ピピピピピ……
図書館の中に設置されたパチュリーの部屋で、魔法とは一線を引きそうな、機械的な音が響いた。聞こえてきたのはパチュリーが横になっているベッドからなのだが、目覚まし時計というわけではない。もぞもぞ、と布団から這いだし、その音の元凶。『魔力探知型体温計』を脇から取り出したパチュリーは、一瞬その身の動きを止めて、
「……ん」
ネグリジェ姿のまま、短く唸る。
それから、ベッドの横で手を伸ばす小悪魔にそれを渡し。
「41.0度。うん、平熱ね」
びくっと、体温計を受け取ってあからさまに動揺する小悪魔とは対照的に、まったくもって冷静な口調で、少し赤い顔のまま告げる。
「人間の部類でも知恵熱というものがあるように、一気にいろいろな知識を取り入れた魔女にもそういったものがある。おそらく朝の4時くらいまでずっと新しい魔法関係の書物を読んでいたから、そのせいでしょうね。だからこれは、熱があるというわけではなく、魔女にとってはなんの問題もない、生理現象なわけよ。すなわち、これは論理的、学術的、生理学的な全ての観点からして、私は今健康体であることの証明であって――」
あまりの饒舌さに小悪魔は呆然と主人を見つめていたが、しかしそこは長年の付き合い。時間が経つにつれ、小悪魔の表情にもいつもの笑みが戻り。
「なるほど、わかりました」
「わかってくれたのね」
「ええ、わかったのでとりあえず」
主人の状況を理解した従者が取るべき行動はこれしかない。
小悪魔は迷わず、自分の小物入れのところに走り、
「……え、えっと、小悪魔?」
満面の笑みを浮かべつつ戻ってきた小悪魔の手の中には、図書館ではあまり利用しないモノがあった。
一般的に、『荒縄』と呼ばれる物体が。
<物理的に動けない大図書館>
「小悪魔! いったいなんのつもりなのかしらっ!」
パチュリーはあらん限りの声を張り上げた。
いきなり熱を測れと言い、しぶしぶそれに従った結果がこれ。
両足首を荒縄で縛られ、ベッドの柱と結ばれるという囚人にも劣る行為。
主人に対する反逆とも取れる行為をパチュリーが許せるはずが、
「私は、パチュリー様のお体が心配なだけです!」
「何が心配、よ! あなたの趣味なだけじゃないかしら! 嫌らしい!」
「い、嫌らしいなどとっ! それを言うなら41度の体温で平熱と言い張るパチュリー様の方が嫌らしいというか! もう、大人げないというか! 恥ずかしくないんですか!」
「……む」
魔女は人間とともに生活していた。
という歴史もあるとおり、その肉体的構造は人間とほぼ同様である。
体組織やエネルギーとしているもので詳しく分類すると明確に違いが出るが、生活をしている上で違和感がない。特に必要ないが、気が乗れば食事もできるという点でも、人間社会に紛れ込みやすかった。
「たんぱく質で構成された人間なら危ないでしょうけれど。私は魔女よ? それくらい私の従者ならわかって欲しいモノだけれど!」
「……」
そして、今問題になっているのが体温。
実は、重い病気でなければ医者も疑わないくらい人間に近いのだ。おそらくは、血のかわりに魔力が身体中を巡回しているのがその原因。そのベストの状態が36度から37度の間なのだという。
「それなのに、大袈裟に騒ぎ立てるなんて……、程度が知れるわね。あーあ、こんなのが従者なんてね」
ゆえに、魔力が使いにくいだけで身体的には問題ない。
というのがパチュリー側の意見ではあるが、
「お言葉ですが、パチュリー様? 先日、紅魔館での年越しパーティーの際、なんといってお休みになられましたっけ?」
「パーティー? そんなの今関係な、……あっ!」
「その前の、妖怪の山へハイキングへ行こうとレミリアお嬢様が言い出したときも、なんと言って拒否されていたか、聡明なパチュリー様なら覚えていらっしゃいますよね?」
「……え、えっと」
忘れているはずがない。
覚えていないはずがない。
確かその二つのケースの両方とも、パチュリーが新しい魔導書を手に入れたときと重なる。つまり読書に夢中になっていた。
解読が楽しくて楽しくて、
研究が楽しくて楽しくて、
ついついその他のことを疎かにしてしまい。
「その後、レミリアお嬢様と顔を合わせにくいからと、断った経緯などの詳しい説明を全部! 全部私に押し付けたのはどこのどなたでしたか! あのとき、楽しそうだったレミリアお嬢様の顔が、一気に変貌したときの顔! それを間近で見せつけられた私の恐怖がおわかりになるのですかっ!」
確か、その全てのときに使った理由が、
『熱っぽいから♪』
だった気がする。
いや、間違いなく絶対そう。
さらに、こんなことを言っちゃった気がするパチュリーだった。
『いくら優秀な魔法使いでも、魔力の循環、つまり体温が異常だと魔法を暴発させかねないから。だから私は安全のため地下の図書館を出ないの。それくらい私の従者なんだから理解しなさいよ』
つまり、今の状況とぴったり。
論理的に正常で、危険だから主人を思って部屋からでないようにする小悪魔の気遣いは正しいモノであって。
そして、レミリアの怒りの矢面に立たされたその悲しみはもう……
「今日のことだって! 私は嫌がらせでもなんでもなく! パチュリー様の体調が心配で、顔を赤くしているので熱を測ってはどうかと進言しただけです。なのにパチュリー様はっ!」
「それは……、まあ、その、ね? えっと、ち……、ちゃ」
「ちゃ?」
さすがに、過去の自分の台詞はその場限りの嘘でした。
なんて素直に言えるはずもなく。
パチュリーは、若干動揺で汗ばみながらも、この一言に勝負を掛けた。
「ちゃ、ちゃうねん」
……やっぱり駄目だった。
◇ ◇ ◇
「ハハハハッ!」
「……笑わないでくれる?」
「いや、無理でしょ? これを平然と聞けるモノが居るなら見てみたいわ。いたら是非飼いたい」
小悪魔が荒縄を解かずに出て行ってしまったので、なんとかほどけないかと、布団の上で膝を折り曲げて一心不乱に作業をしていると。
慣れない作業に身体が違和感を覚えたのか。
「にゅぃっ!?」
攣った。
モノの見事にふくらはぎが。
座りながら荒縄を解くという単純な作業でしかないというのに、急に足が悲鳴を上げてきたのだ。
運動不足、ここにきわまれり。
「うぅぅぅっ」
掛け布団の上に乗り、おそるおそるベッドの上で足を伸ばして、曲げて……
傷みが和らぐのを待っているところで
ガチャ
「パチェ、具合はど……う? ぷっ」
こともあろうに親友に見つかったというわけだ。
大きめのタオルのような、看病用のアイテムのような何かを手にしたレミリアに。
「あはははっ! いやぁ、実にパチェらしい」
それかはらもう、ベッドの横に椅子を持ってきて、そこに座って笑いっぱなし。
布の塊を床に置いてから、羽を出現させて、ぱたぱたと。
実に楽しそうだ。
おかげさまで、ベッドで横になったパチュリーの顔の半分くらいまでが掛け布団で覆われることとなってしまった。主に、羞恥心で。
その後、経緯経過を説明したら余計に笑い出してしまった。
「それで? 小悪魔に嘘をついてまで出掛けたい場所でもあったの?」
笑い過ぎて出てきた涙を指で拭きつつ、レミリアが問いかけると。パチュリーは布団のガードを少しだけ下げて、小さなテーブルを指差した。
そこには見覚えのある新聞が一つ置いてあって。
「あ~、なるほど」
レミリアがふよふよと空中に浮かびながらそれを覗くと、そこにはこうあった。
『明日、明後日』人里で古本祭開催!!』
と、その新聞の日付が昨日であるからして、
「それで、今日、か」
「そういうことよ」
「でも、熱が出たんなら仕方ないねぇ。私がセッティングしたイベントもそれで休んでくれちゃったみたいだし? ま、今回は本当に体調不良のようだけれど」
「……悪かったわよ」
「はは、冗談だよ。パチェの性質くらいしっているからね。そういったことがあるくらいで怒っていたら、身が持たない。それにしても」
