※二次設定が多いです。
「はあ、降られましたか」
用事で慧音さんの家を訪れ、お茶菓子をつまみながら世間話を小一時間。
ふと空を見ると、どうやらお機嫌が悪いご様子でありました。
これはいけないと慧音さんにお礼を言って、家に走るも残念無念。
空は溜りに溜まった鬱憤を、地上に降らせ始めたようです。
「ひとまず難は逃れましたが」
とりあえず行きつけの甘味処で雨宿りをさせてもらっておりますが、
空の機嫌は益々悪く、家への道はまだまだ遠く。
このままでは家の者たちを心配させてしまうなあ。と、ぼんやりしながら考えましたが、
打開策など見つからず。
「はぁ」
本日何回目かわからない溜息をつき、またぼんやりと考えます。
溜息をつくと、幸せが逃げるとは言いますが、
ここにいる間に、どれだけの幸せが逃げたのでしょう。
そう思うと、また憂鬱な気持ちになって。
「はあぁ」
ああ、また溜息が。
このどうにもならない状況に、天に祈ってみようかな、と思ったりもしますが、
天に祈ってどうにかなるなら、あの巫女はあんなに貧乏じゃないだろう、と思い直し、
博麗神社に思いをはせたり。
「いっそ、濡れてしまってもいいから帰りましょうか」
それは最後の手段だと、今まで躊躇しておりましたが、こうなれば仕方がありません。
男は度胸、女も度胸。
心頭滅却すれば冷たくありません。
なんだか違う気もいたしますが。
「お邪魔しました。おじさん、おばさん」
甘味処の主人と奥さんにお礼を言いますと、
「あれっ、阿求ちゃん。こんな大雨の中、傘も差さずに帰るのか」
「傘を貸してあげたいのはやまやまなんだけど、家の傘は息子が持ってっちゃってねぇ」
と、逆に心配されてしまいました。なんだか申し訳ない。
「いえ、お邪魔させてもらっただけでも十分なくらいです。ありがとうございました」
「そうかい。すまないなぁ、阿求ちゃん。今度からは傘も買いだめしておくからな」
「あんた、何言ってんのよ」
「ふふ、それではまた」
「ああ、また来てくれよ」
「風邪をひかないように、気を付けるんだよ」
主人と奥さんに別れを告げて、玄関の前に立ちますと、
雨はいっそう強くなったようでございます。
これではびしょ濡れだろうなぁ、と他人事のように考えますが、
それは自分の問題です。
「すぅ、はぁ……。乾坤一擲の大勝負、稗田阿求、行きま、」
大きく深呼吸し、走り出そうとしたその時。
「おや、お嬢さん。傘はどうしたんだい」
突然、人の声が聞こえました。
「すっ、ぅわわわっ、っととと」
私は、前のめりになって、危うくこけてしまうところでございました。
「だ、大丈夫かい。驚かせてしまったかな」
と、あわてて近寄ってきた方は、どうやら男性のようでございます。
あの口上は聞かれていたでしょうし、先ほどの事もありますし。
ああ、恥ずかしい。
顔から火が出そうです。あんなこと言うんじゃなかった。
今さら後悔しても遅いことですが。
「い、いえ。大丈夫です。この通り元気ですよははは」
私は何を言っているのでしょうか。
恥ずかしくて、男性の顔をまともに見れません。
早くこの場を立ち去ってしまいたい。
そういった思いが、私の心で渦巻きます。
「そうか、良かった。話を戻してもいいかい」
「はい、構いませんが」
「傘は持っていないようだけど」
「知り合いの家にお邪魔していたのですが、突然空模様が怪しくなりまして」
「なるほど、降られたんだね」
「はぁ、恥ずかしながら」
恥の上塗り、泣きっ面に蜂。
恥ずかしいことばっかりじゃないですか、まったく。
自分の暢気さに呆れてしまいます。
「ふむ。それなら、この傘を使うかい」
「ええ、それは申し訳ないですよ」
男性は、好意で言ってくれているようです。
しかし、どうみても彼は、傘を一本しか持っておりません。
ここで借りたら、彼の分の傘が無くなってしまいます。
「ああ、僕の心配はしなくてもいいよ。今からここで人を待つんだ」
どうやら、顔に出ていたようです。恥ずかしい。
「いや、でも」
「大丈夫さ。それに、女性を雨風に晒すわけにはいかないからね。れでぃーふぁーすと、ってやつさ」
「それじゃあ、お言葉に甘えて」
図々しいなあ、と自分でも思います。しかしながら、背に腹は変えられません。
彼の手から、傘を受け取って――――――――――――
―――――――――――その時初めて、彼の顔を見ました。
凛々しい眉、輝く銀髪。そして、穏やかながらも、揺るぎない意志を秘めた瞳。
私は、そのまま固まってしまいました。
「それじゃあ、また会おう」
「……はい。また会いましょう」
店内に入ってゆく彼の姿を見送ったあと、帰路に就きました。
彼の事を思うだけで、胸は早鐘を打ち、頭は熱に浮かされたかのように、朱色に染まります。
人はこのよう感情を、なんと呼ぶのでしょうか。
そう。
――――――人はそれを、恋と呼ぶのでしょう。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「はぁ」
一目惚れなんてありえない。誰もが思うことでしょう。
かくいう私も、そんなことなどあるわけがないと、
ほんの少し前までは思っておりました。
しかしこの状況はどうでしょう。
手には彼の傘を握りしめ。
目は何処か遠いところを見つめ。
表情はどこか夢を見ているようで。
こんな私の姿を見れば、きっと誰もが言うでしょう。
どう考えてもそれは「恋」だと。
一目惚れです。紛れもなく。
あの一瞬だけで、私は彼の虜になってしまったのです。
「あの方は、なんというお名前なのでしょうか」
呆けて彼を見送った私は、名前さえも聞いておりませんでした。
住所などは以ての外です。ああ、なんたる失策。
解っていることなど一つも無く。
手掛かりは、この傘。それに、私が見た、彼の姿だけです。
「とても格好いい方でした」
恋は盲目、あばたもえくぼと人は言います。
確かにそうかもしれません。
私が想う彼の姿は、今まで見てきた誰よりも、
心の中で、一層強く輝いています。
「っと、もう家に着きましたか」
思案を重ねながら暫く歩くと、そこには私の家の門が。
やっと着いた、という思いは不思議とありませんでした。
考え事をしていると、時間は早く過ぎるものなのでしょう。
そんなことを考えながら、扉を開けます。
「ただ今、帰りました」
私が一声かけますと、家の者が出迎えてくれます。
「阿求様。このような大雨の中、傘も持たずに歩くなど……って、あら」
「ふふ、出かけるときは持っていませんでしたからね」
「それはお借りになったのでしょうか」
「はい、そうです。いずれ返すつもりです」
「どうやら、よい出会いをされたようですね」
「な、何のことでしょうか」
「とてもいいお顔をしておられますよ」
そう言って、彼女はにこりと笑います。
この家の人たちには、私の思いは見透かされます。
昔から家にいる従者なので、私の癖など見抜かれているのでしょうか。
