賽銭箱は空だった――正確に言えば葉っぱや木の実は入っていたけれど。
博麗神社の日常とは言え、それを見て落ち込むことはある。七割くらいはそうかもしれない。今は、そんなに落ち込んではいない。
それよりももっと、くたびれていた。浜の真砂は尽くるとも、世に妖怪の種は尽くまじということだ。まあ、海なんて見たことはないけれど。
重い袋と共に家に帰れば、すっかり陽が暮れていた。空には三日月が浮かんでいる。賽銭箱を確認して、朝には綺麗に掃除した道に落ち葉が降っているのを見て、そんな気の滅入る二つを経て、荷物を部屋に置く。
そうすれば、後は楽しいことだけだ。まず、私は火を付けた。風呂を沸かしたのだ。ついでに灯も付ける。
まだ肌寒い。空を飛んできたなら尚更だ。熱い熱いお風呂に入るのが待ちきれない。とはいえ、数十分はかかるだろう。流行る心を静めるべく、私は台所に向かい、徳利とおちょこを取り出した。寒い風の吹く縁側に置いては、部屋に戻る。
で、重い袋もまた縁側に運ぶ。そうすれば準備万端だ。重さの元の一升瓶と、食事ともつまみとも言えるような食べ物が潜んでいる。熱い風呂に入って、火照った体を冷ましつつ飲むのが待ちきれない。
いいや、待ちきれないから早くも注いでみる。縁側に腰を下ろして、神社の景色を見やりながら……
やっぱり、私はここが好きだ。長い間住んでいるけれど、穏やかな神社の光景に飽きることはない。ガス灯やらで眩しい里よりも、ずっと綺麗に星が見える。
一人でゆっくり見ているとなればなおさら。やかましくて片付けもしない客に悩まされはしない。素敵な光景の待つ素敵な神社、素敵なお賽銭箱に素敵な巫女もいる。どうして流行らないのかが不思議でならない。ちょっと、そう、ちょっと参道が歩きにくいくらいどうとでもないと思うのに。
私は神様に祈った。今日は厄介な闖入客に悩まされませんようにと。夜の境内を見ては、「ロマンチックね」と暢気に思いたい日だった。朝から妖怪退治に奔走していたなら尚更だ。
今日こそ一人でゆっくり出来たならば神社の御利益も保証された様な物だろう。静寂を守る御利益を追加してもいいと思う。
……とまあ、沸騰するまで境内にいてもいい気分だったけれど、酔っぱらって風呂に入ってもしょうがない。風呂へと向かった。
蓋を開けて、湯加減を見てみる。少し熱めで、私にはちょうどいい塩梅だった。時計を見たわけでもないのにこの湯加減。流石は私という勘の良さだった。今日の残りは静かで落ち着いた日になるだろう。その勘が告げてくれる。
リボンを解いて、巫女服を脱いで、浴室へと向かう。お湯を体にかける。熱い、でも気持ちいい。それから髪を洗って、体も洗って、一日の汗をすっかり拭うことが出来た。
湯船に足を付ける。熱い。でも一気に肩まで付けてやる。そうすればすぐに心地よくなる。最初は熱いな、と思うけれど、存外長く入っていられて、疲れも一気に取れる、見事な湯加減だった。
この神社の一から十までやっては、妖怪退治にも勤しまないといけない。まったく、私ってのは多忙な身だ。私を癒してくれるのはお風呂くらい。
それだけ上機嫌に風呂に入っていたから、湯船にお酒を浮かべてみたいと思ったほどだ。間欠泉の所の温泉みたいに大きいわけじゃあるまいし、様にはならないけれど。
でも、月くらいは見てもいいと思った。曇り窓越しの光ではなくて、外のお月様を。火照った体を冷ます風も付いてくる。
あいにくか、でも今は幸福にか、神社は実に静かだ。あの三妖精もお出かけ中らしい。昼でもいない参拝客が来るわけもない。
――ガタガタ
「ん?」
その時だ、物音が聞こえた。獣だろうか、あるいは風か。獣か鳥にしても、窓を開けるのはやめておこう、と思った。鳥と思いきやあのパパラッチ烏だったら気が滅入る。
――ガタガタ、ピシャン!
……しかも、音は止まない。おまけに近づいてくるように思う。「まさか覗き!?」と一瞬思案した。可能性がゼロとは、まあ言い切れない。
――ドン!
明らかに壁を叩く音だ。流石の私も一瞬、たじろいでしまった。だけど気を取り直す。私は巫女なのだと。いや、正直怖かったけれど。
――ミシミシ
だってそうでしょう!? 女の子が風呂に入ったら窓が震えてるって! これはもう覗きというより変質者を疑うべきなのだろう。だから腹を括った。それが人間だか妖怪だかその他だかわからないけれど……血祭りにするだけだと。何者で何が目的だって、私の安穏を怪我した罪は重いのだ。
鬼でもスキマでも八つ裂きにしてやろう、と思う矢先に、
「きゃああああああああああ!!!」
と声が出てしまったけれど……だって、ねえ……誰でもそうなるわ……
◇
「あれだけ驚いてくれるとやり甲斐がある、そう思わない?」
「……」
神は死んだのか、いや、そもそも神なんて最初っからいなかったのかもしれない。少なくともここ博麗の神は。
居たとしても御利益がないのは火を見るよりも明らかなのだし、新しい神様の勧請を真剣に検討するべきだろう。霖之助さんに聞いてみるべきかしら。静寂をもたらす神について。
この、可愛らしい帽子に愛らしい服の幼女は、安息をかき乱すという点に置いては最悪だ。いや、最高というのかしら? ともあれ、今の私にとって最悪の妖怪だ。
カナ・アナベラル。ずっと昔にここに取り憑いていた騒霊。何だって戻ってきたのやら……
「ねえねえ♪ ねえねえ♫」
「…………」
疲れた。疲れを癒すはずの風呂で疲れたんだから二倍疲れた。リボンを取った髪が鬱陶しい。巫女服から寝間着になってもリラックスできない。
そんなやさぐれた私の心を癒してくれるのは酒しかない。がぶがぶと飲んでやる。どうせもらい物だ。ほうって置いても、いずれ招いてもいない客が勝手に飲み干すのは目に見えている。頼んでも居ない客とうるささだけは招くあたり、実のとこ、ここの神は悪霊ではないんだろうか。
そもそも悪霊が取り憑いていたこともあったし……あの時もここの神は役立たずだったな……しばらく見てない魅魔に乗り変わられてもおかしくないくらい貧弱な神なのは間違いないだろうし。
「あーあー。霊夢さん、聞こえてますか? 霊夢霊夢霊夢霊夢巫女巫女レイムちゃん!」
「ええ、聞こえてるから黙って。二度と日の目を見られないほど完璧に封印されたくないならね」
「って言っても、私騒霊だから黙ってたら消えるし。黙れば消える。しゃべれば封印。じゃあ座して消えるよりも前向きに騒ぎたいよね。あ、それ美味しい? お酒。ちょうだいよ霊夢」
無言で、とはいえわざわざ立ち上がって升を持ってきてやっては注いでやるあたり、私ほど人の出来ている人間もそうそういないんじゃないだろうか。
このやかましくて騒々しくてうるさくて邪魔でのぞき魔で変質者の騒霊にも酒を注いでやるんだから。
こんな素敵な巫女がいるのに参拝客の見えなくて妖怪が騒ぎ立ててる神社。私だってもう升でヤケ酒するしかない。
「ありがと、ふむ。美味しいねえ。久しぶりに飲んだ。昔は結構拝借してたけど、この間まで取り憑いてた家の人はお酒飲まないし、お菓子も食べないし、まあ何が楽しくて生きてるんだろうって感じでさ」
こんなやかましい騒霊に取り憑かれても生き続けられるあたり、その人は人生がよほど楽しかったに違いない。私には既に絶望しかない。
「霊夢。私の名前、覚えてる?」
「……カナ。カナ・アナベラル」
「凄い凄い、ありがと霊夢。だけどあいにく私はもう忘れてて、霊夢じゃなくて亀よ、亀さん。あの大きな亀」
「玄爺ね」
