命蓮寺。
人里の近くに開いた寺で、そこは人間も妖怪も区別無く救い、慈悲を授け、また心悪しき目的で来るものに
時には罰も与える所。
そこでは人は妖怪を恐れはするが厭わず、妖怪も特に人間を襲わず、寺の住職、聖 白蓮の説法に耳を傾け
また、時には人妖が寺のものも交えつつその内容について語り合う慈愛の寺。
その裏にある墓場。
実はそこに、古代に建てられた霊廟があり、その霊廟を舞台にした悶着があったのだが、
今は平和になり、一時期騒いでいた亡霊たちも落ち着いた。
ただ、小さな変化はあったが。
夜になると、その墓を一つ一つ、丹念に見て、手の届きそうな所の汚れやゴミを払い、時には仏花の交換もする人影が居る。
ただ、被った帽子の下には札が一枚貼られて、動きは出来損ないの人形のようにぎこちない。
そして、両の手は常に体の前へ真っ直ぐ突き出すように伸びている。
中国では殭屍(きょうし)と呼ばれる生ける死体。
本人は宮古 芳香と名乗っている。
命蓮寺の墓にある、古代の大霊廟の守人であり、仙人でもある青娥に蘇生を施され、門番として戦いその後、土に戻ったのだが
「人を救う仙術をもって、人の体も魂もぞんざいに弄ぶとは何事か」と白蓮に叱られた青娥が、固化した体の慣らし
(あわよくば柔軟性を取り戻す術を盗む目的もある)と、脳の組織の復元(やはり新しい殭屍を作るためのサンプルを作る目的)を見つけて貰うため
命蓮寺で墓守の仕事を与えられては居る、が・・・。
「まんじゅうは美味いな。体が硬いゆえ食べにくいが。」
時折、仕事を忘れて墓のお供えを勝手に食べていたり、井戸に水を汲みに行って井戸に落ち、つるべに引っかかっていたりと
深刻では無い程度の仕事放棄を意識せずにやっている。
その度にナズーリンや村紗達が助けてはいるのだが、やはり脳に防腐処置を施していなかったのが災いして、彼女は命蓮寺の仲間の名前処か
自分が何故ここで、何を働いているのかさえ忘れている事がある。
忙しい中を西へ東へ説法に出たり、仏閣の祭りの指揮を取る白蓮や寅丸、一輪からは
「ああ言う暢気ものが一人居るくらいでちょうどいい。」と言われて気に入られてはいるのだが、ナズーリン達からは
「暢気じゃなくて脳が無いんですよあれは!」と文句を言われたりしている。
ある日。
夕方、芳香はたぶん眠っているのであろうが、目は開いたままだ。
彼女の前に薄い青の色衣と羽衣を纏い、青い髪を金のかんざしで留め飾る妙齢の女性が音も無く舞い降りてきた。
「芳香。芳香、起きてる?」
「死んでいる。戦士の戦死だ。ところで見た事のあったような人だがどちら様だったかな?ひゃくえん?とか言う人か。」
青い衣の女性・・・青娥は額に僅かに青筋を立てながら。
「あんな悪法(あほう)使いと自分の主人の見分けくらい付くようにはしたはずなんだけどね。青娥よ、せ・い・が!」
「・・・ああ、主(あるじ)か。しろれんは黒かったな。主は蒼い。」
寝ぼけてるのか素なのか判らない芳香の言葉に、嘆息を隠さず青娥は愚痴る。
「あんたねえ・・・自分がお世話になっている寺の住職の名前くらい覚えなさいよ・・・もっとも原因は私なんだけどさ・・・。」
「で、主、本日の用向きは私に、新しい体操を教えてくれるのか?」
「・・・いや、あんたがしっかり働けているかと、怪我をしていないか見に来たのよ。」
「ん?主、私は戦士だから怪我はしないぞ?」
「今は墓守でしょうが。兎に角、ここの悪法使いに最近あんたの様子がおかしいと聞いたから、札の様子とか点検するの。」
「私はおかしくないぞ。むしろ今がおかしい。」
その響きは札を外した時の言葉の響きに似ていた。
青娥はそれを敏感に聞き取り、札の点検に入ろうとする。