「あ、こら!」
レミリアはベッドの、ちょうどパチュリーの足がある付近の掛け布団を捲った。するとパチュリーが説明したとおり、足首にしっかり荒縄がまきついていて。
「これくらい魔法でなんとかならないの?」
単なる縄くらい、魔法で簡単に壊せるはず。
レミリアがそう感じるのは当然だろう。
何せパチュリーは様々な属性の魔法を使いこなせるわけで、魔法で燃やしたり、凍らせて砕いたり。そんなことが簡単にできるはずなのだ。
しかしパチュリーはレミリアの問いかけに首を振り、
「縄をよく見て、呪文が刻まれてるでしょ?」
「あ、ほんとだ」
「お約束だけど、その術式は縛られたモノの魔力を封じることができるの」
「へぇ~」
だが、レミリアはそれでも納得出来ないようで。
「しかし、小悪魔程度が作り上げた術式をあなたが解除できないなんて……」
「あ、うん。そのマジックアイテム作ったの私だから」
「は?」
「だから、私」
「じゃあ何で小悪魔が持ってるの?」
「…………えっと、ね。話せば長くなるんだけど」
長くなるなら、姿勢を戻すべきか。
そう判断したのか、レミリアが椅子に腰掛ける。
すると、それを見計らってパチュリーが言葉を続け、
「小悪魔がちょっと興奮状態で悪戯してきたから、縛った。その名残でしょうね」
「みじかっ!?」
一行でした。
「でも、悪戯程度でしばるなんて……、どんな内容よ」
「三日間くらいぶっ通しで読書して、疲れて寝て、起きたら机の上に本が並べてあった。たぶんやったのはあの子」
「それだけって、やっぱりパチュリーは厳しいね」
「……本の題名は『パラノイア』『チューリップ栽培入門』『リヴァイアサン』『位相と空間認識』『サイケデリック』『魔法大全1巻』『アラビアンナイト』『イグアナの生態』『死と生命』『低級霊の除霊法』『瑠璃色の季節』ジャンルも何もかもバラバラ、それが横一列に並んでたのよ。で、それをじっと見てたら、なんだか熱い吐息の小悪魔が後ろから抱きついてきたから縛った」
「ほんと、よくわからない関係ねあなた達、その本がこうでしょ横に並んでいたからって」
『パラノイア』
『チューリップ栽培入門』
『リヴァイアサン』
『位相と空間認識』
『サイケデリック』
『魔法大全1巻』
『アラビアンナイト』
『イグアナの生態』
『死と生命』
『低級霊の除霊法』
『瑠璃色の季節』
レミリアが頭の中でその文字を横に並べてみるが、やはり何の意味もないわけで……
「まあ、それで身の危険を感じたから。縛った。なんか発情した野生動物みたいだったし。後で問いただしたら、ちょっと楽しくなれる薬を貰ったからつい出来心で試したとか。あのときは本気で怖かったから、つい作っちゃったのよね」
「で、それを回収するのを忘れてたわけだ」
「そういうことね」
「じゃあ、体温計を誤魔化せば?」
「それも私の特製。干渉する魔力を感知した場合、ある特定の人物に不正があったことを知らせる機能付き。今回はその指定が小悪魔で固定されているから。ごまかしが出来ないの。魔力で上書きされないよう何重にもロックをかけてもあるし」
「へぇ~、何のためにそんなの作ったのやら」
「……」
「何でこっち見るのかしら?」
実は、メイド長から、『お嬢様はお体がすぐれない状態でも、すぐ誤魔化して神社に遊びに行こうとする。だから何とかして欲しい』という依頼によって誕生した物質であるのだが、それは言わない方が良いと言葉を飲み込んだパチュリーであった。
ただ、その仕草を諦めに似た何かと受け取ったようで。
ふふんっとレミリアは鼻を鳴らす。
「まあ、いいじゃない。パチェにとってはいい教訓だよ。今回のこともね。それでまた一つ賢くなったんだから」
「……賢くなった、か。そうね、そのとおりだわ」
今後は研究優先主義を緩和しよう。
縛られたおかげでそう考えるようになったのだから、ある意味レミリアの言葉は大当たり。
「それに、今日その体調を改善させて、明日もう一度行けばいい。私も付き合ってあげる」
「あまり大所帯で本を選ぶのもどうかとおもうのだけれど」
「でも、そっちの方が何かがあって面白そうだわ」
「……レミィはいつもそれなんだから」
「あら? いけないかしら? 面白そうだから動く。緩やかな流れの中にあるこの世界にあって、停滞したままでは何の利点もない。流れない水が腐り果てるようにね」
「流水を怖がる吸血鬼がよく言う」
「時代という恐ろしい水の流れに追われた吸血鬼だからこそだよ。魔女と同じようにね」
「だからレミリアのご機嫌が退屈で腐らないようにしろってことね」
「そうそう、わかってるじゃないか! じゃあ私がパチェに望むことはわかるわよね?」
「はいはい、大人しくすればいいのでしょう?」
つまり、もう明日ついていくのは決定事項。
それまでに元気になっておけと、このお嬢様はご所望なのであった。
「それじゃあ、私は部屋に戻るわ」
そして、レミリアが椅子から立ち上がり。部屋を出て行こうとする。
よくわからない、布の塊をまた抱えて。
最初はタオルかと思ったパチュリーであったが、その形状はおそらく袋状。くにゃりと丸められた状態でレミリアの脇腹に抱えられているのでよくわからないが、何か鮮やかな色が乗っているようにも見える。
ただ、魔術的な力の流れは何もなかったため、パチュリーは『布で出来た何か』以上のことは詮索せずに、軽い足取りで出て行こうとするレミリアを見送り。
「ああ、それと、パチェ? 私ここに来たと言うことはできれば内密にだね……」
ぴたり、
しかし、半身になって振り向くレミリアの動きが急に止まる。
図書館のドアに手を伸ばしたままの状況で一旦停止し、何故か急に背中の羽根を激しく動かし始めた。
さらに、切れのある動きでパチュリーの部屋を見渡し、ばたばたと手を上下させる。
誰がどう見ても狼狽しているのは明らかで。
「レミィ、何が?」
パチュリーがそのあわてふためくレミリアに声を掛けたときだった。
レミリアの視線がパチュリーとそのベッドに固定され。
ぱぁっと表情が明るくなった。
何かを思いついた、というより、思い出したというような顔で。
そして、次の瞬間。
「えっ!?」
紅の弾丸。
まさにその形容詞がぴたりとくる速度でレミリアが床を蹴り、パチュリーへ突進。
ぶつかるっ!、と。
パチュリーが慌てて魔力の盾を身体の前面に展開するが、しかしレミリアの狙いはそこではなかった。
レミリアが目指した場所こそ、
「ちょ、ちょっとぉぉ!?」
ベッドの中。
ひんやりとした吸血鬼の体温が暖かな空間に潜り込む。
直後、パチュリーの悲鳴じみた声があがった。
足の可動範囲が限られている今、妙な行為に及ばれると抵抗すらできない。
危機感を覚え、とっさにレミリアの身体があると思われるところに魔力を集中させるが。
「パチェ! 静かに!」
もぞもぞと動くレミリアはパチュリーの身体に触れることもなく。パチュリーに声量を落とすようにだけ命令するばかり。
レミリアの思いつきの行動はよくあることなので、妙なことをしないならいいか、と。パチュリーが大人しく布団を直し、再び天井を眺めていたら。
「パチュリー、死んだりしてない?」
物騒な言葉と共に、元気の良い声が聞こえてきて。
さらに、大きなノックの音が。
めきょっ
「……」
「……」
「ねえ、パチュリードア板、腐ってる」
「そろそろ力の加減を覚えてくれないかしら、妹様」
「お姉様の部屋に入るときと同じ力で叩いただけだもん」
「……そう」
図書館のドアと同様に、パチュリーの自室のドアも白黒の普通の泥棒(魔法使い)がたまに壊すので、経費的に安価な材料を利用してみたが、それが裏目に出たようである。
フランドールはドアから白い手をにょきっと生やした状態で、悪びれもなく言い切り、今度はその手を無理矢理抜こうとして
なかなか抜けないので苛立ったのか、生えた右手がぎゅっと握られる。
