※こちらのSSの続編となっています。読んでも読まなくても大差ないですが、読んでいただければ幸いです。
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体を芯から冷やす寒気は幾分和らぎ、マフラーや手袋と言った防寒着が荷物となりつつある弥生の十三。
霧の湖の畔に佇む真紅の洋館で、レミリア・スカーレットは頭を悩ませていた。
「うーん……」
彼女がいるのは紅魔館の厨房。目の前の調理台には小麦粉、砂糖の袋とバターの塊。
それらの材料を前に、レミリアは片手を顎に添えて考え込んでいた。
(クッキーって、どうやって作るのかしら……)
時刻は申の二つ。この屋敷に勤めるメイド長の十六夜咲夜は買い出しに出かけている。彼女は、今レミリアが調理台の前に立っていることを知らないはずだ。何故なら、普段のレミリアはこの時間熟睡しているからである。
レミリアは咲夜に内緒で、クッキーを作ろうとしていた。
しかし、とりあえず必要そうな材料を集めたところでそこから先へ進まなくなってしまったのだ。彼女は咲夜の焼くクッキーを日常的に食べていたが、その作り方までは知らなかった。
単に材料を混ぜて焼くだけ、という簡単なものではないだろう。分量の割合も分からないし、混ぜる以外にも何かすることがあるのかもしれない。焼くにしても、何度で何分焼けばいいのかも定かでない。
ここに来て打つ手をなくしてしまったレミリア。普段の彼女なら早々に諦めたのだろうが、今回ばかりはそう易々と引き下がりたくはなかった。
(あのケーキ、美味しかったしなぁ……)
あのケーキとは、今からちょうど一か月前に食べたチョコレートケーキの事だ。天狗の新聞で友チョコがどうだとかいう記事が号外としてばら撒かれ、咲夜がそれに乗じて焼いてくれたのだ。
しかもそのケーキは咲夜だけでなく、紅魔館の知識人、パチュリー・ノーレッジも調理に参加していたようで、そのせいだろうか、普段食べるケーキとは違う美味しさがあったように思えた。
バレンタインにチョコレートを貰った人間は、ホワイトデーにお返しをするのが礼儀らしい。キャンディーが主流という話も聞いたことがあるが、クッキーの方が簡単そうなのでそちらに流されることにした。
レミリアにとって、先月のチョコレートケーキは腕をふるってお返しをするに足りる味であったのだ。
しかし……
(一体この先……何をどうすればいいのよっ……!)
心の中で叫び声をあげる。しかし、目の前の小麦粉やバターが答えてくれることはない。
いつもなら、こういう時はパチュリーにでも相談すれば適当な答えを返してくれるのだが、今回のクッキーは彼女へのお返しの意味もあり、そのため相談するのはレミリアのプライドが許さないのだ。同様に、咲夜にも協力を仰ぎたくはない。門番の紅美鈴はそのような凝った料理に疎そうな気もする。
(……あいつか? あいつに相談するのか?)
“あいつ”は今、自室ですやすやと眠っているだろう。それを叩き起こすことには躊躇しないが、彼女に相談したところで求められる解が得られるか否かは大きな疑問である。
(でも……他に頼れそうな人はいないしなぁ……)
このままでは確実にクッキーが焼けないのもまた事実である。駄目で元々、レミリアは“妹”の寝室へと向かうことにした。
*
「起きてるかしら」
ノックもせずに扉を開き、カーテンで遮光された真っ暗な部屋に呼びかける。
「…………」
当然、返事はない。天井付のベッドには、毛布に包まった丸い塊がある。レミリアの妹、フランドール・スカーレットだ。
「もしもーし、起きなさーい」
優しく揺するも、効果はない。フランドールは『うぅん……』と唸って寝返りをうつ。
「っ、ちょっと! 起きなさいよ!」
今度は強く揺すると、ようやく起きたようだ。眠そうに目を擦りながら辺りの様子を確認し、まだ起きるには大分早い時間だと気づく。
「うにゃ……なぁに?」
