「いってきます」
さくりさくり
土を踏む音が心地よい。
最近夏が終わったと思ったら急に冷え、出かける際には薄手のコートが必要になるほど寒くなった。
空を翔けるのも悪くはないけどやはり寒い。
それに地面を踏むほうが私には合っている。
兎らしくぴょんぴょんと跳ぶほうが私らしい。
今日は、腰が軽いのだ。
上を見るといつものやつがぽっかりと浮かんでいた。
下を向きて歩くのは年をとってからもできる。
私はできるだけ上を向き、星と月に顔を合わせた。
よう満月よ。今宵も丸っこいな。
お前はどうした、今、ワクワクしてるのか?
竹林を抜け、まもなく目的地につく。
この匂い。この匂いだ。
この匂いを嗅ぐと条件反射でよだれが出る。
パブロフの兎。
私は口にたまるよだれを抑えつつ、匂いの元となる店先の椅子に、どっこらと腰掛ける。
「他に客が誰も居ないけど、やってる?」
「やってますよ。どうにも今日のお客さんは謙虚みたいですね」
香ばしい、芳しい、素晴らしい香りが私を包み、自然と笑顔になってしまう。
いつものを注文し、やっと店の内装を見渡せる余裕が出来た。
吊るしてある草は何に使うのか。
おかみさんは今日もぱたぱたとうなぎを焼いている。
「今日は、いいね」
「そうですね。今晩の月は、わざわざ言うまでもなく素晴らしいですね」
満月には魔力が宿っている。
人間も妖怪もついそれを見つめてしまう魔力。
満月には魅力がある。
誰だって、それを眺めながら酒を飲みたいと思わせる魅力。
こんな夜は、静かに暖まるに限る。
「おっと、気が利かなくて。コートお預かりします」
「ん、ありがとうおかみさん」
「その頭についてる暖かそうなもこもこもどこかに引っ掛けておきますか」
「これは私のチャームポイントだから取らないでほしいうさ」
「左様ですか。ナイスおツッコミです。はいいつもの」
熱燗に、うなぎの蒲焼人参のソテー付。
私のいつもの。
しょっぱいうなぎと甘い人参のソテーがまたたまらない私特製のメニューだ。
「てゐさんのせいで人参の調理がうまくなっちゃったんですからね」
「ならいいじゃない。美味しいよ」
褒めてくれるんだったらいいんですけどねー、
おかみさんは最近始めたおでんの鍋をかき混ぜながら笑顔で受け答える。
熱燗を一口。
はふう。
暖かく魅力的で素敵でエキセントリックな液体を胃に流しこみ、やっと自分の冷えきった体に暖を取り一息がつけた。
なんて、幸せ。
人参を頬張りそんなことを思う限り、まだ私は安泰だ。
長年生きているとどんなことだって感動できなくなってしまう。
「こんな晩に私のうなぎとお月様を独り占めできるなんて、お客さんは幸せですねえ」
「そうねー そうだといいんだけど」
既に私のチャームポイントは大きくなる土の音を捉えていた。
わざわざ歩いてこんな辺鄙なところまで来るんだから、
よっぽどの変人か変わり者のどちらかだろう。
おっと、同じ意味か。
「いらっしゃい」
「やってる?」
「やってますよ。大繁盛中です」
「にしてはだいぶ席がすーすーするね」
「冬ですからすーすーしますよ。いつものでいいですか?」
「うん、頼むよ」
変わり者の客はわざわざ私の隣に座り、こちらにすました笑顔を投げかけてきた。
やっぱりあんたか。
椅子がぎしりと軋む。
「あんただとおもったよ」
「貴方も。いると思ったよ」
「ま、」
「「こんな月を見せられちゃあね」」
目が合うと笑いがこみ上げてきた。
何がおかしい訳でもない。
ただ、酒を飲めて投合できただけで私は楽しかった。
「あら、お二人とも仲がよろしいですね。はいルナサさん、いつものです。コートと帽子お預かりします」
「ありがとうおかみさん」
杯を持ち上げる。
「「乾杯」」
器のぶつかる乾いた音は、月見酒の本番を知らせる合図となった。
空気を味わう、ではないがこの状況に早くも私は満足しつつある。
が、ふと、隣の『いつもの』を見て思わず声を上げてしまう。
「げ、なにそれ」
「これはね」
ルナサが黒く炭化しているうなぎを持ち上げて箸でこする。
するとぽろぽろと皮がめくれ、中から真っ白な身が姿を現した。
ほう。
酒臭いため息のおまけに少しだけ反応してやる。
