砂利の味をすっかり覚えさせられてしまった。
砂利のレシピは簡単だった。まず地面と自分より強い相手を用意して、弾幕ゲームに負ける。あとは地面に失墜するのを待って、無償で提供されるそれを口に流し込まれるだけ。
本日も鈍い音を立てて地面に激突し、さっそく地層の子どもを馳走になる。これで四日連続だ。
「げえっ。不味ぃ」
当然のことだが、どんな美しい弾幕を添えられても味は最悪。
私は歯茎にしがみついた砂利を舌で器用に除去しては地面に返品していた。
たちまち残飯が積もる。
砂利なんか人間の食うもんじゃねえな。
そんな様子を見下ろして私への日光を遮る影がいた。
砂利の提供者だった。
「策がないのよ。策が。あんたには策がない」
「一度言えば判るぜ、霊夢」
「あんな打っ太い光線、避ければただの流しそうめんよ。決して曲がることのない空飛ぶそうめんよ」
「貧乏巫女なら箸を突っつくのがコトワリってやつだぜ。無料なんだから食ってくれよ」
「残念だけどお断り。ねえ、あんた負けたんだし私の言うこと聞きなさいよ」
「好き嫌いはいかんな。乙女は食欲旺盛で美を保つもんだ」
「雑草を強いられる私に向かって言う注意じゃないわね」
「肌ピチピチの秘訣は雑草か。美しい女に便秘が多い理由はそれだったんだな」
「意味わかんない。意味わかんないよ」
「おっと霊夢。その角度……丸見えだぜ」
霊夢が身を後退させたあと、スカートを手で抑えながら地面を蹴った。再び砂が私の顔に嫌みたらしく挨拶をしかけた。
咄嗟に箒の穂で顔をバリアしたのが幸いし、私は二撃目はほぼ無傷ですごせた。
目の前に蹴られた〈土産〉が堆積していた。
蹴り跡にはクリームパンひとつ分の穴があった。
「変態」
「私はお前の言ってることが理解できない。負けたからって言うことを聞くのは理に適っていない。まして変態でもないぜ」
「ふーんだ」
「ちなみに丸見えなのはお前の顔だ。私を服従させる妄想でもしてたのか? ずいぶんと赤いじゃないか」
「なっ、人のスカートの中見てしれっとしてんじゃないわよ!」
霊夢のスカートの中は実際見えたが、私としては霊夢の顔の様子の方が印象が強かったんだな。
パンツが白で顔が赤ってのは、やっぱ霊夢らしい。
尚も地面を蹴り続ける霊夢はどうやらその行為で中が見えちゃってることに気づいてないらしい。
私は穂の隙間から覗く光景を見ているだけで、一時的な難は逃れた。
「人に砂利を食わせるものじゃねえぜ。実際口の中が砂だらけで困ってるんだ」
「ばーかばーか」
霊夢は止めなかった。
「しかしなんだ。蓼食う虫もなんとやら。お前は白米に砂利を乗せて食ってるのか? いや雑草か」
「んなわけあるか」
「じゃあ、この迷惑な無償活動をやめてくれ。そろそろ口の中で恐ろしいことを起こしそうだ」
「『迷惑な無償』活動でしょ? 賽銭入れてくれるなら考えなくもないわね」
砂埃が舞う。以前の紅霧異変に比べても視界は悪い。
空っ風が吹くと、更に見応えのあるものを拝めた。
「ふう。やれやれだぜ」
「戦法変えないと、今の私には勝てないわよ。短兵急で一方通行なのがあんたの悪い癖。落ち着いてマスタースパークを曲げる研究をしてみたらいいのよ」
「お前は天才だ。この魔理沙様が言うんだから天才に違いない。だがな、努力しない天才ってのは存外見たことない」
「希少だもの。判ったら賽銭入れて崇めなさい」
「お前、人じゃねえよな」
突然、霊夢の動きが止まって中が見えなくなった。
この時私が霊夢の様子に気付いていたら良かったんだが、そう上手くゆく訳じゃないんだな。
私は話し続けてしまった。
「常々思うんだ。 努力してる私と努力してない霊夢とで何故差が生まれるのか。そこで考えた。お前が人外だったら辻褄が合うわけなんだな。花に水やってるだけ、寝たきり老人、老人介護……こんな奴らが幻想郷の妖怪で頂点に位置する連中なんだ。規格外なんだ、規格外。理解を超越した人外だよ。霊夢は神社の境内を掃除してるだけで、しかもマトモなものを口にしてないし、それに……」
