私は、ずっと一人だった。
天界に上って数百年、未だ馴染めない私を誰かは不良天人といい、誰かは比那名居家の総領娘といい、私を比那名居天子と見てくれるものは誰もいなかった。
天人も、天女も、父と母でさえ私という存在に関心を持たず、上辺だけで判断していた。
孤独だった。
寂しくて、寂しさから来る心の隙間を埋めたくて、だから異変を起こした。
そして、やばいのがきた。
私の待ち望んだものが来た。
「この大地から往ね」
私は、私にそう言い放った妖怪と一対一で対峙していた。
状況は極めて悪い。さっきから必死に戦っているけどまるで通じている気がしないし、こっちの体はもうボロボロ。
頑丈な体だから出血こそしてないけど、積み重なったダメージに体の節々が悲鳴を上げてる。もうお遊びの域じゃないなこれ。
そもそもこいつが現れた時点で、博麗神社のっとり計画は頓挫している。何もかもが台無しに見える。
けど私は、立たせられた窮地に、目の前に敵がいるこの状況に笑いを隠さずにはいられなかった。
「くっ、ふははは。あはははは」
「……気でも違ったの?」
「そんなんじゃないわよ。嬉しいのよ、ただ単純にね」
妙な私に妖怪は警戒を強めたようだけど、生憎とそんな奥の手があるわけじゃない。
特にどうすることもなく、私はあっけなく負ける。
「ねぇ、あなた私のこと嫌い?」
「……この郷を傷つける者は誰だって嫌いよ」
「憎い?」
「……えぇ」
妖怪らしい凶暴な目を見開いてにらみつけてくる。殺気やばいなぁ、怖いなぁ。
けど、圧倒的な敵意が込められたその眼は、確かに私を見つめている。
私という存在を認めてくれている。
「そりゃあ、素敵だわ。いつかこの郷がなくなるその日まで、私を憎んでくれるやつがいるなんて」
「あなたを好いているわけではないんだけれど」
「同じよ。好きだろうが嫌いだろうが、この私に目が行くならそれでいい。そうなれば退屈せずにすむじゃない」
「……あなたの考えはわかったわ。でも気に入らない」
相対する妖怪が一歩踏み出すと、殺気と妖気がびしびしと肌を打った。
「もっと別のやり方があってでしょうに。こんな野蛮なやり方なんてせず、何で穏便に出来なかったの」
別の方法。
例えば、異変を起こして誰かの恨みを買ったりせず、ニコニコしながら宴会場にでも近づいて。
笑みを絶やさず相手の機嫌を取りながら、自然とその輪に溶け込むとか。
「……だってさ、こっちの方が面白いじゃん」
それができるほど素直なら、こんなことしてないって。
「そう」
私の言葉に対して妖怪はそれだけ言うと、ぴたりと殺気と妖気が止んだ。
戦う気がなくなった? いいや、これは嵐の前の静けさだ。
その証拠に、意識を凝らしてみればその妖怪から凝縮された妖気が漏れ出しているのがわかる。
それが指向性を持って開放されたとき、どれほどの脅威となるか。
想像しただけでも体中が危険だと叫び震えが走る。すぐにでも逃げ出せ本能が騒ぐ。
けどこれは私のものだ。
代替できる存在などいない、私にだけ向けられた敵意だ。
震えは止まる。本能は歪んだ理性で押さえ込む。
ニヤリともう一度笑みを浮かべて、私はその手に握る剣を構えた。
「さぁ、楽しませてよね!!!」
◇ ◆ ◇
そんなスペルカードルールから片足はみ出した死闘の過去はどこへやら。
「はぁい、天子メリークリスマス!」
「帰れスキマババア」
いつもどおり突然家に押しかけてきた紫に、容赦なく言葉のナイフを浴びせた。
「せっかく訪ねてきたのに帰れだなんて。これが噂のツンデレなのね」
「デレはねーよ、ツンだけだよ。だからさっさと帰りなさいよ」
「ツンツンしてるだけだなんてそんな、ゾクゾクするわ」
「もうやだこの変態妖怪……」
毎回毎回、こいつはあの時のあの妖怪なのかと疑いたくなる。
でも変えようのない事実です、間違いなく私を打ち倒したおっかない妖怪です。
なんでこんなのが無駄に強いんだろうなと思うと、世の中の理不尽さに怒りたくなる。私も割りと人のこと言えないだろうけど。
「っていうか、何であんたちょくちょく起きてくるのよ。冬眠してるのに週一で顔合わせるってどういうことよ」
「だって一人で寝てるの寂しいんだもの。ゆかりんは放っておくと寂しくて死んでしまうか弱い妖怪です」
「嘘つけ。もし死ぬとしてもその前に自分から騒ぎ起こして、周りを引っ掻き回すタイプでしょ。同類だからわかるわ」
「違うわ、引っ掻き回すのは天子だけよ」
「執拗に私をロックオンするの止めて!?」
この押せ押せな態度。前々から変なやつだったけど、冬眠の時期に入ってからは大人っぽい部分が引っ込んで本能むき出しな気がする。
紫自身が言っているとおり寂しいから反動でそうなってるのか、眠いのに無理して起きてるからテンションおかしいのか、どっちにしろずっと酔っ払いの相手でもしてる気分だ。
「まぁ、そんなわけで今日はクリスマス。そんな日に一人で寝てるなんて、私のガラスのハートはとてもじゃないけど耐えられないわ」
「そうよね、何重も結界を張って誰も近づけない鉄壁の強化ガラスハートね。寂しいなら他にも当るのに何でこんなところ来るんだか。藍とか橙とか、友達だったら幽々子とか萃香とかいるのに」
「藍は橙と、幽々子は妖夢とお祝い中。萃香は博麗神社で宴会。みんな私のこと放って仲睦まじそうにして!」
「いやいや、そりゃ寝っぱなしのやつなんか、誰も予定には入れないでしょ」
「そんなわけで、私は今日も天界でぼっちの天子の元へやってきたのでした」
「ぼっち言うな!」
いやぼっち違うよ?
異変以降それなりに友達も出来たし、決してぼっちじゃないはずだ。はずよね?
「それはいいとして騒ぎましょうか」
「切り替え早いなぁ」
「それでは、こちらが今年のクリスマスケーキになります」
「今年のて、こいつ毎年来る気か……って、なにこれでか!?」
紫がスキマから取り出したのは、真っ白なクリームの上にイチゴを乗せた、三段に積み重ねられた巨大ケーキ。
その頂点にはそれぞれ黒と白の衣装に身を包んだ男女の砂糖菓子が……。
「って、これウェディングケーキ!」
「しまった、間違ったわ」
「何をどうまかり間違えばこうなるのよ!? どうするのよ、食べきれないわよこんなに」
「でも残して腐らせでもしたら藍に叱られそうよねぇ」
「威厳ないなぁ、妖怪の賢者……」
どっかの亡霊じゃあるまいし、そんなに食えるわけないだろと。
内心悪態をついていると、ケーキの甘い香りに混じって、思わず顔をしかめるようなちょっと嫌な臭いが漂っているのに気がついた。
「いいわ、いいわ。そんなに言うなら私が独り占め」
「ちょい待ち」
「何かしら、やっぱり天子の食べたいの? あーんしてあげましょう」
「違うわよ! あーんもいらない! ちょっとじっとして」
ナイフを取り出してケーキを切り分けようとする紫を制して、近くによってその臭いを嗅いでみた。
「くんくん、くん」
「あ、あら天子。そういうプレイ? 臭いフェチなの? 天子が望むならそういうのもありだけど、そういう慣れないのはちょっと恥か」
「紫、今日お風呂入った?」
頬に手を当てて恥かしそうに実をくねらせていた紫が一転して無表情になった。
「……入ってないわ」
「前起きたのいつ? その時は入った?」
「……丁度一週間前、眠かったから面倒で」
「その更に前は、っていうかお風呂入ったのいつよ?」
「…………」
目を逸らすな。
「えっと、天子。できれば簡潔にオブラートに包んで、何を思ってるのか言ってほしいわ」
「クサイ」
「実家に帰らせてもらいます!」
「待てぇ!!」
目に涙を浮かべながら、スキマに飛び込もうとする紫の方をがっちり押さえ込んだ。
「やめて帰らせて! 女の子にクサイって言われるなんてもう生きてられないわ。実家に帰って眠らせていただきます!!」
「ただの不貞寝でしょそれ! あんた寝たら当分起きられないんだから、まずちょっと落ち着いて行動しなさいよ!」
「やだー、ゆかりんかえるー!」と駄々っ子みたいに暴れる紫を取り押さえて、ひとまず落ち着かせた。
わずかではあるが、確実に異臭を放つ紫はいつの間にか持ってたハンカチで流れる涙を拭いていた。
「うぅ、そうよ、お風呂なんて冬眠前に入ったきりよ。こんな不潔じゃババアなんて呼ばれても仕方ないわ……」
「いや、くさくなくてもババアは言うけどね」
紫が冬眠しだしたのは一ヶ月以上も前。
そんなに長い間お風呂入ってなけりゃそりゃ臭ってくるわ。
「とりあえず楽しみ前にお風呂! 一ヶ月も体洗ってないとか、ハッキリ言って女性として終わってるわよ」
「おわ、おわって、うふふふふ」
「落ち込むのはあと。何でそうなる前で放ってたのよ、ちょくちょく起きてるんだから、その時に入れば良かったじゃない」
「それは、そうなんだけれどね……」
見た目と普段の振る舞いとは逆に、割と内面は女の子的なところもあるから身だしなみは整えてる方だったのに。
らしくないなぁと思ってつっこんでみると、紫はしどろもどろに口を開いた。
「……起きていられる時間は、そんなに長くないから」
「だからこそぱぱっと入らなきゃ駄目じゃないのよ」
「わかってるんだけど……」
「なに?」
「できれば、わずかな時間くらいは騒いでいたいもの」
少し憂い気にそう言われて、あぁそうかと納得した。
こいつは、寂しいからここにいるんだった。他のことなんて二の次。
他人から見れば、そんなことくらいでだらしがないと流すかもしれない。
けど、私はそうはできなかった。
「えーと、下界で買ったパジャマどこしまったっけ。いや、パジャマで飛ぶとか恥かしいから、このままでいいか。じゃあいるのはお金と、あとはタオルとか……」
「……天子?」
ぶつくさ言いながら戸棚を漁りだした私に、紫が不思議そうに声をかけてきた。
「なに?」
「いや、なにはこっちの台詞なんだけど。どうしたの」
「銭湯行くに決まってるでしょ」
一瞬何を言ったのかわからなかったのかポカンとする紫だったけど、私の言葉を飲み込むと表情を変えて、薄っすらと微笑んだ。
「ふふふ……」
「な、なによその顔は」
「私が寂しいからって、気を回してくれてるのねあなた」
「ち、違うわよ! あんたね、ただでさえ付きまとってきてうっとうしいのに、その上くさいとか我慢ならないのよ」
「はいはい、そういうことにしておいてあげるわ」
「この、いいからとっとと40秒で支度!」
「せっかちねぇ。行くのは外界の銭湯でいい?」
「え、マジ? なんで?」
「そっちの方が便利だから。嫌なら別に幻想郷の」
「いくいく! ほら、早くスキマ開いてよ!」
うおー、外界とかテンション上がってきた!
