草木も眠る丑三つ時とはいうが、妖の類にとってはむしろもっとも活動的な時間といえる。
それ故妙にテンションの上がった有象無象が勝手に妖怪の山へ侵入してくることもままあるようだ。
下っ端哨戒天狗こと犬走椛はほぼ24時間山の監視を行っている。
こう聞くと酷ブラックな職場に思えるが、そもそも妖怪の多くにとって睡眠は必須ではないため、この程度はなんともないらしい。
加えてしっかりと休みも与えられているため、妖怪基準でいえば割と良い職場であるとは本人の談である。
そんな良い職場における普段通りの勤務でありながら、今の椛は酷く苛立ったていた。
(まったく、迷惑極まりない…!まるでどこぞの鴉天狗のようだ…!)
不敵に笑う某新聞記者の顔を浮かべながら、舌打ちしたいのをこらえて椛は飛び続ける。
椛が苛立っているその原因は、最近良くも悪くも話題となっているとあるバンドだ。
普段は人里に近い場所でゲリラライブをしてるそうなのだが、ここ最近はよりファン層を広げようと魔法の森の中や妖怪の山近くまでやってきているらしい。
いつもは隠している狼耳をピンと立て、ノイジーなその音源へと近づいていく。
(あれか…)
少し開けた場所に即席のステージを設け、件のバンドとそのファンたちが盛り上がっている様子が見える。
(まったくなんという声量だ…!)
うんざりした顔で耳をしまい、背負っていた大剣を手にしてステージに飛び降りる。
「静まれえ!!」
ボーカルに負けないほどの大声を張り上げる椛。
突然の部外者にざわめくステージ。
「こんな時間に傍迷惑なことを…。ここをどこだと思っている!?この付近で催しをしたくば山の許可を取れ!」
つい先ほどまで歩くスピーカーのごとくシャウトしていたボーカルに向けて大剣を突き付ける椛。
対してバンドの2人はオロオロするばかり。
「ちょっと、あれって哨戒天狗でしょ!?もしかしてここって妖怪の山なの!?」
ひそひそ声で耳打ちするのはミスティア・ローレライ。
屋台の女将とバンドの二足の草鞋をこなす夜雀だ。
「わ、わかんないけどそうなのかなぁ…。ちょっと深くまで来すぎちゃったかも…」
それに返答するのは出家した身でありながらバンドもこなすヤマビコの幽谷響子。
「こそこそ話をするまえに潔く撤収してもらおうか?抵抗するなら他の天狗とともに強制排除も辞さないぞ!」
実際のところ、この程度の問題で他の天狗たちが動くのかは実に怪しい、というかほぼハッタリなのだが、さっさと撤収してほしい椛はそう告げる。
「むう…。文さんとかなら兎も角、こんなのが大挙してくるのはお客さんにも悪いなあ…」
「仕方ないよ、今夜はちょっと早いけど解散しちゃおう」
そう言って響子は観客たちに呼びかける。
「皆さんごめんなさい!申し訳ないですが今夜のライブはここで終了です!」
えー、とか、うそー、といった声があちこちから上がる。
「本当にすみません!次はこうならないよう場所にも気を遣うので、今夜はどうかご了承下さい!」
応援しているバンドメンバーにそう言われては渋々従うしかないファン達。
しかしながら、こちらに落ち度があるとはいえ、一方的に終了を命じた哨戒天狗への不満は飲みこめないようだ。
「空気読めよ下っ端!」「折角の盛り上がりを返せよ!」といったブーイングに晒される椛。
「ええいさっさと解散しろ!同じこと何度も言わせるな!!」
対する椛も大剣を振り回して聴衆を追っ払う。
どうにも不完全燃焼といった体の聴衆達を何とか解散させ、椛は再度響子とミスティアに向き直った。
「いいですか?ご存じなかったのかもしれませんが、ここら辺は既に我々の管轄なんです。もしここいらで何かを行いたくば一度我々を通して下さい。いいですね?
…尤も、こういった騒音けたたましいライブが今後も許可されるかは怪しいですが」
「…すいませんでした…」
シュンと項垂れる響子。
本心から申し訳ないと思っているその姿に、椛の心はなんとも言えない妙な感覚を覚える。
「と、兎も角!今夜はここまででいいです。自分はもう帰りますが、その隙に再開したりしないで下さいね?」
はい、という2人の返答を聞き、椛は周囲の気配を探りつつ詰所に帰っていった。
「あーもうあの犬天狗!もうちょっと融通効かせてくれてもいいじゃない!」
先程から響子の後ろでムスっとしていたミスティアがそう叫ぶ。
「仕方ないよ。今度はもう少し離れたところでやろう?」
そう言ってなだめる響子の姿に、ミスティアの怒りも少し和らいだようだ。
「…そうだね。まぁいいや。次は今夜の分まで歌ってやろう!」
おー!とハイタッチする2人。
どうにもすっきりしない一夜ではあったが、2人はそうやってなんとか自分たちを納得させたようである。
それから数日後、非番の時間を使って椛は買い物にでかけていた。
お目当ては新しい櫛である。
哨戒天狗の詰所に置いてあった雑誌を暇潰しに読んでいたのだが、そこに今回お目当ての櫛が某九尾の狐のレビューとともに載っていたのだ。
九尾がその自慢の尾を櫛で梳いているその写真が、否応なく椛の購買意欲を掻き立てたのである。
「えっと、ここら辺だったかな…?」
雑誌からメモした地図とお店を見比べる椛。
「間違いない、ここだ…!」
ウキウキしながら入店する椛。
(えっと…あの櫛は…あったあった!)
