Coolier - 新生・東方創想話

運命の愚者・第ニ部

2013/01/22 20:13:07
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 そんな風に暮らしていた冬も近づいたある朝、フランはふとこう言った。

「お姉様、今日って日曜日だったよね?」
「確かそうだった気がするけど、どうして?」
「日曜日って礼拝の日じゃない?この街の教会ってすっごく大きいし、この街の人もたくさん集まるはずだから、そこに行けば今までみたいに街で聞いて回るよりも楽にお父様を見つけられそうな気がするんだけど、どうかしら?行ってみない?それに、お姉さまのところに来てから教会に全然行ってないから、なんだか変な気分もしてたの」

 吸血鬼になってからというもの、私は異教であろうと旧来の信仰であろうと異端の宗派であろうと、宗教的なものはそれを口実として起こされた祖国の戦乱を思い出したくないがために意図的に避けてきたきらいはあった。

 しかしそうとはいえフランの言うことも至極真っ当であった。確かに常時人の動く通りで一人ひとりに聞いていくよりも、ある程度人間の集まった場所で聞いていくほうが遥かに効率的であり、その場所として日曜礼拝の教会というのは最適であった。

 どうしても宗教施設に向かうのは気が向かなかったが、これも全て彼女のためと思い、私は腹を決めた。

「それもそうね、じゃあ今日はそこに行ってみましょうか」



 街壁の外からでも容易に認めることができた、空を支えるように高くそびえ立つ二つの時計付きの鐘楼を持った教会は、街を流れる川のほど近くに建てられていた。街の規模に劣らないほど巨大な石造りの聖堂は、間近で見ればさらにその荘厳さと重厚さを増した。

 だがこの会堂は祖国でよく見たそれとは違い、丸みを帯びてはおらず硬く筋張った無機質な外観をしていた。装飾に用いられる十字架を見ても一つとして四本の直線で形作られたものはなく、このことが祖国では異端と呼ばれていた所以の一つだっただろうかとふと思った。

 ステンドグラスを通して鮮やかに色付けされた光が差し込む聖堂の中は私のかつての屋敷よりも、公の居城の大広間よりもはるかに広壮であった。堂内は千人以上は優に入れそうなほどであり、そこに並べられた長椅子は数えられないほどであった。長椅子は故郷の教会では絶対に目にすることがなかったものであるが、私はそれを見てほんの少し安心した。

 祖国で両親と一緒に通っていた教会での立ち続けで聞く退屈な儀式や祈りの間の足の痛みは、戦乱ほどではないにしろ私にとっては決していい思い出ではなかった。

 だがそれほど大きなこの建物もこの街の信徒たちを収容するには多少手狭であるようであり、きらめく宝飾品を散りばめた豪華な服を着た大富豪から、初めてフランと会った時に彼女が着ていたようなぼろ衣を着た貧者まで、ありとあらゆる人間たちがひしめきながら文字通り一堂に会していた。その群衆のざわめきの中で、噂話が聞こえてきた。



 「それにしてもここの神父様は大したもんだよなあ、あんなに若いのにこんなでっかい教会を任せられてんだなんて」
「だよなあ、これまでは爺さんの神父さんばっかりだったのに。すごい奴だよ」
「神父様に向かって奴、だなんて言っちゃいけないぜ、全く。なんでもあの方は、生まれはそこまで豊かじゃないらしいが、修道院に入ってからはその聡明さと信心深さで頭角を現して、あっという間にこの地位まで来たって話だ」
「へえそりゃ凄い。そんなんじゃこんな街の神父様で収まらずに、大司教様ぐらいには軽くなっちまいそうだな」
「ああそりゃなるとも。それどころか枢機卿や、果ては教皇にまで上り詰めるかも知れねえぜ」
「おお、そうなりゃめでたいな。うちの街アントウェルペンから教皇様が選ばれました、なんてな。街の自慢になるぜ」
「ああ、全くだ」

 枢機卿や教皇などという耳慣れない単語が聞こえてきたが、恐らくは祖国の教会組織で言う総主教のようなものなのだろうということは話の流れから察しがついた。彼らの話が終わった瞬間、どこからか厳かな楽器の旋律が流れ始め、それに応じたかのように群衆は退屈しのぎの話を止めた。

 教会で楽器が演奏されるということは違和感があったが、どうやらそれが礼拝の開始の合図のようであった。それまで立ちっぱなしであった私達は、慌てて長椅子の空席を見つけるとそこに座った。



 はるか向こうの説教壇に若い金髪の男性が立った。彼は緑色に一本の太い金色の縦線が入った服に身を包んでおり、まだ肌に艶のあるその顔から判断するに間違ってもまだ年齢は三十代に届いていないように見えた。
 恐らくはあの男性が、先程の噂で話されていた聡明な神父なのだということはすぐに分かった。彼は壇上から、私も習っていたことがある言葉でこう言った。

「主はあなた方と共に」

それに答えて、フランも含む人間たちは司祭と同じ言語でこう言った。

「そしてあなたの魂と共に」

すらすらと異国語を口にした彼女に驚いた私は、声を潜めながらフランに尋ねた。

「ねえフラン、あんたラテン語も分かるの?」
「ううん、神父様から礼拝の時、ああ言われたらこう言うって習っただけ。どういう意味なのかは分かんないわ」

 その後の儀式は、時おり楽器が演奏され、十字を切る順番が左右逆であること以外は、あまり祖国の様式と違いがないように思えた。儀式の区切りにはこの地の訛りを持ちながらも「アミン」と唱えられ、礼拝の最後にはやや固いながらも葡萄酒に浸したパンも振舞われた。

 たかが楽器の演奏の有無や教会の建築法、十字架の描き方だけでそれぞれの宗派は互いを異端と言い合っているのか、と考えると私は馬鹿らしく思えた。



  若い司祭は儀式を終えると、しばらく間をおいて信徒に語りかけた。

「さて皆様、本日の日曜聖餐はこれで終わりですが、これとは別に皆様に是非ともお気持ちを頂きたく思うのです。皆様はご存知でしょうか、我らが教皇聖下がおわします聖地ローマで、現在礼拝堂に主のため新たな天井画を描こうという計画があるのですが、その資金に少し事欠いているのです。そのため資金をあなた方にも献金という形でご援助いただきたく思うのです。聖書には、主は喜んで与える人を愛してくださる、とあります。他人に対する施しですら、主はお喜びになられます。まして主に対する施しともなれば、主の恩寵は格別なものとなるでしょう。もちろん、同じく聖書には、人に見せるために人前で善行を行わないように、さもなくば天上の父からの報いは受けられない、ともあります。しかしながら、主に対する献金は私達人間への善行と異なり、主への感謝の気持ちの表現であります。私達が今行なっている聖餐と何か異なることがございましょうか、いいえそのようなことはないはずです。私は皆様に強制するわけではございません。ですがもし主の恩寵を得て、来世の幸福を願うのであれば、決して献金は惜しむべきものではないはずです。ご寄付を頂けるのであれば、この後彼の持つ献金箱に、そのお気持ちを入れていただければ幸いです」

 司祭は優しくそう言って四角い箱を持つ聖職者に五本の指を向けた後、その言葉をラテン語に切り替えてこう言った。

「行きなさい、送られたのです」

私はその言葉の意味がよく分からなかったが、フランたちは開式の辞と同じように、ラテン語で一斉に答えた。

「神による恩寵を」

どうやらこれが、解散の言葉のようであった。そしてその言葉の後、信徒たちは一斉に説教壇横の箱を持つ聖職者の前に並び始めた。



 私は来世の幸福などと言う言葉はもう聞きたくもなく、それを信じていた男が現世でこの上なく不幸な目にあったことも知っていた。私には見えない来世の幸福よりも、今生きているこの世界での生活のほうが、何倍も魅力的に感じた。

