「……はあ」
寒さも厳しい今日この頃のお昼、いつものように哨戒任務に就いていた白狼天狗は、大きくため息をもらした。
冷たい空気の中、吐く息は白く、白狼天狗は身を震わせる。
その背後から、別の白狼天狗がやってきて肩をポンと叩いた。
「お疲れ椛。交替だよ」
「あ、はい。お疲れ様です」
椛と呼ばれた白狼天狗はくるりと振り向くと、後ろに立っていた同僚の白狼天狗に笑顔を向けた。
今日の任務はこの同僚に引き継いでおしまい。少しは晴れ晴れとした気分にもなる。
「それでは後はよろしくお願いします」
「おう。あ、ちょっと待って」
椛はペコリと一礼し、この場を後にしようとする。
それを同僚天狗は呼びとめた。
「今夜はコレだから、遅れないでよ」
同僚はそう言いながら、お猪口を呷る仕草をして見せた。つまりコレとはそういうことである。
それに対して椛は、あははと笑った。
「哨戒白狼天狗の新年女子会ですよね? 分かってますよ」
「分かってるならいいさ。行ってよし」
「それでは失礼します」
もう一度頭を下げて、椛は帰路についた。
「……はあ」
家路の途中、椛はまた大きなため息をついた。
空中に白く漂うそれを眺めながら、椛は憂鬱な顔になりながら、ポツリと言葉を漏らす。
「新年女子会か、嫌だなあ……」
新年という言葉がついているが、それは会を開くための口実に過ぎない。
要は哨戒任務に就く白狼天狗の女仲間で集まって飲み会をしたいだけだ。
だから新年に限らず、一年中様々な機会を設けて会を開く。つい最近も忘年会をやったばかり。
単純な飲み会ならば椛だって参加するのにやぶさかではない。むしろ椛も酒は好きなので、是非とも参加したいぐらいだ。
だが問題は、飲み会の度にまるで恒例行事のように起こるある出来事。それこそが椛をして憂鬱たらしめている諸悪の根源であった。
先日行われた忘年会を例にして、説明しておこう。
宴も盛り上がり、女子会に参加した白狼天狗が全員いい具合に酔っ払ってきた頃、椛にとって先輩にあたる白狼天狗、先輩Aがずいずいと椛に寄りかかった。
「もみちゃ~ん。飲んでる~?」
「はい。頂いてます」
礼儀正しく応対する椛に、今度は先輩Bが寄ってくる。
「もう、もみちゃんは相変わらずお固いんだから~。無礼講なんだからもっと気楽にね」
「はあ、どうもそういうのは苦手で……」
バツの悪そうな椛に、今度は先輩Aが、んっふっふと怪しげな笑い声をあげた。
「そんなお固いもみちゃんも、こっちは結構柔らかいのよね~」
言いながら、先輩Aは十本の指をわきわきと波打たせる。
欲望溢れる二つの眼は、椛の胸元めがけて注がれる。
「ねえ、もみもみさせて?」
そら来た、と椛は思った。女子会を開くと毎度毎度この展開が訪れるのだ。
「あ、わたしももみもみした~い」
先輩Bも同調して、さらに十本の指がわきわきと波打った。合わせて二十本の指と四つの眼。
「やめてくださいよ先輩」
できるだけ朗らかに、拒絶の意志を示す。
しかしこれで引き下がってくれる方々なら、椛は苦労しない。
「いいじゃない。女同士なんだしさ~」
「女同士でも嫌なもんは嫌です」
「減るもんじゃないわ」
「わたしの中の何かが減るような気がします」
「ほら、骨っこあげるから」
「犬扱いしないでください」
「もみちゃんは『もみじ』って名前なんだから、もみもみは自然な流れよ? もみじもみもみ」
「意味が分かりません」
椛は欲望に満ちた先輩A、Bをのらりくらりといなしていく。突破されたら最後、破れた堰のように留まることなくもみもみされてしまう。
そこへ、後輩Cが「あの……」と遠慮がちに割り込んできた。無論、助け舟などではないのだが。
「わ、わたしも椛先輩のこともみもみしたいです!」
恥ずかしさを堪えながら告白する乙女のように、後輩Cはそう言ってのけた。
