Coolier - 新生・東方創想話

烏の鳴かぬ日はあれど

2013/01/18 22:50:32
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 春眠暁を覚えずという言葉があるが、それはここ幻想郷においても変わりない。
 適度に整頓された部屋に小さなベルが響く。布団の傍らに置かれた目覚まし時計から発せられるそれは、部屋の主を覚醒へと導く。
 ツギハギだらけの布団から女性のものらしき細い腕が伸びる。傍らに置いてある目覚まし時計のアラームを手探りで消すと、彼女は再び布団の中に潜り込みまどろみの中へ―――。

 じりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりい!

 先ほどとは比べ物にならないけたたましい騒音。たまらず彼女は跳び起きると、その騒音の元である目覚まし時計をベシベシと叩く。
 音を止めるボタンを操作しても十秒ほど騒音は止まらず、その時にはすでに二度寝、ではなく三度寝する気など起きなくなっていた。
「ふやあぁ~~~~」
 彼女――射命丸文は一つ大あくびをかました後、自分の安らぎを奪ったそれをを憎々しげに見つめ、とりあえずベッドに放り投げた。にとり工房印の目覚まし時計は、先ほどの手荒い扱いに関わらずカチカチと時を刻み続けていた。

 射命丸文の朝は早い。幻想郷の人々が起きる日の出前くらいに起きると、まずは手早く朝食を済ませる。
彼女ら天狗に最近流行しているパンというものは、保存にも適し手軽に摂れるので彼女自身も気に入っている。後は昨日の残り物を適当にかきこみ、更に残ったものはパンにはさんで昼食用にバッグへと入れる。
歯を磨き、いつもの服に着替え、身だしなみを整える。彼女自身記者は見た目が第一だと思っているため、これには毎日気を使っている。
ある程度満足する出来になったら、家を出て近くにある専用の印刷所に向かう。家と連結してもよかったが、音がうるさすぎるのでわざと離れた場所に置いたのだ。
因みにこれも彼女の友人である河童に作ってもらった物だが、この騒音について何とかしてほしいと彼女が言ったところ、
「え? この音が良いんじゃん。唸る機械音。回るタービン。これがわからないんじゃあまだまだだね、文は」
 などといって取り合ってもらえなかった。もっと新聞が売れればそれを口実に作り直すこともできるのだが、今のところ売れる兆候はなし。
「……大手なら人手もお金もあるし、もっと恵まれてるんですかねぇ」
 ため息交じりに呟いても現状が変わるわけでもなし。彼女は頬をペシペシと叩いて気合を入れると、今日配る分の新聞を袋に詰めていった。
 一通り詰め終わると、次に彼女は家の隣の止まり木に向かう。そこには唯一彼女の手伝いをしてくれる烏――名前はカー助。メス――がいるはずであった。
「あや?」
 しかしどういうことか、いつもならまだ枝にとまりながら寝ているはずのカー助がいない。念のため木に登ったり、家の中もくまなく調べたが影も形もない。
「……朝食でも摂ってるんでしょうかね?」
 しかしそれにしても彼女がいつも適当にあげているはず。こんなことは今まで一度もなかっただけに、彼女は不安というより不信感を抱いた。
「どこかで道草でも食っているんでしょう。全く!」
 何気に上手いことを言ったな、などと思いつつ自慢の飛翔術で空へと飛び上がる。
 そうこうしてても時間は待ってはくれない。今日も新聞を待っている(はず)の読者の元へ彼女は急いだ。

 朝焼けの赤から徐々に青へと変わっていく幻想郷の空。彼女はこの中を切るように飛ぶのが好きだ。清廉な朝の空気は自分自身も清らかなものにしてくれるような気がするし、まるでお日様が自分を追って上っていくようで心地いい。
 彼女はまず近場の天狗仲間に新聞を配り終えると、山をまるで滑るように下りていく。麓にある神社の賽銭箱に新聞をぶちこむと次は人里である。
 彼女の新聞は意外に人間に人気がある。というか他の天狗はあまり山の外に新聞は配らないことが多いため、彼女の新聞が人間の目に留まる機会が増えるというわけだ。
人間は妖怪と違って時事に興味がある輩が多い。自分さえ良ければ良いという妖怪とは違い、人間にとって、特に妖怪絡みのニュースは彼らの生活に大きく影響する。なので主に妖怪絡みのニュースをお届けする文々。新聞は貴重な情報源として重宝されているようだ。
そうして配り続ける中には、顔見知りの者も出てくる。今日も庭で元気よく体操しているその人物に、文は負けないくらい元気よく声をかけた。
「おはようございます! 清く正しい射命丸です!」
「ああ、おはよう。今日も早いな」
「幻想郷最速ですから。慧音先生こそお早いですよ~」
 彼女の名前は上白沢慧音。人間と妖怪のハーフという珍しい人種だが、寺子屋の先生もしており、里の者からはかなり慕われている。文としても自分の新聞をいち早く定期購読してくれたお得意様なので、これまたかなり頭が上がらない人物ではある。
「貴方も定期になってから大変だな。前は不定期だったのに」
「いえいえ、それほどでも。…と、はい。今日の分です」
「ありがとう。ふむ…」
 慧音が新聞を読むのをずっと見ているのもアレなので、次の配達先に行こうとした矢先、
「あ。ちょっと待ってくれ」
 不意に慧音が文を呼びとめた。文は何か失礼でもあったかな、確かに今日の記事は時間がなくて適当に仕上げたものだったからイマイチだったかもな~、などと思っていると、
「若干……こう、何かが足りないというか……ううむ」
 ジロジロとこちらを眺める慧音に文ははたと手を打った。
「あ、もしかして事件ですか? もしそうなら詳しくお聞きしたいんですが」
「いや、別にそうではないんだが」
 ううむ、と考え込む慧音。しかしはっと気づいたように顔を上げると、ビシッと文を指さし言った。
「わかった。今日は黒さが足りない」
「……いえ、あの。平年並みだと思いますが」
「そうか? でもそれにしては……」
 再び考え込む慧音。こうなると長いことを文は経験的に知っていたため、慌てて空へと舞い上がる。
「事件ではないなら配達がまだ残っているのでもう行きますね。それでは!」
 そう言うと文は来た時と同じように颯爽と飛び去る。慧音はそんな彼女を見送りながらもまだ足りない足りないと呪文のように繰り返していた。