眠いからかトロトロ道具を揃える紫を急かして、開いた等身大のスキマから外界へ出た。
◇ ◆ ◇
最初にその存在を知ったときは、憎いとすら思った。
私が身を寄せるこの幻想郷に、過ぎた混乱を招き寄せかねないその愚行。
許せないと感じていた。
でも戦って、言葉を交わし、気付いてしまった。
ただがむしゃらに、他人と接点を作るため、自分に目を向けるために全てを巻き込んだ少女。
彼女は、例え憎しみでも、独りでなくなるならそれでいいと思っていたことを。
何よりもこの天人が、私という存在に近い者なのだと。
独り凍えたくなくて、この幻想郷を創った私と同じなのだと。
そして後日、惹かれた私が彼女の元へ訪れたときに、彼女もまたそのことに気付いたようだった。
◇ ◆ ◇
「ねえねえ紫、これすっごい! なんかビリビリする!」
「それは電気風呂って言うのよ」
うわー、電撃くらってるみたい。あったかい風呂に浸かりながらビリビリするのを感じるのは面白い。
この浴槽の横に付いてる変なのから出てるのかな?
「おー、噂には聞いてたけど捻るだけでお湯が出てくる! これがシャワーっていうやつね。そうかこれで頭を洗うのか。凄いわね外界って!」
「おおげさねぇ」
どんどんテンション上がる私を前に、紫も釣られて笑みを浮かべた。
よし、私の方が騒いだ分、紫が大人しくなってるな。
いい傾向だ、このまま穏便に進んで欲しい。
「それじゃ私は身体洗うけど、あなたは?」
「天人に汚れなんてほとんどないし、お風呂浸かっとく」
「クリスマスだし他にお客はいないようだけど、あまり騒ぎ過ぎないようにね」
「あいあーい」
電気風呂の中に肩まで浸かる。おーシビシビくる。
しばらく温まりながら慣れない感触を楽しんでいたら、泡立ったタオルで身体を擦っていた紫が呼びかけてきた。
「天子ー」
「なにー」
「いるー?」
「いやいるわよ、返事してるじゃない」
「寂しいからこっち来て背中流してー」
どんだけ寂しがりやなんだ。日常生活にも苦労するレベルでしょそれ。
「あんたねぇ……」
「いいでしょ?」
「仕方ないわねもう」
名残惜しいがここまでか。グッバイ、電気風呂。
紫は長い髪を頭にまとめてあって、綺麗な背中がよく見えていた。
「はい、タオル」
「ん」
早速タオルを紫の背に当ててゴシゴシと洗う。
スベスベの肌はまるで陶器を洗ってるかのように、抵抗なくタオルが滑った。
「ババアの癖に、むかつくくらい良い肌してるわね」
「あら、天子だって肌は綺麗じゃない」
「そりゃ天人だしね。地上を這いずり回るやつと違って垢も出ないのよーっと」
綺麗な肌を傷つけたら勿体無いし、ゆっくり丁寧に洗っていく。
そういえば、紫の背中をじっくり見るのなんて初めてだ。
服を脱ぎ、その素肌をさらした背中をまじまじと見つめる。
「……なんか、ちっこい背中ね」
人から聞いた話とか創作物とかの中にも、似たような場面があることを思い出す。
改めて人の背中を見たとき、意外と大きく感じたりすることがあるんだったか。
でもこれはそれとはまるっきり逆だった。
妖怪の賢者、幻想郷の管理者、強力な力を持つスキマ妖怪。
でもその実、この背中からはそんな特別なものなんて感じなくて、ただの寂しがりやにしか見えなかった。
「小さい? あなたよりも背は高いけれど」
「身体じゃなくて心の大きさよ」
「そうね、そんな慎ましい胸をしながら生きているあなたに比べれば、大きな物を抱えて外を歩ける私の心なんて矮小ね」
「張っ倒すぞババア」
紫の背中を流した後は、ついでに髪の毛を洗うのを手伝って、全部終わったら二人で湯船に浸かった。
「はぁー、極楽極楽」
「天界よりもお風呂に浸かってる方が幸せになれるわぁ」
「言えてる言えてる」
顔の下半分までお湯に沈めて、ゴポゴポと泡を立てる。
広がった青い髪の毛が湯面に揺れて、漫画で見た触手みたいだ。
ちょっと先っぽを摘んで振り回してみる。
「きしゃー」
「触手プレイとか良いわよね」
「しゃー……呼び出さないでよ? 絶対変なの呼び出さないでよ?」
「それはフリと見てよろしいかしら」
「違うわよ! 絶対ごめんだからね!!」
「冗談よ。天子は誰にも渡すつもりはないわ」
サラッと歯が浮きそうな台詞を吐いて、紫は私の頭を犬をあやすみたいに抱え込んだ。
紫の身体からふんわり良い香り。うん、臭くない。
「ちょっ、色々柔らかいのとか当たってるんだけど」
「当ててんのよ」
「そのネタ聞くの3回目くらいよ」
「あら、そうだったかしら?」
寝ぼけてるなー。
おまけにお風呂だからか更に開放的になってる。いつもは何だかんだ言っても、直接的スキンシップはあんまりしないのに。
ついでに、私もちょっとそんな気分になってきた。
珍しく、素直となれそうな気がする。
そろそろやっちゃってもいいんじゃないかな。
キスとかさ!
「あ、あのさ紫……」
あぁそうだ、そうなのだ。私たち、こんなにべったりくっ付いてるくせに、そういうこと一切してません。
私がいつもは素直になれず、何かと憎まれ口を叩いてるのが大きいけど、紫にだって原因が半分くらいある。
春から冬までの間の、通常状態の紫は、こうオブラートの上から更に巾着袋に包んで言えば、けっこう控えめな方だ。
お陰で普段はよくて手を繋ぐ程度で終わってしまっていて、私から求めれば素直に応じてくれそうだけどそんな勇気は出なくて、いつもズルズルとそういう機会が遠のいていく。
だが今は冬場で本能むき出しな紫と、開放的な気分になってきた私。
これ以上ないくらい理想的な状況。
今こそ最初の一歩を踏み出すとき!
「そろそろ、私たちもキス、とかね……」
「…………むにゃ」
むにゃ?
返事にしては微妙だなと呑気に構えていたら、だらりと生暖かい何かが頭に垂れた。
「なにこれ……って、よだれ!?」
「んー? ……あら、いま寝てたかしら?」
がっつり寝てたわよ。人の頭によだれ垂らしてたわよ。
でもできるだけ雰囲気を崩したくないから不満を胸にしまって、浴槽の外側に出した頭のよだれをサッとお湯で流した。
「ほら、紫起きて。眠いんならもうかえろ」
「うぅ……そうね。そうしましょうか……」
しかたないからそう言ってやると、重いまぶたを擦りながら、紫がお風呂場から出ようとする。
でも浴槽からでて数歩ほど歩いたところで、寝ぼけた紫はガクンと膝を打って倒れそうになって、慌てて横から支えた。
「紫ってば、しっかり!」
「ふにゃぁ……これは、早く帰らないと不味いわね……ぐぅ」
言ってる傍から早速寝てるし。
こんなに目の前でだらけられるとなんだかムカつくなぁ。
これは、ちょっと報復してやらないといけないかな。
とろけた顔で、うつらうつらと舟をこぐ紫。
その顔に、唇を近づけた。
「――あれ、天子今何かしたかしら?」
「別に何も! ほら、寝ぼけてないで早く帰るわよ。あんたがいないと幻想郷まで戻れないんだから!」
「ふぁ……わかってるからそんなに怒鳴らないで」
まぁ、クリスマスだし、勝手にプレゼントを貰っても何の問題もないだろう、うん。
ドキドキと心臓が早まるのを感じながら、のぼせそうな顔を紫から隠して脱水所まで引っ張っていった。
「……で、どうするこれ?」
「とりあえず幽々子の家に置いときましょう」
でかでかと置かれたウェディングケーキを前に紫が言う。
無難な策だ。幽々子なら、幽々子ならきっとなんとかしてくれるはず。というかそもそもこんなの持ってこないのが一番無難なんだけどね。
でも一口くらいは食べてみたかった気がしないでもないけど、それは本番に取っとこうかな!
