そういやB組のアケミちゃん、付き合ってるらしいよ? まじで?! 相手だれ? いや、何でも相手は大学生らしいよ。嘘ぉ、あの子大人しそうな顔して中々やるじゃん。あれ、家庭教師とかそーゆーパターン? あー、微妙に惜しい。塾の先生だって。うっわ、エロいなそれ。ちょっと下ネタかよ! そういうこというから未だにカノジョいないんだよ。うるせーな。あー、マジ俺非リアだわー。そういやお前誰か狙ってるって言ってなかった?おい、それ言うなって! だれだれ? もしかしてウチのクラスのリンちゃんとか? ちょ、それはねーよ! 顔はいいけどさ、何か怖いじゃん。まーねー。いやでも本が好きすぎるなだけで悪い子じゃないよ。そうかもしんないけどさぁ。あ、もしかして私とか。あははは。調子ノンなよ! てかこないだカレシできたって言ってなかった? んー、そのことなんだけどさぁ……
クラスメイトの話が鬱陶しく耳にまとわりつく。聞いても面白くもないし、むしろ自分と彼らがなぜこうも違うのかと思って空しくなるだけなのに、勝手に鼓膜まで入り込んでくるのだ。
会話が途絶えて気まずい思いをすればいいのに。
霧雨魔理沙は机に突っ伏しながらそう呪った。
昼休みはいつもイヤホンで音楽を聴いて周りの音を遮断するのだが、今日は学校の指定鞄のポケットに完全密閉型イヤホンの姿は無かった。痛恨のミスだな、と彼女は脳内でぼやく。
「はぁ……」
腕が痺れてきたので頭の位置を調節しながら、机に向かって誰にも気づかれないようため息をついた。ブレザーの袖はうずくまっていたせいでしわくちゃだ。
彼女の頭蓋骨の中では、ある疑問が渦巻いていた。
何故私はぼっちになっているのだろうか。
この学校に転校してきた始めは色んな人が話しかけてくれた。決してこのクラスメイトたちは悪い人ではないのだろう。ただその後が続かなかった。
金髪が目立ったせいか、クラスの中心的なグループに加わることが多かった。しかし彼らと自分のノリはいまいち合わず、その内そのグループと話していくことが少なくなっていった。
かといって大人しめのグループと話そうにも、輪は既に閉じられていて、いつの間にか休み時間は机に突っ伏して過ごすようになってしまった。
沢山友達がいた転校前に戻りたい。無駄な願いが胸の底で広がり続けていた。
むしろ彼女は誰とでも仲良くなれる積極的なタイプの人間だったが、都会に引っ越してきてからというもの、その影はなりを潜めている。今まで友達は出来るものであって作るもので無かった彼女は、いざ改めて新しい環境に放り出されたところ、友達の作り方が分からなかったのだ。無意識の内に行ってきたことを、意識的にやるのは難しいものだ。
転校前に友達が多かったことすら悪影響になっているかもしれない。前に友達ができていたのに今できないのは、今の周りの人間たちが悪いのだ、という思考が頭をかすめてしまうのだ。
「ん」
授業開始を告げる鐘が鳴る。
彼女は身を起こし、そして絶句した。
「え……?」
教室には誰もいなかった。
魔理沙が考え事に集中している間に、クラスメイト達は全員教室を出ていたのだ。彼女は朝のホームルームで聞き漏らしてしまったのだが、今日の五時間目は移動教室だったのだ。
「はは……」
目頭が熱くなる。
こんな調子で残りの高校生活を過ごさなければならないのか。
そう思うと込み上げてくるものを魔理沙は抑えきれなかった。
「うっわ、ぼっちとかマジうけるんですけど」
「やかましい!」
学校から駅へ向かう道路に少女二人。片方の金髪は霧雨魔理沙であり、その横に並んで歩いているのは
姫海棠はたてだ。彼女は魔理沙と同じ場所から転校してきたらしく、その時からの腐れ縁らしい。
ちなみに魔理沙はあの後クラスがどの教室に行ったか探すのが惨めだったので、そのまま帰ることにしたようだ。
そうするとおかしいのははたてだ。五限目の時点で魔理沙は早退したのに、同じ学年のはたてのクラスに授業がないのはおかしい。
「てかお前まだ授業あるんじゃないのか?」
「古典の先生がインフルエンザでぶっ倒れちゃったらしくてさ。んで、自習だったんだけど面倒だからそのまま抜け出してきちゃったわけ」
「帰りのホームルームは?」
「その古典の先生がウチの担任だから多分オールオッケーよ。副担任は今日誰が出席して誰が欠席だとか分んないだろうし」
彼女はどことなく得意げな顔でそう言う。
魔理沙は腕を組んだまま「ふぅん」とつぶやいてジト目をはたてに向けた。そして言い放つ。
「お前、クラスが自習でワイワイガヤガヤしてる中で、ぼっちでいるのが辛かったんじゃないのか?」
「う」
はたては言葉に窮した。それは間接的に魔理沙が言ったことを肯定していた。
何を隠そう、この少女もまたぼっちなのである。
「ぼっちがぼっちをあざ笑う。目くそ鼻くそを笑うとはこのことだな」
「わ、私はぼっちなんかじゃないもん! 言えば教科書見せてくれたりするし!」
「そりゃその頼みをシカトする冷たい奴はそういないだろうよ」
「ぐ……」
にやける魔理沙は心底愉快そうだった。ぼっちは常に他のぼっちを見つけて安心したがる悲しい生き物なのである。
何も言い返せないはたてだったが、数秒経つと体裁を取り繕ってこう返した。
「って言っても私がぼっちなのはクラスだけだけどね。写真部じゃ普通に友達いるし」
「ぐ……」
今度は魔理沙が黙る番だった。
はたては転校当初元気いっぱいに振舞ったのだが、そのテンションが空回りしてしまい、加えて生来の空気の読めなさもあり、次第に周りからうざがられてクラスから孤立するようになってしまった。
わざとらしくシカトされるようなことは無かったが、彼女がグループに入ると急に皆のリアクションが微妙になるといった感じだった。そうなると、はたても無理にグループに加わろうとする気力はなかった。やがてはクラスで一言も話さないような日々が続いていく。
しかし入部した写真部では活動に対しての非常に真摯な態度が認められ、部員たちからは「たまにうざいけど、まあ子供っぽいだけで根は良い子」という評価を受けていた。ちなみにお弁当は写真部の部室に集まって食べている。
「と、まあどんぐりの背比べはこの位にしておいて。魔理沙も部活入ればよかったのに。私みたいに片方が駄目になっても何とかなったし」
「両方潰しちまった奴のことも考えてから発言してくれ……ッ!」
「あ……何かごめん」
彼女の声が震えているのを聞いて、はたては流石に素直に謝った。
当初、魔理沙はバレー部に入部し三年の先輩にも気に入られてそこそこ上手くやっていた。しかし三年とその他の学年っは非常に仲が悪く、三年生が大学受験で引退すると共に部活動にも彼女の居場所はなくなってしまった。
何とも悲しい話である。
その嫌な思い出を頭を振り払って魔理沙は追い出した。
しかしその代わりの嫌なことを思い出した。
「そういやそろそろアレが来るな」
「ん、あれって?」
「修学旅行」
「ぐ……」
ぼっちにとって学校のイベントは忌むべきものである。特に修学旅行は何日も逃げ場がない状況が続く、難易度極高の行事である。お金がもったいないと言って行かないことを選択する者も珍しくはない。
「班決めはしたか?」
「ううん。ウチのクラスはまだ。魔理沙は?」
「うふふふふふふ」
「ま、魔理沙?」
この世のあらん限りの負の感情を包括した笑いが唇から漏れ出す。目元は暗く、何があったかは言わずともある程度伝わった。
「組めてない人はいないか、という先生の問いに手を挙げるのがどれだけ辛いかわかるか……?」
「なんて……不憫な……」
はたてにとっても他人ごとではなかった。いつか自分にも訪れうる禍なのだ。内心穏やかではないだろう。
しかしそれでも彼女は目の前の友人を気遣った。
