Coolier - 新生・東方創想話

阿求愚問

2013/02/12 00:55:31
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 私はお医者様にとっては問題児なのかもしれない。元来体は短命を見定めて生きるよう、設定されたように虚弱だ。普通の人が、気にかけるまでもない体の兆候や気分の憂慮めいた揺らぎも、無視できない結果に結びつくこともある。だからこそ私は容態の看過がないよう、記録をつけている。それはカルテとは別の事柄ばかりで埋まっていたりするものだし、結局はお医者様にとっては役に立たないのかもしれない。いいや、正確に言えば私の思ったこと感じたことに対しレトリックを用いることが問題なのだ。そこは如実であれ、と心に留め置いているつもりなのだがどうにも言葉に操られてついつい装飾に気合いが入ってしまう。装飾にはびこるそれは私にかたどられた文章達。推敲を重ねるのと私の兆候を見るためと、もう一度その文章を見ていく内に気づくのだ。
 こう、胸がもやもやするような気分。ただそれを説明しきる言葉が紡ぎ出せない。
 こういう時、意識というのは本質的に言葉と離れた体系を持っていると自覚することが出来る。感情は言葉によって論理立てたシステムではないのだ。それが人間の進化の過程で獲得した曖昧さであり、種としてのエントロピーなのだろうと思う。
「……それが、この私に?」
 もやもやが大きくなる。私は記録を残すための筆を置く。嫌な予感かどうか判断がつかない。この感覚は何らかの兆候なのだろうか。普通の人なればそれは心の悩みであり、気持ちと向き合ってどう付き合っていくかどういったものかを探求する時間もあるだろう。私には無い、とは言わない。私は生きている限り記録を続けるし、記録に対し思考を残していこうと考えている。
 足はかかりつけの医師には向かわなかった。もやもやは、何というかこう薬効では解決できない気がしたのだ。
「あら、珍しいお客様ですね」
「お久しぶりです。八意さん」
 であるのに、薬効の専門医にかかろうとする私も大概だ。
「私のところへいらっしゃる、ということは容態が」
「いえ、今日はそう言うわけではありません」
 そうなの、と首を傾げるように永琳は白紙のカルテを取り出す。木製のバインダーにさらさらと何かを書き始めるが、彼女の胸元を正面として向けている為その内容までは分からない。
「今日は求聞紀の月人の項の推敲をするための取材をさせていただこうかと」
「そうでしたか。それで私に訪ねるということはどういったご了見で?」
「輝夜さんにはこの後、取材をさせて………いいえ、嘘は止めておきます。正確には彼女の用いる言葉は私には少々難しくて」
 すらすらと落ち着いた態度で言葉を紡ぐ。特に考えていなかったにも関わらず、本来の目的とは違う内容を言えるとは。それぐらい、私には生来の目的というのは当たり前であり、他人にとってそういうキャラであることに納得を得られるのだろう。精々、願わくばこのもやもやが顔にでなければ良いが。
「そうね、彼女の言葉はあまりにも難解だわ。特に、貴方の求聞の事実に即しようとする文章と比べて。貴方の見識をよく表現していると思うわ」
「ありがとうございます」
「比して、姫の言葉はまやかしの塊よ。スピン、誇張、ミスリード、詭弁、ダブルスピーク。本質的に言葉や論理のありとあらゆる矛盾や齟齬を用いるの。貴方にとっては彼女の言葉をそのまま文章に起こすと漏れなく嘘つきの称号を得られるわ」
「そうですね。彼女の言い様は、常に言葉ではなく意識に語りかけていると感じさせます」頷いて、私。
「さすがね。姫はコミュニケーションの本質を意志の交換だとしていて、言葉の論理構築ではないとしているの」
 情報の交換、という結果は傍目には変わらないのだけれど、まあ実際にやられると大変よね、と永琳は付け加えた。
「いいえ、つくづく言葉の不出来を思わさせられる次第です」
「そう言って頂けると、まあ姫の立場を慮る身としてはありがたいわね」
 さて、と言葉を続けるようにさらさらとバインダーの上で動いていたペンが止まる。すず、と後ろの襖が開いて因幡さんが表れる。手に持ったお盆の上には二つのお茶があった。