 それに彼の言葉はいくら聖書の文言を借りた美辞麗句と修辞に包まれていても、私には単に汚らしく「金をよこせ」と言っているように思えた。

 それは金銭の損得勘定で動くこの街の仕組みに教会までもが組みこまれてしまったからなのか、それとも異端とされるこの宗派が拝金主義に陥ってしまっているからなのかは分からなかった。だがここにはもう、戦災に巻き込まれた領主を思い祈祷を捧げる司祭は存在しないようであった。

 しかしここに集まった人間たちの多くは私のようには思わないようであった。私は献金の列には並ばず、フランの父の聞きこみを始めた。

 とはいえ教会に来ていた人間たちにいくら聞いても、相も変わらず彼女の父どころか、それに繋がる情報すらも見つけることはできなかった。礼拝が終わった彼らは一人ひとりと教会堂を後にし、最後には私たちと司祭だけがそこに残った。若い金髪の司祭は私達の姿を認めるとこちらの方へとやってきた。



「お嬢様方、何やらいろいろな人に尋ね回っていたのが見えましたが、なにか忘れ物でもございましたか?それとも、探しものでもおありですかな?」

若さによるみずみずしさが感じられながらも、彼は聖職者特有の丁寧な口ぶりで私たちに話しかけた。

「ええ、探しもの、ではなく探し人なのですが」
「探し人?それはまた大変でございますね」
「そうなの、私のお父様を探してて」

私の代わりに、フランが司祭の質問に答えた。彼女が頭を上げて彼の青い目を覗きこんだ時、私には司祭が少し驚いた顔をしたように思えた。だが彼はすぐに柔らかな笑顔を取り戻すと、フランにこう言った。

「それは大変ですね、お嬢様方のお父様をお探しですか」
「いいえ、私達ではなく、私の友人フランドールの父親を探しているのです」

私は二人の会話に割り込んだ。

「おや、すっかりお嬢様方はご姉妹かと思っていましたよ。フランドール、珍しいお名前ですね。ちなみにお母様はどちらにいらっしゃるのですか?」
「お母様は、ずっと前に死んだわ」

フランがそう答えた。

「おっと、それは失礼いたしました。しかしそうなりますと、これまではどちらにお住まいだったのですか?」
「孤児院にいたんだけど、神父様にお金がなくなっちゃったから、って言われて追い出されちゃって。その時にお父様がこの街にいるから、って言われたんだけど」
「なるほど、しかしお父様をお探しとは言っても、何かお父様のお名前やご職業、そのお顔など、手がかりになるものはご存知でしょうか?」
「ううん、ただアントワープにいるってことしか聞いてないわ」

アントワープ、という言葉に司祭は再び奇妙な反応を示した。

「もしや、でございますがお嬢様のご出身はイングランドではございませんか?」
「イングランド…?いいえ、私はカレーの街から来たんだけど」



 フランのその言葉を聞いてから、どう見ても彼の所作は不自然なものになっていた。私は不審に思い、司祭に尋ねた。

「もしかしたら、何かこの子について御存知ですか?」
「い、いいえ。残念ながら私には心当たりはございません」

彼は少しどもりながらもそう答えて、言葉を継いだ。

「しかし、お嬢様方はどのくらいの間、お父様をお探しになっているのでしょうか?」
「そろそろ二ヶ月ほどになるでしょうか」
「その間、フランドールお嬢様はどちらでお過ごしになられているのでしょうか?」
「一応、父親が見つかるまでの間はということで私の家に住まわせております」
「父親が見つかるまで、ですか。しかしながらもうお父様を探し続けてふた月も過ぎているのでしょう?このアントウェルペンの街は決して小さくはありませんし、人の出入りも活発です。もしかしたらそのお父様は既にこの街にはいなくなっていることも考えられます。厳しいことを言うように聞こえるかも知れませんが、お父様のことはそういう運命だった、ときっぱり諦めてしまったほうがいいのかもしれませんよ」

私も薄々と考えていたことを、司祭は穏やかながらもあっさりと口にした。

「確かにそう、なのかもしれませんね。ご協力感謝いたします」

私はゆっくりとそう言うと、うつむくフランの手を引いて教会堂を後にした。



 小屋への家路は、私もフランも何一つ言葉を発することはなかった。恐らくは二人とも同じ、もし父親が見つからなかったらどうすべきか、ということを考えていたのだろう。少なくとも私はそのことを考えていた。

 そもそもあれほど少ない情報でこの大勢の人間たちが住む大都市からたった一人を見つけ出そうというほうが非現実的であり、もし、という言葉で表現すべきは父親が見つかった場合を指すほうが自然であった。

 父が見つかるまでの間は一緒に住ませてあげる、とは言ったもののこの調子ではそれが実現する様子はとてもなく、また彼女を永久に私のそばにおいて置けるはずも当然なかった。
 人間の子供と吸血鬼の共同生活がいつまでも続けられるなどということは私は最初から信じてはいなかった。私の服は数着しかなく、着ているものを除いて全て売りに出したとしても、それでフランの一生分の食費が賄われるはずもなかった。

 そしてもう一つ、フランと長期間過ごさねばならなくなった場合の私の懸念は、彼女の成長についてであった。人間の子供の成長は早く、今は私と変わらない背格好の彼女も来年になれば私の背丈を追い越し、数年のうちには成熟した女性となるだろう。

 そうなった時、何年たっても姿の変わらない私を見て不審に思うに違いない。もし今は気づかれていない私の吸血鬼としての正体をフランが悟ってしまったら…。それより先は考えたくなかった。
 一刻も早く、真実に気づかれる前に、彼女を私のもとから放してやらなければならないとは思っていたが、そのための最も理想的な手段はもはや現実味が無いものとなっていた。



 小屋の中に入ると、フランはぽつりとこう言った。

「それでも、私はお父様に会いたいの」
「もちろん、それは私も分かってるし、是非ともそうさせてあげたいわ。でも…」

私は少し息を落ち着かせて、言葉を継いだ。

「さっきの神父様の話も聞いたでしょう?これだけ探してお父様の手がかりは何もなかったんだから、もしかしたらお父様はこの街にはもういないのかもしれないわよ?私としても言いにくいんだけど、もしかしたらもうお父様はお母様と同じ所に行っちゃった、ってことも考えられるわ」
「でも、私そんな事信じたくない…」

フランはか細い、震え声でそう答えた。

「それは私だってそうよ。でも残念だけど、私もずっとフランと一緒に住みながらお父様を探すことだなんてできないの。だからもうお父様のことは忘れて、孤児院に戻ったほうがフランとしても幸せかもしれないわよ。元いた孤児院には戻れなくても、探せば他のところもあるはずだし、もちろんそうするなら私も協力するわ」
「そんなの嫌よ…。私はお父様にも会いたいし、本当ならお姉様からも離れたくないの。これまでお姉様はあんなに私に優しくしてくれたじゃない。そんな事言わないでよ、私をまた一人ぼっちになんかしないでよ…」

そう言うと、彼女は声を上げて泣き始めた。



 私はフランをなだめながら、彼女の「お姉様から離れたくない」という言葉を複雑な思いで噛み締めた。

 私が単なる人間の少女や老婆であればその言葉に感動し、彼女を孤児院に入れるなどと言ったことはすぐさま撤回して、どんな困難があってもフランと暮らしていく決意をしたことだろう。事実彼女と出会ってからのこの数ヶ月、私は不便と思うことは多々あっても、フランとの生活の中にこれまでの日々にはなかった新たな刺激と不思議な安らぎを感じていた。
 彼女と別れた後の生活はまた以前のような単調なものになってしまうのだろうと考えると、私は少し寂しさも覚えていた。