両手をパン、と合わせて彼女は魔理沙の方にくるりと体を向ける。
「そうだ! 気晴らしに一緒にカラオケでも行かない?」
「ん……中々良いな、その案」
「ぱーっと歌おうよ!」
はたてに励まされて魔理沙の顔も少し明るくなった。やはり持つべきものは友である。
そんな雰囲気をぶち壊すかのように腕時計型拡張現実媒体の着信音が鳴り響く。ちなみに着メロは何故か君が代である。
「あ、ちょっとメール来たみたい」
中空に表示されたディスプレイを見るとはたては飛び上がった。
「うえっ?! そういや今日写真部の文化祭でのテーマ決めるんだった! 魔理沙ごめん、カラオケはまた今度ってことで!」
そう言うや否や、彼女は風神のごときスピードで来た道を戻って行った。
彼女の名は姫海棠はたて。根は良いのだが、ちょっぴり空気の読めない女の子である。
「…………おい」
残されたのはひとりぼっちがひとり。
アメの後のムチである。魔理沙は鼻の奥がつんとするのを感じた。
ぼっちが最も傷つくこと。
それはぼっち仲間だと思っていた奴に、普通に友達がいると知った瞬間である。
駅を抜けると、林立するビルと立体電光掲示板の広告がやかましく魔理沙を出迎えた。ビル風が彼女の金髪とスカートをはためかせる。今日はちゃんと手袋もマフラーもつけているのに、いつも以上に寒く感じるのは気のせいか。口元まで上げたマフラーから漏れる息が白い。
「はぁ……」
ため息をついて足を進める。
この街はちょっとした小都市であり、この辺りの学生が友達と遊ぶのは決まってここだった。勿論彼女は友達と遊びに来たわけではない。ただこのまま家に帰るのも何だか癪に触ったので、特に何をするわけでもなくブラブラ歩きに来ただけである。
『せっかくだからアニメイト行こうぜ!』
『あそこグッズばっかで買うものないじゃん……』
『おっと、玄人のヲタク様は言うことが違いますねぇ?』
『うるせっ!』
魔理沙は通行人を横目で睨みつけて通り過ぎた。すれ違う同年代のグループの会話が耳障りだ。あんなに大声を出さないと喋れないのか、と思うもすぐにそれは卑しい嫉妬にすぎないと自己嫌悪に陥る。寂しさを紛らわしに来たのに、余計に寂しくなるとは笑える話だ。
陰鬱とした感情を引きずりながら歩いていると、滑稽な調子の口上が耳に入った。
『たい焼き~たい焼きはいかがですか~焼きたてのたい焼きはいかがですか~』
音を頼りに彼女はたい焼きの屋台に向かって歩く。
少しするとちょっとした広場に、たい焼き屋の看板を掲げる大分簡易な屋台が見つかった。
「いらっしゃいませー、って何だ。魔理沙か」
「何だとは何だ。どんな客が来たら満足なんだよ、ミスティア」
「身長は180位で割と細めなんだけど近づくと意外と筋肉質で声が低いバスで髪型は短めのスーツを着た年収は1000万超えの優しくってちょっとしたとこにも気が利く性格の男の人かな」
「……結婚相手の理想を聞いた覚えはないんだが。というか理想高いなお前」
「理想は高く、現実は妥協が基本よ」
「へー」
魔理沙が呆れるこの相手の名前はミスティア・ローラレイ。魔理沙の知り合いである。見た目の割に年増で、屋台業だけで生計を立てている猛者だ。
「で、お客さん。注文は?」
「中身は何があんの?」
「つぶあんとお好み焼き」
「え、たい焼きやでお好み焼き売ってんの?」
首を傾けて「確かに両方とも粉ものではあるけどさぁ……」とぼやく魔理沙に、ミスティアは手を「違う違う」と振った。
「そうじゃなくって。お好み焼き味のたい焼きをウチでは取り扱ってるの」
「え、なにそれイロモノじゃん。正統派のミスティアにしては珍しいな」
「まあまあ。ちょっと食べてみてよ」
「うーん……第一甘いものであるたい焼きに、しょっぱい方面であるお好み焼きを投下しようってセンスが良くわからないんだが」
渋い顔の魔理沙に、店主ミスティアは得意気な顔で語る。
「最初はみんなそう言うんだよ。でも食べればわかるって」
店主の「これだから素人は」とでも言いたげな表情には内心イラっときたが、強引に勧める彼女に押されて結局魔理沙はつぶあんとお好み焼きを二つずつ頼んだ。
押しに弱いのも彼女の特徴かもしれない。
「ども、まいどありー。でもまいどありってなんて意味?」
「客に聞くなよ……毎度ありがとうございますの略じゃないのか?」
「なるほど。だけどさ、そしたら初めて来てくれたお客さんにそれ言うのはおかしいよね」
会話しながら店主は滑らかに手を動かしていた。専用の入れ物から鯛が型取られた鉄板へ生地を流し込む。ベージュに近い生地はつぶあん用、少し黒っぽい生地はお好み焼き味用である。後者の生地にはソースを混ぜてあるのだ。
「んー、そうだなぁ。勿論これからも来てくれますよね、っていう遠回しなアピールとか」
「それは厚かましいわね」
店主はヘラを使ってつぶあんを生地に落とし込む。この時なるべく広めに投下しないとしっぽに餡が入ってないなどと客から文句が来るので気をつけなければならない。一方黒っぽい生地にはマヨネーズとソースを入れた後、溢れるほどに紅ショウガ、キャベツの千切り、ソーセージなどの具材を投下していく。そしてもう一度上から生地をかけると、店主は鉄板を折りたたんだ。
「しかしお前、前はうなぎ屋やってなかったか?」
「使ってたうなぎが絶滅危惧種に指定されちゃってね。他の種類に切り替えるのも癪だし、引退寸前のたい焼き屋の知り合いのおじちゃんがいてね、その人の後を引き継いだのよ。あ、ちなみにそのおじいちゃん、今は老人ホームでハーレム作ってるらしいよ」
「……老いてなお盛んか。しかし案外すんなり切り替えちまうなんて、何か薄情だな。絶滅危惧種指定だって何年か待てば解除されるかもしれないのに」
魔理沙は少し俯けた。
絶滅危惧種指定された動物は優先的にクローンの研究が進められることになっている。と言っても種類によっては不可能なものもあるし、一年程度で技術が確立されるものもあれば何十年かかっても完成の目を見ないものなど様々であるので余りあてにはできない。
「解除は何年かかるかわからないし、それに私クローンの食材はあんまり好きになれないのよ。たい焼きはその点、絶滅しなさそうな食材多いからいいかなって」
鈍い音を響かせながら畳んだ鉄板をひっくり返して、ミスティアはそれに視線を落とした。
「薄情って感じちゃうのもわかるけどさ、ずっと同じものに縛られ続けるのもどうかと思うよ。周りの状況は刻一刻と変わってくのに、自分だけ変わらなかったら置いてかれちゃうじゃない」
「ふうん……」
彼女の声はどこか不満げだったが、特に反論するようなことはしなかった。魔理沙も店主の言うことが正しいとわかってはいるが、心情的に少し認めたくないだけなのだろう。
「だから魔理沙も新しい学校で友達作んなきゃ駄目だよ?」
ミスティアが微笑みかけると、魔理沙は苦虫を潰したような顔をした。
「……何で知ってるんだよ」
「はたてちゃんが嬉々として語ってたよ」
「あのアマよくも人の恥晒してくれやがって……ッ!」
後で腹パン入れてやる。魔理沙はそう心に固く誓った。
その様子を楽しそうに眺めながら、店主は折りたたまれていた鉄板を開いた。すると湯気とともにたいやきの匂いが辺りに香り、二人の鼻腔を刺激する。
「ん、中々うまそうな匂いじゃん」
「そりゃどーも。ちなみに四個全部一人で食べる気?」
「うち二つは手土産だよ」
「まあだよね」
ミスティアは袋にたい焼きを詰めながら、魔理沙に値段を突きつける。
「一個三百円だけど四個買ってくれたから千円にしとくね」
「……やたら高くないか? ネット通販なら最新技術で温かいまま二百円で送られてくる時代だぞ」
少女が訝しげな視線を送ると、店主は人差し指を立てて語った。