果たして店正面の見えやすい場所に件の櫛はあった。
(あ、最後の1個か。これは幸運だな)
思わず笑みを零しながら櫛に手を伸ばす椛。が、誰かの手とぶつかってしまう。
「あっと、これは失敬」
そう言ってすぐさま手を引っ込めてぶつかった相手に向き直る椛。
「いえ、こちらこそすいませ…」
謝る相手と目が合い、お互いに固まる2人。
「…あなたは、この前の…」
「あ、と…、山の哨戒天狗さん…?」
椛と手がぶつかったのは、何の因果か、この前椛が中止させたゲリラライブの当人である。
「えと、この前はどうもすみませんでした!」
反射的にペコリと頭を下げる響子。
ただ本人は意図してないのだろうが、山彦特有の大声だったので、店内の目が一斉に2人へ向く。
「ちょ、ちょっと!頭を上げて下さい…!済んだことはもういいですから…!」
周囲の視線に慌てる椛。
「でも…」
「ほんといいですから!もう気にしてませんから!!」
小さく、それでいてハッキリした声で響子に伝える椛。
「あ、ありがとうございます!」
「だから、大声で返さないでぇ…」
少し泣きそうになる椛だった。
「…では、響子さんもこの櫛を?」
「はい!あの雑誌に載ってた写真がホント気持ちよさそうで…」
「確かに、あれは反則的でしたね」
うっとりした表情で櫛を眺める響子。
「………」
「…さん?椛さん?」
「あっと、すいません。ちょっとぼーっとしてしまいました」
「椛さんも櫛に見惚れてたんですか?」
「え?あ、ああそうです。…あ、でもこれが最後の1個なのか…」
渋い表情になってむむむと唸る椛。
「…なら」
「え?」
「なら、この櫛は椛さんが買って下さい」
そういって笑顔で椛の手に櫛を握らせる響子。
「え?で、でも…」
「いいからいいから!この前の謝罪の意味も込めて、ここは譲らせて下さい」
にこにこと微笑む響子にたじろぐ椛。
どうやら椛はこういった押しの強い系には弱いようである。
「ですが、あの雑誌の影響でかなりの反響のようですし、次はいつ入荷するか…」
「だいじょーぶですよう!私の住んでるとこってここから近いですし、これから頻繁に訪れて入荷されるのを待ちますから!」
「し、しかし…いやだからこそ…!」
「いいからいいから!」
そう言って椛の手を引っ張りながら会計まで引っ張る響子。
「ほら、椛さん!」
「あ、あの、その…」
そしてあれよあれよと会計を済ませられ、椛の手には購入済みの櫛が残ったのだった。
「ああ、あの最近できたお寺の…」
「そうなんです。でもここだけの話、お寺の修行生活はちょっとつまんなくって…」
バツが悪そうに笑う響子につられて自然と笑顔になる椛。
ここは先程の店に近い茶店。
一方的に譲ってもらうだけじゃ流石に悪いと、今度は椛が響子を押して奢ることにしたのだ。
「だからああいったバンドを?」
「そうなんです。でもこれが案外好評なんですよ?」
「しかしそれなりに迷惑を被っている人もいると聞きましたが?そのうち博麗の巫女が飛んでくるかもしれませんよ?」
「う…それは…」
困った顔をする響子にクスクス笑う椛。
「まあ場所さえ気を付ければ大丈夫なんじゃないでしょうか?」
「そうなんですけど、やっぱりあの辺りが一番よくって…」
白玉をつつきながら響子は言う。
「ところで、椛さんは私たちの音楽、どうでしたか?」
「自分、ですか?」
「ハイ、椛さんの正直な意見や感想も聞きたいなって」
目を伏せて腕組みをする椛。
「そうですね…。正直なところ、自分には合わないと思います」
「そうですか?」
「ええ。…まあ聞いたのがこの前の1回だけだったので、まだ絶対にそうだとは言い切れませんが」
残念そうな顔をする響子を見てさり気無く付け足す椛。
「なら!次のライブの時、もう一度来てくれませんか?今度はちゃんと観客として」
「…次、ですか?」
「はい!今の予定だと…3日後、この前の麓からもう少し竹林側でやるつもりなんですよ!
