博麗霊夢はちゃぶ台に片頬を突っ伏して、つぶやいてみた。
「おなか……空いたなあ……」
目の前に広がる、庭の光景とは対照的に、霊夢の瞳からは眩しい輝きが失われて。
「だーれも、来ないんだもの」
ふう、と溜息をこぼす。
「だれかこないかなー」
普段は、人前でなど絶対に出さない、ちょっとだけの弱気なひとりごとも。
「さいごにたべたのが、おとついのよるだっけ……」
誰も、反応するものはいなかった。
「あ、そうだ。紫、いるんでしょう?」
と、ふと、部屋の虚空に呼びかけてみるも。
「紫。ゆかりー?」
壁の染みに吸い込まれるばかり。
「あんたも、いないの?」
珍しく、涙ぐんでしまう。
「あれね。人間の参拝客減ってる。紅霧異変の時はまだちょっとはいた気がするわ」
霊夢は恥ずかしさをごまかすかのように。
「早苗のとこにお客さん取られちゃったかな。あんな山の上の遠いとこなのにー」
そう言ってみても、霊夢のお腹の虫は、相変わらず鳴り続けるのだった。
ぐるるるる。
スキマ妖怪が全力でグルグルとのたうち回っていた。
「はあうう。れいむ、れいむうー!」
彼女がいる場所が隙間の空間で良かったのかもしれない。
「弱気の霊夢いただきましたわー!!!」
普段のスキマ妖怪を知るものが見たら、思わず目をそらせてしまいそうなアグレッシブな顔面崩壊がそこにいた。
それでも、大妖らしく最大の自制心で己を取り戻し、自宅にて待機しているはずの己の式を、彼女は心のなかで呼びつける。
≪藍、らーん?≫
≪え、あ、はい紫様。何かご用で?≫
≪ちょっと。私が主人として呼びかけてるのに上の空ってどういうこと?≫
≪申し訳ありません≫
≪ひょっとして何か家事とかで集中してた? ならいいんだけど≫
≪いえ、この前に私につけていただいた新しい式がですね。あれ、結構容量が大きいようなので、余った部分に私の記憶野にある橙のマイベスト動画記憶を総集編的に編集保存していました≫
≪……まあいいわ藍、監視地域の報告をしてちょうだい≫
≪はい。……ええと、先日に引き続き、博麗神社周辺にはただの一人も参拝客はおりません。ターゲットの受動的断食は依然として継続中≫
≪そう、あの子は今もお腹をすかせているってわけね≫
≪はい。紫様の当初予測どおり、今夜にも空腹力は九千を超えると予想されます≫
≪いいわ。報告ありがとう≫
「よし、これで私がお手製のコラーゲンたっぷりの海鮮鍋をもって霊夢のうちにおじゃますれば」
ふふふ、と音声ではそう表現するしかないが、見た目はちょっとあれな笑顔が、紫の顔の上に現れる。
「こんどこそ、私と霊夢の二人っきりの時間を堪能できるのよ!」
≪そういえば、霧雨魔理沙が最近とんと来てませんね≫
≪そう、あいつこそが私にとっての最大の敵だった。だけど、あいつは当分の間、神社に来ることはできない≫
ここ数年。
普段ならば、神社の食料の備蓄がなくなる頃、はかったかのように魔理沙が遊びにきて、何かしらの差し入れなりご飯の提供なりをしていくのが、藍や紫の見慣れた光景となってはいた。
「でも、魔理沙はわかってない。わかってないのよ、あいつったら、霊夢の空腹力が三千足らずにしかならない内に餌付けしちゃうから。霊夢の態度が普段の素っ気ないまま。確かに、十回に一回くらいの頻度で発生する、霊夢の「そ、その、ありがと……」 は凶悪なまでの破壊力を誇るけれど。霊夢はそれ以上のポテンシャル を持っているのよ」
≪……はあ≫
≪藍、何か問題でも?≫
≪いえ。魔理沙に何かしたんですか?≫
≪あいつの家中の下着を片っ端から没収してきたわ≫
魔理沙の家のある魔法の家から博麗神社までは、それなりの距離がある。
妖怪が闊歩している幻想郷の中を、人間が徒歩で神社まで走破するのは、たとえ魔理沙と言えどもリスクが大きすぎる。
そして、魔理沙について。下着を履かないままに箒にまたがって空をとぶ程の豪の者ではないと、紫はすでに見切っていた。