「そうそう、玄爺玄爺。姿が見えないけど元気? 死んじゃった? 食べたりはしてないわよね? 相変わらず流行ってないみたいだけど」
相変わらず。思って見れば私が幼い頃から神社はこうだった。私が多少なりとも大人びて見えるようになって、性格だって多少は大人に、いや、こうやって対応してあげてるあたりとんでもなく大人になっても、神社は寂れてて、こいつは……カナはまさに子供。私の家に取り憑いてずっと前から、何も変わらず。
「食べるわけないでしょうに。あんたみたいな迷惑なのが多いからね、妖怪退治も忙しいの。で、そのぶん謝礼も多いと。玄爺なら玄武の沢にいるわ」
「喧嘩でもしたの?」
「まさか。もう年も年だし、ずっと前からのんびり暮らしてるわ、私もどうにか独り立ちできたし、今ならきっちり、完全に貴方を除霊してあげるわよ。前は除霊する前に逃げられたけど」
升を片手に言って、飲み干して思わず苦笑してしまった。色んなことに、苦笑いしてしまった。この客を心底迷惑だとわかっているのに、私は普通に対応してしまっている。例えばそんな性分に。
「じゃあここにいた悪霊は?」
「さあ? 魅魔ならどっかに行ったみたい。あんたと同じで気がついたらいなくなってた。で、私はしばらく会ってないからよく知らないわ。魔理沙はもうちょっと知ってるみたいだけど」
ずっと昔からここはうるさい客ばかりだという再確認にも。この騒霊に悪霊、エレンにいたっては神社に店を開いてくださった。
それに比べれば早苗に仙人なんてのは良心的なもんだ。静かで、害もなくて。
「笑ってるね。いいことあった? 私が遊びに来たこととか」
「……これはあんたに迷惑を被ったことへの苦笑い」
思いっきり渋い顔を作って、ため息をついてやった。このやかましい客に迷惑を感じているのは確かで、でもその顔とか話題になんとなく懐かしさも感じてしまっている。だから、顔ほど渋く思ってないのも否定しない。
本当に、私は出来た人間だ。
「所で何しに来たの? まさかまた取り憑くなんて言わないでしょうね。それは絶対に許さないわよ?」
「別に何も無いわ。遊びに来るのに理由が居るの?」
「理由は無くても人の都合は考えなさいよ……」
「いや、そうそう、霊夢とお話ししたかったの。霊夢みたいな、子供とも言えない女の子と」
あるいは酔い潰せば静かにならないかとも思いつつ、升に酒を注ぐ。謝礼にもらった酒はどんどんと無くなっている。横目で時計を見やった。明日を思えばもういい時間だ。敷きっぱなし、かつ唯一の布団は部屋で待っていて、私は寝間着。いつでも寝る体勢は整っているけれど。
「なんにしても迷惑だってのに。ましてや遅い時間に、しかも風呂に入ってるときよ?」
「そういえば随分驚いてくれたね。ここに居たときは、最後はもう反応もしてくれなくなったのに」
「そりゃあ無視しないと眠りも出来ないし、あれでも慣れられるくらい人間は器用なの。幸い、騒霊に夜通し騒がれてもなんとかなるくらいここは辺鄙……落ち着いてるし」
「風呂かあ。風呂の時間を見計らって騒げばもっと驚いてくれたのかしら。私は騒霊だからちょっとした隙間があれば壁も抜けられるし、次は試してみようかな」
神社が安普請と言いたいのか、壁が貧弱と貶してるのか。そうだとしてもそれは立て直したあいつらが悪い。天人が壊すまでは土台はしっかりしていたんだし。少なくとも基礎はちゃんとした神社だった。
「やめなさい……私でもびびるもの。変質者にも程があるわよ。そりゃ、裸でいきなり目の前に顔があったら誰でも驚くだろうけど」
そりゃあ私だって「きゃあ」とか甲高い声が出てしまう。予想外にも程があるし。
「それこそが騒霊の糧だし。やっぱりお風呂かな」
「だからねえ。私ならまだいいわよ、一応知ってるし、でも湯気の中でぱっと見じゃ。いや、それ以前に、男の人だったら拙いでしょうに。裸で、目の前にあんたみたいな女の子が居たら色々と」
「女の子って、私は霊夢よりずっと年上じゃない。もう自分が幾つで何年騒霊をやってるかわかんないくらい」
「見た目の問題よ」
「そうかな。そもそも何がまずいの?」
またため息をついてやって、髪を掻いた。それが返事がわりだ。何が、と具体的に言うのはどうも手間だし、考えたいことでもない。
「なんでもいいわよ、とりあえず私は疲れたわ。もう寝るから、あんたがどんだけ騒いでも寝てやるから、話はまた明日ね。その後でしっかり除霊もしてあげる」
「明日はもう居ないと思うな。たぶん。ふらふらしてると消えちゃうの。か弱い騒霊だから」
「なら後日ね。どっかでもまた追い出されたら来なさい。完全に消滅させてあげるから。ふわあああ、じゃあね、おやすみ」
欠伸は自然に出た。本当に疲れた。今日もやかましい一日だった。せめて夢の中では穏やかでいられますように。八百万の神様のどれでもいいから聞いてください。思いつつ、私は腰を上げた。もう縁側にいるのが寒くもなっていた。
「ねえ、お散歩に行きましょうよ?」
立ち上がった瞬間に捕まれたから、思わずふらついてしまった。そのあたりも疲れているんだろう。
「はあ? なんだってこんな時間に……異変でもあるまいし。私がもっと元気で機嫌がよくて、手土産でもあれば付き合ってあげるわよ。でも今日は寝るの。私はもう決心してるわ。また今度」
「今度ってのも何時になるかわからないし。ずっと先かもしれなくて、私はそうであって欲しかったりするし、それにね、私を知っていた、子供だった、驚いてくれたあなたと、お話がしたいの、それとお散歩。ね、いいでしょ霊夢、霊夢、霊夢ちゃん!」
本当に疲れていたし、私と話したい理由もわからない。
「……ああもう、わかったわよ。着替えてくるから待ってて」
「うん♬ でも嬉しい。ありがと、そう、こういう子供はどんどんいなくなっちゃうし、だから本当に嬉しいな」
なのにわざわざ着替えに向かう。本当に、私というのはどれだけよくできた人間で、博麗神社ってのはこんな素敵な巫女がいるのになんで流行らないんだろうか。本当に、謎だ。妖怪には流行ってるけれど……
◇
「こういう所は割と賑やかでいいよね」
私からすれば森の中なんてのは陰鬱この上ないのだけど、賑やか、と言えばそうなのかもしれない。音は多い。風が木々を揺らす音に、獣の声に、虫――まだ寒い今の時期を考えれば妖精かもしれないけど、とにかく羽音。
そういう全部を引っくるめて、この参道は薄気味悪い。久しぶりに歩いてみると、これはもう道とも呼べない気がした。
正直、これを参道と言い張る自分に幾らかの罪悪感を感じてしまうほどだ。素敵な巫女とお賽銭箱とあるかもしれない御利益のために整備してくれる、せめて手伝ってくれる人はいないのだろうか。スキマから出てくるあいつとかは絶対しないだろうけど。
「物は言い様ねえ。何も無いその辺に比べれば賑やかは賑やかかもしれないけどさ……」
「ばけばけとか妖精、それかゾンビでも出ればもっと賑やかになるな」
縁起でも無い。一応は神社と里を結ぶ道なんだし……
魔理沙の置いていった懐中電灯がないと一歩も歩けないような所でも。おかげで少なくとも妖精は出ないだろう。どんな仕組みか知らないけど、妖精はこいつの光が嫌いらしい。「やる気がなくなる」そうだ。
「カナ、貴方里に行きたいの? ここを歩くって」
私よりももっと小柄な体でカナが先導していくので、里に向かうのかと思った。
「別に。散歩は散歩、どこに向かっても同じ散歩じゃない」
里に行きたいわけではないようだ。