「どうせ壊れてるから、いいよね?」
すると、妙な爆発音の後。
ドアの形をしていたはずの物体が、一瞬のうちに単なる木片に早変わり。
半壊と全壊では大きく違うのだが、壊れてしまったモノは仕方ない。今回のドアの寿命もそこそこに短かったなと、パチュリーは感慨に浸りながら天井を眺め、
「本は隣の図書館から勝手に持って行ってくれれば良いわ。そのときは力加減を間違わないことを切に願うのだけれど」
ベッドの中のレミリアを少し気にしつつ、フランドールに必要事項を告げる。レミリアと同じように、また漫画か魔法関係の本を漁りに来たのだろうとそう思ったからだ。
しかし、フランドールの足音と一緒に何か別な音がパチュリーに近づいてくる。
カラカラ……
「ん?」
咲夜がティーセットを運ぶ音とはまた別の、少し重たげな荷車の音だ。
パチュリーがそれを気にして、わずかに身を起こせば。
「ほら、私と美鈴からよ!」
どすん。
金ダライが、ベッドの横に置かれた。
子供が5人ほど、プール代わりに出来そうなほど大きなモノ。
それを軽々と床に置いたフランドールは自慢げに胸を張り、金ダライの中にある。白いまんまるを重ねた物質を指差した。
「妖精メイドが、『パチュリー様が外に出たがってる』って言ってたから。作ってきてあげたんだよ」
それはフランドールの身長ほどはあろうかという雪だるま。
どうやら小悪魔は今日の愚痴を妖精メイドにも零していたようで、そこからフランドールにも話が伝わったようである。
しかし、フランドールは、
『外に行く = 遊ぶ』
と受け取ってしまったらしく。
美鈴と一緒にそれを作ったのだという。
そこでパチュリーはため息をつく。
これを早く見せたかったから、ドアを破壊するという選択肢に至ったのだと。
これでは怒りたくても怒りにくいというか……
「……美鈴め」
パチュリーは心の中で毒づいた。
従者仲間で、小悪魔とも親しい美鈴のことだ。
おそらくは、パチュリーの目的を十中八九理解している。理解した上で、やってきたフランドールと協力し、雪だるまを作り上げたのだ。
「美鈴の話だと、すぐ溶けちゃうらしいけど。それくらいの時間が経てばパチュリーも治るだろうって」
フランドールを利用することで、雪だるまを無人状態の見張り番とする。
なんと嫌らしい策か。
おそらく、雪だるまが溶ける前にベッドから動いたら。
『せっかく私が作ったのに!』
などとフランドールが癇癪を起こしかねないからだ。その責任は間違いなくパチュリーに降りかかることとなるだろう。
よってパチュリーに残された選択肢は。
「……ありがとう、嬉しいわ」
素直に好意を受け取るだけ。
実際、雪だるまという代物を最近みたことがなかったので、懐かしく感じている。そんな感情を抱かせて貰ったという意味で、パチュリーは軽くフランドールに頭を下げる。それを受け取ったフランドールは、どんなもんだと言わんばかりに腕を組み。自慢げに羽根を揺らしていた。
「そうそう、美鈴から雪だるま作ろうって言われたとき、お姉……、あいつも誘ったんだよ? パチュリーのお見舞いになるからって」
その自慢げな表情から、姉の名前が飛び出した瞬間。
ベッドの中の本人がびくりっと震える。
「そしたら、あいつ。なんて言ったと思う? 『お見舞い? ふん、くだらないね。自己管理がなっていないものに、何故貢ぎ物をする必要がある? ゆえに私がパチェの見舞いに行く道理などないというわけだ。それくらい、我が妹なら理解して欲しいものね』 なーんて言ったのよ」
「ふーん、そう。お見舞いに来る価値なんて無いってことかしらねぇ」
「こういうの、薄情っていうんでしょ? まったく我が姉ながら情けないわ」
ベッドの中で、パチュリーのネグリジェがぐいぐい引っ張られ、太ももあたりをつんつんと突かれる。
姿は見えないが、その慌てぶりを想像するだけでパチュリーの顔に笑みが浮かんでいく。
「しかたないからさ、ここに来る前にあいつの部屋に行ったのよ。一緒に作ったことにして上げるって言いにね。そしたら誰もいなかったの、咲夜は『屋敷の中にいる』って言ってたけど、私にはわかるの。姉妹だから、お姉様の気配が急に薄くなったことくらいね。きっとまたパチュリーを置いて神社にでも遊びに行ったに違いないわ」
「そう、気配を、ね」
必死に、気配まで消して隠れるということはきっとこういうことなのだろう。
フランドールにお見舞いに行かないのかと聞かされ、いつもの感じでカリスマ風味を出したところに、咲夜から。
『親友としてそれは不味いんじゃ……』
『えっ!?』
と、指摘を受けたレミリアは、居ても立っても居られなくなり。
とりあえずフランドールが雪だるまを作り終わる前に見舞いだけは終わらせておこうと、したに違いない。
レミリアが部屋を出ようとしたとき、パチュリーに告げようとした台詞がその証拠。
そしてそのお見舞いに来ちゃった当の本人は。
まだ必死に気配を消している真っ最中である。
――素直じゃないというか、なんというか。
布団の中身をフランドールに見せても面白いと思うパチュリーであったが、さすがにそれは可愛そうだと判断し、
「雪だるまどうもありがとう。フランドールは私のこと気にせずに、美鈴と遊んでいらっしゃいな」
「はーい!」
その親友を助けるため、仕方なく。
パチュリーはフランドールを追い出すような言葉を口にしてみた。するとまだ遊びたりなかったようで、素直に提案を聞き入れたフランドールが元気よく手を挙げる。
「じゃ、これ、おいとくから」
後かたづけをしなければいけない小悪魔は大変そうだが、妹様が楽しそうならばいいか。そんなことを考えつつ、同時にレミリアの危機が去ったことを認識し――
「あ、そうだ。私、最近魔法の勉強もしてるんだけど。パチュリーの足に今、変な魔法かかったロープがついてるんだよね?」
しかし、その可愛い悪魔はくるりと振り返り、戻ってきた。
しかもその内容はレミリアにとって絶体絶命の危機に他ならず、その緊張はパチュリーにも容易に窺い知れる。
親友のお見舞いにこっそり、来て。
しかも、布団の中に入ってる。
姉という威厳が数百年単位でブレイクする事実がここにあるのだ。
さすがにそれは不味いと、パチュリーも何気ない態度で防御を試みるが、
「え、ええ、まぁ、気になるのなら後でもっていかせ――」
「みーせーてっ!」
「あっ!」
パチュリーの抵抗むなしく。
幼い好奇心の前では、すべてが無力。
布団という薄い結界はあっさりと解除される。
楽しそうに、再びベッドに近寄ってきたフランドールによって、パチュリーの太ももくらいまでの布団が捲り上げられてしまっている。
明らかにそこは、レミリアが隠れているところ。
万事休す。
パチュリーが、諦めた様子でため息を吐くと。
フランドールはくすくすっと微笑みを浮かべたまま、口を開く、
「へぇ~、ここが、こう、ね。面白い術式。こんなのもできるんだ」
「へ?」
小さい唇からはき出された言葉に、パチュリーは情けない声を上げてしまっていた。
「私がぎゅってしたら簡単に壊れそうだけど、駄目だって言われてるし。お願いされてもできないからね?」
「え、ええ、それはわかっているのだけれど」
パチュリーは動揺が隠しきれない。
何故、どうして。
フランドールは絶対にアレを見ているはずだ。
荒縄なんかよりもずっとインパクトのある、姉という存在を。
それが太もも付近で丸くなっている映像が、その瞳に飛び込んでいるはずだというのに。
「魔法を封じる、か。ふふ、今度使ってみようかなぁ~♪」
フランドールの興味は、荒縄に書き込んだ術式の方だけ。
それを堪能し、満足したフランドールは。
「じゃあ、遊んでくる」
あっさりと布団を元に戻し、てくてくと部屋を出て行こうとする。
それを呆然と見送るパチュリーの内心など、知るよしもなく。
――もしかして、偶然レミィの身体が掛け布団に引っかかった?