「ルナサさんのいつもの、『うなぎの素焼き 炭化粧』です」
おかみさんが鼻高々に宣言する。
それほどのものじゃないと思うけどね。
まあいいんじゃない。
美味しそうだね、一応おかみさんに知らせてやると
いやいや、と照れながら人参を私の皿にひとかけら置いてくれた。
やりい。
「そういや、あんたに良い報告と悪い報告があるよ、ルナサ」
「ふむ、なんだひ」
「どっちから聞きたい?」
「ほっちでもかわわないよ」
咀嚼しながらの受け答えだったのでなんとも間抜けな答えが返ってきた。
おかみさんの耳が大きくなっているのをよそに
上げて落とす方で答えることにする。
「今日のライブ、素晴らしかった」
「んぐ、んぐ、…………ふう。そうかい、それはとっても良い報告だ」
ルナサは口いっぱいに頬張ったうなぎを酒で流し込み
深々と頭を下げて礼を言ってくる。
礼儀正しそうなやつだが、そうでもないのは
さっき咀嚼しながらの受け答えを見ればわかるだろう。
最近の若いのははしたないわね。
「それで、悪い報告ってのは?」
「私とよく見に行ってたもう一人のうさぎ、いるじゃない?」
「ああ、彼女か。いつもノリノリで首振ってるから耳がぶわんぶわんなってた娘ね」
「あいつが他のバンドのフアンになっちゃったんだよね」
くいいと杯を傾けて笑顔で言い放ってやった。
さあ、どんな反応をするかな。
「ふむ…… まあファンにも選ぶ自由がある。
彼女がこちら側に戻ってくるよう、努力し続けるのが次の課題かな」
「やっぱりあんたは最高につまんない反応ね。ねえ」
おかみさん?
口をとがらせ鼻歌など歌って知らんぷりをしていたおかみさんに話を振る。
古典的なごまかし方だ。
もちろんごまかせてない。
「おかみさん、私んとこの兎、知ってるよね」
「てゐさんはウチの常連ですから」
「私じゃなくて、紫髪の、いっつもパンチラしてる方だよ」
「どういうこと? 話が見えないんだけど」
うなぎをつつくのもよそに、やはりルナサは自分のフアンの行き先が気になるようだ。
ルナサに問われ、おかみさんは諦めたような顔と共にため息を漏らした。
「今日、私のバンドのライブに来てましたよ、鈴仙さん」
「……なるほど、なるほど。私の大事なファンを奪ったのはおかみさんだったのか」
「ちょ、ちょっと、そんな言い方しなくてもいいじゃないですかー」
「冗談。でも、身近にいると悔しいものだね。明日から気合を入れておこう」
姉が張り切りすぎてうざいんだけど、なんて二人の妹に愚痴を吐かれないようにしなきゃね。
徳利が空になってしまった、
と思うと同時に酒がたっぷりと入ったものに交換される。
「ちょ、まだ頼んでないんだけど」
「意地悪言ったからですよ。はい、てゐさんおかわりありがとうございますー」
「あはは、やはりおかみさんは怒らせるとおっかないな」
「ルナサさんもおかわり入りましたー」
「え、いや、今のは言葉のあやで……」
どすんと置かれた徳利を目の前に、呆然とする私とルナサ。
思わず苦笑が漏れる。
ああ愉快、愉快。
噛み締めたうなぎの脂が、また良い。
「はあ、上着を預けておいてよかった。すぐ熱くなりそうだ」
「そうですね。上着を預けていたら逃げ帰るのも出来ないですからね」
「おお怖い怖い。ほいほい注いであげるよ」
「やあ、すまないね。どうしたんだい今日は。機嫌、良さそうじゃないか。はい、じゃあ貴方にも」
「おっとっと。どーも。そうだね、今日は腰が軽いから。
まあこんな月の晩には誰だって浮かれてぴょんぴょんしちゃうんじゃない。体も心も」
私って可愛いうさぎだから。
再び杯を合わせ、楽しくなる魔法の液体を流し込む。
くはあ。
自分の息が既に酒臭くなっている。
自覚してるってことは結構まわってきてるってことだ。
「てゐ」
「なあによ」
「本当に、今日は楽しそうだね」
「そう?」
「顔がにやけてる」
特に、何かがあったわけではない。
まあこの屋台に来るのも久しぶりだし、今日はライブで盛り上がった後だっていうのもあるかもしれないけど、
基本的にはいつもと変わらない一日だったと思う。
「そういう事言ってくる奴って、だいたい自分が聞いて欲しいんだよね」