 しかし私とフランの間には種族の壁があり、その壁は彼女がいくら望んでも、決して乗り越えられるものではなかった。彼女が口にした離れたくないお姉様とは吸血鬼としての私ではなく、夜中の通りで偶然出会った少女の手助けをする、聖母のような人間の虚像であるということは知っていた。
 フランが私の正体を知ってしまえば、私にとっても彼女にとっても望ましくない結果を生み出すということは分かっていた。

 それゆえ私はフランと早く別れねばならないとは考えていたが、彼女の反応を見るに円満な別れなど望めそうにないことは明らかであった。こうなった以上、私はそっとこの街から抜け出し、フランの前から永遠に消え去ることがお互いにとって幸せな結末なのではないかとすら思い始めていた。

 その晩は傷悴しきった彼女にいつもの料理を頼むことなどできず、ただフランの見よう見まねで私が何とか作った夕食を二人で摂った後、彼女を寝かしつけた。



 その夜フランが深く眠りについたのを確認して、私は数日ぶりの食事に出かけた。夜の街に吹きつける風は既に身を切り裂くほどに厳しく、吐息は白く曇るほどになっていた。路上の者たちはさすがに寒さに耐えかねてかぼろぼろの毛布のようなものを皆その体にかぶせてははいたが、未だにその数を減らしてはいなかった。

 何ゆえこのような季節にいたっても彼ら旅の商人たちは宿も取れないこの地に残るのだろうという疑問は持ったが、建物の中に侵入して人間を襲うよりも格段に手軽に血液を採取できるその状況に私は文句をつけるつもりもなかった。

 私は少量の血液を適当な人間から吸い取り渇きを満たすと、一応は僅かな望みを持ちながら眠る男たちの顔を静かに確認した。だが相変わらず、ここに横たわる人間たちの顔ぶれは私がこの街に来た秋口からほとんど変わってはいなかった。だがその中に、私はここにいるはずのない一人の年老いた男の姿を見つけ出した。

 その年老いた男はかつてみすぼらしい服を着たフランに無償でパンを一斤恵んでくれた、パン屋の主人であった。私の記憶に残っていた彼の柔和なその顔は、大勢の中からでも簡単に判別することができた。
 この街に住居を持つ者が好きこのんで寒風の中、冷えきった石畳の上に身を横たえて夜を明かすとは考えにくく、何故彼がここにいるのかと考えた時、最も説得力のある適当な答えは一つしかなかった。



 彼らは旅する行商人などではなく、この地で何らかの理由によりその居場所を失った人間たちであったのだ。そう考えれば、数ヶ月もの間彼らの顔ぶれが殆ど変わってないことも至極当然の帰結であった。この老人も何らかの理由により、住む家や店を失ってしまったのだろうと考える他に無かった。

 世界中から集められる物品による繁栄をこのアントウェルペンは謳歌していたが、その恩恵はここに住む者たち全てが享受できるわけではなかった。生み出された富は美麗な建築物に姿を変えこの街を彩っていたが、それは決して貧者のために食物を生み出したりはしなかった。ここに住む商人たちも貧者には冷たく、教会ですら信仰よりも金銭を追い求め、恵まれぬ彼らに施しを与えるようなことはなかった。

 そして私はフランと初めて出会った時の彼女の姿を思い出した。私が今いなくなってしまえば、純真な彼女はこのパン屋の店主だった老人のように再びぼろ衣を身にまとって彼らと枕を並べる生活に戻ってしまうだろう。

 フランに上質な服を着せ、自分をお姉様呼ばわりさせ、生活の面倒を見ておきながら、私は彼女を見捨てて再び劣悪な状況へと叩き落とそうとしているのか、という思いがよぎった。それはあまりにも、身勝手すぎることなのではないだろうか?

 家路につきながらも、私の頭の中からフランの今後についての懸念は消えることはなかった。



 口の周りの血を拭きとった後で小屋の扉を静かに開き、小さな寝台の上で静かに眠るフランの寝顔を私は見つめた。

 さんざんに泣きはらしたためか、まぶたの周りは赤く腫れ上がっており、涙の跡も乾いてはいなかった。いたいけな彼女の顔を見て、私は一つの決心を固めた。少なくともフランがしっかりと成長し独り立ち出来るようになるまでは、彼女の保護者となり姉となり守っていこうと。

 フランと長く暮らせば暮らすほど、吸血鬼としての私の姿に気づかれる危険性は増していくだろう。だがもし私の正体が明らかになってしまった時は、彼女に虚偽を見抜き充分に自立できるだけの思慮分別が付いたということにしよう。
 フランはあくまで人間だ、間違っても人知の及ばぬ力を持つ私を殺すことなどできはしないだろう。彼女に悟られてしまった時は、祖国からこの街に来た時のように、また新たな住処を探せばいいだろう。そう思うことにした。

 フランを起こさないように軽く頬に口付けをすると、私は眠りについた。



 翌日は朝から氷雨が降っていた。簡素な朝食を摂りながら、私はフランに言った。

「ねえ、昨日のことだけど、フランに謝らせてくれない?お父様を探してあげるだなんて言っておいて、あなたを孤児院に入れるって言うだなんて、私どうかしてたわ。ごめんなさいね、フラン。ちゃんとあなたのお父様が見つかるまで、私がそばにいてあげるから」

私の言葉を聞いて、彼女の顔は少しほころんだ。

「そんな、謝るだなんて…。よく考えたら私だって、これまでお姉様に頼りすぎてた気もするの。探してるのはあくまで私の方なのに、行く場所を決めるのも人に聞いて回るのも全部お姉様に任せっきりで、私はほとんど何もしてなかったし。私も少しはお姉様みたいに成長しなくちゃ、って思ったの」
「そう言ってくれてありがとう、フラン」

そう言って私もフランにほほえみ返した。



 食事の後片付けをした後、フランは唐突にこう言った。

「じゃ、今日もお父様探しに行きましょ」
「こんな寒い雨の日に?今日みたいな日はそこまで人通りは多くないと思うわよ」
「でもその中にお父様がいないとは言い切れないでしょ?それに…」

少し間をおいて、彼女は話を続けた。

「…それに早くお父様を見つけたほうが、お姉様にとっても私にとっても嬉しいことなのかな、って思ったから。そう思ったら、いてもたってもいられなくて」

 昨日の発言はやはりフランの心に傷を負わせてしまったのだとその時悟ったが、彼女の言うこともまた、私の考えと全く同じものであった。彼女を守るとは決めたが、可能であり、フランも納得が行くのならば、彼女の保護者は吸血鬼よりも彼女と同じ人間が務めるほうが格段に良いに決まっていることは分かっていた。

「そうね、分かったわ。じゃあ準備するから待ってて頂戴」

私は雨傘を一本フランに渡し、自分も一つ手に取ると、玄関扉を開け冷たい雨の降りしきる通りに出ようとした。だがその時、私の全身から力が抜けていくのを感じた。



 一体私の身に何が起こったのか、初めは全く理解することができなかった。扉の敷居をまたぎ家の外へ出ようとした瞬間に私の足は凍りついたように動きを止め、いくら歩みを進めようとしても、まるで腱を切られたかのようにそれ以上足先に力を入れることはできなくなっていた。

 私がそうこうしているうちに、これまでは前方向にだけ入れることができなかった力が、次第に横方向にも入れられなくなっていることに気づいた。恐怖を感じ、思わず扉を閉じると私の筋力を奪っていた呪いからは開放され、どの方向にも私の身体は動かせるようになった。