「うちの子達は安さより美味しさがウリよ。あと今の時代、屋台商売なんて縁日ですら根こそぎ潰れちゃって希少価値出るほどだから、昔ながらの屋台を楽しめる雰囲気料とかもあるし」
「どうにも詐欺臭いな……」
そう言いながらも彼女は財布からICカードを取り出した。現金も決して使われないわけではないが、取り扱っている店が段々と少なくなってきていることは確かである。
「一応うちの店は、テレビに取り上げられる位には有名だけど」
「本当かよ」
店主はカードを専用の器具にタッチさせ、たい焼きの詰まった紙袋を手渡す。
あまりにも疑われるのが納得いかなかったのか、彼女は一つ提案をした。
「そんなに疑うならここで食べて見せてよ。美味しくなかったらお金返すからさ」
「まあ……そこまで言うなら」
「あ、せっかくだからお好み焼き味のほうね」
袋からたい焼きを取り出して、魔理沙はたい焼きを眺めてみた。
ソースを生地に混入しているせいか、黒くてコゲてしまっているようにも見える。具材は大分多めに入っており、鯛からはキャベツが飛び出していた。
お世辞にも綺麗と言うには程遠い風体である。
「あのさ。正直、あんまり美味しそうな外見じゃないんだが」
「見た目が悪いのはウチのが、というよりお好み焼き味のたい焼き自体がそういうモノなのよ」
恐る恐る、といった具合でしばらく見つめたあと、魔理沙は一気にかぶりついた。
食いちぎられた場所から湯気が小さく立ち上る。
「んっ」
味付けはやはりソースとマヨネーズの味が目立ち、普通のお好み焼きよりも少し濃いくらいだろう。だがそれは決して不快になるほどではなく、深夜に食べたくなるような味だった。また食感もキャベツのおかげで気持ち良いものに仕上がっている。
「……案外に中々おいしいな」
「でしょでしょ?」
店主は腰に両手を当て、満足げな顔で魔理沙を見ていた。いわゆるドヤ顔というやつである。
「新しいものも悪くないでしょ。食わず嫌いが一番勿体ないよ」
今の学校の人間に対しての自分の感情を言われた気がして魔理沙の胸はチクリと痛んだが、店主の様子を見る限りそんな気は更々なさそうだった。単純に客に美味しさを教えられたのが嬉しいようだ。
人と食べ物では話が別だ、と胸中でぼやきながらも、彼女はお好み焼き風たい焼きの美味しさに舌鼓を打つのであった。
林立するビルの中にぽつんと神社が建っていた。そこだけ時が止まっているようで、明らかに周りから取り残されている。
その神社の賽銭箱の上に博麗霊夢は佇んで、お茶を飲んでいた。白衣と緋袴の脇の空いていない極々普通の巫女装束に、マフラーを身にまとっていた。すぐ横に箒が立てかけてあるところを見ると、恐らく掃除をしていたのだろう。
「よう、霊夢」
「あら魔理沙じゃない。久しぶりね。素敵な賽銭箱なら私のお尻の下よ」
「その口上で賽銭入れたくなる奴がどこにいるんだ」
「そんなことないんじゃない? 変態さんとか」
呆れた調子で魔理沙が言うと、霊夢は茶をすすりながら答える。金髪の少女はため息をつきながらたい焼きの入った袋を差し出した。
「あいよ、土産だ」
「随分気がきくわね。ミスティアのとこのやつでしょ? 美味しいんだけど高いから手を出しにくいのよ」
白い息が二人の口から漏れる。
空気は乾燥していて、露出した顔に痛いほど突き刺さる。上を見やれば灰色の曇り空がひたすらに広がっていた。
「気づけばもうこんな季節になっちゃったわね。時が経つのは早いものだわ」
「そうだな」
吹きすさぶ風に植えられた木々が大きく揺れる。二人の長い髪がなびき、地面を茶色の木の葉が転がっている。
そして魔理沙はポケットに手を突っ込んで言った。
「幻想郷が滅んでから、もう半年か」
木枯らしがびゅうびゅうと音を立てていた。
最初に幻想郷終末の足音に気づいたのは、恐らくレミリア・スカーレットだろう。紅魔館のいつも通りの全員揃っての夕食の時、彼女は「明日私友達の家に行くから」と言うような気軽さでそれを告げた。
『そういやあと一年くらいしたら幻想郷滅びるから、あんたら適当に準備しときなさいよ』
他にもそれに気づくものはいたが、天狗の新聞にひとたびその事実が載ると、幻想郷の崩壊という衝撃的なニュースは一気に広められた。
博麗大結界が永遠のものだと誰が言ったのだろうか。恐らく誰も言っていない。空気のように幻想郷に馴染んでいた結界は、いつしか人々の間であるのが当たり前のものになっていたのだ。
そうでないことをきちんと理解していたのは、結界の管理者達くらいであろう。
幻想郷と外の世界を物理的に隔絶する博麗大結界は、史上最強のシャーマンである初代博麗の巫女の人柱によって構成されており、ある意味で幻想郷とは彼女の墓標だった。そして結界は時とともに劣化していく有限のものであり、やがて壊れてしまうのは当然の結末であった。
更に言えば幻と実体の境界も博麗大結界に依存しているようなものに変質しており、大結界の崩壊は物理的にも論理的にも幻想郷は現実に侵される事を意味していた。
しかし問題になるのは八雲紫、その人である。二つの結界を張った時代から生きており、管理者でもある彼女が幻想郷の滅亡を知らないはずがない。これを皆に告知しなかったのは明らかに過失だろう。
皆がそう問い詰めると彼女は必要がなかったから、と答えた。
『外の人間の骸を十万程積み上げれば、初代博麗の膨大な霊力の代わりとなるでしょう。大量の人柱があれば結界はもう一度作れるのです。私が勝手に貼り直しておけば、いちいち皆に言わなくてもいいでしょう?』
この発言を口火として、幻想郷は外の人間を犠牲にしても結界を維持しようと考える者と、それほどの犠牲を出すくらいなら外の世界で生きていこうと考える者の両者に分かれた。壮絶な戦いの果て、勝利したのは後者であった。
約一年の準備期間を経て、魔理沙や人里の住民たち、それと一部の人型の妖怪たちは人間世界に紛れ込んだ。勿論それを良しとせず人間社会から隔絶された自然の中で、幻想郷が出来る前と同じように妖怪として生きる道を選んだ者もいる。
何にせよ、幻想郷は滅んだのだ。
「ま、そんなこともあったわよねぇ」
霊夢は急須で湯呑にコポコポとお茶を注ぐ。
外で話し込むには余りに寒すぎたので、二人は室内の炬燵に入っていた。
「紫も律儀なもんだよな。自分は外に移り住むのに反対だったってのに、いざ移住することになったら戸籍やら何やら面倒なことは大体やってくれたし」
「そうね。あいつなりのケジメってやつじゃない?」
ここで平和そうに茶をしばいている二人の少女も、一年半前には血を流し、共に酒盛りをした者達と本気で戦ったのだ。彼女らだけではない。師弟や兄弟の間で争うことすら珍しくなかった。幻想郷の一人一人が考え、そして自らの考えを押し通そうとしたのだが――――――まあそれは別のお話。
「ふぅ……」
魔理沙はお茶を飲みこむと、ため息を一つついて目線を手元に落とした。その瞳は何処か暗い輝きをたたえていた。そしてゆっくりと口を開いた。
「なあ霊夢、私達は外の人間を犠牲せずに幻想郷を捨てることを選んだよな」
「ええ。その通りよ」
「あんなに必死に戦ったってのにさ……何か私、学校でぼっちだしさ……」
霊夢は炬燵の上に置かれた丸いお盆から、ビニール袋に入った煎餅を取り出した。煎餅をかじる音が冷たい空気に響く。
「自分が何のために戦ったかわからないって?」
「別に人の命を守りたいとか、そんな高尚なことは考えなかったさ……ただそんなに死体を積み上げてまで幻想郷に執着することはないと思っただけだ」
魔理沙は両手で煎餅をバキリと折ってから、その破片を口にした。
「ただ、別の方法を模索することはできなかったのかなって……形を変えてでも幻想郷を存続させることはできたんじゃないかって最近思うんだ」
