭りの時に現れる胡散臭い手相占いや顔相占いのものとは違う、超然としたものだった。
「我が店『マヨヒガ』へようこそ。ああ、紹介が遅れましたが私はアイと申します。そしてこの娘はアカネ、私の妹分です。お二方は初めて見る顔ですが、都の方ですかな?」
静かな中にも厳かさをしのばせる話し方は、自分達がいつも説教を食らう住職のそれに似ている。
「・・・はい、大学生で、ちょっとした調査旅行でトラブルがありまして・・・こちらの土地へ行けと。」
メリーは店の品々に釘付けで役に立たないので、蓮子が答える。と、店主は蓮子の目を覗き込むように見て、それから一瞬、視線を蓮子の背後に移す。
蓮子にはその目が、一瞬だけ金色に変わった気がした。
店主は視線を蓮子の目に戻し、静かに話し始める。
「お客人、最近、興味本位で怪異に足を突っ込みましたかな?」
ごまかしを許さないその声は、蓮子の心を動揺させるのに十分だった。
「・・・そう言われると否定は出来ません。あなたも判るのですか?」
蓮子の答えに、店主はうむ、と頷き、言った。
「そうでなければ、お客人方の背中にべったりとしがみ付いてるモノ達の説明は出来ますまい。」
脳裏にあの時の光景と声が蘇りかける。血の気が引きそうになるその時。メリーが店主に訊いた。
「あなたは聴けるの?」
その問いにアカネが割って入った。
「あたしにだって判るもん。お姉ちゃんならはっきり見えるし聴けるよ!」
アカネの声に、アイは目を閉じて、
「アカネ、お客人の前で、はしたない事をするなと言って居るだろう。少し落ち着きなさい。」
「あ、お姉ちゃんごめんなさい。お客様も気分を害してしまったら・・・その、申し訳ありません・・・。」
しおしおとなって行くアカネを見て、慌てて蓮子がフォローする。
「あ、いや、私達とは初めて会ったのに、そこまで判るなんてすごいと思っただけですよ?」
アイは目を開いて、
「お構いなく、この子は店の中しか知らないので外のお客人が珍しいのです。おかげで羽目を外してしまいますが・・・不快になったのならお詫び申し上げます。」
深々と頭を下げる店主に蓮子は慌てて、
「頭を上げてください、私達は気にしてないので。」
ちらりとメリーのほうを見ると、やっぱり目は店の品々に釘付けだ。
この店の中での反応といい、さっきの会話の内容といい、ここに来てからメリーが何か気になる言動や態度をしている。それは遺跡や遺構の調査で「何か」の境目を見つけた時に
見せる態度に似ているが、その反応とは違っていた。
蓮子の意識がまた、メリーの過去やこの土地の事について向きかける。
「お客人、この土地に来られたのは誰かのご紹介ですかな?」
パチンと何かが弾けた様に蓮子の意識が引き戻され、慌てて経緯を話すと、アイは目を閉じ何かを懐かしむように言った。
「ほうほうほう・・・我が師匠のお知り合いが都に居たとは・・・。」
アイはその後、屋台の品々の中から何かを探し出し、取り出した。しゃらん、と鈴の音が鳴る。
「お客人、この守り鈴をお二人にお渡ししましょう。」
彼女の手には、陰陽を中心に八卦の刻まれた、八角形の金属のお守りが乗っている。彼女は二人にお守りを渡して言った。
「これはお客人を、ここに送った方の持たせたものよりも強い力を持った護符です。そして、私の師匠に会う為の証と標(しるべ)となります。」
蓮子は渡されたお守りを見た。金と銀の色をあしらった金属製なのはそうなのだが、鉄にしては軽く、銀にしては曇りが無い不思議な金属。そして金にしては赤みが強い。
メリーも不思議そうにひっくり返したり鈴の音を聴いている。
アイは静かに言った。
「今宵の月が出る頃、宿の前の浜辺に出れば、後はその護符がお客人を師匠の元へ導いてくれるでしょう。肌身離さずお持ちになって下さい。」
そう言ったアイの手がすう、と虚空へ伸び、刹那、パン!と打ち合わされる。
快音が二人の頭の中まではっきり響く、と同時に、蓮子とメリーに圧し掛かっていた暗いモノが散り失せた。
「師匠に会うまでの時間、一旦黙らせただけです。長くは続きますまい。」
驚きを顔に貼り付けた二人に、アイは淡々と言った。
「それだけのモノを背負ってここに来られたのも、師匠のお知り合いのお力もそうですが、お客人の持つ力も大きい。ですが、今回ばかりは荷が重いでしょう。とりあえず、
 一旦戻って身を清め、月が黄色くなる頃に浜においでなさい。それまではここの海の幸でも満喫して、嫌な事は忘れておくと良いでしょう。ゆめゆめ、怪異に足は踏み入れぬよう、
 それだけは心得てください。」
その声には厳しさの他に、心から労わる気持ちも含まれていた。

