氷符「アイシクルフォール!」
チルノは尖った氷をしきりに神社の庭に振らせる。氷は霊夢の横をすり抜けて次々と地面に突き刺さった。
「ちょっと!弾幕は人に向けて打ちなさいよ、庭が荒れるでしょうが!」
霊夢はチルノの頭にお祓い棒を叩きこんだ。チルノは一瞬堪えたが、直ぐにひらひらと地面に落ちて倒れた。
寒い冬も遂に終わった。肌寒さも今は冬の辛さでは無く春の前触れに感じられる。
「ふん、そんなんだから馬鹿って言われるのよ」
目を回して倒れているチルノの前に霊夢は仁王立ちして言う。
「霊夢は悪役の素質有るよな、魔王みたいだ」
縁側に座っていた魔理沙は苦笑いで声をかける。
「いちいち妖精の相手なんかしてらんないわよ、しかも桜も咲き始めてるっていうのに氷精なんて……」
「いったいなー」
チルノは頭を擦りながらがばっと起き上がると、再びふわふわと飛ぶ。
「こいつは丈夫だしね」
霊夢は飛び上がったチルノを見てから縁側に向かい、魔理沙の横に座ると淹れておいたお茶を啜った。
「冷めちゃった」
「覚えてろー!」
チルノは空中で地団駄を踏む様な動きをすると、あっかんべして逃げて行った。
「ああいうセリフ言う方が悪役っぽくない?」
「悪役というより噛ませ犬っぽいセリフだな」
「魔理沙、帽子に何かくっついてるわよ」
霊夢は魔理沙の黒い帽子に着いていた小さな紙片を払う。
「すまんな、ちょっと里に行ったら結婚式みたいな事してて、頼まれてこれ撒いてたんだ」
魔理沙は袋を取り出すと、中から白い紙ふぶきを一掴み撒いた。
「ちょっと散らかさないでよ」
霊夢は魔理沙から袋を取り上げる。
「博麗神社も華やかにしようと思って」
「何で神前式にしようって言ってくれないの」
「私は神社の営業じゃないぞ。ただの祝典というか祝宴みたいなのだったし、詳しくは知らん」
「なんだ、じゃあこれからしてくれる可能性も…‥」
「期待は出来ないな」
「何なら魔理沙が神前式をうちであげてもいいわよ」
霊夢は縁側から降りると、庭に刺さった氷を引っこ抜き始めた。魔理沙はないないと言いながら向けられた言葉を払うように手のひらを左右に振る。
「霊夢こそ誰か見つけて玉の輿になればいいじゃないか」
「それこそ無いわよ。こんな神社じゃ来てくれる人なんて居ないって。此処に新たに根を下ろしてくれるなんて、この氷ぐらいなもんよ」
引っこ抜いた氷は、直に溶けるだろうと霊夢は庭の隅に次々に投げて山を作っていく。あらかた引っこ抜くと、足で穴を目立たなくなるように軽くならした。
「そうかな、どんな奴がいいんだよ」
「沢山座敷を持ってるとか、お金たくさん有るとかだったら、困りはしなさそうね」
「そんな心にも無い事を……」
「考えもしないわよそんな事、何も食べない人とか?」
「じゃあいっそ妖怪と結婚するんだな」
「氷のほうがまだまし」
霊夢はふうっと息をつく。
土の色は少し変わっているが、これ以上の修復は無理だと思い霊夢は再び縁側に戻った。
「ここの桜は後四五日って所か、三分咲き……よりも咲いてるか?」
「そのくらいでしょうね、もうちょっとでお花見できるわよ」
二人は満開の宴に思いを寄せた。見上げると桜はちらほらと咲いていて、桜色と蕾の臙に近い濃い色が交じり合っている。
「無縁塚の近くのはなんかもう満開近かったな」
「無縁塚って、紫の桜の事?」
「いや、違う。あれは普通の山桜だったかな」
「ふーん?なんか気になるわね、暇だしちょっと見に行ってみようかしら。何処から順に咲くのか見たいし」
神社から幻想郷は見渡せるが、もっと明確に幻想郷の桜事情を知っておくのも悪くないと霊夢は考え色々回る。
「私もパトロールがてら付き添おう」
魔理沙も乗り気で、縁側から降りると早速箒にまたがった。
「何がパトロールなんだか…」
魔理沙は様々な所に行くので元々そういう情報には早い方だ。霊夢を先導する様に香霖堂の付近に降りる。
「よっと、此処はまだ満開には時間が有りそうだ、この下でも後々宴会したいな」
高めから落下に近い危なっかしい着地をしながら言う。香霖堂の隣にある桜はまだ花がぽつぽつとしか咲いていない。
「その時は霖之助さんも誘わないとね」
霊夢が窓から店内を覗くと、当の店主は道具の手入れをしていた。
「お通夜みたいな花見が好きらしいが……頃合いにはまたその都度皆で確認すりゃいいな」
魔理沙も霊夢の後ろからそっと店内を見ると、再び桜の方に視線を移した。
「お?鶯がいるぞ」
霊夢も振り返って桜の方をみると、地味な緑色の鳥が枝に止まっている。
ホーホケキョ。と一つ鳴くと直ぐに飛んでいってしまった。少し悲しそうな鳴き声が霊夢の耳に残った。
「桜に鶯も悪く無いわね、んじゃ次行きましょう」
次に二人が向かったのは山だ。二人は麓辺りに降りると上から下までじっくり見た。
山の桜の下の方は神社と同じくらいの咲き具合だった。上の方は香霖堂と似た具合。
「やっぱり上の方より下のほうが咲くの早いんだな」
「春の神も山を登るのは面倒でしょうし、後回しなんじゃないの」
「そういう事なのか」
「たぶんね……」
霊夢が生返事すると魔理沙は軽く歩いて付近の桜を確認する。
「お?今度は蛇が居るぞ」