そこで私の発言は断たれた。
霊夢の張り手が私の頬を襲ったのだ。いや、蹴りかもしれなかった。とにかく、一瞬だけ霊夢の体の一部が残像として私の目に映り、頬を捕らえたのは事実だ。
自分でも不思議なほど体は軽いらしく、十代の少女のビンタだけで三回でんぐり返しした。歯の神経を攻撃したような激痛が走った。衝撃で舌を噛んだせいか、砂に赤色の液体が点々としていた。
物理攻撃を受けたのは久々だった。
「いてて……。人間の少女がこんな吹っ飛ばせるかよ……」
嗚咽が耳に届いた。
霊夢は泣いていた。
「ばか……」
最後に霊夢はいっぱいの砂利を私に食らわせた。運悪くモロに顔面に砂利が襲い、目やら口やらに侵入してきた。調合に失敗したキノコの粉末を頭からかぶったようだった。
箒の柄を軸にしてやっとこさ起き上がった頃には、すでに彼女の姿は消えていた。
代わりに砂利に涙溜まりのトッピングがあった。そこだけやけ輝いて見える。
冬の風のある日のことだった。
可愛いんだぜお前だけれど
あれから三日後。
まだ霊夢には会ってない。
会っても私には〈策〉がなかったからどうしようもない。
だが、彼女が泣いていたんだから私には謝る義務がある。泣かせちまったんだからな。仕方ない。
ただ、泣いた理由がわからんのだ。少なくとも私には。
心のどこかでは謝りたくてうずうずしてるのだが、厄介なことに理由がないと人は簡単に行動に移せない構造に神様が仕上げちまったらしい。
義務を感じるとか、権利を行使するとか。今の私にそいつが存在しないんだ。
私は人間だから、その理由を求めない限り霊夢に謝ることは不可能なわけだ。
爆弾解除班が現場に急行しても、目的の爆発物と助けるべき人間がなければどうしようもないのと同じなんだ。
そこで人外に立ち寄ればヒントがあると思ったんだ。代表的な人外をだ。
私は箒を飛ばした。
なんだか自分で爆弾を造って自分で解除してるみたいだ。
皮肉にも無風の日であった。
太陽の畑ってのは年中花があるらしい。そりゃこよなく花を愛する奴が育てる花畑なんだから、当然っちゃ当然。奴からしたら砂漠にオアシスを創ることなんか造作もないことだし、季節に見合った花を見ることを生き甲斐としてるわけなんだ。太陽の畑に花がない日は来ないんだな。
風見幽香とはまさしく私の倒すべき大妖怪の筆頭格。彼女をけちょんけちょんにしない限り、霊夢に勝てるとは思っていない。
枯葉が私の視界の前を流れる。それを掴もうとしたが、案外葉っぱというものはキャッチしづらく、手に圧をかけて葉を掌中に射止めたが、握り締めた手の風でぬるぬると指を掻い潜ってそいつは空に揺られに戻った。
鮮やかなヒマワリがないせいか、太陽の畑は一段と広く見えた。
幽香の姿はなかった。
雪こそ降ってはいないがそれなりの気温で、とてもじゃないが水遣りに興じるような環境ではないな。
冷気がはだかの耳を抜け、鼓膜に羽虫の鳴き声のようなものが届いた。
寒い。寒すぎる。長くはいられないな。
幽香がいないと困る。
現在私は人生の分岐点におり、その道案内をする人物を幽香に決定していた。
アリスよりかは適切な人選だと思っている。幽香は霊夢に敗北を認めさせることができる数少ない妖怪だったからだ。
目的はただひとつ。霊夢の泣いた理由を究明すること。
「お前がこないのなら、来てもらうまでだぜ」
私はたぶん狂っていた。
この時、死んでもおかしくなかった。
箒をガムシャラに振り回し、辛うじて極寒の冬の中で息を繋いでいた花という花を根刮ぎブチ切ってやったのだ。空中二メートルくらいに散って風に運ばれることもなくポトリと落ちる茎や葉っぱ、花びら。
これでも幽香が現れなかったら、花畑に〈流しそうめん〉を提供しようと企んでいた。
でも奴は思ったより早く私の息の根を止めにやってきた。
瞬きする間もなかった。