「っ、あはは。すごいな、年の功は」
「馬鹿にしてんだろお前」
「まあまあ」
おかみさんが仲裁に入ってなかったらお前の酒もう一本追加してたぞこのやろう。
ま、若者の話を聞いてやるのも年寄りの役割ってね。
「んで何かあったの?」
「まあ、そうだな。照れくさい話だが、大事にしたい人が出来た」
「ほう?」
色恋話か。
若いのう。
「んで、誰よ。あっちはどう思ってんの?」
「言うとでも?」
「まさか言わないの?」
「そういう方向で、頼みたいんだが」
「あーまさか! ルナサさん最近ウチによく来てたのって、誰かに相談したいがためだったりします?」
「おかみさん、それはこの人の前で言わないでよ。からかわれる」
私はうさぎだが。
ほうほう。
まさに藁にもすがる思いだったと。
いいね若いもんは。
もちろん後でさんざんからかってあげる。
出されたご飯は美味しく頂く、これ健康の秘訣ね。
「そんで?」
「それで、まあ二人で話せる機会も少ないもので。
貴方はそういう経験は豊富そうだろうから」
ふうん、私の色恋沙汰ねえ。
人の話は山ほど聞くけど、自分のはねえ。
そんなのとおの昔に忘れ去ったよ。
「……うーん」
「私も気になりますねえ。てゐさんの恋話」
「だろうおかみさん。参考に、といったがそれの他に興味もある。
どうだろう、てゐ。貴方のエピソードを一つ」
一つ、と言われても。
いつの間にか二人は私の顔を覗き込み、目を爛々と輝かせている。
ま、まいったな。
「……参考には、ならないけど」
「構わないよ。もう私の話ではなくて貴方の話を聞きたい。だろう、おかみさん」
「ええ、同感です。いや、ルナサさんの話も気になりますが」
「はあしょうがない。ちょいと長くなるかもよ」
「ぜひ」
「お願いします」
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あれは、そうだなあ。
花の異変の時か。
あ、この前のじゃなくてその一個前の。
あの頃も幽霊のせいで花がいっぱい咲き渡っててねえ。
私なんかはあんまり関係ないから、
仲間のうさぎたちと綺麗だねえ、なんて戯言を言い合いながら酒を飲みまわってたよ。
なんにしてもそこら中に花があるもんだから、もう花なんて見飽きちゃってね。
ならいっそ花がないところでも歩いて探してみるか、とまあ暇を潰すようなことを考えついたわけ。
私は歩くの好きだからいっぱい歩いたよ。
といっても狭い幻想郷、歩く範囲なんて限られてる。
まあ一周して竹林の辺りまで戻ってきたんだよ。
そしたらさ。
急に話しかけられたんだよ、人間に。
大層びっくりしたよ。
だって後ろから急に抱きつかれるんだもの。
「ややや、やっとみつけた!」
「う、うわ! なにさあんた」
その男は菊治と名乗った。
里では定食屋をやっているって言ってたっけ。
「あ、貴方様はひょっとしたら因幡の素兎様でないですか、あ、あああ、会いたかった」
大きい男が小さな私にすがってそう聞くんだもの。
腰なんて精一杯曲げちゃってさ。
でも私には人間の知り合いなんていないから、まあ居たけど皆おっ死んじゃっちゃうんだけどね。はは。
ま、私を探すなんて何かわけありだと思ってね。
普段なら上手いこと言って切り抜けるんだけど
今回ばかりは暇だったからね。
「いかにも。何か用か御仁」
なーんて芝居っぽく聞いてみたんだけどさ。
菊治の奴はへへぇ、なんてこうべを垂れ下げちゃって。
「あ、貴方様のお力をお借りしたく、誠に恐れ入りますが参上いたしやした!」
大の大人がそんな土下座なんてするもんじゃないよ、
って思わず私がちゃちゃをいれてしまいそうなほど 綺麗な土下座だったねあれは。
まあ私の力っていうんだから、ちょっとだけ人間を幸せにできるっていうそれ、それが目当てだったわけ。
この男はよっぽど困ってんだろうなあ、なんて軽く考えてたんだよ。
だって『幸運』なんて目に見えないものに頼るほどなんだから。
「ふむ。訳を言ってごらんなさい」
「へえ。ありがとうございます」
酒でも飲みあさって女房と子供に逃げられて、
生まれ変わるために少しばかりの金がいる。