都合の良い解釈しか出てこないパチュリーの前で、ドアが無くなった入り口を潜ろうとするフランドールが、またあのときのレミリアのように、半身になって振り返る。
その頬が、若干朱に染まって見えるのは、気のせいだろうか。
「そ、それと。趣味って言うか、そういうのは自由だと思うんだけど……、やっぱりその枕って……毎日使ってるの?」
「……枕?」
何故このタイミングで枕の話に。
パチュリーは訝しく感じながらも、話題が逸れたことを素直に喜び。話に乗る。
「うん、枕……」
「眠るときは、必ず使うけれど」
間違いない、枕は寝るときに使うモノ。
「無かったら眠れない、とか?」
「そうね、物足りなくなる。必須と言っていいモノではないかしら?」
疲れを取るのに適度な睡眠は効率的。
その効率を高めるのが枕なのだから。
「……やっぱり、抱きしめたりとか?」
「しない。とは言い難いわね。無意識に抱えていることもあるから」
確かフランドールとレミリアは棺桶で眠ることもあればベッドで眠ることもある。だからこそ睡眠というものにあまり拘らないというイメージがパチュリーにあったのだが、眠っているパチュリーを見て、眠りについて考えてしまっただけなのかもしれない。
フランドールはどこか突拍子もないところがあるのだから。
そう自分を納得させ、パチュリーがレミリアの話題にいかなかったことに胸を撫で下ろしていると。
「じゃ、じゃあ、本物は?」
何故かさっきよりも顔を真っ赤にして、フランドールが質問してくる。
これにはさすがのパチュリーも困惑した。
本物?
ということは偽物がある?
そもそも枕に偽物などあったのか?
しかし、ここでしどろもどろになるとフランドールに疑惑をもたれてしまう。
だから仕方なくパチュリーは一般的な模範解答を選ぶことにした。
疲れを取る枕には、かなり拘っているつもりであるし。
その上質な一品が本物という意味合いなら、答えは簡単だ。
「そうね、やはり本物の方が素晴らしいと思うわ。偽物よりも心地よく、柔らかいでしょうし。触り心地も滑らか。偽物には体現しきれない弾力により、こちらのアクションを受け止めてくれる包容感があったりするのも素敵ね。本物の方が圧倒的に魅力的だと思うわ」
「滑らかな触り心地……、弾力……」
しかし、どんどんフランドールの顔が赤くなっていく。
もう湯気すらでかねない。
赤い霧を生み出して、第二次紅魔異変を起こしかねないくらいだ。
そして、なぜか自分のお腹や、腕を触り始めて。
「……? フランドールも、試してみる?」
「☆▲@$&■っ!? わ、私! 美鈴と遊んでくるからぁぁっっ!!」
枕選びなら協力する。
そう提案しただけなのに、何故かフランドールは逃げるように去ってしまった。
飛び上がり、埃すら立てて。
それを奇妙に思いながらも、危機は去ったと太ももを揺らすことでレミリアに伝えると。
もぞもぞ、と。布団の中で動いてから。
「あ、ああ、うん。感謝する」
何故かレミリアも少しだけ赤い顔でベッドから出た。
レミリアの場合は熱い布団の中にいたからであろうが、やはりあのフランドールの不自然な仕草はパチュリーの探求心をくすぐってくる。
「レミィ? フランドールの様子がおかしかったのだけれど。最近睡眠か何かで悩みがあるのかしら?」
「そ、そうだね。500歳が近いわけだから、そういったことを意識する年頃になったのだろう。必然と言って良い」
「よくわからないわ」
「吸血鬼特有のものかもしれないからね。わからないのも当然だろう。さて、私も部屋に戻ることにしようか、後でフランの相手もしてあげないといけないかもしれないから」
「……そう、ね。わかったわ。これ以上詮索しないことにする」
「それがいい」
レミリアが安心したように、息を吐き。
それに併せるように羽根も力が抜けたように下がる。そして、また明日と言いながらレミリアはベッドから離れて。
「あっ」
何かが、掛け布団とパチュリーのふとももの間に引っかかる。
それは間違いなく、レミリアが持ち込んだ長い布製の何かであった。
ただ、引っかかった瞬間に生まれた摩擦力がレミリアの予想より大きかったのだろうか。胸の方に引っ張り込むことができず、途中でレミリアの手を離れたそれは、ゆっくりとした速度で床へと落ちていく。
「……え?」
伸びきって、綺麗に模様が見える状態で、ゆらゆらと。
レミリアと会話をするため身体を起こしていたパチュリーの視線も、自然とソレを追いかける。
それはまさしく、スローモーション。
ほんのわずかな時間を引き延ばされたような錯覚が支配する世界で、
「……」
布を取りこぼしたレミリアが硬直する中、それはとうとう、ふわりと床に落ちた。拡がったその布地には、鮮明な絵画が。
いや、色鮮やかな写真が刻み込まれていた。
「レミィ?」
そう、館の主。
レミリア・スカーレットのベッドで眠っているときの。
愛らしい全身、まさしく可愛らしい芸術が。
身を固めていたレミリアは、はっと気付いて慌ててソレを回収し。
「こほん、……パチェ、落ち着いて聞いて欲しいのだけれど」
「……ええ、聞くわ」
紅の瞳を輝かせ、
「そう、それは例えるならばちょっとした悲劇だ。私は、己の過ちに気づきそれを正すため、咲夜に案を求めた。それで彼女の部屋にこっそり侵入したことが、連鎖の始まりだったのだよ」
両腕を拡げ、威厳すら感じさせるほど魔力を高ぶらせる。
「その部屋で私はこれを見つけてしまった。咲夜のベッドの上で存在感を見せつけるこの異物をな。大きさも、ほとんど私と同じ。そこで私は閃いたよ。これだ、と」
「……続けて」
「これならば、この写し身を利用出来れば。過ちを我が妹に知られることなく、正しきことを貫けるはずだと。そのために私は、中にある柔らかなハラワタを取り除き、外皮だけを持った。そして、さっきだ。その危機を免れるための最終手段として、その写し身を身に付けた。最悪の事態を避けたのだ!」
「……なるほど」
手に入れた経緯が若干に気になるところではあるが大事なのはそこではない。
大事なのはフランドールが残した、『偽物』という言葉の意味だ。
フランドールが、布団を捲り上げた瞬間。
常識的に考えれば、レミリアを見つけていたはず。
いや、正しくは。
『偽物』に入っていた『本物』を見つけたわけだ。
「つ、つまりだね! 今回の事件は全て運命の悪戯とも言うべきで……、そう、そうだよ! 運命っ! ふふ、私の能力が悪戯をしたというちょっとだけ不幸な事件であって」
「……ふーん」
そして、フランドールとの別れ際。
その際、パチュリーはなんと言ったか。
偽物と本物の違いを、どのようにして熱く語ったか。
そこから生まれる結論はもう、一つしかない。
「だ、だから、ね? パチェもわかるでしょうっ! これは、事故! ね? ちょっとは私も悪かったかなと思うけれど、ね? ねぇ?」
「……そうね」
パチュリーの冷たい返しによって、段々とレミリアの威厳が剥がれ。
最後にはもう、びくびくしながらパチュリーの様子を伺う小動物のようになってしまっていた。
そんな親友の姿を見て、パチュリーは、ふぅっと優しく息を吐いて。
「わかった、わかったわ、レミィ。だから、もっと顔を上げて。もっとベッドの側に……」
「ぱ、パチェ! ありがっ――」
許された、そう思って近づき、パチュリーの顔を見たレミリアは悟った。
張り付いた笑顔のこめかみあたりが、ぴくぴく震えているのを見て、全てを理解した。
ゆえにレミリアは、全てをこの言葉に掛けるしかなかった。
「……ちゃうねん」
直後、パチュリーの全体重を乗せた枕がレミリアの顔面を直撃した。
そして、そこから少し離れた場所。
「あれ、わ、私のお嬢様はっ!? 素敵な抱き心地のお嬢様はどこにっ!」
(……さ、三角関係っ!?)
