命蓮寺のはずれ、人気のない軒先にて。
マミゾウはひとり、どっこいしょと腰を下ろした。
今は日中。これといった行事のない普通の日であるため、マミゾウ以外の他の命蓮寺の連中は、各々お勤めをおこなっているはずだと彼女は思っている。
「いや、ぬえは違うのう」
先ほどの自分の考えを一部訂正する。自分を幻想郷のこの寺に連れてきた張本人であるあの妖怪は、まじめという言葉などとは程遠い概念の住人だと思えた。
第一、ぬえや自分などといった不真面目なものが、命蓮寺などというれっきとした仏の尖兵どもの一員とみなされていること自体、本来ならちゃんちゃらおかしなことなのだ。まあ、他の命蓮寺の連中は真面目一辺倒なのかと言われればそんなことはないのではあるが。
「だがのう」マミゾウの独り言は続く。
この寺に限っては、そんなことなどを細かく気にするものはいない。
そのようなことを気にしている時点で、自分こそこういう点において命蓮寺で最も細かいのかもしれないのう。と、マミゾウは心の中でつぶやいてみた。
とはいえ、
「こればっかりはみんなに叱られそうだからのう」それとなくあたりの気配をうかがいながら、懐から酒瓶を取り出す。
皆がお勤めを果たしているなかでは、さすがに気がとがめる。あるいは、皆の前で飲んでも、あの気のいい連中は笑って気にしないかもしれない。
が、呑みたいものは呑みたい。
だからこうして、皆の視線がとどかないような場所で、一人酒を楽しもうとしているのだ。
一杯目を堪能し、ほっと息をついたところで、不意に背後から声をかけられた。
「真昼間から酒かい。うらやましいねえ」
声をかけられるまで自分に気配すら気づかせない事もそうだが、声をかけられたこと自体にマミゾウは心底驚いた。が、その声の主が命蓮寺の連中ではなく、どちらかといえばこういう嗜みに心得のある友人であったことに、心のどこかで胸をなでおろした。
「急に背後から気配を出してくるなんて、悪趣味なやつだねまったく」
「そのほうがあたしっぽいだろ?」
「ほう、その口ぶり。儂の相伴に預かるのはよほどいやだと見える」
「はいはい、ツンデレツンデレ」
皮肉を軽く流す、マミゾウが幻想郷で知り合ったこの悪友は、さも当たり前のようにマミゾウの隣に腰掛けた。
そうしておいて、マミゾウの渡した杯を悪びれることなく受け取り、一気に喉に流し込む。
「っかー。きくー。外界の酒は久しぶりだ」
「秘蔵の一品じゃ。これほどの質の酒は幻想郷でもな中々なかろう」
「確かにね。でも、あたしはもっといい酒、一本持っていますわ」
「ほう、どこの蔵のものかの?」
「聞いて驚くなよ、月の古酒さ。あたしがひとつ、くすねてきた」
悪友はにやりと笑った。
「つき? つきといったか? 天のうえで地球をくるくるまわっとるあの月?」
「そう。命蓮寺がこっち来る少し前に、魔理沙やら霊夢やらが月の都にいった事件があってね。そのときにあたしもちょいと行ってきたのさ」
そうして、懐にでもしまいこんであったか、どこからか一本の酒瓶を取り出し、空けたばかりのマミゾウの杯に、中身を惜しげもなく注ぎ込んだ。
「……これは確かに旨い」
「だろ」
「じゃが、霊夢たちが月に行ったというその事件なら。儂も烏天狗たちの古新聞を読んだので多少は知ってはおるがの、ぬしのことなんか一行も書いておらなんだが」
「まあ、ね。でもあたしが月にいったことは事実よ」
悪友は曖昧に頷く。
「ぬしも魔理沙に似て猫みたいに好奇心が強いのう。でもぬし。昔のことはわからんが、儂はぬしがこういう事にちょっかい出した話なんぞ耳にしたことはないから、てっきり儂は、ぬしはこういった事件や異変にはかかわらぬ者じゃと思いこんでおったが」
「……出ないんじゃない。呼ばれないんだよ」
ぎこちなく返す悪友を見て、マミゾウはこりゃしまったかの、と話の筋を変える。
「弾幕勝負をしたのか? 儂もこちらに来て日は浅いが、ぬしが弾幕勝負した光景なぞついぞ見たことがない。ひょっとして腕がなまってたりしとらんかったか?」
「まさか。あたしは魅魔様だよ?」
そういって、この足のない悪友は、杯を傾けるペースをやや緩め、語り始めた。
なるほど。と、マミゾウは話半分に聞きながら、どちらかと言うと聴覚よりも味覚に意識を偏らせていた。
確かにこやつの持ってきた酒はうまい。
マミゾウは思った。悪友に語らせるままにこの与太話を肴にするか。
そうしておいて、この出所不明のうさんくさい銘酒を、持ち主がより少なく、自分がより多く楽しんでやろう。
▽
「で、あたしは、単独で月の都の潜入に成功した後、魔理沙たちが負けたっていう相手を探り出してね。そしたら月の警備担当だか使者の担当だかしている綿月依姫だということがわかってさ」
「潜入とは言うが、侵入者のぬしはみつからんかったのか? 月の住人は穢れを嫌うんじゃろ? ぬしなんぞ簡単に見つかって即座に捕まってしまうのではないのか?」
「警備の玉兎には何度も見つかったけどね。『地上のとある筋から警備の応援に来ました(うそ)』とか『穢れをもったスパイを見つけ出すのはもともと本質的に穢れを持つものが一番適任(うそ)』とかいったらみんな信じちゃって」
「そんなもんかのう?」極めて胡散臭いのう。
「そこで、月の都のはずれ、月の海のほとりに立ち、向かい合ったあたしたちは、ついに避けられぬ戦いの引き金を引いたのさ」
~「また地上のお客様、か」~
~「どうもうちの霧雨魔理沙が世話になったようだね」~
~「お帰りください、といっても、聞かないのでしょうね、どうせ――」~
~「話が早くてたすかるねえ」~
~「では、あなた方の流儀である、弾幕ごっことやらで追い返して差し上げますわ」~
「ちょっとまった」
「なにさ? これからいいとこなのに」
「儂はあの月旅行とやら、詳しくは知らぬが、あれは月に対する、こちらというか幻想郷側の一方的な悪事なのではないかえ? そういう企てにほいほいのった魔理沙が痛い目にあっても自業自得で、姉貴分にあたるようなぬしが出張る名分はなかろう。と、いうか、そもそもぬしはどうやって月にいったのじゃ?」
「月には飛んでいったよ。普通に」
「いけるんかい」
友人が平然と答える姿に、マミゾウはあきれのため息をもらす。
「いけないかなと思ったけど、がんばったら案外いけたわ。そして、あたしが出しゃばる理由? そんなの、単純さ」
そういって、自信満々に、
「そこに弾幕ごっこがあるからさ」
「そうかえ」
ここまである種のさわやかさを伴った黄金の精神じみた返答に、マミゾウはそう頷くしかなかった。
「先攻はあたしだった」
確かに、仕掛けたのは魅魔だった。
▽
細かな弾薬を前後左右に満遍なくばら撒いたかと思えば、それらが一瞬のうちに加速し、依姫の元へ殺到する。
初撃。
高速さと濃密さをも併せ持った、難度の高い、初見では回避困難な弾幕である。
ではあるが。
目前の綿月依姫という者は魔理沙を苦もなく打倒している、との話を魅魔は前もって玉兎から聞いている。
さすがの魅魔もこの程度の通常弾幕で依姫を倒すことができるとは思ってもいない。
お互い初対面の身。射撃に対して相手は果たしてどのような回避方法をとるか。
魔理沙のように弾の集団を塊とみなして大きく回り込むか、はたまた霊夢のようにわずかな間隙を見つけ最小の動きですり抜けるか。
その癖を見極めるためにはなった弾幕。
いわば、様子見のつもりで放った小手調べであった。
しかし、依姫がとった行動は、魅魔の想定した複数種の回避パターンのいずれでもなかった。
驚愕。
魅魔の内心はそういう言葉でしか表現できぬ感情に飲み込まれる。
弾幕ごっこのセオリーからすると、あまりにも愚策。いや、もはや策とは到底いえないようなしろものであった。
棒立ち。
だがしかし、こと依姫に限っては、この無行動こそが最も効果的な弾幕のいなし方であることを、魅魔はまもなく知ることになる。
自分の放った無数の弾幕が、依姫に近づいただけで、一切対象にあたることなく停止してしまったのだ。
速度を否定された弾幕など、路傍の小石や砂利とほぼ変わらない。
違うのは、見た目が綺麗な事、空中にて無駄に浮遊静止しているという事実だけだ。
「加速度を否定して威力を殺せばどうということはないわ」
例えば海岸にて散歩をしていたときに、着ているワンピースにいつのまにか付着していた海砂を振り払うかのように。依姫は実に気軽に、自分の周りに浮いている、色とりどりの砂利どもを腕で振り払い、地面に払い捨てた。
「今度はこちらの番ね」
そう言い放つと、腰に挿した刀を抜き精神を集中、自らの肉体に神をおろし始めた。
▽
魅魔は身構える。
おそらく、依姫はスペルカードなどといった弾幕ごっこの詳細などは知らないだろう。
それでも、この溜め時間。今から来るものはおそらくスペルカードに相当する攻撃に違いない。
魅魔は今までの経験からその事実を完全に理解した。
そして、次の瞬間から自身に襲い掛かるであろう力の奔流を予感し、無意識のうちに舌なめずりをする。
「さあこい。あんたの実力、確かめさせてもらうよ」
魅魔のその言葉を聴いて、依姫はわずかにうなずき返し、
「さて、いきま……す……?」
途中で、あっけにとられた表情で一切の動作を中断させてしまう。
どうしたんだい?