なんて言うもんなら、有ること無いこと適当に言って終わらそうと思ったんだけど。
「じ、実はその、私はもう5年ほど付き合っている恋人がおりまして…… へへへ」
今までへりくだっていた態度が急に馴れ馴れしくなってね。
私は能力柄、人の色恋話なんて馬鹿みたいに聞いてるから当たり前のように答えたよ。ありがちだねえなんて思いながら。
「ふむ、其奴と仲良くなりたいと」
「ちょっと、運を分けてくれないかと。これ、ウチのお得意さんの人参です。ついさっき土からとったやつで
たっぷり栄養を吸っいるやつでさあ」
「よかろう」
いやいやそれが見事な人参だったからね。
私の腕くらいあんの。だからちょんからほいとお願いしたんだよ。
幸運になあれ、って。
そして私はありがたく人参を頂いたってわけ。
菊治も満足したように人里へ戻っていったよ。
……んぐ。
くはあ。
あ、そうだそれで終わっちゃあダメだ。それでね。
しばらくしたら菊治がまた私のもとにやってきたんだよ。
恋人を連れて。
上手くいったんだなあと思ったらなんとびっくり。
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とん、と徳利が置かれる。
喋るとどうにも喉が渇くからいけないね。
さっき縁まで酒の入っていた徳利がもう空だ。
「それで?」
「それで、どうびっくりしたんですか?」
「超イケメン」
「は?」
「え?」
「超イケメンなの、菊治の恋人。いやあ一目惚れしちゃったよ。
きっと今はよぼよぼのじじいか死んでるかのどっちかだけどね。あっはっは」
「……」
「……」
けらけら笑う私をよそに、一人は黙ってうなぎをつつき、一人は黙ってうなぎを焼く。
あはは、愉快愉快。
「くふ、くふふふう。あー美味い旨い。おかみさん、いつものセットもういっこ」
「……はいよ」
「……全く参考にならなかったね。もういいかな」
「まあ、人の恋愛なんて、自由ですし、同性愛だって、普通ですし、ね」
「そうそういいこと言ったおかみさん。ルナサ聞いたか?」
ルナサの肩をぽんと叩いてやる。
いいか若者よ。恋なんて自由なんだ、好きな様にやれよ。
「はあ、てゐにはかなわないな」
「なあに言ってんのさ。らくして芽生えた恋なんて、らくーに壊れちまうもんだよ」
「お、名言出ましたね!」
「急に元気なったねおかみさん、おかみさんは乙女だからね」
「やだようルナサさん、からかわないで」
ルナサの皿の上におかれる人参。
それ私におくれ。
「ふむ、そうだなあおかみさん。おかみさんは今、恋をしていないのかい」
「え、私。私ねえ、どうでしょうねえ」
「お、てゐ。おかみさん誤魔化したね」
「だねえ。ていうかルナサもいきいきしすぎ」
「そうでもない」
「そうかねえ」
温かく、どころか熱くなってきた私の体を冷ますべく、冷酒を注文する。
ああなんて矛盾。気持ちいい。
すっと入った楽しい液体は私の体温と気持ちを高揚させる。
「おかみさんの恋の話聞きたいな」
「え、私なんて無いですよ」
「またまたおかみさん、おかみさんモテそうだからそんなことないでしょう」
「ああ、ルナサが酔っぱらい親父みたいなってる」
「まさか、まだ酔いなんてこれっぽっちも」
「酔っぱらいの常套句使いやがって。ま、私も話したんだし、頼むよおかみさん」
「え、えー いいですけど、たいしたことないですよ」
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るる るるり るらら
私は夜を駆けていました。
満点の星空に向かって歌っていました。
星の光は地球に届くまで何年もかかっていると聞きます。
だから、星に向かって歌ったら、何年後かにははね返ってくるんじゃないかって。
私は星へと歌っていました。
るる るるり るらら
すると不思議なこともあるものです。
夜に太陽が現れたのです。
私はあっけにとられました。
夜の太陽は、ゆっくりと空を泳いでいました。
ぽかんと口を開けていると、急に太陽の光が弱くなって来ました。
するどうでしょう、中からなんとも格好いい方が現れたのです。