「やはり何かあったみたいね。札を貼りかえるわ。」
不意に芳香が話し始めた。
「主、私は混乱している。」
「え・・・?まさか記憶が?」
「そんなものは無い。だが、ここに居ると見えているのに見えない者が話しかけてくる。」
「・・・少し話を聞かせて。」
青娥の言葉に、グギギギときしんだ音を立てて返事をする。
「いつだったか、乗り越えねばならないものがあった。と思い出した。」
何かが取り憑いたのでもない気配、なのに、芳香の言葉はいつもと響きが違う。
「私がむかし居た所は、誰も私を愛さなかった。気にも留めなかった。土の下に埋められて空気も光も無い街に居た。そこは怖いところだった。」
この子は「あの時」の事を話しているのか、青娥の思考は昔へめぐる。
芳香は青娥を見ているが、その向こう側の何かを見ていた。
「憎しみに満ちた所で私は生まれて死んで、絶望を被せられて埋められた。都は恐怖と言う名前だった。丑寅の方向からはいつも殺意が痛みを伴って吹いていた。」
政争に巻き込まれて死んだ時の回顧か、青娥には解らない、が、小刻みに芳香の体は震え、汗が吹き出ている。
その顔は屍蝋の色だ。
「意識はあった。もしかしたらそれはそう思っていただけかもしれない。でも私は死を演じ続けた。身も心も死体になった。痛みが消えるから。
何も感じなくなるから。」
芳香の震えは更に増す。
「自分で自分に針を刺すような、責め苦を課す様な時間の中で私は眠っていた。そのうち痛みは安らぎに変わった。
私は戦っていた。誰でもない誰かと。そして食らっていた。誰でもない誰かを。」
目が泳ぎ始める。震えが更に加速していく。
「それ以上は思い出してはいけないわ。札が剥がれる。」
焦りだす青娥。だが、その言葉は芳香に届いていない。
「時間の責め苦に気分の酔う中で、いつしか私は死体を演じる事をやめられなくなった。それはまるで」
その瞬間、芳香の額の札が霧散した。
司令塔を失った傀儡はその瞬間、かっと目を見開いて叫ぶ
「 」
声にならない獣の咆哮。自由の利かない体はのた打ち回り、あちこちに体をぶつけ、血を流す。
叫び声を聴いて、白蓮をはじめとした命蓮寺の面々がやって来た。
そして、目の前の惨状を見て声を失う。
「青娥、一体何があったのですか!?」
呆然としている青娥の肩を白蓮が掴んで揺する。と、青娥も流石に我に返った。
「札に損傷があったのよ。お願いだから芳香を・・・あの子を少しの間だけ動かないようにして!でないと暴走を止められない!」
その声に寅丸が、ずい、と前へ出る。
「戦士だったものの苦しみと痛みは、軍神・毘沙門天の良く知る所。聖、お下がりください。」
その手には毘沙門天の宝塔が乗っている。
「オン ベイ シュラマンダヤ ソワカ・・・安らぎの光よ、傷を受けし戦士にひと時の安息を。」
宝塔から柔らかい光が湧き出る。
それに照らされた芳香の動きから力が抜け、呼吸は荒いが顔から険しさが取れた。
すかさず青娥がその額に札を貼り付けると、暫くして芳香が目を開ける。
「・・・?主に・・・誰だっけ?えと、アホー使いとトラジマに・・・?」
その言葉に村紗とナズーリンが激昂しかけるが、白蓮が手で制する。
「悪い夢を見たようですね。本日は青娥さんの所に戻って、その怪我を癒しなさい。」
白蓮の言葉に、芳香は初めて気付いたように自分の体を見る。
「井戸に落ちたわけでもないのに何でこんな怪我をしているのだ?私は誰かと戦っていたのか?」
疲れた様に青娥が、芳香の札に手をかざすと、芳香はくず折れるように動きを止めた。
「一晩私のところで休ませれば、明日にはまたここに戻ってこられるわ。」
「その前に、何があったのか話してはいただけますでしょうね?」