 人里の分を配り終えた文は、次に魔法の森へと訪れていた。この森は広く、また独特の瘴気のせいで近寄るものはあまりいないが、この辺鄙な場所に居を構える変わり者も存在する。そしてその中の一人が新聞の購読者なのだ。
 文は森の中にひっそりと佇む白い家の前に降り立つと、いつものように窓をコンコンと叩いた。
「おはようございまーす! 清く正しい文々。新聞ですよ!」
 中にいる居住者に聞こえるよう大声で呼びかけると、誰もいないのにカーテンがひとりでに引かれ、家の主が姿をあらわした。彼女は今度は窓を自分で開け、眠い目をこすりながら文をねめつける。
「はいはい。朝早くから天狗が何の御用?」
「新聞です!」
「たしか新聞はもういいって言わなかったかしら。意外に楽しいものじゃないし」
「聞いてません!」
「……まあいいわ。少し待って」
 ため息交じりにそう言って彼女が振りかえると、家のそこかしこに置いてあったひとりでに人形が動き出した。
「さあみんな、朝よ。支度なさい」
 彼女がそう言ってパンパンと手を叩くと、人形たちはパラパラと散って、ある者は掃除、ある者は朝食の支度を始めだした。
 驚くべきことだがこれらはすべて目の前の少女がやっている、いややらせていることなのだ。
「相変わらず便利ですね、アリスさんのお人形」
「そうでもないわ。あらかじめ入力した動作をさせているだけだし、こんな単純な動作をさせるだけなのに大分かかったもの」
 まだまだね、とこの家の主アリス・マーガトロイドは呟いた。そうこうしてるうちに朝食の用意ができたのか、一体の人形がアリスの袖を引く。アリスは彼女を優しくなでると文の方を振り返った。
「用意ができたみたい。貴方も食べていく?」
「いえ、私はもう食べてきたので。それにまだ配達が残ってますし」
「そう。そういえば今日はいないのね」
 何気ないアリスの言葉に諮問を抱いたが、その時にはすでにアリスはこちらに興味を失ったのか背を向けていたので、とりあえずこの場は聞かないことにしておいた。
「それじゃこれからもよろしくお願いしまーす!」
そう言って飛び上がると別の場所に向かって一気に飛び去る。残るものはつむじ風くらいなものだが、森の人形使いは舞い上がる風の中にほのかに温かさを感じ取っていた。

 幻想郷中を飛び回り一通り配り終えると、文は最後にある場所へと向かっていた。最後の購読者がいる場所だ。
 そこは入ろうと思って入れる場所ではなく、入りたくもない時に立ち入ってしまうようなところで、入ってしまったら最後出ることは不可能と言われている。人はそこをマヨヒガと呼ぶ。
 そこがどうやって入ってくるものを選ぶのかは知らないが、どうやらそこの主の力でそうなっているらしい。文はその主の許可を得ているからその場所に入っていけるというわけだ。
しかしもし機嫌を損ねるようなことがあれば、逆に無事に出られるかわからない。なので文はそこに行く時いつも緊張している。
そうこうしているうちに目的の屋敷が見えてきた。どうやら今は朝食時らしい。焼き魚の香ばしい匂いが漂ってきた。
文は屋敷の庭に、彼女にしては静かに降り立つと、居間でご飯を食べている一家に呼びかける。
「おはようございまーす!」
「あ! 新聞屋さん! おはよー!」
 三人の内、猫耳の少女が真っ先にこちらに気付いて挨拶を返してきた。その両隣の女性も続いてこちらの方を向く。
「あら、おはようパパラッチさん」
 そう言ってあやしく微笑んだのがこの屋敷の主、八雲紫である。彼女は本来なら新聞など要らない情報網を持っているはずなのだが、何故か文の新聞を気に入っている。しかし態度や言動がいちいち思わせぶりなため、文としては苦手な部類に入る。
 文が愛想笑いを浮かべていると、素早く猫耳の少女が近づいてきて鞄から新聞を抜き取っていった。その場でくるんと回ると、少女は花咲くような笑顔を文へと向ける。
「新聞ありがとう! 新聞屋さん!」
「こら、橙! お行儀悪いよ!」
「あ! ごめんなさい藍さま……」
 橙と呼ばれた猫耳の少女を狐耳の女性、藍がたしなめるが、そこに紫がまあまあと割って入る。
「それくらい別にいいでしょうよ。それに貴方も昔はねぇ…」
「む、昔の話はいいでしょう。ほら。橙もご飯冷えちゃうよ」
「はーい」
 そうして食事が再開されるが、紫だけはまだ文の方をじっと見続けていたままだった。
「………」
「………」
「………あの、なにか?」
「ああ、ごく些細なことなんだけどね」
 そう言って紫は唇の端を歪ませると、首を傾げて文へと尋ねた。
「貴方の道具、どうしたの?」