 辺りをくまなく見回したが、視界の中には訝しげな顔をして私を見つめるフラン以外に、誰も何も特筆すべきものは見当たらなかった。

 もう一度、恐る恐る扉を開くと、私はまた再び呪いに縛り付けられた。私はさらなる恐怖を覚えたが、異常の元凶に対する疑念はそれを押し殺した。そして改めて私の体の周囲を詳細に観察すると、私の足が力を入れることができない方向には降り込む雨水によって作り上げられた、小さな水の流れがあることに気づいた。

 扉をもう一度閉じ、雨の流入を防ぐと流れは動きを止め、ただの水たまりとなった。流れが止まってしまえば私はその上に何度でも足を乗せ、また好きなだけそれを踏み越えることができた。



 信じたくはなかったが、これは悪天候の中での外出という発想がなかったため数十年もの間気づくことのなかった、吸血鬼の直射日光以外の弱点であると認めざるをえなかった。

 人間離れした膂力と敏捷力を持っておきながら、数秒のうちに作られた程度の流水ですら直接渡ることができないなど、何と地味ながらも致命的な弱点であろうか!

 もちろん長年気づくことのなかったこの流水を渡れないという身体の重大な欠陥は、祖国のお伽話でも聞いたことのないものであった。

「ねえフラン、やっぱり今日はやめにしておかない?どう考えてもこんな雨の日はお父様も街に出てはこないはずよ、別に明日でもいいんじゃない?急ぐことはないわ、さっき言ったじゃない、お父様が見つかるまでちゃんと私はそばにいてあげるって」

なるべく不審がられぬように、平静を保ちながら私はそう言った。

「でも、私はそうは思えないの。そうだ、別にお姉様が外に出たくないのなら、別に私だけで探しに行っても大丈夫よ。私もさっき言ったじゃない、これまではお姉様に頼りすぎてたし、私も成長しなきゃいけない、って」

 彼女はそう言うと、私のそばを通り抜けて玄関扉を開けようとした。だが狭い通路を抜けようと身をよじった彼女の金色の髪が私の頬をなでたその時、私は長らく感じていなかった、不吉な予感と全身に駆け巡る悪寒を覚えた。

 そのおぞましいような不快感は故郷ワラキアの屋敷の襲撃の前や、ヴラド公のハンガリーへの出立の前に感じた確定的な破滅の直感と驚くほど似たものだった。その不快感の原因を考えるよりも早く、私の口は半ば叫ぶように警告を発していた。

「駄目よフラン!今日は外に出ちゃ駄目なの!」



 だがフランは既に扉を開け、家の外へと出てしまっていた。傘を広げたフランは先程にも増して怪訝な顔で私を見ると、こう言った。

「玄関で変な動きをしてるって思ったら次はいきなり叫んだりして、今日のお姉様、何だかさっきからいつにも増しておかしいわよ?一体どうして外に出ちゃいけないなんて言うのよ」
「私にもわからないわ、でも何だか言葉に出来ないけど、すごく嫌な予感がするの。だからお願い、今日はやめておいて、私と一緒にお家の中で遊びましょう?」
「嫌な予感、だなんてお姉様の思い過ごしよ。お姉様が外に出たくないなら別にいいわよ、心配しなくても私一人で大丈夫だし、ちゃんと夕方までには帰ってくるから」

 フランはそう言い残すと、私の必死の制止も聞かず雨に煙る建物の森の中へと走っていった。

 空からの流水に身体を縛りつけられた私は、傘で隠れた彼女の後ろ姿を見つめることしかできなかった。



 何時間経っても、憎らしい冷雨は止む様子を見せなかった。数十年ぶりに感じた不吉で凍りつくような予感に私は落ち着くなどできず、フランの身を案じながら狭いあばら屋の中を歩きまわった。つい昨晩フランを守る決意を固めたばかりであるのに、たかが天候の不順程度で彼女の側にいることすらままならないこの身を呪った。

 私は古代の伝説の王女に自分を重ね合わせた。神に愛され予言の能力を授かりながら、彼女の予言は誰にも信用されはせず、そして最終的に自らの城市の破滅の運命を知りつつも、何もできないままにその陥落を目の当たりにする、そんな悲劇の王女の気持ちはその時の私に痛いほど理解することができた。

 一刻も早く雨が上がるように、あるいは今すぐにでもフランが無事にこの家に帰ってくるように、そうひたすらに祈りながら私は部屋中を低回した。その時の私はもう既に神を信じてはいなかったはずであるが、皮肉なことに彼女への心配は祈りという形で現れていた。

 日も傾き薄暗くなり始めた頃に、扉を叩く音が聞こえた。私はすぐに玄関扉を開けると、そこには服を雨に濡らしながらも、元気そうな姿のフランが立っていた。

「ただいま、お姉様。言った通り、ちゃんと夕方には帰ってきたわよ」

彼女はそう言って小屋の中へと入った。

「フラン、お帰りなさい!無事でよかったわ!」

安堵の気持ちに満たされ、私は思わずフランを抱きしめた。湿った服を通して、彼女の冷たい体温が私に伝わった。

「もう、お姉様って心配性なんだから。お父様は相変わらず見つからなかったけど、特に何も怖いことも困ったことも起きなかったわ。嫌な予感、だなんてやっぱりお姉様の思い過ごしだったのよ」
「そうね、フランの言う通りだったわね」

 私は五体満足の彼女の姿を見て、あの悪寒は単なる邪推であったのだと思った。幸運が短期間に連続する事のないように、何の合理的理由もない虫の知らせが三度も連続で起こるはずなど、冷静に考えてありえないことだったのだと私は自分に言い聞かせた。そして一瞬でも悲劇のお姫様ごっこをしてしまった私を馬鹿らしく思った。

 その日のフランは食事の量もいつもより少なく、そして普段よりも早く床に就いた。私は彼女も初めての一人だけの外出で疲れたのだろうと深く考えることはなかった。だが思えば私はこの時、隠されていた予感の正体に気付くことができていたのかもしれない。



 翌日私が目を覚ました時、普段なら私よりも先に起きているはずのフランが、未だに私のそばに横たわっていることに気づいた。彼女は既に目覚めてはいたが、その息遣いは荒く、目はうつろで頬は赤く染まっていた。額に手を当てると、私の手のひらに熱が伝わった。

「もう、風邪引いちゃったのね。いきなり天気も悪い中で慣れない事するからそうなるのよ。ちゃんと休んで、早く治すのよ」

 私はそう言って身体を寝台から起こすと、彼女の代わりに覚束ない朝食の準備を始めた。

「フランが元気になるまで、お父様探しはしばらくお休みね」
「でもそんなことしたら、また日にちが伸びちゃうじゃない…」
「そんな状況で外に出て風邪をこじらせたほうが余計面倒になるわよ、風邪なんかちょっと寝てれば治るはずなんだから、変なことは考えないで休んどきなさい」



 だが数日を経てもフランの病状は一向に快方へと向かうどころか、ますます悪化の一途をたどるばかりであった。いくら故郷の風習のように蜂蜜を与えたり、この地の療法に従って温めた葡萄酒を飲ませたりしても、その効能は一切現れなかった。

 街の薬商から日用品の何倍もの値段のする薬草を手に入れ、言われたとおりに彼女に服用させもした。だがそれでもフランの高熱が下がることも、激しい咳の発作も止むことはなかった。病魔は急速に、彼女の体力を奪っていった。