数分後。
アイと手を振るアカネに見送られて屋台を出た二人は、とりあえずは言われた通りに観光を楽しむ事にした。
「不思議な店だったわね。」
アイやアカネのことを思い出しながら蓮子がメリーへと水を向けた。
「・・・・・・んー、不思議と言うかいろいろなものの境目が、あちこちあったわよあのお店。」
「そんなに一箇所に纏まって存在してるわけが無いと思うんだけど。人形の供養寺じゃないんだし。」
今までの調査での経験を思い出しつつ蓮子が疑問を挟む。が、メリーはそうでは無い、と首を振った。
「どちらかと言えば『あの場所がわかる』人しか認識できないように、結界みたいなものがあったのよ。」
結界、と聞いて蓮子が思い当たる人物を口にする。
「役小角みたいな人なのかしらね?あの店作った人。」
メリーはそれにも首を振り、
「あれだけの空間を限定された中に作り出すくらいだから・・・下手すると人間じゃないかもしれない。同時に複数の高度な術が使える『ひと』ね。」
蓮子がそれを聞いて、空を見上げる。
「京のお坊さん、かなりの力を持って居ると思うけど、それよりも上って事?」
「うん、下手すると、あのお坊さんが師事してた可能性もあるわ。じゃ無かったら多分、ここに着く前に何かに巻き込まれてたかも知れない。」
その言葉に、蓮子はまた思い出しかけて、無理やり止める。
「その話はアイさんのお師匠さんに会ってからにしましょ。折角気分が落ち着いたのに戻ってしまったらどうにもならないわ。」
「そうね、とりあえずあそこでサザエ焼きの販売してるし、もちょっと食べてこ。」メリーが早速、最寄の屋台へ目を向ける。
「あんた、本当に食欲魔人ねえ。」
いつものペースで屋台を覗き込み始めるメリーを、蓮子は呆れながらも頼もしく見ていた。こう言うマイペースな所は、時に思考に沈みそうになった心を復帰させてくれる点では、
とてもありがたい。

改めて周りを見渡して、蓮子は食い処の多さに実家の東京にある築地を思い出した。
自分が生まれる前はもっと混沌としていたらしいが、それでも今だに、行列するトラックや買い物客、珍味の店や修学旅行のルートと多彩な面を見せる地域だ。
『1998年位なんて、通勤ラッシュの中を魚を運ぶ牽引車が我が物顔で走り回ってて、朝の五時には市場の中で売ってる卵焼きだけの為に、そこらの県から色んな食い助が
 来てたもんだ。俺もちょうどバイク便で働いててね、あそこは配達時には鬼門だったなあ。』
小学生の時に近所のおじさんが懐かしそうに話してくれた言葉が思い出される。
そういえば、「墨田行ったら白髯橋渡ったとこにでかい交差点がある、あそこの近くの肉屋のレバカツは俺の燃料だった。一遍食ってみろ。」としきりに勧められた事もあった。
あのおじさんは、メリーよりも食い道楽だったけど、今もあちこちを食べ歩いてるのだろうか?
昔の事をつらつら思い出していると、
「蓮子ー。キサゴ貝の焼き串とバカガイのたれ煮、どっち食べる?」
ホクホク顔でメリーが戻ってくる。
「キサゴ、って聞いたこと無いわね。」
「こっちの方ではナガラミのことをそう言うんだって。ナガラミは下総の国に行った時に食べたじゃん。」
「・・・ああ、あれね。」
下総の国には「相模次郎」こと、将門公の伝説をレポートにする為に行ったのだが、その帰りに市川八幡の薮知らずなども調べようとして、地元の人にものすごい勢いで
止められた事があった。
メリーも「常世でも泉下でもない隙間が見えるから入らない方がいい」と言って、渋々予定を変更して資料館で調べるだけで終わったのだが。
将門公の七人の影武者が今もここに居ると言う伝説はまことしやかに伝わっていて、地元の人も祭りがある以外殆ど立ち入る事が無いと纏めた覚えがある。
東京の神田が公の「からだ」の訛った地名と言うのもそのときに聞いた。
そのことを思い出しながらバカガイの串を食べつつ、ふとメリーが居ないことに気付く。慌てて見回すとメリーが、とある店の樽の中を覗きこんでいた。
「これは・・・?」
初めてみる、コブだらけの体に根っこのようなものを生やした、貝でもないし、ナマコにも見えるがそうでもない生きもの。
「おう、お客さん、あんたらホヤは初めてかい?」声をかけてきたのはご機嫌顔の漁師風の男。恐らく店主だろう。
「ホヤ?ホヤ貝のこと?」
その言葉に彼は相好を崩す。
「そうそう、ほんたぁ、北の方・・・陸前とか陸中や蝦夷の国でよく採れるんだけどね。調理が面倒なんで、一見さんお断りの食材だよ。もしも食いたいならほら、
 そこで三杯酢で〆たのを実演で売ってるからどうだい?お姉さん達の美貌に免じて半額でサービスだ。すぐ捌いてくれるよ?」
そう言われると世辞でも何か乗ってみたい気分になる。二人は店主の言われる通りに紙皿に盛られたそれを食べて見た。初めて食べたが、聞いていた生臭さやエグみも無く、
貝の刺身より柔らかい。
「おいしい・・・。」
二人が同時に感嘆する、と店主は、
「新鮮な物ぁ、慣れりゃそんなに手間はかからんし、本来は大枚積んでまで食べるようなモンじゃないんだよ。下手に鮮魚市行くより港で捌いて貰ったほうが美味いものが沢山食えるよ。
 また来る事があったらウチに真っ先においで。あとまあ、商売敵になっちまうけど、あそこの店とかも珍しいモンが置いてあるよ。試食もしてるし、あっちには乾物も置いてあるから
 酒が呑めるならお勧めだ。」
店主の指した方向では、やはり別の店主らしきおじさんが「ありがとよ」と言う顔で手を振っていた。