あの辺りなら大丈夫でしょう?」
「確かに、そこら辺なら山の管轄外ですが…」
「椛さん、3日後はお仕事ですか?」
「3日後は…哨戒の仕事がありますね」
「そう…ですか」
耳をペタンと垂れてしょぼくれる響子。
「あ、で、でも!多分他の白狼天狗に代わって貰えると思います!」
そんな響子の姿に思わずそう言ってしまう椛。
「ホントですか!?」
「え、えぇ…」
しまった!と思うが時既に遅し。
この時点で断りようのない約束が成立してしまった。
「じゃあじゃあ、3日後楽しみにしてますね!椛さんのハートに伝わるよう、いつも以上に歌います!」
「お、お手柔らかにぃ…」
参ったなと頭を掻きたくなる反面、どこか少しだけ楽しみにしてる自分がいることに、椛は気づいていない様子だった。
「もみーが代休を?珍しいね?」
「ああ、ちょっと約束があってな。その日だけでいいから、どうしても代わってほしいんだ」
響子とお茶した翌日、椛は同僚の哨戒天狗に代休をお願いしていた。
「んー…でもその日は私も休みを取りたいんだよなぁ…」
「そちらも何か用事が?」
「ちょっとね…。もみー、鳥獣伎楽って知ってる?」
見知ったワードにドキッとする椛。
「…ああ、聞いたことはあるな。それが何か?」
動揺を気取られないよう極めて平然と返す。
「いやさ、私鳥獣伎楽のファンでさ。もみーが休み取りたい日って、丁度ライブの日なんだよ」
「…そうなのか」
参ったな、と椛は思った。
ここで嘘を言って取り繕うのは簡単だ。
でもいざバレたら?
そうなると面倒云々以前に、信頼関係にも支障をきたすだろう。
しょうがない、と腹をくくって椛は口を開いた。
「…実はな、私もその鳥獣伎楽のライブに行きたいんだ」
「え!?もみーも?意外ー」
だろうな、と椛自身もそう思った。
響子から誘われなければ、おそらく一生縁の無かったものだろう。
「なるほどねー。あのもみーが…。これはこれは…」
ニヤニヤ笑う同僚にちょっとムッとする椛。
「まあもみーは生真面目さんだもん、ストレスも溜まるもんねえ…。そっかそっかあ」
同僚は同僚で、何やら勝手に自己完結してしまったようである。
「ちなみに、今までもライブ見に行ったことあるの?」
「いや、実は(客として行くのは)これが初めてなんだ」
「なるほどねえ…。よし!ならば次のお休みはもみーに譲ってしんぜよう!」
「本当か!?」
ニッっと笑って返す同僚天狗。
「うん!椛も色々溜めこんでそうだし、是非あの歌を聴いてストレス発散するといいよ!
それに、私としても同好の士が増えるのは嬉しいからね!」
そう言って椛の肩をポンポン叩く。
ちょっとした勘違いを生んでしまったものの、まあ相手も納得しているし、特に問題は無いかと椛も割り切った。
「ありがとう。この埋め合わせは、必ず…」
「おん。また次のライブの時には代わってもらうからねー」
こうして、椛にしては珍しい代休が確定したのであった。
「…驚いたな、凄い人数だ」
前回は注意の為だけにやってきたので一体どれくらいの人数がいるのか正確に把握はしてなかったが、
こうやって落ち着いて観察してみるとかなりの人妖たちが集まっているようだ。
「まさかこんなに人気を獲得していたとは…。通りで他の天狗たちも行きたがるわけだ」
仕事を代わってくれた同僚に改めて心の中で感謝する椛。
「場所は…まあ最後尾ら辺でいいか。近いと大音声に耐えられないかもしれないし、千里以内ならステージもしっかり見えるしな」
―そうこうしているうちに、ステージへ2人が上がってきた。
「皆さん、今夜もきてくれてありがとおー!この前は不完全燃焼で終わっちゃったけど、今回は前回分も合わせて派手に盛り上がっていくよー!」
響子の声に会場から凄まじい歓声が上がる。
ちなみに、今夜の椛は響子のアドバイスで一見白狼天狗とは分からない格好をしている。
前回ああいうことをした手前、熱烈なファンに見つかるとどうなるか分からないか、ということである。
「うーん、凄い熱気だ…。一体何が彼らをここまで駆り立てるのか…」
ステージから大分離れた木の上で観覧する椛。
他の観客と一緒に並んでもよかったのだが、万が一の身バレを防ぐのと視界に障害物を入れない目的で最終的にこうなったようだ。
「さて、今夜は一曲目から新曲だよー!これまでの曲に負けないくらいの熱さだから、是非是非盛り上がってくれー!」
そう言うないなや、ミスティアのギターを切っ掛けに響子のけたたましいシャウトが始まった。
「―ッ…!やっぱり、凄まじい声量だな…!」
目や耳の良さが取り柄の白狼天狗には少々キツイ音量だが、それでも椛は真剣に聴いていた。
(…まったく、なんてデタラメな曲だろうか…)
演奏が始まって数分、一番最初に抱いた感想がそれだった。
(音程は外れまくっているし、おおよそ歌と言っていいものか判断しかねる)
心の中で続ける椛。
(けれど…)
―けれど―
(なんていうか…嫌な気分ではないな。聴いていることが苦痛じゃない)
尤も、少しばかり耳はジンジンするがと椛は苦笑した。
そして、段々と指や体でリズムを取り始める。