「ちょっとあんたに聞きたいことがあったのよ。厨房まで来てちょうだい」
「うぇ……ねむいー」
「つべこべ言ってないでほら、さっさと起きる!」
半ば強引に抱き起し、覚醒を促す。
「むぅ……目がしぱしぱー」
「訳分かんないこと言ってないで、ついて来なさい」
ネグリジェに身を包んだままのフランドールを無理矢理部屋から引きずり出す。最初はぶつくさ文句を言っていた妹だが、クッキーを作るという話を聞かせると目の色を変えて喰い付いてきた。
「クッキー作るの!? お姉さまが!?」
「ええそうよ。バレンタインのお返しにね」
「あのお姉さまが!?」
「『あの』って何よ『あの』って」
「いやー大した決心だねー。今まで料理を作ったことも無いのに果敢に挑戦するなんて」
「……何故かしらね。褒められてるはずなのにちっとも嬉しくない」
それは褒められていないからです。
「まあいいわ。とりあえず材料を揃えたんだけど、どうやって作り始めるのかがさっぱりでね。何か知ってることがあったらアドバイス頂戴な」
「ふうん」
雑談しながら厨房に入る姉妹。調理台に並べられた材料を見て、フランドールは何かに気付いたようだ。
「あーまずアレだね。ここには決定的に足りないものがあるね」
「あら? まだ何かあったかしら」
調理台の上には小麦粉、砂糖、バターがある。ココアパウダーやチョコチップを入れるのならそれも必要だが、フランドールが言いたいのはそういうオプションではないらしい。
「あれよ。きゅっとしてドカーンよ」
「?」
フランドールはありとあらゆるものを爆発させる程度の能力を有しているが、それとクッキー作りには何か関係があるのだろうか。芸術は爆発だ、とでも言いたいのかもしれない。
「爆弾よ、ば・く・だ・ん」
「爆弾!? 一体何を仕込む気なのよ!」
妖怪の美鈴やパチュリーならいざ知らず、生身の人間である咲夜にそんな罠を仕掛けたら、フランス革命時のルイ十六世のように首から上がなくなってしまうかもしれない。冗談では済まない話だ。
「いやねぇ、そんなわけないじゃない。卵の事よ」
「卵……ああ、卵ね。確かに忘れてたけど……それはあまりに分からなさ過ぎる」
おでんの卵を爆弾と呼ぶことはあるが、お菓子の材料として卵を呼ぶときに爆弾はないだろう。偏った知識を持つ妹に辟易しながらも、冷蔵庫から卵を取り出した。
「分量はどうすればいいのかしら」
「さあねぇ。でもまあ、卵とバター、砂糖は結構適当でも大丈夫そうだし、小麦粉は様子を見ながら加減すればいいんじゃないかしら」
「なるほど……」
本当に適当だが、確かに合理的である。己が妹の意外な料理スキルが、このようなところで発現するとは思ってもみなかったレミリアだった。
言われたとおりに卵とバター、砂糖を練り合わせ、そこに少しずつ小麦粉を加えていく。練っていく内に、何となく型の取りやすそうな硬さになったところで粉を入れる手を止めた。
「さて、ここから先は型取りよ。あんたも手伝いなさい」
「はいはーい」
ボウルの中のクリーム色をした生地から適当な量を摘まみ取り、指で形を整えていく。姉も妹も思い思いの形を作っていき、オーブン用の鉄板の上は見る見るうちに華やかになっていった。
「……あんたの作ってるその形は何かしら」
「うん? 爆弾だよ。ちゃんと導火線もあります」
「そう。さっきの話題の直後にそれを作る度胸、やはりあんたは私の妹ね」
恐ろしく不吉なクッキーを作るフランドールは、さながら魔女のようであった。
*
「ふぅ。あとは焼くだけね」
「楽しみだねー」
鉄板に並べられたクッキー生地を見て、満足そうに頷くレミリア。
「焼き加減だけど……これも様子を見ながらかしら」
「それが良いね。でも、私は正直眠たいし、見てるだけなのも退屈だから、あとはお姉さまにお任せしまーす」
「まあそれでもいいわ。長々付き合せて悪かったわね」
「再びお休みなさーい」