寅丸と白蓮が青娥に事情の説明を求める。青娥は正直に話すことにした。
・・・・・・・。
「そんな事が・・・。」白蓮の表情は深刻だ。救われねばならないものが救われていない。
しかし土に戻しても記憶は劣化しないのなら、このまま形を保たせるよりは成仏させて楽土で生活させ、また転生させた方が最善なのだ。
だが青娥は、何故かそれを良しとしなかった。来世が不安定な状態で、楽土で永遠に暮らせないのなら任せられないと。
「しかし、今の状態でもこのような事が繰り返される事は容易に想像できます。残念ながら大日如来の力を得るには私もまだ法力が足りません。」
救われるべきものに手を差し伸べられない、救えない・・・それは人ならぬ身と智慧を持ってしても立ちはだかる壁だった。
「・・・そもそもの埋葬方法に意図か間違いがあったのが芳香さんの不幸の一つなのでしょうが・・・。」
白蓮の言葉に、一輪が質問する。
「埋葬の方法を間違えると、何故こうなるのですか?」
青娥がぽつりと言った。
「死体は葬る時、宿る気が陰の地に埋めなければならないの。芳香は意図せず陽の気の地に埋葬されたのよ。陽の気に満ちた死体は本能のまま、
または生前の執着や恨みを持って動き出す・・・それが殭屍。」
それにナズーリンが疑問を投げかける。
「しかし、それならば芳香の葬った地を何故間違えたのかが解らないのだが。」
白蓮は重々しく口を開いた。
「恐らくは・・・秘密裏に殺されて、そのままその地に埋められたか・・・または殺された後、行方不明を装うために離れた所に埋められた地が陽の地だったのでしょう。」
一同に沈黙が落ちる。
「青娥、あなたはそれを知っていたのですか?」と寅丸。
「・・・いえ。芳香は、私がこの国に来て下僕を探している時、既に廃都で死体と亡霊を食らう鬼となっていたの。それを私が保護して仙術で制御できるまで
術と丹を使い、ここまで大人しくなったのだけど・・・頭の中の腐敗を止めるのを忘れてしまった。だから昔のトラウマが理性と札の制御を押しのけた時、
あの状態になるのよ。あの子を私は救いたかったけど、トラウマが動く原動力になっている所があったから、あのまま体から魂を離しても悪霊となっていたでしょう。
体も魂の制御を外れれば本当に屍食鬼になってしまう。私にはそれが限界だったわ。」
疲れた様子の青娥に、ナズーリンが言う。
「永遠亭に足しげく通っては、腐れた脳の復元などの方法を訊こうとして追い返されていたのは・・・そう言うわけなのか。」
青娥の顔が驚きに変わったが、ナズーリンは涼しい顔だ。
「私の特技は探し物だよ。私的なものでも探せないものは殆ど無い。それがいかな口に出せない秘密だろうと・・・」
「ナズーリン。」
白蓮の言葉にナズーリンの動きが凍りつく。
「幾ら知りえた事でも、本人の心に刃を突きつけるような事を言うのは、私が許しません。それが口に出来ない秘密なら、なおさらです。」
限界まで糸を張ったような空気が流れる。
「青娥さん。」白蓮が再び口を開く。しかし先ほどの重圧は無く、静かな口調。
ナズーリンへの裁きの時間は終わりを告げたのだ。どうやら執行猶予という形で、だが。
「お話は解りました。そう言うことなら私がこの幻想郷の重鎮に掛け合って、永遠亭に話を通せるようにお力を貸しましょう。貴方に悪意が無い事と
芳香さんを大事に思う心は伝わりました。」
青娥の顔が驚きの色に変わる。しかし、白蓮はそこで凛と言う。
「その方法が見つかるまで、芳香さんは眠らせたままにして下さい。その代わり貴方がこの寺で働く事が条件になります。私も仏法の徒。貴方の知っている