先輩Aも先輩Bも、それを快諾する。
「もちろんOKよ」
「一人でもみもみよりも二人でもみもみ。二人でもみもみよりも三人でもみもみよ」
「あの……わたしの意志を無視して話進めないでください」
聞こえていないのか、聞く気が無いのか(恐らく後者)、先輩A、Bとそこに加わった後輩Cの三十本の指と六つの眼。
それらと正面に対峙する椛は、彼女らのことを内心、イノシシと呼んでいた。正面から突っ込んでくる様がイノシシのようだから。
そして真っ正面から来る分、彼女たちへの応対は幾分か楽だった。何とかかわすこともできる。
しかし最も警戒すべきは別にいるのである。
「とったぁ!」
「しまった!?」
椛が後悔した頃には既に、背後から伸びる両手が椛の胸をがっしりと掴んでいた。
後輩Dの魔の手である。
「はっはっはぁ! 椛先輩のファーストもみもみはこのわたしが頂いたぁ!」
「ちょ、待、ふぁあ!」
後輩Dは、椛が正面から来る三人のイノシシに気を取られている隙に背後から音もなく急襲する。
故に椛はこの後輩Dのことを内心フクロウと呼んでいた。ある程度酒が回っている椛がこれに対抗するのは至難の業だった。
「椛先輩をもみもみするために、わたしは日夜修行を積んでいるのです。おお、至高の感触」
「こら、やめ……あふん」
フクロウが椛をもみもみする光景を、羨ましそうに眺めるのはイノシシたち。
だが彼女たちにしてみても、この状況は歓迎するものなのだ。
「じゃあセカンドもみもみはわたしが頂くわぁ~!」
「させないわ。セカンドもみもみはわたしのものよ!」
「わたしも椛先輩のセカンドもみもみ欲しいです!」
「わにゃああ!?」
フクロウにより後方から切り崩された椛のガードは前方のイノシシたちの突進によりいともたやすく崩され、もみもみし放題。
さらに椛にとって悪いことは、事態がこれで収まってくれないこと。
「もみちゃんたち何してるの?」
「あはは、椛ってばまたもみもみされてる」
「じゃあわたしも椛先輩のこともみもみしちゃお!」
先輩、同期、後輩を問わず、E以下女子会の参加者たち全員がこぞってもみもみしてくるのだ。
椛は彼女たちのことを内心ハイエナと呼んでいたが、最早成す術は無かった。
「……はあ」
忘年会のことを思い返し、この日一番の大きなため息。
イノシシとフクロウとハイエナたちの猛攻は女子会を開く度に行われる。つまり、今日の新年女子会においても椛はもみもみされてしまうのだ。
だったら参加しなければいい、という選択肢は無い。参加は義務なのだ。
「ああ、わたしが『もみじ』という名前だからこんなことに……」
トボトボと歩きながら呟く。
先輩が言っていた、もみじもみもみという言葉。陳腐ではあるが、確かに語呂はいい。
椛本人にしてみればたまったものではないのだが。
聞くところによると、椛という名は紅葉美しい秋に生まれたことから椛の父上様と母上様がつけたらしい。
「父上様、母上様。椛という美しい名を授けてくださった貴方たちを恨むつもりはありませんが、この名はわたしが背負うにはあまりに酷でした」
天を仰ぎ、敬愛する父上様と母上様の面影を思い浮かべる。(まだ生きてるけど)
幼き日の思い出。
厳しくも優しく、白狼天狗として立派になるよう稽古してくださった父上様。
そして稽古疲れで痛む筋肉を柔らかくマッサージしてくださった母上様。
その時母上様がかけてくださった言葉と言えば……
『今日もお疲れ様。それじゃあ横になって。はい、もみじもみもみ』
「…………」
思い出して、椛は絶句した。
もみじもみもみという哀しき宿命は、既に幼き日より敬愛する母上様によって背負わされていたのだ。
逃れられない十字架。
乾いた笑いが、椛の口から零れた。
「は、ははは……母上様、貴女に何の他意も無かったことをわたしは信じています……ですが、これはあまりにも酷というものでしょう……」