巫女は目を閉じて、ふうと息を吐き出した。
「それこそそんな高尚な悩みじゃないでしょ。何か高校のヤツラつまんねーし中学戻りてーなー、っていうのと変わらない悩みなんじゃない?」
「ぐ……」
魔理沙は小さくうめき声をあげた。実際彼女の悩みは幻想郷がどうだとか壮大なものではなく、学校で友達できないのが辛い、というものである。
煎餅をかじりながら彼女は「まあ私学校行ってないから、あんまし良くわかんないけど」と付け足す。
「私も集団生活馴染めなそうだし、巫女やる方が楽だから今こうしてる訳だから魔理沙をどうこう言う権利はないんでしょうね」
そう言ってズルズルと茶をすすった。そして一息つく。
ちらりと長年の友人を見やると悲しそうな顔が視界に入り、霊夢は目を伏せた。
言おうかどうか数秒の逡巡の後、彼女は口を開いた。
「私は説教する気とかないんだけどさ……アンタ、自分から話しかけに行ってる?」
「それは……」
明らかに図星だった。魔理沙は「私がお前たちの命を救ってやったのだから、そっちから話しかけてもいいんじゃないか」という傲慢さが自らの内に無いとは言い切れなかった。
そして何より彼らと自分の価値観は違うのだという諦観、仲良くなっても根幹の部分で住む世界が違った彼らとわかりあえないのではという恐怖もあった。
積極的に自分から絡みに行けて、誰とでも仲良くなれる性格だった彼女は、新しい環境に来てすっかり臆病になってしまっていたのだ。
しばらくの間、二人の間に沈黙が流れる。少し考えて、霊夢が困ったように笑った。
「ま、学校で更に何かやらかしても、ここに来ればいいわ。その……あんま言いたくないけど私はアンタのこと、親友だと思ってるわよ……だから学校で嫌われたらどうしようとか考えず、自分から話しかけていきなさいよ。学校生活駄目になっても……私は魔理沙の友達だから」
最悪の場合でも、自分がついている。霊夢はそう言った。
学校や職場で一人ぼっちだとしても、家族やその他に友達がいるのは心強いものだ。根幹の人間関係がしっかりしている者は案外に精神的に強いのかもしれない。
「れ……」
魔理沙は驚いたように言った。
「霊夢がデレた……」
「お前人が死ぬほど恥ずかしいこと言ったのにそのリアクションはどういうことだ」
未開封の煎餅が魔理沙の額に激突して、中で真っ二つに割れた。
霊夢の耳は心なしか赤いようにも見える。
「すまんすまん」
魔理沙は笑いながら謝った。
素直に返すことができなかったが、彼女は胸が温かくなって、少しだけ目頭が熱くなるのを感じた。
「励ましてくれてありがとな、霊夢」
「腐れ縁だからね、魔理沙とは」
彼女は赤い頬をそっぽにむけたまま、唇をとがらせてぞんざいに返した。
幻想郷はなくなったけれど、多分コイツとは一生友達なんだろうな。
魔理沙はそんなことを考えながら、さっき自分に投げつけられた煎餅をかじった。
パキ、と小気味良い音がした。
「いやそうは言っても無理だって」
誰にも聞こえないくらいの大きさで、魔理沙は独り言を口の中で転がした。
四限目終了後の昼休み、教室の中で生徒たちは自由に机を組み替えて自分の仲間たちと弁当を食べている。形成されたグループは一つ一つが強固な結びつきを持っていて、まるで別世界のように自分を拒絶しているようだと魔理沙は錯覚した。自分から話しかけていくのを想像すると、胃がきゅっと萎んでいく気がする。
彼女は心の中で「まあ……人間そう簡単に変わらないよな」と呟くと、トイレへ一旦避難しようとした。別にさほど尿意があるわけではなく、ただ教室から出たかっただけである。
いつもなら逃げるように視線を下げて速足に歩くのだが、今日の彼女はふっと周りを見渡すことができた。
「ん……?」
近くに自分が知っている小説を読んでいる少女を見かけた。京極夏彦という作家の魍魎の匣という随分古い本である。ちなみに文庫本自体が箱のようなとんでもない厚さである。
そして奇遇なことにその本を読んでいる彼女もぼっちだった。
手にじんわりと汗が浮かぶ。
声をかけるか一瞬悩み、そして霊夢の顔が頭に浮かんだ。
別に失敗してもいい。ここで上手く行かなかったとしたら、それを霊夢に愚痴ろう。そう決めた。
「あ、あのさ……」
「うん……?」
少女が顔を上げて魔理沙の顔を覗き込んで、二人の目があった。
逃げ出したい。
そう思ったがもう引くに引けなかった。
「その作家の本、よく読むのか?」
するとその少女の顔がぱっと明るくなった。
「う、うん! 霧雨さん、この作者知ってるの?」
「ああ。って言ってもこの作者の姑獲鳥の夏って本をこないだ読んだだけなんだけどな……面白くて他にも読みたかったんだけど、いかんせん古くて他のが見つからなかったんだよ」
「まあ割と妖怪とか割とニッチな本だしね」
「え、ええと……」
そこで魔理沙は一気に青ざめた。そういえばこのクラスメイトの名前を知らないことに気づいたのだ。背中を嫌な汗が流れちる。そのことがばれたら自分はどうすればいい。
するとその少女はふふっ、と笑った。
「霧雨さん、私の名前知らないでしょ」
「いや……あの……」
「いいのよ。私、地味だしクラスでもほとんど話せてないから。というか霧雨さん、あんまり他のクラスメイトに興味なさそうだし」
「ぐ……やっぱそう見えるのか?」
「うん」
少女は魔理沙の眉が八の字になるのを見て笑った。
分厚い本にしおりを挟んで、改まって彼女は名乗る。
「私はリンって言うの。覚えてね、霧雨さん」
「……魔理沙でいいよ、リン。あ、椅子とお弁当持ってきていいか?」
「うん。と言っても私は一人でご飯食べるの辛いから三時間目の後に食べちゃったけどね……」
「私もよくやる、その手口」
自嘲するように笑う彼女に、魔理沙は共感を覚えて笑った。ぼっち同士という親近感が微妙に嬉しいように感じた。
これは友達になれたと思ってもいいのかな、そう魔理沙は考えながら持ってきた椅子に腰かけた。
「しかし霊夢もいい趣味してるわよね。わざわざ私に制服借りてまで魔理沙をストーキングしに来るなんて」
「あんだとほたて。友人の様子をわざわざ見に来るとかめっちゃ私良い奴だと思わない?」
「はたてよ」
魔理沙のクラスの外の廊下に霊夢とはたてはいた。霊夢の方はどうやらはたての予備の制服を借りて学校に侵入しに来たらしい。
はたては廊下の掲示板にもたれかかると、残念そうな顔をした。
「あの様子だと心配ないみたいね。ぼっち仲間が減って私は悲しいわ」
そう言う顔はどこか嬉しそうでもある。友達がぼっちを抜け出せたことを寂しがる一方、喜んでもいるのだ。
教室の中の魔理沙はまだ何処かぎごちなさそうな部分もあるが、恐らくは数日もすれば慣れていくだろう。
「私はそこまで心配してなかったけどね。一度波に乗っちゃえばあの子の性格だしガンガン友達増えてくんじゃない?」
そう言って霊夢は目を細めた。
「そうすると寂しくなりますなぁ、霊夢さん」
「変な声出すなッ」
はたてはカラカラと笑う。そして手を後ろで組んでこう続けた。
「ならさ、霊夢も学校通うってのはどう? 紫のヤローに言えばちょいちょいっとやってくれるって」
「んー……考えとく」
多分、彼女たちは幻想郷が無くなってもちゃんと生きていけるだろう。かといって彼女たちの縁が絶たれてしまうこともないはずだ。あそこで過ごした時間が消えてなくなる訳ではないのだから。
周りの環境や時代が変わっていくのは確かに寂しいことだ。しかしいつまでも昔に縋り付いている訳にもいかず、現実に向き合わなければならない。だが、そこで昔に培ったものが自分を支えてくれるのだ。
前まで不快なものにしか聞こえなかったクラスメイトの会話も、今の魔理沙にはそう悪くないものに聞こえていた。きっともう、休み時間にイヤホンは要らないはずだ。