(…なるほどな。こんな私ですらそこそこ楽しめるんだ。それ以外の数多にウケてもおかしくはない)
自然と顔が綻ぶ。
これが歌の力、ひいては響子たちの力なのかと、柄にもなく感慨にふける椛だった。
その後もミスティアとのダブルボーカルや響子が演奏、ミスティアがボーカルといったパターンでライブは続いた。
そして数度のアンコールを終えた後、響子が今夜のライブの終わりを告げた。
「皆今夜もありがとー!これまでで最高の盛り上がりで私もみすちーもすっごく気持ちよかったよーっ!!」
うおおおー!といった一際大きな歓声が上がる。
どうやら観客たちも最高に盛り上がって満足したようだ。
「今夜はこれで終わりだけど、また次もガツンとやっちゃうよー!また予定が決まったらこっそり告知しちゃうね!」
そうミスティアが叫ぶ。
なるほど、ゲリラライブにも関わらずこれだけ人が集まるのは、どこかでこっそり次の公演予定を流布しているからなのかと椛は納得した。
と同時に、ステージに差し込む朝陽をの光を見て、随分長いこと時間を忘れて鑑賞していたのだと気づく椛。
(気付けば、あっという間だったな…)
宴会の後よりもっと後ろ髪を引かれる寂しさが押し寄せる。
(凄い歌だったな…)
また、聞きたいなと呟いて、他の観客たちと同様椛も帰路についたのだった。
数日後、依然お茶した茶店にて再び椛は響子と過ごしていた。
「正直言って…凄かったです。陳腐な表現で申し訳ないですが、兎に角『凄い』の一言でした」
感服しきった表情で話す椛。
「そっかそっか!椛さんにそう言ってもらえればそれは重畳です!」
ニコッと笑って返す響子。
「本当に、歌ってのは心に響くものなんですね…。新しい世界を垣間見た気がしました」
目を閉じ、あの時の光景を思い浮かべながらそう告げる。
「もし今回のライブで気に入ってもらえたなら、またいつでも聴きに来てほしいな」
「ええそれは勿論です。ただ…」
「ただ?」
少し冴えない表情の椛。
「…思いの外、鳥獣伎楽のファンが天狗たちの間にも多くてですね…。
今まで知らなかったんですが、ライブの日の休みは取り合いみたいな状況なんですよ」
ふう、と溜息をつく。
「え、そうだったんだ…。なら、これからはもう日程完全非公開にすべきかなぁ…」
むむむと唸る響子。
「難しいところですね…。我々天狗のように仕事の日程がキチンとしている層にはそれがありがたいですが、
多くの妖怪たちはそうではないですからね」
むしろ今まで通りこっそり予定を披露したほうがいい層もあるだろうという椛。
「でも椛さんがライブに来辛いのは残念だなあ」
「まあ上手く休日と日程が合えばちゃんと行きますよ。頻繁に、とはいかないかもですが」
「あ、だったら椛さんのシフトを教えてもらえないかな?そしたらそれに合わせても…」
「ダメです」
きっぱりと言う椛。
「確かに、そうしてくれるのは正直ありがたいです。…でも、それで他の天狗たちがよりライブに行き辛くなるのは許容できません。
…単純に不平等だからということだけじゃないです。いちファンとして、同じファンの楽しみを奪いたくはないんです」
椛の正論に押し黙る響子。
「でも…、先ほども言いましたが、偶然に予定が合えばちゃんと行きます。…私だって、本心から楽しみにしてるんですから」
そう言ってフォローする椛。
しかし響子は黙ったままだ。
まずいことを言ったかなと、不安になる椛。
―ややあって、響子が口を開く。
「…なら、椛さんのためだけに、歌わせてくれませんか?」
「え?」
意図の見えない提案にぽかんとする椛。
「椛さんのためにライブの予定を組み替えたりしません。椛さんに、無理して来てもらったりもしません。だけど―」
なんだか決意めいた表情をする響子。
「いつでもいいから、私と椛さんがどっちもお休みの時、椛さんのために歌わせてくれませんか?」
「え、と…」
真剣な響子の目に、思わず気圧されてしまう。
「その…えっと、私のために、というのは…?」
なんだか阿呆な質問だなと思いつつ聞き返す椛。
「なんでしょう…。自分でも上手く表現できないんですが、兎に角椛さんに聞いてもらいたいんです」
私の、歌を―。
「も、もちろん迷惑だっていうならいいですし、それに―」
「迷惑なんかじゃ、ないです」
強く静かに、椛は答える。
「あなたの歌は、あなたに歌ってもらえることは、迷惑なんかじゃ、ないです」
先程の響子と同じように、強い眼差しを向ける椛。
「いえ…、そうですね、歌って下さい。よければ、私のために」
そう言って、自然と響子の手を取る椛。
「え…と…」
ぐっと息を吸い込む響子。
「よ、よろこんで!!」
予期せぬ大声に、また店内の目が2人に注がれる。
「あわ、あの、そんな大声じゃなくていいですから…!」
「あ、ご、ごめんなさいぃ…」
思わず顔を赤らめる2人。
そしてお互いがお互いに、全く同じ表情をしていると知ると
「ふふ…」
どちらともなく、笑いがこぼれた。
「…そうですね、そういうことなら、私のシフトを纏めてお教えします。そうしたら…」
「そうしたら、こうやってお茶した帰りにでも」
―あなたのために、歌いますね!