魔理沙が霊夢を呼ぶように声を上げる。霊夢も興味無さそうにそちらの方へ向かった。
霊夢が見ると蛇がノロノロと道の真中を這っていた。
「……冬眠明けで寝ぼけてるんじゃないのこいつ、道の真中いたら色んな意味で危ないわね」
霊夢は蛇を退けようと寄って、少し考えると蛇を動かさずに戻った。
「なにやってんだ」
「退けようかと思ったけど、こういうのはあまり弄らないほうが良いわね。祟られたりするし」
「此処にいたら蛇の方が危ない気もするが、祟られるのは御免だな……」
「蛇なんて祟る時は誰彼かまわず祟ったりするし、祟られたらその時はその時だけどね」
最後に二人は無縁塚に来た。無縁塚の奥ではなく、直前の場所にひっそりと小さめの山桜が佇んでいる。
「確かに。小さいけどこれは満開ね。綺麗」
その桜の木は今まで見た桜と違い、一人で美しく咲き乱れていた。霊夢が近寄ると、桜は風になびいた。
「だろ?中々乙な桜だと思って」
「偶々早く咲いたみたいね、この咲きっぷりは見事かも」
霊夢が樹の幹に軽く手を当ててみると、何と無く春を感じた。
「お?霊夢、蜘蛛が居るから気をつけろ」
魔理沙が幹を指差す。小さい茶色の蜘蛛がツーと糸で垂れてきていた。
「おっと、危ない」
霊夢は手の上に降りそうだったので手を引いた。
「さて、そろそろ帰ろうかしら」
「後は冥界の桜を見て……でも私の所でやるのが一番早そうね、その次が冥界あたりで、山は誰かに呼ばれたらで、最後に香霖堂」
霊夢は帰りの道中にお花見の予定を提案する。
「悪くない、後は適当に見つけたらだな」
魔理沙は宴に期待して笑みを溢した。
二人で神社に戻ると、日も傾いていた。そんな伸びる影の中に今日二度目の顔を見つける。
チルノだ。
「今日こそ巫女を倒す!」
その言葉を聞いて霊夢は呆れる。
「自分で忘れてちゃ世話ないわね……」
霊夢がチルノを軽くひねって追い返すと、魔理沙も日が暮れる前には戻りたいと言い帰った。その日は収拾がついた。
翌日、懲りずにチルノが博麗神社に来た。
「今日こそ──」
「それはもういい……」
霊夢は聞き飽きた台詞に面倒くさそうに応じる。ところが、チルノの後ろに見知らぬ顔の人物がいることに気づいた。
それは華奢な少女で霊夢より少しだけ背が低く、薄い灰桜の様な地味な色の着物を着ていた。長い黒髪が揺らし、前髪も目が確認できないくらい伸びていて、はっきりとした不気味さを醸し出している。
霊夢がじっくり見て色々考えていると、少女はささっとチルノの後ろに顔を隠した。小さいチルノの後ろではあまり隠れきれては居ない。
「その見慣れない顔……というか顔も良く見えないんだけど、あんた誰?」
「たるひ……」と、少女は呟いた。
「たるひ?聞いたことないけど……」
少女は酷く慌てた様子でチルノと密談を始めた。チルノとはどうやら仲が良いらしい。
「とにかく行け!」
チルノは少女の後ろに回りこむと、思い切り押した。少女は此方に向かってきて前のめりになりながら、バランスを直そうとしつつ、そのまま前に倒れた。
「何やってるんだか」
霊夢は手を差し伸べる。近くで見ると意外と少女は不気味に見えなかった。むしろ何処か惹かれる。
「けっ、結構です!」と少女は霊夢の手は取らず慌てて起き上がり、チルノの方へ駆けて行った。
持て余した手を引っ込める。見るとまたチルノとこそこそ話をしていた。
「用があるの?ないの?」
「えーい、こうなったらいつも通りに勝負だ!」
今度はチルノがずけずけと前に出てきた。
「いつも通りならさっさと降参しなさいよ」
直ぐにチルノはさもありなん、地面に突っ伏した。今回は見事にのびていて起き上がってこなかった。
「んで、あんたはどうするのよ?」
「ひい」と、少女は命運此処に尽きたと言わんばかりに怯えている。
「何だか私のほうが脅かしてるみたいで、気分悪いわね……お茶でも飲む?」
初めは不気味な風に見えた少女だったが、霊夢は別段変わった事のない女の子の様にも思えていた。縁側に戻り手招いてみると、少女はチルノをおぶって来た。
「淹れてくるからまってて」
しかし「あ、それがいい」と少女は霊夢の飲みかけの湯呑みを指さした。
「これって……私の飲みかけなんだけど?」
少女は黙って頷く。
「別に良いけどあんた変わってるのね。たるひ、ちゃんだっけ?」
「あ……はい」と、少女は間を開けてにこりと笑った。
「何でそんな妖精と一緒にいるの?」
少女は縁側にチルノを横たえると、お茶を受け取った。
「いえ、まあその……」と少女は言いよどむ。
「別にいいわよ、どうせ勝手に連れ回されてんでしょ」
「はは、まあ……」困ったように苦笑いした。
「そろそろお花見の時期だけど、たるひちゃんも来る?」
少女はぱあっと笑った。とても綺麗で愛らしい顔で少し見とれた。
「行きたいです、是非」と言うと少女は目線を上げて桜を見る。霊夢もゆっくりと見上げる。
「じゃあその内やりましょうね」
「んあー、よく寝た」
落ち着いた空気の中、チルノが間の抜けた声を上げた。むくりと起き上がると少女と霊夢とを交互に見て、恐ろしげに聞く。
「巫女に意地悪された?」
「するわけないじゃない」
少女もにこりと笑って同意を添えて。