道教のお話もお聞かせいただければ行幸ですし、貴方も仙術以外の術法と、真の仙人の資格を得る手がかりを見つけられるかも知れません。
芳香さんが今の怪我だらけの体から脱却できる可能性もあるでしょう。悪事を働かなければここの方々は皆優しい方ですよ。」
双方の理解と利害で、青娥は命蓮寺で働く事になった・・・が。
命蓮寺は妖怪も来る寺と言う事を知っていたとは言え、説法の日になると、
「ありゃ仙人じゃないか?」
「天人は猛毒だが、仙人は食うと力が得られると聴いたぞ?」
「ほうほう、でもあれは邪仙だから、食ったらどうなるか解らんぞ?博麗の巫女に退治されるのはイヤじゃな。」
「いやいや、怖さなら妖怪の山の風神も中々・・・。」
「バカ言え、魔法の森の白黒とからくり使いに勝てる奴ァ居ねぇよ。俺の仲間が消し炭さえ残らなかったんだ。」
と好き勝手な妄想が聞こえてくるのに耐えなければならないし、里に行けば先だっての事件が広まっていて、里人になんとなく避けられる。
「いいか、悪いことばっかしてると、あの仙人様に生きたまんま死体にされて天にも昇れないし地にも下りられなくなっちまうぞ?」
と脅しのダシに使われたりと、散々な目にあっている。
自業自得とは言え、もう少し騒ぎを起こすなら影の黒幕になるべきだった、と反省にならない反省をしつつため息をつく毎日。
そんな時、いつだったか、芳香が呆けている中で読んだ歌が頭の中に響いてくるのだった。
『秋の日の 霜また今日の陽に消えて 因果はここに 巡り来にけり』
あの当時は意味は解らなかったが、こうして白眼視の中に居ると、イヤでもその真意を思い知らされる。
「・・・自分がまいた種だしね、実が空っぽでも刈り取るしかないか。」
青娥の今はともかく、将来にはまだ希望が燈っている。芳香を解放出来るようになるその日が。
・・・芳香、もう少し待っていてね。
人里の近くに開いた寺で、そこは人間も妖怪も区別無く救い、慈悲を授け、また心悪しき目的で来るものに
時には罰も与える所。
そこでは人は妖怪を恐れはするが厭わず、妖怪も特に人間を襲わず、寺の住職、聖 白蓮の説法に耳を傾け
また、時には人妖が寺のものも交えつつその内容について語り合う慈愛の寺。
その裏にある墓場。
実はそこに、古代に建てられた霊廟があり、その霊廟を舞台にした悶着があったのだが、
今は平和になり、一時期騒いでいた亡霊たちも落ち着いた。
ただ、小さな変化はあったが。
夜になると、その墓を一つ一つ、丹念に見て、手の届きそうな所の汚れやゴミを払い、時には仏花の交換もする人影が居る。
ただ、被った帽子の下には札が一枚貼られて、動きは出来損ないの人形のようにぎこちない。
そして、両の手は常に体の前へ真っ直ぐ突き出すように伸びている。
中国では殭屍(きょうし)と呼ばれる生ける死体。
本人は宮古 芳香と名乗っている。
命蓮寺の墓にある、古代の大霊廟の守人であり、仙人でもある青娥に蘇生を施され、門番として戦いその後、土に戻ったのだが
「人を救う仙術をもって、人の体も魂もぞんざいに弄ぶとは何事か」と白蓮に叱られた青娥が、固化した体の慣らし
(あわよくば柔軟性を取り戻す術を盗む目的もある)と、脳の組織の復元(やはり新しい殭屍を作るためのサンプルを作る目的)を見つけて貰うため
命蓮寺で墓守の仕事を与えられては居る、が・・・。
「まんじゅうは美味いな。体が硬いゆえ食べにくいが。」
時折、仕事を忘れて墓のお供えを勝手に食べていたり、井戸に水を汲みに行って井戸に落ち、つるべに引っかかっていたりと
深刻では無い程度の仕事放棄を意識せずにやっている。
その度にナズーリンや村紗達が助けてはいるのだが、やはり脳に防腐処置を施していなかったのが災いして、彼女は命蓮寺の仲間の名前処か