そう、とびっきりの笑顔で響子は言ったのだった。
それ故妙にテンションの上がった有象無象が勝手に妖怪の山へ侵入してくることもままあるようだ。
下っ端哨戒天狗こと犬走椛はほぼ24時間山の監視を行っている。
こう聞くと酷ブラックな職場に思えるが、そもそも妖怪の多くにとって睡眠は必須ではないため、この程度はなんともないらしい。
加えてしっかりと休みも与えられているため、妖怪基準でいえば割と良い職場であるとは本人の談である。
そんな良い職場における普段通りの勤務でありながら、今の椛は酷く苛立ったていた。
(まったく、迷惑極まりない…!まるでどこぞの鴉天狗のようだ…!)
不敵に笑う某新聞記者の顔を浮かべながら、舌打ちしたいのをこらえて椛は飛び続ける。
椛が苛立っているその原因は、最近良くも悪くも話題となっているとあるバンドだ。
普段は人里に近い場所でゲリラライブをしてるそうなのだが、ここ最近はよりファン層を広げようと魔法の森の中や妖怪の山近くまでやってきているらしい。
いつもは隠している狼耳をピンと立て、ノイジーなその音源へと近づいていく。
(あれか…)
少し開けた場所に即席のステージを設け、件のバンドとそのファンたちが盛り上がっている様子が見える。
(まったくなんという声量だ…!)
うんざりした顔で耳をしまい、背負っていた大剣を手にしてステージに飛び降りる。
「静まれえ!!」
ボーカルに負けないほどの大声を張り上げる椛。
突然の部外者にざわめくステージ。
「こんな時間に傍迷惑なことを…。ここをどこだと思っている!?この付近で催しをしたくば山の許可を取れ!」
つい先ほどまで歩くスピーカーのごとくシャウトしていたボーカルに向けて大剣を突き付ける椛。
対してバンドの2人はオロオロするばかり。
「ちょっと、あれって哨戒天狗でしょ!?もしかしてここって妖怪の山なの!?」
ひそひそ声で耳打ちするのはミスティア・ローレライ。
屋台の女将とバンドの二足の草鞋をこなす夜雀だ。
「わ、わかんないけどそうなのかなぁ…。ちょっと深くまで来すぎちゃったかも…」
それに返答するのは出家した身でありながらバンドもこなすヤマビコの幽谷響子。
「こそこそ話をするまえに潔く撤収してもらおうか?抵抗するなら他の天狗とともに強制排除も辞さないぞ!」
実際のところ、この程度の問題で他の天狗たちが動くのかは実に怪しい、というかほぼハッタリなのだが、さっさと撤収してほしい椛はそう告げる。
「むう…。文さんとかなら兎も角、こんなのが大挙してくるのはお客さんにも悪いなあ…」
「仕方ないよ、今夜はちょっと早いけど解散しちゃおう」
そう言って響子は観客たちに呼びかける。
「皆さんごめんなさい!申し訳ないですが今夜のライブはここで終了です!」
えー、とか、うそー、といった声があちこちから上がる。
「本当にすみません!次はこうならないよう場所にも気を遣うので、今夜はどうかご了承下さい!」
応援しているバンドメンバーにそう言われては渋々従うしかないファン達。
しかしながら、こちらに落ち度があるとはいえ、一方的に終了を命じた哨戒天狗への不満は飲みこめないようだ。
「空気読めよ下っ端!」「折角の盛り上がりを返せよ!」といったブーイングに晒される椛。
「ええいさっさと解散しろ!同じこと何度も言わせるな!!」
対する椛も大剣を振り回して聴衆を追っ払う。
どうにも不完全燃焼といった体の聴衆達を何とか解散させ、椛は再度響子とミスティアに向き直った。
「いいですか?ご存じなかったのかもしれませんが、ここら辺は既に我々の管轄なんです。もしここいらで何かを行いたくば一度我々を通して下さい。いいですね?
…尤も、こういった騒音けたたましいライブが今後も許可されるかは怪しいですが」
「…すいませんでした…」
シュンと項垂れる響子。
本心から申し訳ないと思っているその姿に、椛の心はなんとも言えない妙な感覚を覚える。
「と、兎も角!今夜はここまででいいです。自分はもう帰りますが、その隙に再開したりしないで下さいね?」
はい、という2人の返答を聞き、椛は周囲の気配を探りつつ詰所に帰っていった。
「あーもうあの犬天狗!もうちょっと融通効かせてくれてもいいじゃない!」
先程から響子の後ろでムスっとしていたミスティアがそう叫ぶ。
「仕方ないよ。今度はもう少し離れたところでやろう?」
そう言ってなだめる響子の姿に、ミスティアの怒りも少し和らいだようだ。
「…そうだね。まぁいいや。次は今夜の分まで歌ってやろう!」
おー!とハイタッチする2人。
どうにもすっきりしない一夜ではあったが、2人はそうやってなんとか自分たちを納得させたようである。
それから数日後、非番の時間を使って椛は買い物にでかけていた。
お目当ては新しい櫛である。
哨戒天狗の詰所に置いてあった雑誌を暇潰しに読んでいたのだが、そこに今回お目当ての櫛が某九尾の狐のレビューとともに載っていたのだ。
九尾がその自慢の尾を櫛で梳いているその写真が、否応なく椛の購買意欲を掻き立てたのである。
「えっと、ここら辺だったかな…?」
雑誌からメモした地図とお店を見比べる椛。
「間違いない、ここだ…!」
ウキウキしながら入店する椛。
(えっと…あの櫛は…あったあった!)