そんな調子であちこちの店を回って、気がつくと夕刻も近い時間だった。
「随分食べたわね。メリー、ご飯食べられる?」
メリーの食いっぷりを思い出しながら蓮子は訊いたが、返ってきたのは。
「今夜のご飯、海鮮の盛り合わせだって。期待せざるを得ないわ。」
・・・メリーはこんなに健啖家だったろうか?
まあ本人があそこまで食べるのにノリノリなので心配は要らないと思ったが、実の所、自分も腹が一杯にならない。あまりに美味いので結構な量を食べたつもりだったのだが。
蝦夷で連れてきた何かに横取りされているのか、でも、気にしないでおこう。今夜に全てが判る。と二人は思うが侭に食べ歩きを楽しんだ。

そして夕方。宿にて。
「月が紅いわねえ。」
部屋の窓から海側を見ると、反対側の夕焼けに呼応して紅く染まった月が昏さを増した空からにじみ出ようとしている。
宿の主人に聞いたところによると、夕食が終わる頃に月の色が変わるだろうと言う事だった。
「紅い月か。昔、兎の目みたいだって思ったなあ。」とメリー
「もう少し紅ければそうかもね。」
蓮子の言葉に、メリーが思い出したように言う。
「前に、皆既月食見た時はなんかレンガの色みたいに見えたわ。」
「ああ、あったわねそう言うの。あの時は大学で徹夜して見てたよね。途中から酒盛りになっちゃったけど。」

何気ない思い出話に花を咲かせているうち、夜食の準備が出来たと連絡が入り、盆に盛られた料理が運ばれてきた。その海の幸は、今まで食べた中でも最高の味だった。
多分料理直前に生簀から取り上げて捌いたものだろう。
夢中で舌鼓を打っている時に、蓮子の耳にかすかに「やっと帰ってきた。いやうめえわ懐かしい。」と言う声が聞こえてきた。
「?」
蓮子とメリーの部屋の隣は空室で、ここの宿は食堂が無い。外で何かやっているのだろうか?彼女の挙動に、メリーが訊いてくる。
「何かあったの?」
「・・・いや、何か声が聞こえたんだけど、この部屋の隣って空きだったわよね?」
「私も聞こえたけど外じゃないの?とりあえず早く食べて浜に出よ。約束の時間が来ちゃう。」
外を見ると、月の紅みはだいぶ薄くなっている。メリーとの約束に遅れるのは仕方ないとしても、今回の件は遅刻が許されないだろうと、蓮子は箸の動きを急がせた。

夕食が終わると、二人は主人に夜中に帰るかも知れない、と言って許可を貰い、礼と共に浜辺へ歩く。月は黄色く輝き、その下では漁火が燈る。京では中々お目にかかれない風景だ。
「綺麗ねえ。」
「うん。漁火ってあんな感じで見えるんだね。」
浜辺を歩きながら、夜の海の表情を二人は堪能する。そこで蓮子がメリーに訊いた。
「そういえば、浜辺で待ち合わせって言ったけど・・・何処に行けばいいのか訊き忘れたわね。」
メリーは暢気に
「んー、遅刻して無いと思うし向こうから来るんじゃないかな?」
「来ないと困るのは私達も同じなんだけどね・・・。」
蓮子の言葉に、少し意地悪な響きを乗せてメリーが言う。
「時間を正確に測れるのに遅刻の女王になってる蓮子の言葉じゃないわね。」
「いや、それは単純にさあ・・・。」と蓮子が言い訳を始めた時。