自分が何故ここで、何を働いているのかさえ忘れている事がある。
忙しい中を西へ東へ説法に出たり、仏閣の祭りの指揮を取る白蓮や寅丸、一輪からは
「ああ言う暢気ものが一人居るくらいでちょうどいい。」と言われて気に入られてはいるのだが、ナズーリン達からは
「暢気じゃなくて脳が無いんですよあれは!」と文句を言われたりしている。
ある日。
夕方、芳香はたぶん眠っているのであろうが、目は開いたままだ。
彼女の前に薄い青の色衣と羽衣を纏い、青い髪を金のかんざしで留め飾る妙齢の女性が音も無く舞い降りてきた。
「芳香。芳香、起きてる?」
「死んでいる。戦士の戦死だ。ところで見た事のあったような人だがどちら様だったかな?ひゃくえん?とか言う人か。」
青い衣の女性・・・青娥は額に僅かに青筋を立てながら。
「あんな悪法(あほう)使いと自分の主人の見分けくらい付くようにはしたはずなんだけどね。青娥よ、せ・い・が!」
「・・・ああ、主(あるじ)か。しろれんは黒かったな。主は蒼い。」
寝ぼけてるのか素なのか判らない芳香の言葉に、嘆息を隠さず青娥は愚痴る。
「あんたねえ・・・自分がお世話になっている寺の住職の名前くらい覚えなさいよ・・・もっとも原因は私なんだけどさ・・・。」
「で、主、本日の用向きは私に、新しい体操を教えてくれるのか?」
「・・・いや、あんたがしっかり働けているかと、怪我をしていないか見に来たのよ。」
「ん?主、私は戦士だから怪我はしないぞ?」
「今は墓守でしょうが。兎に角、ここの悪法使いに最近あんたの様子がおかしいと聞いたから、札の様子とか点検するの。」
「私はおかしくないぞ。むしろ今がおかしい。」
その響きは札を外した時の言葉の響きに似ていた。
青娥はそれを敏感に聞き取り、札の点検に入ろうとする。
「やはり何かあったみたいね。札を貼りかえるわ。」
不意に芳香が話し始めた。
「主、私は混乱している。」
「え・・・?まさか記憶が?」
「そんなものは無い。だが、ここに居ると見えているのに見えない者が話しかけてくる。」
「・・・少し話を聞かせて。」
青娥の言葉に、グギギギときしんだ音を立てて返事をする。
「いつだったか、乗り越えねばならないものがあった。と思い出した。」
何かが取り憑いたのでもない気配、なのに、芳香の言葉はいつもと響きが違う。
「私がむかし居た所は、誰も私を愛さなかった。気にも留めなかった。土の下に埋められて空気も光も無い街に居た。そこは怖いところだった。」
この子は「あの時」の事を話しているのか、青娥の思考は昔へめぐる。
芳香は青娥を見ているが、その向こう側の何かを見ていた。
「憎しみに満ちた所で私は生まれて死んで、絶望を被せられて埋められた。都は恐怖と言う名前だった。丑寅の方向からはいつも殺意が痛みを伴って吹いていた。」
政争に巻き込まれて死んだ時の回顧か、青娥には解らない、が、小刻みに芳香の体は震え、汗が吹き出ている。
その顔は屍蝋の色だ。
「意識はあった。もしかしたらそれはそう思っていただけかもしれない。でも私は死を演じ続けた。身も心も死体になった。痛みが消えるから。
何も感じなくなるから。」
芳香の震えは更に増す。
「自分で自分に針を刺すような、責め苦を課す様な時間の中で私は眠っていた。そのうち痛みは安らぎに変わった。
私は戦っていた。誰でもない誰かと。そして食らっていた。誰でもない誰かを。」
目が泳ぎ始める。震えが更に加速していく。
「それ以上は思い出してはいけないわ。札が剥がれる。」
焦りだす青娥。だが、その言葉は芳香に届いていない。
「時間の責め苦に気分の酔う中で、いつしか私は死体を演じる事をやめられなくなった。それはまるで」