果たして店正面の見えやすい場所に件の櫛はあった。
(あ、最後の1個か。これは幸運だな)
思わず笑みを零しながら櫛に手を伸ばす椛。が、誰かの手とぶつかってしまう。
「あっと、これは失敬」
そう言ってすぐさま手を引っ込めてぶつかった相手に向き直る椛。
「いえ、こちらこそすいませ…」
謝る相手と目が合い、お互いに固まる2人。
「…あなたは、この前の…」
「あ、と…、山の哨戒天狗さん…?」
椛と手がぶつかったのは、何の因果か、この前椛が中止させたゲリラライブの当人である。
「えと、この前はどうもすみませんでした!」
反射的にペコリと頭を下げる響子。
ただ本人は意図してないのだろうが、山彦特有の大声だったので、店内の目が一斉に2人へ向く。
「ちょ、ちょっと!頭を上げて下さい…!済んだことはもういいですから…!」
周囲の視線に慌てる椛。
「でも…」
「ほんといいですから!もう気にしてませんから!!」
小さく、それでいてハッキリした声で響子に伝える椛。
「あ、ありがとうございます!」
「だから、大声で返さないでぇ…」
少し泣きそうになる椛だった。
「…では、響子さんもこの櫛を?」
「はい!あの雑誌に載ってた写真がホント気持ちよさそうで…」
「確かに、あれは反則的でしたね」
うっとりした表情で櫛を眺める響子。
「………」
「…さん?椛さん?」
「あっと、すいません。ちょっとぼーっとしてしまいました」
「椛さんも櫛に見惚れてたんですか?」
「え?あ、ああそうです。…あ、でもこれが最後の1個なのか…」
渋い表情になってむむむと唸る椛。
「…なら」
「え?」
「なら、この櫛は椛さんが買って下さい」
そういって笑顔で椛の手に櫛を握らせる響子。
「え?で、でも…」
「いいからいいから!この前の謝罪の意味も込めて、ここは譲らせて下さい」
にこにこと微笑む響子にたじろぐ椛。
どうやら椛はこういった押しの強い系には弱いようである。
「ですが、あの雑誌の影響でかなりの反響のようですし、次はいつ入荷するか…」
「だいじょーぶですよう!私の住んでるとこってここから近いですし、これから頻繁に訪れて入荷されるのを待ちますから!」
「し、しかし…いやだからこそ…!」
「いいからいいから!」
そう言って椛の手を引っ張りながら会計まで引っ張る響子。
「ほら、椛さん!」
「あ、あの、その…」
そしてあれよあれよと会計を済ませられ、椛の手には購入済みの櫛が残ったのだった。
「ああ、あの最近できたお寺の…」
「そうなんです。でもここだけの話、お寺の修行生活はちょっとつまんなくって…」
バツが悪そうに笑う響子につられて自然と笑顔になる椛。
ここは先程の店に近い茶店。
一方的に譲ってもらうだけじゃ流石に悪いと、今度は椛が響子を押して奢ることにしたのだ。
「だからああいったバンドを?」
「そうなんです。でもこれが案外好評なんですよ?」
「しかしそれなりに迷惑を被っている人もいると聞きましたが?そのうち博麗の巫女が飛んでくるかもしれませんよ?」
「う…それは…」
困った顔をする響子にクスクス笑う椛。
「まあ場所さえ気を付ければ大丈夫なんじゃないでしょうか?」
「そうなんですけど、やっぱりあの辺りが一番よくって…」
白玉をつつきながら響子は言う。
「ところで、椛さんは私たちの音楽、どうでしたか?」
「自分、ですか?」
「ハイ、椛さんの正直な意見や感想も聞きたいなって」
目を伏せて腕組みをする椛。
「そうですね…。正直なところ、自分には合わないと思います」
「そうですか?」
「ええ。…まあ聞いたのがこの前の1回だけだったので、まだ絶対にそうだとは言い切れませんが」
残念そうな顔をする響子を見てさり気無く付け足す椛。
「なら!次のライブの時、もう一度来てくれませんか?今度はちゃんと観客として」
「…次、ですか?」
「はい!今の予定だと…3日後、この前の麓からもう少し竹林側でやるつもりなんですよ!
あの辺りなら大丈夫でしょう?」
「確かに、そこら辺なら山の管轄外ですが…」
「椛さん、3日後はお仕事ですか?」
「3日後は…哨戒の仕事がありますね」
「そう…ですか」
耳をペタンと垂れてしょぼくれる響子。
「あ、で、でも!多分他の白狼天狗に代わって貰えると思います!」
そんな響子の姿に思わずそう言ってしまう椛。
「ホントですか!?」
「え、えぇ…」
しまった!と思うが時既に遅し。
この時点で断りようのない約束が成立してしまった。
「じゃあじゃあ、3日後楽しみにしてますね!椛さんのハートに伝わるよう、いつも以上に歌います!」
「お、お手柔らかにぃ…」
参ったなと頭を掻きたくなる反面、どこか少しだけ楽しみにしてる自分がいることに、椛は気づいていない様子だった。
「もみーが代休を?珍しいね?」
「ああ、ちょっと約束があってな。その日だけでいいから、どうしても代わってほしいんだ」
響子とお茶した翌日、椛は同僚の哨戒天狗に代休をお願いしていた。
「んー…でもその日は私も休みを取りたいんだよなぁ…」
「そちらも何か用事が?」
「ちょっとね…。もみー、鳥獣伎楽って知ってる?」
見知ったワードにドキッとする椛。
「…ああ、聞いたことはあるな。それが何か?」
動揺を気取られないよう極めて平然と返す。
「いやさ、私鳥獣伎楽のファンでさ。もみーが休み取りたい日って、丁度ライブの日なんだよ」
「…そうなのか」
参ったな、と椛は思った。
ここで嘘を言って取り繕うのは簡単だ。
でもいざバレたら?
