『わたしの住んでいた所では、二月十四日になると女の子が好きな人にチョコを贈る習慣があるんです。あ、好きな人だけじゃなくて、普段お世話になっている人や、友達なんかに贈ることもありますね』
この外の世界の一風変わった習慣を妖怪の山の頂に暮らす風祝から聞いたのはいつのことだったか。
それほど昔のことではない。非番の日にぷらぷらと神社まで足を運んでみたらたまたま風祝と会話が弾み、その流れでたまたま聞いたこと。
一週間前か、二週間前。まあ、椛にとってそれがいつだったかなどはどうでもいい。今この昼下がり、天狗の里の商店街の一角で腕を組んでいる椛にとっては。
「うーん、これがいいかな。それともこっちの形の方がいいかな」
店頭に並べてあるそれらをじっくりと見比べながら、椛はうんうん唸る。
風祝に聞いた外の世界の習慣を実践してみようという心づもりだが、どれを買えばいいのか絶賛悩み中なのだ。
「いつもはあんまり気にしてないけど、改めて買おうと思うと色んな形があるんだなあ。あ、これなんか良さそう……うぅ」
値札を見て苦笑いする。
職人技とも言える意匠を凝らしたものは確かに贈り物にピッタリだ。
だが、職人が丹精込めて作ったものにはそれ相応の対価が必要となるわけで。
「うー……したっぱの給料じゃあこれはちょっと」
お財布と相談し、肩を落とす。
椛が今眺めている品々は、贈り物として貰えたらうれしいのは確かなものばかり。しかしいずれもその値段が椛の許容ラインを上回っていた。
折角の贈り物なのに、それに見合うだけの踏ん張りが効かない自身の財力が恨めしい。
はあ、とため息を零し、他の店を当たろうかと方向転換したところで、ある人物とばったり出会った。
そしてその人物は、椛が今もっとも出くわしたくない人物でもあった。
「あれ、椛じゃない。こんな所で何してるの?」
「あ、文さん!?」
驚きのあまり椛の声が若干上擦った。
椛は何故文に会いたくないのか。答えは単純、今まさに求めていた贈り物を渡したい相手こそ、目の前にいる射命丸文であるから。
いや、これは日頃からかわれながらも良くしてもらっていることへのお礼とかそういうのであって、別に文さんのことが好きとかそういうんじゃなくて、というのは贈り物を求めて商店街へ出掛ける前に自宅で鏡に向かって言った椛の独り言。
だがしかし、これ以上焦った様を見せ続けたら好奇心旺盛な文のことだ、全て話すまで追及してくるに決まっている。贈り物を渡す前にばれてしまっては何だか気まずい。
落ち着け、落ち着けと自分に言い聞かせると、仕事柄緊張する場面には馴れているおかげもあって、存外簡単に落ち着いてくれた。
「いやあ、今日は非番でしてね。散歩がてら商店街をぶらぶらと。文さんこそこんな所でどうしたんです?」
「あー、わたしはアレよ。いつものネタ探しというやつ。ブン屋の常だから」
「なるほど、じゃあ仕事の邪魔をしちゃ悪いですし、わたしはこれで」
「そう、ではまた。ああ、何か記事になりそうなことがあったら教えてね」
「はい」
お辞儀をして、椛は逃げるようにその場を後にした。
今さっきの店は椛のお財布にはちと手厳しく、元々立ち去るつもりだったから問題ない。
それに、文からの追及からも簡単に抜け出すことができた。
「いや、簡単すぎたような……」
歩きながら、椛は考える。
思い返してみれば、先ほど自分が文に対してとった態度は本当に自然だっただろうか。
第一声が上擦っていたのだ。いつもの文なら、その時点でしつこく話を聞いてくるはず。それくらいの嗅覚持ちなのに、今回はやけにあっさりしていた。
「うーん、わたしの考え過ぎかな。でも、いつもの文さんなら……ん?」