警戒しつつ、魅魔は依姫に声をかけようとするも。次の瞬間、自分の体内から湧き上がる、清々しいまでの奇妙な違和感に気がついた。
あれ、つきのそらってこんなにあかるかったっけ。
おかしいな、あそこにげんそうきょうのゆうめいじんがいるよ。つきになどいるはずはないのに。
なあ、しきえいき。こんなところでなにしてるんだい?
おひるやすみちゅうなのかい? ずいぶんかわいらしいおべんとばこだけどさ、ほっぺにおべんとうがついているよ。
どうしたのさみんな? あたしゃここにいるよ……
このときに依姫がおろした神の名は伊豆能売。地上では忘れられかけている、穢れをはらうことのできる古代の神である。
▽
依姫が、横たわった魅魔のおでこに乗せた濡れ手ぬぐいを、甲斐甲斐しく取り替える。
はたして、弱った魅魔はその依姫に膝枕されていた。
「弾幕ごっこの経過如何によっては、情け容赦なく月から叩き出されるかもとは思っていたけどさあ」
「はあ」
「まさかこのあたしが、現世からこうも完璧に叩き出されかけるとは思わなかったわ……」
「いや、でも。あなたって基本は悪霊だけど、どこかの神社か何かに縁があるのではないのですか? 私にはそう見うけられました。ならば、悪霊として大半の力は失われますが、普通はそういう部分であなたの一部は現世に残れるのでは?」
「だって。閻魔とさあ、目と目があっちゃったもの。思いっきりみつめあったもの」
「いやほんともうしわけないというかご愁傷様というか」
魅魔の呼吸は未だ荒く、瞳孔は全開のままである。
奇しくも幻想郷では、とある仕事少女がお昼休みであるから自分専用の休憩室に入り、お弁当の中のからあげを、自前の黒いおはしでつまみあげて、無垢な表情でそれを口に運び込んだ瞬間、ふとした気配を感じて部屋の隅に視線を向け、おおよそ三秒ほどの完全なる沈黙の後、「お、おばっ!?……こまち~」と泣きべそをかくという特異点的珍百景が発生していたのであるが、魅魔も依姫もこれを感知する事はなかったし、この話とは完全に関係ないのでこのくだりは割愛する。
「っていうか、そこまで力が削がれたら弾幕ごっこはおろか下手したら自由に出歩くことすらままならなくなっちゃうじゃない」
「ええ? あなたの縁の神社ってそんなに信仰が薄いのですか?」
「あー、恐ろしい! あんた鬼の子だよ! とんだ祟り神だよ!」
「むしろあなたが祟り神です!」
結局、魅魔の半透明化障害が治るのに月時間にして半刻ほどの時間を要した。
「ところでほんとにもうおかえりいただけませんか? 私も役目があって暇ではありませんので」
「あんたはあたしを月から追い出したい。あたしはあんたと弾幕ごっこがやりたい。これってひょっとして、結果的にやることは一致しているんじゃないかね?」
「そう、かもしれませんけど」
依姫は釈然としない表情で、魅魔にしぶしぶと同意する。
別に同意しなくてもいいことに気がついた様子が見えないあたり、この娘は生真面目だが意外と根が単純なやつなのかもしれないな。魅魔はひそかにそう思った。
「じゃあ決まりだ。やろう。と、そのまえに」
「なんです?」
「神おろし自体は別にいいけど、さっきみたいなのはなしでお願いしますわ」
「はいはい」
「かわりと言っちゃなんだけどさ、依姫の側があたしに対して、弾幕で何かやってほしくないとかのリクエストはある?」
「そうですね……この大地に穢れを撒き散らしたりするのはやめてください」
「じゃあ、わかった。それじゃ、仕切りなおしといこうか」
「まったく。ま、いいでしょう。じゃ、よろしくお願いしますね」
「あ、ああ。よろしくね」
どちらかといえば新鮮な方の開幕の挨拶に、魅魔は肩透かしを食らいつつ、こんどこそ二人の弾幕ごっこは幕を開けた。
▽
魅魔は依姫と距離を十分に取り、浅い呼吸しつつ集中力をとがらせていく。
全体の空気が変わった。
こちらを見て正眼で刀を構えている依姫は、もはや肉質のある体温をこちらに向けてはいない。
依姫から見たら、魔力を高めている自分もこのような印象を与えているに違いない。
「じゃ、あたしからいくよ!」
魔力の集中を完了させた魅魔は、開幕早々に極太の光線を放つ。
依姫の体格の三倍はあろうかという幅の光線ではあったが、果たして依姫は避ける動作をとるそぶりも見せず、微動だにしない。
周りの土埃を巻き込み、周囲の空気を震わせながら高速で迫る破壊のレーザー。
だが。
依姫の斬撃。
そよ風によってガラスの風鈴が鳴るような、不釣合いな軽快な音色を奏でながら、魅魔のレーザーは依姫の目の前で二股に左右に切り開かれ、はるか後方へと高速のまま方角をそらされていった。
しかし、魅魔は依姫に次の行動の主導権を与えない。
刀の切っ先を地面に振り下ろした直後の依姫の目前に、魅魔からの第二の巨大レーザーが襲い掛かる。
依姫はひたすら冷静にそれを見据え。持ち手を返し。刀の切っ先によって月の地面の土がほんの少しだけ掘り返された。
そして、
「疾ッ!」
依姫は先ほどと同じ勢いで、今度は上に向かって光の帯を切り上げた。
切り上げたつもりであった。
第二の光帯はしかし、依姫の斬撃の直前、光帯自らが左右に分離した。
脊髄の反射神経にて予想した手ごたえとはまったく違う刀の無反発に、依姫が一瞬だけ体勢を崩す。
魅魔はそれを見逃さない。
「抜っ!」
分離した光帯は、依姫の周囲を、早く鋭い曲線を描きつつ、それぞれが体勢を崩したばかりの依姫の左右のわき腹に向け、タイミングを完全に一致させつつ横から強烈に殴り上げる。
第二撃の発射からここまで、半秒もかからず。
しかし、常人ならばともかく、依姫にとっては十分すぎる執行猶予の時間であった。
左右同時に光の突き上げを食らった格好の依姫は、わずかに地面から浮き上がる。
だが、彼女は依然として無傷のまま。
刀を持つことをやめた依姫は、左右の光弾を、両手をもって突き出した掌底によって、着弾を防ぎきっていた。
仮に第三者がこの光景を見ることができていたのであれば、依姫の身体と魅魔の光弾の間に、依姫がおろした神のビジョンを見ることができたであろう。
また、彼は依姫の神の防ぐ力と、魅魔の放った光弾の力が拮抗していると思うかもしれない。
しかし、それは明確な誤りである。光弾がいまだ依姫の目前でくすぶっているのは、その二つの光弾を正確に魅魔の肉体に向け反射してぶち当てようと、狙いを付けるために依姫が慎重に保持しているだけに過ぎなかった。
だが、依姫にとっての標的であるはずの魅魔は。土煙沸き立つ地表において、すでに依姫の正面から姿を消し去っていた。
そのことに気がついた依姫は、一瞬の間をおいて、魅魔の存在をわずか上空に認める。
その一瞬の時間において、すでに魅魔はやるべき準備をすべて行い終えていた。
「もう、いっぱーつ!」
そう、こんどこそ正真正銘の威力である、本家本元の魅魔のスパークを、全力全開で依姫に向けて放ちおろしきった。
ここに至って、依姫は現状のままの防御不可能を悟る。
身動きが取れない依姫の元に殺到した光のエネルギーの奔流は。まず先行してある、依姫の左右の同質の光弾と接触し、臨界。光弾のエネルギー全体が気化するかのごとき急激な爆発。
▽
黙々と湧き上がる土煙が収まるのを待ち、魅魔は戦果を確認する。
魅魔の眼前には、月の大地に新しく小さなクレーターがひとつ加わっていた。
が、依姫の姿はそこになく。
いまの魅魔よりはるかに高い位置に滞空しつつ、静かに徒手空拳の構えをとっていた。
一瞬の隙をついて上空に回避したらしい。一瞬の隙などなかったはずなのに。
依姫の着ている衣服には僅かに焼け焦げたような跡が見られるし、多少、土砂にまみれてもいる。
だが、それだけであった。
魅魔の注意深い観察眼による限り、依姫自身には只の一箇所も被弾した証らしきものは見当たらなかった。
無傷。
それが、魅魔の放った渾身の一撃で得られた成果である。
先ほどまで依姫が持っていた刀が回転しながら落下し、月の砂浜に突き刺さった。が、この地においてそれに意識を向ける余裕があった者など誰一人たりとも存在しない。
「ふ、ふはははははっ!」
魅魔の口からそのような大笑いが漏れる。一瞬だけ、あっけにとられたような表情を見せた依姫であったが、その感情は魅魔本人にも共有されていた。
かつて、魅魔にとってここまで強力無比な相手がいただろうか?