≪内容の割に口調は随分自信満々ですね≫
≪前提条件はすべてクリア。あとはその時が来るのを待つだけね≫
≪……いえ、それはまだ早いですよ。神社に接近するものが一名います。アリスです≫
「きたわね、イレギュラー」
≪あ、あとですね。使い終わった食器は、ちゃんとうちの流しに置いといてくださいよ。この前みたく隙間にしまいっぱなしとかでなしに≫
≪うるさいわね、わかってるわよそのくらい≫
「腹黒の騎士団。指揮官含め総勢一名、出撃するわっ!」
≪まー頑張ってください。ご武運をお祈りしてます。あと、ポン酢の買い置きはうちにありますから、足りなくなったら言ってくださいね。ごまだれはもうそれしかないから――≫
≪わかってる!≫
「おひさまぽかぽかー」
そうつぶやいた霊夢は、迂闊にも気づいていなかった。
「おなかぺこぺこー」
今、まさに博麗神社に襲いかからんとする陰謀に。
「ちょっと、どういうつもりよスキマ妖怪?! いきなりご挨拶じゃない!」
「来なければ不幸にならなかったものを。アリス=マーガトロイド」≪あなたも所詮「作りすぎちゃっただけなの」 のペルソナを背負いし咎人か……≫
「はあ?」
「私にはおみとおしよ。あなたが持ってる、そのお菓子が入ってそうなふぁんしいな袋。どう見ても余り物とは思えない量。あなたも、霊夢のためにそれをわざわざ作ってきたのでしょう?」
「このクッキー? そうだけど?」
「え。あれ? そこ、あっさりみとめるの?」
「だって、今日、バレンタインデーじゃない。挨拶程度のものよ。これぐらいなんて」
「……あれ?」
≪らn、ら¥ん@、藍?!≫
≪なんですか紫様。ノイズ入りすぎてますよ。動揺しすぎです≫
≪外界のバレンタインデーって、今日にあたる日だっけ?≫
≪ええと、そういやそうですね≫
≪そうですね、じゃないでしょ? なんでうちは何もプレゼント交換とかしてないの?!≫
≪猫はチョコ食べられないじゃないですか。何を今更≫
≪そうじゃなくて。ワタシ、もらってない、あなたから。ナニモ。おーけー?≫
≪その鍋作ってさし上げたじゃないですか≫
≪ほわっと?!≫
「ええと、紫? 不気味な一人芸やってるとこ申し訳ないけど、わたし、もう行っていいかしら?」
「……あ、させるものですか。あなたのそのクッキー。是が非にでもここにおいていって頂きますわ!」
「やるつもり? 今日はそんな気分ではないけど、振りかかる火の粉は払わないとね」
アリスのその言葉を合図に、二人の間の空間に緊張と弾幕が次々と加わっていく。
≪それよりいいんですか紫様? 神社で観測される空腹力が急速に減っていますよ。なんかいつの間にか500を割っていますし≫
「アリスちょっとまって!」
「へ?」
≪なんですって?! それでは、最大の戦果 が得られなくなるわ! 至急、現場の画像をちょうだい!≫
≪はいはい≫
「はい、霊夢さん。おかわりですよー」
「さなえだいすきー」
「おそまつさまです」
藍から転送された画像。
そこには、満面の笑みでお茶碗一杯の白飯を頬張る霊夢と、傍らで給仕をする東風谷早苗の姿があった。
「おいひ~」頬に手を当てて咀嚼する、目尻を垂らす霊夢。
「食べるかしゃべるかどっちかにしておけよ、博麗の」傍らの八坂神奈子が鷹揚にわらう。
「こんなたくさんのおかずまで! でも、なんで神奈子達が私の神社にここまでしてくれるの?」
「なあに。近頃は仏教などの異質な教えが広がりを見せている。それらと比べたら、私たちは同じじゃないか」
「ご近所付き合いですよ、霊夢さん。それに、一神教じゃないんですから、あなただって八坂様の信徒を兼任したっていいんですよ?」
「そうなの」
霊夢はそう言ったあと、ご飯を食べ終えてあぐらをかいた神奈子に横たわり、頭を載せ、
「わたし、もりやのこになるー」
「ちょ、ちょっと霊夢さん?」
「……いい。かも……」
