その日、天界にある豪勢な屋敷の大広間では宴が催されていた。
十数人の天人が部屋の壁に沿って陣取り、演壇で舞う煌びやかな天女達の踊りを肴に、酒で満たされた盃を傾ける。
酒は微酔に飲まれて騒ぎ出すものもいなく、今日の宴会もまたつつがなく進行していた。
だがこの日の宴では、いつもと少し違う趣きがあった。
演壇から踊りを止めた天女達が退く中、装飾の凝った宝剣を持って壇上へ上がる、可憐な顔立ちの少女。
蒼い長髪をなびかせながら少女は振り返り、白粉をまぶしやわらかな唇を紅く塗った顔を天人達に向けた。
おこぼれで天界に上がったため、不良天人と呼ばれることもある比那名居天子であった。
いつものようなエプロンドレスとは違い、煌びやかな衣装を身にまとった天子は流れるような動作で頭を下げた。
やがて顔を上げると手に持った宝剣を構え、演壇の隅に移動した天女が喉を震わすと同時に舞い始める。
歌声を従わせながら足音もなく壇を蹴り、綺麗な太刀筋で剣が振るわれれば装飾が煌いた。
剣を振るったまま一回転し、酒を愉しんでいた天人達の視線を釘付けにする。
「ほぅ……」
見事な剣舞にどこからか声が漏れる。
不良天人などと蔑まれようが、その身から溢れるような才は確かなものだった。
見るものを虜にし、駄目出しされる余地などまったくない完璧な舞いを踊る。
やがて天女の歌が終わると同時に振り抜けた剣をピタリと止めると笑顔を浮かべ、始まりと同じように礼で場を締めた。
わずかな静寂のあと、観客達が拍手を送る。
それだけを受け取ると、天子は踵を返して宴会場から抜け出そうとした。
「天子様、まだ宴会は……」
慌てて天女のうち一人が、何も言わず去ろうとする天子へ踏み出して呼び止める。
すると天子はけだるげに振り返って、天女へと目をやった。
「やるべきことはやったわ。これ以上付き合う必要もないでしょう」
後ろ髪を引く天女は、貼り付けた笑顔を剥がした天子ににべもなくそう返される。
もうすでに天子の心は、この場から無くなってしまっているようだった。
心底つまらなそうな表情に天女達は何も言えなくなり、天子はそのまま去っていった。
「――くはぁー! やっぱり下界の方がいいわぁ」
宴会を抜け出してすぐ、天子はいつもの衣装に緋想の剣をたずさえると下界に降りてきていた。
木々の上を飛んでみれば、窮屈な化粧を落とした素顔が、風を切って気持ち良く感じる。
「まったく、あいつら酒が入ってるっていうのに静かすぎでしょ。博麗神社で宴会やったらあの万倍は騒がしいわよ」
ささやき声しか聞こえてこない宴会で注目を引いたところで、楽しくともなんともない。
ああいうのは自らの持ちうる術を上手く使い、無理矢理にでも注目を集めるのが良いのだ。
だいたい踊る内容も事前に指定されていたし、衣装や剣までわざわざ取り替えられたのも気に食わない。
やはり自分の衣装にはこのエプロンドレスが、剣には緋想の剣が一番似合っているし、踊りだってもっとふさわしいものがあったはずだ。
昔は天子も、そんな天界での暮らしに満足していた時期はあった。
特に天人になりたてのころは、何もかもが幽雅な雰囲気に憧れたりしたものだし、不自由さを感じながらも楽しくはあった。
しかしだ、そんな型にはまった生活も何百年と続ければ流石に飽きる。
そんな今までの鬱憤が抜け切るのは、数十年後か数百年後か。
とにかくそれまでの間は、なんでもかんでも決められて窮屈な天界より、自由にできる下界こそが、真に天子の心を潤してくれるのだ。
親が頭下げてお願いしてきたとおり、宴会で他の天人達を愉しませたことであるし、今日は下界を思う存分に満喫しよう。
そう思っていると、天子の帽子の唾がなにかに叩かれて軽い音を立てた。
「あらら、雨だ」
天候の変化に気付いた天子が顔を上げてみれば、辺りを覆う厚い雲から雨が降り始めていた。
今はまだ小雨だが、もう少しすれば大粒の雨粒が全身を濡らしにかかってくるだろう。
だが天子の持つ緋想の剣なら、天候などいくらでも変えられる。
すぐに快晴にしてやろうと天子は剣を振り上げたが、何か引っかかったように動きを止めてジッと剣先を見つめた。
そのままの状態で考えを巡らせたあと、何もせずに剣を下ろした。
「やーめた」
あまり晴ればかりにしていると、バランスが崩れて後の天気に悪影響を与えてしまうだろう。
そうすればどこぞの賢者が口出ししてうるさいかもしれない――というのは、正直なところどうでもいい。
それよりも、今はこの雨を楽しんでみたくなったのだ。
天子は雨に濡れる前に地面に降りて、近くの木陰で雨宿りすることにした。
適当に大きめの樹を探して見つけると、下にもぐり込んで太い根っこに腰を下ろす。
