「あぅ……う~……」
とある昼下がり。多々良小傘は地底へと散歩に来ていた。行ったことが無かったから……という理由で、目的は特にない。
「暗いな~……」
まだ入り口に近いため日の光はあるが、それでも地底というだけあって薄暗い。
小傘は人間を驚かす妖怪なのだが。こんな暗く静かな状況では自分が驚かされてしまうのでないか……という不安に襲われていた。
「怖くない……怖くない……」
しかし妖怪としてのプライドもあるため、暗示のように呟いて自分を落ち着かせる。それでも、傘をしっかりと掴んでいて、傍目から見ても怯えてしまっていた。
「怖く――」
カラッ
「ひゃっ!」
唐突に響いた不気味な音に声を上げ、反射的に振り向いた。だが、そこには誰もいない。ただ石が転がっただけのようだ。
「お……驚いてなんか……ない」
声を震わせながら、明らかな事実を否定する。恐らく自分でも無意味なのはわかっているだろうが、それでも認めるのはプライドが許さなかった。
「大丈夫……大丈夫……」
ふよふよとゆっくり、慎重に洞窟を進む。
「せめて、この洞窟は……」
この洞窟がどのくらい続いているのかはわからない。だけど怖いからと行って、引き返すという選択肢はそんざいしない。恐怖に屈するわけにはいかないから。
「私は、お化けなんだから」
一人、力強く宣言して気合いを入れる。
ヒュッ
「ヒッ!」
バキッ!
「~~~~~~~~!!!」
風切り音に続いて、何かが壊れたような音。そして、傘にのしかかる重量。おかげで気合いはすぐに崩れ、小傘は声にならない悲鳴をあげる。
そして首を左右に振って周りを見回すが、誰もいない。しかしそれは不思議ではない、なにせ、音は上から聞こえたのだから。
「…………」
まるで壊れた機械のように少しずつ、首を上に向ける。その先にあったのは…………傘。
(いや、じゃなくて)
ここで小傘は考える。まだこの先の事実を知らないのだから、何もなかったと思い込んで素通りするのか、または傘をゆっくりと置いて上を確かめるのか、もしくは思いっきり振り回すか。
「――あぅ」
「へっ!?」
小傘が硬直して思考していると、なぜか傘の上から声が聞こえてきた。小傘は肩を跳ねさせて驚いた後、傘を開いたまま自分の前に置いた。
「壊れた……」
そこにいたのは、緑色の髪を左右で二つに結った白い着流しの女の子。なぜか桶に入っているせいで、胸のあたりまでしか見えていない。
「えっと、貴女は……?」
小傘は予想外の事態に思わず冷静になる。
「キスメ」
「えっ?」
「名前」
「…………ああ!」
前触れもなく名前のみ告げられたので、小傘は理解に時間がかかった。
「私は、多々良小傘」
「壊した」
「……なにが?」
どうやらキスメは話を噛み合わせる気はないみたいで、またしても前触れのない発言に、小傘は一拍空けて聞き返す。
「これ」
キスメはちょこんと桶に手を乗せる。小傘はその行動の意味がわからず首を傾げたが、桶を注視してみると傘の先端部分が底に埋まっていた。
「あ……」
小傘は冷静になった頭でこの理由を考える。最初に風切り音がして、直後に何かが壊れたような音がした。そして傘の上に桶(キスメ)。それはつまり、上から桶に入ったキスメが傘に落下して先端部分が桶の底を貫いた……ということなのだろう。
「じー……」
恨めしそうに小傘をみつめるキスメ。小傘は一瞬慌てたが、よく考えればこの状況はおかしい。
「いやあの、私はなにも悪くないよね?」
小傘はただ飛んでいただけ。そこへキスメが勝手に落下してきて、勝手に自爆しただけなのだ。いわゆる自業自得というやつだ。
「関係ない……」
キスメはスススと顔半分を桶に埋め、さらに恨めしそうに小傘を見つめる。とはいえ、見た目が幼いのでそんなに怖くない。
「明日、来て……」
「なんで?」
「仕返し」
「え~……」
仕返しされるとわかって来る人物がいるのだろうか。その内容がわからないのならなおさら。
だが、小傘も今日は洞窟まで行き、明日またその先まで行ってみようかと考えていたので、結局来ることには変わりない。