ぼっち高校生マリサ・終
蛇足
「そういや山の神様連中は信仰失ってるこの世界で、どうなったんだ?」
「早苗がふーじんろくとかいう同人ゲーム作って、新たな形の信仰を得たそうよ」
クラスメイトの話が鬱陶しく耳にまとわりつく。聞いても面白くもないし、むしろ自分と彼らがなぜこうも違うのかと思って空しくなるだけなのに、勝手に鼓膜まで入り込んでくるのだ。
会話が途絶えて気まずい思いをすればいいのに。
霧雨魔理沙は机に突っ伏しながらそう呪った。
昼休みはいつもイヤホンで音楽を聴いて周りの音を遮断するのだが、今日は学校の指定鞄のポケットに完全密閉型イヤホンの姿は無かった。痛恨のミスだな、と彼女は脳内でぼやく。
「はぁ……」
腕が痺れてきたので頭の位置を調節しながら、机に向かって誰にも気づかれないようため息をついた。ブレザーの袖はうずくまっていたせいでしわくちゃだ。
彼女の頭蓋骨の中では、ある疑問が渦巻いていた。
何故私はぼっちになっているのだろうか。
この学校に転校してきた始めは色んな人が話しかけてくれた。決してこのクラスメイトたちは悪い人ではないのだろう。ただその後が続かなかった。
金髪が目立ったせいか、クラスの中心的なグループに加わることが多かった。しかし彼らと自分のノリはいまいち合わず、その内そのグループと話していくことが少なくなっていった。
かといって大人しめのグループと話そうにも、輪は既に閉じられていて、いつの間にか休み時間は机に突っ伏して過ごすようになってしまった。
沢山友達がいた転校前に戻りたい。無駄な願いが胸の底で広がり続けていた。
むしろ彼女は誰とでも仲良くなれる積極的なタイプの人間だったが、都会に引っ越してきてからというもの、その影はなりを潜めている。今まで友達は出来るものであって作るもので無かった彼女は、いざ改めて新しい環境に放り出されたところ、友達の作り方が分からなかったのだ。無意識の内に行ってきたことを、意識的にやるのは難しいものだ。
転校前に友達が多かったことすら悪影響になっているかもしれない。前に友達ができていたのに今できないのは、今の周りの人間たちが悪いのだ、という思考が頭をかすめてしまうのだ。
「ん」
授業開始を告げる鐘が鳴る。
彼女は身を起こし、そして絶句した。
「え……?」
教室には誰もいなかった。
魔理沙が考え事に集中している間に、クラスメイト達は全員教室を出ていたのだ。彼女は朝のホームルームで聞き漏らしてしまったのだが、今日の五時間目は移動教室だったのだ。
「はは……」
目頭が熱くなる。
こんな調子で残りの高校生活を過ごさなければならないのか。
そう思うと込み上げてくるものを魔理沙は抑えきれなかった。
「うっわ、ぼっちとかマジうけるんですけど」
「やかましい!」
学校から駅へ向かう道路に少女二人。片方の金髪は霧雨魔理沙であり、その横に並んで歩いているのは
姫海棠はたてだ。彼女は魔理沙と同じ場所から転校してきたらしく、その時からの腐れ縁らしい。
ちなみに魔理沙はあの後クラスがどの教室に行ったか探すのが惨めだったので、そのまま帰ることにしたようだ。
そうするとおかしいのははたてだ。五限目の時点で魔理沙は早退したのに、同じ学年のはたてのクラスに授業がないのはおかしい。
「てかお前まだ授業あるんじゃないのか?」
「古典の先生がインフルエンザでぶっ倒れちゃったらしくてさ。んで、自習だったんだけど面倒だからそのまま抜け出してきちゃったわけ」
「帰りのホームルームは?」
「その古典の先生がウチの担任だから多分オールオッケーよ。副担任は今日誰が出席して誰が欠席だとか分んないだろうし」
彼女はどことなく得意げな顔でそう言う。
魔理沙は腕を組んだまま「ふぅん」とつぶやいてジト目をはたてに向けた。そして言い放つ。
「お前、クラスが自習でワイワイガヤガヤしてる中で、ぼっちでいるのが辛かったんじゃないのか?」
「う」
はたては言葉に窮した。それは間接的に魔理沙が言ったことを肯定していた。
何を隠そう、この少女もまたぼっちなのである。
「ぼっちがぼっちをあざ笑う。目くそ鼻くそを笑うとはこのことだな」
「わ、私はぼっちなんかじゃないもん! 言えば教科書見せてくれたりするし!」
「そりゃその頼みをシカトする冷たい奴はそういないだろうよ」
「ぐ……」
にやける魔理沙は心底愉快そうだった。ぼっちは常に他のぼっちを見つけて安心したがる悲しい生き物なのである。
何も言い返せないはたてだったが、数秒経つと体裁を取り繕ってこう返した。
「って言っても私がぼっちなのはクラスだけだけどね。写真部じゃ普通に友達いるし」
「ぐ……」
今度は魔理沙が黙る番だった。
はたては転校当初元気いっぱいに振舞ったのだが、そのテンションが空回りしてしまい、加えて生来の空気の読めなさもあり、次第に周りからうざがられてクラスから孤立するようになってしまった。
わざとらしくシカトされるようなことは無かったが、彼女がグループに入ると急に皆のリアクションが微妙になるといった感じだった。そうなると、はたても無理にグループに加わろうとする気力はなかった。やがてはクラスで一言も話さないような日々が続いていく。
しかし入部した写真部では活動に対しての非常に真摯な態度が認められ、部員たちからは「たまにうざいけど、まあ子供っぽいだけで根は良い子」という評価を受けていた。ちなみにお弁当は写真部の部室に集まって食べている。
「と、まあどんぐりの背比べはこの位にしておいて。魔理沙も部活入ればよかったのに。私みたいに片方が駄目になっても何とかなったし」
「両方潰しちまった奴のことも考えてから発言してくれ……ッ!」
「あ……何かごめん」
彼女の声が震えているのを聞いて、はたては流石に素直に謝った。
当初、魔理沙はバレー部に入部し三年の先輩にも気に入られてそこそこ上手くやっていた。しかし三年とその他の学年っは非常に仲が悪く、三年生が大学受験で引退すると共に部活動にも彼女の居場所はなくなってしまった。
何とも悲しい話である。
その嫌な思い出を頭を振り払って魔理沙は追い出した。
しかしその代わりの嫌なことを思い出した。
「そういやそろそろアレが来るな」
「ん、あれって?」
「修学旅行」
「ぐ……」
ぼっちにとって学校のイベントは忌むべきものである。特に修学旅行は何日も逃げ場がない状況が続く、難易度極高の行事である。お金がもったいないと言って行かないことを選択する者も珍しくはない。
「班決めはしたか?」
「ううん。ウチのクラスはまだ。魔理沙は?」
「うふふふふふふ」
「ま、魔理沙?」
この世のあらん限りの負の感情を包括した笑いが唇から漏れ出す。目元は暗く、何があったかは言わずともある程度伝わった。
「組めてない人はいないか、という先生の問いに手を挙げるのがどれだけ辛いかわかるか……?」
「なんて……不憫な……」
はたてにとっても他人ごとではなかった。いつか自分にも訪れうる禍なのだ。内心穏やかではないだろう。
しかしそれでも彼女は目の前の友人を気遣った。
両手をパン、と合わせて彼女は魔理沙の方にくるりと体を向ける。
「そうだ! 気晴らしに一緒にカラオケでも行かない?」
「ん……中々良いな、その案」
「ぱーっと歌おうよ!」
はたてに励まされて魔理沙の顔も少し明るくなった。やはり持つべきものは友である。
そんな雰囲気をぶち壊すかのように腕時計型拡張現実媒体の着信音が鳴り響く。ちなみに着メロは何故か君が代である。
「あ、ちょっとメール来たみたい」
中空に表示されたディスプレイを見るとはたては飛び上がった。
「うえっ?! そういや今日写真部の文化祭でのテーマ決めるんだった! 魔理沙ごめん、カラオケはまた今度ってことで!」