木の幹に背を預けた天子は目を閉じ、耳に意識を傾ける。
しばらくすると、本降りになった雨が音を立て始めた。
ザー ザー ザー ザー
「うん、これはこれでなかなか」
世界を広げるかのように感覚を澄まし、雨音と己の世界を一体化させていく。
たまにこんなのも乙なものだと心地いい感覚に浸っていると、雨音に混じって別の音が聞こえてくることに気付いた。
ザー ザー ザー
「――♪ ――ラー♪ ラ――ララ♪」
ザー ザー ザー
雨音の世界をこじ開けてくる音。
それはたしかにだれかの歌だった。しかもただの歌ではなく、なにかしらの魔力が篭もった歌声だ。無論、天人である天子には効かないが。
ザー ザー
「ラララ♪ ラーララ♪ ラララー♪」
聞こえ始めはか細い歌声だったが、段々と歌っているほうもノッてきたのか声量が大きくなりはじめた。
だれが歌っているんだろうと気になった天子は、立ち上がって歌声の方向に踏み出すと、今まで寄り添っていた幹の影に縮こまった影を見つけた。
「あっ」
「ラー――えっ!?」
歌声の主は天子の声に驚いて、背中に生えた翼を揺らした。
◇ ◆ ◇
「あー、最近なんだかパッとしないなー……」
ミスティア・ローレライはトボトボと屋台を引っ張って歩いていた。
ヤツメウナギを流行らせて、焼き鳥撲滅運動の一派として活躍するはずが、減っているような気がしないし。
以前は鳥目になった人間を呼び込んで商売していたのに、最近は噂が広まって妖怪などの人外の客が増えている。
客が増えるのは悪いことではないのだが、いかんせん元々の目標から離れている気がしてしょうがない。
それに屋台の準備に中々手間取ったし、皿は割れるし、翼が枝に引っかかって痛い目を見たし。
いつもなら嫌のこともすぐ忘れる鳥頭だが、今日は色んなことが相まって、妙にセンチメンタルな気分だった。
「なんだかなぁ……」
言いようもない暗いわだかまりに、追い討ちをかけるように雨粒がミスティアの翼を叩いた。
「わっ、雨っ!?」
ハッと顔を上げて、驚きの声を上げる。
こんな気分だっていうのに、雨の中で商売なんて冗談ではなかった。
今日の商いは中止だ。雨宿りできる場所はないかと、あちらこちらに振り向くと雨を遮る大きな樹を見つけた。
屋台をガタゴト鳴らしながらも木陰に押し込むと一息つく、とりあえずこれで濡れる心配はなさそうだ。
木の根に座り込むと、頬杖を突いて空を見やる。
最初はぽつぽつと降っていた雨が、やがてカーテンのようにミスティアの前に姿を現した。
ザー ザー ザー ザー
「……うっとうしいなぁ」
身体が重く感じる。
ただでさえ落ち込んでいるというのに、天気までこれでは本当に参ってくる。
憂鬱な気分になっていると、気が付いたら口から歌声が出ていた。
「ラー……」
こんな気分だというのに、自然と歌声が出てくる。
いや、どんな気分だろうが関係はないか。
鳥頭のミスティアでも、どんな時だろうが歌は自分と共にあったのだと覚えている。
ザー ザー ザー
「ララ♪ ラーラー♪ ラーラララ♪」
ザー ザー
歌と共に、世界が閉じていく感覚。
目を閉じ歌声を内に響かせれば、雨音は遥か遠くに追いやられ、ミスティアの世界は己の歌声だけに支配された。
「ラララ♪ ラーララ♪ ラララー♪」
たった一音だけの単純なメロディだったが、自分の世界に浸るにはそれだけで十分だった。
「あっ」
「ラー――えっ!?」
そんな時に声を掛けられたものだから、驚いて翼まで震えてしまった。
「へぇー、夜雀の妖怪ねぇ」
「う、うん、そうだけど」
突然目の前に現れた蒼い髪の少女に、ミスティアは翼を縮み込ませて恐縮していた。
様々な客を相手にしていたミスティアは、なんとなく少女が厄介な人物であると察知したのだ。
少女はそれをわかっているのかいないのか、マイペースに話しかけてくる。
「鳥の妖怪だし、雨の中じゃ飛べないのね」
「ちょっとくらいなら大丈夫だけど、今日はけっこう激しいし。それに、アレも放っておけないし」
「あー、アレね」
木陰に押し込まれた屋台に、ミスティアと少女が揃って顔を向ける。
「商売やってるのね。焼き鳥とか?」
「違うよ! 焼き鳥なんかするわけないでしょ!? ヤツメウナギだよ!!」
不名誉な勘違いをされ、憤慨したミスティアは必死に否定した。
「私は焼き鳥撲滅のためにヤツメウナギを焼いてるんだから!」
「怒らせちゃった? ごめんごめん。それにしても鳥の代わりにウナギを食べろだなんて、面白いことやってるわねあなた」
怒られているにもかかわらず、少女はにやりと口元を吊り上げて楽しそうに笑う。