顔に出る性格だ、とは以前から言われておりますが。
「少しお昼時を過ぎてしまいましたが、昼餉に致しましょうか」
「そうですね。いただきましょう」
考え事をしていると気になりませんでしたが、気が付けばもうお昼時。
慧音さんの家で、お茶菓子を少しいただいただけだったので、
とてもお腹が空いております。
そんなことを思っていると、くぅ、と一つお腹が鳴りました。
「お腹の虫も鳴いていることですし、ね」
「うぅ」
ああ、恥ずかしい。
――――――――――――――――――――――――――――――
昼餉も食べ終わり、一息ついて。
私は、幻想郷縁起の編纂をしております。
今執筆しているところは、『英雄伝』の欄。
幻想郷の英雄と言うだけはあり、凄まじい顔触れが揃います。
「永遠亭のお二人に、妹紅さんに……」
紅霧異変、春雪異変、萃夢異変に続き、幻想郷全土を巻き込んだ、永夜異変。
妖怪、人間、首謀者。様々な思惑が交錯した永夜異変は、異変解決人たちの手によって解決されました。
その後、特に諍いを起こすわけでもなく、永遠亭は幻想郷に馴染んでゆきました。
今では、彼女らが里に持ってくる置き薬は、生活に欠かせないものとなっています。
「ふう、ひとまず終わりましたか」
仕事もひと段落つき、うぅんと一つ伸びをします。
『妖怪図鑑』の欄に比べ、『英雄伝』の欄はとても短いです。
その事が、人間と妖怪の力の差を如実に表しているとも言えるでしょう。
以前、『英雄伝』の欄に、慧音さんを加えてもよいか、と尋ねに行ったことがあるのですが、
「私は成り行きで里を守っているだけで、英雄などとは程遠いよ」
「しかし、里の者たちも、『慧音様は英雄では』と言ってはばからないのです」
「そうは言っても、私は半獣だしな。人に仇なすつもりはないが、人の敵でもある存在だ」
「貴女の功績を考えれば、それは些細なことです。里の者たちも納得するでしょう」
「いや、遠慮しておこう。それに、私は偉人であるかのように扱われるのは、あまり好きではないし、な」
「そうですか。では残念ですが、英雄伝の欄はこのままと言うことに……」
「いや待て。永夜異変の時に新たに増えた人妖がいるだろう」
「ああ。妖怪では、鈴仙さん、てゐさん。人間では、永琳さんに、輝夜さん。それに」
「妹紅だ。藤原妹紅。あいつは永夜の前からこの辺りに居たのだが、特にこの頃は積極的に里の警護をしてくれていてな」
「確かに、この頃彼女の姿を頻繁に見かけますね」
「輝夜殿は人里と好意的な関係を結ぶことを快く了承してくれた。おかげでこの辺りに出没する妖怪もだいぶ減ったよ」
「はい、輝夜さんの英断には、大変助けられました」
「永琳殿はいわずもがな。彼女の診療所での診察と、製薬技術で、何人もの命が救われただろう」
「そうですね。三人とも、蓬莱人と言う特殊な種族ではありますが、『英雄』であるということに、文句をつける人はいないでしょうね」
「うむ。今日はそういうことで、事を収めてくれ」
「わかりました。ではその旨を、人里の者たちに伝えておきます」
「いつもすまないな、阿求。それでは」
「ええ、それではまた」
まあ、いかにも彼女らしい、謙虚な意見だとは思います。
しかし、頑固とも、頭が固いとも言えましょう。
人里の者たちがそれだけ熱心に言ってくれているのだから、普通に受けてくださってもいいと思うのですが。
外界では優秀な方を三度訪ねて迎えたと言いますが、私も三度訪ねるべきでしょうか。
「って、あら。猫さん」
そんなことを考えていると、いつの間にか黒猫が入り込んでいたようです。
小首をかしげてにゃあと鳴く猫はとても愛らしく、思わず頬が緩んでしまいます。
喉の下を撫でてあげると気持ちいいようで、目を細め、ごろごろと鳴いています。
猫を撫でながら、ぼんやりとしておりますと、
「ああ、そうでした。天狗の取材があるのでしたね」
天狗に取材を申し込まれていた事を、すっかり忘れておりました。
確か、一月程前に、「一か月後にまた」と約束したはずですから、
今日か明日くらいには来るのでは。
ああ、拙いです。何を言うのか考えていません。
「とりあえず、体裁だけでも整えておきましょうか」
机に向かい、筆を執り、前方をキッと見すえます。
口には微笑み。傍には黒猫。
そして私はこう言うのです。
「こんにちは。幻想郷の記憶、稗田阿求です」
もしかしてこれは、すごく決まってるんじゃないでしょうか。
これを天狗の取材で実行すれば、『かりすま』とやらが上がる事、間違いなしです。
満足した私が、硯と筆を片付けようとしたその時。
黒猫が突然、ぴょんと飛び上がりました。
「あああ、巻物に、着物に、墨汁が……」
先ほど書いていた『英雄伝』の巻物が、墨汁によって真っ黒に。
私のお気に入りの着物も、所々に黒い斑点が。
先ほど思い描いた華々しい姿は、黒猫によって、
一瞬で滑稽な道化に変えられてしまいました。
「にゃおーん、なんてね。阿求、全然気づかないんだもの。ついからかいたくなっちゃった」
「あ、あなたは……橙さん。この惨事は」
「普通は尻尾が猫又な時点で気づくでしょう。まあ、なかなか面白かったよ。それじゃあね」
「あ、待ってください。この惨事を片付けてから」
「後片付け頑張ってね。ああ、それと」
「な、なんですかぁ」
「『こんにちは。幻想郷の記憶、稗田阿求です』この口上は、どうかと思うよ。ぷぷっ」
凶兆の黒猫は去り、後に残ったのは、真っ黒の巻物、汚れた着物、そして、涙目の私。
その後、従者を呼んで、いっしょに片づけるとき、事情を話すとくすっと笑われ、
片付けが間に合わず、天狗が取材に来たとき、事情を話すと大笑いされました。
ああ、また巻物を書き直さないといけません。
罪を憎んで人を憎まず。人じゃないから恨んでもいいですよね。
幻想郷縁起の橙さんの項目に、大幅な訂正を。
大人げない、と言われそうですが、私は子供ですので。
『ただし、弱点は多い。……』
橙さんの泣き顔が目に見えるようです。
後で泣きついてきても知りませんから。
――――――――――――――――――――――――――――――
片付けを済ませ、巻物を書き終え、取材も終わり。
夕餉をいただき、湯にも入って、また一息。
色々あった今日も、終わろうとしています。
「明日は、あの方に会えるでしょうか」
一日千秋の思いというのは、こういうものなのでしょう。
今すぐにでも逢って、この想いを伝えたい。
「慧音さんに、話してみましょうか」
この里に住む方ならば、慧音さんは必ず覚えているでしょう。
そうで無いにしろ、何か進展はあるはずです。
「明日は、晴れるとよいですね」
神に願っても叶わぬならば、星に願いを懸けましょう。
雲に隠れて見えぬ星でも、願い事ならば届くでしょう。
「そういえば、外界の愛の告白には、こういう言葉も…………」
――――――――――――月が綺麗ですね。