“日の入り”まであまり時間がないのにまだ寝るのかと疑問に思ったレミリアだが、あまり気にしないことにした。完全に日没となる頃には、咲夜も買い出しから帰ってくるだろう。それまでに作業を終わらせないといけない。
「さてと」
この生地をオーブンに入れるのだが、何も装飾などが施されていないのっぺりとした生地を見ると、少し物足りないような気がする。
(……そうだ)
冷蔵庫の中を漁り、『あるもの』を探すレミリア。
ただのクッキーにひと手間加えてさらに美味しくする。レミリアが考えたのは、そういうことだったのだが……
*
この後レミリアはなんとか咲夜が帰って来るまでにクッキーを焼きあげ、調理場を片付けて寝室に戻ることができた。
布団を被って少し経つと咲夜が起こしに来て、いつも通りに食事を済ませたのち深夜のティータイムとなった。
レミリアとフランドールが席に着き、咲夜がお茶を淹れているところへ遅れてパチュリーもやってくる。ここまではいつも通りだ。
全員にお茶が配られたところで、レミリアが声を上げる。
「今日はちょっとしたサプライズがあるわ」
その声に、咲夜とパチュリーは少し驚いたような表情を見せる。事情を知っているフランドールだけはニヤニヤと笑っていた。
「何があるのでしょう?」
代表して咲夜が訊く。
しかし、実のところ咲夜は概ね事態を把握している。先程食事を作っていた時、卵料理にしようと思っていたのに卵が足りなくなっていて、ならばムニエルにしようと思ったら今度は小麦粉とバターがなくなっていたのだ。この日が何の日かも考えれば、答えはすぐ出てくるのだ。
それでも知らないふりをして今まで接していたのは、単純に彼女の優しさによるものだったのかもしれない。あるいは、野暮ったい口をきくと逆鱗に触れる可能性も考慮したのだろうか。
それにも気づかぬ無垢なる少女は、多少恥ずかしそうにしながらも言った。
「今日はホワイトデーよ。先月のお礼を兼ねてクッキーを焼いてみたの」
「本当ですか。それは嬉しいですね」
「へぇ。レミィがクッキーをねぇ」
笑顔で応じる咲夜。パチュリーも思わぬお茶請けに期待の目を向けている。
「ちょっと待ってなさい。取って来るから」
立ち上がり、急ぎ足で自室へ向かうレミリア。彼女が行った後、フランドールが『爆弾入りなんだって』などと言っていたが、何かの冗談だろうと信じるしかない咲夜だった。
「待たせたわね。我ながら自信作よ」
クッキーはいつの間にやら洒落たバスケットに入れられて布をかぶせられていた。食卓の真ん中に置き、布をはぐるよう咲夜に勧める。
「ありがとうございます。頂きますね」
予想していたとはいえ、日頃仕える主人からこのような形で恩返しが来るとなるとやはり喜びを隠せない。パチュリーも見守るなか、スカーレット姉妹お手製のクッキーはその姿を現した。
紅い。
「…………?」
クッキーは、紅かった。
咲夜の脳が高速回転を始める。
(足りなくなっていた食材は卵、小麦粉、砂糖、バター。他に明らかに減っているものは無かったはず。それらの材料でこんな色を出すにはどうすれば……)
「隠し味にちょっと変わったものを入れているわ」
(っ! 入れた!? 一体何を……)
決して表情には出さず、しかし恐る恐るクッキーを手に取る咲夜。パチュリーは咲夜の反応を待ってから食べようとしているようだ。つまり、下手をするととんでもない物が口に入ると、この魔術師は言っているっ……!
レミリアがクッキーを取りに行っている間、フランドールが呟いた台詞が思い出される。仮にこれが何かの罰ゲームだとしても、流石にそこまでするほどの鬼ではないはず。ないはずだ。
最悪の事態を考慮し、心の中で十字を切ったのち噛み砕く。
苦い。
「っ!」
「……お、お味はどうかしら」
「いえ、その……随分個性的な隠し味ですね」
「あら、隠すはずが表に出すぎたかしら。アクセント程度でよかったんだけどね……血」
(血ッ……!?)