……案外いたんじゃないかなーと、ちょっと反省しつつ、魅魔は己の魂に沸き起こる、自身の根源的な性質に属する興奮を抑えきれないでいた。
魅魔は一瞬のうちに考える。
いまの依姫は刀を失っている。
あいつは、神をおろすときに刀を使っていた。ひょっとしたら、刀を持っていない今の依姫は神をおろすことができないかもしれない。
いや、とその発想を、あまりに自分に都合がよいものと考え直す。
依姫ほどの実力であれば、刀がなかろうが神をおろす力は残っているだろう。
おそらく、刀はここらに程近い地面の上に転がっているはず。
刀を失ったことで、依姫の戦闘力は多少は低下しているはずだ。
にもかかわらず、今の彼女は刀を探したり回収したりしようとする様子はなく、自分に意識を集中させている。
すなわち、低下したはずの自身の戦闘力の復旧より、自分に隙を見せる事にたいする警戒を優先した。そういう蓋然性が高い。
「では、今度は私も!」
依姫がそういい、片腕を凪ぐように振り下ろす。
古代直刀の刃を思わせる、質量のある幻影が、一度に五十ほど虚空から現れ、音が走るよりも速い超高速度でイナゴのように魅魔に切りかかる。
その速く、だがしかし単調といえなくもないその斬撃群を、魅魔は依姫と距離を保ちながら最大の動きで次々とかわす。
かわしつつ、自身は無数の小さな弾幕を、たたきつけるように依姫に向け、放った。
全天、上下左右前後720度すべてに、依姫を中心とした球体のごとく十二分にまんべんなくばら撒いたあと、依姫という重心点に向け、一斉に高速に集束させていく。弾幕の密度がいや増すために、依姫の周囲の空間の光度が極めて高く光り輝いていく。
しかしながら、依姫は魅魔の眼前にて、既視感のある光景をつくり出す。
やはり依姫の周囲に到達したとたん、合計万以上あった魅魔の弾幕のすべてが、依姫との相対速度を勝手にゼロにされて、完全に停止してしまう。
その間にも、魅魔は無限に追いすがる刃の幻影を、大きな機動ときめ細かな制動の組み合わせで避け続けている。
そして、避けながらも、自身の視界内に依姫の姿を捉え続けることに成功していた。
一瞬。だが、その時は来た。
その時を確信した魅魔は、大きく身を翻す。速度をあげ、依姫へと接触する直線のコースへと進路を変えた。
あまりの制動に、依姫の放った追跡性のある刃の幻影は、魅魔を追尾し切れずに背後の虚空へと奔り去っていった。
▽
依姫の視界を八割ほどを占めている魅魔の弾幕。
そこに僅かにあいた漆黒の間隙ごしに、依姫は迫り来る魅魔自身の姿を見た。
依姫は相手の勢いに、自分が回避するという手段が失われていたことを知覚。
それでも迫り来る標的に向け、散弾銃のごとく光弾を一度に大量に放出する。
だが、「踏み込みが足りないよ!」魅魔の方に、経験による一日の長があった。
依姫のとっさの弾幕は魅魔の杖によるただの一撃で振り払われ、魅魔の跳躍速度をいささかも減じさせる事はなかった。
ほぼ体当たりに近い、魅魔の近接での一撃が加えられる。
かろうじてそれを防ぐことに成功した依姫ではあったが。
反動によって押し出された依姫の肉体は、周囲の静止した魅魔の弾幕に危険なまでに近づく。
▽
依姫との物理的接近に反応し、爆裂を始める魅魔の小玉。
一発一発の威力は極めて低い。低いが、同時に何百発もの爆裂を誘発させたことによって、依姫の持続力をそぐことには、確実に成功していた。
依姫が自身の姿勢制御を取り戻してカウンターを行おうとする頃には、魅魔は依姫が爆裂させた爆風の余波を背中で受けつつ、先ほどまでの戦闘的距離間隔を取り戻し、すでに依姫の反撃――両腕に宿らせた愛宕様の火――の届かない程度にまで離れてしまっていた。
初めての弾幕ごっこのときから今まで、依姫自身は特定の場所にとどまり、反撃によって相手を討ち取るするスタイルで戦ってきた。その方法で今まではいずれの相手にも勝利を重ねてきたが、この相手には、現状の戦い方で勝つことは非常に困難だと依姫は認識した。彼女は、自身が慣れ始めた戦法をかえることを決断する。
しかし、戦法をかえたからと言って、依姫にとって魅魔は直ちに勝てるような相手ではなかった。
自分から飛翔することで大半の弾幕の軌道から身体をずらし、それでもなおあたりそうな弾幕には、弾幕自体の相対速度を殺すことで着弾を免れてはいる。が、依姫の放つ弾幕も、魅魔のトリッキーな機動によって、現状は一発も当てられていない。
それどころか、魅魔は、依姫の上下左右あらゆる角度、特に死角から弾幕を執拗に放つようになってきていた。そのうえ魅魔の飛行速度はどんどん増し、ともすればすばやい機動によって自分の回りを周遊し続けている魅魔の姿を、依姫は視覚に捕らえ続けるること自体もだんだんと困難になってきている。
「こ、この悪霊。はやいっ!」
「あんたは魔理沙と弾幕ごっこしたんだろう? あたしはあの魔理沙より遅いわけはないのさ」
「わたしは彼女とは地上でやったので飛んだとかありませんでしたけど」
「あ、さよけ」
▽
魅魔も、もてる限りの集中力を発揮していた。
ああ、この緊張感! 空中戦こそ弾幕ごっこの華よ!
時間が経過する毎にどんどん的確になってきている依姫の密度のある弾幕をよけながら、彼女の恐るべき学習能力に内心舌を巻く。
それに応えるかのように、魅魔は興奮とともに、肉体を飛ばす力をかつてないほどに高めていった。
今のところ、一見、魅魔と依姫は対等な戦況といえるかもしれなかった。
だが、弾幕の威力を殺すことで着弾の威力を無効化する者と、すべての弾幕をよけ続ける者。
被害を受けないという点では対等ではあるが、それは、魅魔がこれからもすべての弾幕を避け続けることが前提の上で成り立つ対等であった。そして、この極限の状況下では、その前提は殺人的である。
魅魔はこの状況を打開できそうな手は思いつけていない。
しかし、致命的瞬間は意外なほど早く訪れた。魅魔が依姫に対する有効な決め手を思いつく前に、来てしまった。
魅魔が放ち、依姫が速度を殺し防いだ、魅魔自身の弾幕。
それが、一転して依姫によって操られ、魅魔の元へ殺到しだしたのだ。
ここに弾幕の勢力の均衡は崩れる。
相手は止まっている弾幕の間隙を慎重に縫うだけだが、魅魔自身は、速度を上げた、迫り来るさらに数多くの弾幕をよけ続けなければならなくなった。
しかし、魅魔はあきらめない。
圧倒的数量ではあるが。これに近い量。とまっているのであれば、相手の依姫は避けきることができていたのだから!