咲夜の部屋をこっそり覗く、495歳児の英才教育(?)は更に続くのであった。
図書館の中に設置されたパチュリーの部屋で、魔法とは一線を引きそうな、機械的な音が響いた。聞こえてきたのはパチュリーが横になっているベッドからなのだが、目覚まし時計というわけではない。もぞもぞ、と布団から這いだし、その音の元凶。『魔力探知型体温計』を脇から取り出したパチュリーは、一瞬その身の動きを止めて、
「……ん」
ネグリジェ姿のまま、短く唸る。
それから、ベッドの横で手を伸ばす小悪魔にそれを渡し。
「41.0度。うん、平熱ね」
びくっと、体温計を受け取ってあからさまに動揺する小悪魔とは対照的に、まったくもって冷静な口調で、少し赤い顔のまま告げる。
「人間の部類でも知恵熱というものがあるように、一気にいろいろな知識を取り入れた魔女にもそういったものがある。おそらく朝の4時くらいまでずっと新しい魔法関係の書物を読んでいたから、そのせいでしょうね。だからこれは、熱があるというわけではなく、魔女にとってはなんの問題もない、生理現象なわけよ。すなわち、これは論理的、学術的、生理学的な全ての観点からして、私は今健康体であることの証明であって――」
あまりの饒舌さに小悪魔は呆然と主人を見つめていたが、しかしそこは長年の付き合い。時間が経つにつれ、小悪魔の表情にもいつもの笑みが戻り。
「なるほど、わかりました」
「わかってくれたのね」
「ええ、わかったのでとりあえず」
主人の状況を理解した従者が取るべき行動はこれしかない。
小悪魔は迷わず、自分の小物入れのところに走り、
「……え、えっと、小悪魔?」
満面の笑みを浮かべつつ戻ってきた小悪魔の手の中には、図書館ではあまり利用しないモノがあった。
一般的に、『荒縄』と呼ばれる物体が。
<物理的に動けない大図書館>
「小悪魔! いったいなんのつもりなのかしらっ!」
パチュリーはあらん限りの声を張り上げた。
いきなり熱を測れと言い、しぶしぶそれに従った結果がこれ。
両足首を荒縄で縛られ、ベッドの柱と結ばれるという囚人にも劣る行為。
主人に対する反逆とも取れる行為をパチュリーが許せるはずが、
「私は、パチュリー様のお体が心配なだけです!」
「何が心配、よ! あなたの趣味なだけじゃないかしら! 嫌らしい!」
「い、嫌らしいなどとっ! それを言うなら41度の体温で平熱と言い張るパチュリー様の方が嫌らしいというか! もう、大人げないというか! 恥ずかしくないんですか!」
「……む」
魔女は人間とともに生活していた。
という歴史もあるとおり、その肉体的構造は人間とほぼ同様である。
体組織やエネルギーとしているもので詳しく分類すると明確に違いが出るが、生活をしている上で違和感がない。特に必要ないが、気が乗れば食事もできるという点でも、人間社会に紛れ込みやすかった。
「たんぱく質で構成された人間なら危ないでしょうけれど。私は魔女よ? それくらい私の従者ならわかって欲しいモノだけれど!」
「……」
そして、今問題になっているのが体温。
実は、重い病気でなければ医者も疑わないくらい人間に近いのだ。おそらくは、血のかわりに魔力が身体中を巡回しているのがその原因。そのベストの状態が36度から37度の間なのだという。
「それなのに、大袈裟に騒ぎ立てるなんて……、程度が知れるわね。あーあ、こんなのが従者なんてね」
ゆえに、魔力が使いにくいだけで身体的には問題ない。
というのがパチュリー側の意見ではあるが、
「お言葉ですが、パチュリー様? 先日、紅魔館での年越しパーティーの際、なんといってお休みになられましたっけ?」
「パーティー? そんなの今関係な、……あっ!」
「その前の、妖怪の山へハイキングへ行こうとレミリアお嬢様が言い出したときも、なんと言って拒否されていたか、聡明なパチュリー様なら覚えていらっしゃいますよね?」
「……え、えっと」
忘れているはずがない。
覚えていないはずがない。
確かその二つのケースの両方とも、パチュリーが新しい魔導書を手に入れたときと重なる。つまり読書に夢中になっていた。
解読が楽しくて楽しくて、
研究が楽しくて楽しくて、
ついついその他のことを疎かにしてしまい。
「その後、レミリアお嬢様と顔を合わせにくいからと、断った経緯などの詳しい説明を全部! 全部私に押し付けたのはどこのどなたでしたか! あのとき、楽しそうだったレミリアお嬢様の顔が、一気に変貌したときの顔! それを間近で見せつけられた私の恐怖がおわかりになるのですかっ!」
確か、その全てのときに使った理由が、
『熱っぽいから♪』
だった気がする。
いや、間違いなく絶対そう。
さらに、こんなことを言っちゃった気がするパチュリーだった。
『いくら優秀な魔法使いでも、魔力の循環、つまり体温が異常だと魔法を暴発させかねないから。だから私は安全のため地下の図書館を出ないの。それくらい私の従者なんだから理解しなさいよ』
つまり、今の状況とぴったり。
論理的に正常で、危険だから主人を思って部屋からでないようにする小悪魔の気遣いは正しいモノであって。
そして、レミリアの怒りの矢面に立たされたその悲しみはもう……
「今日のことだって! 私は嫌がらせでもなんでもなく! パチュリー様の体調が心配で、顔を赤くしているので熱を測ってはどうかと進言しただけです。なのにパチュリー様はっ!」
「それは……、まあ、その、ね? えっと、ち……、ちゃ」
「ちゃ?」
さすがに、過去の自分の台詞はその場限りの嘘でした。
なんて素直に言えるはずもなく。
パチュリーは、若干動揺で汗ばみながらも、この一言に勝負を掛けた。
「ちゃ、ちゃうねん」
……やっぱり駄目だった。
◇ ◇ ◇
「ハハハハッ!」
「……笑わないでくれる?」
「いや、無理でしょ? これを平然と聞けるモノが居るなら見てみたいわ。いたら是非飼いたい」
小悪魔が荒縄を解かずに出て行ってしまったので、なんとかほどけないかと、布団の上で膝を折り曲げて一心不乱に作業をしていると。
慣れない作業に身体が違和感を覚えたのか。
「にゅぃっ!?」
攣った。
モノの見事にふくらはぎが。
座りながら荒縄を解くという単純な作業でしかないというのに、急に足が悲鳴を上げてきたのだ。
運動不足、ここにきわまれり。
「うぅぅぅっ」
掛け布団の上に乗り、おそるおそるベッドの上で足を伸ばして、曲げて……
傷みが和らぐのを待っているところで
ガチャ
「パチェ、具合はど……う? ぷっ」
こともあろうに親友に見つかったというわけだ。
大きめのタオルのような、看病用のアイテムのような何かを手にしたレミリアに。
「あはははっ! いやぁ、実にパチェらしい」
それかはらもう、ベッドの横に椅子を持ってきて、そこに座って笑いっぱなし。
布の塊を床に置いてから、羽を出現させて、ぱたぱたと。
実に楽しそうだ。
おかげさまで、ベッドで横になったパチュリーの顔の半分くらいまでが掛け布団で覆われることとなってしまった。主に、羞恥心で。
その後、経緯経過を説明したら余計に笑い出してしまった。
「それで? 小悪魔に嘘をついてまで出掛けたい場所でもあったの?」
笑い過ぎて出てきた涙を指で拭きつつ、レミリアが問いかけると。パチュリーは布団のガードを少しだけ下げて、小さなテーブルを指差した。
そこには見覚えのある新聞が一つ置いてあって。
「あ~、なるほど」
レミリアがふよふよと空中に浮かびながらそれを覗くと、そこにはこうあった。
『明日、明後日』人里で古本祭開催!!』
と、その新聞の日付が昨日であるからして、
「それで、今日、か」
「そういうことよ」
「でも、熱が出たんなら仕方ないねぇ。私がセッティングしたイベントもそれで休んでくれちゃったみたいだし? ま、今回は本当に体調不良のようだけれど」
「……悪かったわよ」
「はは、冗談だよ。パチェの性質くらいしっているからね。そういったことがあるくらいで怒っていたら、身が持たない。それにしても」