翌日、またもチルノと少女が神社を訪れる。
「今日こそ──」
「ちょっといい加減にしてよね」
霊夢が苦々しい言い方をすると、少女は驚いてチルノの影に隠れてしまった。
「あ、たるひちゃんじゃなくて前の方ね……」
手ぶりを加えて慌てて訂正する。
「やあやあ今日は賑やかだなあ、いや今日もか」
今度は魔理沙が箒で降りてきた。辺りを見回し見慣れない少女を見て首を傾げた。
「今日は取り敢えず入れてあげるから、中で話さない?」
霊夢がチルノの方を向き言う。チルノは少女とコソコソと話すと了承した。
チルノと少女の仲も気になったし、魔理沙に説明も出来る。
四人で座敷に入ると座卓を四人で囲んだ、魔理沙とチルノ、霊夢と少女が向き合う形になった。
「こっちは魔理沙、それでこの子はたるひちゃんって言うの。昨日チルノと一緒に来たんだけど……」
霊夢が交互に手を向けて紹介する。
「おう、宜しくな」
魔理沙は帽子を取って微笑むと再び帽子を頭に戻した。
「よ、よろしく」少女はぺこりとお辞儀した。
「お茶淹れて来るから、ちょっと待っててね。
霊夢がそう言って厨に行こうと立つと、魔理沙が付いて来た。
周りを見てから魔理沙は小声で話し始める。
「なあ、あのたるひちゃんとやらは人間なのか?」
「人間……じゃないかもね。妖精でも無いと思うけど、妖怪っぽくも無いのよねぇ」
霊夢にも分かっていなかった。人間では無いかもしれないが、不思議と人外という気も全くしない。
妖怪とかいうのは何かしらそういう気配がある物だ。無論そういう風に装っているのかもしれないが。こういう勘には自信がある。
「私も変な企みが有るようには見えなかったが……」
魔理沙がその場で腕を組んで悩んでいたが、お茶を淹れ終わった霊夢は座敷の方に戻ろうとしていた。
「私は結構好きな子だけど」
二人が戻るとチルノと少女はまたもヒソヒソ話をしていた。
「本当仲いいのね、はいお茶」
霊夢は座卓の真ん中に四つ湯呑みを置いた。魔理沙は早速一つとって元の場所に座って少女を横目に聞く。
「ところでたるひちゃんは何処から来たんだ?里か?山?」
探るように言うとお茶を啜った。
「あの、それより先に聞きたいことがあるんですが」少女はばつが悪そうに聞き返す
「んー?」
「もしかして魔理沙さんと霊夢さんは愛しあっているんですか?」
「へ?」
「ぶふっ!」
「おわっ、汚い!」
魔理沙は思わずお茶を吹きこぼし、チルノがとっさに後ずさる。霊夢は唖然としていた。
「わ、悪い……いきなり何を言っているんだ」
「大事なことです」少女は狼狽えずに魔理沙の方を向く。
「愛し合ってるかと言われてもな、いや、私は嫌いじゃないか……いや、そもそも愛ってなんだろうな?」
「はっきりしろよー」
チルノが野次る。
「ええい、ともかくそんな不純な関係ではない!」
魔理沙はお茶を叩きつけるように置きながら言い返した。
「当たり前でしょう」
「良かった」少女はほっと胸を撫で下ろすと今度は霊夢の方を向いて続ける。
「是非私をお嫁さんにして下さい」
霊夢は面食らったが、何となく状況を掴めてきた。仕方なく苦笑いで応える。
「悪いけど……それはちょっと出来ないわね」
「だ、駄目ですか?ああ……」少女の顔は徐々に虚ろになっていく。
「なんでさ、良いやつだろ」
チルノがおろおろと尋ねる。
「たるひちゃんは妖怪なんでしょ?」
少女の方を向くと虚ろに重ねて困った顔をしていた。
「あんまりそんな感じしないけどなあ、どういう妖怪なんだ」
「多分、つらら女」
「つらら女っていうと雪女と似たような奴だったか、雪じゃなくてつららっていう」
魔理沙が不思議そうに聞く。少女は相変わらず困った顔をしていた。
「ええ、迂闊だったけど多分その氷柱は……こいつの」
霊夢は射抜くような視線でチルノを見た。
「あはは、ばれちゃったね……」
「なんだお前は分かってたのか」
「一昨日のアイシクルフォールの一本だったんでしょうね」
「急にあたいの所に来て、娘だーとか言うから」
「すみません」と少女は露骨に元気の無い声で謝る。
「娘か、なるほど確かに考え様によっちゃそうかもな」
魔理沙は一人頷いた。
「こんな時節にはもう何処かに隠れるかする筈だけど、出てきちゃったもんは仕方なくて温度を下げられる氷精と一緒に居たってところね」
「すみません」と少女は重ねて謝った。
「そういう性というか、別に悪さしようとしてたわけじゃないし。それだけなら別に良いわよ」
霊夢は微笑みながら言った。
「でも……」少女は絶望を隠せず、そのままふらふらと立ち上がると縁側に出た。
「ちょ、ちょっと何処行くのよ」
霊夢は慌てて追いかける。少女は縁側でへたりと座り込んだ。
「もうこの時期だし、涼しい場所に行ったほうが良いんじゃない?また冬とか、遊びに来たっていいし」
「振られたつらら女なんて聞いたことありません。もう冬なんて要らない! 」少女は言い放つと立ち上がりそのまま庭に駆け出した。
「落ち着きなさいって!」
再び霊夢は追いかけた。
「おい大丈夫か?」
意外と足の早い少女を追いかけていると、魔理沙も追いかけてきた。
「別に逃げなくたっていいのに」
「お前は乙女心というのが分かってないな」