だがそんな魅魔の意思をあざ笑うかのように。かつて魅魔の弾幕だったもの、小玉ひとつひとつが、カンダタの蜘蛛の糸を目撃した地獄の囚人のように、魅魔の体を目的地に定め高速で一斉に群がり始めた。
魅魔は、体勢の細かい変更と急加速、急制動を伴う変針の組み合わせによる切り返し飛行を何度も駆使することで、数万もの細かな自機追跡弾を、少しずつ追尾不能に振り落とす。
しかし、それに集中しすぎたため、依姫に対する攻撃の頻度が極端に少なくなり。
依姫に、ほぼ完全な行動の自由を、果たして魅魔は与えてしまっていた。
「なるほど、一撃ごとの威力ではなく、弾幕の総数を重視する。そういう方法も有効ですね」
そして、魅魔が努力して減らした数以上の小玉の群れを、依姫は次々と追跡の列に継ぎ足していく。
依姫の行動は。魅魔にとって即、自分の行動可能範囲の物理的な減少を確実に保障していた。
▽
蛇に締め付けられる蛙のごとく、幾多の弾幕によって徐々に移動を狭められていく魅魔を見て、依姫は自分が勝ちつつあることを実感なく頭で理解し始めていた。
しかし、次の瞬間、依姫を周回するような軌道で回避行動をし続けていた悪霊が、一転、依姫と離れるような直線軌道に進路を大きく変える。
それもすさまじいスピードで。
「なっ?」
依姫はあわてて追いかけるが、初速の違いから、依姫の視界に移る魅魔の姿は徐々に小さいものになりつつある。
「あたしに追いつけないの? 弾幕ごっこが久しぶりなロートルのあたしにも勝てないのかい? 空気抵抗の無さそうな胸してるのに」
「たかが悪霊一匹! 私一人で追い払ってみせる!」
このとき、すでに月上空ではなく地球の軌道上と表現すべき空間に移っていたことに、二人は後になって気がつくことになる。
▽
魅魔が依姫のその声を聞いた瞬間、魅魔の周りに滞空していた、依姫が新たに放ったであろう弾幕の速度が急上昇したことに気がついた。
中には魅魔の速度を超えて、後ろから追い抜き去っていく弾もあった。
「そうこなくっちゃ!」
依姫が弾幕の加速度を否定し、速度を零にする。ならば、魅魔は自分の身体の速度を迫り来る弾幕と同等に引き上げることで、相対的に速度を殺してやろう。魅魔のたくらみは、成功した。
魅魔の周りにはいまだ無数の弾幕がまとわりついているものの、今の魅魔にとっては、それらはもはや、蛍のようにふらふらと揺れ動く華麗な色彩に過ぎない。
そして、威力をそがれていてもまだ攻撃力を保持した依姫の弾幕には、魅魔はほんの僅かな軌道変更で、次々とそれを無意味な存在にしていく。
あたしの出せる速度は、まだまだこんなものじゃないよ!
魅魔は、さらに加速する。
太陽の光が、眼前に広がる地球の表面と、魅魔の周りの弾幕を照らし始めた。
さらに、さらにさらに加速。
そのうち、自分の周りに漂う弾幕が、少しずつ、じりじりと後ろの世界へと後退していくように魅魔は見え始めた。
ひとつひとつ一瞥し、魅魔はその何の変哲もない弾幕一つ一つが、何かとても大切な物のように思え始めてきた。
名残惜しく、だが、それでも魅魔は加速することをやめずに、彼らのすべてを自分の後背に追い詰めるよう全身の力を発揮する。
このとき、確かに魅魔は弾幕ごっこを行っていた。
魅魔は、誰ともなく、心の中でだけ叫ぶ。
もはやあたしはゴーストファイターではないのよ。この世界に、悠然と存在している!
新規製作が発表されるたびに、応募の返答として自機採用担当から毎度のごとくお祈り通知が返信されようが、今となってはなんら後ろめたいことではない!
▽
そこまで聞いたマミゾウは、ふう、とキセルを一服、丸々と楽しみおえた。
「で、そうやって地球の上空をぐるぐる周回しているうちに、ぬしは自分の速度を出すことに専念しすぎて依姫を見失ったんかい」
「依姫をスピードで大きく引き離したと言い張ることもできるのではないかしら」
マミゾウは今度こそ大きくため息をついた。
「ぬし、存外アホウやな。聞いてる限りでは、依姫とやらの目的はぬしを月から追い出すのが目的のはず。その目的物が勝手に遠ざかってくれるのだから、これほど勝手のいい相手はいないわな。何しろ何もせずともいいのだから。おおかた、一時は挑発に乗ったものの、すぐ我に返って月に帰還したのだろうよ」
自分でも薄々わかっている事をはっきりといわれることほど嫌なことはそうそうない。魅魔は思い知った。
「そういうアホウなオチを用意している以上、ぬしが本当に月の都に行ったという話全体がなんかうそ臭いわい」
「なによう。行ったことは本当さ。お土産のお菓子だってこの通り。今晩酌してる酒だってそうさね」
「はて、このお菓子かえ。確かに月のお菓子じゃ。……月のお菓子じゃが、わしの目にはどう見ても外界の仙台銘菓にしか見えぬのじゃがのう」
「その仙台とやらが月を模倣したのかも」
「んなわけあるかい」
「ぐぬぬ」
「しかしじゃ。この酒はほんとうにうまい。どこの産か知らぬが」
「そうでしょうそうでしょう」
そう快活に笑う悪友を、マミゾウは冷静に見定める。
今なら聞いてみてもいいかもしれん。
「ところで、じゃ。ぬし自身は、まだ魔理沙に直接あえんのかえ?」
う、ととたんに気まずそうになる魅魔を見て、マミゾウは今ここで聞いたのが間違いかと、内心少し不安になる。
「会う事自体は不可能ではないというか、会えないというわけじゃないんだけど。その、なんというか」
ごらんいただきたい。これが恥ずかしそうにモジモジする元全人類の敵である。
「なんじゃ?」
「ほら、しばらく魔理沙にはあってなかったから、あたし、どういう感じの態度であいつに接したら良いかいまいち自信が持てなくて」
「アホらし、そんなことか。普通に接すればいいじゃろ、普通に」
「だからその普通がわかんないんだって」
「そんなことでいつまでも会えんようでどうする」
「そりゃあたしもこのままじゃいけないとはおもっているけどさ……」
まったく、妙なところで気難しいこの悪霊は。
「じゃあ、儂を魔理沙だと思って、ひとつ再開の挨拶でもしてみせよ」
「なによ、急に」
「うまい酒を飲ませてくれた礼じゃ。それに肴にもなるしの。ま、儂を楽しませると思ってひとつやってみい」
「そ、そう?」
魅魔はそういった後、胸に手をあて、深呼吸を三回、じっくりと行った。
立ち上がった後、マミゾウに背中を向ける形で、自分に何かを言い聞かせるようにしながら目の前の庭先に浮かぶ。
そして、マミゾウに向かって振り向きざまに微笑み、大げさに声を張り上げた。どこぞの魔界神のような、実に明るい無邪気そうな笑顔だった。
「やっほぅ☆あたしゃ魅魔だよ☆魔理沙ちゃんげんきぃ?」
「ぶうううううう!」
思い切りむせるマミゾウ。
「やっぱちょいと不自然だったかな?」
「不自然以前にどうしてそうなるんじゃ?!」
ああ、せっかくの銘酒が。マミゾウが至極残念に思ったそのとき、思っても見ない方向から、第三者の声がかけられる。
「誰かいるのか? 私のこと呼んだ?」
直後、藪をかきわけてマミゾウの視界内にやってくるものがいた。
霧雨魔理沙その人だった。
▽
「あれ? マミゾウ、あんたひとりか? マミゾウの声とは違ったような気がしたんだがな」
「いや、魔理沙と声を出したのは儂じゃよ。いつぞやの弾幕勝負を思い出してな」
これでひとつ貸しじゃぞ。マミゾウは、すでに気配すら完全に消えうせている悪友に向け、心の中で念を押した。
「あんな妙な口調で? なに言ってるか良くわからなかったけど、独り言でああいう大声はやばいぜ。ボケるはまだ早いんじゃないか?」
「そっちこそ藪の中で何してるんじゃ。また泥棒でもしとるんかい、若い乙女が」
「トレジャーハンティングといってほしいぜ。あ、そうそう」
魔理沙は思い出したように、肩に担いだ白い大袋の中身を探る。
「ほれ、いつものだ。あいつにわたしておいてくれよ」
「あらまあ。これはありがたい」
「ちなみに。今回は、再思の道の真ん中に転がってあったぜ」
「それも儂からあやつに伝えておくとしよう」
そうして、魔理沙から宝塔をうけとる。
「それにしても真昼間から酒とはいい御身分だぜ」
「なんじゃ、せっかくお礼に一杯おごってやろうと思ったのに、まじめな魔理沙さんはいらないとみえる」
「それとこれとは話が別だぜ」
マミゾウの隣に、さっきまでそこいた者とまるで瓜二つな仕草で、平然と腰をかける。
やはり魔理沙も悪びれることなくマミゾウから受け取った杯を、慣れた手つきで一気に空にした。
「お、この味」
「しっておるのか?」
「いや、知らないけど、よく似たのを飲んだことがあるんだ。これはどこの酒?」
「さあ、儂も知らんのじゃ。何しろもらい物だからのう」
「そっか。残念。この酒うまいから産地を是非つきとめたいんだけどなあ」
「ところで魔理沙、ぬしはこの酒、どこでのんだんじゃ?」
「紅魔館。そのときは紫が月の酒の味がどうこうだなんて言ってたけど。ここにもう一本あるんじゃ、やっぱあれは紫流の冗談だったかな」
あーあ、と残念そうに大きくため息をついた魔理沙は、マミゾウがさりげなく驚いていたことにまるで気がついていなかった。
マミゾウはひとり、どっこいしょと腰を下ろした。