気付いたら腕の関節から首筋にかけて麻痺し、空中で逆立ちをしながら目前に地面が迫っていた。受け身を取ることもままならないまま、私は壊れた人形のように落下していた。
ドシャリ。バキッ。
私は悲鳴を上げた。右手の指が茶色のブーツでグリグリとひねられていた。関節が外れる音がしたが、それ以上はやらせなかった。
渾身の力で横に振った箒が相手の脛を打った。その隙に体勢を整えたが、指と胴体は体内に板を埋められたように言うことをきかなかった。
「待った。待ってくれ。待って下さい。すまんかった。すまんかった」
私はそう言いつつも八卦炉の頭を幽香に向けていた。
グォングォンと機動音が鳴る。
「あなたいい度胸してるじゃない……。私のかわいい花たちを弄んでくれて」
お返しに幽香は傘の先端を私の喉元に限りなく近く当てていた。仰向けの私には抵抗のしようがなかった。
ドゴゴゴゴオオオオオオンと機動音とも疑わしき轟音が鳴り響く。たぶん幽香と対峙してない一般人が聞いたら、工場の機械が動き始めたと思うだろう。
あ、私萎縮してる。なんてのを実感したのは生まれて初めてだ。
実際、私はいきなり弱くなった。
「ご、誤解だ。私はお前が見当たらなかったから、呼び出すために花を〈撫でて〉やっていたんだ。
それだけだ」
「博麗神社にいたんだから見つかるわけないじゃない」
「おい、博麗神社だと?」
「花の悲鳴が聞こえたわ。犯人の名前もバッチリね」
「……さすが妖怪だな。とりあえず私は無実だ。許してくれ」
「無実なのに許しを乞うのも滑稽な話ね。無実なら無実らしく堂々としていればいいのに」
幽香の差し出した手に遠慮なく体重をかける。しかし奴は喜色満面の笑みで手に圧をかけてきやがる。強気になって今にも折れそうな指を我慢して地面に足裏をつける。
久々に重力を感じた。
「あなたの目は正直。何度かバカな奴の目を見てきたからわかるわ。純粋な眼を見つめると、反射して私の影が写るもの」
「お褒めに預かり光栄だぜ」
「その瞳が濁っていたら、眼球から神経を抉り出して雑巾搾りにしてあげたわ」
こいつはこんな奴だ。すぐ怖いことを言う。
私は痛む指をむちゃくちゃに振り回していたが、幽香はまるで気付いていないかのような仕草で傘を広げた。
日光がないクセに、いつも傘をさしているのだろうか。
「あの子たちは枯れ果ててしまっていたわ。そろそろ替え時だと思っていたから、本当はあなたに憤慨する義理は私にはなかったのよ」
「へえ。お前でも花を引っこ抜いたりするんだな。『枯れても花は花よ』とかいって愛玩するものかと思っていたぜ」
「魔理沙はネクロフィリアか何かの類かしら」
「何だよそれ」
「屍体愛好家よ」
「まあ、肉を食ってる立場上、屍体が嫌いと言ったらそれは違う気もするがな」
「そういう意味じゃないのよ、ネクロフィリアってのは。夜に寄り添って寝たいと思うほど、屍体が好きで好きでたまらない病的な奴らのことよ」
「それはただの変態っていうんだぜ?」
「幻想郷にそんな奴のひとりやふたりいるでしょ」
「ああ、友達にひとりいたぜ。変わった奴だった。屍体が好きなんて変わってるな。理解に苦しむ」
「枯れた花に水を遣るのは、屍体に栄養剤を呑ませるのと同じ行為よ。動物と同じように枯れた花も供養して、きちんと生を受けた証を焼尽してあげる必要があるわ。また新たな生命を育んでもらうために。人間は死ぬ数よりも生まれる数の方が多いのよ。逆に花は生まれる数は多いけれど、折れずに成長する保証は人間以上に無いのよ。花には時間が必要だから、私は花に悠久の時を与える責任を感じてる。それは生き甲斐でもあるし、使命でもある。私にとって花とは……」
「待った。確かに花を育てるのには時間が必要だ。しかしお前の話を聞いてると日が暮れちまう。つまり時間が消費される。私は急いでいるから要件をさっさと済ましたい」
「大丈夫。あなたの要件はもうわかってるから」
「人間をバカにするのは構わないが、私をバカにするのはいけすかないな」
「もう忘れたの? 私はさっきまで博麗神社にいたというのに」