……うん、脳内でも言ってて恥かしいわ。お風呂場での件で浮かれすぎだ私。
「身体洗ってさっぱりしたし、紫もそろそろかえ――って、寝ようとすんなここで!」
紫がもぞもぞと私のベッドに潜り込もうとしたところを、布団を引っぺがして阻止した。
「ああん、いけず」
「いけずじゃない」
「いいじゃないなんでも。もう眠くて眠くて……ふわぁ……」
「だからって寝るな! 春までここで眠る気!?」
「……いいわねそれ」
「おい」
頼むから真剣な目で悩むな。
「いや、だってここに天子がいてくれるなら寝てる間も寂しくないし」
「寝てたらいてもいなくてもわからないでしょうが。というかどこまで独りになりたくないのよ」
「だってスキマは寂しいと死んじゃうのよ!?」
「あくまでその設定を押し通すつもりか。あんたうさぎじゃないんだからさぁ」
「ご要望とあらば、バニースーツにもなれるわよ」
「……ならなくていいから」
一瞬想像して期待した自分を殴り飛ばしたい。
駄々をこね続ける紫を何とかベッドから遠ざけると、ようやく帰る気になったかしぶしぶとスキマを開けた。
「……ちょっと待って」
私はベッドの下に手を差し込むと、そこにあった箱を掴んでスキマに入ろうとした紫に投げつける。
振り向いた紫に箱を縦に回転しながら飛んでいくと、丁度良く豊満な胸の谷間に挟み込まれて思わず吹いた。
「ぶふぉっ!?」
「いやん、天子のえっち」
「ちち、違うわよ! そんなんじゃなくてクリスマスプレゼント!」
「……え?」
紫は自分の胸から箱を取り出したが、綺麗にラッピングされた箱を見た瞬間、目をぱりくりさせて固まった。
さっきまでの眠気はどこへやら、背筋をピンと張って箱と私とを交互に見比べる。
「ぷ、プレゼントって、私に?」
「他に誰がいるのよ」
「いや、だって今日もいきなり来たのに、なんで用意なんかして」
「……ふん、丁度余ってただけよ。他にこんなのあんたにあげるやつはいないんだから、感謝しなさいよね」
そうだ、クリスマスプレゼントなんてこいつにやるやつはいないだろう。
紫の寂しさを知らないやつ、どうせこいつのことだからクリスマスには寂しがって顔を出すだろうなんて予測しない。
そんな予測に従って、宴会の誘いを蹴って家でじっとして、わざわざ慣れない贈り物を持って、こいつを待ち続けるやつなんていない。
だからこれは、あくまで余り物だ。
恥かしくなって顔を背けたけど、視界の端で紫が大きく目を見開いて嬉しそうな顔をしているのが映った。
「あ、ありがとう。でも、私寝てたからお返しとか全然用意できてなくて」
「別にそんな大したもんじゃないからそんなのいいわよ。いらないって言うんなら返してもらうけど」
「貰う、貰うわ!」
鼻息を荒くして力強く宣言される。びっくりして半分素に戻ってるなこれ。
そんなに嬉しがられると、こっちまで身体が熱くなってくるから止めてほしい。
「今あけても良いかしら」
「好きにしなさいよ」
紫は目を輝かせながら丁寧に箱の包装を解いていく。
やがて姿を現した箱の蓋を緊張気味に開いたが、中身を見たとたん真顔に戻り、中に入っていた黒い物体を取り出した。
「……なにかしらこれは」
「木炭。歳いってると加齢臭がするっていうから入れてみたけど、それ横に置いとけばさぁ、お風呂入らなくても臭わないんだじゃない? アハハハいだあ!?」
乾いた笑い声を上げた直後、投げつけられた木炭が風を切って飛んできて、眉間に音を立てて衝突した。
衝撃で後ろに倒れこんで、ついでに後頭部を柱の角に強打。
「イッターい!」
「ふふ、喜んだと思えばこの落差。流石天人、土に塗れた地上の妖怪をこうまでおちょくれるのは、天上天下あなたくらいよ」
「ちょ、紫ま……うげっ!!」
必死に起き上がろうとしたところに、紫のつま先が高速で鳩尾にめり込んで、私の身体は再び倒れこんだ。
「結局は下らない慰めあい。愛情なんて持っても一方的だったわけね」
「ぐえっ!」
追撃にかかとが落ちてきて、二度三度と力の限り踏みつけられて、流石の天人の身体も酷いダメージを受けて激しく咳き込んだ。
「ガハッゲホッゴホッ!」
「帰るわ、さよなら」
思う存分に私を痛めつけた紫は、短く告げると目の前から姿を消した。
ちゃっかり木炭は回収されてるあたり、あれでもまだ冷静な方だ。
「ゲホッ……もう、なんでこういうやり方しか出来ないのかな私は」
痛む身体を押さえて、独りごちた。
◇ ◆ ◇
「……天子の、天子のバカ!」
家の寝室へと帰ってきた紫は、肩で息をしながら暗闇の中で壁にもたれかかる。
よもや、あんな場面で期待を裏切られるとは紫も予想だにしなかった。
あのまま天子のところにいたら、頭に血の上った状態では何をするかわからなかっただろう。
それなのに、後生大事に箱と木炭を持ち帰る当たり未練がましいと自分で思う。
手に持った憎憎しいプレゼントを壁に叩きつけたくなったが、部屋の外からクリスマスを楽しむ藍と橙の声が小さく届いてきて踏み止まった。
これ以上なにかしても、聖夜という日の思い出を黒く染めるだけだ。
「いいわ、もう寝ましょう。春までといわず夏まで冬眠してやるわ」
不貞寝の決意をして布団に入ろうとしたが、その時に持っていた箱から空気の漏れるような妙な音がした。
「……何、今の音?」
気になった紫は明かりを付けて箱に目を向けてみると、箱の底から空気が漏れているようだった。
その原因となる何らかの術式が掛けられていたのを、箱に触れる手から感じとる。
術の残滓を解析してみれば、圧縮されていた空気を後から開放して噴出させるためのもののようだ。それも時間差で発動する手間の掛かったもの。
中から漏れる空気に押し上げられて、箱の底が持ち上げられた。
「これは――」
箱が二重底になっていることに気が付いた紫は、もしやと思い爪でひっかけて箱の底を開いた。
「そう、そういうことだったの」
中から出てきたのは、鮮やかな緋色の生地に、紫色の模様が入ったリボンだった。
深く溜息を吐いた紫の瞳には、先ほどの激情は消えうせ穏やかな光が灯っていた。
箱の中からリボンを手にとった。
天界の上質な素材でできたもので、見れば見るほどその美しさがわかる。
おまけに汚れやシワが付かないように、防護のまじないが掛けられていた。
それも並大抵の妖怪じゃ傷も付けれないほどの、ただの飾りに付けるには行き過ぎたほど強力なもの。
「天子ったら、本当におバカさん……」
ようやく意図がわかり、ぎゅっと握り締めたリボンを胸に当て呟く。
思いがけないクリスマスプレゼントに、紫は心の芯から暖まっていくのを感じた。
◇ ◆ ◇
で、翌朝。
「ゆかりぃぃぃぃぃいいいいいいいいいいい!!!!」
起床して自分の身に起こった異変を知ると、開口一番にあのクソババアの名前を読んで天界を飛び出した。
手にはだいぶ前に「私に会いたくなったらいつでも来ていいのよ。これ直通パス」と言って渡されたお札。何故か背面には悩殺ポーズと取る紫の姿が描かれている。
大体の方角へ飛び続けると、あとは自然にお札が私の行き先を誘導して、すぐ目的地へ着いた。
森の中に結界で隠された紫の住処。
玄関をから家に上がりこむと、そのままドタドタと足音を立てて廊下を進み、居間に続く扉を開け放った。
「紫のバカはどこだ!!」
「な、なんだなんだなんだ!?」
中にいたのは異様な存在感を放つ九つ尻尾を生やした狐。
朝食を食べていた藍は、いきなり訪問してきた私を見ると目を丸くする。
対する私の格好は、バニースーツでした。
「……痴女?」
「違うわ!」
「……で、また紫様か?」
「あいつ以外にこんなことするやついないでしょ!」
こんな格好して外を出歩くとか、私なら絶対しないわ。今しがたしちゃったわけなんだけどさ。
「昨日もう眠いとか言って帰って癖して、私が寝た後でこんなこと仕掛けやがってあのババア!」
「あー、脱げないのかそれ?」
「もう試したわよそんなこと!」
必死に脱ごうとしてみたけど、バニースーツはぴっちりと身体に吸い付いているみたいで、いくらやっても無駄だった。
最終手段で小刀でスーツだけ切ろうとしてみても、何か術を施しているのか切れ目すら入らない。
おかげで痴女ウサギ状態でここまで来ることになってしまった。
幸いというか、股の部分にはチャックが付いているので用を足すことは可能だ。これのせいで更に恥かしくなってるので、幸いと言っていいのか激しく微妙だけど。
「でもうちに来たって紫様はもう寝てしまってるぞ。さっきも様子を見たがグッスリだ」
「クソー……時期的に年明けにはまた起きだしそうね。次起きるまでここにかくまってよ。親の目が恥かしくて家にもいられないわ」
家にこもってじっとしているなんていうのは苦手だけど、ここは仕方ない。
起き抜けにバニースーツ姿になってるのに気付かずこの姿を晒して、親から浴びせられた冷たい目線は二度とごめんだ。
今まで騒ぎを起こして不良天人だの何だの言われる私は親からは呆れられていたけど、あそこまで冷ややかな目で見られたのは初めてだった。
「というか、昨日も紫様は起きてたのか。橙とクリスマスパーティーしてたが気付かなかったよ」
「いつもどおり、いきなりケーキ持ってやってきてね。紫のやつしばらく風呂入ってなくて臭かったから、クリスマス中止で銭湯行ってきたけど」
「しばらくは寝てる間に私が身体拭いてるだけだったしな、そりゃ臭うか……」
話していた藍の声から、わずかだが力が抜けていくのに気付いた。
いつもはしっかりとしている顔が、少し落ち込んでいるように見える。
「どうしたの、あいつがそんなに臭かったのがショックだった?」
「いや、そうじゃなくて、なんで紫様は私たちのところでなく、天子のところへ向かうんだろうと思って」
あぁ、そのことか。
「というかな、紫様が冬眠の間に起き出すなんてこと、今まではなくってな」
「私が来てからってこと?」
藍が静かにうなずく。
「そもそも、私たちには寂しいだなんてことすら紫様から話してもらえなかったよ。何故今まで、まったく私たちに頼ってくれなかったのか。私たちでは、そんなに頼りないか」
その内、そういうこと気にしだすんじゃないかなとは思ってたけど、案の定みたいだ。
そりゃあ身近な人間に放っておかれたら、自分に問題があるんじゃないかなんて疑いだすだろう。
「違う違う、それはない」
けど答えを知ってる私は、藍の呟きを即座に否定した。
ちょっと驚いた顔をした藍に、私は続けざまに口を開く。