一歩一歩前へ進んでいた足が動くのをやめた。偶然目に止まった一品に、椛は釘づけになってしまったのだ。
美しい流線型、味のある黒色。椛は非常に興味を惹かれた。その品のもとまで急いで駆け付け、値札を確認する。
「う……ちょっと高い」
値段は許容ラインギリギリ、をちょっとばかし超過していた。
「でも、文さんへの贈り物だし……」
意を決する。
椛はお目当ての品を持って店内に駆け込み、店主にお金を支払う。
その際これが贈り物であることをきちんと伝え、小箱にはそれ用の包装をしてもらった。
「文さんどこ行ったのかなー……」
贈り物を買うことは果たされたものの、肝心の文がどこかへ行ってしまった。
ついさっき出くわした店、その他商店街の通り、さらには文の自宅まで訪ねてみたが、どこにもいなかった。
飛び疲れ歩き疲れ、空を見上げる。千里眼を使えば、空を飛ぶ彼女を見つけられるかもしれない。
「ははは、そんな上手くいくわけ……あー!」
上手くいってしまった。その驚きの声に目を丸くした周囲の視線を浴びながらも、椛の心は踊った。
間違いなく、山頂付近の空を飛ぶ彼女の姿。守矢神社へ向かったに違いない。
自身の幸運さに震えつつ、疲れなどまるでなかったかのように椛は一直線に飛び立った。
「文さん!」
「げっ、椛!?」
「あらあら」
神社の鳥居のもとへ降り立つと、境内には二つの影。
探し求めていた射命丸文と、風祝を務める東風谷早苗。
早苗の方は突然の来訪者に少しばかりびっくりした模様。一方文は実にバツの悪そうな顔。
「あ、あの椛。今はちょっと取り込み中で、話なら後に……」
「大丈夫、お時間は取らせません」
「あ、いやそういうことじゃなくて」
慌てふためく文であったが、椛は椛でこれから贈り物をするんだという気概と興奮が胸一杯となってしまっている。
文の制止は耳に届かず、椛は踏みしめるように歩いて文の前に立った。
そして、綺麗な装飾の為された小箱を差し出す。
「これ、早苗さんから教えてもらった『ばれんたいん』の贈り物というものです。感謝の気持ち、う、受け取ってください!」
勇気と勢いで椛は言い切った。
正直言って恥ずかしくてたまらない。顔はどんどん赤くなり、文の顔を直視できない。
ぷるぷると震えながら小箱を差し出していると、ふいに椛の手に柔らかな手が触れ、小箱を受け取った。
「あ、ありがとう、とても嬉しいわ。開けてもいい?」
「は、はい!」
なお目を合わせられないまま、椛は元気よく答えた。
椛の耳に聞こえてくるのは、ガサガサと包装紙の封を開く音、パカッと小箱の蓋が開かれる音。
そして
「ぷっ……くくく……」
「へ?」
「あはははははははははははは!!」
椛は唖然としてしまった。小箱を開けた文は、そのまま腹を抱えて大笑いしていたのだ。
その文の隣で、早苗が小箱を受け取って中身を確認し、納得したように首を縦に振る。
「さ、早苗さん……これは一体? どうして文さんは笑っているんですか?」
「えーっと、確かにわたしは『チョコ』を贈ると言いました。わたしの言い方がまずかったんですかね……」
「早苗さん?」
「椛さんは間違いなく『ちょこ』を買って来たんですよ。でも、『ちょこ』は『ちょこ』でもこれはお酒を飲む『猪口』ですね」
「え……『ちょこ』って言ったらお猪口以外に何があるんです?」
「チョコレートというですね、お菓子があるんですよ。略して『チョコ』です」
「なぁ……」
早苗の言葉に、電流を浴びたような衝撃を受ける椛。
なんということか。勘違いをしたまま商店街で一人悩み続けていたということか。折角の文への贈り物を、勘違いしたまま選んでしまったということか。