顔を赤くし始めた八坂の神の姿。
を見た。紫が。
「なん……だと……」
「いや、なにが?」
アリスは聞いた。
「おなか……空いたなあ……」
目の前に広がる、庭の光景とは対照的に、霊夢の瞳からは眩しい輝きが失われて。
「だーれも、来ないんだもの」
ふう、と溜息をこぼす。
「だれかこないかなー」
普段は、人前でなど絶対に出さない、ちょっとだけの弱気なひとりごとも。
「さいごにたべたのが、おとついのよるだっけ……」
誰も、反応するものはいなかった。
「あ、そうだ。紫、いるんでしょう?」
と、ふと、部屋の虚空に呼びかけてみるも。
「紫。ゆかりー?」
壁の染みに吸い込まれるばかり。
「あんたも、いないの?」
珍しく、涙ぐんでしまう。
「あれね。人間の参拝客減ってる。紅霧異変の時はまだちょっとはいた気がするわ」
霊夢は恥ずかしさをごまかすかのように。
「早苗のとこにお客さん取られちゃったかな。あんな山の上の遠いとこなのにー」
そう言ってみても、霊夢のお腹の虫は、相変わらず鳴り続けるのだった。
ぐるるるる。
スキマ妖怪が全力でグルグルとのたうち回っていた。
「はあうう。れいむ、れいむうー!」
彼女がいる場所が隙間の空間で良かったのかもしれない。
「弱気の霊夢いただきましたわー!!!」
普段のスキマ妖怪を知るものが見たら、思わず目をそらせてしまいそうなアグレッシブな顔面崩壊がそこにいた。
それでも、大妖らしく最大の自制心で己を取り戻し、自宅にて待機しているはずの己の式を、彼女は心のなかで呼びつける。
≪藍、らーん?≫
≪え、あ、はい紫様。何かご用で?≫
≪ちょっと。私が主人として呼びかけてるのに上の空ってどういうこと?≫
≪申し訳ありません≫
≪ひょっとして何か家事とかで集中してた? ならいいんだけど≫
≪いえ、この前に私につけていただいた新しい式がですね。あれ、結構容量が大きいようなので、余った部分に私の記憶野にある橙のマイベスト動画記憶を総集編的に編集保存していました≫
≪……まあいいわ藍、監視地域の報告をしてちょうだい≫
≪はい。……ええと、先日に引き続き、博麗神社周辺にはただの一人も参拝客はおりません。ターゲットの受動的断食は依然として継続中≫
≪そう、あの子は今もお腹をすかせているってわけね≫
≪はい。紫様の当初予測どおり、今夜にも空腹力は九千を超えると予想されます≫
≪いいわ。報告ありがとう≫
「よし、これで私がお手製のコラーゲンたっぷりの海鮮鍋をもって霊夢のうちにおじゃますれば」
ふふふ、と音声ではそう表現するしかないが、見た目はちょっとあれな笑顔が、紫の顔の上に現れる。
「こんどこそ、私と霊夢の二人っきりの時間を堪能できるのよ!」
≪そういえば、霧雨魔理沙が最近とんと来てませんね≫
≪そう、あいつこそが私にとっての最大の敵だった。だけど、あいつは当分の間、神社に来ることはできない≫
ここ数年。
普段ならば、神社の食料の備蓄がなくなる頃、はかったかのように魔理沙が遊びにきて、何かしらの差し入れなりご飯の提供なりをしていくのが、藍や紫の見慣れた光景となってはいた。
「でも、魔理沙はわかってない。わかってないのよ、あいつったら、霊夢の空腹力が三千足らずにしかならない内に餌付けしちゃうから。霊夢の態度が普段の素っ気ないまま。確かに、十回に一回くらいの頻度で発生する、霊夢の
≪……はあ≫
≪藍、何か問題でも?≫
≪いえ。魔理沙に何かしたんですか?≫
≪あいつの家中の下着を片っ端から没収してきたわ≫
魔理沙の家のある魔法の家から博麗神社までは、それなりの距離がある。
妖怪が闊歩している幻想郷の中を、人間が徒歩で神社まで走破するのは、たとえ魔理沙と言えどもリスクが大きすぎる。
そして、魔理沙について。下着を履かないままに箒にまたがって空をとぶ程の豪の者ではないと、紫はすでに見切っていた。
≪内容の割に口調は随分自信満々ですね≫