その言葉が浮かんだと同時に、私は眠りに誘われました。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
『――阿求、愛してるよ。
――私も、あなたのことを……』
「愛してます」
「目覚めて早々、愛の告白ですか。私にはそういった趣味はないのですが」
「……失礼しました」
「どういたしまして」
朝っぱらから恥ずかしいです。
逢瀬を交わす夢を見るなんて、初めてだったので。
恋をしたことなんてなかったから、当たり前なのですが、
従者が起こしに来なければ、私の想いを伝えられたのに。残念。
『思ひつつ 寝ればや人の 見えつらむ 夢と知りせば さめざらましを』
ふと、ある詩を思い浮かべ、自分の心境と重ね合わせます。
この詩を書いた人も、私と同じような思いをしていたのでしょうか。
だけど、夢に出てきた彼は、なんだかぼやけてしまっていて、
やっぱり現実の彼がいいですね、なんて思ったり。
「恋煩いでしたか、阿求様」
「みなまで云わないでください」
「恋する乙女の顔をしておられます」
「さいですか」
恋をしてるのはわかっていますが、面と向かって言われると恥ずかしいです。
顔が火照ってしょうがない。なんだか落ち着かない気持ちですね。
「今日も慧音さんの所にお邪魔するので、朝餉は必要ないですよ」
「そう言われると思っておりました。よそ行きの服は準備してありますので」
「だから、どうしてわかるのですか」
「顔に出ますからね」
それだけでここまでの準備をできると言うのは、何気に凄いことだと思うのですが。
どこぞの館の瀟洒な従者にも劣らないのでは。稗田家の従者はバケモノですか。
彼女の手際に驚嘆しながら、外出の準備。
髪に櫛を通し、よそ行きの服に着替え、門の前に立ちます。
「うまく成功させてくるのですよ。阿求様なら出来ます」
「応援はありがたいのですが、人通りの多い所なのでやめていただけますか」
「『でえと』、頑張ってくださいね」
「頑張ります。って、でえとってなんですか」
なんだか気の抜ける会話でしたが、今日の天気は快晴。
突き抜けるような青空に、私の心も晴れてゆきます。
日差しは昨日の大雨を覆い隠すように、強く、強く降り注いでいます。
「本当に、良い天気」
慧音さんの家までは、まだ距離がありますが、
今の私なら、どこまでも走ってゆけるような気がします。
――――――――――――――――――――――――――――――
「……本当に走るんじゃありませんでした」
「くくっ、運動不足だな、阿求」
気がしただけでしたね、やっぱり。
普段から運動をしない上に、代々病弱な体質である稗田家の血も合わさり、
私はあっというまに息切れを起こし。
満身創痍の状態で、なんとか慧音さんの家に到着することができました。
「今日はどうしたんだ。幻想郷縁起の内容についてか」
「いえ、とりあえずあの作業についてはひと段落しましたので、今日は別のことで参りました」
顔に出ませんように、出ませんように。
「実は、ある方を探しているのですが、慧音さんは何か知りませんか」
そう言って、彼の特徴を慧音さんに話します。
「ふむ、心当たりはあるが。それにしても阿求」
「なんでしょう」
「その男を探しているのは、どういう訳なんだ」
「か、傘を借りたのです。それを返さなければと」
「ふぅん、なるほど。恋煩いだな」
だからなぜわかるのですか。そんなに顔に出るんですか。
「な、なぜそう思うのです」
「お前は顔に出るからな。それに、私も伊達に長く生きてはいないよ」
「歳の功、ですか……。痛っ」
「女性に歳がどうだとか言うものではない」
幻想郷の女性は、見た目で年齢が解りにくいので、歳の話をすると大抵怒られます。
だからと言って拳骨することはないじゃないですか。痛いです。
「で、お前が探している男だが」
「はい」
「名を森近霖之助、と言う。魔法の森の入り口辺りに住んでいる変わり者だ」
「もりちか、りんのすけさん。ですか」
「香霖堂、という雑貨屋の様な店を開いていてな。外界から流れ着いた珍しいものなどを販売しているそうだ」
「それはなかなか興味深いですね」
「こらこら、知識欲を刺激されるのはわかるが、お前の目的は別のことだろう」
「だ、だから……あ、そう言えば」
「質問があるなら言ってくれ」
「『でえと』、とはいったいなんなのでしょうか。いまいち意味がわからなくて」
「……一緒に街を回ったりすることだ。基本的に二人で行う」
「ふむふむ」
「うまくやれよ」
にやっ、と笑う慧音さんは何だかオヤジみたいです。それになんだか既視感がします。
しかし今はそんなことよりも、大切なことがあります。
やっと彼に、霖之助さんに会えます。会ったら何を伝えるのか、今から迷いますね。
ちゃんと喋れるか、と言うのが一番心配なのですが。
――――――――――――――――――――――――――――――
人里を出てしばらく歩くと、『香霖堂』と書かれた看板を掲げる建物が見えてきました。
扉の横には狸の置物、よくわからない箱や、変な模様の書かれた看板があったりして、とても怪しいです。
しかし、今の私には、そんなことは気になりません。
中にはきっと彼が居ます。それだけで、周りのものなど見えなくなるのです。
「会ったら何を伝えましょうか」
ずっと考えていたけれど、何を伝えるのか全く考えていません。
挨拶をして、借りていた傘を返して。問題はその後です。
「『この度は大変お世話になりました。そちらさえ良ければ友人として今後とも』」
なんだかお堅い感じが。
「『傘が取り持つ縁、と言うのも素敵ではありませんか』」
口説き文句の定型文みたいで恥ずかしいですね。
「『好きです』」
いきなり何を。
「『愛してます』」
変わりませんって。
結局、上手く考えがまとまらないまま、扉の前に着いてしまいました。
こうなれば仕方がない、と覚悟を決めて、一声。
「誰か、いらっしゃいますか」
すると、返答が。
『どうぞ』
間違いなく彼の声です。
高鳴る胸を押さえながら、ゆっくりとドアに近づき、
私は香霖堂に、足を踏み入れたのでした。
――――――――――――――――――――――――――――――
古い外見に見合い、店内もなかなか雰囲気が出ていました。
古いものから新しいもの、書物などの実用的なものから、用途不明のものまで、様々な物が陳列しています。
その中で彼は、机に向かって、静かに本を読んでいます。
その姿を見つけ、私はできるだけ平静を保ちながら、挨拶をします。
「失礼します」
「いらっしゃい。って、君は」
「お久しぶりです。と言っても、一日しか経っておりませんが」
私のことを覚えてくれていた。それだけでも少し嬉しくなります。
「やあ、お嬢さん。あの後は濡れずに帰れたのかい」
「はい、おかげさまで」
「それで、今日はどうしたんだ。本でも探しに来たのか」
「ああ、その事なのですが」
手に持っていた傘を、彼に見せます。