ここでいきなり吹き出すほどの礼儀知らずではないが、すぐさま咀嚼を止め、味が残らないうちに飲み込み、紅茶を口に含む。
「え、ええと……」
とてつもなく反応に困ってしまう。毒薬だとか、爆薬だとか、そういう命にかかわる物でなかった分ましかもしれないが、咲夜に血を吸う趣味はない。パチュリーを見ると、こちらもだらだらと冷や汗を流しながら紅茶のカップに口をつけている。
そんな二人を尻目に、フランドールがバスケットに手を伸ばして、クッキーを取る。何の躊躇いも無く口に放り込み、非常に美味しそうに頬を緩める。
「そ、そうですね。非常に美味ですし、美鈴にもおすそ分けしませんか?」
「ん、いいんじゃないかしら。持ってってあげてよ」
「かしこまりました」
根性で営業スマイルを固持し、紙袋を取りに行く咲夜。そうして持って来た袋に、全体量の半分ほどを詰める。
「それでは、ちょっと失礼して正門まで行ってきます」
「はいよ」
許可を取って、部屋を出る咲夜。後ろからパチュリーの冷ややかな視線を受けたが無視することにした。彼女はこう語っていたからだ。『逃げるな』と。
*
できる限り時間を稼ぎながら部屋に戻ってくると、クッキーはほとんどなくなっていた。
ちなみに美鈴はこの不思議な色をしたクッキーを感激して受け取り、そして何事も無いかのように食べ切ってしまった。まるで化け物だなと思う咲夜だが、元来美鈴は妖怪である。人の血が入っていようが、構わず美味しく頂いてしまうのだろう。
フランドールが一番沢山食べたようで、満足そうに紅茶を飲みきったところだった。レミリアは残りわずかなクッキーをかじっていて、パチュリーはいつもに増してげっそりとしている。
「悪いね咲夜。もうほとんど無いわ」
「いえ、お気になさらず」
席に着き、ぬるくなった紅茶を一口飲んで、再び件のクッキーを手に取る。
中身が分かっているのでもう驚かないが、やはり苦い物は苦い。口の中を噛んでしまった時に感じる血の味を数倍に強くしたようだ。
「たまにはお菓子なんか作ってみるのも悪くないわね。また何かサプライズを用意してあげるかもよ」
「そうですね。でも今度は私と一緒に作りませんか? より一層美味しくなるかもしれませんよ」
「おっ、自分は上手いから教えてあげるって口だな。この自惚れめ」
「ははは……」
何と言われてもいい。レミリアには人間に食べさせる料理に血液を混入させないように教え込まなければいけないと、固く誓う咲夜だった。
夜もだいぶ暖かくなった春先の紅魔館。一見平和な食卓は、どこかが一方通行だった。
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体を芯から冷やす寒気は幾分和らぎ、マフラーや手袋と言った防寒着が荷物となりつつある弥生の十三。
霧の湖の畔に佇む真紅の洋館で、レミリア・スカーレットは頭を悩ませていた。
「うーん……」
彼女がいるのは紅魔館の厨房。目の前の調理台には小麦粉、砂糖の袋とバターの塊。
それらの材料を前に、レミリアは片手を顎に添えて考え込んでいた。
(クッキーって、どうやって作るのかしら……)
時刻は申の二つ。この屋敷に勤めるメイド長の十六夜咲夜は買い出しに出かけている。彼女は、今レミリアが調理台の前に立っていることを知らないはずだ。何故なら、普段のレミリアはこの時間熟睡しているからである。
レミリアは咲夜に内緒で、クッキーを作ろうとしていた。
しかし、とりあえず必要そうな材料を集めたところでそこから先へ進まなくなってしまったのだ。彼女は咲夜の焼くクッキーを日常的に食べていたが、その作り方までは知らなかった。
単に材料を混ぜて焼くだけ、という簡単なものではないだろう。分量の割合も分からないし、混ぜる以外にも何かすることがあるのかもしれない。焼くにしても、何度で何分焼けばいいのかも定かでない。
ここに来て打つ手をなくしてしまったレミリア。普段の彼女なら早々に諦めたのだろうが、今回ばかりはそう易々と引き下がりたくはなかった。
(あのケーキ、美味しかったしなぁ……)
あのケーキとは、今からちょうど一か月前に食べたチョコレートケーキの事だ。天狗の新聞で友チョコがどうだとかいう記事が号外としてばら撒かれ、咲夜がそれに乗じて焼いてくれたのだ。
しかもそのケーキは咲夜だけでなく、紅魔館の知識人、パチュリー・ノーレッジも調理に参加していたようで、そのせいだろうか、普段食べるケーキとは違う美味しさがあったように思えた。
バレンタインにチョコレートを貰った人間は、ホワイトデーにお返しをするのが礼儀らしい。キャンディーが主流という話も聞いたことがあるが、クッキーの方が簡単そうなのでそちらに流されることにした。
レミリアにとって、先月のチョコレートケーキは腕をふるってお返しをするに足りる味であったのだ。
しかし……
(一体この先……何をどうすればいいのよっ……!)