≪前提条件はすべてクリア。あとはその時が来るのを待つだけね≫
≪……いえ、それはまだ早いですよ。神社に接近するものが一名います。アリスです≫
「きたわね、イレギュラー」
≪あ、あとですね。使い終わった食器は、ちゃんとうちの流しに置いといてくださいよ。この前みたく隙間にしまいっぱなしとかでなしに≫
≪うるさいわね、わかってるわよそのくらい≫
「腹黒の騎士団。指揮官含め総勢一名、出撃するわっ!」
≪まー頑張ってください。ご武運をお祈りしてます。あと、ポン酢の買い置きはうちにありますから、足りなくなったら言ってくださいね。ごまだれはもうそれしかないから――≫
≪わかってる!≫
「おひさまぽかぽかー」
そうつぶやいた霊夢は、迂闊にも気づいていなかった。
「おなかぺこぺこー」
今、まさに博麗神社に襲いかからんとする陰謀に。
「ちょっと、どういうつもりよスキマ妖怪?! いきなりご挨拶じゃない!」
「来なければ不幸にならなかったものを。アリス=マーガトロイド」≪あなたも所詮
「はあ?」
「私にはおみとおしよ。あなたが持ってる、そのお菓子が入ってそうなふぁんしいな袋。どう見ても余り物とは思えない量。あなたも、霊夢のためにそれをわざわざ作ってきたのでしょう?」
「このクッキー? そうだけど?」
「え。あれ? そこ、あっさりみとめるの?」
「だって、今日、バレンタインデーじゃない。挨拶程度のものよ。これぐらいなんて」
「……あれ?」
≪らn、ら¥ん@、藍?!≫
≪なんですか紫様。ノイズ入りすぎてますよ。動揺しすぎです≫
≪外界のバレンタインデーって、今日にあたる日だっけ?≫
≪ええと、そういやそうですね≫
≪そうですね、じゃないでしょ? なんでうちは何もプレゼント交換とかしてないの?!≫
≪猫はチョコ食べられないじゃないですか。何を今更≫
≪そうじゃなくて。ワタシ、もらってない、あなたから。ナニモ。おーけー?≫
≪その鍋作ってさし上げたじゃないですか≫
≪ほわっと?!≫
「ええと、紫? 不気味な一人芸やってるとこ申し訳ないけど、わたし、もう行っていいかしら?」
「……あ、させるものですか。あなたのそのクッキー。是が非にでもここにおいていって頂きますわ!」
「やるつもり? 今日はそんな気分ではないけど、振りかかる火の粉は払わないとね」
アリスのその言葉を合図に、二人の間の空間に緊張と弾幕が次々と加わっていく。
≪それよりいいんですか紫様? 神社で観測される空腹力が急速に減っていますよ。なんかいつの間にか500を割っていますし≫
「アリスちょっとまって!」
「へ?」
≪なんですって?! それでは、
≪はいはい≫
「はい、霊夢さん。おかわりですよー」
「さなえだいすきー」
「おそまつさまです」
藍から転送された画像。
そこには、満面の笑みでお茶碗一杯の白飯を頬張る霊夢と、傍らで給仕をする東風谷早苗の姿があった。
「おいひ~」頬に手を当てて咀嚼する、目尻を垂らす霊夢。
「食べるかしゃべるかどっちかにしておけよ、博麗の」傍らの八坂神奈子が鷹揚にわらう。
「こんなたくさんのおかずまで! でも、なんで神奈子達が私の神社にここまでしてくれるの?」
「なあに。近頃は仏教などの異質な教えが広がりを見せている。それらと比べたら、私たちは同じじゃないか」
「ご近所付き合いですよ、霊夢さん。それに、一神教じゃないんですから、あなただって八坂様の信徒を兼任したっていいんですよ?」
「そうなの」
霊夢はそう言ったあと、ご飯を食べ終えてあぐらをかいた神奈子に横たわり、頭を載せ、
「わたし、もりやのこになるー」
「ちょ、ちょっと霊夢さん?」
「……いい。かも……」
顔を赤くし始めた八坂の神の姿。
を見た。紫が。
「なん……だと……」
「いや、なにが?」
アリスは聞いた。
率直にそう思いました。
結局その後紫とアリスはどうしたのか気になるところです。
妖怪の賢者もツメが甘いですな