「んな事言われても……」
「お?たるひちゃん居たぞ」
魔理沙が指差す方は温泉の前だった、少女は今にも温泉に落ちようかとしている。二人は急いで近くに寄った。少女は二人に気づくと動きを止める。
「私はもう生きていても仕方ないです……」
「何も死ななくても、幾らでもチャンスはあるぞ?霊夢はもてないからな」
「そ、そうよ、私男っ気ないし……」
「初めから分かってました、女性の前に現れるつらら女なんて無謀だって。貴方が妖怪退治していることも……」
三人は沈黙する。ふう、と深呼吸すると少女はまた口を開いた。
「しかも春です……冬も知らないつらら女なんて……」
少女は自嘲気味に笑った。
「そんな事気にしないで良いじゃないの、貴女は貴女で」
「私は雪の白さも、伴侶の気持ちも分かりません。そんな私がどうしてつらら女として居る事ができましょう」
「じゃあ……例えばこんなのとか」
霊夢は懐にあった袋を思いっきり上に放り投げた。
袋からは真っ白な紙吹雪が溢れ、ひらひらと雪の様に舞った。
少女はそれを見て息を呑んだ。
「これは偽物だけど……来年になれば本物も見られるし、一緒に見たりもできるし。これからだって色々知れば良いじゃない」
霊夢は笑った。少女も答えるように、ぱあっと笑った。
「ありがとう、でも……やっぱり私は此処で消えるのが正しいんだと思います」
─ばしゃん─
軽い音と共に少女は温泉に落ちた。
数日が経ち、お花見も順調に開催された。
宴が日々ある中、自然と暇になる日があった。
霊夢は座卓の前で一人少女の事を思い返す。結局彼女はあの後跡形も無く消えていた。
私も魔理沙も目の前で死なれたと思うと、あまり口に出来ない出来事だと胸に秘めている。
チルノは一回休みになって残念と言っていたが、多分もう戻っては来ないだろう。
雪女の類は妖精に近くもあり、つらら女はその中でも付喪神の様な明確な依代があるタイプだ。
元が無くなればもう出てくることはない。
「今日は浮かずに憂いてるね~」
突然縁側の方から声が聞こえた。驚いて縁側に出ても誰もいない。
「此処だよ此処」
「下?誰よ」
今度は場所がはっきり分かった、縁の下だ。覗いてみると、思わぬ珍客が居た。
「レティホワイトロックでした」
首が疲れるので一先ず座敷に上げ話す事にする。レティは服を何度もパタパタさせたり、叩いたりして土汚れを一通り落としてから上がった。
「なんか随分汚れてるわね」
「一週間近くいたから」
「神社の下に?」
「うん、神社の下に」
「なんでそんな所に居たのよ」
「いやね、チルノに私の住処が見つかっちゃってさ。隠れんぼしようって誤魔化してみて、博麗神社に隠れるからーって言ったらこうなった」
「絶対に隠れてるの忘れてるでしょそれ。というか律儀に此処に隠れなくてもいいじゃない」
「意外と此処涼しくて居座っちゃったよ。私のせいでチルノが連日やって来ちゃってごめんねぇ」
「いい迷惑よ、本当……」
霊夢は溜息をつく。
「たるひちゃんの事考えてた?中々面白い奴だったね」
レティはにやにやと嗤う。
「起こった事全部聞いてたの?プライバシーって知ってる?」
「まあまあ。でもたるひって名前も別に名前で言ったつもりじゃなかったんだろうね。垂氷でタルヒ、氷柱のことだわ」
「あー、そうだったのね……最初に訂正してくれたら良いのに」
「言うタイミング無くしたんじゃないの。雪女の名前なんて大抵適当だし、それで良いと思ったのよ。」
「本当、妖怪みたいには思えなかったんだけどなぁ……」
「そりゃあなた、妖怪より氷の方がましって言ったからでしょ」
「うーん……もしかして、私の言ったままになったって事?」
「人間以外が人に求婚してくる時ってのも色々あるけど。恩返しで来るような奴もいれば、独り言とか会話を聞いた何かがその希望に沿うように成って出てくる事もあるから、それよ。彼女も言ってたけど基本振られない程度に、その人の好みに合わせて出てきてるはず」
「でもあの時私は沢山座敷を持ってるとか、お金たくさん有るとか、食べない奴とか言ったけど」
「それはそれで出てきてたりしてね、本心で言ったのは妖怪より氷のほうがましって言ったのだけだったんじゃないの?」
「まあ、そうかもしれないけど……氷柱が人型になるのは既に妖怪的というか」
「そこら辺の矛盾を抱えていたんじゃないかな、だから普通の妖怪はしない自殺の真似事したんだろうし。あなたにとって彼女は妖怪だったの?」
「たるひちゃんは……たるひちゃんかな」
「妖精はその内忘れちゃうかもしれないし。あなたは覚えといてあげてね」
そう言うとレティは穏やかに笑った。
霊夢はつらつらと考えてみる。
私の言葉が氷柱を彼女にしたのだろうか。言葉は誰に聞かれているかわからない、聞く方は人とも限らない……。だからこそ口は慎んで然るものなのかもしれない。言葉には力が宿るという考えもある。
一方で言葉はあまりに非力だ。私の言った彼女と一緒にするお花見は永遠に行われない、言葉や会話は非常に不安定なものだ。
もしもお花見をしたら、彼女とどんな事を話したんだろう。
庭を見ると丁度風が吹き、桜が雪の様にしんしんと散っていた。