そうなると面倒云々以前に、信頼関係にも支障をきたすだろう。
しょうがない、と腹をくくって椛は口を開いた。
「…実はな、私もその鳥獣伎楽のライブに行きたいんだ」
「え!?もみーも?意外ー」
だろうな、と椛自身もそう思った。
響子から誘われなければ、おそらく一生縁の無かったものだろう。
「なるほどねー。あのもみーが…。これはこれは…」
ニヤニヤ笑う同僚にちょっとムッとする椛。
「まあもみーは生真面目さんだもん、ストレスも溜まるもんねえ…。そっかそっかあ」
同僚は同僚で、何やら勝手に自己完結してしまったようである。
「ちなみに、今までもライブ見に行ったことあるの?」
「いや、実は(客として行くのは)これが初めてなんだ」
「なるほどねえ…。よし!ならば次のお休みはもみーに譲ってしんぜよう!」
「本当か!?」
ニッっと笑って返す同僚天狗。
「うん!椛も色々溜めこんでそうだし、是非あの歌を聴いてストレス発散するといいよ!
それに、私としても同好の士が増えるのは嬉しいからね!」
そう言って椛の肩をポンポン叩く。
ちょっとした勘違いを生んでしまったものの、まあ相手も納得しているし、特に問題は無いかと椛も割り切った。
「ありがとう。この埋め合わせは、必ず…」
「おん。また次のライブの時には代わってもらうからねー」
こうして、椛にしては珍しい代休が確定したのであった。
「…驚いたな、凄い人数だ」
前回は注意の為だけにやってきたので一体どれくらいの人数がいるのか正確に把握はしてなかったが、
こうやって落ち着いて観察してみるとかなりの人妖たちが集まっているようだ。
「まさかこんなに人気を獲得していたとは…。通りで他の天狗たちも行きたがるわけだ」
仕事を代わってくれた同僚に改めて心の中で感謝する椛。
「場所は…まあ最後尾ら辺でいいか。近いと大音声に耐えられないかもしれないし、千里以内ならステージもしっかり見えるしな」
―そうこうしているうちに、ステージへ2人が上がってきた。
「皆さん、今夜もきてくれてありがとおー!この前は不完全燃焼で終わっちゃったけど、今回は前回分も合わせて派手に盛り上がっていくよー!」
響子の声に会場から凄まじい歓声が上がる。
ちなみに、今夜の椛は響子のアドバイスで一見白狼天狗とは分からない格好をしている。
前回ああいうことをした手前、熱烈なファンに見つかるとどうなるか分からないか、ということである。
「うーん、凄い熱気だ…。一体何が彼らをここまで駆り立てるのか…」
ステージから大分離れた木の上で観覧する椛。
他の観客と一緒に並んでもよかったのだが、万が一の身バレを防ぐのと視界に障害物を入れない目的で最終的にこうなったようだ。
「さて、今夜は一曲目から新曲だよー!これまでの曲に負けないくらいの熱さだから、是非是非盛り上がってくれー!」
そう言うないなや、ミスティアのギターを切っ掛けに響子のけたたましいシャウトが始まった。
「―ッ…!やっぱり、凄まじい声量だな…!」
目や耳の良さが取り柄の白狼天狗には少々キツイ音量だが、それでも椛は真剣に聴いていた。
(…まったく、なんてデタラメな曲だろうか…)
演奏が始まって数分、一番最初に抱いた感想がそれだった。
(音程は外れまくっているし、おおよそ歌と言っていいものか判断しかねる)
心の中で続ける椛。
(けれど…)
―けれど―
(なんていうか…嫌な気分ではないな。聴いていることが苦痛じゃない)
尤も、少しばかり耳はジンジンするがと椛は苦笑した。
そして、段々と指や体でリズムを取り始める。
(…なるほどな。こんな私ですらそこそこ楽しめるんだ。それ以外の数多にウケてもおかしくはない)
自然と顔が綻ぶ。
これが歌の力、ひいては響子たちの力なのかと、柄にもなく感慨にふける椛だった。
その後もミスティアとのダブルボーカルや響子が演奏、ミスティアがボーカルといったパターンでライブは続いた。
そして数度のアンコールを終えた後、響子が今夜のライブの終わりを告げた。
「皆今夜もありがとー!これまでで最高の盛り上がりで私もみすちーもすっごく気持ちよかったよーっ!!」
うおおおー!といった一際大きな歓声が上がる。
どうやら観客たちも最高に盛り上がって満足したようだ。
「今夜はこれで終わりだけど、また次もガツンとやっちゃうよー!また予定が決まったらこっそり告知しちゃうね!」
そうミスティアが叫ぶ。
なるほど、ゲリラライブにも関わらずこれだけ人が集まるのは、どこかでこっそり次の公演予定を流布しているからなのかと椛は納得した。
と同時に、ステージに差し込む朝陽をの光を見て、随分長いこと時間を忘れて鑑賞していたのだと気づく椛。