「そんなぁ……」
ショックを隠しきれずにしょげる椛。
そんな椛の頭を、ようやく笑いの収まった文が優しく撫でた。
「ふふ、そういうおっちょこちょいなところも可愛くて、わたしは好きよ。それに、この猪口だってなかなかいいものじゃない。形も色も、わたし好み」
「あ、文さん……」
慰めの言葉が心にしみて、椛は半ベソをかきながら文に抱きついた。
文は椛が落ち着くまで頭や背中を撫で続けるのだが、その様が可笑しくて仕方のない人が一人。
「文さんってば何言ってるんでしょうね。こんなものを買っておきながら」
「あ、きゃ!? どこ触ってるんですか早苗さんのエッチ!」
「そんな言い方しても無駄ですよ」
抵抗する文を押さえつけながら、早苗はその懐を探る。
そこから取り出したのは、贈り物用の綺麗な包装が為された小箱。
「……二人ともどうしたんです?」
「いいですか椛さん。文さんってば、貴女のためにこんな物を買ったんですよ」
「これは……?」
「あ、駄目! あー……」
消え入りそうな文の声を余所に、椛は包装紙の封を開け、箱の中身を取り出す。
それは、美しい流線型で、美しい白。
「……『猪口』?」
「あー……あー……」
不思議そうな顔の白狼天狗に、穴があったら一生閉じこもっていたい鴉天狗。
混乱が解けそうにない椛に、二人の様子を楽しそうに眺める風祝が事情を説明した。
「実はですね、椛さんと同じ話を文さんにもしたんですよ。そしたら文さん、椛さんのためにそのお猪口を買ったんです」
「それであの時……」
なんとなく合点がいった。
同じ店の前で出会ったのは、文も猪口を買いに来ていたから。
深く追及してこなかったのは、猪口を買うところを見られてはまずいから。
「それでお猪口を買った文さんは、わたしに最終確認に来たんですよ。椛にぴったりの白い『ちょこ』を見つけたって楽しそうでした。この時に文さんも『チョコ』と『猪口』の違いに気付いて、慌ててチョコレートを買いに行こうとしたところに椛さんが来た。それにしても『ちょこ』と聞いて真っ先にお猪口を思い浮かべるなんて、天狗って本当にお酒が好きなんですね」
「あ、あはは……」
椛はただただ笑うしかなかった。
椛も文も全く同じ勘違い。恐らく天狗に『ちょこ』と言えば十人中十人がまず『猪口』を思い浮かべるのだろう。みんな酒好きだから。
しかしそれでも、椛は嬉しかった。文もまた、椛に『ちょこ』を贈ろうとしてくれたのだから。
「あれ、そういえば文さんは?」
椛が抱きついていたはずの文の姿がいつの間にか消えていた。
慌てて辺りを見渡すと、境内の隅っこで穴を掘っている後ろ姿。
持っていた白いお猪口を早苗に預け、椛はすたこら駆け寄った。
「な、何やってるんですか文さん! こんなことしちゃ早苗さんたちに迷惑ですよ!」
「は、離しなさい椛! わたしに生き恥を晒せと言うの!?」
「同じ恥をわたしも背負ってますから! というかこんなことしてもただの恥の上塗りですって!」
「ええい離しなさい! いい『ちょこ』を見つけたと報告した挙句それが勘違いで、しかもその勘違いを一番知られたくない相手に隠そうとして『チョコ』くらい最初から知っていた風に笑ったのに結局曝露された馬鹿者の気持ちなど貴女には分からないわ!」
「それを言ったら勘違いしながら堂々と『ちょこ』を手渡したわたしだって相当な馬鹿ですから!」
「ふふっ、本当に仲がいい」
懸命に文を羽交い締めにする椛と、懸命に椛を振り払おうとする文。
二人を見つめる早苗の手には、椛が文に贈った黒い猪口と文が椛に贈る白い猪口。二つ仲良く並んでいた。