「道具、ってなんのことです?」
「道具は道具よ。貴方がいつもつけてるやつ」
 朝食後、居間に招かれた文は紫と対面していた。
今日は会う人皆が自分に向かって何か疑問を持っているらしく、もしかしたらこれはいよいよネタになるんではないかと思い取材してみたのだ。
「私がつけてる……?」
「ほら。あのいつもカーだのなんだの五月蠅い鳥」
「ああ、カー助のことですか」
 そこで得心いった。確かに文は新聞を配達するときや取材中ほとんど彼女を連れている。幻想郷中の人々は皆それを見慣れているからこそ、今日に限って何か足りないなどと言ってきていたのだ。それを聞いて文は一気に脱力した。
「なんだ~~。もっとすごいことかと思ったのに……」
「もっとすごいことって、例えば?」
「私がいきなり幻想郷一の美女になっているとか」
「ほう」
「神様もびっくりの神徳を得ているとか」
「ほうほう」
「鼻毛が一本だけとび出てるとか」
「いきなりミニマムな話になったわね」
「しかもリボン結びしてあります」
「前衛的なファッションね」
「まあそれくらい大事件が起こったと思ったのです」
 まあ皆口をそろえて足りない足りない言うからおかしいとは思ったが、こんなどうでもいいこととは。
「皆さん変なところ見てるんですねぇ。別に烏の一羽や二羽……」
「そうかしら?」
 不意の反論に首を傾げる文。紫は彼女を愉快そうに見つめると、静かに口を開く。
「貴方、あの鳥をどう思っているの?」
「どうって、只の道具ですけど」
「道具。そう、道具」
 そう言って紫が目を伏せると、彼女の背後の空間が突如開き、そこから肘かけが飛び出した。彼女はそれに肘を乗せると文に尋ねる。
「貴方、道具とはどういうものを指すのか分かる?」
「ええと、使ったりなんだりするものでしょう?」
「そうね。分かりやすく言えば『自分にとって役立つもの』を道具というのよ。中には役立たないものもあるけど、別の使い方をすれば役立つものだってあるわ。なんにせよ、道具とは役に立つために存在するの」
 さあここで質問、と彼女はこれまたどこからか取りだした扇子で手をポンと叩く。
「藍や橙は私にとってなんでしょう?」
「ええっと、確かお二人は貴方の式神でしたよね」
「そうよ。言うなればあの子たちは私の道具。在ると便利だからいるのよ」
「………そうですか?」
 そう言って文が見つめる先には縁側で丸くなる橙の姿が。彼女を笑顔で見つめながら、紫は勿論と言葉を返す。
「和むでしょう?」
「……まあ、そうですね」
「道具の用途はものそれぞれ。そしてそれは使い手によって異なる場合もございますわ」
「はあ」
 生返事を返す文に、紫は扇子を広げながら呟く。
「そして道具は使う者のカタチを決める物差しでもある」
「……つまり、カー助のいない私は不完全だと?」
 知らず声が低くなってしまった文に紫がふふっと愉快そうに笑う。
「そうは言わないわ。けれど道具とは役立つためにある。だからもしあの鳥が自分からいなくなったんだとしたら、あれは自分を役立たせてくれるもののところに行ったのかもねぇ」
「………っ」
 朝カー助がいつもの場所にいなかった。それはたまたまの事だと思っていたが本当にそうか?
 カー助はああ見えて用心深く、烏としても賢い部類だ。餌だって自分で見つけられる。死んだとは思えない。そして烏を連れ去って喜ぶものがいるとも考えづらい。
(だとすると……)
 自分で出ていったのだ。自分の意思で。
 どうしてという言葉が頭の中をこだまする。昨日だっていつもとなんの変りもなかったのに。突然どうして。
 その時不意に暗くなったので顔を上げると、紫が変わらぬ笑顔で扇子をこちらにかざしていた。
「貴方、道具の扱い方を心得ていないようですわね」
 そして空いた手で指をパチンと鳴らすと、傍らに藍が音もなく現れる。
「貴方に道具の躾け方を教えましょう」
 そして腕をブンと振って扇子を藍のおでこにビシッと叩きつけた。
「ゆ、紫さま! いきなり何を?!」
「おだまりなさい。貴方、またお味噌汁濃くしたでしょ」
 ビシビシと連続で叩きつけられる扇子。狐妖怪は身じろぎすることも許されずされるがまま。
「だ、だって橙が濃い方が好きだって」
「貴方の主は私でしょう。だったら橙の方を私の舌に合わせなさい。私の方がグルメなんだから」
「強制は良くないですよ~」
「だまらっしゃい! うしゃしゃい!」
 紫の叫びとともに扇子の叩きつけのスピードが上がり、ついに藍がひっくり返った。紫はそれでも許さじと扇子をお見舞いし続ける。
「も、申し訳ありません! 次からは改善します~~!」
 藍が音を上げたところで紫もようやく扇子を振り下ろす手を止めた。そしてさわやかな笑顔で文の方を振り向く。
「と、このように道具は叩けば叩くほど良くなっていくものなの。参考になさい」
 笑顔が怖すぎて頷くことしかできなかったが、とりあえず明確に言えることは、扇子はそのように使うものではないということだ。