 しかしそうだといっても私に他のことが出来るはずもなかった。連日街に出ては効果の出ない薬を買い求め続け、私の服はこれまで以上の速度で金貨へと換えられていった。

 聖誕祭も目前に近づいた年末の街はより活気を増し、心なしか行き交う人間たちの顔も楽しげなものに見えた。彼らの間を通って、私はいつもの様に薬店へと向かった。



 「いらっしゃいませ。おやお嬢様、またいらっしゃいましたということは…」
店に入ると、店主はそう私に声をかけた。

「ええ、あの薬を試してみたのですが、未だフランの病状は良くならないままなのです。何か他の、もっと強い薬は無いのですか?」
「無くはないのですが、残念ながら、仕入れの関係でギルド中で売り切れておりまして…」
「では仕方ありません、この前と同じもので結構です。それをお願いします」
「しかしお言葉ですがお嬢様、あの薬で効果がなかったとなると、恐らくはただの風邪などではないのでしょう。肺炎や結核、または他の疫病なのかもしれませんよ。そうなるとあの妙薬ではない限り、効果はないものと思われます」

商人にしては珍しく、自分の商品を買わないよう彼は私に助言をした。

「疫病だなんて、そんな…でもその妙薬も売り切れているのでしょう!?それなのにどうすればいいというのですか!?」

疫病という言葉に動揺した私は、思わず語尾を強めて彼に詰め寄った。

「まあ落ち着いてください。ギルドで聞く話によりますと、この街の教会は私達とは別の仕入先から独自に薬を購入しているようでして、もしかしたらそちらであればあの妙薬、テリアカが残っているかもしれません。聖誕祭も近いことですし、フラン様の病状を訴えれば、神父様の御慈悲もあるのかもしれませんよ」
「なるほど…教会ですか、ご助言に感謝いたします」

薬商の話を聞くと、私は店を後にした。



 店を出てすぐに、私は人間たちを押しのけながら教会へと急ぎ足で向かった。平日だったせいか広大な堂内には以前ほどの人間たちはおらず、聖堂の茫漠さが際立っていた。説教壇の近くまで歩いたが司祭はそこにはおらず、辺りを見回していると、堂守らしき男が私に声をかけた。

「そちらのお嬢様、何か御用がおありでしょうか」
「はい、この教会にあると聞きました、テリアカという薬を売ってはいただけないかと思い、神父様に会いにこちらに来たのです」
「テリアカ、でございますか。私は詳しいことは存じませんが、確かに神父様がそのようなことを言っていた気もしますね」
「ええ、ですから是非ともそれを頂きたく思いまして。もちろんお金なら払えます」
「しかしながら神父様は教区の仕事があるということで出払っておりまして、私の一存ではどうにも出来ません。恐らくは聖夜にはこちらに帰って来られるとは思いますが。お嬢様はお急ぎの用事でしょうか?」
「はい、出来れば一刻も早く薬を受け取りたいのですが、聖夜であれば恐らくは何とか…ではその時にまた来ますので」

そう言って踵を返そうとすると、男は話を続けた。

「ちょっとお待ちくださいお嬢様。ですが神父様は忙しい人でございますし、陳情の予定も数多く入っております。聖誕祭の聖餐式もありますし、帰ってきてすぐに会うということは難しいかもしれません。もしかしたらひと月以上かかるやも…」
「そんな、そこまでのんびりしている時間はないのです!」

フランの病状を見るに、一ヶ月も治療なしで放置してはおけないことは明白であった。

「しかし神父様に会いたがる方は皆様そう言われるのですよ。他の人と状況が変わらない以上、こればかりは仕方ないのです。お嬢様の名前とご自宅の場所を教えていただければ、神父様の都合のついた時にお知らせすることはできますが、どう致しますか?もちろん、手数料は多少頂きますが」
「いえ…それは結構です、お心遣いありがとうございます」

 そう言うと今度こそ私は徒広い教会から足早に抜けだした。彼女の身は心配であったが、不必要に自分についての情報を流してしまうことはそれでもやはり恐ろしかった。

 結局その日は蜂蜜と葡萄酒だけを買い、私は小屋に帰った。



 私の必死の看病をあざ笑うかのように、病魔はフランを苦しめ、その命の火を吹き消そうとしていた。私の力は盗賊や暴漢から彼女を守ることはできても、姿形のない存在に対しては全くの無力であった。

 衰弱していくフランを見て私はあの雨の日の予感が杞憂ではなかったことを悟った。破滅の運命を運びくるものは、何も軍隊のような形を持ったものであるとは限らないと知ったのはこの時になってからであった。

 無意識に浮かんだ「運命」という言葉に、私は激しい憎悪を覚えた。何者かによって予め決定され、覆すことのできない力が存在するなど、私は断じて認めたくはなかった。「父に会いたい」というささやかな願いすら果たすことができずに、幼いままその命を失ってしまう。そのようにこの少女が運命づけられているなど、私は信じはしなかった。

 疫病に侵されているとはいえ、フランはまだ生きていた。そして教会で手に入るはずの薬さえあれば、彼女の病は治すことが出来るはずであった。



 不可視の病魔が攻勢を強めたのは、聖誕祭の前日のことであった。

 その晩の聖餐式のために戻っているはずの司祭に会うために、私は教会へと向かう準備をしていた。フランは私の様子を見てその日の暦を尋ねると、聖夜の聖餐式にはどうしても自分も行きたいと、私の説得も聞くことなく弱々しくもごね回った。終いには彼女は寝台から起き上がってまで訴えようとしたが、立ち上がろうとした瞬間にフランはこれ以上にないほど激しく咳き込み始め、真っ赤な血を口から吐いて床へと倒れこんだ。

 血液を目にして私は一瞬息を呑んだが、気を取り直すとすぐさま彼女のもとに駆け寄り、その身を抱きかかえた。フランは骨張った肩を上下させ、調律の狂った笛のような音を喉から出しながら、何とか呼吸を保っていた。

 私は彼女に葡萄酒を与え、その呼吸を落ち着かせるとその身体を再び寝台へと寝かせた。フランの身体は火のように熱く、そして体重は驚くほど軽かった。



 彼女はその後も小規模な発作を繰り返したが、夜が深まる頃には小康を得て、静かな眠りについた。だがそれほどの発作が起こった以上、フランの病状は予断を許さない状況にまで陥っていることは明白であった。私は再び外出用の身仕度を手短に整えると、教会へと向けて走り出した。



 その夜は雪が降り続いていた。降水も凍ってしまえば、私の身体を縛ることはできなかった。雪は地面に積み重なり街中を白く染め、家々のよろい戸から漏れ出る暖色の光を反射して柔らかく月光の遮られた夜道を照らしていた。積雪は雑音を吸収し、静寂が支配する通りには私の小麦粉を踏みしめるような足音だけが響いていた。

 聖夜とはいえ、既にその時間は路上にはもう人間たちの姿は無かった。もしかすれば聖堂は既に閉まっているのではないかと思いもしたが、もしそうであっても朝まで待てば良いだろう、そうすれば司祭に真っ先に会うことが出来るはずだと考えた。何に代えても出来るだけ早く、彼女に薬を渡さねばならないと私は考えていた。

 雪明りにうっすらと浮かび上がる輪郭を頼りに聖堂の前にたどり着いたが、既にそこには人の気配はなかった。一縷の望みをかけて大扉の取手を引くと、軋みながらもその扉はゆっくりと開かれた。闇に包まれる広壮な教会のはるか向こうで、小さな蝋燭の明かりが灯っているのが見て取れた。か細い光は、純白の祭服に身を包んだ、若い金髪の司祭の姿を照らし出していた。私は全速力で光の下へと走り寄った。