私は眉が動くのを感じた。
幽香は不適に笑っていた。
奴の目は明らかに真実を知っているに違いなかった。
「どういうことか、詳しく聴きたい」
「つい二時間ほど前のことかしら……三時間だったかもしれないわね。その時は花とお喋りしてたんだけど、何の前触れもなく紫が来たのよ。来たって言っても彼女、冬眠中らしいから境界の先で寝っ転がってただけだったけど。布団から覗く金髪しか見えなかったわ。後ろには藍がお盆を持ってウロウロしてたから、きっと紫が境界で誰かと話しているのに気を遣っていたのだわ。
『今から博麗神社に行って霊夢と遊んであげてやって』
確かに彼女はそう言った。霊夢は寂しがり屋でもないし、積極的に弾幕ごっこをしたがるタイプでもない。どちらかというと退屈を紛らわすために一緒にお茶できる相手を好むけど、紫は『遊んであげて』と言った。
霊夢はオウチャクでガサツの割には、私の認める程度の力を持ってるわ。私ってけっこう霊夢のそんなところ好きなのよね。
だから心配ないとは思ったけど、一応理由を尋ねたわ。
『布団の中でボーッとしてたわ。ちょっと縁側に行ったと思ったら座り込んで泣いちゃうし……。心配だから話し相手になってあげてよ。私はこの通り……ね? だからお願い』
私は霊夢の泣く姿を見たことが一度もなかったからとても驚いたわね。あの強気でツンツンしてるところがウリだったのに。
それで博麗神社行くことになった」
私の胸でジリジリと燃えるものがあった。
原因は私かもしれない。いや、そうに違いない。
「で? 霊夢はどうだったんだ?」
「博麗神社に着いたとき、ちょうど萃香が帰るところに出くわしたの。
『霊夢ってばどうしちまったんだ……。なんか元気ないぞ……』
どうやら紫の言ったことは本当だとわかり、萃香に少しだけ事情を聞いた。
ちょっと寂しそうだった。
『今日の霊夢には笑顔がないんだ。いや、今日ってもんじゃない。昨日もだった。何があったのかは知らないけど、よくないことがあったに違いない。メンタルの強い霊夢があそこまで落ち込んでるのは見たことがないよ。未曾有の悪いことに遭ったのかも。
いつもなら私が神社の酒を勝手に飲んだら、〈あんたには無限に酒の湧く瓢箪があるでしょ!〉と叱責して追いかけまわすんだ。でも今日は一行に止める様子もなければ立ち上がる素振りすら見せずに、私を一瞥するだけしてあとは俯いてるんだ。
おかしいと思った私は霊夢の〈密〉を精査した。活気と無邪気に溢れていた霊夢とは打って変わり、〈憂〉に満ちていた』」
「う? うってなんだ」
「憂いでしょうね。少なくとも鳥の鵜ではないわよ」
「〈鵜〉が〈密〉って想像するとカオスだな。閑古鳥の博麗神社に鳥が来て良いことじゃないか。賑やかだぜ」
「よく平気でそんなこといえるわね。霊夢が気の毒よ」
幽香の言う通りだ。迂闊だった。
ヤケに粘着力のある汗が背中を這っていた。
「鬼はまだ続けた。
『だって幽香もおかしいと思うだろう? あの霊夢が落ち込むなんて考えられない。
〈憂〉の密度が高い人間はたいてい精神や身体にストレスを感じているか、つらいことや悲しいことに出遭ってるんだ。それが日を重ねるごとに積もりに積もってゆく。これ以上〈憂〉の密度が上がってしまえば、〈憂〉の次段階である〈鬱〉の密になりかねない。
人間の不安定な精神状態において悲哀は指数関数的に上昇するんだ。弱っている妖怪にさらに攻撃を食らわせば一層の苦痛を知るのと同じさ。
友達として、霊夢を放っておくわけにはいかない。
まあ、幽香も頑張ってくれ。私は霊夢に必要な〈密〉を萃めなければならない』
それだけ言って階段を降りて行った。その後ろ姿はいつも以上に寂しげだったわ」
「冗長だな。それより霊夢の話が聴きたいんだ」
「霊夢は縁側に腰掛けてボーッと空を眺めていた。動いていたのは風に揺れる髪だけ。何時間もそこに座ってたのかしら。耳はすっかり赤くなって、すごく寒そうだった。傍に添えてある一杯の茶を飲んだと思ったら、口から零れてるの。意識が死んでいるのよ。もはや霊夢の形をした人形のような状態だったわ。
