山の中の廃村。その中にある廃神社。
そこに二人の影がある。
一人は黒い鍔付き帽子を被り、ワイシャツにネクタイ、黒いスカート。
もう一人は、ナイトキャップにも似たフリル帽子、紫を基調にしたブラウスとスカート。
名は、黒帽子が宇佐見 蓮子、フリル帽はマエリベリー=ハーンと言う。
大学で「秘封倶楽部」と言う二人サークルで活動する二人は、今日も大学の休みを利用して怪異的なものの探索に来ていた。
「メリー、そっちはどう?」
「んー、祭神の名前らしきものは有るけど、掠れて読めないわ。」
荒れた神社に何が祀られていたか、とある廃墟サイトで興味を惹かれた蓮子がメリーを伴って来たのは
もう大学の春休みも終わりに近い三月の末だった。
朝早くから電車を乗り継いで、山道を歩き通して来た村は、数十年前にふもとの村に統合されて、その姿だけをとどめるだけの
オブジェの集まりだった。
蓮子がメリーの居る石碑の前に移動する。
熱心に手で掠れた文字をなぞるメリーは、それに気付いてない。
「メリー。」
「ひぁ!?」
メリーの肩がびくっと上下する。
「・・・なんだ、蓮子か・・・。」
「なんだ、ってここに居るの、私と貴方の二人だけでしょう?」
呆れ顔の蓮子にメリーが付け加える。
「ヒトは私たちだけだけど、それ以外はこちらを伺ってるわよ。」
蓮子がここにやってきたのは、サイトで見た情報の他に、もう二つ噂があったからだ。
ーーーー 一つ目はこの村に行って、帰って来ない人間が幾人か居る。ふもとの村も捜索には協力せず、駐在さえ動かない。
ーーーー 二つ目はこの村に墓場が存在しない。それを知る物は神主の一族だけだが、血筋が絶えて久しいので記録も無い。
蓮子は辺りを軽く見回して言う。
「まあ、そこかしこにそんな気配はあるけどね。ふもとにみんな降りてるかと思ったんだけど。」
「魂はそうでも、それの持つ『想い』はまた別なのよ。」
メリーはそう言うと、また石碑の文字をなぞり始める。
なぞりながら、彼女は続けた。
「山と言うのは、死者の還る所でもあると同時に、幸を約束する。山の神は酒の神であると同時に、黄泉へ向かう前の魂を管理する役割もあるわ。
山に棲む鳥は、山に葬られた死者の魂を運ぶ存在でも有るのよ。そして山は泉下への入り口が必ず開いているの。そしてヒトの残した「想い」は
その入り口に人を誘いこんで帰さない・・・。」
蓮子はその言葉に難しい顔をする。
「それなら、大体オオヤマヅミが主神の筈なんだけどね。客人神でさえ判らないなんて普通ありえないわ。ウカかウケの付く農耕神でさえないんだもの。」
「だから興味を持ったんでしょ?」
メリーの声は弄うように響く。
「そうなんだけどね・・・」ため息をついて蓮子は神社の破れた壁から中を見た。
「ふもとの社務所にも記録はなくて、何を祀っていたか把握していない、元々の里の神社の主神がそのまま引き継がれちゃってるから、
その足跡もわからないなんて稀有どころの話じゃ無いわ。記録の巻物さえも奉納されて無いんだもの。」
その言葉に、石碑を見ながらメリーは答える。
「この村が落人やまつろわぬ者の作った村だったらありえるわよ?風土記に出ている夜刀神みたいな。」
「・・・そうなると、村の人たちがオリジナルで作り上げた神である可能性も捨てきれないわけ?」
蓮子の問いに、メリーは質問で返す。
「この神社のご神体、鏡か何かあった?」
彼女の言葉に、蓮子はメモを取り出して検める。
「・・・鏡と石の棒ね。」
そこでメリーの手が止まり蓮子に振り返る。
「・・・そうなると夫婦神、または蛇神が祀られていたのかも知れないわ。」
顎に手を当てて蓮子は思い当たる記憶を検索する。
「でも、蛇神で思い当たるのは諏訪のミジャグジ様と・・・蛟(みずち)くらいよね。夫婦神だとオオヤマヅミとコノハナサクヤヒメ。」
「蛟は蛇ではなくて龍神だけどね。水の神には違いないわ。」
そこで蓮子がふと思い出したように訊く。
「蛇か龍が祭られていたとなるとなると鏡は何のため?分社と言うわけでもないでしょ?」
メリーは全てを見通した目で