今は日中。これといった行事のない普通の日であるため、マミゾウ以外の他の命蓮寺の連中は、各々お勤めをおこなっているはずだと彼女は思っている。
「いや、ぬえは違うのう」
先ほどの自分の考えを一部訂正する。自分を幻想郷のこの寺に連れてきた張本人であるあの妖怪は、まじめという言葉などとは程遠い概念の住人だと思えた。
第一、ぬえや自分などといった不真面目なものが、命蓮寺などというれっきとした仏の尖兵どもの一員とみなされていること自体、本来ならちゃんちゃらおかしなことなのだ。まあ、他の命蓮寺の連中は真面目一辺倒なのかと言われればそんなことはないのではあるが。
「だがのう」マミゾウの独り言は続く。
この寺に限っては、そんなことなどを細かく気にするものはいない。
そのようなことを気にしている時点で、自分こそこういう点において命蓮寺で最も細かいのかもしれないのう。と、マミゾウは心の中でつぶやいてみた。
とはいえ、
「こればっかりはみんなに叱られそうだからのう」それとなくあたりの気配をうかがいながら、懐から酒瓶を取り出す。
皆がお勤めを果たしているなかでは、さすがに気がとがめる。あるいは、皆の前で飲んでも、あの気のいい連中は笑って気にしないかもしれない。
が、呑みたいものは呑みたい。
だからこうして、皆の視線がとどかないような場所で、一人酒を楽しもうとしているのだ。
一杯目を堪能し、ほっと息をついたところで、不意に背後から声をかけられた。
「真昼間から酒かい。うらやましいねえ」
声をかけられるまで自分に気配すら気づかせない事もそうだが、声をかけられたこと自体にマミゾウは心底驚いた。が、その声の主が命蓮寺の連中ではなく、どちらかといえばこういう嗜みに心得のある友人であったことに、心のどこかで胸をなでおろした。
「急に背後から気配を出してくるなんて、悪趣味なやつだねまったく」
「そのほうがあたしっぽいだろ?」
「ほう、その口ぶり。儂の相伴に預かるのはよほどいやだと見える」
「はいはい、ツンデレツンデレ」
皮肉を軽く流す、マミゾウが幻想郷で知り合ったこの悪友は、さも当たり前のようにマミゾウの隣に腰掛けた。
そうしておいて、マミゾウの渡した杯を悪びれることなく受け取り、一気に喉に流し込む。
「っかー。きくー。外界の酒は久しぶりだ」
「秘蔵の一品じゃ。これほどの質の酒は幻想郷でもな中々なかろう」
「確かにね。でも、あたしはもっといい酒、一本持っていますわ」
「ほう、どこの蔵のものかの?」
「聞いて驚くなよ、月の古酒さ。あたしがひとつ、くすねてきた」
悪友はにやりと笑った。
「つき? つきといったか? 天のうえで地球をくるくるまわっとるあの月?」
「そう。命蓮寺がこっち来る少し前に、魔理沙やら霊夢やらが月の都にいった事件があってね。そのときにあたしもちょいと行ってきたのさ」
そうして、懐にでもしまいこんであったか、どこからか一本の酒瓶を取り出し、空けたばかりのマミゾウの杯に、中身を惜しげもなく注ぎ込んだ。
「……これは確かに旨い」
「だろ」
「じゃが、霊夢たちが月に行ったというその事件なら。儂も烏天狗たちの古新聞を読んだので多少は知ってはおるがの、ぬしのことなんか一行も書いておらなんだが」
「まあ、ね。でもあたしが月にいったことは事実よ」
悪友は曖昧に頷く。
「ぬしも魔理沙に似て猫みたいに好奇心が強いのう。でもぬし。昔のことはわからんが、儂はぬしがこういう事にちょっかい出した話なんぞ耳にしたことはないから、てっきり儂は、ぬしはこういった事件や異変にはかかわらぬ者じゃと思いこんでおったが」
「……出ないんじゃない。呼ばれないんだよ」
ぎこちなく返す悪友を見て、マミゾウはこりゃしまったかの、と話の筋を変える。
「弾幕勝負をしたのか? 儂もこちらに来て日は浅いが、ぬしが弾幕勝負した光景なぞついぞ見たことがない。ひょっとして腕がなまってたりしとらんかったか?」
「まさか。あたしは魅魔様だよ?」
そういって、この足のない悪友は、杯を傾けるペースをやや緩め、語り始めた。
なるほど。と、マミゾウは話半分に聞きながら、どちらかと言うと聴覚よりも味覚に意識を偏らせていた。
確かにこやつの持ってきた酒はうまい。
マミゾウは思った。悪友に語らせるままにこの与太話を肴にするか。
そうしておいて、この出所不明のうさんくさい銘酒を、持ち主がより少なく、自分がより多く楽しんでやろう。
▽
「で、あたしは、単独で月の都の潜入に成功した後、魔理沙たちが負けたっていう相手を探り出してね。そしたら月の警備担当だか使者の担当だかしている綿月依姫だということがわかってさ」
「潜入とは言うが、侵入者のぬしはみつからんかったのか? 月の住人は穢れを嫌うんじゃろ? ぬしなんぞ簡単に見つかって即座に捕まってしまうのではないのか?」
「警備の玉兎には何度も見つかったけどね。『地上のとある筋から警備の応援に来ました(うそ)』とか『穢れをもったスパイを見つけ出すのはもともと本質的に穢れを持つものが一番適任(うそ)』とかいったらみんな信じちゃって」
「そんなもんかのう?」極めて胡散臭いのう。
「そこで、月の都のはずれ、月の海のほとりに立ち、向かい合ったあたしたちは、ついに避けられぬ戦いの引き金を引いたのさ」
~「また地上のお客様、か」~
~「どうもうちの霧雨魔理沙が世話になったようだね」~
~「お帰りください、といっても、聞かないのでしょうね、どうせ――」~
~「話が早くてたすかるねえ」~
~「では、あなた方の流儀である、弾幕ごっことやらで追い返して差し上げますわ」~
「ちょっとまった」
「なにさ? これからいいとこなのに」
「儂はあの月旅行とやら、詳しくは知らぬが、あれは月に対する、こちらというか幻想郷側の一方的な悪事なのではないかえ? そういう企てにほいほいのった魔理沙が痛い目にあっても自業自得で、姉貴分にあたるようなぬしが出張る名分はなかろう。と、いうか、そもそもぬしはどうやって月にいったのじゃ?」
「月には飛んでいったよ。普通に」
「いけるんかい」
友人が平然と答える姿に、マミゾウはあきれのため息をもらす。
「いけないかなと思ったけど、がんばったら案外いけたわ。そして、あたしが出しゃばる理由? そんなの、単純さ」
そういって、自信満々に、
「そこに弾幕ごっこがあるからさ」
「そうかえ」
ここまである種のさわやかさを伴った黄金の精神じみた返答に、マミゾウはそう頷くしかなかった。
「先攻はあたしだった」
確かに、仕掛けたのは魅魔だった。
▽
細かな弾薬を前後左右に満遍なくばら撒いたかと思えば、それらが一瞬のうちに加速し、依姫の元へ殺到する。
初撃。
高速さと濃密さをも併せ持った、難度の高い、初見では回避困難な弾幕である。
ではあるが。
目前の綿月依姫という者は魔理沙を苦もなく打倒している、との話を魅魔は前もって玉兎から聞いている。
さすがの魅魔もこの程度の通常弾幕で依姫を倒すことができるとは思ってもいない。
お互い初対面の身。射撃に対して相手は果たしてどのような回避方法をとるか。
魔理沙のように弾の集団を塊とみなして大きく回り込むか、はたまた霊夢のようにわずかな間隙を見つけ最小の動きですり抜けるか。
その癖を見極めるためにはなった弾幕。
いわば、様子見のつもりで放った小手調べであった。
しかし、依姫がとった行動は、魅魔の想定した複数種の回避パターンのいずれでもなかった。
驚愕。
魅魔の内心はそういう言葉でしか表現できぬ感情に飲み込まれる。
弾幕ごっこのセオリーからすると、あまりにも愚策。いや、もはや策とは到底いえないようなしろものであった。
棒立ち。
だがしかし、こと依姫に限っては、この無行動こそが最も効果的な弾幕のいなし方であることを、魅魔はまもなく知ることになる。
自分の放った無数の弾幕が、依姫に近づいただけで、一切対象にあたることなく停止してしまったのだ。
速度を否定された弾幕など、路傍の小石や砂利とほぼ変わらない。
違うのは、見た目が綺麗な事、空中にて無駄に浮遊静止しているという事実だけだ。
「加速度を否定して威力を殺せばどうということはないわ」
例えば海岸にて散歩をしていたときに、着ているワンピースにいつのまにか付着していた海砂を振り払うかのように。依姫は実に気軽に、自分の周りに浮いている、色とりどりの砂利どもを腕で振り払い、地面に払い捨てた。
「今度はこちらの番ね」
そう言い放つと、腰に挿した刀を抜き精神を集中、自らの肉体に神をおろし始めた。
▽
魅魔は身構える。
おそらく、依姫はスペルカードなどといった弾幕ごっこの詳細などは知らないだろう。
それでも、この溜め時間。今から来るものはおそらくスペルカードに相当する攻撃に違いない。
魅魔は今までの経験からその事実を完全に理解した。
そして、次の瞬間から自身に襲い掛かるであろう力の奔流を予感し、無意識のうちに舌なめずりをする。
「さあこい。あんたの実力、確かめさせてもらうよ」
魅魔のその言葉を聴いて、依姫はわずかにうなずき返し、
「さて、いきま……す……?」
途中で、あっけにとられた表情で一切の動作を中断させてしまう。
どうしたんだい?