「神父様、どうか薬を分けていただきたいのです!」

彼の前に辿り着いた私は挨拶すらも忘れ、ただその言葉を叫んだ。

「おや、この前のお嬢様ではないですか。今日はフランドールは一緒ではないのですね。こんな真夜中に薬を、とは一体どうしたのです」

あくまで落ち着き払った様子で、司祭はそう答えた。

「覚えていただけて幸いです。そうなのです、あの子フランドールが疫病に侵され、明日をも知れぬ状況なのです。街の薬商人から、この教会には市井に出回るものよりも強力な薬があると聞きました。どうかそれを分けては頂けないでしょうか。もちろん無料でなどとは申しません、この通り多少なら金貨も用意出来ます。お願いです、哀れな少女に救いの手を差し伸べては頂けないでしょうか」

私はあらゆる恥も外聞も、生まれの矜持すらも捨て、膝を折ってまで司祭に哀願した。だが司祭は調子を変えることもなく、銀色の小瓶を小机から取り出すと私を見ながらこう言った。

「その欲しい薬というのは、というのはこのテリアカのことでしょうか」
「そうです、それのことです。どうか分けていただけないでしょうか」
「ですがお嬢様はフランドールの病状を明日をも知れぬ、とおっしゃいましたね。そのような状況でこの薬の効能が現れるとは私は思いませんが。それに残念ながらこの薬は、司教様に届けるためのものでありまして、どう言われようとお渡しすることは出来ないのですよ。深夜にわざわざおいで下さったところ申すわけございませんが、私に関しては縁が無かったのものとお諦めください。ですがお嬢様のお家は貴族や豪商でありましょう。お父様に頼めば何もこのような教会でなくとも、いくらでもテリアカを手に入れるつては見つかるでしょう」



 少しためらったが、引き下がるわけにもいかず、私は彼に真実を告げた。

「いえ、私の父も母も、ずっと前に亡くなっているのです。他に頼れるつてなどありはしないのです。神父様だけが、フランの最後の望みなのです。どうかお願い致します、その薬を!」

半ば叫びながら、私は司祭に懇願した。

「何と、あなたもみなし子でございまいたか。立派な出で立ちをしているので、すっかり良家のお嬢様とばかり思っていましたよ。しかし私だけが頼りと言われましても、先約がいる以上、その程度の金額ではどうしようもないのです」
「でも神父様は、未だ成熟しきらず、お父様に会いたいという願いも叶えられないまま、疫病で死んでゆくフランが哀れだとは思わないのですか!どうか御慈悲を、せめてあの子には、実の父の顔を見るまでは生きていて欲しいのです!」

私がそう言うと、司祭は皮肉な笑みを浮かべた。

「なるほど父の顔か、だがそれならフランドールは既に見ているはずだ」
「それは、一体どういうことなのですか」

彼の意図が読み取れず、私はそう聞き返した。

「フランドールの父親は、この私だからだ」



 司祭の言葉の意味が全く理解できずに、混乱で口ごもりながら私は彼の言葉を繰り返した。

「あなたが…フランのお父様ですって…?」
「ああ、お前があいつを連れてきた時に、その顔を見てすぐに分かったよ。親子のほだしとは不思議なものだな。他人の空似と思おうとしたが、話を聞けば聞くほど、思い違いではないと確信していったよ。フランドール、などという名前を付けられていたとは知らなかったがな」
「ではどうしてあの時、フランのことを知らないなどと言ったのですか」
「どうして、だと?街の司祭に子供がいるなど、認められるはずがないだろう!」

彼は初めて、感情的に言葉を発した。

「何故ですか、聖職者とは言え人間です。子供を持っては、家庭を持ってはいけないと言うわけではないでしょう」
「おかしなことを言うものだな。東方の異端でもあるまいに、聖職者に妻帯など認められるわけはないではないか!」
「ではフランは…」

私は半ばその答えを悟りながら、司祭にそう言った。

「私がこの道に入ったばかりの頃だった。私は一人の町娘と出会い、未熟さ故に淫魔の誘惑に勝つことが出来ずに、一晩の過ちを犯してしまった。その時の子が、あの子フランドールというわけだ」
「私生児、ということですか」

自らがその言葉を発したにも関わらず、おぞましく汚らしいその単語の響きに私は背中に寒気を覚えた。

「そうだ。そしてあの女は子供が出来たと知った瞬間、私を誘惑した偽りの慈愛と媚態を捨て去り、事あるごとに娘をだしに私を脅迫した。貴族や金持ち出の聖職者面をした者達とは違い、俗界に後ろ盾もなく、口止めや贖罪のための財産もない私は姦淫の過失を知られるわけにはいかなかった。私は法外な量の金品をゆすられ、修道院の財産を盗まされさえもした。若気の過ちの代償としては、それはあまりにも大きすぎた。あの女が早死にしたと聞いたときには、思わず神に感謝したよ、これでもう私はその過ちから開放されたのだとな。そして娘を遠いカレーの孤児院に預けて、それで全て終わったと思っていたよ。だからお前があの娘を連れてきたときは悪夢の再来かと気が気でなかった。だがその娘も疫病に侵されていて、明日をも知れぬ命とは良いことを聞いた」

彼は最後の言葉を、少し得意げに言った気がした。



 「良いこと、とはどういうことなの?」

司祭の言葉に衝撃と怒りを感じながら、私は静かにそう尋ねた。

「どういうことだと?それは私の犯した罪の象徴もこの世から消え去って、私は再び枕を高くして眠れるということだ。もうこれで私を脅かすものもなくなり、安心して司祭を続けられるよ。私の将来も安泰だ」
「自分の地位のために、実の娘を見殺しにするつもりなの?」

極度の怒りは、却って私を驚くほど冷静にさせた。

「孤児になっても上等な服を着ることができて、ろくに世の中のことも知らないお前のような呑気な餓鬼は貧民の生まれからここまで来た苦労がわからんからそんなことが言えるんだろうな。ようやく手に入れた生活をたった一度の過ちで奪われて、再びこの世の地獄を見ることの怖さを知らないからそんなことが言えるんだろうな。命より重いものはいくらでもあるんだ。それにそもそもあの娘は不義の子だ。生まれるべきじゃなかったんだ、それが元ある姿に戻るだけだ、もともとそういう運命にあのフランドールは生まれついてたんだ。おや御冠かい、おじょうちゃん、何ならこのことを街中に触れ回っても構やしねえぜ。もっとも、みなし子の小娘の話を、街のまともな人間が信じるとは思えねえがな」



 その言葉を聞いて、私の口よりも先に身体が動いた。感情の爆発は長らく小さくたたんでいたままであった背中の翼を無意識に大きく広げさせ、服を突き破らせた。私は翼の力を借りて飛び上がると彼の喉仏を掴み、そのまま床へと叩きつけた。その衝撃で、私の青色の頭髪を隠していた帽子も頭頂から転がり落ちた。

 ろうそくの橙色の光で輝く大理石の上に組み伏せられた司祭は目を大きく開け広げ、必死に何かを叫ぼうとしているのが見て取れた。

 激しい怒りに全身が支配されながらも、私の思考だけは依然として明瞭であった。顔を真っ赤に染める彼の姿を見ながら、私は静かに言った。

「確かにあなたの言うように私は世間知らずだけど、少なくとも餓鬼の小娘じゃあないわ。あなたよりもずーっと長く生きてるはずだからね。そうよ、私は人間じゃあないわ。魔物でも化物でも好きな様に言いなさい。でもそんな存在でも、実の娘を運命の名の下に見殺しにする人間の聖職者ほど腐ってはいないはずよ」