「更なる迫害から逃れるために、カムフラージュとして合祀する事もあるのよ。諏訪の神はパターンは違うけど、ミジャクジ様に成り代わって諏訪の神に
なっているでしょう?でもミジャクジ様は諏訪から離れた村では密かに祀られていた話もあるのよ。もちろん名前は変えてだけど。」
遠くを見る目で蓮子は嘆息する。
「こんな事がキリシタンのマリア観音以前から行われてるとはね・・・。歴史は繰り返すって言う言葉が本当、似合うわ。」
メリーは今更と言う風に応える。
「どの国も同じ事よ。人の争いも、結局は神々の代理戦争だもの。そうやってヘブライの神はカナアンの神を悪魔に堕として、ケルトの神を聖女や妖精に変えた。
融和を望む宗教は悪鬼を護法神に取り込んだ。大和の神も例外では無いわ。そうやって名も無い神が幾つも滅びて、生まれ変わった。」
・・・・・・・・・。
その後も根気良く調べたが、彼女達が持つ神代文字のデータベースにも石碑の文字は対応しておらず、ついに二人は断念せざるを得なかった。
「この時代でも解明されていない事が身近にあるとはね・・・。」と蓮子
「オーパーツ並の発見では有るけど、意味がわからないことには発表も出来ないわ。」と悔しそうにメリー。
太陽は中天を少し西へ傾いた所にある。
「午後一時ね。そろそろ降りないと電車が無いわ。」
蓮子が帰り支度をしぶしぶ始める。ふもとの村には宿がなかったのだ。
「次の休みまでこの村が残っていればいいんだけど。」
後ろ髪を惹かれるような想いで呟いた時、ふと、水の流れる音が聞こえた。
「蓮子、どうしたの?」
いぶかしむメリーに
「水の音がしない?」
蓮子の言葉に、メリーは知っていたように言った。
「泉が有るのよ、ちょうど向こうの森の中だけど・・・でも、あそこは行かないほうがいい。」
知ってるなら何故・・・と問おうとして、蓮子は彼女の能力を思い出した。
『境界が見える程度の能力』
蓮子がメリーに訊く。
「もしかして、あそこって・・・。」
「うん。はっきりと彼岸の境目が見える。多分、行ったら何処へ飛ぶか判らない。」
蓮子の顔に緊張が走る。
「・・・あの話、多分この泉が関係してるのね・・・。」
「蓮子。」
すかさず響くメリーの硬い声。
「神代の世界がヒトの生きられる世界とは限らないわ。泉には近づいちゃダメ。」
その手は袖をしっかり掴んでいる。
「さっきも言ったわよね、山には泉下への道が開いてるって。」
蓮子の気持ちは行きたさ半分、残りたさ半分だったが、メリーの真摯な顔を見て断念する方を選んだ。
「そうだ、メリー。」
「どうしたの?」袖をしっかりと掴んだままのメリーが疑い半分で訊いてくる。
「あの神社の名前を調べてなかったわ。門前の石柱だけ調べてみましょう。」
再び二人は神社に戻り、苔むした入り口の石柱を調べる。
が、そこも祭神の石碑と同じ文字で彫られており、解読する事はできなかった。
「写真だけは撮らないと。帰ったらまた資料館巡りね・・・。」
名残惜しそうに振り向く二人を、廃墟の村は静かに見送った。
・・・その姿が見えなくなったころ、泉のある森から一人の少女が音もなく現われ、二人の立ち去った方向を見ていた。
緑の髪に蛙のバレッタと、蛇の髪飾りを結んだ、青と緑の変わった巫女装束の少女。
『まだ、見える人が居るのですね。』
その表情は優しい笑みが浮かんでいる。
『あなた達の選択が正しいかどうかは置いといて、私としては興味がありますね。いつか謎を解き明かして、この村の昔の姿を見られるようになったら
またここにいらっしゃい。あの神社のかつての姿と、この村がにぎやかだった頃の姿を見せてあげますから。私が仕える二柱の神様にもお会いしていただきましょう。』
そう呟くと、巫女は風に溶けるように消えた。
『時間の経過は想いを風化させる事は出来ません。ヒトが忘れても場所が憶えている限り、私の居る郷は誰をも受け入れます。
浮世に疲れたらおいでなさい。洩矢の神社に・・・。』
やがて静かに、風が言葉をかき消して、静寂が戻った。
そこに二人の影がある。
一人は黒い鍔付き帽子を被り、ワイシャツにネクタイ、黒いスカート。