流れる黒髪にスラリと伸びる長身。
それになんといってもその見事な羽根。
私はついつい見とれてしまいました。
あちらも見つめる私に気づいたのか、こちらへ翼を羽ばたかせてこちらへ向かってくるのです。
ああどうしよう。どうしよう。
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「そ、それで?」
「なんかポエムっぽかったねえ。まあいいや」
「その烏、『北ってどっち? 私右と左しかわからないから右と左で教えて』とか言ってました。
私は一瞬で冷めちゃって南を指さして家に帰って寝ました」
「うわあ……」
「おかみさん、鬼だね」
「私、バカっぽい人嫌いなんです。ああ、ほんとうに残念。格好良かったのに、あの羽」
「ふうん。おかみさんはやっぱり乙女だねえ。可愛い」
「な、なにいってんですか! もう、嬉しいじゃないですか」
ばしばしとおかみさんはルナサを叩く。
その叩かれているルナサの顔がとっても嬉しそうなのに気付いてしまい
私はルナサの話を聞かざるをえなくなってしまった。
無言の強制力。
さすが、陰に生きるものは違う。
生きてないけど。
「じゃあ次はルナサの番だ。といってもルナサは新鮮なのがあるでしょ」
「そうですね。期待しています」
「やはり、そうなるか。覚悟を決めるよ」
(ルナサルナサ)
(?)
「あ、何コソコソしてるんですか? 怪しい」
(うまいこと話せよ。私もフォローしてやる)
(……なんのことか、わからないな)
「まいいや。あ、おかみさんソテーまだ」
「ああ、はいはいどうぞ」
「じゃ、じゃあ、こほん。僭越ながら」
「結構のりのりじゃない。んぐんぐ」
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
この前、神社へ赴き演奏したあと私は独りで帰路についた。
妹二人は酒に潰されてしまったのでそのまま神社へ置いてきたんだ。
ああ、私はここでよく飲んでいるからね。彼女らよりは多少強い。
その日も月が美しく、私の気分が高揚するほどだった。
私の気分が上がるって、あまりにない事だろう。
山の麓、空き地があるのを知っているかい?
そこで演奏しようと思ったんだ。
月が観客。
最高のお客さんだ。
何も言わずにただひたすら黙って聞いてくれる。
演奏家としてこれほど幸せなことはない。
月光浴を兼ねて、私は空き地の隅の切り株に腰掛けた。
風が私の髪をなぜる。
静かすぎる夜に私の奏でる音が響くというのは少々の後ろめたさがあったけどそれもまた贅沢。
私は月に向き合い、演奏を始めた。
私一人と月のコンサートの開演だ。
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「おかみさん、もう一献。冷たいのコップでいいよ」
「……」
「おかみさん?」
「あ、はい!」
「おかみさん、ルナサだけじゃなくて私も温かいのお願い」
「は、はいよ」
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演奏し始めてどのくらい経っただろうか。
私は、そうだね。
妹達によく注意される。
一度楽器を持って演奏を始めると、自分が満足するまで他の音は耳に入らないし、楽器を手放さないと。
おかげでよく夕餉のスープを冷ましたものだよ。
失敬、全く関係ない話だ。
まあそのくらいだから、彼女にも気づかなかった。
月ではない。
もう一人の観客に気づかなかったんだ。
彼女はね、切り株に座る私をいつからかじいと見つめている、その観客に。
だから私が演奏を終えたときは実に驚いた。
月に手が生えたのかと思った。拍手が聞こえてきたからね。
彼女は、長い、長い、長い、拍手を終えて
私にこう言った。
興奮したわ、と。
はじめての感想だった。
私の音色は陰だ。鬱だ。
私の専門分野はそっちの方面、マイナスの方面での「感動」を意識して演奏しているから、その感想はとても新しかった。
それで彼女はきっと、「音」に対して他のものとは違う考えを持っているんだとわかったんだ。
私は惹かれた。