何だかその顔に毒気を抜かれて、ミスティアは「むぅ」と唸って怒りを沈めた。
「いいわね、商売! やっぱお金は自分で稼いでこそよね。私もなんかやろうかな」
「そんなに楽なもんじゃないよ。やっぱり色々大変なことも多くてさ」
「ほぉー、例えばどんな?」
「この前もさ、性質の悪い客が来たりして……」
屋台での苦労話から始まり、ヤツメウナギの取り方や、焼く時のコツなど話題は移り変わり様々なことを話した。
少女はその一言一言に、目を輝かせ興味津々といった勢いで聞き入るものだから、ミスティアも先程の無礼を忘れて話し込んでしまった。
閉じた世界の中で、これ以上なく優秀な聞き手を前に憂鬱な気分は失せていき、流暢に語るミスティアだったが、話題も少しずつ尽きてくると、不意に雨音で現実に引き戻された。
耳にへばりつくような音に、前向きになってきた気分が途端に沈む。
ザー ザー ザー ザー
「……雨、止まないね」
「そうね」
ふと語る口を休めて、遠くを見つめて独り言のように漏らした。
同じように雨の幕を眺める少女の目は、相変わらず輝くような力強さが合ったが、反対にミスティアの目は薄暗く冷たかった。
「気が滅入ってくるなぁ」
「どうして?」
「どうしてって、雨だからに決まってるじゃない」
そこに雨が降っている、暗い気分になるのはそれだけで十分だろう。
「嫌だなぁ、雨……」
そんなミスティアに、きょとんと目を丸くして少女は訪ねてきた。
「どうして雨が嫌いなの?」
「どうしてって、そりゃ、雨ってそういうものだし、雨の日は翼が湿気て重いし、雨音がうるさいし……」
「それだけ?」
ミスティアの説明に、少女は納得がいかないとばかりに眉を潜めて口をすぼめる。
「そんなのもったいないわよ!」
「も、もったいない?」
「そうよ、もったいない!」
さっきまで聞き手に徹していた少女は、木の根に足をかけて立ち上がると両の手を広げて主張し始めた。
「世の中さ、気に入らないこと、どうしても楽しめないことはある。好きだったものだって味わいすぎれば苦痛に転じたりもする。だからこそ楽しめそうなものは、楽しめるうちにとことん楽しむべきなのよ! そんな下らない理由と先入観で、一つの物事を楽しめなくなるなんてもったいないわよ!」
「な、なにさそれ!」
言いたい放題の少女に下らないと一蹴されて、ミスティアも頭に血が上って声を荒げる。
雨が嫌いなことに大した理由がないのはその通りだったが、図星を突かれた気恥ずかしさとあっさり否定されたことに腹が立ち、どうにも止まらなくなった。
「そんなこと、初対面のやつに言われる筋合いなんてないよ!」
「えぇ、ないわね。でも気に入らないから私はとことん言うわよ。一回心を開いて、楽しもうとしてみなさいよ。話はそれからよ!」
「そんなの無理だね! だいたい雨の日なんて、テンポを崩されて歌い辛いし、空も飛べない。楽しいことなんて一つもないじゃない!!」
「じゃあ、私が実演してあげる」
半ば唐突に、少女はふわりと柔らかく笑い、トンと木の根を蹴った。
「えっ――」
ミスティアが呆気に取られる暇もなく、少女は幽雅な動きで雨の幕へと飛び込んでいく。
そのまま雨の下に降り立った天子は、二、三歩歩いて振り返ると、ミスティアに向かって一礼した。
ザー ザー ザー ザー
「これよりご覧に入れますは、非想非非想天が天人、比那名居天子即興の剣舞でございます」
雨音に紛れて声を響かせた少女は、どこから取り出したか緋色に光り輝く剣を構えると、天高く掲げ、振り下ろした。
「――しかとご拝観いたしませ」
宣言通り、少女は舞い始めた。
雨に打たれる彼女は華麗なステップを踏んで跳び回り、剣を振るえば緋色の残光が目を奪う。
蒼い長髪は滴る雨の重さに負けず、気だるさを振り払うかのように広がっては閉じ、広がっては閉じる。
ザー ピシャン ザー ピシャン
跳ぶ度に水溜りは雨音を打ち消さず、むしろ調和して、それは新しいメロディのようにミスティアの耳に届いた。
「―――――」
息を呑んでその光景を見つめる。
流れるように幽雅で美しく、しかし力強く生命の躍動に溢れる舞だった。
少女はその場で踏み込み、弓を引くように剣を構える。
足元から弾けて飛んだ水滴が、放たれた鋭い太刀筋に両断される。
水を弾き振るわれる剣の輝きは、雨粒に反射し辺り一体を暖かい光で照らし出していた。
演壇で行われるようなただの踊りではない、自然の中、雨の下でこそ真に輝き、見るものを沸き立たせる舞い。
その姿は、間違いなく雨の楽しさを表現していた。
いつのまにかミスティアの心は静まり、また段々と胸が高鳴ってきた。
今まで見たことも感じたことのなかったステージを、目の前の少女は存分に楽しんでいる。