 右手に軽く力を入れると、掌中で固いにんじんが砕けるような感触を覚えた。男の体は数秒間小刻みに痙攣した後、その動きを止めた。

 私はその血を吸う気になどなれなかった。床に転がった銀の小瓶を手に取り帽子をかぶり直すと、そのまま足早に聖堂を後にした。



 小屋の前にたどり着いた時には、中から激しい咳の音が聞こえていた。慌てて扉を開くと、暗がりの中で枕元を真っ赤に染めながら再び苦しそうに咳き込むフランの姿が目に入った。

「もう大丈夫よ、フラン。薬が手に入ったからね」

私はそう言ったが、発作に苦しむ彼女には私が帰ってきたことすら分からないようであった。小瓶の蓋を開き、粘りのある内容物を何とか全て飲み込ませたが、それでもフランの咳は収まる様子を見せなかった。

 確かに司祭が言ったように、あらゆる病にも効能のある妙薬も、与える時期が遅れてはその効能を発揮することは出来ないようであった。激しく血反吐を撒き散らし、呼吸をすることすらままならないフランは、いつその命の灯火が消えても不思議ではなかった。見えない病魔と必死に格闘する彼女に、私は何の手助けも出来はしなかった。

 妙薬という最後の手段が潰えてしまった以上、もうフランの命を助ける望みはなくなったかのように思えた。絶望と無力感に打ちひしがれようとする中、私の頭に最後の手段が浮かんだ。それは命を救う手段としてはあまりにも不確定であったが、もはや私にはそうする他ないと感じていた。



 もし伝承が確かなら、私が人間の血を吸って殺しきれば、その者は吸血鬼として新たな生を受けるはずであった。

 フランの命を助けるためとはいえ、彼女をも私のような憎まれるべき存在に変えてしまうことに抵抗が無いわけではなかった。しかし既に頼るべき両親をどちらも失ったフランにはもう、この冷たい人の世の中に居場所は無くなってしまっているように思えた。

 それにたとえフランが人間社会に必要とされずとも、私にだけは確実に、フランが必要であった。その実数十年の年齢の開きがあっても、数ヶ月の暮らしの中で、彼女は既にかけがえのない私の「妹」となっていた。私には唯一無二の、フランの代わりとなるものなどは考えられなかった。どんな手段を用いても、私は彼女を死なせたくはなかった。

 かつて一度試した時は失敗したが、よく考えればあの時の吸血量は少なく、血を啜った後も獲物はまだ生きていた。フランを完全に失血死させることができるのならば、望みはあるのかも知れないと考えた。

「フラン、許してちょうだい!」

私はそう言うと、激しく咳き込む彼女の首筋に牙を突き立てた。



 生温かい血液が私の口腔に流れ込んだ。その瞬間フランは激しい咳を止め、か細いうめき声を上げ始めた。美味であったのは最初のふた口までであった。もともと眠っている人間を起こさない程度にしか血液を必要としない私にとって、子供とはいえ人間一人分の血液は軽く十食分に相当するほどであった。

 多量の血液で私は何度も吐き気を催した。だが彼女の命を救いたい一心で、私は流れ出る温かい液体を飲み続けた。

 私は五分ほど紅血を吸い続けたように思えた。次第にその勢いは弱まり、遂に水圧は感じられなくなった。首から口を離すと、彼女の咳もうめき声も、そして呼吸すらも止まっていた。フランの髪は、血を吸う前と同じ、輝くような金髪のままであった。



 やはり伝承は伝承であったのか、人外の存在が仲間を作ろうなど思い上がりだったのか、私はそう思い、彼女をそっと血だらけのベッドに横たえ、その両手を組ませた。眠るように静かに目を閉じているフランの顔を見ているうちに、私の両目からは涙が溢れ始めた。彼女の胸の上に頭を載せ、私は声を出して泣き出した。

 だが私は慟哭のさなか、フランの胸の奥からゆっくりとした振動が起こるのを感じた。思わず私は頭をあげると、彼女の口がかすかに動いているのが見て取れた。思わず顔を近づけた瞬間、そのまぶたはゆっくりと開かれ、私と同じ、紅玉のような真っ赤な瞳がこちらを見つめた。寝覚めで意識が混濁しているのか、フランは私に初めて会った時のように、こう言った。

「あなた、誰?」



 私は彼女を強く抱きしめると、再び溢れ始めた涙で声を詰まらせながら、何とかこう言った。

「私はレミリア、あなたの姉よ」
「お姉様…?ここって一体どこなの?私、何でここに来たんだっけ。何だか色んなものが思い出せないわ」

荒療治の副作用か、それとも疫病の合併症か、フランは多少の記憶を喪失しているようであった。しかしそれは私にとっても彼女にとっても幸福であると言ってよかった。ここまでの経緯をフランに告げてしまうことは、あまりにも酷なことに思えた。

「もう、フランったら寝ぼけ過ぎよ。わざわざ遠くから、このアントワープに住む姉の私に会うために来たんでしょう?疲れてたのね、私の家に着いた途端にベッドに入ったかと思ったら、こんな時間まで寝てたんですもの」
「…そう言われれば私、この街に家族に会いに来た気がするわ。大きな街だったから見つからなかったらどうしようって思ってたんだけど、お姉様がちゃんと見つかってよかったわ。どうしたのお姉様?何で泣いてるの?」
「それは、実の妹に会ったからよ。家族と会って嬉しく思わないだなんて、そんなひとっているはず無いじゃない」
「でも、泣くほどのことかしら?お姉様って、不思議なひとね」

そう言ってフランはほほえんだ。彼女の口からは、鋭い八重歯が顔を覗かせていた。



 フランは寝台から身体を起こすとこう言った。

「お姉様、ところで私、何だかすごく喉が渇いたんだけど」

これまでの生活の癖で私は彼女に麦酒を与えようとした。だが先ほどの私の行為により、彼女の求めるものは単なる水分でなくなっていることを思い出した。

「そうね、そろそろいい時間だし、食事に行きましょう。外は雪も降ってるし寒いからちゃんと上着は着るのよ?」
「どうして?喉はすごく渇いてるけど、私お腹は空いてないわ」
「まあどっちにしても、フランの欲しいものはそこにあるわ。付いて来なさい、あなたに吸血鬼としての食事のやり方を教えてあげるわ」
「吸血鬼って何のこと…?まあそれは今はいいわ、早く私に何か飲ませてよ!」

私が人間を辞めた直後の時のように、フランもまた、理性が消え去りそうなほどの激しい血の渇きに襲われていた。

「分かったわ、でも慌てないの。じゃあ準備したら行くわよ」



 雪が積もろうと、この街の哀れむべき人間たちは路上以外にその居場所を持たなかった。雪の振り込まない路地裏に一人横たわる男を見つけると、私は冷静さを失いつつある彼女を落ち着けながら血液の飲み方を教えた。

「いい、フラン?いくら喉が渇いてても、数口飲めば満足できるわ、だからあまり飲み過ぎないことね。首のところを噛むと楽に飲めるけど、太い血管は避けたほうがいいわ、無駄に血が出てきちゃうからね。それと最後に大事なことだけど、人間はむやみに殺すもんじゃないわ。生かしておけば、再利用もできるからね」
「うん、分かったわお姉様、じゃあやってみる」

 だがフランが獲物の身体に口をつけた瞬間、激しい破裂音とともに、紅色の霧が私の目の前を覆い、男の身体は肉片となり四方八方に飛び散った。何が起こったのか全く状況の掴めないまま目にかかった血液を拭うと、目の前には全身を返り血で染めた笑顔のフランが立っているのが見えた。