すると彼は、なぜか少し驚いた様子でした。
「わざわざあの傘を返しに来てくれたのか」
「はい、そうですが」
「いや、僕としては、貸したとは言ったものの、どちらかと言うと君にあげたつもりだったんだが」
「借りた物は返さないと、罰があたります」
「はは、君は素直に育ったんだね。良いことだ」
彼が頭を撫でてくれます。でも、なんだか子ども扱いされてる気がします。
しばらくそのまま撫でられていると、彼は気が付いたように席を立ちました。
「せっかく家まで来てくれたんだ。お茶でも出すよ」
「あ、いえ。お気遣いなさらず」
「せめてもの恩返しだよ。傘の分の、ね」
そう言い、彼は二人分のお茶を汲んでくると、空いた椅子を私に勧めてくれました。
立ち話もなんなので、座らせてもらい、お茶を飲んで一息つきます。
「…………」
「…………」
しかし、その一瞬の間が命取りでした。
少しは言葉を交わしたものの、その後の会話を考えていなかったために、会話が行き詰まり。
暫くの間、お互いのお茶を啜る音だけが、香霖堂に響き渡りました。
このままではいけない。そう考えた私は、従者と慧音さんの会話を思い出し、こう切り出しました。
「あの、良ければでいいのですが」
「ん、なんだい」
「明日、私と『でえと』してくれませんか」
「――――」
……あれ、ごく普通の会話をしたはずなのですが。
霖之助さんは湯呑を持ったまま、こちらを見て固まっています。
心なしか顔も赤いような。
何か言い方を間違えたかな、と思っておりますと、
「えっと、デート、でいいんだよね」
「はい。でえとです。なにかおかしい所でもありましたか」
「……君みたいに可愛い子に誘われるのは嬉しいんだけど、どうも問題がある気がするんだよね」
「か、かわいい……じゃなくて、問題、とは」
「デートの意味、わかるかい」
「えっと、『二人一緒に街を回ったりすること』、ですよね」
「う、ん。あながち間違っちゃいないんだが」
お茶を濁すような彼の言い方に、少し疑問を覚えます。
「あながちとは」
「えっとね。『二人一緒に街を回ったりすること』がデートと言うのはあっているんだが、一文足らないんだよ」
「一文、とは」
「その『二人』と言うのは、恋仲であるのが普通なんだ」
はて、こい仲。
鯉、濃い、故意。いろんなこいがあるので良くわかりませんね。
「故意な仲ってことですか」
「なんだか発音が違うね。恋をしている二人、ってことだよ」
「…………え」
じゃあ、私はほとんど告白していたのと同じ、と言うことですか。
先ほどは全く気にしていなかったのに、急に『でえと』と言っていたことが恥ずかしくなってきました。
カーッと顔が熱くなって、ついうつむいてしまいます。あの二人、謀りましたね。
彼は少し申し訳なさそうな様子で、言いました。
「まあ、意味を知らなかったみたいだし、仕方ないね。聞かなかったことにしておくよ」
きっと彼は善意で言ってくれているのでしょう。
しかし私は、ここで機を逃したら、彼と恋をするなんて無理だ、と言うことを感じていました。
だから、次に出た言葉は、突発的なものだったのです。
「私は、デートでも構いません」
「……え、お嬢さん」
「私は稗田阿求です。私と、デートしてください。霖之助さん」
有無を言わさぬ口調で、彼に返事を迫ります。
彼は少し戸惑った様子でしたが、すぐに微笑むと、返事をしてくれました。
「うん。デート、だね。構わないよ」
「ほ、本当ですか。私の様な者と」
「いや、むしろ光栄だよ。阿求さん」
「ふ、ふつつかものですが、どうか」
「それは何だか違う」
ダメで元々。そんな気持ちで申し上げたのですが、良い、という返事をいただいてしまいました。
「それでは、明日の昼、香霖堂にお邪魔しますね」
「うん、わかったよ。それじゃあ、また明日」
別れを告げて、香霖堂を出ます。
これは夢じゃないか、と思って自分の頬を抓りました。
痛い。
夢じゃなく、明日はデートなのです。
なんだかいい気分になってきて、口の中で何度も復唱します。
「デート、デート。デートですか」
そうすると、もっと嬉しくなって、久しく歌ってなかった歌をくちずさみます。
きっと私は今、幻想郷一幸せなんでしょう。
その事を噛みしめながら、一歩ずつ歩きます。
「慧音さんと従者に、報告しないといけませんね」
『でえと』のことは、水に流してあげましょう。
今の私はいい気分なので。
――――――――――――――――――――――――――――――
帰り道に慧音さんの家に寄って、香霖堂でのことを話し、家に帰って従者に、同じことを話し。
少し興奮気味に話してしまったのですが、二人とも我が事の様に喜んでくれました。
そうしている内に時は過ぎ、いつの間にかもう夜。寝る時間になりました。
「『恋愛成就』ですか。ふふ」
二人が作ってくれたお守りを見つめます。
願掛けなんて性に合わないけれど、今回ばかりは別です。
「明日のデートが、上手くいきますように」
何度も願ったことですが、またしっかりと願います。
彼は朴念仁の気があるから、これくらい願うのがちょうどいいのです。
「上手く、いきますように……」
眠気に負けながらも、もう一つ願い事をします。
―――――――――明日こそ、想いを伝えられますように。
きっと、楽しい一日になる事でしょう。
「はあ、降られましたか」
用事で慧音さんの家を訪れ、お茶菓子をつまみながら世間話を小一時間。
ふと空を見ると、どうやらお機嫌が悪いご様子でありました。
これはいけないと慧音さんにお礼を言って、家に走るも残念無念。
空は溜りに溜まった鬱憤を、地上に降らせ始めたようです。
「ひとまず難は逃れましたが」
とりあえず行きつけの甘味処で雨宿りをさせてもらっておりますが、
空の機嫌は益々悪く、家への道はまだまだ遠く。
このままでは家の者たちを心配させてしまうなあ。と、ぼんやりしながら考えましたが、
打開策など見つからず。
「はぁ」
本日何回目かわからない溜息をつき、またぼんやりと考えます。
溜息をつくと、幸せが逃げるとは言いますが、
ここにいる間に、どれだけの幸せが逃げたのでしょう。
そう思うと、また憂鬱な気持ちになって。
「はあぁ」
ああ、また溜息が。
このどうにもならない状況に、天に祈ってみようかな、と思ったりもしますが、
天に祈ってどうにかなるなら、あの巫女はあんなに貧乏じゃないだろう、と思い直し、
博麗神社に思いをはせたり。
「いっそ、濡れてしまってもいいから帰りましょうか」
それは最後の手段だと、今まで躊躇しておりましたが、こうなれば仕方がありません。
男は度胸、女も度胸。
心頭滅却すれば冷たくありません。
なんだか違う気もいたしますが。
「お邪魔しました。おじさん、おばさん」
甘味処の主人と奥さんにお礼を言いますと、
「あれっ、阿求ちゃん。こんな大雨の中、傘も差さずに帰るのか」
「傘を貸してあげたいのはやまやまなんだけど、家の傘は息子が持ってっちゃってねぇ」