「……ラー――」
気が付けば、声が出ていた。
喉を震わし、歌声を響かせる。
いつものように自分だけで歌うのではない。周囲の音に耳を傾け世界を広げ、淀みない声で周囲に働きかける。
雨音を引き立たせ、逆に利用もするそれは、正に雨との協演だった。
そんなミスティアをチラリと流し見た少女は、笑みを深めていっそう力強く、楽しそうに熱演する。
ザー ザー ピシャン ピシャン ザー ザー
「ラー♪ ララーラー♪ ラーラーラララ♪」
ザー ピシャン ザー ザー ザー ピシャン
新たな音を得て、剣舞は新しい段階へと入った。
この歌声を台無しにしてしまわないように、慎重かつ大胆に、繊細な動きで舞い踊る。
地へ向けられた剣先が、持ち主の回転と共に水面を疾り波紋を描く。
少女は決して観客を飽きさせないように、動きに緩急をつけ、横に滑ったかと思うと地を蹴り天を突く。
ランダムな動きで魅せたかと思うと、何を思ったか剣を宙に投げ捨てた。
後を追って跳び立ち、落下寸前で剣を足で受け止め持ち上げる。
片足立ちの状態でまた剣を弾き、両手と足で剣をジャグリングして見せた。
宙で回る剣の軌跡が円を作る下で、少女は曲線を思わせるような動きで身体を揺らして立ち回る。
「ララーラ♪ ラララーラララー♪ ラー♪」
ザー ザー ザー ザー
この美しい舞いもついに佳境に入る。
少女は剣を手に取り戻すと基本に立ち返り、緩やかな動きで身をひるがえし、剣を振るい始めた。
彼女が学んだ型にはまった剣術、それをゆっくりとした動きで確実にのぞっていく。
だがその剣も激しさを増し始め、やがては目で追えるギリギリの速度で雨粒を斬り、一際美しい輝きを放った。
もはや型などお構いなしなのに、剣筋はいささかたりも乱れることはない。
下から斬り上げ、身を反転し薙ぎ払い、跳び、着地と同時に突いて身を引く。
合間のない激しい剣の連続に、場は最高潮に達し終演へ向かう。
「ラ――――♪」
ザ――――……
そして一際高い歌声が響くと同時に、天子は光り輝く緋想の剣で空を斬り、ピタリと止めた。
それに示し合わせたかのように雨は引き、辺り一体は静寂に包まれ、天子は一礼を持って幕を引く。
即興の舞は今ここに終演した。
ミスティアは今まで感じたことのない、初めての興奮に目を輝かせながらも、静かに込み上げる余韻に浸る。
知らなかった、雨に濡れながら、ここまで気持ちを盛り上げることが出来るなんて。
それは少女の剣舞が実に美しいものであったのもあるが、それ以上に彼女の想いが伝わってきたからだ。
とことん全てを楽しみつくす、少女のその姿勢がミスティアの心をこじ開け、世界を開いた。
正しく世界を変える力だ。最後の一瞬など、まるで光の剣で雨を斬ったようだとすら感じた。
「場所を変え、観客を変えれば、飽きた踊りもまだまだ楽しめるもんね」
少女は感慨深そうな顔で空を見上げ、ポツリと呟く。
満足げに微笑んでいた少女は、不意にミスティアに声を投げかけた。
「私の名前は比那名居天子! あんたの名前聞き忘れてたけど、何て名前!?」
「えっ……み、ミスティア! ミスティア・ローレライ!」
濡れた髪かき分けて笑顔で訪ねてきた少女に、ミスティアは慌てて名を伝える。
「八目鰻焼きの夜雀、ミスティアね。覚えたわ」
少女は――天子は心に刻むように名を唱えると、大地を蹴ってふわりと宙に浮かんだ。
「いつかまた、一緒に歌って踊りましょうね! あと、屋台じゃヤツメウナギを格安でお願い!」
「あっ、ちょっと――!」
ミスティアが呼び止める暇もなく、滴った水を振り払って飛び立っていってしまった。
取り残されたミスティアは、呆然と天子が消えた空を眺める。
「……楽しかったな」
思い返す雨の舞。
天子の舞、輝く剣、絶え間なく響く雨音。
それに自分の歌声が合わさった時に見た未知の領域。
すでに胸中に巣くっていた嫌な気分は取り払われ、ミスティアは明るい面持ちで屋台に戻った。
太陽が映る水たまりを、屋台を引いて歩いていく。
「今度、雨が降ったときに歌ってみようかな」
また一緒になったとき、自分だけ下手だと彼女に笑われてしまう。
それまでに、もっと雨と一緒に歌えるようになろう。
そうしたら、今よりもっと楽しめるようになるはずだから。
「やっぱり下界は楽しいなぁ。さて、次はどこで何をしようかな」
少女の呟きは風に乗って、どこまでも自由に大地を吹き抜けた。
十数人の天人が部屋の壁に沿って陣取り、演壇で舞う煌びやかな天女達の踊りを肴に、酒で満たされた盃を傾ける。
酒は微酔に飲まれて騒ぎ出すものもいなく、今日の宴会もまたつつがなく進行していた。
だがこの日の宴では、いつもと少し違う趣きがあった。