私は勇気を振り絞って霊夢に話しかけてみたの。一回目。反応なし。二回目。反応なし。三回目。反応なし。四回目くらいかしら。霊夢が首だけ動かして私の目を見つけてくれた。生気を失った目だったわ。生きる希望も、何のために生きているのかも知らず、身のもの全てを底なしの沼に投棄した顔色だった。唯一、赤いリボンだけは霊夢だということを私に忘れさせなかった要因となったわ。
『幽香じゃない……。そうだ。ねえ、弾幕ごっこしましょ。弾幕ごっこ。ごっこごっこ』
愕然としたわ。もちろん異常なまでに低かった彼女の声にもだけど、第一声でいきなり弾幕ごっこを頼まれたの。意味がわからなかった。
『いいけど……なぜ?』
『なぜって、やりたいからよ』
『そんな風には見えないわ。ねえ霊夢、目を覚ましなさいよ』
『やりたくてウズウズしてるの』
『何があったの? 私を頼ってよ』
『頼ってるから弾幕ごっこ頼んでるの』
『紫も萃香もあなたが壊れてしまわないかとても心配してたわ。何があったか教えて。ほら、助けてあげるから』
『やりましょ』
『私は今のあなたとは遊びたくない。だからほら……』
『やらせろォ!』
とても霊夢が出した声とは思えなかった。有り得ないほど低く響いた。霊夢は泣いていたわ。自分では気付いてない様子だったけど、号泣してた。
私も何か涙腺を刺激させられたようなところがあって、空へと舞った霊夢のあとを追いかけた。理由はわからなかったけど、霊夢は本当に弾幕を展開してきた。むちゃくちゃだったわ。威嚇射撃でも全弾命中でもなかった。適当なのよ。それは彼女の複雑な〈憂〉を体現したむちゃくちゃな弾幕だった。
霊夢に勝つことは容易だった。それこそ妖精の一匹を倒すような感覚でね。霊夢はそのまま地面に落下したわ。弾幕も同時に全て消えた。
『ほら、戻りましょ。終わったわよ』
地面に降り立ち、霊夢の前に立って、一緒に神社に戻ろうとしたの。一刻も早く霊夢を寝かしてあげたかった。寒さで風邪をひいてしまうかもしれないし、なにしろあの精神状態で野外におくのは危険すぎる。
でも霊夢はいきなり地面の砂利を引っ掴んで口に流し込み始めたの。雑草は食べたって話は聞いたけど、砂と石を食べた例は聞いたことがなかった。ましてやその場面を目撃することになろうとは想像だにしなかったわ。
『げえっ。不味ぃ』
一回だけじゃなかった。その時その時によって流し込む量が異なっていた。大匙一杯から注射器ほどの量まで。ガリガリガリガリと黒板を爪で引っ掻いたような音が絶え間なく続いた。
『げえっ。不味ぃ』
決して飲み込むことはしなかった。全て一生懸命になって吐き出していた。これが貧乏生活の極地だったのではないと認識したわ。
『砂利不味いよ。食べれないわ、こんなの』
何かを償っているよう——まさにそんな感じだった。たちまち霊夢の前にはそれらが積もった。
『バカ。お腹壊すわよ。ほら早く』
霊夢を抱き上げようとして手を差し伸べたのだけれど、すぐに払われた。獣のように唸っていた。そして私のスカートの裾にしがみついて泣きながらこう叫んだわ。
『幽香に負けた私は人間! 人間よね!? 私って人よね!? 人外じゃないわよね!? 幽香ああああぁぁぁ……』
そのまま泣き崩れてしまった。数分間はスカートを濡らすまで涙を流していたわ。でもすぐに異変が起きた。
『帰って……。帰れ! 帰れ!』
いきなり帰れって怒鳴り始めたのよ。不思議に思ったけど、変に触発してもダメだったから一時撤退したわ」
私は言葉を失った。霊夢の異常な行動はまさに私が霊夢にされてきたことじゃないか。
そしてようやく霊夢の涙の訳が理解できた。
「霊夢は人間証明がしたかったんだ」
「人間証明?」
「霊夢の涙の理由がようやくわかった。私が『人じゃねえよな』って言ったからだ」