と、逆に心配されてしまいました。なんだか申し訳ない。
「いえ、お邪魔させてもらっただけでも十分なくらいです。ありがとうございました」
「そうかい。すまないなぁ、阿求ちゃん。今度からは傘も買いだめしておくからな」
「あんた、何言ってんのよ」
「ふふ、それではまた」
「ああ、また来てくれよ」
「風邪をひかないように、気を付けるんだよ」
主人と奥さんに別れを告げて、玄関の前に立ちますと、
雨はいっそう強くなったようでございます。
これではびしょ濡れだろうなぁ、と他人事のように考えますが、
それは自分の問題です。
「すぅ、はぁ……。乾坤一擲の大勝負、稗田阿求、行きま、」
大きく深呼吸し、走り出そうとしたその時。
「おや、お嬢さん。傘はどうしたんだい」
突然、人の声が聞こえました。
「すっ、ぅわわわっ、っととと」
私は、前のめりになって、危うくこけてしまうところでございました。
「だ、大丈夫かい。驚かせてしまったかな」
と、あわてて近寄ってきた方は、どうやら男性のようでございます。
あの口上は聞かれていたでしょうし、先ほどの事もありますし。
ああ、恥ずかしい。
顔から火が出そうです。あんなこと言うんじゃなかった。
今さら後悔しても遅いことですが。
「い、いえ。大丈夫です。この通り元気ですよははは」
私は何を言っているのでしょうか。
恥ずかしくて、男性の顔をまともに見れません。
早くこの場を立ち去ってしまいたい。
そういった思いが、私の心で渦巻きます。
「そうか、良かった。話を戻してもいいかい」
「はい、構いませんが」
「傘は持っていないようだけど」
「知り合いの家にお邪魔していたのですが、突然空模様が怪しくなりまして」
「なるほど、降られたんだね」
「はぁ、恥ずかしながら」
恥の上塗り、泣きっ面に蜂。
恥ずかしいことばっかりじゃないですか、まったく。
自分の暢気さに呆れてしまいます。
「ふむ。それなら、この傘を使うかい」
「ええ、それは申し訳ないですよ」
男性は、好意で言ってくれているようです。
しかし、どうみても彼は、傘を一本しか持っておりません。
ここで借りたら、彼の分の傘が無くなってしまいます。
「ああ、僕の心配はしなくてもいいよ。今からここで人を待つんだ」
どうやら、顔に出ていたようです。恥ずかしい。
「いや、でも」
「大丈夫さ。それに、女性を雨風に晒すわけにはいかないからね。れでぃーふぁーすと、ってやつさ」
「それじゃあ、お言葉に甘えて」
図々しいなあ、と自分でも思います。しかしながら、背に腹は変えられません。
彼の手から、傘を受け取って――――――――――――
―――――――――――その時初めて、彼の顔を見ました。
凛々しい眉、輝く銀髪。そして、穏やかながらも、揺るぎない意志を秘めた瞳。
私は、そのまま固まってしまいました。
「それじゃあ、また会おう」
「……はい。また会いましょう」
店内に入ってゆく彼の姿を見送ったあと、帰路に就きました。
彼の事を思うだけで、胸は早鐘を打ち、頭は熱に浮かされたかのように、朱色に染まります。
人はこのよう感情を、なんと呼ぶのでしょうか。
そう。
――――――人はそれを、恋と呼ぶのでしょう。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「はぁ」
一目惚れなんてありえない。誰もが思うことでしょう。
かくいう私も、そんなことなどあるわけがないと、
ほんの少し前までは思っておりました。
しかしこの状況はどうでしょう。
手には彼の傘を握りしめ。
目は何処か遠いところを見つめ。
表情はどこか夢を見ているようで。
こんな私の姿を見れば、きっと誰もが言うでしょう。
どう考えてもそれは「恋」だと。
一目惚れです。紛れもなく。
あの一瞬だけで、私は彼の虜になってしまったのです。
「あの方は、なんというお名前なのでしょうか」
呆けて彼を見送った私は、名前さえも聞いておりませんでした。
住所などは以ての外です。ああ、なんたる失策。
解っていることなど一つも無く。
手掛かりは、この傘。それに、私が見た、彼の姿だけです。
「とても格好いい方でした」
恋は盲目、あばたもえくぼと人は言います。
確かにそうかもしれません。
私が想う彼の姿は、今まで見てきた誰よりも、
心の中で、一層強く輝いています。
「っと、もう家に着きましたか」
思案を重ねながら暫く歩くと、そこには私の家の門が。
やっと着いた、という思いは不思議とありませんでした。
考え事をしていると、時間は早く過ぎるものなのでしょう。
そんなことを考えながら、扉を開けます。
「ただ今、帰りました」
私が一声かけますと、家の者が出迎えてくれます。
「阿求様。このような大雨の中、傘も持たずに歩くなど……って、あら」
「ふふ、出かけるときは持っていませんでしたからね」
「それはお借りになったのでしょうか」
「はい、そうです。いずれ返すつもりです」
「どうやら、よい出会いをされたようですね」
「な、何のことでしょうか」
「とてもいいお顔をしておられますよ」
そう言って、彼女はにこりと笑います。
この家の人たちには、私の思いは見透かされます。
昔から家にいる従者なので、私の癖など見抜かれているのでしょうか。
顔に出る性格だ、とは以前から言われておりますが。
「少しお昼時を過ぎてしまいましたが、昼餉に致しましょうか」
「そうですね。いただきましょう」
考え事をしていると気になりませんでしたが、気が付けばもうお昼時。
慧音さんの家で、お茶菓子を少しいただいただけだったので、
とてもお腹が空いております。
そんなことを思っていると、くぅ、と一つお腹が鳴りました。
「お腹の虫も鳴いていることですし、ね」
「うぅ」
ああ、恥ずかしい。
――――――――――――――――――――――――――――――
昼餉も食べ終わり、一息ついて。
私は、幻想郷縁起の編纂をしております。
今執筆しているところは、『英雄伝』の欄。
幻想郷の英雄と言うだけはあり、凄まじい顔触れが揃います。
「永遠亭のお二人に、妹紅さんに……」
紅霧異変、春雪異変、萃夢異変に続き、幻想郷全土を巻き込んだ、永夜異変。
妖怪、人間、首謀者。様々な思惑が交錯した永夜異変は、異変解決人たちの手によって解決されました。
その後、特に諍いを起こすわけでもなく、永遠亭は幻想郷に馴染んでゆきました。
今では、彼女らが里に持ってくる置き薬は、生活に欠かせないものとなっています。
「ふう、ひとまず終わりましたか」
仕事もひと段落つき、うぅんと一つ伸びをします。
『妖怪図鑑』の欄に比べ、『英雄伝』の欄はとても短いです。
その事が、人間と妖怪の力の差を如実に表しているとも言えるでしょう。
以前、『英雄伝』の欄に、慧音さんを加えてもよいか、と尋ねに行ったことがあるのですが、
「私は成り行きで里を守っているだけで、英雄などとは程遠いよ」