「あいつがあんたたちに言わなかったのは、あんまり情けない姿見られたくなかったからよ、きっと。あんたと橙は家族でありつつ部下よ、下のやつに泣き言いったり甘えるのはやりにくいでしょ」
「……私たちには甘えづらいというのはわかる。だが幽々子様は? 彼女の元へ行かない理由は?」
「幽々子のやつは甘えるのに適任っぽく見えるけど、あいつって結構恵まれてるからね。少なくとも私の知ってる幽々子は、紫がいるし妖夢もいる、寂しさなんて感じたことはない」
これについては藍と橙も同じくだ。
紫と長らく面と向かって話せないことに寂しいと感じることはあるだろうけど、それを発散できる相手はいる。
紫の周りに孤独を知っていて、弱音を吐ける相手となると、一人しかいない。
「あいつは、自分の寂しさをわかってくれるやつのところに行きたいのよ」
私と紫を繋ぐ、もっとも強い糸はそれなのだ。
藍と話した後、私は紫の寝室へと通された。
腰を下ろして、静かに寝息を立てている紫を見つめる。
「まったく、どうして私があんたの尻拭いさせられなきゃいけないのよ」
一応この家に柱なんだから、家族のメンタルケアは自分でして欲しい。なんで私がこいつの心情なんか説明しないといけないんだか。
寂しさを共有できるから私のところに来るんだなんて、私が寂しがりやだって暴露してるもんじゃない。
私とこいつが惹かれあった決定的理由。
心の奥底にある孤独への恐れこそが、私たちを繋ぐ糸。
たとえ寂しいと言葉に出さなくても、どこか似た私たちはそれを感じ取った。
だから私はうっとうしいと思いつつも紫を迎えるし、あいつのために予定を空ける。
紫もまたかつての因縁も忘れ、同族だからこそわかる弱さを見せてくる。
ぶっちゃけ、傷の舐め合いみたいなものだ。
たとえ話すうちに相手に向ける感情が変わってきても、根本的にはそれ。
「……バーカ」
私も紫も、バカだ。
私に寂しいと死ぬ衣装なんて着せた癖して、無視して眠り込む紫の頬を突っつく。
弾力と柔らかさを融合させた感触を楽しんでいると、急に紫の口が開いて私の指をくわえ込んだ。
「ひゃ!?」
「ちゅぱちゅぱ……ん、桃の味がする」
「い、いきなりなにすんのよ!」
慌てて引き抜くと紫のよだれが糸を引いてちぎれた。くそう、紫の眠たげな表情が合わさって無駄にエロい。
「なんで起きてるのよ、あんた寝たんじゃなかったの?」
「寝てたけど天子のにおいを嗅いで目が覚めたわ!」
「変態か」
まごうごとなき変態だ。
「もうなんでもいいわ。起きたのならこの服脱がせなさいよ」
「そのバニースーツなら一日経てば脱げるようになるわ」
「今すぐ脱がせろって言ってるのよ!」
「天子から脱がせてなんて言われると興奮しちゃうけど無理なの。毎秒ランダムに変化する300桁のパスワードを打ち込まないと解除されないから、術者の私でも解けないわ」
えぇい、無駄なところに無駄な才能を使いやがって。
「丸一日この衣装ってことか。頭痛いわ……」
「いいじゃない、似合ってるわよウサギさん。それに昨日私の気持ちをあんなにもてあそんだのだから、その報いよ」
紫は布団から起き上がると、スラリと伸びた腕を私に見せ付ける。
艶やかさを持った白い手首には、緋色と紫色のリボンが巻きついていた。
「それ……」
「寝てる間に縛ってたら髪が痛むだろうから、こっちに着けてみたの。似合ってるかしら?」
「へ、へぇ、何のリボンか知らないけど似合ってるじゃないの」
「ふぅ~ん、あなたはまだそんなこと言うのね」
視線を反らした私に紫を意地悪そうな顔をした、伸ばした手をそのまま私の首に回して引っ張り込んだ。
「うわっ!?」
「最初にあの箱を開いたときは、本当に悲しかったのよ」
私の身体を包む両腕に、紫の身体へと押さえつけられた。
紫のおっぱいに埋まる顔。これは。
呼吸が出来ない。
「むご、うむごむごうがー!?」
「あれを見たときの落胆がわかる? 私は天子からどうにも想われてないんじゃないかと思って、どうにかなってしまいそうだった」
いや、その前に私がどうにかなりそうなんですけどこれ!
「あなたが素直じゃないのは知ってるし、リボンを見つけたときは嬉しかったわ。それでもやっぱりああいうことするのはどうかと思うのよ」
「むぐうごごあお」
「ちゃんと反省してなさい」
「ぐむ……」
いや確かにあれは私もどうかなって思ったけどさ。あとで思いっきり後悔して、ベッドの中で悶々としてたけどさ。
反省とかその前に死ねる!
「もう二度とあんなことしないって誓える?」
「むごー! むー!」
誓う、誓うから離してマジで!
ギブアップと紫の方をバンバン叩いて、ようやく紫は胸の中から私を開放してくれた。
「ぷはぁー! はぁー……空気おいしいぃ……」
「天子、あなたの口から聞かせて頂戴」
新鮮な空気を必死に取り込もうとする私の顔を、紫は両手で引っつかんで目を合わせてきた。
見開かれた瞳に見つめられて、私の心の奥底まで覗かれてる気分になってくる。
「う、その……」
「なに?」
「……ごめん。もうしない」
「よろしい」
気まずいながらも言葉を搾り出して、紫は硬い表情を崩して目を細めた。
あぁもう、恥かしいなぁと目を伏せると、その隙を見ておでこにキスされた。
「チュッ」
「うひゃ!? な、なにするのよ!?」
「私からあげられるものを用意できなかったから、とりあえずプレゼントの代わりよ」
「もっとマシなの用意しなさいよ、この色欲ババア」
けらけら笑う紫にこっちは赤くなるばっかりで、実はもうプレゼントは貰ってるなんて、口が裂けてもいえなかった。
赤い私を見てますます増長されるけど、もう一眠りしましょうか、と紫は布団で横になる。
「てーんーしー」
掛け布団をめくった紫が、笑顔で隣をぽんぽんと叩く。
「あー、そういえばお腹減ったなー、藍に何か作ってもらおうかなー」
「一緒に寝ましょ」
ぐぬ、明らかに流そうとしてるのに、そんな恥ずかしい提案を平気でしてきやがって。
さっきからそうだが、冬場の紫は欲望に忠実すぎて苦手だ。
「いいでしょ、お願い」
「わかったわよ、寝ればいいんでしょちくしょう」
そんなに素直にねだれられたら、私としてもそう拒絶できない。
紫の隣に潜り込むと、布団をかぶって肩を寄せ合った。
「それじゃおやすみ」
「おやすみなさい」
「…………」
「…………天子、抱いて」
「ファッ!?」
いきなり何言ってきてるのこいつ!?
「天子にぎゅっと抱きしめられながら寝たら、よく眠れると思うの」
「あ、あぁ、そっちの抱いてね……どっちにしろ嫌よ。またおっぱいに埋もれたら、今度こそ死ぬわ」
先ほどの恍惚と恐怖が入り混じった独特の感覚は、深く私の心に刻み込まれたぞ。
トラウマと感動を同時に植えつけられるのは、あまりないことだと思う。
「じゃあ抱き枕になって、それでいいわ」
「わかったけど、反対向くわよ」
「それでもいいわ」
紫から顔を背けて身体を横に向けた私に、紫は背中から腕を回して私を抱きしめてきた。
さっき私を苦しめたおっぱいは、私の後頭部をポヨンと心地よく刺激する。
ところで両腕で抱いてるから片腕が下敷きになってるけど、痺れたりしないんだろうか。
「体勢的に辛くない?」
「大丈夫よ、それよりあったかいし、天子のにおいがして気持ち良いわ」
……そんなににおうのか。
自分の手首を嗅いでみるけど、嗅ぎなれたにおいには鼻が反応してくれない。
せめてくさくないように願って紫に身体を預けた。
「そういえばあんたさ、ちゃんと藍も相手にしてあげなさいよ。あのままじゃ私に妬ましいとか言い出しそうだし、拗ねられでもしたら面倒よ、」
「あら、それはそれで面白いじゃない。あの子が拗ねるなんて滅多にないもの」
確信犯かこいつ。
それならもうフォローなんてしてやらないぞ。九尾に嫉妬されるのも滅多にない機会だし。
「まったく、嫌な性格してるわね」
「あなただってそうじゃない」
「そうだけどさ……冬場のあんたは、特に面倒よ」
そう言うと、私を抱く紫の腕が少し強まった。
苦しくて「んっ」とうめくとすぐに弱まったけど、妙なものを感じて口が閉じる。
「……幻想郷を作ってからはね、冬に冬眠していると、よく夢を見るの」
黙っていた私に、紫が語りかけてきた。
多分だけど、この話を聞くのは私が初めて、そんな気がする。
「私が寝ている間に、幻想郷が潰れて妖怪が消えてしまって、私の存在を知る者もみんな離れていって独りぼっちになる、そんな夢」
「そう簡単にここはなくならないでしょ。藍だって頑張ってるし」
「そうわかってはいるんだけれど、どうしても心の奥底からはそんな不安が離れてくれない」
つまりは、ここのところ紫の言動がぶっ飛んでる、もっとも大きな原因のことか。
元々そういう気質はあったんだろうけど、幻想郷に妖怪が助けられているという特殊な状況が、寂しさを増しているんだろう。
しかしその話は、私としても聞いてて不安になる。
「紫は幻想郷がなくなっても消えないわけ?」
「私は他の妖怪と比べて少し特別だから」
「どう考えても少しじゃないでしょ」
元々こいつが消え失せるなんて想像付かなかったけど、それを聞いてちょっとだけ安心して、紫に身を寄せた。
「……もし本当にそうなったら、すごく悲しくなるとは思う、でも独りぼっちにはならないわよ」
紫の腕を、更に抱きしめるように腕全体で覆った。
私が贈った、リボンが揺れる。
緋色と紫色、私たちをかたどったリボン。
新たな思い出は、私と紫の繋がりをより強いものにしてくれる。
「私は天人、比那名居天子。幻想郷がなくなったくらいじゃ消えてやらないわよ」
「……それもそうね」
それ以上は、お互いに何も言わなかった。
言わなくても何を考えてるのかわかる。
私も紫も、もし不安が現実のものとなっても、少なくとも一人だけは傍にいてくれるかけがえのない存在に、どこか救われた気持ちだった。
そのまま紫に抱かれたまま寝転んでいると、背中から規則正しい寝息が聞こえてきた。
どうやら紫はもう寝てしまったらしい。
私ももう布団から出ようと、抱きしめてくる紫の腕に手を掛けた。
「……あれ?」
グッと力を込めても紫の腕は外れてくれない。
「ふん! ぬぬぬぬぬ……!」
声まで上げて引き離そうとしても、紫の腕はびくともしない。
顔が羞恥は違う理由で赤くなるまで頑張ってみたけど、紫の腕から逃れられなかった。
「ちょっ、紫これ外れなっ」
「すー……すー……」
「だーっ! 呑気に寝やがって!」
ちょっと待って、もしかしてこのまま?