この外の世界の一風変わった習慣を妖怪の山の頂に暮らす風祝から聞いたのはいつのことだったか。
それほど昔のことではない。非番の日にぷらぷらと神社まで足を運んでみたらたまたま風祝と会話が弾み、その流れでたまたま聞いたこと。
一週間前か、二週間前。まあ、椛にとってそれがいつだったかなどはどうでもいい。今この昼下がり、天狗の里の商店街の一角で腕を組んでいる椛にとっては。
「うーん、これがいいかな。それともこっちの形の方がいいかな」
店頭に並べてあるそれらをじっくりと見比べながら、椛はうんうん唸る。
風祝に聞いた外の世界の習慣を実践してみようという心づもりだが、どれを買えばいいのか絶賛悩み中なのだ。
「いつもはあんまり気にしてないけど、改めて買おうと思うと色んな形があるんだなあ。あ、これなんか良さそう……うぅ」
値札を見て苦笑いする。
職人技とも言える意匠を凝らしたものは確かに贈り物にピッタリだ。
だが、職人が丹精込めて作ったものにはそれ相応の対価が必要となるわけで。
「うー……したっぱの給料じゃあこれはちょっと」
お財布と相談し、肩を落とす。
椛が今眺めている品々は、贈り物として貰えたらうれしいのは確かなものばかり。しかしいずれもその値段が椛の許容ラインを上回っていた。
折角の贈り物なのに、それに見合うだけの踏ん張りが効かない自身の財力が恨めしい。
はあ、とため息を零し、他の店を当たろうかと方向転換したところで、ある人物とばったり出会った。
そしてその人物は、椛が今もっとも出くわしたくない人物でもあった。
「あれ、椛じゃない。こんな所で何してるの?」
「あ、文さん!?」
驚きのあまり椛の声が若干上擦った。
椛は何故文に会いたくないのか。答えは単純、今まさに求めていた贈り物を渡したい相手こそ、目の前にいる射命丸文であるから。
いや、これは日頃からかわれながらも良くしてもらっていることへのお礼とかそういうのであって、別に文さんのことが好きとかそういうんじゃなくて、というのは贈り物を求めて商店街へ出掛ける前に自宅で鏡に向かって言った椛の独り言。
だがしかし、これ以上焦った様を見せ続けたら好奇心旺盛な文のことだ、全て話すまで追及してくるに決まっている。贈り物を渡す前にばれてしまっては何だか気まずい。
落ち着け、落ち着けと自分に言い聞かせると、仕事柄緊張する場面には馴れているおかげもあって、存外簡単に落ち着いてくれた。
「いやあ、今日は非番でしてね。散歩がてら商店街をぶらぶらと。文さんこそこんな所でどうしたんです?」
「あー、わたしはアレよ。いつものネタ探しというやつ。ブン屋の常だから」
「なるほど、じゃあ仕事の邪魔をしちゃ悪いですし、わたしはこれで」
「そう、ではまた。ああ、何か記事になりそうなことがあったら教えてね」
「はい」
お辞儀をして、椛は逃げるようにその場を後にした。
今さっきの店は椛のお財布にはちと手厳しく、元々立ち去るつもりだったから問題ない。
それに、文からの追及からも簡単に抜け出すことができた。
「いや、簡単すぎたような……」
歩きながら、椛は考える。
思い返してみれば、先ほど自分が文に対してとった態度は本当に自然だっただろうか。
第一声が上擦っていたのだ。いつもの文なら、その時点でしつこく話を聞いてくるはず。それくらいの嗅覚持ちなのに、今回はやけにあっさりしていた。
「うーん、わたしの考え過ぎかな。でも、いつもの文さんなら……ん?」
一歩一歩前へ進んでいた足が動くのをやめた。偶然目に止まった一品に、椛は釘づけになってしまったのだ。
美しい流線型、味のある黒色。椛は非常に興味を惹かれた。その品のもとまで急いで駆け付け、値札を確認する。