チルノは尖った氷をしきりに神社の庭に振らせる。氷は霊夢の横をすり抜けて次々と地面に突き刺さった。
「ちょっと!弾幕は人に向けて打ちなさいよ、庭が荒れるでしょうが!」
霊夢はチルノの頭にお祓い棒を叩きこんだ。チルノは一瞬堪えたが、直ぐにひらひらと地面に落ちて倒れた。
寒い冬も遂に終わった。肌寒さも今は冬の辛さでは無く春の前触れに感じられる。
「ふん、そんなんだから馬鹿って言われるのよ」
目を回して倒れているチルノの前に霊夢は仁王立ちして言う。
「霊夢は悪役の素質有るよな、魔王みたいだ」
縁側に座っていた魔理沙は苦笑いで声をかける。
「いちいち妖精の相手なんかしてらんないわよ、しかも桜も咲き始めてるっていうのに氷精なんて……」
「いったいなー」
チルノは頭を擦りながらがばっと起き上がると、再びふわふわと飛ぶ。
「こいつは丈夫だしね」
霊夢は飛び上がったチルノを見てから縁側に向かい、魔理沙の横に座ると淹れておいたお茶を啜った。
「冷めちゃった」
「覚えてろー!」
チルノは空中で地団駄を踏む様な動きをすると、あっかんべして逃げて行った。
「ああいうセリフ言う方が悪役っぽくない?」
「悪役というより噛ませ犬っぽいセリフだな」
「魔理沙、帽子に何かくっついてるわよ」
霊夢は魔理沙の黒い帽子に着いていた小さな紙片を払う。
「すまんな、ちょっと里に行ったら結婚式みたいな事してて、頼まれてこれ撒いてたんだ」
魔理沙は袋を取り出すと、中から白い紙ふぶきを一掴み撒いた。
「ちょっと散らかさないでよ」
霊夢は魔理沙から袋を取り上げる。
「博麗神社も華やかにしようと思って」
「何で神前式にしようって言ってくれないの」
「私は神社の営業じゃないぞ。ただの祝典というか祝宴みたいなのだったし、詳しくは知らん」
「なんだ、じゃあこれからしてくれる可能性も…‥」
「期待は出来ないな」
「何なら魔理沙が神前式をうちであげてもいいわよ」
霊夢は縁側から降りると、庭に刺さった氷を引っこ抜き始めた。魔理沙はないないと言いながら向けられた言葉を払うように手のひらを左右に振る。
「霊夢こそ誰か見つけて玉の輿になればいいじゃないか」
「それこそ無いわよ。こんな神社じゃ来てくれる人なんて居ないって。此処に新たに根を下ろしてくれるなんて、この氷ぐらいなもんよ」
引っこ抜いた氷は、直に溶けるだろうと霊夢は庭の隅に次々に投げて山を作っていく。あらかた引っこ抜くと、足で穴を目立たなくなるように軽くならした。
「そうかな、どんな奴がいいんだよ」
「沢山座敷を持ってるとか、お金たくさん有るとかだったら、困りはしなさそうね」
「そんな心にも無い事を……」
「考えもしないわよそんな事、何も食べない人とか?」
「じゃあいっそ妖怪と結婚するんだな」
「氷のほうがまだまし」
霊夢はふうっと息をつく。
土の色は少し変わっているが、これ以上の修復は無理だと思い霊夢は再び縁側に戻った。
「ここの桜は後四五日って所か、三分咲き……よりも咲いてるか?」
「そのくらいでしょうね、もうちょっとでお花見できるわよ」
二人は満開の宴に思いを寄せた。見上げると桜はちらほらと咲いていて、桜色と蕾の臙に近い濃い色が交じり合っている。
「無縁塚の近くのはなんかもう満開近かったな」
「無縁塚って、紫の桜の事?」
「いや、違う。あれは普通の山桜だったかな」
「ふーん?なんか気になるわね、暇だしちょっと見に行ってみようかしら。何処から順に咲くのか見たいし」
神社から幻想郷は見渡せるが、もっと明確に幻想郷の桜事情を知っておくのも悪くないと霊夢は考え色々回る。
「私もパトロールがてら付き添おう」
魔理沙も乗り気で、縁側から降りると早速箒にまたがった。
「何がパトロールなんだか…」
魔理沙は様々な所に行くので元々そういう情報には早い方だ。霊夢を先導する様に香霖堂の付近に降りる。
「よっと、此処はまだ満開には時間が有りそうだ、この下でも後々宴会したいな」
高めから落下に近い危なっかしい着地をしながら言う。香霖堂の隣にある桜はまだ花がぽつぽつとしか咲いていない。
「その時は霖之助さんも誘わないとね」
霊夢が窓から店内を覗くと、当の店主は道具の手入れをしていた。
「お通夜みたいな花見が好きらしいが……頃合いにはまたその都度皆で確認すりゃいいな」
魔理沙も霊夢の後ろからそっと店内を見ると、再び桜の方に視線を移した。
「お?鶯がいるぞ」
霊夢も振り返って桜の方をみると、地味な緑色の鳥が枝に止まっている。
ホーホケキョ。と一つ鳴くと直ぐに飛んでいってしまった。少し悲しそうな鳴き声が霊夢の耳に残った。
「桜に鶯も悪く無いわね、んじゃ次行きましょう」
次に二人が向かったのは山だ。二人は麓辺りに降りると上から下までじっくり見た。
山の桜の下の方は神社と同じくらいの咲き具合だった。上の方は香霖堂と似た具合。
「やっぱり上の方より下のほうが咲くの早いんだな」
「春の神も山を登るのは面倒でしょうし、後回しなんじゃないの」
「そういう事なのか」
「たぶんね……」
霊夢が生返事すると魔理沙は軽く歩いて付近の桜を確認する。
「お?今度は蛇が居るぞ」
魔理沙が霊夢を呼ぶように声を上げる。霊夢も興味無さそうにそちらの方へ向かった。