警戒しつつ、魅魔は依姫に声をかけようとするも。次の瞬間、自分の体内から湧き上がる、清々しいまでの奇妙な違和感に気がついた。
あれ、つきのそらってこんなにあかるかったっけ。
おかしいな、あそこにげんそうきょうのゆうめいじんがいるよ。つきになどいるはずはないのに。
なあ、しきえいき。こんなところでなにしてるんだい?
おひるやすみちゅうなのかい? ずいぶんかわいらしいおべんとばこだけどさ、ほっぺにおべんとうがついているよ。
どうしたのさみんな? あたしゃここにいるよ……
このときに依姫がおろした神の名は伊豆能売。地上では忘れられかけている、穢れをはらうことのできる古代の神である。
▽
依姫が、横たわった魅魔のおでこに乗せた濡れ手ぬぐいを、甲斐甲斐しく取り替える。
はたして、弱った魅魔はその依姫に膝枕されていた。
「弾幕ごっこの経過如何によっては、情け容赦なく月から叩き出されるかもとは思っていたけどさあ」
「はあ」
「まさかこのあたしが、現世からこうも完璧に叩き出されかけるとは思わなかったわ……」
「いや、でも。あなたって基本は悪霊だけど、どこかの神社か何かに縁があるのではないのですか? 私にはそう見うけられました。ならば、悪霊として大半の力は失われますが、普通はそういう部分であなたの一部は現世に残れるのでは?」
「だって。閻魔とさあ、目と目があっちゃったもの。思いっきりみつめあったもの」
「いやほんともうしわけないというかご愁傷様というか」
魅魔の呼吸は未だ荒く、瞳孔は全開のままである。
奇しくも幻想郷では、とある仕事少女がお昼休みであるから自分専用の休憩室に入り、お弁当の中のからあげを、自前の黒いおはしでつまみあげて、無垢な表情でそれを口に運び込んだ瞬間、ふとした気配を感じて部屋の隅に視線を向け、おおよそ三秒ほどの完全なる沈黙の後、「お、おばっ!?……こまち~」と泣きべそをかくという特異点的珍百景が発生していたのであるが、魅魔も依姫もこれを感知する事はなかったし、この話とは完全に関係ないのでこのくだりは割愛する。
「っていうか、そこまで力が削がれたら弾幕ごっこはおろか下手したら自由に出歩くことすらままならなくなっちゃうじゃない」
「ええ? あなたの縁の神社ってそんなに信仰が薄いのですか?」
「あー、恐ろしい! あんた鬼の子だよ! とんだ祟り神だよ!」
「むしろあなたが祟り神です!」
結局、魅魔の半透明化障害が治るのに月時間にして半刻ほどの時間を要した。
「ところでほんとにもうおかえりいただけませんか? 私も役目があって暇ではありませんので」
「あんたはあたしを月から追い出したい。あたしはあんたと弾幕ごっこがやりたい。これってひょっとして、結果的にやることは一致しているんじゃないかね?」
「そう、かもしれませんけど」
依姫は釈然としない表情で、魅魔にしぶしぶと同意する。
別に同意しなくてもいいことに気がついた様子が見えないあたり、この娘は生真面目だが意外と根が単純なやつなのかもしれないな。魅魔はひそかにそう思った。
「じゃあ決まりだ。やろう。と、そのまえに」
「なんです?」
「神おろし自体は別にいいけど、さっきみたいなのはなしでお願いしますわ」
「はいはい」
「かわりと言っちゃなんだけどさ、依姫の側があたしに対して、弾幕で何かやってほしくないとかのリクエストはある?」
「そうですね……この大地に穢れを撒き散らしたりするのはやめてください」
「じゃあ、わかった。それじゃ、仕切りなおしといこうか」
「まったく。ま、いいでしょう。じゃ、よろしくお願いしますね」
「あ、ああ。よろしくね」
どちらかといえば新鮮な方の開幕の挨拶に、魅魔は肩透かしを食らいつつ、こんどこそ二人の弾幕ごっこは幕を開けた。
▽
魅魔は依姫と距離を十分に取り、浅い呼吸しつつ集中力をとがらせていく。
全体の空気が変わった。
こちらを見て正眼で刀を構えている依姫は、もはや肉質のある体温をこちらに向けてはいない。
依姫から見たら、魔力を高めている自分もこのような印象を与えているに違いない。
「じゃ、あたしからいくよ!」
魔力の集中を完了させた魅魔は、開幕早々に極太の光線を放つ。
依姫の体格の三倍はあろうかという幅の光線ではあったが、果たして依姫は避ける動作をとるそぶりも見せず、微動だにしない。
周りの土埃を巻き込み、周囲の空気を震わせながら高速で迫る破壊のレーザー。
だが。
依姫の斬撃。
そよ風によってガラスの風鈴が鳴るような、不釣合いな軽快な音色を奏でながら、魅魔のレーザーは依姫の目の前で二股に左右に切り開かれ、はるか後方へと高速のまま方角をそらされていった。
しかし、魅魔は依姫に次の行動の主導権を与えない。
刀の切っ先を地面に振り下ろした直後の依姫の目前に、魅魔からの第二の巨大レーザーが襲い掛かる。
依姫はひたすら冷静にそれを見据え。持ち手を返し。刀の切っ先によって月の地面の土がほんの少しだけ掘り返された。
そして、
「疾ッ!」
依姫は先ほどと同じ勢いで、今度は上に向かって光の帯を切り上げた。
切り上げたつもりであった。
第二の光帯はしかし、依姫の斬撃の直前、光帯自らが左右に分離した。
脊髄の反射神経にて予想した手ごたえとはまったく違う刀の無反発に、依姫が一瞬だけ体勢を崩す。
魅魔はそれを見逃さない。
「抜っ!」
分離した光帯は、依姫の周囲を、早く鋭い曲線を描きつつ、それぞれが体勢を崩したばかりの依姫の左右のわき腹に向け、タイミングを完全に一致させつつ横から強烈に殴り上げる。
第二撃の発射からここまで、半秒もかからず。
しかし、常人ならばともかく、依姫にとっては十分すぎる執行猶予の時間であった。
左右同時に光の突き上げを食らった格好の依姫は、わずかに地面から浮き上がる。
だが、彼女は依然として無傷のまま。
刀を持つことをやめた依姫は、左右の光弾を、両手をもって突き出した掌底によって、着弾を防ぎきっていた。
仮に第三者がこの光景を見ることができていたのであれば、依姫の身体と魅魔の光弾の間に、依姫がおろした神のビジョンを見ることができたであろう。
また、彼は依姫の神の防ぐ力と、魅魔の放った光弾の力が拮抗していると思うかもしれない。
しかし、それは明確な誤りである。光弾がいまだ依姫の目前でくすぶっているのは、その二つの光弾を正確に魅魔の肉体に向け反射してぶち当てようと、狙いを付けるために依姫が慎重に保持しているだけに過ぎなかった。
だが、依姫にとっての標的であるはずの魅魔は。土煙沸き立つ地表において、すでに依姫の正面から姿を消し去っていた。
そのことに気がついた依姫は、一瞬の間をおいて、魅魔の存在をわずか上空に認める。
その一瞬の時間において、すでに魅魔はやるべき準備をすべて行い終えていた。
「もう、いっぱーつ!」
そう、こんどこそ正真正銘の威力である、本家本元の魅魔のスパークを、全力全開で依姫に向けて放ちおろしきった。
ここに至って、依姫は現状のままの防御不可能を悟る。
身動きが取れない依姫の元に殺到した光のエネルギーの奔流は。まず先行してある、依姫の左右の同質の光弾と接触し、臨界。光弾のエネルギー全体が気化するかのごとき急激な爆発。
▽
黙々と湧き上がる土煙が収まるのを待ち、魅魔は戦果を確認する。
魅魔の眼前には、月の大地に新しく小さなクレーターがひとつ加わっていた。
が、依姫の姿はそこになく。
いまの魅魔よりはるかに高い位置に滞空しつつ、静かに徒手空拳の構えをとっていた。
一瞬の隙をついて上空に回避したらしい。一瞬の隙などなかったはずなのに。
依姫の着ている衣服には僅かに焼け焦げたような跡が見られるし、多少、土砂にまみれてもいる。
だが、それだけであった。
魅魔の注意深い観察眼による限り、依姫自身には只の一箇所も被弾した証らしきものは見当たらなかった。
無傷。
それが、魅魔の放った渾身の一撃で得られた成果である。
先ほどまで依姫が持っていた刀が回転しながら落下し、月の砂浜に突き刺さった。が、この地においてそれに意識を向ける余裕があった者など誰一人たりとも存在しない。
「ふ、ふはははははっ!」
魅魔の口からそのような大笑いが漏れる。一瞬だけ、あっけにとられたような表情を見せた依姫であったが、その感情は魅魔本人にも共有されていた。
かつて、魅魔にとってここまで強力無比な相手がいただろうか?