いずれにしても、騒音と共にある騒霊様にはもっと騒がしいところの方がいいだろう。里へと足を進める。散歩だから、一応は飛んだりしない。
夜の境内はロマンチックだけど、夜の参道は魑魅魍魎の巣にしか見えなくたって。
「浮かない顔ねえ」
とカナは言ったけれど、こっちは心底から睡眠を欲しているときに散歩に連れ出されてるわけで。
そこで景気のいい顔をするなんてどこの聖人にも君子にも、仙人や天人にも無理だろう。
「こういう場所、嫌い?」
「森の中が好きな人間なんてのは不健康で怪しい魔法使いくらいよ」
「じゃあ霊夢は嫌いってこと?」
「少なくとも好きじゃないわね。いつもは飛んで帰ってくるし」
そう答えた辺りで、カナは立ち止まった。里までの道半ばの辺りだろうか。荒れているけれど、里とはそんなに離れてるわけじゃない。私より前の時代は、参拝客も沢山いたわけだし、まあ、今だって管狐が何かすれば老婆や子供だってくるほどだ。
「なら、私は嫌い?」
急にそんなことを言われて、口ごもってしまった。誰でもそうだろうと思うけど。
思って見ると、人からわざわざ「好き」とか「嫌い」と問いかけられたことなんて無い気がする。私だけなのか、それが普通なのかはよくわからない。
「えっ?」
これが好きだったら、でまあ、大国主みたいなイケメンなら困惑しつつ嬉しいのだろうけど、ついでに言えばみんなそうだろうけど、ああ、思えば大国主を勧請してもいい気がする。ああいう人が家にいると思うと毎日が楽しくなりそうだ。縁結びって言う御利益もはっきりしてるし、若人が神社に集うんじゃないだろうか。
……そんなどうでもいいことはさておき、例え嫌いでも嫌いとは言えるわけがないだろうに。
「まあ、その」
ましてや私は良心的にも程があるわけで。疲れた身でこの騒霊の散歩に付き合ってあげてるんだから。
「とりあえず、私の静かで穏やかな時間を乱す奴はみんな敵よ」
「じゃあ霊夢は私のことが嫌いなんだ」
ニュアンス的にはそうかもしれないけれど、悪いかな、とか角が立つかな、とか思ってオブラートに包んだ気遣いを全て無にしてくれた。これだから妖怪ってのは。
「そんな霊夢が私は好き。私を嫌ってくれる人はみんな好きだもん」
「はあ? あなたドM?」
ついでに妖怪の趣味って奴は。心底から上機嫌というようにくるりと回って、朗らかな声をあげて、ステップを踏むように歩き出した。
しかし思い出してみると、こいつが家に取り憑いていたときはどんだけ罵声を投げかけても上機嫌だった。
そういう趣味なんだろうか。となるとちょっと付き合いも考えた方がいいのかしら? こっちはお仕置きとして退治してるのに、それが快感とかはたまったもんじゃないし……
「どえむ?」
「なんというか……殴られたり……罵声を投げかけられたり……放置されたり、そういうのが好きな変人……」
「放置は嫌ね。殴られるのは関係ないかな。私の体なんて有ってないような物だから、音なんて本当は殴れるわけ無くて。罵声を投げかけられるのは好き。だって、驚いてるってことでしょう? 騒霊の本分だもの。で、放置は最悪。無関心が私の一番の敵よ」
「因果なたちねえ。いるけどね、そういうの。常に驚かせてないと飢え死にするって傘とか。まあ、もしかしたら飢え死にしてて『いた』かもしれないけど。だってねえ、そいつが何やってもちっとも驚きはしないもの」
まったく、因果なものだ。後ろを付いていくと、目に映るのはカナの姿。こうやって見ていればただの愛らしい女の子で、私たちは誰に迷惑を――私は迷惑だけど、他人にはかけずに、のんびりと散歩をしている。
でも、結局の所彼女は妖怪だ。人間を襲わないと――例え演技でも――妖怪は存在できない。人間に嫌われることが、妖怪の存在意義であって、証明なんだから。
「その傘の気持ちは私もわかりそう。今度会ってみたいな」
「墓に住んでるみたいだけど。それにしても本当に不気味ねえ。ここって墓より不気味じゃない?」
こんな道じゃ参拝客なんて来ないとはっきり認めてしまう。視界は悪いし、何かもわからない遠吠えが響いている。
「あれってもしかして狼の声じゃない? 野良犬かもしれないけど、犬だって里の外のは荒っぽいからね。カナ、とっとと行きましょ。里でもどこでもいいけど、もっと明るいところに。こういうとこにいたら気が滅入りそう」
私は巫女だから、狼の群れだって簡単に蹴散らせる。でも、人間だから、何かもわからない遠吠えが少しは、少しであっても怖い。何かもわからないものってのが本来の妖怪なんだろうけど、ここの妖怪は人間に馴染みすぎている。
だって、人間がいないと妖怪は生きていけないんだから。虫や獣は人間無しでも生きていけるし、人間は妖怪無しで生きていける、でも、妖怪は人間がいないと駄目なのだ。人間に嫌われる宿命でも。
私はカナの前に出て、手を引くようにして、早足で里に向かう。懐中電灯の光はなんとも心許ない。空を飛んでいるときに何かを怖く思ったりはしないのに。どれだけ暗くたって。殆どの人間が出来ない行為をしているから怖くないのだろうか。わからない。
早足に歩いて、考えもしないのに口が動いていた。
「ねえカナ。貴方の事、やっぱり嫌いという程じゃないわ」
なんでそう言ったのかもよくわからない。嫌いと言ってくれた方が彼女は嬉しいはずなのに。そう言うのがなんだか嫌だった。
「貴方たちは人間がいないと生きていけないわけだし、だから人間に嫌われるし、私は退治するけど、考えてみれば私が食べていけるのも遺憾ながらも副業のはずの妖怪退治のおかげで、まあ、ある意味持ちつ持たれつというか」
よくわからないままに、とりとめもない言葉が口をつく。
「……とにかく、なんだろうな。妖怪は人間がいないと駄目だってわけで」
「それはそうね」
「で、ちょっと思ったわけよ。それはもしかすると人間が好きってことかもしれない」
もう森の出口がはっきりと見えてきた、里の喧噪が聞こえてくる。私は早口だった。この暗くて嫌な賑やかさの中で言い切ってしまいたかった。
「もちろん、さっきも言ったように、私は驚いてくれる人が好き。私を嫌いな人はみんな好き。おかげで私はまだ生きているんだもん」
「そういう生まれなのはわかるけど、なんか悲しいわよね。好きな人に、正反対の感情をぶつけられるって。こういうとなんか恋愛相談みたいね。でもまあ、そんな感じなの」
「違うよ」
カナは言った。笑いながら、得意そうに。
「好きの反対は嫌いじゃないの。無関心なの。嫌いの反対も無関心。好きと嫌いは結構近いんだ。どっちも反対は無関心で、みんな、そうだから。私を嫌いな人は構ってくれるし、私を好きな人も構ってくれる。でも、最後はみんな私に感心を持たなくなって、驚きもしない」
そんな笑いに付き合えはしない。だって、私だってそうだったもの。こいつが取り憑いていた最後はどんな騒ぎも無視して寝てたし、今だって、三日もあれば。
◇
起きたら、昼過ぎだった。着替えもせずに寝てしまっていて、巫女服がくたくただ。
結局あれから神社に戻って(流石に飛んで帰った。あの道をもう歩きたくはない)カナの騒ぎに付き合わされた。何時までだったか、よくわからない。最後は日が昇ったような時間だった気はするけれど、酒と疲れでもう曖昧だ。
カナはいつの間にかいなくなっていた。どこかの家に向かったのだろう。取り憑いて、騒いで、驚かすために。
その家で愛されるか、私みたいにうざったがるかはよくわからない。中間かもしれない。私自身がそうだったから。感情ってものは誰にでもそうなんだろうか。