もう一人は、ナイトキャップにも似たフリル帽子、紫を基調にしたブラウスとスカート。
名は、黒帽子が宇佐見 蓮子、フリル帽はマエリベリー=ハーンと言う。
大学で「秘封倶楽部」と言う二人サークルで活動する二人は、今日も大学の休みを利用して怪異的なものの探索に来ていた。
「メリー、そっちはどう?」
「んー、祭神の名前らしきものは有るけど、掠れて読めないわ。」
荒れた神社に何が祀られていたか、とある廃墟サイトで興味を惹かれた蓮子がメリーを伴って来たのは
もう大学の春休みも終わりに近い三月の末だった。
朝早くから電車を乗り継いで、山道を歩き通して来た村は、数十年前にふもとの村に統合されて、その姿だけをとどめるだけの
オブジェの集まりだった。
蓮子がメリーの居る石碑の前に移動する。
熱心に手で掠れた文字をなぞるメリーは、それに気付いてない。
「メリー。」
「ひぁ!?」
メリーの肩がびくっと上下する。
「・・・なんだ、蓮子か・・・。」
「なんだ、ってここに居るの、私と貴方の二人だけでしょう?」
呆れ顔の蓮子にメリーが付け加える。
「ヒトは私たちだけだけど、それ以外はこちらを伺ってるわよ。」
蓮子がここにやってきたのは、サイトで見た情報の他に、もう二つ噂があったからだ。
ーーーー 一つ目はこの村に行って、帰って来ない人間が幾人か居る。ふもとの村も捜索には協力せず、駐在さえ動かない。
ーーーー 二つ目はこの村に墓場が存在しない。それを知る物は神主の一族だけだが、血筋が絶えて久しいので記録も無い。
蓮子は辺りを軽く見回して言う。
「まあ、そこかしこにそんな気配はあるけどね。ふもとにみんな降りてるかと思ったんだけど。」
「魂はそうでも、それの持つ『想い』はまた別なのよ。」
メリーはそう言うと、また石碑の文字をなぞり始める。
なぞりながら、彼女は続けた。
「山と言うのは、死者の還る所でもあると同時に、幸を約束する。山の神は酒の神であると同時に、黄泉へ向かう前の魂を管理する役割もあるわ。
山に棲む鳥は、山に葬られた死者の魂を運ぶ存在でも有るのよ。そして山は泉下への入り口が必ず開いているの。そしてヒトの残した「想い」は
その入り口に人を誘いこんで帰さない・・・。」
蓮子はその言葉に難しい顔をする。
「それなら、大体オオヤマヅミが主神の筈なんだけどね。客人神でさえ判らないなんて普通ありえないわ。ウカかウケの付く農耕神でさえないんだもの。」
「だから興味を持ったんでしょ?」
メリーの声は弄うように響く。
「そうなんだけどね・・・」ため息をついて蓮子は神社の破れた壁から中を見た。
「ふもとの社務所にも記録はなくて、何を祀っていたか把握していない、元々の里の神社の主神がそのまま引き継がれちゃってるから、
その足跡もわからないなんて稀有どころの話じゃ無いわ。記録の巻物さえも奉納されて無いんだもの。」
その言葉に、石碑を見ながらメリーは答える。
「この村が落人やまつろわぬ者の作った村だったらありえるわよ?風土記に出ている夜刀神みたいな。」
「・・・そうなると、村の人たちがオリジナルで作り上げた神である可能性も捨てきれないわけ?」
蓮子の問いに、メリーは質問で返す。
「この神社のご神体、鏡か何かあった?」
彼女の言葉に、蓮子はメモを取り出して検める。
「・・・鏡と石の棒ね。」
そこでメリーの手が止まり蓮子に振り返る。
「・・・そうなると夫婦神、または蛇神が祀られていたのかも知れないわ。」
顎に手を当てて蓮子は思い当たる記憶を検索する。
「でも、蛇神で思い当たるのは諏訪のミジャグジ様と・・・蛟(みずち)くらいよね。夫婦神だとオオヤマヅミとコノハナサクヤヒメ。」
「蛟は蛇ではなくて龍神だけどね。水の神には違いないわ。」
そこで蓮子がふと思い出したように訊く。
「蛇か龍が祭られていたとなるとなると鏡は何のため?分社と言うわけでもないでしょ?」
メリーは全てを見通した目で
「更なる迫害から逃れるために、カムフラージュとして合祀する事もあるのよ。諏訪の神はパターンは違うけど、ミジャクジ様に成り代わって諏訪の神に