「あ、こら!」
レミリアはベッドの、ちょうどパチュリーの足がある付近の掛け布団を捲った。するとパチュリーが説明したとおり、足首にしっかり荒縄がまきついていて。
「これくらい魔法でなんとかならないの?」
単なる縄くらい、魔法で簡単に壊せるはず。
レミリアがそう感じるのは当然だろう。
何せパチュリーは様々な属性の魔法を使いこなせるわけで、魔法で燃やしたり、凍らせて砕いたり。そんなことが簡単にできるはずなのだ。
しかしパチュリーはレミリアの問いかけに首を振り、
「縄をよく見て、呪文が刻まれてるでしょ?」
「あ、ほんとだ」
「お約束だけど、その術式は縛られたモノの魔力を封じることができるの」
「へぇ~」
だが、レミリアはそれでも納得出来ないようで。
「しかし、小悪魔程度が作り上げた術式をあなたが解除できないなんて……」
「あ、うん。そのマジックアイテム作ったの私だから」
「は?」
「だから、私」
「じゃあ何で小悪魔が持ってるの?」
「…………えっと、ね。話せば長くなるんだけど」
長くなるなら、姿勢を戻すべきか。
そう判断したのか、レミリアが椅子に腰掛ける。
すると、それを見計らってパチュリーが言葉を続け、
「小悪魔がちょっと興奮状態で悪戯してきたから、縛った。その名残でしょうね」
「みじかっ!?」
一行でした。
「でも、悪戯程度でしばるなんて……、どんな内容よ」
「三日間くらいぶっ通しで読書して、疲れて寝て、起きたら机の上に本が並べてあった。たぶんやったのはあの子」
「それだけって、やっぱりパチュリーは厳しいね」
「……本の題名は『パラノイア』『チューリップ栽培入門』『リヴァイアサン』『位相と空間認識』『サイケデリック』『魔法大全1巻』『アラビアンナイト』『イグアナの生態』『死と生命』『低級霊の除霊法』『瑠璃色の季節』ジャンルも何もかもバラバラ、それが横一列に並んでたのよ。で、それをじっと見てたら、なんだか熱い吐息の小悪魔が後ろから抱きついてきたから縛った」
「ほんと、よくわからない関係ねあなた達、その本がこうでしょ横に並んでいたからって」
『パラノイア』
『チューリップ栽培入門』
『リヴァイアサン』
『位相と空間認識』
『サイケデリック』
『魔法大全1巻』
『アラビアンナイト』
『イグアナの生態』
『死と生命』
『低級霊の除霊法』
『瑠璃色の季節』
レミリアが頭の中でその文字を横に並べてみるが、やはり何の意味もないわけで……
「まあ、それで身の危険を感じたから。縛った。なんか発情した野生動物みたいだったし。後で問いただしたら、ちょっと楽しくなれる薬を貰ったからつい出来心で試したとか。あのときは本気で怖かったから、つい作っちゃったのよね」
「で、それを回収するのを忘れてたわけだ」
「そういうことね」
「じゃあ、体温計を誤魔化せば?」
「それも私の特製。干渉する魔力を感知した場合、ある特定の人物に不正があったことを知らせる機能付き。今回はその指定が小悪魔で固定されているから。ごまかしが出来ないの。魔力で上書きされないよう何重にもロックをかけてもあるし」
「へぇ~、何のためにそんなの作ったのやら」
「……」
「何でこっち見るのかしら?」
実は、メイド長から、『お嬢様はお体がすぐれない状態でも、すぐ誤魔化して神社に遊びに行こうとする。だから何とかして欲しい』という依頼によって誕生した物質であるのだが、それは言わない方が良いと言葉を飲み込んだパチュリーであった。
ただ、その仕草を諦めに似た何かと受け取ったようで。
ふふんっとレミリアは鼻を鳴らす。
「まあ、いいじゃない。パチェにとってはいい教訓だよ。今回のこともね。それでまた一つ賢くなったんだから」
「……賢くなった、か。そうね、そのとおりだわ」
今後は研究優先主義を緩和しよう。
縛られたおかげでそう考えるようになったのだから、ある意味レミリアの言葉は大当たり。
「それに、今日その体調を改善させて、明日もう一度行けばいい。私も付き合ってあげる」
「あまり大所帯で本を選ぶのもどうかとおもうのだけれど」
「でも、そっちの方が何かがあって面白そうだわ」
「……レミィはいつもそれなんだから」
「あら? いけないかしら? 面白そうだから動く。緩やかな流れの中にあるこの世界にあって、停滞したままでは何の利点もない。流れない水が腐り果てるようにね」
「流水を怖がる吸血鬼がよく言う」
「時代という恐ろしい水の流れに追われた吸血鬼だからこそだよ。魔女と同じようにね」
「だからレミリアのご機嫌が退屈で腐らないようにしろってことね」
「そうそう、わかってるじゃないか! じゃあ私がパチェに望むことはわかるわよね?」
「はいはい、大人しくすればいいのでしょう?」
つまり、もう明日ついていくのは決定事項。
それまでに元気になっておけと、このお嬢様はご所望なのであった。
「それじゃあ、私は部屋に戻るわ」
そして、レミリアが椅子から立ち上がり。部屋を出て行こうとする。
よくわからない、布の塊をまた抱えて。
最初はタオルかと思ったパチュリーであったが、その形状はおそらく袋状。くにゃりと丸められた状態でレミリアの脇腹に抱えられているのでよくわからないが、何か鮮やかな色が乗っているようにも見える。
ただ、魔術的な力の流れは何もなかったため、パチュリーは『布で出来た何か』以上のことは詮索せずに、軽い足取りで出て行こうとするレミリアを見送り。
「ああ、それと、パチェ? 私ここに来たと言うことはできれば内密にだね……」
ぴたり、
しかし、半身になって振り向くレミリアの動きが急に止まる。
図書館のドアに手を伸ばしたままの状況で一旦停止し、何故か急に背中の羽根を激しく動かし始めた。
さらに、切れのある動きでパチュリーの部屋を見渡し、ばたばたと手を上下させる。
誰がどう見ても狼狽しているのは明らかで。
「レミィ、何が?」
パチュリーがそのあわてふためくレミリアに声を掛けたときだった。
レミリアの視線がパチュリーとそのベッドに固定され。
ぱぁっと表情が明るくなった。
何かを思いついた、というより、思い出したというような顔で。
そして、次の瞬間。
「えっ!?」
紅の弾丸。
まさにその形容詞がぴたりとくる速度でレミリアが床を蹴り、パチュリーへ突進。
ぶつかるっ!、と。
パチュリーが慌てて魔力の盾を身体の前面に展開するが、しかしレミリアの狙いはそこではなかった。
レミリアが目指した場所こそ、
「ちょ、ちょっとぉぉ!?」
ベッドの中。
ひんやりとした吸血鬼の体温が暖かな空間に潜り込む。
直後、パチュリーの悲鳴じみた声があがった。
足の可動範囲が限られている今、妙な行為に及ばれると抵抗すらできない。
危機感を覚え、とっさにレミリアの身体があると思われるところに魔力を集中させるが。
「パチェ! 静かに!」
もぞもぞと動くレミリアはパチュリーの身体に触れることもなく。パチュリーに声量を落とすようにだけ命令するばかり。
レミリアの思いつきの行動はよくあることなので、妙なことをしないならいいか、と。パチュリーが大人しく布団を直し、再び天井を眺めていたら。
「パチュリー、死んだりしてない?」
物騒な言葉と共に、元気の良い声が聞こえてきて。
さらに、大きなノックの音が。
めきょっ
「……」
「……」
「ねえ、パチュリードア板、腐ってる」
「そろそろ力の加減を覚えてくれないかしら、妹様」
「お姉様の部屋に入るときと同じ力で叩いただけだもん」
「……そう」
図書館のドアと同様に、パチュリーの自室のドアも白黒の普通の泥棒(魔法使い)がたまに壊すので、経費的に安価な材料を利用してみたが、それが裏目に出たようである。
フランドールはドアから白い手をにょきっと生やした状態で、悪びれもなく言い切り、今度はその手を無理矢理抜こうとして
なかなか抜けないので苛立ったのか、生えた右手がぎゅっと握られる。