「お茶をどうぞ。茶柱が立ってればよかったんだけど」
「ありがとうございます」
「ありがとう、てい。幸運を振りまくのは、その時々であるから有り難がられるのよ」
「そうね。人はいつも幸福であり続けることはできないものね」
 ちらり、とこちらを盗み見るようにして言う。こら、とたしなめるように永琳さん。ぴゃ、と襖の奥に隠れていってしまった。
「ごめんなさいね」
「お構いなく。……彼女の能力にすがりたくなる気持ちがないこともないです」
「そこら辺を最初から正直に話して欲しかったわね」
「え?」
 どういうことだろう、という言葉を頭の中に思い起こしたが実際は驚いた気持ちが強かった。
「月人の取材、というのは嘘ということは無いでしょうが、目的とは違うのでしょう」
「え…っと。それは」
 私は目に見えて狼狽えた。
「ふむん。これはある意味、どこかのやかましい新聞記者よりも厄介かもね」
「どういうことでしょう」
 ちくちくと、蔑まされているような気分に視線が落ち込み気味になる。嘘がばれてばつが悪い気持ちなのだろうか、と考えて違うと思った。そんな表面的な部分ではなく頭の奥のずしんと重い部分が酷く疼痛がするのだ。それは人格を否定されたときのような傷付き方に似ている気がした。
「あの新聞記者は最初から自分の結論を持ってくるの。で、結論にたどり着くために私の言葉をあれこれ切り貼りして強引に導くの。貴方はそれとは違って結論が分からない。結論を持っていない。いいえ、逆ね。何かしらの思い当たりがあるけれどそこに辿り着くまでの知識が足りない、というところかしら」
 私は黙り込む。視線は彼女の膝元まで落ちていった。
「今のあなたを表す記事の走りは何かしらね」
 簡単についてしまった嘘を見破られて見咎められた気持ちがこうしたのだろうか?
 ほんの少しだけ、長い沈黙。





「そう、ですね。私は」
 と、少し気の持ちようを上げて何とか視線を上げて、彼女の瞳を見る。その目は私が今さっきまで感じていた人格を否定するような光は無かった。そもそもまやかしだったのかもしれない。いいや、そんなものは私には判別できない。でも顔には侮蔑も尊敬もない。患者を憂う気持ちがある気がした。
「何らかの目的で以てあなたを訪ねました。でも分からないんです。思い当たり、というあなたの表現は的確です。結論というにはあまりにも偏見と感情が強すぎる考えがあったのです。でもその考えは分不相応で――」
「ストップ」
 永琳さんが、口早にしゃべり出した私の口元に人差し指を置いて制す。
「あの、すいません」
「謝ることはないわ。あなたはまだ何も言っていない。喋ってもいない内容について謝る必要はないし、これから喋る必要もない」
「ですが、それでは私の気が晴れません」
 彼女には私の頭の中を盗み見る能力はないだろう。だが、私の人となりや多少の経緯を知っているのであれば彼女は私の思考をトレースすることは造作もないだろう。少なくとも、私はそう思う。
「新聞記者と同じようなおこがましさを発揮する必要はないわ。そうね、今から私は適当に喋らさせてもらうわ」
「どういうことですか」
「あなたの辿り着く結論について興味を持った、それでいい?」
 脳医学については正確性に欠くからあまり好きではないのだけれど。
「発生させる意識についての論文なのだけれど、報酬系について知識はあるかしら?」
「いいえ」というよりも私には何の話についてなのかも理解できない。
「なら難しい部分は省くわね。じゃあ、今、脳はどこまで解析が出来ていると思う」
「解析ですか」
「そう。人はいろいろなことを考えていくことができる。そのいろいろ、は脳のどの部分が考えているか、ということ」
「一つの脳が多種多様に考えているのでは」
「その考えは少し古いの。いいえ、正確には脳の機能が完全に分からなかった時代にはそういう風に解釈することから始めたのよ。今は、いいえ、昨今の論文から見て脳が各分野について考える単位は16以上に別れてるわ」
「脳が、16個に別れて考えている?」
「表現が的確じゃなかったわね。正確にはここで報酬系の話がでるのだけれど、」
 永琳さんは少しだけゆっくりと話した。