霊夢が見ると蛇がノロノロと道の真中を這っていた。
「……冬眠明けで寝ぼけてるんじゃないのこいつ、道の真中いたら色んな意味で危ないわね」
霊夢は蛇を退けようと寄って、少し考えると蛇を動かさずに戻った。
「なにやってんだ」
「退けようかと思ったけど、こういうのはあまり弄らないほうが良いわね。祟られたりするし」
「此処にいたら蛇の方が危ない気もするが、祟られるのは御免だな……」
「蛇なんて祟る時は誰彼かまわず祟ったりするし、祟られたらその時はその時だけどね」
最後に二人は無縁塚に来た。無縁塚の奥ではなく、直前の場所にひっそりと小さめの山桜が佇んでいる。
「確かに。小さいけどこれは満開ね。綺麗」
その桜の木は今まで見た桜と違い、一人で美しく咲き乱れていた。霊夢が近寄ると、桜は風になびいた。
「だろ?中々乙な桜だと思って」
「偶々早く咲いたみたいね、この咲きっぷりは見事かも」
霊夢が樹の幹に軽く手を当ててみると、何と無く春を感じた。
「お?霊夢、蜘蛛が居るから気をつけろ」
魔理沙が幹を指差す。小さい茶色の蜘蛛がツーと糸で垂れてきていた。
「おっと、危ない」
霊夢は手の上に降りそうだったので手を引いた。
「さて、そろそろ帰ろうかしら」
「後は冥界の桜を見て……でも私の所でやるのが一番早そうね、その次が冥界あたりで、山は誰かに呼ばれたらで、最後に香霖堂」
霊夢は帰りの道中にお花見の予定を提案する。
「悪くない、後は適当に見つけたらだな」
魔理沙は宴に期待して笑みを溢した。
二人で神社に戻ると、日も傾いていた。そんな伸びる影の中に今日二度目の顔を見つける。
チルノだ。
「今日こそ巫女を倒す!」
その言葉を聞いて霊夢は呆れる。
「自分で忘れてちゃ世話ないわね……」
霊夢がチルノを軽くひねって追い返すと、魔理沙も日が暮れる前には戻りたいと言い帰った。その日は収拾がついた。
翌日、懲りずにチルノが博麗神社に来た。
「今日こそ──」
「それはもういい……」
霊夢は聞き飽きた台詞に面倒くさそうに応じる。ところが、チルノの後ろに見知らぬ顔の人物がいることに気づいた。
それは華奢な少女で霊夢より少しだけ背が低く、薄い灰桜の様な地味な色の着物を着ていた。長い黒髪が揺らし、前髪も目が確認できないくらい伸びていて、はっきりとした不気味さを醸し出している。
霊夢がじっくり見て色々考えていると、少女はささっとチルノの後ろに顔を隠した。小さいチルノの後ろではあまり隠れきれては居ない。
「その見慣れない顔……というか顔も良く見えないんだけど、あんた誰?」
「たるひ……」と、少女は呟いた。
「たるひ?聞いたことないけど……」
少女は酷く慌てた様子でチルノと密談を始めた。チルノとはどうやら仲が良いらしい。
「とにかく行け!」
チルノは少女の後ろに回りこむと、思い切り押した。少女は此方に向かってきて前のめりになりながら、バランスを直そうとしつつ、そのまま前に倒れた。
「何やってるんだか」
霊夢は手を差し伸べる。近くで見ると意外と少女は不気味に見えなかった。むしろ何処か惹かれる。
「けっ、結構です!」と少女は霊夢の手は取らず慌てて起き上がり、チルノの方へ駆けて行った。
持て余した手を引っ込める。見るとまたチルノとこそこそ話をしていた。
「用があるの?ないの?」
「えーい、こうなったらいつも通りに勝負だ!」
今度はチルノがずけずけと前に出てきた。
「いつも通りならさっさと降参しなさいよ」
直ぐにチルノはさもありなん、地面に突っ伏した。今回は見事にのびていて起き上がってこなかった。
「んで、あんたはどうするのよ?」
「ひい」と、少女は命運此処に尽きたと言わんばかりに怯えている。
「何だか私のほうが脅かしてるみたいで、気分悪いわね……お茶でも飲む?」
初めは不気味な風に見えた少女だったが、霊夢は別段変わった事のない女の子の様にも思えていた。縁側に戻り手招いてみると、少女はチルノをおぶって来た。
「淹れてくるからまってて」
しかし「あ、それがいい」と少女は霊夢の飲みかけの湯呑みを指さした。
「これって……私の飲みかけなんだけど?」
少女は黙って頷く。
「別に良いけどあんた変わってるのね。たるひ、ちゃんだっけ?」
「あ……はい」と、少女は間を開けてにこりと笑った。
「何でそんな妖精と一緒にいるの?」
少女は縁側にチルノを横たえると、お茶を受け取った。
「いえ、まあその……」と少女は言いよどむ。
「別にいいわよ、どうせ勝手に連れ回されてんでしょ」
「はは、まあ……」困ったように苦笑いした。
「そろそろお花見の時期だけど、たるひちゃんも来る?」
少女はぱあっと笑った。とても綺麗で愛らしい顔で少し見とれた。
「行きたいです、是非」と言うと少女は目線を上げて桜を見る。霊夢もゆっくりと見上げる。
「じゃあその内やりましょうね」
「んあー、よく寝た」
落ち着いた空気の中、チルノが間の抜けた声を上げた。むくりと起き上がると少女と霊夢とを交互に見て、恐ろしげに聞く。
「巫女に意地悪された?」
「するわけないじゃない」
少女もにこりと笑って同意を添えて。
翌日、またもチルノと少女が神社を訪れる。