演壇から踊りを止めた天女達が退く中、装飾の凝った宝剣を持って壇上へ上がる、可憐な顔立ちの少女。
蒼い長髪をなびかせながら少女は振り返り、白粉をまぶしやわらかな唇を紅く塗った顔を天人達に向けた。
おこぼれで天界に上がったため、不良天人と呼ばれることもある比那名居天子であった。
いつものようなエプロンドレスとは違い、煌びやかな衣装を身にまとった天子は流れるような動作で頭を下げた。
やがて顔を上げると手に持った宝剣を構え、演壇の隅に移動した天女が喉を震わすと同時に舞い始める。
歌声を従わせながら足音もなく壇を蹴り、綺麗な太刀筋で剣が振るわれれば装飾が煌いた。
剣を振るったまま一回転し、酒を愉しんでいた天人達の視線を釘付けにする。
「ほぅ……」
見事な剣舞にどこからか声が漏れる。
不良天人などと蔑まれようが、その身から溢れるような才は確かなものだった。
見るものを虜にし、駄目出しされる余地などまったくない完璧な舞いを踊る。
やがて天女の歌が終わると同時に振り抜けた剣をピタリと止めると笑顔を浮かべ、始まりと同じように礼で場を締めた。
わずかな静寂のあと、観客達が拍手を送る。
それだけを受け取ると、天子は踵を返して宴会場から抜け出そうとした。
「天子様、まだ宴会は……」
慌てて天女のうち一人が、何も言わず去ろうとする天子へ踏み出して呼び止める。
すると天子はけだるげに振り返って、天女へと目をやった。
「やるべきことはやったわ。これ以上付き合う必要もないでしょう」
後ろ髪を引く天女は、貼り付けた笑顔を剥がした天子ににべもなくそう返される。
もうすでに天子の心は、この場から無くなってしまっているようだった。
心底つまらなそうな表情に天女達は何も言えなくなり、天子はそのまま去っていった。
「――くはぁー! やっぱり下界の方がいいわぁ」
宴会を抜け出してすぐ、天子はいつもの衣装に緋想の剣をたずさえると下界に降りてきていた。
木々の上を飛んでみれば、窮屈な化粧を落とした素顔が、風を切って気持ち良く感じる。
「まったく、あいつら酒が入ってるっていうのに静かすぎでしょ。博麗神社で宴会やったらあの万倍は騒がしいわよ」
ささやき声しか聞こえてこない宴会で注目を引いたところで、楽しくともなんともない。
ああいうのは自らの持ちうる術を上手く使い、無理矢理にでも注目を集めるのが良いのだ。
だいたい踊る内容も事前に指定されていたし、衣装や剣までわざわざ取り替えられたのも気に食わない。
やはり自分の衣装にはこのエプロンドレスが、剣には緋想の剣が一番似合っているし、踊りだってもっとふさわしいものがあったはずだ。
昔は天子も、そんな天界での暮らしに満足していた時期はあった。
特に天人になりたてのころは、何もかもが幽雅な雰囲気に憧れたりしたものだし、不自由さを感じながらも楽しくはあった。
しかしだ、そんな型にはまった生活も何百年と続ければ流石に飽きる。
そんな今までの鬱憤が抜け切るのは、数十年後か数百年後か。
とにかくそれまでの間は、なんでもかんでも決められて窮屈な天界より、自由にできる下界こそが、真に天子の心を潤してくれるのだ。
親が頭下げてお願いしてきたとおり、宴会で他の天人達を愉しませたことであるし、今日は下界を思う存分に満喫しよう。
そう思っていると、天子の帽子の唾がなにかに叩かれて軽い音を立てた。
「あらら、雨だ」
天候の変化に気付いた天子が顔を上げてみれば、辺りを覆う厚い雲から雨が降り始めていた。
今はまだ小雨だが、もう少しすれば大粒の雨粒が全身を濡らしにかかってくるだろう。
だが天子の持つ緋想の剣なら、天候などいくらでも変えられる。
すぐに快晴にしてやろうと天子は剣を振り上げたが、何か引っかかったように動きを止めてジッと剣先を見つめた。
そのままの状態で考えを巡らせたあと、何もせずに剣を下ろした。
「やーめた」
あまり晴ればかりにしていると、バランスが崩れて後の天気に悪影響を与えてしまうだろう。
そうすればどこぞの賢者が口出ししてうるさいかもしれない――というのは、正直なところどうでもいい。
それよりも、今はこの雨を楽しんでみたくなったのだ。
天子は雨に濡れる前に地面に降りて、近くの木陰で雨宿りすることにした。
適当に大きめの樹を探して見つけると、下にもぐり込んで太い根っこに腰を下ろす。
木の幹に背を預けた天子は目を閉じ、耳に意識を傾ける。
しばらくすると、本降りになった雨が音を立て始めた。
ザー ザー ザー ザー
「うん、これはこれでなかなか」
世界を広げるかのように感覚を澄まし、雨音と己の世界を一体化させていく。