しかもがっちり押さえ込まれたこの体勢だと、バニースーツも脱げないし。
「こんの、クソババアー!!!」
結局私は年明けまで、背中に紫を背負ったままバニースーツで生活することとなったのでした。
なお大と小の大のほうは、女の威信にかけて我慢した。
天界に上って数百年、未だ馴染めない私を誰かは不良天人といい、誰かは比那名居家の総領娘といい、私を比那名居天子と見てくれるものは誰もいなかった。
天人も、天女も、父と母でさえ私という存在に関心を持たず、上辺だけで判断していた。
孤独だった。
寂しくて、寂しさから来る心の隙間を埋めたくて、だから異変を起こした。
そして、やばいのがきた。
私の待ち望んだものが来た。
「この大地から往ね」
私は、私にそう言い放った妖怪と一対一で対峙していた。
状況は極めて悪い。さっきから必死に戦っているけどまるで通じている気がしないし、こっちの体はもうボロボロ。
頑丈な体だから出血こそしてないけど、積み重なったダメージに体の節々が悲鳴を上げてる。もうお遊びの域じゃないなこれ。
そもそもこいつが現れた時点で、博麗神社のっとり計画は頓挫している。何もかもが台無しに見える。
けど私は、立たせられた窮地に、目の前に敵がいるこの状況に笑いを隠さずにはいられなかった。
「くっ、ふははは。あはははは」
「……気でも違ったの?」
「そんなんじゃないわよ。嬉しいのよ、ただ単純にね」
妙な私に妖怪は警戒を強めたようだけど、生憎とそんな奥の手があるわけじゃない。
特にどうすることもなく、私はあっけなく負ける。
「ねぇ、あなた私のこと嫌い?」
「……この郷を傷つける者は誰だって嫌いよ」
「憎い?」
「……えぇ」
妖怪らしい凶暴な目を見開いてにらみつけてくる。殺気やばいなぁ、怖いなぁ。
けど、圧倒的な敵意が込められたその眼は、確かに私を見つめている。
私という存在を認めてくれている。
「そりゃあ、素敵だわ。いつかこの郷がなくなるその日まで、私を憎んでくれるやつがいるなんて」
「あなたを好いているわけではないんだけれど」
「同じよ。好きだろうが嫌いだろうが、この私に目が行くならそれでいい。そうなれば退屈せずにすむじゃない」
「……あなたの考えはわかったわ。でも気に入らない」
相対する妖怪が一歩踏み出すと、殺気と妖気がびしびしと肌を打った。
「もっと別のやり方があってでしょうに。こんな野蛮なやり方なんてせず、何で穏便に出来なかったの」
別の方法。
例えば、異変を起こして誰かの恨みを買ったりせず、ニコニコしながら宴会場にでも近づいて。
笑みを絶やさず相手の機嫌を取りながら、自然とその輪に溶け込むとか。
「……だってさ、こっちの方が面白いじゃん」
それができるほど素直なら、こんなことしてないって。
「そう」
私の言葉に対して妖怪はそれだけ言うと、ぴたりと殺気と妖気が止んだ。
戦う気がなくなった? いいや、これは嵐の前の静けさだ。
その証拠に、意識を凝らしてみればその妖怪から凝縮された妖気が漏れ出しているのがわかる。
それが指向性を持って開放されたとき、どれほどの脅威となるか。
想像しただけでも体中が危険だと叫び震えが走る。すぐにでも逃げ出せ本能が騒ぐ。
けどこれは私のものだ。
代替できる存在などいない、私にだけ向けられた敵意だ。
震えは止まる。本能は歪んだ理性で押さえ込む。
ニヤリともう一度笑みを浮かべて、私はその手に握る剣を構えた。
「さぁ、楽しませてよね!!!」
◇ ◆ ◇
そんなスペルカードルールから片足はみ出した死闘の過去はどこへやら。
「はぁい、天子メリークリスマス!」
「帰れスキマババア」
いつもどおり突然家に押しかけてきた紫に、容赦なく言葉のナイフを浴びせた。
「せっかく訪ねてきたのに帰れだなんて。これが噂のツンデレなのね」
「デレはねーよ、ツンだけだよ。だからさっさと帰りなさいよ」
「ツンツンしてるだけだなんてそんな、ゾクゾクするわ」
「もうやだこの変態妖怪……」
毎回毎回、こいつはあの時のあの妖怪なのかと疑いたくなる。
でも変えようのない事実です、間違いなく私を打ち倒したおっかない妖怪です。
なんでこんなのが無駄に強いんだろうなと思うと、世の中の理不尽さに怒りたくなる。私も割りと人のこと言えないだろうけど。
「っていうか、何であんたちょくちょく起きてくるのよ。冬眠してるのに週一で顔合わせるってどういうことよ」
「だって一人で寝てるの寂しいんだもの。ゆかりんは放っておくと寂しくて死んでしまうか弱い妖怪です」
「嘘つけ。もし死ぬとしてもその前に自分から騒ぎ起こして、周りを引っ掻き回すタイプでしょ。同類だからわかるわ」
「違うわ、引っ掻き回すのは天子だけよ」
「執拗に私をロックオンするの止めて!?」
この押せ押せな態度。前々から変なやつだったけど、冬眠の時期に入ってからは大人っぽい部分が引っ込んで本能むき出しな気がする。
紫自身が言っているとおり寂しいから反動でそうなってるのか、眠いのに無理して起きてるからテンションおかしいのか、どっちにしろずっと酔っ払いの相手でもしてる気分だ。
「まぁ、そんなわけで今日はクリスマス。そんな日に一人で寝てるなんて、私のガラスのハートはとてもじゃないけど耐えられないわ」
「そうよね、何重も結界を張って誰も近づけない鉄壁の強化ガラスハートね。寂しいなら他にも当るのに何でこんなところ来るんだか。藍とか橙とか、友達だったら幽々子とか萃香とかいるのに」
「藍は橙と、幽々子は妖夢とお祝い中。萃香は博麗神社で宴会。みんな私のこと放って仲睦まじそうにして!」
「いやいや、そりゃ寝っぱなしのやつなんか、誰も予定には入れないでしょ」
「そんなわけで、私は今日も天界でぼっちの天子の元へやってきたのでした」
「ぼっち言うな!」
いやぼっち違うよ?
異変以降それなりに友達も出来たし、決してぼっちじゃないはずだ。はずよね?
「それはいいとして騒ぎましょうか」
「切り替え早いなぁ」
「それでは、こちらが今年のクリスマスケーキになります」
「今年のて、こいつ毎年来る気か……って、なにこれでか!?」
紫がスキマから取り出したのは、真っ白なクリームの上にイチゴを乗せた、三段に積み重ねられた巨大ケーキ。
その頂点にはそれぞれ黒と白の衣装に身を包んだ男女の砂糖菓子が……。
「って、これウェディングケーキ!」
「しまった、間違ったわ」
「何をどうまかり間違えばこうなるのよ!? どうするのよ、食べきれないわよこんなに」
「でも残して腐らせでもしたら藍に叱られそうよねぇ」
「威厳ないなぁ、妖怪の賢者……」
どっかの亡霊じゃあるまいし、そんなに食えるわけないだろと。
内心悪態をついていると、ケーキの甘い香りに混じって、思わず顔をしかめるようなちょっと嫌な臭いが漂っているのに気がついた。
「いいわ、いいわ。そんなに言うなら私が独り占め」
「ちょい待ち」
「何かしら、やっぱり天子の食べたいの? あーんしてあげましょう」
「違うわよ! あーんもいらない! ちょっとじっとして」
ナイフを取り出してケーキを切り分けようとする紫を制して、近くによってその臭いを嗅いでみた。
「くんくん、くん」
「あ、あら天子。そういうプレイ? 臭いフェチなの? 天子が望むならそういうのもありだけど、そういう慣れないのはちょっと恥か」
「紫、今日お風呂入った?」
頬に手を当てて恥かしそうに実をくねらせていた紫が一転して無表情になった。
「……入ってないわ」
「前起きたのいつ? その時は入った?」
「……丁度一週間前、眠かったから面倒で」
「その更に前は、っていうかお風呂入ったのいつよ?」
「…………」
目を逸らすな。
「えっと、天子。できれば簡潔にオブラートに包んで、何を思ってるのか言ってほしいわ」
「クサイ」
「実家に帰らせてもらいます!」
「待てぇ!!」
目に涙を浮かべながら、スキマに飛び込もうとする紫の方をがっちり押さえ込んだ。
「やめて帰らせて! 女の子にクサイって言われるなんてもう生きてられないわ。実家に帰って眠らせていただきます!!」
「ただの不貞寝でしょそれ! あんた寝たら当分起きられないんだから、まずちょっと落ち着いて行動しなさいよ!」
「やだー、ゆかりんかえるー!」と駄々っ子みたいに暴れる紫を取り押さえて、ひとまず落ち着かせた。
わずかではあるが、確実に異臭を放つ紫はいつの間にか持ってたハンカチで流れる涙を拭いていた。
「うぅ、そうよ、お風呂なんて冬眠前に入ったきりよ。こんな不潔じゃババアなんて呼ばれても仕方ないわ……」
「いや、くさくなくてもババアは言うけどね」
紫が冬眠しだしたのは一ヶ月以上も前。
そんなに長い間お風呂入ってなけりゃそりゃ臭ってくるわ。
「とりあえず楽しみ前にお風呂! 一ヶ月も体洗ってないとか、ハッキリ言って女性として終わってるわよ」
「おわ、おわって、うふふふふ」
「落ち込むのはあと。何でそうなる前で放ってたのよ、ちょくちょく起きてるんだから、その時に入れば良かったじゃない」
「それは、そうなんだけれどね……」
見た目と普段の振る舞いとは逆に、割と内面は女の子的なところもあるから身だしなみは整えてる方だったのに。
らしくないなぁと思ってつっこんでみると、紫はしどろもどろに口を開いた。
「……起きていられる時間は、そんなに長くないから」
「だからこそぱぱっと入らなきゃ駄目じゃないのよ」
「わかってるんだけど……」
「なに?」
「できれば、わずかな時間くらいは騒いでいたいもの」
少し憂い気にそう言われて、あぁそうかと納得した。
こいつは、寂しいからここにいるんだった。他のことなんて二の次。
他人から見れば、そんなことくらいでだらしがないと流すかもしれない。
けど、私はそうはできなかった。
「えーと、下界で買ったパジャマどこしまったっけ。いや、パジャマで飛ぶとか恥かしいから、このままでいいか。じゃあいるのはお金と、あとはタオルとか……」
「……天子?」
ぶつくさ言いながら戸棚を漁りだした私に、紫が不思議そうに声をかけてきた。
「なに?」
「いや、なにはこっちの台詞なんだけど。どうしたの」
「銭湯行くに決まってるでしょ」
一瞬何を言ったのかわからなかったのかポカンとする紫だったけど、私の言葉を飲み込むと表情を変えて、薄っすらと微笑んだ。
「ふふふ……」
「な、なによその顔は」
「私が寂しいからって、気を回してくれてるのねあなた」
「ち、違うわよ! あんたね、ただでさえ付きまとってきてうっとうしいのに、その上くさいとか我慢ならないのよ」
「はいはい、そういうことにしておいてあげるわ」
「この、いいからとっとと40秒で支度!」
「せっかちねぇ。行くのは外界の銭湯でいい?」
「え、マジ? なんで?」
「そっちの方が便利だから。嫌なら別に幻想郷の」
「いくいく! ほら、早くスキマ開いてよ!」
うおー、外界とかテンション上がってきた!