 「お姉様!血ってこんなに美味しいものだったのね!こんなに素敵なもの、私これまで食べたことも飲んだこともなかったわ!これが吸血鬼なのね、すごいわ!」

私はあっけにとられたまま、彼女に調子の定まらない声で尋ねた。

「フラン、一体あなた、今何をどうしたの?」
「何って、これのこと?何だか私にもよくわからないけど、きゅっと力を入れたらこんなふうになっちゃったの。むやみに殺しちゃいけないって言われたばっかりなのに、ごめんなさい。でも見てよお姉様、人の体ってこんなふうになってたのね!これが肝臓ってやつで、これが胃かしら?生き物って凄いわね!」



 自分の底知れぬ力を用いた残酷な行為を全く問題とは思わず、無邪気に血の味や人体の構造に感動するフランに私は底知れぬ恐怖を覚えた。確かに吸血鬼として生きていくにおいて、餌食とする人間への罪悪感やためらいがないということは望ましいことなのかもしれなかった。

 だがそのことは同時に自己の能力を見境無く暴走させることにもつながりかねなかった。彼女の力は、私のものとは比べ物にならない事など、先ほどの光景から明白であった。もしフランがその力の使い道を誤ったならば、私にとっても彼女にとっても、そして人間たちにとっても最悪の結末に陥ってしまうことは十二分に考えられた。

 もしかすると私は取り返しの付かないことをしてしまったのではないかと考えた。私はこの世に、身の毛のよだつ悪魔のような存在を生み出してしまったのではないかと思えた。

 だがそうであるとしても、フランが私の唯一の妹であるということに変わりはなかった。いくらフランが恐ろしい能力を持っていても、その人格が不充分であっても、彼女を守り、正しく教え導くのが姉としての私の役割だと考えた。

 却って彼女の様々な「異常」さが、私にフランを一人になどさせない、という決意を再確認させたのかもしれない。

 私は何とか動揺する心を落ち着けると、笑顔を作って彼女に語りかけた。

「もう、今度からは注意しなさいよ。服も汚れちゃったし、換えちゃわないとね。…それと、しばらくはフランの分の食事も私が取りに行くようにするから、今日みたいに私に付いて来なくてもいいわ。しばらく寒い日も続くしね。わかった?」

私は少なくとも彼女に分別がつきその能力をしっかりと制御できるようになるまでは、人間狩りをさせないことに決めた。

 家に帰ると、私は寝台を地下の貯蔵庫へと移動させ、彼女になるべくそこから出ないように言った。フランには地下のほうが日光が入らず私達に都合がいいからと伝えたが、その実は出口の限られた地下のほうが彼女の管理がしやすく、万が一のことがあった時も対処がしやすいと考えたからであった。



 再び私は人間の生活からは引き離された。もう煩わしい太陽とともに起きる必要も、わざわざ日傘を使ってまで日中の雑踏へと向かう必要も、消耗品のために金属の丸い小板を持ち運ぶ必要もなくなった。日没の頃に起き、時折血液を調達しに行っては、日の出前後に眠る、人外のものらしい生活を私は再び送るようになった。

 ただこれまでの生活とは違ったところは、フランという吸血鬼の同胞がその生活に加わったことであった。話し相手がいると言うただそれだけで、その生活はかつての孤独なものよりも何倍も素晴らしいものであった。

 だがそのフランは相変わらず、言葉や知識は私との会話によって増やされていっても、精神的な成長を遂げていないように思えた。特にどんなお伽話や喩え話を用いても、道徳や倫理といった方面については、どだい私の望む「常識的」な思考に至ることは出来ないようであった。

 吸血鬼となった時点で肉体はその成長を止めてしまうが、もしかすると魂もその影響を受けてしまうものなのであろうかと私は考えた。それとも、これはあくまで彼女の、よく言えば「個性」というものであったのだろうか。

 フランが吸血鬼となった時に授かった背中の翼は、その個性を象徴しているように思えた。私のこうもりのような羽とは似ても似つかない、様々な色の宝石を吊り下げたような形の彼女のいびつな羽根は、生物の器官としてはあまりにも道理から外れていた。



 私達がそのような生活を送っている間に、人間たちの世界は大きく動き始めていた。

 この街はさらなる繁栄を続けていたが、その中でどうやら道徳の乱れや金銭によって堕落した教会組織に異議を申し立てる者達が現れたようであった。彼らは急速に支持を集め拡大すると、異端という烙印を物ともせずに新たな宗派を複数作り出したようであった。「抗議者」や「乞食」などと呼ばれたその様々な教えはこの街にも驚くべき早さで浸透した。

 人間たちは自分たちと違った存在に対しては、驚くほど拒絶反応を示した。私達のような魔物を排除しようとするように、彼らは新たな宗派を消え去らせようとした。だが新たな信徒たちの抵抗は激しく、遂にはその宗派論争から戦乱へと発展したようであった。

 暮れ方の街の噂や路傍の掲示などで私はこのような情報を知った。祖国で異端と呼ばれていた宗派の中にまた異端を作り出し、そして戦乱の種にするなど、馬鹿らしいにもほどがあった。

 私は軽い笑いを漏らすと、かつての主君、ヴラド公のことを思い出した。異教徒と戦うために宗派の垣根を超えて手を取り合おうとしつつも叶わなかった彼がもし、キリスト教のこの惨状を見たならばどう思うのかと考えると、再び乾いた笑いが出た。



 だがその戦火は次第に対岸の火事ではなくなっていった。宗教対立の火花は次第にこのアントウェルペンにも近づいて来ていた。街の空気も張り詰めたものになってゆき、多くの武装した兵士たちが市内を練り歩くようになっていった。

 もし戦火がこの街に及べば、その混乱の中でフランを管理することは難しくなってしまうだろうということは容易に想像ができた。私の保護が行き届かず、彼女が不用意にその能力を暴走させてしまうことはどうしても避けたかった。

 どうやら戦乱を逃れるために、私は再び住処を移さねばならぬようであった。

第三部へ
年内に完成させたいとか言っておきながら、遅筆と私事とスケジュール調整ミスにより、こんなことになってしまいました。
第三部こそ可及的速やかに完成させたいです。
前作は改行が少ないという声がありましたので、改行を増やして読みやすくしたつもりです。
めと
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コメント



0.360簡易評価
1.100名前が無い程度の能力削除
Good
2.100名前が無い程度の能力削除
待ってました!
魅力的な語り部と展開にすっかり惹きこまれて、wktkが止まりません。
正座して続きをお待ちしております。
3.100名前が無い程度の能力削除
素晴らしい
4.100名前が無い程度の能力削除
わくわくした
5.100名前が無い程度の能力削除
続きを心からおまちしております
10.100名前が無い程度の能力削除
はやく執筆にかかるんだ!
11.100愚迂多良童子削除
これから紅魔館だ出来上がるに当たって、他のキャラたちとは如何様な邂逅がなされるのか、そこが気になる。

>>だ金貨一枚というものがそこまで価値があるものであったと知ったのは
だが
>>あの女が早死にした聞いたときには
したと聞いた
12.100名前が無い程度の能力削除
とても面白かったです
続きも楽しみに待ってます。
13.100非現実世界に棲む者削除
時代背景がよく表れていて、レミリアとフランの人生が容易に想像できます。
さあ、朝になったら読み始めよう。
幼き吸血鬼姉妹が行き着くミゼラブルフェイトの先端を。
15.100名前が無い程度の能力削除
お話がトントン拍子に進んで行っててその話の流れに目が離せませんでした!今から第三部を読むのが楽しみで仕方ありません!
18.90名前が無い程度の能力削除
面白かったですけど間違って簡易の10点押しちゃったので罪滅ぼしに…もう昔の作品を見てないかもしれませんが…