 報酬系とは何らかの行動や思考を行うことによって快感を得られる神経系のことを言うの。この神経系を司る部分を脳の各所が割り当てられているとした数が16。未見聞や研究不足が多いからこの数は正確じゃないんだけれどね。行動や思考は欲求に基づいて行われていて、その欲求を行動で満たしたり思考によって到達することが分かれば満たされるという機能なの。
 欲求という表現はとても広い意味で使われてるわ。喉が渇いた状態だから水が飲みたい、っていうのもあれば、誉められることをして社会的な地位をあげたいという、複雑で高次な欲も当てはまる。
「人の意識はどこから出てくると思う?」
「意識、ですか」
「今の、この脳科学からそれば意識というのは報酬系の競争から成り立っていると考えられているわ」
「私の頭の中で、その報酬系がお互い何かをしたいという意見をぶつけあって、最も強い系が選択されているということですか」
「察しがいいわね。言い換えれば、眠たい私はこれについて考えていけば、『私が眠い』のではなく、『眠いと主張する私』が頭の中で強くなってるの」
「意識というのは単一的でない、ということですか」
「言葉というのは難しいわね。私、というのは脳のどの部分が呼ばせているのかしら、ということに繋がるから。複数の系の競争と選択がなされ、最も環境に適している競合状態を単一の私と呼びせしめる言葉は、ちょっと語彙が足りないわよね」
 私は頭の中で机を囲んでああしたい、こうしたいと叫び合っている私の姿を思い浮かべるこの会議の状態を私、と表現し議決によって得られた言葉が私の思考なのだ。それぞれは体の欲求や思想の欲求に正しく反応した論理で動いている。どれが強いかはその時々で決まるのは当然だが、その偏りが個性なのだと言うことなのだろう。
「そして、私はこの論理の上で薬を作ったの」
「どういうことでしょう」
「特定意識の不変性。これは不老長寿の薬を作る上で欠かさない持たせるべき機能だったの。体を永く生かす方法というのは月ではそう難しくない技術だったの。新陳代謝の過大化というのは政治的倫理的にもある種通りやすい研究テーマですからね。でも長期間長時間幾星霜にも似た時間を生き抜く意識というのは動物の進化で発生しえない能力だった」
「生き抜く意識ですか」
「難しく考える必要はないわ。そこら中の人が健康になってどんな病魔や取り返しのつかない変化を起こす欠損も元に戻せるようになったら、人はどんな感情でもってしても他人を亡くすることが出来なくなったという負の感情が強まったの。逆の感情はどんどん当たり前になるのだから、顕著に見えるのは当然ね」
「なんだかよくある幸福についての講釈に似ている気がします。絶対的に幸せな状態は、相対的にどんどん意味を失わせ幸せになり続けなければ、幸福感を味わえないという」
 くすり、と永琳さんが笑う。その笑みがこれは妄想の類ではないことを物語るようだった。 
「つまりは負の感情に関する報酬系の増大ね。極論を言えば、他人の存在に過度な干渉を行わなければ欲求は満たされなくなったり、自傷行為を行わなければ実存的な感覚がなくなってしまうという思考が増えたわ。そうなると虐殺なんて暗い出来事があったりなかったり」
「怖い話です、ね」
 想像したら喉がなった。人は争いをなくして生きられないことを語っている論理だった。
「だからこの意識についてまずは抑制することを考えた。ある程度まで進んだところでこれは上手くない方法だと分かったのだけれど」
「確かにそう言う気がします。総合的に負の感情というのは、逆説的に失敗や暴発を恐れて回避するためにある機能でしょうから」
「正解。最初こそ常に明るい性格を発揮することに成功していたけれど、ある程度生きていて失敗を繰り返すようになった。でも何度やっても想定できない。回避し得ない欲求だった。結果的には幸福感も絶望感も得られない廃人の様な人間のできあがりだったわ」
「無くすことは出来ない。じゃあどうすれば?」 
 私は早く答えを聞きたがる子供のように前屈み気味の様だった。少しのけぞるように永琳さん。
「そこは秘密ってとこね。正確には報酬系だけじゃなくて、他の分野の兼ね合いね。抑制や増大という軸だけでは結局解決できないことだった、とだけ」
「そう、ですか……分かりました。これ以上は完全に専門的なお話でしょうしね」