たまにこんなのも乙なものだと心地いい感覚に浸っていると、雨音に混じって別の音が聞こえてくることに気付いた。
ザー ザー ザー
「――♪ ――ラー♪ ラ――ララ♪」
ザー ザー ザー
雨音の世界をこじ開けてくる音。
それはたしかにだれかの歌だった。しかもただの歌ではなく、なにかしらの魔力が篭もった歌声だ。無論、天人である天子には効かないが。
ザー ザー
「ラララ♪ ラーララ♪ ラララー♪」
聞こえ始めはか細い歌声だったが、段々と歌っているほうもノッてきたのか声量が大きくなりはじめた。
だれが歌っているんだろうと気になった天子は、立ち上がって歌声の方向に踏み出すと、今まで寄り添っていた幹の影に縮こまった影を見つけた。
「あっ」
「ラー――えっ!?」
歌声の主は天子の声に驚いて、背中に生えた翼を揺らした。
◇ ◆ ◇
「あー、最近なんだかパッとしないなー……」
ミスティア・ローレライはトボトボと屋台を引っ張って歩いていた。
ヤツメウナギを流行らせて、焼き鳥撲滅運動の一派として活躍するはずが、減っているような気がしないし。
以前は鳥目になった人間を呼び込んで商売していたのに、最近は噂が広まって妖怪などの人外の客が増えている。
客が増えるのは悪いことではないのだが、いかんせん元々の目標から離れている気がしてしょうがない。
それに屋台の準備に中々手間取ったし、皿は割れるし、翼が枝に引っかかって痛い目を見たし。
いつもなら嫌のこともすぐ忘れる鳥頭だが、今日は色んなことが相まって、妙にセンチメンタルな気分だった。
「なんだかなぁ……」
言いようもない暗いわだかまりに、追い討ちをかけるように雨粒がミスティアの翼を叩いた。
「わっ、雨っ!?」
ハッと顔を上げて、驚きの声を上げる。
こんな気分だっていうのに、雨の中で商売なんて冗談ではなかった。
今日の商いは中止だ。雨宿りできる場所はないかと、あちらこちらに振り向くと雨を遮る大きな樹を見つけた。
屋台をガタゴト鳴らしながらも木陰に押し込むと一息つく、とりあえずこれで濡れる心配はなさそうだ。
木の根に座り込むと、頬杖を突いて空を見やる。
最初はぽつぽつと降っていた雨が、やがてカーテンのようにミスティアの前に姿を現した。
ザー ザー ザー ザー
「……うっとうしいなぁ」
身体が重く感じる。
ただでさえ落ち込んでいるというのに、天気までこれでは本当に参ってくる。
憂鬱な気分になっていると、気が付いたら口から歌声が出ていた。
「ラー……」
こんな気分だというのに、自然と歌声が出てくる。
いや、どんな気分だろうが関係はないか。
鳥頭のミスティアでも、どんな時だろうが歌は自分と共にあったのだと覚えている。
ザー ザー ザー
「ララ♪ ラーラー♪ ラーラララ♪」
ザー ザー
歌と共に、世界が閉じていく感覚。
目を閉じ歌声を内に響かせれば、雨音は遥か遠くに追いやられ、ミスティアの世界は己の歌声だけに支配された。
「ラララ♪ ラーララ♪ ラララー♪」
たった一音だけの単純なメロディだったが、自分の世界に浸るにはそれだけで十分だった。
「あっ」
「ラー――えっ!?」
そんな時に声を掛けられたものだから、驚いて翼まで震えてしまった。
「へぇー、夜雀の妖怪ねぇ」
「う、うん、そうだけど」
突然目の前に現れた蒼い髪の少女に、ミスティアは翼を縮み込ませて恐縮していた。
様々な客を相手にしていたミスティアは、なんとなく少女が厄介な人物であると察知したのだ。
少女はそれをわかっているのかいないのか、マイペースに話しかけてくる。
「鳥の妖怪だし、雨の中じゃ飛べないのね」
「ちょっとくらいなら大丈夫だけど、今日はけっこう激しいし。それに、アレも放っておけないし」
「あー、アレね」
木陰に押し込まれた屋台に、ミスティアと少女が揃って顔を向ける。
「商売やってるのね。焼き鳥とか?」
「違うよ! 焼き鳥なんかするわけないでしょ!? ヤツメウナギだよ!!」
不名誉な勘違いをされ、憤慨したミスティアは必死に否定した。
「私は焼き鳥撲滅のためにヤツメウナギを焼いてるんだから!」
「怒らせちゃった? ごめんごめん。それにしても鳥の代わりにウナギを食べろだなんて、面白いことやってるわねあなた」
怒られているにもかかわらず、少女はにやりと口元を吊り上げて楽しそうに笑う。
何だかその顔に毒気を抜かれて、ミスティアは「むぅ」と唸って怒りを沈めた。
「いいわね、商売! やっぱお金は自分で稼いでこそよね。私もなんかやろうかな」
「そんなに楽なもんじゃないよ。やっぱり色々大変なことも多くてさ」
「ほぉー、例えばどんな?」
「この前もさ、性質の悪い客が来たりして……」