「うわっ!? 椛、貴女一体どうしたの?」
ショックのあまり半ば放心状態になってふらふらと歩く椛に、たまたま通りかかった烏天狗が話しかけた。
すると椛は、烏天狗を見るや否や哀しい目をしてその肩を掴みかかった。
「あ、文さん……今日飲み会があって……いつももみもみで……わたしはもみじで……母上様ももみもみで……!」
「わああ!? ちょ、ちょっと落ち着いて。そうだ、貴女の家はすぐ近くだったわよね? 送ってあげるから、そこで話を聞くから落ち着いて!」
肩をガクガクと揺さぶってくる椛に狼狽し、烏天狗の文は何とか気を静めさせようとした。
それでも中々落ち着かない椛を宥めながら、文は彼女を家まで引っ張っていった。
「落ち着いた?」
「はい……すいません、お見苦しいところをお見せしました」
コップ一杯の水を飲み、ようやく落ち着きを取り戻した椛は深々とこうべを垂れた。
文はそんな椛の頭をあやすように撫でながら、そんなに謝らないでと声をかける。
その言葉に、椛はまだ申し訳なさそうな顔をしながら面をあげた。
「えーっと、要するに女子会の度にもみじもみもみと同僚からセクハラを受けるから悩んでいたと、そういうことでいいのね?」
「はい、大方その通りです」
椛の話をもとに概略をまとめた文と、それにしずしずと答える椛。
文は椛の様子を、そして胸元を一瞥した。
「椛、貴女さらしは巻いてる?」
「巻いてますけど」
「さらしを巻いてそれか……」
一言呟いてから、文は納得したように首を縦に振る。
椛は不思議そうな目で文を見た。
「どうしたんです?」
「いや、まあ、その……」
問われた文は、必死に目を泳がせた。
しかしじっと見つめてくる椛の瞳に耐えかねて、意を決して思ったことを吐き出した。
「ぶっちゃけるとね、さらしを巻いてそれは流石に椛けしからんぞというか、同僚の気持ちが分かるというか、もみもみに興味が惹かれるというか……」
「あ、文さん……!」
文の言葉を聞いて、椛は慌てて自分の胸をガードした。
文は文で、欲望に忠実になりかけた自身を何とか律し、手をぶんぶんと振った。
「ご、ごめんなさい椛! 大丈夫だから! そんなに警戒しないで!」
「ほ、本当ですか……?」
「本当本当! 何なら椛の悩みを解決するために手伝っちゃうから!」
「えっ?」
悩みを解決するというフレーズに、椛の体がピクリと反応する。
その反応を目ざとく察知した文は、片手を椛の肩に乗せながら親指をたてた。
「わたしにいい考えがある。安心して新年の女子会に参加してきなさい!」
文の態度はやけに自信に満ちており、椛にはとても頼もしそうに見えた。
「は、はい!」
文の申し出に一も二もなく快諾したのであった。
「本当に大丈夫なのかなあ……」
日も沈んだ頃、先輩白狼天狗の家に集まって新年の女子会が開催された。
この家には広い座敷があり、二、三十人は収容できる。そこで飲み会はいつものように行われる。
文に背中を押され参加した椛ではあったものの、しかしここに文の姿は無い。
心中不安なまま女子会はスタートし、皆いつものように酒を呷って盛り上がった。
「いえ~い。もみちゃん飲んでる~?」
「ええ、頂いてます」
「嘘おっしゃい。さっきから見てたけど、もみちゃん今日はあんまりお酒進んでないわよ?」
いつものように、先輩Aと先輩Bが話しかけてきた。
チラッと離れて座っている後輩Cと後輩Dの様子を見ると、あちらもこちらの様子をチラチラと窺っていたようで、慌てて目をそらしていた。
小さくため息を零しつつ、椛はとりあえず目の前の先輩A、Bに笑顔を向けた。
「頂いてますって。ほら!」
「おお、見事な飲みっぷり!」
「もみちゃんさいこ~!」
見せつけるように椛がお猪口を呷ると、二人の先輩は楽しそうに拍手をした。