そりゃまあ、夜通し騒ぐ妖怪なんてはた迷惑だ。九割は早く消えろって思ってた。あいつがどれだけ騒いでても寝られるようになったって。
でも、こう思ったのも思い出した。あいつが消えて、静かになった夜。ほんの少しだけ寂しかった。
一瞬で消えてしまうような儚い感傷だけど。今だって、引き留めたり連れ戻そうなんて事は欠片も思わない。妖怪に取り憑かれたら商売あがったりだ。いや、今でもその辺に鬼が潜んでいるかもしれないけれど……
商売繁盛のためには参道の整備を真剣に考えないと駄目だ。でも、それは明日より後のこと。客もないし妖怪の騒ぎも聞こえてこない。平和な神社で惰眠を貪ってから。
やることもないから、大昔の事を考えていた。私がもっと小さくて、商売繁盛よりもお菓子を食べたら太らないかって事の方が気になっていた頃。玄爺が出かけてると、ちょっと寂しかった。
カナと、普通に話してることはあった。あいつの場合大概一方的に騒ぐだけだったけど、そんな時もあった。
少し年をとって、あいつの言葉がわかった。「私は子供からは引っ張りだこなんだよ。全員ではないにしても」って言ってたことを。小さいときに独りぼっちってのは、大人が思うよりずっと寂しい。
私はまあ、巫女だからこんなとこに住んでても自在に動けるけど、里から離れた所――農園とか――に住む子供なんて、一人で歩くのはそりゃあ危険。一人でお留守番をするだけになってしまう。
そういう子供にとって、騒霊とはいえすぐ側にいる人――妖怪がいれば有り難いだろう。精神年齢的にも釣り合うような遊び相手。
親にははた迷惑だとしても。で、子供はみんな大人になる。私だって幾らかはなってしまった。
一人でいるのもつらくなくなって、一人での時間の潰し方もわかって、妖怪が家に着いていることでたつ悪評もわかる。勉強に仕事、家でやらなきゃいけない事も増えてくる。
だから好きと嫌いが混ざり始めて――嫌いでもいなくならないとなれば、諦めて無視する。「いないものとして」振る舞う。そうやらなきゃ日常生活に差し支える。私だって、あいつの騒音下でもぐっすりだったし。
「ふわあああ」
暖かい日だ。欠伸が出てしまう。春眠暁を覚えずって言ってもいい陽気。
太陽の光りを覆い隠すべく、私は布団で頭まで覆い隠す。むしろ熱い。お腹が空くか、喉が渇くか、それまでは寝てやろう。来客も参拝客も放置してやる。
……
…………
「こんにちはー」
寝たのだろうか。うとうとしただけだろうか。こんにちはと言うからにはまだ昼で、寝てても僅かだったんだろう。
「天気がいいので遊びに来ました!」
天気くらい陽気な声。居留守も通じなそうな早苗の声。私は観念して、むくむくと布団から這い出す。返事をするより先に、水差しからカップに注いで、一気に煽る。井戸に行く気力はなかった。
「ん、ああ、って、妖怪付きって」
「わっちは人間のために子守を頑張っているというのに酷い言い方! こちらから人間へ歩み寄ろうとわっちは努力してるのでありんすよ!?」
「キャラ作らなくていいから。対応できるほどの元気がないし」
「まあまあ霊夢さん、神社は誰でもウェルカムじゃないですか。そこで小傘さんとすれ違ったんで、せっかくだから一緒に遊びに来たんです」
「あんたのとこは知らないけど、家は妖怪お断りよ、少なくとも今日はね」
そう言いながらも私はお茶を淹れに向かっている。そう言うたちなのだ。湯飲みを三つ取ってしまうほど人間の出来た、素敵な巫女。
「それにしても疲れた顔ですねえ」
「寝起きだもの。昨日妖怪に酷い目にあわされたのよ……」
「へえ、霊夢さんでも苦戦するときはあるんですね。そんな妖怪を退治したら私の名声もうなぎ登りかしら」
「ふうん。まあ、私の弾幕にはぼこぼこだったけど」
「さあ、そうだったかしら。でも、驚きはしなかったわね。それに……別に決闘してたわけじゃないわ。夜中に妖怪の騒ぎに付き合わされただけ」
間違っても旧友と旧交を温めるなんてのじゃなかった。基本的に私はあいつ、と言うか妖怪は「嫌い」。カナに限ればそれまではだいたい「無関心」。今はちょっとだけ。少ししたら、また忘れてしまうだろう。ここには妖怪が多すぎる。
「あら残念。昨日来てれば良かったですね。どなたですか?」
「貴方は多分知らない人……妖怪。カナ。カナ・アナベラル。知らないでしょ?」
「ええと……そうですねえ。お知り合いではないかしら。どんな人ですか?」
「こいつみたいな感じよ」
と、小傘を指さしながら私は言った。
「私もその人は知らないけど。……私みたいって事はキュートなデザインで子供に大人気。大人には肝試しのお供で引く手あまた。吊り橋効果で縁結びもあるよ! っていう人間に歩み寄る新時代の付喪神?」
「大人気だの引く手あまただの。どの口が言うか」
「これ」
不気味な一つ目傘を指さして小傘は言う。不気味だけど驚きはしない。
「なるほど、人間には驚いてもらえずいつもひもじい妖怪か。そこは同じね。ああ、小傘。貴方、人間に嫌われるのは嫌?」
「なんで? びびらせて驚かせるのが私の本分。そんなの気にして妖怪できますかよ」
「なるほど、そっくり。まあ、同じくらい愛くるしいとしてもいいわよ。今日の私は平和的なスタンスで行こうと思うから。……決闘する元気もないし。じゃあ早苗は小傘の事好き?」
「ええ、絶対驚くわけ無いようなチープなネタで頑張ってる姿、可愛いですよね。見つめていたいっていう小動物的愛らしさですよ。こう、絶対取れない、檻の中の餌に必死で食らいつく犬のような」
「それ私を褒めてるのか貶してるのか……」
「どっちでもいいんじゃない? 中間ってあるもんね。少なくとも、愛と嫌いって別に正反対じゃないわ。愛の反対は無関心――」
ってカナが言ってたわ、と言いかけて、
「あ、知ってます。ええと、そうそう、マザー・テレサの言葉ですよね。言われてみるとなるほどなあってなりますね」
早苗の言葉が飛び込んできた。
「そうなの? その人は誰か知らないけれど」
「そうなんですか? まあ、有名な偉人です。言葉も有名なんで、誰かが言ったのがこっちでも流行ったんですかね」
私はカナの事を思い出す。カナはそのテレサさんの言葉を知っていたんだろうか。それとも自分で思いついたんだろうか。
確認しようにもどこにいるかわからない、いつ会うかもわからない、その程度の仲だ。
実体験でそう思えるほど、カナには多くの経験があったんだろうか。知った上で実体験にあてはめたんだろうか。わからない。ここにいないときのカナなんて気にしたこともないから.。久しぶりの再会の翌日だって、この程度しか関心がない。
「どうかしらね」
言いながら、私はまた立ち上がった。商売敵と退治する相手に菓子を出してやるために。ああ、体が重い。そのくせ、賑やかな二人を追い払おうとは微塵も思えなかった。
少しずつ日が陰っている。昨日もらった酒はまだあったっけ、と思い出そうとする。それは思い出せない。そのくらい昨日は飲んだくれてた。胃の具合もあんまりよくない。
なのに、もっと日が陰った後に、大好きな神社の景色を肴に飲む景色を思い描いた。そこにはあの二人もいて、たぶんどっかの誰かも来て、夜中まで騒いで、片付けもせず帰って行く。
いつも心底呆れてうんざりする光景と騒ぎ。なのに、今だけはなんとなく待ち遠しかった。
博麗神社の日常とは言え、それを見て落ち込むことはある。七割くらいはそうかもしれない。今は、そんなに落ち込んではいない。