「う……ちょっと高い」
値段は許容ラインギリギリ、をちょっとばかし超過していた。
「でも、文さんへの贈り物だし……」
意を決する。
椛はお目当ての品を持って店内に駆け込み、店主にお金を支払う。
その際これが贈り物であることをきちんと伝え、小箱にはそれ用の包装をしてもらった。
「文さんどこ行ったのかなー……」
贈り物を買うことは果たされたものの、肝心の文がどこかへ行ってしまった。
ついさっき出くわした店、その他商店街の通り、さらには文の自宅まで訪ねてみたが、どこにもいなかった。
飛び疲れ歩き疲れ、空を見上げる。千里眼を使えば、空を飛ぶ彼女を見つけられるかもしれない。
「ははは、そんな上手くいくわけ……あー!」
上手くいってしまった。その驚きの声に目を丸くした周囲の視線を浴びながらも、椛の心は踊った。
間違いなく、山頂付近の空を飛ぶ彼女の姿。守矢神社へ向かったに違いない。
自身の幸運さに震えつつ、疲れなどまるでなかったかのように椛は一直線に飛び立った。
「文さん!」
「げっ、椛!?」
「あらあら」
神社の鳥居のもとへ降り立つと、境内には二つの影。
探し求めていた射命丸文と、風祝を務める東風谷早苗。
早苗の方は突然の来訪者に少しばかりびっくりした模様。一方文は実にバツの悪そうな顔。
「あ、あの椛。今はちょっと取り込み中で、話なら後に……」
「大丈夫、お時間は取らせません」
「あ、いやそういうことじゃなくて」
慌てふためく文であったが、椛は椛でこれから贈り物をするんだという気概と興奮が胸一杯となってしまっている。
文の制止は耳に届かず、椛は踏みしめるように歩いて文の前に立った。
そして、綺麗な装飾の為された小箱を差し出す。
「これ、早苗さんから教えてもらった『ばれんたいん』の贈り物というものです。感謝の気持ち、う、受け取ってください!」
勇気と勢いで椛は言い切った。
正直言って恥ずかしくてたまらない。顔はどんどん赤くなり、文の顔を直視できない。
ぷるぷると震えながら小箱を差し出していると、ふいに椛の手に柔らかな手が触れ、小箱を受け取った。
「あ、ありがとう、とても嬉しいわ。開けてもいい?」
「は、はい!」
なお目を合わせられないまま、椛は元気よく答えた。
椛の耳に聞こえてくるのは、ガサガサと包装紙の封を開く音、パカッと小箱の蓋が開かれる音。
そして
「ぷっ……くくく……」
「へ?」
「あはははははははははははは!!」
椛は唖然としてしまった。小箱を開けた文は、そのまま腹を抱えて大笑いしていたのだ。
その文の隣で、早苗が小箱を受け取って中身を確認し、納得したように首を縦に振る。
「さ、早苗さん……これは一体? どうして文さんは笑っているんですか?」
「えーっと、確かにわたしは『チョコ』を贈ると言いました。わたしの言い方がまずかったんですかね……」
「早苗さん?」
「椛さんは間違いなく『ちょこ』を買って来たんですよ。でも、『ちょこ』は『ちょこ』でもこれはお酒を飲む『猪口』ですね」
「え……『ちょこ』って言ったらお猪口以外に何があるんです?」
「チョコレートというですね、お菓子があるんですよ。略して『チョコ』です」
「なぁ……」
早苗の言葉に、電流を浴びたような衝撃を受ける椛。
なんということか。勘違いをしたまま商店街で一人悩み続けていたということか。折角の文への贈り物を、勘違いしたまま選んでしまったということか。
「そんなぁ……」
ショックを隠しきれずにしょげる椛。
そんな椛の頭を、ようやく笑いの収まった文が優しく撫でた。