そして先輩Aが徳利から椛のお猪口にお酒を注ぐと、そのついでに椛の胸元を一瞥し、うふふと笑った。
「わたし、もみちゃんのこっちも気になるな~」
「あ、わたしも~」
先輩Aに先輩Bも同調する。いつものパターン。
今回も駄目なのか。椛が絶望していた時、いつもとは違う予想外の事態が発生した。
「ちょっと待ったぁ!」
外から突然聞こえてきた大声。
それと同時に、座敷の戸が開かれて、ずかずかと入ってくる影一つ。
椛を含む参加者全員がその姿に驚き固まっていた中を、影は無遠慮に椛のもとまで闊歩した。
「犬走椛の胸をもみもみ揉みしだく不届き者どもよ聞けい! この烏天狗、射命丸文様が一言物申す!」
「え、わひゃあ!?」
大見得をきりながら高らかに語った文は、その勢いのまま椛の胸を背後から鷲掴みにしてもみもみした。
そして思わず声を出した椛に、少しだけ我慢して、と耳打ちしてから、再び唖然とする白狼天狗たちに向かって大きな声で語りかけた。
「犬走椛の胸は、今日よりこの射命丸文が制圧した! よってわたしに断り無く椛をもみもみすることは決して許されない! これを破りもみもみすることは、わたしに対する宣戦布告と見なす! 椛をもみもみして良いのは、わたしだけなのだ!」
射命丸文によるもみもみ独占宣言が発布された後も、女子会は文がそのまま飛び入り参加して滞りなく盛り上がった。
そもそも椛をもみもみすることは飲み会の中での一つのアクセントに過ぎず、無くなっても大した痛手では無かったのである。
一部不満を持った者もいないでは無かったが(ABCDあたり)、上下関係の厳しい天狗社会にあっては白狼天狗が烏天狗に逆らえるわけもなく、事態は収束した。
そんなわけで、波乱の新年女子会は言うほど波風立たず無事お開きとなり、椛はお礼を兼ねて文を自宅に招いた。
「今日は本当にありがとうございました。これからは何の気兼ねもなく飲み会に参加できます」
「ふっふっふ。まあいいってことよ」
喜び頭を下げる椛に、酒を飲み赤ら顔の文は手をひらひらと振って上機嫌に笑った。
「ふっふっふ。それはそうと椛、さっき思ったんだけどふっふっふ……」
「あ、文さん? 何か笑い方が恐いんですけど」
文の笑い方は、次第に不気味さを帯びてきた。
椛はビクつくが、文はお構いなしだった。
「さっき実際に貴女をもみもみしてみて、その素晴らしさを理解したのよ。至高のもみもみ、これは人を狂わせる……うふふ」
「あの……どうしたんですか?」
文は、ある種の悟った目をしていた。
「実際問題、貴女をもみもみする権利はわたしが独占してしまったわけで……今度は……さらし無しで……」
「え、ちょ、文さん……」
抑えきれない衝動に体を震わせる文と、恐怖に体を震わせる椛。
震えているという点のみでは共通だが、内実は全く異なる二人。
そして酒に酔った文に、この溢れる衝動を抑えきることはできなかった。
「もみもみー!」
「わああああ!?」
いざもみもみせんと文は勢いよく椛の胸めがけて飛びつく。
しかし、椛も黙ってやられるわけではなかった。
「へぶっ!?」
椛渾身の右ストレートが文の顔面にカウンターヒット。
文はその場に崩れ落ちた。
「文さんの馬鹿! スケベ! 変態!」
椛自身酒の力もあってか、怒濤の勢いで文に罵詈雑言を浴びせかける。
そしてそのまま崩れ落ちた文の体を簀巻きにして持ち上げた。
「あ、椛、落ち着いて! 文さん流石にこれは駄目だと思うなあ」
「うるさい! もう文さん何か知らない!」
「ああ!?」
制止する文の声などには耳をかさず、椛は文を外へ放り投げたのであった。
寒さも厳しい今日この頃のお昼、いつものように哨戒任務に就いていた白狼天狗は、大きくため息をもらした。
冷たい空気の中、吐く息は白く、白狼天狗は身を震わせる。
その背後から、別の白狼天狗がやってきて肩をポンと叩いた。