眠いからかトロトロ道具を揃える紫を急かして、開いた等身大のスキマから外界へ出た。
◇ ◆ ◇
最初にその存在を知ったときは、憎いとすら思った。
私が身を寄せるこの幻想郷に、過ぎた混乱を招き寄せかねないその愚行。
許せないと感じていた。
でも戦って、言葉を交わし、気付いてしまった。
ただがむしゃらに、他人と接点を作るため、自分に目を向けるために全てを巻き込んだ少女。
彼女は、例え憎しみでも、独りでなくなるならそれでいいと思っていたことを。
何よりもこの天人が、私という存在に近い者なのだと。
独り凍えたくなくて、この幻想郷を創った私と同じなのだと。
そして後日、惹かれた私が彼女の元へ訪れたときに、彼女もまたそのことに気付いたようだった。
◇ ◆ ◇
「ねえねえ紫、これすっごい! なんかビリビリする!」
「それは電気風呂って言うのよ」
うわー、電撃くらってるみたい。あったかい風呂に浸かりながらビリビリするのを感じるのは面白い。
この浴槽の横に付いてる変なのから出てるのかな?
「おー、噂には聞いてたけど捻るだけでお湯が出てくる! これがシャワーっていうやつね。そうかこれで頭を洗うのか。凄いわね外界って!」
「おおげさねぇ」
どんどんテンション上がる私を前に、紫も釣られて笑みを浮かべた。
よし、私の方が騒いだ分、紫が大人しくなってるな。
いい傾向だ、このまま穏便に進んで欲しい。
「それじゃ私は身体洗うけど、あなたは?」
「天人に汚れなんてほとんどないし、お風呂浸かっとく」
「クリスマスだし他にお客はいないようだけど、あまり騒ぎ過ぎないようにね」
「あいあーい」
電気風呂の中に肩まで浸かる。おーシビシビくる。
しばらく温まりながら慣れない感触を楽しんでいたら、泡立ったタオルで身体を擦っていた紫が呼びかけてきた。
「天子ー」
「なにー」
「いるー?」
「いやいるわよ、返事してるじゃない」
「寂しいからこっち来て背中流してー」
どんだけ寂しがりやなんだ。日常生活にも苦労するレベルでしょそれ。
「あんたねぇ……」
「いいでしょ?」
「仕方ないわねもう」
名残惜しいがここまでか。グッバイ、電気風呂。
紫は長い髪を頭にまとめてあって、綺麗な背中がよく見えていた。
「はい、タオル」
「ん」
早速タオルを紫の背に当ててゴシゴシと洗う。
スベスベの肌はまるで陶器を洗ってるかのように、抵抗なくタオルが滑った。
「ババアの癖に、むかつくくらい良い肌してるわね」
「あら、天子だって肌は綺麗じゃない」
「そりゃ天人だしね。地上を這いずり回るやつと違って垢も出ないのよーっと」
綺麗な肌を傷つけたら勿体無いし、ゆっくり丁寧に洗っていく。
そういえば、紫の背中をじっくり見るのなんて初めてだ。
服を脱ぎ、その素肌をさらした背中をまじまじと見つめる。
「……なんか、ちっこい背中ね」
人から聞いた話とか創作物とかの中にも、似たような場面があることを思い出す。
改めて人の背中を見たとき、意外と大きく感じたりすることがあるんだったか。
でもこれはそれとはまるっきり逆だった。
妖怪の賢者、幻想郷の管理者、強力な力を持つスキマ妖怪。
でもその実、この背中からはそんな特別なものなんて感じなくて、ただの寂しがりやにしか見えなかった。
「小さい? あなたよりも背は高いけれど」
「身体じゃなくて心の大きさよ」
「そうね、そんな慎ましい胸をしながら生きているあなたに比べれば、大きな物を抱えて外を歩ける私の心なんて矮小ね」
「張っ倒すぞババア」
紫の背中を流した後は、ついでに髪の毛を洗うのを手伝って、全部終わったら二人で湯船に浸かった。
「はぁー、極楽極楽」
「天界よりもお風呂に浸かってる方が幸せになれるわぁ」
「言えてる言えてる」
顔の下半分までお湯に沈めて、ゴポゴポと泡を立てる。
広がった青い髪の毛が湯面に揺れて、漫画で見た触手みたいだ。
ちょっと先っぽを摘んで振り回してみる。
「きしゃー」
「触手プレイとか良いわよね」
「しゃー……呼び出さないでよ? 絶対変なの呼び出さないでよ?」
「それはフリと見てよろしいかしら」
「違うわよ! 絶対ごめんだからね!!」
「冗談よ。天子は誰にも渡すつもりはないわ」
サラッと歯が浮きそうな台詞を吐いて、紫は私の頭を犬をあやすみたいに抱え込んだ。
紫の身体からふんわり良い香り。うん、臭くない。
「ちょっ、色々柔らかいのとか当たってるんだけど」
「当ててんのよ」
「そのネタ聞くの3回目くらいよ」
「あら、そうだったかしら?」
寝ぼけてるなー。
おまけにお風呂だからか更に開放的になってる。いつもは何だかんだ言っても、直接的スキンシップはあんまりしないのに。
ついでに、私もちょっとそんな気分になってきた。
珍しく、素直となれそうな気がする。
そろそろやっちゃってもいいんじゃないかな。
キスとかさ!
「あ、あのさ紫……」
あぁそうだ、そうなのだ。私たち、こんなにべったりくっ付いてるくせに、そういうこと一切してません。
私がいつもは素直になれず、何かと憎まれ口を叩いてるのが大きいけど、紫にだって原因が半分くらいある。
春から冬までの間の、通常状態の紫は、こうオブラートの上から更に巾着袋に包んで言えば、けっこう控えめな方だ。
お陰で普段はよくて手を繋ぐ程度で終わってしまっていて、私から求めれば素直に応じてくれそうだけどそんな勇気は出なくて、いつもズルズルとそういう機会が遠のいていく。
だが今は冬場で本能むき出しな紫と、開放的な気分になってきた私。
これ以上ないくらい理想的な状況。
今こそ最初の一歩を踏み出すとき!
「そろそろ、私たちもキス、とかね……」
「…………むにゃ」
むにゃ?
返事にしては微妙だなと呑気に構えていたら、だらりと生暖かい何かが頭に垂れた。
「なにこれ……って、よだれ!?」
「んー? ……あら、いま寝てたかしら?」
がっつり寝てたわよ。人の頭によだれ垂らしてたわよ。
でもできるだけ雰囲気を崩したくないから不満を胸にしまって、浴槽の外側に出した頭のよだれをサッとお湯で流した。
「ほら、紫起きて。眠いんならもうかえろ」
「うぅ……そうね。そうしましょうか……」
しかたないからそう言ってやると、重いまぶたを擦りながら、紫がお風呂場から出ようとする。
でも浴槽からでて数歩ほど歩いたところで、寝ぼけた紫はガクンと膝を打って倒れそうになって、慌てて横から支えた。
「紫ってば、しっかり!」
「ふにゃぁ……これは、早く帰らないと不味いわね……ぐぅ」
言ってる傍から早速寝てるし。
こんなに目の前でだらけられるとなんだかムカつくなぁ。
これは、ちょっと報復してやらないといけないかな。
とろけた顔で、うつらうつらと舟をこぐ紫。
その顔に、唇を近づけた。
「――あれ、天子今何かしたかしら?」
「別に何も! ほら、寝ぼけてないで早く帰るわよ。あんたがいないと幻想郷まで戻れないんだから!」
「ふぁ……わかってるからそんなに怒鳴らないで」
まぁ、クリスマスだし、勝手にプレゼントを貰っても何の問題もないだろう、うん。
ドキドキと心臓が早まるのを感じながら、のぼせそうな顔を紫から隠して脱水所まで引っ張っていった。
「……で、どうするこれ?」
「とりあえず幽々子の家に置いときましょう」
でかでかと置かれたウェディングケーキを前に紫が言う。
無難な策だ。幽々子なら、幽々子ならきっとなんとかしてくれるはず。というかそもそもこんなの持ってこないのが一番無難なんだけどね。
でも一口くらいは食べてみたかった気がしないでもないけど、それは本番に取っとこうかな!