「しかし、里の者たちも、『慧音様は英雄では』と言ってはばからないのです」
「そうは言っても、私は半獣だしな。人に仇なすつもりはないが、人の敵でもある存在だ」
「貴女の功績を考えれば、それは些細なことです。里の者たちも納得するでしょう」
「いや、遠慮しておこう。それに、私は偉人であるかのように扱われるのは、あまり好きではないし、な」
「そうですか。では残念ですが、英雄伝の欄はこのままと言うことに……」
「いや待て。永夜異変の時に新たに増えた人妖がいるだろう」
「ああ。妖怪では、鈴仙さん、てゐさん。人間では、永琳さんに、輝夜さん。それに」
「妹紅だ。藤原妹紅。あいつは永夜の前からこの辺りに居たのだが、特にこの頃は積極的に里の警護をしてくれていてな」
「確かに、この頃彼女の姿を頻繁に見かけますね」
「輝夜殿は人里と好意的な関係を結ぶことを快く了承してくれた。おかげでこの辺りに出没する妖怪もだいぶ減ったよ」
「はい、輝夜さんの英断には、大変助けられました」
「永琳殿はいわずもがな。彼女の診療所での診察と、製薬技術で、何人もの命が救われただろう」
「そうですね。三人とも、蓬莱人と言う特殊な種族ではありますが、『英雄』であるということに、文句をつける人はいないでしょうね」
「うむ。今日はそういうことで、事を収めてくれ」
「わかりました。ではその旨を、人里の者たちに伝えておきます」
「いつもすまないな、阿求。それでは」
「ええ、それではまた」
まあ、いかにも彼女らしい、謙虚な意見だとは思います。
しかし、頑固とも、頭が固いとも言えましょう。
人里の者たちがそれだけ熱心に言ってくれているのだから、普通に受けてくださってもいいと思うのですが。
外界では優秀な方を三度訪ねて迎えたと言いますが、私も三度訪ねるべきでしょうか。
「って、あら。猫さん」
そんなことを考えていると、いつの間にか黒猫が入り込んでいたようです。
小首をかしげてにゃあと鳴く猫はとても愛らしく、思わず頬が緩んでしまいます。
喉の下を撫でてあげると気持ちいいようで、目を細め、ごろごろと鳴いています。
猫を撫でながら、ぼんやりとしておりますと、
「ああ、そうでした。天狗の取材があるのでしたね」
天狗に取材を申し込まれていた事を、すっかり忘れておりました。
確か、一月程前に、「一か月後にまた」と約束したはずですから、
今日か明日くらいには来るのでは。
ああ、拙いです。何を言うのか考えていません。
「とりあえず、体裁だけでも整えておきましょうか」
机に向かい、筆を執り、前方をキッと見すえます。
口には微笑み。傍には黒猫。
そして私はこう言うのです。
「こんにちは。幻想郷の記憶、稗田阿求です」
もしかしてこれは、すごく決まってるんじゃないでしょうか。
これを天狗の取材で実行すれば、『かりすま』とやらが上がる事、間違いなしです。
満足した私が、硯と筆を片付けようとしたその時。
黒猫が突然、ぴょんと飛び上がりました。
「あああ、巻物に、着物に、墨汁が……」
先ほど書いていた『英雄伝』の巻物が、墨汁によって真っ黒に。
私のお気に入りの着物も、所々に黒い斑点が。
先ほど思い描いた華々しい姿は、黒猫によって、
一瞬で滑稽な道化に変えられてしまいました。
「にゃおーん、なんてね。阿求、全然気づかないんだもの。ついからかいたくなっちゃった」
「あ、あなたは……橙さん。この惨事は」
「普通は尻尾が猫又な時点で気づくでしょう。まあ、なかなか面白かったよ。それじゃあね」
「あ、待ってください。この惨事を片付けてから」
「後片付け頑張ってね。ああ、それと」
「な、なんですかぁ」
「『こんにちは。幻想郷の記憶、稗田阿求です』この口上は、どうかと思うよ。ぷぷっ」
凶兆の黒猫は去り、後に残ったのは、真っ黒の巻物、汚れた着物、そして、涙目の私。
その後、従者を呼んで、いっしょに片づけるとき、事情を話すとくすっと笑われ、
片付けが間に合わず、天狗が取材に来たとき、事情を話すと大笑いされました。
ああ、また巻物を書き直さないといけません。
罪を憎んで人を憎まず。人じゃないから恨んでもいいですよね。
幻想郷縁起の橙さんの項目に、大幅な訂正を。
大人げない、と言われそうですが、私は子供ですので。
『ただし、弱点は多い。……』
橙さんの泣き顔が目に見えるようです。
後で泣きついてきても知りませんから。
――――――――――――――――――――――――――――――
片付けを済ませ、巻物を書き終え、取材も終わり。
夕餉をいただき、湯にも入って、また一息。
色々あった今日も、終わろうとしています。
「明日は、あの方に会えるでしょうか」
一日千秋の思いというのは、こういうものなのでしょう。
今すぐにでも逢って、この想いを伝えたい。
「慧音さんに、話してみましょうか」
この里に住む方ならば、慧音さんは必ず覚えているでしょう。
そうで無いにしろ、何か進展はあるはずです。
「明日は、晴れるとよいですね」
神に願っても叶わぬならば、星に願いを懸けましょう。
雲に隠れて見えぬ星でも、願い事ならば届くでしょう。
「そういえば、外界の愛の告白には、こういう言葉も…………」
――――――――――――月が綺麗ですね。
その言葉が浮かんだと同時に、私は眠りに誘われました。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
『――阿求、愛してるよ。
――私も、あなたのことを……』
「愛してます」
「目覚めて早々、愛の告白ですか。私にはそういった趣味はないのですが」
「……失礼しました」
「どういたしまして」
朝っぱらから恥ずかしいです。
逢瀬を交わす夢を見るなんて、初めてだったので。
恋をしたことなんてなかったから、当たり前なのですが、
従者が起こしに来なければ、私の想いを伝えられたのに。残念。
『思ひつつ 寝ればや人の 見えつらむ 夢と知りせば さめざらましを』
ふと、ある詩を思い浮かべ、自分の心境と重ね合わせます。
この詩を書いた人も、私と同じような思いをしていたのでしょうか。
だけど、夢に出てきた彼は、なんだかぼやけてしまっていて、
やっぱり現実の彼がいいですね、なんて思ったり。
「恋煩いでしたか、阿求様」
「みなまで云わないでください」
「恋する乙女の顔をしておられます」
「さいですか」
恋をしてるのはわかっていますが、面と向かって言われると恥ずかしいです。
顔が火照ってしょうがない。なんだか落ち着かない気持ちですね。
「今日も慧音さんの所にお邪魔するので、朝餉は必要ないですよ」
「そう言われると思っておりました。よそ行きの服は準備してありますので」
「だから、どうしてわかるのですか」
「顔に出ますからね」
それだけでここまでの準備をできると言うのは、何気に凄いことだと思うのですが。
どこぞの館の瀟洒な従者にも劣らないのでは。稗田家の従者はバケモノですか。