そう言うや否や、彼女は風神のごときスピードで来た道を戻って行った。
彼女の名は姫海棠はたて。根は良いのだが、ちょっぴり空気の読めない女の子である。
「…………おい」
残されたのはひとりぼっちがひとり。
アメの後のムチである。魔理沙は鼻の奥がつんとするのを感じた。
ぼっちが最も傷つくこと。
それはぼっち仲間だと思っていた奴に、普通に友達がいると知った瞬間である。
駅を抜けると、林立するビルと立体電光掲示板の広告がやかましく魔理沙を出迎えた。ビル風が彼女の金髪とスカートをはためかせる。今日はちゃんと手袋もマフラーもつけているのに、いつも以上に寒く感じるのは気のせいか。口元まで上げたマフラーから漏れる息が白い。
「はぁ……」
ため息をついて足を進める。
この街はちょっとした小都市であり、この辺りの学生が友達と遊ぶのは決まってここだった。勿論彼女は友達と遊びに来たわけではない。ただこのまま家に帰るのも何だか癪に触ったので、特に何をするわけでもなくブラブラ歩きに来ただけである。
『せっかくだからアニメイト行こうぜ!』
『あそこグッズばっかで買うものないじゃん……』
『おっと、玄人のヲタク様は言うことが違いますねぇ?』
『うるせっ!』
魔理沙は通行人を横目で睨みつけて通り過ぎた。すれ違う同年代のグループの会話が耳障りだ。あんなに大声を出さないと喋れないのか、と思うもすぐにそれは卑しい嫉妬にすぎないと自己嫌悪に陥る。寂しさを紛らわしに来たのに、余計に寂しくなるとは笑える話だ。
陰鬱とした感情を引きずりながら歩いていると、滑稽な調子の口上が耳に入った。
『たい焼き~たい焼きはいかがですか~焼きたてのたい焼きはいかがですか~』
音を頼りに彼女はたい焼きの屋台に向かって歩く。
少しするとちょっとした広場に、たい焼き屋の看板を掲げる大分簡易な屋台が見つかった。
「いらっしゃいませー、って何だ。魔理沙か」
「何だとは何だ。どんな客が来たら満足なんだよ、ミスティア」
「身長は180位で割と細めなんだけど近づくと意外と筋肉質で声が低いバスで髪型は短めのスーツを着た年収は1000万超えの優しくってちょっとしたとこにも気が利く性格の男の人かな」
「……結婚相手の理想を聞いた覚えはないんだが。というか理想高いなお前」
「理想は高く、現実は妥協が基本よ」
「へー」
魔理沙が呆れるこの相手の名前はミスティア・ローラレイ。魔理沙の知り合いである。見た目の割に年増で、屋台業だけで生計を立てている猛者だ。
「で、お客さん。注文は?」
「中身は何があんの?」
「つぶあんとお好み焼き」
「え、たい焼きやでお好み焼き売ってんの?」
首を傾けて「確かに両方とも粉ものではあるけどさぁ……」とぼやく魔理沙に、ミスティアは手を「違う違う」と振った。
「そうじゃなくって。お好み焼き味のたい焼きをウチでは取り扱ってるの」
「え、なにそれイロモノじゃん。正統派のミスティアにしては珍しいな」
「まあまあ。ちょっと食べてみてよ」
「うーん……第一甘いものであるたい焼きに、しょっぱい方面であるお好み焼きを投下しようってセンスが良くわからないんだが」
渋い顔の魔理沙に、店主ミスティアは得意気な顔で語る。
「最初はみんなそう言うんだよ。でも食べればわかるって」
店主の「これだから素人は」とでも言いたげな表情には内心イラっときたが、強引に勧める彼女に押されて結局魔理沙はつぶあんとお好み焼きを二つずつ頼んだ。
押しに弱いのも彼女の特徴かもしれない。
「ども、まいどありー。でもまいどありってなんて意味?」
「客に聞くなよ……毎度ありがとうございますの略じゃないのか?」
「なるほど。だけどさ、そしたら初めて来てくれたお客さんにそれ言うのはおかしいよね」
会話しながら店主は滑らかに手を動かしていた。専用の入れ物から鯛が型取られた鉄板へ生地を流し込む。ベージュに近い生地はつぶあん用、少し黒っぽい生地はお好み焼き味用である。後者の生地にはソースを混ぜてあるのだ。
「んー、そうだなぁ。勿論これからも来てくれますよね、っていう遠回しなアピールとか」
「それは厚かましいわね」
店主はヘラを使ってつぶあんを生地に落とし込む。この時なるべく広めに投下しないとしっぽに餡が入ってないなどと客から文句が来るので気をつけなければならない。一方黒っぽい生地にはマヨネーズとソースを入れた後、溢れるほどに紅ショウガ、キャベツの千切り、ソーセージなどの具材を投下していく。そしてもう一度上から生地をかけると、店主は鉄板を折りたたんだ。
「しかしお前、前はうなぎ屋やってなかったか?」
「使ってたうなぎが絶滅危惧種に指定されちゃってね。他の種類に切り替えるのも癪だし、引退寸前のたい焼き屋の知り合いのおじちゃんがいてね、その人の後を引き継いだのよ。あ、ちなみにそのおじいちゃん、今は老人ホームでハーレム作ってるらしいよ」
「……老いてなお盛んか。しかし案外すんなり切り替えちまうなんて、何か薄情だな。絶滅危惧種指定だって何年か待てば解除されるかもしれないのに」
魔理沙は少し俯けた。
絶滅危惧種指定された動物は優先的にクローンの研究が進められることになっている。と言っても種類によっては不可能なものもあるし、一年程度で技術が確立されるものもあれば何十年かかっても完成の目を見ないものなど様々であるので余りあてにはできない。
「解除は何年かかるかわからないし、それに私クローンの食材はあんまり好きになれないのよ。たい焼きはその点、絶滅しなさそうな食材多いからいいかなって」
鈍い音を響かせながら畳んだ鉄板をひっくり返して、ミスティアはそれに視線を落とした。
「薄情って感じちゃうのもわかるけどさ、ずっと同じものに縛られ続けるのもどうかと思うよ。周りの状況は刻一刻と変わってくのに、自分だけ変わらなかったら置いてかれちゃうじゃない」
「ふうん……」
彼女の声はどこか不満げだったが、特に反論するようなことはしなかった。魔理沙も店主の言うことが正しいとわかってはいるが、心情的に少し認めたくないだけなのだろう。
「だから魔理沙も新しい学校で友達作んなきゃ駄目だよ?」
ミスティアが微笑みかけると、魔理沙は苦虫を潰したような顔をした。
「……何で知ってるんだよ」
「はたてちゃんが嬉々として語ってたよ」
「あのアマよくも人の恥晒してくれやがって……ッ!」
後で腹パン入れてやる。魔理沙はそう心に固く誓った。
その様子を楽しそうに眺めながら、店主は折りたたまれていた鉄板を開いた。すると湯気とともにたいやきの匂いが辺りに香り、二人の鼻腔を刺激する。
「ん、中々うまそうな匂いじゃん」
「そりゃどーも。ちなみに四個全部一人で食べる気?」
「うち二つは手土産だよ」
「まあだよね」
ミスティアは袋にたい焼きを詰めながら、魔理沙に値段を突きつける。
「一個三百円だけど四個買ってくれたから千円にしとくね」
「……やたら高くないか? ネット通販なら最新技術で温かいまま二百円で送られてくる時代だぞ」
少女が訝しげな視線を送ると、店主は人差し指を立てて語った。
「うちの子達は安さより美味しさがウリよ。あと今の時代、屋台商売なんて縁日ですら根こそぎ潰れちゃって希少価値出るほどだから、昔ながらの屋台を楽しめる雰囲気料とかもあるし」
「どうにも詐欺臭いな……」
そう言いながらも彼女は財布からICカードを取り出した。現金も決して使われないわけではないが、取り扱っている店が段々と少なくなってきていることは確かである。
「一応うちの店は、テレビに取り上げられる位には有名だけど」
「本当かよ」
店主はカードを専用の器具にタッチさせ、たい焼きの詰まった紙袋を手渡す。
あまりにも疑われるのが納得いかなかったのか、彼女は一つ提案をした。