「お疲れ椛。交替だよ」
「あ、はい。お疲れ様です」
椛と呼ばれた白狼天狗はくるりと振り向くと、後ろに立っていた同僚の白狼天狗に笑顔を向けた。
今日の任務はこの同僚に引き継いでおしまい。少しは晴れ晴れとした気分にもなる。
「それでは後はよろしくお願いします」
「おう。あ、ちょっと待って」
椛はペコリと一礼し、この場を後にしようとする。
それを同僚天狗は呼びとめた。
「今夜はコレだから、遅れないでよ」
同僚はそう言いながら、お猪口を呷る仕草をして見せた。つまりコレとはそういうことである。
それに対して椛は、あははと笑った。
「哨戒白狼天狗の新年女子会ですよね? 分かってますよ」
「分かってるならいいさ。行ってよし」
「それでは失礼します」
もう一度頭を下げて、椛は帰路についた。
「……はあ」
家路の途中、椛はまた大きなため息をついた。
空中に白く漂うそれを眺めながら、椛は憂鬱な顔になりながら、ポツリと言葉を漏らす。
「新年女子会か、嫌だなあ……」
新年という言葉がついているが、それは会を開くための口実に過ぎない。
要は哨戒任務に就く白狼天狗の女仲間で集まって飲み会をしたいだけだ。
だから新年に限らず、一年中様々な機会を設けて会を開く。つい最近も忘年会をやったばかり。
単純な飲み会ならば椛だって参加するのにやぶさかではない。むしろ椛も酒は好きなので、是非とも参加したいぐらいだ。
だが問題は、飲み会の度にまるで恒例行事のように起こるある出来事。それこそが椛をして憂鬱たらしめている諸悪の根源であった。
先日行われた忘年会を例にして、説明しておこう。
宴も盛り上がり、女子会に参加した白狼天狗が全員いい具合に酔っ払ってきた頃、椛にとって先輩にあたる白狼天狗、先輩Aがずいずいと椛に寄りかかった。
「もみちゃ~ん。飲んでる~?」
「はい。頂いてます」
礼儀正しく応対する椛に、今度は先輩Bが寄ってくる。
「もう、もみちゃんは相変わらずお固いんだから~。無礼講なんだからもっと気楽にね」
「はあ、どうもそういうのは苦手で……」
バツの悪そうな椛に、今度は先輩Aが、んっふっふと怪しげな笑い声をあげた。
「そんなお固いもみちゃんも、こっちは結構柔らかいのよね~」
言いながら、先輩Aは十本の指をわきわきと波打たせる。
欲望溢れる二つの眼は、椛の胸元めがけて注がれる。
「ねえ、もみもみさせて?」
そら来た、と椛は思った。女子会を開くと毎度毎度この展開が訪れるのだ。
「あ、わたしももみもみした~い」
先輩Bも同調して、さらに十本の指がわきわきと波打った。合わせて二十本の指と四つの眼。
「やめてくださいよ先輩」
できるだけ朗らかに、拒絶の意志を示す。
しかしこれで引き下がってくれる方々なら、椛は苦労しない。
「いいじゃない。女同士なんだしさ~」
「女同士でも嫌なもんは嫌です」
「減るもんじゃないわ」
「わたしの中の何かが減るような気がします」
「ほら、骨っこあげるから」
「犬扱いしないでください」
「もみちゃんは『もみじ』って名前なんだから、もみもみは自然な流れよ? もみじもみもみ」
「意味が分かりません」
椛は欲望に満ちた先輩A、Bをのらりくらりといなしていく。突破されたら最後、破れた堰のように留まることなくもみもみされてしまう。
そこへ、後輩Cが「あの……」と遠慮がちに割り込んできた。無論、助け舟などではないのだが。
「わ、わたしも椛先輩のこともみもみしたいです!」
恥ずかしさを堪えながら告白する乙女のように、後輩Cはそう言ってのけた。
先輩Aも先輩Bも、それを快諾する。
「もちろんOKよ」
「一人でもみもみよりも二人でもみもみ。二人でもみもみよりも三人でもみもみよ」
「あの……わたしの意志を無視して話進めないでください」