 私には何となく、それに……、と続いたような気がした。永遠を生き抜く能力を持つのは永琳さんを含めて三人。輝夜さんと、永琳さんと、あとは竹林にいる妹紅さんだけだ。社会的な形質を保つ数ではない。逆にこの能力を誰も彼もが得て社会を形成するようになったらどうなるのか、私には分からなかった。永琳さんには想定できているのかもしれない。そして好奇心よりも空恐ろしい気持ちが勝ったということは、私の負の感情による報酬系は予測したのだろう。言葉では語らない頭の中の私。
「まあ不老不死自慢はここまでにしておいて、話の本題はここからなの」
「う、もう頭がいっぱいなのですが」
「なら、やめとく?」
「意地悪なお方。聞かないでください」
 居住まいを正して。永琳さんは意地の悪い笑みを湛えつつ、因幡さんに渡されたお茶を傾けて飲んだ。





「ここまで言ったとおり、不老不死の達成には報酬系なりの物体的な情報の保存によって成り立っているの」
「そのようですね、まるで……」
 と続けて私は初めて、感情が強く動いている事に気づく。
「少しだけ、そう、ほんの少しだけ面白い話をするわね。さっきの意識はどこから来るのか、という質問よ」
 永琳さんの言葉がどう紡がれるのかは分からない。でも私はなんとなく予想してしまう。できてしまう。報酬系。当たり前だけれど私の頭の中でもこれが動いていて、何らかの情動や行動もこれに起因する。報酬系によって確立された私はとある思考を行った。それは知識不足によって曖昧で、五里霧中のような結論だったがそれは永琳さんや輝夜さんのその能力を核として考えられた結論だったのだ。
 そして、私はこれを回避したかったのだ。
 結論を避けたいと強く願ったのだ。
 だけれど愚かにも私は、その謎を知りたいと考えた。意識が何を考えて怯えているのかを知りたいと強く欲求したのだ。
「意識、という言い方はあなたと話をする上で語弊があるかもしれない。魂、と言った方が適切なのかしらね」
「はい転生の話ですね」
「そう。私は意識というのは肉体から発生すると考えている。言い方を間違えないために言うなれば、意識というのは、肉体とは別に顕現して肉体を点々と出来るような代物ではない。つまり肉体である脳の働きによって意識というのは発生する」
「……はい」
「魂が保存されるという転生の秘術。おかしい話になるわね。肉体が消滅したのに意識はこれとは別に動いている。しかも別の肉体に宿り、その能力全てを継承する。私のこの体を作る論理とは全く別の論理だわ。だから私はあなた、稗田阿求さんに聞きたい。あなたの意識はどこから来るのか」
 私が私たる証明。
 肉体があっての意識。
 脳や体、それらが各々の役目とそれぞれの欲求を主張をし、競合して初めて発生する意識。意識というのは世界を見る観点で、認識する基点だ。どれだけ哲学が発達したところで観点を持つための肉体は消失することがない。肉体を失い、なお、生き続ける意識は何の欲求も発せられることはない。何故なら欲求はそのまま生に対するクビキであり、死はそれの解放でもある。死は何も求めない。求めることそのものが生なのかもしれない。
「………」
 私は言葉に詰まる。短命なこの体。だが同時に転生という方法を用いて蘇ることが出来るこの体。その体には以前の能力と能力による記憶が宿っている。だが本当にその記憶は正しいのだろうか。ただ能力が教えてくれる記憶をそのままに受け入れてるだけなのではないか。私はその記憶の正しさを能力の正しさでもって納得してしまっている。疑いを持てなかった。だが、月人であり全く未知の方法で生き長らえることができる彼女、その存在が私の疑いを持たせたようだった。
 嫌悪感、疎外感。先ほどまで曖昧だった、負の感情が初めて顔を出して主張したようだった。
 蘇るという、生命のその法則に対する異端。その能力を持つ人は、本当に人間なのだろうか。死というのは、私は時間的に生と対義語であると考えていた。簡単だ。生の次は死、死の次には、また次の生が待っているからだ。交互に繰り返されるが故に、生と死は対等な意味合いをもつ。それが普通なのだろうか。私は実はあまり深く考えたことはなかった。