それよりももっと、くたびれていた。浜の真砂は尽くるとも、世に妖怪の種は尽くまじということだ。まあ、海なんて見たことはないけれど。
重い袋と共に家に帰れば、すっかり陽が暮れていた。空には三日月が浮かんでいる。賽銭箱を確認して、朝には綺麗に掃除した道に落ち葉が降っているのを見て、そんな気の滅入る二つを経て、荷物を部屋に置く。
そうすれば、後は楽しいことだけだ。まず、私は火を付けた。風呂を沸かしたのだ。ついでに灯も付ける。
まだ肌寒い。空を飛んできたなら尚更だ。熱い熱いお風呂に入るのが待ちきれない。とはいえ、数十分はかかるだろう。流行る心を静めるべく、私は台所に向かい、徳利とおちょこを取り出した。寒い風の吹く縁側に置いては、部屋に戻る。
で、重い袋もまた縁側に運ぶ。そうすれば準備万端だ。重さの元の一升瓶と、食事ともつまみとも言えるような食べ物が潜んでいる。熱い風呂に入って、火照った体を冷ましつつ飲むのが待ちきれない。
いいや、待ちきれないから早くも注いでみる。縁側に腰を下ろして、神社の景色を見やりながら……
やっぱり、私はここが好きだ。長い間住んでいるけれど、穏やかな神社の光景に飽きることはない。ガス灯やらで眩しい里よりも、ずっと綺麗に星が見える。
一人でゆっくり見ているとなればなおさら。やかましくて片付けもしない客に悩まされはしない。素敵な光景の待つ素敵な神社、素敵なお賽銭箱に素敵な巫女もいる。どうして流行らないのかが不思議でならない。ちょっと、そう、ちょっと参道が歩きにくいくらいどうとでもないと思うのに。
私は神様に祈った。今日は厄介な闖入客に悩まされませんようにと。夜の境内を見ては、「ロマンチックね」と暢気に思いたい日だった。朝から妖怪退治に奔走していたなら尚更だ。
今日こそ一人でゆっくり出来たならば神社の御利益も保証された様な物だろう。静寂を守る御利益を追加してもいいと思う。
……とまあ、沸騰するまで境内にいてもいい気分だったけれど、酔っぱらって風呂に入ってもしょうがない。風呂へと向かった。
蓋を開けて、湯加減を見てみる。少し熱めで、私にはちょうどいい塩梅だった。時計を見たわけでもないのにこの湯加減。流石は私という勘の良さだった。今日の残りは静かで落ち着いた日になるだろう。その勘が告げてくれる。
リボンを解いて、巫女服を脱いで、浴室へと向かう。お湯を体にかける。熱い、でも気持ちいい。それから髪を洗って、体も洗って、一日の汗をすっかり拭うことが出来た。
湯船に足を付ける。熱い。でも一気に肩まで付けてやる。そうすればすぐに心地よくなる。最初は熱いな、と思うけれど、存外長く入っていられて、疲れも一気に取れる、見事な湯加減だった。
この神社の一から十までやっては、妖怪退治にも勤しまないといけない。まったく、私ってのは多忙な身だ。私を癒してくれるのはお風呂くらい。
それだけ上機嫌に風呂に入っていたから、湯船にお酒を浮かべてみたいと思ったほどだ。間欠泉の所の温泉みたいに大きいわけじゃあるまいし、様にはならないけれど。
でも、月くらいは見てもいいと思った。曇り窓越しの光ではなくて、外のお月様を。火照った体を冷ます風も付いてくる。
あいにくか、でも今は幸福にか、神社は実に静かだ。あの三妖精もお出かけ中らしい。昼でもいない参拝客が来るわけもない。
――ガタガタ
「ん?」
その時だ、物音が聞こえた。獣だろうか、あるいは風か。獣か鳥にしても、窓を開けるのはやめておこう、と思った。鳥と思いきやあのパパラッチ烏だったら気が滅入る。
――ガタガタ、ピシャン!
……しかも、音は止まない。おまけに近づいてくるように思う。「まさか覗き!?」と一瞬思案した。可能性がゼロとは、まあ言い切れない。
――ドン!
明らかに壁を叩く音だ。流石の私も一瞬、たじろいでしまった。だけど気を取り直す。私は巫女なのだと。いや、正直怖かったけれど。
――ミシミシ
だってそうでしょう!? 女の子が風呂に入ったら窓が震えてるって! これはもう覗きというより変質者を疑うべきなのだろう。だから腹を括った。それが人間だか妖怪だかその他だかわからないけれど……血祭りにするだけだと。何者で何が目的だって、私の安穏を怪我した罪は重いのだ。
鬼でもスキマでも八つ裂きにしてやろう、と思う矢先に、
「きゃああああああああああ!!!」
と声が出てしまったけれど……だって、ねえ……誰でもそうなるわ……
◇
「あれだけ驚いてくれるとやり甲斐がある、そう思わない?」
「……」
神は死んだのか、いや、そもそも神なんて最初っからいなかったのかもしれない。少なくともここ博麗の神は。
居たとしても御利益がないのは火を見るよりも明らかなのだし、新しい神様の勧請を真剣に検討するべきだろう。霖之助さんに聞いてみるべきかしら。静寂をもたらす神について。
この、可愛らしい帽子に愛らしい服の幼女は、安息をかき乱すという点に置いては最悪だ。いや、最高というのかしら? ともあれ、今の私にとって最悪の妖怪だ。
カナ・アナベラル。ずっと昔にここに取り憑いていた騒霊。何だって戻ってきたのやら……
「ねえねえ♪ ねえねえ♫」
「…………」
疲れた。疲れを癒すはずの風呂で疲れたんだから二倍疲れた。リボンを取った髪が鬱陶しい。巫女服から寝間着になってもリラックスできない。
そんなやさぐれた私の心を癒してくれるのは酒しかない。がぶがぶと飲んでやる。どうせもらい物だ。ほうって置いても、いずれ招いてもいない客が勝手に飲み干すのは目に見えている。頼んでも居ない客とうるささだけは招くあたり、実のとこ、ここの神は悪霊ではないんだろうか。
そもそも悪霊が取り憑いていたこともあったし……あの時もここの神は役立たずだったな……しばらく見てない魅魔に乗り変わられてもおかしくないくらい貧弱な神なのは間違いないだろうし。
「あーあー。霊夢さん、聞こえてますか? 霊夢霊夢霊夢霊夢巫女巫女レイムちゃん!」
「ええ、聞こえてるから黙って。二度と日の目を見られないほど完璧に封印されたくないならね」
「って言っても、私騒霊だから黙ってたら消えるし。黙れば消える。しゃべれば封印。じゃあ座して消えるよりも前向きに騒ぎたいよね。あ、それ美味しい? お酒。ちょうだいよ霊夢」
無言で、とはいえわざわざ立ち上がって升を持ってきてやっては注いでやるあたり、私ほど人の出来ている人間もそうそういないんじゃないだろうか。
このやかましくて騒々しくてうるさくて邪魔でのぞき魔で変質者の騒霊にも酒を注いでやるんだから。
こんな素敵な巫女がいるのに参拝客の見えなくて妖怪が騒ぎ立ててる神社。私だってもう升でヤケ酒するしかない。
「ありがと、ふむ。美味しいねえ。久しぶりに飲んだ。昔は結構拝借してたけど、この間まで取り憑いてた家の人はお酒飲まないし、お菓子も食べないし、まあ何が楽しくて生きてるんだろうって感じでさ」
こんなやかましい騒霊に取り憑かれても生き続けられるあたり、その人は人生がよほど楽しかったに違いない。私には既に絶望しかない。
「霊夢。私の名前、覚えてる?」
「……カナ。カナ・アナベラル」
「凄い凄い、ありがと霊夢。だけどあいにく私はもう忘れてて、霊夢じゃなくて亀よ、亀さん。あの大きな亀」
「玄爺ね」
「そうそう、玄爺玄爺。姿が見えないけど元気? 死んじゃった? 食べたりはしてないわよね? 相変わらず流行ってないみたいだけど」