彼女の手際に驚嘆しながら、外出の準備。
髪に櫛を通し、よそ行きの服に着替え、門の前に立ちます。
「うまく成功させてくるのですよ。阿求様なら出来ます」
「応援はありがたいのですが、人通りの多い所なのでやめていただけますか」
「『でえと』、頑張ってくださいね」
「頑張ります。って、でえとってなんですか」
なんだか気の抜ける会話でしたが、今日の天気は快晴。
突き抜けるような青空に、私の心も晴れてゆきます。
日差しは昨日の大雨を覆い隠すように、強く、強く降り注いでいます。
「本当に、良い天気」
慧音さんの家までは、まだ距離がありますが、
今の私なら、どこまでも走ってゆけるような気がします。
――――――――――――――――――――――――――――――
「……本当に走るんじゃありませんでした」
「くくっ、運動不足だな、阿求」
気がしただけでしたね、やっぱり。
普段から運動をしない上に、代々病弱な体質である稗田家の血も合わさり、
私はあっというまに息切れを起こし。
満身創痍の状態で、なんとか慧音さんの家に到着することができました。
「今日はどうしたんだ。幻想郷縁起の内容についてか」
「いえ、とりあえずあの作業についてはひと段落しましたので、今日は別のことで参りました」
顔に出ませんように、出ませんように。
「実は、ある方を探しているのですが、慧音さんは何か知りませんか」
そう言って、彼の特徴を慧音さんに話します。
「ふむ、心当たりはあるが。それにしても阿求」
「なんでしょう」
「その男を探しているのは、どういう訳なんだ」
「か、傘を借りたのです。それを返さなければと」
「ふぅん、なるほど。恋煩いだな」
だからなぜわかるのですか。そんなに顔に出るんですか。
「な、なぜそう思うのです」
「お前は顔に出るからな。それに、私も伊達に長く生きてはいないよ」
「歳の功、ですか……。痛っ」
「女性に歳がどうだとか言うものではない」
幻想郷の女性は、見た目で年齢が解りにくいので、歳の話をすると大抵怒られます。
だからと言って拳骨することはないじゃないですか。痛いです。
「で、お前が探している男だが」
「はい」
「名を森近霖之助、と言う。魔法の森の入り口辺りに住んでいる変わり者だ」
「もりちか、りんのすけさん。ですか」
「香霖堂、という雑貨屋の様な店を開いていてな。外界から流れ着いた珍しいものなどを販売しているそうだ」
「それはなかなか興味深いですね」
「こらこら、知識欲を刺激されるのはわかるが、お前の目的は別のことだろう」
「だ、だから……あ、そう言えば」
「質問があるなら言ってくれ」
「『でえと』、とはいったいなんなのでしょうか。いまいち意味がわからなくて」
「……一緒に街を回ったりすることだ。基本的に二人で行う」
「ふむふむ」
「うまくやれよ」
にやっ、と笑う慧音さんは何だかオヤジみたいです。それになんだか既視感がします。
しかし今はそんなことよりも、大切なことがあります。
やっと彼に、霖之助さんに会えます。会ったら何を伝えるのか、今から迷いますね。
ちゃんと喋れるか、と言うのが一番心配なのですが。
――――――――――――――――――――――――――――――
人里を出てしばらく歩くと、『香霖堂』と書かれた看板を掲げる建物が見えてきました。
扉の横には狸の置物、よくわからない箱や、変な模様の書かれた看板があったりして、とても怪しいです。
しかし、今の私には、そんなことは気になりません。
中にはきっと彼が居ます。それだけで、周りのものなど見えなくなるのです。
「会ったら何を伝えましょうか」
ずっと考えていたけれど、何を伝えるのか全く考えていません。
挨拶をして、借りていた傘を返して。問題はその後です。
「『この度は大変お世話になりました。そちらさえ良ければ友人として今後とも』」
なんだかお堅い感じが。
「『傘が取り持つ縁、と言うのも素敵ではありませんか』」
口説き文句の定型文みたいで恥ずかしいですね。
「『好きです』」
いきなり何を。
「『愛してます』」
変わりませんって。
結局、上手く考えがまとまらないまま、扉の前に着いてしまいました。
こうなれば仕方がない、と覚悟を決めて、一声。
「誰か、いらっしゃいますか」
すると、返答が。
『どうぞ』
間違いなく彼の声です。
高鳴る胸を押さえながら、ゆっくりとドアに近づき、
私は香霖堂に、足を踏み入れたのでした。
――――――――――――――――――――――――――――――
古い外見に見合い、店内もなかなか雰囲気が出ていました。
古いものから新しいもの、書物などの実用的なものから、用途不明のものまで、様々な物が陳列しています。
その中で彼は、机に向かって、静かに本を読んでいます。
その姿を見つけ、私はできるだけ平静を保ちながら、挨拶をします。
「失礼します」
「いらっしゃい。って、君は」
「お久しぶりです。と言っても、一日しか経っておりませんが」
私のことを覚えてくれていた。それだけでも少し嬉しくなります。
「やあ、お嬢さん。あの後は濡れずに帰れたのかい」
「はい、おかげさまで」
「それで、今日はどうしたんだ。本でも探しに来たのか」
「ああ、その事なのですが」
手に持っていた傘を、彼に見せます。
すると彼は、なぜか少し驚いた様子でした。
「わざわざあの傘を返しに来てくれたのか」
「はい、そうですが」
「いや、僕としては、貸したとは言ったものの、どちらかと言うと君にあげたつもりだったんだが」
「借りた物は返さないと、罰があたります」
「はは、君は素直に育ったんだね。良いことだ」
彼が頭を撫でてくれます。でも、なんだか子ども扱いされてる気がします。
しばらくそのまま撫でられていると、彼は気が付いたように席を立ちました。
「せっかく家まで来てくれたんだ。お茶でも出すよ」
「あ、いえ。お気遣いなさらず」
「せめてもの恩返しだよ。傘の分の、ね」
そう言い、彼は二人分のお茶を汲んでくると、空いた椅子を私に勧めてくれました。
立ち話もなんなので、座らせてもらい、お茶を飲んで一息つきます。
「…………」
「…………」
しかし、その一瞬の間が命取りでした。
少しは言葉を交わしたものの、その後の会話を考えていなかったために、会話が行き詰まり。
暫くの間、お互いのお茶を啜る音だけが、香霖堂に響き渡りました。
このままではいけない。そう考えた私は、従者と慧音さんの会話を思い出し、こう切り出しました。
「あの、良ければでいいのですが」
「ん、なんだい」
「明日、私と『でえと』してくれませんか」
「――――」
……あれ、ごく普通の会話をしたはずなのですが。
霖之助さんは湯呑を持ったまま、こちらを見て固まっています。
心なしか顔も赤いような。
何か言い方を間違えたかな、と思っておりますと、
「えっと、デート、でいいんだよね」
「はい。でえとです。なにかおかしい所でもありましたか」