「そんなに疑うならここで食べて見せてよ。美味しくなかったらお金返すからさ」
「まあ……そこまで言うなら」
「あ、せっかくだからお好み焼き味のほうね」
袋からたい焼きを取り出して、魔理沙はたい焼きを眺めてみた。
ソースを生地に混入しているせいか、黒くてコゲてしまっているようにも見える。具材は大分多めに入っており、鯛からはキャベツが飛び出していた。
お世辞にも綺麗と言うには程遠い風体である。
「あのさ。正直、あんまり美味しそうな外見じゃないんだが」
「見た目が悪いのはウチのが、というよりお好み焼き味のたい焼き自体がそういうモノなのよ」
恐る恐る、といった具合でしばらく見つめたあと、魔理沙は一気にかぶりついた。
食いちぎられた場所から湯気が小さく立ち上る。
「んっ」
味付けはやはりソースとマヨネーズの味が目立ち、普通のお好み焼きよりも少し濃いくらいだろう。だがそれは決して不快になるほどではなく、深夜に食べたくなるような味だった。また食感もキャベツのおかげで気持ち良いものに仕上がっている。
「……案外に中々おいしいな」
「でしょでしょ?」
店主は腰に両手を当て、満足げな顔で魔理沙を見ていた。いわゆるドヤ顔というやつである。
「新しいものも悪くないでしょ。食わず嫌いが一番勿体ないよ」
今の学校の人間に対しての自分の感情を言われた気がして魔理沙の胸はチクリと痛んだが、店主の様子を見る限りそんな気は更々なさそうだった。単純に客に美味しさを教えられたのが嬉しいようだ。
人と食べ物では話が別だ、と胸中でぼやきながらも、彼女はお好み焼き風たい焼きの美味しさに舌鼓を打つのであった。
林立するビルの中にぽつんと神社が建っていた。そこだけ時が止まっているようで、明らかに周りから取り残されている。
その神社の賽銭箱の上に博麗霊夢は佇んで、お茶を飲んでいた。白衣と緋袴の脇の空いていない極々普通の巫女装束に、マフラーを身にまとっていた。すぐ横に箒が立てかけてあるところを見ると、恐らく掃除をしていたのだろう。
「よう、霊夢」
「あら魔理沙じゃない。久しぶりね。素敵な賽銭箱なら私のお尻の下よ」
「その口上で賽銭入れたくなる奴がどこにいるんだ」
「そんなことないんじゃない? 変態さんとか」
呆れた調子で魔理沙が言うと、霊夢は茶をすすりながら答える。金髪の少女はため息をつきながらたい焼きの入った袋を差し出した。
「あいよ、土産だ」
「随分気がきくわね。ミスティアのとこのやつでしょ? 美味しいんだけど高いから手を出しにくいのよ」
白い息が二人の口から漏れる。
空気は乾燥していて、露出した顔に痛いほど突き刺さる。上を見やれば灰色の曇り空がひたすらに広がっていた。
「気づけばもうこんな季節になっちゃったわね。時が経つのは早いものだわ」
「そうだな」
吹きすさぶ風に植えられた木々が大きく揺れる。二人の長い髪がなびき、地面を茶色の木の葉が転がっている。
そして魔理沙はポケットに手を突っ込んで言った。
「幻想郷が滅んでから、もう半年か」
木枯らしがびゅうびゅうと音を立てていた。
最初に幻想郷終末の足音に気づいたのは、恐らくレミリア・スカーレットだろう。紅魔館のいつも通りの全員揃っての夕食の時、彼女は「明日私友達の家に行くから」と言うような気軽さでそれを告げた。
『そういやあと一年くらいしたら幻想郷滅びるから、あんたら適当に準備しときなさいよ』
他にもそれに気づくものはいたが、天狗の新聞にひとたびその事実が載ると、幻想郷の崩壊という衝撃的なニュースは一気に広められた。
博麗大結界が永遠のものだと誰が言ったのだろうか。恐らく誰も言っていない。空気のように幻想郷に馴染んでいた結界は、いつしか人々の間であるのが当たり前のものになっていたのだ。
そうでないことをきちんと理解していたのは、結界の管理者達くらいであろう。
幻想郷と外の世界を物理的に隔絶する博麗大結界は、史上最強のシャーマンである初代博麗の巫女の人柱によって構成されており、ある意味で幻想郷とは彼女の墓標だった。そして結界は時とともに劣化していく有限のものであり、やがて壊れてしまうのは当然の結末であった。
更に言えば幻と実体の境界も博麗大結界に依存しているようなものに変質しており、大結界の崩壊は物理的にも論理的にも幻想郷は現実に侵される事を意味していた。
しかし問題になるのは八雲紫、その人である。二つの結界を張った時代から生きており、管理者でもある彼女が幻想郷の滅亡を知らないはずがない。これを皆に告知しなかったのは明らかに過失だろう。
皆がそう問い詰めると彼女は必要がなかったから、と答えた。
『外の人間の骸を十万程積み上げれば、初代博麗の膨大な霊力の代わりとなるでしょう。大量の人柱があれば結界はもう一度作れるのです。私が勝手に貼り直しておけば、いちいち皆に言わなくてもいいでしょう?』
この発言を口火として、幻想郷は外の人間を犠牲にしても結界を維持しようと考える者と、それほどの犠牲を出すくらいなら外の世界で生きていこうと考える者の両者に分かれた。壮絶な戦いの果て、勝利したのは後者であった。
約一年の準備期間を経て、魔理沙や人里の住民たち、それと一部の人型の妖怪たちは人間世界に紛れ込んだ。勿論それを良しとせず人間社会から隔絶された自然の中で、幻想郷が出来る前と同じように妖怪として生きる道を選んだ者もいる。
何にせよ、幻想郷は滅んだのだ。
「ま、そんなこともあったわよねぇ」
霊夢は急須で湯呑にコポコポとお茶を注ぐ。
外で話し込むには余りに寒すぎたので、二人は室内の炬燵に入っていた。
「紫も律儀なもんだよな。自分は外に移り住むのに反対だったってのに、いざ移住することになったら戸籍やら何やら面倒なことは大体やってくれたし」
「そうね。あいつなりのケジメってやつじゃない?」
ここで平和そうに茶をしばいている二人の少女も、一年半前には血を流し、共に酒盛りをした者達と本気で戦ったのだ。彼女らだけではない。師弟や兄弟の間で争うことすら珍しくなかった。幻想郷の一人一人が考え、そして自らの考えを押し通そうとしたのだが――――――まあそれは別のお話。
「ふぅ……」
魔理沙はお茶を飲みこむと、ため息を一つついて目線を手元に落とした。その瞳は何処か暗い輝きをたたえていた。そしてゆっくりと口を開いた。
「なあ霊夢、私達は外の人間を犠牲せずに幻想郷を捨てることを選んだよな」
「ええ。その通りよ」
「あんなに必死に戦ったってのにさ……何か私、学校でぼっちだしさ……」
霊夢は炬燵の上に置かれた丸いお盆から、ビニール袋に入った煎餅を取り出した。煎餅をかじる音が冷たい空気に響く。
「自分が何のために戦ったかわからないって?」
「別に人の命を守りたいとか、そんな高尚なことは考えなかったさ……ただそんなに死体を積み上げてまで幻想郷に執着することはないと思っただけだ」
魔理沙は両手で煎餅をバキリと折ってから、その破片を口にした。
「ただ、別の方法を模索することはできなかったのかなって……形を変えてでも幻想郷を存続させることはできたんじゃないかって最近思うんだ」
巫女は目を閉じて、ふうと息を吐き出した。
「それこそそんな高尚な悩みじゃないでしょ。何か高校のヤツラつまんねーし中学戻りてーなー、っていうのと変わらない悩みなんじゃない?」
「ぐ……」
魔理沙は小さくうめき声をあげた。実際彼女の悩みは幻想郷がどうだとか壮大なものではなく、学校で友達できないのが辛い、というものである。
煎餅をかじりながら彼女は「まあ私学校行ってないから、あんまし良くわかんないけど」と付け足す。
「私も集団生活馴染めなそうだし、巫女やる方が楽だから今こうしてる訳だから魔理沙をどうこう言う権利はないんでしょうね」
そう言ってズルズルと茶をすすった。そして一息つく。