心の中で叫び声をあげる。しかし、目の前の小麦粉やバターが答えてくれることはない。
いつもなら、こういう時はパチュリーにでも相談すれば適当な答えを返してくれるのだが、今回のクッキーは彼女へのお返しの意味もあり、そのため相談するのはレミリアのプライドが許さないのだ。同様に、咲夜にも協力を仰ぎたくはない。門番の紅美鈴はそのような凝った料理に疎そうな気もする。
(……あいつか? あいつに相談するのか?)
“あいつ”は今、自室ですやすやと眠っているだろう。それを叩き起こすことには躊躇しないが、彼女に相談したところで求められる解が得られるか否かは大きな疑問である。
(でも……他に頼れそうな人はいないしなぁ……)
このままでは確実にクッキーが焼けないのもまた事実である。駄目で元々、レミリアは“妹”の寝室へと向かうことにした。
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「起きてるかしら」
ノックもせずに扉を開き、カーテンで遮光された真っ暗な部屋に呼びかける。
「…………」
当然、返事はない。天井付のベッドには、毛布に包まった丸い塊がある。レミリアの妹、フランドール・スカーレットだ。
「もしもーし、起きなさーい」
優しく揺するも、効果はない。フランドールは『うぅん……』と唸って寝返りをうつ。
「っ、ちょっと! 起きなさいよ!」
今度は強く揺すると、ようやく起きたようだ。眠そうに目を擦りながら辺りの様子を確認し、まだ起きるには大分早い時間だと気づく。
「うにゃ……なぁに?」
「ちょっとあんたに聞きたいことがあったのよ。厨房まで来てちょうだい」
「うぇ……ねむいー」
「つべこべ言ってないでほら、さっさと起きる!」
半ば強引に抱き起し、覚醒を促す。
「むぅ……目がしぱしぱー」
「訳分かんないこと言ってないで、ついて来なさい」
ネグリジェに身を包んだままのフランドールを無理矢理部屋から引きずり出す。最初はぶつくさ文句を言っていた妹だが、クッキーを作るという話を聞かせると目の色を変えて喰い付いてきた。
「クッキー作るの!? お姉さまが!?」
「ええそうよ。バレンタインのお返しにね」
「あのお姉さまが!?」
「『あの』って何よ『あの』って」
「いやー大した決心だねー。今まで料理を作ったことも無いのに果敢に挑戦するなんて」
「……何故かしらね。褒められてるはずなのにちっとも嬉しくない」
それは褒められていないからです。
「まあいいわ。とりあえず材料を揃えたんだけど、どうやって作り始めるのかがさっぱりでね。何か知ってることがあったらアドバイス頂戴な」
「ふうん」
雑談しながら厨房に入る姉妹。調理台に並べられた材料を見て、フランドールは何かに気付いたようだ。
「あーまずアレだね。ここには決定的に足りないものがあるね」
「あら? まだ何かあったかしら」
調理台の上には小麦粉、砂糖、バターがある。ココアパウダーやチョコチップを入れるのならそれも必要だが、フランドールが言いたいのはそういうオプションではないらしい。
「あれよ。きゅっとしてドカーンよ」
「?」
フランドールはありとあらゆるものを爆発させる程度の能力を有しているが、それとクッキー作りには何か関係があるのだろうか。芸術は爆発だ、とでも言いたいのかもしれない。
「爆弾よ、ば・く・だ・ん」
「爆弾!? 一体何を仕込む気なのよ!」
妖怪の美鈴やパチュリーならいざ知らず、生身の人間である咲夜にそんな罠を仕掛けたら、フランス革命時のルイ十六世のように首から上がなくなってしまうかもしれない。冗談では済まない話だ。
「いやねぇ、そんなわけないじゃない。卵の事よ」
「卵……ああ、卵ね。確かに忘れてたけど……それはあまりに分からなさ過ぎる」
おでんの卵を爆弾と呼ぶことはあるが、お菓子の材料として卵を呼ぶときに爆弾はないだろう。偏った知識を持つ妹に辟易しながらも、冷蔵庫から卵を取り出した。
「分量はどうすればいいのかしら」
「さあねぇ。でもまあ、卵とバター、砂糖は結構適当でも大丈夫そうだし、小麦粉は様子を見ながら加減すればいいんじゃないかしら」
「なるほど……」
本当に適当だが、確かに合理的である。己が妹の意外な料理スキルが、このようなところで発現するとは思ってもみなかったレミリアだった。
言われたとおりに卵とバター、砂糖を練り合わせ、そこに少しずつ小麦粉を加えていく。練っていく内に、何となく型の取りやすそうな硬さになったところで粉を入れる手を止めた。