……うん、脳内でも言ってて恥かしいわ。お風呂場での件で浮かれすぎだ私。
「身体洗ってさっぱりしたし、紫もそろそろかえ――って、寝ようとすんなここで!」
紫がもぞもぞと私のベッドに潜り込もうとしたところを、布団を引っぺがして阻止した。
「ああん、いけず」
「いけずじゃない」
「いいじゃないなんでも。もう眠くて眠くて……ふわぁ……」
「だからって寝るな! 春までここで眠る気!?」
「……いいわねそれ」
「おい」
頼むから真剣な目で悩むな。
「いや、だってここに天子がいてくれるなら寝てる間も寂しくないし」
「寝てたらいてもいなくてもわからないでしょうが。というかどこまで独りになりたくないのよ」
「だってスキマは寂しいと死んじゃうのよ!?」
「あくまでその設定を押し通すつもりか。あんたうさぎじゃないんだからさぁ」
「ご要望とあらば、バニースーツにもなれるわよ」
「……ならなくていいから」
一瞬想像して期待した自分を殴り飛ばしたい。
駄々をこね続ける紫を何とかベッドから遠ざけると、ようやく帰る気になったかしぶしぶとスキマを開けた。
「……ちょっと待って」
私はベッドの下に手を差し込むと、そこにあった箱を掴んでスキマに入ろうとした紫に投げつける。
振り向いた紫に箱を縦に回転しながら飛んでいくと、丁度良く豊満な胸の谷間に挟み込まれて思わず吹いた。
「ぶふぉっ!?」
「いやん、天子のえっち」
「ちち、違うわよ! そんなんじゃなくてクリスマスプレゼント!」
「……え?」
紫は自分の胸から箱を取り出したが、綺麗にラッピングされた箱を見た瞬間、目をぱりくりさせて固まった。
さっきまでの眠気はどこへやら、背筋をピンと張って箱と私とを交互に見比べる。
「ぷ、プレゼントって、私に?」
「他に誰がいるのよ」
「いや、だって今日もいきなり来たのに、なんで用意なんかして」
「……ふん、丁度余ってただけよ。他にこんなのあんたにあげるやつはいないんだから、感謝しなさいよね」
そうだ、クリスマスプレゼントなんてこいつにやるやつはいないだろう。
紫の寂しさを知らないやつ、どうせこいつのことだからクリスマスには寂しがって顔を出すだろうなんて予測しない。
そんな予測に従って、宴会の誘いを蹴って家でじっとして、わざわざ慣れない贈り物を持って、こいつを待ち続けるやつなんていない。
だからこれは、あくまで余り物だ。
恥かしくなって顔を背けたけど、視界の端で紫が大きく目を見開いて嬉しそうな顔をしているのが映った。
「あ、ありがとう。でも、私寝てたからお返しとか全然用意できてなくて」
「別にそんな大したもんじゃないからそんなのいいわよ。いらないって言うんなら返してもらうけど」
「貰う、貰うわ!」
鼻息を荒くして力強く宣言される。びっくりして半分素に戻ってるなこれ。
そんなに嬉しがられると、こっちまで身体が熱くなってくるから止めてほしい。
「今あけても良いかしら」
「好きにしなさいよ」
紫は目を輝かせながら丁寧に箱の包装を解いていく。
やがて姿を現した箱の蓋を緊張気味に開いたが、中身を見たとたん真顔に戻り、中に入っていた黒い物体を取り出した。
「……なにかしらこれは」
「木炭。歳いってると加齢臭がするっていうから入れてみたけど、それ横に置いとけばさぁ、お風呂入らなくても臭わないんだじゃない? アハハハいだあ!?」
乾いた笑い声を上げた直後、投げつけられた木炭が風を切って飛んできて、眉間に音を立てて衝突した。
衝撃で後ろに倒れこんで、ついでに後頭部を柱の角に強打。
「イッターい!」
「ふふ、喜んだと思えばこの落差。流石天人、土に塗れた地上の妖怪をこうまでおちょくれるのは、天上天下あなたくらいよ」
「ちょ、紫ま……うげっ!!」
必死に起き上がろうとしたところに、紫のつま先が高速で鳩尾にめり込んで、私の身体は再び倒れこんだ。
「結局は下らない慰めあい。愛情なんて持っても一方的だったわけね」
「ぐえっ!」
追撃にかかとが落ちてきて、二度三度と力の限り踏みつけられて、流石の天人の身体も酷いダメージを受けて激しく咳き込んだ。
「ガハッゲホッゴホッ!」
「帰るわ、さよなら」
思う存分に私を痛めつけた紫は、短く告げると目の前から姿を消した。
ちゃっかり木炭は回収されてるあたり、あれでもまだ冷静な方だ。
「ゲホッ……もう、なんでこういうやり方しか出来ないのかな私は」
痛む身体を押さえて、独りごちた。
◇ ◆ ◇
「……天子の、天子のバカ!」
家の寝室へと帰ってきた紫は、肩で息をしながら暗闇の中で壁にもたれかかる。
よもや、あんな場面で期待を裏切られるとは紫も予想だにしなかった。
あのまま天子のところにいたら、頭に血の上った状態では何をするかわからなかっただろう。
それなのに、後生大事に箱と木炭を持ち帰る当たり未練がましいと自分で思う。
手に持った憎憎しいプレゼントを壁に叩きつけたくなったが、部屋の外からクリスマスを楽しむ藍と橙の声が小さく届いてきて踏み止まった。
これ以上なにかしても、聖夜という日の思い出を黒く染めるだけだ。
「いいわ、もう寝ましょう。春までといわず夏まで冬眠してやるわ」
不貞寝の決意をして布団に入ろうとしたが、その時に持っていた箱から空気の漏れるような妙な音がした。
「……何、今の音?」
気になった紫は明かりを付けて箱に目を向けてみると、箱の底から空気が漏れているようだった。
その原因となる何らかの術式が掛けられていたのを、箱に触れる手から感じとる。
術の残滓を解析してみれば、圧縮されていた空気を後から開放して噴出させるためのもののようだ。それも時間差で発動する手間の掛かったもの。
中から漏れる空気に押し上げられて、箱の底が持ち上げられた。
「これは――」
箱が二重底になっていることに気が付いた紫は、もしやと思い爪でひっかけて箱の底を開いた。
「そう、そういうことだったの」
中から出てきたのは、鮮やかな緋色の生地に、紫色の模様が入ったリボンだった。
深く溜息を吐いた紫の瞳には、先ほどの激情は消えうせ穏やかな光が灯っていた。
箱の中からリボンを手にとった。
天界の上質な素材でできたもので、見れば見るほどその美しさがわかる。
おまけに汚れやシワが付かないように、防護のまじないが掛けられていた。
それも並大抵の妖怪じゃ傷も付けれないほどの、ただの飾りに付けるには行き過ぎたほど強力なもの。
「天子ったら、本当におバカさん……」
ようやく意図がわかり、ぎゅっと握り締めたリボンを胸に当て呟く。
思いがけないクリスマスプレゼントに、紫は心の芯から暖まっていくのを感じた。
◇ ◆ ◇
で、翌朝。
「ゆかりぃぃぃぃぃいいいいいいいいいいい!!!!」
起床して自分の身に起こった異変を知ると、開口一番にあのクソババアの名前を読んで天界を飛び出した。
手にはだいぶ前に「私に会いたくなったらいつでも来ていいのよ。これ直通パス」と言って渡されたお札。何故か背面には悩殺ポーズと取る紫の姿が描かれている。
大体の方角へ飛び続けると、あとは自然にお札が私の行き先を誘導して、すぐ目的地へ着いた。
森の中に結界で隠された紫の住処。
玄関をから家に上がりこむと、そのままドタドタと足音を立てて廊下を進み、居間に続く扉を開け放った。
「紫のバカはどこだ!!」
「な、なんだなんだなんだ!?」
中にいたのは異様な存在感を放つ九つ尻尾を生やした狐。
朝食を食べていた藍は、いきなり訪問してきた私を見ると目を丸くする。
対する私の格好は、バニースーツでした。
「……痴女?」
「違うわ!」
「……で、また紫様か?」
「あいつ以外にこんなことするやついないでしょ!」
こんな格好して外を出歩くとか、私なら絶対しないわ。今しがたしちゃったわけなんだけどさ。
「昨日もう眠いとか言って帰って癖して、私が寝た後でこんなこと仕掛けやがってあのババア!」
「あー、脱げないのかそれ?」
「もう試したわよそんなこと!」
必死に脱ごうとしてみたけど、バニースーツはぴっちりと身体に吸い付いているみたいで、いくらやっても無駄だった。
最終手段で小刀でスーツだけ切ろうとしてみても、何か術を施しているのか切れ目すら入らない。
おかげで痴女ウサギ状態でここまで来ることになってしまった。
幸いというか、股の部分にはチャックが付いているので用を足すことは可能だ。これのせいで更に恥かしくなってるので、幸いと言っていいのか激しく微妙だけど。
「でもうちに来たって紫様はもう寝てしまってるぞ。さっきも様子を見たがグッスリだ」
「クソー……時期的に年明けにはまた起きだしそうね。次起きるまでここにかくまってよ。親の目が恥かしくて家にもいられないわ」
家にこもってじっとしているなんていうのは苦手だけど、ここは仕方ない。
起き抜けにバニースーツ姿になってるのに気付かずこの姿を晒して、親から浴びせられた冷たい目線は二度とごめんだ。
今まで騒ぎを起こして不良天人だの何だの言われる私は親からは呆れられていたけど、あそこまで冷ややかな目で見られたのは初めてだった。
「というか、昨日も紫様は起きてたのか。橙とクリスマスパーティーしてたが気付かなかったよ」
「いつもどおり、いきなりケーキ持ってやってきてね。紫のやつしばらく風呂入ってなくて臭かったから、クリスマス中止で銭湯行ってきたけど」
「しばらくは寝てる間に私が身体拭いてるだけだったしな、そりゃ臭うか……」
話していた藍の声から、わずかだが力が抜けていくのに気付いた。
いつもはしっかりとしている顔が、少し落ち込んでいるように見える。
「どうしたの、あいつがそんなに臭かったのがショックだった?」
「いや、そうじゃなくて、なんで紫様は私たちのところでなく、天子のところへ向かうんだろうと思って」
あぁ、そのことか。
「というかな、紫様が冬眠の間に起き出すなんてこと、今まではなくってな」
「私が来てからってこと?」
藍が静かにうなずく。
「そもそも、私たちには寂しいだなんてことすら紫様から話してもらえなかったよ。何故今まで、まったく私たちに頼ってくれなかったのか。私たちでは、そんなに頼りないか」
その内、そういうこと気にしだすんじゃないかなとは思ってたけど、案の定みたいだ。
そりゃあ身近な人間に放っておかれたら、自分に問題があるんじゃないかなんて疑いだすだろう。
「違う違う、それはない」
けど答えを知ってる私は、藍の呟きを即座に否定した。
ちょっと驚いた顔をした藍に、私は続けざまに口を開く。
「あいつがあんたたちに言わなかったのは、あんまり情けない姿見られたくなかったからよ、きっと。あんたと橙は家族でありつつ部下よ、下のやつに泣き言いったり甘えるのはやりにくいでしょ」