ちらりと長年の友人を見やると悲しそうな顔が視界に入り、霊夢は目を伏せた。
言おうかどうか数秒の逡巡の後、彼女は口を開いた。
「私は説教する気とかないんだけどさ……アンタ、自分から話しかけに行ってる?」
「それは……」
明らかに図星だった。魔理沙は「私がお前たちの命を救ってやったのだから、そっちから話しかけてもいいんじゃないか」という傲慢さが自らの内に無いとは言い切れなかった。
そして何より彼らと自分の価値観は違うのだという諦観、仲良くなっても根幹の部分で住む世界が違った彼らとわかりあえないのではという恐怖もあった。
積極的に自分から絡みに行けて、誰とでも仲良くなれる性格だった彼女は、新しい環境に来てすっかり臆病になってしまっていたのだ。
しばらくの間、二人の間に沈黙が流れる。少し考えて、霊夢が困ったように笑った。
「ま、学校で更に何かやらかしても、ここに来ればいいわ。その……あんま言いたくないけど私はアンタのこと、親友だと思ってるわよ……だから学校で嫌われたらどうしようとか考えず、自分から話しかけていきなさいよ。学校生活駄目になっても……私は魔理沙の友達だから」
最悪の場合でも、自分がついている。霊夢はそう言った。
学校や職場で一人ぼっちだとしても、家族やその他に友達がいるのは心強いものだ。根幹の人間関係がしっかりしている者は案外に精神的に強いのかもしれない。
「れ……」
魔理沙は驚いたように言った。
「霊夢がデレた……」
「お前人が死ぬほど恥ずかしいこと言ったのにそのリアクションはどういうことだ」
未開封の煎餅が魔理沙の額に激突して、中で真っ二つに割れた。
霊夢の耳は心なしか赤いようにも見える。
「すまんすまん」
魔理沙は笑いながら謝った。
素直に返すことができなかったが、彼女は胸が温かくなって、少しだけ目頭が熱くなるのを感じた。
「励ましてくれてありがとな、霊夢」
「腐れ縁だからね、魔理沙とは」
彼女は赤い頬をそっぽにむけたまま、唇をとがらせてぞんざいに返した。
幻想郷はなくなったけれど、多分コイツとは一生友達なんだろうな。
魔理沙はそんなことを考えながら、さっき自分に投げつけられた煎餅をかじった。
パキ、と小気味良い音がした。
「いやそうは言っても無理だって」
誰にも聞こえないくらいの大きさで、魔理沙は独り言を口の中で転がした。
四限目終了後の昼休み、教室の中で生徒たちは自由に机を組み替えて自分の仲間たちと弁当を食べている。形成されたグループは一つ一つが強固な結びつきを持っていて、まるで別世界のように自分を拒絶しているようだと魔理沙は錯覚した。自分から話しかけていくのを想像すると、胃がきゅっと萎んでいく気がする。
彼女は心の中で「まあ……人間そう簡単に変わらないよな」と呟くと、トイレへ一旦避難しようとした。別にさほど尿意があるわけではなく、ただ教室から出たかっただけである。
いつもなら逃げるように視線を下げて速足に歩くのだが、今日の彼女はふっと周りを見渡すことができた。
「ん……?」
近くに自分が知っている小説を読んでいる少女を見かけた。京極夏彦という作家の魍魎の匣という随分古い本である。ちなみに文庫本自体が箱のようなとんでもない厚さである。
そして奇遇なことにその本を読んでいる彼女もぼっちだった。
手にじんわりと汗が浮かぶ。
声をかけるか一瞬悩み、そして霊夢の顔が頭に浮かんだ。
別に失敗してもいい。ここで上手く行かなかったとしたら、それを霊夢に愚痴ろう。そう決めた。
「あ、あのさ……」
「うん……?」
少女が顔を上げて魔理沙の顔を覗き込んで、二人の目があった。
逃げ出したい。
そう思ったがもう引くに引けなかった。
「その作家の本、よく読むのか?」
するとその少女の顔がぱっと明るくなった。
「う、うん! 霧雨さん、この作者知ってるの?」
「ああ。って言ってもこの作者の姑獲鳥の夏って本をこないだ読んだだけなんだけどな……面白くて他にも読みたかったんだけど、いかんせん古くて他のが見つからなかったんだよ」
「まあ割と妖怪とか割とニッチな本だしね」
「え、ええと……」
そこで魔理沙は一気に青ざめた。そういえばこのクラスメイトの名前を知らないことに気づいたのだ。背中を嫌な汗が流れちる。そのことがばれたら自分はどうすればいい。
するとその少女はふふっ、と笑った。
「霧雨さん、私の名前知らないでしょ」
「いや……あの……」
「いいのよ。私、地味だしクラスでもほとんど話せてないから。というか霧雨さん、あんまり他のクラスメイトに興味なさそうだし」
「ぐ……やっぱそう見えるのか?」
「うん」
少女は魔理沙の眉が八の字になるのを見て笑った。
分厚い本にしおりを挟んで、改まって彼女は名乗る。
「私はリンって言うの。覚えてね、霧雨さん」
「……魔理沙でいいよ、リン。あ、椅子とお弁当持ってきていいか?」
「うん。と言っても私は一人でご飯食べるの辛いから三時間目の後に食べちゃったけどね……」
「私もよくやる、その手口」
自嘲するように笑う彼女に、魔理沙は共感を覚えて笑った。ぼっち同士という親近感が微妙に嬉しいように感じた。
これは友達になれたと思ってもいいのかな、そう魔理沙は考えながら持ってきた椅子に腰かけた。
「しかし霊夢もいい趣味してるわよね。わざわざ私に制服借りてまで魔理沙をストーキングしに来るなんて」
「あんだとほたて。友人の様子をわざわざ見に来るとかめっちゃ私良い奴だと思わない?」
「はたてよ」
魔理沙のクラスの外の廊下に霊夢とはたてはいた。霊夢の方はどうやらはたての予備の制服を借りて学校に侵入しに来たらしい。
はたては廊下の掲示板にもたれかかると、残念そうな顔をした。
「あの様子だと心配ないみたいね。ぼっち仲間が減って私は悲しいわ」
そう言う顔はどこか嬉しそうでもある。友達がぼっちを抜け出せたことを寂しがる一方、喜んでもいるのだ。
教室の中の魔理沙はまだ何処かぎごちなさそうな部分もあるが、恐らくは数日もすれば慣れていくだろう。
「私はそこまで心配してなかったけどね。一度波に乗っちゃえばあの子の性格だしガンガン友達増えてくんじゃない?」
そう言って霊夢は目を細めた。
「そうすると寂しくなりますなぁ、霊夢さん」
「変な声出すなッ」
はたてはカラカラと笑う。そして手を後ろで組んでこう続けた。
「ならさ、霊夢も学校通うってのはどう? 紫のヤローに言えばちょいちょいっとやってくれるって」
「んー……考えとく」
多分、彼女たちは幻想郷が無くなってもちゃんと生きていけるだろう。かといって彼女たちの縁が絶たれてしまうこともないはずだ。あそこで過ごした時間が消えてなくなる訳ではないのだから。
周りの環境や時代が変わっていくのは確かに寂しいことだ。しかしいつまでも昔に縋り付いている訳にもいかず、現実に向き合わなければならない。だが、そこで昔に培ったものが自分を支えてくれるのだ。
前まで不快なものにしか聞こえなかったクラスメイトの会話も、今の魔理沙にはそう悪くないものに聞こえていた。きっともう、休み時間にイヤホンは要らないはずだ。
ぼっち高校生マリサ・終
蛇足
「そういや山の神様連中は信仰失ってるこの世界で、どうなったんだ?」
「早苗がふーじんろくとかいう同人ゲーム作って、新たな形の信仰を得たそうよ」
あと、幻想郷滅んだのに妖怪達が普通に生きてるのは何故?
ミスティア・ローレライなのでは?
てかコミケ行きたかった~;з;
今少しきれいな尖り方をしてればぐっとくる面白さもあったのではとも思います。
ぼっちとか言いつつ割と馴染んでる魔理沙は旧作のどっかでセーラー服着てましたっけね。
まーブレザーでもいいですが。
色々飛んだりして?と思う場面もあったけど楽しく読めたので問題なし!