……案外いたんじゃないかなーと、ちょっと反省しつつ、魅魔は己の魂に沸き起こる、自身の根源的な性質に属する興奮を抑えきれないでいた。
魅魔は一瞬のうちに考える。
いまの依姫は刀を失っている。
あいつは、神をおろすときに刀を使っていた。ひょっとしたら、刀を持っていない今の依姫は神をおろすことができないかもしれない。
いや、とその発想を、あまりに自分に都合がよいものと考え直す。
依姫ほどの実力であれば、刀がなかろうが神をおろす力は残っているだろう。
おそらく、刀はここらに程近い地面の上に転がっているはず。
刀を失ったことで、依姫の戦闘力は多少は低下しているはずだ。
にもかかわらず、今の彼女は刀を探したり回収したりしようとする様子はなく、自分に意識を集中させている。
すなわち、低下したはずの自身の戦闘力の復旧より、自分に隙を見せる事にたいする警戒を優先した。そういう蓋然性が高い。
「では、今度は私も!」
依姫がそういい、片腕を凪ぐように振り下ろす。
古代直刀の刃を思わせる、質量のある幻影が、一度に五十ほど虚空から現れ、音が走るよりも速い超高速度でイナゴのように魅魔に切りかかる。
その速く、だがしかし単調といえなくもないその斬撃群を、魅魔は依姫と距離を保ちながら最大の動きで次々とかわす。
かわしつつ、自身は無数の小さな弾幕を、たたきつけるように依姫に向け、放った。
全天、上下左右前後720度すべてに、依姫を中心とした球体のごとく十二分にまんべんなくばら撒いたあと、依姫という重心点に向け、一斉に高速に集束させていく。弾幕の密度がいや増すために、依姫の周囲の空間の光度が極めて高く光り輝いていく。
しかしながら、依姫は魅魔の眼前にて、既視感のある光景をつくり出す。
やはり依姫の周囲に到達したとたん、合計万以上あった魅魔の弾幕のすべてが、依姫との相対速度を勝手にゼロにされて、完全に停止してしまう。
その間にも、魅魔は無限に追いすがる刃の幻影を、大きな機動ときめ細かな制動の組み合わせで避け続けている。
そして、避けながらも、自身の視界内に依姫の姿を捉え続けることに成功していた。
一瞬。だが、その時は来た。
その時を確信した魅魔は、大きく身を翻す。速度をあげ、依姫へと接触する直線のコースへと進路を変えた。
あまりの制動に、依姫の放った追跡性のある刃の幻影は、魅魔を追尾し切れずに背後の虚空へと奔り去っていった。
▽
依姫の視界を八割ほどを占めている魅魔の弾幕。
そこに僅かにあいた漆黒の間隙ごしに、依姫は迫り来る魅魔自身の姿を見た。
依姫は相手の勢いに、自分が回避するという手段が失われていたことを知覚。
それでも迫り来る標的に向け、散弾銃のごとく光弾を一度に大量に放出する。
だが、「踏み込みが足りないよ!」魅魔の方に、経験による一日の長があった。
依姫のとっさの弾幕は魅魔の杖によるただの一撃で振り払われ、魅魔の跳躍速度をいささかも減じさせる事はなかった。
ほぼ体当たりに近い、魅魔の近接での一撃が加えられる。
かろうじてそれを防ぐことに成功した依姫ではあったが。
反動によって押し出された依姫の肉体は、周囲の静止した魅魔の弾幕に危険なまでに近づく。
▽
依姫との物理的接近に反応し、爆裂を始める魅魔の小玉。
一発一発の威力は極めて低い。低いが、同時に何百発もの爆裂を誘発させたことによって、依姫の持続力をそぐことには、確実に成功していた。
依姫が自身の姿勢制御を取り戻してカウンターを行おうとする頃には、魅魔は依姫が爆裂させた爆風の余波を背中で受けつつ、先ほどまでの戦闘的距離間隔を取り戻し、すでに依姫の反撃――両腕に宿らせた愛宕様の火――の届かない程度にまで離れてしまっていた。
初めての弾幕ごっこのときから今まで、依姫自身は特定の場所にとどまり、反撃によって相手を討ち取るするスタイルで戦ってきた。その方法で今まではいずれの相手にも勝利を重ねてきたが、この相手には、現状の戦い方で勝つことは非常に困難だと依姫は認識した。彼女は、自身が慣れ始めた戦法をかえることを決断する。
しかし、戦法をかえたからと言って、依姫にとって魅魔は直ちに勝てるような相手ではなかった。
自分から飛翔することで大半の弾幕の軌道から身体をずらし、それでもなおあたりそうな弾幕には、弾幕自体の相対速度を殺すことで着弾を免れてはいる。が、依姫の放つ弾幕も、魅魔のトリッキーな機動によって、現状は一発も当てられていない。
それどころか、魅魔は、依姫の上下左右あらゆる角度、特に死角から弾幕を執拗に放つようになってきていた。そのうえ魅魔の飛行速度はどんどん増し、ともすればすばやい機動によって自分の回りを周遊し続けている魅魔の姿を、依姫は視覚に捕らえ続けるること自体もだんだんと困難になってきている。
「こ、この悪霊。はやいっ!」
「あんたは魔理沙と弾幕ごっこしたんだろう? あたしはあの魔理沙より遅いわけはないのさ」
「わたしは彼女とは地上でやったので飛んだとかありませんでしたけど」
「あ、さよけ」
▽
魅魔も、もてる限りの集中力を発揮していた。
ああ、この緊張感! 空中戦こそ弾幕ごっこの華よ!
時間が経過する毎にどんどん的確になってきている依姫の密度のある弾幕をよけながら、彼女の恐るべき学習能力に内心舌を巻く。
それに応えるかのように、魅魔は興奮とともに、肉体を飛ばす力をかつてないほどに高めていった。
今のところ、一見、魅魔と依姫は対等な戦況といえるかもしれなかった。
だが、弾幕の威力を殺すことで着弾の威力を無効化する者と、すべての弾幕をよけ続ける者。
被害を受けないという点では対等ではあるが、それは、魅魔がこれからもすべての弾幕を避け続けることが前提の上で成り立つ対等であった。そして、この極限の状況下では、その前提は殺人的である。
魅魔はこの状況を打開できそうな手は思いつけていない。
しかし、致命的瞬間は意外なほど早く訪れた。魅魔が依姫に対する有効な決め手を思いつく前に、来てしまった。
魅魔が放ち、依姫が速度を殺し防いだ、魅魔自身の弾幕。
それが、一転して依姫によって操られ、魅魔の元へ殺到しだしたのだ。
ここに弾幕の勢力の均衡は崩れる。
相手は止まっている弾幕の間隙を慎重に縫うだけだが、魅魔自身は、速度を上げた、迫り来るさらに数多くの弾幕をよけ続けなければならなくなった。
しかし、魅魔はあきらめない。
圧倒的数量ではあるが。これに近い量。とまっているのであれば、相手の依姫は避けきることができていたのだから!