なっているでしょう?でもミジャクジ様は諏訪から離れた村では密かに祀られていた話もあるのよ。もちろん名前は変えてだけど。」
遠くを見る目で蓮子は嘆息する。
「こんな事がキリシタンのマリア観音以前から行われてるとはね・・・。歴史は繰り返すって言う言葉が本当、似合うわ。」
メリーは今更と言う風に応える。
「どの国も同じ事よ。人の争いも、結局は神々の代理戦争だもの。そうやってヘブライの神はカナアンの神を悪魔に堕として、ケルトの神を聖女や妖精に変えた。
融和を望む宗教は悪鬼を護法神に取り込んだ。大和の神も例外では無いわ。そうやって名も無い神が幾つも滅びて、生まれ変わった。」
・・・・・・・・・。
その後も根気良く調べたが、彼女達が持つ神代文字のデータベースにも石碑の文字は対応しておらず、ついに二人は断念せざるを得なかった。
「この時代でも解明されていない事が身近にあるとはね・・・。」と蓮子
「オーパーツ並の発見では有るけど、意味がわからないことには発表も出来ないわ。」と悔しそうにメリー。
太陽は中天を少し西へ傾いた所にある。
「午後一時ね。そろそろ降りないと電車が無いわ。」
蓮子が帰り支度をしぶしぶ始める。ふもとの村には宿がなかったのだ。
「次の休みまでこの村が残っていればいいんだけど。」
後ろ髪を惹かれるような想いで呟いた時、ふと、水の流れる音が聞こえた。
「蓮子、どうしたの?」
いぶかしむメリーに
「水の音がしない?」
蓮子の言葉に、メリーは知っていたように言った。
「泉が有るのよ、ちょうど向こうの森の中だけど・・・でも、あそこは行かないほうがいい。」
知ってるなら何故・・・と問おうとして、蓮子は彼女の能力を思い出した。
『境界が見える程度の能力』
蓮子がメリーに訊く。
「もしかして、あそこって・・・。」
「うん。はっきりと彼岸の境目が見える。多分、行ったら何処へ飛ぶか判らない。」
蓮子の顔に緊張が走る。
「・・・あの話、多分この泉が関係してるのね・・・。」
「蓮子。」
すかさず響くメリーの硬い声。
「神代の世界がヒトの生きられる世界とは限らないわ。泉には近づいちゃダメ。」
その手は袖をしっかり掴んでいる。
「さっきも言ったわよね、山には泉下への道が開いてるって。」
蓮子の気持ちは行きたさ半分、残りたさ半分だったが、メリーの真摯な顔を見て断念する方を選んだ。
「そうだ、メリー。」
「どうしたの?」袖をしっかりと掴んだままのメリーが疑い半分で訊いてくる。
「あの神社の名前を調べてなかったわ。門前の石柱だけ調べてみましょう。」
再び二人は神社に戻り、苔むした入り口の石柱を調べる。
が、そこも祭神の石碑と同じ文字で彫られており、解読する事はできなかった。
「写真だけは撮らないと。帰ったらまた資料館巡りね・・・。」
名残惜しそうに振り向く二人を、廃墟の村は静かに見送った。
・・・その姿が見えなくなったころ、泉のある森から一人の少女が音もなく現われ、二人の立ち去った方向を見ていた。
緑の髪に蛙のバレッタと、蛇の髪飾りを結んだ、青と緑の変わった巫女装束の少女。
『まだ、見える人が居るのですね。』
その表情は優しい笑みが浮かんでいる。
『あなた達の選択が正しいかどうかは置いといて、私としては興味がありますね。いつか謎を解き明かして、この村の昔の姿を見られるようになったら
またここにいらっしゃい。あの神社のかつての姿と、この村がにぎやかだった頃の姿を見せてあげますから。私が仕える二柱の神様にもお会いしていただきましょう。』
そう呟くと、巫女は風に溶けるように消えた。
『時間の経過は想いを風化させる事は出来ません。ヒトが忘れても場所が憶えている限り、私の居る郷は誰をも受け入れます。
浮世に疲れたらおいでなさい。洩矢の神社に・・・。』
やがて静かに、風が言葉をかき消して、静寂が戻った。
×宇佐美 ○宇佐見
随分と素敵な土地でお過ごしになったようで、生まれも育ちも都会な私としては羨ましい限りですw
コンパクトで読みやすくて、良かったです。
とても素晴らしいお話でした。
もう少し読みやすいとより高評価を付けられたと思います。