「にゃおん。」

猫の声が聞こえた。
周りを見ると、大きな黒猫が目を金色に光らせて二人を見ている。
『少し来るのが遅くなってしまいまして、申し訳ないですね。お客人。』
昼間に会った土産物店の店主・・・アイの声が響く。しかし周りを見回しても先ほどの黒猫が居るだけだ。
『守り鈴をお持ちなら、今はその猫が案内してくれます。私達はその先でお待ちしておりますゆえ。』
その声が終わると同時に、黒猫が向きを変え、歩き出す。それは二人がついてくるのを確信したような歩み。二人は何も言わず、黒猫の後をついていく。
笹の林のさざめきにも似た静かな波の音が響き、それ以外の雑音は風の音さえも無い。
そして海岸の端っこ、放棄された建物がひしめく昔の街の跡が、月にその影を浮き上がらせている。その中の一件・・・とても古びた木造の平屋に明かりが見えた。
黒猫はその家の前まで二人を案内するように歩く。
目的地に着くと、古い、木造りの看板と色あせた暖簾がかかる居酒屋風の店だった。かなり大きなものだったらしく、暖簾から除く開いた戸の奥は、沢山の机と椅子が並んでいる。
黒猫は一声鳴いて「入れ」と言わんばかりに二人を見つめた。
見た所、客は誰もいない、そしてカウンターにも人の気配は無い。しかし、変な空気がわだかまっているわけではなく、むしろ入ってみたい雰囲気の店だった。
「・・・お邪魔します・・・。」
二人が遠慮がちに入ると、いつの間に出てきたのか、カウンターの奥に細いリボンの付いたナイトキャップ風の帽子を被り、八卦の文様をあしらったエプロンと
金色の長髪もまぶしい妙齢の女性が笑って頬杖をついていた。何処と無く帽子のデザインはメリーに似ている。
「シラヌヒの飯場へようこそ、お客様。」
その笑みは歓迎の義務的なものではない、来たこと自体を喜ぶ笑み。
「あなた方のことは前もって京の坊さんから聞いているわ。今夜は賑やかになるわよ。」
そこで昼のアイの言葉が蘇る。
「貴方が・・・アイさんの言っていたお師匠様ですか?」
蓮子の問いに女性は、
「師匠、と言うより主人ね。あの子達は私の部下みたいなものだから。私の名前は八雲紫。紫でいいわよ。貴方を送り出した坊さんとは旧知の仲。」
「初めまして、宇佐見蓮子です。こちらは大学の同窓で友達のメリーと言います。」
紫は笑みを崩さず、二人を品定めするように見る。メリーはと言うと、やはり不思議そうに紫を見ていた。
「メリー、どうしたの?」
蓮子の方を見ようともせず、メリーが紫に訊いた。
「初めてお会いしたんですよね?私達。」
その言葉に、蓮子の記憶に土産物屋での光景が思い出される。紫は頬杖をついたまま、ふふ、と笑った。
「・・・ええ、初めてよ。今はね。」
意味ありげな答えが返ってくる。まるでメリーを知っているかのような言い方。
「不思議そうな顔をしているわね?」
悪戯っぽい笑みで紫が言う。蓮子はなんとなく訊いてみた。
「貴方は・・・ここに昔から住んでいらしたのですか?」
その問いに紫は人差し指を顎に当て、天井を見るように少し黙考するしぐさで、
「そうねえ、居たと言えば居たし、居なかったと言えば居ない。私の本当の住居はここでは無いから・・・行きたい処へ行く為の扉はそこかしこにあるんだけどね。」
謎解きを掛けるその言葉に、メリーが食いつくように訊く。
「と言う事は、覚えてない昔に会った事が有るかも知れないと?」
紫はメリーの目を見て言った。
「初めての気がしないのは多分、ここに昔住んでいた人間・・・私と同じ漢字の名前なんだけど、その人の縁の人なのかもしれないわね。貴方も、私もね。」
謎掛けを解いているような感覚。
「ここに住んでいた人?」と蓮子。それに紫は昔話をする様に話し始める。
「遠い昔、この日本に魅せられて、遥かな国からここに移り住んだ異国人が居るのよ。最後は東京で亡くなっているけど、その人は一時期、この肥前の国に住んでいた事があるの。
 その人は、自分の名前を捨てて日本の名前に変え、沢山のうずもれた話を掘り起こし、そして異国にも、日本にも紹介した。苗字はコイズミと言ったわね。」
メリーがその言葉に反応した。
「コイズミ・・・ヤクモ?」
「ええ、その通り。当時の本名はパトリック・ラフカディオだけどね。」
(・・・ラフカディオ・・・ハーン?)
蓮子がその名前をフルネームで思い出し、口にしようとした刹那、二つの声がかかった。
「お客人、我が主の飯場へようこそ。」
「お姉ちゃん達、また会ったね!」
そこにはアイとアカネが立っていたが、アイは昼には被っていなかったツインキャップを被り、その背後には九本の尾が見える。目は昼間、一瞬見た金色だった。
アカネは猫の耳を帽子の下から覗かせ、その背中には二本の尾がある。
「貴方達・・・。」
蓮子の驚きも想定内だったのか、二人は特に反応も無く、
「これが私達の真の姿なのですよ、お客人。私の名前は八雲藍。ここではランで構いません。」
「あたしは橙。チェンでいいよ。」
紫は驚く二人をよそに、藍と橙に指示を出す。
「本日はシラヌヒの夜。この方々のほかに沢山お客様が来るわ。食事とお酒をどんどん用意して。」
メリーが紫へ質問する。
「私達以外のお客様って、やはり人ではない存在なんですか?」
紫は静かに肯定する。
「ここは私が呼んだ以外の、普通の存在が入れる店では無いから当然ね。正確には生きてはいるし死んでも居るけど、色々事情があって向こう側に行けない人たちの為の
 お店なのよ。ちょうどあそこに居る、貴方達が連れてきた人たちみたいにね。」
紫の視線を追って振り向くと、いつの間にか、ボロボロの作業服を着ていたり大漁旗を体に巻きつけた男達がそれぞれテーブルで話に興じている。
「今夜は海から、または誰かに着いて来た人がここに集まる特別な日なの。貴方達をここに来させたのは偶然ではないのよ。」
紫は優しい口調で説明した。
見れば、テーブルや他のカウンターに居る男達の格好はまちまちだが、その雰囲気は同窓会だ。
『いやぁ、まだここが残ってるたぁなあ、タコ部屋に入らされてからも、ずっと来たかったんだよここ。生きてるうちは来られなかったけどなあ。』
『俺もさ、しかしお前、土呂久に行ったって聞かされたけど、蝦夷に居たのか。』
『まあな、向こうで亜砒焼きやってたら体壊しちまってよ、それならっつって紹介に乗ってったら蝦夷地だぜ?金に釣られず大人しく漁師やってりゃ良かったぜ。』
『いんや、こっちも魚が大量に取れたっつって、おっとり刀で行ったらいきなりの嵐でみんな沈んじまった。気がついたら不知火の仲間入りよ。運が悪きゃ同じこった。』
別のテーブルでは、
『蝦夷も大概酷かったようだが・・・筑豊も似たようなモンだったな。俺は山バレで生き埋めにされちまってさあ、しかも坑道廃棄で入り口ごと発破とか。ありえねえよな。財閥の奴らの頭は 狂ってやがるぜ。』
『俺も俺も、先進坑道やってたら海の水が流れてきてドザエモンだ、坑道放棄で捜索隊も出ねえの。奴ら人間じゃねえよな。俺らも今じゃ人間じゃねえけどよ?』
『ああ、あいつか?俺と同じ現場で働いてたんだがなあ、脱走がばれて見せしめに私刑に遭ってさ、虫の息だったのに堤防に埋め込んじまいやがった・・・。
 でも、俺があいつに謝らなけりゃならねえのは、助けもせず、自分の命惜しさに俺自身がアイツを率先して埋めちまったことさ・・・。』
他にも水兵姿の者が居たり、軍服を着た者、飛行服を着込んだものと姿はさまざまだが、包帯を巻いていたり、そばに粗末な松葉杖があったりと、皆生々しい爪あとを持っていた。
「これは・・・」
言葉を失う蓮子とメリーに、紫は言った。
「貴方達が連れてきた人々や、この海で亡くなった人たちよ。窓の外を見てみなさい。」
窓の外には、海岸近くだというのに漁火が燈っている。いや、漁火ではない。蒼い不知火・・・と言うよりも魂の灯の明かり、燐火だ。紫は言葉を続ける。
「貴方達が連れて来た人達もそうだけど、海つ霊・・・今で言うワダツミ達は色々な想いを持っているわ。彼らががここに来たのは偶然ではない。入植者では足りずに騙されて開拓に
 従事させられ、死んだり、殺された人たちは故郷を想いながら待ち続けていたのよ。何処から来たのかは関係なく、力を持って居る者が居たら、兎に角故郷に近いところまで
 連れて行って欲しかったのね。貴方達を私に会わせるよう依頼してきた坊さんは、私が彼らを行くべき所まで送り出すこともお願いしていたわ。」
これだけの人数が自分達の背中にしがみ付いて居たのか、と二人は驚くと共に、言葉に出来ない感情がこみ上げるのを感じた。
本当に「着いて」来ていたんだ、と。