聞こえていないのか、聞く気が無いのか(恐らく後者)、先輩A、Bとそこに加わった後輩Cの三十本の指と六つの眼。
それらと正面に対峙する椛は、彼女らのことを内心、イノシシと呼んでいた。正面から突っ込んでくる様がイノシシのようだから。
そして真っ正面から来る分、彼女たちへの応対は幾分か楽だった。何とかかわすこともできる。
しかし最も警戒すべきは別にいるのである。
「とったぁ!」
「しまった!?」
椛が後悔した頃には既に、背後から伸びる両手が椛の胸をがっしりと掴んでいた。
後輩Dの魔の手である。
「はっはっはぁ! 椛先輩のファーストもみもみはこのわたしが頂いたぁ!」
「ちょ、待、ふぁあ!」
後輩Dは、椛が正面から来る三人のイノシシに気を取られている隙に背後から音もなく急襲する。
故に椛はこの後輩Dのことを内心フクロウと呼んでいた。ある程度酒が回っている椛がこれに対抗するのは至難の業だった。
「椛先輩をもみもみするために、わたしは日夜修行を積んでいるのです。おお、至高の感触」
「こら、やめ……あふん」
フクロウが椛をもみもみする光景を、羨ましそうに眺めるのはイノシシたち。
だが彼女たちにしてみても、この状況は歓迎するものなのだ。
「じゃあセカンドもみもみはわたしが頂くわぁ~!」
「させないわ。セカンドもみもみはわたしのものよ!」
「わたしも椛先輩のセカンドもみもみ欲しいです!」
「わにゃああ!?」
フクロウにより後方から切り崩された椛のガードは前方のイノシシたちの突進によりいともたやすく崩され、もみもみし放題。
さらに椛にとって悪いことは、事態がこれで収まってくれないこと。
「もみちゃんたち何してるの?」
「あはは、椛ってばまたもみもみされてる」
「じゃあわたしも椛先輩のこともみもみしちゃお!」
先輩、同期、後輩を問わず、E以下女子会の参加者たち全員がこぞってもみもみしてくるのだ。
椛は彼女たちのことを内心ハイエナと呼んでいたが、最早成す術は無かった。
「……はあ」
忘年会のことを思い返し、この日一番の大きなため息。
イノシシとフクロウとハイエナたちの猛攻は女子会を開く度に行われる。つまり、今日の新年女子会においても椛はもみもみされてしまうのだ。
だったら参加しなければいい、という選択肢は無い。参加は義務なのだ。
「ああ、わたしが『もみじ』という名前だからこんなことに……」
トボトボと歩きながら呟く。
先輩が言っていた、もみじもみもみという言葉。陳腐ではあるが、確かに語呂はいい。
椛本人にしてみればたまったものではないのだが。
聞くところによると、椛という名は紅葉美しい秋に生まれたことから椛の父上様と母上様がつけたらしい。
「父上様、母上様。椛という美しい名を授けてくださった貴方たちを恨むつもりはありませんが、この名はわたしが背負うにはあまりに酷でした」
天を仰ぎ、敬愛する父上様と母上様の面影を思い浮かべる。(まだ生きてるけど)
幼き日の思い出。
厳しくも優しく、白狼天狗として立派になるよう稽古してくださった父上様。
そして稽古疲れで痛む筋肉を柔らかくマッサージしてくださった母上様。
その時母上様がかけてくださった言葉と言えば……
『今日もお疲れ様。それじゃあ横になって。はい、もみじもみもみ』
「…………」
思い出して、椛は絶句した。
もみじもみもみという哀しき宿命は、既に幼き日より敬愛する母上様によって背負わされていたのだ。
逃れられない十字架。
乾いた笑いが、椛の口から零れた。
「は、ははは……母上様、貴女に何の他意も無かったことをわたしは信じています……ですが、これはあまりにも酷というものでしょう……」
「うわっ!? 椛、貴女一体どうしたの?」
ショックのあまり半ば放心状態になってふらふらと歩く椛に、たまたま通りかかった烏天狗が話しかけた。