屋台での苦労話から始まり、ヤツメウナギの取り方や、焼く時のコツなど話題は移り変わり様々なことを話した。
少女はその一言一言に、目を輝かせ興味津々といった勢いで聞き入るものだから、ミスティアも先程の無礼を忘れて話し込んでしまった。
閉じた世界の中で、これ以上なく優秀な聞き手を前に憂鬱な気分は失せていき、流暢に語るミスティアだったが、話題も少しずつ尽きてくると、不意に雨音で現実に引き戻された。
耳にへばりつくような音に、前向きになってきた気分が途端に沈む。
ザー ザー ザー ザー
「……雨、止まないね」
「そうね」
ふと語る口を休めて、遠くを見つめて独り言のように漏らした。
同じように雨の幕を眺める少女の目は、相変わらず輝くような力強さが合ったが、反対にミスティアの目は薄暗く冷たかった。
「気が滅入ってくるなぁ」
「どうして?」
「どうしてって、雨だからに決まってるじゃない」
そこに雨が降っている、暗い気分になるのはそれだけで十分だろう。
「嫌だなぁ、雨……」
そんなミスティアに、きょとんと目を丸くして少女は訪ねてきた。
「どうして雨が嫌いなの?」
「どうしてって、そりゃ、雨ってそういうものだし、雨の日は翼が湿気て重いし、雨音がうるさいし……」
「それだけ?」
ミスティアの説明に、少女は納得がいかないとばかりに眉を潜めて口をすぼめる。
「そんなのもったいないわよ!」
「も、もったいない?」
「そうよ、もったいない!」
さっきまで聞き手に徹していた少女は、木の根に足をかけて立ち上がると両の手を広げて主張し始めた。
「世の中さ、気に入らないこと、どうしても楽しめないことはある。好きだったものだって味わいすぎれば苦痛に転じたりもする。だからこそ楽しめそうなものは、楽しめるうちにとことん楽しむべきなのよ! そんな下らない理由と先入観で、一つの物事を楽しめなくなるなんてもったいないわよ!」
「な、なにさそれ!」
言いたい放題の少女に下らないと一蹴されて、ミスティアも頭に血が上って声を荒げる。
雨が嫌いなことに大した理由がないのはその通りだったが、図星を突かれた気恥ずかしさとあっさり否定されたことに腹が立ち、どうにも止まらなくなった。
「そんなこと、初対面のやつに言われる筋合いなんてないよ!」
「えぇ、ないわね。でも気に入らないから私はとことん言うわよ。一回心を開いて、楽しもうとしてみなさいよ。話はそれからよ!」
「そんなの無理だね! だいたい雨の日なんて、テンポを崩されて歌い辛いし、空も飛べない。楽しいことなんて一つもないじゃない!!」
「じゃあ、私が実演してあげる」
半ば唐突に、少女はふわりと柔らかく笑い、トンと木の根を蹴った。
「えっ――」
ミスティアが呆気に取られる暇もなく、少女は幽雅な動きで雨の幕へと飛び込んでいく。
そのまま雨の下に降り立った天子は、二、三歩歩いて振り返ると、ミスティアに向かって一礼した。
ザー ザー ザー ザー
「これよりご覧に入れますは、非想非非想天が天人、比那名居天子即興の剣舞でございます」
雨音に紛れて声を響かせた少女は、どこから取り出したか緋色に光り輝く剣を構えると、天高く掲げ、振り下ろした。
「――しかとご拝観いたしませ」
宣言通り、少女は舞い始めた。
雨に打たれる彼女は華麗なステップを踏んで跳び回り、剣を振るえば緋色の残光が目を奪う。
蒼い長髪は滴る雨の重さに負けず、気だるさを振り払うかのように広がっては閉じ、広がっては閉じる。
ザー ピシャン ザー ピシャン
跳ぶ度に水溜りは雨音を打ち消さず、むしろ調和して、それは新しいメロディのようにミスティアの耳に届いた。
「―――――」
息を呑んでその光景を見つめる。
流れるように幽雅で美しく、しかし力強く生命の躍動に溢れる舞だった。
少女はその場で踏み込み、弓を引くように剣を構える。
足元から弾けて飛んだ水滴が、放たれた鋭い太刀筋に両断される。
水を弾き振るわれる剣の輝きは、雨粒に反射し辺り一体を暖かい光で照らし出していた。
演壇で行われるようなただの踊りではない、自然の中、雨の下でこそ真に輝き、見るものを沸き立たせる舞い。
その姿は、間違いなく雨の楽しさを表現していた。
いつのまにかミスティアの心は静まり、また段々と胸が高鳴ってきた。
今まで見たことも感じたことのなかったステージを、目の前の少女は存分に楽しんでいる。
「……ラー――」
気が付けば、声が出ていた。
喉を震わし、歌声を響かせる。
いつものように自分だけで歌うのではない。周囲の音に耳を傾け世界を広げ、淀みない声で周囲に働きかける。
雨音を引き立たせ、逆に利用もするそれは、正に雨との協演だった。