藍と橙があわただしくテーブルに料理と酒を運んでいる。
酒を呑み、料理を食べながら、男達は笑い、泣いていた。この酒が飲みたかったと、この海の幸が懐かしいと。家族や優しかった人達と話がしたかったと。
折角戻れたのに、既に街は無くなり、時代も、人も変わって自分を知る人は、もはや居ない。墓も無く、居た証さえ時の流れは消してしまったのだ。汀に書かれた砂文字の約束のように。
それでも望郷の念は捨てられず、あそこで待っていた・・・自分を連れて帰ってきてくれるものを。
反対側のカウンターでは、ハキハキとした口調で軍服姿の男達が話している。
『軍曹殿、まさかヤスクニではなくここでお会いするとは思いませんでした。』
『自分もだよ。貴様は燃料廠にいた筈だが、あの後、軍艦(ふね)に乗ったのか?』
『いえ、海岸線での哨戒任務と小型船での掃海作業に当たっておりました。が、最後の作業中に蝕雷してしまいまして・・・。お恥ずかしい限りです。』
『そこまで恥じ入るな。貴様は立派に海を守っていたのだ。自分達や貴様達の命の上に日ノ本は復活した。先に泉下に行った者が貴様に会いたがっているだろうが、今は食いたくても
 食えなかったものを、悔いの無いように味わっていけ。もう、贅沢を誰も咎めたりする時代では無いからな。』
その目は遠くを見ている。