すると椛は、烏天狗を見るや否や哀しい目をしてその肩を掴みかかった。
「あ、文さん……今日飲み会があって……いつももみもみで……わたしはもみじで……母上様ももみもみで……!」
「わああ!? ちょ、ちょっと落ち着いて。そうだ、貴女の家はすぐ近くだったわよね? 送ってあげるから、そこで話を聞くから落ち着いて!」
肩をガクガクと揺さぶってくる椛に狼狽し、烏天狗の文は何とか気を静めさせようとした。
それでも中々落ち着かない椛を宥めながら、文は彼女を家まで引っ張っていった。
「落ち着いた?」
「はい……すいません、お見苦しいところをお見せしました」
コップ一杯の水を飲み、ようやく落ち着きを取り戻した椛は深々とこうべを垂れた。
文はそんな椛の頭をあやすように撫でながら、そんなに謝らないでと声をかける。
その言葉に、椛はまだ申し訳なさそうな顔をしながら面をあげた。
「えーっと、要するに女子会の度にもみじもみもみと同僚からセクハラを受けるから悩んでいたと、そういうことでいいのね?」
「はい、大方その通りです」
椛の話をもとに概略をまとめた文と、それにしずしずと答える椛。
文は椛の様子を、そして胸元を一瞥した。
「椛、貴女さらしは巻いてる?」
「巻いてますけど」
「さらしを巻いてそれか……」
一言呟いてから、文は納得したように首を縦に振る。
椛は不思議そうな目で文を見た。
「どうしたんです?」
「いや、まあ、その……」
問われた文は、必死に目を泳がせた。
しかしじっと見つめてくる椛の瞳に耐えかねて、意を決して思ったことを吐き出した。
「ぶっちゃけるとね、さらしを巻いてそれは流石に椛けしからんぞというか、同僚の気持ちが分かるというか、もみもみに興味が惹かれるというか……」
「あ、文さん……!」
文の言葉を聞いて、椛は慌てて自分の胸をガードした。
文は文で、欲望に忠実になりかけた自身を何とか律し、手をぶんぶんと振った。
「ご、ごめんなさい椛! 大丈夫だから! そんなに警戒しないで!」
「ほ、本当ですか……?」
「本当本当! 何なら椛の悩みを解決するために手伝っちゃうから!」
「えっ?」
悩みを解決するというフレーズに、椛の体がピクリと反応する。
その反応を目ざとく察知した文は、片手を椛の肩に乗せながら親指をたてた。
「わたしにいい考えがある。安心して新年の女子会に参加してきなさい!」
文の態度はやけに自信に満ちており、椛にはとても頼もしそうに見えた。
「は、はい!」
文の申し出に一も二もなく快諾したのであった。
「本当に大丈夫なのかなあ……」
日も沈んだ頃、先輩白狼天狗の家に集まって新年の女子会が開催された。
この家には広い座敷があり、二、三十人は収容できる。そこで飲み会はいつものように行われる。
文に背中を押され参加した椛ではあったものの、しかしここに文の姿は無い。
心中不安なまま女子会はスタートし、皆いつものように酒を呷って盛り上がった。
「いえ~い。もみちゃん飲んでる~?」
「ええ、頂いてます」
「嘘おっしゃい。さっきから見てたけど、もみちゃん今日はあんまりお酒進んでないわよ?」
いつものように、先輩Aと先輩Bが話しかけてきた。
チラッと離れて座っている後輩Cと後輩Dの様子を見ると、あちらもこちらの様子をチラチラと窺っていたようで、慌てて目をそらしていた。
小さくため息を零しつつ、椛はとりあえず目の前の先輩A、Bに笑顔を向けた。
「頂いてますって。ほら!」
「おお、見事な飲みっぷり!」
「もみちゃんさいこ~!」
見せつけるように椛がお猪口を呷ると、二人の先輩は楽しそうに拍手をした。
そして先輩Aが徳利から椛のお猪口にお酒を注ぐと、そのついでに椛の胸元を一瞥し、うふふと笑った。
「わたし、もみちゃんのこっちも気になるな~」
「あ、わたしも~」
先輩Aに先輩Bも同調する。いつものパターン。