「今日こそ──」
「ちょっといい加減にしてよね」
霊夢が苦々しい言い方をすると、少女は驚いてチルノの影に隠れてしまった。
「あ、たるひちゃんじゃなくて前の方ね……」
手ぶりを加えて慌てて訂正する。
「やあやあ今日は賑やかだなあ、いや今日もか」
今度は魔理沙が箒で降りてきた。辺りを見回し見慣れない少女を見て首を傾げた。
「今日は取り敢えず入れてあげるから、中で話さない?」
霊夢がチルノの方を向き言う。チルノは少女とコソコソと話すと了承した。
チルノと少女の仲も気になったし、魔理沙に説明も出来る。
四人で座敷に入ると座卓を四人で囲んだ、魔理沙とチルノ、霊夢と少女が向き合う形になった。
「こっちは魔理沙、それでこの子はたるひちゃんって言うの。昨日チルノと一緒に来たんだけど……」
霊夢が交互に手を向けて紹介する。
「おう、宜しくな」
魔理沙は帽子を取って微笑むと再び帽子を頭に戻した。
「よ、よろしく」少女はぺこりとお辞儀した。
「お茶淹れて来るから、ちょっと待っててね。
霊夢がそう言って厨に行こうと立つと、魔理沙が付いて来た。
周りを見てから魔理沙は小声で話し始める。
「なあ、あのたるひちゃんとやらは人間なのか?」
「人間……じゃないかもね。妖精でも無いと思うけど、妖怪っぽくも無いのよねぇ」
霊夢にも分かっていなかった。人間では無いかもしれないが、不思議と人外という気も全くしない。
妖怪とかいうのは何かしらそういう気配がある物だ。無論そういう風に装っているのかもしれないが。こういう勘には自信がある。
「私も変な企みが有るようには見えなかったが……」
魔理沙がその場で腕を組んで悩んでいたが、お茶を淹れ終わった霊夢は座敷の方に戻ろうとしていた。
「私は結構好きな子だけど」
二人が戻るとチルノと少女はまたもヒソヒソ話をしていた。
「本当仲いいのね、はいお茶」
霊夢は座卓の真ん中に四つ湯呑みを置いた。魔理沙は早速一つとって元の場所に座って少女を横目に聞く。
「ところでたるひちゃんは何処から来たんだ?里か?山?」
探るように言うとお茶を啜った。
「あの、それより先に聞きたいことがあるんですが」少女はばつが悪そうに聞き返す
「んー?」
「もしかして魔理沙さんと霊夢さんは愛しあっているんですか?」
「へ?」
「ぶふっ!」
「おわっ、汚い!」
魔理沙は思わずお茶を吹きこぼし、チルノがとっさに後ずさる。霊夢は唖然としていた。
「わ、悪い……いきなり何を言っているんだ」
「大事なことです」少女は狼狽えずに魔理沙の方を向く。
「愛し合ってるかと言われてもな、いや、私は嫌いじゃないか……いや、そもそも愛ってなんだろうな?」
「はっきりしろよー」
チルノが野次る。
「ええい、ともかくそんな不純な関係ではない!」
魔理沙はお茶を叩きつけるように置きながら言い返した。
「当たり前でしょう」
「良かった」少女はほっと胸を撫で下ろすと今度は霊夢の方を向いて続ける。
「是非私をお嫁さんにして下さい」
霊夢は面食らったが、何となく状況を掴めてきた。仕方なく苦笑いで応える。
「悪いけど……それはちょっと出来ないわね」
「だ、駄目ですか?ああ……」少女の顔は徐々に虚ろになっていく。
「なんでさ、良いやつだろ」
チルノがおろおろと尋ねる。
「たるひちゃんは妖怪なんでしょ?」
少女の方を向くと虚ろに重ねて困った顔をしていた。
「あんまりそんな感じしないけどなあ、どういう妖怪なんだ」
「多分、つらら女」
「つらら女っていうと雪女と似たような奴だったか、雪じゃなくてつららっていう」
魔理沙が不思議そうに聞く。少女は相変わらず困った顔をしていた。
「ええ、迂闊だったけど多分その氷柱は……こいつの」
霊夢は射抜くような視線でチルノを見た。
「あはは、ばれちゃったね……」
「なんだお前は分かってたのか」
「一昨日のアイシクルフォールの一本だったんでしょうね」
「急にあたいの所に来て、娘だーとか言うから」
「すみません」と少女は露骨に元気の無い声で謝る。
「娘か、なるほど確かに考え様によっちゃそうかもな」
魔理沙は一人頷いた。
「こんな時節にはもう何処かに隠れるかする筈だけど、出てきちゃったもんは仕方なくて温度を下げられる氷精と一緒に居たってところね」
「すみません」と少女は重ねて謝った。
「そういう性というか、別に悪さしようとしてたわけじゃないし。それだけなら別に良いわよ」
霊夢は微笑みながら言った。
「でも……」少女は絶望を隠せず、そのままふらふらと立ち上がると縁側に出た。
「ちょ、ちょっと何処行くのよ」
霊夢は慌てて追いかける。少女は縁側でへたりと座り込んだ。
「もうこの時期だし、涼しい場所に行ったほうが良いんじゃない?また冬とか、遊びに来たっていいし」
「振られたつらら女なんて聞いたことありません。もう冬なんて要らない! 」少女は言い放つと立ち上がりそのまま庭に駆け出した。
「落ち着きなさいって!」
再び霊夢は追いかけた。
「おい大丈夫か?」
意外と足の早い少女を追いかけていると、魔理沙も追いかけてきた。
「別に逃げなくたっていいのに」
「お前は乙女心というのが分かってないな」
「んな事言われても……」