「ふん。やっぱり犯人は霧雨魔理沙、あなたじゃない。でもそれだけが涙を流す理由じゃないわ」
「他にあるってのか?」
「霊夢はあなたのことが好きなのよ」
こりゃ驚いた。どうりで霊夢が四日連続で遊びを仕掛けてくる訳だ。私があの時、いつものノリで霊夢の言うことを聞いて奴の笑顔を作り出すことに成功してたら、霊夢はこんな風に壊れなかったのかもしれない。
昔から恋とか愛とかについては鈍感だった。私に乙女の常識さえあれば、霊夢の気持ちにいち早く気付けたのだ。
しかしこうなっては、後の祭り。
「それは、なんだ……悪いことをしてしまったな」
「好きな人に〈人外〉って言われたのよ? 言った本人は忘れるけど、言われた側のキズはそう簡単には消えないのよ。最悪最低ド畜生の下衆野郎よ」
「……キツいな」
「魔理沙が行くのよ。いまから」
「わかってるさ。元からそのつもりでここまで来たんだ」
「ちなみに私がここにすぐ来れたのは、紫があなたが太陽の畑にいるってこと教えてくれたからよ。どうやら紫は最初からあなたが霊夢を泣かせた張本人だってわかったらしいわね」
「あのストーカー紛いめ……。冬眠中のはずだろうが」
幽香の頬には一粒の涙の伝った跡が残されていた。幽香もまた泣いていた。
私はあえて幽香にそれを知らせることはしなかった。
お前も霊夢が好きなんだろ、幽香——こんなことをとても言える状況じゃなかった。
幽香が身体を半分後ろ向きにさせて、言った。
「もしかして勘違いしてるかもしれないから念のために言っておくけど、指を踏み躙ったときあったじゃない。あれ、やろうと思えば木っ端微塵にしてあげてもよかったのよ?」
「悍ましいな……。冗談キツいぜ」
「だってあなたの指だけは残しておきたいじゃない。折っちゃったら、その……霊夢の頬を支える指が無くなっちゃう」
幽香は自分の首をクイッとあげる仕草を見せた。あれが合図する恋の秘術はただひとつ。
キスをしてやれと言っているのだ。
「妬んでいるのか? 夏の大妖怪様よぉ」
「……うるさい。とっとと博麗神社に向かいなさい。陽が暮れるわよ」
「いいな、そういうのも。博麗神社なら夜の幻想郷を一望できるじゃないか」
私は箒に跨った。さきほど幽香に躙られた指がズキズキと痛む。
ただ、霊夢がこの程度のキズを負っているのではないと思うと、どうってことなかった。
カチカチカチ……。
ドピュ。
カチカチカチ……。
ドピュ。
カチカチカチ……。
ドピュ。
ビュビュビュ……ポタポタ……。
カチカチカチ……。
私が戸を開けて霊夢の姿を認めた時、この奇怪な音の正体に震えた。
霊夢の膝には恐ろしいほどに赤い血が飛び散っていた。手には血に染まったカッター。手首は温泉のように湧き上がる血がゴボゴボと泡を吹き、数多の裂傷が確認できた。
霊夢はカッターでその深キズを丁寧にほじくり回していた。
「何やってるんだ霊夢!」
「リストカットごっこ」
「何がごっこだ! 畜生!」
「運が悪ければ死ねるんだって。人外は死なないんだってさ。私は死ねるよ。だって人間だもの」
「やめろってこの……」
私は近くにあったティッシュを十枚ほど重ねて抜き取り、素早く霊夢を押し倒した。
すぐにティッシュをキズ口に当てる。しかしみるみるうちに赤に染まってしまう。十枚では足りなかった。
「邪魔しないでよ!」
霊夢の放ったカッターが脇腹をこすった。すぐにドライアイスを当てられたような激痛が走るが、治療に専念した。
服を脱いだ。寒いが、これしか手はなかった。服を何重にも折り重ねて、縛った。
そして抱きかかえるようにしてから霊夢の耳元へと囁く。
「大丈夫だ。大丈夫。魔理沙はここにいる。大丈夫だ」
霊夢の手からカッターが落ちた。
霊夢は気を失っていた。
日が沈んだ。風も出てきた。
霊夢の応急処置は無事に終わった。アリスに裁縫を習って手先の不器用さを克服したのが功を奏したらしい。霊夢が気を失ったあと、自分でも驚くほど円滑に止血
を済ませてしまったのだ。