「……私たちには甘えづらいというのはわかる。だが幽々子様は? 彼女の元へ行かない理由は?」
「幽々子のやつは甘えるのに適任っぽく見えるけど、あいつって結構恵まれてるからね。少なくとも私の知ってる幽々子は、紫がいるし妖夢もいる、寂しさなんて感じたことはない」
これについては藍と橙も同じくだ。
紫と長らく面と向かって話せないことに寂しいと感じることはあるだろうけど、それを発散できる相手はいる。
紫の周りに孤独を知っていて、弱音を吐ける相手となると、一人しかいない。
「あいつは、自分の寂しさをわかってくれるやつのところに行きたいのよ」
私と紫を繋ぐ、もっとも強い糸はそれなのだ。
藍と話した後、私は紫の寝室へと通された。
腰を下ろして、静かに寝息を立てている紫を見つめる。
「まったく、どうして私があんたの尻拭いさせられなきゃいけないのよ」
一応この家に柱なんだから、家族のメンタルケアは自分でして欲しい。なんで私がこいつの心情なんか説明しないといけないんだか。
寂しさを共有できるから私のところに来るんだなんて、私が寂しがりやだって暴露してるもんじゃない。
私とこいつが惹かれあった決定的理由。
心の奥底にある孤独への恐れこそが、私たちを繋ぐ糸。
たとえ寂しいと言葉に出さなくても、どこか似た私たちはそれを感じ取った。
だから私はうっとうしいと思いつつも紫を迎えるし、あいつのために予定を空ける。
紫もまたかつての因縁も忘れ、同族だからこそわかる弱さを見せてくる。
ぶっちゃけ、傷の舐め合いみたいなものだ。
たとえ話すうちに相手に向ける感情が変わってきても、根本的にはそれ。
「……バーカ」
私も紫も、バカだ。
私に寂しいと死ぬ衣装なんて着せた癖して、無視して眠り込む紫の頬を突っつく。
弾力と柔らかさを融合させた感触を楽しんでいると、急に紫の口が開いて私の指をくわえ込んだ。
「ひゃ!?」
「ちゅぱちゅぱ……ん、桃の味がする」
「い、いきなりなにすんのよ!」
慌てて引き抜くと紫のよだれが糸を引いてちぎれた。くそう、紫の眠たげな表情が合わさって無駄にエロい。
「なんで起きてるのよ、あんた寝たんじゃなかったの?」
「寝てたけど天子のにおいを嗅いで目が覚めたわ!」
「変態か」
まごうごとなき変態だ。
「もうなんでもいいわ。起きたのならこの服脱がせなさいよ」
「そのバニースーツなら一日経てば脱げるようになるわ」
「今すぐ脱がせろって言ってるのよ!」
「天子から脱がせてなんて言われると興奮しちゃうけど無理なの。毎秒ランダムに変化する300桁のパスワードを打ち込まないと解除されないから、術者の私でも解けないわ」
えぇい、無駄なところに無駄な才能を使いやがって。
「丸一日この衣装ってことか。頭痛いわ……」
「いいじゃない、似合ってるわよウサギさん。それに昨日私の気持ちをあんなにもてあそんだのだから、その報いよ」
紫は布団から起き上がると、スラリと伸びた腕を私に見せ付ける。
艶やかさを持った白い手首には、緋色と紫色のリボンが巻きついていた。
「それ……」
「寝てる間に縛ってたら髪が痛むだろうから、こっちに着けてみたの。似合ってるかしら?」
「へ、へぇ、何のリボンか知らないけど似合ってるじゃないの」
「ふぅ~ん、あなたはまだそんなこと言うのね」
視線を反らした私に紫を意地悪そうな顔をした、伸ばした手をそのまま私の首に回して引っ張り込んだ。
「うわっ!?」
「最初にあの箱を開いたときは、本当に悲しかったのよ」
私の身体を包む両腕に、紫の身体へと押さえつけられた。
紫のおっぱいに埋まる顔。これは。
呼吸が出来ない。
「むご、うむごむごうがー!?」
「あれを見たときの落胆がわかる? 私は天子からどうにも想われてないんじゃないかと思って、どうにかなってしまいそうだった」
いや、その前に私がどうにかなりそうなんですけどこれ!
「あなたが素直じゃないのは知ってるし、リボンを見つけたときは嬉しかったわ。それでもやっぱりああいうことするのはどうかと思うのよ」
「むぐうごごあお」
「ちゃんと反省してなさい」
「ぐむ……」
いや確かにあれは私もどうかなって思ったけどさ。あとで思いっきり後悔して、ベッドの中で悶々としてたけどさ。
反省とかその前に死ねる!
「もう二度とあんなことしないって誓える?」
「むごー! むー!」
誓う、誓うから離してマジで!
ギブアップと紫の方をバンバン叩いて、ようやく紫は胸の中から私を開放してくれた。
「ぷはぁー! はぁー……空気おいしいぃ……」
「天子、あなたの口から聞かせて頂戴」
新鮮な空気を必死に取り込もうとする私の顔を、紫は両手で引っつかんで目を合わせてきた。
見開かれた瞳に見つめられて、私の心の奥底まで覗かれてる気分になってくる。
「う、その……」
「なに?」
「……ごめん。もうしない」
「よろしい」
気まずいながらも言葉を搾り出して、紫は硬い表情を崩して目を細めた。
あぁもう、恥かしいなぁと目を伏せると、その隙を見ておでこにキスされた。
「チュッ」
「うひゃ!? な、なにするのよ!?」
「私からあげられるものを用意できなかったから、とりあえずプレゼントの代わりよ」
「もっとマシなの用意しなさいよ、この色欲ババア」
けらけら笑う紫にこっちは赤くなるばっかりで、実はもうプレゼントは貰ってるなんて、口が裂けてもいえなかった。
赤い私を見てますます増長されるけど、もう一眠りしましょうか、と紫は布団で横になる。
「てーんーしー」
掛け布団をめくった紫が、笑顔で隣をぽんぽんと叩く。
「あー、そういえばお腹減ったなー、藍に何か作ってもらおうかなー」
「一緒に寝ましょ」
ぐぬ、明らかに流そうとしてるのに、そんな恥ずかしい提案を平気でしてきやがって。
さっきからそうだが、冬場の紫は欲望に忠実すぎて苦手だ。
「いいでしょ、お願い」
「わかったわよ、寝ればいいんでしょちくしょう」
そんなに素直にねだれられたら、私としてもそう拒絶できない。
紫の隣に潜り込むと、布団をかぶって肩を寄せ合った。
「それじゃおやすみ」
「おやすみなさい」
「…………」
「…………天子、抱いて」
「ファッ!?」
いきなり何言ってきてるのこいつ!?
「天子にぎゅっと抱きしめられながら寝たら、よく眠れると思うの」
「あ、あぁ、そっちの抱いてね……どっちにしろ嫌よ。またおっぱいに埋もれたら、今度こそ死ぬわ」
先ほどの恍惚と恐怖が入り混じった独特の感覚は、深く私の心に刻み込まれたぞ。
トラウマと感動を同時に植えつけられるのは、あまりないことだと思う。
「じゃあ抱き枕になって、それでいいわ」
「わかったけど、反対向くわよ」
「それでもいいわ」
紫から顔を背けて身体を横に向けた私に、紫は背中から腕を回して私を抱きしめてきた。
さっき私を苦しめたおっぱいは、私の後頭部をポヨンと心地よく刺激する。
ところで両腕で抱いてるから片腕が下敷きになってるけど、痺れたりしないんだろうか。
「体勢的に辛くない?」
「大丈夫よ、それよりあったかいし、天子のにおいがして気持ち良いわ」
……そんなににおうのか。
自分の手首を嗅いでみるけど、嗅ぎなれたにおいには鼻が反応してくれない。
せめてくさくないように願って紫に身体を預けた。
「そういえばあんたさ、ちゃんと藍も相手にしてあげなさいよ。あのままじゃ私に妬ましいとか言い出しそうだし、拗ねられでもしたら面倒よ、」
「あら、それはそれで面白いじゃない。あの子が拗ねるなんて滅多にないもの」
確信犯かこいつ。
それならもうフォローなんてしてやらないぞ。九尾に嫉妬されるのも滅多にない機会だし。
「まったく、嫌な性格してるわね」
「あなただってそうじゃない」
「そうだけどさ……冬場のあんたは、特に面倒よ」
そう言うと、私を抱く紫の腕が少し強まった。
苦しくて「んっ」とうめくとすぐに弱まったけど、妙なものを感じて口が閉じる。
「……幻想郷を作ってからはね、冬に冬眠していると、よく夢を見るの」
黙っていた私に、紫が語りかけてきた。
多分だけど、この話を聞くのは私が初めて、そんな気がする。
「私が寝ている間に、幻想郷が潰れて妖怪が消えてしまって、私の存在を知る者もみんな離れていって独りぼっちになる、そんな夢」
「そう簡単にここはなくならないでしょ。藍だって頑張ってるし」
「そうわかってはいるんだけれど、どうしても心の奥底からはそんな不安が離れてくれない」
つまりは、ここのところ紫の言動がぶっ飛んでる、もっとも大きな原因のことか。
元々そういう気質はあったんだろうけど、幻想郷に妖怪が助けられているという特殊な状況が、寂しさを増しているんだろう。
しかしその話は、私としても聞いてて不安になる。
「紫は幻想郷がなくなっても消えないわけ?」
「私は他の妖怪と比べて少し特別だから」
「どう考えても少しじゃないでしょ」
元々こいつが消え失せるなんて想像付かなかったけど、それを聞いてちょっとだけ安心して、紫に身を寄せた。
「……もし本当にそうなったら、すごく悲しくなるとは思う、でも独りぼっちにはならないわよ」
紫の腕を、更に抱きしめるように腕全体で覆った。
私が贈った、リボンが揺れる。
緋色と紫色、私たちをかたどったリボン。
新たな思い出は、私と紫の繋がりをより強いものにしてくれる。
「私は天人、比那名居天子。幻想郷がなくなったくらいじゃ消えてやらないわよ」
「……それもそうね」
それ以上は、お互いに何も言わなかった。
言わなくても何を考えてるのかわかる。
私も紫も、もし不安が現実のものとなっても、少なくとも一人だけは傍にいてくれるかけがえのない存在に、どこか救われた気持ちだった。
そのまま紫に抱かれたまま寝転んでいると、背中から規則正しい寝息が聞こえてきた。
どうやら紫はもう寝てしまったらしい。
私ももう布団から出ようと、抱きしめてくる紫の腕に手を掛けた。
「……あれ?」
グッと力を込めても紫の腕は外れてくれない。
「ふん! ぬぬぬぬぬ……!」
声まで上げて引き離そうとしても、紫の腕はびくともしない。
顔が羞恥は違う理由で赤くなるまで頑張ってみたけど、紫の腕から逃れられなかった。
「ちょっ、紫これ外れなっ」
「すー……すー……」
「だーっ! 呑気に寝やがって!」
ちょっと待って、もしかしてこのまま?
しかもがっちり押さえ込まれたこの体勢だと、バニースーツも脱げないし。
「こんの、クソババアー!!!」
結局私は年明けまで、背中に紫を背負ったままバニースーツで生活することとなったのでした。
なお大と小の大のほうは、女の威信にかけて我慢した。
ゆかてんの365日を目指して、どうぞ