 道具とは一体何なのか。そんなことを考えながら風に任せて飛んでいると、眼下の人里に見知った顔を見つけた。
 魔法の森の人形使い、アリスだ。そう言えば彼女がたまに人里で人形劇をしているという話を聞いたことがある。
 次の新聞のネタとしてもいいかもしれないと思い、彼女の前へピューッと飛んでいく。途中で彼女もこちらに気付いたのか目が合った。
「こんにちは! 奇遇ですねー」
「……貴方、恥ずかしくないの?」
 何故か顔をしかめるアリスを不思議に思ったが、文は彼女の目の前に着地すると早速ネタ帳を広げた。そして目をキラキラさせながら彼女へと迫る。
「何ですか? 何かありました?」
「……確かにあったわね。白くて三角の何かが」
「?」
 文が首を傾げると、アリスは苛立たしげに頭を抱えてこちらをジトリと睨んだ。
「パンツよパンツ。こんな街中でおっぴろげて、もう」
「ええ! そんな。アリスさんのエッチィ♡」
 文がイヤンとスカートを押さえると、逆にアリスの眉尻がぴくぴくと上がった。
「恥ずかしいのはこっちよ。少しは隠すとかなんとかしなさいよ」
「いやいやアリスさん。そこは逆転の発想ですよ」
「……逆?」
「パンツじゃないから」
 瞬間的に空気が凍りつく。そしてそれが徐々に溶解すると、アリスの顔がますます険しくなった。
「…はあ?」
「パンツじゃないから恥ずかしくないもん」
「いや恥ずかしいでしょ常識的に考えて」
「これはパンツじゃありません。新聞記者としてのユニフォームという名のパンツです」
「結局パンツじゃない!」
 思わず大声を出してしまったアリスだったが、ここが人里だということを思い出して口を手で覆う。しかし時すでに遅し、周りの人々はアリスたちに好奇の視線を浴びせていた(特に男が)。アリスの顔がみるみる朱に染まっていく。
「こ、ここは離れた方がよさそうね」
「いいですね。じゃあ最近人里に出来たらしい「かふぇ」とやらに行ってみませんか。人気だそうですよ」
「もうなんでもいいから行きましょう!」
 そう言って耳まで真っ赤に染めたアリスは、文の手を引いて通りをズンズン進んでいくのだった。彼女らへの視線が消え去るまで。

「へえー。それじゃ週一くらいで人里に人形劇をしにくると」
「そうよ。今日はただの買出しだけど」
 人気の「かふぇ」に着いた彼女らは、たまたまひとつだけ空いていたテーブルに腰を下ろしていた。
 紅茶と軽食を適当に頼むと、文は先ほどから気になっている人形劇のことを早速聞き出しはじめた。
「どうして人形劇なんてやってるんですか?」
「どうして?」
「はい。なんだか魔法使いっぽくありませんよ」
 その言葉に彼女はそうねと呟くと、しばし逡巡したように窓の方を見ながら言った。
「ひとつは成果発表ってところね。私の人形がどのくらい自然に動けているかっていう。客観的な目線も必要だから」
 ただ、と彼女は付け加えた。
「それだけじゃない。上手く言えないけど、劇を見てくれた子供が喜んでくれたのよ」
「はあ……」
「喜んでくれて、可愛いって言ってくれたの。……私の人形を」
 アリスが頬を薄く染めながら小さく呟く。
 子供には邪気がない。その感情表現は限りなくストレートだ。だから受け取る側も素直に感情を表すことができる。
「……分かる気がします」
「え?」
「あ、ええと、私の新聞も読者の笑顔に支えられてますから」
 あははと文が慌てたように言うと、そこでようやくアリスもくすくすと笑った。元が美人なだけに笑うととても絵になる。
 思わず写真を撮りそうになったが、とりあえずここは抑えて別の質問をすることにした。
「アリスさんにとって人形ってなんですか?」
「またいきなりな質問ね」
「そうでもないです。さっきの質問の延長線上ですよ」
 ふむ、と考え込むアリス。彼女はしばらく窓の外をどこともなく眺めていたが、
「……そうね。子供、に近いんじゃないかしら」
 そう言って目を細める彼女の視線の先には、親子連れが手をつないで歩いていた。
「自分の子供、ですか」
「そうね。分身。アバター。言い方は色々あるけれども」
「……でも道具、ですよね」
 文自身どうしてこの台詞を発したのか分からなかった。もしかしたら先刻紫に言われたことが残っていたのかもしれない。
 無意識のうちに道具とは何か、という答えを求めていた。
 突然の言葉にアリスは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに顔を和らげ自分のトートバッグを開けた。すると中から一体の可愛らしい人形がぴょこりと飛び出し、文の前でペコリと会釈する。
「確かにこの子たちは道具だわ。私が作った、私のための人形」
 彼女は人形を優しげな目で見つめながら、でもね、と続ける。
「道具に愛が要らないなどと、誰が言ったかしら」
「………っ」
「道具とは持ち主を写す鏡。言うなればそれはひとつの人格。他人を愛することと道具を愛することは同列なのよ」
 ちょっとこれは言い過ぎかもね、と彼女は恥ずかしげに呟いた。
(……なんとなく、分かる気がする)
 いつも使っているこのカメラだってそうだ。最初はしっくりいかなかったグリップも、使い続けていくうちに慣れていった。そして慣れていくうちに愛着が湧き、メンテナンスも欠かさぬようになった。
 これはまるで人間関係と一緒だ。愛情をもって接しなければ、それは朽ちていくだけ。そしてそれらが自分を構築するというのなら、道具に愛を持たぬ人は―――