「……君みたいに可愛い子に誘われるのは嬉しいんだけど、どうも問題がある気がするんだよね」
「か、かわいい……じゃなくて、問題、とは」
「デートの意味、わかるかい」
「えっと、『二人一緒に街を回ったりすること』、ですよね」
「う、ん。あながち間違っちゃいないんだが」
お茶を濁すような彼の言い方に、少し疑問を覚えます。
「あながちとは」
「えっとね。『二人一緒に街を回ったりすること』がデートと言うのはあっているんだが、一文足らないんだよ」
「一文、とは」
「その『二人』と言うのは、恋仲であるのが普通なんだ」
はて、こい仲。
鯉、濃い、故意。いろんなこいがあるので良くわかりませんね。
「故意な仲ってことですか」
「なんだか発音が違うね。恋をしている二人、ってことだよ」
「…………え」
じゃあ、私はほとんど告白していたのと同じ、と言うことですか。
先ほどは全く気にしていなかったのに、急に『でえと』と言っていたことが恥ずかしくなってきました。
カーッと顔が熱くなって、ついうつむいてしまいます。あの二人、謀りましたね。
彼は少し申し訳なさそうな様子で、言いました。
「まあ、意味を知らなかったみたいだし、仕方ないね。聞かなかったことにしておくよ」
きっと彼は善意で言ってくれているのでしょう。
しかし私は、ここで機を逃したら、彼と恋をするなんて無理だ、と言うことを感じていました。
だから、次に出た言葉は、突発的なものだったのです。
「私は、デートでも構いません」
「……え、お嬢さん」
「私は稗田阿求です。私と、デートしてください。霖之助さん」
有無を言わさぬ口調で、彼に返事を迫ります。
彼は少し戸惑った様子でしたが、すぐに微笑むと、返事をしてくれました。
「うん。デート、だね。構わないよ」
「ほ、本当ですか。私の様な者と」
「いや、むしろ光栄だよ。阿求さん」
「ふ、ふつつかものですが、どうか」
「それは何だか違う」
ダメで元々。そんな気持ちで申し上げたのですが、良い、という返事をいただいてしまいました。
「それでは、明日の昼、香霖堂にお邪魔しますね」
「うん、わかったよ。それじゃあ、また明日」
別れを告げて、香霖堂を出ます。
これは夢じゃないか、と思って自分の頬を抓りました。
痛い。
夢じゃなく、明日はデートなのです。
なんだかいい気分になってきて、口の中で何度も復唱します。
「デート、デート。デートですか」
そうすると、もっと嬉しくなって、久しく歌ってなかった歌をくちずさみます。
きっと私は今、幻想郷一幸せなんでしょう。
その事を噛みしめながら、一歩ずつ歩きます。
「慧音さんと従者に、報告しないといけませんね」
『でえと』のことは、水に流してあげましょう。
今の私はいい気分なので。
――――――――――――――――――――――――――――――
帰り道に慧音さんの家に寄って、香霖堂でのことを話し、家に帰って従者に、同じことを話し。
少し興奮気味に話してしまったのですが、二人とも我が事の様に喜んでくれました。
そうしている内に時は過ぎ、いつの間にかもう夜。寝る時間になりました。
「『恋愛成就』ですか。ふふ」
二人が作ってくれたお守りを見つめます。
願掛けなんて性に合わないけれど、今回ばかりは別です。
「明日のデートが、上手くいきますように」
何度も願ったことですが、またしっかりと願います。
彼は朴念仁の気があるから、これくらい願うのがちょうどいいのです。
「上手く、いきますように……」
眠気に負けながらも、もう一つ願い事をします。
―――――――――明日こそ、想いを伝えられますように。
きっと、楽しい一日になる事でしょう。
読者も「阿求は病弱で短命」のイメージが根本にあるため、よほどのギャグ補正がかからなければどうしても死亡フラグを探してしまう傾向がある…阿求ちゃんマジ不憫
実際霖之助の性格は二次だと結構適当に扱われています、あまり壊れてなければ問題ないと思います
これは私の今更な意見ですが別に前の作品消さなくてもよかったですよ?
読者によっては過去作やそのコメントから成長を見る場合もあるので過去の評価を消しちゃうのは勿体ない、次回作以降でやるならタイトルに明記して一括再連載しちゃうぐらいでいいです
阿求が眠くなることが多いのは自分の描写力不足ですね(汗)もっとうまく場面を変えられるとこうはならないのですが。BADENDにはならないので大丈夫です(笑)
霖之助の性格は、少しキザな感じにはなりましたが、大方これで大丈夫でしょうか。
作品の再構成の作業に追われて、いつの間にか夜の12時を過ぎていたので、ついめんどくさがって消してしまいました。コメント等をしてくださった方には少し申し訳ないです。
次からはいろいろと気を付けたいと思います。
>>6番様 コメントありがとうございます。
阿求の初々しさと可愛らしさが出せていれば幸いです。
『、』については、感覚的に使っているのでつい多くなりすぎますね。
次回はそのあたりにも気を付けたいと思います。これからも頑張ります(笑)
練習法?としては、音読をしてみて違和感を持たないかどうか。それと『自分が』読んでいてこのテンポイイ!と思えるような作家さんのやり方を真似してみるこどですね。感覚の問題ですから、『自分が』ってのがわりと大事。
書籍を読んだ人間としては「あのこーりんが人に傘を貸す?ハハハ、そんなバカな」と思わなくもないですが、そこは二次創作の醍醐味。原作に忠実でなければならないなら原作だけやってりゃええがな、って話になるわけで。構わずお進みなさい。さすれば道は開けん。光あれ。
でもそれが本作のほんわかとした雰囲気を表しているようで、火の鳥さんの作風なのかなとも感じます。
6番さんの意見を否定するわけでは決してないですし、8番さんの言う通り正解はないのだと思いますが。
言葉は悪いですが、「勝手にしやがれ」って奴ですね。
作品自体はさっきも言ったようにとてもいい雰囲気の作品だなと思います。
阿求が僕のイメージよりも幼い感じで新鮮です。(上)ということで点数は出し惜しみしました。続編に期待しています。
ふむ、やはり句読点の量は多いですか。調節が難しいですが、そのあたりは経験あるのみといったところでしょうか。
僕の前に道はない、僕の後ろに道はできる。の精神で頑張りたいですね(笑)
>>10番様 コメントありがとうございます。
句読点はやっぱり(以下略 勝手にという訳ではないですが、自分の感覚も大切にしたいですね。
のんびりした雰囲気と、シリアスな雰囲気の書き分けにも挑戦したいと思います。
流れるように文章が進み、非常に読みやすかったです。
乙女な阿求の小説ですね。
タイトルからして非常に今後が不安なのですが、それでも読んでみたくなる。
このSSの魅力だと思います。
この話に魅力を覚えてくださった方がいらっしゃるというのが何よりの励みです。続きも、お時間があれば読んでくだされば幸いです。