 普通の人は、生の次は死で、死の次はないのだ。生の対義は死ではない。生は死に対して何らかの働きかけを出来るわけじゃない。そして不可逆的な状態。本来の死は生に対してあまりにも隔絶的な状態を指しすぎている。生きていないことを死と言う定義は無生物のそれも死という状態と表してしまう。その定義を覆す秘術。それは本当に生と呼べる代物なのだろうか。私は本当に生きているのだろうか。私は人間なのだろうか。
 今思えば、私は結論的にこの答えを導き出していたんだと思う。全くの死を否定した人、彼女について考えることによってだ。戻すことが出来ない、不可逆であるが故に、その状態を否定する。生を維持する唯一の方法。人間が人間であり続ける方法。
 私はその定義から溢れてしまった存在だ。嫌悪感はつまり、私の否定だ。私の生きるということの否定だ。疎外感は、彼女たちの生に対する正確な立ち位置への羨望とその枠から外れてみているという私の肯定だ。
 私は黙り込む。滂沱のようにあふれ出る負の感情が私の精神を打擲する。そんな状態に永琳さんは静かに話しかける。
「自分という存在について深く考えている、というところかしら。何を考えているか、というのは私には分からないわ。だけど、話をもうちょっとだけ続けるわね」
 私は答えられない。
「輪廻、という言葉はご存じかしら」
「……はい。転生の秘術の状態を指します」
「そうなるわね。その状態って」
「人間は、人間の持つ魂は肉体の死を迎えてもまた別の生物の肉体に宿り生を繰り返すということです」
「……あなたは輪廻の概念の権化でもある。輪廻という概念の正しさがあなたでもある。じゃあ輪廻ってどこから生まれた考えか、分かる?」
「哲学のお話ですか」
「いいえ、宗教観のお話。少し、調べたことがあるの。そもそも輪廻には二つの思想があるの。一つはあなたが言ったそもそもの生や精神、魂、つまり認識の観点という意味での意識は死を迎える時点で消失するの。だけど、死は空へ月へ、月を隠された雨で地面へ、地面では五穀のそれとなり、豊穣を口にした男にそのみは宿り、やがて男は女とみとのまぐわいせしめ、新たな生となる。それら生への行程を指して言う考え方なの。もうちょっと詳しく言うと、次の生が必要とされるのは前回の生の行為や結果から発生するのね」
「食物連鎖や他者の繋がり、社会を介して生という観点の主体は発生しているという考え方ですね」
「うん。悪行も善行も全ては回転して己に戻り、また返す為にある、というね。もう一つはあなたのそれに近いわ。結論としては世界を認識する観点の移動のことを言うの。もう一つの考え方と違って、行為や結果があり続ける限り発生する固有の観点の不滅性はないの。死という結果を経て認識の観点が消滅した後、別の形でそれとよく似た観点が表れるというものなの」
「死んだ意識とは厳密には全く別の意識だけれど、それはあまりにもよく似ている、ということでしょうか」
「浪漫のある言い方ね。そう、それは生きている人の中でも途端に発生することもあって他人の意識の中でその意識は生き続けたりするという考え方にも繋がる」
「なぜ、唐突に輪廻のお話を」
 くすり、と永琳さんは笑う。私ははた、と気づく。その笑みは恐ろしいほど不敵だった。
「あなたのそれは学術的、いいえ宗教学的な意味合いでは厳密には輪廻ではないわ。魂の保存やその存在を定義していないから」
「そうですね。転生の秘術、その名の通り、私のこの状態は転生という表現が正しいでしょう」
 それは思想的な考え方故に、とても定義の固定化が難しい、ということを私は話した。
「そうね。何しろ事実例だけ揃えて、具体的に顕在するプロセスや厳密な反証、再現性を捉えるのが難しい概念のお話だもの。輪廻も転生も、実例というのは下手をすると都市伝説以下の眉唾物だしね。でもそれをあなたは知っているのね」
「そういうことにはなりますね」
 私はその笑みに少しだけ身構えた気がした。居住まいを正すのと違う、背筋に冷たいものが差し込まれたような緊張があった。
「輪廻のお話をした理由は、ね。輪廻の二つ目の考え方は、正確には実証やその存在の確実性を主体とする必要がないわ。だってこれは死生観に対する考え方だもの。だから今更輪廻という項にあなたの実証例を加える必要はない。あなたはあなただもの」
「その、言ってる意味が、少し」
 まるでおとぎ話を聞いているように話が飛ぶ。輪廻なのか、転生の話なのか。