そんなミスティアをチラリと流し見た少女は、笑みを深めていっそう力強く、楽しそうに熱演する。
ザー ザー ピシャン ピシャン ザー ザー
「ラー♪ ララーラー♪ ラーラーラララ♪」
ザー ピシャン ザー ザー ザー ピシャン
新たな音を得て、剣舞は新しい段階へと入った。
この歌声を台無しにしてしまわないように、慎重かつ大胆に、繊細な動きで舞い踊る。
地へ向けられた剣先が、持ち主の回転と共に水面を疾り波紋を描く。
少女は決して観客を飽きさせないように、動きに緩急をつけ、横に滑ったかと思うと地を蹴り天を突く。
ランダムな動きで魅せたかと思うと、何を思ったか剣を宙に投げ捨てた。
後を追って跳び立ち、落下寸前で剣を足で受け止め持ち上げる。
片足立ちの状態でまた剣を弾き、両手と足で剣をジャグリングして見せた。
宙で回る剣の軌跡が円を作る下で、少女は曲線を思わせるような動きで身体を揺らして立ち回る。
「ララーラ♪ ラララーラララー♪ ラー♪」
ザー ザー ザー ザー
この美しい舞いもついに佳境に入る。
少女は剣を手に取り戻すと基本に立ち返り、緩やかな動きで身をひるがえし、剣を振るい始めた。
彼女が学んだ型にはまった剣術、それをゆっくりとした動きで確実にのぞっていく。
だがその剣も激しさを増し始め、やがては目で追えるギリギリの速度で雨粒を斬り、一際美しい輝きを放った。
もはや型などお構いなしなのに、剣筋はいささかたりも乱れることはない。
下から斬り上げ、身を反転し薙ぎ払い、跳び、着地と同時に突いて身を引く。
合間のない激しい剣の連続に、場は最高潮に達し終演へ向かう。
「ラ――――♪」
ザ――――……
そして一際高い歌声が響くと同時に、天子は光り輝く緋想の剣で空を斬り、ピタリと止めた。
それに示し合わせたかのように雨は引き、辺り一体は静寂に包まれ、天子は一礼を持って幕を引く。
即興の舞は今ここに終演した。
ミスティアは今まで感じたことのない、初めての興奮に目を輝かせながらも、静かに込み上げる余韻に浸る。
知らなかった、雨に濡れながら、ここまで気持ちを盛り上げることが出来るなんて。
それは少女の剣舞が実に美しいものであったのもあるが、それ以上に彼女の想いが伝わってきたからだ。
とことん全てを楽しみつくす、少女のその姿勢がミスティアの心をこじ開け、世界を開いた。
正しく世界を変える力だ。最後の一瞬など、まるで光の剣で雨を斬ったようだとすら感じた。
「場所を変え、観客を変えれば、飽きた踊りもまだまだ楽しめるもんね」
少女は感慨深そうな顔で空を見上げ、ポツリと呟く。
満足げに微笑んでいた少女は、不意にミスティアに声を投げかけた。
「私の名前は比那名居天子! あんたの名前聞き忘れてたけど、何て名前!?」
「えっ……み、ミスティア! ミスティア・ローレライ!」
濡れた髪かき分けて笑顔で訪ねてきた少女に、ミスティアは慌てて名を伝える。
「八目鰻焼きの夜雀、ミスティアね。覚えたわ」
少女は――天子は心に刻むように名を唱えると、大地を蹴ってふわりと宙に浮かんだ。
「いつかまた、一緒に歌って踊りましょうね! あと、屋台じゃヤツメウナギを格安でお願い!」
「あっ、ちょっと――!」
ミスティアが呼び止める暇もなく、滴った水を振り払って飛び立っていってしまった。
取り残されたミスティアは、呆然と天子が消えた空を眺める。
「……楽しかったな」
思い返す雨の舞。
天子の舞、輝く剣、絶え間なく響く雨音。
それに自分の歌声が合わさった時に見た未知の領域。
すでに胸中に巣くっていた嫌な気分は取り払われ、ミスティアは明るい面持ちで屋台に戻った。
太陽が映る水たまりを、屋台を引いて歩いていく。
「今度、雨が降ったときに歌ってみようかな」
また一緒になったとき、自分だけ下手だと彼女に笑われてしまう。
それまでに、もっと雨と一緒に歌えるようになろう。
そうしたら、今よりもっと楽しめるようになるはずだから。
「やっぱり下界は楽しいなぁ。さて、次はどこで何をしようかな」
少女の呟きは風に乗って、どこまでも自由に大地を吹き抜けた。
雨にぬれる天子、いや、実に絵になりますな……!
歌と舞の描写が本当に楽しそうでちょっと雨の中外に出てみようかな、などと思ったり。
面白かったです!
このてんこちゃん五衰の兆候あるじゃないですかやだー!
というのは置いといて、天子が雨中で舞う様を想像できる、写実的な文章と感じました。
「また明日からもがんばろう」ってなる物語でした。
ただ、自分の中でみすちーは楽しみ上手のエキスパートなので、
(雨だろうが構わず歌ってそう)
その辺りを掘り下げてくれれば! と思いました。
天子がいいキャラしてる。