その瞬間、芳香の額の札が霧散した。
司令塔を失った傀儡はその瞬間、かっと目を見開いて叫ぶ
「 」
声にならない獣の咆哮。自由の利かない体はのた打ち回り、あちこちに体をぶつけ、血を流す。
叫び声を聴いて、白蓮をはじめとした命蓮寺の面々がやって来た。
そして、目の前の惨状を見て声を失う。
「青娥、一体何があったのですか!?」
呆然としている青娥の肩を白蓮が掴んで揺する。と、青娥も流石に我に返った。
「札に損傷があったのよ。お願いだから芳香を・・・あの子を少しの間だけ動かないようにして!でないと暴走を止められない!」
その声に寅丸が、ずい、と前へ出る。
「戦士だったものの苦しみと痛みは、軍神・毘沙門天の良く知る所。聖、お下がりください。」
その手には毘沙門天の宝塔が乗っている。
「オン ベイ シュラマンダヤ ソワカ・・・安らぎの光よ、傷を受けし戦士にひと時の安息を。」
宝塔から柔らかい光が湧き出る。
それに照らされた芳香の動きから力が抜け、呼吸は荒いが顔から険しさが取れた。
すかさず青娥がその額に札を貼り付けると、暫くして芳香が目を開ける。
「・・・?主に・・・誰だっけ?えと、アホー使いとトラジマに・・・?」
その言葉に村紗とナズーリンが激昂しかけるが、白蓮が手で制する。
「悪い夢を見たようですね。本日は青娥さんの所に戻って、その怪我を癒しなさい。」
白蓮の言葉に、芳香は初めて気付いたように自分の体を見る。
「井戸に落ちたわけでもないのに何でこんな怪我をしているのだ?私は誰かと戦っていたのか?」
疲れた様に青娥が、芳香の札に手をかざすと、芳香はくず折れるように動きを止めた。
「一晩私のところで休ませれば、明日にはまたここに戻ってこられるわ。」
「その前に、何があったのか話してはいただけますでしょうね?」
寅丸と白蓮が青娥に事情の説明を求める。青娥は正直に話すことにした。
・・・・・・・。
「そんな事が・・・。」白蓮の表情は深刻だ。救われねばならないものが救われていない。
しかし土に戻しても記憶は劣化しないのなら、このまま形を保たせるよりは成仏させて楽土で生活させ、また転生させた方が最善なのだ。
だが青娥は、何故かそれを良しとしなかった。来世が不安定な状態で、楽土で永遠に暮らせないのなら任せられないと。
「しかし、今の状態でもこのような事が繰り返される事は容易に想像できます。残念ながら大日如来の力を得るには私もまだ法力が足りません。」
救われるべきものに手を差し伸べられない、救えない・・・それは人ならぬ身と智慧を持ってしても立ちはだかる壁だった。
「・・・そもそもの埋葬方法に意図か間違いがあったのが芳香さんの不幸の一つなのでしょうが・・・。」
白蓮の言葉に、一輪が質問する。
「埋葬の方法を間違えると、何故こうなるのですか?」
青娥がぽつりと言った。
「死体は葬る時、宿る気が陰の地に埋めなければならないの。芳香は意図せず陽の気の地に埋葬されたのよ。陽の気に満ちた死体は本能のまま、
または生前の執着や恨みを持って動き出す・・・それが殭屍。」
それにナズーリンが疑問を投げかける。
「しかし、それならば芳香の葬った地を何故間違えたのかが解らないのだが。」
白蓮は重々しく口を開いた。
「恐らくは・・・秘密裏に殺されて、そのままその地に埋められたか・・・または殺された後、行方不明を装うために離れた所に埋められた地が陽の地だったのでしょう。」
一同に沈黙が落ちる。
「青娥、あなたはそれを知っていたのですか?」と寅丸。
「・・・いえ。芳香は、私がこの国に来て下僕を探している時、既に廃都で死体と亡霊を食らう鬼となっていたの。それを私が保護して仙術で制御できるまで