 ―――寂しい。

「だからって別に私がナルシストってわけじゃないわよ。昔の偉い人が言ってたけど、汝の隣人を愛せっていう――」
 恥ずかしさを紛らわすためか、矢継ぎ早に話すアリスの前で文が突然席から立ち上がった。
「な、なに?」
「すいませんアリスさん。私急用を思い出したのでこれで失礼します」
 アリスはしばし呆然としていたが、すぐに何かを察したのか微笑を浮かべた。
「……メンテは欠かさずにね」
「お互いに。それでは!」
 突風の様に店を出ていく文。その様子に苦笑しながら、アリスはやれやれと溜息を吐いた。
「ここの払い、貸しにしておくわよ」

 幻想郷の空を疾風の如く疾る。あてどもなく飛ぶ文の脳裏にはいつも連れている烏の姿があった。
(カー助…)
 眼下をキョロキョロと見まわし、どんなものでも見逃すまいと目をすがめる。
(カー助……)
 昼下がりの空には幾多の烏が飛んでいる。しかし彼らの中に彼女の姿はない。
(カー助……っ!)
始まりは些細なことだった。巣立ちに失敗した小鳥。ほんの気まぐれで拾い手当てしたそれが、取材の折についてきたのが最初だった。
 以来晴れの日も雨の日も、いつも一緒に取材し、配達し、落ち行く夕日を見た。
 道具が自分を形作るものならば、今の自分が在るのは紛れもなく彼女がいたからなのだ。
 だから、彼女は叫ぶ。
「カー助ええぇぇーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」
 はあはあと息を切らせ、飛翔を止める。しかし返事はこない。
 どこへ、と目尻をにじませた文の脳裏に不意に閃くものがあった。彼女はその閃きを信じ、一気に山へと向かった。

 昼だというのに窓もカーテンも閉め切った暗い部屋。適当に物が散乱するその中で、部屋の主である姫海堂はたては、卓上ライトがぼんやり照らす机でカリカリとペンを走らせていた。
「姫……姫百合新聞……違うな。もっと、こう、イマドキ感を……」
 何やら広げた紙に名前を書いては消していく。その表情は病人にも似た何かを感じさせたが、当の本人は気にならないのかブツブツと何か呟いてはそれを書き連ねていく。
 しかし不意にはたての腹がぐぅと音を立てた。そういえばここ24時間くらい何か食べた記憶がない。
「……なんか食べるか」
 はたては座ったままの姿勢で近くの収納棚から保存用の乾パンをガサガサと取り出した。若干わびしい気もするが、料理もできないし外に出る気もしないのでしょうがない。
「いただき―――」
「はたてえぇーーーーー!」
 突然の叫び声と同時に部屋のドアが吹き飛んだ。そして吹き飛んだ先にいたはたては、ドアの抱擁をまともに浴び、首からゴキリという聞いてはいけない音を響かせながら派手に倒れこんだ。
「はたて! いるの?!」
 慌てた様子で入ってきた文は真っ先に倒れこんだはたてを見つけた。そして周りの状況から大体のことを察すると、手慣れた手つきではたての部屋を物色し始める。
「ってあんた! 一体何すんのよ!」
「あ。生きてたんですか。ご愁傷様です」
 ガバッと起き上がるはたてを見ながら悪びれる様子もなく物色を続ける文。
「何してんのよって言ってんの! 人の部屋荒さないで!」
「もともと散らかり放題だったでしょう。リフォームだと思えば」
「腐った匠はいらん!」
 はたては文の腕を掴み押さえつけようとするが、当の文はなんのこともないように部屋のものをポイポイと放り投げていく。
「ひ弱ですねぇ。ちゃんとご飯食べてますか?」
「余計なお世話よ! というかもうやめてよ! ひょっとして探し物!?」
 探し物、という言葉にピクリと反応する文。彼女はひとつ頷くとはたてをピッと指さした。
「正解です。この前見せてもらったた『携帯型カメラ』というのを探してるんですよ」
「ええ? なんで?」
「理由は別にいいでしょう。いいから出しなさい」
 文の有無を言わせぬ圧迫感に気圧されたのか、はたてはブツブツと文句を言いながらもポケットから携帯電話のようなものを取り出し、文へと手渡す。
「いい? 貸すだけだからね。というかこの前作ってもらったばかりなんだから」
 はたての言葉が終らぬうちからピッピッとカメラをいじりだす文。しかしすぐにその顔が曇る。
「何も表示されないじゃないですか。故障ですか?」
「違うわよ。このカメラは私の念写能力があって初めて機能するの」
「じゃあやってください!」
 そう言ってカメラをつっ返す文の顔にはいつものふざけた様子は見当たらない。その真剣な表情を受けて、はたても渋々ながらカメラを操作しだす。
「で? 何を写せばいいの?」
「『カー助 場所』でお願いします」
「かあすけ…? 誰それ?」
「いいから早く!」
 文のあまりの剣幕に驚いたのか、おとなしくカメラを操作するはたて。カメラはやがていくつかの画像を表示しだした。
「飛んでる……。ひょっとしてカー助って烏?」
「あ! これ!」
 その中で文は気になるものを指さした。その画像には古びた神社が写しだされている。
「博麗神社!」
 理由は分からないが、カー助は今現在そこにいるらしい。文は踵を返すと部屋の外へと飛び出した。
「ちょっと待ってよ! このカー助ってのがいったい……」
「気になるなら追ってきなさい! 追ってこられればですが!」
 そう言うと文は一気に空へと飛翔する。はたてはその姿をしばし呆然と見送っていたが、徐々にその顔に怒りを浮かべていく。
「なによ。ひきこもりだと思って……!」
 そして一度ブルンと首を振ると、思い切ったように空へと飛び立った。