今は神社の有り合わせで夕飯を作っていた。買い出しにも出掛けていなかったらしく、米と沢庵しかなかったのには思わず笑っちまった。これでは料理とも言えないじゃないか。
自宅から食材を持ってこようかと思ったが、神社に霊夢を一人きりにするのは良心が許さなかった。
霊夢が目を覚ましたのは、全ての料理を机に運んでからだった。
霊夢は血の流れた部屋から移動させておいた。畳の上での寝顔は、見慣れたものだった。
「んん……。魔理沙? 魔理沙なの?」
「そうだぜ。大丈夫か? 起き上がれるか?」
「うん。大丈夫」
とは言ったものの、やはりフラフラとして落ち着かない。このまま徒競走をやらせたら千鳥足どころじゃないな。
ここは私が支えるべき場面だ。
私は霊夢の頭に寄り、珍しく正座した。
「ほら。頭貸せよ。そこじゃ硬いだろ?」
「うん……。ありがと」
霊夢がポスンと頭を乗せると、彼女が私の思っていたよりも華奢であることがわかった。膝の上に猫が乗ったようだ。フワリとしていて、優しい。
「実は私は霊夢謝らなければならないことがある。霊夢、人外とか言って悪かった。ごめんな」
「……うん。いいよ」
「お前がそんなに気に病むとは思わなかったんだ。軽率だった。だってお前が私のことをす……!」
「す?」
「す……すごくいじめるから頭にきたんだ! だから思わず口走ってしまったんだ! そうだ、そうに違いない!」
「変なの」
ようやく、霊夢が笑った。
目もいつも通り戻っていた。
声のトーンも聞き覚えがある。
間近で見ると改めて発見することがあるんだ。博麗霊夢がこんなにも可愛いなんてな。
もちろん口に出すのは恥ずかしいから、心の中に留めておこう。
「魔理沙の膝枕、気持ちいい。あんたって意外とエロい太腿してるわよね」
「触るか? 今日は特別に許す」
「舐めたいなぁ」
「はっ、恥ずかしいだろ!」
「ねえ魔理沙。私、あんたのことが好き。もう好きすぎて死んでしまうところだったの」
「死んでもらったら困るな。確かに死にそうだったがな」
「せめて魔理沙とキスだけは死ぬ前に……」
霊夢が無傷の右手で私の襟を掴んで引っ張った。私の上半身はすぐに霊夢に近づいた。
なるほど、人間の少女でも力はあるのだ。つくづく私は自分の発した根拠のない棘のある言葉を後悔する。
そのまま覆いかぶさるようにして私は自分から唇を重ねた。上唇と下唇。どちらの感度も確かめたあと、先に舌を絡ませてきたのは霊夢だった。私はせっかく幽香に助けてもらった指を使い、寝転がる霊夢の頬を支える。雑草効果だ。ピチピチの潤い肌は触り心地抜群だ。私はそこに伝う涙も器用に掬った。
数分間、私は霊夢のほしいままになってやった。霊夢は舌を器用に使い、私のあらゆるところを弄くりまわした。
霊夢が身体を離し、生き生きと背伸びをした。
「はあ……。最高よ。私、もう死んでもいいわ」
「まだ死んでもらっちゃ困る。せっかく料理を作ってやったんだ。一緒に食べようぜ」
たぶん冷めてるんだろうが、作りたてでも私たちの熱い接吻のあとなら冷たかったに違いない。
ただ、心に残る温もりを霊夢に気付いてもらおうと願って。冷たくてもぜひ食べてもらいたい。
メニューはご飯と沢庵だけだが、霊夢は泣きそうになっていた。
私が一から研いだ白米を霊夢が美味しそうに頬張る。
「我が家の米が嫉妬するほどに美味しいわ! でも塩味効きすぎね」
「済まんな。料理は苦手なんだ」
まあ、私は料理には向いていないだろうな。
ふつう、涙を流しながら米なんか研ぐもんじゃないからな。
でも霊夢が美味しいって言ってくれているのなら、それでいいと思った。
霊夢は原作だと行動と思考が完全な人外のそれだから自身も内心気に病んでいてもおかしくないけど、魔理沙だって結構人間止めてるというのは言うだけ野暮なのか
移植だがよかった
狂ったような文章で霊夢や魔理沙のおかしな行動に説得力が付与されていたように思います。
この文章は他の人には中々書けないと思います。