「仕方ないなぁ。仕返しってなんなの?」
「秘密」
「…………」
小傘は非難するようにジト目でキスメを見つめる。
「どうせ落ちるだけでしょ」
「……ぎく」
図星を突かれて気まずくなったのか、顔を全部桶の中に埋め、ゆっくりと上昇していった。
「帰ってった」
小傘はぼーっとそれを見送ってから、当初の目的を思い出して進みだした。
「さて、この先に進もうかな」
そうして、一歩踏み出した。
ヒュッ
「――うっひゃあ!?」
しかしなぜか、またキスメが今度は目の前に落ちてきた。
「だめ」
「なににゃにゃ、なんで!?」
再登場の衝撃と意味不明さ質問への疑問が合わさって、意味不明なほど声が震えてしまった。
「この先は強い。やられちゃう。仕返しできない」
「あ……そう」
言葉は簡潔だが、小傘はしっかり理解した。曲がりなりにも心配してくれているようだ。
「どうしてもだめ?」
それでも小傘は先に行ってみたかった。それに、小傘でも相手の力量ぐらいわかるので、無理そうなら逃げることだって考える。
「だめ」
それをわかっているのかわからないが、それでもキスメは頷かなかった。
「そっか」
そこまで言われては、小傘としても無理に通ろうとは思わなかった。
「じゃあ、出直してくるよ」
「待ってる」
そして小傘は、昇っていくキスメに背を向けて帰り始めた。
「……ここまでは……大丈……夫」
小傘は前回同様に声を震わせながらも、前回よりもしっかりとした態度で進んでいた。
「ここら辺……だったよね?」
前日来た辺りの位置で止まり、辺りを見回す。とはいえ、ここは洞窟なのでほとんど感覚でしか位置を把握していない。
ゴッ!
「んっ!」
風切り音なんてものじゃなく、風を貫く音が聞こえた。なにか来ることを予想していた小傘は、反射的に傘を強く掴む。そして――
ボキッ!
破壊というよりは、なにかが折れたような音が響いた。直後に、キスメが前方へ転がるように飛んで行ってくのが見えた。
(やっぱり、落ちてくるんだ)
予想通りだったので大して驚きはしなかったが、音からして傘の骨が折れてしまったのかと思って見上げてみる。
「…………ふぅ」
小傘の懸念は外れ、傘の骨は折れていなかった。しっかりと傘の形を保っている。小傘の本体とも言える傘なのだから、そんな簡単に折れるはずはない……はずだったのだが、ここで違和感を感じた。
「あれ?」
どうも傘を見上げる目線が低い。そこで、どんどん目線を下げていって……気付いた。
「あああぁぁ~~~~~~~!」
傘の芯の部分が、完全に曲がってしまっていた。キスメが飛んでいった前方へ向けて、くっきりと。
「ふふん」
キスメが戻ってきて、小傘に勝ち誇ったような笑みを見せる。
「勝った」
「酷い……」
小傘は傘を抱きしめる。
「おあいこ」
キスメは小傘に桶の底を見せる。そこには、昨日できたはずの穴がなかった。
「あいこじゃないじゃん」
「直した。直せる?」
「直せる」
小傘の本体とも言える物なのだから、直すことは容易である。小傘にはキスメがどんな妖怪なのかわからないが、その桶も同じような物なのかもしれない。
「よかった」
単語だけの言葉だが、それでもキスメが安心したのがわかった。壊してから、直せなかったらどうしようと考えていたのだろう。
「それじゃ」
そして用は済んだとばかりに、そそくさと昇っていこうとするキスメ。それに気づいて、小傘は慌てて止める。
「待って!」
「なに?」
キスメは途中で止まり、高いところから文字通り小傘を見下す。
「明日は、勝ってみせる」
「待ってる」
一言を交わして、小傘は今日も背を向けて別れた。
次の日
ゴッ!
「ぬっ!」
またしても風を貫く音。それに反応して、小傘はガッチリと傘を掴む。
バチン!
「ん」
今回は前回とも最初とも違い、お互いがお互いの攻撃を弾いた。双方の武器に傷はなく、威力は同等のようだ。
「引き分け。次は勝つ」
「こっちこそ、つぎは勝ってみせる」
これだけやって、また二人は別れる。
そして次の日
ゴゥッ!
バチィン!