「さて、ここから先は型取りよ。あんたも手伝いなさい」
「はいはーい」
ボウルの中のクリーム色をした生地から適当な量を摘まみ取り、指で形を整えていく。姉も妹も思い思いの形を作っていき、オーブン用の鉄板の上は見る見るうちに華やかになっていった。
「……あんたの作ってるその形は何かしら」
「うん? 爆弾だよ。ちゃんと導火線もあります」
「そう。さっきの話題の直後にそれを作る度胸、やはりあんたは私の妹ね」
恐ろしく不吉なクッキーを作るフランドールは、さながら魔女のようであった。
*
「ふぅ。あとは焼くだけね」
「楽しみだねー」
鉄板に並べられたクッキー生地を見て、満足そうに頷くレミリア。
「焼き加減だけど……これも様子を見ながらかしら」
「それが良いね。でも、私は正直眠たいし、見てるだけなのも退屈だから、あとはお姉さまにお任せしまーす」
「まあそれでもいいわ。長々付き合せて悪かったわね」
「再びお休みなさーい」
“日の入り”まであまり時間がないのにまだ寝るのかと疑問に思ったレミリアだが、あまり気にしないことにした。完全に日没となる頃には、咲夜も買い出しから帰ってくるだろう。それまでに作業を終わらせないといけない。
「さてと」
この生地をオーブンに入れるのだが、何も装飾などが施されていないのっぺりとした生地を見ると、少し物足りないような気がする。
(……そうだ)
冷蔵庫の中を漁り、『あるもの』を探すレミリア。
ただのクッキーにひと手間加えてさらに美味しくする。レミリアが考えたのは、そういうことだったのだが……
*
この後レミリアはなんとか咲夜が帰って来るまでにクッキーを焼きあげ、調理場を片付けて寝室に戻ることができた。
布団を被って少し経つと咲夜が起こしに来て、いつも通りに食事を済ませたのち深夜のティータイムとなった。
レミリアとフランドールが席に着き、咲夜がお茶を淹れているところへ遅れてパチュリーもやってくる。ここまではいつも通りだ。
全員にお茶が配られたところで、レミリアが声を上げる。
「今日はちょっとしたサプライズがあるわ」
その声に、咲夜とパチュリーは少し驚いたような表情を見せる。事情を知っているフランドールだけはニヤニヤと笑っていた。
「何があるのでしょう?」
代表して咲夜が訊く。
しかし、実のところ咲夜は概ね事態を把握している。先程食事を作っていた時、卵料理にしようと思っていたのに卵が足りなくなっていて、ならばムニエルにしようと思ったら今度は小麦粉とバターがなくなっていたのだ。この日が何の日かも考えれば、答えはすぐ出てくるのだ。
それでも知らないふりをして今まで接していたのは、単純に彼女の優しさによるものだったのかもしれない。あるいは、野暮ったい口をきくと逆鱗に触れる可能性も考慮したのだろうか。
それにも気づかぬ無垢なる少女は、多少恥ずかしそうにしながらも言った。
「今日はホワイトデーよ。先月のお礼を兼ねてクッキーを焼いてみたの」
「本当ですか。それは嬉しいですね」
「へぇ。レミィがクッキーをねぇ」
笑顔で応じる咲夜。パチュリーも思わぬお茶請けに期待の目を向けている。
「ちょっと待ってなさい。取って来るから」
立ち上がり、急ぎ足で自室へ向かうレミリア。彼女が行った後、フランドールが『爆弾入りなんだって』などと言っていたが、何かの冗談だろうと信じるしかない咲夜だった。
「待たせたわね。我ながら自信作よ」
クッキーはいつの間にやら洒落たバスケットに入れられて布をかぶせられていた。食卓の真ん中に置き、布をはぐるよう咲夜に勧める。
「ありがとうございます。頂きますね」
予想していたとはいえ、日頃仕える主人からこのような形で恩返しが来るとなるとやはり喜びを隠せない。パチュリーも見守るなか、スカーレット姉妹お手製のクッキーはその姿を現した。
紅い。
「…………?」
クッキーは、紅かった。
咲夜の脳が高速回転を始める。
(足りなくなっていた食材は卵、小麦粉、砂糖、バター。他に明らかに減っているものは無かったはず。それらの材料でこんな色を出すにはどうすれば……)
「隠し味にちょっと変わったものを入れているわ」
(っ! 入れた!? 一体何を……)
決して表情には出さず、しかし恐る恐るクッキーを手に取る咲夜。パチュリーは咲夜の反応を待ってから食べようとしているようだ。つまり、下手をするととんでもない物が口に入ると、この魔術師は言っているっ……!