相変わらず。思って見れば私が幼い頃から神社はこうだった。私が多少なりとも大人びて見えるようになって、性格だって多少は大人に、いや、こうやって対応してあげてるあたりとんでもなく大人になっても、神社は寂れてて、こいつは……カナはまさに子供。私の家に取り憑いてずっと前から、何も変わらず。
「食べるわけないでしょうに。あんたみたいな迷惑なのが多いからね、妖怪退治も忙しいの。で、そのぶん謝礼も多いと。玄爺なら玄武の沢にいるわ」
「喧嘩でもしたの?」
「まさか。もう年も年だし、ずっと前からのんびり暮らしてるわ、私もどうにか独り立ちできたし、今ならきっちり、完全に貴方を除霊してあげるわよ。前は除霊する前に逃げられたけど」
升を片手に言って、飲み干して思わず苦笑してしまった。色んなことに、苦笑いしてしまった。この客を心底迷惑だとわかっているのに、私は普通に対応してしまっている。例えばそんな性分に。
「じゃあここにいた悪霊は?」
「さあ? 魅魔ならどっかに行ったみたい。あんたと同じで気がついたらいなくなってた。で、私はしばらく会ってないからよく知らないわ。魔理沙はもうちょっと知ってるみたいだけど」
ずっと昔からここはうるさい客ばかりだという再確認にも。この騒霊に悪霊、エレンにいたっては神社に店を開いてくださった。
それに比べれば早苗に仙人なんてのは良心的なもんだ。静かで、害もなくて。
「笑ってるね。いいことあった? 私が遊びに来たこととか」
「……これはあんたに迷惑を被ったことへの苦笑い」
思いっきり渋い顔を作って、ため息をついてやった。このやかましい客に迷惑を感じているのは確かで、でもその顔とか話題になんとなく懐かしさも感じてしまっている。だから、顔ほど渋く思ってないのも否定しない。
本当に、私は出来た人間だ。
「所で何しに来たの? まさかまた取り憑くなんて言わないでしょうね。それは絶対に許さないわよ?」
「別に何も無いわ。遊びに来るのに理由が居るの?」
「理由は無くても人の都合は考えなさいよ……」
「いや、そうそう、霊夢とお話ししたかったの。霊夢みたいな、子供とも言えない女の子と」
あるいは酔い潰せば静かにならないかとも思いつつ、升に酒を注ぐ。謝礼にもらった酒はどんどんと無くなっている。横目で時計を見やった。明日を思えばもういい時間だ。敷きっぱなし、かつ唯一の布団は部屋で待っていて、私は寝間着。いつでも寝る体勢は整っているけれど。
「なんにしても迷惑だってのに。ましてや遅い時間に、しかも風呂に入ってるときよ?」
「そういえば随分驚いてくれたね。ここに居たときは、最後はもう反応もしてくれなくなったのに」
「そりゃあ無視しないと眠りも出来ないし、あれでも慣れられるくらい人間は器用なの。幸い、騒霊に夜通し騒がれてもなんとかなるくらいここは辺鄙……落ち着いてるし」
「風呂かあ。風呂の時間を見計らって騒げばもっと驚いてくれたのかしら。私は騒霊だからちょっとした隙間があれば壁も抜けられるし、次は試してみようかな」
神社が安普請と言いたいのか、壁が貧弱と貶してるのか。そうだとしてもそれは立て直したあいつらが悪い。天人が壊すまでは土台はしっかりしていたんだし。少なくとも基礎はちゃんとした神社だった。
「やめなさい……私でもびびるもの。変質者にも程があるわよ。そりゃ、裸でいきなり目の前に顔があったら誰でも驚くだろうけど」
そりゃあ私だって「きゃあ」とか甲高い声が出てしまう。予想外にも程があるし。
「それこそが騒霊の糧だし。やっぱりお風呂かな」
「だからねえ。私ならまだいいわよ、一応知ってるし、でも湯気の中でぱっと見じゃ。いや、それ以前に、男の人だったら拙いでしょうに。裸で、目の前にあんたみたいな女の子が居たら色々と」
「女の子って、私は霊夢よりずっと年上じゃない。もう自分が幾つで何年騒霊をやってるかわかんないくらい」
「見た目の問題よ」
「そうかな。そもそも何がまずいの?」
またため息をついてやって、髪を掻いた。それが返事がわりだ。何が、と具体的に言うのはどうも手間だし、考えたいことでもない。
「なんでもいいわよ、とりあえず私は疲れたわ。もう寝るから、あんたがどんだけ騒いでも寝てやるから、話はまた明日ね。その後でしっかり除霊もしてあげる」
「明日はもう居ないと思うな。たぶん。ふらふらしてると消えちゃうの。か弱い騒霊だから」
「なら後日ね。どっかでもまた追い出されたら来なさい。完全に消滅させてあげるから。ふわあああ、じゃあね、おやすみ」
欠伸は自然に出た。本当に疲れた。今日もやかましい一日だった。せめて夢の中では穏やかでいられますように。八百万の神様のどれでもいいから聞いてください。思いつつ、私は腰を上げた。もう縁側にいるのが寒くもなっていた。
「ねえ、お散歩に行きましょうよ?」
立ち上がった瞬間に捕まれたから、思わずふらついてしまった。そのあたりも疲れているんだろう。
「はあ? なんだってこんな時間に……異変でもあるまいし。私がもっと元気で機嫌がよくて、手土産でもあれば付き合ってあげるわよ。でも今日は寝るの。私はもう決心してるわ。また今度」
「今度ってのも何時になるかわからないし。ずっと先かもしれなくて、私はそうであって欲しかったりするし、それにね、私を知っていた、子供だった、驚いてくれたあなたと、お話がしたいの、それとお散歩。ね、いいでしょ霊夢、霊夢、霊夢ちゃん!」
本当に疲れていたし、私と話したい理由もわからない。
「……ああもう、わかったわよ。着替えてくるから待ってて」
「うん♬ でも嬉しい。ありがと、そう、こういう子供はどんどんいなくなっちゃうし、だから本当に嬉しいな」
なのにわざわざ着替えに向かう。本当に、私というのはどれだけよくできた人間で、博麗神社ってのはこんな素敵な巫女がいるのになんで流行らないんだろうか。本当に、謎だ。妖怪には流行ってるけれど……
◇
「こういう所は割と賑やかでいいよね」
私からすれば森の中なんてのは陰鬱この上ないのだけど、賑やか、と言えばそうなのかもしれない。音は多い。風が木々を揺らす音に、獣の声に、虫――まだ寒い今の時期を考えれば妖精かもしれないけど、とにかく羽音。
そういう全部を引っくるめて、この参道は薄気味悪い。久しぶりに歩いてみると、これはもう道とも呼べない気がした。
正直、これを参道と言い張る自分に幾らかの罪悪感を感じてしまうほどだ。素敵な巫女とお賽銭箱とあるかもしれない御利益のために整備してくれる、せめて手伝ってくれる人はいないのだろうか。スキマから出てくるあいつとかは絶対しないだろうけど。
「物は言い様ねえ。何も無いその辺に比べれば賑やかは賑やかかもしれないけどさ……」
「ばけばけとか妖精、それかゾンビでも出ればもっと賑やかになるな」
縁起でも無い。一応は神社と里を結ぶ道なんだし……
魔理沙の置いていった懐中電灯がないと一歩も歩けないような所でも。おかげで少なくとも妖精は出ないだろう。どんな仕組みか知らないけど、妖精はこいつの光が嫌いらしい。「やる気がなくなる」そうだ。
「カナ、貴方里に行きたいの? ここを歩くって」
私よりももっと小柄な体でカナが先導していくので、里に向かうのかと思った。
「別に。散歩は散歩、どこに向かっても同じ散歩じゃない」
里に行きたいわけではないようだ。
いずれにしても、騒音と共にある騒霊様にはもっと騒がしいところの方がいいだろう。里へと足を進める。散歩だから、一応は飛んだりしない。
夜の境内はロマンチックだけど、夜の参道は魑魅魍魎の巣にしか見えなくたって。
「浮かない顔ねえ」