また次の日
ゴアッ!
バッチィン!
もっと次の日
ギュア!
バキィン!
いつしか、二人の勝負は日課となっていた。
小傘は適当な時間に地底への洞窟へ赴き、それに気づいたキスメは不意打ちのように落下攻撃を繰り出す。そして、どちらが相手の武器(持ち物)を壊せるか。二人だけの、密かな決闘。
毎日毎日、行って防いで帰り、来たら攻撃して帰る、一日一回だけの決闘は、何日も、何週間も続いた。
なぜ一日一回だけなのか。そんなの、そのほうが面白いからだろう。一瞬を一瞬として楽しむため、一瞬をずっと楽しむために、二人は一瞬を続ける。まるで以心伝心でもしているかのような、終わりのある終わらない一瞬を。
ゴォォォォォ……
「…………」
もう感じ慣れたキスメの妖力が渦巻く洞窟内。
お互いが妖力を使うまでに発展したこの決闘だが、小傘はもう終わりが来るだろうと感じていた。
何度も何度も足を運んで、キスメが落ちてくる地点は感覚だけで正確にわかる。その地点に近づくにつれ、小傘の纏う妖力も上がっていく。
一歩、二歩と、そう歩いていると思わせるほど真剣な気迫と面持ちを浮かべながら、ゆっくりと飛んでいく。
落下地点まであと一歩という所で止まり、自らの限界をその身と傘に纏う。それに呼応するように、渦巻いていた妖力もどこか一点に集中していった。
そして、スッと進み――
――――
音がしないほど鋭く高速で落下してくる桶。
ヴァキィィン!
桶と傘がぶつかり合い、振動を肌で感じ取れるほどの轟音が響き渡る。
「んんん!」
「きゃぁああああ!」
その今までで最高の衝撃に、お互いは激しく吹き飛ばされた。洞窟は広いのでどこかにぶつかったりするようなことはないが、お互いの姿が見えなくなるほど離れてしまった。
「…………ととと、あ」
小傘はなんとか体制を立て直し、傘を持ち直そうとしてようやく気づいた。あれほどの衝撃を受けたのだから当然なのだが、傘がほぼ逆さになるほど折れ曲がっていた。むしろ繋がっているのが奇跡なぐらいだ。
「あぁ~~……。でも、当然かな」
小傘は傘を壊された落胆しながらも、どこか満足げだった。それに、まだ負けたと決まったわけではない。
「キスメは大丈夫かな」
もしキスメの桶が壊れていれば、結果は引き分けだ。とはいえ、まずは無事であることが第一だ。
「おーーい! 大丈夫ーー?」
呼んでみたが、返事がない。仕方ないので、小傘はキスメが飛んでいったであろう前方へと進む。
しかしすぐに、この薄暗闇の中ではそう簡単には見つからないことに気づいた。そこで小傘は、意識を集中させてキスメの妖力を感じ取ろうとする。
毎日肌で感じてきたキスメの妖力なら、たとえ大量の妖怪の中だろうが、ほぼ使い切った後の微弱な妖力だろうが、すぐにわかる自信があった。
「……………………いた」
小さな妖力をそれなりに離れた距離で感じ取った。やはりキスメにとっても、さっきの攻撃は全力だったのだろう。
小傘は妖力を見失わないように集中しながら、急いでキスメの元へ飛んでいく。幸いにも、キスメにその場を動く気配はない。
「どうしたのかな?」
しかし小傘は、それに違和感を感じた。キスメの桶が壊れようが壊れまいが、相手の状況が気になってすぐに探そうとするはずなのに、なぜキスメは動かないのか。
「大丈夫……なのかな」
その違和感から、小傘に一つの不安が生まれた。もしかしたら、とても重大なことを……取り返しがつかないことをやってしまったのではないかという不安が。しかしもしそうだとしても、取り返しをつけないといけないと、小傘は自分の折れた傘を見て思った。
そんな不安から、小傘の速度は自然と速くなる。感じる妖力が強くなるにつれ、自然と早くなってしまう。
「――――――……あ」
そして見つけた、キスメを。空中で呆然と"立ち尽くす"キスメを。
「小傘」
小傘があげた声でようやく気づいたようで、キスメは生気のない目で小さく小傘の名を呟いた。そこで小傘は気づいた。キスメは声を出さず涙を流していたことに。
「壊れた」
「私も」