「肉体に宿る意識についてはお話ししたわね。そう脳科学の分野から考えれば、意識というものの発生は肉体から発生し別の肉体で同様な意識が発生するというのは有り得ない。なぜなら意識はその肉体がもつ内的なり外的なりの欲求によって発生しているモノだから。この考え方は肉体を全く別としながらも転生を行えるあなたのその人間的性質を真っ向から否定するものだわ。でも輪廻、という観点からすればあなたという人間はあながち間違いではないの」
「それは、本質的には私が阿礼ではないからですか」
「そう。あなたは阿求。阿礼という人間の記憶を引き継いだ人間。記憶というのは厄介なものね。認識というのは即時的な論理だけでなく過去の経験からもその有意な情報を持ってくる。あなたが生きるのに実用的な記憶を持って生まれたのであれば、その記憶が採用されないはずがないもの」
「記憶、ですか」と、私。今度は記憶だ。
「あなたの術の本質がどういうものかは分からないわ。もしかしたら本当に丸ごと脳を新しい肉体に移設するような暴力的な方法かもしれないし、私の考える記憶の転移なのかもしれない。記憶の転移がどのような形質でもってその情報が保たれるかは、私には難しい問題だとは思わない。意識とは違って、動的な観点を持たない情報だからね」
「詳しいことは確かに、口外できません。でも脳を保存するようなマッドサイエンスちっくなものではありませんよ」
「そう。あまり詳しくは聞かないことにするわ。それは秘密だからあなたの大事な一部なのでしょう」
 ふと、私の中から嫌悪感が薄れていくのに気づく。私は私の中から人間じゃない、と否定する私をいつの間にか納得させているのだ。
「阿求という人間は、阿礼という人間の生きてきた記憶を持って生まれた為に、真っ新で何の知識もない動物としての人間の教養期間を省くことが出来る。阿礼が生きてきたように生きれば、何の苦労もないのだもの。そうして、阿礼の時代にはなかった好都合や便利、逆に不便さを吸収しつつ育ってきた。それが阿求、あなたね。でもそれが輪廻の通り、あなたは本質的に阿礼に似た意識なの」
「それは、記憶を持って生まれた為に、ですか」
「私はそう思わない。転生の術、というぐらいだもの。記憶のせいで、後付けで阿礼に近づくから似た意識だ、というのはあまりにも結果主義な考え方だわ。だから、阿礼の意識と似通って生まれる存在に記憶を適切に転移させる。それがその術の本質なのだと考えるわ。そうすることで、意識も記憶もより阿礼としての自覚を持って生まれ育つ。話は外れて同一性人格によるアイデンティティの崩壊も、記憶の中で転生の術のプロセスを知っているのなら、そこを基点に阿礼とは別の人間である、と区別をつけているのね」
「………」 
 正直、私は驚きを隠せなかった。転生の術、門外不出の秘法。それをこんな考え方で近しいところまで概念をつきつめてくるとは。改めて私は彼女を天才という素質であると思った。
「だから、あなたは人間なのよ。安心なさい」
「え?」
「あら。私なりに考えた結果なのだけれど違ったかしら?」
 私は呆然となった。永琳さんはそこで初めて胸元で書き表していたカルテを私に見せるようにも置く。
『人の身で死んで尚人なのか悩める少女』
 そう書かれていた。
「私達は、薄命と不死と、全く反りが合わない関係だと思っていたけれど。そう、それでも生に対しての誠実さはこんなにも似ているのね」
 それは人ならざる身と言われたであろう人である為に発した言葉だった。私は最初から慰められていたのだ。それはとても遠回りな方法で、婉曲な解釈で。普通の人間にはない能力を持っていて、普通の人間でないことに怯えた私を。普通の人間でないなら私もまた同じだと。だから、怖がることはない。自分が普通でないからと否定することはない、と。
 私はそこで、初めて頬を流れる涙に気づいた。私はいつの間にか自分で自分をぎりぎりまで追い詰めていたのかもしれない。





「落ち着いたかしら」
「ええ、ご心配をおかけしました」
 涙はそう長く滴り続けたわけではないけれど、私はそれなりに落ち着いて話が出来るようになるまで時間がかかった。その間、私はゆっくりと私を癒している気がしたから、時間の感覚が分からなくなって、気づいたら長針は一周を過ぎていたようだった。