惹かれる経験なんて初めてだった。
彼女と話しているうちに、自分の世界が広がっていくのがわかった。
現実にない音を探している私にとって、全く反対の性質を持つ彼女の音は、とても新鮮で。
彼女に惹かれて、羨ましくなった。
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
私は息を吸った。
はじめに、うなぎの焦げる、炭の匂い。
そして次には清酒特有の鼻に抜ける、すっとするも癖のある匂い。
最後に甘ったるい、恋の匂いがした。
「さて、わたしゃ帰るかね」
「あ、は、はい。てゐさん、はい、コートです」
「会計は、こいつにつけといて」
「な。なぜ?!」
「なぜだかはわかるでしょ。おかみさん、おみやが欲しいな。人参のソテー二人前」
「あ、はい」
「それはおかみさんの奢りね」
「え? なぜです?!」
「まあ、私が払ってもいいけど、私はおかみさんが払うほうがいいと思う」
「……てゐさんはそんなケチなことしないと思いますし。わかりました、少し待っててください。
二人前作りますから」
おかみさんは背を向けて人参を調理し始める。
私は酒臭いあくびを噛み殺すことなく炸裂させ、隣を見やる。
ふふ、酒のせいか、照れくさいせいか。
「にしても、ルナサ」
「……なんだい」
「ここの酒は美味いね」
「…………怖いくらい、病み付きになるね」
「そういうものなんだよ。周りが見えなくなるくらい魅力的だね」
「……お酒のはなし?」
さあてね。
バターの匂いが私の鼻を通る。
この匂い。
腹も膨れてるし、酔いも回っているけどこの匂いは私を覚醒させる
うさぎには堪んないよね。
「てゐに奢るのは初めてかな」
「そうかもね。あんた、私に甘えてるもんね」
「知ってた?」
「知ってた」
あとは、人参のソテーができるまで会話はなかった。
ルナサは冷酒を片手に、うん。人参みたいになっていた。
ずっと。
「はい出来ました。温かいうちにどうぞ」
「ありがと。にしても今日は閑古鳥が鳴いてるね」
「……そですね。じゃあお待ちしております」
「じゃあまた。月の綺麗な晩に」
「ああ、またね。てゐ」
一歩目は少しふらついたものの、二歩目はしっかりと土の感触を感じることが出来た。
少々早いけど今日はお開き。
二次会は自分の家で。
二十歩。
そのくらい歩いて振り返る。
ああ。
振り返らなきゃよかった。
なあんて。
贅沢な後悔をして私は帰路につく。
さくりさくり
「ふあーあ」
あくび、か、もしくは嘆きか。
自分でもわからない息が漏れた。
「鈴仙のやつ」
さくりさくり
私はまだ年老いてるわけではいので、空に浮かぶまあるいやつと面を合わす。
お前はいつも同じ表情だ。
しかし、見る時見る状態によって、いつも違う顔に見える。
不思議な奴。
お前は今、寂しいのかい?
「ふられてやんの」
人参の温かさとあまいあまい匂いが私を包む。
家に近づくにつれて私の仲間がひょいひょいと顔を出す。
しょうがない。
私は今うさぎにとって魅力的な存在だから。
でも、分けてあげないよ。
これは、私と鈴仙の分だから。
きっと、帰ったら夜中にふらつく私を怒るだろう。
そして人参を見て喜んで、私の話で悲しんで、人参を頬張ってまた笑う。
想像が容易い。
ふふ。
「ああ、月が」
さっきまで寂しそうだった月が今は笑っている気がした。
よし、だったらお前も笑ってやれ。
きっと、その方が楽しいから。
家の前につく。
お師匠様の部屋と、姫様の部屋は既に暗い。
そして、もちろん鈴仙の部屋はまだ灯りが灯っている。
じゃあ、二次会。
楽しもうかしら。
今日は、腰が軽いから。
「たっだいまー」
『月を愛する人々』
おわり
自分も彼女達の隣でお酒を飲んでいる様な気になる程、てゐの語りが上手くて良かったです。
お酒が飲みたくなりました。
ルナサが可愛い
酒臭くなりそうな話だった
夜歩きはワクワクしますし特有の寂しさがありますからね
途中でメシとか調達できると尚いい
>「あいつが他のバンドのフアンになっちゃったんだよね」
ファン、ですかね。それともそう言う言い回し?
どっちにしろメロデスとか好きそうな鈴仙だこと