小傘は自分の傘を見せつけるように突き出す。それを見て、キスメは少し笑みを浮かべた。
「良かった。負けてない」
「でも、もうおしまいだね」
「うん」
小傘の言葉に反応するかのように、キスメの涙が落ちる。
「限界」
「私も」
キスメにとって桶が壊れてしまったことは重要だが、それと同様に、全力を出してしまったことのも重要だった。なぜなら、それ以上競い合うことができないから。
たとえどちらか一方のみが全力だったとしても、そこで決闘は終わりだ。これ以上やったって、結果は変わらないから。結果がわかる決闘なんて、面白くもなんともないだろう。もしそこで結果が変わったのなら、それは一方が手加減したということ。そんなの決闘でも何でもない。
「おしまい?」
「無理?」
「無理」
「そっか」
小傘は声を少し下げ、落ち込んだ表情を見せる。
他人から見れば、自分の実力を高めながら続ければいいじゃないかと思うだろう。しかし二人は物に依存する妖怪だ。自分の者に代えはなく、その物でなければならない。
しかし全力の限界を超えようとすれば、材質なり強度なり、その物自体を換える必要がある。そんなこと、この二人に出来るはずもなかった。
「桶、直せる?」
キスメは桶の欠片も持っているようには見えない。なので、小傘は不安に思った。
「直せる。でも嫌」
「なんで?」
「小傘との闘いを、楽しみにしちゃうから。もうおしまいなのに、おしまいにできないから!」
小傘の単語のみではない言葉と、感情を露わにした言葉。もうキスメの中では、小傘との決闘が大きな楽しみとなっていた。きっとその一瞬が終わってからもう、次の日の一瞬を楽しみにしていたのだろう。その思い出が、記憶が、武器として使ってきた桶に染みこんでいるのだ。
「やっぱり、そうなんだね」
それはもちろん、小傘だってそうだった。一瞬をずっと楽しみたかった。でも、自分が全力を出した時点で、それが無理なのはわかっていた。
「だけど、大丈夫だよ」
小傘はさっき不安を感じてから、それに対する方法を考えていた。不安が確証になって、楽しみを続ける方法がまとまった。
「はい」
小傘は、自分の折れた傘をキスメに差し出す。
「なに?」
キスメには全く意味がわからなかった。しかし小傘は笑顔を浮かべる。
「この傘が、キスメの新しい桶だよ!」
楽しみを続ける方法。それは、今までのように共に一瞬を続けるのではなく、共に永遠を過ごすこと。そうすれば、キスメは桶を直さずに桶の代わりを手にすることができ、小傘との楽しみをずっと続けられる。小傘としても、キスメとずっと一緒にいられて嬉しい。二人が笑顔でいるには、この方法が一番だと考えた。
「いいの?」
キスメは涙で濡れた悲しい表情で、しかしすがるような声で訊いた。それに対し、小傘は満面の笑顔を浮かべる。
「うん! これからは、ずっと一緒だよ!」
小傘はキスメに抱きつき、この楽しみを永遠にすることを心に誓った。
「さて、いこっか」
小傘は九十度程折れ曲がった傘を、背中に備えるように肩に担ぐ。
「うん」
そこから、ひょっこりとキスメが顔を覗かせた。
「狭くない?」
「狭くない。入らないの?」
「入れないよ」
「そっか」
小傘の返答を受けて、キスメはしゅんとしてしまった。
しかし、こればっかりはどうすることもできない。傘に一人入っている時点で凄いことなのに、二人入ることなど不可能だろう。
「ところで、私は人を驚かす妖怪だって知ってる?」
小傘はふよふよと地上へ向かって飛んでいく。
「知らない」
ふるふると小さく首を振るキスメ。
「そういう妖怪なの。だから、これからは二人で驚かしていくよ」
「わかった」
これまた小さく、キスメはコクンと頷く。
「えいえいおー」
「おー」
軽いノリで、二人は地上の光に向かって腕を突き上げた。
事ある毎に川原で決闘に励む男子高校生(ライバル同士)みたいなこの感覚は
間食の感覚で読める、コンパクトで良いお話だったと思います。
だがそれがいい。
中々珍しい組み合わせですね。
二人の勝負がどんどんすごいことになっていくのが面白かったです。