「どうせ壊れてるから、いいよね?」
すると、妙な爆発音の後。
ドアの形をしていたはずの物体が、一瞬のうちに単なる木片に早変わり。
半壊と全壊では大きく違うのだが、壊れてしまったモノは仕方ない。今回のドアの寿命もそこそこに短かったなと、パチュリーは感慨に浸りながら天井を眺め、
「本は隣の図書館から勝手に持って行ってくれれば良いわ。そのときは力加減を間違わないことを切に願うのだけれど」
ベッドの中のレミリアを少し気にしつつ、フランドールに必要事項を告げる。レミリアと同じように、また漫画か魔法関係の本を漁りに来たのだろうとそう思ったからだ。
しかし、フランドールの足音と一緒に何か別な音がパチュリーに近づいてくる。
カラカラ……
「ん?」
咲夜がティーセットを運ぶ音とはまた別の、少し重たげな荷車の音だ。
パチュリーがそれを気にして、わずかに身を起こせば。
「ほら、私と美鈴からよ!」
どすん。
金ダライが、ベッドの横に置かれた。
子供が5人ほど、プール代わりに出来そうなほど大きなモノ。
それを軽々と床に置いたフランドールは自慢げに胸を張り、金ダライの中にある。白いまんまるを重ねた物質を指差した。
「妖精メイドが、『パチュリー様が外に出たがってる』って言ってたから。作ってきてあげたんだよ」
それはフランドールの身長ほどはあろうかという雪だるま。
どうやら小悪魔は今日の愚痴を妖精メイドにも零していたようで、そこからフランドールにも話が伝わったようである。
しかし、フランドールは、
『外に行く = 遊ぶ』
と受け取ってしまったらしく。
美鈴と一緒にそれを作ったのだという。
そこでパチュリーはため息をつく。
これを早く見せたかったから、ドアを破壊するという選択肢に至ったのだと。
これでは怒りたくても怒りにくいというか……
「……美鈴め」
パチュリーは心の中で毒づいた。
従者仲間で、小悪魔とも親しい美鈴のことだ。
おそらくは、パチュリーの目的を十中八九理解している。理解した上で、やってきたフランドールと協力し、雪だるまを作り上げたのだ。
「美鈴の話だと、すぐ溶けちゃうらしいけど。それくらいの時間が経てばパチュリーも治るだろうって」
フランドールを利用することで、雪だるまを無人状態の見張り番とする。
なんと嫌らしい策か。
おそらく、雪だるまが溶ける前にベッドから動いたら。
『せっかく私が作ったのに!』
などとフランドールが癇癪を起こしかねないからだ。その責任は間違いなくパチュリーに降りかかることとなるだろう。
よってパチュリーに残された選択肢は。
「……ありがとう、嬉しいわ」
素直に好意を受け取るだけ。
実際、雪だるまという代物を最近みたことがなかったので、懐かしく感じている。そんな感情を抱かせて貰ったという意味で、パチュリーは軽くフランドールに頭を下げる。それを受け取ったフランドールは、どんなもんだと言わんばかりに腕を組み。自慢げに羽根を揺らしていた。
「そうそう、美鈴から雪だるま作ろうって言われたとき、お姉……、あいつも誘ったんだよ? パチュリーのお見舞いになるからって」
その自慢げな表情から、姉の名前が飛び出した瞬間。
ベッドの中の本人がびくりっと震える。
「そしたら、あいつ。なんて言ったと思う? 『お見舞い? ふん、くだらないね。自己管理がなっていないものに、何故貢ぎ物をする必要がある? ゆえに私がパチェの見舞いに行く道理などないというわけだ。それくらい、我が妹なら理解して欲しいものね』 なーんて言ったのよ」
「ふーん、そう。お見舞いに来る価値なんて無いってことかしらねぇ」
「こういうの、薄情っていうんでしょ? まったく我が姉ながら情けないわ」
ベッドの中で、パチュリーのネグリジェがぐいぐい引っ張られ、太ももあたりをつんつんと突かれる。
姿は見えないが、その慌てぶりを想像するだけでパチュリーの顔に笑みが浮かんでいく。
「しかたないからさ、ここに来る前にあいつの部屋に行ったのよ。一緒に作ったことにして上げるって言いにね。そしたら誰もいなかったの、咲夜は『屋敷の中にいる』って言ってたけど、私にはわかるの。姉妹だから、お姉様の気配が急に薄くなったことくらいね。きっとまたパチュリーを置いて神社にでも遊びに行ったに違いないわ」
「そう、気配を、ね」
必死に、気配まで消して隠れるということはきっとこういうことなのだろう。
フランドールにお見舞いに行かないのかと聞かされ、いつもの感じでカリスマ風味を出したところに、咲夜から。
『親友としてそれは不味いんじゃ……』
『えっ!?』
と、指摘を受けたレミリアは、居ても立っても居られなくなり。
とりあえずフランドールが雪だるまを作り終わる前に見舞いだけは終わらせておこうと、したに違いない。
レミリアが部屋を出ようとしたとき、パチュリーに告げようとした台詞がその証拠。
そしてそのお見舞いに来ちゃった当の本人は。
まだ必死に気配を消している真っ最中である。
――素直じゃないというか、なんというか。
布団の中身をフランドールに見せても面白いと思うパチュリーであったが、さすがにそれは可愛そうだと判断し、
「雪だるまどうもありがとう。フランドールは私のこと気にせずに、美鈴と遊んでいらっしゃいな」
「はーい!」
その親友を助けるため、仕方なく。
パチュリーはフランドールを追い出すような言葉を口にしてみた。するとまだ遊びたりなかったようで、素直に提案を聞き入れたフランドールが元気よく手を挙げる。
「じゃ、これ、おいとくから」
後かたづけをしなければいけない小悪魔は大変そうだが、妹様が楽しそうならばいいか。そんなことを考えつつ、同時にレミリアの危機が去ったことを認識し――
「あ、そうだ。私、最近魔法の勉強もしてるんだけど。パチュリーの足に今、変な魔法かかったロープがついてるんだよね?」
しかし、その可愛い悪魔はくるりと振り返り、戻ってきた。
しかもその内容はレミリアにとって絶体絶命の危機に他ならず、その緊張はパチュリーにも容易に窺い知れる。
親友のお見舞いにこっそり、来て。
しかも、布団の中に入ってる。
姉という威厳が数百年単位でブレイクする事実がここにあるのだ。
さすがにそれは不味いと、パチュリーも何気ない態度で防御を試みるが、
「え、ええ、まぁ、気になるのなら後でもっていかせ――」
「みーせーてっ!」
「あっ!」
パチュリーの抵抗むなしく。
幼い好奇心の前では、すべてが無力。
布団という薄い結界はあっさりと解除される。
楽しそうに、再びベッドに近寄ってきたフランドールによって、パチュリーの太ももくらいまでの布団が捲り上げられてしまっている。
明らかにそこは、レミリアが隠れているところ。
万事休す。
パチュリーが、諦めた様子でため息を吐くと。
フランドールはくすくすっと微笑みを浮かべたまま、口を開く、
「へぇ~、ここが、こう、ね。面白い術式。こんなのもできるんだ」
「へ?」
小さい唇からはき出された言葉に、パチュリーは情けない声を上げてしまっていた。
「私がぎゅってしたら簡単に壊れそうだけど、駄目だって言われてるし。お願いされてもできないからね?」
「え、ええ、それはわかっているのだけれど」
パチュリーは動揺が隠しきれない。
何故、どうして。
フランドールは絶対にアレを見ているはずだ。
荒縄なんかよりもずっとインパクトのある、姉という存在を。
それが太もも付近で丸くなっている映像が、その瞳に飛び込んでいるはずだというのに。
「魔法を封じる、か。ふふ、今度使ってみようかなぁ~♪」
フランドールの興味は、荒縄に書き込んだ術式の方だけ。
それを堪能し、満足したフランドールは。
「じゃあ、遊んでくる」
あっさりと布団を元に戻し、てくてくと部屋を出て行こうとする。
それを呆然と見送るパチュリーの内心など、知るよしもなく。
――もしかして、偶然レミィの身体が掛け布団に引っかかった?