やがて、テーブルの一つから男の一人が立ち上がり、蓮子達に歩み寄る。その顔は晴れやかに笑っていたが、どこか済まなそうだった。
『幾らあんたらが普通の人間とちょっと違うからって、取り憑いちまって悪かったなあ。』
どうやら蝦夷の国で蓮子達に憑いたのは彼らだったらしい。心からの申し訳なさそうな声に、蓮子も頭を下げて詫びる。
「いえ、私ももう少し慎重に調査していればあなた方を騒がせてしまう事も無かったと思っていますから・・・申し訳ございません。。」
『んにゃ、あんな所で縛られて、咽び泣くだけの情けない立場から俺達を救ってくれたんだ。あんた達はそれを誇っていい。・・・出来れば俺達みたいな犠牲が出ないことを祈るだけだが、
 色々あんたらの背中で見てて、世の中随分いい方向にも変わったみてぇだし、安心したよ。』
無言の二人の肩に手を置いて、男は真面目な声になって言った。
『お嬢ちゃん達も、因縁についての物事を調べるのはいいことだ。しかし、それは同時に、常に生死の境界を行き来するのと同じ事だって事を覚えておいてくれ。下手をすれば
 お嬢ちゃんたちも、知らずのうちに俺らと同じ立場になる事だってあるんだからな。深入りすれば闇もその中に居るモノもまた、あんたらを見てんだ。』
その声には同じ轍を踏んでくれるなと言う思いが溢れている。
『呼び声に身も心も誘われて、仲間入りした挙句、新しい犠牲者を作っちまう事だってある。どんな事があろうと自分を守れる力も無い身が興味本位で因縁のある場所に
 行くモンじゃねえ。何処に行こうが、それだけは肝に銘じてくれ。誰も気付いてくれず、幾年も孤独に過ごすのは悲しいぞ。』
泣きそうな、真摯な眼差しで二人を見ると、男は元のテーブルに戻っていった。そのテーブルに座っている他の者がにこやかに手を振っている。その顔はさわやかで、
怨嗟の欠片も無い。

二人はそれに礼をする事で返した。

海の幸や山あいの珍味を味わい、酒をチビチビと呑みつつ、紫は二人の話を聞き続ける。
それを聞いて紫が二人に言う。
「救いを求めてさ迷うものや想いを捨て切れないものは、救ってもらうために力あるモノにすがる。その力がどう言うものだろうと、常人に無いものを持っていれば、それの実態が
 ただの鉛でも、助けを求めるモノには光り輝く金塊に見えるものなのよ。年を経るごとにその想いは強くなるわ。溺れる者が藁をつかむようにね。」
その顔はいたって真面目な、多分紫本来の顔になっている。
「貴方達は常人より少し能力があるだけの、ただの人間。私から見れば今の貴方達は命綱無しで山を登っているようなものね。本当に良く、ここまで来られたと思うわ。
 これに懲りたら少しは自分の能力を磨いて、最低限自分の身を守れる程度にはなって置きなさい。」
紫はそこでメリーの方を見る。
「貴方は私の結界を見られる力を持っているなら、修行次第では物事の境目を見るだけではなくて、物事の境目を操れるようにもなれるわ。ただ、それを会得するなら、
 人間で居る事をやめなければならない。力を鍛えるなら覚悟はしっかり持つことね。中途半端になると世界の狭間に永遠に閉じ込められて戻れなくなるわよ。」
そこまで言うと、今度は蓮子を見る。
「貴方は星の動きから時間を知る事が出来るそうね。極めれば時間の流れを読んで先々を読んだり、星の動きを使った結界を操る事も可能になれるでしょう。ただ、星辰の動きを
 読み間違えればあなた自身が星の動きの影響を受けて、運命が狂うか心が壊れる。下手すると存在自体も無くなるか歪んでしまうわね。」
そこで言葉を切り、紫は二人に言った。
「もしもこの世の怪異を解き明かす事を本当に欲しているなら、またいつかここへいらっしゃい。出来れば団体ツアーは抜きでね。若さに任せての興味本位や好奇心に
 突き動かされるままでは、本当に魂まで失うわよ。」