だがそんな魅魔の意思をあざ笑うかのように。かつて魅魔の弾幕だったもの、小玉ひとつひとつが、カンダタの蜘蛛の糸を目撃した地獄の囚人のように、魅魔の体を目的地に定め高速で一斉に群がり始めた。
魅魔は、体勢の細かい変更と急加速、急制動を伴う変針の組み合わせによる切り返し飛行を何度も駆使することで、数万もの細かな自機追跡弾を、少しずつ追尾不能に振り落とす。
しかし、それに集中しすぎたため、依姫に対する攻撃の頻度が極端に少なくなり。
依姫に、ほぼ完全な行動の自由を、果たして魅魔は与えてしまっていた。
「なるほど、一撃ごとの威力ではなく、弾幕の総数を重視する。そういう方法も有効ですね」
そして、魅魔が努力して減らした数以上の小玉の群れを、依姫は次々と追跡の列に継ぎ足していく。
依姫の行動は。魅魔にとって即、自分の行動可能範囲の物理的な減少を確実に保障していた。
▽
蛇に締め付けられる蛙のごとく、幾多の弾幕によって徐々に移動を狭められていく魅魔を見て、依姫は自分が勝ちつつあることを実感なく頭で理解し始めていた。
しかし、次の瞬間、依姫を周回するような軌道で回避行動をし続けていた悪霊が、一転、依姫と離れるような直線軌道に進路を大きく変える。
それもすさまじいスピードで。
「なっ?」
依姫はあわてて追いかけるが、初速の違いから、依姫の視界に移る魅魔の姿は徐々に小さいものになりつつある。
「あたしに追いつけないの? 弾幕ごっこが久しぶりなロートルのあたしにも勝てないのかい? 空気抵抗の無さそうな胸してるのに」
「たかが悪霊一匹! 私一人で追い払ってみせる!」
このとき、すでに月上空ではなく地球の軌道上と表現すべき空間に移っていたことに、二人は後になって気がつくことになる。
▽
魅魔が依姫のその声を聞いた瞬間、魅魔の周りに滞空していた、依姫が新たに放ったであろう弾幕の速度が急上昇したことに気がついた。
中には魅魔の速度を超えて、後ろから追い抜き去っていく弾もあった。
「そうこなくっちゃ!」
依姫が弾幕の加速度を否定し、速度を零にする。ならば、魅魔は自分の身体の速度を迫り来る弾幕と同等に引き上げることで、相対的に速度を殺してやろう。魅魔のたくらみは、成功した。
魅魔の周りにはいまだ無数の弾幕がまとわりついているものの、今の魅魔にとっては、それらはもはや、蛍のようにふらふらと揺れ動く華麗な色彩に過ぎない。
そして、威力をそがれていてもまだ攻撃力を保持した依姫の弾幕には、魅魔はほんの僅かな軌道変更で、次々とそれを無意味な存在にしていく。
あたしの出せる速度は、まだまだこんなものじゃないよ!
魅魔は、さらに加速する。
太陽の光が、眼前に広がる地球の表面と、魅魔の周りの弾幕を照らし始めた。
さらに、さらにさらに加速。
そのうち、自分の周りに漂う弾幕が、少しずつ、じりじりと後ろの世界へと後退していくように魅魔は見え始めた。
ひとつひとつ一瞥し、魅魔はその何の変哲もない弾幕一つ一つが、何かとても大切な物のように思え始めてきた。
名残惜しく、だが、それでも魅魔は加速することをやめずに、彼らのすべてを自分の後背に追い詰めるよう全身の力を発揮する。
このとき、確かに魅魔は弾幕ごっこを行っていた。
魅魔は、誰ともなく、心の中でだけ叫ぶ。
もはやあたしはゴーストファイターではないのよ。この世界に、悠然と存在している!
新規製作が発表されるたびに、応募の返答として自機採用担当から毎度のごとくお祈り通知が返信されようが、今となってはなんら後ろめたいことではない!
▽
そこまで聞いたマミゾウは、ふう、とキセルを一服、丸々と楽しみおえた。
「で、そうやって地球の上空をぐるぐる周回しているうちに、ぬしは自分の速度を出すことに専念しすぎて依姫を見失ったんかい」
「依姫をスピードで大きく引き離したと言い張ることもできるのではないかしら」
マミゾウは今度こそ大きくため息をついた。
「ぬし、存外アホウやな。聞いてる限りでは、依姫とやらの目的はぬしを月から追い出すのが目的のはず。その目的物が勝手に遠ざかってくれるのだから、これほど勝手のいい相手はいないわな。何しろ何もせずともいいのだから。おおかた、一時は挑発に乗ったものの、すぐ我に返って月に帰還したのだろうよ」
自分でも薄々わかっている事をはっきりといわれることほど嫌なことはそうそうない。魅魔は思い知った。
「そういうアホウなオチを用意している以上、ぬしが本当に月の都に行ったという話全体がなんかうそ臭いわい」
「なによう。行ったことは本当さ。お土産のお菓子だってこの通り。今晩酌してる酒だってそうさね」
「はて、このお菓子かえ。確かに月のお菓子じゃ。……月のお菓子じゃが、わしの目にはどう見ても外界の仙台銘菓にしか見えぬのじゃがのう」
「その仙台とやらが月を模倣したのかも」
「んなわけあるかい」
「ぐぬぬ」
「しかしじゃ。この酒はほんとうにうまい。どこの産か知らぬが」
「そうでしょうそうでしょう」
そう快活に笑う悪友を、マミゾウは冷静に見定める。
今なら聞いてみてもいいかもしれん。
「ところで、じゃ。ぬし自身は、まだ魔理沙に直接あえんのかえ?」
う、ととたんに気まずそうになる魅魔を見て、マミゾウは今ここで聞いたのが間違いかと、内心少し不安になる。
「会う事自体は不可能ではないというか、会えないというわけじゃないんだけど。その、なんというか」
ごらんいただきたい。これが恥ずかしそうにモジモジする元全人類の敵である。
「なんじゃ?」
「ほら、しばらく魔理沙にはあってなかったから、あたし、どういう感じの態度であいつに接したら良いかいまいち自信が持てなくて」
「アホらし、そんなことか。普通に接すればいいじゃろ、普通に」
「だからその普通がわかんないんだって」
「そんなことでいつまでも会えんようでどうする」
「そりゃあたしもこのままじゃいけないとはおもっているけどさ……」
まったく、妙なところで気難しいこの悪霊は。
「じゃあ、儂を魔理沙だと思って、ひとつ再開の挨拶でもしてみせよ」
「なによ、急に」
「うまい酒を飲ませてくれた礼じゃ。それに肴にもなるしの。ま、儂を楽しませると思ってひとつやってみい」
「そ、そう?」
魅魔はそういった後、胸に手をあて、深呼吸を三回、じっくりと行った。
立ち上がった後、マミゾウに背中を向ける形で、自分に何かを言い聞かせるようにしながら目の前の庭先に浮かぶ。
そして、マミゾウに向かって振り向きざまに微笑み、大げさに声を張り上げた。どこぞの魔界神のような、実に明るい無邪気そうな笑顔だった。
「やっほぅ☆あたしゃ魅魔だよ☆魔理沙ちゃんげんきぃ?」
「ぶうううううう!」
思い切りむせるマミゾウ。
「やっぱちょいと不自然だったかな?」
「不自然以前にどうしてそうなるんじゃ?!」
ああ、せっかくの銘酒が。マミゾウが至極残念に思ったそのとき、思っても見ない方向から、第三者の声がかけられる。
「誰かいるのか? 私のこと呼んだ?」
直後、藪をかきわけてマミゾウの視界内にやってくるものがいた。
霧雨魔理沙その人だった。
▽
「あれ? マミゾウ、あんたひとりか? マミゾウの声とは違ったような気がしたんだがな」
「いや、魔理沙と声を出したのは儂じゃよ。いつぞやの弾幕勝負を思い出してな」
これでひとつ貸しじゃぞ。マミゾウは、すでに気配すら完全に消えうせている悪友に向け、心の中で念を押した。
「あんな妙な口調で? なに言ってるか良くわからなかったけど、独り言でああいう大声はやばいぜ。ボケるはまだ早いんじゃないか?」
「そっちこそ藪の中で何してるんじゃ。また泥棒でもしとるんかい、若い乙女が」
「トレジャーハンティングといってほしいぜ。あ、そうそう」
魔理沙は思い出したように、肩に担いだ白い大袋の中身を探る。
「ほれ、いつものだ。あいつにわたしておいてくれよ」
「あらまあ。これはありがたい」
「ちなみに。今回は、再思の道の真ん中に転がってあったぜ」
「それも儂からあやつに伝えておくとしよう」
そうして、魔理沙から宝塔をうけとる。
「それにしても真昼間から酒とはいい御身分だぜ」
「なんじゃ、せっかくお礼に一杯おごってやろうと思ったのに、まじめな魔理沙さんはいらないとみえる」
「それとこれとは話が別だぜ」
マミゾウの隣に、さっきまでそこいた者とまるで瓜二つな仕草で、平然と腰をかける。
やはり魔理沙も悪びれることなくマミゾウから受け取った杯を、慣れた手つきで一気に空にした。
「お、この味」
「しっておるのか?」
「いや、知らないけど、よく似たのを飲んだことがあるんだ。これはどこの酒?」
「さあ、儂も知らんのじゃ。何しろもらい物だからのう」
「そっか。残念。この酒うまいから産地を是非つきとめたいんだけどなあ」
「ところで魔理沙、ぬしはこの酒、どこでのんだんじゃ?」
「紅魔館。そのときは紫が月の酒の味がどうこうだなんて言ってたけど。ここにもう一本あるんじゃ、やっぱあれは紫流の冗談だったかな」
あーあ、と残念そうに大きくため息をついた魔理沙は、マミゾウがさりげなく驚いていたことにまるで気がついていなかった。
ttp://dic.nicovideo.jp/a/%E9%AD%85%E9%AD%94
神綺様は新作格ゲーでもジオニックの陰謀により参戦不可になりそう…
今回の元ネタはガンダムIGLOOのヅダなので知らない人は見るとよろし
いままで見た中で一番うまいSSと思った
面白かったです~
なかなか読み応えのあるSSだったと思います