 現実と幻想の境にある場所、博麗神社。宴の際には様々な人妖が集まるこの場所も、普段は誰も寄り付かないため、今は静けさが漂っている。
 その寂れた境内を掃除する影がひとつ。この博麗神社で生活する巫女、博麗霊夢である。彼女はふわぁと欠伸ひとつ吐くと、やる気なさげに箒を振る。
 表情にもやる気が見えない彼女の顔が、不意にピクリと動いた。彼女が視線を空へと向けると、その方向から人影がこちらに向かってすごいスピードで向かってきていた。
 はじめは彼女の幼友達がいつものようにやってきたのかと思ったが、どうやら違うらしい。箒にまたがらぬその影は、霊夢の前に土煙を上げながら降り立った。
 霊夢は彼女を見ながら、記憶を探るように目をつむる。
「えーっと、たしか……」
「文です。射命丸文」
「たしかそれね。どうでもいいけど」
 霊夢はうんうんと頷くと、それでというように文に視線を向ける。
「どうかしたの? 急いでたみたいだけど」
「いえ、大したことではないのですが……」
「まあ実は用があったのはこっちの方だけどね」
 霊夢はひとり言のように呟くと社屋の中に入り、ゴソゴソとなにやら取り出してきた。その手には―――。
「―――カー助!?」
「やっぱりあんたの?」
 文は反射的に手を伸ばすが、霊夢はひょいとそれをかわす。
「れ、霊夢さん?」
「この烏ね。朝から私のことをジロジロ観察してたのよ」
 そう言ってボールのようにカー助を腕の中で転がす霊夢。
「ときどきなんかあやしい動きもしてるし、ついでだから退治しといたわ」
 言うとポンと文の方へカー助を放る。文は慌てて彼女をキャッチすると、静かにその身体を抱きしめた。呼吸もしているし、幸い命に別状はないらしい。
 ほっとする文に霊夢が静かに語りかける。その目には明らかにこちらに対する敵意が感じられた。
「それで本題なんだけど」
「……なんですか?」
「ペットの不始末は飼い主の責任よね?」
 そう言って霊夢は袖から無造作に払い串を取り出す。思わず身構える文の後ろから能天気な声が響いた。
「おーい、文ーー!」
 ちょうどよく来たはたての方を向くと、文はそっとカー助とカメラを彼女に差しだした。
「持ってて」
「へ?」
「いいから持ってて下さい」
 状況がよく分かってないはたてにカー助を手渡すと、文はポケットから芭蕉扇を取り出し霊夢へと向き直った。
「お待たせしました」
「責任の持ち方は分かってるようね」
「ええ。双方文句なく決着のつく方法……」
 どちらともなく笑うと、同時に空へ飛び上がった。
「「弾幕ごっこ!」」

 どうやったら勝てるか、と射命丸文は考える。
 目の前のこの巫女はこう見えて数々の異変を解決してきた弾幕戦のエキスパートである。一方自分はスペルカードをこの前作ったばかりの新米。キャリアの差は明らかだ。
 だからこそ―――。
「疾風「風神少女」!」
 文の芭蕉扇から強烈な風が吹き荒れる。軌道を変えた4つの竜巻は囲い込むように霊夢へと襲いかかる。
「先手必勝です!」
「なるほど。悪くないわ」
 自分よりも強いものと相対する場合、萎縮して出し惜しみするだけではジリ貧になるだけだ。ならば自ら活路を開くのが勝利への第一歩。
 ただしそれは相手が霊夢でなければの話。
彼女は風を避けようとせずそのまま突っ込んできた。そして袖から取り出した陰陽模様の玉を風に向かって投げつける。
「宝具「陰陽鬼神玉」」
 瞬時に両手で抱えるほどの大きさに巨大化したそれは、正面から竜巻にぶち当たりそのまま突き抜ける。その程度で消える竜巻ではないが、
「『道』は出来たわね」
 風が雲散霧消して出来た隙間。その間を縫って霊夢が飛ぶ。彼女が通り抜けた後、4つの竜巻はぶつかり合って消え去った。
 そして霊夢は文の方を払い串で指すと、陰陽玉は文へ向かって突っ込んできた。文は反射的に逆方向へ逃げようとするが、
「―――っ痛!」
 その腕に細い針が深々と突き刺さっていた。思わず腕を押さえ、動きを止める文。しかしその眼前に陰陽玉が迫っていた。
「しまっ―――!」
 ゴッという鈍い音が響く。
 正面から玉を受けた文はそのままの勢いで墜落し、地面へと叩きつけられた。悲鳴も上げられない痛撃に文の全身が痺れる。
 ―――だが、
「……まだやるの?」
「はい!」
 文はすぐさま立ち上がると、再び飛翔した。そして呼吸を整えると改めて霊夢と向き合う。
(……強い)
 ある程度は分かっていたことだが、やはり強い。
防御と攻撃両方を兼ねた陰陽玉での一撃。そしてこちらの動きを見越した投針といい、動きに一切無駄がない。普段の自分なら真っ先に逃げるタイプだ。
でも、と文はちらりとはたての方を見る。その腕に抱えられた小さな存在を。そして強がるようにニヤリと笑う。
「今日は負けられないんですよ!」
 文の身体が加速する。人間の目では捉えきれぬほど早く。
「「幻想風靡」!」
 弾幕のテクニックでは巫女には太刀打ちできない。ならばスピードならばどうか。天狗一を自称する自分のスピードならたとえ霊夢だろうとついてこれまい。
 と、文は思っていた。
「消えた?!」
 突然霊夢の姿が掻き消えた。影も形もない。しかしそちらに気を取られた文の背後に衝撃が走った。
 慌ててそちらを向くと、いつの間に移動したのか霊夢がこちらに向かって霊撃を放ってきていた。
二撃目、三撃目はかわすが、そうこうするうちにいつのまにかまた霊夢の姿は消えている。かと思えば今度はまた違う方向から札の攻撃。それを避ければまた違う方向からの攻撃。
いつの間にか文は霊夢の弾幕に囲い込まれていた。
「神霊「夢想封印 瞬」」
 全方位からの攻撃が文へと収束し、炸裂する。糸が切れたようにゆっくりと地面へ落下しながら、文は思った。
(避けるとか避けないとか、そんなことじゃ、ない)
 文字通りの瞬間移動。自分のようにスピードで相手を翻弄するとかチャチなものじゃない。しかも避けたはずの攻撃も戻ってきてる気がする。なんだこれ。
(勝てる気が……しない)
 もとから勝てる相手とは思わなかったが、これほどとは。ドサリと地面に落ちながら、文は不思議と自分の心が落ち着いているのを感じた。
(もう、いいかな)
 そして不意にカー助の方を見る。そして気付いた。カー助が自分を見つめていることに。
(見てたのか。ごめんね。情けない主人で)
 カー助がどうしてこの神社に来たのかは分からない。でもそれは自分に理由があるんだろうな、と文は思った。自分がこんなだからカー助はボロボロになって、それで。
 だが、そのとき、