それから数時間、他愛のない話をしながら過ごしていると、ちらりと紫の目が窓の外に一瞬動き、また戻る。
「さて、と、藍。月の方角を教えて頂戴。」
紫が仕事を終えて一息ついている藍に声をかけると、彼女は星辰盤を手に外に行き、すぐに戻ってくる。
「紫様、そろそろ道を開けられる位置と頃合いです。」
「そう・・・。彼らも行く時間ね。」
紫が呟くと同時に、店の何処に有るのか解らないが、大時計の鐘の音が響き渡った。その数は何故か13回。それを合図に、どよめきが止む。
「もう閉店よ。皆、会うべき人や行くべき所に行く時間になったわ。そこで来世までゆっくり過ごしてきなさい。今は存在するけど存在しない時間、店を出れば、あなた方の帰るべき所に
 行けるわ。まだ積もる話もあると思うけど、それは『向こう側』で楽しんで来てね。」
その声に誰からとも無く、出口の方へと歩き出す。
敬礼と答礼の後に軍歌を歌いながら去っていくもの。
寮歌を口ずさみつつ肩を組んで『アイツ、もう先に居るかな?』『いやあ、アイツは遅刻魔だぜ?』と軽口を叩きながら去っていくもの。
カウンターの紫達に『美味しかったよ。ありがとう。』と涙声で挨拶をするもの。
紫は微笑みながら、蓮子とメリーは帽子を取り、一人一人に頭を下げて見送った。藍や橙も丁寧に礼をしている。
蓮子とメリーの前に、先ほどの男が来た。
『嬢ちゃんたち、俺達の目の代わりになってくれて、そしてここに来る前に色々食わせてくれてありがとうよ。もう会えないけど、俺との約束、忘れないようにな。絶対だぞ!』
くしゃくしゃの泣き笑いの顔でそう言うと、彼は振り向かずに仲間達の所へ駆けて行き、暖簾をくぐって出て行った。

店から全員が出て行き、静寂が戻る。
「貴方達も帰る時間ね。この店も本来の姿に戻るわ。」
紫が藍と橙を従えて、入り口で並んでいた。
橙が明るく挨拶する。
「気に入ったらまたこの街に来てね!私達はいつでも歓迎するよ!」
藍はいつもの調子を崩さず
「守り鈴はお持ちになって下さい。何かあったときの助けになりましょう。お代は無しで結構ですので。」
紫は
「またいつか会う事でしょう。世の中の謎や怪奇を食べ尽くしたいと本気で思うなら、またあの坊さんにでも頼んでいらっしゃい。でも今日の事やみんなの話を忘れないでね。」
と真面目な顔で言った後、
「貴方達には、いつか私の本当の住まいで会えるかもしれないわね。その時は歓迎するわ。」と二人を見て言った。
外へ出て、挨拶を済ませると三人の姿が徐々に薄れていく。それに伴って、海の燐火も一つ、また一つと消えていく。
『次に『遭う』時まで元気でね。星読みの巫女とハーンの縁の者・・・。』
その姿が消えた後、二人の前には皆が去り、数十年の歳月を経て、戸が板で閉ざされ、崩れかけた飯場の廃墟があるだけだった。あんなに輝いていた灯も消えている。

無言のまま宿の方へ、砂浜を二人は歩いていた。無言なのはなんとなく、としか言えないだろう。
その沈黙を乱さないような静かな声でメリーが海を見て言った。
「そういえばさ、不知火って、昔、病気の母親に魚を食べさせようとして、網から魚を盗もうとして漁師に殴り殺された息子が、母親を想って燈している光だって聞いたけど・・・。
 帰りたいところを探す、海つ霊達の望郷の光でもあったんだね。」
何かをいとおしむ様に言うその言葉は、物言えぬモノ達に対して、自分の無力さを嘆いているようにも聞こえた。
蓮子も、何でこんなに良いことだったはずなのに、こんなに悲しく思えるんだろう、と感情を持て余していた。
それに答えられる者は居らず、また、彼女達もその答えを見出す事はついに出来なかった。

二日後。

帰りの電車の中で藍から貰った守り鈴を見ながら、蓮子はあの時の光景を思い出していた。
夢のようなひと時だったが、今、その手にある鈴が現実である事を教えている。あの夜から、うなされる事も体の不可思議な重みも感じなくなった。
メリーはすっかり落ち着いて、今は向かい側の席で安らかな笑顔で眠っている。
「『ハーンの縁』か・・・。」蓮子は飯場での話と紫の残した言葉を思い出して呟く。
多分メリーの瞼に手を当てれば、夢の内容を共有できるかも知れないだろう。それで彼女の過去や何かが見られるかもしれない。
でも、蓮子はあえてそれをしなかった。
本人の見ている夢が、必ずしも他人にとって心地よいものとは限らない。迂闊に見たら・・そのことで、もしかしたらメリーがある日突然居なくなってしまうかも知れない。
そんな怖さもあった。
根拠は無いが、紫とメリーの持つ雰囲気は似ていた。そして何故か、いつかメリーが自分を置いて、そっちの方へ行ってしまうかも、と思ってしまうのだ。