「あら、私はただ単に講釈を垂れただけよ」
「そうなんですか?」
 ええ、と微笑む永琳さん。その笑みからは不敵さが消えている。
「お茶、冷めてしまったから替えを用意してもらうわね」
「いえ、このまま頂きます。お手間をとらしてしまいましたし、もうお暇しませんと」
「そうなの」
 忙しいのね、と言う。私は丁寧に頭を下げて、内心で彼女の医療に感服した。
 診察代は、と聞くと彼女はこれを拒否した。理由を聞いたが、薬医者が薬も出さないで医療はしたとは言えないやら、私は自説を説いただけやら、どうやらはぐらかされたらしい。今度菓子折を持ってくることを暗に告げると、仕方ないわね、と不敵に笑って、永琳さんは私の耳元で囁くように言った。
「えっと、……はい、そんなことで良ければ」
「そう。なら問題ないわ」








 阿求が診療所を出て幾ばくもしない時間、からりと居間の戸が開く。
「ただいま」
「あら、お帰りなさい。久方ぶりのお休みはどうだったかしら」
「地下温泉、とはね。あなたらしくないプレゼントだったと思ったわ」 
「誕生日プレゼントというところかしら」
「お互い、もう生まれた日なんて覚えていないでしょう」
「その驚きが貰えたのなら十分ね。ああでも私も老骨なんて無いにしろ、骨の折れる誕生日プレゼントをまだまだ用意したモノだわ」
「なになに」
「それは教えられない。だって私は有りもしない宝を結婚と引き替えに差し出せと嘘をつき、相手が嘘の品を持てばたちまち弾劾し、恥をそそぐ面倒な女。でもね世話になってる恩を忘れるような人でなしになるつもりはないわ、だって私は死ぬことは叶わないけれど人間なのだもの」
「なにそのちょっと古い洋書みたいな言い回し。それに白衣なんか着ちゃって。なにか変なもの食べたの?」
 不敵な笑みを浮かべて彼女は言う。きっとプレゼントは何の気兼ねも嘘もない場所で発揮されるだろう、という未来の結果に喜んで。


「気持ちはいつだって不思議なもの。
 言葉だって同じ。
 口に出して言わなければ伝わらないかというとそうでもない。でも伝わるとも限らない。
 書いてもいないことが伝わらないかというとそうでもない。でも伝わるとも限らない。
 でも、あなた様ならわかります。きっと」
参考図書:伊藤計劃『ハーモニー』、『虐殺器官』
※作中では脳の報酬系は16に分けれるとしてますが、正確な論文や図書からの引用による数ではありません。

科学×宗教のアプローチでよくあるお話。
都合の良い真実がない代わりに、都合良く有る方を選択できるのが人間。
概要を読んでみることが大切
河岬弦一朗
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コメント



0.470簡易評価
1.100名前が無い程度の能力削除
読んでいるとストーリーが広がるだけでなく、こちらにも勢い良く語りかけられているようなそういう感覚を覚えますね。
私には少々難しいテーマだったのですが、楽しく読めました。
2.100eabs削除
脳機能の話題や、意識という物の曖昧さへの観点から、もしやとは思っておりましたが、やはり伊藤計劃氏からの影響でしたか! 少々回りくどくも、最初からただ一つの目的を持って相手を納得させる話術は、少し京極堂的な物を感じました。
意識へのアプローチとそれを転生する存在たる阿求に当てはめた事、お見事だと思います。面白かったです。
3.80奇声を発する程度の能力削除
素晴らしいですね
とても良かったです
4.100名前が無い程度の能力削除
いいですね。楽しめました。
10.90名前が無い程度の能力削除
創作応援してます。
11.90名前が無い程度の能力削除
このテーマをこれ以上やさしく書けるだろうか、書ききれるだろうかと圧倒されました。
読後感がなんともハートフル。
15.20名前が無い程度の能力削除
報酬系に関しての部分がハーモニーそのままで、ひねりがないと感じました。熟慮した末にこの点数。
17.603削除
難しい話ですね。
おそらくは何かこれを書くきっかけのものがあって書いたのだろうと思っていましたが、やはりそうでしたか。
てゐの名前が間違っているのはともかく、
「私は目に見えて狼狽えた。」という表現は少しおかしい気がしますね。