 ―――あや。

「……え?」
 声が。

 ―――がんばって。あや。

 声が、聞こえた気がした。
 そしてそのとき、文の胸に滾るものが生まれた。
 しっかりしろ、射命丸。こんなところで倒れて何が幻想郷一のブン屋だ。せめて。そう、せめて!
(格好いいところを見せなきゃあ、いけないでしょうよ!)
 そう思った瞬間、文の身体は自然と立ち上がっていた。霊夢はよほど意外だったのか目を丸くしてこちらを見ている。
「……呆れた。まだ立つの?」
「3本、先取…ですよ」
「いいけど」
 そう言って目をつむる霊夢。しかしこちらに疑問を投げかける。
「ひとつ聞くけど」
「なん、ですか…」
「どうしてそこまでやるの? そんなにボロボロになってまで」
「それは……」
 文の中に様々な感情がごちゃ混ぜになる。しかしそれらを一言で言うなら、
「愛、です…!」
「……よく分からないけど、分かったわ」
 そう言って頷くと、霊夢はこちらに向かって再び陰陽玉を振りかぶる。しかしそれより前に文が扇を振り上げた。
「風神「風神木の葉隠れ」!」
 辺り一面に木の葉、ではなく桜の花が舞う。鋭い葉ではないので殺傷力はないが、目くらましにはちょうどいい。
 そのとき、再び霊夢の姿が消えた。
「――随分華やかなスペルね」
 真後ろ、それも自分の近くからの声。
竜巻はその中心は無風になる。そしてこのスペルの構造上竜巻の中心にいるのは自分だ。自分の近くなら風の影響を受けないで攻撃できる。
「くっ!」
「逃がさないわ。これで決着(ゲームオーバー)よ!」
 霊夢が跳び退る文に陰陽玉を投げる。その一撃は風の抵抗がない分、先ほどよりも高速であったが、文はあえてそれをかわさなかった。自分に当たるギリギリ数センチのところまで引きつけ、
「今っ!」
 一気に横にかわす。だが陰陽玉はホーミング性。たやすく軌道を変えて文に襲いかかるだろう。
 しかし今ここで重要なのは位置。
「!!?」
 文の横を通り抜けた陰陽玉が消えた。そしてそこは先ほど霊夢が消えた位置と全く同じところであった。
 文は霊夢の瞬間移動についてひとつの仮説を立てていた。そしてそれは先ほどの自分のスペルで確信に変わった。
 先ほどのスペルによって巻き上げられた花弁。霊夢が消え、再び現れた際、その後ろの空間から花弁が他とは違う向きで舞っていたのだ。霊夢の消えた空間と同じ向きに。
 つまり霊夢の瞬間移動の正体。それは離れた空間同士を繋げる空間移動。そしてそれは、
(霊夢さん以外も通行可能!)
 霊夢の真後ろに突如現れた陰陽玉は、放った彼女が止める間もなくその後頭部を強打した。
 ぶっと吹き出しつつ倒れ伏す霊夢。と同時に文もスペルを解除した。雪のようにはらはらと舞い散る桜の花弁。
「っはぁ……勝…った!」
無我夢中だった。もう一度できるかどうかも分からない一か八かの賭け。予測が外れていれば倒れているのは自分だっただろう。
文は桜の舞い散る境内にゆっくりと降り立つと、力尽きたように膝から崩れ落ちた。
「ちょ、ちょっと。大丈夫、文?」
 カー助を抱えたはたてが小走りで駆け寄ってくる。心配そうな彼女に苦笑しつつ、文はカー助を見つめた。
彼女のつぶらな目は文を真っ直ぐに捉え、
「がんばった。あや、がんばった。」
 今度ははっきりと彼女の声が聞こえた。
「……全く。いつの間に喋れるようになったやら」
 そう言って笑うと、文はカー助を優しく撫でた。そして羽の間に一枚の紙が挟んであることに気付いた。
 不思議に思い、それを取って見てみると、