とカナは言ったけれど、こっちは心底から睡眠を欲しているときに散歩に連れ出されてるわけで。
そこで景気のいい顔をするなんてどこの聖人にも君子にも、仙人や天人にも無理だろう。
「こういう場所、嫌い?」
「森の中が好きな人間なんてのは不健康で怪しい魔法使いくらいよ」
「じゃあ霊夢は嫌いってこと?」
「少なくとも好きじゃないわね。いつもは飛んで帰ってくるし」
そう答えた辺りで、カナは立ち止まった。里までの道半ばの辺りだろうか。荒れているけれど、里とはそんなに離れてるわけじゃない。私より前の時代は、参拝客も沢山いたわけだし、まあ、今だって管狐が何かすれば老婆や子供だってくるほどだ。
「なら、私は嫌い?」
急にそんなことを言われて、口ごもってしまった。誰でもそうだろうと思うけど。
思って見ると、人からわざわざ「好き」とか「嫌い」と問いかけられたことなんて無い気がする。私だけなのか、それが普通なのかはよくわからない。
「えっ?」
これが好きだったら、でまあ、大国主みたいなイケメンなら困惑しつつ嬉しいのだろうけど、ついでに言えばみんなそうだろうけど、ああ、思えば大国主を勧請してもいい気がする。ああいう人が家にいると思うと毎日が楽しくなりそうだ。縁結びって言う御利益もはっきりしてるし、若人が神社に集うんじゃないだろうか。
……そんなどうでもいいことはさておき、例え嫌いでも嫌いとは言えるわけがないだろうに。
「まあ、その」
ましてや私は良心的にも程があるわけで。疲れた身でこの騒霊の散歩に付き合ってあげてるんだから。
「とりあえず、私の静かで穏やかな時間を乱す奴はみんな敵よ」
「じゃあ霊夢は私のことが嫌いなんだ」
ニュアンス的にはそうかもしれないけれど、悪いかな、とか角が立つかな、とか思ってオブラートに包んだ気遣いを全て無にしてくれた。これだから妖怪ってのは。
「そんな霊夢が私は好き。私を嫌ってくれる人はみんな好きだもん」
「はあ? あなたドM?」
ついでに妖怪の趣味って奴は。心底から上機嫌というようにくるりと回って、朗らかな声をあげて、ステップを踏むように歩き出した。
しかし思い出してみると、こいつが家に取り憑いていたときはどんだけ罵声を投げかけても上機嫌だった。
そういう趣味なんだろうか。となるとちょっと付き合いも考えた方がいいのかしら? こっちはお仕置きとして退治してるのに、それが快感とかはたまったもんじゃないし……
「どえむ?」
「なんというか……殴られたり……罵声を投げかけられたり……放置されたり、そういうのが好きな変人……」
「放置は嫌ね。殴られるのは関係ないかな。私の体なんて有ってないような物だから、音なんて本当は殴れるわけ無くて。罵声を投げかけられるのは好き。だって、驚いてるってことでしょう? 騒霊の本分だもの。で、放置は最悪。無関心が私の一番の敵よ」
「因果なたちねえ。いるけどね、そういうの。常に驚かせてないと飢え死にするって傘とか。まあ、もしかしたら飢え死にしてて『いた』かもしれないけど。だってねえ、そいつが何やってもちっとも驚きはしないもの」
まったく、因果なものだ。後ろを付いていくと、目に映るのはカナの姿。こうやって見ていればただの愛らしい女の子で、私たちは誰に迷惑を――私は迷惑だけど、他人にはかけずに、のんびりと散歩をしている。
でも、結局の所彼女は妖怪だ。人間を襲わないと――例え演技でも――妖怪は存在できない。人間に嫌われることが、妖怪の存在意義であって、証明なんだから。
「その傘の気持ちは私もわかりそう。今度会ってみたいな」
「墓に住んでるみたいだけど。それにしても本当に不気味ねえ。ここって墓より不気味じゃない?」
こんな道じゃ参拝客なんて来ないとはっきり認めてしまう。視界は悪いし、何かもわからない遠吠えが響いている。
「あれってもしかして狼の声じゃない? 野良犬かもしれないけど、犬だって里の外のは荒っぽいからね。カナ、とっとと行きましょ。里でもどこでもいいけど、もっと明るいところに。こういうとこにいたら気が滅入りそう」
私は巫女だから、狼の群れだって簡単に蹴散らせる。でも、人間だから、何かもわからない遠吠えが少しは、少しであっても怖い。何かもわからないものってのが本来の妖怪なんだろうけど、ここの妖怪は人間に馴染みすぎている。
だって、人間がいないと妖怪は生きていけないんだから。虫や獣は人間無しでも生きていけるし、人間は妖怪無しで生きていける、でも、妖怪は人間がいないと駄目なのだ。人間に嫌われる宿命でも。
私はカナの前に出て、手を引くようにして、早足で里に向かう。懐中電灯の光はなんとも心許ない。空を飛んでいるときに何かを怖く思ったりはしないのに。どれだけ暗くたって。殆どの人間が出来ない行為をしているから怖くないのだろうか。わからない。
早足に歩いて、考えもしないのに口が動いていた。
「ねえカナ。貴方の事、やっぱり嫌いという程じゃないわ」
なんでそう言ったのかもよくわからない。嫌いと言ってくれた方が彼女は嬉しいはずなのに。そう言うのがなんだか嫌だった。
「貴方たちは人間がいないと生きていけないわけだし、だから人間に嫌われるし、私は退治するけど、考えてみれば私が食べていけるのも遺憾ながらも副業のはずの妖怪退治のおかげで、まあ、ある意味持ちつ持たれつというか」
よくわからないままに、とりとめもない言葉が口をつく。
「……とにかく、なんだろうな。妖怪は人間がいないと駄目だってわけで」
「それはそうね」
「で、ちょっと思ったわけよ。それはもしかすると人間が好きってことかもしれない」
もう森の出口がはっきりと見えてきた、里の喧噪が聞こえてくる。私は早口だった。この暗くて嫌な賑やかさの中で言い切ってしまいたかった。
「もちろん、さっきも言ったように、私は驚いてくれる人が好き。私を嫌いな人はみんな好き。おかげで私はまだ生きているんだもん」
「そういう生まれなのはわかるけど、なんか悲しいわよね。好きな人に、正反対の感情をぶつけられるって。こういうとなんか恋愛相談みたいね。でもまあ、そんな感じなの」
「違うよ」
カナは言った。笑いながら、得意そうに。
「好きの反対は嫌いじゃないの。無関心なの。嫌いの反対も無関心。好きと嫌いは結構近いんだ。どっちも反対は無関心で、みんな、そうだから。私を嫌いな人は構ってくれるし、私を好きな人も構ってくれる。でも、最後はみんな私に感心を持たなくなって、驚きもしない」
そんな笑いに付き合えはしない。だって、私だってそうだったもの。こいつが取り憑いていた最後はどんな騒ぎも無視して寝てたし、今だって、三日もあれば。
◇
起きたら、昼過ぎだった。着替えもせずに寝てしまっていて、巫女服がくたくただ。
結局あれから神社に戻って(流石に飛んで帰った。あの道をもう歩きたくはない)カナの騒ぎに付き合わされた。何時までだったか、よくわからない。最後は日が昇ったような時間だった気はするけれど、酒と疲れでもう曖昧だ。
カナはいつの間にかいなくなっていた。どこかの家に向かったのだろう。取り憑いて、騒いで、驚かすために。
その家で愛されるか、私みたいにうざったがるかはよくわからない。中間かもしれない。私自身がそうだったから。感情ってものは誰にでもそうなんだろうか。
そりゃまあ、夜通し騒ぐ妖怪なんてはた迷惑だ。九割は早く消えろって思ってた。あいつがどれだけ騒いでても寝られるようになったって。
でも、こう思ったのも思い出した。あいつが消えて、静かになった夜。ほんの少しだけ寂しかった。