術と丹を使い、ここまで大人しくなったのだけど・・・頭の中の腐敗を止めるのを忘れてしまった。だから昔のトラウマが理性と札の制御を押しのけた時、
あの状態になるのよ。あの子を私は救いたかったけど、トラウマが動く原動力になっている所があったから、あのまま体から魂を離しても悪霊となっていたでしょう。
体も魂の制御を外れれば本当に屍食鬼になってしまう。私にはそれが限界だったわ。」
疲れた様子の青娥に、ナズーリンが言う。
「永遠亭に足しげく通っては、腐れた脳の復元などの方法を訊こうとして追い返されていたのは・・・そう言うわけなのか。」
青娥の顔が驚きに変わったが、ナズーリンは涼しい顔だ。
「私の特技は探し物だよ。私的なものでも探せないものは殆ど無い。それがいかな口に出せない秘密だろうと・・・」
「ナズーリン。」
白蓮の言葉にナズーリンの動きが凍りつく。
「幾ら知りえた事でも、本人の心に刃を突きつけるような事を言うのは、私が許しません。それが口に出来ない秘密なら、なおさらです。」
限界まで糸を張ったような空気が流れる。
「青娥さん。」白蓮が再び口を開く。しかし先ほどの重圧は無く、静かな口調。
ナズーリンへの裁きの時間は終わりを告げたのだ。どうやら執行猶予という形で、だが。
「お話は解りました。そう言うことなら私がこの幻想郷の重鎮に掛け合って、永遠亭に話を通せるようにお力を貸しましょう。貴方に悪意が無い事と
芳香さんを大事に思う心は伝わりました。」
青娥の顔が驚きの色に変わる。しかし、白蓮はそこで凛と言う。
「その方法が見つかるまで、芳香さんは眠らせたままにして下さい。その代わり貴方がこの寺で働く事が条件になります。私も仏法の徒。貴方の知っている
道教のお話もお聞かせいただければ行幸ですし、貴方も仙術以外の術法と、真の仙人の資格を得る手がかりを見つけられるかも知れません。
芳香さんが今の怪我だらけの体から脱却できる可能性もあるでしょう。悪事を働かなければここの方々は皆優しい方ですよ。」
双方の理解と利害で、青娥は命蓮寺で働く事になった・・・が。
命蓮寺は妖怪も来る寺と言う事を知っていたとは言え、説法の日になると、
「ありゃ仙人じゃないか?」
「天人は猛毒だが、仙人は食うと力が得られると聴いたぞ?」
「ほうほう、でもあれは邪仙だから、食ったらどうなるか解らんぞ?博麗の巫女に退治されるのはイヤじゃな。」
「いやいや、怖さなら妖怪の山の風神も中々・・・。」
「バカ言え、魔法の森の白黒とからくり使いに勝てる奴ァ居ねぇよ。俺の仲間が消し炭さえ残らなかったんだ。」
と好き勝手な妄想が聞こえてくるのに耐えなければならないし、里に行けば先だっての事件が広まっていて、里人になんとなく避けられる。
「いいか、悪いことばっかしてると、あの仙人様に生きたまんま死体にされて天にも昇れないし地にも下りられなくなっちまうぞ?」
と脅しのダシに使われたりと、散々な目にあっている。
自業自得とは言え、もう少し騒ぎを起こすなら影の黒幕になるべきだった、と反省にならない反省をしつつため息をつく毎日。
そんな時、いつだったか、芳香が呆けている中で読んだ歌が頭の中に響いてくるのだった。
『秋の日の 霜また今日の陽に消えて 因果はここに 巡り来にけり』
あの当時は意味は解らなかったが、こうして白眼視の中に居ると、イヤでもその真意を思い知らされる。
「・・・自分がまいた種だしね、実が空っぽでも刈り取るしかないか。」
青娥の今はともかく、将来にはまだ希望が燈っている。芳香を解放出来るようになるその日が。
・・・芳香、もう少し待っていてね。
こういうおやつ感覚で読めるものは好きですよ。