でも、せめて今は立ち入らず、同じ大学で同好の士である、親友を大切にしよう。そのうちメリーも昔の事を話してくれるだろう。
話さなかったらそれはそれで余人の立ち入るべき所ではない。立ち入ってはいけない何かがあるのだ。

でも、親友で居られるならそれでもいいかな、と眠り続けるメリーの顔を見て、蓮子は小さく微笑んだ。
あとがき
秘封モノ二本目ですが、こんな泥臭い世界より、もっと幻想的な世界を二人は歩いていると思うんですよね、原作では。
次書くときは重くない昔話を記憶の中から掘り出してリンクさせたいと思います。

築地の描写と白髯橋の店は当時の思い出です。レバカツの肉屋はまだありますので何かの折にどうぞ。

メリーの能力については紫との関連性を指摘する声も多いですが、その辺、原作者の方がぼかしてる辺り、上手いなあと思うことしきりです。
自分は平行世界の同一体のような感じで見てますが、結論が出ないほうが面白いと思ってます。
みかがみ
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コメント



0.300簡易評価
2.80名前が無い程度の能力削除
メリーと紫の関係は気になりますよね
3.100南条削除
今までの話の中で1番面白かったです。

紫とメリーの関係ですか。
万が一の時のために紫が用意していたスペアの肉体に何かの間違いで自我が宿ってしまったのがメリーなんですよ、きっとそうです(今考えた)。
ロマンです。

どうでもいいですが橙の最初のセリフをオリキャラの地元人かなにかだと思ってしまったせいで、その後の橙に肌がいい色に焼けてるイメージがこびりついてしまいましたよ。
褐色橙が頭から離れません。
5.100名前が無い程度の能力削除
オカルト・厳しい無慈悲な世界の片鱗・ファンタジー・驚異ある怪異
恐怖と板一枚ののどかさ・宴会(食事会)による優しい解決・グルメ
東方の世界が詰まったような作品でした
6.90名前が無い程度の能力削除
こうはっきり存在を晒すゆかりんは秘封モノでは珍しい。もうちょいミステリアスな方が雰囲気が出るけど、頼りになる先達ポジもいいね。
8.90名前が無い程度の能力削除
いい雰囲気ですね。良い秘封でした。
貴方の作品は大方読ませていただいていますが、個人的には一番好きなお話です。
9.90名前が無い程度の能力削除
死んだ人達の飲み合いの雰囲気が温かくて儚くて。とってもよかったです。
紫とメリーの関係にはたくさんの説がありますがこんなのもいいですね。
10.100名前が無い程度の能力削除
下調べの濃さが半端じゃない。伝承と生の歴史と情緒ある情景描写と、電脳コイルみたいで良かったです。
11.100非現実世界に棲む者削除
とてもファンタジックで和やかな展開で色々と思うところがある作品でした。

死者の想いや存在は儚いこと、幻想と現実は表裏一体であること・・・ 等々改めて痛感しました。

秘封倶楽部のお話は読んでいて色んな想いを抱くのでとても楽しく読んでいます。
そんな数ある秘封倶楽部のお話の中でもみかがみさんの作品は内容が充実していて、原作にもありえそうなリアリティーがあって素晴らしいと思います。

だいぶ個人的な感想ばかりになってしまいましたけど、総合的に私が言いたいのは私はみかがみさんの作品が大好きだということです!
私はこれからも貴方を応援していきます!
次回作も期待してます!

14.90名前が無い程度の能力削除
最高だね。もうちょっと読みたいと思わせるぐらいの話のまとまりかた。
じーんとくるいい話でした。
15.90名前が無い程度の能力削除
良い秘封を有難う御座いました
16.90Admiral削除
そんなに短いわけではないのに、一気に最後まで読んでしまいました。
この作品には引き込まれる何かがありますね。
アイ・アカネの正体が想像したとおりで微笑んでしまいました。
どこかやさしくて素敵なお話、ゴチでした。
17.100名前が無い程度の能力削除
良かった
18.70奇声を発する程度の能力削除
雰囲気の良い秘封でした
19.803削除
秘封倶楽部の不思議な冒険。いいですね。
20.100絶望を司る程度の能力削除
紫マジかっこいいな。霊達も、礼を言いつつ二人に心からの警告を与えていてとてもかっこよかったです。最高ランクのおもしろさでした。