一瞬で消えてしまうような儚い感傷だけど。今だって、引き留めたり連れ戻そうなんて事は欠片も思わない。妖怪に取り憑かれたら商売あがったりだ。いや、今でもその辺に鬼が潜んでいるかもしれないけれど……
商売繁盛のためには参道の整備を真剣に考えないと駄目だ。でも、それは明日より後のこと。客もないし妖怪の騒ぎも聞こえてこない。平和な神社で惰眠を貪ってから。
やることもないから、大昔の事を考えていた。私がもっと小さくて、商売繁盛よりもお菓子を食べたら太らないかって事の方が気になっていた頃。玄爺が出かけてると、ちょっと寂しかった。
カナと、普通に話してることはあった。あいつの場合大概一方的に騒ぐだけだったけど、そんな時もあった。
少し年をとって、あいつの言葉がわかった。「私は子供からは引っ張りだこなんだよ。全員ではないにしても」って言ってたことを。小さいときに独りぼっちってのは、大人が思うよりずっと寂しい。
私はまあ、巫女だからこんなとこに住んでても自在に動けるけど、里から離れた所――農園とか――に住む子供なんて、一人で歩くのはそりゃあ危険。一人でお留守番をするだけになってしまう。
そういう子供にとって、騒霊とはいえすぐ側にいる人――妖怪がいれば有り難いだろう。精神年齢的にも釣り合うような遊び相手。
親にははた迷惑だとしても。で、子供はみんな大人になる。私だって幾らかはなってしまった。
一人でいるのもつらくなくなって、一人での時間の潰し方もわかって、妖怪が家に着いていることでたつ悪評もわかる。勉強に仕事、家でやらなきゃいけない事も増えてくる。
だから好きと嫌いが混ざり始めて――嫌いでもいなくならないとなれば、諦めて無視する。「いないものとして」振る舞う。そうやらなきゃ日常生活に差し支える。私だって、あいつの騒音下でもぐっすりだったし。
「ふわあああ」
暖かい日だ。欠伸が出てしまう。春眠暁を覚えずって言ってもいい陽気。
太陽の光りを覆い隠すべく、私は布団で頭まで覆い隠す。むしろ熱い。お腹が空くか、喉が渇くか、それまでは寝てやろう。来客も参拝客も放置してやる。
……
…………
「こんにちはー」
寝たのだろうか。うとうとしただけだろうか。こんにちはと言うからにはまだ昼で、寝てても僅かだったんだろう。
「天気がいいので遊びに来ました!」
天気くらい陽気な声。居留守も通じなそうな早苗の声。私は観念して、むくむくと布団から這い出す。返事をするより先に、水差しからカップに注いで、一気に煽る。井戸に行く気力はなかった。
「ん、ああ、って、妖怪付きって」
「わっちは人間のために子守を頑張っているというのに酷い言い方! こちらから人間へ歩み寄ろうとわっちは努力してるのでありんすよ!?」
「キャラ作らなくていいから。対応できるほどの元気がないし」
「まあまあ霊夢さん、神社は誰でもウェルカムじゃないですか。そこで小傘さんとすれ違ったんで、せっかくだから一緒に遊びに来たんです」
「あんたのとこは知らないけど、家は妖怪お断りよ、少なくとも今日はね」
そう言いながらも私はお茶を淹れに向かっている。そう言うたちなのだ。湯飲みを三つ取ってしまうほど人間の出来た、素敵な巫女。
「それにしても疲れた顔ですねえ」
「寝起きだもの。昨日妖怪に酷い目にあわされたのよ……」
「へえ、霊夢さんでも苦戦するときはあるんですね。そんな妖怪を退治したら私の名声もうなぎ登りかしら」
「ふうん。まあ、私の弾幕にはぼこぼこだったけど」
「さあ、そうだったかしら。でも、驚きはしなかったわね。それに……別に決闘してたわけじゃないわ。夜中に妖怪の騒ぎに付き合わされただけ」
間違っても旧友と旧交を温めるなんてのじゃなかった。基本的に私はあいつ、と言うか妖怪は「嫌い」。カナに限ればそれまではだいたい「無関心」。今はちょっとだけ。少ししたら、また忘れてしまうだろう。ここには妖怪が多すぎる。
「あら残念。昨日来てれば良かったですね。どなたですか?」
「貴方は多分知らない人……妖怪。カナ。カナ・アナベラル。知らないでしょ?」
「ええと……そうですねえ。お知り合いではないかしら。どんな人ですか?」
「こいつみたいな感じよ」
と、小傘を指さしながら私は言った。
「私もその人は知らないけど。……私みたいって事はキュートなデザインで子供に大人気。大人には肝試しのお供で引く手あまた。吊り橋効果で縁結びもあるよ! っていう人間に歩み寄る新時代の付喪神?」
「大人気だの引く手あまただの。どの口が言うか」
「これ」
不気味な一つ目傘を指さして小傘は言う。不気味だけど驚きはしない。
「なるほど、人間には驚いてもらえずいつもひもじい妖怪か。そこは同じね。ああ、小傘。貴方、人間に嫌われるのは嫌?」
「なんで? びびらせて驚かせるのが私の本分。そんなの気にして妖怪できますかよ」
「なるほど、そっくり。まあ、同じくらい愛くるしいとしてもいいわよ。今日の私は平和的なスタンスで行こうと思うから。……決闘する元気もないし。じゃあ早苗は小傘の事好き?」
「ええ、絶対驚くわけ無いようなチープなネタで頑張ってる姿、可愛いですよね。見つめていたいっていう小動物的愛らしさですよ。こう、絶対取れない、檻の中の餌に必死で食らいつく犬のような」
「それ私を褒めてるのか貶してるのか……」
「どっちでもいいんじゃない? 中間ってあるもんね。少なくとも、愛と嫌いって別に正反対じゃないわ。愛の反対は無関心――」
ってカナが言ってたわ、と言いかけて、
「あ、知ってます。ええと、そうそう、マザー・テレサの言葉ですよね。言われてみるとなるほどなあってなりますね」
早苗の言葉が飛び込んできた。
「そうなの? その人は誰か知らないけれど」
「そうなんですか? まあ、有名な偉人です。言葉も有名なんで、誰かが言ったのがこっちでも流行ったんですかね」
私はカナの事を思い出す。カナはそのテレサさんの言葉を知っていたんだろうか。それとも自分で思いついたんだろうか。
確認しようにもどこにいるかわからない、いつ会うかもわからない、その程度の仲だ。
実体験でそう思えるほど、カナには多くの経験があったんだろうか。知った上で実体験にあてはめたんだろうか。わからない。ここにいないときのカナなんて気にしたこともないから.。久しぶりの再会の翌日だって、この程度しか関心がない。
「どうかしらね」
言いながら、私はまた立ち上がった。商売敵と退治する相手に菓子を出してやるために。ああ、体が重い。そのくせ、賑やかな二人を追い払おうとは微塵も思えなかった。
少しずつ日が陰っている。昨日もらった酒はまだあったっけ、と思い出そうとする。それは思い出せない。そのくらい昨日は飲んだくれてた。胃の具合もあんまりよくない。
なのに、もっと日が陰った後に、大好きな神社の景色を肴に飲む景色を思い描いた。そこにはあの二人もいて、たぶんどっかの誰かも来て、夜中まで騒いで、片付けもせず帰って行く。
いつも心底呆れてうんざりする光景と騒ぎ。なのに、今だけはなんとなく待ち遠しかった。
美少女騒霊といたら悟りでも開かないと30年も保ちそうにないですわ。
グッときました。
どうでもいいが名前だけでもエレンが出たのがよかった。旧作キャラもっとなじんで欲しいなぁ
霊夢の性格の良さがよくわかる作品
SS全体を通したテーマが上手く機能している点もGood。
>私は巫女だから、狼の群れだって簡単に蹴散らせる。
うん。……うん?