「お?たるひちゃん居たぞ」
魔理沙が指差す方は温泉の前だった、少女は今にも温泉に落ちようかとしている。二人は急いで近くに寄った。少女は二人に気づくと動きを止める。
「私はもう生きていても仕方ないです……」
「何も死ななくても、幾らでもチャンスはあるぞ?霊夢はもてないからな」
「そ、そうよ、私男っ気ないし……」
「初めから分かってました、女性の前に現れるつらら女なんて無謀だって。貴方が妖怪退治していることも……」
三人は沈黙する。ふう、と深呼吸すると少女はまた口を開いた。
「しかも春です……冬も知らないつらら女なんて……」
少女は自嘲気味に笑った。
「そんな事気にしないで良いじゃないの、貴女は貴女で」
「私は雪の白さも、伴侶の気持ちも分かりません。そんな私がどうしてつらら女として居る事ができましょう」
「じゃあ……例えばこんなのとか」
霊夢は懐にあった袋を思いっきり上に放り投げた。
袋からは真っ白な紙吹雪が溢れ、ひらひらと雪の様に舞った。
少女はそれを見て息を呑んだ。
「これは偽物だけど……来年になれば本物も見られるし、一緒に見たりもできるし。これからだって色々知れば良いじゃない」
霊夢は笑った。少女も答えるように、ぱあっと笑った。
「ありがとう、でも……やっぱり私は此処で消えるのが正しいんだと思います」
─ばしゃん─
軽い音と共に少女は温泉に落ちた。
数日が経ち、お花見も順調に開催された。
宴が日々ある中、自然と暇になる日があった。
霊夢は座卓の前で一人少女の事を思い返す。結局彼女はあの後跡形も無く消えていた。
私も魔理沙も目の前で死なれたと思うと、あまり口に出来ない出来事だと胸に秘めている。
チルノは一回休みになって残念と言っていたが、多分もう戻っては来ないだろう。
雪女の類は妖精に近くもあり、つらら女はその中でも付喪神の様な明確な依代があるタイプだ。
元が無くなればもう出てくることはない。
「今日は浮かずに憂いてるね~」
突然縁側の方から声が聞こえた。驚いて縁側に出ても誰もいない。
「此処だよ此処」
「下?誰よ」
今度は場所がはっきり分かった、縁の下だ。覗いてみると、思わぬ珍客が居た。
「レティホワイトロックでした」
首が疲れるので一先ず座敷に上げ話す事にする。レティは服を何度もパタパタさせたり、叩いたりして土汚れを一通り落としてから上がった。
「なんか随分汚れてるわね」
「一週間近くいたから」
「神社の下に?」
「うん、神社の下に」
「なんでそんな所に居たのよ」
「いやね、チルノに私の住処が見つかっちゃってさ。隠れんぼしようって誤魔化してみて、博麗神社に隠れるからーって言ったらこうなった」
「絶対に隠れてるの忘れてるでしょそれ。というか律儀に此処に隠れなくてもいいじゃない」
「意外と此処涼しくて居座っちゃったよ。私のせいでチルノが連日やって来ちゃってごめんねぇ」
「いい迷惑よ、本当……」
霊夢は溜息をつく。
「たるひちゃんの事考えてた?中々面白い奴だったね」
レティはにやにやと嗤う。
「起こった事全部聞いてたの?プライバシーって知ってる?」
「まあまあ。でもたるひって名前も別に名前で言ったつもりじゃなかったんだろうね。垂氷でタルヒ、氷柱のことだわ」
「あー、そうだったのね……最初に訂正してくれたら良いのに」
「言うタイミング無くしたんじゃないの。雪女の名前なんて大抵適当だし、それで良いと思ったのよ。」
「本当、妖怪みたいには思えなかったんだけどなぁ……」
「そりゃあなた、妖怪より氷の方がましって言ったからでしょ」
「うーん……もしかして、私の言ったままになったって事?」
「人間以外が人に求婚してくる時ってのも色々あるけど。恩返しで来るような奴もいれば、独り言とか会話を聞いた何かがその希望に沿うように成って出てくる事もあるから、それよ。彼女も言ってたけど基本振られない程度に、その人の好みに合わせて出てきてるはず」
「でもあの時私は沢山座敷を持ってるとか、お金たくさん有るとか、食べない奴とか言ったけど」
「それはそれで出てきてたりしてね、本心で言ったのは妖怪より氷のほうがましって言ったのだけだったんじゃないの?」
「まあ、そうかもしれないけど……氷柱が人型になるのは既に妖怪的というか」
「そこら辺の矛盾を抱えていたんじゃないかな、だから普通の妖怪はしない自殺の真似事したんだろうし。あなたにとって彼女は妖怪だったの?」
「たるひちゃんは……たるひちゃんかな」
「妖精はその内忘れちゃうかもしれないし。あなたは覚えといてあげてね」
そう言うとレティは穏やかに笑った。
霊夢はつらつらと考えてみる。
私の言葉が氷柱を彼女にしたのだろうか。言葉は誰に聞かれているかわからない、聞く方は人とも限らない……。だからこそ口は慎んで然るものなのかもしれない。言葉には力が宿るという考えもある。
一方で言葉はあまりに非力だ。私の言った彼女と一緒にするお花見は永遠に行われない、言葉や会話は非常に不安定なものだ。
もしもお花見をしたら、彼女とどんな事を話したんだろう。
庭を見ると丁度風が吹き、桜が雪の様にしんしんと散っていた。
霊夢さん可愛い。
それで軽快、けれど切ない。いい話でした。