(気付けば、あっという間だったな…)
宴会の後よりもっと後ろ髪を引かれる寂しさが押し寄せる。
(凄い歌だったな…)
また、聞きたいなと呟いて、他の観客たちと同様椛も帰路についたのだった。
数日後、依然お茶した茶店にて再び椛は響子と過ごしていた。
「正直言って…凄かったです。陳腐な表現で申し訳ないですが、兎に角『凄い』の一言でした」
感服しきった表情で話す椛。
「そっかそっか!椛さんにそう言ってもらえればそれは重畳です!」
ニコッと笑って返す響子。
「本当に、歌ってのは心に響くものなんですね…。新しい世界を垣間見た気がしました」
目を閉じ、あの時の光景を思い浮かべながらそう告げる。
「もし今回のライブで気に入ってもらえたなら、またいつでも聴きに来てほしいな」
「ええそれは勿論です。ただ…」
「ただ?」
少し冴えない表情の椛。
「…思いの外、鳥獣伎楽のファンが天狗たちの間にも多くてですね…。
今まで知らなかったんですが、ライブの日の休みは取り合いみたいな状況なんですよ」
ふう、と溜息をつく。
「え、そうだったんだ…。なら、これからはもう日程完全非公開にすべきかなぁ…」
むむむと唸る響子。
「難しいところですね…。我々天狗のように仕事の日程がキチンとしている層にはそれがありがたいですが、
多くの妖怪たちはそうではないですからね」
むしろ今まで通りこっそり予定を披露したほうがいい層もあるだろうという椛。
「でも椛さんがライブに来辛いのは残念だなあ」
「まあ上手く休日と日程が合えばちゃんと行きますよ。頻繁に、とはいかないかもですが」
「あ、だったら椛さんのシフトを教えてもらえないかな?そしたらそれに合わせても…」
「ダメです」
きっぱりと言う椛。
「確かに、そうしてくれるのは正直ありがたいです。…でも、それで他の天狗たちがよりライブに行き辛くなるのは許容できません。
…単純に不平等だからということだけじゃないです。いちファンとして、同じファンの楽しみを奪いたくはないんです」
椛の正論に押し黙る響子。
「でも…、先ほども言いましたが、偶然に予定が合えばちゃんと行きます。…私だって、本心から楽しみにしてるんですから」
そう言ってフォローする椛。
しかし響子は黙ったままだ。
まずいことを言ったかなと、不安になる椛。
―ややあって、響子が口を開く。
「…なら、椛さんのためだけに、歌わせてくれませんか?」
「え?」
意図の見えない提案にぽかんとする椛。
「椛さんのためにライブの予定を組み替えたりしません。椛さんに、無理して来てもらったりもしません。だけど―」
なんだか決意めいた表情をする響子。
「いつでもいいから、私と椛さんがどっちもお休みの時、椛さんのために歌わせてくれませんか?」
「え、と…」
真剣な響子の目に、思わず気圧されてしまう。
「その…えっと、私のために、というのは…?」
なんだか阿呆な質問だなと思いつつ聞き返す椛。
「なんでしょう…。自分でも上手く表現できないんですが、兎に角椛さんに聞いてもらいたいんです」
私の、歌を―。
「も、もちろん迷惑だっていうならいいですし、それに―」
「迷惑なんかじゃ、ないです」
強く静かに、椛は答える。
「あなたの歌は、あなたに歌ってもらえることは、迷惑なんかじゃ、ないです」
先程の響子と同じように、強い眼差しを向ける椛。
「いえ…、そうですね、歌って下さい。よければ、私のために」
そう言って、自然と響子の手を取る椛。
「え…と…」
ぐっと息を吸い込む響子。
「よ、よろこんで!!」
予期せぬ大声に、また店内の目が2人に注がれる。
「あわ、あの、そんな大声じゃなくていいですから…!」
「あ、ご、ごめんなさいぃ…」
思わず顔を赤らめる2人。
そしてお互いがお互いに、全く同じ表情をしていると知ると
「ふふ…」
どちらともなく、笑いがこぼれた。
「…そうですね、そういうことなら、私のシフトを纏めてお教えします。そうしたら…」
「そうしたら、こうやってお茶した帰りにでも」
―あなたのために、歌いますね!
そう、とびっきりの笑顔で響子は言ったのだった。
椛の他のファンの方に申し訳ないというシーンは好きでした。
今後もこの狼犬コンビの二人の絡みがあったら良いなと思いました。
…そういえば求聞口授の挿絵には鈴仙の姿もありましたね。ライブ会場は動物成分が多そうです。
もみぎゃー、というのならあともうちょっと、仲良くなるエピソードとか欲しかったかも?
この後のエピソードとかも、ぜひ読んでみたいですね。
響子が好意を持つ理由がもうちょっとあれば、なお良かったかなーと。