「ふふ、そういうおっちょこちょいなところも可愛くて、わたしは好きよ。それに、この猪口だってなかなかいいものじゃない。形も色も、わたし好み」
「あ、文さん……」
慰めの言葉が心にしみて、椛は半ベソをかきながら文に抱きついた。
文は椛が落ち着くまで頭や背中を撫で続けるのだが、その様が可笑しくて仕方のない人が一人。
「文さんってば何言ってるんでしょうね。こんなものを買っておきながら」
「あ、きゃ!? どこ触ってるんですか早苗さんのエッチ!」
「そんな言い方しても無駄ですよ」
抵抗する文を押さえつけながら、早苗はその懐を探る。
そこから取り出したのは、贈り物用の綺麗な包装が為された小箱。
「……二人ともどうしたんです?」
「いいですか椛さん。文さんってば、貴女のためにこんな物を買ったんですよ」
「これは……?」
「あ、駄目! あー……」
消え入りそうな文の声を余所に、椛は包装紙の封を開け、箱の中身を取り出す。
それは、美しい流線型で、美しい白。
「……『猪口』?」
「あー……あー……」
不思議そうな顔の白狼天狗に、穴があったら一生閉じこもっていたい鴉天狗。
混乱が解けそうにない椛に、二人の様子を楽しそうに眺める風祝が事情を説明した。
「実はですね、椛さんと同じ話を文さんにもしたんですよ。そしたら文さん、椛さんのためにそのお猪口を買ったんです」
「それであの時……」
なんとなく合点がいった。
同じ店の前で出会ったのは、文も猪口を買いに来ていたから。
深く追及してこなかったのは、猪口を買うところを見られてはまずいから。
「それでお猪口を買った文さんは、わたしに最終確認に来たんですよ。椛にぴったりの白い『ちょこ』を見つけたって楽しそうでした。この時に文さんも『チョコ』と『猪口』の違いに気付いて、慌ててチョコレートを買いに行こうとしたところに椛さんが来た。それにしても『ちょこ』と聞いて真っ先にお猪口を思い浮かべるなんて、天狗って本当にお酒が好きなんですね」
「あ、あはは……」
椛はただただ笑うしかなかった。
椛も文も全く同じ勘違い。恐らく天狗に『ちょこ』と言えば十人中十人がまず『猪口』を思い浮かべるのだろう。みんな酒好きだから。
しかしそれでも、椛は嬉しかった。文もまた、椛に『ちょこ』を贈ろうとしてくれたのだから。
「あれ、そういえば文さんは?」
椛が抱きついていたはずの文の姿がいつの間にか消えていた。
慌てて辺りを見渡すと、境内の隅っこで穴を掘っている後ろ姿。
持っていた白いお猪口を早苗に預け、椛はすたこら駆け寄った。
「な、何やってるんですか文さん! こんなことしちゃ早苗さんたちに迷惑ですよ!」
「は、離しなさい椛! わたしに生き恥を晒せと言うの!?」
「同じ恥をわたしも背負ってますから! というかこんなことしてもただの恥の上塗りですって!」
「ええい離しなさい! いい『ちょこ』を見つけたと報告した挙句それが勘違いで、しかもその勘違いを一番知られたくない相手に隠そうとして『チョコ』くらい最初から知っていた風に笑ったのに結局曝露された馬鹿者の気持ちなど貴女には分からないわ!」
「それを言ったら勘違いしながら堂々と『ちょこ』を手渡したわたしだって相当な馬鹿ですから!」
「ふふっ、本当に仲がいい」
懸命に文を羽交い締めにする椛と、懸命に椛を振り払おうとする文。
二人を見つめる早苗の手には、椛が文に贈った黒い猪口と文が椛に贈る白い猪口。二つ仲良く並んでいた。
だってイヌ科にチョコレートは猛毒だし
こんな飲み助さんたちにはウィスキーボンボンあたりが似合っていそうです
あやともみじならホントにありそうww
甘さ控えめなところがまたいい味だしてますね
綺麗に纏まったSSでした。