今回も駄目なのか。椛が絶望していた時、いつもとは違う予想外の事態が発生した。
「ちょっと待ったぁ!」
外から突然聞こえてきた大声。
それと同時に、座敷の戸が開かれて、ずかずかと入ってくる影一つ。
椛を含む参加者全員がその姿に驚き固まっていた中を、影は無遠慮に椛のもとまで闊歩した。
「犬走椛の胸をもみもみ揉みしだく不届き者どもよ聞けい! この烏天狗、射命丸文様が一言物申す!」
「え、わひゃあ!?」
大見得をきりながら高らかに語った文は、その勢いのまま椛の胸を背後から鷲掴みにしてもみもみした。
そして思わず声を出した椛に、少しだけ我慢して、と耳打ちしてから、再び唖然とする白狼天狗たちに向かって大きな声で語りかけた。
「犬走椛の胸は、今日よりこの射命丸文が制圧した! よってわたしに断り無く椛をもみもみすることは決して許されない! これを破りもみもみすることは、わたしに対する宣戦布告と見なす! 椛をもみもみして良いのは、わたしだけなのだ!」
射命丸文によるもみもみ独占宣言が発布された後も、女子会は文がそのまま飛び入り参加して滞りなく盛り上がった。
そもそも椛をもみもみすることは飲み会の中での一つのアクセントに過ぎず、無くなっても大した痛手では無かったのである。
一部不満を持った者もいないでは無かったが(ABCDあたり)、上下関係の厳しい天狗社会にあっては白狼天狗が烏天狗に逆らえるわけもなく、事態は収束した。
そんなわけで、波乱の新年女子会は言うほど波風立たず無事お開きとなり、椛はお礼を兼ねて文を自宅に招いた。
「今日は本当にありがとうございました。これからは何の気兼ねもなく飲み会に参加できます」
「ふっふっふ。まあいいってことよ」
喜び頭を下げる椛に、酒を飲み赤ら顔の文は手をひらひらと振って上機嫌に笑った。
「ふっふっふ。それはそうと椛、さっき思ったんだけどふっふっふ……」
「あ、文さん? 何か笑い方が恐いんですけど」
文の笑い方は、次第に不気味さを帯びてきた。
椛はビクつくが、文はお構いなしだった。
「さっき実際に貴女をもみもみしてみて、その素晴らしさを理解したのよ。至高のもみもみ、これは人を狂わせる……うふふ」
「あの……どうしたんですか?」
文は、ある種の悟った目をしていた。
「実際問題、貴女をもみもみする権利はわたしが独占してしまったわけで……今度は……さらし無しで……」
「え、ちょ、文さん……」
抑えきれない衝動に体を震わせる文と、恐怖に体を震わせる椛。
震えているという点のみでは共通だが、内実は全く異なる二人。
そして酒に酔った文に、この溢れる衝動を抑えきることはできなかった。
「もみもみー!」
「わああああ!?」
いざもみもみせんと文は勢いよく椛の胸めがけて飛びつく。
しかし、椛も黙ってやられるわけではなかった。
「へぶっ!?」
椛渾身の右ストレートが文の顔面にカウンターヒット。
文はその場に崩れ落ちた。
「文さんの馬鹿! スケベ! 変態!」
椛自身酒の力もあってか、怒濤の勢いで文に罵詈雑言を浴びせかける。
そしてそのまま崩れ落ちた文の体を簀巻きにして持ち上げた。
「あ、椛、落ち着いて! 文さん流石にこれは駄目だと思うなあ」
「うるさい! もう文さん何か知らない!」
「ああ!?」
制止する文の声などには耳をかさず、椛は文を外へ放り投げたのであった。
親からも文からももみもみされて先輩がもみもみをもみもみしてて最高や!
もみもみ もみもみ
もみもみってなんだろう もみもみ もみもみ
わふぅん
あ、満点でお願いします。
もみもみもみじ(無心)
もみじもみもみもみもみ……
と行きたいような突き抜けた天晴れさではあったものの、不満があったので減点にござる。
胸もいいけど、尻尾を忘れるな!
どんだけなのか興味あるので自分ももみもみさせてくれー