 あさ、みこ、おきる。
はこ、みる。
 ごはん、たべる。
 ねる。
 そうじ、する。こける。

 おそらく巫女の一日の行動だろう。幼児が書くような下手くそな字で書かれたそれを見て、文の目頭がじわりと熱くなる。そしてこみ上げる衝動のままにカー助を抱きしめた。
「平仮名くらいちゃんと書きなさい、馬鹿烏……っ」
「……カー」
 その光景につられてはたても涙ぐんでいると、後ろからズンッという音が響いた。
「……確か、三本先取だったわよね……」
「…は、あは、あはははははは」
 先ほどの一撃などなんのその。こちらににこやかに近づいてくる巫女に、文の口から思わず乾いた笑いが漏れる。
(こ、殺される!)
 思わずはたてに助けを求めようとそちらを見るが、彼女はすでに林の向こう側へと退避していた。薄情者と言いたいが、すでに霊夢は目前にまで迫っている。
この圧倒的なプレッシャー。紅白の巫女は鬼もかくやという存在感で、無言で腕を振り上げた。反射的に目を瞑る文。
「てい」
 ズビシィ!
と、大きな音を立てて楽園の巫女のデコピンが炸裂する。文は額に走る強烈な痛みにしばし悶絶した後、涙目で霊夢を見上げた。霊夢はやれやれといった表情で溜息混じりに呟く。
「これで三本目よ」
「は、はあ……?」
「もう終わりって言ってるの。まだやりたい?」
 文はブンブンと首を横に振る。そんな彼女を見て霊夢は溜息ひとつ。
「だったらさっさと帰りなさい。退治した妖怪を手当てするほど、私は優しくないの」
 文はしばし呆然と霊夢を見上げていたが、こそこそとこちらを見守るはたてを見て我に返る。
「は、はい。帰ります!」
 そこでようやくいつもの笑顔を浮かべた霊夢は、こちらに背を向けて社屋へと入っていく。
「……今度は賽銭用のお金を用意してきなさいよね」
「それは結構、じゃなくて検討しておきます!」
 文はそう言うとふわりとその身を宙に浮かべる。一瞬ぐらついたが、すかさずはたてが文の体を支えた。
 はたてに支えられながらゆっくりと帰路につく文。文に肩を貸しながらよろよろと飛ぶはたてに文は苦笑する。
「まさかひきこもりに助けられることになるとは……」
「なによ。怪我人は黙ってなさいよ」
 まったく口が減らないんだから、と呟くはたての向こうで、今日も夕日が沈んでいく。
幻想郷の全てが赤く染まっていく中、文は腕に抱えたカー助を見ると、彼女は夕日を浴びながら寝息を立てていた。文はそんな彼女に微笑を浮かべると、つられるようにそっと瞼を閉じる。
 今日は色んな事があった。明日も色んな事があるんだろう。そしてそれを記録に残せる自分は、なんと幸せであろうか。
「ちょ、ちょっと、文! 寝ないでよ! 文ぁ!」
 ふらふらと飛ぶ三羽の烏は、ゆっくりと山へと吸い込まれていくのだった。

 数日後。人里にて。
「おはようございまーす! 清く正しい射命丸でーす!」
 そこには元気に挨拶する文の姿があった。所々に絆創膏が貼ってあるものの、その動きや表情に陰りは見えない。いつもと変わりないその様子に慧音は微笑を返す。
「おはよう。今日も元気だな」
「勿論。幻想郷最速ですから!」
「結構。そちらも調子が良さそうでなによりだ」
 そう言う慧音の視線の先には、澄まし顔のカー助の姿があった。そして良く見るとその頭には小さな帽子がくっついていた。
「おや? それは……?」
「記者たるもの、見た目が大事ですからね」
 そう言ってニコリと笑う文。お揃いの帽子をかぶった彼女たちを見て、何かを察したのか慧音もニッコリと笑う。
「うむ。今日は完璧だ」
「ありがとうございます! さあカー助、次の配達に行きますよ!」
 烏がカーと鳴き、文を追って空へ飛び立つ。その目には朝日に照らされてキラキラと輝く自分の主の姿と、無限に広がる空がうつしだされていた。


 初めまして。アレスと申します。この作品は文花帖であややがお供の烏を道具って言ってたことから思いついたのが始まりです。東方をネタとして書くのは初めてでしたが、キャラがそれなりに定まってる分、書きやすかったような気がします。
 ネタとしてはまだまだあるので、不定期に投下できたらと思います。ではでは。
 
 ~2013年、慢性肩こりに悩まされつつ~
アレス02
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コメント



0.510簡易評価
1.90名前が無い程度の能力削除
諮問→疑問
うつしだされていた→写し出されていた(あえて平仮名でもいいかも)
初めてでこれだけ書けるのは正直凄い
文中で「、」が多すぎるきらいがありますが、それ以外は文句無しかと
6.90名前が無い程度の能力削除
心温まるストーリーですね。いいもの読ませて頂きました。ありがとうございます。
7.90奇声を発する程度の能力削除
温かくなる素敵なお話でした
17.803削除
やや描写が足りないものの、素敵なストーリーがそれを補っていたと思います。
もっと点数が入ってもいいという印象です。個人的には。
ただ霊夢が文を思い出そうとしないと思い出せないというのはちょっと無さそうかなと。
18.無評価名前が無い程度の能力削除
タービン付きの印刷機って凄そうですね…www
文の助手の烏に関する話はあまり無いので新鮮な感じがしました。お疲れ様です。