都合の良い解釈しか出てこないパチュリーの前で、ドアが無くなった入り口を潜ろうとするフランドールが、またあのときのレミリアのように、半身になって振り返る。
その頬が、若干朱に染まって見えるのは、気のせいだろうか。
「そ、それと。趣味って言うか、そういうのは自由だと思うんだけど……、やっぱりその枕って……毎日使ってるの?」
「……枕?」
何故このタイミングで枕の話に。
パチュリーは訝しく感じながらも、話題が逸れたことを素直に喜び。話に乗る。
「うん、枕……」
「眠るときは、必ず使うけれど」
間違いない、枕は寝るときに使うモノ。
「無かったら眠れない、とか?」
「そうね、物足りなくなる。必須と言っていいモノではないかしら?」
疲れを取るのに適度な睡眠は効率的。
その効率を高めるのが枕なのだから。
「……やっぱり、抱きしめたりとか?」
「しない。とは言い難いわね。無意識に抱えていることもあるから」
確かフランドールとレミリアは棺桶で眠ることもあればベッドで眠ることもある。だからこそ睡眠というものにあまり拘らないというイメージがパチュリーにあったのだが、眠っているパチュリーを見て、眠りについて考えてしまっただけなのかもしれない。
フランドールはどこか突拍子もないところがあるのだから。
そう自分を納得させ、パチュリーがレミリアの話題にいかなかったことに胸を撫で下ろしていると。
「じゃ、じゃあ、本物は?」
何故かさっきよりも顔を真っ赤にして、フランドールが質問してくる。
これにはさすがのパチュリーも困惑した。
本物?
ということは偽物がある?
そもそも枕に偽物などあったのか?
しかし、ここでしどろもどろになるとフランドールに疑惑をもたれてしまう。
だから仕方なくパチュリーは一般的な模範解答を選ぶことにした。
疲れを取る枕には、かなり拘っているつもりであるし。
その上質な一品が本物という意味合いなら、答えは簡単だ。
「そうね、やはり本物の方が素晴らしいと思うわ。偽物よりも心地よく、柔らかいでしょうし。触り心地も滑らか。偽物には体現しきれない弾力により、こちらのアクションを受け止めてくれる包容感があったりするのも素敵ね。本物の方が圧倒的に魅力的だと思うわ」
「滑らかな触り心地……、弾力……」
しかし、どんどんフランドールの顔が赤くなっていく。
もう湯気すらでかねない。
赤い霧を生み出して、第二次紅魔異変を起こしかねないくらいだ。
そして、なぜか自分のお腹や、腕を触り始めて。
「……? フランドールも、試してみる?」
「☆▲@$&■っ!? わ、私! 美鈴と遊んでくるからぁぁっっ!!」
枕選びなら協力する。
そう提案しただけなのに、何故かフランドールは逃げるように去ってしまった。
飛び上がり、埃すら立てて。
それを奇妙に思いながらも、危機は去ったと太ももを揺らすことでレミリアに伝えると。
もぞもぞ、と。布団の中で動いてから。
「あ、ああ、うん。感謝する」
何故かレミリアも少しだけ赤い顔でベッドから出た。
レミリアの場合は熱い布団の中にいたからであろうが、やはりあのフランドールの不自然な仕草はパチュリーの探求心をくすぐってくる。
「レミィ? フランドールの様子がおかしかったのだけれど。最近睡眠か何かで悩みがあるのかしら?」
「そ、そうだね。500歳が近いわけだから、そういったことを意識する年頃になったのだろう。必然と言って良い」
「よくわからないわ」
「吸血鬼特有のものかもしれないからね。わからないのも当然だろう。さて、私も部屋に戻ることにしようか、後でフランの相手もしてあげないといけないかもしれないから」
「……そう、ね。わかったわ。これ以上詮索しないことにする」
「それがいい」
レミリアが安心したように、息を吐き。
それに併せるように羽根も力が抜けたように下がる。そして、また明日と言いながらレミリアはベッドから離れて。
「あっ」
何かが、掛け布団とパチュリーのふとももの間に引っかかる。
それは間違いなく、レミリアが持ち込んだ長い布製の何かであった。
ただ、引っかかった瞬間に生まれた摩擦力がレミリアの予想より大きかったのだろうか。胸の方に引っ張り込むことができず、途中でレミリアの手を離れたそれは、ゆっくりとした速度で床へと落ちていく。
「……え?」
伸びきって、綺麗に模様が見える状態で、ゆらゆらと。
レミリアと会話をするため身体を起こしていたパチュリーの視線も、自然とソレを追いかける。
それはまさしく、スローモーション。
ほんのわずかな時間を引き延ばされたような錯覚が支配する世界で、
「……」
布を取りこぼしたレミリアが硬直する中、それはとうとう、ふわりと床に落ちた。拡がったその布地には、鮮明な絵画が。
いや、色鮮やかな写真が刻み込まれていた。
「レミィ?」
そう、館の主。
レミリア・スカーレットのベッドで眠っているときの。
愛らしい全身、まさしく可愛らしい芸術が。
身を固めていたレミリアは、はっと気付いて慌ててソレを回収し。
「こほん、……パチェ、落ち着いて聞いて欲しいのだけれど」
「……ええ、聞くわ」
紅の瞳を輝かせ、
「そう、それは例えるならばちょっとした悲劇だ。私は、己の過ちに気づきそれを正すため、咲夜に案を求めた。それで彼女の部屋にこっそり侵入したことが、連鎖の始まりだったのだよ」
両腕を拡げ、威厳すら感じさせるほど魔力を高ぶらせる。
「その部屋で私はこれを見つけてしまった。咲夜のベッドの上で存在感を見せつけるこの異物をな。大きさも、ほとんど私と同じ。そこで私は閃いたよ。これだ、と」
「……続けて」
「これならば、この写し身を利用出来れば。過ちを我が妹に知られることなく、正しきことを貫けるはずだと。そのために私は、中にある柔らかなハラワタを取り除き、外皮だけを持った。そして、さっきだ。その危機を免れるための最終手段として、その写し身を身に付けた。最悪の事態を避けたのだ!」
「……なるほど」
手に入れた経緯が若干に気になるところではあるが大事なのはそこではない。
大事なのはフランドールが残した、『偽物』という言葉の意味だ。
フランドールが、布団を捲り上げた瞬間。
常識的に考えれば、レミリアを見つけていたはず。
いや、正しくは。
『偽物』に入っていた『本物』を見つけたわけだ。
「つ、つまりだね! 今回の事件は全て運命の悪戯とも言うべきで……、そう、そうだよ! 運命っ! ふふ、私の能力が悪戯をしたというちょっとだけ不幸な事件であって」
「……ふーん」
そして、フランドールとの別れ際。
その際、パチュリーはなんと言ったか。
偽物と本物の違いを、どのようにして熱く語ったか。
そこから生まれる結論はもう、一つしかない。
「だ、だから、ね? パチェもわかるでしょうっ! これは、事故! ね? ちょっとは私も悪かったかなと思うけれど、ね? ねぇ?」
「……そうね」
パチュリーの冷たい返しによって、段々とレミリアの威厳が剥がれ。
最後にはもう、びくびくしながらパチュリーの様子を伺う小動物のようになってしまっていた。
そんな親友の姿を見て、パチュリーは、ふぅっと優しく息を吐いて。
「わかった、わかったわ、レミィ。だから、もっと顔を上げて。もっとベッドの側に……」
「ぱ、パチェ! ありがっ――」
許された、そう思って近づき、パチュリーの顔を見たレミリアは悟った。
張り付いた笑顔のこめかみあたりが、ぴくぴく震えているのを見て、全てを理解した。
ゆえにレミリアは、全てをこの言葉に掛けるしかなかった。
「……ちゃうねん」
直後、パチュリーの全体重を乗せた枕がレミリアの顔面を直撃した。
そして、そこから少し離れた場所。
「あれ、わ、私のお嬢様はっ!? 素敵な抱き心地のお嬢様はどこにっ!」
(……さ、三角関係っ!?)
咲夜の部屋をこっそり覗く、495歳児の英才教育(?)は更に続くのであった。
さて、一番不潔なメイドはどこのどいつだ・・・?
パッチェさんの熱が悪化しそうだw
同じように描写も台詞も何も無い美鈴がいい保母さんをしてると言うのに……。
あと小悪魔頑張れ。唐変木に負けるな!
面白かったです。
濃くて楽しめた
幼心に爛れた英才教育を施すとは……さすが紅魔は悪魔の城やでぇ。
よ夜さんの印象が強すぎるww
小悪魔頑張れ、応援してる