レミリアがクッキーを取りに行っている間、フランドールが呟いた台詞が思い出される。仮にこれが何かの罰ゲームだとしても、流石にそこまでするほどの鬼ではないはず。ないはずだ。
最悪の事態を考慮し、心の中で十字を切ったのち噛み砕く。
苦い。
「っ!」
「……お、お味はどうかしら」
「いえ、その……随分個性的な隠し味ですね」
「あら、隠すはずが表に出すぎたかしら。アクセント程度でよかったんだけどね……血」
(血ッ……!?)
ここでいきなり吹き出すほどの礼儀知らずではないが、すぐさま咀嚼を止め、味が残らないうちに飲み込み、紅茶を口に含む。
「え、ええと……」
とてつもなく反応に困ってしまう。毒薬だとか、爆薬だとか、そういう命にかかわる物でなかった分ましかもしれないが、咲夜に血を吸う趣味はない。パチュリーを見ると、こちらもだらだらと冷や汗を流しながら紅茶のカップに口をつけている。
そんな二人を尻目に、フランドールがバスケットに手を伸ばして、クッキーを取る。何の躊躇いも無く口に放り込み、非常に美味しそうに頬を緩める。
「そ、そうですね。非常に美味ですし、美鈴にもおすそ分けしませんか?」
「ん、いいんじゃないかしら。持ってってあげてよ」
「かしこまりました」
根性で営業スマイルを固持し、紙袋を取りに行く咲夜。そうして持って来た袋に、全体量の半分ほどを詰める。
「それでは、ちょっと失礼して正門まで行ってきます」
「はいよ」
許可を取って、部屋を出る咲夜。後ろからパチュリーの冷ややかな視線を受けたが無視することにした。彼女はこう語っていたからだ。『逃げるな』と。
*
できる限り時間を稼ぎながら部屋に戻ってくると、クッキーはほとんどなくなっていた。
ちなみに美鈴はこの不思議な色をしたクッキーを感激して受け取り、そして何事も無いかのように食べ切ってしまった。まるで化け物だなと思う咲夜だが、元来美鈴は妖怪である。人の血が入っていようが、構わず美味しく頂いてしまうのだろう。
フランドールが一番沢山食べたようで、満足そうに紅茶を飲みきったところだった。レミリアは残りわずかなクッキーをかじっていて、パチュリーはいつもに増してげっそりとしている。
「悪いね咲夜。もうほとんど無いわ」
「いえ、お気になさらず」
席に着き、ぬるくなった紅茶を一口飲んで、再び件のクッキーを手に取る。
中身が分かっているのでもう驚かないが、やはり苦い物は苦い。口の中を噛んでしまった時に感じる血の味を数倍に強くしたようだ。
「たまにはお菓子なんか作ってみるのも悪くないわね。また何かサプライズを用意してあげるかもよ」
「そうですね。でも今度は私と一緒に作りませんか? より一層美味しくなるかもしれませんよ」
「おっ、自分は上手いから教えてあげるって口だな。この自惚れめ」
「ははは……」
何と言われてもいい。レミリアには人間に食べさせる料理に血液を混入させないように教え込まなければいけないと、固く誓う咲夜だった。
夜もだいぶ暖かくなった春先の紅魔館。一見平和な食卓は、どこかが一方通行だった。
なぜかこれを読み終えた直後、私の脳内では2chの対人トラブル集(ヤンデレ、ストーカー編)がフラッシュバックされています…
甘くもなく苦くもなく、ただ普通に面白かった。
ほのぼのブラックジョーク?デジャヴを感じる一方で、意外に見かけないタイプの作品だとも思った。
じっくり読むと味が出てくるスルメさも備えている。評価に困ってしまう。
何だか良いですねこういうの
というか、なぜ冷蔵庫の中に普通に血が入っているのかを聞きたい。
……紅魔館だからか。